デュエ魔法少女マジカル☆ベル   作:モノクロらいおん

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 新章突入です。まあ章分けなんて、この作品においては大した意味はないのですが。でも一応、前回が一区切りということで。
 今回は作者イチオシの三姉弟が登場です。秋は虫の多くなる季節だからね。季節に合った虫かはさておき。
 ところで、このサイトって、ピクシブのルビ形式をそのまま変換できるんですね。実はよく分かんなくて触れてなかったんですけど、試しに弄ってみたら物凄い早く終わってしまいました。
 ピクシブの方でもひと段落したので、今度はこっちの更新を頑張ります。とりあえず目標として、年内にピクシブの更新に追いつかせる予定です。


3章 初秋-侵食と事件の新学期-
26話「新学期だよ」


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 もうすぐ夏休みも終わってしまう。

 だけどそれは特別なことではなくて、わたしたちはなにも変わらず、『Wonder Land』に集まっていました。

 そんな、ある一日。

 

「んふふー、げへへへへ……」

「……気持ち悪い……」

「み、実子さんが怖いです……」

「女とは思えないほど醜悪な顔をしているね」

「なんとでも言うがいいさ! 君らの罵詈雑言なんて今の私には通じないよ! なぜなら――」

 

 みのりちゃんは、ぐいっとわたしと肩を組むみたいに引き寄せた。

 

「――私と小鈴ちゃんは今! 身も心も一心同体になったからさ!」

「なってないよ……」

 

 髪型一つで一心同体なんかになってたら、自意識がしっちゃかめっちゃかだよ……

 みのりちゃんがなんでこんなに興奮してるのかはわからないけど、ちょっとだけ、わたしに変化がありました。

 とても些細で、まるで大したことのない、日常的な変化。

 ただ、髪型を変えた。二つに振り分けて降ろしていた髪を、一つに縛ったという、ただそれだけのこと。

 もっともそうした理由は、二つあった髪紐が一つになって、そうするしかなかったからなんだけど。

 

「……また、急なことを……どういう、風の吹き回し……心境の、変化……?」

「そのスタイルも、とっても素敵(シェーン)です! 小鈴さん!」

「芋っぽかった前よりも、随分と涼やかになったよね。うん、いいんじゃないか?」

「あ、ありがと……」

 

 霜ちゃんの称賛は、なんだかちょっと毒っぽくもあったけど、やっぱり嬉しい。

 ユーちゃんは純粋に目をキラキラさせて、恋ちゃんはしきりに首を傾げている。みのりちゃんは、さっきからずっとにこやかだ……ちょっと怖い笑いだけど。

 なんというか、みんならしい反応だなぁ。そんなに変わったことはしてないと思うんだけど……

 

「しかし恋じゃないが、どうしてまた髪型を変えたんだい?」

「え、えっと……いつも使ってる髪紐が片方なくなっちゃっていうか、あげちゃったっていうか……」

 

 髪型を変えた理由。それを説明するのは、ちょっと難しい。

 いや、あげちゃったと言えば簡単なんだけど、どうして、とか、なんで、とか聞かれちゃうと、答えづらいっていうか……

 まあ言ってしまえばわたしの気まぐれで、感謝の気持ちというだけの話なのだけれど。

 あの鈴。スキンブルくん(あの子)は、喜んでくれたかな……

 

「いやー、まあ細かいところはどうでもいいさね! うん、お揃いお揃い! 私と小鈴ちゃんはお揃いでポニーテール! 最高っすわ! 世界が誇る至高の髪型じゃない?」

「君のはポニーテールというより、邪魔だからと雑に括ってるだけだろう」

「いいんですー! 形が大体一緒ならそれで!」

「邪魔ならバッサリ切ってしまえばいいのに……」

「女の子に簡単に髪を切れとか、よく言えたもんだね」

「どうせ理容に使う金をカードに回して、金欠になってるだけじゃないのか?」

「ギクッ」

「図星か……」

Aber(でもでも)! 夏休みはたくさんカード買って、たくさんデュエマしましたね! ユーちゃん、とっても楽しかったですよ!」

「良くも悪くも……だけど」

 

 確かに、この夏だけでもたくさんデュエマをしたなぁ。勿論、デュエマじゃないこともたくさんした。

 先輩から貰ったカードで新しくデッキを組んだり、お買い物に行ったり、プールに行ったり、パンケーキを食べたり、デュエマの大会に出たり、夏祭りに行ったり、林間学校があったり。

 ……まあ、そのすべてにおいて、クリーチャー絡みの事件とか、【不思議な国の住人】の人たちとのいざこざがあったんだけど。

 でも、思えばあの人たちと、帽子屋さんと出会ってから、まだ一ヶ月くらいなんだね。夏休みの始まりと共に訪れ、夏休みの終わりと共に正体を明かし、そして……

 

(帽子屋さんたちの目的、鳥さんが聖獣だったこと、そして……謡さんがチェシャ猫レディの正体だったこと)

 

 今までわたしの中でもやもやとしていた謎や疑問が、一気に解き明かされて、とにかく衝撃的だった。もっとゆっくり、一つずつ明かしてくれればいいのに……これらが全部、夏休み中の出来事だなんてね。この夏は、色々ありすぎたよ。

 でも、それがなんでもかんでも悪いことだったわけじゃない。いいこともたくさんあった。

 『代用ウミガメ』さん――代海ちゃんとは友達になれた。チェシャ猫レディさんの正体、謡さんとも仲良くなれた。それは、とても嬉しいことだ。

 大変なこともあったけど、それに負けないくらい、楽しいこと、いいこともあった。

 だからできれば、この楽しい時間のまま、何事もなく、無事に新学期を迎えたい。

 ……そう、思ってたんだけど――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――本日より非常勤として皆さんの授業を受け持つことになりました。生物担当の陸奥国縄太(むつのくにじょうた)です。よろしくお願いします」

 

 ……みなさんこんにちは、伊勢小鈴です。

 なんて挨拶は置いておいて。

 新学期が始まりました。久しぶりにクラスメイトと顔を合わせて、宿題提出に一喜一憂して、実は今日は普通に授業があることに嘆いて、始業式で先生の長いお話を聞いて――林間学校での台風トラブルの話ばっかりだった――ついでにお姉ちゃんの話も聞いて。

 そんな、形式ばった新学期を告げる工程をこなしていった。それだけなら、なにも問題はなかった。

 新学期を始めるための儀式とも言える工程の一つ。儀式的な流れの一部でしかない、教員の異動。

 始業式で見た時には、なにかの冗談かと思った。あるいは、見間違えだと信じた。

 けれど、始業式が終わって、教室に戻って、実際に対面して、わたしは現実を受け入れざるを得なくなってしまいました。

 教壇に上がって、やや無愛想な表情を浮かべて、無骨な眼鏡を光らせて、ただこなすように言葉を連ねていく、この人は――

 

(『木馬バエ』……さん……!?)

 

 確か、そんな名前だったはず。

 蟲の三姉弟と呼ばれる、三人組の弟さん。きれいなお姉さんと、勇ましいお兄さんの後ろで、いつも溜息をついているような人だ。

 お姉さんとお兄さんのインパクトが強すぎてちょっと存在感が霞んでて、加えて今は普通の黒いスーツ姿だから、より印象が弱いけど、二回も会ったから覚えてる。なんで眼鏡かけてるんだろう? 前はかけてなかったよね?

 代海ちゃんもこの学校の生徒として通っているし、それを経験しているからこそ驚きはそこまでだけど、それでもビックリしたことに変わりはない。

 それに、まさか先生として赴任してくるだなんて……

 そんな驚愕を抱えているのはわたしくらいなもので、他のクラスメイトたちは当然、新任の先生の正体なんて知らない。単なる一人の新任教師として接するだけだ。

 

「せんせー! 恋人はいますかー?」

「いませんし作る気もありません。頭が虫けらレベルの手のかかる姉と兄がいるので、その世話で手いっぱいです」

「先生はなんで先生になったんですかー?」

「生物に詳しいからということにしてください。虫の生態とか、わりと得意です。人間の心理についても少し齧りました」

「先生はどこ住みですか? っていうかラインやってます?」

「住所は言えませんが、複合住宅みたいなところで暮らしてます。ラインはやってません」

 

 早速始まった……

 小学生も中学生も変わらない。新任の先生や、教育実習の先生が来ると、こうやって質問攻めをするものだけど……す、すごい淡々と切り返すなぁ。

 小学校でもこういうことはよくあったけど、大抵の先生はあたふたするものだったけどなぁ。木馬バエさん――いや、陸奥国先生?――はまるで動じない。

 なんで木馬バエさんがこの学校に、それも先生としてやって来たのか。それも気になるけど、この様子を見るに、学校で騒ぎを起こすため、ではないのかな……?

 代海ちゃんが生徒として、人間らしく過ごすために学校に通ってるんだから、この人だって学校で働いてもおかしくはない……気がする。理屈としては。

 

「では早速、授業を始めましょう。早く授業というものの感覚を掴んでおきたいので」

 

 先生らしく授業をする気はあるみたいだけど……な、なんか、正体を隠す気がなさそうな発言がちらほら聞こえる……

 新学期早々、頭を抱えたくなるようなことが起こってるけど……大丈夫、だよね……?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 陸奥国先生の授業は、驚くほど普通に終わった。

 教科書通りになぞった進行、プリントを使った穴埋め形式の問題。他の先生もよくやってる、普通の授業だ。普通すぎて逆に驚く。

 そんな平凡すぎて異常にすら感じるあべこべな状態で、お昼休みです。

 みんなで集まって、机を囲んで、ということをするのも久しぶりだな。

 なんて感慨は、霜ちゃんがわたしに向けた第一声で雲散霧消しました。

 

「小鈴、流石に気付いたよね?」

「う、うん……」

 

 そっか。そういえばあの人たちと初めて会った時は、霜ちゃんと一緒にお出かけした時だっけ。

 

「え? なになに?」

「どーしたんですか? 小鈴さん、霜さん。Unter uns gesagt(内緒話)ですか? ユーちゃんにも教えてください!」

「……なにか……あった……?」

 

 一方で、他の三人は、直接先生たちとは会ってない。

 これはちゃんと言った方がいいよね。

 

「今日来た生物の新任教師。あれ、【不思議の国の住人】だ」

「まじで……?」

「マジだよ。『木馬バエ』、って言ったっけ。蟲の三姉弟とかいう、変な奴らの末弟」

「あの人たちは皆おかしいし変だと思うけどねー」

「うみゅみゅ、ユーちゃんもビックリです」

「ただ驚かすために来たのならいいのだけれどね。問題は、奴らがどういう目的で、この学校に――しかも教師なんて立場で来たのかな」

 

 やっぱり、そこだよね。

 代海ちゃんは人間社会に紛れるために、生徒という人間社会ではありふれた存在として振る舞い、学校に通っている。

 だけど先生はそうとは限らない。わざわざ先生として赴任するってことは、なにか目的があるはずだ。

 それに、ちょっと前に林間学校が終わったばかり。帽子屋さんが鳥さんを求めているのは周知の事実だし、それは向こうも知っているはず。

 タイミング的にも、怪しむ気持ちはとてもよくわかる。

 

「連中がなにかアクションを仕掛けて来るまで、警戒しながら待っているつもりだったが……こんなわかりやすくスパイを送り込んでくるとはね」

「……流石に、露骨すぎな……気も……」

「本当にスパイなのかなぁ」

「わからないが、その可能性は高いと思う。警戒するに越したことはないだろう」

「ケーカイ、ということは、デッキも強くしないとですね!」

「そういう……発想……?」

「大抵のことはデュエマが解決してくれる」

「それも呆れた思考回路だけどね……それはそれとして、デッキと言えば小鈴。この前言ってたデッキは完成したのかい?」

「あ、うん。なんとか形にはなったよ」

「小鈴さん、またデッキを変えたんですか?」

「相変わらずのグレンモルトビートだけどね」

「結構変わったと思うけど……初めて使う組み合わせだし……」

 

 まだあんまり対戦してないから、いまいちデッキの内容を掴みきれてないところはあるけど、それでも感覚的には前のデッキよりも結構違う感じだった。

 

「……小鈴の話題なのに、実子が大人しいな。なにを企んでいる?」

「水早君には関係ないことー……そこだっ!」

「甘い……」

 

 みのりちゃんのお箸が恋ちゃんのお弁当箱に届く寸前。

 恋ちゃんはサッとお弁当箱を引いて、お箸の一突きをかわす。

 

「……なにやってるんだ、君ら」

「美味しそうな飯があったから」

「つきにぃの、弁当は……渡さない……」

「行儀が悪いぞ」

「実子さん、お弁当あるんじゃないんですか?」

「昨日の残り物を雑に詰めただけだよ。生活費をカードに割いてるから肉が食いたい」

「その金で肉を買えばいいだろ」

「生活費を切り詰めるのは、カードゲーマーの悲しいサガだよ。とぅっ!」

「ぬるい……音ゲーマーが、鼻で笑うレベル……」

 

 めげずに恋ちゃんのお弁当を横取りしようとするけど、恋ちゃんには届かない。完全に動きを見切られちゃってるよ……

 

「恋ちゃんは、毎日お弁当だよね」

「私と同じ昨晩の残り物を使ったようなラインナップなのに、なんで私よりも美味しそう!? 解せん!」

「肉がないからだろ。君、このままだとスレンダーどころか竜牙兵(スパルトイ)みたいになるんじゃないか?」

「恋さんのお弁当、確かに美味しそうです!」

「……つきにぃが、作ってるし……当然っちゃ、当然……」

「先輩が?」

 

 恋ちゃんの家は、恋ちゃんと剣埼先輩の二人で暮らしている。

 先輩が料理して、お弁当も作っていると聞くと納得だけど……

 

「先輩だって普通に学校に通っているわけだし、朝早くに起きて弁当作るだなんて、大変だな。林間学校でも見てたが、恋は本当に家事ってものがなにもできないようだから、当然と言えば当然の理屈だけど」

「……おいしい」

「つべこべ言わずにその唐揚げを私に寄越せぇ!」

「いい加減うるさいぞ、実子」

「ぐぇっ」

 

 蛙が潰れたような声がした。

 霜ちゃんがみのりちゃんの襟元を思い切り引っ張って、首が締まってるように見えるけど……

 ……みのりちゃんのことはひとまず見なかったことにして、ユーちゃんと霜ちゃんに向き直る。

 

「ユーちゃんと霜ちゃんも、普通にお弁当だよね」

「Ja! Muttiが毎日作ってくれてます!」

「ボクもそんな感じだね。普通だよ。逆に小鈴は、ちょっと意外だったけど」

「? なにが?」

「いつもパン食べてるから。君は典型的な弁当派だと思っていたけど」

 

 あぁ、そういうこと。

 それは、わたしがパンが好きって理由もあるけど……

 

「うちのお母さん、面倒くさがってあんまり料理しないから……わたしもお姉ちゃんも、朝に作ってる余裕はあんまりないし……」

「普通はそうだよね」

「たまーにその気になったら作るけど、アテにならないから基本的には自由に買って食べることになってるんだ。お姉ちゃんも学食で食べてるらしいし」

「……想像以上に、変な事情、だった……」

 

 それはわたしが一番思ってます。

 まあ、お母さんもお仕事で忙しいし、徹夜とかよくするし、仕方ないところなんだと思ってるけど。昔からそうだったしね。

 それに、お弁当がない分、それだけ多くパンが食べられると思うと、それはそれで悪い気はしない。

 と思ったところで、ちょうど最後のパンを食べ終わった。

 

「食べるの……はや……」

「そうかな? 小さいパンだったからじゃないかな?」

「いや……でもそれ、三つ目……」

 

 まだ三つかぁ。うーん、どうしよう。

 この購買のパンも久しぶりに食べて、ちょっと恋しい。それに、まだちょっと食べたりないし……

 

「わ、わたし……ちょっと購買行って来るね」

「太るぞ」

「うっ……も、もう。霜ちゃんったら、お姉ちゃんみたいなこと言わないでよ!」

「君の着る服がなくなることを危惧してるんだが」

「いいの! なんとかしますー!」

「絶対なんとかならないパターンじゃないのか、それは」

 

 そんなことないよ……たぶん。

 それに、あるかどうかもわからない未来を危惧して、食べたいと思う時に食べられないような生き方はしたくないよ。

 ……後が怖いのは、確かにあるけども……

 

「……水早君、そろそろ……私の首、解放して……意外とキツイ……全部出て、死ぬ……」

「恋みたいな喋り方になってるな」

「私……こんな、死にかけた虫みたいじゃ、ない……」

「私は死にかけなんだよ!」

「生き返ったな」

「……えっと、とりあえず、行ってくるね」

「Ja! Alles Gute(いってらっしゃい)!」

 

 みのりちゃんが生死をさまよう姿を背に、わたしは教室を後にした。

 ……この後に待ち受けることなんて、まるで知らないままに。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「どれにしようかなー」

 

 購買部に並ぶ商品を眺めながら、品定めをする。

 さっきは主食のパンを食べたから、パンケーキみたいなデザートっぽいのにしようかな。

 単に甘いというだけなら、あんパンでもメロンパンでも揚げパンでもいいのだけれど、デザートという意味合いを持たせるなら、また話は変わってくる。今のわたしのコンディションと、今日食べたパンとの食べ合わせも考慮しなければならない。

 今日のメニューは、コッペパンに塩パンにホットドック。これらが今、胃の中にあることを踏まえて選ぶとしたたら……

 ……よし、決めた!

 今日の気分はパンケーキだよ! あとフレンチトーストも食べよう。

 二つの袋を抱えて店員さんの下へと向かう。

 

「これください」

「はーい! まいどあり! なのよ!」

「……なのよ?」

 

 応対してくれたのは、若いお姉さんだった。

 そのお姉さんは、商品を手渡しながら、とても綺麗な笑顔でにっこりと笑った。

 その笑顔は、とても見覚えのあるもので……

 

「どうもこんにちは、なのよ」

「…………」

 

 ……え?

 こ、この人って……?

 

葉子(ようこ)ちゃーん! ちょっとこっちお願い!」

「はーい! 今行きまーす! それじゃあね。また今度なのよー」

「え……あ、はい……」

 

 お姉さんは他の店員さんに呼ばれたみたいで、レジから離れた。

 い、今の人って、確か……

 

「『バタつきパンチョウ』、さん……? だっけ……?」

 

 蟲の三姉弟の長女で、『木馬バエ』さんの、お姉さん……?

 まさかお姉さんまで学校にいるなんて……しかも、売店員さんになってるなんて……

 

「と、とりあえず、戻ろう……」

 

 なにがどういうことなのかよくわからないけど、ひとまずみんなにも報告しなくちゃ。

 困惑しながらも廊下を速足で駆ける。途中、窓の外から、なにか聞こえてきた。

 人の声だ。それも、大人の男の人の声。こんなところまで聞こえるなんて、どれだけ響きやすい声なのか。

 と思って、窓の外に視線を向けると、

 

「ふはははははは! まだ秋にも遠いというのに抜け落ちるとは、情けない落葉どもめ! しかし安心するがいい! 貴様らの末路は焼却炉などという拷問の如き非生産的な灼熱地獄などではない! 新たな生命を育む糧となり、貴様らの種をより良く成長させるための肥やしとなるのだ! さぁ笑え! 歓喜せよ! ふはははははは!」

 

 用務員さんが高笑いをしていた。

 いや違う。いいや違くないけど、ただの用務員さんじゃない。

 やたら丁寧に落ち葉をかき集め、ゴミを拾い、学校を掃除しているのは、若い男の人。

 それも、わたしにとっては見覚えのあるお兄さん。確か……『燃えぶどうトンボ』さん、だったっけ?

 蟲の三姉弟の一人。『木馬バエ』さんのお兄さんで、『バタつきパンチョウ』さんの弟さん。

 

「さ、三人とも、学校にいたんだ……」

 

 確かに、出会う時はいつも三人一緒だったけど、三人まとめて学校関係者として入り込むだなんて……

 一人は教職員として。一人は売店員として。一人は用務員として。

 場所は違えど、三人一緒にこの学校に侵入していたようです。

 

「なんというか……」

 

 新学期早々、波乱の予感しかしません。

 せめて学校でくらいは、ゆっくりさせてほしいよ……

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 蟲の三姉弟との衝撃的なエンカウントにうなだれながら、とぼとぼと廊下を歩いていると、ある人影を見つけた。わたし同じくらいの小柄な背丈に、猫背気味な立ち姿。そして目を引くのは、屋内なのに頭からかぶったパーカーのフード。とても見覚えのある姿だ。というか学校の中でパーカーのフードをかぶってる子なんて、一人しか知らない。

 わたしはちょっと俯き加減で丸まった背に、声をかける。

 

「代海ちゃん!」

「っ……! こ、小鈴、さん……」

 

 その子は、びっくりしたのか慌てて振り返るけど、わたしを見るなり、安堵したような息を漏らす。

 亀船代海ちゃん。隣のクラスの子で、その本当の名前は『代用ウミガメ』さん。【不思議の国の住人】の一人だけど、わたしの友達。

 そうだ。ここで会ったのもなにかの縁。せっかくだから、先生たちのこと、聞いてみよう。

 向こうの内情を探ってるみたいで、あんまりいい気分じゃないけど……

 

「あ、あのさ、代海ちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「? は、はい。アタシが答えられることで、よ、よければ……」

「代海ちゃんたちの仲間に、『木馬バエ』さんって、いるよね」

「ハエさん、ですか? はい。ご姉弟の仲が凄くよくて、あ、アタシみたいなのにも、優しくしてくれます……い、いい人、です……」

「その『木馬バエ』さんが、先生として赴任したみたいなんだけど……」

「あ……あぁ……」

「それと、お姉さんとお兄さんの方も、売店員とか、用務員さんみたいになってて……その、どういうことなのかな、って」

「……そのこと、ですか……」

 

 代海ちゃんたちが、普段彼らとどんなコミュニケーションを取っているのかは知らないけど。

 聞いてみると、代海ちゃんは明らかに、覚えがあるかのような反応を示した。

 

「……た、たぶん、ですけど。前に、み、見ちゃったんです……アタシ」

「見た? なにを?」

「その……蟲の三姉弟の方々――『バタつきパンチョウ』さん、『燃えぶどうトンボ』さん、そして『木馬バエ』さん――お三方が、帽子屋さんと、お話ているところを――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――というわけだ。経理担当のハンプティ・ダンプティが悲鳴を上げていた。そして貴様ら三人の召集。そこから導き出される結論は一つと言えよう」

「お話はわかったのよ。タマゴ男さんには、甘い紅茶を振る舞ってあげるのよ。甘いあまーい、ハチミツを入れた、ハニーロイヤルミルクティー! とっても素敵なのよ! あるいは、ストロベリージャムを入れたロシアンティー! これも素敵!」

「やはり貴様の脳みそは虫だな。知性も、知力も、判断力も、理解力も、考察力もド低能だ。花園頭め」

イカレ帽子屋(マッドハッター)には言われたくないのよ。頭あっぱっぱーのくせしちゃって」

「横入り失礼するぞ、姉上。帽子屋殿、貴殿の仰ることは要領を得ませんぞ。貴殿の性質はぼくらとて理解している所存ではありますが、もう少し具体的な説明を要求したい」

「いや、流石にわかれよ兄さん。私でもわかったぞ。あんたらの脳みそは蠅以下か」

「ゴキブリは死に直面すると、知能が飛躍的に上昇すると聞き及ぶ。となればあるいは、蠅という不浄の蟲は、狩人たる蜻蛉や、姫の如き蝶々よりも賢いのやもしれんな」

「……でも帽子屋さん。この人たち、わりと真面目にわかってない風だし、私もあなたの言い分を誤解していたら困る。ハッキリ言ってほしいというのは、私も同意だ」

「ふむ。姉弟揃って面倒な奴らだ。ゆえに愉快ではあるがな。ではオレ様からの要求――いやさ指令を、端的(フランクリー)かつ直球(ストレート)に言おう。つまるところ、こういうことだ」

「……ごくり」

 

 

 

「貴様ら――働け」

 

 

 

「働きたくないのよ!」

「働きたくないのである!」

「……正直、働きたくないです」

「帽子屋殿! 家計が火の車というならまだしも! そして我々が無駄な浪費をしているというのならまだしも! ただハンプティ・ダンプティ殿が悲鳴を上げた程度で、なぜ我々姉弟が働かねばならないのです!」

「あのデブ……じゃない。ハンプティさんが経理だからでしょ。でも、いくら厳しいっていっても、そんなに急変したってほどでもないでしょうに。それに私らが働いてどうこうなる問題なのですか?」

「さてな。オレ様が聞いたのは奴の悲鳴。しかし、貴様の言う通り、急速な対応が求められているわけではない。言うなれば、金運が下向きに下降していく予兆が見えた、といったところか」

「金策なんて公爵夫人様とか、ウサちゃんとか、そういうお金稼ぎできる人に任せとけばいいのよ! (アタクシ)たちは自由な蟲の三姉弟! 自然のまま、エコロジーに生きているのよ! お金なんてものには、縛られない!」

「ならばここから出て行け」

「それは困るのよ!?」

「……まあ。金っていうのは、面倒くさい概念だよね。人間社会が生み出した物質的信用にして、価値ある信用だ。これを得ることが、人間社会に寄生するためには必須だ」

「わかっているではないか、木馬バエ。そうとも、価値とは、信用とは、形を持って示されるのが人間の世。カード一枚取っても、それにはあらゆる価値が秘められている。実用的価値、稀少的価値、物質的価値、芸術的価値、時間的価値――それらの価値を数字によって明らかにし、信用という枷をつけた。なかなかどうして、面白いことをするよな、人間とは」

「信用が大事なのは理解しますけどね。でも帽子屋さん、やっぱりそれは、私たちがやらなくちゃいけないことではないでしょう」

「そう言われれば返す言葉もないが、立っているものは親でも使え、という格言が人間社会にあるそうでな。貴様らの信用問題も込みにして、ただ貴様らを使おう、という気になっただけだ」

「そんな適当な理由じゃ納得できないのよ!」

「ふむ? そうか、ならば他の理由も付け加えよう。そうだな、ヤングオイスターズの長姉は、兄弟姉妹のためにあくせく働いていると聞くが?」

「よそはよそ、うちはうち! である!」

「面倒くさいな、貴様らは。オレ様が呆れるほどの面倒くささだ。虫とはかくも鬱陶しいものなのだな。ハンプティ・ダンプティよりも面倒くさい。三月ウサギより面倒くさい」

「三月ウサギさんよりもっていうのは撤回してもらいたいところです。うちの愚姉愚兄もよっぽどウザいですが、あの狂乱発情淫婦よりは百億倍マシです」

「ウサちゃんもちょっとツンデレなだけで、いい子なんだけどね」

「それは嘘だろ、姉さん」

「ともかく、とにもかくにも、兎に角だ。自由気ままも結構だが、働いていない貴様らを動かすのもオレ様の役目らしいのでな。いい機会だ、街に住む害虫の気分でも味わってくるといい。そしてオレ様の益虫になってみせよ。働かざるもの食うべからず、とも言うらしいぞ?」

「お仕事ならしてるじゃないのよ! 私がいなかったら、自分たちのこともほとんど知れなかったくせに! ちょっとくらい見逃してくれてもいいじゃない! 帽子屋さんのけちんぼ!」

「そうであるそうである!」

「こればっかりは、私も少し抵抗しましょうかね。手伝うよ、姉さん、兄さん」

「ハエとトンボ、そして私がいれば、けちん帽子屋さんにも負けないのよ! さぁ帽子屋さん、デッキを取りなさい。決闘(カードゲーム)のお時間なのよ! 勝ったら私たちを働かせるのをやめて!」

「ほぅ……そう来るか。いいだろう、それは楽しそうだ。貴様らの信用はさておき、カードゲームの結末には一定の信用を示してもいいだろう。ならばオレ様が勝てば、貴様らは強制労働だ」

「望むところなのよ!」

「受けて立つのである!」

「……なんか急に不安になってきた」

「ではでは、貴様らはなにを所望する? 一網打尽の爆殺か? 一射一殺の銃殺か? あるいは、狂喜乱舞の狂殺か?」

「だまらっしゃーい! 行くのよ! トンボ! ハエ! 私たち姉弟の力! 今こそ見せる時なのよ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――という、ことがありまして……」

「……た、大変だね……」

 

 思ったより愉快だったけど。

 っていうか、あのタマゴ男さんが経理担当って、帽子屋さんたちはどういう生活をしてるんだろう……?

 

「あ、アタシは、その一部始終をたまたま見ただけで、すぐにその場から立ち去っちゃって……その後のこととか、く、詳しいことは分からずじまいだったんですけど……」

「今の結果を見るに、そういうことなんだろうね……」

 

 帽子屋さんに負けて、あの三人は働くことになった、ということでたぶん間違いない。

 だけど、なんで学校なの? アルバイトとかじゃなくて、普通に就職するだなんて。就職ってそんなに簡単に、すぐにできるものなの?

 そもそも、陸奥国先生は非常勤とはいえ教師だけど、教員免許とかはどうしたんだろう。

 疑問は尽きないけど、たぶん考えても無駄なんだろうなぁ。

 

「とにかく、何事もないといいけど……」

「あ、あのご姉弟なら……たぶん、大丈夫、だとは……お、思います、けど……」

「そうかなぁ」

 

 お姉さんはニコニコしてるけど、なにを考えてるのかよく分からないし、たまによく分からないことを言うし。

 お兄さんはちょっと過激というか、勢いがあっていきなりなにをしでかすかわからない怖さがあるし。

 弟さんは……一番安全かもしれない。二人のストッパーになってくれたらいいのだけれど。

 

「……はぁ」

 

 日常の中に、非日常な物事がたくさん紛れて来る。どんどん、日常と非日常の区分が曖昧になる。

 このままなにもトラブルがなければいいけれど、それは流石に楽観しすぎだろうね。

 わたしの学校生活、どうなっちゃうのかな……?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 何事もなく、平穏な学校生活が続きますように。

 その願いは誰に届いたのか。わたしが願ったからなのか。それはわからないけれど。

 その後の一週間ほどは、特になにも起こらなかった。

 クリーチャーも来ないし、鳥さんは姿を現さない。

 普通に授業を受けて、カードショップに行ったり、生徒会室から脱走する謡さんの相手をしたりしながら、日々を過ごしていた。

 拍子抜けするほどに平穏だった。呆気ないくらいに平和だった。

 先生は普通に淡々と授業をこなすし、購買のお姉さんはいつもにこやかにパンを売ってくれて、用務員のお兄さんは尊大な口調ながらも出会えば誰にも平等に挨拶をしてくれる。わたしたち相手に、特別な対応をするでもなく、一教員、一職員として接してくる。

 本当に、純粋に働きに来たんだ……霜ちゃんじゃないけど、正直、勤め先が学校だなんて、ちょっとは疑っちゃったけど、ここまでなにも動きがないとその嫌疑も薄れる。

 お陰で、ちょっと安心したよ。相手が相手だから、気にはなるけどね……

 

「――今日の授業はここまでにしましょう。やっと授業というものに慣れてきましたが、やはり疲れる。残り時間が三分程度の残っていようとも、そんなものは誤差の範囲内でしょう。はい、授業はおしまいです」

 

 陸奥国先生はそう言って、とっとと荷物をまとめると、形だけの号令で授業を終わらせて、教室から出て行ってしまった。

 いい先生なんだけど、なんというか……ちょっと自由すぎる気がするよね……

 これが今日最後の授業だから、あとはホームルームだけで終わり。

 また今日という日も、何事もなく終わったなぁ。

 今日はどうしようか。

 

「恋ちゃん、今日もワンダーランドに行く?」

「……いや……今日は、ちょっと……」

「ユーちゃんも、ブカツに行かないとです」

「そっかぁ、残念だね」

「ボクも今日は別に行きたいところがあるんだ。悪いね」

「みんな来れないんじゃ、今日は解散かな」

「え? 私がいるよ? ここは私と小鈴ちゃんでハネムーンじゃない? 二人きりの蜜月だよ?」

「ショップは昨日も行ったし、今日はいいんじゃないか? あんまり頻繁に行ってると、また詠さんに「女子中学生らしくないなぁ」なんて言われてしまうよ」

「そうだね。そうしよっか」

「あの、私は……無視は、ちょっと傷つくんだけど。ねぇ?」

 

 というわけで、本日は各々自由に過ごすということになりました。

 恋ちゃんとユーちゃんは部活で、霜ちゃんは、たぶんブティックとかかな、行きたいところって言うと。

 わたしはどうしよう。家に帰ってもいいけど、図書室にでも行こうかな。

 

「皆が私を無視する……いいもんいいもん! 今日はスーパーの特売日だし、家で一人焼肉してやるよ! 食べたくたってやらねーからよーだ!」

「わかったから、とっととスーパーに行ってこい。いい加減うるさいぞ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで放課後です。

 家に帰る前に、なにか本を借りようと図書室に向かいます。

 だけど、その道すがら。

 職員室の前で、出会ってしまった。

 

「せ、先生……」

「……伊勢、か」

 

 先生らしく、わたしのことを苗字で呼んでくれる木馬バエさん――いいや、陸奥国先生。

 先生なんだから、校内で出会うのは当然だし、なにもおかしなことはないんだけど。

 わたしと先生の関係は、単なる生徒と教師というだけではない。だから、いくら今までが安全で安泰だと言っても、ちょっと萎縮してしまう。

 先生はしばしわたしを見つめると、独り言のように小さく呟いた。

 

「……ちょうどいいな、これは」

「はい?」

「伊勢。今から少し時間はありますか? 手伝ってもらいたいことがあるのですれど」

「お手伝い、ですか? あの、それって……」

「今の私はあくまで教師。教員としてのお願いです」

「そ、そういうことなら……はい、大丈夫です」

「そうですか、なら少し待っていてください」

 

 そう言い残して先生は職員室に戻る。

 しばらくすると、先生は大量の紙の束を抱えて戻ってきた。

 

「それは……?」

「授業用の資料ですね。これを第三資料室という場所まで運びたいのだけれど、如何せん数が多くて。場所もよくわからないので、手伝ってもらえないですか?」

「それくらいなら、構いませんけど」

「ありがとうございます」

 

 思ったよりも普通で、とても先生らしいお願いだった。

 本当に、あの『木馬バエ』さんは、陸奥国先生という教師になったんだと感じさせられる。

 どうせ今日は暇だったから、先生のお手伝いくらいならなんてことはない。大量の紙束の半分ほどを持って、先生と資料室へと向かう。

 確か第三資料室って、いつかクリーチャーが出て来たところだよね……恋ちゃんをわたしの問題に巻き込んじゃったところだ。

 とても懐かしい気がするけど、あれから半年くらいしか経ってないんだよね。長いよう感じたけど、たった半年だ。

 平穏な日々が送りたいとは思うけれど、じゃあこの生活は、一体いつまで続くんだろう……?

 

(それに、クリーチャーに暴れられるのは困るけど、鳥さんや、陸奥国先生がいる日々は、それはそれで平和だしね……)

 

 平和な日常を乱す、というつもりならとても困ったけど。

 そういうつもりでもないみたいだし、それなら、もっと友好的になれるのかな。

 代海ちゃんの時みたいに。

 

「あ、あの……せ、先生?」

「なんでしょう」

「えっと、代海ちゃんから聞いたんですけど……帽子屋さんに言われて、ここで働いてるんですか……?」

「代海ちゃん? ……あぁ、ウミガメちゃんか。そう言えば彼女、人間としてはそういう名前だったっけ」

 

 ウミガメちゃんって呼んでるんだ……ちょっと意外。

 

「まあ、そうですね。結局、ボスの命令には逆らえなかった哀れな虫けらですよ、私たちは」

「でもなんで、先生に……?」

「なんで、と聞かれると難しいな。あなたたちが近くにいるという打算的理由もなくはないけれど、もっと因果的というか、運命的というか、そういう都合だからというか。これは私の意志ではなく、かといって厳密な意味で帽子屋さんたち他者の意志でもない。そもそも帽子屋さんの意思はわけがわからなさすぎる。だから私は、私の知る範疇で話すしかないわけだけど……そうだな。姉さんの言葉を借りるなら「作者がそうしたいと思った結果なのよ」かな?」

「作者……?」

 

 なんだか、どこかで聞いたような気がする概念だ。こことは違う、けれどここと同じようで、それでいてとても近いどこかで。

 それでも結局、意味なんてわからないのだけれど。

 

「まあ、理由なんて大したことではないでしょう。私は、姉さんや兄さんがいる場所ならどこでもよかった。その結果がここだったというだけ。そこに何者かの意志や謀略が介入していたとしても、私の与り知るところではない」

「はぁ……」

「ただ、想像以上に面倒くさいところですね、学校とは。それに教師という職も面倒くさい。すべきことが多くて、しかも複雑だ。日々生気が削り取られる感覚に苛まれる。これは鬱病待ったなしの職業ですね、地獄だ」

 

 辛辣に教師という職業を批判する先生。

 いつも淡々と授業をこなしているけれど、意外と鬱憤が溜まってたんだね……

 その後も、話は続いた。今は陸奥国先生としてだけど、木馬バエさんとちゃんとお話ししたことはなかった。

 いや、先生だけじゃない。【不思議の国の住人】の人たちとお話しする機会は、ほとんどない。代海ちゃん意外と、こうやって話すことはなかったから、なんだか新鮮で、少し嬉しかった。

 こうして話していると、この人たちが人じゃないということを忘れてしまいそうで、わたしが戦う相手だという認知も曖昧模糊となる。

 代海ちゃんの時もそうだったけど、少し世間ずれはしているのかもしれないけれど、普通の人間とそう変わりない。おかしなことも、外れているということも、狂ってることもない。

 この人たちは、当然のように、この世界に生きる人たちなんだと思える。

 異常でも異質でもない。

 ……なのに。

 なんで、わたしは戦うんだろう――

 

「――さて、ここかな? 第三資料室とやらは」

「あ、はい。そうですね」

 

 しばらく歩くと、資料室に着いた。

 この辺りは資料室とか、空き教室とか、授業でも使わない教室ばかりで、あまり人が通らない場所だ。それに放課後ということもあって、人はいなかった。

 

「じゃあ、この資料を奥の方にお願いします」

「はい、わかりました」

 

 先生に促されるままに、紙の束を抱えて資料室に奥へと進む。

 うーん、でもこれって、授業で使うための資料なんだよね? なんでこんな資料室の、しかも奥に置いておくんだろう?

 そう思って、ちょっとした好奇心で紙をめくると――

 

「……え?」

 

 ――白紙だった。

 

 

 

ガチャリ

 

 

 

 錠が閉まる音が、狭く薄暗い資料室でこだまする。

 

「……人が良すぎると言うべきか。純粋なのか、無防備なのか。なんにせよ、愚鈍にすぎる」

 

 わたしに背を向け、扉に向いていた陸奥国先生は、踵を返してわたしに向き直る。

 静かで、人気がなく、薄暗く埃っぽい、閉鎖的な空間。

 ここにいるのは、わたしと、先生だけ。

 たった、二人きりだ。

 本来ならこんな状況になるなんてあり得ないけれど、それがあり得てしまった理由は、ただ一つ。その道筋を辿る発端は明確だ。

 出発点は、たった一つの虚言。

 

「帽子屋さんの命でここに来たのは本当。学校なんて面倒くさいところに配属されて憂鬱なのも本当。ここまでの道中、話したことはすべて本当のこと。なにも嘘は吐いていない……あぁ、いや、嘘です。一つだけ、嘘をつきました」

 

 バサバサバサ、と。

 先生は“白紙のプリント”を、床にぶちまけた。

 

「授業用の資料というのは真っ赤な嘘です。ただ、あなたと二人きりで、この誰もいない閉ざされた場所に来たかった。そのためにでっちあげた偽りの理由です」

「せ、先生……?」

「本当、帽子屋さんの言うことは滅茶苦茶だし、教師なんて苦痛でしかない奴隷のような職業だと思う。しかし私はそんな悪条件さえも甘んじて受け入れ、結果をただ享受するしかない。私は自分の意志でここにいるわけではなく、何者かの意志に突き動かされて、こんな役回りとなっているに過ぎないんだ……だけど、だからと言ってだ。受動的に結果を受け入れるからって、何者かの意志に唯々諾々と添うからと言って、私が意志のない傀儡というわけではない。ただ、己を出すべき場と、そうではない場。その二種類のケースがあるというだけの話」

 

 先生は床に散らばったプリントを踏み超えて、一歩、また一歩と進む。

 わたしへと、近づいていく。

 

「面倒くさい、憂鬱だ、辛い……しかして劣悪な環境に身を委ね、自分の意志を殺して苦痛を受容する。だからと言って、すべてに消極的になると思ったら大間違い。必要とあらば、己の意志は覚醒させるとも。餌がそこにあるのに、見逃さない虫はいない。ちょうどいいところに、ちょうどいいものがある。それを利用しない手はない。意志を殺しても、偶然は排斥すべきではない。幸運が転がり込んだなら、意識的にそれを掴むというもの。有用な偶然であるのなら、殺した意志も生き返らせて使えばいい」

 

 もう先生は、眼前まで迫っていた。

 細身だけど、わたしよりもずっと大きな身体。後ろは壁。両横は大きな棚。逃げ場はなく、先生はわたしを逃がさないと言わんばかりに、壁のように立ち塞がっている。

 

「先生……な、なにを……?」

「悪いがあなた自身には、さしたる興味はない。ほら、いつか私の姉さんも言ってただろう。あなたは――餌だ」

「っ……!」

 

 先生の手がわたしに触れる。同時に、引っ張るようにして体勢を崩されて、背中から倒れ込んでしまった。

 立ち上がろうとするけど、先生はすかさず覆いかぶさってきて、それを阻止する。

 それはまるで、わたしが先生に押し倒されてしまったかのような様相だ。いや、ような、ではなく、実際に押し倒されたのと変わりはない。

 わたしの身動きは、ほとんど封じられているのだから。

 

「っ……! は、離して、ください……っ!」

「悪いがそれはできない。苦労はしてないが、せっかく捕まえた餌を手放す道理はないのでね」

 

 腕も掴まれて、脚は押さえつけられて、身体は倒れ込み、身動きが全然取れない。

 いや、動けないのは、抑えられているからだけではない。

 

(こ、怖い……!)

 

 身体が震える。自分の意思が上手く伝わらない。動かしたいと思っても、手が、脚が、その命令をちゃんと受け取ってくれない。動かせない。

 怖い……動けないというだけで、こんなにも恐怖が込み上げて来るなんて……

 頭でわかっていても、実際に男の人の力の強さを体感すると、どうにもならない絶望感があった。

 なにをされるか、なんて考える余裕はなく、ただひたすらももがき続けるけど、わたしの抵抗は弱すぎた。

 振り解くなんてもってのほかで、先生は涼しく冷淡な眼差しで、わたしを見下ろしている。

 考えはまるでまとまらず、動かせるものはとにかく動かさないと、恐怖に押し潰されそうだった。

 その恐怖心から少しでも逃れるために、言葉だけでもと、思いついたことをただただ発する。

 

「エサって……な、なにが……」

「不思議の国に迷い込んだアリスは、とても餌としての価値が高い。なにせ、あなた一人を使うだけで、あの婦女子のような少年と、猫を被った正義の味方を、同時に釣れるのだから」

「……? そ、霜ちゃんと、謡さんのこと……? その二人を、どうして……?」

「どうして? そうか、あなたたちは、虫けらを踏み潰してもなんとも思わないような残酷な種族だったな。標本なんて悪趣味な所業を是とするほどだ。蜻蛉や蝶々の翅を毟ったところで、記憶にも残らないか」

 

 トンボ? チョウチョ?

 なにを言ってるの? 先生は、なにが言いたいん? なにをするつもりなの?

 霜ちゃん。謡さん。トンボ。チョウチョ。

 ……あ。

 

「も、もしかして、夏休みの、あの時……」

「思い出しましたか。こんな状況だというのに、あなたは聡明ですね、アリス(マジカル・ベル)

 

 霜ちゃんに謡さん、そしてトンボとチョウチョ。そこから、過去の記憶を引き出せた。

 わたしが、蟲の三姉弟と出会った時の出来事。

 どちらも夏休み中のことだ。一度目は、霜ちゃんと一緒にブティックに行った帰り。あそこで、霜ちゃんはトンボ――『燃えぶどうトンボ』さんと戦った。

 二度目は、林間学校の直前。チェシャ猫レディさんの正体を突き止めようと現れたチョウチョ――『バタつきパンチョウ』さんを、チェシャ猫レディだった謡さんが倒した。

 それらを引き合いに出して、『木馬バエ()』さんはなにかをしようとしている。

 そのなにかというのは、たぶん――

 

「私はあなたたちが許せない。私の気高き姉兄を愚弄したあなたたちを――誰一人として許せない」

 

 ――復讐。

 姉兄の、敵討ちだ。

 

「勿論、ただ一人一人潰すだけなら、それでいい。あなたを使えば、二回行う手間が一回省けるという、その程度の意味合いしかない……あぁ、違うな。ついでに帽子屋さんの求める聖獣とやらも誘き出せるな。一石三鳥というやつですね。まあもっとも、私の憎悪は醜く肥大化している。あなたを使うという悪意がふんだんに滲んでいることは、否定できませんがね」

「わ、わたしを人質にしたって、そんなこと……」

「できるでしょう。あなたたちはそういう種族だ。人間心理もちょっとは勉強しましたからね。わかりますとも」

 

 そう言えば、この姉弟と二回目に会った時、わたしを餌にしてチェシャ猫レディさんを誘き出す、なんて言ってたっけ。

 これはその時と同じ手。蒸し返された手段。

 それが効果的かはともかく、もしもそれで、霜ちゃんや謡さんが、酷い目に遭うようなことがあったら、わたしは……

 

「……それに、あなたは気づいていないかもしれない。自覚がないのかもしれない。しかし、あなたの影響はとても大きいのですよ、アリス(マジカル・ベル)

 

 不意に、わたしの虚を突くように、先生は言った。

 

「え……? どういう、こと……?」

「あなたを使うということは、それだけに大きな影響があり、多くの理由や理屈、因果がつきまとうということですよ。なにせあなたには、不可視にして定義が困難な、不思議な“なにか”がある。それは能力なのか、技術なのか、あるいは別のなにかなのか。定義が難しく曖昧な、よくわからないものだ。私たち風に言うなら、そうだな……「縁を繋ぐ」とでも言うのか。あなたを中心として、あなたはあらゆる人物を引き込んでいる。本来、関わり合うことのなかった異端の者共を、悉くその手中に収めている。無関心に関心を持たせ、恐怖の魔物から善意だけを残し、苦悩の狭間を潜り抜け、裏切り者を表立たせ、正義を懐柔し、代用品だって掌握する――正直、恐ろしいよ。私からすれば」

 

 「縁を繋ぐ」……?

 恐ろしいのはこっちだよ、と言いたくなったけど、そんな余裕もない。

 今、この場の主導権を握っているのは、先生なのだから。

 

「まあそんな恐れはどうでもいい。それも理由の一端にすぎない。私は利用するだけ。あなたを、私の、復讐劇のために」

 

 わたしは、抵抗も無意味な状態なのだから。

 捕まえられた虫のように、自由を奪われ、蹂躙も拘束も、受けるしかない立場なんだ。

 

「こういうの、勝手がよくわからないのだけれど、どうしたものだろうか。抵抗を防ぐなら腕、逃走を防ぐなら脚を潰せばいいけれど……四ヶ所は面倒くさいな」

 

 抑えられた腕に力がこもる。痛い。だけど、引き剥がせない。

 授業中となにも変わらない、その淡々とした言葉が、かえって恐怖心を煽る。

 この人は、なにも躊躇しない。きっと、どんな酷いことでも、非道なことでも、表情一つ変えずにやってのけてしまう。

 その心が、その生き方が、その眼が――とても、怖い。

 

「叫ばれても面倒だし、舌も抜いとくべきかな? いや、舌って噛み切ると死ぬんだっけ? じゃあ抜いたらどうなるんだろう。そこは勉強してないな。出血量の問題ならダメかな。じゃあ歯を抜く? でもペンチとか持ってないな。喉を潰したらたぶん死んじゃうし……まあ黙らせるだけならいくらでもやりようはあるか。とりあえず動きを封じるところから始めましょう。腕と脚を一つずつ。虫は六本くらいが普通だけど、合わせて四本しかないってのは辛いですね。まあ、手足が半分になったら這って動いてください。虫のように」

「あ……うっ、い、いた……っ!」

 

 腕にさらに力が入る。

 本来なら曲がらない方向に力が込められる。

 人体の造りとしては無理な駆動。設計されていない動き。無理やりな力の加圧。

 できないことを無理にするには、それ相応の力が必要だけど、その無理を通せばどうなるのか。答えは子供でもわかるくらいに簡単だ。

 ただ、壊れるだけだ。

 

「っ、や、やめて……!」

 

 

 

ドンッ

 

 

 

「……? なんだ?」

 

 音がした。なにかを叩くような音が。

 部屋の、向こう側。入口の近く。

 ドンドン! と音は激しく大きくなっていく。

 

「誰かが入ってくる? 誰が、なぜ……?」

 

 施錠された扉を、無理やり押し開けようとしている。

 だけど、鍵が閉められたということは、中に入ることができないという意味だ。

 その無理を通すには、今のわたしと同じ。破壊しか手はない。それが、無理を通し続けた末路だ。

 絶え間なく響く打撃音と、破壊の試み。それが何度も何度も続き、そして――扉が、爆ぜた。

 

 

 

「――やっと見つけのよ! ハエ!」

 

 

 

 薄暗い教室に光が差し込む。

 その光の中には、二つの人影。わたしからは、先生が壁になって姿が見えないけど、あの声には聞き覚えがある。

 この一週間、何度も何度も聞いた。お昼のたびに、お腹がすくたびに、その声を聞いて、わたしは満足を得てきたのだから。

 

「ね、姉さん……!? 兄さんも……どうして、ここに……!」

「どうしてもこうしてもないのよ。私たちは、三人揃って蟲の三姉弟。なにをするにも三人一緒。三人揃って笑うのよ」

「その通りだ、弟よ。姉弟として共にあることが自然であり道理。筋は通さねばならぬ」

 

 慌てたように先生が立ち上がった。同時に、パッと腕が、身体が解放される。

 なにが起こっているのか、さっぱりわからない。だけど、一つだけわかったことがある。

 きっとここに、わたしの味方はいない。

 その姿を完全に捉えた。教室に無理やり押し入ったのは、やはり『バタつきパンチョウ』のお姉さん。それに、『燃えぶどうトンボ』のお兄さんもいる。

 蟲の三姉弟が、揃ったんだ。

 先生は、お姉さんやお兄さんのために、その汚名を晴らすために、わたしを使うと言っていた。

 姉弟全員が揃って、わたしは虫の群れに囲まれてしまったようなもの。

 もはや、逃げ場はなかった――

 

「姉さん、兄さん……」

「ハエ。あなたの気持ちは受け取ったのよ。私たち姉弟を思う心意気は、とても気高く、素敵だと思う。だから――」

 

 ――と、思っていた。

 

 

 

パシンッ!

 

 

 

「――こんな恥ずかしいこと、やめなさい!」

 

 甲高い音が鳴り響く。

 お姉さんと向かい合っていた先生はのけ反って、頬は赤く腫れていた。

 

「トンボ、次は任せたのよ」

「相わかった」

 

 呆然とする先生をよそに、お姉さんは後ろに控えていた燃えぶどうトンボさんと入れ替わる。

 トンボのお兄さんは、先生の襟元をぐいっと掴んで、また立ち位置を入れ替える。

 そして――

 

「我が弟、木馬バエ――歯を食い縛れ!」

 

 ――殴った。

 渾身の力で、彼の頬を、思い切り。

 一瞬、先生の身体が宙を浮き、舞って、周りの棚もなにもかもを巻き込んで、背中から倒れ込む。

 色々なものが崩れて、誇りが巻き上がって、それに巻き込まれる先生。

 なにが起こっているのか、思考がまったくついてこない。

 これは、どういうことなの……?

 

「大丈夫? ケガとかしてない?」

「え、えっと……?」

「もうっ、ハエったら。服が乱れちゃってるじゃないのよ。レディにすることじゃないのよ」

 

 チョウのお姉さんが、わたしに駆け寄る。そして、わたしの乱れた服を直してくれてるけど……

 

「まったく、こんなに可愛いうちのお得意様になんてことを……あ、おっきい。私よりもおっきいかも」

「あ、あのっ!」

 

 ようやく、声が出せた。

 わたしの恐怖心は、雲散霧消したとは言い難いけど、どこか歪んだ形で消えていった。

 混乱と困惑が大きく渦巻いているせいで、また思考が停止する。

 安心できたわけじゃないけど、どこか絶望的な恐れは、今はない。

 

「な、なんで、わたしを助けてくれるんですか……?」

「なんで? 私たち、なにかおかしなことしてるかな?」

「だって、先生は、お姉さんたちの弟さんで……」

 

 先生は、お姉さんたちのために動いたのに。

 なんでそれを止めるのだろう。

 協力するならまだしも、止める理由が、わからない。

 

「なにを抜かすか娘。弟が外道に堕ちようとしているのだ。兄として、その道を正すのが道理であろう」

「そうなのよ。私たちは、あの子に悪い子になってほしくないのよ。三人一緒に笑いたいのに、一人だけ陰気なのは嫌じゃない?」

 

 ニッコリと笑いかけてくるお姉さん。

 なんというか……なにも、言えなかった。

 言ってることはわかるんだけど、この人たちはそんなにも“正しい人”だったとは思っていなくて、その落差に言葉を失う。

 だけど、その正しさで、先生は……

 

「そ、そうだ。先生は……?」

「なに、我が弟だ、問題あるまい。平手の一打、拳の一発でくだばるような身体ではなかろうよ」

 

 そういうことじゃないと思う。

 平手はともかく、あの拳は相当だ。それに、あんなに派手に倒れ込んだんだ。頭を打ったりとかしてないといいけど……

 そう思っていると、ガラガラと倒れた棚が動いて、押し退けられる。

 崩れた資料の山から、這いずるようにして現れたのは当然、先生だった。

 ……あれ?

 先生、なんだか……目の色が、違うような……?

 

「やめてよ。姉さん、兄さん……」

 

 先生は少しふらふらしていたけど、それでも、棚を押し上げながら立ち上がる。

 さっきまでわたしに迫っていた姿とは、本質的には同じようで、だけどどこか違っていて。

 まるで、殻が破れたような、覇気があった。

 

「頼むから……私の邪魔を、するなよ……!」

「っ……!」

 

 その眼に宿るのは、明確な敵意。

 誰かを害しようとする心と、敵対者と認めた意識と、悪と断ずる意志が感じられた。

 

「まずいぞ姉上。ハエの奴“開眼”している」

「あっちゃぁ、そこまで行っちゃってたかぁ。これは遅きに失した私たちのミスなのよ。トンボ! ハエを止めて!」

「承知した! しかしああなったハエはもう止まらん。いつまでもは持たんぞ! 姉上、早急な処置を頼む!」

「そんなことはわかってるのよ! お姉ちゃんだからね!」

 

 害意の灯った眼差しを向けてにじり寄ってくる先生を、トンボのお兄さんは羽交い絞めにする。

 

「止まれ木馬バエ! その行いは邪の道だ! 自然にも、道理にも、正しき筋道にも反していることを自覚せよ!」

「離せよ兄さん! 私はもう、無理だ……! もう、この恩讐を解き放たなければ、私は私を止められないんだよ!」

 

 先生が憎悪の視線を向けるのは、わたし。

 さっきまでの冷淡な先生はもういなくなって、感情的で、暴力的で、とても荒々しかった。

 それはもうわたしの知る先生でも、『木馬バエ』さんでもない。

 誰かわからないほどに変貌した、誰かがいた。

 

「あの、せ、先生は……どうしちゃったんですか……? さっき、開眼とか、言ってましたけど……」

「あの子は自分の“眼”を開いた。その結果、己の自意識、己の欲望、己の執念に突き動かされた罪の獣になっちゃった……というところ、なのよ」

「眼を、開いた……? それに、なっちゃった、って」

「なのよ。この際だから、もう全部ゲロっちゃうけどね。私たち三姉弟はそれぞれ「視点を変える」個性()があるのよ。複眼を持って、別視点で世界を見る異能がね」

 

 「視点を変える」。それ自体は、ちょっとだけ知っている。

 このチョウのお姉さんは、神様の視点になって、どんなことでも見通す力がると言っていた。

 だけどその力は、その異質な眼は、お姉さんだけのものじゃなくて、姉弟全員に共通するものだったんだ。

 

「私、『バタつきパンチョウ』の眼はご存じの通り、“三人称”の眼。完全な第三者の眼を持って、神様の視点であらゆる事象を解析する、万能の検索眼。ま、あの子猫ちゃんには効かなかったけど」

「三人称で、三姉弟……ってことは、もしかして」

「お察しの通りなのよ。私の可愛い弟の一人、『燃えぶどうトンボ』。トンボの眼は“二人称”の眼。完全なる他者の視点。そこにいる誰かの視点で世界を見る眼。それは、自分ではない誰かの眼を持つ、有象無象の個人主義の集合眼なのよ」

 

 二人称の眼。その意味をちゃんと理解することは、難しいけど……そうなると、先生の眼っていうのは……

 

「えぇ。愛おしい末弟『木馬バエ』。ハエの眼は――“一人称”の眼」

 

 長女が三人称、長男が二人称、ならば次に来る次男は、残る一人称と自然と決まる。

 でも、それはおかしい。

 お姉さんは自分たちの眼を「視点を変える」と言った。だけど、わたしたちはすべからく一人称で生活している。すべてを“自分の視点”で見ている。

 だから一人称の眼と言っても、それは「視点を変える」ことにはならない。

 先生の眼は矛盾しているんだ。それは、「視点を変える」眼じゃない。

 いとっても、お姉さんが嘘をついているようには見えないし……どういうことなんだろう。

 

「ハエの眼は、私たちと根本的に違う性質なのよ。私たちが世界を広げて見るのに対して、あの子の眼は、世界を狭く見る眼。広げるのではなく、収束させる眼。自分だけの世界、自分だけの意志、自分だけの空想を直視し続ける、視野狭窄の眼なのよ」

「……?」

 

 どういうことなのかわからない。

 自分だけを見続ける……?

 広く見るのではなく、絞って見る。

 それは一体……?

 

「口を挟ませてもらうぞ姉上! 貴様らとて“想像”はするであろう! 他者の視点とやらをな! 客観的な視点というものをな! ハエの眼は、誰かの視点(二人称)も、客観視(三人称)も捨て去った、完全無欠の超個人視点(一人称)! そこに他の者の意志や空想が入り込む余地など存在せぬ!」

「ありがと、トンボ。まあそういうことなのよ。ハエの眼は、別世界を見る眼じゃない。自分の世界を見つめる眼なのよ」

 

 世界を狭く見る眼。

 小学校の道徳の時間、先生から「相手の気持ちになりなさい」なんて教えられたことがある。

 だけど同時に、客観的に物事を見て判断しなさい、と教えられたこともある。

 相手の気持ちを考えること(二人称)も、客観的に考えること(三人称)も失われた、完全な主観(一人称)

 それが、今の先生なの……?

 

「……自分の世界を見つめると、どうなるんですか……?」

「今のハエは、自分のしたいこと、するべきことしか眼に映らない、視野狭窄な状態。ある意味、ウサちゃんや帽子屋さんよりも“らしく”狂っている、わかりやすいバーサク状態なのよ。つまり、己のリソースをすべて、眼前に目的に注ぎ込んでいる。自分以外が“眼中にない”状態なのよ」

 

 自分以外が眼中にない、って。

 自分のやろうとしていることのために、すべてをなげうつってこと?

 それって、とても危険なんじゃ……

 

「うん、危険なのよ。あの眼はある種のブーストをかける力だけど、あんな感じで狂乱状態になっちゃったりもするから、使っちゃメッ! っていつも厳しく言ってるのだけれど……抑えきれなかったんだね、木馬バエ」

「お姉さん……」

 

 お姉さんは暴れる先生を見て、悲しげな、だけど微笑んでいるような、それでいて慈しむような、柔らかい表情を見せた。

 最初に会った時も、二回目も、先生の話を聞いていても、傍若無人さとか、適当さとか、軽い人だと思っていたけれど、全然そんなことはなかったんだ。

 お兄さんも、お姉さんも、そして先生も。

 この姉弟はみんな、お互いに思いやっている。とても、優しい人たちなんだ。

 ……だけど。

 

「なんて力……! 貴様、どれだけ眼の中に憎悪を溜めこんでいたのだ!」

「いいから離せ、兄さん! 姉さんもそこを退け! そいつを……そいつらを! 兄さんや姉さんを穢した敵を喰い潰さなくて、なにが姉弟だ!」

 

 先生は完全に暴走している。

 わたしに強い悪意を向けて、牙を剥いている。

 これは、わたしが出て来れば先生も収まるのかもしれないけれど……お姉さんたちはそれを望まない。わたしだって、霜ちゃんや謡さんに迷惑がかかるようなことは、させられない。

 でも、先生は止まらない。

 

「ど、どうすれば……」

「あぁなったハエは、自分の欲望を発散しきるまで――自分の“したいと思ったこと”をやり遂げるまで、絶対に止まらない。もし止める方法があるとしたら、二つくらいしかないのよ」

「どうするんですか?」

「一つ目は、ハエを殺すこと」

「ころ……っ!?」

「勿論、試したことなんてないし、そんなことするわけもないのよ。要するに、目的を達成するのに、肉体が追いつかなければどうしようもないってことなのよ」

 

 乱暴すぎる手段だった。そんなこと、できるわけがないし、やっちゃいけないことだ。

 先生を殺すだなんて、そんな結末は誰も望まない。

 

「同じような理屈で二つ目。ハエの眼を潰すことなのよ」

「つぶ……っ!?」

「これも当然、やったことはないのよ。でも、私たちの眼は、文字通りこの両目が発生源なのよ。視覚を奪い、光を消し去り、なにも映さない眼孔にしてしまえば、その眼の力も失われる」

「でも! それじゃあ、先生は……」

「わかってるのよ。そんな惨い仕打ちを弟にするくらいなら、あなたの身体を投げ渡すよ。でもそれは最悪も最悪の手段。そんなことはできないのよ」

 

 だけど、それじゃあ八方塞がりだ。

 先生の目的を――復讐を遂行させてはならない。

 かと言って、先生自身を傷つけることもできない。

 なにをしても、誰も望まない結末になってしまう。

 なにをしようと、無理なのかな……

 

「絶望にはまだ遅いのよ、アリスちゃん」

「お姉さん……」

 

 チョウのお姉さんが、わたしの手を握る。

 そして、その手を握ったまま、立ち上がった。

 

「私の名前は『バタつきパンチョウ』。パンがなくても無い物ねだり、蝶よ花よと愛でられて、甘い蜜を啜る、ちょっぴりワガママなお姫さま。ハエには笑ってほしいけど、悪い子になってほしくない。その願いのため、矛盾した道筋を無理やり道理にしちゃいましょう!」

 

 自信満々に豪語するお姉さん。

 一体、どうするつもりなんだろう……?

 

「任せて。私はお姉ちゃんだもの。最愛の弟のことは、この世界で一番よく知ってるのよ!」

 

 そう言ってお姉さんは、先生の前に立つ。一歩引いた位置ではなく、本当に、目の前に立った。

 お兄さんが今、必死で抑えてるとはいえ、その距離は猛獣の前に丸腰で出るようなもの。姉弟という意識がある以上は喉を食い千切るなんてことはないだろうけど、暴れた拍子に怪我をしてしまいそうなほど、危うい距離だった。

 でもそれはきっと、お姉さんの、弟さんに対する信頼。先生に対する信頼、なのかもしれない。

 

「ハエ! あなたの行いは、お姉ちゃんとしてはすっごく嬉しいんだけど……でも! とても許されるものじゃない。そんな悪いことをする弟は、お姉ちゃん、嫌いになっちゃうのよ」

「……っ! それは……嫌、だよ……でも! 姉さん、私は……!」

「わかってる。ハエ。あなたのしようとしていること、したいことは、とてもよくわかるのよ。私も、そしてトンボも、あなたとは姉弟なのだから」

「うむ! 姉上の言う通りであるぞ、ハエ!」

 

 説得を試みてる、のかな……?

 でも確かに、姉兄の言葉なら、今の先生にも届くかもしれない。

 先生が眼を開いたのは、その姉兄のためなんだから。

 

「姉さん……だけど、私はもう、私を止められないよ……! 姉さんや兄さんを穢した、その誇り高さに泥を塗った奴らが、許せない……憎い! 罪を背負ってでも、その罰を下さないと、気が済まないんだ……!」

「やだ、ハエちょっとカッコいい……! 普段こんなこと言わないのに、開眼するとなんでこうイケメンになるのかな。お姉ちゃん、惚れちゃいそう……!」

「姉上! 気をしっかり持つのだ! 今は我らが弟を、邪道から引き上げることが姉弟としての使命であるぞ!」

「おっとっと、そうだった。えーっと、そう! 私とトンボ、二人の総意としては、あなたに悪の道は進ませない。だけど、苦楽を共にした“虫けら”の姉弟として、罪を被る心意気には感動したのよ。あなたを止めたい、あなたの意を汲みたい。二律背反、矛盾する二つの願いを叶えるための手段、それは簡単なことなのよ。ねぇ、ハエ。お姉ちゃんに免じて、約束してくれないかな? 私との約束を守るって」

「…………」

「ちゃんと答えなさい、木馬バエ。あなたのことを思って“お願い”するけど、これは姉弟の縛り。約束を破ったら、あなたとの縁を切るよ。そのくらいには、お姉ちゃん怒ってるんだからね」

「っ! わ、わかった……受けるよ……」

「うん、いい子いい子、なのよ。流石は私の弟」

 

 お姉さんは、まるで子供をあやすようにして、さっきまであれだけ暴れていた先生の鎮めていた。

 でも、先生の眼に灯った恩讐の炎は消えていない。

 わたしに対する、深く暗い敵意も、強く残ったままだ。

 

「あなたが取れる選択は、私たちとの縁を切ってこの子を傷つけるか、この子を傷つけずに私たちと一緒に居続けるか。二者択一なのよ」

「流石は姉上! 自分はどっちも欲しいと我侭を垂れながら、姉弟に対しては容赦なく二択を突きつけるか! それでこそ姉上!」

「ちょっと黙っててトンボ。ハエ、どっちもがダメなら、どっちかにするしかないのよ。そしてどっちかを決めるのは、平等でなくてはならない。この世界の自然のようにね」

 

 と、言ったところで。

 ずっと握っていたわたしの手を引き、わたしも、先生の前に立たせる。

 ……え?

 

「平等で公平なゲームで、あなたの進路を決めましょう。さぁ、アリスちゃん(マジカル・ベル)決断(カードゲーム)のお時間なのよ。あなたの魔法で、怒れる害虫を祓ってくださいな」

「わ、わたし!?」

 

 ここでわたしを出すの!? 予想外すぎるよ!

 先生も凄まじいほどの悪意で満ちた眼差しで私を睨みつけるし。眼力で人が殺せたら、わたしは今頃、木端微塵に爆散してるくらい、先生の鋭い眼光は憎しみに満ちている。

 だけどそんなことはどこ吹く風で、お姉さんはわたしを押し出す。

 

「あったりまえなのよ。アリスは迷い、惑い、導かれ、唆されて道を辿るもの。だけどそんな、伸るか反るかも選ぶはあなた。分かたれた道は、どこかで決めなくちゃいけないのよ。選択と決断にはうってつけだね」

「そ、そんな……」

「そもそも、事の発端はあなたなのよ。ちょっとくらいは手伝ってくれてもいいんじゃない?」

 

 なんて勝手な言い分なの……

 でも、まあ。

 

(わたしはなにもしてないけど……確かに、わたしも無関係じゃない、よね)

 

 わたしがなにかをすることで、先生が鎮まるというのなら。

 

「……わかりました。やります」

 

 みんなが望む結末のために、頑張ろう――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 なんだか強引な展開という気もしますが、始まってしまいました。わたしと先生の――『木馬バエ』さんとのデュエマが。

 

「わたしのターン、マナチャージ。2マナで《爆砕面 ジョニーウォーカー》を召喚。破壊して、マナを増やします。ターン終了です」

「私のターン……マナチャージ。こちらも2マナで《電脳鎧冑アナリス》を召喚、破壊してマナ加速……ターンエンド」

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

木馬バエ

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

 先生はかなり落ち着きを取り戻したみたいだけど、相変わらず目はあの怖い目のまま。

 目の前の餌に喰らいつく、獣のような眼差しだ。

 

「わたしのターン。次はこれ! 4マナで《白骨の守護者ホネンビー》! 山札の上から三枚を墓地に置いて……」

 

 墓地に落ちたのは《超次元リバイヴ・ホール》《超次元ボルシャック・ホール》《ジョニーウォーカー》。うーん、選択肢が《ジョニーウォーカー》しかないや。

 

「墓地の《ジョニーウォーカー》を手札に。ターン終了です」

「呪文が多そうなデッキに《ホネンビー》、そして色は黒赤緑(デアリガズ)……」

 

 わたしのめくったカードを見て、ぶつぶつとなにか呟いている先生。

 そして、

 

「私のターン……よくわからない。ならば、あなたの手札、喰らってみましょうか」

 

 舐めるように。しゃぶるように。

 黒い影がわたしに迫る。

 

「4マナで《解体人形ジェニー》を召喚! さぁ、あなたの手札を見せてください」

「う……っ」

 

 地味に嫌な一手だ。渋々、わたしは手札を公開する。

 

「《ジョニーウォーカー》は知っている、後は《リバイヴ・ホール》、そして……そうか、《ロマノフ・シーザー》か」

 

 このデッキの、わたしの切り札、《ロマノフ・シーザー》。前に使った時は上手く扱えなかったから、《クジルマギカ》と併用するんじゃなくて、こっちに特化させたデッキを組んだんだけど……早速、出鼻を挫かれそうだよ。

 

「《シーザー》を落としても《リバイヴ・ホール》で戻されるだけ。なら、《リバイヴ・ホール》から叩きましょう。こちらも《シーザー》で唱えられてしまうけど、まあ、比較的マシということで。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《ホネンビー》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:4

山札:24

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

「わたしのターン! 2マナで《ダーク・ライフ》! 山札の上から二枚を見て、片方を墓地へ、片方をマナへ! さらに2マナで《ジョニーウォーカー》! 破壊してマナ加速! ターン終了!」

「動きが鈍った……か? それなら私も、もう少しゆっくりさせてもらいましょう……2マナで《ダーク・ライフ》。山札から二枚を見て、それぞれ一枚ずつを墓地とマナへ」

 

 先生はわたしと同じ呪文で、マナと墓地を増やす。

 しかも、それだけじゃない。

 

「続けて4マナ、《アクアン・メルカトール》を召喚」

「っ、あのカードは……」

「山札から四枚を公開し、光、闇、火、自然のカードをそれぞれ手札に加えます」

 

 わたしと違って、手札も増やす。

 あのカード、前のデッキに入れたのはいいけど、一枚しか持ってないからあんまり引けなくて、最後には抜いちゃったんだよね……

 それはさておき、先生の《アクアン・メルカトール》でめくられたのは《怒流牙 佐助の超人》《電脳鎧冑アナリス》《白骨の守護者ホネンビー》《終末の時計 ザ・クロック》の四枚だった。

 

「……《佐助の超人》と《ホネンビー》で、いいかな。この二枚を手札に加えて、残りは墓地へ。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《ホネンビー》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:7

山札:20

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》《メルカトール》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:5

山札:20

 

 

 

「わたしのターン……うぅ、いいカードが引けない……《ダーク・ライフ》だけ唱えて、ターン終了……」

「私のターン。《怒流牙 佐助の超人》を召喚。一枚ドロー、一枚捨て、墓地の一枚をマナに。さらに4マナで《ホネンビー》を召喚。山札から三枚を墓地へ。墓地から《ハヤブサマル》を回収。ターンエンド」

 

 手札がなくて、ほとんど山札の上からカードを使ってるだけになっちゃってる。《ロマノフ・シーザー》を出したくても、クリーチャーが足りないから進化もできないし……このままじゃ、まずいよね。

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《ホネンビー》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:9

山札:17

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》《メルカトール》《佐助の超人》《ホネンビー》

盾:5

マナ:8

手札:2

墓地:7

山札:14

 

 

 

(クリーチャーが増えてきちゃった……少し、怖いな……)

 

 しかも先生は、マナや手札、墓地を増やしながら、クリーチャーも展開している。

 まだどんなデッキなのかわからないけど、数で押し切られると困っちゃう……なにかいいカード、引いてっ。

 

「! ちょっといいカード……5マナで《超次元ボルシャック・ホール》!」

 

 ここは……なにを破壊しようかな。そして、なにを出すべきかな?

 墓地に呪文は十分溜まってるし、攻撃された時が怖いから、攻撃できるクリーチャーを破壊した方がいいかなぁ……

 出すクリーチャーは……マナが増えちゃったし、《勝利のリュウセイ》は効果が薄そう。クリーチャーを倒すなら《勝利のガイアール》。攻撃を止めるだけなら《プリンプリン》って手もあるけど、《シーザー》の進化元に出来ないし……

 ……よしっ。決めたよっ!

 

「効果で、パワー3000以下の《佐助の超人》を破壊!」

「そっちを狙うか……」

「さらに超次元ゾーンから《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ! そのまま《アクアン・メルカトール》に攻撃!」

「ブロックだ。《ホネンビー》とバトル」

「ブロックするんだ……でも、パワーは《勝利のガイアール》の方が上です! 《ホネンビー》を破壊! ターン終了です!」

 

 これでクリーチャーは半分に減らせた。これで向こうからの攻撃は、少し安心かな。

 問題は、どこで攻めるかだよね。《勝利のガイアール》が来てくれたから、次のターンには《ロマノフ・シーザー》が出せるし、《グレンモルト》から龍解にも繋がる。

 あ、でも、先生は《ハヤブサマル》が手札にあるから、攻撃する時はそれを意識しないといけないね。

 とにかくこれでわたしのターンは終わり。

 先生のターンが来る。

 

「……私の名前は『木馬バエ』」

 

 不意に、先生が口走った。

 どこか虚ろで、だけど確固たる意志があって、なのに本能的で、だから獣のようで。

 とても、怖い眼をしていた。

 

蜻蛉(トンボ)のように勇猛な兄さんとも、蝶々(チョウチョ)のように美麗な姉さんとも違う。薄汚く穢らわしい、木屑の(ハエ)

 

 先生はカードを引く。

 

「その肉は蜻蛉の牙(兄さん)に捧げよう。その血は蝶々の唇(姉さん)に奉ろう。残るは塵芥。腐食と風化を待つ、クソの役にも立たないゴミクズの残り物。そしてそれこそが、私が貪り、むしゃぶりつく、卑しき死の骸――即ち、私の餌」

 

 マナゾーンのカードを二枚、横に倒す。

 2マナをタップして先生は、手札を切らない。

 だけどマナゾーンのカードを、手に取った。

 

「能力発動。マナゾーンより、《再生妖精スズラン》を召喚」

 

 マナゾーンから召喚できるクリーチャー……!?

 で、でも、パワーはたったの1000しかないし、スピードアタッカーでもない。しかもよく見れば、ターン終わりにマナに行っちゃうんだ。

 そんなクリーチャーを、わざわざここでマナから出すなんて……攻撃できないし、場にも残らないのに出すってことは、後は進化元くらいにしか……あ。

 

「私は汚れた貪食の虫けら。腐肉を舐め、泥水を啜り、骨の髄まで喰らう蠅。元より全身真っ黒。身も心も雑菌塗れに汚れているさ。口元の汚れも、この身の穢れも、今更ながらに気にするものか」

 

 まるで呪いのように告げるその言葉に続き、先生は、マナを倒す。

 今度は六枚。残るすべてのマナを使い切り、使い尽くし、今度こそ手札を切る。

 攻撃できない、場にも残らない。そんなクリーチャーの使い道なんて、決まっている。

 ――エサにするためだ。

 

「《スズラン》を――NEO進化!」

 

 進化元に、するためだったんだ。

 小さな妖精を喰らって現れるのは――

 

 

 

「死骸を貪り、生者を喰らえ――《マイト・アンティリティ》!」

 

 

 

 これが、先生の切り札……?

 思ったより小さいというか……お兄さんもお姉さんも、すごい大きなクリーチャーを使って、次から次へとクリーチャーを叩きつけてきたから、先生もそうなのかと思ったけど……パワー8000?

 想像していたものよりも小型。それがわたしの第一印象だった。

 それに、そういえば、姉兄と違ってすごいマナ加速もしてこなかったし……根本的にデッキが違う?

 

「なにをそんな呆けた顔をしているんだ。言っただろう。私は蠅。意地汚い勝利を掴む害虫だ。姉さんや兄さんのように、壮大で、派手で、勇敢で、華々しい勝利なんてあり得ない。あるのはこそこそした陰気な勝ち筋。そして、欲望に塗れた泥臭く汚らわしい執念だけだ」

 

 先生は自分を卑下するように、だけども確かな敵意を持って、牙を剥いている。

 自分の弱さも、矮小さも、汚さも、卑屈さも、全部を見下しながらも飲み込んで、己の武器として振るおうとしている。

 そんな先生の眼には、一体なにが映っているんだろう……?

 

「さぁ――意地汚く勝ってやる」

 

 どす黒く、虚ろに揺れる炎を湛えた先生の眼差しは、その言葉さえも痛いくらいに熱く滾らせていた。

 だけど、そんなに激しいのに、どこか冷たくて悲しい声。

 まるで悲鳴のような、悲痛さがあった。

 

「《マイト・アンティリティ》の登場時能力発動! 墓地のクリーチャー二体をマナゾーンへ!」

 

 墓地に落ちたクリーチャーがマナゾーンに還る。屍も無駄なく肥やしに変える。

 これで先生のマナは10マナ……も、もしかして、ここから大きなクリーチャーを出すのかな?

 そんなわたしの予想は、半分間違っていて、半分正解だった。

 

「行くよ、アリス(マジカル・ベル)。《マイト・アンティリティ》で攻撃する時――キズナプラス発動!」

「き、キズナプラス……?」

 

 なんだろう。聞いたことは……ある、気がするけど。よく知らない能力だ。

 

「キズナプラス……キズナマークによって定義された能力を起動する手段だ。《マイト・アンティリティ》の進化元をひとつ墓地に送ることで、キズナプラスを使用する! キズナマークによって定義された、このクリーチャーと、別のクリーチャーの能力が起動……もっとも、今発動するのは《アンティリティ》の分だけですがね」

 

 キズナマークって、あのクリーチャーのテキストに書いてある、あの四角っぽいマークのことかな? それを発動するために、進化元を墓地に送るんだ。なんか、メテオバーンみたいな能力だね。

 ……(キズナ)、かぁ。

 

「《マイト・アンティリティ》の能力で、マナゾーンからコスト4以下のクリーチャーを呼び出します。出て来い! 《甲殻鬼動隊 セビーチェン》! 《アクアン・メルカトール》からNEO進化!」

 

 そして、《マイト・アンティリティ》の攻撃は《勝利のガイアール》へと向けられる。

 

「消えろ、敗者が。《勝利のガイアール》と《アンティリティ》でバトル! 破壊だ!」

「う……っ」

「続けて《セビーチェン》で攻撃する時、《セビーチェン》のキズナプラス発動!」

「ま、また!?」

「あぁ、またですよ。しかも今度は、ただ発動するんじゃない。キズナが――共鳴する」

 

 言って先生は、攻撃中の《セビーチェン》と、攻撃が終わった《マイト・アンティリティ》。両方を指し示す。

 そういえばさっき、キズナマークのある、別のクリーチャーの能力も使えるって……

 

「キズナプラスによって、《セビーチェン》及び《アンティリティ》の、キズナマークの能力が起動する! まずは《セビーチェン》! 二枚ドロー!」

 

 やっぱり!

 クリーチャー一体の能力発動で、二体分の能力が使えるなんて……

 《セビーチェン》は派手な見た目のわりに、ドローするだけでよかったけど、《マイト・アンティリティ》は……

 

「ここからが本番だ。続けて《アンティリティ》の能力を起動! マナゾーンからコスト4以下のクリーチャーを呼び出す! 出て来い、《ルツパーフェ・パンツァー》!」

 

 クリーチャーを踏み倒すと言っても、その範囲は4まで。そんなに大きなクリーチャーは出ないはず。

 って、思ったけど、

 

「さ、3マナでパワー12000!? しかもTブレイカーって……!?」

 

 わたしの想像よりも遥かに大きなクリーチャーが出ちゃいました。

 さらに、驚きは続く。

 

「《ルツパーフェ》は普通に出せば、マナへと消えてしまう重戦車。だけど、手札以外から出せば、そのまま場に残りつつ、相手クリーチャーをマナへと消し飛ばす! 《ホネンビー》をマナ送りだ!」

「クリーチャーが、いなくなっちゃった……!」

 

 たった3マナの大きなクリーチャーってだけでも驚異的なのに、おまけにクリーチャーまで除去するなんて……

 この状況でブロッカーを失うのは、まずいよ……!

 

「まだ終わってないよ。《セビーチェン》でシールドをブレイク!」

「っ、トリガーは、ありません……」

「ターンエンド。あなたのターンです……次こそ、その身を骸に変えて貪りますよ、アリス(マジカル・ベル)

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:なし

盾:4

マナ:8

手札:2

墓地:10

山札:16

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》《アンティリティ》《セビーチェン》《ルツパーフェ》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:9

山札:13

 

 

 

「わ、わたしのターン……ここは耐えるしか……《ホネンビー》を召喚! 山札の上から三枚を墓地へ送って、墓地の《ホネンビー》を手札に! そしてもう一体《ホネンビー》です! もう一度山札を墓地に送って、墓地の《ハヤブサマル》を手札に! ターン終了!」

 

 相手にはあれだけのクリーチャーがいる。一斉に攻撃されたらひとたまりもないし、今は防御を固めるしかない。

 幸い、キズナプラスは使うのに進化元が必要みたいだし、今の先生のクリーチャーはみんな、進化元がない。新しくキズナプラス持ちのクリーチャーが出なければ、なんとか……

 

「……無駄ですよ」

 

 そんなわたしの思惑を見透かすように、先生は告げる。

 

「餌に集った蠅は食事をやめない。木屑さえも残さず喰らい、肉という肉も、血という血も、骨という骨も! 爪の一つ、髪の一本、皮の一枚、脂の一欠片に至るまで! 死なる概念すべてを暴食する!」

 

 楽観も、希望も、都合のいい考えも、すべてを否定する現実を、叩きつける。

 

「6マナで、《解体人形ジェニー》をNEO進化!」

 

 すべてのマイナスが集うようにして。

 新しい大食の化身が、現れた。

 

 

 

「死肉を喰らい、脳漿を啜り、骸を飲み込め――《アラン・クレマン》!」

 

 

 

 それは、たくさんの凶器を持った影。

 ナイフのように、フォークのように、肉を刻んで貫く凶器の食器。

 危険な香りしかしない影の者が、大口を開けて待っている。

 

「ま、またなんだか、すごそうなのが……」

 

 とはいえ、これもパワーだけで見たら、6マナで8000。パワー12000以上のクリーチャーがバンバン出て来るお姉さんやお兄さんよりも小さいし、《ルツパーフェ・パンツァー》ほどの衝撃もない。

 ……この時点では。

 

「これで終わりです。《アラン・クレマン》で攻撃する時、キズナコンプ発動!」

「コンプ? プラスじゃなくて……?」

「キズナコンプは、場に存在するキズナマークによって定義されたすべての能力を起動させる、絆の奥義。さぁ、腕から、脚から、頭から! ひとつひとつ喰いちぎってあげましょうか!」

 

 キズナマーク……あ!

 よく見ると、《アラン・クレマン》のテキストのマーク、《マイト・アンティリティ》や《セビーチェン》と同じマークだ!

 そっか、キズナの名前を冠する能力は、こうやって一度の能力発動で、共鳴するように連続使用できるんだ……!

 

「全ての絆よ集え。そこにいい餌がある。柔らかい肉が、紅の血が、生者の骨が! 寄って集って喰らい尽くせ――!」

 

 《アラン・クレマン》が、先生の場のクリーチャーすべてが結集して、その力を解き放つ。

 先生の場に、キズナマークを持つクリーチャーは三体。三回分も、能力が発動する……!

 

「最初は《アラン・クレマン》の能力から! 能力は単純明快、されども脅威! 相手クリーチャーを一体選び、それを破壊する! まずはその骨を噛み砕く! 対象は《ホネンビー》!」

「ブロッカーが……」

 

 確かに単純だけど、強い能力だ。

 守りの要が一つ、崩されてしまった。 

 

「次に《アンティリティ》! マナゾーンの《セビーチェン》を、場の《セビーチェン》に重ねてNEO進化! そして最後に《セビーチェン》! 《ホネンビー》をバウンス!」

 

 あのクリーチャー、ドローだけじゃなくて、クリーチャーを手札に戻すこともできるんだ……

 どうしよう、ブロッカーがいなくなっちゃった……

 

「そしてそのままシールドへ行きます。Wブレイク!」

「う、受けます……っ」

 

 わたしの手札には《ハヤブサマル》が一枚。場のブロッカーがいなくなっちゃったら、トリガーがないと防ぎきれない。

 お願い、なにか来て……!

 

「あ……き、来た! S・トリガー《インフェルノ・サイン》! 墓地の《ホネンビー》をバトルゾーンへ!」

「無駄ですよ。続けて《セビーチェン》で攻撃! 攻撃時にキズナプラス発動! 絆は繋がり共鳴する――《セビーチェン》! 《アンティリティ》! それぞれのキズナマークの能力を起動!」

 

 最初と同じように、《セビーチェン》と《マイト・アンティリティ》の能力が使われる。

 しまった……ただブロッカーを出すだけじゃ、《セビーチェン》で戻されちゃう。

 

「《セビーチェン》で《ホネンビー》をバウンス! 《アンティリティ》で《ジェニー》をバトルゾーンへ!」

「あ……っ」

「その綺麗な手で握ったシノビは、叩き落させてもらいましょう。穢れた墓場にね」

 

 しかも最後の砦だった《ハヤブサマル》も、墓地に落とされてしまう。

 場にも手札にもブロッカーはいない。

 もう、頼れるのはシールドだけ。

 

「シールドブレイク! 続けて《アンリティリティ》で、最後のシールドもブレイクだ!」

 

 これでわたしのシールドはゼロ。

 ここで、なにかトリガーを引かないと……!

 

「うぅ……あ。やった……! S・トリガー発動! 《復活と激突の呪印》!」

「そのカードは……」

「二つ効果があるけど、二つ目はクリーチャーがいないから使えないね……けど一つ目は使えます! 墓地の、進化でないコスト6以下のクリーチャーをバトルゾーンへ戻します! 戻ってきて、《ハヤブサマル》! 自身をブロッカーに!」

 

 ぎ、ギリギリ耐えられたぁ……!

 《セビーチェン》のキズナプラス発動のために、三回に分けてシールドを割らせることになったから、ギリギリ防御が足りるようになったんだ。そう考えると、《インフェルノ・サイン》も無駄じゃなかったね。

 

「ちっ、凌いだか……まあ、一応、殴っときましょうかね。《ルツパーフェ》でダイレクトアタック!」

「《ハヤブサマル》でブロックします!」

「ターンエンド。喰い逃したのは、少し痛いかな……」

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:なし

盾:0

マナ:9

手札:6

墓地:19

山札:6

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《セビーチェン》《ルツパーフェ》《アラン・クレマン》《解体人形ジェニー》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:10

山札:12

 

 

 

「ここからなら、まだ……!」

 

 わたしのシールドはゼロ。クリーチャーもいません。

 だけど、この手札と墓地なら、まだやれるはず……!

 

「《ホネンビー》を召喚! 墓地を増やして、《ハヤブサマル》を手札に!」

「まだ耐え凌ぐ気ですか? 無理だ。流石にもう、耐えられない。無駄でしょう」

「無理じゃないし、無駄でもありません! さらに5マナ!」

 

 ここまで溜めてきた、マナと墓地。

 そのすべてを使う時が来ました。

 これが、わたしに逆転の道を作ってくれる――蟲。

 

「《魔光蟲(まこうちゅう)ヴィルジニア卿》を召喚!」

「っ、その、カードは……!」

「《ヴィルジニア卿》の能力で、墓地のクリーチャーを手札に戻します。戻すのは《ロマノフ・シーザー》。そしてこの時、手札に戻したクリーチャーが、《ヴィルジニア卿》と同じ種族を持つ進化クリーチャーであれば、そのまま場に出せます!」

 

 これで、一気に決めるよ!

 絶対に強いのに、前はあんまり活躍できなかったけど。

 今度こそ、

 

「《ロマノフ・シーザー》は、《ヴィルジニア卿》と同じ“ナイト”の種族を持っています。なので、《ホネンビー》と《ヴィルジニア卿》の上に重ねて、進化V!」

 

 今回こそは、上手く使ってみせる――

 

 

 

「――《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》!」

 

 

 

「出てしまったか……でもまあ、そのクリーチャーだけでどうにかなるほど、私の盤面はやわじゃない。たかが蠅、されど蠅。集った虫けらの力を舐めるな」

「舐めてません。正直、すごいって思いました」

 

 一体のクリーチャーから、次々と新しいクリーチャーが出て、新しいクリーチャーたちが、絆の能力で力を合わせて戦う姿。とても、カッコいいと思いましたし、素敵だと思います。

 汚いとか、穢れているとか、先生はそんなことを言っていたけれど。わたしには、そうは思えない。

 先生がこんなことをするのは、全部お姉さんやお兄さんのため。

 そして今の場に並ぶのは、絆の力で協力して戦うクリーチャーたち。

 そんな先生は――わたしの“眼”には、すごく、輝いて見える。

 

「だけどわたしも、友達は大事だし、あなたのお姉さんやお兄さんを悲しませたくもない……だから、遠慮も容赦もしません! みんなが望む結末にするために、全力でぶつかってみせます!」

「……熱いな。焼けそうなほど、熱い……」

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃! その時、メテオバーン発動! 《ロマノフ・シーザー》の進化元を一枚墓地に送って、墓地の呪文を、合計コストが7以下になるように呪文を唱えます! 唱えるのは、この一枚――」

 

 どこで落ちたのかは覚えてないけど、唱えられたら強いな、って思って、たった一枚だけ入れたカード。

 凶悪で極悪な時代があったらしい、なんてみんなは言ってたけど。

 そこにある“愛”が、本当に“悪”なのか。それは簡単に決められない。先生も、このカードも。

 それを見定めるため……なんかじゃないけど。

 否定できない先生の悪意に対する、わたしなりの礼儀。

 かの時代を、その伝説を、ここに再現します――!

 

 

 

「――《無双と竜機の伝説(エターナル・ボルバルエッジ)》!」

 

 

 

 一瞬、時が止まったような気がした。あるいは、時流が逆流したような感覚があった。

 呆然とそのカードを見つめる先生。

 先生は悔恨でもなく、吃驚でもなく、どこか諦念を滲ませた溜息をつく。

 

「はぁ……見落としていた。そんなカードが墓地に行っていたのか。目の前の飯に飛びつくばかり。この眼も大概、節穴だな……潰してしまいたいくらいだ」

 

 目元覆う先生。グッと、その手に、その指に、力が入るのがわかる。ま、まさか、本当に潰したりはしないよね……?

 先生の一挙一動に戦々恐々しながらも、わたしは唱えた呪文の効果を発動する。

 

「まず、パワー6000のクリーチャーを破壊しますけど、破壊できるクリーチャーはいませんね……でも、もう一つの効果は発動します! その前に、《ロマノフ・シーザー》で《ルツパーフェ・パンツァー》とバトルです! こっちのパワーは13000!」

「こちらは12000。当然、破壊されますね」

「これでターン終了! そして――」

 

 ここで、《無双と竜機の伝説》の効果が、発現する。

 それにより、時代は――繰り返す。

 

 

 

「――もう一度、わたしのターン!」

 

 

 

ターン7(NEXT:小鈴EXターン)

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》

盾:0

マナ:10

手札:5

墓地:20

山札:3

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《セビーチェン》《アラン・クレマン》《解体人形ジェニー》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:11

山札:12

 

 

 

 《無双と竜機の伝説》の効果は、パワー6000のクリーチャーを破壊して、そのターンの終わりにもう一度自分のターンを行うこと。

 追加ターンに唱えることはできないけど、《ガイギンガ》が選ばれた時の能力を、7マナ払うだけで使えると思うと、すごい呪文だよね。《ロマノフ・シーザー》で唱えればノーコストだし。

 そしてその1ターンがあれば、わたしのデッキなら、やれるはず!

 

「ドロー! 2マナで《ジョニーウォーカー》を召喚! 破壊はしません。さらに6マナで《龍覇 グレンモルト》を召喚! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

「っ、これは……」

「《グレンモルト》で《セビーチェン》を攻撃!」

「通す……!」

「《ロマノフ・シーザー》で《アラン・クレマン》に攻撃! その時、二度目のメテオバーン発動! 進化元を墓地に送って、墓地から《インフェルノ・サイン》! 《ヴィルジニア卿》をバトルゾーンへ!」

「ここで《ヴィルジニア卿》……! こいつ……!」

「《ヴィルジニア卿》の能力で、墓地の《ロマノフ・シーザー》を手札に戻して――進化V! 《ジョニーウォーカー》と《ヴィルジニア卿》を重ねて進化します!」

 

 現れるは、二体目の《ロマノフ・シーザー》。

 墓地に呪文は腐るほど溜まっている。あり余っている。

 メテオバーンだから最大二回までだけど、呪文の種類は豊富。いくらでも撃ち放題だよ!

 

「バトルです! 《ロマノフ・シーザー》と《アラン・クレマン》!」

「《アラン・クレマン》のパワーは8000……! こちらの負けか……」

「さらにこの攻撃で、《ガイハート》の龍解条件成立!」

 

 呪文も大切だけど、こっちも忘れちゃいけない。

 ターン中、二階の攻撃に成功。よって――

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 ――わたしのもう一つの切り札、《ガイギンガ》が龍解する。

 本当は《ロマノフ・シーザー》で《復活と激突の呪印》や《インフェルノ・サイン》を唱えて、《クジルマギカ》みたいに連続攻撃する予定だったんだけどね。

 まあ、それはいいや。

 なんにせよ、わたしの切り札二つが揃ったんだから、一気に行くよ!

 

「《ガイギンガ》の龍解した時の能力で、パワー7000以下の《ジェニー》を破壊! そして二体目の《ロマノフ・シーザー》で《マイト・アンティリティ》を攻撃! メテオバーン発動! 墓地から《復活と激突の呪印》を唱えます! 効果で墓地の《ホネンビー》をバトルゾーンへ! 《ホネンビー》の能力は使いません!」

 

 《ロマノフ・シーザー》はTブレイカー。やろうと思えば、先生にダイレクトアタックするのは簡単だけど……トリガーが怖い。

 マナゾーンには《クロック》があるし、うっかりトリガーで出て来ちゃったら、そのまま負けちゃう。

 せっかく追加ターンを得たのに、そんなあっさりやられちゃうわけにもいかないし、ここは確実に詰める。

 だからそのために、まずはバトルゾーンのクリーチャーを倒すよ。

 絆を共鳴させる力は、すごく強かったけど。

 残念。パワーを比べたら、力技でこっちの勝ちです!

 

「《ロマノフ・シーザー》で《マイト・アンティリティ》とバトル!」

「《マイト・アンティリティ》のパワーも、8000……くぅっ、兄さんや姉さんなら、13000など容易く乗り越えられる数字だというのに……! やはり、私は薄汚く矮小な蠅に過ぎないか……!」

 

 悔しそうに歯噛みする先生。

 ……これで、クリーチャーはすべて倒したね。

 

「わたしは、ターン終了です」

「私の、ターン……」

 

 シールドはまだ五枚あるけど、クリーチャーが全滅して、手札もない先生にできることは、ほとんどなかった。

 ただ、引いたカードを出すだけ。

 

「……《マイト・アンティリティ》を召喚。墓地のクリーチャー二体をマナに置き……ターン、エンドだ……」

 

 

 

ターン8

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》×2《グレンモルト》《ホネンビー》《ガイギンガ》

盾:0

マナ:10

手札:4

墓地:17

山札:4

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:14

山札:11

 

 

「わたしのターン!」

 

 今のわたしのクリーチャーなら、先生のシールドを割り切ってとどめを刺すことができる。クリーチャーの質も、数も、申し分ない。多少のS・トリガーなら、捌けるほどだ。

 だけど、もしも先生のシールドに《クロック》みたいな、問答無用に攻撃を止めるトリガーがあったら、返しのターンで負けちゃうかもしれない。マナゾーンには《クロック》が見えているから、警戒せざるを得ない。

 ……だから、

 

「2マナで《ダーク・ライフ》を唱えます! 山札から二枚見て、片方をマナ、片方墓地へ!」

「山札が残り少ないのに、ここで《ダーク・ライフ》……いや。山札が、一周している……!?」

「その通りです! 4マナで《ホネンビー》召喚! 能力は使いません! そして、《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時、メテオバーン発動! 墓地から呪文を唱えます! 唱えるのは――」

 

 デッキ切れっていう、ちょっと危ない橋を渡ったけど。

 これで《クロック》も怖くない!

 

 

 

「――《無双と竜機の伝説》!」

 

 

 

 もう一度、わたしの連続ターンです!

 

「このターンの終わりに、もう一度わたしのターンを得ます!」

「また追加ターンだと……!?」

「《ロマノフ・シーザー》の攻撃! Tブレイク!」

「っ、ぐぅ……S・トリガー! 《集器医(しゅうきい) ランプ》!」

 

 ここで一気に攻める! というところで、早速トリガーを踏んでしまった。

 《クロック》ではないけど、このクリーチャーは……?

 

「《ランプ》の能力、キズナ発動!」

「っ、今度は、キズナ、だけ……?」

 

 キズナプラスやキズナコンプとは違う。単なるキズナ。

 でもその名前からして、キズナマークの能力を起動する手段であることは、すぐにわかった。

 

「キズナは、キズナを持つクリーチャーの登場時、場に存在するキズナマークで定義されたクリーチャーの能力を一つ起動できる……《ランプ》本来の能力で、クリーチャーのパワーを5000下げることもできるが、今の盤面ではほぼ無意味……なら、こっちを使います。《マイトアンティリティ》!」

「!」

 

 キズナプラスは、攻撃時に二つのキズナマーク能力が起動する。

 キズナコンプは、攻撃時にすべてのキズナマーク能力が起動する。

 そしてキズナは、登場時に場の一つのキズナマーク能力が起動する。

 攻撃による発動じゃなくて、登場による発動。そういう絆も、あるんだ……

 しかも使うのは自分のキズナマーク能力じゃなくて、《マイト・アンティリティ》のキズナマーク能力。

 ということは、またクリーチャーが出る。

 

「《マイト・アンティリティ》の能力を起動! マナからコスト4以下のクリーチャー……《終末の時計 ザ・クロック》をバトルゾーンに! あなたのターンは終わりだ!」

「っ、止められた、けど……次もわたしのターンです!」

 

 

 

ターン8(NEXT:小鈴EXターン)

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》×2《ホネンビー》×2《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:0

マナ:12

手札:2

墓地:19

山札:2

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《ランプ》《クロック》

盾:2

マナ:7

手札:3

墓地:14

山札:11

 

 

 

 思わぬ形で攻撃を止められちゃったけど、でも、こういう時のための追加ターンだ。

 《クロック》の脅威はなんとか防いだ。わたしの攻撃は止まらない。

 ……でも、二枚目の《クロック》とかは、怖いなぁ。

 もう少し、用心しておこう。

 

「わたしのターン! 呪文《復活と激突の呪印》! 二つ目の効果で、《ガイギンガ》と《マイト・アンティリティ》をバトル!」

「きっちり潰してくるか……!」

「さらに6マナ! 《グレンモルト》と《ロマノフ・シーザー》を進化元に、進化V! 《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》!」

 

 攻撃できるクリーチャーが減ってしまったけど、どうせ先生のシールドは二枚。わたしにはクリーチャーがたくさんいるし、攻撃数ならあまり変わらない。

 それよりこの状況でうっかり《クロック》がトリガーしたら、デッキが残り一枚のわたしは問答無用で負けちゃうんだよね……それだけは避けないと。

 だから《ロマノフ・シーザー》で、墓地のカードを山札に戻す。

 

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時、メテオバーン発動! 墓地から《ボルシャック・ホール》を唱えて、《ランプ》を破壊! さらに《勝利のプリンプリン》も出して、《クロック》を攻撃できなくさせます!」

 

 これで場のクリーチャーも止めた。

 念のための保険を掛けたけど、願わくば、ここで終わりにしたい。

 一気に、決めて!

 

「Tブレイク!」

 

 これで、先生のシールドはすべてなくなった。

 あとはダイレクトアタックだけ……と、思ったけど。

 

「負けたくない……嫌だ、負けたくないんだ……!」

 

 先生の口から、言葉がこ零れ落ちた。

 

「私はいい。どんなに汚れようと、蔑まれようと、罵られようと構わない。それが罪を背負った蠅の在り方……でも、兄さんや、姉さんが汚れるのは……嫌、なんだ……!」

「先生……」

「蜻蛉は格好良くなくてはならない。空を翔け、獲物を狩り、勇猛でなくてはならない。蝶々は可憐でなくてはならない。空を舞い、花を愛で、美麗でなくてはならない……私の大切な姉兄が……家族が! その誇りを穢されることだけは、嫌なんだよ……!」

 

 先生の眼の色が、また、変わった。

 一度は落ち着いて、抑えられた感情が、また溢れている。

 それも、より強く、もっと激しく、さらに荒々しく、どこまでも直情的に、爆ぜた。

 

「自然ってなんだよ、道理ってなんだよ! 格好良いものが格好良いままであり、美しいものが美しいままである。ゆえに、汚いものは汚い奴が背負えばいい。なのに! 格好良いもの(兄さん)が、美しいもの(姉さん)が、その凛々しく崇高な姿が穢される! それは自然なのか!? 道理なのか!? いや、そんなわけがあるものか! 私の行いが反自然的で道理に逆らっていようとも、私は別の道理を正そうとしているだけだ! だから――邪魔をするな!」

 

 砕かれたシールドを掴み取る先生。

 そして――

 

「私の大好きな兄さんを、最愛の姉さんを穢すな――人間!」

 

 ――その中の一枚を、叩きつける。

 

「S・トリガー! 《終末の時計 ザ・クロック》! お前のターンは終わりだ!」

「また止められた……!」

 

 で、でも、そのためにバトルゾーンのクリーチャーの動きを止めたんだし、大丈夫、だよね……?

 そう思いたいけど、その考えすらも飲み込んでしまいそうなほど、先生は鬼気迫る勢いで、わたしを睨みつけていた。

 

「私のターン! 2マナでマナゾーンから《スズラン》を召喚! そして6マナでNEO進化!」

「! このパターン……!」

「言っただろう、意地汚く勝ってやる、と。格好悪くても、卑しくても、醜くても、これが私の勝ち方だ。勝つためならば、私は何度だって汚れるし、罪を背負う――姉弟の縁さえも、切り捨てて見せる!」

 

 っ、そんな……!

 先生は、まさか、本気で……そこまで、執着して……!

 お姉さんの言葉も、お兄さんの気持ちも、自分の信じた姉弟さえも捨ててまで、復讐者に成り下がろうとしているの……!?

 それは……見ていられないほどに、酷い有様だ。

 醜悪とさえ言えるかもしれない。残酷なほどに卑俗で、あまりにも衝動的で欲望的。

 そして――破滅的だ。

 

 

 

「悪辣なる人間を喰い殺せ――《マイト・アンティリティ》!」

 

 

 

 何度も現れる、先生の切り札。

 やられてもやられても、次々湧いて立ち上がる。

 すべての資源を食い潰して、ただひたすら殺意の刃を向ける虫けらだ。

 

「《アンリティリティ》で攻撃する時、キズナプラス発動! マナから《ルツパーフェ・パンツァー》をバトルゾーンに! 《ホネンビー》をマナ送りだ!」

「もう一体の《ホネンビー》でブロック!」

「まだだ……こいつで終わりだ! 《クロック》で攻撃!」

 

 わたしのブロッカーは尽きた。

 今の場では、先生の攻撃は止められない。

 

「とどめだ――ダイレクトアタック!」

 

 先生……どうして、そこまで執念深いのだろう。

 それが姉弟愛の結果だということはわかる。でも、わからないよ。

 あなたのお姉さんは、お兄さんは、あなたのために、あなたを最後まで尊重して、あなたに寄り添おうとした。

 なのに先生。あなたは、そんな姉弟さえも切り捨ててまで、復讐を成し遂げようとするだなんて……

 その原因は、先生の眼にある。

 一人称の眼。視野狭窄に至る狭い視界。

 ……なるほど、そういうことなんだね。

 それなら、やっぱりわたしは、迷うわけにはいかないな。

 先生がこうなってしまった原因は、わたしにもある。それなら、わたしもその責任を負わなくてはならない。

 盲目で、世界を狭めてしまい、暗がりを迷う蠅は、大事なことを忘却している。

 それを、思い出してもらわないと。

 

「――ニンジャ・ストライク4」

「っ……あ……」

「《光牙忍ハヤブサマル》。《ガイギンガ》をブロッカーにして、ブロックです」

 

 

 

ターン9

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》×2《ガイギンガ》《プリンプリン》

盾:0

マナ:13

手札:0

墓地:22

山札:2

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《クロック》《ルツパーフェ》

盾:0

マナ:8

手札:3

墓地:16

山札:10

 

 

 

 

「わたしのターン……流石にもう、反撃する隙はないと思うけど、一応、使います。ごめんなさい……《無双と竜機の伝説》」

「あ……ぐ……っ」

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時に、メテオバーンで墓地の《リバイヴ・ホール》を唱えます。《ヴィルジニア卿》を手札に戻して、《ブラック・ガンヴィート》をバトルゾーンに。《マイト・アンティリティ》を破壊します」

「っ、あ、あぁぁ……っ!」

 

 残酷だとは思うけど、バトルゾーンのクリーチャーも破壊しておく。

 そして、今度こそ。

 

「《ロマノフ・シーザー》でダイレクトアタックです」

「に、ニンジャ・ストライク! 《光牙忍ハヤブサマル》で、ブロック……!」

 

 とどめを、刺そう。

 少しだけ、罪悪感を背負いながら。

 

「……ごめんなさい、先生」

 

 これが正しいのかはわからない。

 先生が間違っているとは思わない。

 ただ、大事なことを忘れて、見えなくなって、道を踏み外してしまっただけ。

 わたしのしていることは、正しいのか、間違いなのか。善悪は判断できないけど。

 先生の外れた道筋を正す。そうしないと、悲しむ人がいる。

 それは――許せなかった。

 だから、ごめんなさい――先生。

 

 

 

「《熱血星龍 ガイギンガ》で、ダイレクトアタック――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「負けた……」

 

 決着がついた。

 わたしが勝った。それはつまり、先生が身を退くという取り決めに則ることとなる

 ――はずだった。

 

「……だからなんだ」

 

 先生は立ち上がる。

 そしてそのまま、わたしへと詰め寄った。

 

「敗北がどうした。私は穢れた不浄の蠅。辛酸を舐めようと止まるものか……!」

 

 なんとなく予想していたけど……先生は、約束を守る気がなかった。

 いや、最初はあったのかもしれない。けれど、あの対戦の途中で見せた激情から、考えが変わっていてもおかしくない。

 血走った眼。荒々しい息遣い。害意のみで動かされる手腕。すべてが怖いけど、どこか可哀そうでもあった。

 恐怖心に押し潰されないように勇気を振り絞って、先生へと呼びかける。

 

「先生、もうやめてください……! あなたは、大事なことを忘れてます! あなたがお姉さんとの約束を破ったら、あなたが本当に守りたかった、その大事なものもなくしちゃうんですよ!」

「うるさい、知ったような口を利くな。約束なんて、もうどうでもいい。私は汚濁に塗れた虫けらだ。どんな枷で縛ろうが、その枷を飲む込むほどの罪をもって制すとも。どれほどの代償を支払ってでも、私は私のすべき業を、罪過を背負うまでだ」

 

 わたしの言葉は、やはり届かない。

 狂っている、だなんて言いたくないけど、言葉が通じない。聞く耳を持ってもらえない。

 目の前にいるのは、ただ自分の為すべきことを為そうとするだけの、獣か、悪魔だ。

 わたしには、そんな凶悪な存在を制することはできない。もう、わたしにはどうしようもない。

 

「ハエ!」

 

 わたしと先生の間に、お姉さんが割って入る。

 お姉さんなら、今の先生にも言葉を伝えられるかもしれないけれど、それすらも怪しいものだ。

 暴走に暴走を重ね、狂い果ててしまった先生は、姉兄さえも切り捨てるつもりだ。

 先生が正しくあるための唯一の命綱である、お姉さんとお兄さん。

 それを捨ててしまったら、先生は本当に堕ちてしまう。

 でも先生は、すべてのセーフティを振り切って、堕落の道を進んでしまっている。

 お姉さんと言えど、こんな状態の先生を、止められるの……?

 

「退け、姉さん。縁を切るなら勝手にしろ。あなたが綺麗であるなら、私はどうなろうと構わな――」

 

 と、先生が言い切る前に。

 お姉さんは――抱きしめた。

 先生を、『木馬バエ』さんを。

 ギュゥッと、力強く、優しく、抱きしめた。

 

「よく頑張ったね、木馬バエ」

 

 呆然とする先生。憎悪と復讐の炎を宿す眼差しは、一瞬、無へと変貌した。

 混乱と困惑と混沌が混ざりあった、思考停止の虚無へと。

 

「ね、姉、さん……?」

「えらいえらい、なのよ。あなたはとってもよく頑張った。だから、私はあなたを褒めてあげる。なでなでしてあげる。抱きしめてあげる――そう。あなたは“頑張った”のよ」

 

 それはまるで、すべて終わったと告げているようで。

 子供をあやすように、お姉さんは言葉を紡ぐ。

 

「もう十分に頑張った。だから、無理しなくたっていいのよ。あなたが私たちのために自分を汚そうとしているのは、私たちも知ってる。だけど、あなたが望んで汚れているわけじゃないことも、知ってるのよ」

「……違う。私は、汚い蠅だ。姉さんや、兄さんのために汚れるのが役目で……それが、望みで……そんな、低俗な存在で……」

「そんなわけないのよ。あなたは確かに汚いことでもやってのける不浄の蠅かもしれない。だけど、私たちの大事な弟。姉兄のために泥をかぶるその姿は、とっても高潔なのよ。えぇ、掛け値なしに、私たちの自慢の弟なのよ。ねぇ、トンボ?」

「うむ、姉上の言う通りだぞ、ハエ。自身を貶めてまで他者を持ち上げようとするその精神性、誠に見事なり。自己犠牲は時として悪徳だが、時として美徳でもある。お前は確かに、姉兄のため、その身を削ったのだ。兄として、これほど誇れることはない」

「なのよ。あなたの思いは確かに見届けた。もう、やるだけやったでしょう? だからこれ以上、自分を苦しめなくてもいいの。あなたが汚れるたびに、あなたが悪意を秘めるごとに、あなたの心は軋み、蝕まれてしまう。そんなの、お姉ちゃんは悲しいのよ」

「…………」

 

 お姉さんの胸に抱かれ、頭を撫でられる先生の姿は、本当にただの弟で。

 三人の姿は、ただの姉弟でしかなかった。

 

「木馬バエ。私の愛しい弟。あなたは、本当は優しい子。だからこそ、その優しさを犠牲にしてまで、私たちに優しくしなくてもいいの。自分に優しくしてもいいのよ。その思いと、あなたの幸せが、私たち姉弟の幸せなのだから」

「お前の我々に対する情はこれでもかというほど痛感している。お前の温情が、その志があるだけで、我々は救われるのだ。ゆえに、その志のために、己を潰すな。お前という存在がなくなってしまうのは、とても困る。嫌なことだ」

「私たちの汚名によってあなたが悲しむように、あなたが自分を削ると、私たちも悲しいの。それでも私たちは、あなたの意志を重んじるつもりだったけど……これ以上は、本当に壊れちゃう。だから、止めるのよ。姉弟としてね」

「踏み越えてはいけない一線がそこにはある。お前の憎悪は、その一線を越えようとした。生物である以上、間違えることもあろうが、破滅は看過できるものではない。飛び続けるのは疲れるだろう。もう休め、木馬バエ。我が弟よ」

「……じゃあ、私のこの気持ちは……どうすれば、いいんだよ……二人を穢された、この怒りは、どう発散すれば、いいんだよ……」

 

 先生は、独白のように、力なく言った。

 

 

「どうするもなにも、あなたはもう、怒りも憎しみも、すべてのエネルギーを使い尽くしてるでしょ? 空っぽな心に残った、幻想の残滓があなたを突き動かすだけ……そんな虚構に惑わされないで。あなたが本当にしたいこと、あなたの本当に大事なものを、見失っちゃダメなのよ」

「私の……本当に、大事なもの……」

「あぁ。分かり切っているだろう。我々が最も大事にするもの。それは――」

 

 

 

『――姉弟なのよ()

 

 

 

 ……やっぱり、そうだよね。

 見ててもわかる。

 この人たちはいつだって、姉のため、兄のため、そして弟のために、尽力していた。

 だから目の前の目的のために、本当に大事にしたかったものを手放そうとする先生は、とても見ていられなかった。

 でも、それももう、大丈夫かな。

 

「……あぁ、そうだったっけ。すっかり、忘れてた……ごめん。眼を開いたせいで、視野が狭くなってしまってね……」

「承知しているとも。お前のことは、我々が一番よく知っている。姉弟だからな」

「えぇ。だからハエ。今はもう、罪を背負う必要も、罰を被る責務もないのよ。さぁ、眼を閉じて」

「うん……迷惑かけたね、兄さん、姉さん――」

 

 そうして先生は、本当に眼を閉じて。

 そのまま、目覚めなかった。

 

「あらら、寝ちゃったのよ。随分と消耗してたんだね」

「無理もない。あそこまで憎悪を滾らせたハエなど、ほとんど見たことないからな」

「迷惑と言えば、あなたにも迷惑かけちゃったのよ。ごめんね」

「い、いえ、わたしは……」

 

 ビックリしたし、怖かったけど……終わってみれば、怪我とかもなかったし、何事もなかったし、別にいいかなって……

 それに、かえって良かったとさえ思える。

 この人たちがどれだけ姉弟を大事にしているのかがわかったし、それに。

 

 

 

(やっぱり【不思議の国の住人(この人たち)】は、悪人じゃないって、思えたから――)




 とまあ、トンボのお兄さん、チョウのお姉さんときて、今回はハエ太郎くんの対戦回でした、と。
 デッキはわりと気に入っているキズナアンティリティ。2ブロ含め環境を見た場合、お世辞にも強いとは言えませんが、動きがなかなか面白いです。あと、ダウナーっぽいハエがキズナのデッキって、なんかよくないです?
 小鈴の方は、前回ちょこっと触れてた《ロマノフ・シーザー》です。なんというか、《シーザー》ってやっぱ一撃の破壊力がクソ強いから、《グレンモルト》とか霞みますね。
 とまあ、今回はこのへんで。次回はウサギとカメです。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。
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