暗く静寂な中、気がついたらオレは地面に倒れ、オレの体の上にはまるで体全体で覆うように誰かが乗っかっていた。乗っかっている人間は全く動く気配はなく、脱力しているようだ。
(いったい、何が起こったんだ??)
自分自身に何が起こって、誰かと一緒に地面に倒れる状況になったのだろうか。だが、そんなことを考えた瞬間だった。
(――!!)
顔の左側に激痛が走る。
(い、痛いっ!!)
その痛みはじわじわとオレの脳に襲いかかるかのように大きくなっていく。
(痛っ、痛い痛い痛いっ!!! いたいいたいいいたいいいたいいいいぃぃ!!!!)
「うぅ、うがっ……ぁぁぁっ」
左目を抑えながらオレは地面に横たわり、痛みに耐えていた。すると、オレの姿を見てなのか誰かがオレのいる方に歩いてくる音がした。
「―――って、―――とはな。つ――く、人間とは―――脆いものだな」
フードを被ったコート姿の人物が、オレに近づきながら話かけてくる。
「そうは思わないか? たとえ、どんなに精神や体を鍛えようとも、また周りからどれだけ最強だと呼ばれる程の強者になったとしても、その人間がもし麻痺状態になってナイフで急所を切れば、いずれは出血多量で死んでゆく。さらに脳から麻痺した人間は、腕や足、指さえも動かすこともできない。そう、ただの人形へと成り果てるのだよ。そうなれば赤子を捻り殺すように簡単なもんだ」
オレは痛みに耐えながら、もう片方の目でそのコート野郎を見てみる。さすがに顔までは見えないが、体格は女のように細く、声は30歳過ぎた渋いおっさんを想像させられる。
「そして、オマエの友人もオマエをかばって麻痺してしまったようだ。しかも、そのせいでオマエの左目を損傷させてしまうはめになるとはなぁ。なんという偶然! なんという奇跡だ! これを見て、人とは脆くも哀れな生き物だと思えずにいられるか? オマエ自身、友人のせいでこんな結末を迎えてしまって、悲しくはならないかね? 更に、オマエが調子に乗ったせいで、隠れていた友人が出て来てこんな状況になってしまったことを悔しくならないか? なぁ、どうだ? 涙が出そうになるだろ? 理不尽さに胸がいっぱいになるよなぁ? なぁ、おい?」
彼はオレを無視するように、オレの周りをぐるぐると歩きながら語り続けている。オレは片目の痛みに耐えながら、ただひたすらこのコート野郎の言葉を聞いているが、結局、こんな事態を招いたこいつを憎まずにはいられなかった。
「そうか、そうかー。……悔しくて言葉に出来ないってかぁ!!!」
コート野郎は急に振り向きざまにオレの頭を踏みつける。せっかく、目の痛みに耐えていたオレの理性がまたしても大きな痛みによって気が狂いそうになる。
「あがっ!! ぁぁ……っぅぅ!」
「はははっ! 痛みによってどうでも良くなったか? 忘れられるだろ、何もかもなぁ!」
(くそっ! こいつ、うぜぇ! 今すぐに殺してやりてぇぇ!!)
またしても、オレは目の痛みに必死に耐えることになる。いつのまにかオレの頭の中は、左目の痛みを耐えることとこのコート野郎を殺してやりたいという感情で溢れていた。
「それにしたって、今回の任務はあの使えない雑草のせいで失敗という結果になったと思っていたが、まさか、あんな雑草を食べにお前らがわざわざ来てくれるとはな。しかも、ここまで好都合に事が運んでくれるとはつくづく幸運だよ。そういや、この国は多神教だったかな。我に味方してくれた気前の良い神に感謝せねばならないなぁ。はははーっ!!」
コート野郎は腕を組みながら、声を高らかに上げながらオレに向かって話していた。しかしオレは、激痛を感じさせる目の痛みでそれどころじゃない。コート野郎の話なんて聞いてやる余裕も冷静さも持ち合わせてはいなかった。
それでもこのコート野郎は、オレが話を聞いてると思っているのか口を閉じることはなく、先ほどまで討論していたのであろう倒れている犯人らしき男の方へと向かって歩いていく。
「まぁ、さすがにここまで予定外の展開が続いたんだ。そろそろ、今回のシナリオも終盤へと差し掛からなければならない。……ここらへんで、予定通りのクライマックスへと移させてもらおうか!」
その途端、コート野郎は犯人らしき男の顔を掴み上げる。しかも片手で持ち上げるという芸当に、少し恐怖を覚える。気絶している犯人らしき男は、体を脱力しきったまま反抗せずにぶら下がる。するとコート野郎が片手で顔を掴み上げたと思ったら、もう片方の手で犯人らしき男の腹にパンチを食らわす。
「ぅおえぇっ!!!」
ずっと気絶していた方がまだ幸せだっただろうに、犯人らしき男はコート野郎のせいで現実へと引き戻される。ここで何が起こったのか分からず、体内のものを吐き出しながら混乱しているような表情だった。
犯人らしき男の意識が戻ったのと同時に、コート野郎は掴んでいた男の顔を離す。ここからでは表情はわからないが、きっとフードの中では満面の笑みを浮かべているのかもしれない。鼻息を荒くして、片手で自分のコートの中にある何かを探していた。そして、その中から出た黒い鈍器のようなものは決して殴るためのものではなく、撃つためのものだった。
それに気づいたのか、犯人らしき男は片手で腹をかばいながら、「待った」と言わんばかりに驚いた表情で壁へと後ずさりしながら、手を伸ばしてコート野郎に手のひらを向ける。
「ぉ、ま、まま、まてよ! お、オレが何したってんだよ、なぁ! やめてくれよ、おぃ……やめてくれ。なぁ……やめ」
その瞬間、コート野郎はすぐさま犯人らしき男へと標準を合わせ、黒い鈍器のような銃で首元と脚に撃った。それは構えてから一瞬の出来事で、的確に首元と脚に撃ったコート野郎の姿に、オレは更なる恐怖を感じずにはいられなかった。
犯人らしき男は倒れ、いつのまにかコート野郎は井上のそばまで移動し、さっきまで握っていた井上の特性ナイフの「マルカ・クニエツ」を拾う。元々はオレの所持品だったのだが、ナイフの扱い方は井上の方が上手だったため、誕生日プレゼントとしてあげたやつだった。
そんな特性ナイフをコート野郎が手にすると、普段からよく見慣れている銀色の業物の姿は、誰かを守るための武器としてではなく、誰かを殺すための凶器としてオレの目に映った。
(や……めろ!)
井上の特性ナイフを持ったコート野郎が犯人らしき男の方へ歩くのを見て、それを止めようとオレは体を動かそうとする。
しかし、さっきまで自分を突き動かしていた何かが失っていた。それは同時に、冷静さも立ち上がる力も、言葉を口に出す力さえも失っていることを示していた。
(や、やめ……てくれ!!)
一歩。また一歩。またまた一歩。とコート野郎は歩いていく。進んでいる時間が長く感じるのに、何故か考えが働かない。体が動かない。目をまばたくことさえもできなかった。まるで、オレだけが時間を止められたかのように、すべてが硬直する。
コート野郎が犯人らしき男の目の前まで来るといつのまにか、コート野郎は犯人らしき男が左手だけを上げているかのような状態になるように、左手で犯人らしき男の左手を持ち、右手には特性ナイフでその左手の手首に近づける。そしてその姿がオレに見えるように体をオレの方へと向けていた。
(あっ……!!)
その後のことは一瞬だった。
コート野郎はオレに「やめろ」と言わせてくれる程の時間は与えてはくれなく、鮮明に肌を一気に切り裂いた井上のナイフは、赤い液体を付着したまま地面に落ちたのだった。
犯人らしき男がぐったりと血を流してぐったりと倒れている横で、コート野郎は体を動かすことなく、犯人らしき男の姿を見ていた。まるで、さっきまでの切る行為が過程に過ぎなく、血を流して倒れているこの瞬間が、芸術作品そのものだと言わんばかりにコート野郎は犯人らしき男の姿を眺めていたのだ。
「ふ、ふふっ」
長い沈黙の中、微かに声が響く。
「ふふっ、ふふふふふっ」
その声が大きく響くにつれて、オレはコート野郎の姿だけを見つめ、目が釘づけになっていた。そう、まるでさっきまでの目の痛みを忘れてしまったかのように。
「ふははははっ!! これで、だ! これで、死を恐れ、死にあらがう醜い末路を迎えるのではなく、美しく! そして静かに! 死んでいってくれるというわけだ!!」
手を広げ、天を見上げるかのように高らかに叫ぶ。その叫びは、それだけでは止まらず、
「この静寂の暗黒の中で、眠っているかのようにゆっくりと『生』を終えるシナリオ! これがサイコウだとは思わないか? これこそが、人間が死んでいく中で、何にも劣らないサイコウの結末なのだと、オマエはそう感じないか?」
コート野郎は強くオレに問いかける。しかし、オレはそれを答えることは出来なかった。
だが、コート野郎はオレの顔を見ると、それ以降は問いかけることなく、井上のそばへと向かっていく。
「ふん……まぁ、いいや。さすがに調子に乗ってしゃべりすぎたようだ。ここらへんでこのシナリオをシメさせてもらおうか」
そう言いながら、コート野郎は井上に近づき、黒い鈍器のような銃を取り出そうとする。だが、その途中で腕の動きを止め、倒れている井上の体全体を見回す。少し考えながら、井上の体に触れていると、急にオレの方へと振り向き始める。
「……ふふっ、そうだな。この後のシナリオは、おまえの最大の見せ場として残しておいてやろう。この事件が、どういう結末を迎えるかはおまえ次第というわけだ。せいぜい、おまえらの好きな『最後まで諦めない』という精神で足掻くんだな、主人公さん!」
コート野郎は楽しそうにそう言うと、遠い暗闇の方へと歩き出す。少しずつコート野郎の周りがぼやけていきながら、暗闇と同化していく様子は、自分の頭が朦朧としてきたかのように思えた。まばたきをして、もう一度目を凝らして見た時には、コート野郎の姿はなくなっていた。
(―――!!?)
その途端、忘れかけていた目の痛みが蘇ってくる。
(ぁぁっ、くそっ! いてぇ、いてぇよっ!!)
結局、オレはここまで来て、何ができたのだろうか。コート野郎を止めることも、捕まえることも、誰かを守りぬくことさえも……オレにはできなかった。
そんな自分の無力さを痛感すると同時に、オレは手のひらに力を込める。握りしめる力が増していくごとに、この力を持っていながら、自分が何もできなかったことが余計に腹ただしく、また、悔しく感じていく。
そして、こんな事態を招いたのもこのオレ自身であることに気づくと、さっきまで自分の中にあった自信と言う名の傲慢さが、今はとても憎く感じて仕方がなかった。
そんな想いが自分の中で交錯し始めるが、周りを見て、そんなことを考えている場合ではなかったことに気づく。
「い、いのうえ!」
痛みをこらえ、よろめきながらもオレは井上のそばに寄って行く。容態を見てみると、井上の呼吸が薄く、少しばかり震えていた。意識を失い、体全体が麻痺しているようだ。
(た、たしか、こんな場合の時に武偵手帳の中にあったはずだ)
常に武偵手帳を持っていないオレとは違って、井上なら常に持っているはずだ。オレは井上の武偵手帳を着ている服の中に手を入れて探す。
服のポケットの中に武偵手帳があったのを確認すると、それの中から分解された部品一つ一つを取り出し、組み立てる。
実は、常に緊急や危険が伴う武偵には、緊急対処用の「ラッツォ」という覚醒促進剤が武偵手帳の中に備わっている。
これは、自分や仲間やケガを負った人などの意識が朦朧としている場合や、脳や心臓に向けての攻撃を食らってしまい、上手く動けない状態になってしまった場合に、これらを対処するための薬品が入った注射器のことである。
(これを、こうすれば……よしっ!)
なんとか、記憶の中に残っていた組み立て方でラッツォを組み立てると、今度はできるだけの力を振り絞って井上の首筋へと刺す。これで、井上の意識が戻るはずだ。きっと助かるに違いない。
ラッツォを全部注入したのを確認すると、オレは安心して壁によりかかる。本当はまだ安心している場合ではなかったのだが、朦朧としてきたオレは気づかない内に自分の意識を失っていたのだった。
――後日――
起きると、そこには白い天井が見えた。自分の体を触ってみると、左目に包帯が巻かれていることに気づく。左目は開けることができなくなっていた。
これは後から言われたことだが、医師からは左目の視力はもう2度と戻ることはないそうだ。
オレの意識が戻ったのを知ったのか、数時間後には武偵校の先生達や知らない人達がやってきて、
今回の事件のことをたくさん聞かれる。
オレはそこで何が起こったのかを思い出しながら話していき、話が進むに連れて、今まで険しかったオレの担任の顔が和らいでいく。……まぁ、後で説教はされたのだがな。
オレの話を聞きに来ていた武偵の人の話によると、今回の事件はオレがケガしているのを見た井上が、犯人らしき男と取っ組み合いをし、その際にその男の手首を切ってしまい、両方とも気絶し、気を取り戻したオレが井上にラッツォを打ち、また気を失う。という、なんともチンケな推測が飛び交っていたらしい。
一応、複数犯いたのではないかという説も考えられたのだが、どうしても、ほかに加わっていた人物がいたという証拠が見つからなく、犯人らしき男は出血多量で死亡をしたとのことで、犯人らしき男からこの事件の詳細について語られることはなかったらしい。
余談だが、その後、今回の事件のことでの進展を新聞やニュースで目にすることはなく、オレが知っていること以外、この事件について解き明かされることはなかった。
オレは今回の事件の話を終えたが、事件のことも気になっていたが、それ以上に井上のことも気になっていた。
武偵が出払った後で先生達に井上のことを聞いてみると、笑顔で「井上は大丈夫だ、生きている」と答える担任の安東先生の言葉に、オレは親友を失わずに済んだという安心感で満たされる。すぐに井上の病室を聞くが、まだ集中治療室にいるとのことだった。
数日が経って、井上が普通の病室に移動したことを聞いたオレはその日のうちに会いに行くことにした。オレは左目以外は特に問題なかったので、力が有り余った体を動かすように井上のいる病棟の病室へと走って向かう。
井上の名前が書かれた病室を見つけて扉に手をかけようとした時だった。病室の中から大きな声が聞こえる。そこには、井上と井上の母親の声が聞こえきて、2人の会話が止むことはなかった。
オレは中に入ることが出来ずにいた。中に入るということは、扉に手をかけて、2人の前に出ていくということになる。今のオレにそんなことができるわけがなかった。2人の会話の内容を聞いてしまったオレが、何食わぬ顔で会うことなんて無理だったからだ。
なぜなら、井上が集中治療室にいてこの『病室』に移動することになったのは、この病室で井上の涙の含む声が聞こえるのは、この事件の最悪の結末を迎えさせてしまったのは、
オレのせいなのだから
こうして、オレの過去にあった最大最悪の事件は幕を閉じていった。
次回予告「懐かしい夢の中、それは過去にあった偽りのない現実だった。
しかし、オレはその現実から逃げるかのように目を開かせる。
その先には以前、見た覚えのある光景が広がっていた。
そう。目の前にある景色もまた、現実の光景であったのだ」
次回「銀色の髪」