「それでは参るとしようか。ディジー、準備はいいか?」
「そりゃ当然」
白と黒の男がふたり。
小さな少女を連れて出立する。
目的は少女を守ること。より正確に言えば、護衛だ。
旧不思議の国。シリーズの手で、【死星団】の新たな拠点に作り替えられている最中の場所へと、彼女を護送することが、このふたりの目的。
少女はなにを言うでもなく、黙したままふたりについていく。
町へと降りる時、黒い方が制止をかけた。
「待て」
「どうした、ディジー」
「念のためだ。俺が偵察に行こう。町にゃ不思議の国の残党やら、マジカル・ベルの仲間やらがいるだろ? そいつらと下手に相対すると面倒だ。今は姫さんもいることだしな」
「成程。もっともな意見だ。ならば斥候を任せよう」
「あいよ。んじゃ、ちっと待ってくれな」
黒い影は、溶け込むように姿を消す。
そして残されたのは、ミネルヴァと、姫と呼ばれる少女。
「姫。お加減のほどは如何でしょうか?」
「…………」
「気分が優れないようでしたら、直ちにお知らせください。至急、シリーズかメルクリウスを呼び戻します故」
「…………」
少女は口を閉ざす。
悲しそうに、悔やむように、どこでもないどこかを見つめている。
(覇気がない。それ自体は彼女と謁見してから変わらないことだが、どこか、浮ついているというか……いつもと雰囲気が違うような……)
シリーズであれば、彼女の微細な変化も捉えるのかもしれない。もっとも、その変化を知覚したところで、彼女の口から語られる言葉を解釈することが難解だが。
しかし、もしなにか異常ががあれば大事だ。大神の依代たる彼女を傷つけるわけにはいかない。
(メルクリウスには困ったものだ。しかし彼女の機嫌を損ねても厄介……本当に、困ったものだ……)
あまつさえシリーズもメルクリウスに付いていってしまったようだ。
どう考えても、姫の安全を保証する方が大事で優先するべきだろうに、個人的な事情を優先させてしまうのは如何なものか。
ミネルヴァは大きく溜息を吐く。
(ヘリオスよりはマシとはいえ……いや、奴と比較するのは酷だな)
今頃、ヘリオスはなにをしているのだろうか。町に出て遊び呆けているのだろうか。そうなのだろう。
シリーズ曰く、それがヘリオスに与えられた役割だそうだが、個人の役割をまっとうすることが、総体としての役割を放棄することの正当性になるとは思えない。
姫を守護し、女王を目覚めさせる。それが【死星団】のあるべき姿のはずだというのに。
(やはり一度、ヘリオスには灸を据える必要があるだろうか。他の仲間達の手前、殺傷沙汰にはしたくなかったが、奴ならばそのくらいでなければ認識を改めないだろう)
内心でそんなことを考えつつ、周囲への警戒は怠らない。
しかし、外へと意識を向けすぎていたかもしれない。だからこそ、だろうか。
気付くのが――遅れた。
「……?」
猛烈な違和感。悪寒のようなものが駆ける。なにか、大事なものが流出していくような不快感がある。
これは、これは――
「……姫。ほんの僅かな時ではありますが、あなたをひとりにすることをお許しください。少々……我が国でトラブルが起こったようです。すぐさま戻ります故、ここでお待ちください。」
ミネルヴァは少女にそう言い残すと、歪んだ空間に消えていく。
ひとり残された少女は、恋しそうに町を見下ろす。
「こす……さん……」
掠れた声で、誰かの名を呼ぶ。
それはすぐに霧散してしまう。自分にさえ届かない。響かない。
太陽が高く、眩しい。そこにできる影は黒く、濃い。
そんな漆黒の中から、影が、伸びる。
「さぁて――ミネルヴァの野郎は消えたな」
先ほど、斥候に向かったはずの彼は、なぜかそこにいた。
さも当然のように、最初からそうであったかのように。
彼は少女へと歩み寄る。
「仕込みは上々。あとはあいつらが、どれだけ粘れるかだな」
そして、少女へと、向き直る。
少女は微かな希望の光を宿して、彼を見つめていた。
「そんじゃ姫さんよ。ほんの僅かな時ではありますが、だ」
ミネルヴァの言葉を借りて、男は笑みを浮かべる。
優しい、とはとても言えない。けれど邪悪、とも言えない。
黒い、けれどもなにか強い決意、信念、野望を湛えた眼で、彼は告げる。
「――あんたを逃がしてやるよ。マジカル・ベルのとこまで行ってきな」
ちらちらと裏で動いていたディジーが、遂に本格始動。
――の前に、ミネルヴァの王国内部の話が挟まります。