実は私が優等生という話は、既にしたと思う。
私は小学生までは周りの――両親の望む私を演じていた。
ここで誤解しないで欲しいのは、それは、少なくともその時の私にとっては、不本意なことではなかったということ。自分の気持ちを押しとどめてたとか、嫌々周りに合わせてたとか、そういうわけではないんだ。
単純に、純粋に、お父さんやお母さんの喜ぶ顔が見たかった。
ただ、それだけだ。
その期待に応えたい一心だけで、私は頑張った。優等生だったというのは、その結果に過ぎない。
なにもおかしなことはない。誰かの期待に応えたいと思うのは、とても自然なことだと思う。どこかの誰かさんは私のことを利己的だと言ったけど、私にだって人並みの善性はある。同時に人並みの悪性だって理解しているけどね。そういう意味では、私はなによりも“普通”な存在だと思う。
話が少し逸れた。ともかく私の幼少期を形成していたのは、そんな両親からの期待と、それに応えようと奮迅する子供心だったわけだ。
私は要領が良くて飲み込みも早くて、井の中の蛙ではあるけど優秀な子供だったから、その期待には余すことなく応えられた。両親には喜んで貰えて、幸せにできて、私も幸せだった。
だけど、その器量の良さが、仇になったんだ。
それは私が中学生に上がる直前のこと。
――両親が海外に発ってしまった。
まあ、これは、仕方のないことだ。私の両親は、ジャーナリスト? 詳しくは知らないけど、世界中を飛び回ってその情勢を報道するような仕事をしている。私が小学生の頃までは、子育てに集中するために日本に居を構えていたらしいけど、仕事柄、定住地がない方が動きやすいんだとかなんとか。
両親の仕事の詳細はさておき、私の小学校卒業が、転換点だったということ。両親は私を置いて、海外に飛び立ってしまった。
なんて言うと、やれ育児放棄だネグレクトだ、なんて思われそうだけど。それは事実と反する意見だから、私の大好きなお父さんやお母さんのためにも訂正させてもらうよ。あの人たちはギリギリまで悩んでたし、私だって相談の上に合意して、ひとり日本に残ったんだ。だから、お父さんもお母さんも、なにも悪くない。
悪い奴がいるなら、そうだね。本当は離れたくなかったのに、ワガママが言えなかった私が悪い。自業自得ってヤツ。
両親は、結構危ないところにも頻繁に足を運ぶらしくて、子供の私と一緒に海外に発つことを嫌ってた。色んな国を飛び回るから、学校にも行けなくなることも危ぶんでた。かといってこれ以上、日本にも留まれない。だからこれは、仕方のないことだったんだ。そんな仕事のせいで親しい友人もいなくて、親戚とかもなかったようだから、私をひとり残すしかなかった。
ただ普通の感性を持つ人ならわかると思うんだけど、小学校上がったばかりの中学生がひとり暮らしというのは異様だ。滅多にあることじゃない。だって、中学生なんてまだまだ子供なんだから。
だけど私は――期待に応える子供だったから。
優秀で、手際も器量も要領も良い優等生。
ひとりだって生きていける。ひとりで生活できるだけの力がある。両親はそう思って、私を信じて、日本に残してくれた。
最初はちょっとだけ嬉しかった。これは両親から与えられた大きなミッションだってテンションが上がった。これを完遂すれば、またお父さんやお母さんは褒めてくれるって。
――だけど、褒めてくれる人は、海の向こう側だ。
それに、完遂すればって、この状況はいつ終わるっていうの?
本当に馬鹿だった。褒めてくれる人はもう傍にはいない。「期待に応えた報酬」という期待に応えてくれる人は、ここにはいないんだ。
報酬のない無期限のミッション。それはただただ、苦痛で、虚無だった。
ただ私は聡明だから、すぐにそれに気付いたし、そこからの切り替えも早かった。
まあつまり、そこから今の自堕落生活実子ちゃんが生まれた、というわけで。
期待をかけて見てくれる人がいなかったら、メシすらろくに食べないダメ人間が生まれるという好例……いや悪例だったのさ。
とはいえそんな今の私は、実子歴の中ではもうちょい後で。
両親の期待に応える小学生時代の私と、自堕落極めた今の私、その中間となる期間があった。
それがちょうど、小鈴ちゃんと出逢ったばかりの頃。
そして、あの子と初めて、大喧嘩するまでの期間だ。
私にとっては“見”の期間だ。周りを観察して、どう動くべきかを考える期間。この時の私が、最も“
そこで私は、あの子と、小鈴ちゃんと、出逢ったんだ。
ある意味、あの出逢いは運命だったね。そんな運命的なものは感じなかったけど、ふわふわしてた私の方針を決めたのは――私が寄りかかる寄辺を定めたのが、そこだ。
初めてあの子を見た時は、悪いけど「取り入りやすそうな子だな」って思った。
実際その通りで、すぐに仲良くなって、友達になれた。
あの子は私に期待を掛けてくれるわけではないけれど、それでもまあ、ほどほどに心地よかった。
少なくとも、自分ひとりでは生きていけない私にとっての、大切な支えだった。
誰かの期待なくては何者にもなれない私を、私にもわからないありのままの私を、あの子は認めて、肯定して、受け入れてくれる。
実はそれは、凄く嬉しかったんだ。
そんなあの子の優しさが、なによりも尊かった。
私が私であるために、私自身を支えて私たらしめるために。
私には、小鈴ちゃんが必要だ。変わることのないあの優しさと、甘さが、必要なんだ。
……勿論、それだけじゃないけれど。
もっとシンプルな話だ。ただ私は、あの子がいなくなったら、本当に誰もいなくなってしまう。
それは、とても、とても――
☆ ☆ ☆
「帽子屋さん、ありがとね」
「なんだ藪から棒に」
今日も今日とて、香取実子は帽子屋と共に、なんでもない日々を過ごしていた。
朝起きて、飯を食べて、掃除して、洗濯して、買い物して、一緒にゲームして、夜眠る。
外の騒ぎなど知る由もなく、そんな、まるで家族のような他愛ない日常の時間の中、彼女らは生きていた。
そして今日もそのほのぼのした中、実子はなにか感じ入るように、帽子屋に感謝を告げた。
「や、なんやかんや帽子屋さんとこうして一緒に暮らすのも楽しいなって思ってさ」
「らしくもないな。貴様そんな殊勝なことを言うタチだったか?」
「そうなんだけどさ。帽子屋さんには、少しは甘えてもいいかなって」
「前も言ったが、オレ様に寄りかかるのだけはやめておけ。腐るのは貴様の方だ」
「……わかってるよ。でも、そういう意味じゃないよ。たぶん」
自分でも自信はないが、これは“彼女”への依存とは、恐らく違う感覚だ。
彼になら、吐き出してもいい。友に言えないことでも言えることがある。立場の違い……だろうか。
「ところでさ、帽子屋さんの両親ってどんな人? というか人? そもそも親とかいるの?」
「また難儀な愚問だな。そうさな、ハートの女王は母と言える存在ではある。オレ様は確実に、あれによって直接産み落とされた落し子だ。他の不思議の国の連中にとってはただの祖先であるからして、事情がやや異なるがな」
「父親は?」
「女王の夫か、知らんな。バタつきパンチョウがなんぞ言っていた気もするが覚えていない。ヨーグルトソースだかハスっぱだか、よくわからん文字の羅列としておぼろげに記憶してるのみだ。1億5000万年も生きていると物覚えも悪くてな」
「それなんの料理さ」
「で、それがどうかしたか?」
「いや、帽子屋さんって、両親のことどう思ってるのかなって」
「最悪だ。ネグレクト必至の超級モンスターペアレントである。この世に生まれたことさえも不快だ。憎いとは思っていないがな」
淡々と言うが、その中に嫌悪が滲んでいることを隠そうともしない。
よほど母親が嫌いなのか。いや、そもそも彼にとっての“親”とは、人間とは違う性質のものであって、同じ尺度では測れない、のだろう。
「……私はさ」
それでも。
あるいは、だからこそ。
「お母さんもお父さんも、好きなんだよ。大好き」
自分にとっての“親”を告げる。
「だから私は“いい子”であった。優等生として振る舞って、周りを窺って、波風立てず、自然に溶け込むようにしてた」
「振る舞っていた、か」
「あ、誤解しないでよ。私が無理してたとか、自分を殺してた、みたいに思われるかもしれないけどさ。違うんだ。お父さんやお母さんのために頑張る。それが、子供だった私の、一番の目的だったんだ」
少なくとも、当時の実子にとってはそれが生き甲斐だった。
誰かの笑顔のために。誰かの期待に応える。
子供らしからず、ある意味では子供らしい、純朴な動機と努力だ。
「だって、嬉しいじゃん。喜んでくれるのは。笑ってくれるのは。だから、人って頑張ろうって思えるじゃん」
「1億5000万歳のオレ様にはよくわからんが、そういうものを一般感性と呼ぶのかもしれんな。善なるべきは善哉とな」
「まあ、それって結局、裏目になったんだけどね。つっても、そんな悪いことがあったわけでもなく」
実子は、自分を振り返る。
つい先刻まで渦巻いていた思考を、形にして、言葉にする。
「私はすっごいいい子だったから、お母さんもお父さんも、安心しちゃってさ。海外に発ったわけよ。けっこー危ないとこにも行くらしくて、私を連れて行きたくなかったんだって」
「立派な親だな。オレ様の母親にも、爪を煎じて贄にしたいほどだ」
「子供を危険に晒したくない一心での決断は私も尊重されるべきだと思うけど、これはこれで別の問題があってね。帽子屋さんにはピンとこないかもしれないけど、中学生の娘をひとり置いてくって、かなり異様だよ。普通じゃない。それでも私がここにひとり残ったのは、私がそれまでの間、ふたりに「しっかり者の実子」の姿を見せてたから」
考えてみれば、これもこれで異様だったのかもしれない。
中学生の娘をひとり置き去りにする選択を取るほどに、実子は、しっかり者で大人びた子供として振る舞った。
頑張りすぎた。頑張りすぎて、異常事態を招いた。とさえ言えるかもしれない、と。
「香取実子はひとりでも生きていける。みんなそう思ってた。そう思われるくらい、お母さんとお父さんのために、私は頑張ってきた」
なぜなら、それほどに両親が好きだったから。家族として、愛していたから。
「でもその結果が、ひとりでも大丈夫だから置いていく、ってのはね。なんともまあ、滑稽で裏目な話だよね。私の人生、いっつも裏目と裏切りで溢れてるなぁ。まだ12年やそこらだけどね」
「1億5000万歳のオレ様からすれば、カスみたいな年齢だな」
「帽子屋さんちょくちょくそのクソデカ年齢マウント取ってくるのなに?」
「で、なんだ? 貴様は両親への愛を語って、どうしたいという?」
「いやまあ……だからその、ね。そういう愛があったからこそ、でね」
少し照れくさそうに。実子は帽子屋を見遣る。
「……私、帽子屋さんが来てくれて、嬉しかったんだよ」
嘘偽りのない。ただの一般的で普遍的な凡人の、心からの言葉だった。
「ひとりでご飯作るのって、意外とつまらなくてね。誰かと食卓を囲むのって、思ったより楽しくてね。意識してなかったけど、やっぱり“誰か”ってのは、凄く大事みたいでね」
自分ではない誰か。かつては親だった。少し前までは友だった。
そして今は、狂人だ。狂っていても、そこにいるというだけで、この空間は穏やかだった。
「いっつも家に帰ってもひとりだから。昨日はひとりでご飯を食べる、今日はひとりで夜眠る、明日はひとりで朝を迎える。ずっと、ずっとひとりだと、思ってたから」
だから――寂しかった。
たったひとりは、辛くて、悲しくて、物足りなくて。
だから私は、誰かを求めていたんだろう。父が、母が、遠くに行ってしまった、喪失感を埋めるために。
だから、あなたがいて良かった。
だから――
「――だから、あの子と出逢って……小鈴ちゃんがいてくれて、私は嬉しかった。いや、嬉しいどころじゃないな。満足して、安心できて――寄りかかってた、よね」
人は、ひとりでは生きていけない。物理的にではなく、精神的な話として。心の問題として、他者を必要とする。
香取実子はそれを嫌というほど実感した。だからこそ、誰かを求めた。
なによりそれが、必要だった。寄り添って、心の穴を埋めてくれる、優しい人が。
一度は手放してしまった。二度も手放してしまった。今は、これはこれで無二の代わりがいるが、それでも彼女の優しさは、忘れられない。
心地の良い温床が、酷く恋しい。
「貴様がマジカルベルに固執する理由は、それか」
「そだね。両親の代わりって言うと、アレだけどさ。かけがえのない友達で、絶対に手放したくない相手だったのは、確かだよ」
とても甘く、温かな世界だった。
儚く脆いが、それでも、彼女の作る和は、実子にとっては甘い汁。永遠に啜っていたい甘美なる蜜なのだ。
「あの子は、本当にいい子だから。ひとりの私に温もりをくれる。安心感をくれる。孤独を祓って楽しさをくれる。無二の存在だ」
しかしそんな彼女は、今はいない。
この手からするりと離れてしまった。
またひとり。だがひとりでは、生きていけない。錆びて壊れて廃れてしまう。
だからこそ、帽子屋には感謝している。
偶然でもなんでも、ひとりぼっちの私の、傍にいてくれることに。
「……ま、そんなとこだろうとは思っていた。健全な距離とはいえ、あまりオレ様に寄生するのはお勧めはしないのだがな。三月ウサギほど尻軽でもないが、無節操な女だ」
「…………」
「生憎オレ様は枯木だ。死に絶え絶えで栄養などカスほども残っていない。こんな死んだ奴に寄生しても、温もりも安心も楽しさもなかろうよ」
「そんなことないって言いたいけどね。まあ、あなたがそう言うなら否定は、しないよ。あなたは小鈴ちゃんとは違う意味で、儚げで壊れてしまいそうな脆さがあったから。いつ霧散するかわからないような恐怖はあったし、長く続かないんだなぁっていう予感もあった。でも、それでも、いてくれてよかったとは思う」
それとこれとは話が別なのだ。
枯木にも山の賑わい。如何に帽子屋が老衰しきった存在であれ、個人としてそこにいることに変わりはない。
冷たくても熱がある。乾いていても肉がある。掠れていても言葉を交わす。
退廃的な侘しさを漂わせても、一時の胡蝶の夢くらいは見せてくれる。
錯覚でも限葬でも、そこから受け取って生み出す実子自身の熱は、本物だ。
「ちょっとだけ、お父さんがいる気分、味わえたからね。この私の気持ちは、本物だよ」
「……オレ様が父とな。確かに出生的には、【不思議の国の住人】の
「や、そこはスルーしてよ。ハズいじゃん」
「オレ様に人の心の機微を求めるな。まあ貴様の内心は理解した。それを吐露した意図は読めんがな」
「いちおー、あなたには感謝してるんだよ? らしくないとは思うけどさ、こういうのずっとずるずる引きずったままはダメだと思ってね」
「ふむ?」
「だって帽子屋さん、いつ死んじゃうかわからないような空気出してるんだもん」
「否定はせんさ。むしろその通りだ。いつ死ぬかオレ様にもわからん、というより、既に9割以上死んでいるようなものだ」
帽子屋は、自分の服を開く。
カサカサに乾ききった肌、干涸らびた肉。胸の中心には、3本の時計針が突き刺さっている。
「前にも話したか? 『時計の針はⅥを指す』……これが、今現在オレ様の命を繋ぐ3つの楔だ」
「秒針、長針、短針、だっけ?」
「そうだ。これらはすべて「時間を固定する」力を有しているが、それぞれ刻む時間の密度が大きいほど――時間、分、秒の順で強い効力を発揮する」
「それを3本刺してるから、帽子屋さんは不老不死なんだっけ」
「女王の封印のために短針を使っていた時期もあったがな。まあ実は一本だけでもだいたいなんとかなる。3本戻った今はむしろ身体が安定しているくらいだ」
「わざわざそんな説明を今更してなに?」
「オレ様はこうして延命……いや、己の肉体時間を停止させて、寿命を誤魔化しているに過ぎん。しかし寿命は来ずとも形ある肉体は摩耗し、劣化する。ほとんど亡骸の身体だよ、これは」
触れれば崩れてしまいそうな、砂の城のような身体を、帽子屋は自嘲する。
「だから、オレ様は既に死んでいるのだ。今は生者ということにして、現世の理を欺いているに過ぎない。死人になにを言おうが弄そうが無意味だよ」
「でも、あなたはここにいるよ」
「生者のルールを逸脱して、退場していないだけだ」
「それでもあなたは、自死も選べたはず。その3本の針がなくなれば、あなたは死んじゃう……んでしょう?」
「…………」
「あなたは今、ここにいる。紛れもないあなたの意志で。それに違いはないでしょ」
「……さぁな。気が狂ってるからな。自分の意志などわからんよ」
はぐらかされた。
あるいは、本当に、自覚していないのか。自覚できないのか。
狂人故に。
「死者を自称する生者に謝辞を述べるなど、酔狂も酔狂だ。いや、オレ様が目を付けた人材なのだから、狂っていて当たり前、か。なぁ白ウサギ」
「ちょっとそこを同じにされるのは不服だなー。あとその呼び方はやめてね」
「そんなにも三月ウサギが嫌いか。エゴイストでありながらも、他者がいなくては自己が成り立たないあたりとか、非常に類似性が高いと思うのだがな」
「似てるからって、あのえっちなお姉さんと一緒にされるのは流石に心外だって。それに、私は同族嫌悪強いタイプなの」
「だろうな。あの小僧とは、随分と諍い合ったようではないか」
「…………」
実子は顔をしかめる。
あの小僧――十中八九、霜のことだろう。
「オレ様の見立てであれば、奴もまた我らと同類よ。ヤングオイスターズに連なる生存思考に近いものを感じる。効率と能率にエゴを発露させるタイプであろう」
「まあ……だろうねぇ」
「貴様にとっては蛇蝎の如く、不思議の国の虫けら共より、
「そういうのマジで腹立つからやめて」
露骨に、というより、心の底から嫌悪感を露わにした表情を見せる実子。
「あいつマジで嫌な奴だから。邪魔だし、目障りだし、鬱陶しい。遺伝子レベルでソリが合わないよ。とにかく消えて欲しい。後にも先にも世界で一番嫌いな奴」
「これは辛辣。確かに貴様は同族嫌悪が強いらしい」
「そうやって括られるのが嫌なんですけどー。まだ帽子屋さんのお仲間判定の方がマシだよ。あんな偽善罵倒野郎と一緒くたにされるのは我慢ならないね」
「元不思議の国の王としては、どちらもどちらでとんとんなのだがな。ま、個人の器量裁量なぞ知る由もない。炎と光が互いの輝きで争うように、水と草木も、世界の領地を二分するだろうさ」
「帽子屋さんの例え話はいまいちよくわかんないね」
「しかし貴様らは冷戦もかくやという水面下の熾烈さだな。それが表沙汰になった時、どれほど苛烈に爆ぜるのかは想像に難くないが、よくもまあ今こうしてのうのうとしているものだ」
「……よく言う。仲裁したの帽子屋さんじゃん」
「そうだったか? 忘れたよ」
「まあ私も推測だけどさ」
霜に敗し、気付けば彼に家に運ばれていた。その事実から、安直に結びつけただけだが、正解からはそう遠くないだろう。
そして事実、概ねその通りなのだが。
「ま、ぶっちゃけ今までは、小鈴ちゃんの手前、いい子ちゃんぶってただけだよね。あの子がいなけりゃ毎日が殴り合いのバイオレンス・ヘヴンだよ。」
「奴の名前を出すな。神経が苛立つ」
「私の嫌いな奴の話はするのに自分の嫌いな奴の話はするなってちょっとワガママが過ぎない? っていうか神経通ってるの? 帽子屋さん」
「おおよそ擦り切れたが?」
「だよね。ってか……」
「なんだ?」
「……いや、なんでもない」
あの子の名前を出すと話の腰が折れるからね。と、実子は口を噤んだ。
なにか引っかかるものがある。小鈴の前だから、霜とは暗黙の了解として休戦、もとい冷戦程度の仲となっていたわけだが。
その事実は、つまり――
「おい実子」
「なにさ帽子屋さん」
「愉快な
「あぁ、着メロ……帽子屋さんって直接ものを言わないからわかりにくいよ」
「1億5000万歳なんだ、現代社会のことはよくわからない」
「その1億歳アピール、免罪符にはならないからね?」
と窘めつつ、実子は携帯を手に取ろうとするが、そういえば携帯電話をどこぞの鼠にスられたことを思い出して、家の電話に手を伸ばす。
「はーいもしもし香取です……あ?」
「む?」
「え、は? 君なんでうちの番号を……いやいや、ちょっと待ってよ。なにさいきなり、ってかどのツラ下げて……切れたし。キレそう」
「不機嫌そうだな実子。如何なる問答があったのだ?」
「問答なんてないよ。一方的に言いたいこと言われて切られた。なんなのあいつ」
「ふむ、その様子から察するに、奴か」
「あぁそうだよ」
実子はげんなりした様子で、同時に憤慨と、悲嘆と、困惑交じりに、吐き捨てる。
「――水早君から。今から
ガッツリ実子回。
ある意味では、この作品で最も“普通”なのは、彼女なのかもしれない。