少年はそばにいた女性に聞く。
「どうしたの?」
「僕の名前ってどう書くの?」
筆を持っていた少年は不思議そうな表情で、女性に問いかけた。その様子を見た女性は、にこやかな笑顔で書く。
「前に書いてあげたのに忘れたの? あなたの名前はこう書くのよ」
書かれた字はとてもきれいだった。どちらかというと行書体に近い字の書き方ではあったので読みづらくはあったが、それでも少年にとってはキレイに見えた。
『竹内 絨』
小さな紙に書かれた名前は、やや薄い字で書かれてあった。
「ありがとう、ハナ姉ちゃん!」
笑顔で答えた少年は、嬉しそうにその紙を見ながら、わら半紙の名前の欄に自分の名前を書いている。
「じゃあ、また分からないところがあったら呼んでね」
「うん!」
そう言って彼女は、部屋から出て行ったのだった……。
これは、オレの昔の思い出だ。
1話 - 被弾したもの
自分の頭の近くで音が鳴っている。別にその音は待っていれば鳴らなくなるのだが、自分は耐えきれずその音のする方へと手を伸ばした。
オレの頭の上で音が鳴っていたものは目覚まし時計だった。いつもなのだが、これのアラームを止めた瞬間は、何とも言えない達成感に似た感情に満たされていく。それと同時に、また眠たくなってわけなのだが、5分経てばまたアラームが鳴るので結局は起きることにした。
起きたオレは冷蔵庫からお茶とロールパンを取り出し、テーブルに置いて座る。一番先にオレが口にしたのはお茶だった。誰しもがそうなのだろうけれど、朝起きてから水分を奪われるパンを真っ先に食べるやつはいないに違いない。もし、朝食がご飯であったなら変わってくるのかもしれないが、それでも真っ先に水分を取りたがる人間は多いはずである。
コップに入ったお茶を飲み、味気ないロールパンを食す。この組み合わせは見た目からしても本当に味気ないものだ。それでも、朝にあまり食欲が湧いてこない自分にとっては、これくらいがちょうどいい。昔は親によく朝食と一緒に牛乳を飲まされたものだが、今になってみれば、よくあんな体液を飲まされていたものだと思えて仕方がない。別に嫌いではないのだが、朝に飲むのだけはあまり気分の乗らない飲み物であるのだ、牛乳というやつは。
朝食をすませたオレは、5月4日と日付けの書かれた新聞を取りに行き、見出し記事を眺めながらテーブルへと向かう。
『―武偵殺し事件再び―』
目の細いオレがより目を細めて初めて読んだ文面がそれだった。毎朝、新聞のテレビ欄と天気予報を見るのが日課となっていて、いつもそれ以外はそこまで読まないでいる。でもさすがにこの見出し記事に関しては、見過ごすワケにはいかなかった。なぜなら、約1ヶ月前に入学した自分の学校が、その武偵を育てる日本で唯一の学校で、将来なろうとしている武偵が殺された事件を無視することなんてできないのだ。
しかしオレは、事件の概要を読んだ所で、その記事を読むのを止め、天気予報の欄へと目を移したのだった。その理由は単純明快。記事にも書いてある通り「再び」なのである。武偵が殺されるのは特別目新しいわけでもなく、よくあることなのだ。
今年に入ってから武偵殺しという、「武偵の車や何かに爆弾を仕掛けては自由を奪い、短機関銃のついたラジコンロボで追い回して殺す」というやり口の事件が起こっていた。そして最近になって、犯人が捕まったと報道されたのだが、また事件は起こってしまったようだ。
(何とも物騒なご時世だな、まったく……)
まったくもってこの事件に関しては他人事ではない自分ではあるが、だからと言って気を付ければ殺されないという話でもない。そもそも学生が狙われたことはなく、自分が狙われる理由なんて皆無だ。きっとこの事件で狙われた武偵というのは単に運が悪かったか、それなりに犯人に狙われる理由があったのだろう。
そもそも武偵というのは、凶悪化する犯罪に対抗して作られた国際資格であり、武装を許可され、逮捕権を有し、あらゆる仕事を請け負う。いわゆる「便利屋」であり、命を落としたりや命を狙われたりするのは日常茶飯事なのだ。
確かにこの武偵殺し事件が起きた頃は不安でいっぱいだったが、約4ヶ月も続くと人間ってのは、どうでもよくなるらしい。
それにしても、
「はぁ……、今日は一日中雨か」
いつも学校まで自転車で通学しているオレにとって、雨というものは面倒くさいことこの上ない障害だ。できるなら、オレが通学してる間だけでも晴れてほしいと天に向かって願いたくなる。でも、その願いさえも、お天道様にはむなしく届かないみたいだ。
そんなことを考えながら、朝飯を済ませ、時計を見ながら学校の支度をし、今日は最寄りのバス停でバスに乗って通学することにしたのだった。
7時50分。バス停で58分発のバスを待つ学生の列に入るが、後ろから続々と並んでくる人を見て、オレはつい溜め息をついてしまう。なぜなら、雨の日は普段自転車で通学する学生もバスに乗るから、キツキツの状態でバスに乗ることになるからだ。考えればこんなことは予想できないことではなかったのだが、思いつかなかった辺りはまだオレの頭は完全には目が覚めていないのだろう。
(混んでいると、汗をかきやすい自分としては蒸し暑くなるから嫌なんだけどな……。手汗とか出るし、無駄に疲れるし)
そんなことを思っていると、いつのまにかバスは到着していて、前の生徒達は乗り始めていた。オレも前の人についていく。バスに乗るとすぐに周りを見渡し、空いているイスを見つけては、素早くそのイスへと腰を下ろした。
(やったね! ひとまず、イスに座れて良かったぞ。さすがに立ちながらのバスは結構キツいからな)
そう思いながらオレはカバンをイスの下に置き、窓の外に目を向けるとそこには乗れなかった先輩や同級生達の姿が見えた。
(かわいそうに。一限目の授業には間に合わないんだろうな……)
とはいっても、早く寮から出ればそんなことにはならないんだから、自分達の自己管理を怠ったせいでもあるし、仕方ないのかもしれない。
そんな彼等を置いて、学校を目指してバスは動き始めたのだった。
バスに揺られながら、オレは目を閉じて座っていた。もしかしたら昨日、深夜までパソコンをしていたせいなのかもしれない。オレはバスの中で眠くなってしまい、気持ちよくうたた寝をしそうになっていたのだった。
そんなオレの近くで同じ学校の女子生徒達が何やら騒いでいた。
(うるさいなぁ……。朝っぱらから高い声出してハシャいでんじゃあねぇよ!)
と心の中で言って、その女子生徒達に全く注意する気力も勇気もないオレは、目をつぶりながら彼女達の会話を聞いていた。
「でさ~、昨日のジュンがちょーウケてぇ。マジそこでやっちゃうって感じでさぁ」
「そうそう、ウチも思った!あそこでマツジュンがまさかって感じだったよねぇ」
「へー、そうなんだー。たしかに松潤っておもしろいよね」
どうやら、主に喋っているチャラい2人と少し物静かな雰囲気の1人の合わせて3人が、オレの近くで周りを気にせず会話をしているようだ。
「あれっ? ない、ないよ!」
「えっ、どうしたの? かなっち」
「それが、わたしのケータイがないの。バスに乗る前にはあったんだけど」
物静かそうな女子生徒は自分の携帯電話がないのか、制服やカバンの中を探している。だが、いくら探しても見つからないのか、必死に周りを見たり、地面に転がってないか、かがんで探してみたりしていた。
彼女が急に探し始めたので、オレは目を開けてカバンを膝の上に置く。その際に、チラっと女子生徒のパンツが見えたのをオレはしっかりと見逃さなかった。
(ば、バレてないよな……?)
縞模様のパンツに、少しドキドキしてしまう。
「マジで!?そんなん、どっかに落っことしちゃったかしちゃったんじゃないの?」
「でも、かなっち。あんた手に持ってるじゃないケータイ」
「それが、これは勝手にカバンの中に入ってて……、知らないケータイなの」
「えっ!? それ、かなっちのじゃないの?」
「うん」
「とりあえず、かなっちのケータイは学校着いてから考えよ。そこから、バスの人に話して探してもらおうじゃん」
「そ、そうだね。じゃあ、このケータイはどうしよう……」
「後で、学校に出しときゃいんじゃね? どーせ、誰か入れ間違えたか、偶然あんたのカバンの中に入った感じっしょ」
そんなことを女子生徒達が話している最中、バスのアナウンス音が流れ始めた。オレは目を開けて、窓の外を見るが……、目の前の光景は、学校ではなく別の場所だった。
(あれ? 学校通り過ぎてるぞ? ココは海岸沿いじゃないか)
そんな光景を見ながら、バスの運転手からのアナウンスが流れた。
「ただ今、このバスに爆弾が搭載されているとの情報が入りました。詳しい情報が入るまで、学校には止まらず、運行したいと思います」
(えっ……、今、何て? 爆弾?)
数秒の沈黙の後、周りは一気にざわめきだす。それと同時にオレの思考は止まってしまっていた。
そんな中、オレのすぐそばで、もの凄い音量でその場が黙るような機械音が、さっきの女子生徒達のカバンの中から聞こえた。
さっき、カバンの中にケータイがあったと言っていた物静かそうな女子生徒は、その発信源のケータイを取り出す。そして、ゆっくりとそのケータイを開いた瞬間、機械のような声を発してきた。
「くふっ、くふふふっ。現在、このバスには爆弾がしかけてやがります。バスを降りやがったり、減速させやがると……、このバスは爆発しやがります。助けも連絡もできないよう、ジャミングもしかけてやがりますぜ」
オレはこの機械から聞こえてくる音声は一体何を言っているのか意味がわからなかった。それとも、唐突過ぎて意味を理解するのに時間がかかったと言った方が正しいのかもしれない。
さっきまで静かだった周りは、女子生徒の叫び声と同時にパニック状態へとが伝染していった。
オレは今日読んだ新聞の武偵殺し事件のことを思い出す。きっと、それ同様の事件に巻き込まれてしまったのだろうか。心の底で、「今日のオレの星座占いは、きっと最下位だったんだろうな」と思ってしまう自分がいた。
オレの腕時計は午前8時47分を指していた。何やら足音がバスの上から響いて、その後、後ろの方の窓を叩く音がして、近くにいた生徒が窓を空けた。
(なんだ? また何か起こったのか?)
少し身構えた自分であったが、どうやら救援に来た武偵の先輩達のようだ。その姿を見たオレは、とてつもない安心感を覚えた。
「おいっ、みんな無事か!」
どうやら救援に来てくれたのは、割と学校で有名な遠山キンジ先輩のようだ。
「キンジ!!」
バスの中にいた、一人の男子生徒が遠山先輩の方へと向かっていく。こんな状況でも何やら楽しそうに話している二人を見ていると、事態はそこまで深刻ではないのかなと思えてきた。
会話をしていた先輩2人の間に、オレのそばにいた女子生徒達が話し出してきて、もの静かそうな女子生徒はキンジ先輩にケータイを渡す。遠山先輩はケータイの音声の内容を聞くと、すぐさま通信機で、別行動をしている仲間と連絡を取り合っていた。
そんな時、バスの後ろから何か当たった衝撃が来た。遠山先輩は後ろの様子を見に、上半身を窓の外に出したが、すぐに体を戻してオレ達に叫んだ。
「みんなっ!伏せろっ!!!」
その叫びに反応して、オレはすぐに頭を下げて伏せる。すると直後に、窓の外からの無数の銃撃によって、バスの窓が後ろから前まで一気に粉々になる。
(な、何だ? 外では何が起こっているんだ? 銃で攻撃されているのかこのバスは?)
その時、ぐらっとバスが妙な揺れ方をする。オレはそっと運転席を見てみると、運転手が肩に被弾し、ハンドルにもたれかかるようにして倒れている姿が見えた。
(や、ヤバイ! このままじゃ、道路から脱線してしまう!)
そんな中、遠山先輩は運転席の方へと颯爽(さっそう)と移動していく。被弾した運転手に代わり、ハンドルを握る。
「ま、マズイな! バスが速度を落とし始めてる!!」
遠山先輩がそう叫ぶと、さっき遠山先輩と会話していた男子生徒がやってきた。なにやら会話をし始めたと思ったら、今度はその男子生徒が運転席に座り、バスの運転を始めたのだった。会話を終えると遠山先輩は運転手を横に寝かせ、窓からバスの上の仲間の方へとのぼっていく。
オレは窓の外を見ると、バスはレインボーブリッジを渡っていた。そんな時、運転席に座っている男子生徒から、
「おいっ! 誰か、その運転手を手当てしてやってくれ。この中に衛生科の生徒はいないのか? いないのなら、誰か応急処置ができるやつはいないか!」
という大きな声が聞こえた。当然、前を見ていれば運転手がケガをしていることは明白だった。致命傷ではないにしろ、応急処置はしておいた方が賢明だ。そんなことは誰しもが分かっていることなのに、いくら待っても行こうとする学生はいなかった。
衛生科とは、自分の通う学校の学科の中で、唯一医療関連を携わっている学科だ。その学科には基本女子が多く集まる。そういった中で、戦場や表立った依頼に出るタイプの女子は極わずかだ。基本、ある程度は戦闘ができるようになっていないといけないのだが、衛生科のカリキュラムでは護身術程度しか教わらない。つまり、己を守る程度のものしか学校では教わらないのだ。
つまり、衛生科のほとんどがある程度は環境の整っている場所という、安全圏で治療をしていることが多く、常にいかなる場所で対応できるよう医療道具を持っているヤツは少ない。その場その場で大掛かりな治療ができるやつはAクラス級以上でないとムリなのだが、そんな学生は学校に数人にしか満たないレベルだ。
だからといって、今の運転手の現状としては軽く肩に被弾した程度だろう。応急処置くらいなら素人でもできるレベルの話だ。しかし、どれだけ待っても未だに応急処置をしようとするやつはいない。しかも、このバスには1年の衛生科の女子生徒が多いからか、ほとんどが泣いてたり、腰を抜かしてたり、震えていたりして座っているだけだった。そんな彼女らに頼ることこそ、見当違いというものなのかもしれないなと感じてしまう。
オレは立ちながら、運転席に座っている男子生徒に向けて叫ぶ。
「オレがします。自分、衛生科なので」
「おっ! そうか。じゃあ頼んだ! なるべく、安全運転してやるからなっ!」
そう言ってオレは、カバンから簡易治療道具セットを取り出し、横になっている運転手の方へ向かい、治療を始めた。
(どうやら出血はしているが、傷はそこまで深くないようだ。止血しておけば大事には至らないのだろう)
そんなことを考えながら治療をしていると、近くにいた男子生徒が話し出す。
「また来やがった。みんな伏せろ!!」
男子生徒の声を聞いたオレは、イスにつかまりながら身を潜めた。しかし、今度はガラスの割れた音も、車内を撃たれた形跡もない。
そんな沈黙の中、バスの上から遠山先輩の叫び声が届いた。
「アリア……、アリアああっ! アリアーーーー!!!」
(どうしたんだ!? まさか、遠山先輩が? いや、他の誰かが撃たれたのかっ?)
そんな絶叫の中、外の方から大きい破裂音がバスの中へと響いてきた。その音は続いて2回鳴り響くと、今度は何かが衝突して爆発した音が大きく鳴り響いて聞こえた。
(今、車か何かが爆発したような音がしたけれど、何が起こったんだ?)
そう思いながらオレは、そっと窓の外を見てみる。そこにはレインボーブリッジの真横に、学校のヘリが併走していて、なんとそのハッチには、緑色の髪の少女が狙撃銃をバスに向けていた。
その直後、彼女は3発程、バスの下の方へと狙撃銃を向けて撃っていた。そうすると何かの部品がバスの下から落ちて、背後の道路に転がっていく音がした。その後、また彼女が狙撃銃で撃つと鈍い音がして、数秒後に何かが爆発した。どうやら、部品ごと海に落ちていった爆弾が起爆しらしく、海中から水柱が盛大に上がっている音が外から聞こえた。
結果、爆発せずにすんだバスは、ある程度進んだ所で次第に減速して、道路の真ん中で停まり、オレ達みんなは、緑髪の少女の救助のおかげで助かったのだった。
こうして、オレが高校生になってから初めて遭遇した『武偵殺しバスジャック事件』という1時間程度の出来事が終えた。
負傷者2名という結末を残して……。
次回予告「あの事件から5日経った。オレは普段と変わらない生活を過ごしていた。
そんな中、オレにとある手紙がやってくる。その手紙によって運命が変わる。
次回、【龍の手紙】」