エターナルメロディ・悠久幻想曲SS集 恋と冒険と鉄骨と 作:レトロ騎士
◇
それは、新緑を携え、青々しい匂いのする、新しい季節。
速やかに広がった空もまた青く、この世界の優しさを確かに伝えている。
「退院、おめでとうございます」
「ええ、ありがとうございます。」
どこか子供っぽく、落ち着きのないナースの、それでも確かな祝福の声に、青年は顔をほころばせて答えた。
見送りの儀としては質素なものだが、1ヶ月程度の入院ならそんなものだろう。
手を振るナースに最後に会釈をして、振り返る。
そこには、幼馴染の少女が少し不機嫌そうに、もう一人の幼馴染の男がニヤニヤとあごをなでながら、待っている。
◇
「ただいま……か」
誰も居ない部屋に、青年の声だけがあった。
長年暮らした安アパートだが、それでも彼の確かな「家」だ。
そして、そこに戻りたくて仕方なかったはずなのに、何故こんなにもむなしいのだろう。
そういえば、すぐそばに誰も居ない夜を過ごすなんて、久々なんだな、と、割とどうでもいいことを考えて嘆息する。
向こうの世界では、一年間ずっと同じ宿、そして同じ空の下で、仲間達と過ごしてきたのだ。
病院にしても、二人が泊まりこんで看病をしていた最初の数日を除けばすぐに大部屋に移り、誰かが常に居た。
なんとなく、一人は上に、一人は下にと歳の離れた幼馴染との、今日の別れのときを思い出す。
「それじゃ、私はもう行くけれど……ちゃんと夜になったらゴハンつくりに来るから、無茶したら駄目よ!」
「本当は退院祝いの酒盛りと行きたいんだけどな。……あー、わぁってるって。邪魔しねーよ。二人きりになりたいからってそんな睨むんじゃイテェ!」
少女に盛大に足を踏まれ、道端でごろごろと転がる友人を見ながら、青年は苦笑せずにいられない。
入院する前には、いつも見ていた光景だ。
つい一ヶ月前のことなのに、妙に懐かしい――。
当たり前だ。
自分にとっては一年以上も前のことなのだから。
しかし、その証明をすることは、なにもできない。
冒険の旅で鍛えていたはずの体は、魔法は言わずもがな、筋肉もあの世界に渡る前のジムで運動をしていた程度の一般人のそれそのままであり、さらに言えば体についたはずの傷もなくなっていた。
脳内の神経はどうかまではわからないが、少なくとも肉体的には異世界になど行っていない事になる。
さらにそんな肉体に引きずられていくのか、どんどんあの世界での記憶が、夢を見ていたことのように思えてきている。
一ヶ月という時間は残酷でしかなかった。
病院の生活で、肉体は癒え、精神も薬で『強制的に』落ち着いていったことで、青年は自分には『毒』が回っていることを、明確に理解した。
どんなに意思を強めようと、世界が、体が、そして心が、それを「ただの夢だ」と語りかけてくる。
そしてそのたびに、確かだったはずの思い出が、記憶から記録へと書き換わるように、現実感がなくなっていく。
そんな毒だ。
恐怖だった。
なにより、そのことを恐怖に感じなくなっていることが、当たり前に受け止めていることが、なによりの恐怖だった。
精神的に落ち着くことが、精神に負担をかけているなど、誰が青年の心情を理解できようか。
青年はあの時、女神に向かって「決して忘れない」と願った。
それは、確かに叶った。
レミットの「忘れさせて」という願いに対抗しての願いだったが、集めた魔宝の数で言えば願いの力では太刀打ちできないはずだ。それでも忘れてないのは、レミットの願いは「できるなら」というおまけのようなものだったことに対して、自分の願いはそれ一点にかけたからなのか。
理屈はともあれ、なんとか「忘れる」ことは避けられた。
だが、忘れないまま、蝕まれていく。
だから、毒だ。
自分が書き換えられていくような絶望に、この一ヶ月の間で死を考えたことだって数え切れない。
それでも、彼が前を向けているのは、幼馴染二人のおかげだろう。
「その女を落とすのをあきらめてねーんだろ。だったら、どれだけ時間がかかっても異世界にいく方法をさがしゃいいさ。一度行けたんだ。なら、方法は絶対にあるんだろうさ」
だからって、何の当てもなく鉄骨にぶつかりにいくのは勘弁な、と悪友は笑った。
「アンタはいつも能天気にしてぼうっとしてるから工事の事故なんかに巻き込まれるのよ!いつも私を子ども扱いするくせにそうやって心配かけさせてほんとにほんとにほんとにアンタは……!」
と、少女は泣きながら頬を抓って、それでも毎日学校帰りに顔を見せにきてくれた。
もし、あの冒険で何事もなく暁の女神を呼ぶまでに至り願いを叶える権利を得ていたのなら、青年は迷いながら、それでもこの世界に帰ることを選んでいただろう。
レミットに恋していると自覚して、それでもなお、こちらの世界に戻ることを選んだはずだ。
そのほとんどの理由が、あの二人にあるといっていい。
二人に事情を話し別れを告げ、その上で最終的にレミットを選ぶ、ということならばありえただろう。
だが、何も話さないまま二人と別れる選択だけは、きっとなかったのだ。
そして――
「レミットのくれたアミュレット……これが、俺の支えだった」
呟く。自分に言い聞かせるかのように。
入院中、事故のときに持っていた荷物だと渡されて、ショルダーバックの中身を受け取ったとき、妙に硬いものがあると中を確認してみれば、それが出てきた。
見つけたとき、はらはらと涙を流す青年に、周囲は事故のことがトラウマになっているのかと慌て始めたのには、いまさらではあるが少し申し訳なく感じる。
だが、そこにあったのは、青年にとっては唯一残されていた、確かにそこに実在する物としての絆だったのだ。
しかしそれも、いつかどこかで買っていたものといわれてしまえばそれまでだ。
貴金属ということで「不自然」ではあるが、「不思議」ではないのだから。
そして、今、いろいろ変わったもの。
「好き……。異性として、好きです」
少女から、退院の前日に、はっきりとそう言われた。
多分、ずっと前から思っていて、今回の事故でタガが外れたのかもしれない。
そして、今日、晩御飯を作りに来るという彼女に、食事の後、答えを言うことになっている。
少女が、自分に好意を持っていることは、知っていた。
はっきりと口にされたことはなかったしうぬぼれているわけでもないが――わかっていた。
あの事故が起こる前までは、多分、何もなければ、いつかそうなるかもしれないし、そうなってもいい、と漠然と思ってすらいたのだ。
自分はあの子を愛している。
それだけは、間違いなくて、ただ、恋をするには少しだけ今までが近すぎた。
愛しいし可愛いしそばにいて欲しい相手でも、執着し、獣欲をぶつけ、独占したい相手ではない。
そういう、距離感。
だから、自分から動こうとはしていなくて、でも、彼女から求められたのなら、きっと拒まなかった。
ただ、それを受け入れるのは彼女に恋をしているからではなく、それで喜ぶ少女が愛しく、見たいからだ。
それでも、恋人として過ごしていけば、きっと関係は変わり、愛に恋が加わることだろう。
そんな風に思っていた少女だったが、異世界に行き1年以上離れていたことで分かった少女の大切さ。
そして、一ヶ月の入院生活の間に必死で青年の心を癒そうと寄り添ってくれたことで、愛しいだけだった想いに、この子を離したくない、という確かな想いは生まれてもいる。
それは、もしかしたら、少女に対して初めて覚えた確かな恋心の欠片だったのかもしれない。
でも。
たとえ、そうであっても。
「でも――もう、惚れちまったんだよなあ」
おそらく、二度と会うことはできないだろう少女、レミット。
幼馴染の少女とどこか似た雰囲気を持つ、おてんばなお姫様。
自分の異世界での出来事については、まだ少女に語っていないし、これから語るつもりもない。
だが、自分に好きな人ができて、もう会えないかもしれないけれど、今はその人のことしか考えられないことをは、伝えなければならない。
それが、自分にとって大切な少女であるならばこそ。
◇
「……もう一度、言って」
青年の答えに、少女はうつむいてそう聞いた。
青年は、改めて、その答えを告げる。
「俺は、もう惚れたやつが居る。そいつとは会えないけれど、でも今はそいつのことしか考えられないんだ」
一度告げたことを、もう一度。
拒絶の言葉にまさか振られるとは思っていなかったのか、少女は顔を伏せ、そしてふるふると体を震わせる。
「ちがう……聞きたいのは、それじゃない」
「……ごめん、でも、それが答えなんだ。俺は、お前を受け入れることは――」
「だから、そうじゃないの。その、好きな人の……名前を、聞かせて」
「あ? ああ……レミット。レミット・マリエーナ。名前の通り外人だけど――俺が本気で好きになった、女の子だ」
異世界人だから外人でも嘘じゃないよな、と間抜けなことを考えつつ、愛しいお姫様の名前を言う。
それは、少女には聞いたことも無い名前だろう。
どこで知り合ったのか、いつからなのか、当然の疑問をぶつけられるかもしれない。
さて、どう説明したらいいかと考えていると――
「――!」
抱きつかれた。
ぎゅう、と小さな腕を精一杯開いて青年を抱きしめる。
そして、胸元で嗚咽をあげる少女。
振ってしまった。
少女を傷つけた。
そんな罪悪感を感じながら、青年は今更だと思いながらも、彼女の髪をなでる。
「ごめん、本当に、お前の気持ちは嬉しい。幸せな気分になった。……でも、それでも俺は――」
「――ってた……」
「アイツを忘れられな……え?」
胸にすがり付いていた少女が、青年の顔を下から見上げて、何かをつぶやく。
だが、その表情に、青年は驚きと共に声を失ってしまった。
なぜなら、確かに少女は泣いているのだが――その顔は、何故か喜びで染まっている。
「ずっと、まってた――。好きって言って、くれるのを」
「え?いや、俺はお前じゃなくて、レミットを――」
「……馬鹿」
どん、と。
胸を強く叩かれる。
「バカ! バカ! バカ! いつまで気付かないのよ!」
そして、彼女のその怒りの混じった『笑顔』を見た瞬間――
バシュ、と。
確かな音が聞こえた気がした。
頭の中で閃光がはじけたように白く視界を染め上げ、そして、思い出されるのは。
レミット。
自分が恋した、年の離れた金髪の少女。
それに、いつも自分の邪魔をしてきた少女。
自分の知っているあのお転婆ながらも大人びたレミットとは別の、もう一人の――「前」のレミット
そのときの彼女はまだまだ本当にお子様で、いじっぱりで、それでも寂しがり矢の一面に、確かに惹かれていた自分が居て。
そして、火山のダンジョンで、『自分』は彼女をかばって死ん――
「っ!?」
我に返り、改めて胸元の少女を見て。
想い人の少女が、
目の前の少女と、
完全に重なる。
「レミッ……ト?」
「そうよバカ! ほんとにバカなんだから! 私はレミット。マリエーナ王国王女、レミット・マリエーナ! アンタのライバルで、アンタに会いたくて追いかけてきた……馬鹿女よ」
「――っ!」
声に、ならない。
何故、どうして、そんな疑問などどうでもいい。
だって――目の前に、レミットがいる。
「レミット……レミット!」
「ちょっと、嬉しいのはわかって、その、私もうれしいけど、ちょ、苦し……」
「レミットだ! レミットがいる!」
「そ、そうよ。だからちょっと離し……」
「レミット、レミット!俺、お前に言えなくて、でも、ああっ、レミット――!」
「いいから落ち着けこのバカ―!」
「ぶべっ!」
どごん、と。
その小さな体にどこに隠れていたのか。
まるで、「向こう」のダンジョンの中のパーティ同士の戦いのときにくらっていたような強烈なボディブローを受け、意識が綺麗に飛ぶ青年であった。
「あっ、ごめんなさい!……おかしいわね、エーテルマキシマムって、こっちでは使えないはず……よ、ねえ?」
そんな、お姫様の呟きを聞きながら。
ワイ氏、ハッピーエンド至上主義