息を切らして、四人はひた走る。
もうどれだけ走っただろうか。かなり疲れてきたが、目的地までかなり近づいてきたはず。
「ユニコーンちゃん、大丈夫?」
「は、はい……ワガママ言ってついてきたんです。弱音は、吐きません……!」
「よく言ったユニ子。僕も死ぬほど眠ぃが、気合いいれねーとな」
家まで、概算して30分程度といったところ。
休みなく走り続けるこの行軍は、幼い彼らには過酷なものだが、その意気は衰えていない。
敵の枢要を相手に残ったアギリのためにもと、霜も改めて覚悟を決め、気力を振り絞り、駆けていく。
しかしそんな彼らを、謀智と運命は嘲笑う。
「愚かで安易なマラソンランナーの皆々様! 28分51秒ぶりなのです! メルちゃんなのですよ!」
満面の悪意の笑みを浮かべながら、少女は突如として現れる。
狙ったような再登場。意気を挫くように、明白な脅威が襲いかかる。
「さぁさぁ第2ステージなのですよ! テンションあげていきましょう!」
「……ひとり盛り上がってるとこ悪いけど、ボクは君」
「うーわー、空気読めねーのですね。せっかくテンションアゲアゲなのですから、そこはノるでしょ常識的に!」
「敵の御託に付き合うのはあまり常識的とは思えないけどね」
「冷めてますねぇ。この自分の主張は絶対譲らない感じ、リズちゃんっぽくてむっかつくぅ」
声を上げて笑っているが、少女のその眼は笑っていない。
仄かに、減らず口の霜への殺意が滲んでいたが、彼女はそれを務めて抑え込む。
「ま、しかし前口上ばかりでは興醒めというのは同意なのですよ。早速、今回のパーソナリティの紹介と参るのです!」
少女が虚空をなぞると、その空間がバグったように歪み始める。その崩れたような空間の奥から、何者かの影が、揺らめき、歩み寄ってくる。
――先ほどは、恐らく少女と同格だと思われる【死星団】の枢要、シリーズを放ってきた。
となれば今度もそれと同等の者――たとえば剣を帯びた白い男、ミネルヴァ。
ミネルヴァは蟲の三姉弟の長女、バタつきパンチョウを下した手練れであり、木馬バエの片腕を切り落とした冷酷な男だ。
人数の差など気休めにもならない。彼と戦うというのであれば、相応以上の覚悟を以て迎え撃たなくてはならないだろう。
しかし、だ。順当に考えたら、そうであっても。
そんな月並みでありきたりで意外性のない予想を、少女は好まない。
奇をてらい、吃驚させ、期待を裏切り、面白おかしく演出することこそ、彼女にとっての愉しみ、悦び。
虚空から現れるのは、彼らでは予想し得ない人物――
「【死星団】、Ⅴ等星、シリーズ・コレー――同じ事を繰り返すことに異論はないけれど、この名を名乗る必要性はやはり感じないわね」
――シリーズだった。
ここにいるはずのない存在に、さしもの霜たちも、愕然とする。
「な……!? 嘘、だろ……?」
「ゴリラ女! てめぇ! アギリの野郎とやりあってんじゃ……!?」
「まさか、お兄ちゃん……!」
「くふふっ。ま、色々思うことはあるのでしょうけれど、あたしたちはあなた方からすれば埒外というものですので! 続けてワンモアお変わりなくおかわりというこで、リズちゃん再登場なのです!」
今まさに、アギリと戦っている最中のはずの、シリーズ・コレーが、ここにいる。
考えたくはないが、アギリがやられた、ということは考えられるケース。
それにしたって、こんなにも早く追いつくなどとは……否、彼女たちは自ら言っている。埒外の存在である、と。
人間の時間も法則も常識も概念も、通用しなくても、おかしなことなどない。
「というわけで、第2ステージにしてラストステージ! こっから先は誰も通さないつもりなのですけど、あなたはどうするのです? 水早霜さん?」
「…………」
「最初に言ったですけど、あなただけは通すつもりなのですよ? これはただの遊びですし、そこの邪魔な雑魚どもをあしらうついでの手慰みのようなものなのです。だから、あなただけは、何事もなく通してあげるのです」
「……しつこいな、君は。同じ手を二度も。芸がない」
敵の言うことを鵜呑みにするのも危険だが、本当に相手がそのつもりだと仮定すると、相手の手に乗るというのは、今回の作戦の目的を考えれば合理的ではある。
霜ひとりでも辿り着ければ、作戦は果たされる。それは何度も確認し、そのための盾として、アギリや眠りネズミはいるのだから。
だから、霜ひとりだけでこの場を抜けるというのは、本来の目的からすればなにも問題はない。
しかし同時に、また同じ問題を突きつけられることとなる。
「ボクに、彼らを見捨てろって言うんだろ」
「……くふふっ」
さっきのアギリの時と同じ手口だ。自分の手で選ばせて、仲間を見捨てさせるか、目的を潰えさせるか。
しつこい。意地が悪い。ねちっこい。まったく同じ手口で甘言を囁く、性悪の魔性だ。
何度も同じ選択を繰り返させて、揺さぶりをかけようという魂胆なのだろうが、
「行けよ、ソウ」
「ヤマネ……」
「さっきはアギリの野郎に譲ったが、僕もあのゴリラ女にゃちっとばかしの借りがある。ここでぶっ飛ばせるならチャンスってもんだ」
拳を握り締め、意気揚々と進み出る眠りネズミ。
ただ一度、叩き伏せられたことが相当彼の癇に障ったらしい。
だがことこの場においては、それだけではない。
眠りネズミは、霜の背中をバシンと叩く。
「いった! な、なんだよ?」
「僕が、アギリの奴が、身体張ってうだうだ言っても、お前が最後に全部決めないと話になんねーんだ……じゃねぇ。眠くて頭回んねーや。まあつまりだ」
言の葉を選ぶだけの頭がない。故に眠りネズミは、心で、思考を介さない情動だけで紡ぎ出す。
思索も思惑もない、ただの感情だけの言葉は、まっすぐに、霜を打つ。
「漢見せてこい、ソウ。ダチとケリつけるんだろ?」
「…………」
単純で、まっすぐで、熱くて。
あまりにも純粋だった。まともに受け止めるのも、躊躇うほどに。
「……あんな奴、友達じゃないよ。世界で最も友達になりたくないクソ野郎だ」
だからだろうか。霜は思わずそんな風に吐き出してしまう。忌憚のない本音を零す。
「だが、君の言う通りだ。ボクはあいつとの関係を糾し、
彼がこうして激励し、背中を押してくれているのだ。悪意だけなく、すべての本音を、曝け出す。
「……ありがとう、ヤマネ。君と出会ったのは偶然だし、拾ったのは気の迷いだったけど……君と会えて、ここまで君がいてくれて、良かったよ」
「おう」
短い返事。それだけで、十全に伝わってくる彼の心意気。
友と呼ぶのであれば、これから会いに行くあいつより、彼の方がよほど友として出会えて嬉しい相手だ。
「……なーんか、うちら置いてけぼりで友情バリバリなんですけど。この蚊帳の外感、ちょっと不快」
「でも、ネズミのお兄さんが楽しそうで、ユニはちょっと嬉しいですよ」
「小学生組コミュのことはさっぱり。ま、やる気あるなら文句はないけど」
眠りネズミの意気に触発されたわけでもないだろうが、狭霧もまた、一歩前に出る。
「ここから先は、その女装野郎以外は進ませない……んだっけ? ってことは、そこの出戻り女だけじゃないんでしょ」
「お、さっすが。腐ってもヤングオイスターズの一角なのですね、お鋭い!」
少女が再び虚空をなぞると、電磁のような閃光が小さく瞬く。
すると背後で、ぐちゃり、と不愉快な音が響いた。
嫌な予感を覚えながら振り返ると、そこにあったのはおぞましいほどの黒い肉塊。
海藻のように触手が纏わり付いたそれは、一見すると生物かどうかさえわからない怪物だが。
狭霧だけは、その姿を忘れていなかった。忘れるはずもなかった。
なぜなら、それは、
「お、お姉ちゃん……!」
――若垣綾波。『ヤングオイスターズ』の長女、だったものだから。
「……あれが君の姉だって? 話には聞いていたけれど、これは……」
「うぅ、怖い、です……」
同胞を飲み込み、もはや完全に【死星団】の手先へと成り下がってしまった、若牡蠣の長。
虚な瞳は狂気に満ち、弟に次ぎ、今度は妹だった少女へと牙を剥く。
「お兄ちゃんのデッキもない……正直、うちの力だけで、お姉ちゃんに勝てる気はしないけど……」
兄でさえ敵わなかったのだ。理屈で考えれば、より格下の自分が勝る道理はない。
しかし相手は、姉だ。姉だったものだ。肉体も、精神も、魂も、尊厳も、なにもかもが犯された、狂気のなれの果てになってしまったものだ。
それを相手にして、同じ『ヤングオイスターズ』である者として、黙っていられるはずもない。
「ほんっと、あのガキってば嫌な奴。お兄ちゃんの時もそうだった。うちが情に絆されるってわかってて、お姉ちゃんを連れてきたんだ」
「くっふっふー。さぁて、どうでしょう?」
「わかりきってるものをすっとぼけるのもムカつく。でも、こんなの、やるしかないじゃん」
元より逃がすつもりなどないのだろうが、逃げ道の塞ぎ方がとことん嫌らしい。
“逃げられない”ではなく、“逃げたくない”状況を作らせて、自分の手で選択させて、破滅に向かわせる。
自分自身では手を出さず、舞台を整え選択肢だけを投げつけ、踊らせる。なんと悪辣で狡猾なのだろうか。
「…………」
「おっと、敵がふたりだからって、ふたり残ればいいというのは浅はかな考えなのです。そこのおチビさんも逃がすつもりはないのですよ。あなたは矮小で惰弱で有象無象の末端なので、観客として眺めていて貰いましょうか」
「あ……あぅ……」
様子を窺っていたユニコーンを制する。やはり本当に、霜以外を通す気はないようだ。
「はっ! 能書きはもう十分だろ。てめぇのステージに乗ってやる! それでお互い満足だろうが!」
「別に満足じゃないし、不本意だけど、仕方ないわね。ユニコーンちゃんは下がってて」
「は、はい……」
「ソウ! てめぇもとっとと行けや!」
「あ、あぁ……」
また背を叩かれる。眠りネズミは小柄なので、それほど力が強いわけではないが、少し痛い。
しかし彼らが身体を張ってこの場に残る以上、それがたとえ繋がりのないことになったとしても、霜は彼らの意を汲むために走らねばならない。
今度こそ、霜は止めた足を踏み出し、駆け出す。
「……本当に、ありがとう」
眠りネズミに一瞥し、水早霜は、駆け抜けていった。
「……さーて、そんじゃあ始めっか! 覚悟しやがれゴリラ女! この前の借りと、アギリの野郎の仇討ちもセットにしてやんぜ!」
「なんのことかしら」
「すっとぼけてんじゃねーぞ! あん時、山でぶっ飛ばされたのも忘れてねぇからな!」
「……“彼女”に叩き伏せられたのね。矮小な火鼠であれば、猛き大きな獣に踏み潰されるのは、当然の摂理よ」
「なに他人事みてーに……相変わらずわけわかんねー女だな!」
しかし、すべきことは明白だ。お互いに、なにをするかはハッキリしている。
それは狭霧の方も同じこと。ただ愚直に、当然のように、決まり切ったルールに従わされるのみ。
「いやぁ、ここも楽しくなってきたのです! でもこの場はリズちゃんに任せて、あたしはメインディッシュを特等席で観劇させて貰うとするのですよ」
そして、ここまで引っかき回して舞台を作った本人は、霜の後を追うかのように姿を消した。
「分神ひとつも置いていかない。ダーク・サルガッソーだけを置いていったわね……気を遣ったつもりかしら」
「あん? なに言ってんだてめぇ」
「種は蒔かれた。萌芽の時が来た。私の世界が――開かれた」
答える言葉は詩のように。
事実は言の葉より雄弁に。
世界は、理と共に、塗り変わっていく。
「此なるは邪悪と邪淫に冒された、獣の演奏響く暗闇の森――『
ハッと、彼らは気付いた。
――暗い。
まだ早朝にも拘わらず、空が木々や暗雲で覆われたように、暗く感じる。
それだけではない。足下には鬱蒼と草が茂りつつあり、樹木が伸びる。
コンクリートで舗装されたはずの道が、徐々に、森へと侵蝕され、変わっていく。
異様な光景が、広がっていた。そして、広がっていく。
「……んだこりゃ。三月ウサギみてーなくせぇ臭いだ。甘ったるくて、澱んでて、気色悪ぃ。ヘドが出るぜ」
理屈も理由もわからないが、とにかく今が異常であることだけは察する眠りネズミ。
しかしだからといって、やることが変わるわけでもなく。そして、その異常を気にするような性格でもなく。
世界の異常性なんぞよりも、目の前にぶん殴りたい相手がいる。眠りネズミにとっては、それだけで十分だった。
(つってもアギリの野郎を倒してるんだよなコイツ……マジでやられたのか? あいつ)
長女が健在だった頃はあまり目立つ存在ではなかったが、彼は『ヤングオイスターズ』の二番目、長男だ。ある意味では姉以上に冷静で、切れ者で、情に厚い。純粋な強さも、姉に引けを取らない。眠りネズミもそれは察していた。
そんな彼が、相手がどれだけ驚異的な存在とはいえ、これほど短い間に倒されるなどとは信じられなかった。
(なーんかある気がするんだよなぁ、コイツ。いや、んなもん関係ねぇな。とにかくぶっ飛ばせば同じだ!)
奇妙な違和感を覚えながらも、そんな憂慮は吹き飛ばす。
黒い森に包囲された彼らもまた、狂気の渦中にありながらも、戦い、抗わされるのだった。
昔のような一話完結形式の方が良かったかと思いつつも、今章の展開的に、毎話対戦を一回分挿入する、といった決めごとの枠内に収められる気もしないので、今の形が現状書きやすいのも確か。