「姫の容態はどうだ? シリーズ」
「落ち着いているわね。ひとまずは大丈夫でしょう」
森の寝台、泥のように眠る代用ウミガメ。
シリーズによると、先のマジカル・ベルとの交戦で、体力、気力ともに消耗してしまい、ちょうどそのタイミングで女王の“脈動”があったのだという。
それは即ち、女王の目覚めが近づいている証左であった。
「であれば良いのだが、よもや外、しかも我々の目を離した隙に覚醒が進んでしまうとはな……とんだ失態だ」
「まったくだ。しかも兎も一匹逃がしたんだろ?」
「そうだ……返す言葉もない」
ディースパテルの指摘に、ミネルヴァは苦々しく顔をしかめる。
「まあそれに関しちゃ、俺も外への警戒ばかりで、姫さんの単独行動ってのは考えてなかったからな。お互い様だ」
「でもさー、ほーんと、バッカみたいだよねぇ。いっつも僕にぐちぐち言うわりには君だってなにもできてないじゃないかミーナ」
「……ディースパテルの諫言ならばいいだろう。しかしヘリオス、貴様に苦言を呈される覚えはないぞ」
「そう?」
キョトンと首を傾げるヘリオスに、ミネルヴァは声を荒げる。
「そうだヘリオス! 貴様こそ、当時どこぞへふらりと消え去っていたではないか! 招集はかけたはずだ、どこへ行っていた!?」
「わぉ、鬼の形相。それだよそれ、ミーナってば、いっつも僕を怒鳴りつけるじゃん。うるさくて耳が痛いんだ」
「誰が原因だと思っている! まったく貴様という奴は……!」
「まあ落ち着けよミネルヴァ」
今にも剣を抜きそうなミネルヴァに、ディースパテルが仲裁に入った。
「こいつはこういう奴だ。構うだけ馬鹿を見る」
「そうだよ、ミーナも馬鹿になるよ」
「安心しろ。貴様より馬鹿になることはない」
「ならいいんだけどさ」
「なぁヘリオス、せめて自分が罵倒されていることくらいは非難したらどうだ?」
「?」
「ほんとお前は……まあいい。んなことよりミネルヴァ、件の逃がした兎だが」
「あぁ、そうだったな。本来ならば、私がけじめをつけるべきことだが……」
「わかってる、俺が引き受けてやるよ」
「すまない」
「え? なに? なんのこと?」
「……なんでもない。貴様は黙っていろ」
「そんなこと言わないで教えてよー、僕らの仲じゃないか。ねー、ミーナー!」
「えぇい鬱陶しい! 離れろヘリオス!」
ベタベタと寄りついてくるヘリオスを、ミネルヴァは押し返す。
――以前、ミネルヴァの異聞神話空間『光の神殿・愛護の契』にて、脱獄者が現れた。
ふたりの脱獄者のうち、片方は捕えたが、もう片方、三月ウサギは逃してしまったのだ。
流石にこの事態を重く見て、ミネルヴァは先延ばしにしていた穿たれた国壁の修復を開始。そして脱獄を果たした三月ウサギの再捕縛も考えていたのだが、国壁の修復中に外に出て交戦するわけにもいかない。
加えてディースパテルから「自陣防衛であればお前の方が適任だろうさ。俺の異聞神話空間は、あんま守りに向いたタチじゃねぇしな」との言もあり、ミネルヴァは三月ウサギの追補をディースパテルに委ねたのであった。
「……ところで」
ヘリオスの頭蓋を剣の鞘で叩き伏せつつ。
この場にいる面々――シリーズ、ヘリオス、ディースパテルらを見回す。
「メルクリウスはどうした?」
「メルならさっき部屋に籠もってたけど」
「お呼びなのです?」
「あ、出て来た」
どこからともなくひょっこり顔を出す青い少女。
その表情はどこか楽しげであった。そして彼女が楽しそうということは、なにか企んでいるということだ。
「メル、君はなにを?」
「なにって、準備なのです!」
「準備?」
「なのです。ほら、いよいよあたしたちのこと、マジカル・ベルちゃんたちにバレちゃったじゃないですか」
「そうだな……彼女は姫にとっても大きな存在。できれば直接の接触を避け、ギリギリまで隠蔽するつもりだったが……」
「まあ色々イレギュラーだったわな。しゃーねぇ」
「なのです。まあやっちまったことはどうしようもないので、ここはその後の対処法を確立させるのが建設的というものなのです」
「へー、そうなんだ」
「きっとあちらさんのお目当てはお姫さまなのです。そして、それがこちら側にあると知ってしまった。こうなったら向こうも必死になると思うのですよね」
「だろうな」
「なので! そろそろこちらも仕掛けるべきだと思うのです!」
「……マジカル・ベルを、狩る、か」
ミネルヴァは神妙な面持ちで、メルクリウスを見遣る。
彼自身はメルクリウスを否定しない。けれど、乗り気ではない様子。
それに、なにより。
「姫は、それを望まない」
代用ウミガメの苦悩、葛藤、二律背反。
それは同胞を、仲間を、友人を、許せないと、報復したいと思う反面、彼ら彼女らを傷つけたくない、守りたい、一緒にいたいという矛盾も孕んでいる。
その中でも、『イカレ帽子屋』と伊勢小鈴への葛藤は、一際強い。故に【死星団】では、その結論を自分たちが下すことはできないと、暗黙の了解が敷かれていた。
しかしそれを、メルクリウスは遂に打ち破る。
「確かにお姫さまのお気持ちを踏み躙ることになっちゃうのですが、しかし同時にあの子を迎え入れたいとも思っているのです。保守だって“選択”なのですよ、ミーナさん。究極的に、論理的に、なにかを“選ばない”ことは不可能なのです。選ばないという選択を選んでいるのですから。そしてなにかを選択するということは、なにかを蔑ろにすること。マジカル・ベルちゃんに不干渉でいるということは、彼女を迎え入れないということでもあって、それもまたお姫さまの意向に反することなのです」
「…………」
「ま、そうだな。結局、世界は取捨選択。先延ばしにしたって結論は同じだ。そうすることと、そうしないことは、表裏一体だな」
「なのです! それに、お姫さまのお気持ちとして、その矛盾論理を読解するのは困難なのです。なぜなら、どちらの欲望を優先すべきか、判断基準が欠落しているから。であればそこは、合理性で決めるべきなのです」
代用ウミガメの意を汲む、という第一基準が判断を下せないのであれば。
第二基準。自分たちにとってそれが有益か、有効か、という判断を下す。
理路整然としていて、合理的だ。ミネルヴァは、その論理を否定できない。
「どうせみんな蒐集するのです。なら邪魔されないうちに、安心安全確実なうちに、そうしておくのが最善ってもではないのですか?」
「……一理ある」
「それは認めてくれるってことで、おっけーなのです?」
「あぁ……そうだな。確かに姫が決定できぬことなら、他の誰かが決断せねばなるまい。ならばその役目は、我々が負うほかないのも事実。いいだろう、マジカル・ベルの捕縛は君に任せる、メルクリウス」
「いぇーい! 言質取ったのです!」
メルクリウスの進言を、ミネルヴァは認める。と、いうよりも、屈してしまう。
彼女の性質、滲み出る、隠しきれない邪悪さ。笑顔の裏側で考えている策謀、悪巧みは理解しているが、ミネルヴァにはそれを止められない。
メルクリウスの言っていることは正しい。秩序を重んじるミネルヴァでは、“正しさ”には抗えない。
それをわかってやっているあたり、メルクリウスは賢しく、悪辣であった。
「まああんま心配するなよミネルヴァ。流石にデカいヤマだからな、今回は俺も付いてる」
「なのです! ほどほどに頼りにしてるのですよ、ディジーさん」
「あぁ、まあ、ほとんどお前ひとりで全部やっちまいそうだけどな」
「……ディースパテルもいるのなら、そうだな。その件は全面的に君たちに任せよう」
メルクリウスに不安こそあるが、ディースパテルが目付役となるのであればと、ミネルヴァは大きく頷いた。
「くふふ、これでいい感じにチーム分けできたのですね」
「そうだな。俺とメルクリウスでマジカル・ベルをはじめとした残党を狩り尽くす。その間の守備はお前とシリーズの役目ってこった」
「異論はない。シリーズ、いいな?」
「えぇ」
「……あれ? 僕は?」
「お前はひとつのポジションに留まれないだろ。好きにしろよ」
「そっか。オッケー!」
「こいつは本当に、扱いづらいのか扱いにくいのか」
恐らくなにもわかっていないヘリオス。なぜか妙に楽しそうだった。恐らく、無意味に感情が昂ぶっているのだろう。
こういう状態のヘリオスこそ、動きが読めないため、敵味方関係なく厄介なのだが……と、ディースパテルは嘆息する。
「それじゃーディジーさん、かるーく打ち合わせでもするのです。あたしのアトリエへどうぞ!」
「ん、あぁ。そうだな。んじゃそういうわけで、なんかあったら呼んでくれ」
「任せたぞ」
「じゃーねー。お土産よろしくー」
「遊びに行くんじゃねーんだぞ。てめぇと同じにすんな」
ヘリオスを軽く流しながら、ディースパテルはメルクリウスの異聞神話空間――“模様替え”された『空想錬金工房 愚者の海』へと足を踏み入れる。
(さて――仕込んどくか)
ヘリオスには強気なのに、メルクリウスには逆らえないミネルヴァ氏。