メルクリウス・エノシガイオスの異聞神話空間――『空想錬金工房 愚者の海』
最初は十数メートル四方の小さな実験室でしかなかった世界は、メルクリウスが外界から様々な意識を吸収することで、大きく、強く、成長していく。
そしてメルクリウスは、吸収した知識を使って、自分の世界を思うがままに作り替えることができる。
実験室にもなれば、スタジオにもなる。観測基地にもなれば、冒険の舞台にだって。
どんなファンタジーでも、スチームパンクでも、サイエンスフィクションでも、思うがまま。
空想を錬成する工房。それがメルクリウスの異聞神話空間の性質。
そう、ここは彼女の箱庭なのだ。如何なる世界をも創造できる、理想の王国。
この世界の中心。即ち管理室にて、メルクリウスはにまにまとモニターを眺めていた。
虚空に浮かぶ電影。画面に映るのは、メルクリウスが創り出した水没した海底都市群――『幻想海洋都市ティマイオス』
そこで量産型メル・アバターと交戦しながら、必死に仲間達を探すマジカル・ベルとその他大勢の姿だった。
「くっふっふー、うーん、これは神枠。マジカル・ベルちゃんとその他大勢の捕縛放送なんて激レアコラボは見逃せないのですね。ちゃーんと今回の枠はアーカイブ取ってアップするのですよ! ちょっぴり編集しつつも生のまま完全再現版でお送りするのです!」
「それ再現版って言うかぁ? どう考えても天然物じゃなくて加工してるだろ」
「おやおやディジーさんなのです。どうなのです? あたしの傑作は!」
「お前の趣味はさておき、戦略的には上々じゃね? 俺の出る幕ないかもな」
「もっちろん、ディジーさんのお手を煩わせるまでもないじゃないですかー。ま、ヤバい時はお手伝いしてもらうのですけど」
「楽できるならそれに越したことはねぇな。俺にゃそんくらいがちょうどいい」
ディースパテルは『ティマイオス』の様子をモニターで眺めつつ、視線を“外”に向ける。
「しっかし、お前も性格悪いよな」
「なにがなのです?」
「そのやり方だよ。お前がやってんのは対戦ゲームじゃねぇ、無双ゲーだ。どう足掻いても勝てない無理ゲー押し付けてるようなもんじゃねぇか」
「……くふふっ。そうですね」
メルクリウスは、一切悪びれず、さも当然であるかのように言う。
「そう、海中都市にいる限り、彼らはどんな望みも叶えられない。あたしの元には辿り着けない。絶対に、この――」
メルクリウスは画面を切り替える。
そこに映るのは、広大な海。
しかし透明感ある蒼い海ではない。
無数の光が点在する、漆黒の暗闇が支配する、深海よりも過酷で冷たい、恐怖と狂気の世界。
即ち――宇宙。
「――『現創星間都市
そこは、海中都市から遠く離れた場所。
海から抜け、大空を越え、成層圏を抜け、その先――遥か彼方の宇宙に浮かぶ、巨大人工衛星群。
それこそが、メルクリウスが座する本拠地『現創星間都市クリティアス』だった。
『幻想海洋都市ティマイオス』は、その名の通り幻想でしかない都市。そこには、現実のメルクリウスはいない。
そこはメルクリウスが、マジカル・ベルらを殲滅する遊びするための箱庭。
『空想錬金工房』内に創り出したのは、海中都市などではない。果てこそあるが、メルクリウスが吸収した膨大な知識を総集結させて生成された小宇宙。
そこに地球のモデルケースを生成し、擬似的な文明を発生させ、海水で満たした。それが『幻想海洋都市ティマイオス』。
つまりこの異世界は、海中都市だけでは終わらない。その“外”がある。
それこそが、海の星を内包する小宇宙。そしてそこに浮かぶ『現創星間都市クリティアス』。
本物のメルクリウスは、遥か高みの星間都市から、それを眺めるだけ。
決して届かない安全圏から、彼らの抵抗を弄び、嘲り、蔑む王者の席だ。
「あたしの箱庭は完璧なのですよ。『ティマイオス』から『クリティアス』に行きたいなら、大気圏突破して、宇宙空間で活動できる身体じゃないと。そこまでやってくれないと、あたしの元へは辿り着けない……うーん、我ながら完璧なのです!」
「……お前、俺なんぞよりよほど邪悪だよな」
「褒め言葉として受け取っておくのですよ。ま、これは喧嘩じゃなくて戦争なのですし? 正々堂々なんてクソ喰らえ、万全に備えた方が勝つのは当然なのですよ。策略で負けてる奴は全員負けなのです」
「お前の性格の悪さには舌を巻くが、その考え方は実に俺好みだ。確かに正々堂々同じ土俵で戦ってやる義理はねぇし、備えた奴が有利を取れるってのも事実。戦いにすらさせないってのが、戦いの攻略法ってな」
「さっすがディジーさん、わかってるぅー!」
「それはそれとしてお前の悪辣さは普通に引く」
「えぇー? ちょっとくらい闇と病みがあるくらいが、女の子は魅力的ってもんなのですよ? 二面性、それ即ちギャップなのです! キャラ人気のコツなのですよ? JK?」
「お前のはただ性格悪いだけなんだよなぁ」
もっとも、相手の土俵で戦う以上、アウェーの不利はあって当然。地の利を生かすのもまた当然だ。
性格そのものは末期なまでに最悪だが、戦術としては正しい。付け入る隙の無い、完璧な布陣。
だからこそディースパテルは安心して見ていることができる。
準備万端であるほど、自分の身が安全であるほど、メルクリウスの自尊心は高まっていく。
自分の策略は完璧だと驕る。
実際、海中都市にいる彼女たちでは、メルクリウスを倒すどころか、本体に手が届くことすらないのだから、その高慢は正しい。
しかし正しすぎるからこそ、突き崩す価値があるのだ。
どこで仕掛けるべきかと、ディースパテルはメルクリウスの背後で、彼女を睥睨する。
そんなディースパテルのことなど露知らず、メルクリウスはモニターに齧り付き、邪悪に楽しそうに、目を輝かせていた。
「くふふっ。さてはて、皆々様、頑張ってるようでなにより。存在しないあたしを探して、なんの意味もないのに必死に戦って、バッカみたい! 一生無意味なことして、朽ち果てるまで無駄なことして、ゴミのように消えていくのですね! 愉快愉快なのです」
「いやこいつほんと性格悪いな……人をドン引きさせる天才かよ……」
「なにか言ったのです?」
「いやなんも」
メルクリウスのことなので聞こえているだろうが。聞こえていなくても、その気になれば音声ログを辿って再生できるだろうが。
しかし今の彼女はよほど上機嫌なようで、ディースパテルが多少毒づいた程度では気にも留めない。
(ここにヘリオスでもいれば、すべて滅茶苦茶にして楽なんだがなぁ)
メルクリウスと、ついでにミネルヴァを激怒させるなら奴が適任だが、さしものディースパテルでも、気まぐれの権化であるヘリオスを操るのは困難を極める。今日もバイトだか買い食いだかでどこかへふらっと消えてしまった。
「ところでディジーさんは誰が最後まで生き残ると思うのです? せっかくなので賭けしないです?」
「あ? おいおい、これはてめぇのゲーム盤だろうが。出来レースになったら賭けが成立しねぇよ」
「まあまあ。お喋りのネタくらにはしてもいいでしょう。ちなみにあたしは、王道のマジカル・ベルちゃんなのです!」
「お前にしてはまっとうだな。もっと大穴狙っていくと思ったが」
「ゲームも舞台も、外しすぎると寒いってもんなのですよ。王道のメインディッシュ、主役格という認知は汲まなければならないのです。」
パネルを操作し、画面をマジカル・ベル一色に切り替える。
ちょうど、量産型メルクリウスの一機と交戦しているところだった。
「それになんかおっぱい大きくてムカつくし、最後まで嬲って辱めて犯して、狂わせてから溶液に漬け込んでみたら、最高にいい声で泣いてくれそうなのですし。そういう意味でも一番のホープなのですね」
「それ姫さん的にはどうなんだろうな……」
「殺してないのでオッケーなのでーす!」
「そうかぁ? そういう問題かぁ? 倫理って難しいなぁ」
「でも一番頑張りそうで、だからこそ虐め甲斐あると思うのですよね」
「まあ姫さんにとってもデカい存在だからな。お前の悪趣味はさておき、注目株と言えばその通りだ」
「なのです! だからちゃーんとチェックして……ん」
「どうした?」
「……いえ、なんでも! こんなの誤差なのですよ!」
ディースパテルとの会話を打ち切って、メルクリウスはモニターに意識を戻す。
「……なんなのです? こいつら?」
交戦中の量産型メルクリウス。既に数機、撃破されている。
それ自体はなんの問題もない、想定内のことだ。しかし、その撃破状況に、僅かな違和感があった。
「これはまさか……確認確認、なのです。ちょいとアングル調整、っと」
射角を下向きに調整。いわゆるローアングル。ほとんどスカートの中を覗いているようなものだが、当然ながらメルクリウスの目的はそれだけではない。
「わぉ、お子様のくせにエグいの履いてる……じゃなくて。えぇ、なにこの人。こっちも、この人も、みんな……? なんで?」
他の人物も並列して確認。やはり、そうだった。
ほんの僅かな想定外。それが与える影響なんて、無にも等しい微々たるものだが。
予想できなかったという時点で、メルクリウスの自意識を、微かに曇らせる。
疑念と不満を込めた眼差しで、メルクリウスはマジカル・ベルの脚を凝視する。
そこに巻き付けられたホルスターにセットされた、いくつもの箱を。
「あなた方、なんでそんなに――たくさんデッキ持ってるのです?」
☆ ☆ ☆
「6マナでNEO進化!」
こんな戦いを、いつものように、なんて思いたくはないのだけれど。
それでもやっぱり、今までそうしてきた、という積み重ねがあるわけで。
それはわたしの中で少しずつ積み上げてきた力で、わたしを象徴するシンボルだ。
これを標に、わたしは力を振るう。
みんなもだいたい同じだと思う。そういう自分の中の基準や、嗜好や癖があって、それを基盤としている。
だからこそ、経験に基づく強さがあるのだけれど、だからこそ、その手が読まれるとあの人は言った。
なので、少しだけ時間を巻き戻してみましょう。
少し前のわたしを、もっと前のわたしを、最初の頃のわたしを、思い出して。
デッキを、組み替えてみよう――
「――《魔法特区 クジルマギカ》!」
普段なら、《コギリーザ》を出すような状況。
だけど今ここにあるのは、随分長いこと使っていなかった、かつての切札――《クジルマギカ》。
使い方が《コギリーザ》とちょっと違うから、少しだけこの子のための調整をして、久し振りにその力を借りた。
久し振りでちょっと慣れないけど、やっぱり頼もしいね。
「ふぅ……次は、これ」
目の前のひとりを倒して、またすぐに次の子が来る。
すぐにデッキを仕舞って、別のデッキを取り出す。
あの人の言う通りなら、たぶんもう気付いているはず。だから隠さない。
墓地は使わず、マナを伸ばして、青、赤、緑。
「《ハムカツマン》を進化! 《超電磁コスモ・セブΛ》!」
「なんだか懐かしい顔だね」
「うん。そういう作戦だからね」
いつもと違うデッキ。そして、昔の切札を動員した、複数のデッキ。
これらは全部、ディースさんから伝えられた作戦だ――
☆ ☆ ☆
「――処理落ちさせろ。メルクリウスを潰すにはこれしかない」
「処理、落ち……?」
どういうことなのかさっぱりわかりません。
ディースさんは、咳払いして、改めて説明してくれる。
「前にも話したが、メルクリウスは外界からあらゆる情報を吸収し、それを自分の力にする。この成長が進めば、Ⅰ等星のミネルヴァさえも凌駕する力になるだろう。成長が進めば、な」
「え、えーっと、逆に言えば、まだ成長していない段階ならそこまで強くない……?」
「その通り。加えて奴は、非常に高慢だ。すぐ調子に乗るし、自分が最強だと信じて疑わない高飛車女だよ」
なんかえらく酷い物言いだった。
わたしはメルクリウスって子とちゃんと会ったことはないけれど、ディースさん曰く、すごくプライドの高い子みたい。
「奴は自分の力を過信している。だから奴は、なんでもかんでも自力で解決しようとする悪癖がある。突くならそこだ」
「えぇっと……慢心した隙を突くってことですか?」
「そうなるな。もっとも奴の性格上、大事な時こそ安全圏で引きこもるだろうから、崩壊の一手は俺の方で用意する」
「その隙を作るのがわたしたちの役目、ってことですか。でも、どうすれば?」
「メルクリウスの厄介なところは、滅多に真っ向勝負をしないこと。自信過剰なくせに舞台に立ちたがらない監督気取りでな。とにかくあの手この手で自分の代わりの奴を差し向ける。今回は、そんなあいつの癖を逆手に取る」
「というと?」
「人海戦術で奴の差し向ける刺客を各個撃破しろ。奴のことだ、量産可能な雑兵を配置しているだろう。それらすべてを完全手動で動かしているってことはないだろうが、常に雑兵の動きもリークして微調整をするはずだ」
「微調整というのは?」
「相手のデッキや、状況、その時の仕草、心理状態、その他諸々を考慮して行動を選択するってことだ。ある程度は自律させて動かすだろうが、的確に相手を追い詰めるためには、オートパイロットに頼りっきりにはできないだろ。だからその部分の負荷を蓄積させろ。そうして奴の意識を、集中力を、お前達に向けさせ続け、疲弊させるんだ」
言いたいことはなんとなくわかった。直接的ではないけれど、わたしたちであのメルクリウスって子を引きつけろ、っていうことだね。
「でも、わたしたちの人数もそんなに多くないし、うまくいくかな……」
「人数は俺の方で可能な限り補填しよう。あとは……そうだな、お前達はデッキを複数組め。コンセプトを絞って、フィニッシャーをバラして、できるだけ多くデッキを持って来い。そして戦うたびにスイッチするんだ」
「対戦のたびに、デッキを変えるんですか?」
「そうだ。アナログだが、だからこそデジタルな挙動に強い。とにかく相手をオート化させないようにしろ」
相手が処理すべき情報をとにかく増やして、負荷をかける。負荷を掛け続ければ、いずれ処理が追いつかなくなって、機能がダウンする。
「付け焼き刃だが、お前達にできる最善がこれだろう」
「な、なんだかシンプルというか、そんな作戦で大丈夫なのかなぁ……?」
「奇策こそ即興は危険だ。変に奇を衒うようなことしても、メルクリウスにはすぐ看破される。こういうのは単純でいいんだよ。根比べならメルクリウスほどの雑魚はいねぇ」
「は、はぁ……」
「地味かもしれないが、お前達の努力がそのまま作戦の成否に直結する。しっかり頼んだぞ」
「は、はい……」
☆ ☆ ☆
(――って話だったから、懐かしいカード引っ張り出していっぱいデッキ作ってきたけど)
コンセプトになる部分をガラッと変えたことも少なくないけど、ひとつのデッキをずっと組み替えてきたから、一度に複数のデッキを別々に持つなんて、変な感じだったけれど、どうにか数は用意することができた。
とりあえず、わたしの今までの切札たちを軸にして、それぞれのデッキを作った。ひとつのデッキに纏めていた《コギリーザ》《グレンモルト》《ドギラゴン》なんかも、バラバラにしてそれぞれ違うデッキに入れている。
「《サイバー・G・ホーガン》を召喚! 激流連鎖! 《飛散する斧 プロメテウス》と《爆竜GENJI・XX》をバトルゾーンに! スピードアタッカーでそのままWブレイク!」
「メルル~!」
妙に愛嬌のある、気の抜けた声で吹っ飛んでいく。
この鳴き声、毒気が抜かれる……
でも、気を抜いてはいられない。こっちは使い慣れないデッキで、相手だって弱いわけじゃない。
むしろ強い。相手に負担をかけるどころか、一戦一戦、こっちが凄い勢いで消耗するくらいだ。
「でもまだ……!」
こんなところで挫けていられない。
もっと奥へ、もっと先へ。
歩み続けるんだ。
みんなのところへ――!
「次は……あそこ」
立ち並ぶ巨大ビル群のひとつへと、視線を向けて。
襲い来る幼子達を振り払って、ひた走る。
ティマイオスとかクリティアスとか、別に名もなき竜でもカッコいいBGMでもなく、プラトンのあれです。