デュエ魔法少女マジカル☆ベル   作:モノクロらいおん

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 林間学校編も最終日の三日目、いよいよ大詰めです。
 今回は今までで断トツに長いお話ですが……内容が内容ですので、ご容赦ください。


25話「林間学校だよ ~3日目・AM~」

 みなさんこんにちは……伊勢小鈴、です……

 その、えっと、わたしもすごく困惑しています。

 昨日行われる予定だった天体観測は中止。その日はすぐに宿舎に戻って、今日は最終日の三日目です。

 最終日は本当に移動だけで、あとはもう帰るだけ……だったはずなのですが、わたしたちはまだ、宿舎に残っています。

 その理由は、わたしたちの部屋の窓を激しく打ち据える大量の水、窓枠ごとすべてを破壊してしまいそうな揺れ。それは激しい風雨。つまりは嵐――台風です。

 

「すごい雨と風だね……」

「うるさい……」

「うぅ、ユーちゃん、タイフーは苦手です」

 

 部屋の隅っこでうずくまってるユーちゃん。絶え間なく打ちつけられ、室内に鈍く、けれども強く響く雨音に、いつもの元気を失っていた。

 まるで沈没船のようだ。ざーざーと鳴り止むことのない雨音。ガタガタと大風に揺さぶられる窓。室内に向けて響き渡る音と、窓を流れ続ける雨水、そしてわたしたちがこの場から動けないという状況そのものが、嵐に縛りつけられる、沈みかけの船のようだった。

 そう。わたしたちは、“動けない”。

 

「まさか最終日になって足止めとはねぇ。予報ではこっちまで来るなんて言ってなかったし、急すぎるったらありゃしないよー」

「そもそも、台風がこっちに来ないからって、この日程になったんだもんね」

「これは教師が無能なのか、気象予報士が無能なのか」

「どっちでも、いい……部屋で待機とか、暇、すぎる……」

 

 台風なんて、悪天候中の悪天候。日本が誇る代表的な災害の一つ。

 そのあまりにも悪い天候のせいで、わたしたちは宿舎のある山域から出ることができない。

 ここまで強い台風だと、地面のぬかるみとか土砂崩れとかで、バス移動における安全性を保証できないからとかなんとか。要するに、外に出るのは危険だから出れない、ということみたい。

 突然の異常気象で先生たちも慌ただしく動いてて、忙しそうにしていた。流石にここまでの気候の変化は誰も予想していなかったみたいで、だからわたしたちは室内待機なんて指示を下されている。混乱を防ぐために、他の部屋に行くこともできない。

 

「うー、ううぅ……こ、小鈴さんは、大丈夫だったんですか?」

「え? なにが?」

「昨日、タイフーが来てから戻ったじゃないですか」

「あ、そのこと。うん、剣埼先輩が先導してくれたから、なんとか」

 

 わたしの秘密がバレやしないか、冷や冷やしたけどね。

 昨日。鳥さんに動かされるままにクリーチャーを退治した後、剣埼先輩が台風の接近を知らせてくれた。そのお陰で、わたしは台風に煽られることなく、無事宿舎に戻ってこられたわけだから、先輩には感謝だよ。

 ……あまりに色々なことが立て続けに起こるものだから、お礼も言いそびれたけど。

 

「しっかし、本当に変なタイミングの、変な台風だよね。通信障害とかはないみたいだけど、接近が唐突すぎるし……学校の裏サイト曰く、この台風はあり得ないらしいけど」

「あり得ない? どういうこと?」

「そのまんまの意味じゃない? 常識じゃ考えられない、って意味。誰が言ってるのかもわかんないガセ情報かもしれないし。でも、天気予報を見る限りは、確かに滅茶苦茶なスピードで近づいてきたんだよねぇ。そのくせこの台風、なんか今になって“やたら遅い”らしいし」

「やたら遅い、って?」

「これもそのまんまの意味ね。いきなり出て来たと思ったら、ずっとここいらで燻ってるみたいだよ」

「それ……どこ情報……?」

「普通にニュース。速報出てるよ、結構大きなトピックとして取り上げられるっぽい」

「そんな大事になってたんだ……」

 

 ……なんだか、嫌な予感がするよ。

 気象予報の外から、急に現れ、この山域で停滞する謎の嵐。

 事実は小説より奇なり。そんな奇妙な台風も、もしかしたらあるかもしれない。気象予報士さんがうっかり予報を間違えたのかもしれない。そんなあり得ないようなことでも、現実にはあり得ることがある。だからこれも、そんな“日常的な異常”ならいいんだけど。

 

(問題はこれが、わたしがこの身をもって体感している異常だったら、とんでもないことになるかもしれない、ってことだけど……)

 

 それは今は、確かめようがない。

 タイムスリップとか、パラレルワールドとか、そんなお話の中でしか存在しないようなこともあり得るのだから、作為的な災害の発生だって不可能とは言えないけれど。

 それも日常的な異常と同じで、わたしが判断できるのは、あり得るか、あり得ないか、だけ。その判断材料じゃ、これが日常的な異常なのか、非日常的な異常なのか、わからない。

 わたし一人だけじゃ、審議を判断することは、正誤を確認することは、できないのだ。

 

(こんな時に鳥さんは来ないし……)

 

 こういう時こそ鳥さんの力が必要なのに、肝心な時にはいつもいないんだから。まあ、この台風の中じゃ、飛ぶことすらままならないだろうけど。

 いくら考えても、わたしの知っている範囲、判断できる範疇では、限界がある。そしてその限界は、あまりにも小さい。

 つまるところ、今のわたしにできることはなにもない、ということです。

 ここは沈没船。わたしたちはこの部屋に縛りつけられている。ここが今のわたしたちの世界のすべて。だからわたしたちは、この部屋の中でできることしかできない。

 暇そうにうなだれている恋ちゃん。ずっとガタガタ震えているユーちゃん。ポチポチとニュースサイトを漁ってるみのりちゃん。そして――

 

「――代海ちゃん」

「…………」

「代海ちゃんっ」

「っ! は、はい……」

 

 ずっと、携帯の画面を凝視し続けている、代海ちゃん。

 その表情は必死で、真剣で、どこか悲しげで、焦っているような……そんな、見ていられないほど不安が募った表情だった。

 

「どうしたの?」

「えっと、えと……い、いえ、なにも……」

「気分が悪かったら、医務室が空いてると思うけど……」

「だ、大丈夫です……ごめんなさい……」

「いや、いいの。大丈夫なら、いいんだけど……」

 

 本当に、大丈夫なら。

 あまりに突然な台風の襲来は、急激な気温の変化もある。

 だけどみんなから聞くに、宿舎に戻ってからずっとこんな感じらしい。一体、どうしたんだろう?

 ユーちゃんのように台風が怖い、というのとはちょっと違う気がする。

 足止めを食らってしまい、いつ帰れるのかもわからない状況だから、不安になるのはわかるけれども……なにをそんなに不安がっているのだろう。

 

「んー、ん? 水早君から連絡だ」

「霜ちゃんはなんて?」

「『そっちはどう?』って。ま、なにもないね。水早君も異常性には気付いてるっぽいけど、流石にこんなんじゃどうしようもないか。適当に返しとくよ」

 

 霜ちゃんとは部屋が別々だけど、流石に霜ちゃんだ。山道で別れてからほとんどなにも話してないけど、この状況を理解して、そのおかしさもわかってるみたい。

 

「……おかしいと、わかったところで……なにも、できない……」

「そ、そうだね……」

 

 鳥さんが来ないから確証が得られない、なんてのは建前でしかない。

 岩でも砕いてしまいそうな強い雨に、大木さえもなぎ倒してしまいそうなほど荒々しい風。

 そんな天候で外に出ることなんて不可能だ。

 そして、外部への干渉ができない、外界と断絶しているという状況は、わたしたちを完全に無力化してしまう。

 この異変がたとえ現実のものでないとしても、それがわかっていても、天災という形でわたしたちの前に現れてしまっては、生身の人間には到底太刀打ちできるものではないのだ。

 

(……うぅーん)

 

 すごく、もどかしい。

 明らかにおかしいってわかるのに。どうにかしなきゃって思うのに。

 なにもできない。

 

(鳥さんが来てくれればなぁ……)

 

 言い訳がましくそんなことを思う。だけど、それが現実だ。

 わたしだって、そこまで無謀じゃないし、向う見ずじゃない。おかしいって思っただけで、命の危険さえある場所に飛び出したりなんかしない。

 ……いや。

 

(できないよ……そんなこと)

 

 するべきでない、というのも確かだけど。

 それと同時に、できない、という自分の無力さも思い知らされる。

 そこにある異変に気づきながらも、そこに向かって踏み出せない自分がいる。

 お姉ちゃんなら、無理を承知で飛び出すのかもしれない。

 剣埼先輩なら、もっと他に安全で言い手段を考えてくれるかもしれない。

 あるいは、こんな嵐も吹き飛ばす太陽のような人なら、すべてを跳ね除けて進めるのかもしれない。

 だけどわたしは、わたし一人じゃ、どうしたってこの嵐の中に身を投げ出すことはできない。

 勿論、こんなものは空想の話で、荒唐無稽なたとえ話でしかないんだけど。

 外に出てはいけないという常識を信じる一方で、ここで待ち続けるもどかしさと焦りに、胸が苦しくなる。

 

(……この台風も、いつかは止むんだよね……?)

 

 この状況は、今までにない状況だ。おかしいことは分かってて、その影響も明確で、原因も理由も察しがつく。

 それなのに、動けない。その影響によって、原因によって。外的要因によって、行動を制限されている。

 こんなことは、はじめてだ。

 だから、こんなにも不安に襲われるのかな?

 

「……あ、あの、小鈴さん……」

「えっ? あ、ごめん。ボーっとしてた。なに?」

「すいません……ちょっと、外に出ても、いい、でしょうか……?」

「やっぱり医務室に行く? 一人で大丈夫?」

「……ごめんなさい……大丈夫、です……」

「うぅん、大事になったら大変だからね。無理しちゃダメだよ。今は特にすることも、できることもないし」

 

 そう、今はなにも、できることはないんだ。

 わたし一人じゃ、なにも。

 

「……小鈴さん……ごめんなさい……」

 

 苦しそうに、辛そうに、悲しそうに、扉に手をかける代海ちゃん。

 外の嵐と、心の中の虚無感に囚われていたせいで、そんな彼女の面持ちを、見落としていた。

 

 

 

「本当に……ごめんなさい」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やれやれ、なんて嵐だ。流石のオレ様でも参ってしまう。この地域の季節災害はなんとも荒々しいものだ……なぁジャバウォック?」

「□□□□□」

「こんな嵐でも、貴様の声はしっかりと聞こえるのだな。いや、ある意味では聞こえないのだが。しかし、貴様の意志さえ届けばそれで問題ない。貴様の意志など微塵も感じられんがな」

「□□□□□」

「わかっている。いやさ、わからんが。とはいえなにかを問いたいというのだろう。違うとしてもそういうことにしよう。このような暴雨と大風に晒された最悪な日だ。つまらん独り言に酔いしれるのも一興。悪くないだろう」

「□□□□□」

「さて、どうしたものか。機を見てチェシャ猫や聖獣、そしてアリス(マジカル・ベル)について探り、接触を試みようという計画なきプランが台無しだ。元から形がないから、台もなにも存在しないのだが。とはいえここまで天候が荒れてしまえば、これ以上の行動は無意味かつ期待もできんか」

「□□□□□」

「……期待もできん、な」

「□□□□□」

「わかっているさ。オレ様はイカレた職人、帽子屋。狂気的で、狂おしい選択こそを好む。絶望の中に希望を見て、不可能の中に可能性を探り、不可逆さえも可逆を掴む。論理的かつ理論的、感情的かつ衝動的、秩序にして混沌、そのどれでもない――狂気」

「□□□□□」

「オレ様は根本から狂っている。存在そのものが摩耗し、すり潰された狂人だ。ゆえにこんなことをしている。それ自体が既におかしい。しかしオレ様は“正しい”……正しいはずなんだ」

「□□□□□」

「命が、魂が、種が、オレ様に告げている。逸脱した道筋を辿った故に、淘汰でもなく繁栄でもない、狭間を彷徨うこととなったこの生に告げている。オレ様の目的を。一つの生命としての在り方を」

「□□□□□」

「オレ様は正しい、この行いも、この目的も、人間的に言えば正義と言ってもなんら問題はない。ゆえにオレ様は、すべてに手を染める。奇跡にも魔法にも、裏切にも背反にも、利用にも寄生にも、侵入にも潜伏にも、搾取にも排斥にも、合理にも理屈にも、不条理にも不合理にも。あらゆる可能性に縋り、有象無象を頼り、自己を生かしては殺し、他者を捨てては拾う。白くもあった手は虹色に、そして濁った末はすべてを飲む黒。森羅万象さえも予約済みだ」

「□□□□□」

「そう、そう、そうだ。オレ様は利口ではないから間違った選択はすれど、進むべき道は、到達すべき標は決して間違いなどない。ゆえにこんな狂った選択も、手放してみようと思ったが……拾ってしまったよ」

「□□□□□」

「貴様の身がどれほど持つのかはオレ様にもわからんが、命ある身体である以上は辛かろう。あの汚水を吸ったボロ雑巾のようなテントに戻るがいい。この大解放した蛇口の如く滴る特大雨露の木陰よりは幾分マシだろう。なに、貴様の影響下にオレ様を置いていればそれでいい。であれば、オレ様も時間を保っていられるからな」

「□□□□□」

「頼んだぞ、ジャバウォック。このイカレた肉体が風邪を引いたら後は頼む」

「□□□□□」

「……さて、とびきりの愚考から生まれた愚行を選択だ。この狂いに狂った“待ち”は、凶と出るか大凶と出るか――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしたちの時間は、停滞しながらも確実に進んでいた。

 空模様は一切の変化が見られない。暗い空には大粒の雨が舞い、風は乱れ、嵐はこの山に留まり続けている。

 だけどそれは、あくまでも状況が変わらないというだけ。

 この世界という変えようがない法則は、常に時間を刻み続けている。

 動かないのはあくまでわたしたちであって。わたしたちではない人たちは、この停滞した状況を打破するために動いている。

 まあ要するに、先生たちから遂に連絡が来た、っていうだけなんだけど。

 それにその連絡も、帰る目処が立ったとか、台風が通過する見込みができたとか、そういうことではない。

 現時刻は午前10時30分。起床から数時間ほど。

 それは、とりあえず目先のこと。お昼についてだった。

 

「1時になったらお昼だって。10分前までには食堂に全員集めておいてって、先生が」

「あ、了解(アインフェアシュタンデン)……です……」

「もう昼かぁ。昨日からもう何時間も経ってるってのに、台風はまるで弱まる気配がないねぇ」

 

 まったくもってその通りです。

 あれから鳥さんが来る気配もないし、ただひたすら雨風の音と共に部屋に居座っているだけ。

 先生たちも、まだこの動きの遅い台風への対応で忙しいみたい。

 昼食についての連絡を受けた時も“とりあえず”って感じだったし。

 まあでも、みんなこの状況に気が滅入ってたみたいだし、ご飯を食べれば元気になってくれるかな。ちょっとくらいは気分転換になってくれるといいな。

 それに、元気がなさそうだった代海ちゃんも。

 

「わたし、代海ちゃんを呼んでくるよ」

「はいはーい。いってらー」

 

 ひらひらと手を振るみのりちゃん。この閉塞した環境と、行き詰った状況に、どこか諦めと慣れを見せていた。

 まあ、こんな時でも暗くならないのは、みのりちゃんのいいところだよね……その適応力は、ちょっと羨ましい。

 どうにもならないことはどうにもならないわけだし、いくら考えても、不安に駆られても、仕方ないのだから。

 あのユーちゃんも台風に怯えきってるし、平常であること、明るさを失わないことは、こういう時にはとても大切なことのかもしれない。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

 そう言って部屋を出る。

 えーっと、医務室は確か、宿泊部屋とは反対方向だったよね。

 誰もいない廊下を進む。人の話し声も、存在感も、影もなにもない。窓を叩く雨音だけが、暗がりの廊下に響く唯一の音。

 ……だと思ったけど。

 

(足音……?)

 

 廊下の向こうの方から、雨音に混じって、小さいけど足音が聞こえてくる。

 先生が見回りでもしてるのかな? と思ったけど、人影がくっきりしてくると、その考えは間違いだったことが判明する。

 

「やあやあ妹ちゃん! 奇遇だね! こんなところでも出会うなんて!」

「よ、謡さん……」

 

 陽気にそう語りかけてくるのは、謡さんだった。昨日の登山以来だ。

 確かに昨日の今日で奇遇だけど、謡さんはどうしてここにいるんだろう?

 生徒は基本的に部屋に待機してなくちゃいけないはず。見たところ、謡さんは元気そうだし、医務室にいたわけでもなさそう。

 目につくのは手に抱えたビニール袋だけど、なんだろう? 生徒会のお仕事かな? 雨漏りとか?

 気になることはたくさんあるんだけど、それよりも謡さんの方が早かった。

 

「昨日はごめんね。空気悪くしちゃって」

「いえ、その……」

「ところで妹ちゃんは、なんでこんなところに?」

 

 それはわたしもあなたに聞きたいです。

 なんて言えるはずもなく、素直に答える。

 

「えっと、友達が医務室で休んでるので、呼びに……」

「あー、成程。それじゃあ早く行きなね。こんな荒れ狂った天気で一人とか、心細いったらありゃしないだろうからね」

「は、はい……」

「じゃーねー。気を付けてー」

 

 と言って、謡さんはすたすたと行ってしまう。

 ……あれ?

 いつもならもっと絡んでくるのに、今日は随分とあっさりしてる?

 やっぱりお仕事中だったのかなぁ。前に会った時は、夏祭り中か、お仕事をサボっていた時だったみたいだし。

 流石に謡さんもいつもサボってるわけじゃない、ということかな。

 

「し、失礼します」

 

 とりあえず今は、謡さんに言われた通り、代海ちゃんの様子を見に行かなきゃ。

 謡さんは背中を向けたまま、ひらひらと手を振っている。

 わたしも踵を返して、医務室へと向かう。

 

「あの子を偶然見かけてから超速推理で慌てて用意したけど……さて、どうなるかな」

 

 廊下のどこかで小さく漏れ出たその声は、激しい雨音に掻き消されて、わたしの耳にはノイズとしてしか届かなかった。

 それはわたしに向けてではない、遠くのどこかで、誰かに向けられた言葉なのだから。

 

 

 

「スキンブル、いるでしょ。私たちも――覚悟を決めよう」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「失礼します」

 

 謡さんと別れた後、そのまま医務室に向かう。

 コンコン、とノックした後に扉を開けると、保健室特有の消毒液のにおいが鼻をつっつく。だけど、ここはあくまで、宿舎の中にある医務室という設備に過ぎない。保健室よりも少し、消毒液のにおいは薄かった。

 奥にはカーテンで仕切られたベッドが並んでいて、壁際には薬品棚。見た感じ、保健室とあんまり変わりはない。

 部屋の手前には、先生が机に向かって座っていて、こちらの存在に気付いて振り向いた。

 

「あぁ、いらっしゃい。どうした?」

「友達の体調がよくないみたいなので、医務室で休んでて……もうすぐ昼食みたいなので、様子を見に来たんですけど……」

「今は誰も休んでないけど?」

「え?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出てしまう。思ってもみない言葉に、思考が途切れる。

 その言葉が真実でないと思ってしまう。

 

「昨日の登山で怪我した生徒とか、体を痛めた生徒に、絆創膏やら湿布やらをプレゼントしてあげたけど、体調不良の生徒は一人も来てないし、この部屋のベッドは朝から真っ新だよ」

「で、でも、そんなはず……」

 

 代海ちゃんは、医務室に来ていない?

 そんなはずはない、と言いたいけど。だけど、先生が嘘をつく理由はないし、それはベッドを調べればわかることだ。

 でも、代海ちゃんはわたしに、医務室に行くって言ってた……言葉と現実が一致しない。それはつまり、代海ちゃんが嘘をついたってこと?

 なんで? どうして? その嘘に、なんの意味があるの?

 考えて……考えるんだよ、わたし……

 “どうして”代海ちゃんがそんな嘘をついたのか。

 その嘘には“どんな”意味があるのかを。

 

(……わたしたちは、待機の指示が出てたから、部屋から出ることができなかった。だけど、医務室に向かうということは、部屋の外に出られるということだから……体調不良は、部屋から出るための口実?)

 

 じゃあ、なんで部屋から出る必要があったの?

 部屋にないものや設備を使うためとか、先生たちの話を聞くため、あるいは誰かに会うため……でも、部屋にないものを使うっていっても、それはなに? 設備だったらそんな簡単に使用はできない。トレーニングルームがあるらしいけど、こんな時にそんなものがなにになる? そもそも、部屋以外の出入りは、先生たちが厳しく監視しているはず――あぁでも、先生たちはこの台風の対応で忙しないから、ちょっとくらいは目を盗めるのかも。

 先生たちの目を盗んで、誰かに会う? でも、代海ちゃんはC組でもちょっと浮いちゃってるらしいし……ん? 待って。監視、目を盗む?

 

(部屋から抜け出すってことは“一人になる”ってこと……!)

 

 部屋にいれば、わたしたちがいる。お互いがお互いの存在を認識している。監視なんて物騒なものじゃないけど、誰がなにをしているのかがわかる。

 だけど部屋から出れば、一人になれば、自分の行動は誰にも見られないから、誰に止められることもない。自由になる。

 でも、自由になったところで、動けるのはこの宿舎の中だけだし、宿舎には先生がたくさんいるから、監視の目という意味では部屋の中とそこまで大差ない。

 

(いや。宿舎の中にある目から逃れたんだから、中に留まってるはずがない……?)

 

 …………

 ……最悪だ。

 こんな予想、あり得てほしくない。だけど、わたしの頭の中で、その最悪の予想が激しく自己主張をしている。

 代海ちゃん……!

 

「君、大丈夫? なんか顔が真っ青だけど、むしろ君が体調不良なんじゃ……」

「ごめんなさいっ! 失礼します!」

「あぁ、おい! 君!」

 

 医務室から飛び出す。後ろから先生の声が聞こえる。けどごめんなさい、それは無視します。

 さっき謡さんと出会った廊下に出た。当然だけど、そこにはもう謡さんの姿はない。

 周りを見回す。まず目に付いたのは、寂れた庭園が見える窓。

 もしかして、という直感があった。本当は、どこかそうであってほしくないと思ったけど、その窓に近づくと、わたしの最悪の予想を裏付けるような結果しかなかった。

 

「床が濡れてる……それにこの窓、鍵が開いてる……!」

 

 朝からこの台風だ。先生たちも施錠管理はしっかりしているはず。

 隣の窓も確認する。そっちはキッチリ閉まっていた。同じ並びの窓なのに、ここだけが開いている。閉め忘れの可能性も否定できないけど、今のわたしは、そんな可能性を考慮することはできず、ここまで繋がってきた因果を辿り、繋げていく。

 

「代海ちゃん、本当に……」

 

 本当に……“外に出た”の?

 なにが目的なのかはわからない。

 だけど、こんな暴風雨の中、一人で外に出るなんて無茶だ。危険すぎる。

 止めないと。

 止めに“行かないと”。

 

「で、でも、この台風の中、出るのは……」

 

 流石にわたしだって、このままじゃ外には出られない。鳥さんがいつものように変身させてくれれば、乗り切れるのかもしれないけど……本当に肝心な時に限っていないんだから。

 せめて雨を避けられるようなものがあるといいんだけど……

 というところで、別の並びの窓に、ビニール袋が引っ掛けられているのが見えた。

 もしかしたら代海ちゃんからのメッセージなのかもしれない、と都合よく考えたわたしだけど、その中身を見たわたしは、首を傾げることになる。

 

「これ、レインコート……?」

 

 なんでこんなものがここに? さっきまではなかったよね?

 濡れてないから、誰かが使って置きっぱなしというわけでもなさそうだし……

 だけど、これのお陰で、少しだけ前に進む道が見えたよ。

 

「誰のかわからないけど、ごめんなさい。ちょっとだけ借ります……!」

 

 人のものを勝手に使うなんて、いけないことだけど……

 今はそんな“いい子”に順じてはいられない。

 ほぼ反射的にレインコートに袖を通す。

 その時、みんなのことがふと、頭の中に浮かんだ。

 

「…………」

 

 短絡的なのも、衝動的なのも、感情的なのも、全部わかってる。

 自分のやろうとしてることが正しくないかもしれない、とも思う。

 みんなは絶対、反対するだろうな……

 

「みんな……」

 

 だけどわたしは、自分を止めない。

 悪い子になっても、みんなの意に背いたとしても。

 だけど、せめてこの足跡くらいは、残しておこう――みんなを信じて。

 そっとポケットに手を入れる。

 

 

 

「……ごめん。行ってきます」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「超特急でお粗末な仕掛けて彼女を動かすことができたわけだけど……どうなるかな」

「――――」

「まだ言ってるし。君が反対してるのはわかってるさ。だけど、私にも譲れないものがあるんだ」

「――――」

「まあ譲れないっていうか、信じたいっていうか。彼女は英雄ではないけど、確かにヒーロー(主人公)ヒロイン(主人公)なんだ。私はね、正しい主人公が正しい筋道を辿らないと、嫌なの」

「――――」

「そうだね。これは、君の方針からは真っ向から反対するようなことだよ。だけど、私もわかってる。彼女は、私にとっての主人公(ヒーロー)で、あなたにとっての主人公(ヒロイン)というだけ。大事なものであることは変わりない。だから、無理はさせない。そのために私が……おっと、私たちが出るんだからね。ただ……」

「――――」

「あぁ、そう。彼女はどうしてこんな奇行に走ったのか。この気候で走ったのか。その真意が掴めない。謎だらけだよ。推理して予想することはできるけどね」

「――――」

「おっと? そんなに私の超絶推理が聞きたい? ……そうでもない? あ、そう。でも言っちゃうよ」

「――――」

「これは私の勘だけど、ここには“あの人”がいる。それは君も感じてるんじゃない? だから私たちは、彼らの望む結末に誘導されているような気がするんだ。でも、誘導にしてはお粗末すぎる。比較するなら、私の仕掛けよりもね」

「――――」

「え? 私の方がお粗末って? 酷い。でもそんなことはどうでもいい。お粗末なのはなにも行動だけじゃない。誘導する意思があるのかどうかってレベルだよ」

「――――」

「誘導したいなら、もっと上手くやるはずなんだ。わかりやすく誘うはずなんだ。あの子は愛おしいほど、そして狂おしいほどいい子だからね。あの立場なら、その善性に付け込むことは簡単だ。なのに、そうじゃないルートを辿っている。これって変でしょ? 合理的じゃない。策略的じゃない。陰謀的でない行いが、果たして罠であるのかな?」

「――――」

「だよね。罠じゃないならなんなんだ、というところではあるよね。ぶっちゃけ他に理由らしい理由が思い当たらない……いや、ごめん嘘。思い当たる可能性はあるよ。罠である可能性を是とするなら、ほぼ前提条件となり得る可能性がね」

「――――」

「ま、そういうことだわね。やってることは、私やあの子と同じ。問題は、彼らにそんな思いやりがあるのか、ってところだけど……どうなんだろう」

「――――」

「そうだね。中途半端に筋道が通っているせいで、なんとも言えない。相反する二つの可能性が混在している。二律背反というやつだ。それも、私としては結構アリだと思うんだけど。それでもまあ、狂ってはいるよね。イカれてるよ」

「――――」

「おいおい、どの口が言うかね? 私は君のこと、信用してるんだよ? 信頼してるし、信じてる。だからそういう可能性も、認められるし、認めざるを得ない」

「――――」

「これって性善説か性悪説か、って話なのかもしれないけどね。あ、知ってる? 善悪二元論。メソポタミアの宗教の教理で……あれ? なんか違う気がするぞ?」

「――――」

「あははー、まあ仕方ないね。姉ちゃんと違って私はあんまり歴史は得意じゃないんだ。根っからの無宗教だからね」

「――――」

「そう、そんなのはどうでもいいんだよ。要するに、人は生まれながらにして善の存在なのか、悪の存在なのか、ということでね。あの奇行が善性なのか悪性なのか、どっちも可能性があって、それを判断する要素がないなら、“根本的にその人は善なのか悪なのか”で判断するしかないかとね」

「――――」

「まあね。そもそもこれは“人間”の善悪について語っている。君らのように“人間でないもの”にまで当て嵌められるかというと、正直わからない」

「――――」

「とまあ、ごちゃごちゃ言って聞いて考えてみたけども、結局、帰結するところは決まり切っている。即ち、自分がどうしたいか、だ」

「―――」

「さぁ行くよ、スキンブル。自分でけしかけておいてなんだけど、主人公(ヒーロー)らしく、私たちの主人公(ヒロイン)を守りに行こうか――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ん? 小鈴ちゃんからだ」

 

 小鈴の帰りを待つ恋たち。

 相も変わらず時が止まったように変化の訪れないその空間を動かしたのは、たった一文の言葉だった。

 

「……こっちのも、来た……一斉、送信……」

「ユーちゃんのところにも来ました。えーっと?」

 

 友人からの連絡。最初はただそれだけだと気に留めていなかった。

 何気なしにそれを読み上げる。

 

「『みんな、ごめん。しばらく待ってて』……って」

 

 ――読み上げて、初めてわかった。

 口にした瞬間に、誰もが理解した。

 この一文の意味を。

 そして、

 

「……!」

「実子さんっ!?」

 

 最も早く動き出したのは、実子だった。

 恋やユーが静止する隙もなく、すぐさま立ち上がり、駆け出し、扉を蹴破るように開き、飛び出した。

 誰もいない廊下を、本能と衝動のみで疾駆する。誰にも拒まれない、誰にも止めさせないと言わんばかりに駆ける。

 しかし、

 

「部屋を飛び出してどこに行くつもりだい?」

 

 途中、実子は足を止めた。いや、止めさせられた、と言うべきか。

 彼女の盲信的な猛進を止めたのは、霜だった。

 

「っ、水早君……!」

「ボクのところにも小鈴から連絡が来たよ」

 

 携帯を掲げる霜。

 恋やユーにも届いていた連絡が、霜にも届かない道理はない。

 

「ギリギリ間に合ったか。あの文面でなにがあったのかすぐに察することができたし、その後の行動も予想できた。君のことだから、こうなるだろうとはね」

「なにしに来たの? いや、そんなことはどうでもいいけど。早くそこ退いてよ」

「それは無理だ。ボクは君を抑えるために来たんだから」

「なんでさ! 君だってわかるでしょ! 小鈴ちゃんがなにしてるのか!」

「わかるよ。けど君とは考え方が違う。君の考えと行動はあまりに浅はかだ」

 

 突き放すように言う霜。その言葉に、実子の額には青筋が立つ。

 

「言ってくれるじゃん……! 君は、友達が危険な目に遭ってるのに、黙って見てろって言うの!?」

「そこが君の浅慮なところだと言ってるんだ。ボクらが彼女の後を追ってなにになる? ミイラ取りがミイラになるだけだ」

「じゃあどうしろって言うのさ!」

「黙って見ていろと言うのさ」

「っ、この……!」

 

 挑発的な霜の言葉に、実子が拳を振り上げる。

 しかしその時、ガバッと背後から、抱き着くようにその拳を止める者がいた。

 ユーだ。その隣には恋もいた。

 

「実子さん! ボーリョクはダメですって!」

「そうも……煽りすぎ……」 

「……すまないね。これでもボクも、焦ってるし気が立ってるんだ。許してくれ」

 

 バツの悪そうにそっぽを向く霜。

 しかし彼はすぐに、彼女たちに視線を向けた。

 

「正直、ボクも小鈴の行動には物申したいが、それはひとまず後回しだ。大事なのは、今この場をどうするかだよ」

「この場を、ですか?」

「あぁ。密室というのは、必ずしも物理的なものとは限らない。そこには心理的なものも含まれるし、なにより概ね密室というものは「密室である」という思い込みによってトリックが発動するものだ」

「いきなりなに? こっちは君の講釈を聞きたいわけじゃないんだけど。自慢のつもり?」

「苛立つな、少し落ち着け。ボクらが置かれているこの状況は密室のようなものだけど、それは「台風だから外に出れない」という要因から発生しているものだ。そしてこの台風を起因として、そこからもたらされる密室的影響は二つ。一つは言わずもがな、この暴風雨。とても外で活動できるような天候じゃない」

「まあ……その通り……わかりきってる、こと……」

「もう一つは、この台風で「外に出れない」――「外に出さない」と認識する存在だ」

「……あぁ……そういう……」

 

 誰から見ても明らかに外出不可能な状況。しかし、ただ出れないだけならば、この場合は問題でなかった。あるいは、絶対的に出れないのであれば、こうはならなかった。

 外に出る可能性が存在する。そんな、特異で異常な奇行に走る者がいる。そんな状況が、状態があり得る。それを前提に置いた「出ることができない」と、そうではない「出ることができない」には、大きな隔たりがある。

 そしてこの状況は「出ることができない」ではなく、厳密には「外に出てはいけない」という禁令だ。

 

「要するに、こんな悪天候で外に出てはいけないと思う教師たちによって、ボクらは縛り付けられているんだ。もっとも、それ自体は至極まっとうなんだけど」

「まっとうだからなに? そんなもの関係ない。小鈴ちゃんは、それでも外にいるんだよ!」

「わかってる。ただ、小鈴がこの天候でなにも考えずに外に出たとは考えにくい。さしずめ、あの鳥類の手引きだろう……それならそれで大事ではないはずだ。ボクが問題にしているのは、大多数の人間がこの悪天候で外に出るべきではないという認識の中、外に出た人物がいるということ。ありていに言うと“ルール違反者がいる”という意味だ」

 

 あの鳥が一枚噛んでるなら、小鈴の無事は概ね保障されているはず。というより、彼らとしては鳥の干渉以外による外出が想定できない。

 ゆえにそれを踏まえた思考を巡らせると、問題は、この台風がもたらした全体に対する規律だ。

 規律は順守されなくてはならない。それが、人間社会の掟である。

 どうしようもないくらい実直で愚直だが、そういう構造になってしまっている。

 

「そしてそのルール違反者が、まさかのボクらの友人だ。これが単なるルール破りなら、単純に罰則だけでいいのだけれど、ボクらはその事情を理解している。とても彼女の行動は糾弾できないし、友人という名目もある。だから……」

「いつまでも理屈ばっかりこねてないで、いい加減ハッキリ言ったら?」

「……じゃあハッキリ言うよ。ボクとしても、小鈴を守りたい。だけどそれは彼女を助けに行くという意味じゃない――彼女の立場を守るという意味だ」

 

 大衆の視点で見れば、小鈴はただのルール違反者かもしれない。

 けれど彼女の行動が正しいことであると、誰かのための行動であるということは、この場にいる誰もがわかっていること。

 友人の正しい行いを、大衆的な目で誤認させるわけにはいかない。彼女が大衆から叩かれ、集団から排斥されるようなことは、絶対にあってはならないのだ。

 だから、口裏を合わせて、小鈴の大衆的な“悪”の行動を、その事実も、真実も、を隠し通す。

 

「ボクらがするべきは、帰ってきた小鈴を受け入れる場所を守ることだよ、実子」

「……小鈴ちゃんが無事じゃなかったら、そんなものに意味はない」

「そこは、彼女の人徳を信じるしかないね」

「人徳?」

「あぁ」

 

 霜の小鈴への信頼。あの鳥が絡んでいるという虚構と、仮にそうでなくても彼女を信じられる根拠。

 伊勢小鈴という一人の少女が繋いだ縁と、それによって彼女が為し、そして為された行い。その結果。

 水早霜が信じる、彼の友の最も優れた一面。

 それは――

 

 

 

「――小鈴の凄いところは、どんなに危機に瀕しても、必ず彼女に手を差し伸べる誰かがいるところだからね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「帽子屋さん……っ!」

 

 雨中の山道を駆ける。ぬかるんだ地面に足を取られながら、冷たい雨水に体温を奪われながら、凄まじい強風に煽られ平衡感覚を失いながら、それでもなお走る。

 ひときわ強い風が吹いた。手にした傘が吹き飛ばされる。

 申し訳程度でも、風雨から身を守ってくれていた盾がなくなってしまった。でも、構わない。どうせ借り物なのだから。

 もう一度、別のものを借りればいい。

 代用すればいい。

 

「代わりを用意します! 定義するのは『雨避けの装飾』、代用者はアタシ……この嵐を駆け抜ける加護を、お願いします……!」

 

 願ったものは手に入らない。アタシが貰えるものは、本当に欲しいものの代わり。

 だけど、それで十分。

 この豪雨を少しでも防いで、先に進めるだけのものを手に入れる。

 

「帽子屋さん、どこに……!?」

 

 だけど、いくら代用品を手に入れても、それで雨を防げても、本当に大事なものは見えない。

 帽子屋さんの姿は、どこにもない。

 早く、見つけないといけないのに。

 こんなところに、置き去りにはできない。

 

「あんなボロボロのテントで、こんな嵐を乗り切ろうなんて……無茶です……無茶苦茶です……頭がイカレるのも、いい加減に、してください……!」

 

 帽子屋さんは、アタシには指令を出さないと言っていた。もしアタシに指令があるなら、それはよっぽどのことだと。

 それは今じゃないんですか? この嵐は、よっぽどの大事じゃないんですか?

 帽子屋さんには帽子屋さんの考えがあるのかもしれない。あの人は底知れないほどになにかを考えて、アタシたちのために行動してくれる。今までずっと、アタシたちを救い、助けてくれた。

 だけど同時に、とんでもないほどにおかしなことをする人であることも、知っている。常人ではあり得ないような選択をして、不可解な道を歩むような人であることも。

 思慮深いはずなのに豪胆。筋道が立っているようで道を外れている。

 アタシも帽子屋さんとの付き合いは長いですが、いまだにあの人のことが良く分かりません。理解が及ばない思考回路、言動、感情。人となりを完全に理解することはできません。

 だけど、それでも、確実なことがある。絶対に言えることが、わかっていることが、一つだけある。

 

「アタシたちは、人じゃない……まだ、人間世界だけじゃ、生きられない……あなたがいないと、帽子屋さんがいないと、ダメ、なんです……っ!」

 

 帽子屋さんは、アタシたちにとって、絶対に必要で、絶対に失くしてはいけない、大事な人なんだ。

 アタシみたいな、代替可能なポンコツとは違う。アタシを、アタシたちを導いてくれる。

 あなたがいないと、ダメなんです、帽子屋さん……!

 あなたは危険に晒せない。あなたには、無事でいて欲しい。助けなきゃいけない。

 アタシを、そうしてくれたように。

 暴風雨に覆われた山を走りながら、ふと思う。

 

(昔のアタシなら、こんなこと、できなかっただろうな……)

 

 こんな嵐の中で山に潜む帽子屋さんのことを心配こそすれど、そのために自ら動くなんて、考えられなかった。

 だけど今は、こうして雨に打たれ、風に吹かれ、代用した借り物で嵐から身を守り、山を駆っている。

 気づけばこんなことをしていた。危険なことも、いけないことも、なにもかもわかっていながら。

 なのにこんな、無謀なことをしている。それはきっと、あの人のお陰だ。

 

(小鈴さんが……恋さんが……いてくれたから。アタシなんかを、受け入れて、くれたから……)

 

 アタシみたいなのでも、誰かと手を取り合える。

 アタシみたいなのでも、誰かを守ることができる。

 小鈴さんが、恋さんが、それを教えてくれた。

 

(まだ、どっちかとか、自分がどうあるとか、全然わからないし、割り切れないし、悩むし不安だし……迷ってしまうけれど)

 

 迷宮には必ず出口がある。

 いつか必ず、外の光が差し込むことを願って。

 

(今は、目の前の光が――帽子屋さんが、大事です……!)

 

 アタシたちを救って、まとめて、導いてくれた、アタシの恩人。

 帽子屋さんがいなければ、アタシたちはこうして生きていられなかった。バラバラで、自分が何者なのかもわからず、苦悩と理不尽の果てに潰えていたと思う。

 繁栄とか存続とか、アタシには難しいことはわからない。帽子屋さんがなにを考えているのか、ちゃんと理解しているわけじゃない。

 だけど、帽子屋さんがアタシたちにとってかけがえない存在で、帽子屋さんがいないといけないことはわかる。

 そうでなくても、恩人だ。大切な人だ。大事に思わないわけがない。

 

「帽子屋さん……どこ……?」

 

 ……やっぱり、無謀が過ぎたかもしれません。

 流石に、疲れました。アタシたちは人間ではありませんが、この肉体は限りなく人間に近いそれです。いくら雨避けをしていても、そんなものはほとんど焼け石に水。激しい雨と風で全身びしょ濡れ、体温も奪われ、身体は冷えていく。

 走るのもきつくなって、足を止めてしまいました。

 

「探せる、でしょうか……アタシに……」

 

 弱音が漏れる。いつものポンコツなアタシが戻ってくる。

 どれと同時に、より強く、冷たいものが身体に襲い掛かる。

 

「っ、時間、ですか……」

 

 雨を防ぐために借りていた、代用品のレインコートが消えてしまいました。この消え方は、使用期限切れはありません。

 アタシが【不思議の国の住人】としていられる時間、の力が使える時間は、2時から11時の間。宿舎を抜け出したのが11時前くらい。

 そろそろだとは思っていましたが、残念ながら、時間切れのようです。

 

「う、冷たい……それに、風も……」

 

 容赦なく降り注ぐ雨。吹き付ける風。

 急速に身体が冷たくなっていく。海の底のように、熱も光もない世界に包まれていく。

 これは、とってもまずいことになりました。これがいわゆる、ミイラ取りがミイラになる、ということでしょうか。

 だけどアタシの頭の中には、たった一人の人しかいません。

 太い木に背中を預けて、棒のようになった足の力が抜け、膝を折る。

 見上げると、真っ暗で、眩しさも温かみもない空が広がっていた。

 

 

 

「帽子屋さん……どこに、いるんですか……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「はぁ、はぁっ、はぁ……っ!」

 

 ひたすらに山道を走る。

 レインコートなんて、まるでアテにならないほどの暴雨と暴風。風が強すぎて、上手く走れない。まっすぐ前に進めない。立つだけでも苦しい。

 息が切れる。雨水がレインコートの中にも侵食して、服を、身体を濡らす。そこに強風が吹きつけて、身体の熱をも吹き飛ばす。前髪が張り付いて、視界さえも不明瞭だ。

 それでもわたしは、ひた走る。

 

「代海ちゃん、どこ……!?」

 

 大切な、友達のために。

 我ながら無謀だと思う。馬鹿だと思う。あり得ないと思う。

 代海ちゃんが外に出たなんて確証はない。この暴風雨の中、広い山の中で探すなんて、無茶だってわかってる。

 わかってる、わかってるけど。

 わたしは、自分を止められなかった。

 

(昔のわたしなら、絶対にこんなことしなかった……いや、できなかっただろうな……)

 

 誰かのために、こんなにも力を尽くすなんて、あり得なかった。

 昔だって、大切な人はいたよ。お姉ちゃん、お母さん、お父さん……わたしの大事な家族。だけどそれは、やっぱり家族だから、という意識があった。

 だけど今は、そうじゃない。

 大切な人が、友達が、たくさん増えた。

 恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃん、みのりちゃん……そして、代海ちゃん。

 絶対に失くしたくない。ずっと一緒にいたい。そう思えるような人たちがいる。

 大事なものを守りたい、失いたくない。無茶をする理由なんて、それだけで十分だよ。

 だって、それだけたくさんの人から、わたしはあたたかい気持ちを――立ち向かう力を、もらったから。

 だから、そんなみんなのためなら、どんなにあり得ないことでも、無茶苦茶なことでも、やってやろうって思える。頭じゃない。わたしの身体が、そう訴えかける。

 ……だけど、

 

「はぁっ、あっ……う……っ」

 

 思わず立ち止まってしまう。

 心臓の動悸が激しい。呼吸が乱れて整えられない。足がガクガクしてきた。身体も冷たい。夏なんて感じないほどに寒い。両手両足の感覚が消えつつある。前も見えなくなってきた。

 ……流石に、無茶をしすぎたかも。

 代海ちゃんが心配で探しに来たはいいものの、わたしもこの嵐には耐えられなかったみたい。当然か。

 ミイラ取りがミイラになってちゃ世話ないよ、とか、霜ちゃんに言われちゃいそうだな。

 

「く、はぁ……」

 

 身体も頭も冷え切って、逆にちょっと冷静になってきた。

 気持ちだけでこの嵐を乗り切れるはずないのに、なにやってるんだろう、わたし。

 自分のやってることが間違いだなんて微塵も思わないけど、もうちょっとやり方があっただろうに。短絡的すぎる。自分でも驚くほどに浅慮だった。

 

(っていうかわたし、こんな衝動的に動けたんだ……)

 

 怒ったり、感情的になったりしたことはあったけど、ここまで無茶なことしたのは初めてかな?

 なんて、言ってる場合でもないけれど。

 やっぱり、みんなにも力を貸してもらうべきだったかも。みのりちゃんとかには怒られそうだけど、みんなを危険に巻き込みたくなくて、連絡だけして一人で出ちゃったけど、失敗だったかな。

 動くのはしんどいけど、まだもうちょっと頑張れそう。最後の力を振り絞って、下山するのも手かもしれない。

 一人で前に進むか。

 みんなを呼んで後ろに下がるか。

 どっちの道が正しいのかわからない。道に迷い、正道を見失う。

 どうやらわたしは、迷ってしまったようです。

 不思議の国を彷徨う、アリスのように。

 誰か、教えてください。

 

「わたしは、どっちに進めばいいの――?」

 

 

 

「――お困りのようですね、お嬢さん?」

 

 

 

 暴雨に打たれながら、暴風に吹かれながら、二つの足で大地に立つ人影。

 束縛と破壊と混乱を示す嵐の中でも、愉快そうに笑っているのは――

 

「チェシャ猫レディ、さん……?」

「イエス。迷える少女の案内人にして正義の味方、チェシャ猫レディ、推参だよ――お待たせ、ベルちゃん」

 

 待ってません。

 だけど、とても嬉しい。

 

「いやぁ、凄い雨だね! 風も半端ないわ! 夏だってのに寒いったらありゃしないよ! 天気予報のお姉さんもアテにならないね!」

「あの……この台風は、クリーチャーのせい、なんですよね……?」

「へ? いや知らないよ」

「え?」

「私はそういうクリーチャー云々とかについてはさっぱりさ! だって私は、大事な人を守るだけの正義の味方。大切な人のために尽くすだけだからね!」

「はぁ……」

「君だってそうじゃない? こうして嵐の中、脇目も振らずにバカみたいに突っ込んで……だけどそれは、大切な人と、譲れない信念のため。動かずにはいられない、ってね」

 

 ……そうかもしれない。いや、その通りだ。

 わたしは、友達のためにここにいる。

 それは確かな真実だ。

 

「さてさて、こんな大雨大風の中で立ち話もなんだ。笑い猫らしく、道案内でも致しましょう。ベルちゃん、カメの女の子を探しに来たんだよね?」

「はい……あれ? なんでそのことを?」

「そこはまあ、うん。そういうものだからさ! 説明してもいいけど、くだらん小細工の話なんて聞いてもみみっちぃだけ。今はとにかく、目標に向かってひた走るだけ! なにせこの台風だ、一分一秒が惜しい」

「そ、そうですね」

 

 確かにそうだ。この台風で身体が限界なのは、わたしだけじゃない。代海ちゃんだって、この暴風雨に晒されている。

 迷っている暇なんてなかった。急がなくちゃ。

 

「さぁ行こう――ん?」

「どうしたんですか?」

 

 猫のお姉さんと一緒に歩み出そうとした瞬間、お姉さんは足を止めた。

 かと思いきや、スタスタと一人で進んでしまう。

 

「ちょ、ちょっと!」

「いやはや、わかるもんだねぇ。“私”にはわからない感覚だけど、実感すると流石にわかる。でもって、この感覚があるということは……」

 

 ぶつぶつとなにかを呟きながら歩を進めるお姉さん。わたしもそれに着いていく。

 しばらく進むと、またお姉さんは足を止めた。

 

「おっと発見。ま、結局は女の子同士の追いかけっこ。ルートさえ一致すれば、さして差が開くものでもなかったか」

 

 先導していたお姉さんは脇に逸れて、わたしの視界を開けさせる。

 その先にいたのは――

 

「! 代海ちゃん!」

 

 山道の樹木に背中を預け、座り込んでいる代海ちゃんの姿だった。

 わたしの申し訳程度の雨具さえもない。なにも装備のない、そのままの姿で、雨風に晒されていた。

 慌てて駆け寄る。身体が冷たい。いや、わたしもだから、本当にそうなのか分からないけど、でも、温かさを、体温を感じない。

 だけど、

 

「……小鈴、さん……?」

「代海ちゃん……!」

 

 力ない虚ろな眼だけど、掠れた小さな声だけど、確かに代海ちゃんは、ここにいた。

 無事、だった。

 

「よかった……本当に、よかったよ……」

「ごめんなさい、アタシ……アタシは……あっ!」

「ど、どうしたの?」

 

 ぼんやりしていた代海ちゃんが、急にガバッと身体を起こした。

 よろけながらも、ふらふらしながらも、立ち上がる。

 

「帽子屋さん……! 帽子屋さんを、探さないと……!」

「え? 帽子屋さん? 帽子屋さんが、来てるの?」

「はい……まだこの山に……早くしないと、帽子屋さんが……!」

「その必要はないんじゃない?」

 

 後ろで、猫のお姉さんが告げた。

 

「どうやら、役者は揃ったみたいだよ」

 

 最後の登場人物の、登場を。

 

 

 

「――気が狂いそうだな」

 

 

 

 暗い空、荒れ狂う風、激流の雨。それらを背景に、山の上から下って来るのは、赤い帽子の人影。

 なにも変わらない。雨に晒されることを厭わないスーツも、風に吹かれることを気にしないスカーフも。

 ただそのまま、時間の流れを感じさせない佇まいで、その人は現れた。

 

「あまりに冷たく寒い。これは命を殺す神の息吹だな。あまりの寒さに、この身が機能停止へと近づく感覚に、暴れるばかりで変化のない大空に、そして――この狂気的な選択が理想の一手であったことに。オレ様は、狂い果ててしまいそうだ」

「帽子屋、さん……!」

 

 ――『帽子屋』さん。

 代海ちゃんたち【不思議の国の住人】の、指導者。

 わたしには、それ以上のことは言えない。ただおかしくて、奇妙で、変で、謎の多い人だ。

 帽子屋さんは、わたしたちに視線を向けると、歩を進めながら口を開く。

 

「本当に来るとはな。感謝するぞ、代用ウミガメ。そしてようこそ、オレ様のお茶会へ。歓迎しよう、アリス(マジカル・ベル)。そして『チェシャ猫』を騙る女」

「騙るもなにも、私はチェシャ猫ディだよ。いい加減、覚えてほしいな」

「それは失敬。オレ様は今、少々、いやかなり高揚していてな。まさか、狂乱した絶望の選択が、ここまで望み通りに行くとは。これだから博打と狂気はやめられない。もっとも、オレ様は好き込んでイカレているわけでもないが」

 

 ……なんだか、いつも以上に饒舌で、なにを言っているのかよくわからない。

 わたしも帽子屋さんとお話したことはそんなに多いわけじゃない。だけど、それでも、いつもより饒舌に見える。高揚しているというのも、あながち嘘には見えない。

 そんな帽子屋さんに対して、チェシャ猫レディさんは前に進み出て、帽子屋さんと相対して、どこか険しい口調で問う。

 

「これは、あなたが仕組んだことなのかな?」

「仕組んだ? 可能性の一つとして思案していたことを謀略と称するのであれば、これはオレ様の企てと言えるのかもしれんな」

「なにそれ。変な言い訳だね」

「どうとでも思うがいいさ。我が同胞が貴様らを連れて来ることを期待したのは確かだが、ここまで上手く事が運ぶとは思わなかった。正直、この嵐のせいでどうにもならなかった腹いせに自棄になってみたのだが、道理で狂うのは気持ちがいい。これが俺の望んだ展開か。爽快だな」

「……ほんっとう、あなたたちって飽きれるくらい自分勝手で、自分本位で、自己中心的で、意味不明かつ理解不能。とにかく話が通じないね。特に今日は、すぐ自分語りだ」

「お褒めに預かり光栄の至りだな」

「褒めてないよあほんだら」

 

 若干呆れ気味に息を吐くお姉さん。

 帽子屋さんも帽子屋さんで、確かにいつも以上に話が通じないし、よくわからない。

 いつもよりも、なにかが奇妙だった。

 なんだか、前に会った時と、決定的になにかが違うような。

 

(……あれ? っていうか、今の時間って……)

 

 ふと、思い出した。

 代海ちゃんの言葉を。

 

 

 

 ――帽子屋さんとかは、その、す、凄く厳しくて……6時の間しか、『帽子屋』でいられないんです……――

 

 

 

「……ベルちゃんも気付いた?」

 

 気付きました。

 代海ちゃんが言うには、帽子屋さんは6時の間しか、活動できない。今までも、必ず6時の時に姿を現して、6時でなくなりそうになると、すぐに帰っていった。

 にもかかわらず、今の時刻は、たぶん12時過ぎくらい。6時からは程遠い時間だ。

 勿論、代海ちゃんやネズミさんみたいに、決められた時間外でも動いている人はいるし、そのルールの意味や厳格さ、そして本質は、わたしにはよくわからないものなんだけど……

 だけど、わたしの経験と、代海ちゃんから教えてもらった知識が、上手く合致しない。噛み合わない。

 これは、どういうこと?

 

「情報操作があるよねぇ。ま、現状では情報錯誤と言っておきましょうか? 帽子屋さん、あなたはこの時間には動けないはずではないのかな?」

「ソース不明の情報を鵜呑みにするのは愚の骨頂ではないのか?」

「さる信頼できる筋から聞いた話だし、私も吟味して検証してるから鵜呑みじゃないよ」

「そうか。またもや失礼したな」

「だけど、その筋の信頼も揺らいじゃうなぁ。ねぇ、それはどういう理屈なの?」

「こう見えてブラックボックスが多いのさ、オレ様たちは。それに生物なんてのは、己のことを、その仕組みを対して知りもしないまま生き、そして死ぬものだ。大した問題ではない。ただ、そういう抜け道もある、ということだ」

「……まーたはぐらかされたし。やんなっちゃう。あなたたちっていつもそう。さっきから言ってるけど」

「返す言葉もないな」

「ま、それはそれとしてだし、あなたが私たちを誘導したのかなんなのか、気になるけどもういいや。面倒くさいからあなたに合わせて付き合ってあげる。ここで現れたってことは、なにか目的があるんだよね」

「無論だ。ゆえにオレ様は、このような狂気の一手に出たのだからな」

 

 わたしたちはほぼ置き去りにして、二人の対話が進んでいく。

 猫のお姉さんは帽子屋さんを、帽子屋さんは猫のお姉さんを、それぞれ見据えていた。

 お互いに、相手こそが目的の人物だと主張するかのように。

 

「貴様は、『バタつきパンチョウ』を覚えているか?」

「チョウ? あぁ、あの綺麗でおかしなお姉さんか。まあ、おかしいのはあなたたち皆だけど」

「覚えているなら話は早い。奴の眼は非常に優秀でな。オレ様たちのような、曖昧で不確定、観測者も定義する者もいないような存在に対して、とにかく有用だ」

「定義する者がいない、ね。ふーん」

「奴がいれば、大抵の謎は解き明かされる。オレ様はそう信じていたのだが……まさかの結果だった。斯様な抜け道が存在するとは思わなんだ」

 

 帽子屋さんたちの話を聞いて、思い出す。

 確か、超のお姉さんは、“神の視点”で物事を見る眼を持つ、って言ってたっけ。

 本来ならわたしたちが知り得ないことを、主観的には感知できない情報を、チョウのお姉さんはその視点から見ることができる。

 だけど猫のお姉さんは、存在しない、見えないなら、神の視点でも知覚できない。犯人が最初から示されている推理小説はない、なんてとんでもない理屈で、正体を隠し切っていた。

 正直、わたしにはよくわからない話なんだけど、とにかく猫のお姉さんは、そう簡単に正体を暴けない、ということみたい。

 

「一度、明瞭にさせておこう。オレ様が貴様に対して抱いている興味関心と、疑念疑惑はただ一つ。それは貴様の正体だ」

「可愛い女の子ならともかく、変なおじさんに付け回されて正体を探られるのは、いい気がしないなぁ」

「自惚れるなよ。オレ様はあくまで『チェシャ猫』に対してその疑問を向けているだけだ……だがまあ、それを克明にするためにも、貴様の正体を掴まなくては、話にならん」

「要するにわたしの正体を暴きたいって? チェシャ猫レディって、何度も名乗ってるんだけどなぁ」

 

 はぐらかすとか、話が通じないとか、猫のお姉さんは帽子屋さんに言ってるけど。

 わたしから見ると、お姉さんも、自分の正体についてはぐらかしているように見える。

 そして帽子屋さんは、それを暴き出そうとしている?

 なんのために?

 それは、本当にただの興味本位なの?

 

「『バタつきパンチョウ』の眼は貴様の正体を看破できなかったが、しかしその結果は、貴様の攻略法を見出す手掛かりとなった。語るに落ちたな」

「ん? 私、なにか言ったっけ?」

「貴様は、本来隠されて然るべきものだからこそ、神の視点でもその前提が揺らがないと、そうのたまったそうだな」

「意訳されてるね」

「意味が伝われば訳など関係あるまいよ。今の言葉を是と受け取り、前提として貴様は隠された存在であると――推理小説(ミステリ)における犯人であると、そう語った」

「そんなことも言ったっけな。あんま覚えてないけど」

 

 言ってたよ……

 端で聞いているわたしからしても、わけがわからないなりに考えて、滅茶苦茶な理屈だと思ったもん。

 

「ミステリ――甘美な響きだな。殺人パズル屋のイカレた所業だ。人道に真っ向から反逆する悦楽にして、非倫理極まりない悪魔のような娯楽。合理的でありながら現実味が薄く、ロジカルでありながらリアリティに乏しい。頭の無駄遣いも甚だしい。これを楽しむ者は、相当に狂っている。人としてな」

「私は推理小説とか読まないけど、そういうこと言うと、誰か怒るよ?」

「怒りか、構わん。イカレた帽子屋には適当だろう」

「で? あなたは推理小説について語りに来たの?」

「まさか。今のは余興だよ。本番はこの先……そう、推理小説、ミステリ。その最大の魅力はなにか。アリス(マジカル・ベル)、濫読家な貴様の意見を仰ぎたい。ミステリの魅力とはなんだ?」

「わ、わたしっ?」

 

 急に指名されて驚く。しかも、推理小説の魅力を聞きたいって?

 帽子屋さんは、なにがしたいの……?

 

「……やっぱり、探偵だよ」

「ほぅ、探偵」

「厳密には“探偵役”かな。謎を解き明かす人。その人がそれまで辿った筋道から、思いがけない推理を披露する瞬間――謎解きの場面で、すごく、輝いていると思う」

 

 物語は総じて、伏線と呼ばれる未来に続くための欠片を散りばめる。説得力になる論拠を、行動原理になる理由を次げるために。

 推理小説ではそれを、犯人に至るための、推理を進めるための、謎を解明するための手掛かりとして拾い上げていく。

 そういった小さな積み重ねが、最後に予想外の結末を創り出す。その些細な道程からの、大きな完成品が、たまらなく楽しい。

 そして、その欠片を拾い上げ、わたしたちにその欠片の合わせ方を教えてくれる探偵が、とてもキラキラした、輝かしいものに見える。

 小さな手掛かりも見落とさず、最後には驚くような組み方で真実を導き出す者。

 ともすればそれは、誰かのヒーローになるような、大きくて、魅力的な存在だ。

 

Thank you(ありがとう).そう、ミステリにおいて重要なのは、探偵の存在だ。謎を解明し、不明瞭なものを明瞭なものへと変え、本当の姿を晒す者。言うなれば、解明する者だ」

「うん、それで?」

「謎があるところに探偵あり、ということだ。探偵が謎を解明するのであれば、逆説的に、謎のあるところには探偵がいなくてはなるまい? つまるところ、こういうことだ」

 

 そんなことはないと思うけど……

 などと言うことはできなかった。有無を言わさないほど強引に、帽子屋さんは告げる。

 わたしたちに割り振られた――配役(キャスト)を。

 

 

 

「誰も彼もが気になっている最大の謎、チェシャ猫レディの正体――このオレ様が探偵となり、暴いてやろう」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「さぁさぁ、謎解きの時間だ。虚言虚飾は看破して、緻密な仕掛け(トリック)を切り崩す。難解な解明(ハウダニット)をもって、世にも奇妙な犯人当て(フーダニット)をお見せしよう!」

 

 嵐の中、帽子屋さんは大仰に、そして愉しそうに、諸手を振る。

 空間が、この世界の認知が歪んだみたいな、変な感覚だ。

 いつものなにかと違う。そんな曖昧模糊とした直感だけがわたしに告げるけど、その声すらも意味不明だ。

 本の中で何度も見て、読んで、解いた、推理の時間。

 それが今、目の前で繰り広げられる。

 

「最有力容疑者は、チェシャ猫レディと名乗る女。その如何にも名前から、容疑者は最重要参考人チェシャ猫との関連性が窺える。しかし当然ながら、容疑者はこれを認めない」

「人のこと容疑者とか、参考人とか、変な呼び方しないでほしいな。急に犯人扱いとか、胸クソ悪すぎるんですけど?」

「まあそう言うな、少しくらいは茶番に付き合え。ククッ」

 

 笑い声を零す帽子屋さん。

 犯人扱いされて気持ちのいい人はいない。しかも探偵役は、あの帽子屋さん?

 世にも奇妙と自称するだけあって、本当に意味が分からないし、とてもおかしな謎解き現場だ。

 今まで読んだ、どんな怪奇小説よりも、どんな童話よりも、奇妙奇天烈で狂ってる。

 

「まず大前提だ。【不思議な国の住人>我々】には、我らが父なる母に授けられ、この過酷溢れる世界で生き残るために獲得した個性()がある。言の葉の連なりによって定義され、発現する特異な力がな。それは当然、人間の持ち得るような技能でもなく、獣のようなある種の超越的身体機能の延長でもない。異質で歪な力だ。不便ながらも便利に使わせてもらっているがな」

 

 個性()……それは、チョウのお姉さんの“複眼”だったり、代海ちゃんの“代用品”のことを指しているんだろうけど。

 言葉の連なり……って、なんのことだろう。

 

「それは、例えば「代わりを用意する」と定義することで代用品を借り受ける『代用ウミガメ』のように。例えば「視点を変える」ことで神の眼を得た『バタつきパンチョウ』のように。例えば「Ⅵの数字を指し示す」ことで時を留めるオレ様のように――『チェシャ猫』は「姿が見えない」」

 

 言葉の連なり……その言葉の羅列、つまり“文章”によって、彼らの力は定義されている?

 いまいちよくわからないけど、それが代海ちゃんたちの力を表現するものであるみたい。

 そしてそれらになぞらえて、『チェシャ猫』というのは、「姿が見えない」能力を備えているらしい。

 姿が見えない……? 透明にでもなるの?

 透明人間?

 

「お次は言葉遊びといこうか。「姿が見えない」と綴られ、定義された言の葉の連なりは、果たしてどのような意味を持つ? 姿が見えないとはなんだ? 透明にでもなるか? それも手だろう。しかし「姿が見えない」という言葉の羅列は、それだけの意味しか内包していないのか? 答えは無論、(No)だ」

 

 言葉の意味?

 帽子屋さんは、一体なにを言ってるの……?

 探偵は必ずしも人にわかるように伝えるとは限らない。頭が良すぎて、考え方が独特すぎて、その推理を披露する時は、常人には理解できない語り口になる探偵も少なくない。

 だけど、こんなに自分勝手に語る探偵を、わたしは見たことがない。

 そしてその勝手なまま、帽子屋さんは語り続ける。

 

「「姿が見えない」という定義は、身を隠すという意味も含まれる。ではその本質はなにか。身を隠すこと、姿を見せないことの本質とは、己の存在を“認識させない”ことだと言えよう」

 

 ……ちょっとずつだけど、わかってきたかもしれない。

 言葉の定義。一つの言葉に含まれる意味。それは単一のものではない。

 わたしは授業で習うレベルの英語しかわからないし、ユーちゃんのドイツも理解できないけど、少なくとも日本語では、一つの言葉から複数の意味を見出すことができる。

 もっと言えば、その言葉から繋がる、連想される意味や言葉も生まれる。それはさながら、物語のように、広く大きく展開していくもの。

 拡大解釈と言えばそれまでだけど、言葉の広がりは世界の広がり。そして広がった意味は、一体なにを表すのか。

 それが、帽子屋さんの口から、語られる……のかな。

 

「さて、ここからは仮定の話だ。チェシャ猫レディなる存在が『チェシャ猫』と深く関係している、あるいはそのものであるとしよう」

「私はチェシャ猫レディだって何度も言ってるんですけどー?」

「まあ待て、あくまで仮定だ。貴様の存在を『チェシャ猫』と同格あるいはそれに限りなく近似の存在として――では、貴様は何者だ?」

 

 指差して、猫のお姉さんを指し示す帽子屋さん。

 語り口、立ち振る舞い。すべてが犯人を暴く探偵のようだけど、それはどこか、おかしく見えた。

 なにが、とは言えない。それが“正しい”ことなのか“間違っている”ことなのかも判断できない。ただ、変だな、と思うだけ。

 探偵は謎を解決する、読者の味方じゃないの? 謎を解くという点においては、正義じゃないの?

 わたしの知ってる探偵のお話は、確かに謎解きによって物語を進め、事件を解決し、正しい行いをした。それを正義と言わずになんと呼ぶか。

 でも帽子屋さんがやっていることは、正しいとは思えなかった。でも、間違っているとも、言えなかった。

 だから、変なの。その悪役のような微笑みも、おかしい。

 まるで――狂ってるみたい。

 

「『チェシャ猫』と近似の存在と仮定しても、それは同一ではない。完全に同じなものとは言い難い。明らかに“異物”が混じっているな」

「…………」

「そう、そうだ。“混じっている”のだ」

 

 念を押すように、これは真実だと確定させるように、帽子屋さんは復唱する。

 猫のお姉さんは口をつぐんでいた。否定しない。それはこの場では、肯定を示す以外の何物でもないというのに。

 

「その異物が『チェシャ猫』という我らが同胞ではなく、チェシャ猫レディなる異形の存在を形成する証左であろうことは想像に難くない。これは間違いないだろう」

「……さてね」

「はぐらかすか。まあいい、簡単に自白されても興醒めだからな。ギャラリーも読者もいることだ、謎解きを楽しもうではないか。では、貴様を構成する概念が『チェシャ猫』を軸とした異物の混入であるとして、ではその異物はどのように取り込まれた? 貴様の姿は、およそオレ様の知る『チェシャ猫』ではない――もっとも、元々オレ様は『チェシャ猫』なる同胞のことは詳しくなかったゆえ、飼い主たる侯爵夫人から裏を取ったのだが――姿、形、口調、魂の在り方さえも合致しない。どこかずれている。これはどういうことか。オレ様は推理したよ」

 

 目深にかぶった帽子の奥から光る、鋭い眼光。

 口元を隠したスカーフが小さく動く、微笑み。

 帽子屋の男は、推理の最後の詰めを、チェシャ猫のお姉さんに、叩きつける。

 

「ここで結論を述べよう。オレ様が導き出した結論は、実に荒唐無稽で非現実甚だしい、それでいて愉快と愉悦に極まるものだ。面白おかしく不思議で狂気。しかしてそれが我々の同胞なれば――納得もいくというものであろう?」

 

 そんな前置きをして、帽子屋さんは続ける。

 荒唐無稽と嘯き、非現実だと騙り、納得がいくなどと根拠もなく言い放つ。

 空想と想像、仮定と仮想から生まれた、彼の推理を。

 

「オレ様が導き出した結論。それは、魂と肉体の融合だ」

「ゆ、融合……?」

「あぁ、融合だ。あるいは、吸収合体、とでも言うのかね? 『チェシャ猫』はどういうつもりか、自分とは種も在り方も異なる女をその身に宿し、吸収し、混ぜ合わせた。即ち、合体だ」

 

 確かに、荒唐無稽だし非現実だ。

 というより、実感がわかない。頭ではわかるけど、それがどういうものかが、感覚としてピンとこない。

 融合、合体。

 口で言うのは簡単だけど、それの意味するところを完全な意味で証明することは、できるのだろうか。

 

「恐らくは人間なのだろうな。人間の女との混血――いいや、混在した魂、とでも言うのか? 混魂……ふっ、まるで(フォックス)のようで愛らしいではないか。もっとも貴様は、元より愛玩の猫であるのだが」

「…………」

「「姿が見えない」という力に、斯様な使い道があるとは思わなんだが、そうであると仮定すれば推理は簡単だ。貴様はその姿を隠すために、擬態した。人間の魂を吸収し、自らの魂と、肉体と、存在と混ぜ合わせることで、『チェシャ猫』という存在を隠蔽しようとした。貴様の持つ特異な力の応用、発展、延長……それによって生み出されたまったく新しい人類にして同胞。それが貴様だ、チェシャ猫レディ」

 

 証明終了(Q.E.D.)

 と、証明にもなっていない、不完全な、けれどもなにかを開いた帽子屋さんの推理でもって、この謎解きは、ひとまずの終わりを迎える。

 しばしの静寂。雨と風の音だけが支配する世界が訪れた。

 

「と、以上がオレ様の推理だが……どうだ?」

「……70点」

 

 自らの推理について問う帽子屋さんに対して、猫のお姉さんは、小さく評価した。

 

「厳しく見積もって70点。いい線言ってるけど、残念ながら正解とは言い難いかな。考え方は間違ってないけど、結論がちょっとずれてるね。まあ、彼女から聞いて推理したなら仕方ないとは思うけどさ。だって、あなた――“俺”のこと、そんなに知らないんでしょう?」

 

 え?

 なに、今の?

 

「ほぅ……表立ってきたな、チェシャ猫」

「ん……あんまり揺さぶらないで欲しいな。一応、パーソナリティは“私”ってことになってるんだから」

「その口振り、嘘ではないようだな。しかし貴様について無知であったことは認めよう。貴様の告げた通りオレ様も、公爵夫人から聞き及んでいただけでな。元より貴様は、同胞とはいえ、奴の飼い猫だったゆえ。隣人のペットについてまでは、流石に詳らかに既知とは言い難い」

 

 猫のお姉さんの口調が、ぶれた……? パーソナリティ?

 二人はなにかを察しているみたいだけど、どういうこと?

 さっき一瞬だけ出て来た猫のお姉さんじゃないなにかが、帽子屋さんが『チェシャ猫』と呼ぶものなの?

 

「自信のあった推理が満点でないのは残念だが、貴様が『チェシャ猫』であることは――『チェシャ猫』を内包する存在であることは確認できた。十分な成果だ」

「ねぇちょっと。自分ばっかり満足してないでよ。私だって聞きたいことがあるんだから」

 

 一人満足げな帽子屋さんに対して、猫のお姉さんが噛みつく。

 そう、そうだ。

 帽子屋さんが猫のお姉さんの正体を探っていたように、猫のお姉さんも帽子屋さんたちの――【不思議の国の住人】のことを、探っていた。

 この推理の場は、謎解きの場面は、決して帽子屋さんのためだけのものではない。

 お姉さんは問う。

 今まで何度も何度も問うてきた、彼らのことを。

 

 

 

「あなたたちは何者で――なにが目的なの?」

 

 

 

「……それは、『チェシャ猫』としての問か? それとも女、貴様の疑問か?」

「私はチェシャ猫レディ。その存在は揺るがないよ」

「そうか。それは失礼した。ふむ、そうだな。思い返せば、飼い猫にはオレ様たちのことは話していなかったかもしれん。公爵夫人(飼い主)もなにも口にしていないのなら、それは筋の通った疑問と言えよう」

「…………」

 

 眉根を寄せるお姉さん。

 それはきっと、帽子屋さんの中に存在する前提が、チェシャ猫レディから『チェシャ猫』へと完全に移ってしまったからだろう。

 帽子屋さんがなにをどう考えているのかはわからないけれど、お姉さんは帽子屋さんからなにかを感じ取って、それが気に入らないらしい。

 

「そも、これは我々にとって共通認識でもなし。オレ様の気が向いたら零す程度の戯言に過ぎん。なぜとな? 理屈は至って簡単だ。今から語ることは、なにもおかしなことはないからだ。それは生物としては至極当然の理念であり、わざわざ口にするまでもない、そう、当たり前のことであるからだ。当然で公然の事実を口にする意味など薄い。大抵の者は知っているだろうが、それを知ることが重要なのではない。大切なことは、“当たり前のものが当たり前に享受される現実”だ」

 

 応答一つ取っても、話が逸れ、拡大され、一見するとまるでわけのわからないところに着地する。

 今日の帽子屋さんは、特にそうだ、今まで以上に、不可解な言動を繰り返している。

 だけど、不可解だけど。わけがわからないけど。

 それでも今日の帽子屋さんは、答えてくれた。

 なにが彼をそうさせたのか。推理を披露して嬉しくなったのか、その推理の結果が嬉しかったのか、それともまったく別の理由があるのかはわからない。予想もできないし、予想がつかない。

 

「御託が長引いたな。ではチェシャ猫レディとやら。貴様が我らが同胞『チェシャ猫』を内包する者として、欠片でも我らが同胞の性質を持つ者として、我らが同胞の一端として話してやろう」

 

 けれど。

 それでも今日という日は、確実になにかが進み、動き出す日だった。

 今まで隠されていた――いいや。わたしたちが辿り着けなかった答えが今、帽子屋さんの口から、明かされる。

 

 

 

「【不思議の国の住人】という存在は如何なものかをな――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「遥か昔、この地球は誕生した。そこから長い月日を得て、この星には数多の生命が生まれ、そして進化を繰り返してきた。それが、貴様ら人間の間で認知されている歴史だ」

 

 帽子屋さんは最初に、そう語った。

 その導入に思わず、首を傾げてしまう。

 

「おっと、文脈から変な勘繰りをしているな? 別段、これを否定しようというわけではない。ただの前提を話しただけに過ぎんよ。共通認識というやつだ。それがなければ、人間は言葉を交わすだけでも一苦労だからな……そう、人間だ。その生命の歴史の中で人間という種は、進化によって驚異的な能力を獲得した」

 

 歴史なのか、地学なのか、生物なのか。

 なんの科目か、そのすべてなのか、あるいはまったく別のなにかなのか。帽子屋さんの話はなんなのかわからないけれど、思ってもみない切り口から語られて、思わず面食らう。

 

「人間はその進化の歴史において、大地に二つの足で立ち、二つの手腕で物を作り、言葉という情報伝達手段を開発し、あまつさえ自然を脅かす炎すらも自らの技術に取り込んだ。自然界で生きる獣としては、異例中の異例。型破りも甚だしい。異端とすら言える、反自然的な文明の発達だ」

 

 これは褒められているのか貶されているのか。

 反自然的……環境問題とかを言っているのかな。だとすれば、確かに人間は、自然から反しているのかもしれない。

 

「人間の歴史は文明の歴史でもある。文明とはかくも不思議なものだな。この世界にあるものしか用いないというのに、自然界には存在し得ない物体を、物質を、あらゆるものを創造する。享楽、娯楽、歓楽――生殖や生命機能の存続としての意味しかない快楽すらも、無駄でしかないものすらも、知能と感情によって、善良な性質を付与した。効率と能率によって支えられながらも、それが獣の法則でありながらも、不必要なものさえも愛する。思想、概念――考え方という定義、仮定。なんともまあ、人間は自然から反したことをするものだ」

「冗漫に過ぎるよ。あなたは、なにが言いたいの?」

「前座だよ。前口上のようなものさ。このように、人間はあらゆる生命の頂点に立った。この星は、人間のものと言っても過言ではないだろう。地上も、海も空も人が支配し、管理している。その中で社会を構築している。どころか、他の生命さえも支配と管理を試みる始末だ。あぁ、なんと勇ましく、挑戦的なのだろうか! そして同時に、なんと傲慢なことだろうか!」

 

 称賛したり、批判したり。言葉の上だけでは判断のつかない口振り。

 帽子屋さんはなにが言いたいのか。なにがしたいのか。

 最初から最後まで、今に至るまで、なにもわからない。

 

「人間はこの地球を支配し、管理し、観察し続けている。この星で把握できないことはないと言わんばかりに――いいや、それが支配者の証明だな。人間は己が支配者であろうとするために、この星のすべてを知ろうとしている。その手に収めるためにな」

「そんな大それたこと考えていきてる人なんていないよ、たぶん」

「無論、人間はすべてを知ってなどいないし、それは個人によるものではない。それは奴ら自身が知っていることだ。無知の知、知らないことを知っている。そこが人間の賢しいところよな……奴らが果てない能力を持つにもかかわらず、すべてを知り得ない理由は、大きく分けて三つある」

 

 帽子屋さんは指を三本立てて、これを一つずつ折っていく。

 

「一つは、この星も常に新たな概念が構築されているから。星も文明も、進化する、成長する、発展する。新たなものが、この星には追加され続ける。ゆえに、探求は終わらない。完成も完了も終了もあり得ない」

 

 新たな概念……

 星の進化とか成長っていうのはよくわからないけど、新しいものが追加されるというのは、少しわかるかも。

 新しい技術。新種の生物。新エネルギー。そういったものが、この世界の百科事典(ライブラリ)に追加されている。

 それに、鳥さんとかクリーチャーとか、あり得なような存在もやって来る。

 これが延々と繰り返されるなら、確かに終わりはないし、だからこそ“未知の存在”を完全に潰すことは不可能だ。

 帽子屋さんは、二本目の指を折った。

 

「二つ目は、過去の失われたものは知り得ないからだ。完全に喪失されたものは取り戻せない――少なくとも、現時点ではな」

「現時点では……」

「それが三つ目。現時点での完了はあり得ない。未来であれば、あるいはそれは可能なのかもしれない。アカシックレコードと言うんだったか? あれを、あるいはあれと類似したなにかを読み解くことが、いずれ可能なのかもしれないな。その可能性は否定せん。否定はせんが――それはあくまでも、未来の話。オレ様が話しているのは“現在(いま)”だ」

 

 ……なんだか、屁理屈っぽいというか、当たり前なことを言ってるだけに聞こえる。

 この瞬間では全部を知ってないから、全部を知っていないなんて言われても、だからなに? という感じだ。

 それが一体、どうしたというのだろう。

 そう思ったわたしに、一つの答えが示される。

 

「今現在においては、どうしたって完了しない。現在において隠されたものは、現在においては知り得ない。逆に言えば、現在において貴様ら人間は“発見していないものがある”。そしてそれが――【不思議な国の住人(我々)】だ」

 

 ……え?

 でも、確かに。

 帽子屋さんや代海ちゃんたちの存在は、明るみには出ていない。たぶん、彼らのことを知っているのは、わたしたちみたいな一部の人だけ。

 人間はすべてを知り得ないなんて遠回りなこと言って、言いたかったのはそれ?

 いいや、帽子屋さんが探偵を語るのなら、騙ったのなら、まだ終わらない。

 ここからが、本番だ。

 

「遥かな過去にこの地球に産み落とされ、成長と進化を繰り返し、いつしか自我を持ち、一つの種となり――我々は、ここまで生き残った。貴様ら人間と同じように、知性も、知能も、感情も得た。貴様らと違い、生き残るための個性()も得た」

 

 ずっと昔から、この地球で成長と進化してきた命。

 それって……

 

「人間と……いや、地球の生き物と、同じ……」

「左様だ。しかし我々には、貴様らと、貴様らの認識する獣どもとの、最大の差異がある。概念として、種として、定義されているか否かだ」

「定義? 名前、ってこと?」

「まあ、詳細なニュアンスなどどうでもいいゆえな。その認識で構わないさ。我々は己が種を定義できない。ゆえに暫定的に【不思議な国の住人】などと(うそぶ)いているに過ぎない、ということだ」

 

 種として定義されていない。

 人間が発見した地球上の生物――いいや、生きていないものでもなんでも。この地球で、人間が発見したものすべてに、人間は名前を付けて、概念としてその存在に説明を付けている。

 特に生き物の種とは、そういうものだ。人間が観測したことで、どういうものか、どう呼ぶのかが決定されている。

 でもそれは、人間が見つけたから。人間が見つけたものにしかない。

 “人々”がその存在を知覚しなければ定義はできず、逆説的に定義されていないものは発見されていない。そして、認識されていない種が存在するのであれば、それを定義するものはまだ、どこにもいないことになる。

 そのどこにもいない、認知の外にいた存在が、帽子屋さんたちなの?

 

「根本的には、【不思議の国の住人(我々)】も、貴様らも、なにも変わらん。そして、自然から踏み外したという所業もな。ただその時期と、結果が少し違えただけだ……そうだ、わかるか人間? この世界で知性を持った生物は、それほどの進化を遂げた生命体は、貴様らだけではない。自惚れるなよ。我々も貴様らと同じで、強かに生きてきた」

 

 この地球で生まれ、その生態系の中で生きて、進化して、わたしたち人間のように言葉を喋っている。道具を使い、作り、文明や文化を理解している。

 知的生命体。そして、この地球で生きてきた命という点で、人間も、帽子屋さんたちも、なにも変わらない。

 ただ、他の動物と同じ。どう進化したのかが少し違ってて、少し似ていた。ただ、それだけだ。

 別の星から来たクリーチャーとは違う。むしろ、わたしたちに近い存在。

 それが――【不思議の国の住人】。

 

(そう、だったんだ……)

 

 図らずもクリーチャーの事件に関わってる身だから、勝手にその類だと思い込んでいたけれど、実際はまったく別。無関係なものだった。

 どころか、わたしたちに近しい生き物だ。

 今を生きるわたしにはピンと来ないけど、でも、理解はできる。この地球で生まれて、育って、こうしてここにいる。その進化の過程で得た力は不思議だけど……でも、その歴史は、生き方は、人間や、地球上のあらゆる生き物となにも変わらない。一つの種だ。

 

「……ふぅん。ま、猫が二本足で歩いて喋ってるようなものか。要は未確認生物(UMA)みたいなもんでしょ」

「腹立たしい解釈だが、まあよかろう。貴様らが傲慢ちきなことは知っている。あらゆる生命体を支配下に置こうとする、そんな自惚れた種であることを知っている。その上で、自らの存在を隠匿し、それを察知する程度には、我々の能力は高かった。しかし、しかしだ人間。さっきも言ったが、この星は貴様らの支配下に置かれている。貴様らの社会が牛耳っている。この意味がわかるか?」

「?」

「支配者たる自覚がないのか。繁栄しすぎたがゆえに、種としての共通認識や自覚が欠如しているのは、貴様らの欠点だな。まあいい。オレ様の目的は、【不思議の国の住人】の総意は、とても単純でありふれた、当然にして純然、些細な願い――種の繁栄だ」

 

 種の、繁栄……?

 それは、つまり――

 

 

 

「我々が望むは種の存続と繁栄。即ち――我々の世界を、我々の国を、我々の社会を創ることだ」

 

 

 

 ――あらゆる生命体の、本能的願望。

 崇高でも低俗でも、高貴でも野蛮でもない。

 面白おかしく狂気に満ちた彼らからは、まるで想像もできないほど、普通で平凡で、当たり前な願いだった。

 

「なにもおかしなことはない。生物としては当然のことだ。意識的か無意識的か、理性的か本能的かはさておき、誰もが己が同胞と言える種が長くこの世界に残り、豊かな発展を遂げることを望む。我々とて同じだ」

 

 確かにおかしくはないけど、明らかにおかしい人たちが集まっているのに、そんなに当たり前なことを言われてしまうと、奇妙に感じてしまう。

 繁栄、存続。世界、社会。

 そんな概念を持って理解できるのは、自我と知性を持ち得る生物だけ。そしてそれができるのは、わたしたちの世界では人間のみ。

 だけど事実はそうではなかった。

 帽子屋さんたちも――【不思議の国の住人】も、人間と同じ意識と叡智を持っている。

 けれど人間と違うのは、生きている世界。

 帽子屋さんの言うように、この世界は人間がかなりを掌握している。その中に、他の動物が、本当の意味での生存権を握っているとは言い難い。

 決して無碍にはしないけれど、人権という言葉が指し示すように、この世界は、人の世界は、この星は、人間を中心に回っている。

 つまりこれは、人間と同等の力を持ちながらも、人間の世界から外れた者たちの逆襲。

 己の生存と、未来への栄光を賭けた、一種の生存競争。

 わたしには、あまりに話が壮大で、まったく実感が湧かない。

 だけど、この話を聞けて良かったと思ってる。なぜか、ホッとしてる。安心してる自分がいる。

 

「人間は種としてあまりに強大だ。我々の社会を創ることさえ叶わんほどにな。ゆえに今は貴様らの社会に寄生し、己を偽装して紛れ込むという生き方に甘んじているが――忘れるな。我々は常に、我々の生きる場所のために生き続ける。そのためなら、貴様らに牙を剥くことも厭わない」

 

 そんな物騒な言葉も、なぜか刺さらない。なにも感じないわけじゃない。ただ、棘として受け取れない。

 やっぱり……間違ってないんだ。

 この人たちは、帽子屋さにゃ、代海ちゃんは、なにも間違ってなかったんだ。

 悪いことなんて、なにもなかったんだ。

 

「……まあもっとも、今の我々は非常に惰弱でな。今は貴様らの社会に紛れて生きるのが精一杯、というのが現状さ。貴様ら人間は、種として、集団として、あまりに強く、大きい。そして成長速度も凄まじい。矮小なオレ様たちはそれを妬み、野望ばかりが膨らんでしまったようなものだよ」

 

 と、最後に肩を竦めて言う帽子屋さん。

 それを神妙な面持ちで聞いていたチェシャ猫レディのお姉さんは、

 

「……成程ね。納得したよ」

 

 帽子屋さんの言葉を、素直に飲み込んだ。

 猫のお姉さんのことだからもっと疑ってくるのかと思ったけれど、思った以上に、そのまま受け取っていた。

 だけど、

 

「なんか、萎えちゃったな」

 

 冷めた目。興味を失ったような冷たい視線を、帽子屋さんに向ける。

 

「私がこんな躍起になって探ってたことが、そんな当たり前のことだったなんてね。いや、否定はしないよ? いいんじゃない、そういうのも? ただ、なんか期待しちゃってたのかなぁ。正義のヒーローと相対するのは、巨悪であるということに。だから……うん。“期待はずれ”だったよ」

 

 期待はずれって……

 ちょっと、酷い言い方だと思った。

 猫のお姉さんは踵を返す。帽子屋さんに背を向けて、歩を進める。

 その背中に、帽子屋さんが驚いたように声をかけた。

 

「おいおい? どこへ行くつもりだ?」

「? 帰るんだけど? 聞くことは聞けたし、こんな嵐の中にいつまでもいてらんないって。ベルちゃんも、目的は果たしたわけだし、もう帰ろうよ」

「え? あ、はい」

 

 確かに代海ちゃんを見つけることはできたし、わたしの目的は果たせたと言える。

 こんな身体も冷え切ってるし、代海ちゃんもちゃんと休ませてあげたい。みんなも心配してるはず。だから、お姉さんの帰るという選択には賛同できる。

 だけど、

 

「なにをとぼけている。“オレ様の推理はまだ終わっていないぞ”?」

「……は?」

 

 帽子屋さんが、それを許さない。

 わたしも、まさかこれですべてが終わりだなんて、思えない。

 いつもの帽子屋さんなら、あっさり引き下がっていたかもしれない。

 だけど今日は、いつもと違う。なにかが違う。

 まだ、終わらない。

 

「満点の正解を導き出すまで、貴様を逃がすつもりはない。もう少し、相手をしてもらおうか。いいや、もう聞き出す方が手っ取り早いか?」

「うわっ、うっざ……」

 

 露骨に嫌な表情を見せる猫のお姉さん。

 何度も言うけど、こんな暴風雨の中にいつまでもいるわけにはいかない。そもそも、この状況で話し込んでいる今は、非常に異常なのだ。

 その異常から脱したいのは、誰も同じはず。なのに帽子屋さんは、一人だけそこから抜け出ようとしない。

 抜け出ることを拒否しているのではなく、それをするには、まだ満足していないと言いたいのだ。

 そんな頑固さ、融通の利かなさ、諦めの悪さ。お姉さんは振り返ると、苛立たしそうに息を吐く。

 

「本当に厄介だなこの人。邪魔も邪魔だよ。だけど振り切る自信もないし、仕方ない。そんなに轢殺して欲しいなら、相手してあげるよ。お望み通り特急列車に撥ねられて死ね」

「え……?」

「おっと……」

 

 慌てて口を塞ぐお姉さん。だけど、確かに聞こえた。

 まただ。しかも今度は、またちょっと違う感じで。

 チェシャ猫レディさんの口調が、おかしくなっている。

 しかもそれは、お姉さんの仕草から、お姉さんが意図したものではないみたい。

 なにかがずれているような。崩れていくような。

 そして、チェシャ猫レディという存在が、揺らぎつつあるように見えた、

 

「ちっ……やるなら早く始めよう」

「それが望ましいようだな。そしてこの戦いが、貴様の真の姿を見定める鍵になりそうだ」

 

 因縁は終わらない。

 それほど衝突しても、言葉を交わしても、推理を披露しても、問いただしても。

 こんな嵐の中でも関係なく、二人は相対する。

 正義を語るチェシャ猫レディさんと、狂気を紡ぐ帽子屋さん。

 これまで、ただ探り合うだけで、誰かを通じて間接的に接触して、実際の言葉を交えることさえもほとんどなかった二人が、遂にぶつかる日が来た。

 今ここに、二人の道化がカードを持つ。

 

 

 

「特急列車が参ります、ご乗車の際は轢き殺されないようご注意ください――帽子屋さん(The Mad Hatter)

 

ようこそ、不思議の国へ(Welcome to Wonderland)――歓迎しよう、チェシャ猫レディ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「オレ様の超次元はこいつだ」

 

 

 

[帽子屋:超次元ゾーン]

《邪帝斧 ボアロアックス》×1

《神秘の集う遺跡 エウル=ブッカ》×1

《激相撲!ツッパリキシ》×1

《勝利のプリンプリン》×2

《サンダー・ティーガー》×1

《エイリアン・ファーザー<1曲いかが?>》×1

《イオの伝道師ガガ・パックン》×1

 

 

 

 対戦開始直前、帽子屋さんは超次元ゾーンを公開した。

 自然のドラグハートが二つに、サイキックが五体。見たことのないカードもあるけど、そんなことよりも、帽子屋さんが超次元を使うというのが驚きだった。

 わたしが帽子屋さんと対戦したのはたった二回だけだけど、そのどちらも超次元なんてなかった。また、デッキを変えたのかな?

 

「この次元は、イメン……?」

 

 小さく呟くお姉さん。わたしにはこの超次元じゃ帽子屋さんのデッキはわからないけど、お姉さんは知ってるのかな?

 

(次元かぁ。確かに帽子屋さんは、五色ジョニーも使ってたらしいし、それに次元を突っ込むことも、まあなくはないだろうけど……ジョーカーズと思って、せっかく帽子屋さんメタったデッキ組んできたのに、ここでデッキを変えられるなんて。でも、ブラフの可能性もあるし……手札が最高なだけに、これは迷うなぁ。どう動いたものか……)

 

 お姉さんは、難しい顔で手札と見つめ合っていた。

 手札が悪いのか。それとも、帽子屋さんの超次元に惑わされているのか。

 険しい表情のお姉さんに対して、帽子屋さんは不敵なようで、どこかおかしく微笑ながら、カードを切る。

 

「オレ様の先攻だ。《タイム3 シド》をチャージ。ターンエンド」

「《シド》……これでジョーカーズの線はなくなったかな……私のターン、ドロー」

 

 帽子屋さんのマナには、光と水のクリーチャー。

 ジョーカーズじゃないんだ……ってことは《ジョリー・ザ・ジョニー》からの奇襲みたいなエクストラウィンはない。

 多色カードってことは、最初に対戦した時に使ってた、赤い方の《ジョリー・ザ・ジョニー》でエクストラウィンなのかな?

 

「いい引き……なら、迷うことはないね。《バッテン親父》をチャージ! 1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 《ヤッタレマン》を手札に加えてターンエンド!」

 

 

 

ターン1

 

帽子屋

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

チェシャ猫レディ

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:1

山札:28

 

 

 

「オレ様のターン。《カレイコ》をチャージし、2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚」

 

 《ノロン⤴》? わたしもよく使うクリーチャーだけど……なんだろう。最初に使ってたデッキとも、なにか違う感じがする。

 

「《カレイコ》、それに《ノロン⤴》……? あれ本当にイメン……?」

 

 それは猫のお姉さんも感じているみたいで、訝しげな視線を向けていた。

 帽子屋さんは《ノロン⤴》の能力で、手札を入れ替える。

 

「二枚ドロー。そして二枚捨てる。捨てるのは、《天下統一シャチホコ・カイザー》と《終末の時計 ザ・クロック》だ」

「《シャチホコ》!?」

 

 目を見開くお姉さん。

 光と闇と火のクリーチャー。

 あのクリーチャーが、帽子屋さんのデッキの、キーカード?

 

「ってことはあれ、湧水シャチホコなの? でも、シャチホコであの次元って、ブラフじゃないとしてもわっけわかんない……あぁ、クソッタレ! 私のターン」

 

 自棄になったように叫び、カードを引くお姉さん。

 ……まただよ。また、お姉さんの口調が揺らいだ。

 飄々としてて掴みどころがないのは確かだけど、だからってこんな荒々しい言葉遣いではない。

 やっぱり、お姉さんの中でなんかが歪んでいるような気がする。

 

「ふっ。貴様も、オレ様の狂気に当てられたか? 頭がイカレてきたか?」

「うるさいよ! わけわかんないし、面倒だから超特急で轢き殺してやる! 《ヤッタレマン》を召喚! そしてG・ゼロ! 《ゼロの裏技 ニヤリーゲット》を唱えるよ! トップ三枚を公開!」

 

 めくられたのは、《ジョジョジョ・ジョーカーズ》《バイナラドア》《タイム・ストップン》。

 全部、無色カードだ。

 

「あんまり強くはないけど、まあいいか。三枚とも手札に加えるよ! これでターンエンド!」

 

 

 

ターン2

 

帽子屋

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:2

山札:27

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:6

墓地:2

山札:24

 

 

 

「オレ様のターン。マナチャージ、3マナで《コアクアンのおつかい》。山札を三枚公開だ」

 

 猫のお姉さんに対抗するように、帽子屋さんも山札をめくる。

 めくられたのは、《タイム1 ドレミ》《タイム3 シド》《湧水の光陣》の三枚。すべて、光を含むカードだ。

 

「Good、すべて手札に。これでターンエンドだ」

「やっぱり湧水……これは、唱えられる前にぶちのめすしかないね。私のターン! まずは2マナ、《パーリ騎士》! 墓地のカードをマナに置いて、1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 四枚見て……」

 

 めくったカードを見て、少し考え込むお姉さん。

 だけど、半ば投げやりに、一枚を掴み取った。

 

「……これでいいや。《ダンガンオー》を手札に加えるよ! 残った1マナで《ヤッタレマン》を召喚! ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

帽子屋

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:3

手札:5

墓地:3

山札:23

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》×2《パーリ騎士》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:22

 

 

 

「《ドレミ》をチャージ、3マナで《シド》を召喚。ターンエンドだ」

「動きが鈍い? それともなにか狙ってるのか……」

「狙い? 確かに狙いはあるな。貴様も半分くらいは予想できているのではないか? もっとオレ様は、結末さえ同じなら道程は問わない。最高にイカしたタクティクスを生かし、イカレた結末を良かれと受諾するだけで、予想があろうとのなかろうと、狙いとはただそれだけなのだがな……おっと、これではまるで眠りネズミのような口振りだな」

「あぁ! うるさい、耳障りだよ! 今はわたしのターン! “黙っててください”」

「おやおや? またか、随分と情緒が不安定だな。銀でも飲んだか?」

「っ、うるさいうるさい! 気が散りますって、黙ってて!」

 

 これで何度目だろうか。

 荒々しい口調から、今度は最初の時のような、どことなく慇懃に、お姉さんの口調が歪んだ。

 その歪みは、少しずつ大きくなっていく。

 

「んっ……クソッ、こん畜生め。お前は人の神経を逆撫でする天才か」

「オレ様が揺さぶっているのは認めるが、貴様も大概、自ら“ぶれている”のではないか? 正体を明かされ、そんなに戸惑っているのか? だいぶ“鍍金(めっき)が剥がれているぞ”?」

「そんなこと……あぁ、もういい。うざいし、とっとと決める! 《ヤッタレマン》二体でコスト軽減マイナス2、4マナタップ!」

 

 ! これは、来る……!

 猫のお姉さんの、切り札が。

 

 

 

「雨風嵐も関係ない。夜空を奔る一閃の弾丸――貫け! 《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 手札から一直線にバトルゾーンへと飛び出した、新幹線のロボット、《ダンガンオー》。

 《ダンガンオー》は、登場ターン限定だけど、他のジョーカーズの数だけブレイク数が増える。今のお姉さんの場には《ヤッタレマン》二体に《パーリ騎士》の、合計三体。

 最初から持っているWブレイカーと合わせて、ブレイク枚数はプラス3、合計五枚。

 つまり、帽子屋さんのシールドをすべて打ち砕く力を持っている。

 

「ぶち抜け、ダンガンインパクト! 《ダンガンオー》ですべてのシールドをブレイク!」

 

 《ダンガンオー》が突貫する。ジョーカーズたちの力を拳に集めた、一点集約の攻撃。全身全霊の一撃。

 超特急で超高速。正に、必殺技だ。

 だけど、

 

「……させんよ」

 

 大きく振りかざした、必殺の拳は――

 

「ニンジャ・ストライクだ――《光牙忍ハヤブサマル》」

 

 ――帽子屋さんには、届かない。

 

「《ハヤブサマル》自身をブロッカー化、ブロックだ」

「っ、止められた……!」

「必殺の一撃でも、その一撃さえ届かなければ無意味だ。さぁ、後続はどうする?」

「……ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

帽子屋

場:《ノロン⤴》《シド》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:4

山札:22

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》×2《パーリ騎士》《ダンガンオー》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:21

 

 

 

「オレ様のターン……さぁ、そろそろこちらも攻めていこうか」

 

 お姉さんの一撃を捌いた帽子屋さんは、余裕綽々と言わんばかりに手札のカードを弄んでいる。

 そしてそれを、ピッと抜き取った。

 

「マナチャージ。そして5マナで、《ノロン⤴》をNEO進化!」

 

 NEO進化!?

 い、いや、わかっていたことだよ。帽子屋さんのデッキは、今までのデッキとはまるで違う。

 目的がハッキリしているのに、手順通りに進まない。道筋が決まっているのに、脇に逸れる。確固たる意志は、薄弱に曲がる。

 ずれてるし、歪んでるし、外れてる。思っていた方向に動かないと思ったら、馬鹿みたいにまっすぐになって、すぐ折れ曲がって、元に戻る。その工程を圧縮して、一つにまとめたみたいな、違和感を固めたような、おかしさ。

 表層を不可思議な仮面で偽った、帽子屋さん。

 その様は、そう。

 

 狂っ(イカレ)ている。

 

 今までは、そこまで思わなかったけど、今の彼を見るとよくわかる。

 無意味なことに熱中して、無意味なことに楽しんで、無意味に自分も人も苦しめて、結果は無為に終わる。

 なのに、目指す果ては有意義で、当たり前で、当然で、納得できて……悪いことじゃ、ない。

 そのちぐはぐさが。どっちつかずさが。混沌が。『帽子屋』という男の人の、致命的な狂気を見せている。

 そしてそれは、彼の操るカードも。

 狂気的で狂喜的な微笑みから繰り出される、その“狂気”とは――

 

 

 

帽子屋のように狂え(Mad as a hatter)――《ジャババ・ハット》」

 

 

 

 ――帽子、だった。

 禍々しい邪気を纏った、帽子。

 目玉に口があって、まるで付喪神、お化けのようだけど、その周囲には邪悪な魂が漂っている。

 

「じゃ、《ジャババ・ハット》……!?」

「イカした帽子だろう? そして同時に、イカレた帽子さ」

 

 言い終わるや否や、帽子屋さんはすかさず場のクリーチャーに手をかける。

 攻めるという宣言は、嘘や偽りではなかった。

 本当に、帽子屋さんはここから、猫のお姉さんを倒しにかかる気だ。

 その、狂った気で。

 

「まずは《シド》でプレイヤーを攻撃……する時に、革命チェンジだ」

「えっ、革命チェンジ!?」

「そうだとも。出るのは彼、《タイム2 ファソラⅩⅡ(トゥエルブ)》! こいつの帽子もなかなかクールでいいものだぞ? なにせ能力で手札から、コスト4以下の光の呪文を唱えられるのだからな! 唱えるのは、当然このカード! 《湧水の光陣》!」

「っ、そうやって唱えるのですかよ……!」

 

 舌打ちして、また妙な言葉遣いで口走るお姉さん。

 何度も何度も。戻ってはずれ、戻ってははずれ、歪んで狂っていく。

 

「どうした? 口調も、呼吸も、身体も乱れているぞ? 淫らなのは三月ウサギで十分、今は踊り狂え! 月光の化身のように、神話の英雄のように、蛇龍の姫君のように! 捨て去れ、忘れて覚えろ、この大嵐の記憶をな!」

 

 ……だけど、言葉がおかしいのは、お姉さんだけじゃない。

 帽子屋さんも、明らかにおかしい。テンションが高いとか、そういうことじゃない。言っていることが支離滅裂だし、わけがわからない。

 なにかの比喩とかでもなく、たとえ比喩でも意味のないことっぽい。そして、ただわけのわからないことを口走っているようにしか思えない。

 どんどん本当の彼女からずれていく、チェシャ猫レディのお姉さん。

 どんどん本来の彼から狂っていく、帽子屋さん。

 どっちもおかしくて、壊れるように歪んでいく。

 そんなこの対戦は、狂気そのものだ。

 

「銀の水によって這いずれ、這い回れ、這い上がれ! 湧いて出ずるは《湧水の光陣》! その効果で、墓地からコスト3以下のクリーチャーを復活させるが……オレ様の場に水または自然のクリーチャーが存在することで、蘇生範囲を5コストまで拡大する」

 

 狂った口上から、一転して淡々とテキストを読み上げる帽子屋さん。

 その流転、奇妙なほどきれいな流動が、怖いくらい変だ。

 

「外なる神にも成れない、龍の成り損ない。貴様は細小を極めし辺獄の辺国にて、天と宇宙>ソラを見据えていればいい。それ即ち、うつけの大口、魔王の如き大食。存在証明も不在証明もいらないから、とっとと死んで生きて輪廻を回すがいいさ」

 

 地の底まで浸透し、湧き上がるのは銀の水。《ファソラⅩⅡ》の存在によってより大きな流水となった湧水は、地底で渦巻く魔方陣となる。

 そしてまた、狂気に飲まれた魔獣が、地上に現れる。

 

 

 

「イカレた帽子で世界を取る時間だ――《天下統一シャチホコ・カイザー》!」

 

 

 

 顔がない。目がない。あるのは剣山のような、地獄のような、赤く鋭い牙が並ぶ大口と、悪魔のような翼。

 ドラゴン……に、見えなくもないけど、あまりにも異形だった。

 周囲には、紫電と共に空間が歪みかけていて、歪に揺れている。

 

「このタイミングで《シャチホコ》まで……!?」

「おうとも。《ファソラⅩⅡ》から進化だ! そして喰らえ、《シャチホコ・カイザー》でWブレイク!」

「ここで止めたいけど……あぁ、無理。トリガーなし!」

「では次だ。ここは狂っていても違えないぞ? オレ様も伊達にイカレてない。頭の螺子(ネジ)を飛ばすのには慣れているからな。異常で正常な軌道を進め、《ジャババ・ハット》で《ダンガンオー》を攻撃」

 

 《ダンガンオー》のパワーは7000あるけど、《ジャババ・ハット》はそれを上回る9000。

 《ジャババ・ハット》は大きな口を開けて、飲み込むように《ダンガンオー》へと食らいつき、頭を噛み千切った。

 だけど、

 

「ククッ。あぁ、喰らったか。ならば貴様も、大食の罰を受けるべきだな。木馬バエではないが、貪食の毒虫には穢れた罰則が待っている。夜闇の誘蛾灯のように、静謐と醜悪に散って死ね」

 

 直後、《ジャババ・ハット》も爆散した。

 その爆発で《ダンガンオー》の身体も木端微塵に砕け散ったけど、バトルに勝った《ジャババ・ハット》まで破壊されるなんて、どうして……?

 

「攻撃後、《ジャババ・ハット》は破壊される。それが運命、定め、そしてそういう能力だ。帽子を固めようと思ったら、身を犠牲にするからな。だから気が狂う……が」

 

 その瞬間、《シャチホコ・カイザー》が咆えた。

 すごく、不気味な咆哮だ。鳥でも、獣でもない。この世のものとは思えない、甲高いのに重く響く、不快でおぞましい、恐怖の叫び。

 

「死んだか? 死んだな? ならば死に狂え。オレ様のクリーチャーが破壊されたことで、《シャチホコ・カイザー》の能力発動! 超次元ゾーンから、光、闇、火のコスト7以下のエイリアンサイキック・クリーチャーを呼び出すことができる。呼び出すのは……まあ、どれでもよいか。とりあえずこれにしておこう。同胞の親しみはオレ様でも理解できるゆえな。出でよ、《激相撲!ツッパリキシ》」

 

 《シャチホコ・カイザー》の雄叫びで、周囲を走っていた紫電が活性化。空間を、次元を歪ませて、歪を大きくて、穴を作る。

 その穴から出て来たのは……お相撲さん?

 これもまた、目がないのっぺりした顔に、不自然なほど大きな口をお腹にも持っていて、全身が火だるま。しかも、今にも崩れそうなほど、炎の亀裂が走っている。髷と廻しのような意匠がなければ、ただの怪物だと思っていたに違いない。

 

「さらに! 《ジャババ・ハット》の能力も発動だ! いくらでも出て来る、幸運の金袋のように! 禁忌で不幸になりながらな! 《ジャババ・ハット》が破壊された時、直前にNEO進化クリーチャーであった場合、墓地に落ちたこいつを場に呼び戻すことができる! おっと? 言葉の順番を間違えたか? まあ、どちらでもよいか」

「真面目な対戦中にふざけんなっての!」

「なにを言うか。茶会(ティータイム)も、推理小説(ミステリ)も、札遊び(カードゲーム)も、楽しんでこそだ。そいつはイカレてても分かるぞ? しかし、狂いすぎても後が面倒だ。多少なりともまともな頭に戻すのは骨だからな。というわけで、戻ってこい《ジャババ・ハット》! 《ツッパリキシ》からNEO進化!」

 

 《シャチホコ・カイザー》の能力で出て来た《ツッパリキシ》が、墓地から戻ってきた《ジャババ・ハット》の飲み込まれて、吸収されるように一体化――進化する。

 ……あれ? これ、バトルゾーンの状態が、さっきと同じになった……?

 《ジャババ・ハット》が攻撃すれば破壊されて、破壊されれば《シャチホコ・カイザー》の能力でサイキック・クリーチャーが出て、そのサイキック・クリーチャーを進化元にして《ジャババ・ハット》がNEO進化して戻ってくる。

 それは、つまり……

 

「無限に《ジャババ・ハット》が殴り続けられる……!」

That's right(その通り)! 早く止めなければ、取り返しのつかないことになるぞ? 後に引けないオレ様のようにな! 《ジャババ・ハット》でWブレイク!」

 

 禍々しい邪霊の帽子は、今度はお姉さんを狙って、牙を剥く。

 残るシールドは三枚。そのうちの二枚が、《ジャババ・ハット》の攻撃を防ぐけど、攻撃後に《ジャババ・ハット》は破壊される。そして、《シャチホコ・カイザー》で進化元を用意された戦場に戻ってくる。

 即ち無限攻撃。S・トリガーやニンジャ・ストライクなんかがないと、止められない。

 

「思ったよりも呆気ないな。攻められると弱い女か? それとも雄猫か? 雌犬か? 豚でもいいが、なんにせよ歯ごたえがないな。すぐに噛み切れるぞ。そんなことでは、バンダースナッチから逃れられないぞ?」

「っ、舐めるな! S・トリガー《バイナラドア》! 《シャチホコ・カイザー》をボトムに送還!」

 

 盾の中から、一方通行の赤い扉が飛び出した。

 扉は白い手を伸ばして《シャチホコ・カイザー》を捕まえて、引きずり込む。そうして異次元の彼方に飛ばしてしまった。

 

「返したか、つまらんな……攻撃後《ジャババ・ハット》は破壊され、自身の能力で墓地から場に舞い戻る。しかし、NEO進化できず、か。楽しいが不愉快、面白いがつまらん。もう少し遊んでもよいのだが?」

「うっさい。遊びは終わりだよ。さっさとターンを返して」

「そいつは失敬。では、ターンエンドだ。次はなにを見せてくれる? お嬢さん?」

 

 《シャチホコ・カイザー》がいなくなったから、《ジャババ・ハット》のNEO進化元を用意できなくなった帽子屋さん。攻撃ができなくなって、ターンエンドするしかなくなった。

 ここから、猫のお姉さんは反撃できるのかな。

 

「私のターン! ここで一気に決める! 《ヤッタレマン》を召喚! 《パーリ騎士》を召喚! さらに《ジョジョジョ・ジョーカーズ》を唱えて、《バッテン親父》を手札に! 《バッテン親父》も召喚!」

 

 怒涛の勢いでクリーチャーを展開するお姉さん。この展開に、そこまで大きな意味はないと思うけど。

 だけどその勢いが、気休めでも、オカルトでも、力になる。

 

「これが最後! 《ヤッタレマン》でコストを3軽減して、3マナタップ!」

 

 みんなの思いが一つに集った、一束の大きな力に。

 

「届かないなら何度だって! この光は、闇夜を照らす弾丸。暗夜を、夜空を、暗黒を――そして世界の悪を討て!」

 

 光が引き寄せられて集約される。

 暗雲が荒ぶる嵐の中でも、その光は進路を見失わない。

 ただひたすらにまっすぐ。ただひたむきにまっしぐら。

 暗い世界を超特急で駆け抜ける、みんなの希望。

 

 

 

「私は悪を誅する光となる――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 《超特Q ダンガンオー》が、お姉さんの下に停車した。

 出発まで、もう秒読みだ。

 いや、それどころか。

 

「鉄道猫はみんなの心を集める。しかと受け取れ、イカレ帽子屋(マッドハッター)イカレ帽子屋! これが――私たちの一撃だッ!」

 

 仲間の思い(ジョーカーズ)を乗せて、瞬時に発車した。

 

 

 

「《ダンガンオー》で――シールドブレイク!」

 

 

 

 ――拳が爆ぜた。

 《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《バッテン親父》……ジョーカーズの仲間たちの力と思いを乗せ、そのすべてが込められた必殺の拳は、今度こそ、帽子屋さんの盾をすべて爆散させる。

 シールドはすべて粉々に砕け散り、盾としての役割を一瞬で崩壊させられた。

 ……だけど――

 

「S・トリガー発動、《湧水の光陣》」

 

 ――盾の中に潜む狂気までは、打ち砕けなかった。

 

「まあ無理はない。銀とはいえ水だ。狂気の液体だ。脳が固まるような、聖水ならざる邪水だ。ただの拳で、砕けるものか」

「っ……!」 

「こいつはそうは止まらんよ。燃えたぎる熱による溶融、天へと上る蒸発、気化。そうして初めて、オレ様の狂気を飛ばせるというもの。でなければ、貴様の拳も、貴様の弾丸も、オレ様には届かない」

 

 帽子屋さんの攻撃からお猫のお姉さんを守ったのは、シールドに眠るトリガーだった。

 それならば、お姉さんの攻撃から帽子屋さんを守るのもまた、盾に潜む罠であるのは、当然の摂理だ。

 

「さて、オレ様の場にいるのは、闇の《ジャババ・ハット》のみか……ならば、コスト3以下のクリーチャーを呼び戻すのみだ」

 

 たった3コスト?

 5コストという制約も、思ったより大したことがないというか、《インフェルノ・サイン》や《狂気と凶器の墓場》と比べると、範囲が狭い。その分、軽いしS・トリガーもついているわけだけど、物足りなさを感じてしまう。

 わたしの考えだけど、5コストで物足りないのに、3コストまで落ちたら、いよいよ規模が小さくなってしまう。他のトリガーはないみたいだし、《ダンガンオー》の攻撃は通った。《ハヤブサマル》程度じゃ、残りのクリーチャーの攻撃は防ぎきれない。

 

「しかし、貴様は荒々しいな。口だけでなく、身体まで荒ぶるとは。少し落ち着くといい。茶でもどうだ?」

「こんな時に、なにを……!」

「茶、そうだ茶だ。時間だ。紅茶でも飲んで、時間を忘れろ。どうしても時が気になるのならば、オレ様が止めてやる。なに、時を止めるのはわりと得意なんだ。頭は蝕まれ、身体は穢れ、存在が壊れているゆえに、オレ様は歪の身と共にあった。悠久と摩耗。その中にある存在を支えながら乱した矛盾は――時間だよ」

 

 不思議なんて生易しい言葉でなく、面白おかしいなんて茶化すこともできず、壊れかけの玩具のように狂っている。

 湧き出でる水銀は少なく、少量の狂気によって、地獄の底から狂わされた亡者が引き上げられる。

 

「時間の風化。時の旅人は辛いだろうな。なにより辛いのは停止だ。そうだな、止まることだ。動かないというのは、不動というのは、存外とても苦しい――だから苦しめ。Strange cat(笑い猫)

 

 それは荒くれ者で無法者。

 あり得ないことを起こす、常識という枠を壊す、意識の外から襲撃する者。

 狂った時間は動かない。いつも、同じ時を刻み続ける。

 それは即ち、時間の停止。

 

 

 

「時計の針はⅥを指し止まる――《終末の時計 ザ・クロック》」

 

 

 

 一直線に進んでいた超特急の車両は、本人の意志を、願望を、正義を曲げられ――緊急停止した。

 

 

 

ターン5

 

帽子屋

場:《ジャババ・ハット》《クロック》

盾:0

マナ:5

手札:5

墓地:5

山札:23

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》×3《パーリ騎士》×2《バイナラドア》《バッテン親父》《ダンガンオー》

盾:1

マナ:7

手札:3

墓地:3

山札:18

 

 

 

「止められ、た……?」

 

 完全な停車だった。

 渾身にして必殺の一撃は、無情にも、無法によって、完全に、完膚なきまでに止められた。

 それはどうしたって、揺るぎない事実だ。

 

「オレ様のターン。《アツト》を召喚、二枚引き二枚捨てる。捨てるのは《ジャババ・ハット》と《アツト》だ」

 

 愕然とするお姉さんのことなんてまるで気にも留めず、帽子屋さんはさっきまでの饒舌が過ぎる口上もなく、淡々とカードを切っていく。

 

「さらに4マナ、《湧水の光陣》。墓地より《ジャババ・ハット》を復活し、《アツト》よりNEO進化だ……これで、ギリギリ足りるか」

「……まだ、トリガー次第だよ」

「そうだな。ゆえに、貴様の時をもう少し止めてみるとしよう。列車の遅延など日常茶飯事。もう少しゆっくりしていけ。《クロック》で攻撃――革命チェンジ」

 

 動き出した時計の針は、狂った方向へと進む。

 止まって、動いて、元に戻って……だけどそれは、時流の中では異常で、壊れているという意味しか持たない。

 結局、動かない針は、止まっている、狂った時計で、イカレた時間だ。

 

「ここに響くは時を刻む音のみ。歯車は軋み、針は崩れ、機構も錆びつき、本来の役割など、とうの昔に果たせずじまいに終わる。それ即ち、貴様は目覚まし時計では起きられんということだ。それはこいつが証明する――《音精 ラフルル》」

「んな……っ!?」

「目を覚ませ。虚構と現実を受け入れ、飲まれよ。このターン、貴様は呪文を唱えられない! その口を閉ざして黙っていろ!」

 

 帽子屋さんは、笑っていた。

 嘲笑するように怒鳴って、宣告する――狂死の最期を。

 

「最後のシールドをブレイクだ!」

「! 《バッテン親父》をタップして、攻撃を中止!」

「止まるものか! 《ジャババ・ハット》で攻撃! シールドをブレイク!」

「うぐ、し、S・トリガー……!」

 

 帽子屋さんの反撃と強襲。さっきまでのお姉さんや帽子屋さん同様、それを食い止める手段は盾の中にある。

 それがまた、お姉さんの盾から放たれる……はずだった。

 トリガーの宣言をした直後、お姉さんは口をつぐんでしまった。

 

(《タイム・ストップン》……!)

 

 それはまるで、口を開くことを禁じられたように。

 沈黙を強いられたかのような、束縛的な閉口だった。

 そのカードを出すことはできず、口にすることもできず、お姉さんは屈辱的で絶望的に、それを手札に加えた。

 それは、つまり、

 

「都合のいいトリガーはなかったようだな。ならば――この茶番極まりない茶会も、お開きだ」

 

 この対戦の、終了を意味していた。

 

「オレ様のお茶会に参加してくれた礼に、貴様には狂気を贈呈してやろう。さぁ、すべてを吐き散らせ」

 

 邪霊に狂気を上塗りし、同族すらも乗っ取った悪意の帽子は、大口を開けた。

 奇妙で狂った終焉が、終演の鐘を鳴らす。これで終わりと告げ、ブザーを轟かせ、幕を引く。

 悪意と狂騒的に乱舞する霊魂が、呪詛と狂想的に嘲弄する帽子屋さんが、馬鹿馬鹿しいほどの探求心でもって、気が振れるほど、気が違えるほど、邪悪な邪気を放つ。

 それは狂いに狂った水銀の仕事人の末路。病魔に心を蝕まれた職人の最期。

 全ては狂気の帽子が支配し、覆い尽くし、飲み込み――終わらせる。

 

 

 

「《ジャババ・ハット》で――ダイレクトアタック」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 崩れていく。壊れていく。

 私の身体が。チェシャ猫レディというヒーローが。英雄の器が。

 ……本当はわかってたんだ。こんなものが、こんな無理やり作ったまがい物が長くは続かないって。いつかは、そう遠くない未来に、壊れてしまうだろうって。

 でも、本音を言えば、もう少し秘密の存在でいたかった。

 だけどそんなものは、勝手気ままで我侭な願望でしかない。

 なんとか必死で保とうとしたけど、やっぱり無理だったよ。

 七割も暴かれたら、それはもう、姿が見られているのとほぼ同義。純粋な視認という概念による隠匿にしなかったせいで、そこら辺の判定も曖昧だ。

 姿が見えない猫は、姿が見えないことこそが、姿が見えないという概念を構築し、姿の見えない猫としての存在を確立させている。

 だからこそ、その仕組みが、その存在が暴かれてしまえば、姿が見えないという概念は崩れ去る。

 あの人の推理が終わってから、この身体が壊れていく感覚はあったんだ。

 だからあれは、ただの強がり。勝てるわけもなく、勝てたとしても、私はもう私じゃいられない。

 正義のヒーローになりたかったんだけどな。

 せめて、好きになった子を守れるくらいの力は欲しかったんだけどな。

 どうやら私にも、俺にも、それはできなかったみたいだ。

 あぁ、ごめんね、ベルちゃん。

 ごめんね、スキンブル。姉ちゃん。

 ……ごめんね……謡――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 パキッ

 メキィ

 パラパラ

 その擬音は、なにかが崩れ落ちる音。

 なにかが壊れる音。

 なにかとは、なんだろうか。

 それは――

 

「っ……チェシャ猫、レディ、さん……顔、が……!」

 

 目を覆いたくなった。

 まるでパズルのピースが零れるかのように、お姉さんの顔が、身体が、ボロボロと崩れていく。

 見ていられない。見ていたくない。怖い。

 直感的にそう思わせるような凄惨な光景。そのはずなのに、わたしは、目を逸らせないでいた。

 お姉さんは、どうすることもできずに呆然とするわたしの方を向く。

 

「怖がらなくていいよ、ベルちゃん。いや、そんなこと言っても無理な話かもしれないけど、別に死ぬわけじゃない。ただ、チェシャ猫レディっていう“英雄の器”が、限界を迎えただけだから」

「器……? 限界……? な、なにを、言ってるんですか……?」

「いつか、私の正体を明かすって約束したよね。不本意な状況だけど、致し方ない」

 

 なにかを悟ったように。すべてを諦めたように。

 チェシャ猫レディだったお姉さんは言う。

 

「もうすぐチェシャ猫レディは消える。そうしたら、私じゃない私が残る。後に残るのは、女の尻を追いかけてる純情な雄猫と、何者にもなれない凡愚な少女。自分のことなのにこんなこと言うのも変だけど、二人のこと、後のこと、よろしくね……これからも、ね」

 

 猫っぽく微笑んで、ウインクするお姉さん。

 それが、最後で最期の言葉だった。

 

 

 

 ――この日。チェシャ猫レディと名乗る正義の味方は消えてしまった。

 

 

 

 だけど――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――え?」

 

 終わりは始まり。

 消えてしまったチェシャ猫レディさんの場所には、一人の女の人と、一匹の獣が横たわっていた。

 それも、わたしにとって、とても見覚えのある姿が。

 

 

 

「よ、謡さん……!?」

 

 

 

 ゆるりと起き上がる。緩慢な動作や、言葉一つ発さず、虚ろな眼で虚空を見つめるその姿。わたしの知っているその人とは程遠い立ち振る舞いだけど、間違いない。

 この人は、謡さんだ……!

 チェシャ猫レディさんが消えたところにいる謡さん。

 ってことは、謡さんがチェシャ猫レディの正体……?

 

「あぁ……妹ちゃん……? えっと、私……」

 

 起き上がった謡さんは、らしくもなくぼぅっとしていた。

 だけど、すぐにハッと目を見開くと、謡さんのすぐそばで、謡さんと一緒に倒れ、いまだ起きない黒猫を慌てて抱きかかえた。

 

「スキンブル! 大丈夫!? しっかり!」

 

 とても大事そうに、必死で謡さんは叫ぶ。

 ネコさんは起きないけど、でも、ピクリと動いた。

 

「生きてる……! 最後の最後で、私から器の主導権奪うとか、無茶に格好ことしちゃって……本当、見栄っ張りだね、君は……!」

 

 強く、強く、ネコさんを抱きすくめる謡さん。

 まるで状況はわからないけど、でも、二人とも無事みたい。

 ……でも。

 

 

 

「これだけのことをしても、本当の姿は見せないのか。その精神、随分と頑なだが、そこまで殻が破れれば流石にわかる。遂に見つけたぞ――『チェシャ猫』」

 

 

 

 そんな二人に、帽子屋さんが立ち塞がる。

 謡さんは猫さんを抱いたまま、睨むように帽子屋さんを見上げる。

 

「スキンブルを、どうするつもり……!?」

「どうもしないさ。オレ様はただ、我らが同胞の存在を感じて、その正体を確かめたかっただけに過ぎん。しかしそれも果たされた。後のことは、公爵夫人(飼い主)次第だな。オレ様としては、そういう形で人間に寄生するのも、我々と違うアプローチで種の存続を目指すのも、悪くないと思っている。好きにするがいい。貴様を好きにする権利は、オレ様にはないのでな」

 

 ……立ち塞がる、と思ったけど。

 帽子屋さんの言葉をそのまま受け取るなら、帽子屋さんはもう、満足したみたい。

 だからって、あの帽子屋さんだ。そんな簡単に信じることはできないけど……

 

「しかし、貴様はそうやって分離するのか。存在、綺麗に分かたれるのだな」

 

 分離……そうだ。

 帽子屋さんの推理では、『チェシャ猫』という存在と誰かが融合して、チェシャ猫レディという存在を形成しているということになる。

 仮にそうだとするなら、あのネコさんは『チェシャ猫』。そして、それと融合している誰かっていうのが、

 

(謡さん、なんだ……)

 

 お調子者だけど、朗らかに笑っていた、謡さんが。

 でも、なんで謡さんは、チェシャ猫レディに……?

 

「これはオレ様の推理も、確かに70点なのかもしれん。混ざり合っているのならば、それほど綺麗に分かたれることなどないと思っていた。混合ではないのなら、なんだ? 詳細な仕組みが気になる」

 

 不躾にも、帽子屋さんは謡さんたちを見下ろしたまま、さらに問う。

 そんなにも自分の推理が楽しかったのか。あるいは、自分の推理に酔っているのか。

 純粋な疑問を、立ち上がる気力も失われた謡さんたちにぶつける。

 しばらく閉口していた謡さんだけど、やがて彼女は、ぽつぽつと語り始めた。

 

「……チェシャ猫レディは、架空の人物なの」

 

 最初に彼女が告げたのは、それだった。

 

「チェシャ猫レディという存在は、実在しない。それは、スキンブルが……『チェシャ猫』が、あなたたちから身を隠すための、“架空英雄”。そして、その器。だから本来は、存在しない、見えない人物なんだ」

「器か。しかし、肉体を偽装するなど、貴様の得意分野であろうに。それを知らない公爵夫人ではなかったぞ。器を用意して、その器に我が身を委ね、姿を隠匿する。それが貴様の専売特許。それを今更、いけしゃあしゃあと語られても、疑念しか湧かないな」

「私はなんちゃら夫人なんて人は知らないけど……でも、スキンブルも今まで通りの方法じゃ隠しきれないってことはわかってた。だから“私たち”を利用したの」

 

 ? 私たち?

 『チェシャ猫』さんが利用したのは、謡さん一人じゃないの?

 

「チェシャ猫レディという器は、凄く大きかった。あなたたちから身を隠すには、それくらい大きな存在で隠すしかなかった。でもその大きさは、スキンブル一匹だけじゃ支えられないほどに、身の丈に合わない大きな器だった。だから」

「読めたぞ。一つの魂では大きすぎる英雄の器を作成したのなら、二つの魂を入れればいい。単純な理屈で、そこに入り込んだのが貴様か。『チェシャ猫』と貴様、二人の魂を一つの器に押し込めた、と。成程、成程。成程なぁ」

 

 嬉しそうに手を叩く帽子屋さん。

 とても楽しそうだけれど、それを見上げる謡さんは、歯を食いしばって、キッと睨みつけていて、怖い顔をしている。あの明るくて、いつも笑っていそうな謡さんからは、考えられないような、険しい表情。

 けれど……なぜかとても、悲しそうに見えた。

 

「パーソナリティがどうこうとのたまっていたが、合点がいった。混ぜたのではなく同居していたというわけか。考えたなチェシャ猫。貴様は思ったよりも頭が回る。イカレたオレ様とは大違いだ。そんな貴様が公爵夫人の飼い猫に甘んじていたことが不思議で堪らないほどにな」

「これで満足した? 今のが百点満点の解答だよ……だからもう、スキンブルに手出ししないで。この子は、ただ好きな子のために頑張ってるだけなんだから」

「言われずともそのつもりだ。我らが同胞が我々と別の道を歩むのは大変嘆かわしいが、そういう手法も悪くはないのではないか? それに、お茶会への参加は自由意志だ。そこは強制せんよ――オレ様はな」

 

 帽子屋さんは……?

 どこか含みを持たせた台詞だ。

 

「チェシャ猫よ。貴様の飼い主は公爵夫人だ。オレ様はあくまで貴様を“同胞”と見てその意志を、貴様の理念を汲んでやる。が、貴様の飼い主が貴様をどうするかまでは、オレ様の関知するところではない。そこはオレ様には触れられん領域だ。そのことだけは、覚えておくがいい」

「……ご忠告どうも」

 

 そう言って、帽子屋さんも、謡さんも、口をつぐんだ。

 言葉を交わすことはない。推理も、追及も、対戦も、終了した。

 わたしは代海ちゃんを見つけられた。帽子屋さんはチェシャ猫レディさんの正体を暴けた。謡さんは帽子屋さんたちの正体と目的を知れた。

 わたしは傍観者で、謡さんは大きな傷を負って、帽子屋さんは一人で高笑いしている。結果としては、帽子屋さんの一人勝ちのような結末だけど、それでも、全員がなにかしらを得て、その目的を果たして、この奇妙なお茶会は終わった。  これで、すべてが終わった?

 ……いいや、そんなことはない。

 まだ、最も大きなものが残っている。

 わたしたちの誰もが主目的にしていないながらも、わたしたちを振り回し、煽るものがいる。

 ずっと、わたしたちの背景となり、その存在を見せつけていたものが。

 ある意味では、この狂ったお茶会の面子を集めた、元凶が。

 暴かれていない真実は、まだ存在するのだ。

 そして、その謎へと導く存在。

 それは――

 

 

 

「小鈴!」

 

 

 

 ――一羽の鳥が、嵐の空に羽ばたいた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「と、鳥さん……?」

 

 この声は、確かに鳥さんだ。

 そして、暴風に煽られて、暴雨に叩かれて、それでも空を飛んでわたし下へと羽ばたく小さな白い姿は、間違いない――鳥さんだ。

 遅いよ、まったくもう……ずっと、待ってたんだから。

 

「鳥さん! 来てくれたんだね!」

「あぁ、君も気づいているだろうけど、クリーチャーだよ!」

 

 やっぱりそうだったんだね。

 このおかしな台風の原因はクリーチャー。そして、鳥さんが来てくれた。

 となれば、やることは一つ。

 この異常気象をいち早く止めるためにも、クリーチャーを退治しなきゃ!

 

「――クハッ!」

 

 ……というところで、急に、帽子屋さんが噴き出した。

 堪えきれないと言わんばかりに、なぜかいきなり、笑い声をあげた。

 あまりに奇妙で、不思議で、おかしく、笑い始めた。

 

「ハハハハハッ! 流石に笑ってしまう、純粋にな。いくらなんでも、事が上手く運びすぎではないか!? 絶望の選択が、ここまで希望に繋がっているとは思わなんだ。本当は『チェシャ猫』の存在を認知するだけで十分、いやさそれが精々だろうとタカを括っていたのだが、ククク……遂に、来たか。来てしまったのか。いやはや、見つけたぞ……!」

 

 笑いながら、帽子屋さんは視線を向ける。

 わたしに、じゃない。謡さんでも、チェシャ猫さんでもない。

 その視線の先にいるのは――鳥さんだった。

 

「貴様をずっと探し求めたいたぞ、聖なる獣。奇跡を呼ぶ白き鳳よ」

 

 ……え?

 帽子屋さん。今、なんて?

 鳥さんのこと、なんて、言ったの?

 

「やはり貴様が鍵だったのだな、アリス(マジカル・ベル)。あまりの無知と接触のなさに、よもや思い違いかと勘違いするところであった。だがしかし、現場は押さえた。証拠は見つけた。もう言い逃れは許さん。これは既に、言い逃れられぬ事実。なんとも滑稽で、幸福で、喜劇的なのだろう!」

 

 狂ったように身をよじらせている帽子屋さん。

 いや、そんな変態的な言動は今はいい。

 帽子屋さんは、鳥さんに対して「探し求めていた」って、言ったの?

 しかも、聖なる獣って。奇跡を呼ぶって。

 そう、そうだ。そもそも帽子屋さんは、彼らの目的のために、聖獣という存在が必要で、わたしがその手掛かりだとか言って、わたしに数々の刺客を送り込んできた。

 その途中でチェシャ猫レディさんが介入して、なぜか帽子屋さんは、彼女の調査に乗り出したけど、それは本来の目的ではない。

 帽子屋さんが目指しているのは、【不思議の国の住人】の種としての繁栄。そして、それを成し遂げるために必要らしい、聖獣という存在。

 そして、鳥さんに向けて放った言葉。

 いくらわたしでもわかるし、理解できてしまう。繋がってしまう。

 そんなことがあるなんて、思いもしなかった。

 まさか――

 

 

 

「感謝しよう、アリス(マジカル・ベル)。貴様が連れて来てくれたのだな。我らが求める繁栄の種、悲願の奇跡――白き聖獣を」

 

 

 

 ――まさか鳥さんが、帽子屋さんたちの求めていた、聖獣だったなんて――!




 とまあ、今までいろいろ濁していた【不思議の国の住人】について。チェシャ猫レディについて。そして鳥さんについて……一挙に明かしたお話です。
 帽子屋さんのデッキは、たぶん最も彼らしい《ジャババ・ハット》をフィニッシャーに据えた湧水シャチホコ……強いかどうかは度外視です。とりあえず意外と決まりにくい。手札がかなり足りないんですよね、これ。
 それでは次回は三日目の午後。小鈴がすぐそこまで迫っている脅威に立ち向かいます。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってください。
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