もしかしたら話の切り方に違和感を感じるかもしれませんが、ご了承下さい。
変な静寂が場を包む中、一番その空気を気まずく感じているのは吸血鬼である。
自身の発言によりこうなったのだからそう感じるのは当たり前として、先程までの一触即発といった空気も後押ししてより一層に羞恥を煽っていた。
下げた帽子から一向に顔を出す気配を見せず、一応の決戦途中だというのに自分の殻に閉じ籠もってしまっている。
このような状態の吸血鬼をシスターは攻撃できる筈もなく、というより、実はこの時シスターは吸血鬼の発言を処理し切れずフリーズしていた。
ナイフ両手に立ち塞がったまま、瞬き一つせずに固まっていた。
片や羞恥からのカタツムリ、片や認識が追い付かず棒立ち、もはや先程までの戦闘中の空気は跡形も無く粉々にぶち壊されてどうしようもない。
もう動くのかどうか怪しい両者であったが、一応の再起動を先に果たしたのはシスターだった。
「……っは!え!?あ、あら?あらあら……?」
息を吹き返したかのように唐突に声を上げ、痙攣したかのように体を震わせるシスターは、次の瞬間には慌てて自身の額に手の甲を当てたり、頬に触れてみたりと忙しなく動き出す。
その顔は先程までの色白とは打って変わって火でも吹くのではと思わせる程全体的に赤く染まっていた。
恐らくシスターとしても初めての事態なのであろう。面白い程に取り乱しながら自身の状態を確かめている。
「え、えぇっと…?こういうときは、その、どうすれば?どのように反応すれば良いのでしょうか……」
「……?」
そんなシスターの雰囲気に気付いた吸血鬼も若干落ち着きを取り戻したのかゆっくりと帽子に隠れていた顔を上げる。
そして目の前でオロオロと意味も無く身振り手振りを繰り返し、一体何を確かめたいのかキョロキョロとあちらこちらへと何度も顔を向けるシスターの様子が吸血鬼の目に入った。
このシスターの反応。シスターの歩んで来た今までからすると無理のないことだったとも言える。
シスターの立場は教会の中で懐刀と言っていい程に重要なものであった。それ故に、恋愛のような仕事にも影響を与えかねないことは許されておらず、当のシスター自身そのようなことに興味は無かった。
そしてシスターの教会の中での立場や印象もあり、周りの者が積極的にシスターに関わることもしない。
関係の無い所ではシスターの思いに反する形でシスターを崇めたためにそもそもまともな人間が寄ってくること自体が殆ど皆無。
シスターの世界は善し悪し問わずに上か下かのみで構成されていた。
そんな状況での今回の吸血鬼騒動であった。
恐らく、方向性はともかくとしてここまで深く関わった自身に対して遠慮のない相手というのは初めてだったのだ。
シスター自身が言った通り、シスターと会話が成立するのは赤の他人のみという状況が出来上がっていた。
しかし、今回はシスターの立場上必ず関わらなければいけない相手であり、更につい先程にはシスター自身の様々なものを吐き出した相手。
それに加えて、敵対する人外という点もシスターが相手に遠慮をする理由を皆無にする要因となっていた。
つまり、吸血鬼はシスターにとっての初めての『話の通じる対等者』であった。
そんな相手からの直球の気持ちの表れとでも言えそうな能力の発動条件の告白は正しくシスターからすれば未知の出来事である。
更に言うなら、吸血鬼の態度の変化もあったかもしれない。
出会ってから続いていた今まで目にしたどの人外よりも幼いその見た目にそぐわぬ口調や雰囲気にシスターは半ば己の中での吸血鬼の印象を固定させかけていた。
そこからのこの見た目相応と言ってもいいような相手の言動と行動。一種のギャップと言っていいものかもしれないそれもシスターの意識の外からの衝撃だった。
判断する前に感情が追い付かず、考えるにも前例が無く、と手も足も出ない状態にシスターは追い込まれてしまっていた。
要するにシスターは、その告白の内容をどうする以前に全くのノーガードな部分に強烈な一撃を貰ってしまっていたのだ。
さて、このような心境に何とか自分を落ち着かせようとするので精一杯のシスターに、吸血鬼は疑問符を浮かべて首を傾げるという前とは逆の状態。
シスターが自分の中での収拾が付かぬままに、吸血鬼は声を掛けてしまう。
「お、おい。大丈夫か?」
「……っ!?ま、待って下さい!もう暫しの時間を!!」
「ああ、えっと、それはすまない」
「い、いえ、お気に為さらず……すぅ……はぁ……」
中々噛み合わない会話に両者共にペースを取り戻すことが出来ずに間の抜けた応酬しかできない。
シスターも吸血鬼も自身の精神状態を立ち直らせる暇無く状況が先に進んでいくためにここに来て互いに意味不明な膠着状態へと嵌まってしまっていた。
シスターは深呼吸をすることで何とか落ち着きを取り戻そうとするが、効果が及んでいるとは思えない。
そして逆に、そんな自身以上の取り乱しようを見せるシスターに吸血鬼は徐々に落ち着きを取り戻していく。
「よし、一旦落ち着けシスター。それ以上深呼吸を続けると酸欠でぶっ倒れるぞ」
「……もう暫し……もう暫し」
「それでこれ以上待っても貴様は永遠に深呼吸を続けるだろうが。朝起きるのが苦手な奴の言い訳か」
「そう……こういう時は確か……何を数えればいいんでしたっけ?」
「聞け。余裕なさ過ぎだろシスター」
「羊が一匹……羊が二匹……」
「数えてどうする。この場で本当に寝るのか?」
「吸血鬼を一匹……吸血鬼を二匹……クヒッ」
「なんで吸血鬼?しかも『が』から『を』に変わってるのなにさ。後、最後に笑ってたんだけど、怖いんだけど」
「吸血鬼を三
「結構早くに『が』から『を』に変わった理由が判明した。けど知りたくなかったなぁ」
「吸血鬼の千切り?」
「知らねえよ。私は野菜じゃないんだけど。スプラッタしか生まれないからね?」
「やっぱり生の方がいいですか?」
「私としてはまず食べないで欲しいんだけどな。ってか吸血鬼を食うって何?」
「なるほど、分かりました。では、剥いて洗った後にまな板の上で生のまま躍り食い、ということで宜しいですね?」
「何の話!?」
「御安心下さい。私手ずから素手でゆっくりじっくりヌットリネッチョリ洗って差し上げますわ……じゅるっ」
「舌舐めずりするな!というか、いつからそんな話になった!?」
途中から何故か変な方向に向かっていく会話に再び慌てる吸血鬼。思わず後ずさりすらした。
しかし、シスターは普段の調子を思い出したように会話の主導権を握り直す。
その犠牲となった吸血鬼からしたら堪ったものではない話であり、大分げんなりとさせられていた。
「ええい!取り敢えず、お前はもう立ち直ったということでいいのだなシスター!」
「ふふ、ご心配お掛けしました。もう大丈夫ですわ」
「いつも通りに戻ったら戻ったで厄介だな……。それで、私の提案はどうだシスター?」
「……しかし、一目惚れというなら私の性根には正直幻滅したのでは?」
「ああ、まあ確かに第一印象が良い奴程碌でもないとは良く言ったものだとは思ったがな」
「それでもなお、私を欲するのですか?」
「おいおい、あんまり悪魔を嘗めるなよ。こっちは貴様のその心全てを奪い去るつもりで来てるんだ。寧ろ俄然燃えてきたよ。シスター、貴様の全てを私で染めてやる」
「……っ!!」
吸血鬼からの宣言、或いは告白に思わずというようにシスターは自身の体を抱き締めながら蹲る。
しかし、もはやその反応は見慣れたものとばかりに吸血鬼は表情を変えずに返答を待つ。
一通り震えた後、シスターは立ち上がると荒く呼吸をしながら誰が見ても発情しているとしか見て取れない程に顔を淫らに赤く染めていた。
「わ、私ぃ……今、途轍もなく興奮しておりますぅ!」
「ああ、見れば分かる」
「分かりました。認めましょう。私は貴女の提案に尋常じゃない程の興味があります」
「では、私のものになるのか?」
「そう焦らないで下さいまし。私はこれまで同じようなことは何度も言われたことがあります」
「ああ、そう言っていたな」
「なので、今回も私は定石通りの答えを返させて頂きますわ」
そう言うとシスターはもう一度戦闘の構えを取る。
その様子を見た吸血鬼も得心がいったと言うように槍を構える。
両者、再度の交戦準備。
空気が再び張り詰める。
「私を倒せたら、私を差し上げます」
「ああ、なら遠慮無く。貪らせて貰おう」
そこから先は言葉で語る必要はなかった。
互いの獲物を持つ手に力が入る。
次の瞬間、吸血鬼の回りを大量のナイフが埋める。
先に動いたのはシスターだった。
しかし、吸血鬼は慌てない。それは先程との状況の違い。
先程までは吸血鬼は逃げ回るしかできなかった。だが、今は違う。
その手にある槍を思いっきり横薙ぎに振るう。人外の腕力により振り回された槍は凄まじい風圧と共にナイフを一つ残らず弾き飛ばした。
吸血鬼は槍を何回か振り回すと再び構えを取る。
「先程のようには行かんぞシスター」
「そのようですね。少し安心致しましたわ」
「抜かせ!」
言葉が終わる前に吸血鬼が槍を構えて突撃する。
しかし、吸血鬼の目の前からシスターの姿が掻き消える。
そして、代わりに、とばかりにシスターがいた位置に現われるナイフ。当然の如く正面に、吸血鬼に向かって飛んでくる。
だが、吸血鬼も時間が停止出来る事は既に知っている。慌てることなくこのナイフを弾く。
ナイフを弾くと同時に急ブレーキを掛け、吸血鬼は自身の背後を振り返った。
先程まで吸血鬼がいた地点にシスターは立っている。
吸血鬼とシスターは互いの立ち位置を入れ替わる形となり、両者同時に構え直す。
再び勝負の口火を切ったのはシスターだった。
吸血鬼へと正面からナイフが数本飛んでくる。
吸血鬼はこれを防がず、身を屈めて床を這うかのようにスレスレを疾走し、正面へと駆ける。
吸血鬼の背後から刃が突き刺さる鈍い音が鳴った。正面からの数本は囮であり、死角からの攻撃が本命であることを吸血鬼は見抜いていた。
故に、敢えて正面へと突っ切った。
しかし、吸血鬼はそこで気付く、正面にシスターがいないことに。
一瞬戸惑った吸血鬼だったが、そこで直感する。
その直感に従い、吸血鬼は勢いを緩めずに前へと進む。
直後、吸血鬼の一瞬前に体があった場所へと何かが落ちてくる。
吸血鬼は床へと片手を付くと、掴むように指をめり込ませた。
そのまま床を掴んだ手を楔とし、上半身の動きを空中で縫い止める。
慣性に従い吸血鬼の体は前に進もうとするため、必然的に押さえの効いていない下半身が前へと出ることに。
吸血鬼の空中での体制は背が床の方面へ腹が天井の方面へ向くという仰向けのような姿勢となった。
その体制となると吸血鬼は床を投げるように腕を動かす。当然、床は動かずに空中にいる吸血鬼の勢いが増す。
体制的に後ろを向くこととなった吸血鬼は自身のすぐ後ろの床を踵落としで砕くシスターを見た。
吸血鬼は勢いのままに飛んでいき、教会の壁へとぶつかるが接したのが足からだったため、そのまま壁を足場として水泳のターンのように再度シスターへと突撃する。
今度の吸血鬼の攻撃にシスターは時間停止による回避は行わずにナイフを手に待ち構える。そして襲い来る吸血鬼をシスターは両手のナイフで吸血鬼の突き出した槍を側面を沿うようにして受け流す。
更に、シスターは受け流した衝撃を利用し、その場で一回転。吸血鬼が通り過ぎる前に勢いを付けた回し蹴りを食らわせようとした。
吸血鬼その動きを見て取ったと同時に腕力に物を言わせて槍を床に突き刺す。強引に自身の突撃に急ブレーキを掛けると棒高跳びのように槍を軸としてその槍の反対側へと着地し、そのまま盾としてシスターの回し蹴りを受け止めた。
人間であるシスターの
それと同時に吸血鬼の周囲を再び大量のナイフが埋め尽くし、更にその全てが吸血鬼へと向けて飛来する。
しかし、やはり吸血鬼は一切動揺することなく手に持つ槍を回転させながら振り回すことでそのナイフの包囲をいとも簡単に防いで見せた。
吸血鬼の力で回転させられた槍は円盤状の盾となり、結局シスターのナイフを一本たりとも通すことはなく、吸血鬼はその手の中で槍を弄びながら溜め息を一つ。
「どうしたシスター。随分とワンパターンじゃないか」
「言うではありませんか。少なくとも現状どちらかに形勢が傾いた訳ではないでしょうに」
「いや、私はもうお前の弱点を見つけたぞシスター」
「……何ですって?」
吸血鬼の口から出た言葉に思わずシスターが聞き返す。
口角をニヤリと上げた吸血鬼は手に持つ槍を床へと突き立てると、人差し指を立てる。
「一つ目、それは反応速度だ。お前は人間であるが故に身体的な能力に限界がある。そして時を止めるという能力を発動するのに労力は必要なくとも意識する必要はあるのだろう?再度の私の攻撃の時、お前は時間停止を使わずに対応したな。対応自体は素晴らしかったが、時間停止を使用した方がより大きな隙を突くことが出来ただろう。しかし、しなかった。つまりお前は反射的に能力を使うことは不可能ということだ。反射から思考までのタイムラグがどれ程かは知らんが、まあ数瞬といったところだろう。
だが、その一秒にすら満たない隙こそが致命的となる。何か反論はあるかシスター?」
吸血鬼から語られたその内容にシスターは若干顔を歪めたが、すぐに普段の微笑を浮かべた。
そのシスターの微笑みを吸血鬼もまた笑みを象った口を崩すことなく見つめている
「確かに、その通りです。私の能力は使おうと思えば何時でも使うことができます。しかし、それは逆を言えば使おうと思わなければ使えないということ。
ええ、確かにこれは隙となるでしょう。ですが致命的とは流石に過言で御座います。
現に私は貴女の動きに対応出来ています。時間が止められなければ私が無力とでも?
それは私を過小評価しているとしか言えませんね。今までの
「いやいや、シスター。これは過小評価などではなく、正しい、正当な評価だとも」
吸血鬼からの返答にまたもシスターの顔から笑みが消える。
対照的に吸血鬼の笑みは全く曇ってはいなかった。
吸血鬼を見つめるシスターの眉間に少しずつ皺が寄る。
立腹、とまでは行かずとも不機嫌と感じているのがはっきりとその顔に表れている。
「そこまで言うのでしたら是非とも証明して頂きたいものですね。その致命的な隙というものを…」
「ああ、見せてやるとも。一つ目の弱点が貴様を追い詰める決め手となるのをな!」
言葉の終わりと同時に吸血鬼が飛び跳ねる。
方向はシスターから見て左斜め上の箇所。天井の縁ギリギリの壁へと飛び、接すると同時に壁を蹴り反射する。
そしてその方向はシスターの頭上からの激突コース。
吸血鬼がシスターへと突っ込むが、吸血鬼の手に伝わったのは床を破壊する感触のみ。
そしてやはり吸血鬼を一瞬にして大量のナイフが包囲し、襲い掛かる。
シスターは吸血鬼の真正面。凡そ元いた位置から十歩ほどの距離の位置にいた。
吸血鬼はそれを着地した時点で見ることもせずに着地と同時にシスターがいる方向とは逆の真後ろの斜め上へと飛ぶ。
槍でナイフを蹴散らすと当然にその先にある壁へとぶつかるのだが、再び吸血鬼は壁を蹴る。
まるでゴムボールを力一杯叩き付けたようにぶつかったのとは反対の方向へと飛び跳ねた。
進行方向は天井となったがやはり吸血鬼はその天井も同じようにぶつかるとすぐさま別の方向へと高速で進路を変える。
吸血鬼は縦横無尽に教会内を跳ね回り飛び回り、それを止めることなく続けていく。
「そうやって飛んで跳ねてを繰り返していれば私のナイフが当たることはないということですか?」
「実際、当たってないだろう。まあ、いくら時間が止められてもそもそもの動きが見えていなければどうにもならんだろうしな」
吸血鬼からの挑発にシスターの顔に再度笑みが浮かぶ。
しかし、それは先程までの微笑みとは全く異なった意味合いのものである。
シスターの浮かべたその笑みは誰が見ても分かる程の獣性を含んだ危険な笑みだった。
吸血鬼の挑発にシスターは真っ向から乗っかったのだ。
牙を剥くような笑みをその顔に貼り付けたままシスターは吸血鬼が飛び回る空間の中で佇む。
吸血鬼もまたそんな様子のシスターに不用意に近付くことはせずに状態を維持する。
と、吸血鬼の意識が一瞬シスターに向いたその瞬間、吸血鬼の目の前にナイフが現れた。
自身のスピードが付いている分普通に飛んでくるよりも圧倒的に速く感じたために吸血鬼は瞬間的に背筋に氷柱でも突き刺さったような感覚に襲われる。
しかし、ナイフの本数が少なかったこともあって吸血鬼は槍でそれを何とか防ぐ。
甲高い金属同士が衝突し合ったような音が教会の中に響いた。
その音を聞くと満足気にシスターが息を吐く。
「見えなければ?甘いにも程がありますよ。見えなくとも相手を察知する手段はいくらでもあります。後は停止された時間の中で貴女の進路に沿う形でナイフを配置すればいいだけです。これでも、まだ私に致命的な隙があるとお思いで?」
「……」
吸血鬼からの返答は無く、ただ只管に衝撃音が聞こえるだけであった。
シスターもそれ以上何か続けることはせず、ナイフを手に構えを直す。
それから暫くの間、両者は何も口を開くことなくこの応酬を続けていた。
破砕音と金属音の二つだけが互いの耳に入る時間が続く。
シスターが一定の間隔で攻撃。それを吸血鬼は防ぐ。この一連の流れを一体何度繰り返したのか。
「ふふっ、防戦一方ではありませんか。果たしていつまで防ぎ続けられるのでしょうね?」
「そういうシスターこそ、体力が持つのか?人間と吸血鬼。継続戦闘能力の差など灼然たるものだろう?」
言葉を交わしながらも両者は動きを止めることはない。
その中でシスターは吸血鬼からの言葉を頭の中で反芻する。
戦闘を長引かせることによる体力切れを狙うつもりでしょうか?
先程から逃げ回ってばかりで殆ど攻撃してこないのもそういう理由から?
まあ、だとしたらやはり甘いとしか言えませんが…。
少し前に説明されたシスターの時間停止の使用条件はただ考えるだけでいい。
それ以外にしなければならない動作も払わなければならない代償もない。
停止された世界は何の誇張もなくシスターだけの世界。
これを利用し、停止された時間の中で時間を稼げばシスターにはいくらでも戦闘を続けることが可能であった。 それ故にシスターは吸血鬼からの指摘を一笑に付す。
シスターはこの時点で己の優位性を疑っていなかった。
しかし……
そのシスターの優位はほんの一瞬の間に覆されることとなった。
「シャアアアッ!!」
「……っ!?」
何の法則性もなく跳ね回っていた吸血鬼は、唐突に
シスターの正面を横切ろうとした吸血鬼はほぼ九十度とも言える程の急転換でシスターの不意を突いて見せたのだ。
完全に予想外の行動にシスターの反応が遅れるが、シスターもまた並外れた人外狩りである。意識とは別に体が咄嗟に防御の構えを取った。
しかし、それで出来るのは最低限の防御でしかない。そして何よりも意識の外の行為ということは思考が追い付いていないということ。思考が出来なければシスターは能力を使えない。
何とか体の前にナイフを壁のようにして構えるが、そのような粗末な防ぎ方で吸血鬼が止まる訳もなかった。
吸血鬼の槍の一振りで纏めて弾き飛ばされると同時にその衝撃で体制も大きく崩れる。
そして吸血鬼は槍を振り払ったのとは逆の手をシスターへと伸ばした。
直後、吸血鬼はシスターと共に背後の壁へと激しい音を立てながら激突する。
「……」
「……かひゅっ」
シスターは吸血鬼に首を掴まれ壁に叩き付けられた。
人外の力で、更にそこに速度の分も足されたのだから無事で済むことなどまずあり得ない。
事実、シスターは初めてまともに受けた一撃でほぼ満身創痍といっていい状態だった。
叩き付けられた時の威力と衝撃で衣服はズタズタとなり、シスター自身も血に塗れ、ボロボロである。
そして首を押さえられているために呼吸が侭ならず、意識もはっきりしていない。
しかし、それでもシスターは目の前の吸血鬼へと震える手を伸ばす。
その手を同じように吸血鬼の首へと掛けるが、抑もの力が桁違いでありシスターはまともな状態ではない。
吸血鬼からすればシスターの手に込められた力は首を撫でるそよ風と大差無かった。
然程時を待たずしてシスターの手から力が抜けていく。
シスター自身の顔からも色が抜けていき、只でさえ色白だった肌色は白紙に近いものとなる。
目が白目を剥き、片手が首から離れ、もう片方の手も指が辛うじて引っ掛かっている程度となり、いよいよかと思われた。
その時だった。
唐突にシスターの手に力が戻る。
それもただ戻っただけではなく、先程とは比べものにならない程の強さで吸血鬼の首を絞める。
「……ぐっ!」
「…………っ!!」
吸血鬼は思わず呻き声を上げてしまう。
シスターは一度離れた片腕で今度は自身の首を絞める吸血鬼の腕を掴むと同じように凄まじい力で締め上げ始めた。
そのあまりの力に吸血鬼は首を掴んでいた手を離してしまう。
自身を拘束するものが無くなったシスターは壁から背を離すとゆっくりと踏みしめるように一歩一歩前進する。
数歩程前進したシスターは首と片手を掴んだ吸血鬼をそこから思いっきりぶん投げた。
これもまた人間ではあり得ない速度であったが吸血鬼は空中で羽を広げ、急停止する。
そして着地すると同時に顔をシスターへと向けた吸血鬼はここ数時間で何度目かまたも驚愕した。
「ごぼっ……げほっ…げほっ……がはっ」
シスターは血塗れで床に膝を突いていた。
血塗れといっても先程までの比ではなく、その身に纏う衣服の大半は自身の血による赤に染まっていた。
更には口、鼻、耳、目など様々な箇所から出血、吐血していたのだ。
自身の体を支える両腕はつい先の吸血鬼を投げ飛ばした力強さは何処へ行ったのかシスターの体重だけでガタガタと震えていた。
「シスター。貴様一体何をした?」
「ぐっ……はっふっ……それは、此方の台詞です。一体何故……」
「隙を突けたか、か?いいだろう。私が最初に答えよう。簡単なことだ。ただタイミングを計っただけだ」
「タイミング……?」
「ああ。お前は私の進路に沿えばいい、と言っていたが逆に言えば私の進路に沿わなければいけなかったのだろう?私は高速で常時動き回っていたからな。進行方向も不規則だったが故に側面も背後も無理。だからこそお前は私の正面にナイフを配置するしかなかった。どんなに高速だろうと来る方向が分かっているのなら対処は容易い」
「で、ですが……私の隙が分かったのは……」
「それも同じだよ。お前は時間を止めてナイフを配置する。つまり私の目の前にナイフが表れた瞬間がお前が時間停止を解除したタイミングだ。これまでの戦闘で分かっていたがお前は停止された時間の中では生物に影響を与えることは不可能なのだろう。出来るのならばとうの昔にやっている」
「なるほど……これが、弱点……」
「それともう一つ」
「まだ何か?」
「お前、動かなかっただろう」
「……?」
「お前は停止された時間の中で私を認識していた。ある程度の対応は出来ても、私の動きに生身で付いてくることは出来なかったのだ。今までの戦闘で私が動けばお前は必ず私の死角となる場所や次の攻撃に即座に移れる場所へと立ち位置を変えていた。しかし、それは私の動きが読みやすい動きだったからこそ。不規則に高速で動き続ける私にお前は時間を停止した後、何処へ動けばいいのか解らなかったのだろう?自分が反応し切れない速度で全く予想出来ない動きを繰り返す私に対する最適な位置を、お前は見つけることが出来なかった。だからお前は時間停止を解除する際、必ず元の位置へと戻った。
相手は場所を動かず、攻撃のタイミングと方向は丸分かり、そして相手が隙を見せる瞬間すら一目瞭然。
こうなったらもう後はただその内来る反撃に転じるタイミングを待てばいいだけの話。お前の能力が時間停止だったが故の弱点と言う訳だ」
「……っ!?まさか……そんなことが……」
「さて、今度は此方の番だシスター。今の尋常ではない力とその状態は何だ?」
ショックを隠し切れずに血塗れの手で血塗れの顔を押さえるシスターへと吸血鬼の質問が飛ぶ。
質問を受けたシスターは焦点の合わない目を吸血鬼へと向ける。
亡霊のように顔を上げるシスターの顔の右半分は手で覆われているために何とも不気味な雰囲気を醸し出していた。
「ふ、ふふふ……、なるほど、これが私の……」
「おい、またか。また壊れたのかシスター」
「……いえ、大丈夫で御座います。少し、取り乱しました。それで、ええ、私のことでしたね」
「ああ、そうだ。あれは何だシスター。見るからに代償付きのものだとは分かるが…」
「はい。それですが、まず少し私の能力について補足説明をさせて頂いても?」
「ふむ、構わん」
「ありがとう御座います。まず、正確に言うのであれば私の能力は『時間停止』ではありません」
「なに?それはどういうことだ?」
「私の能力は『時間操作』なのです。分かり易く説明致しますと、私は時間を止めるだけでなく、時間を進めることも遅らせることもできるのです」
「ふむ、それはまた芸達者なものだな」
「時間を戻すことだけは出来ませんが…。そして私が使用したのは『加速』の方で御座います。これによって私は自身の体内の活動を一気に加速させたのです。心臓、肺、血流、脳、様々な体内活動を加速させた結果が先程の人外染みた怪力と今の状態を作り出しているのです」
それは、文字通り命を削る行為である。
何の前触れもなくそのような激しい活動を強引に起こせば体が悲鳴を上げる。
その能力によって引き出された身体能力は人外と遜色ないものであったために、常時の何倍どころの話ではない。
下手をすれば何十倍もの負担が体に掛かることとなる。
その証拠にたった数秒間、それも持続して激しい運動をした訳でもないのに数多くの出血に吐血、血管が破裂し皮膚が破けて体の至る箇所からの出血に内出血も見えないだけで服の状態を見れば誰でも分かる。
心臓が破裂しなかったのは数秒しかそれをしなかったのもあるが、運の要素も多分に含まれていた。
「分かっているのか。それは寿命を削る……いや、下手をすれば今死んでいたのだぞ」
「あの時点で打てる手が残っていたのなら、それを打たないことは貴女への侮辱に他なりません」
「侮辱、か。随分と高く買って貰っているようで光栄だよ」
「貴女を認めるか否かということであれば私はもうとっくの昔に認めております」
シスターは今尚血を吐きながら、それでもゆっくりと立ち上がる。
何度か折れかけ、何度もふらつきながらそれでもその膝を曲げることはなかった。
呼吸も満足に出来ない状況でそれでも真っ直ぐに吸血鬼を見据える。
「後は貴女が示して下さいませ」
そう言うシスターの右手には一本のナイフ。
それを握り締め、ゆっくりと大きく息を吸って、吐く。
相対する吸血鬼もまた槍を構える。
シスターにもう殆ど体力は残されていない。
次の交差が決着。
両者も言うまでも無く理解していた。
静かに互いを見つめ合う。
そして……
「では、お祈りの時間で御座います」
「さあ、お前の依る辺を引き裂こう」
一瞬の交差。
しかし、その瞬きの間に起きた事はあまりにも多い。
先手を取ったのはシスターだった。
右手に握ったナイフを左から右へと斜めに切り上げたのだ。
それに対し、吸血鬼は槍で防ごうとするも距離を詰められ過ぎたためにこれを断念。咄嗟に槍を持つ手の腕を前に出すことにより、急所に当たるのを防ぐ。
勿論、急所に当たるのを防げたのであって、無傷ではない。防ぐために体の前に出した吸血鬼の右腕は見事に切断され宙を舞う。その手に持っていた槍も斬り飛ばされた手を離れ霧散する。
しかし、シスターもまたこの攻撃に代償無しとはいかなかった。シスターがその怪力でもって振り抜いたナイフは当然の如く負荷に耐えられず根元から折れた。更に、シスターは再び時間加速による身体強化を行っており、一秒も経たない内に直接的な戦闘とは関係の無いところで既に三度死線を潜り抜ける羽目になっている。
先手を打ったのはシスターである筈なのに結果的にはシスターの方が失ったものが多い。だが、これが本来の人外と人間の戦いなのだ。人間が只管に己を削り続け、それでも尚届かず、運命の女神が微笑んで漸く希望が垣間見える。圧倒的なまでの理不尽こそがどうしようもない人間と人外の差であり、真実。
シスターはそんな不条理に晒されながらも微塵も絶望しなかった。
刃の無くなったナイフの柄を手放すと空中で回転する折れたナイフの刃を躊躇せずに掴む。そしてその切っ先を吸血鬼の心臓に突き立てるべく胸の中心目掛けて振り下ろした。
吸血鬼もまたそれに反応しない訳がなく、残った左腕の手の指を揃え貫手の形を作ると有らん限りの力を込めて突き出した。
それがこの交差の終焉である。
「……」
「……」
シスターの振り下ろしたナイフの刃は確かに吸血鬼を貫いていた。その左腕を。
心臓へと目がけて振り下ろされたナイフは、
対してシスターは、突き出された左腕はシスターの肩より上へといっていたために当たることはなかった。
しかし、シスターの首下。そこへ二対、計四本の牙が添えられていた。その牙は先端が浅く肌にめり込んでいたためにほんの少しの力加減で容易くその柔肌を突き破ることが可能であった。
遠目から見れば、幼い少女がシスターの首下へと抱き付いているかのようにも見える。
そんな光景の中、決着は付いた。
「……私の勝ちだ」
「……ええ、そして私の敗北です」
そう言うとシスターはその意思を示すかのように両腕から力を抜き、身体の隣へと垂らす。それと同時に限界を迎えたシスターは枯れ木がへし折れるようにガクリと膝を突いた。
それに合わせ、吸血鬼もシスターの首から牙を離す。そして腕に刺さった刃を歯で挟むと、それを一気に引き抜き、ぷっとその辺に吐き出した。
「血はお吸いにならないのですか?」
「……何故、そう思った?」
「私を自分のものにするとおっしゃったので……」
「何だ。人外にされると思っていたのか」
「吸血鬼のものになるとは、つまりそういうことかと思ったのですが違うのでしょうか?」
「ああ、全く違うなシスター」
不思議そうに首を傾げるシスターに、吸血鬼は態とらしく口角上げ、にやけて見せる。
そして膝を突くシスターに合わせて身体を屈めると、覗き込むようにしてシスターの目を見詰める。
「まさか、私が
「逃げ道……」
「シスター、今一度問うぞ」
吸血鬼は両手をシスターの顔に添えると、互いの鼻頭が接触する紙一重のような距離まで自身の顔を近づけ、その口を開いた。
「私のものとなれ」
改めて問われたそれにシスターは暫し口を開けて呆然とした後、吸血鬼と同じように口角を上げた。
「ああ、酷いお方ですこと。正しく悪魔の所行ですわ」
「悪魔だが、それが?」
吸血鬼の言わんとすることを察したシスターはそう言って吸血鬼へと微笑み掛ける。
またシスターが己の言葉の意味を理解したことを見て取った吸血鬼も笑みを深めた。
そしてシスターは自信の頬に添えられている吸血鬼の両手をその上から自分の両手で包み込むと、しっかりと吸血鬼の目を見詰め返しながら言葉を発した。
「私は、貴女様の物となります」
そう、シスターは言った。確かに、シスター自身の口からその言葉は出たのだ。
当然、その言葉は空間を経由し、吸血鬼の耳へと届く。
両者がその言葉を聞き、頭でその言葉の意味を理解すると共に、どちらからと言わずに身体を震わせ始める。
その震えは少しずつ大きくなり、震えが思わず外に溢れてしまったかのように口から声が漏れ、それは笑いという形を為し排出された。
そして、最早誰の目にも明らかに二人は笑い声を上げた。
その目を決して外すことなく。
「…………っはははは!言ったなシスター!今確かに!!」
「…………っふふふふ!ええ、言いましたわ!今しっかりと!!」
この行為の意味、それはシスターが言った、ということにある。
あの瞬間、シスターには選択肢があった。
牙を離されたその後、確かにシスターには行動を起こすことが出来たのだ。
決死の特攻、名誉の自害、恥を忍んでの逃走、それらを行動に移すことが可能であったし、そのどれもが成功する可能性自体は確かに存在した。
しかし、それをシスターはしなかった。彼女は
つまり、シスターは自分から教会を裏切った。例え、その時シスターがどのような状況であったとしてもそれが真実である。
「ああっ、今まで尽くしてきた教会を、仕えてきた神を、自らの意思で切り捨てる!なんて背徳的!なんと冒涜的!率直に申しまして、濡れる!!」
最早、ズタボロで瀕死一歩手前であり、このままではほぼ確実に死を迎える程の重傷である筈のシスターはそれがどうしたと言わんばかりのテンションで叫ぶ。
両手を広げ、今にも踊り出さんばかりに高らかに笑い声を響かせるシスターに吸血鬼は声を掛けた。
「さて、シスター。順序が逆かもしれんが、名乗らせて貰おう」
「……名乗り、ですか?」
「どうした?何か気になることでもあったか?」
「……いえ、まずは貴女様の名前をお聞かせ願えますか?」
「ふむ、まあいいだろう。私の名はレミリア・スカーレット。紅魔館の主である吸血鬼だ」
「レミリア……レミリアお嬢様、で宜しいでしょうか?」
「ああ、構わん」
何度かシスターは吸血鬼、改めレミリアのその名は口の中で転がすと、跪き、その名を口に出す時の敬称を問う。
レミリアもシスターが出したそれを快く許可した。
そして今度はシスターが口を開いた。
「それでは改めましてレミリアお嬢様。実はお嬢様の物になる上でどうしても必要な願いがあるのですが、宜しいでしょうか?」
「願い?ふむ、聞こうか。言ってみろ」
「ありがとう御座います。……名が、欲しいのです」
「名が?お前には名が無いのか?」
「はい。是非、お嬢様に私の…私自身を表す名称を決めて頂きたいのです。お願い出来ますでしょうか?」
「……暫し待て」
そう言うとレミリアは腕を組み、片手を顎に当てると黙りこくる。
考え込んで微動だにしないレミリアの様子をシスターはその目に少々の喜の感情を浮かばせながら見詰め続ける。やがて、何度か納得するように頷くと、レミリアは腕を解き、再び視線をシスターへと合わせる。
「シスターよ。お前の名を告げよう」
「はい」
「お前の名は東にある国の名称から取ることにした。東方では満月の次の日の夜のことを十六夜というらしい。貴様は確かに人間にとっての満月であった。しかし、既に貴様が人間にとっての満月である時は過ぎた。故に、十六夜。然して、お前は
その名を告げられた瞬間、シスターは、十六夜咲夜は確かに自身の何かが終わり、そして始まったのを感じ取った。今まで上等な『名前』という存在を手にしたことなどなかった。その日咲夜は一つの己を手に入れたのだ。
「十六夜……咲夜……」
「昨日の夜で昨夜では格好が付かないだろう?だから、同じ読み方をする『咲く』を使わせて貰った。夜に咲き誇る。良い名だろう」
「……ええ、ええ、勿論です。とても気に入りました。十六夜咲夜、これ以上はありませんし、これ以外は必要ありません。今、この瞬間から、私はレミリア・スカーレットの十六夜咲夜で御座います」
咲夜はレミリアの手を取ると、その甲に口づけをする。
咲夜からの服従の印に、レミリアは満足気に頷くと、くるりと百八十度その身を反転させる。
「では、帰ろうか。我が館へと」
「はい、お嬢様。ところで、私の名を態々東方の国に準えたのは何か理由があったのですか?」
「ん?ああ、ちょっとした思いつきだったが、それの理由については話しておいた方がいいな。実は、その東方の国にある密かに人外の中で噂になっている『楽園』とやらがあってな」
「楽園、といいますと?」
「なんでも人と人外が共存しているらしい」
「それは……デマなのでは?」
咲夜がそう思ってしまうのも無理のないことであった。
そもそも人外というのは人の恐怖の具現、根本から相容れないことが確定している存在であり、両者の溝は埋めることなど不可能であると誰もが思っている。
それが共存となると、どちらか或いはどちらも何かを犠牲にする必要がある。
「くくっ、共存を不可能と断じるか?なら、実際に見に行こうではないか」
「お嬢様はそこに訪れるご予定があるのですか?」
「その楽園、通称『幻想郷』というらしいが、面白そうではないか。その有り得ざる楽園。本当ならば是非とも欲しい」
レミリアの発言に咲夜は少し眉を上げた。
それは事実上の侵攻宣言であることを咲夜は察したのだ。
レミリアに咲夜は微笑みながら言葉を返す。
「折角『
「許せよ。悪魔は強欲なんだ」
「仕方ありません。何せ私はお嬢様の物。お嬢様に逆らうことなど致しませんわ。ええ、浮気も器量といいますしね」
口元に手を当て、上品に笑って見せる咲夜であったが、レミリアは何となく不穏なものを感じざるを得ない。
なにせ性根が性根である。
隙を見せたら取り返しの付かない状態になっていてもおかしくない。
……主に命の危機とは別の方面で。
そんな主の視線もどこ吹く風と咲夜は会話を続ける。
「しかし、それならば尚のこと私は人間を止めた方が宜しいのでは?」
「私は別にどちらでもいいぞ。そんなに化け物になりたいのか?」
「いえ、別に私も進んでなりたい訳では無いのですが、このままだと色々不便かと思ったものですから。それに言ってしまいますとこのままだと多分死にますし」
先程からごく普通に会話をしている咲夜であったが、時間加速の後であることを忘れてはならない。
咲夜自身が言った通り、このまま何の処置もしなければ代償の負荷に耐えきれずに死ぬことは明らかであった。
それも激しい運動に加え、かなりの間加速し続けていたために生中な手当程度では何の意味も為さない程に咲夜の身体は壊れかけていた。
その措置の一つとして今よりも強靱である人外と化すのは間違った方法ではない。
実際、今咲夜の身体の状態は歩いたり立ったりだのどころか、そもそも指一本たりとも動かしてはいけないような重体である。
その一切を表に出さず、一見平気な様子で動いてみせるのは並大抵の精神力で出来ることではない。
「そういえばそうだったな。お前が平然と動いているから忘れていたよ。いや、しかし何故お前はそうも簡単に動けるのだ?痛みは感じないのか?」
「確かに今ただ立っているだけでも全身に体内をガラスの破片が飛び交うような激痛が走りますが、ええ、問題ありません。偏にお嬢様への愛の為せる事で御座います」
「……何故、そこで愛?」
「人は、愛さえあれば例え何であろうと為せるので御座います。ふふふ……」
「そっかぁ……。愛、怖いなぁ……」
レミリアは取り敢えず咲夜と目を合わせるのを止めた。
今見たら何となく魂か何かがその瞳に吸い込まれてしまいそうな気がしたから。
咲夜はレミリアのそんな様子に構わず今尚見詰め続けながら笑っている。
レミリアは逃げるように咲夜に背を向けると歩きながら口を開く。
「まあ、そこは心配するな。私の友人が何とかしてくれるだろう」
「お嬢様の御友人ですか?何か医療に秀でた方なのでしょうか?」
「いや、医療ではない。魔法だ」
「魔法ということは、お嬢様の御友人とはまさか……」
「流石に正体に見当は付いたか。そう、魔女だよ。魔女狩りの数少ない生き残りだ」
「まあ、それは……」
己の仕える主人の正体を聞いて咲夜の動きが止まる。
少し考え込むように下を向き、立ち止まる。
その様子を察したレミリアは振り向くと動かない咲夜へと声を掛けた。
「どうした?元シスターとして、魔女という名に感じるものでもあったか?」
「ええ、とても背徳的ですね」
「……ああ、そうか」
ただの通常運転であった。
何やらハァハァ言いながらクネクネしているシスターに吸血鬼はもはや何の反応もせず先を急ぐ。
しかし、歩き出してすぐ、ふと立ち止まった吸血鬼は再びシスターへと振り返り、口を開いた。
「手は出すなよ?」
「えっ…………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………承知しました」
「油断も隙も無いなお前!?」
こうして二人は朝焼けと共に教会から姿を消した。
これが二人の運命が交差した瞬間の物語。
この二人の出会いと繋がりが、この世に一体どのような影響を与えるのかは分からない。
ただ少なくとも、その影響が静謐なものになることだけはないだろう。
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