エターナルメロディ・悠久幻想曲SS集 恋と冒険と鉄骨と 作:レトロ騎士
エンフィールド・ラプソティ
「王子!!」
酒とスパイスの香りと笑い声が充満する昼下がりのさくら亭にて。
そんなとっぴょうしもない一人の老人の発したその言葉が、店内の空気をざわめきへと換えた。
老人のしょぼしょぼとした小さな目が向いた先には、一人の少年――いや、青年か。
きょとん、と目を瞬かせているその姿は、まだあどけなさを感じさせる。
彼は、何か喋ろうとしたが、驚きが勝ったらしく口をぱくぱくさせていると、老人はそのおぼつかない足からは信じられないような俊敏さで、彼に近づいて抱きついた。
「王子…こんなところにいらっしゃったのですか…うう、じいは、じいは……」
「ちょ、ちょっとまっ…」
何事なのかとうろたえ、助けを求めようとあたりを回す青年――トシアキ。
だが、王子、というとんでもない呼称に目を丸くしている面々しか視界にはいなかった。どうも、助けは期待できそうにない。
どうしたものか、と彼がため息を付いた瞬間だった。
「あああ、すいません。うちのおじいちゃんがご迷惑をおかけして…」
「あー、アンタは…そう、女王様でしたな?」
「はいはい、おじいちゃん、王様がまってますからねー。王子様はいま王様の命令でお忙しいみたいですよー」
「お、おお。そうかそうか…」
飛び込んできた恰幅のいい女性が、頭を下げながらその老人を連れて行った。
「…なんだったんだあれは」
皿洗いの手を止めていたリサがそう呟くと、あ、と何かを思い出したらしくパティが
「あー、そういえば夜鳴鳥雑貨店の裏のおじいちゃんが、最近ボケちゃったって聞いてたけど」
と言うと、一同は納得したようで、失笑と共にそれぞれの話題に戻っていった。
トシアキがため息――今度は安堵のものらしい――をついた。
「人騒がせな爺さんだ」
パティがうなずく。
「まったくよ。…よりにもよってアンタが王子だなんて。そんな国があったら国民の人たちが可哀想だわ」
「なんだとおおお!!」
割と見慣れたいつもの光景。もはや名物と言えなくもない。
リサも半ば呆れながらも、苦笑いで見守る。
あれで、昔から二人の仲は悪いは悪かったのだが、お互い疎遠になろうとはしないのだから面白い。
もっとも、最近は昔の頃のとげとげしさがお互いなくなっているともリサは感じている。
ちょっと前まで、彼が定住しているジョートショップという店の手伝いをしていたパティにも、何か心境の変化があったのだろうか。
見れば、すでに口論はやめて、パティが何事もなかったように厨房の置くから包みを持って差し出している。
「あんた、このあと仕事なんでしょ。はい、注文の弁当。用が済んだらさっさといってよね」
「へーへー。わかったよ」
悪態をつきながら、笑顔でそういう彼がほほえましかった。
トシアキが出て行くと、パティが皿洗いを手伝うからとリサの隣に来て、ぶつぶつといいながら洗剤代わりの灰を手に取った。
「まったく、忙しいのにつまんないトラブル持ち込むんだから…」
「ボウヤのせいじゃないだろうに」
いーや、あいつのせい、とパティは洗う皿に力を込めながら答える。
まあ、パティがそうだっていうならいいさ、とリサはそれ以上は追求はしなかったが、彼女はふと手を止めて呟いた。
「…ま、考えてみたら…ボウヤの過去って、確かに誰も知らないんだよね」
「ま、どうせろくでもないことしてたんでしょ」
「……本気でそう思ってるかい?」
「な、なによ。……まあ、そんな度胸なんてあるわけないでしょうし、きっとどこかの街でもバカやってたんでしょ」
何かを見透かされるとでも思ったか、パティはリサの視線から顔を背け――
バタン!
「!?」
突然弾くようにさくら亭のドアが開いた。鈴の音の麗しい音もその衝撃に追いやられ、ギャリン、と不快な金属音を鳴らす。
「なあ、こっちにアイツ来てなかったか?」
現れたのは、この街、エンフィールドで自警団の部隊長を務める美丈夫、アルベルトだった。
彼が「アイツ」というのは、大抵の場合、トシアキのことである。彼もまた、パティとともにトシアキと馬の合わない一人だった。
とはいえ、どちらかというと子供の喧嘩に近いものなので、決してお互いが憎いわけではなく、良くも悪くもライバルなのだろう。本人達は決してそれを認めないだろうが。
とりあえず、知人であったことに安心して、パティはその質問に答える。
「トシアキ?来てたけど、これから雷鳴山に行くって」
「雷鳴山だな!わかった」
「ちょっと、アイツになにか用なの?」
「ちょっとな…詳しくは言えん」
飛び出していくアルベルト。
「もう…なんなのよ今日は」
苛立たしげに地団太を踏みながら、パティはえいや、とまた皿に力を込めた。
また乱暴に扉を開け放つ厄介者が現れたのは、もう日が赤くなるころのことだ。
「大ニュース大ニュース!」
「どうしたの、マリア」
この街屈指の権力を持つ、ショート家のお嬢様、マリアだ。お嬢様とは名ばかりのこの騒乱誘発剤のことだ。誰も、それが大ニュースだとは思わない。
「ふん、どうせまた下らないことだろ」
「ぶー。そんなことないもん、これを見てよ」
リサの言葉に、膨れながらとある書類らしきものを机に置く。
すると、その場に居た友人達もザワザワと集まってくる。
パティが近づいてみると、
「なにこれ?……手配書?汚い印刷ねえ」
「うん。二年前、連邦国の港のほうにあるシープクレストってところで、連続殺人事件があったらしいんだけど、それの犯人の似顔絵なんだって」
どうだ、とばかりに胸を張るマリア。
張ったところでふくらみは微々たる物であるが。
「どうしてマリアがそんなの持ってるのさ」
「んとね、リサ。さっき公安局のパメラが家に来て、お父様とそんな話をしてたみたいなんだけど…そのとき、この書類を落としていったの。」
「公安が?なんでまたそんな遠くの町の事件を?」
「なんでも、近くの町でその犯人らしき人物が目撃されたってうわさがあったの。それで、急遽手配がされたんだって」
その話の帰りに、庭でパメラは持っていた書類を落としてばら撒いてしまったそうだ。慌てて拾ったのだが、先ほどメイドが掃除していたら、草の中に隠れていたこの一枚を見つけたらしい。
「……ちょっとまて。この絵…」
じっと見ていたリサが、あることに気づいた。同時に、その場で集まっていた全員が、あ、と間抜けな声を上げた。
『トシアキ!?』
「ね、びっくりでしょ」
「似てる…なんてもんじゃないよね。あきらかに、トシアキ『の』似顔絵だ」
「ふみぃ、トシアキちゃんによく似てるの~」
「私、トシアキさんがそんなことするなんて信じられないんだけど…」
「そりゃ、私もそう思うけどさ」
全員(一名は事態が飲み込めず、この絵、欲しいの~と喜んでいたが)、何かの間違いではないかと言い合う。
『でも』と。
「でも、もしかしたら」――そう、誰かが続けようとして、そして口を閉ざす。
そうだ。信頼はしている。友情もある。しかし、どんなに、そうではないと信じようとしても。
今ここに手配書があり、また、彼がどこで何をしていたのかは、誰も知らない。
その事実だけは、変えられない。
そして、その事実を踏まえてなお、それを否定するだけの形ある根拠は、どこにもない。
「そ、そういえば、アルベルトさんがトシアキさんを慌てて探してたのって――」
シェリルが、昼間の出来事を思い出してそう言った。そのときその場にいた全員が、ああ!と声をあげ、その場に居なかった面々は、どういうことかを聞く。
一瞬の騒動のあと、再び沈黙が訪れた。
また一つ、『天秤』に秤が載せられた。
沈黙は重くのしかかる。
彼が、どうでもいい人間であるなら、いくらでも不謹慎で、低俗で、無責任な噂話で盛り上がっている。
だが、彼がどれだけ物事に一生懸命に、正しくあろうとしているかを、皆知っている。
以前、彼にかけられた、美術品盗難の容疑。
その疑いがかかったとき、彼が一番心配したのは、自分ではなく、その保釈金を払ったジョートショップ主人のアリサのことであり、また、どれだけ周りから噂をされようと、堂々と、真正面から受け止めて、無実を訴え、信頼を取り戻していったのは、ほかならぬ彼自身だ。
それを、時に手伝い、時に応援し、近くで見守ってきた。
目の前にある手配書と、彼への信頼は、皆の心の中の天秤では、確かに彼の方が思い。
だが、それを断言できるかどうか、という錘が追加されたとき、秤はつりあってしまうのだ。
何も言い出せない。
この場の天秤がどちらに傾くのかがわからない。
それがたとえ、彼を支持する意見だろうと、振れたあと指し示すのは、手配書のほうかもしれないのだ。
たった一言でそれが決定されてしまう重圧に耐えられるほど、彼を擁護できるのか、と、全員が自問をしていた。
「あのバカが、そんな大それたことできるわけないじゃない」
あっさりと。その沈黙を破った少女がいた。
パティ・ソール。いつも美味しい料理と笑顔を人々に届ける、この看板娘。
凛とした瞳で、全員に届くように言葉を続ける。
「アイツは、馬鹿でドジでどうしようもないくらいアホだけど、同じくらい、どうしようもないくらいお人よしで、バカがつくくらい人の幸せが好きで、みんなが喜んでくれるならって自分が苦しんでもかまわないっていうアホなのよ。だから、そんなことは絶対にしていない」
絶対に。そう、もう一度繰り返す。
わずかに、その手が震えている。
当たり前だ。どんなに言葉にしたって、100%の信頼などどこにもありはしない。そんなものがあれば、それはもう、信頼ではなく妄信だ。
パティは思う。
今の自分の言葉には、確かに不安がある。「もし」はどこにだってある。彼がこの街に流れ着くのに、どんな事情があったか自分はしらないのだから。
でも、その冷たい不安以上に、あのサーカスの事件の時に、彼が抱きしめてくれたあの暖かさが、そんなことはありえないと囁いていた。
「あたしは、そう信じてる」
それは、自分に勇気を与えるための呪文であるかのように。
パティは、そう呟いた。
「うへー、腹減ったー。パティ、なんか食わしてくれー」
そんな能天気な声とともに、店内の空気をぶち壊しながらドアを開けたのは、サーカスの団員ピエロの少年、ピートだった。
本日三回目となる乱暴な扱いに、カウベルもやる気なさそうにギリン、と鈍い音を立てる。
彼は、いつもと違う雰囲気の店内に気付くこともなく、づかづかとお気に入りのカウンターにやってきた。
空気が読めない子である。
そして、ふと皆が集まっているテーブルに視線を向けて、空気が読めない子は
「あれ?なんで俺達がつくった手配書がここにあんの?」
そんな、ぶっ飛んだ台詞を言った。
「……つくった!?」
そう叫んだのは、誰であったのかもはやわからなかったが、ピートはそんな喧騒をよそに、
「おう。うちのサーカスのサービスで似顔絵描きやってるだろ?前に、うちの団員が練習するのに、トシアキにモデルを依頼したんだ」
「ちょ、おい待てピート」
「なんだよアレフ」
「似顔絵はわかった。わかりたくないけど、わかった。じゃあ、なんでこれはこんな手配書にかかれてるんだ?」
「あーこれ?夜鳴鳥百貨店で売ってる玩具のお絵かきセットだぞ。それに描いた奴に額に肉や髭描いたりして遊ぶんだよ。みんなで大爆笑だったぞ。あんまり出来がいいから、昼間パメラのおばさんに見せてからかったんだ。でもすぐにばれた。思いっきり怒られて取り上げられたけどなー」
よく見るとだ。ドロの汚れで気づきづらいが、これで貴方も気分は指名手配!とかそんなキャッチコピーが走り書きのように紙の裏に書いてある。
『……』
つまり、だ。
悪戯手配書をパメラに見せてからかう→パメラ、それを持ったままマリア宅へ。→殺人犯の手配書と、玩具の手配書が紛れた書類が散乱。玩具の手配書の回収を忘れる→マリア、それを見て大騒ぎ。
「……マリア?」
「え-と…あれ?…じゃ、じゃあさっきはなんでアルベルトが…」
そう、マリアが罰の悪そうな顔をしながら、首をかしげたときだった。
ドアの外から、言い合わそう男二人の声が聞こえてくる。
「……だから、アリサさんの好きな花くらい知ってるだろ!それを教えろって言ってるんだ!」
「やかましい!わざわざそんなことを聞きに雷鳴山まで追ってくるな!」
「仕方ないだろうが!今日じゃないと花屋のセールが終わっちまうんだよ!」
「知ったことか!!」
ドアがばん!と乱暴に開き(本日四回目)、トシアキとアルベルトが、掴み合いをするように顔を見合わせながら入ってくる。
そして、何故か全員が一つのテーブルに集まって、さらに二人を怒りの表情で見つめているという、かつてない店内の様子に、はて、とお互い顔を見合わせて、ハモった。
『どしたの?』
『……アルベルト!!』
全員での、総ツッコミ。
大声はさくら亭を震わすかのように響き、壁を伝わり、ドアに伝わる。ざまあみろ、というかのように、カウベルがカラカラと鳴った。
夜のさくら亭。
あの後仕事がまだあるからと、アルベルトを縛り上げてトシアキはさくら亭を離れ、帰ってきたらパティの愚痴が始まった。
リサはそんな二人に興味なさげに、片付けをしている。
「ああ、もう!アンタのことで振り回されたなんて、ほんと、腹立つわ!」
「んなこといわれてもな」
どうしろというのだ、というように、青年はぽりぽりと頬をかく。
さすがにこれでトシアキを攻めるのは筋違いであると理解しているのか、どっと疲れた様子でパティは階段へと向かう。
「……もう寝るから。リサ、残りお願いね。……あんたも明日仕事あるんでしょ。とっとと帰りなさいよ」
「わーてる。このいっぱい飲んだら帰るよ」
「まったく……」
はあ、と大きくため息をつくパティ。そんな彼女の背中に、トシアキは声をかける。
「あー、パティ」
「なによ」
「…サンキュな」
「なにが?」
訝しげなパティに、トシアキが笑って言う。
「……それでも、聞かないだろ?俺の過去」
パティが肩をすくめて、笑う。アンタが話したくなったら聞くわ、とそんな風に。
「興味がないだけよ」
「それは、俺の過去に?それとも、俺に?」
「自意識過剰よ。バカ」
べーと、舌を出して、楽しそうなパティの笑顔。
ああ、こいつ綺麗だな、と、トシアキはなんとなく思ってしまう。
そして、手にしたグラスを口に近づけると――
「あー、一つだけ、トシアキについて確認したいことがあったわ」
「なんだ?気分がいいから、大抵のことなら答えるぞ」
「あんた、ウチで当たり前のように注文してるから気にしてなかったけど――そもそも、お酒飲める年なの?」
「……まあ、気にするな」
からん、とコップの中の氷が笑ったような気がした。
夜の談笑を終えて――一人カウンターでグラスを干しているトシアキに、リサが近づく。
店側のカウンターにすわり、トシアキと相対すると、これは私のおごり、と、グラスに琥珀色の液体を注いだ。
「お、サンキュ」
「礼はいいさ。そんなことよりボウヤ。あの子に、あんまり心配かけるんじゃないよ?」
「……ええ、わかってます」
リサの明らかに含みのある言い方に、トシアキはその「含み」に対しても肯定の返事をする。
アリサ以外で見抜かれたのは初めてだったが、まあ、彼女ならばれてもおかしくないか、と。
その返事に満足したのか、リサが自分の分のグラスを用意しながら、こういった。
「んで、実際のところ、ボウヤは昔はなにやってたんだい?やっぱり王子様?」
「んー。しがない一般人です。まあ、もうちょっとだけ、そのことは待っててください。ここに流れ着くまでのことについては、みんなにはちゃんと言いますから」
「それを最初に話す相手は、もう決まってるから、かい?」
「ま、そういうことです」
二人して笑う。こういう優しい人達が集うこの街が、トシアキは好きだった。
二人がもう一杯ずつグラスを空けたあと、トシアキは席を立った。まだ飲むつもりらしいリサに手を振って、優しくドアを開ける。
急激に吹き込んだ夜の冷たさで、酔いが一気に覚めた。火照った体を覚ますのにはちょうどよさそうだと思いながら、外に出る。
ドアを閉じながら、今日の騒動を思い返して、ボソリと独りごちる。
「俺の、過去か。…………まさか、また鉄骨が落ちてくるなんてなあ…」
青年の呟きは、カラン、というカウベルの心地いい音色によって、誰にも届くことはなかった。
主人公の「トシアキ」の名前のルーツは「ふたばちゃんねる」での「名無し」時の定形の名前です。