デュエ魔法少女マジカル☆ベル   作:モノクロらいおん

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 物騒なタイトルの32話。今回はいつもよりちょっと長めです。
 ……今はまだ、長め、という程度なのです。


32話「切り裂きジャックです」

 こんにちは、伊勢小鈴です。

 早速ですが、今わたしたちは、とても大変な事件に巻き込まれてしまいました……いや、この表現はあんまり正確じゃないんだけど……

 この町では今、異変が起こっています。異変、というよりも、事件が。

 子供ばかりを狙った『幼児連続殺傷事件』。そして都市伝説としてまことしやかに囁かれている『動物惨殺事件』。

 わたしたちは、その二つの事件を追っている新聞部の若垣朧先輩に請われ、その捜査に協力している。

 そして、その捜査の一日目、最初の一歩。

 放課後に適当な空き教室に集まって、みんなと作戦会議です。

 

「さて、小鈴の意向で、ボクらは彼らに協力することになったわけだが」

 

 指揮を執るのは霜ちゃんだった。まあ、自然な流れだよね。

 わたしたちの中で誰よりも理性的で落ち着いてる霜ちゃんなら、安心してまとめ役を任せられる。

 

「まず大前提。ボクらは本物の事件の捜査なんて無理だ。危険でもあるし、そちらは領分ではない。ここまではいい?」

「意義なーし」

「ん……おけ」

「Ja!」

「だから、ボクらはこの事件について、ボクらの視点で捜査する。つまり……」

「クリーチャーが犯人って前提で動くってことでしょ? まどろっこしいんだよ、水早君は」

「……情報、状況の整理とは、そういうものだよ」

「もっとわかりやすくでいいじゃん。私らの仲で煩雑な精密さはいらないよ」

「そんなことを言うから、大事なことを見落とすんだ。今回は一つのミス、見落としが致命的になるかもしれないんだ。だからこそ、細部までしっかりと情報を整理、確認して……」

「あー、はいはい。御託はいいからさっさと続けて」

「…………」

 

 霜ちゃんのこめかみがピクピクしてる……

 え、えっと、それはそれとして、わたしが朧さんの要請を受けた理由は、みのりちゃんの言う通りだ。

 今回の事件は、クリーチャーが関わっている可能性がある。それならば、その事件を解決できるのはわたしたちだけだ。

 わたしが朧さんに協力しようと思った大きな理由が、そこにある。

 つまりわたしたちは、犯人がクリーチャーであると決め打ちして、それを前提とした調査をしよう、というわけだ。

 

「前提条件の確認は、とりあえず大丈夫そうだね。意思確認模はした方がいい? 強制じゃないから、降りたいなら降りればいいけど」

「ん……冗談」

「今更そんなこと、言いっこなしっしょ」

「ユーちゃんも、ソーサに協力しますよー!」

「愚問だったか。なら気にせずに進めよう。最初に、あの新聞部の先輩――若垣朧さんから得た情報を確認していこうか」

 

 わたしたちが朧さんに協力する条件――というより、理由。それは、朧さんの持っている、事件に関する情報にある。

 朧さんの情報収集能力の高さは、先日の一件で嫌というほど思い知らされた。だけど、それが自分たちの目的と合致した時は、とても頼もしいし、頼りになる。

 とりあえずは、朧さんがくれた現時点での情報を、整理していく。

 

「動物の惨殺事件についてはひとまず置いておいて、まずは『幼児連続殺傷事件』から。この事件は今まで、同一犯の犯行と思われる事件が三件発生していて、つい先日に四件目が発生した。その最初の事件は、およそ二週間前だ」

 

 改めて聞くと、やっぱりすごい事件だ。

 二週間のうちに四人も……死人は出ていないとはいえ、すごい大事件になってきちゃったような……

 

「一人目の被害者は六歳の男児……まあ、幼稚園児だね。犯行場所は西の公園。犯行時刻は4時頃。母親と共に公園に遊びに来ていたそうだ」

「親子で来てたのに襲われたの? ママさんはなにをやってたの?」

「そこでは、いわゆるママ友と呼ばれるコミュニティのようなものがあったみたいだ。子持ちの親が集まって、その子供たちが一緒に遊んでいたらしい」

「子供たちは一緒に遊べて、ママさんたちは談笑に興じれると。合理的ぃ」

「でも、それ……説明に、なってない……」

 

 その説明だと、むしろ監視の目が行き届いているように思える。

 けど、そうではなかった。

 

「逆だよ。母親たちは、複数人の目があるからと安心しきっている。それにコミュニティと言っても、知り合いたちばかりでもなくて、そこだけで形成された、いうなればうわべの付き合いだ。だからこそ、ほんのちょっとした変化には気付きづらい」

「変化です?」

「あぁ。被害者の母親の証言によると、少し目を離した隙に、いつの間にか我が子がいなくなっていたらしい。どこに行ったのかと不審に思って周囲を探しに出たら、子供の泣き声が聞こえて……ってところだ」

「普通、襲われた段階で叫ばないもんかねぇ」

「口を塞がれてたとかじゃないか? そこらへんはデータが不足してるとかで、よくわからないけど」

 

 朧さんの情報収集能力はすごいけど、それでも、なんでも知っているわけじゃない。

 というより、現段階でわかっているのは、色んなニュース、新聞、雑誌などで報道された情報のまとめらしい。

 そう聞くと、なんだかあんまり大したことしていないように聞こえるけど……

 

「ふーん。で、他の事件は?」

「他の事件も、概ねそんな感じだ。違うのは時間と場所だけ。ただし、二件目の事件は少し勝手が違うようだ」

「勝手って?」

「被害者は最年長――といっても、小学一年生だけどね――友達と遊びに出かけて、その帰路で襲われたらしい」

「時間は?」

「発見されたのは、午後6時くらい。たまたま近くを通った学生に発見されて、救急搬送されたらしい。場所は人通りの少ない路地だったけど、たまたま襲われてから発見が早かったみたいで、お陰で命に別状はなかったと」

「それは、とっても幸運(グリュック)でしたね……」

「事件に巻き込まれてる時点で、不運だと思うけどね」

「みのりちゃん、ユーちゃんの言ってることわかるの?」

「なんとなく。フィーリングで」

「まあ、不幸中の幸いというやつだ。残りもざっくり説明するよ。三件目は、発見時間が2時30分頃。だから犯行があったのは、それより少し前だね。四件目が3時から4時の間に発見されている。いずれも被害者は未就学児で、場所は公園やその近辺だ」

 

 時間にはばらつきがある。けど、気になるのは昼間の時間も少なくないということだ。

 不審者が行動したりするのは、暗い夜と相場が決まっている。なのに、犯行時刻は昼が多い。

 もう秋で、暗くなるのも早いけど、2時とか3時じゃ、まだ日も高いのに……

 

「ちなみに、凶器は?」

「鋭利な刃物だろう、って言われてるね。胸や腹なんかに複数、刺したり切り裂いた傷があったらしい」

「目撃情報……とかは……?」

「これが奇妙なことに、ほとんどない。ただし、昨日の四件目の事件で、ようやく証言が得られたみたいだね」

「どんな人なんですか?」

「これを特徴と言っていいのかは謎だけど、黒いコートを着込んで、フードやマスクで顔を覆った男だって。ファッションセンスの欠片もないザ・不審者な出で立ちだが、まあ、不審な人物と言えばこういうものだろう」

 

 霜ちゃんの言うように、お手本通りの不審者さんだ。

 あまりに普遍的すぎて、かえってどう判断したらいいのかわからない。

 

「これだけじゃ、よくわからないです……」

「ねー。被害者は幼い子供で、凶器は刃物で、犯行場所は公園が多いってことくらいしかわからないや」

「きっと犯人は子供が目当てで、子供が集まりやすいのが公園だから、自然とそこが犯行場所になりやすいんだろう」

「犯行時刻からは、なにかわからないかな?」

「これも犯行場所と同じ理屈だと思うけどね。午後2時~6時。まばらと言えばまばらだが、一般人、特に子供が外出する基本的な時間と言えそうだ」

「つまり、犯行時刻は子供が外出している時間だから、自然とその時刻になってるってこと?」

「でもさ、二件目のやつ。6時だったら、小さな良い子は帰ってる時間だよ?」

「そうなんだよな……その事件だけは未就学児ではなく小学生相手だし、事情が少し違うのかもしれない」

「ジジョーって、なにがですか?」

「それは……わからない」

「まあ……そう、なる、か……」

 

 とりあえず手元の情報を並べてみたけど、思った以上になにもわからなかった。

 いや、そもそも事件の調査って本来こういうもので、わたしが朧さんの情報に過剰に期待しすぎてただけなのかもしれないけれど。

 

「……で、どうするの……私たち……」

「先輩から貰った情報を信じるなら、犯人は2時~6時の間、子供の集まる場所で犯行に及んでいる、ということがわかるね」

「つまり、私たちは2時~6時の間、近所の公園を虱潰しに歩き回れって?」

「現時点で行える現実的な手法は、そのくらいだ。実地調査ということなら、そうなるな。もっとも、ボクらには授業があるから、まともに捜索に当てられるのは放課後の2、3時間程度になりそうだが」

 

 3時間。

 長いようで、その時間は、きっと短い。

 でも、わたしたちも学校をサボるわけにもいかないし、今できる最善の手は、それだけしかないんだよね……

 

「さて、調査するにしても、なんの手掛かりもなく、なんとなく怪しい、という曖昧模糊な感覚だけで犯人を突き止めることはできない。特にボクらが追っているのは、相手がクリーチャーという前提だ。人間に擬態した、あるいは人間に憑依したクリーチャーは、一見するだけではそうであるとはわからないだろう」

「そうだね。今までも人の姿をしたり、人に憑りついたクリーチャーはいっぱい見てきたけど、パッと見では全然分かんなかったよ」

「……生き証人……言うことは……?」

「え? 私に言ってる? つっても、私のあれは憑りついたってより、たぶんなんかもっと違う感じなんだよねぇ。一時的な気の狂いというか、とりあえず憑依っぽいことしてみた、的な?」

「そうなのか?」

「いや、感覚だからわからないけど。でもあれ、帽子屋さんから貰ったカードだし……後からマジで普通のカードになったけど」

「まあ、実子の証言はさておきだ。擬態しようが憑依しようが、クリーチャーは、クリーチャーとしての性質に引っ張られる傾向がある。それを手掛かりに捜査を進めれば、なにか進展があるかもしれない」

「クリーチャーとしてのセーシツ、ですか?」

「たとえば、いつかケーキ屋で小鈴が暴食していた時、《優雅なアントワネット》が人間に憑依していたね。あの時、憑依された人間の方は特に健啖家というわけでもなかったようだが、クリーチャーの方は相当な大食いだった」

「わたしとユーちゃんが誘拐された時のクリーチャーも、そういえば……」

「ロリコンさんです!」

「《知識の精霊ロードリエス》だっけ? 《ロードリエス》でロリコンっていうのも、なんだか妙だが……共犯者であった《束縛の守護者ユッパール》は、文字通り束縛、相手を昏倒(フリーズ)させる力があったらしいね」

 

 《アントワネット》はクリーチャーの設定上、《ユッパール》は能力、《ロードリエス》は……ちょっとよくわかんないけど、人間社会に紛れ込んだクリーチャーたちは、それぞれのクリーチャーの持つなんらかの性質に基づいた特徴を持っている。

 それは、これまでのわたしたちの経験から、確かであると言える。

 

「今回の犯人が、人間に化けたクリーチャーであれ、人間に憑依したクリーチャーであれ、犯行手段や動機は、クリーチャーとしての性質に準じていると考えられる。これを念頭に置いておけば、手掛かりも見つけやすくなるだろうと思うんだ」

「理屈は通ってるねぇ」

「で……具体的、には……?」

「それを今から話そう」

 

 ちょっと自信ありげに言う霜ちゃん。

 ……ひょっとして、ずっとそれを言いたかったのかな?

 

「リサーチに当てられる時間は短かったが、ボクなりに今回の事件に関わるかもしれないことを、色々考えて調べてみたんだ」

「熱心だねぇ。で、なにかわかったの?」

「事件そのものについては、報道も規制されているのか、正直よくわからなかった。だから代わりに、類似した事件を調べてみたんだ」

「ルイジ……緑のおじさんですか?」

「いや、そうじゃなくて……ほら、種類にもよるが、クリーチャーにも知性はあるだろう? 知能があって、物事を学習する力がある。彼らは彼らなりにこの世界に順応しようと、知識を得ている節がある」

 

 言われてみれば、確かに……

 ロリコンさんも「人間の子供」について学習していたような素振りを見せていたし、超次元の猫さんは学校内に巣食って餌を漁っていた。

 他にも、恐らくクリーチャーの世界にはないものを求めて、人間社会の物事について学び、知識を吸収していると思われるクリーチャーは、たくさんいた。

 

「だから、今回もボクらの世界の出来事、概念なんかを学習して、それに倣って犯行に及んでいるのかもしれない、と推測してみたんだよ」

「過去の似たような事件を学んで、その再現をしてるってこと、かな?」

「再現とまでは言わないけど、概ねそんな感じだ。クリーチャーの考えることなんてわからないけれど、かつての人間世界での事件から、なにかを見出していてもおかしくはない」

「言いたいことはわかったよ。で? 具体的には?」

「犯人の目的が“多くの人間を殺傷すること”と仮定して、それと類似する事件――というより概念は、やはり連続殺人。そして、恐らく世界で最も有名だろう連続殺人鬼(シリアルキラー)と言えば……あれしかいないだろう」

「あれって……?」

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)だよ」

 

 切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)

 その名前くらいは、流石に知っている。

 二百年くらい前、イギリス――ロンドンで起こった連続殺人。その犯人の呼び名だ。

 いまだ犯人が捕まっていなくて、真相も不明なままの、いわゆる未解決事件だから、犯人の名前は通称、仮の名前で呼ばれている。けれど、その通り名はとても有名だ。

 有名、なんだけど。

 

「あぁ。あのちっこ可愛いの」

「解体……幼女……」

「……なんの話してるんだ、君ら?」

 

 みのりちゃんと恋ちゃんの知ってるそれは、わたしの知らない切り裂きジャックみたいです。

 まあ、切り裂きジャックって有名なだけに、それを題材にした小説、漫画、映画にアニメと、モデルとする創作がたくさんあるし、切り裂きジャックの正体自体も不明だから、かえってどんな形でも描ける、ということでもある。わたしも切り裂きジャックをモチーフにしたお話はいくつか読んだことがあるけど、作品ごとに正体は違っていた。

 

「まあ、君らのイメージはさておき、切り裂きジャックの説明は不要かな? 19世紀のロンドンで起こった、いまだ真相が解明されていない連続猟奇殺人事件だけど」

「不要とか言いながら説明しちゃうやつ」

「うるさい、ただの確認だよ」

「そんな怖い人が、関係あるんですか……?」

「直接の関係はないだろうけど、仮にクリーチャーが切り裂きジャック――あるいはそれに類する猟奇殺人など――のことを学習して、知識として吸収し、模倣に走ったのなら、その事件の性質を理解することに意味があると思ったんだ。事件の真相と直接関係がなくても、なにか推理するとっかかりになるかもしれない」

「まどろっこしいんだよねぇ。とっとと現場に直行して調べればいいものを」

「闇雲に探しても効率が悪いと言っているんだ」

「こんなところでごちゃごちゃ言ってるのが効率的だって?」

「ちょっと、二人とも……」

「また、始まった……よくも、まあ、あきない……」

「ケンカはダメですよっ! 霜さん、実子さん!」

 

 みのりちゃんと霜ちゃんは、少し気を抜くとすぐに険悪な空気になるから、ちょっと怖い。

 

「……まあ、今回は私が引いてあげようか」

「君に譲歩されるのは、それはそれでムカつくのだけどね」

「私もケガしたくないし、ケガさせたくない子もいるしね」

「なんだよ。わかってて突っかかって来たのか?」

「さーねー?」

「……まったく。君と話してると、頭が痛くなる」

「私は楽しいけどね。イラつくけど」

「それで楽しいっておかしくないか?」

「私の中では矛盾しないからいいんだよ。私はね、心の動きを楽しんでるの。そういう意味では、ムカつきも喜びも大差ないわけ。わかる?」

「理解できないな。君の言ってることは、まったくもって」

「……いいかげんに、しろ」

 

 堪えきれなくなったように、恋ちゃんが二人の襟元のスカーフを掴んで引っ張る。

 ……非力すぎて、二人の注意が逸れるくらいの効果しかなかったけど。

 

「話、脱線しすぎ……」

「……すまない。つい熱くなった」

「メンゴメンゴー」

 

 とりあえず、二人とも矛先を収めてくれたみたい。

 うーん、この二人は、仲がいいのか悪いのか、よくわからない……みのりちゃんはなんだかんだで楽しそうにしてるし、霜ちゃんもいつもは見られない一面が見られるけど、空気は険悪そのものだし。

 それはそれとして、今は切り裂きジャックの話だ。

 かつての猟奇的凶悪犯の真似をするクリーチャーがいるかもしれない。それなら、その犯行を掘り返せば、なにかがわかるかもしれない。

 

「コホン。さて、気を取り直して。切り裂きジャックの特異な点はいくつかあるが、その一つは被害者の共通項。被害者はすべて女性、それも娼婦だ」

「ショーフってなんですか?」

「え? えっと……」

「それは……」

 

 言葉に詰まるわたしと霜ちゃん。

 な、なんて言ったらいいのか、これ……

 わたしたちがユーちゃんの純粋無垢な眼差しにたじろいでいると、意外なところから助け舟が出た。

 

「コウノトリを呼ぶ仕事をしてる女の人のことだよ」

「? よくわからないですけど、素敵(シェーン)ですね!」

(み、みのりちゃん……!)

(ナイスだ実子。君は知能はお粗末だが、こういう時には役に立つな)

 

 みのりちゃんが上手いことかわしてくれた。

 ユーちゃんはまだちょっと首を傾げてるけど、とりあえず納得……もとい誤魔化せた。

 

「まあともかくだ。被害者はすべて女性。そして他にも、臓器が摘出されているという共通点がある。切り裂きジャックの目的や正体については諸説あるけど、そういった事例も加味して、医者、あるいは医術の心得のある者の犯行だという説があるね」

「医者ねぇ。クリーチャーにお医者さんがいるわけ?」

「いるじゃないか。マフィ・ギャングっていう種族に闇医者が」

 

 そういえば、あの種族のクリーチャーには、いくつか種類があったね。

 その一つにお医者さんのような風貌のクリーチャーもいた。確かあれは、なっちゃん――『バンダースナッチ』ちゃんと戦った時、だっけ。

 ……あんまり思い出したくないな……

 

「たとえば、クリーチャーの中に知的好奇心に優れる個体がいると仮定して、そのクリーチャーが人間の身体に興味を持って、そこらの幼児を殺傷するという犯行に及んだというのはどうだろう?」

「身体に興味を持ったって、なんかえっちぃ表現だね」

「いちいち茶々を入れるな。興味というのは学術的興味。医学的、生物学的な意味だよ」

「でもさ、それなら殺傷なんて半端なことじゃなくて、殺すまで身体切り開くんじゃない?」

「……あぁ、その通りだ。だから今のは一例だよ」

「子供ばかり狙って殺傷事件だなんて、私は普通に狂ったサイコ野郎の犯行だと思うけどなー。快楽犯ってやつ?」

「正直、人間であれクリーチャーであれ、その可能性が否めない。というか、そうである可能性が高いとは思うんだが……そういう狂人にだって“狂い方”は様々だろう」

「狂い方……?」

加虐性欲(サディスト)幼児性愛(ペドフィリア)死体愛好(ネクロフィリア)……どんな倒錯(パラフィリア)でも、種類、分類がある。それらを解析することで、犯人の像を浮かび上がらせることができるかもしれない。だから一言でサイコパスと切り捨てるのは早計だし、そこから考えを発展させるのが大事だと思う」

「横文字が多くてなにを言ってるのかわかんない。カッコつけんのやめよう」

「…………」

 

 あ、今、霜ちゃんの額にくっきりと青筋が浮かんだ。

 けれどさっき恋ちゃんに窘められたことがあるからか、霜ちゃんは出かけた言葉を飲み込んだ。

 

「……まあ今回に関しては、被害者が小学校低学年から幼稚園児までと、年齢層がとりわけて低い。犯人は幼児性愛嗜好(ペドフィリア)なのかもしれないね」

「ペドなクリーチャーとか知らないよ」

「ロリコンなら……いたらしい……」

「でもそれって、人間の被害者の場合、だよね?」

「あぁ。もう一つの、犬猫が惨殺されているという事件と関連があるとするならば、ペドフィリアと決めつけるのは早計だ。というか、二つの事件を結び付けてしまったら、人間に対する性愛で犯行に及んだとは考えにくい。獣への性愛もあるけど、やはりどうしても、人間の殺傷とは結び付けにくいところはある」

「難しいですね……」

「ぐだぐだな上に雑ですまないが、とりあえず、今は二つの事件は分けて考えてみないか? 片や残虐とはいえ死者は出ておらず、片や何匹もの動物が惨殺されている。性質は似て非なるものだし、最初から結びつけて考えてたら、かえって混乱すると思うんだ」

 

 確かにそうかも。

 一つの事件だけでも、わたしたちの手に余るような難題なのに、それを二つも同時に考えるの、とても大変だし、しんどい。

 二つの事件の関連性はまだ朧さんも決定的には認めていないみたいだし、とりあえず保留して、ひとつひとつ考えていくというのは、わたしたちのやりやすさも考慮すると、いいのかもしれない。

 

「うーん……あー、なんか飽きたなぁ」

「君な」

「こんなとこでぐだぐだ言ってても仕方ないじゃない? 結局、情報が足りてないんだから憶測止まりなんでしょ? 情報が足りていない今こそ、自らの足で情報収集しないとダメなとこあるんじゃない?」

「実子の癖にまともなことを……まあしかし、その通りだ。まだ細かいところは残っているが、主要な可能性は概ね伝えたし、ボクの考えを延々と全て披露する意義も薄い。皆からなにもなければ、これ以上、ここで作戦会議をすることもないが……どう?」

 

 誰も首を縦に振らず、一様に横に振る。

 勿論、わたしも。

 それは、つまり、

 

「それじゃあ、実子が暴れないうちに……もとい、日が傾かないうちに、外に出て調査開始だ。少しの異変でも見つけたら、皆で共有しよう」

 

 実地調査(フィールドワーク)の始まりです。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 結果、なにも見つかりませんでした。

 ……流石にへこむね。いや、わかってはいたけれど。それでも、本当になにも、それらしいものが見つけられなくて、ちょっと落ち込んじゃうかも。

 クリーチャーなら、もう少しなにか痕跡とか、違和感とか、あるのかと思ってたけど……想像以上になにもなかった。

 たった一日で、わたしたちは自分たちの力不足を実感したのでした。

 

「それで、オレのところに来たと?」

「えぇ。先輩の性格や趣味はさておき、情報収集能力はとりあえず認めています。一日経つだけでも、なにかしらの情報は掴んでいるかもしれないと思いまして。情報はできるだけ早くに更新したいですし」

「微妙に刺々しいね! 否定しづらいしいいけどさ!」

 

 とまあ、そんなわけで、翌日。この日は朧さんのところを訪ねました。

 朧さんは、普段は新聞部の部室を拠点として活動しているみたいだけど、今回の活動は新聞部には内密にしているから、空き教室の一室を(勝手に)拝借、占領して、拠点としているみたい。

 勿論、教室の無断借用も占領も、先生にバレたら怒られちゃうけど、朧さん曰く「施錠されていないということは、無断借用に対する危機意識が薄く、それが実際に発生しても大した問題にならないということだろう?」らしい。たぶんそういうことではないと思うけど。

 ともかく、朧さんは机の上にファイルやらノートやら紙束やらの資料を散乱させ、その上にノートパソコンを乗せ、それを操作しながらわたしたちと言葉を交わしている。

 

「まあ、情報の更新は大事だね。マメに進捗を共有することは悪いことじゃない。たとえ、まったく進展がなかったとしてもね」

「ご、ごめんなさい……」

「別に責めてるわけじゃない。むしろ当然だ。ちょっとやそっとの捜査ですぐに尻尾が掴めるのなら、オレもあなたたちに協力を要請したりはしない。それに、事が事だ。安全第一、地道にコツコツと、焦らず急がず、だ。あなたたちになにかあっても困るからね」

「あ、一応、私たちの身を案じてはいるんですね」

「そりゃあ、頼んでる事が事だし……クライアントになにかあったらオレの信用にも関わる。オレの知りたがりも、安全であるためという目的以上に、安全であるからという前提があるからね」

「それで。朧さんは、なにか情報を掴んだんですか?」

「んー」

 

 霜ちゃんの問いに、朧さんは肯定とも否定とも取れるように、曖昧に頷く。

 

「あると言えばあるし、ないと言えばない、かな? 事実確認として、犬猫の方は昨日今日で何匹か殺害されているみたいだけど」

「なんですかその曖昧な情報は。ハッキリと提示してください」

「いや、まだこの手持ちの情報が、情報として扱えるかどうかわからない状態なんだよ。未確定情報は混乱を招き、大きなノイズとなりかねない。今ちょっと知り合いに頼んで調べてもらってるから、その結果が出たら話すよ」

「もったいぶりますねぇ。なんか怪しい?」

「怪しくないよ! 約束では、もうすぐ連絡が来るはずなんだ。だからそれまで待ってて」

「こちらも捜査に使える時間は限られてるんですが」

「それはそうかもしれないけど……うーん、じゃあ、そうだなぁ。事件と直接は関係はないかもしれないけど、一応、別に手に入れた情報でも聞く? 大した意味はなさそうだけど」

「別に手に入れた情報?」

 

 なんだろう、それは。

 事件には関係なさそうと朧さんは言うけど、ちょっと気になります。

 

「じゃあ、どれから聞きたい?」

「ど、どれから、とは……?」

「演劇部と新体操部が無期限の休部期間に入ったこと。キャベツの値上がりで学食のメニューの数が一部減ったこと。ここ半月の保健室の利用者が平均値から30%増えたこと。ついでに切傷が多かったこと。だけど欠席者は平均よりも15%ほど減ったこと。鹿島先生の欠勤が続いてること。陸奥国先生がラブレターを読みもせず捨てたこと。購買に最近入った陸奥国葉子さんが、男子生徒に告白されたけど、ほとんど意味を理解してなくてデートしそうになって、弟さんが止めに入ったことと。それから……」

「もういいです」

 

 つらつらと色んなデータ、出来事を挙げ連ねた朧さん。

 国語の先生がD組の授業中に二回ほど噛んだとか、体育の授業でやるバスケで勝った生徒は誰だとか、誰が誰に告白しただとか、振られただとか、近くのコンビニの利用者数だとか、本当にどうでもいいことがぽろぽろ出て来る。

 流石にどうでもよすぎて、みのりちゃんがキッパリと切り捨てた。霜ちゃんも無言で頷いている。

 いや、というか……

 

「先輩、なんでそんなこと知ってるんですか……?」

「調べたから」

「なんでそんな関係ないこと調べてるんですか!?」

 

 あまりにも情報の種類が謎すぎた。他のクラスの授業の様子も、色恋沙汰も、すごくどうでもいいことにしか思えない。

 

「そんなクソどうでもいいこと調べるくらいなら、もっと事件の本筋をしっかり調べてくださいよ。やる気あるんですか?」

「だって気になるじゃん! 気になったらそりゃ、調べたくなるよ」

「なりませんよ……」

「それに、なにが事件解決の手がかりになるかわからないしね。情報を集めるに越したことはないよ……ちょっと処理しきれない時があるけどさ」

「……実は、こいつ……凄いバカなんじゃ……」

「シッ! 恋、それ以上はダメだ。一応、彼は先輩なんだから……」

「聞こえてるからね!?」

 

 でも、朧さんが提示した情報のほぼすべては、本人が言っていたように、事件となんら関係ないように思える。

 それだけたくさんのことを調べられるのなら、もっと事件に注力してくれてもいいのに、とはわたしも思った。

 

「いやまあ、この辺の情報になると、情報網として確立してるところから勝手に流れ込んでくるから、手間というものはほとんどないんだけどね。クラスメイトや廊下での生徒同士の会話に聞き耳を立てたり、単純な世間話から拾うこともある」

「だからそのリソースをもっと本題に向けろと」

「これでもオレの力の大半を事件に向けてはいるんだけどね」

「それでも……手掛かり、見つからないんじゃ……無能……」

「ぐ、痛いところを突くね。否定したいが、現実問題、オレはまだ大した手掛かりを得られていないから、反論するには説得力が足りない……」

 

 恋ちゃんの言葉にしょんぼりする朧さん。

 なんて言うか、朧さんって色んなことを知ってるし、口も達者だけど、意外と言い負かされやすいよね……

 

「……まあ、強いて言うなら、これだけ調べても情報が出ないっていうのが、一つの手掛かりと言えるかもしれないけどね」

「どういう意味ですか?」

「警察や報道機関があえて規制しているのか、あるいは本当に見つからないのか。これだけ事件が起きていても、犯人の手掛かりが表沙汰になっていない。そこから推理できる要素もあるということだよ」

「?」

 

 手掛かりがないことが、推理する要素?

 どういうことなんだろう?

 

「たとえば、ここまで情報が出ない理由が「本当に犯人につながる手掛かりがなくて、そもそも報道できない」だとしよう。現場には犯人に繋がる痕跡がなく、目撃情報もない。それはつまり、誰にも見つからず、あらゆる痕跡を残さず犯行に及んだ犯人の手際の良さが窺えるわけだ」

「計画された犯行で、なおかつ犯人はプロだと?」

「殺しのプロっていうのも、オレらにはピンと来ない話だけどね。ただ、そういう推理はできるよね」

 

 あ、成程。

 手掛かりがない。それはつまり、手掛かりに繋がるような痕跡を残さずに犯行に及んだとか、痕跡を綺麗に消し去ったとか、そういう推測が立てられるんだ。

 あくまで推論でしかないけど、確かにそこから推理することはできる。

 

「ま、情報が少ない以上、そういう推理の仕方をするしかない、というのが本音ではあるんだけどね。だけどこの事件の特異性は、十分な推理材料になる」

「トクイセー、ですか?」

「あなたたちにも話したと思うんだけど、今回の事件は、目的証言が異常なほど少ない。犯行は深夜ではなく、人目もある昼から夕方に行われている。だというのに、その時間に誰にも見つからずに子供に近づき、犯行に及べるなんて、普通じゃ考えられないよ」

「確かに……」

「先輩はその点をどう考えているんですか?」

「まだなんとも言えないよ。犯行件数は今までで四件。町の規模を考えると決して小さな数字ではないけど、異常に多いわけでもない。過密地域でもあるまい、単純に偶然誰にも見られなかったとか、そういうこともあるよね」

 

 ぼかすように言う朧さん。

 確かにそうだけど、そんなことを言っちゃったらどうにもならないんじゃ……

 とわたしが思っていたら、霜ちゃんがそんなわたしの心情を代弁するように言ってくれた。

 

「しかし、そうでない可能性の方が高いのでは?」

「可能性なんて、所詮は「あるかないか」だよ。とはいえ、その指摘は正しい。だから素直に考えたら、犯人は「警戒されない」あるいは「警戒されにくい」人物だったんじゃないかな、と」

「警戒されない人物?」

「荒唐無稽なことを言うよ。犯人が透明人間だったとすれば、誰にも見つからずに犯行に及べるよね。姿が見えないんだから、そもそも警戒するという前提条件が成り立たない」

「そんな小説の中の科学者みたいなこと……」

「馬鹿馬鹿しいですね。非現実甚だしくて、仮定する価値さえ見出せません」

「まあね、今のはたとえだよ。じゃあ、そうだな……犯人は被害者の母親の友人――ママ友コミュニティの誰か、とかね。上手いこと母親たちの目を盗みつつ、子供を連れ出して草陰でザクリ。その後、何食わぬ顔で子供と一緒に帰宅、とか。そういう可能性はどうだろう。まだ現実味があると思うけど」

「うーん……」

「先輩って、実は推理下手くそなんじゃないですか?」

「無能……探偵、向いてない……やめたら……?」

「ハッキリ言うね、君たち!」

 

 遂にみのりちゃんと恋ちゃんが言い放った!

 あえてわたしたちは口にしなかったのに!

 

「だから今のは一例だって。オレだってわかってるよ、こんな推理が穴だらけだってことくらいはさ」

「じゃあ……なぜ言ったし……」

「とりあえず口には出しておこうと思って……でもそんな風に、警戒されにくい工夫はあったんじゃないかと思うよ」

「ふむ。まあ、そこだけは一理ありますね」

「だろう? そこのトリックはわからないけれど、そこが解明できれば、大きな一歩を踏み出せそうなんだよね」

「肝心のそれがわかんなきゃ意味ないですけどね」

「まったくもってその通りだね!」

 

 だから、それを解明するために色々と調査したり、情報収集したり、推理したりしてるわけだけど。

 

「けど、オレは記者であって探偵ではないからね……正直、さっぱりわからない」

「わたしも、推理小説は読みますけど、自分で推理するかと言われると……あんまり……」

「だよね。ふむ、このまま進展がなさそうなら、うちの学校の推理小説(ミステリ)研究会にでも頼ってみようかな。謎を書いた紙をワープロで作って、挑戦状みたいに部室に放り込んでさ。嬉々として取り組んでくれると思うんだ」

「そんなことして、自分のやってることバレても知りませんよー?」

「うちの学校のミス研なら、閉鎖的だから大丈夫だと思うんだけどね。文芸部はわりと社交的だから危ないけど」

 

 推理小説研究会、文芸部……そんな部活があったんだ。

 っていうか、推理小説と文芸って、範囲被ってないのかな?

 この学校の部活動は、やっぱりどこか変わってるな、と改めて思っていたら、どこからともなくポップな音楽が流れてくる。

 

「ん? 電話だ。やっとかな……ごめんね。ちょっと出るよ」

「ど、どうぞ」

 

 それは、朧さんの携帯の着信音。

 朧さんは携帯を手にして、教室の外に出る。そんなに気を遣わなくてもいいのに……

 

「もしもし……(ほむら)君? 例の……だよね? うん……ありがとう」

 

 扉越しに、微かに朧さんの声が聞こえてくるけど、よく聞き取れない。

 

「やっぱり……か。それだけ……あれば……確定かな。うん、ありがとう。お礼は例の……で。じゃあ、また……連絡するよ。またね」

 

 一分も経たないうちに通話を終え、朧さんは戻ってきた。

 その表情は、どこかうきうきしているように見える。あるいは、わくわくか。

 そんなにこやかな面持ちで、朧さんはわたしたちに向き直る。

 

「さて、あなたたちに話をする準備ができたよ」

「未確定の情報とやらですか?」

「そうだ」

 

 最初に言ってたやつだね。

 やっぱり、なんだかんだで朧さんは、なにか情報を掴んでいたみたい。

 そして、朧さんが掴んだ情報というのが、

 

「模倣犯が出たかもしれない」

 

 ……模倣犯?

 ちょっと思ってもみない角度からの言葉だった。

 さらに朧さんの、突拍子がない面食らうような発言は続く。

 

「あなたたちは、カマイタチは知ってるかな?」

「カマイタチって、妖怪の、ですか?」

「そうそう。気付いたら足とか腕とかに切り傷ができてるっていうアレね」

 

 カマイタチ。日本の妖怪や怪奇現象としては、かなり有名な部類だと思う。

 つむじ風に乗って現れる鎌を持ったイタチが、通り際に切り裂くとか。あるいは、漫画とかゲームだと、風そのもので切り裂く現象にも言われたりする。

 どっちにしても、それは民間伝承とか伝説みたいなものだけど……?

 

「どうもね、ここ数日、そういう異変が起きてるっぽいんだ」

「知らないうちに腕や足を怪我している人が続出していると?」

「そういうことだね」

「それが、どうしてモホーハンなんです?」

「単純に規模の違いがあるけど、どちらも“誰かを刃物で傷つける”という点が共通している」

 

 あぁ……そう言えばそうだ。

 切り裂きジャックも、カマイタチも、どちらも“切り裂く”という行為は共通しているし、都市伝説まがいの性質も類似している。

 殺人か、そうでないかの違いは大きいけれど、共通点はあるんだね。

 

「でも、それだけで模倣犯だと断定できるのですか?」

「できない。けど、その可能性は低くないと思うんだ。なにせ例の事件で騒ぎ立てられてるこのタイミングだし、そういうのが出てもおかしくはない」

「でも手足に切傷って、規模がしょぼくないですか?」

「そこはほら、犯人はその程度のチキン野郎ってことじゃない? 殺人未遂級の犯罪を連続して犯すとか、普通に狂気の沙汰だし」

「推理……雑……」

「むしろ大きな犯罪を犯してくれなくてよかったけどね。そっちの方が、単純に怖い」

「しかもチキンはこっちじゃないですかー」

「あの、そもそも、本人にも気づかれずにそんな通り魔みたいなことができるものなんですか?」

「さあ? 麻酔でも打ってから切ったのかもね。あるいは、ワイヤーを仕掛けたとか」

「やっぱ先輩、推理のセンスないでしょ」

「ボクが脅迫された時と同じ人とは思えないな」

「オレだってわからないんだよ! 水早君のアレは、手掛かりとなり得る情報がたくさんあったし、狭いコミュニティのごく限られた物事だったから推理もしやすかったけど、今回はそうじゃない。それにこの情報は、今しがた確定したばっかりなんだから」

「逆ギレ……情けな……」

 

 流石に散々な物言いだよ、みんな……

 ちょっと朧さんがかわいそうかもしれません。

 いや、っていうか。朧さん、さっきちょっと気になることを言ってたような……

 

「……確定したって?」

「あぁ、うん。なんかカマイタチが起こった、みたいな噂話はちょいちょい拾ってたんだけど、それがどのくらいの範囲、人数で発生しているのかが不明瞭だったから。それをさっき、知り合いに頼んで調べてもらって、一つの事件性を認められるくらいの規模だと判断したから、こうして話すことにしたんだ。じゃなければ、単に怪我に気付かなかっただけとか、そういうノイズ情報になる可能性があるからね」

 

 あ、ちゃんとそのへんは、しっかり考えてたんだ。

 

「それで、模倣犯が出て、なにがどう変わるんですか?」

「いいことはないね。捜査が攪乱されたり、本命の犯人が身を退く可能性もある」

「結局は捜査に進展はなし、ですか」

「やっぱり……無能か……」

「これオレが悪いの!?」

 

 なぜか非難される朧さん。

 朧さんは身振り手振りで、必死で弁明しようとする。

 

「いやでもほら、これが『幼児連続殺傷事件』の犯人と同一犯の犯行で、捜査を攪乱するためとかでカマイタチしてる可能性もあるし……」

「カマイタチするって……」

「まあ、言ってることはそれなりに筋は通っていますが……ここまで痕跡を残さず犯行に及べる犯人が、かえって情報を増やすような真似をしますかね?」

「そうなんだよねぇ……」

「やっぱり先輩、探偵の才能ないですよ」

「無能探偵……」

「だからオレは探偵じゃなくて記者だって……」

「無能って言われてるのはいいんですか?」

「オレの推理が穴だらけなのは否定できないし……そもそも否定しても訂正してくれなさそうだし……」

 

 あぁ、朧さんがいじけちゃった……

 みんながあんなに言うから……先輩なのに。

 朧さんがいじけたから、というわけではないけれど、これ以上の目ぼしい情報もなく、わたしたちはいじける朧さんをしり目に、ここで教室を後にした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「結局、思ったよりも成果はなかったねー」

「うにゅぅ、ユーちゃん、皆さんがなにをおしゃべりしてるのか、難しくてよくわからなかったです……」

「でも……成果なし、なら……理解する意味も、ない……することが、ないし……」

「いや、でもあれは仕方ないよ。君らは容赦なく先輩を()き下ろしていたが、そもそも事が事だ。そう易々と結果に繋がるわけもない。それを踏まえると、あの先輩には非はないよ。むしろ、模倣犯の可能性を先んじて教えてくれただけで上出来なくらいだ」

「うーわ、上から目線だ。生意気ー」

「教師を辞職に追い込む不良生徒みたいな君の態度ほどじゃないよ」

「……だから、いい加減に……」

「おっとっと、日向さんがおっかないおっかない。だいじょぶだって、なんもしないから」

 

 教室を後にして、昇降口を経て、帰路につくわたしたち。

 帰路と言っても、この後も捜査は続けるんだけどね。

 

「今日はどの公園に行くのー?」

「そうだな……先輩との情報共有で少し時間を食ったし、近場にしよう。だけど、ボクらがあまり足を伸ばさないところだ」

 

 霜ちゃんが携帯の画面に地図を出して、調査する場所を指し示す。

 そこは『Wonder Land』や駅から離れているし、わたしたちの家がある方角でもないから、普段はあまり通らないけど、学校の近くにある公園だ。

 

「今日はこの公園だけにしよう」

「もっと探さなくていいの?」

「時間的な問題があるからね。単純に暗くなると危険だというのもあるが、あまり遅くなって補導されても困る」

 

 あぁ、そうだね。事件について調査してるなんて、先生たちに知られたら絶対に止められちゃうもんね。

 陸奥国先生とかだったら、見逃してくれるかもしれないけど。

 

「いや、無理だろう。あの先生、なんだかんだで自己中心的だし「あなたたちが事件に巻き込まれたら、私の仕事が増えるんですよ。とっとと帰ってください」なんて言って帰されかねない」

「確かにねー」

「優しい先生なんですけど、今回はそれだと、ちょっと困っちゃいますね」

「……やさしい……? どこが……?」

 

 うーん、陸奥国先生は優しいんだけど、優しさがちょっときついというか、独特なんだよね……

 そんなことを話しながら、いつもは滅多に通らない道を、ちょっと新鮮な気持ちで歩く。

 そして、とある小さな文房具屋さんを通った時だった。

 店の外のベンチにもたれかかっている女の人と、目が合った。

 色褪せたように茶味がかったショートヘアに、スラリとした手足。

 大人の女の人だけど、とても若々しさを感じさせる人だった。

 そしてなにより、この人は――

 わたしが口を開くより先に、その人の口から、わたしを呼ぶ言葉が紡がれる。

 それも、ただの呼び名じゃない。

 わたしにとっても、ある意味“特別な呼び名”だ。

 

「げ、マジカル・ベル……!」

「あなたは……!」

 

 わたしは思わず足を止めた。

 この人は確かに、わたしを見て“マジカル・ベル”と言った。

 わたしのことをそう呼ぶ人たちを、わたしは他に知らない。

 そしてこの女の人は、以前にも見たことがある。確か、名前は――

 

「『ヤングオイスターズ』……!」

 

 の、長女って言ってたっけ。

 夏休み、みんなでプールに行った時に、この人の弟さんが迷子になって、その時に関わったりしたけど……正直、あまり深い関係ではないと思う。

 あの時のお姉さんも、仕方なく、って感じでわたしたちに当たってきたし……

 なんにせよこの人は【不思議の国の住人】の一人。帽子屋さんたちの、仲間。

 

「小鈴さん? どうしたんですか?」

「なにか見つけたー?」

 

 わたしが足を止めたことで、それにみんなも気づいて、こっちに戻って来た。

 そして、ヤングオイスターズのお姉さんに視線を向ける。

 

「むむ? このヤングでサッパリしたお姉さんは」

「確か『ヤングオイスターズ』とかいう……」

「ユーちゃん覚えてます! 小鈴さんにひどいこと言ったおねーさんです!」

「待て、待て。その敵意剥き出しな視線を向けるな。今日のワタシはドンパチするつもりはないっての!」

 

 慌てたように、両手を開いて突き出すお姉さん。拒絶、というより、自己防衛のジェスチャーだ。

 

「前に会った時もそうだが、今回もアンタらとやり合うつもりでここにいるわけじゃねーんだ」

「だが、プールの時はいちゃもん付けてきたじゃないか」

「ありゃ帽子屋のダンナに言われたからで……それに今日は弟妹もいねーし、ワタシの【不思議の国の住人】としての活動時間は短いんだよ。だから、アンタらとやり合う道理もねぇ」

「……活動時間」

「そういやあったねー、そんな設定」

「設定じゃねーから! いや、チョウの姐御が言うには、設定みたいなもんらしいが」

「あなたは、弟妹の人数が、【不思議の国の住人】としての活動時間と関係しているのか?」

「あぁ。『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』に与えられた時間は、その時一緒にいる『ヤングオイスターズ(姉弟)』と連動する。今日のワタシは一人だから、一時の間しか活動できねーんだ。今三時時過ぎくらいだろ? だから今のワタシに、【不思議の国の住人】としての力はねーんだよ」

 

 妹弟の人数が関係してるんだ……そういう人もいるんだね。

 っていうか、時間が固定じゃない人もいるんだ。

 

「それで? あなたはどうしてこんなところに?」

「なにか企んでるんじゃないのー?」

「なんだよアンタら。ワタシたちが人間社会(日常)にいることが異物みたいに言いやがって」

 

 霜ちゃんやみのりちゃんの詰問に、お姉さんは不満げに口を尖らせた。

 

「ワタシたちだってな、隠居みたいなことしてるとはいえ、普通にアンタらの社会の中で、アンタらの社会規範に則って生活してんだよ。そのへんの街中にいたってなにもおかしくないだろうが。いちいち目的とか、そんなもん聞くなっての。それともあれか? お前らはそのへんの通行人とか、クラスメイトの連中とかに「どうして道を歩いているんですか?」なんて聞くのか?」

 

 捲し立てるように、非難するように、言葉を返すお姉さん。

 口調はちょっときついけど、でも、言ってることはもっともだ。

 代海ちゃんや、先生、葉子さん……【不思議の国の住人】の人たちが、普通に人間として生活しているところは、もうたくさん見てきた。

 だからこのお姉さんも、代海ちゃんたちのように、人間として生活していてもおかしくないし、そうならば、今ここにいる目的を問うのは、おかしいのかもしれない。

 けれど霜ちゃんは、そのおかしさも飲み込んでしまう。

 

「そうかい。それじゃあ、あれかな。あなたはなんの目的もなく、ここで散歩でもしてるって言うのか? あなたたちの組織の目的もなく、ぶらついてるって?」

「おさんぽは楽しいですよ?」

「ユー……ちょっと、静かに……」

「……まったく、ムカつく上に聡いガキだ」

 

 お姉さんは、観念したように両手をあげた。

 少なくとも、お散歩するためにここにいるわけではないみたい。

 

「ま、ワタシたちとアンタらの関係だ。警戒するのも道理か。いいぜ、別に隠すことでもねぇ、話してやるよ。ワタシがこうして町に出て、この場所にいる理由は、大きく分けて三つだ」

「三つ……思ったよりも多いな。一つ目は?」

「ワタシは今、帽子屋のダンナからある指令を受けてんだ。その指令に従い、こうして町に繰り出してるってわけだ」

「帽子屋さんから?」

 

 確かプールで合った時も、帽子屋さんからの指令を受けてるから、わたしたちと戦わなくちゃいけない、みたいなことを言ってたっけ。

 今回は戦う気はないって言ってるし、わたしたちに関係することではないと思うけど……なんだろう? 帽子屋さんからの指令って。

 

「指令ねぇ。で、なにを企んでるの?」

「ワタシはダンナのコマだぜ、“ワタシは”なにも企んじゃいねーよ」

「じゃあ帽子屋とやらの企みはなんなんだ?」

「知るか。あんなイカレた野郎の考えてることなんて、想像もつかねーよ」

 

 吐き捨てるように言い放つお姉さん。ちょっと酷い言い様だ。

 だけど、葉子さんとかも帽子屋さんのことをあまり良く言ってなかったし……帽子屋さん、あまり慕われてないのかな……

 

「まあいいや。それで、あなたの指令というのは?」

「実はたいしたことないんじゃない?」

「そうでもねぇぜ。アンタらも知ってるだろうことだ」

「わたしたちでも、知ってること?」

「おう。最近、話題になってるらしいじゃねーの。子供やら獣やらがズタズタにされるって事件。『ヤングオイスターズ(ワタシ)』はあれを追ってんだ」

「!」

 

 思わず目を剥いた。まさか、お姉さんもあの事件について調べているだなんて。

 いや、違う。正確には、お姉さんが、じゃない。

 それは帽子屋さんの意向。つまり“帽子屋さんが”、わたしたちも追っている『幼児連続殺傷事件』や『動物惨殺事件』の解決を目指しているということ。

 とても、信じがたかった。あの帽子屋さんが、そんなことをしようだなんて。

 

「……それは本当か?」

冗談(ジョーク)みたいだろ? あの帽子屋のダンナが、人間社会の事件に興味津々になってワタシを送り出してんだぜ? だがしかし、こいつがマジなんだよなぁ」

 

 笑い半分、諦め半分に、嘆きを滲ませて言うお姉さん。

 あの帽子屋さんがやることとしては、信じられないけど……でも、お姉さんがウソをついているようにも見えないし……

 帽子屋さんのやることなすことは、いつもいつもよくわからないし、今回も、わたしたちが思いもしないような、理解不能な理由で動いているのかな……?

 

「ふむ。理由は不明だが、あの男も事件について真実を暴こうとしている。そして、それにあなたが動員されたということか」

「そーなるなぁ。ワタシとしても、身に振りかかる危険があるなら排除しときたいし、一応ダンナの意向とは添うんだよなぁ」

「でもさー、お姉さん。お姉さんって、事件の捜査とかできるのー?」

「ワタシは得意じゃないが、弟妹の中にはそういうの向きな奴もいるっちゃいる。『ヤングオイスターズ』は共同体、群が個である特異な存在。ワタシの問題は、同時にワタシたち姉弟の問題であり、ワタシの行動も思想も、姉弟全体の行動であり思想だ。ワタシが動くということは、『ヤングオイスターズ』すべてが動く。つまりはそういうこった」

「いや全然わかんない」

 

 きっぱりと言ってのけるみのりちゃん。だけど、わたしにもよくわからなかった。

 そもそも、群体が個体である、という概念がよくわからない……

 

「ふん、まあ理解は求めてねーよ。【不思議の国の住人】でも、『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』を真に理解できてる奴なんて少数派だしな。皆無と言ってもいい」

「要するに、あなたは事件の捜査には向いてないけど、あなたの弟なり妹なりは、そういうのが得意と言いたいのか?」

「概ねそんな感じだな」

「でもさぁ、それじゃあお姉さんがここにいる理由なくない? 弟さんなり妹さんなりに任せちゃえばいいのに」

「そいつは長女としてのワタシのプライドが許さねぇ。つーか、あんま弟や妹を危険に晒したくはないんでな。ワタシは若牡蠣の中で最も老いた個体。『ヤングオイスターズ』は若くちゃ存在意義がねぇ。つまり、弟妹は後方支援に回して、死んでもいいようなワタシは前線にだすっつー合理的判断だよ」

「お、意外と弟妹思い」

「たりめーだ。自分自身なんだからな」

 

 当たり前、とお姉さんは言う。自分を危険に晒してまで、弟妹を守ることが、当たり前だと。

 でもそれは……とても、すごいことだと、わたしは思う。

 『ヤングオイスターズ』のお姉さん。この人のことは、あんまり知らなかったけど……今、ちょっとだけわかった。

 この人は先生や葉子さんたち、蟲の三姉弟の人たちと似ている。

 弟妹を大事に、第一に考えているところとかが、とても。

 

「ま、それだけじゃねーがな」

「というと?」

「言ったろ、ワタシがここにいる理由は三つあるって。その複合的理由によって、ワタシは外に出てる」

「それじゃあ聞かせてもらおうか。二つ目の理由とやらを」

「あぁ、いいぜ……あんま話したくないけどよ」

「なになに? そんなに言い難いことなの? 隠し事?」

「ちげーよ! アンタらはもう知ってると思うんだが……“あいつ”と関わると、ロクなことがねーからな――」

 

 あいつ?

 それは誰、と問う前に、声がした。

 文房具屋の奥から、弾むような、屈託のない、幼い少女の声が。

 

 

 

「――アヤハー」

 

 

 

 その声は、わたしの頭の中で、痛いくらいに響き渡る。わたしの奥底に秘めたものを引きずり出すようで、それでいて、引っ掻き回すような不快感がある。

 店の奥から出て来たのは――女の子。

 とても幼い。小学生か、あるいはそれよりも小さいかもしれないくらいの、小さな小さな、幼い少女。

 色素が一切合切抜け落ちたような、まっしろな髪のショートヘアー。

 その白さと対を成すように、服装は黒い。明らかにサイズが合っていない、まっくろで大きなコートを着込んでいる。

 声で、既にわかっていた。けれど、その姿を見て、わたしは驚かずにいられなかった。

 いや、驚く、とも違う。

 その子を、“それを”――忌まわしいと思わずには、いられなかったんだ。

 

 

 

「なっちゃん……!」

 

 

 

 ――『バンダースナッチ』。

 それが、この女の子の名前。

 思い出したくもない、夏休みの、あの日の出来事。

 霜ちゃんとショッピングに行った時。霜ちゃんが、ちょっとしたトラブルで遅れてしまっている間に、わたしが一緒に行動した女の子。

 彼女を見ているだけで、普段は感じないし、気にもしていない感情が、湧き上がってしまうような気がした。

 それを出してしまったら、わたしの大切ななにかが喪われてしまうような。そう思わせるような、黒く、汚いなにかが。

 こんなことは、できれば言いたくはない。そう思うことすら嫌だ。

 だけど、気持ちは正直だ。感情は素直だ。わたしの信条を捻じ曲げてでも、本心を叩きつける。

 そう、わたしはこの子のことが――嫌いだ。

 

「……おねーさん?」

 

 そんなわたしの心中を知ってか知らないでか、なっちゃんはキョトンとした、純粋な眼でわたしを見つめる。

 じぃっとわたしを見つめ続け、そして、彼女は少しだけ笑った。

 

「んー……きょうは、おねーさん、きらきらしてるね。まえよりも、こわくない。きょうのおねーさん、ちょっと、すきかも」

「…………」

 

 以前、わたしたちの間であったことなんて、なかったことにされたかのように無垢に笑うなっちゃん。だけどわたしは、笑えないし、その言葉になにかを返すこともできなかった。

 あの時に感じたわたしの怒り。わたしの悲しみ。わたしの嘆き。わたしの絶望。

 この子は、わたしが感じたものを、まったく理解していないのだろう。

 だから、こんなに無邪気に笑っていられるんだろう。

 

「……ワタシが外出する二つ目の理由。それがこいつ――『バンダースナッチ』の監視(おもり)だよ」

 

 くたびれたように、『ヤングオイスターズ』のお姉さんは、なっちゃんを指さす。

 おもり……そっか。

 人間じゃないと言っても、なっちゃんはまだ小さな子供。外出するなら、保護者がついているべき、というのはその通りだ。

 そうでなくても、この子は、あまりにも危険すぎる。その、ストッパーとしての役割。

 お姉さんは、そのためにもここにいるんだ。

 

「で、なっちゃん。どうした?」

「これほしい」

 

 そう言ってなっちゃんは、カゴを差し出す。

 その中に入っていたのは、種類がそれぞれ違う、カッターナイフ。

 それに、ハサミ、コンパス、ホチキス、シャーペンにピンセット、画鋲、彫刻刀、千枚通しまである。

 ものの見事に、どれもこれも鋭利な部分のある文房具だ。

 それを見て、わたしは戦慄し、お姉さんは嘆息する。

 

「これだからお前のおもりは嫌なんだよ……ったく、こんなもん、なにに使うんだか。あぶねぇからやめろよな、そういうの」

「かってくれないの?」

「そうやって脅しかけんのやめろよ。お前、ワタシが意に沿わないことしたら、グサリといくつもりだろ」

「じー」

 

 お姉さんの言葉には答えず、なっちゃんは、じぃっとお姉さんの目を見つめる。

 しばらく二人のにらみ合いが続いたけど、決着は思いのほか、早くついた。

 

「……しゃーねぇ。だが、ワタシも金がそんなあるわけじゃねーし、千円以内でな。適当に返してこい」

「はーい」

 

 折れたのは、お姉さんだった。

 お姉さんは千円札をなっちゃんに手渡す。するとなっちゃんは、カゴとお金を抱えて、パタパタと店へと戻っていった。

 そんな一部始終を見て、霜ちゃんがやっと口を開く。

 

「……なんなんですか、彼女」

「『バンダースナッチ』。まあ、なんだ。うちが抱えるじゃじゃ馬っつーか、ケダモノつっーか、バケモンっつーか……帽子屋のダンナでさえも警戒して、常に監視を置いとくようなヤバい奴だ」

 

 なっちゃんの危険性については、わたしが身をもって知っている。

 できれば……関わりたくは、ないな……

 

「あの帽子屋さんがねぇ。そんなヤバいんだ、あの幼女」

「なんでそんな危険な子供を抱え込んでいるんだ?」

「意外と残酷だなアンタら。ヤバいつってもまだガキだし、あんなんでもワタシらの同族だからな。外に出たいと物申されれば、そりゃあ出かけることもあるわな」

「でも、一人では外には出せないんでしょ?」

「まあ……まあな。表向きは、まだガキだからって理由だが、実際には監視だ。あいつを野放しにしたらマジやべぇからな。たまに、ダンナの許可を得て、一人で出歩くこともあるが……あの時のワタシたちがどんだけ戦々恐々してるかわかるか? コンロの火をつけたまま家を出るようなもんだぞ?」

 

 それは……怖いね。

 なんか、なっちゃんって、わたしが思っていた以上に危険視されてたんだ……

 

「中にいるうちはともかく、外に出るなら見張ってねーと、なにするかわからねぇ奴だからな。だが、たまたま手が空いてたとはいえ、バンダースナッチの外出に付き合わされることになったのは災難だったぜ」

「あの、おねーさん!」

「ん? なんだよシルバー外人」

「おねーさんのお名前は、アヤハさんというんですか?」

 

 あ、それわたしも気になってた。

 なっちゃんの危険性ばかりを気にしてたけど、さっきなっちゃんは、お姉さんのことを「アヤハ」と呼んでいた。

 代海ちゃんや先生たちにも、【不思議の国の住人】としての名前と、人間社会で生活するための名前を使い分けてたし、お姉さんにもそういう名前があるのかな。

 

「あぁ、そうだが」

「お姉さんにもあるんですねー、そういうの」

「当たり前だろ。っていうか、『ヤングオイスターズ』ってのは、個人(ワタシ)の名前というよりかは、個体(ワタシたち)の名前だかんな。ワタシを指す言葉ではあるが、ワタシ個人に向けられてるってだけじゃねぇ。その範囲は、弟や妹を含めたワタシたちすべてを指す名前だ。だから『ヤングオイスターズ』って呼ばれると、「お前」じゃなくて「お前ら」って呼ばれる感じがして、むずむずすんだよ」

 

 力説するお姉さん。

 だけど、わたしには、まったくわからない感覚だ。

 個人じゃなくて、組織名……社名とか、サークル名で呼ばれているような感じなのかな?

 

「これ、わりと切実なんだが、あんま理解されねぇんだよなー。虫けら三姉弟なんかは、若牡蠣とか言って、さっぱりワタシを名前で呼びやがらねぇ。どうでもいいけどよ、もう」

「それで、アヤハなんてそれらしい名前使ってるんですね」

「意外と可愛らしいんだね」

「うるせーよ。だが、人間の名前ってのはいいよな。そうやって区分区別がはっきりしてて。便利に使わせてもらってるぜ……ま、そんなんで喜ぶのが滑稽ってモンだろうが。この感覚自体、お前らにとっちゃ当たり前で、ワタシらはその理解すらも遅れてる原始生物みたいなモンなのかもしれんがな」

「べ、別にそこまで言ってるわけじゃ……」

「気にすんな。ワタシらが生き物として弱く、文化もなにもかも遅れているという自覚はある。だからこそ、こうやってこそこそ隠れ生き延びてるわけだしな。仕方ねぇさ」

 

 どこか諦観したように『ヤングオイスターズ』のお姉さん――もとい、アヤハさんは言った。

 

「と、ところで、お姉さんに人間としての名前があるなら、なっちゃんにも……?」

「おう、一応あるぜ。番出那智(ばんでなち)ってんだ。本来なら、幼稚園に入れるつもりで作ったんだが……」

「あんなヤバそうな子供を幼稚園に入れたら、先生皆ストレスマッハで潰れますよ」

「だよなぁ。結局そういう話になって、あいつは内々で面倒見ることになっちまったんだ。せめて小学校には入れて、多少は常識ってもんを教えてやりてーんだが、その年になるまでにまともな精神を育めるかどうか……」

「アヤハさん、まるでMutter(お母さん)みたいですね!」

「どっちかって言うとお医者さんじゃない? 精神科医的な?」

「ワタシはただ、安穏と生きたいだけだよ。だってのに、ったくよぉ。あんな面倒な奴のおもりとか、やってられねぇって」

 

 荒み始めるアヤハさん。

 それくらい、アヤハさんにとっても、なっちゃんの存在は快いものではないんだ……

 と、そこで、なっちゃんがお店から戻って来た。

 

「アヤハー、かってきたー」

「おう……って、これ本当に千円以内かよ?」

「うん」

「本当かよ……」

 

 とそこでまた、アヤハさんは憂鬱そうに溜息をつく。

 

「はぁ、まったくよぉ、ネズ公といい、虫けらの兄さん姉さんといい、ワタシの財布の中身を地味にむしりとるのはやめやがれってんだ……で、ほら、なっちゃん」

「? なーに?」

 

 アヤハさんはなっちゃんに手を差し伸べる。

 当のなっちゃんは、首を傾げるばかりで、その意味を理解していない。

 

「釣りを返せ。ピッタリ千円ってわけじゃねーだろ」

「ん」

「ん、じゃねーよ! 釣銭返せ! 釣銭!」

「んー!」

「この野郎……人が汗水垂らして稼いだ金をなんだと思ってやがる! おら出せ! お釣りを出しやがれ!」

「やー!」

「……なんて醜い」

 

 アヤハさんが、おつりを奪還するためになっちゃんの小さな矮躯を羽交い絞めにする。

 なっちゃんのことはあまり擁護できないんだけど……でも、アヤハさんのやってることも、大人げないというか、なんというか……はい。

 しばらくアヤハさんとなっちゃんが、おつりを巡って格闘していると、不意になっちゃんが声をあげた。

 

「っ、いたっ!」

「あん? どうしたなっちゃん? そんな強くしてねーだろ?」

「なんか、いたかった」

「んー……ん? おいなっちゃん、お前、ケガしてねーか?」

「けが?」

「ほら、袖んとこ」

 

 コートの袖をまくって見てみると、確かになっちゃんの手首のあたりには、一筋の切り傷があった。

 

「手首に、傷……リスカ……」

「いや、にしては場所が変だ。普通、リストカットって言ったら、幾重にも重なってるか、動脈を一閃するかのどちらかだ。あんな子供が自発的に手首を切るとも思えないし、そもそも傷も浅い」

 

 確かに、なっちゃんの傷はそれほど深くなさそうだし、もう出血も止まっているみたいだった。

 ただ今は、切った痕が残っているだけ。

 

「どっかで切ったのか?」

「んー……わかんない」

「そうかよ。まあ、変な傷ではあるが、大したことじゃないな。こいつに限ってリスカとかあり得ねーし」

 

 と言ってアヤハさんは、ハッと思い出したようにポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出す。

 ……なんだか、見覚えのある携帯電話だ。確か、前に代海ちゃんも同じのを持ってたような……

 そんなことはさておき、アヤハさんは携帯の画面を――時計を見て、目を剥いた。

 

「うぉっ!? やっべぇ、そろそろ行かねぇとバイトに遅刻しちまう!」

「……バイト?」

「おう。ワタシがここにいる理由その3――というかこいつが本命なんだが――バイトに行くために、こうして外出してんだよ」

「お姉さん、バイトしてるんだ……」

 

 最後の理由が一番納得できたかもしれない。

 うん、でも、まあ、そうだよね。

 代海ちゃんが学校に通ってて、先生や葉子さんたちも働いてるわけだし、アヤハさんがバイトしてても、なにもおかしくはないよね……

 

「これでも十一人の弟妹を持つ長女だかんな! 【不思議の国の住人(ウチ)】の金はハンプティ・ダンプティのおっさんの管理が厳しいし、できるだけ弟妹の養育費やら生活費を、自分で稼がなくちゃならねーんだ。連中のメシ作るための食費も必要だし、小遣いとかもやらにゃならんし……つーか、ウミガメの奴やネズ公の小遣いまでワタシのポケットマネーから捻出するっておかしいよな、やっぱ……」

「お母さんかよ……」

「でも、アヤハさん、とっても立派(グート)です! ユーちゃん、カンゲキしました!」

「よせよ。なんだかんだ言っても、こんなの自分のためにやってんのと変わらねーんだからよ」

 

 とは言いつつも、ちょっと照れたように言うアヤハさん。

 前にプールで合った時は、いきなり突っかかって来て乱暴な人だと思ったけど……わたしが思っていた以上に、面倒見が良くて、優しくて、そして弟妹思いなお姉さんだった。

 なんて言うか、大家族を養うために苦労している苦学生みたいな。

 

「さて、ワタシはもう行かなくちゃならないんだが……なっちゃん、一人で大丈夫か?」

「うん。だいじょうぶ」

「ならいいけどよ。お前が理解してるかは知らねーが、物騒だから寄り道せずに帰れよ」

「わかったー」

「……本当にわかってんのかね、こいつ」

 

 どこかのほほんとしているなっちゃんに、訝しげな視線を向けるアヤハさん。

 監視してなくちゃいけないって言ってたわりには、もう監視の目がなくなりそうになってるけど、いいのかな……?

 

「いや別に、四六時中監視してるわけじゃねーから。ヤバいつっても、いつでも凶器振り回してるわけじゃねーし」

「あれ? わたし、声に出てました?」

「顔に出てんだよ」

 

 そ、そっかぁ……わたし、そんなに表情読みやすいんだ……

 ……ちょっとへこみます。

 

「けど、監視の目を解いてもいいのかい?」

「よくはないが、まあ、今ならギリギリ許容範囲だな。こいつは、いつ、どこで、なにをするかがわからないからヤバいだけで、常にヤバいわけじゃないし」

「いやそれは、ヤバいことに変わりはないじゃん」

「わかってるっての。だが、ワタシはこいつのことよりかは、バイトの方が大事だ」

 

 言い切った!?

 そんな発言をするから危険を誘発しているような気もするけど……大丈夫なのかなぁ?

 なんだかこの人たちって、どうにも理詰めとかを詰め切れていないというか、“とことんまで”“きっちりやり遂げる”ということが足りないような気がするんだけど……

 

「ま、一応、虫けら三姉弟あたりに一方入れとくか。ハエのにーさんか、トンボの兄貴か、チョウの姐御か……まあ、誰かしら反応するだろ」

「雑だな……」

「って、マジで時間やべぇ! ワタシの時給が!」

 

 もう一度、携帯で時間を確認して焦るアヤハさん。

 アヤハさんはわたしたちに背を向けて、駆け出した。

 その瞬間に、半身で振り返る。

 

「そんじゃなっちゃん! ワタシ今からバイト行ってくるから。気を付けてな! アンタらも、気ぃつけろよな!」

 

 最後にそう言い残して、『ヤングオイスターズ』のお姉さん――アヤハさんは、わたしたちの前から立ち去ったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 アヤハさんはバイトに行って、なっちゃんは家? に帰って、それぞれと別れたわたしたちは、そのまま当初の予定通り、公園へと移動して、調査を開始した。。

 と言っても、やっぱりそれらしい手掛かりは、なにも見当たらないんだけど。

 それに、わたしの中ではずっと引っかかってることがあって、調査にも集中できていない。

 そんなわたしを察してか、霜ちゃんが声をかけてくれた。

 

「小鈴、どうした? さっきから上の空っぽいけど」

「霜ちゃん……その、ちょっと、気になることというか……」

「事件に関すること?」

「うん……その、もしかしたら、事件の犯人に関係するっていうか、犯人そのものかもしれないというか……」

「小鈴さん! 犯人がわかったんですか!?」

 

 わたしの言葉に、ユーちゃんが勢いよく食いつく。

 そしてユーちゃんの声に気付いて、恋ちゃんとみのりちゃんも来た。

 

「なになに? 小鈴ちゃん、犯人わかったの?」

「あ、いや、わかったっていうか、そうかもしれないと思っただけというか……根拠とかは全然ないんだけど、もしかしたらっていうか」

「ハッキリ……しない……」

「まあ、とりあえず話だけでも聞こうか。なにか推理にとっかかりになるかもしれないしね」

「う、うん」

 

 霜ちゃんに促されて、わたしはみんなに話した。

 わたしの想像と、思い込みと、ちょっとの私怨を。

 

「もしかしたら、今回の事件は、なっちゃん――『バンダースナッチ』ちゃんが、犯人かもしれない」

「あの子供が?」

「わ、わかんないよ? ただ、わたしが前に、その……あんなことがあったから、警戒してるだけなのかもしれないし……」

 

 だけど、刃物でズタズタにするという犯行から、彼女を連想してしまったのは確かだ。

 子供が犯人だという朧さんの滅茶苦茶な推理も、なっちゃんが犯人だとしたら、ある程度は納得できる。

 そしてなにより、彼女の残酷さ。無邪気に凶器を振り回す危うさ。

 わたしは、それらと今回の事件を、結びつけて考えた。

 と言っても、大した根拠はない。あの子の性格上、そういうことをするかもしれないというだけで、犯人だと断定できるわけじゃない。あてずっぽうもいいところだ。

 そんなわたしの考えを黙って聞いていた霜ちゃんが、口を開く。

 

「……ボクは君から話を聞いただけだから、正確な判断を下す自信はないが、可能性はあると思う」

 

 そして、頷いた。

 

「この社会で連続殺傷事件だとか、野良犬を惨殺だとか、そんなことをする奴は狂っている。そして、君の話では、あのバンダースナッチとかいう子は、かなり狂っている。仲間にまでヤバいと言われるくらいなのだから相当だろう」

「文具屋であんな的確に凶器になりそうなものをピックアップするあたり、私でもビビるくらいにはヤバそうな子だったよね」

「ただ、彼女はあまりに幼い子供だ。そんな計画性や知能があるのかが謎だ。それに、仲間内でも危険視されているがゆえに、かなり監視されているようだから、どうやってその眼を掻い潜ったのか、なんて疑問もある」

「頭に関してはわかんないけど、監視の目に関しては、連中がグルだったとか、っていうのは? さっきのお姉さんはただのポーズで、本当は証拠を消して回ってるとかさ」

「それもあり得る可能性だが、彼女のスタンドプレイでも、チームプレイでも、子供やら犬やらを殺傷する意味がわからない。人間社会に身を潜めて細々と生きているような連中が、そんなちまちまと、それでいてリスキーなことをするだろうか?」

 

 そう、だよね……

 帽子屋さんたちは、自分たちから人間より弱いと称している。そしてそれは、種という大きな枠で見れば、決して謙遜でも、間違いでもない。

 たぶん、世界中の人がその気になれば、帽子屋さんたちの存在を暴き出して、支配してしまうことは、簡単なことだと思う。それがわかってるから、帽子屋さんたちも、ひっそりと人間社会の中で生きているみたいだし……

 だから、こんな人間と敵対するようなことを、簡単には行わないはず。行うにしても、人間と彼らとの戦いと見るのであれば、今回の事件はあまりにも小さい。

 

「ゲリラ戦……とか……?」

「だとしても、子供や犬猫だけを狙う理由とは繋がらないと思うけどね」

「子供殺して、少子化を促進させて人類を衰退させるつもりとか?」

「気の長い話だな。尻尾を掴まれる方が先じゃないか?」

「だよね」

 

 とまあ、そんな感じで。

 わたしの考えは、否定こそされなかったけど、肯定するには少し消極的……というより、根拠が足りなかった。

 まあ、それ自体は、わたし自身が一番よく分かっていたけどね。

 

「とはいえ、彼らが怪しいことには変わりない。可能性の一つとして、警戒しておこう」

「先生とか亀船さんらを?」

「……小鈴は、あまりいい顔をしないかもしれないけどね」

「…………」

 

 少し申し訳なさそうにする霜ちゃんに、わたしはなにも言えなかった。

 代海ちゃん、陸奥国先生、葉子さん、そして今日出会ったアヤハさん。

 みんな、いい人だった。最初は衝突したりもしたけど……それは、彼らの本心ではなかった。

 ちゃんと話をして、触れ合ってみれば、仲良くなれる。敵対とか、そんな剣呑な空気は必要なかったし、そうならない道を見つけられた。

 だから、できればわたしは、彼らが今回の事件に関わっていると、思いたくなかった。

 これが、クリーチャーによる事件であると、願いたかった。

 そう、願ったからなのか。

 

 ――羽が一つ、舞い落ちる。

 

 羽ばたく音が聞こえる。遠くから響くその音は、少しずつ、少しずつ近づいていく。

 近いようで、とても遠くなっていた。

 ずっと、わたしの中のどこかで燻っていたもの。

 それが今、舞い降りて来る――

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

 懐かしい声だ。

 もうずっと聞いていなかったような気がする、久しい彼の声。

 白い羽を散らして、わたしの前に降り立つのは――

 

 

 

「――鳥さん!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「どこに行ってたの、今まで! 探して……はいないけど。その、鳥さんが必要だったんだよ!」

 

 林間学校の時以来だ。

 もう一ヶ月以上も姿を現さなかった鳥さん。

 その鳥さんが、今になってわたしの前に現れた。

 来るのが遅いと、文句を言いたくなるし、言っちゃったけど……でも、元気そうでよかった。

 それに、やっと来てくれて、よかった。

 

「悪いね。力を解放した時に、ちょっと無理をしちゃって。それが祟って、しばらく動けなかったんだよ」

「あ、そうだったんだ……」

 

 台風と共にやって来たクリーチャー、《クシャルダオラ》。あのクリーチャーと戦うために、鳥さんは“本来の姿”に戻った。

 そもそもわたしは、鳥さんの失った力を取り戻して、を元の姿に戻すためにクリーチャーと戦っているわけなんだけど……この前の林間学校での戦いで、鳥さんはかなり消耗しちゃったみたい。

 元の姿に戻ったのもほんの少しの間だけ。本来の姿に完全に戻るためには、まだまだエネルギーが足りないみたい。

 

「それにしても、僕がしばらく休眠してる間に、随分とクリーチャーが湧いてしまったみたいだね。嫌なにおいがぷんぷんするよ」

「! やっぱり、クリーチャーが……?」

「みたいだね。まったく、僕が動けないことをいいことに、好き勝手やってくれたものだ」

 

 鳥さんは、この町にクリーチャーが増えていると言う。

 この一ヶ月で、そんなに増えてたんだ……でも、ということはやっぱり、今回の事件もクリーチャーの仕業って可能性が高くなった。

 

「さぁ、できる限り迅速に、クリーチャーをとっちめようか。僕もお腹が減ったし」

「お腹……今日の残りのフレンチトーストならあるけど、食べる?」

「いいのかい? ありがとう」

「待て。ナチュラルに食事を始めるな」

「ユーちゃんも欲しいです……」

「はい、どうぞ」

Oh(わぁ)! Danke(ありがとうございます)!」

「だから待って」

「……というか、こすず……なんでいつも、余分にパン、持ち歩いてるの……今日も五袋くらい、開けてたけど……」

 

 鳥さんとユーちゃんに、フレンチトーストを分けながら、残りもう半分に分ける。分けた分は家に帰って食べるとして、もう片方を口に放り込む。

 ちょっと時間が経っちゃってるから、味は少し残念だけど、でも甘くてしっとりした触感がいいね。

 

「もぐもぐ……こくん。それで鳥さん、クリーチャーの場所はわかるの?」

「んぐんぐ……うん、概ねね。とはいえ、なんだか奇妙な感じなんだけどね。ぽつぽつと出現と消失を繰り返しているというか……」

「むぐむぐ……ショーシツです?」

「君ら、食べながら喋るなよ……」

 

 鳥さんは、クリーチャーの気配が、現れたり消えたりしていると言う。

 でも、クリーチャーがこの近くにいることに変わりはないはず。

 

「それで、クリーチャーはどっち?」

「こっちだ。さぁ行こう!」

「うんっ!」

 

 鳥さんが羽ばたき、飛び立つ。

 わたしも、その後を追って駆け出す。

 

「わわっ! 小鈴さん、待ってくださーい!」

「うーん……なんか、ちょっと焦ってない? 小鈴」

「んー、焦ってるけど、嬉しそうにも見えるかなー、私には」

「……なにかに、必死になってる……よう、にも、見える……けど」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 鳥さんの後を追って走り出したはいいものの、思ったよりも早く、鳥さんは止まってしまった。

 

「どうしたの?」

「反応が弱まった……というか、消えた。ありていに言って、見失った」

 

 見失った……って。

 鳥さんが来て、クリーチャーによる事件の可能性が濃厚になったけど、のっけから出鼻を挫かれてしまいました。

 

「小鈴さーん!」

「……やっと……追いついた……」

「あ、みんな……」

「どうしたの? 立ち止まっちゃって」

「なんだか、鳥さんがクリーチャーを見失っちゃって……」

「無能……焼き鳥……」

「だけど、出現と消失を繰り返していると言ってたね。つまり、今彼が探知しているクリーチャーは、なんらかの能力で気配を消せるということなのかな?」

「そう考えるのが自然だろうね」

 

 気配を消せるクリーチャー、かぁ……どういうクリーチャーなんだろう。

 相手に感知されない、気づかれないってことは、影の薄いクリーチャー? あ、選ばれないクリーチャーとか、ブロックされないクリーチャーだったりするのかな?

 というのを言ったところ、

 

「どうだろう。その手のクリーチャーなら、最初から気配を察知できないと思うんだけど」

「なら、条件付きアンタッチャブルやアンブロッカブルとかはどうだ? なんらかの条件を満たすことで、この鳥類の探知から逃れているのではないだろうか」

「条件付きアンタッチャブルって、なにがいたっけ?」

「ちょい待ち……今、ググる……」

「公式サイトでカード検索した方が良くない?」

「いや、そういう検索だったもっと使いやすいサイトが……」

 

 霜ちゃんたちが、携帯で検索をかけてクリーチャーを絞り込む。

 もしもなんらかの条件を満たすことで鳥さんが気配を察知できないのであれば、その条件を知ることで、そのクリーチャーに辿りつけるかもしれない。

 

「《龍装艦 ゴクガ・ロイザー》、呪文限定でアンタッチャブルだ」

「《囚われのパコネコ》。ビークル・ビーがいれば、アンタッチャブルになるね」

「《正義の煌き シーディアス》……ラビリンスで、他のメタリカをアンタッチャブルにする……」

「そのクリーチャーのどれかなんですか?」

「いや……どうだろ……」

 

 いまいちみんなの反応はよくなかった。

 

「水文明には、呪文限定のアンタッチャブルがいるけど、まずこの鳥類の探知能力は、たぶん呪文由来ではない。普通にクリーチャーの能力的なものだろう」

「そうだね。僕は呪文とか、そういうのはあまり得意じゃないしね」

「じゃあ、他のクリーチャーと一緒にいる時じゃないでしょうか!」

「どうかなー。一緒にいたら探知されないならずっと一緒にいればいいし、なにか理由があって別行動してるとしても、条件を満たすための“相方”の反応まで消せるものかな、って思うけど」

「ビークル・ビーにアンタッチャブルの類はいなかったはずだよ」

「じゃあ、《シーディアス》が二組で行動してるとか……」

「ラビリンス条件……謎……」

 

 うーん……

 強いて言うなら、わたしたちの今のこの状況こそが迷宮(ラビリンス)入りしてるようなものだけど……シールドの枚数とは関係ないよね……そもそもシールドがわからない。

 結局はまた、行き詰ってしまった。

 

「……ねぇ、さっきから言おうと思ってたんだけどさ」

「実子さん? どうしましたか?」

「なんか臭わない?」

 

 みのりちゃんが、急にそんなことを言いだした。

 におう……? そう言われて、すんすんと鼻を動かしてみるけど、特になにもにおわないような……

 

「ボクはなにも感じないけど」

「気のせいかなぁ。なんか、変な臭いがする気がするんだけど……とっておきの肉を取っておいたのに、知らないうちに冷蔵庫のコンセントが抜けてたみたいな……」

「まるで意味が分からない」

「……腐ってる、って、こと……?」

「うん。いやでも、似てるようで違うかなぁ? 臭いが薄くてよくわかんない……クンカクンカ」

「擬音が気持ち悪いんだが。特に君だと」

 

 目を閉じて、神経を集中させて、鼻を動かすみのりちゃん。

 そして、ふっと目を開いた。

 

「ハエ……」

「ハエ?」

 

 先生?

 と思ったけど、そうじゃない。

 本物の、普通の、黒いハエが、みのりちゃんの前を通った。

 ただ、それだけだ。

 

「ハエがなんだっていうんだ?」

「……ハエってさ、どういうところに(たか)る?」

「え?」

「なんか、ヤな予感しない?」

 

 みのりちゃん?

 なにを言って……いや、なにが、言いたいの?

 

「ちょっと、行ってみようか」

 

 そう言って、みのりちゃんは駆け出してしまった。

 

「みのりちゃんっ!」

「やれやれ。実子に行く先を頼るなんて業腹だが、彼女なりの確信があるっぽいな」

「行ってみましょう!」

「……走るの……きつ……」

 

 わたしたちも、みのりちゃんの後を追いかける。

 しばらく、けれどもそう遠くないところ。

 先頭を駆けるみのりちゃんが足を止めたと同時に、わたしたちも止まった。

 そしてみのりちゃんの視線の先。みのりちゃんがじぃっと見つめる、道の真ん中。その先には――

 

「い、犬……?」

 

 茶色い毛並の犬。たぶん、野良犬だ。

 だけどその身体には、赤黒いものがこびりついていて、この距離からならわかる、鼻をつまみたくなるようなにおいを発していた。

 

「し、死んでるの……?」

「待て。誰かいる」

 

 思わず近づこうとして、霜ちゃんに制される。

 よく見れば、その犬には影が差していた。

 電柱の陰になって、姿が見えなかったけど、確かにそこには誰かがいる。

 ゆっくりと、ゆらりと、柱の陰から現れる、影。

 大きくない、けれども黒い。

 それは消えつつある夕焼けの光に照らされて、白さを惑わせ、深く黒く落ちていく。

 血に濡れた刃物を携えて、現れたのは――

 

 

 

「――なっちゃん?」

 

 

 

 思わず、声が出てしまった。その名前を、呼んでしまった。

 夕焼けの影に染まるのは、白い髪に、黒い衣の、小さな幼女。

 小さく、けれども鋭利な刃物をその手に握って、息絶えた獣を見下ろしている。

 

「そ、んな……まさか、本当に……」

 

 本当に、なっちゃんが事件の犯人……?

 衝撃のあまり、現実を拒んでしまっている自分を感じる。

 だけど目の前の出来事は事実だ。犬の死体の前に、血塗れの刃を持ったなっちゃんがいる。

 言い訳も、弁明の余地もない犯行現場。

 わたしたちは、その現行犯を、目撃してしまった。

 わたしの声に気付いてか、あるいは、気配か。

 なっちゃんが、こちらを向いた。

 

「……みつかった……」

 

 そして、くるりと踵を返すと、脱兎の如く駆け出した。

 

「……逃げた」

「小鈴! 追いかけるよ」

「あ……ま、待って、鳥さん!」

 

 まっさきに飛び出したのは、鳥さんだった。なんで鳥さん?

 いや、でも、確かにこれは、追いかけないといけない。

 あの現場からして、なっちゃんが犯人なのは、間違いない。それなら、捕まえて、やめさせて、真相も聞き出さないと。

 わたしは鳥さんの後を追って、また走り出す。

 

「……まさかこんな早くも真相に近づこうとはね」

「ね。私の勘に感謝して欲しいな」

「遺憾だが、今回ばかりは素直にそう思うよ」

「そういうとこが、素直じゃないけどね」

 

 後ろから、みのりちゃんたちも追いかけてくる。

 それにしても、思ったよりもなっちゃん、足が速い。子供とは思えないくらい。

 曲がり角で何度か見失いそうになるけど、なんとか必死で追いかける。

 でも、わたしもそんなに運動が得意じゃないっていうか、苦手だから……そろそろ、きつい……

 

「くっ、しばらく休眠してたせいで、まだ力が出ない……」

「と、鳥さん……大丈夫?」

「小鈴、さっきの食べ物がもう一つ欲しい。奴の化けの皮を剥がす」

「え? さっきのパンを? っていうか、化けの皮?」

「早く! 逃げられる」

「う、うん。えっと……」

 

 鳥さんがあまりにも急かすから、わたしは一度足を止めて、鞄からさっきのパンの袋を取り出す。

 そして、家で食べる予定だったフレンチトーストの残りを鳥さんの前に差し出す。

 鳥さんはくちばしで、差し出されたトーストをついばんだ。

 

「もぐもぐ……よし。これでもう少し頑張れる」

 

 全部は食べきらず、なんかすごい中途半端にフレンチトーストを残して、鳥さんはまた羽ばたき、飛び立つ。

 心なしか、さっきまでよりも、ちょっとだけ元気があるように見える。

 鳥さんは一息で滑空するように飛翔し、なっちゃんへと近づいていく。さっきまでよりも、ずっと速いスピードで追い縋る。

 

「随分と小賢しいことをしていたようだけど、流石にここまで近づいたら、偽装されてもわかるよ」

「…………」

「ダンマリか。僕も舐められたものだ。テクスチャで誤魔化したくらいで、僕の鷹の目を騙せると――思うなよ!」

 

 鳥さんは、いつか台風のクリーチャーと相対した時のように、その鋭い足の爪を振り上げた。

 そして、その爪は、なっちゃんの顔に、肌に、肉に、向けられる。

 そして――

 

「……っ!」

 

 ガリッ、と。

 

 

 

 なっちゃんの皮が――剥がれた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「な、なに、これ……!?」

 

 鳥さんの爪が、なっちゃんの顔面を大きく引き裂いた……けど、それは異様だった。

 残酷とか、痛々しいとかじゃなく……異常だ。おかしい。おかしすぎる。

 血は流れていない。一滴たりとも、血痕は残らない。代わりに、鳥さんに引っかかれたところが、傷口の奥に、暗く、黒い闇が広がっている。

 

「な、なっちゃん……?」

「……ばれてしまったか」

 

 それはなっちゃんの声だ。幼い、子供の声。

 だけどその言葉は、およそなっちゃんのものとは思えなかった。

 あの子は、残酷だけど、こんな冷たい声はしていない。

 誰……なの?

 

「小鈴。もしかしてあの子供は君の知り合いかい?」

「知り合いっていうか……」

「まあ、なんでもいいけど、たぶん彼女は偽物だよ」

「え?」

「奴はクリーチャーだ」

 

 クリーチャー……? なっちゃんが? それとも、なっちゃんの姿をした、あのなにかが……?

 鳥さんは続けて、なっちゃんの姿をした、何者かに言った。

 

「いい加減、姿を見せなよ。もう隠す意味もないだろう?」

「……それもそうですね」

 

 諦めたようにそう言うと、なっちゃんは――なっちゃんの姿をした誰かは、鳥さんに引っかかれた黒い傷口を掴んだ。

 ベリベリベリ!

 そんな、シールを剥がすみたな動作で、身に纏っていた“なっちゃん”を剥がした。

 その下に現れるのは、小さな矮躯の幼女ではない。

 もっと大きく、もっと深く、もっと黒い、人ならざるものだ。

 

「真に遺憾です。計画の半ばで、こうして私の姿を晒すことになるとは」

 

 怪物……いや、これは、クリーチャーだ……!

 何本も腕があったり、骨みたいなものを身に着けているけど、白衣を纏っていて、メス、注射器、ハサミなど、医療器具らしきものを携えているその姿は、お医者さんのようでもあった。

 だけど、その姿はあまりも不気味で邪悪だ。

 そう、その姿はまるで、闇の中の医者みたいな……

 

「人間はやはり侮れませんね。まさか、地獄の神の腕を持つ私が手ずから精製した偽装皮を看破し、あまつさえそれを剥がす者がいるとは。もっとも、私にいたのは神話も潰えた世界。即ち、正に神は死んだ世界なので、神の腕と名乗るのも滑稽ではありましたが」

「その骨……そうか、君は纏うことで仮初の種族となる者か。小鈴らの反応を見るに、人の皮を被り、存在を偽装していたのかな?」

「化石を纏うのも、皮を被るのも、大して違いはありませんからね。とはいえ、この世界の生物の皮は脆弱すぎて、剥がすどころではありませんでしたが。ゆえに身を裂き、血肉を用いて、自ら作らなければいけなかったのは、とても煩雑な作業でした」

「僕の探知から逃れられたのも、人の皮を被って、人間に擬態していたからか」

「他人に成り変われる能力か。成程、そんな能力があるのなら、犯人だと特定されないのも頷けるな」

「しかし、存在そのものまで組み替えてしまうとはね。化石を被っただけで竜種を名乗る、図太い君ららしい」

「それほどでも。私の腕にかかれば、肉体の成分から個人の表皮、記憶等々を完全にコピーし、存在そのものを一時的に同化させるなど造作もないのです。お陰で様々な人間に乗り換え、多くのことを得ることができました」

 

 饒舌に語るお医者さん。

 言ってることはよくわからないけど……でも、このクリーチャーが、誰かを傷つけて、そうすることで他の人に化けていたということだけは、理解した。

 

「随分とペラペラお喋りが好きなクリーチャーだな。それで、ここ最近の殺傷事件の犯人は、君か?」

「殺傷事件? さて、人間ども時世に興味はありませんが、血液採取と私の医療技術向上のために、色々とメスを入れていたのは確かですね。いやはや、こちらの世界の生物とは興味深い。あの時の少女を解剖できなかったことが気にかかり、あの腐った世界に見切りをつけてこちらに来てみましたが……正解でしたね。やはり一度、しっかり研究しておくべきものです」

「……害悪だね」

 

 取り合う気はないと言わんばかりに、霜ちゃんは短く吐き捨てる。

 どうでも良さそうなことまで、滔々と語るお医者さん。だけど、その内容は、聞いているだけで怖気が走るようなことだった。

 このクリーチャーが、今回の事件の犯人……?

 わからない。けど、もしそうでなかったとしても、このクリーチャーを放っておくわけにはいかない。

 少なくとも、このクリーチャーがさっきの犬を殺したのは間違いない。

 そして、誰彼構わず、そのメスで切り裂いて、誰かを傷つけていることに変わりはない。

 そんな危険で、邪悪なクリーチャーを野放しにはしてはおけない。

 ここで、倒さないと。

 

「小鈴。準備はいいかい?」

「うん……お願い、鳥さん」

 

 刹那のうちに、わたしの姿は――衣装は、変わる。

 この、ふりふりでふわふわの服装も、久しぶりだな。

 いつかわたしが願った、魔法少女の姿。その、再現。

 その姿でわたしは、クリーチャーのお医者さんに向き合う。

 

「ほぅ、これは奇怪な術だ。しかし感じますよ、そうやって私と争おうという気概が。できれば、闘争は避けたいところなのですがねぇ」

「知ったことか。行くよ、小鈴」

「うんっ」

 

 鳥さんと一緒に、お医者さんへと近づいていく。

 そして、クリーチャーと戦うための“場”が、用意されていく。

 

「この感覚は、あの空間……それはいけません。あそこは、私の手術室ではありませんからね」

 

 近づくわたしたちに、お医者さんはたじろぐ。

 そしてすぐに、鳥さんへと視線を向けた。

 

「発生源は……あなた、ですか。では――」

 

 そして、幾本もあるその手の一つに、注射器を握り込む。

 

 

 

「――退場していてもらいましょう」

 

 

 

 風を切る音。

 黒い魔手はわたしのすぐ横を通過して、ブスリ、と嫌な音を立てる。

 直後、カシュッと空気の抜けるような音が聞こえたところで、わたしは振り返った。

 

「と、鳥さん!」

 

 そこには、注射器で刺された鳥さんの姿があった。

 だけど鳥さんは、羽ばたき続けて、言った。

 

「大丈夫だ、大したことないよ」

「で、でも……」

「いくら肉体が衰えていても、この程度の針じゃ僕は落ちない。まだやれるさ」

 

 気丈に振舞う鳥さん。でもそれは、わたしが心配するような強がりではなく、本当に、なんともなさそうだった。

 ……本当に、今の攻撃でダメージがない?

 実はこのお医者さんって、そんなに強くないのかな?

 と思っていたら、お医者さんはまた、腕を振りかぶった。

 

「さて、注射の後には採血です。順番が逆? 知りませんね!」

「きゃっ!」

 

 なにか刃物のようなものが振り下ろされる――わたしに向けて。

 反射的に後ろに下がろうとしたけど、刃物の切っ先がわたしの腕に振れて、皮を破り、肉を裂く。

 ツゥっと、赤い雫が、線となって腕を走り、地面へと零れ落ちた。

 

「小鈴ちゃん!」

「だ、大丈夫。ちょっと切っちゃっただけだから……みんなは、下がってて」

 

 傷は大したことがない。カッターで手を切っちゃうのと、そう変わらない程度の浅さだ。痛みもほとんどない。

 だけど、このお医者さんは、とても攻撃的だ。好戦的ではないけど、攻撃になんの躊躇いもない。危険なクリーチャーだということは、わかった。

 さっきのはわたしが変身していたからギリギリ避けられたけど、こんなに攻撃的なら、みんなは近づかせられない。

 お医者さんは、刃物の先についたわたしの血を、どこからか取り出した試験管に垂らしながら、独り言のように言う。

 

「ふむ、綺麗な血ですね。しかし妙だ。これは本当に純粋な人間の血なのですか……? なんだかクリーチャーっぽい因子を感じるのですが……気のせいですか?」

 

 なにか言ってるけど、もうどうでもいい。

 とにもかくにも、早くこのクリーチャーを倒さないと。

 

「鳥さん!」

「あぁ。少し抵抗されたが、今度こそ引きずり込む!」

 

 今一度、お医者さんを倒すため、いつものあの戦いの場を用意しようとする。

 だけど、

 

「ふぅ、人間と争うのはもう懲り懲りなのですがねぇ」

 

 お医者さんは、くるりと後ろを向く。

 そしてそのまま、ダッと駆け出した。

 要するに――逃げた。

 

「また逃げました!」

「なんか、いつものクリーチャーと違う感じだな……いつもは、もっと好戦的というか、すぐ戦いに入ってたものだが……」

「……人間、避けてる、みたいな……」

「恐れてるってか、慣れてるってか。なんか立ち回り違うね」

 

 霜ちゃんたちの言う通り、なんだか、いつものクリーチャーとは様子が違う。

 なかなか対戦に入れなくて、もやもやするし、いじらしい。

 

「厄介なクリーチャーだな……追うよ、小鈴!」

「う、うん!」

 

 とにかく、あのクリーチャーは倒さなきゃいけない。わたしは鳥さんと一緒に、その後を追い、走る。

 この姿だと、いつもよりも力が出る。普段は足が遅いし体力のないわたしだけど、この姿の時は、クリーチャー相手でも、追いかけられるよ。

 お医者さんを追いかけて、道路をひた走り、角を曲がる。相手の足も速いけど、このままなら追いつけそう。

 

「こ、小鈴、ちょっと速い……僕も、結構、力が衰えてて……」

「でも、このままじゃ見失っちゃうよ! 先に行くね!」

 

 まさか、わたしが他人(鳥だけど)を追い抜いて走る日が来るなんてね……

 それはそれとして、減速しつつある鳥さんを置いて、わたしはさらに走り、角を曲がる。

 二つ、三つ、そして四つ目の曲がり角を曲がる。そこで、わたしは思わず足を止めた。

 

「え?」

 

 お医者さんをおいかけてたんだから、そこにいるのはあのクリーチャーのはず。

 だけど、そこにいるのはお医者さんではない。

 黒い髪。小さな背丈。幼い顔立ち。それと、その、ちょっとふくよかな色々……そして極めつけは、鈴のついた髪紐に、ふりふりでふわふわの衣装。

 これは、まさか――

 

 

 

「わ、わたし……!?」

 

 

 

 ――もう一人の、わたしでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やっと追いついた」

「小鈴! どうした?」

 

 わたしが目の前のわたしに戸惑っていると、ちょうどそこで、霜ちゃんたちが追いついた。

 そして、わたしと同じように驚いた表情を見せてくれる。

 

「!? 小鈴ちゃんが二人!? 眼福!?」

「な、なんで小鈴さんが二人なんですか!?」

「これも、他人に成り変わる能力によるものか。しかし、敵対者そのものに変化するとか、悪趣味な……」

「……血から、皮を作る、とか……言ってた、ような……」

 

 血……そう言えば、さっきわたしに切りかかった時も採血がどうとかって……

 あの時、わたしの血を採ったから、お医者さんはわたしに変身できた、ってことなの?

 

「ど、どっちが本物の小鈴さんなんですか……!?」

「わたしだよ、って言いたいけど……」

「こっちのわたしも、同じこと言うよね……」

「口調、性格までほぼコピーできるのか。参ったな、判断つかない」

 

 まったく同じ声、口調、調子で話す、もう一人のわたし。

 わたしはわたしが本物だってわかってるけど、ここまでそっくりだと、本当にわたしがもう一人いるみたいだよ。どうやって見分けるか、わたしにだってわからない。

 

「確かに見ただけじゃどちらが本物の小鈴かはわからないが、この程度の偽装、なんの意味もないよ」

「鳥さん?」

「奴の変身は、ただ皮を被ってるだけだ。それを剥がせば問題ない」

 

 あ、そういえば鳥さんは、お医者さんがなっちゃんに化けている時も、引っかいて皮を剥がして、その変身を見破ってたね。

 ってことは、鳥さんに引っかいてもらえば、本物かどうかがわかるんだ。

 ……でもそれ、ちょっと痛そうでやだなぁ。

 

「こんなものは、なんてことのない、小手先の子供騙しさ。さぁ、どっちの小鈴から調べる?」

「いや、その、痛そうだし、わたしは後で……」

「あ、ずるい! わたしだって痛いのはやだよ!」

「……どっちでも、いい……早く……」

 

 どっちでもいいって、簡単に言うけど恋ちゃん。鳥さんの爪、意外と鋭いよ? これ、絶対に痛いからね?

 できれば最初から偽物の方を引っかいて欲しいです。

 

「まあ、彼女の言う通り、どっちからでも同じか」

「同じじゃないよ!?」

「一回目で外したら痛いだけだよ!?」

「その通りではあるが、まあしかし、結果的に判別がつくなら多少の傷は誤差だよね」

『霜ちゃん!?』

 

 なんてことを言うの!? 誤差なんかじゃないよ!

 もう、みんな、当事者じゃないからって好き勝手言って……

 

「とりあえずだ。どっちからでもいいなら、僕が適当にどっちからにするか決めるよ。変にどっちを先にするかを押し付け合われても、怪しいだけだし」

「そ、それもそっか……」

「じゃあもういいよ、好きにして……」

「よし。それじゃあやるか。できるだけ痛くないようにするから、我慢してね」

『うぅ……』

「……なんか今の発言、下品で気持ち悪いね」

「気持ち悪いと思ってる君の思考回路の方が気持ち悪くて下品だから安心しなよ、実子」

 

 爪を光らせて、ばっさばっさと羽ばたいて近寄って来る鳥さん。

 仕方ないよね……これも、犯人であるクリーチャーを捕まえるためだもん。

 そう思って、観念して鳥さんの爪を受け入れるわたしたち。

 ――だけど、

 

「じゃあまずは、こっちの小鈴からテクスチャを剥がして――うぐっ!?」

『鳥さん!?』

 

 いきなり、鳥さんが墜落した。

 ぼとりと、初めて出会った時のように、無様に地面に落ちて、這いつくばるように力なく小さな体を横たえている。

 な、なにがどうしたの……!?

 

「ぐ、これは……!」

「どうしたの鳥さん!」

「大丈夫? なにがあったの?」

「体が、動かない……痺れたみたいな、感じが……あと、なんか、気持ち悪いというか、全身が痛い……!」

「な、なに、どういうことなの? 病気?」

「それとも、さっきのパンが当たっちゃった?」

「……いや、たぶん……あの時の“針”だ」

 

 針? それって……

 

「さっきのあのクリーチャーの注射器か」

「そういや、なんかぶっ刺してたね」

「……注射……ってことは、薬……?」

「あるいは毒だな」

Gift(毒ですか)!? そんな、Gefahr(危ないもの)を……」

「仮にも医者を名乗ってたクリーチャーだ。劇薬とか、猛毒とか、そんなのを持っててもおかしくはないだろう」

「闇のクリーチャーみたいだったしねぇ」

 

 毒……ってことは、それを注射した後に逃げたのも、鳥さんの身体に毒が回る時間を稼ぐため……?

 

「くっ、激痛が走ってるのに、意識が、沈みそうだ……」

「と、鳥さん!」

「しっかり!」

「…………」

『鳥さん!?』

 

 遂に言葉も発しなくなってしまった鳥さん。

 見た感じ、辛うじて息はあるみたいだけど……

 

「……厄介なことになったな」

 

 霜ちゃんが、忌々しげに吐き捨てた。

 

「あのクリーチャーは小鈴に成り変わり、小鈴を見分けられる鳥類は倒れた。ボクらだけじゃ、対戦の場に引きずり込むこともできないし……」

「息、ある……焼き鳥……まだ、生きてる……毒、まだ、回り切って、ない……?」

「でも、時間の問題じゃない? あのクリーチャーをぶっ飛ばせば、なんとかなるのかもしれないけど」

「そのためには、まずどっちの小鈴があのクリーチャーなのか、判別しないといけないな」

「で、でもでも、どっちが本物の小鈴さんなのか、全然わからないですよ……」

 

 わたしは、もう一人のわたしを見遣る。もう一人のわたしも、こっちを見つめている。

 もどかしい。こっちのわたしがクリーチャーなのに、それはわたしが一番よく分かってるはずなのに、それを証明できないなんて……

 わたしが鳥さんに頼らず、クリーチャーと戦えたら、こんなことにもならなかったのに……

 

「……どうやって、見分ける……?」

「そうだね。しかしどうやって見分けるべきか……古典的だが、いくつか質問してみよう。小鈴しか知らないことを聞いてみれば、ボロを出すかもしれない」

 

 わたしが沈んでる間にも、みんなは本物のわたしを探り当てようとしてくれる。

 わたしだけじゃ、本物のわたしを証明できない……悔しいけど、みんなを信じて任せよう。

 

「じゃあ、ボクから行こう。小鈴、君のお姉さんの名前は?」

『えっと、伊勢五十鈴、だよ』

「……期末テストの……平均点」

『確か……92点、だったかな?』

「昨日のお昼はなにを食べました?」

『昨日は購買で3割引きだったから、サンドイッチとレーズンパンと蒸しパンケーキを二つずつ食べたよ。おいしかった』

「上から?」

『えっと、きゅう……って、なに言わせるの!?』

「反応がまったく同じだ……」

「判別……つかない……」

 

 わたしもビックリした。

 こっちのわたしは、わたしと同じことを言ってるし、わたしのことも全部知ってるみたいだった。

 今ここにいるわたしという存在、そのアイデンティティが、揺らぎそうだ。

 

「家族の名前とか、身体のサイズならまだしも、テストの点数とか昨日の昼ご飯まで知ってるってことは、記憶もコピーできてるってことなのかな?」

「加えて、それらに対する反応まで同じってことは、単純に小鈴の脳内をコピーしているんじゃなくて、それらについて“どう思っているか”まで理解しているっぽいな」

「どう思ってるか、ですか? どういうことですか?」

「小鈴の感情さえも理解しているということだ。健啖家であるとか、身体にコンプレックスがあるとか、そういうところまでしっかりと知られてしまっている」

 

 な、なんかそう言われると、すごく恥ずかしいんだけど……

 わたしの色んなところを、あのお医者さんに知られちゃってるってことだよね……やだなぁ、恥ずかしいなぁ……

 

「意識感覚までコピーしているとなると、相当難しい。すべて演技なんだろうけど、再現度が高すぎる……」

「演技ってことは、その知識に対して「こう反応する」っていうのがわかってるから、そういう反応ができる、ってことだよね」

「あぁ、たぶんね。だから、本物の小鈴じゃないと再現できない反応とか、わかってても再現できないとか、再現しきれない反応、みたいなものがあれば、判別可能なのかもしれないけど……即席で行うには難易度が高すぎる」

「本人がめっちゃ複雑な感情を持ってたりとかすればいいってこと?」

「まあ、端的に言えば……小鈴自身がコントロールしきれないような感情の揺さぶりをかけられれば、あるいはと言ったところだと思う」

「うーん、小鈴ちゃんは素直だからなぁ」

「どうすればいいんでしょう……」

「そもそも理屈と仮定の話だから、実際にどうすればいいのか、皆目見当がつかないな」

「制御できない感情ねぇ。小鈴ちゃんを怒らせるとか?」

「小鈴をか? それはそれで難しいな……どうしたら怒るんだ?」

「え? うーんっと……小鈴ちゃんの身体のサイズを大声で叫び散らすとか?」

『やめてやめてやめて! それだけはやめて! みのりちゃん! お願いだから!』

「……怒るっていうか、羞恥のあまり自殺しそうなんだが……」

 

 二人がかりでみのりちゃんの口を塞ぐわたしたち。相手はわたしの言動を完全にコピーしたわたしだから、無駄に連携が取れてしまっています。

 それにしても、怒る、かぁ。

 自分でも怒った経験はあんまりないっていうか、怒るってどういうことなのか、よくわからないっていうか、怒れないっていうか……

 ……記憶にある中で、わたしが明確に“怒り”を感じたのは、あの時ぐらいかな。

 なっちゃん――『バンダースナッチ』ちゃんと初めて出会った、あの日。

 わたしの大切なものを傷つけられて、失ってしまった、あの出来事。友達との思い出、繋がりを、文字通り引き裂かれたあの時。

 自分でも驚いて、戸惑うくらい、あの時は激情に突き動かされた。頭の中が一つのことでいっぱいになって、他になにも考えられなくなった。

 あんなのはもう懲り懲りだけど……今はあの感情が必要、なのかな……

 でも、必要だからって、意図的に怒れるわけがない。

 

「そもそも、そんな簡単に怒らせることができるのなら、その程度の怒りでは再現されてしまう可能性が高いな」

「そう?」

「そうだろ。だって、実子のセクハラにもあの反応だよ。ちょっとやそっとの感情の揺さぶりは、効果なさそうだ。もっと複雑な感情じゃないと」

「複雑な感情? 具体的には?」

「それがすぐに出たら苦労しないよ」

「なにそれ、完全にお手上げじゃん」

「あぁ、非常に困った。降参なんてできるわけもないんだが、解決の糸口は見えても、そのための手段が致命的に見つからない……」

「ど、どうしましょう……! このままじゃ、トリさんが……」

 

 こうしている間にも、鳥さんの身体には毒が回っていく。

 早くしないと、鳥さんが危ないし、クリーチャーも倒せなくなっちゃう。

 

「……複雑な、感情、か……みのりこ」

「ん? なに?」

「携帯……貸して……」

「別にいいけど、なにに使うの?」

「持ち物で判別するのか?」

「でも、小鈴さんのカバン、ここにありますよ?」

「衣装もそっくりそのままコピってるし、意味なくない?」

「ん……まあ……ここでごちゃごちゃ、言ってても……なんにも、ならないし……それなら……やるだけ、やってみる……」

 

 恋ちゃんはみのりちゃんの携帯を借りて、なにか操作している。誰かに電話をかけているみたいだけど、誰だろう?

 それに今、さり気なくスピーカーにしたけど、なにをするつもりなのかな?

 

「こすず……はい」

「はい、って……」

「言われても……」

 

 恋ちゃんは、わたしたちに携帯を差し向ける。

 わたしたちに手渡そうとしているのかもしれないけど、どっちに渡そうとしてるの? そもそも、通話相手は誰?

 差し出された携帯をどうするべきかわからなくて、まごまごするわたしたち。その間もコール音が鳴り続けていて、そして――遂に、その相手が受話器を取った。

 

 

 

『もしもし。剣埼です』

 

 

 

 そしてそれは、予想だにしない相手。

 わたしの胸の内でずっと燻っていた気持ちに、また火を投げ込まれる。

 ずっと昔のあの時。デュエマを教えてもらったあの時。

 そして、わたしが狂ってしまった、あの時。

 すべての記憶が、気持ちが――溢れた。 

 

「せ、先輩!?」

 

 吃驚。感情の揺さぶりと言うなら、これ以上のことはないのかもしれない。

 自分でもわからないくらいに気が動転している。あの時、わたしの本心で、本意だけど、望まなかった、ある意味では望んでいた、あの出来事。

 やってはいけないけれど、そうしてしまいたいと思った自分がいる羞恥。それでいてそうしたいという衝動。あの時のわたしは狂っていた。おかしかった。

 あの時の恥ずかしさを、自分のはしたなさを、みっともなさを、見つめたくなくて、思わせたくなくて、思い出したくなくて、あえて避けていたのに。ずっと声も聞かないようにしていたのに。

 電話越しの音声とはいえ、それを、聞かされてしまった。

 それゆれにわたしは、それを思い出した。思い出されてしまった。だからパニックになる――けれど。

 “本物のわたし”にとって、あの人の存在は、もっと大きい。

 

 

 

「せ、せせせせせ――先輩……っ!?」

 

 

 

 呂律が上手く回らなくなるほどに。ついでに目は回ってるし、天地がぐらつくくらいによろめいてしまっている。

 わたしは一瞬で、冷静さを失ってしまった。

 そして、

 

 

 

「――見つけた」

 

 

 

 わたしのすぐ横に、恋ちゃんがいる。

 もう一人のわたしの襟元を掴んで、鋭い視線で、見上げている。

 

「これ……返す」

「ええ、ちょ、え?」

 

 みのりちゃんに向けて、携帯を放り投げる恋ちゃん。

 久々の先輩の声に気が動転してしまっているわたしは、もうなにがなんだかしっちゃかめっちゃかで、わけがわからない。

 落ち着いて状況を確認する暇もない。ただ見えたのは、恋ちゃんの手に握られたデッキケースだけ。

 

「もう……逃がさない」

 

 そして、そんな恋ちゃんと、もう一人のわたしが、いつ通りの、あの不思議な空間に、飲まれていく――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――こっちでも、ちゃんと、開けるんだ……よかった……安心……」

「なにが安心、でしょうか。こちらはあの鳥を封殺して安心していましたが、その安心を裏切られましたよ。いえ、それ以前に、まさか私の変装が見破られてしまうとは思いませんでした。肉体、記憶までは良いですが、完全な人心偽装までは遠いですね。人間の思慕の念とは、理解を超える大きな情感なのですね」

「どうでもいい……それより、あの焼き鳥に、なに、打った……?」

「なに、麻酔のようなものですよ。もっとも、私の界隈における麻酔ですけども」

「……どういう、意味……?」

「我ら闇文明にとっては、死と休眠は同義、ということです。墓場は寝室、柩は寝台、墓石は枕、念仏は子守唄です。一休みするために殺され、眠れないからと自死します」

「…………」

「それに、そもそもの話、強すぎる麻酔は毒と同じですからね。というより、あれは鎮静効果のある毒物なんですけども。効き目は遅いですが、じっくりと時間をかければ、確実に殺しますとも。えぇ、あの鳥が如何なる種であろうとも、確実にね」

「毒……」

「ゆえに、私を倒そうがどうしようが、解毒されることはありません。あれは私が調薬しただけであって、私の力そのものではありませんからね」

「そう……まあ、藪医者に……解毒剤とか、なんて……期待、してないけど……」

「む、失礼な令嬢ですね。私が作った毒なのですから、当然、それに対する処方箋はありますとも。毒とは、それを滅するものも同時に作らなくては意味がないですからね」

「……そう」

「ひょっとして、私を倒せば解毒剤が手に入るとでもお思いで? それはとんだ自信過剰ですよ。あなたも、私のサンプルに成り果てるだけです。無意味なことですよ」

「……言ってろ」

 

 

 

 ――ちょっとずつ、落ち着いてきた。

 どうやら恋ちゃんは、先輩の声でわたしの心を揺さぶって、判別しようとしたみたい……ちょっとひどいけど、でも、ありがとう恋ちゃん。

 恋ちゃんのお陰で、お医者さんとの戦いの場は用意できた。

 だからあとは、恋ちゃんがお医者さんを倒してさえくれれば……!

 

「呪文《フェアリー・ライフ》……1マナ加速……エンド」

「私のターン。2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚です。二枚引き、二枚捨て、ターンエンド」

 

 

 

ターン2

 

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

闇医者

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:2

山札:26

 

 

 

「私の、ターン……4マナで《ドンドン吸い込むナウ》……」

 

 その呪文を唱えた瞬間、風が吹き、恋ちゃんの山札が舞い上がる。

 宙を渦巻く五枚のカードを見つめながら、恋ちゃんは思案するように、視線を彷徨わせる。

 

(相手のデッキ、よくわからない……墓地には《サイクリカ》と、《アツト》……墓地ソース、ではないっぽい、けど……呪文、使うなら……ロマノフ……? ミシェルみたいなの、かな……)

 

 やがて、周囲を回るように舞うカードを一枚抜き取る。

 

「……《ボーイズ・トゥ・メン》を、手札に……バウンスは、しない……エンド」

「私のターンですね。3マナで《ボーンおどり・チャージャー》を唱えましょう。山札から二枚を墓地へ」

 

 お医者さんは、山札を掘り進んでいく。

 そしてこの時、墓地のかれたカードが反応を示した。

 

「おや、《イワシン》が落ちましたね。では《一なる部隊 イワシン》の能力起動。この雑魚がどこからでも墓地に落ちた時、一枚引き、一枚捨てます。《ダークマスターズ》を墓地へ」

「《ダクマ》……やっぱ、ロマサイ……?」

「これで私もターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:26

 

 

闇医者

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:5

山札:22

 

 

 

「5マナ……呪文《ボーイズ・トゥ・メン》……一応、クリーチャーを。タップ……一枚ドロー、1マナ加速……ターンエンド」

 

 いまいちおとなしい恋ちゃん。

 着々と進んではいるっぽいけど、それも順調とは言い難く、動きは鈍いように見える。

 一方でお医者さんは、スムーズに準備できてるっぽい。

 だけどここで、彼は奇妙な動きを見せた。

 

「私のターン……おや、ここで引きましたか。では一応、使っておきましょう。5マナをタップ。双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)

 

 お医者さんの後ろで、黒い影が蠢くのが見えた。

 闇の魔手が、なにかを求めるように、蠢動している。

 

「呪文《地獄のゴッド・ハンド》です。相手クリーチャーを破壊できますが、対象はいませんね」

 

 え?

 破壊できるクリーチャーがいないのに、呪文を唱えた……?

 なんで、そんな意味もないことを……?

 

「……? 空撃ち……? あやしい……」

「これもまた重要な手術工程の一つ。ご安心なさい、私は失敗しません。ターンエンド。あなたのターンですよ」

 

 

 

ターン4

 

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:3

山札:23

 

 

闇医者

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:6

山札:22

 

 

 

「……《音感の精霊龍 エメラルーダ》を、召喚……シールドを一枚、手札に……その後、手札を一枚、シールドに……ターンエンド」

 

 マナがそれなりに増えてきたけど、恋ちゃんはまだ、あまり動かない。

 やっとクリーチャーを召喚して、シールドとカードを入れ替えたみたいだけど……なんだか出遅れているような気がするよ。

 

「遅いですねぇ。準備というものは大切ですが、治療も手術も、迅速に行わなければ」

「お前だって……別に、速くない……」

「いえいえ。準備は念入りに、確実に、無駄なく最低限で済ませますとも。ここまでの流れは最速かつ円滑。そして、オペを開始してからは迅速です。えぇ、即座に終わらせますとも」

 

 流暢に言ってお医者さんは、メスを取る。

 そして、腹を裂くように、暗く深い闇の底へと、刃を差し込んだ。

 

「6マナで呪文《戒王の封(スカルベント・ガデス)》!」

「ここで……?」

「まだお気づきになられませんか。まあいいでしょう。《戒王の封》の効果で、墓地のコスト8以下の闇のクリーチャーを蘇生させます」

 

 封を切り、開かれた深淵への扉。

 そこから、産み落とされず、救い上げられた赤子の如く、闇を纏った者が、這い上がる。

 

 

 

「オペを開始します――《龍装医(りゅうそうい) ルギヌス》!」

 

 

 

 ハサミ、注射器、メス……様々な医療器具を持つ、数多の魔手。

 龍の骨をその身に纏った、凶悪で、狂った鬼の医者。

 《龍装医 ルギヌス》――これが、あのお医者さんの正体……!

 

『《ルギヌス》の能力発動です! 墓地のコスト7以下のクリーチャーを蘇生。さぁ、蘇りなさい! 《龍素記号Sr スペルサイクリカ》!』

 

 お医者さんは、墓地から拾い上げた死体に、注射する。

 すると、その直後、死体は跳ね上がるように動き出して、バトルゾーンへと降り立った。

 

「《サイン》と同じ、リアニメイト……」

『ちょっとした気付け薬と、龍素のエッセンスを打っただけですよ。それでは《スペルサイクリカ》の能力で、墓地の《戒王の封》を再び詠唱!」

「っ」

 

 さっき唱えたばかりの呪文が、唱え直される。

 そして開くのは、戒めの王が封じた門扉。それが、再び開く。

 

「双極・蘇生召喚! 《ルギヌス》をバトルゾーンへ呼び戻し、そしてその能力で《轟改速(ごうかいそく)(エックス) ワイルド・マックス》を蘇生!』

 

 二人目のお医者さんがバトルゾーンに戻って来る。

 そして今度は巨大なチェーンソーと丸鋸で、ガリガリガリ! と嫌な音を轟かせながら、巨大なバイクのような機械が、バトルゾーンに引き上げられた。

 す、すごい……たった一枚の呪文から、コスト7以上の大きなクリーチャーが、一気に四体も……!

 

「……さっき、空撃ち、したのって……」

『今更ながらに理解が及びましたか。無論、私が墓地で準備するためです。それではいよいよ、執刀の時間ですよ。身体の隅々まで、文字通り切り開いて差し上げましょう!』

 

 お医者さんが、再びメスを執る。

 だけどそれは治療のためではない。

 切り裂き医(ジャック・ザ・リッパー)としての、執刀だ。

 

『《ワイルド・マックス》の能力で、私のクリーチャーはすべてスピードアタッカー! よって《ルギヌス》で攻撃! その時にも、能力発動! 墓地の《ダークマスターズ》をバトルゾーンへ!』

 

 またしても墓地のクリーチャーが蘇る。今度は、真っ黒な悪魔のような龍。

 そのクリーチャーは恋ちゃんの背後を取ると、その手札を覗き込んだ。

 

『カルテをください。あなたの手札情報を閲覧させてもらいましょう……えぇ、勿論、すべて捨ててしまいますがね!』

 

 直後、恋ちゃんの手札が吹き飛んだ。

 《超次元ホワイトグリーン・ホール》《母なる星域》《怒流牙 サイゾウミスト》……ボロボロと、恋ちゃんの手からカードが零れ落ちる。

 

「シノビが……」

『さぁ、Wブレイクです!』

「……っ」

『続けて《ワイルド・マックス》でも攻撃! もはやカルテを見るまでもありません。その二枚の手札を墓地へ!』

 

 シールドブレイクで手札が増えても、その手札さえも、叩き落とそうとする。

 巨大な髑髏が叫び、悲鳴のような轟音が響き渡る。その絶叫が、恋ちゃんの手札をさらに食い破るけど、

 

「舐めんな……《時の秘術師 ミラクルスター》の、マッドネス……っぽいの。墓地の《ライフ》《星域》《ホワイトグリーン・ホール》《ボーイズ・トゥ・メン》を回収……」

『おやおや、手札が増えてしまいましたか。これは想定外。しかし、手術の成功の可否にはさして関係ありませんね。いくらノイズを紛れさせようが、最後に解体されていれば良しです』

 

 マッドネス……確か、手札破壊された時に発動する能力だったよね。

 あの《ミラクルスター》は確か、墓地からコストが違う呪文をそれぞれ手札に戻せるクリーチャー……これで恋ちゃんの手札が回復したね。

 だけど、手札が増えても、攻撃は止まらない。

 お医者さんは容赦なく、恋ちゃんのシールドを粉砕する。

 

『手札が戻ろうと、攻撃は続きますよ。《ワイルド・マックス》でWブレイク!』

 

 バイクの前面に付けられたドリルが、恋ちゃんのシールドを突き破る。

 手札は戻ったけど、これでシールドは残り一枚。シノビが手札に加わったわけでもないし、恋ちゃんがピンチなことに変わりはない。

 恋ちゃんは焦った様子を見せないけど……だ、大丈夫かな……

 

「……S・トリガー、《フェアリー・ライフ》……マナ加速、しとく……」

『もう一体の《ルギヌス》でも攻撃! その時に、墓地にクリーチャーがこれしかいませんので、一応《アツト》を呼び戻しておきましょう。それでは、最後のシールドをブレイクです!』

 

 恋ちゃんの最後のシールドが破られる。

 お医者さんの攻撃可能なクリーチャーは、まだ四体も残っている。《ワイルド・マックス》を除去するとか、なにかしらのS・トリガーで攻撃を止めないと、恋ちゃんが負けちゃう……!

 ……あれ? でも、あのシールドって確か、《エメラルーダ》で入れ替えたシールド――

 

「……かえって、最後で……よかった、のか、なんなのか……」

『はい?』

「まあ、いいか……スーパー・S・トリガー」

 

 恋ちゃんの手の内が、光る。

 そして、そこから、一枚のカードが飛び出した。

 

「こっちも……ドラゴンギルドで、対抗――《龍装者 フィフス》、召喚」

 

 飛び出した……けど。

 コスト5の、大きいとも小さいとも言えない、中途半端なクリーチャー。

 だけど、お医者さんの場に立ち並ぶクリーチャーたちと比べれば、ずっと小さい。

 こ、こんなクリーチャーで、残りのクリーチャーの攻撃を止められるの……?

 

「《フィフス》の、スーパー・S・トリガーの能力……私のクリーチャーはすべて、ブロッカー……あと、このターン……離れない」

『成程。面白い防御手段を持っているようですね。しかし、それでもあなたのブロッカーは二体。私の攻撃可能なクリーチャーは残り四体。私の攻撃は、その防御を貫きますよ』

「それ、フラグ、だから……《フィフス》の能力……本来の能力……手札から、コスト3以下の呪文を、唱える……」

『たかだかコスト3以下でなにをすると?』

「……これ」

 

 ブロッカーの壁はあまりにも薄く脆い。お医者さんの言う通り、軽く貫かれてしまうほどに。

 でも、恋ちゃんはまだ、負けを認めていない。

 小さく、か細く、けれどもハッキリと、透き通る声で。

 手にした呪文を、唱える。

 

 

 

「《母なる星域》」

 

 

 

 恋ちゃんの場とマナを覆うように、それぞれの場所に星が瞬いたような紋章が浮かび上がる。

 この呪文は……

 

「《星域》で、《フィフス》を、マナに……いかないけど……で、マナの数以下の……コスト8以下の、進化クリーチャーを……踏み倒す」

 

 恋ちゃんのクリーチャーが紋章の中に吸い込まれそうになるけど、《フィフス》がそれを防ぎ、バトルゾーンに繋ぎとめる。

 その刹那――音が聞こえた。

 静かに、確かに、一定のペースで、止まることなく、時を刻む音が。

 チク、タク、チク、タク、と。

 時計の針が進んで、そして止まる音が。

 

「《フィフス》を……進化」

 

 星の煌きのような光の中で、龍の骨を纏った仮初のドラゴンは、進化する。

 本物の龍へと昇華し、その世界を築くために――

 

 

 

「私の世界の時間が止まる――《時の革命 ミラダンテ》」

 

 

 

 ――それは、荘厳で、神々しくて、キラキラした……とても、きれいなクリーチャーだった。

 一角獣(ユニコーン)のような角。天馬(ペガサス)のような翼。純白の毛並に、鎧。そして金色に輝く(たてがみ)

 そして、最も目を引くのは、鎧と共にある、赤い薔薇があしらわれた時計盤。

 すべての時間を支配すると言わんばかりの、神秘的で神聖なそのクリーチャーは、そっと、静かに恋ちゃんの前に立った。

 

「お前の時間は、終わり……《ミラダンテ》の能力、発動……相手クリーチャーを、すべて……フリーズ」

『な……っ!?』

 

 《ミラダンテ》がいななく。美しい讃美歌のような、歌うような咆哮を合図とするかのように、光る鎖が、お医者さんのクリーチャーをすべて、縛りつけた。

 まるで植物のツタのように。生い茂る茨のように、鎖は相手のクリーチャーを捕縛し、締め上げる。

 動きを封じて、二度と起き上がれないように。

 

『……まさかそのような方法で攻撃を止めるとは。致し方ありません。ここはターンエンドです……!』

 

 

 

ターン5

 

場:《エメラルーダ》《ミラダンテ》

盾:0

マナ:7

手札:4

墓地:5

山札:21

 

 

ルギヌス

場:《ルギヌス》×2《ノロン⤴》《サイクリカ》《ワイルド・マックス》《ダークマスターズ》《アツト》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:18

 

 

 

 まさか相手のターンに進化クリーチャーを出して、その能力で攻撃を止めちゃうなんて……

 恋ちゃんの守りの堅さが、こんな形でも現れるだなんて、驚いた。

 そして恋ちゃんの、防御であり、攻撃でもある“支配”は続く。

 

「《超次元ホワイトグリーン・ホール》……《プリンプリン》を出して、マナの《星域》を、回収……3マナで《母なる星域》。《プリンプリン》を、マナへ」

 

 再び星の紋章が輝いて、恋ちゃんのクリーチャーが今度こそマナに――行ったけど、一瞬で超次元ゾーンに戻っていった――送られ、またしてもマナゾーンから進化クリーチャーが呼び出される。

 

「……本当は、《アルファリオン》が、良かった、けど……しかたない、か」

 

 嘆息気味に呟いて、恋ちゃんは、マナのクリーチャーを解き放った。

 

「《エメラルーダ》を、進化……《聖霊龍王 アルカディアス(ディー)》」

 

 また、光のドラゴンだ……こっちも、あんまりドラゴンっぽい見た目じゃないけど。

 恋ちゃんの場にクリーチャーは二体。数ではお医者さんに負けてるけど、一体一体からは、すごい力を感じる。

 

「フリーズの継続は、1ターン……光の呪文、止まらない、けど……青黒赤で、この状況、返せるカード……たぶん、ない……《アポカリ》なんて知らない……《ミラダンテ》で、Tブレイク」

 

 恋ちゃんは恐れず、前に出る。

 空を翔ける龍馬は光の軌跡を描き、お医者さんのシールドを三枚、突き破った。

 だけど、そのうちの一枚が、光の束となって収束する――

 

『S・トリガー《終末の時計 ザ・クロック》! 貴様の時間は終了――』

「うごくな」

 

 ――ピシッ。

 静止。あらゆる動作が、流動が停止して、無と静の空間が構築される。

 

「めざわり……時間が止まってるのは、お前……終わってるのも、お前……私の支配は……私の世界の構築は、もう始まってる――終わってる」

『なに……?』

「……《ミラダンテ》の革命0……発動」

 

 停止した時間。静止した空間の中で、光の鎖がお医者さんを縛る。

 数多の腕を、脚を、身体を、固く縛りつける。

 そうすることで、あらゆる動きを、許さない。

 

「私のシールドが、一枚もない、時……お前は、クリーチャーを召喚、できない」

『召喚、できない……!?』

 

 鎖で縛られているせいで動くことができないお医者さんは、吃驚の表情を見せる。

 召喚ができないということは、S・トリガーは使えない。シノビも、S・バックもできず、クリーチャーによる防御手段はほとんど封じられてしまう。

 そして当然、次のターンに反撃の手を伸ばすこともままならない。

 

「ん……《メメント》、あるかも……? ……じゃあ、エンドで」

 

 恋ちゃんはふと別の可能性に思い至ったようで、そこで攻撃をやめてしまう。

 けれども、それでもなにも問題はなかった。

 なぜなら、お医者さんの身動きは、光の鎖によって封じ込められているから。

 

『クリーチャーはすべてフリーズしている上に、召喚もできない……コストの制限もなく、問答無用とは……!』

 

 バトルゾーンのクリーチャーは完全に機能停止。手札から増援を呼ぶこともできない。

 そんなお医者さんがもがき、取ろうとする一手は、ただ一つ。

 唯一動かすことのできる口を開いて、言の葉を紡ごうとするけど――

 

『ならば、呪文だ! 双極・詠唱《地獄のゴッド・ハンド》! 《ミラダンテ》を破壊――』

「だまれ」

 

 ジャラジャラジャラ!

 再び鎖が叫ぶ。そして、お医者さんの頭を、口を、縛りつけ、締め上げる。

 口腔を破壊するような勢いで、言葉を紡ぎ、文言を唱えることさえも、封じ込めてしまった。

 

「うるさい……《アルカディアスD》の、能力で……光以外の、呪文……禁止」

『む、ぐうぅ……!』

「言ったはず……私の世界はもう、築かれ……完成してる」

 

 クリーチャーは攻撃できず、召喚は禁止され、呪文を唱えることさえできない。

 腕、脚、身体、口。

 あらゆる箇所が縛られ、締められ、束縛されてしまったお医者さん。

 正に手も足も、口さえも出せず、身動きを封じられた。

 完全に、なにもできない状態だ。

 どうすることもできず、動けないその姿は、まるで。

 時間が止まってしまったかのようだった。

 すべてが停止したその世界で動けるのは、世界の主ただ一人。

 そしてその主は、可憐で小さな女の子。

 彼女はその停止した世界の始まりと共に、彼に終焉を告げる。

 

 

 

「ようこそ――“私の世界”へ」

 

 

 

ターン6

 

場:《アルカディアスD》《ミラダンテ》

盾:0

マナ:6

手札:3

墓地:7

山札:20

 

 

ルギヌス

場:《ルギヌス》×2《ノロン?》《サイクリカ》《ワイルド・マックス》《ダークマスターズ》《アツト》

盾:2

マナ:7

手札:5

墓地:2

山札:17

 

 

 

 もはや、この対戦の場は、完全に恋ちゃんの世界と化していた。

 すべての権限は彼女が握っており、支配権は彼女だけが有している。

 彼女が許さない限り、動くことも、生み出されることも、喋ることすらも禁じられる。

 完全に統制され、封殺され、なにもかもが禁じられた、閉鎖的な空間だ。

 

「……《アルカディアスD》」

 

 恋ちゃんは呪文を封じる《アルカディアスD》に、呼びかけた。

 その瞬間、お医者さんの口を縛る鎖が、解き放たれた。

 

「……解毒剤とか、ある……?」

『それを聞いて、どうするというのです?』

「いいから言え……」

『ぐぅ!』

 

 ギリギリギリ、とお医者さんの身体を縛り付ける鎖が、さらにその身体を縛り上げる。

 光の鎖には、なにか赤黒いものが垂れ始め、異常なほどに黒い身体に食い込む。

 それは、少し、見ていられないというか……とても、痛々しかった。

 

『はっ、ふぅ……それを言って、私にメリットはあるのでしょうかねぇ……?』

「お前の処遇、それで決まるから……苦しみたく、ないなら……とっとと言え……」

『ぐぅ……左様ですか。しかし、可愛い顔をして、存外、残酷ですねぇ』

「……私は、一度、間違った……今更、自分の過ちを、なかったことになんて……できない、から……手が、汚れるくらい……どうでもいい……」

『成程、よくわかります。一度手を血に染めてしまえば、何度赤くなろうとも関係ないですからねぇ。前科とはいくら積み重ねても、そう変わるものではありません。ならばいくらでも重ねて、勝手気ままに犯すのがより良い生き方と言えるでしょうね』

「うるさい……余計なこと、喋んな……」

『がふっ!』

 

 饒舌に喋るお医者さんを黙らせるかのように、さらにギリギリと締め上げる恋ちゃん。

 ちょ、ちょっと、怖いよ……

 ……だけど、今の恋ちゃん。こか苦しそうだし、悲しそう……

 なんで……どうして、そう見えるんだろう……

 

「時間を稼ぐな……解毒剤、どこ……?」

『それで私は解放されるんでしょうかね? 条件次第では、いくらでもお教えしますが?』

「……わかった。約束、する」

『いいですね、契約をよく理解している良い娘です。では、まずは右腕を解放してもらいましょう』

「右腕って……どこ……?」

『あなたから見て右側です』

「いや……そうじゃなく……」

 

 腕が何本もあるから、右腕と一口で言われても、どの右腕わからない。

 いくらなんでも、全部を解放するなんてできないし……

 なんてことを考えながら、二人の間でもう二、三の言葉が交わされた後、お医者さんの腕の一本が解放された。

 

『ふぅ、痛いですね。メスが握れなくなったらどうするというのでしょう』

「…………」

『おっと、お嬢さんの視線が痛いので、私も契約に応じるとしましょうか。これですよ。解毒剤……というよりは、血清に近いものですが、これであの鳥に打った薬の効果を、打ち消すことができるはずです』

 

 コロコロと、解毒剤が入ってるらしき注射器を転がすお医者さん。

 恋ちゃんはそれを拾い上げると、訝しげにお医者さんを見つめる。

 

「……本当に?」

『本当ですとも。ここで欺瞞を働けば、私の命が危ういですからね』

「なら、とりあえず……お前に一発、刺しておくか……」

『別に構いませんよ? 毒素を滅する類のものではなく、あくまで抗体を作るものですからね。私の免疫力が上がるだけです』

「……やっぱ、いい」

 

 どうやら恋ちゃんは、お医者さんのことを疑ってたっぽいけど、最終的には信じたっぽい。

 なにを根拠に信じたのかはわからないけれど、なんだか恋ちゃん、クリーチャーを相手にするのに慣れてる感じがある……気のせいかな?

 

『契約成立です。さぁ、早くこの束縛を解放してください。あぁ、勿論、あなた方にはもう手は出しませんよ。私だって命は惜しい。医者は自分の身体だけは手術できませんからね。人間の中には、自らを手術する狂気の医者がいるようですが。ブラック・ジャック、とかいいましたか? 頭おかしいですよね」

 

 また饒舌になるお医者さん。

 解毒剤と引き換えに、恋ちゃんの拘束から逃れられるとわかって、安心し、喜んでいるみたい。

 ……だけど、

 

「《アルカディアスD》……《ミラダンテ》……」

『むぐぅ!?』

 

 光の鎖が、お医者さんの口と、解放された腕を今一度、縛りつける。

 お医者さんは怒り狂った形相で、もがもがと鎖で抑え込まれた口を動かす。

 

(なにをする! 話が違うではないか!)

「なに、言ってるか……わかんない、けど……私は、お前の解放は、約束した、けど……見逃すとは、言ってない……というか、あんなことして……許すわけ、ない……」

(小娘が! 私を謀るとは……! そもそも、解放すらしてないではないか!)

「お前は、見てて不愉快……凄く、不愉快……イライラ、する……」

(そんなに私のオペが気に喰わないか! 貴様、そんな善人ぶった思考で、私を甚振るのか! 偽善者め!)

「違う。お前の犯行が、じゃない……残虐でも、そんなものは、私にとっては、どうでもいい……」

(では、なんだと言うのだ!)

 

 相変わらずもがもがと口を動かすだけのお医者さんの声は、まったく言葉になっていなくて理解できないけど、恋ちゃんはそれをちゃんと聞き取っているように、クリーチャーの声を理解しているかのように、言葉を紡いでいく。

 

「私が、許せないのは……たった一つ、だけ……お前が、こすずの姿に、化けたこと。それを、利用しようとした、こと……こすずの中を、のぞいたこと……その、すべて」

 

 いつもと変わらない無表情。静かで、澄んだ声。

 だけど、その言葉には、いつもはない“熱”がこもっていた。

 それは、いつもの冷ややかな恋ちゃんとは違っているけれど。

 いつもの恋ちゃん以上に冷徹で、少し、怖かった。

 

 

 

「闇医者風情が……私の“ともだち”を――穢すな」

 

 

 

 刹那。

 光の熱線が、残ったお医者さんのシールドをすべて、焼き払った。

 

「《アルカディアスD》……Tブレイク」

(ぐっ、《クロック》《戒王の封》……!)

「だから……無理」

 

 砕かれた二枚のシールドから、S・トリガーは出たっぽいけど……それも、無意味だ。

 お医者さんの意思で顕現しようとしたクリーチャーも、呪文も、《ミラダンテ》と《アルカディアスD》によって封殺される。

 すべてのシールドがなくなり、お医者さんを守るものは、完全に失われた。

 同時に、お医者さんの口を塞ぐ鎖と、腕を、脚を、身体を縛り付ける鎖が、解き放たれる。

 

「ん、これで解放、した……約束、守ったから……じゃあ」

 

 そして恋ちゃんは、お医者さんに背を向けた。

 

 

 

「……さようなら。死ね」

 

 

 

グサリ

 

 

 

 光の時計針が、縛鎖から解放されたお医者さんの胸を貫く。

 それで、すべてが終わった。

 最後に、恋ちゃんが一言、終わりを告げることで――

 

 

 

「《時の革命 ミラダンテ》で……ダイレクトアタック――」

 

 

 

 ――時が、再び流れ始めた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「…………」

 

 その様子に、呆気にとられてしまった。

 わたしの知らない恋ちゃんの姿。恋ちゃんの一面。あるいは、内面……?

 物静かで、ちょっと口は悪いけど……それでも、心優しい恋ちゃんの、残酷さ。

 いや、これも恋ちゃんの優しさ、なんだろうけど。

 その優しさは、同時に苛烈で、過激で、凄惨でもあった。

 そんな恋ちゃんは、ちょっとだけ怖くて、わたしは口を開くこともできず、呆けてしまっていた。

 

「……終わった……こすず、これ」

「あ、うん……」

 

 恋ちゃんが、注射器みたいなものを渡してくれる。

 これが、鳥さんの毒を治せる解毒剤……!

 

「ごめん……時間、かかった……」

「誤らないで。恋ちゃんがいなかったら、これを手に言入れることもできなかったんだし……」

「そうですよ! 恋さんのお手柄です!」

「……手遅れだったり、これで、騙されてたら……責任、取って……腹、切る……」

「そんなことより、あそこで野垂れ死んでる鳥類に薬を」

「そ、そうだね。鳥さん!」

 

 急いでぐったりしている鳥さんに駆け寄って、恋ちゃんが手に入れてくれた注射器を取る。

 えっと、これを刺して、注射すればいいのかな?

 注射は動脈に刺すものらしけど……鳥さんの動脈なんてわからないし、適当に、首の辺りとかに刺せばいいかな?

 

「鳥さん……えいっ!」

 

 ブスリと注射針を刺して、一思いに、一気にピストンを押し込む。

 ビクンッ! と一瞬だけ、大きく鳥さんの身体が跳ねた。

 そしてしばらく、ピクピクと痙攣したように身体を震わせて……

 

「う……」

「鳥さん! よかったぁ、無事で……」

「あまり、無事ではない気もするけどね……酷く身体が重いんだが……いや、でも、そうか。思い出した。随分と迷惑をかけてしまったみたいだね。ごめん」

「本当だよ、もう……」

 

 でも、鳥さんが無事で、本当によかったよ。

 

「――成程。それはよさそうですね、手軽ですし。じゃあ今夜あたり試してみます。はい。ありがとうございます。じゃあ、また」

 

 後ろで、ピッ、と電子音が聞こえる。

 見ればみのりちゃんが、携帯をポケットに仕舞っていた。

 

「で、実子はなにを話してたんだ?」

「今日の晩飯について。安くて簡単なレシピを教えてくれた」

「主婦かよ……」

「剣埼先輩に繋いだまま携帯放り投げたの日向さんじゃん。マジで相手する時ビビったんだからね。なんか凄い不振がられたというか、不安がられたというか」

「……まあ、みのりこ、だし……いいかなって」

「どういう意味? 日向さんまで私のことそんな扱いなの? 酷いなー」

「でもでも! これでイッケンラクチャク! ですね!」

 

 そうだ。さっきのクリーチャーが、事件の犯人なら、これで全部、解決したんだ。

 鳥さんのことばかり考えてて、すっかり忘れてた。

 

「でも、これ朧さんになんて言おう……」

「犯人を倒して解決したところで、流石にクリーチャーの仕業でした、なんて言えるはずもないしな。黙っていればいいんじゃないか? 犯人が見つからない以上、世間的には不安の種が残るが、そこは仕方ない。尻尾が掴めなくなれば、いずれ向こうも諦めるだろう」

「なんだか悪い気がするなぁ」

 

 まあでも、これで事件が解決したのなら、それでいいのかな。

 わたしたちだけが事件の真相を知っているというのも、隠し事してるみたいで、後ろめたいけれども……

 

「なにを言ってるんだ、君たちは。まだ終わってないよ」

「え?」

「まだこっちに流れたクリーチャーはわんさかいる。あの闇医者だけが事件を引き起こしているわけじゃないんだよ」

「あ、そっちか。そうだね、うん」

 

 そう言えば、鳥さんがしばらく来ない間に、この町にはクリーチャーがたくさん居着いたって言ってたね。

 ってことは、また今までみたいな生活の始まりかぁ……

 ……そうだ。

 

「ねぇ、鳥さん」

「なんだい、小鈴」

「ちょっと、提案があるんだけど――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――『ヤングオイスターズ』、進捗はどうだ?」

「全然だぜ、帽子屋のダンナ。それらしいものはちらほら見つかるが、ダミーっつーか、的外れっつーか、勘違いっつーか……まあ、ハズレばっかだ」

「そうか」

「そもそも、ワタシはこーゆーの苦手なんだよ。アンタもそれは知ってんだろ」

「無論だ。しかし、貴様は、“貴様だけではないだろう”?」

「……ウチの弟妹(ガキ)を、危険に晒せるかってんだ」

「別に貴様の弟妹を死地に送り込もうなどとは考えていない。ただ、貴様の弟やら妹やらは、その手の作業が専門ではないのか?」

次男(四番目)か。まあ、ワタシもあいつの集積したデータを元に動いてるわけだが……あいつは収集と整理は得意でも、それ以上のことは突出してるわけじゃねーからなぁ。探偵の真似事ってんなら長男(二番目)の方が適任なんだが……」

「なにか不都合でもあるのか?」

「受験だ。大学受験。すげー頑張ってるし、邪魔はできねぇ」

「受験とな。いつ果てるかもわからぬ老い先短い人生で、なにを学ぶというのか。オレ様にはわからんな」

「……おい、ダンナ。アンタでも言っていいことと悪いことがあるぜ」

「おっと、それはすまない。口が滑った。謝罪しよう」

「……まあ、ワタシたちは、アンタらに従ってなきゃ生きられねぇからな。アンタとは、できるだけ良好な関係でいたい。さっきの発言は水に流してやる」

「ありがたい限りだ」

「アンタの言われた通り、これからも捜査は続ける。ワタシたち弟妹の力も、できる限りフル稼働させて力は尽くす……が、保身は優先させてもらうぜ」

「あぁ、それで構わない。貴様らが欠けてしまっても、困るからな」

「……ダンナ。聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「なんだ?」

「アンタ、なんでこんな事件を追っかけてんだ? 前は「寄生した宿主の異常を放置もできんだろう」とか戯言を抜かしてたが……ワタシには、アンタの本心が見えねぇ」

「本心か。だが、貴様に言ったことは嘘ではない」

「じゃあ、あの言葉は真なのか?」

「さてな。まあ、案ずるな。貴様にはいずれ、すべてを話す。貴様は城塞(ルーク)だ、盤上の砦となる」

「……そんでも、今はまだ、話せないっていうのか?」

「そうするべき時ではない、とだけ言っておく」

「ちっ。アンタはいつもそうだ。同胞だなんだと嘯きながら、アンタに縋るしかない連中を、そうやって惑わせる。やっぱアンタはイカレ帽子屋(マッドハッター)だよ」

「褒め言葉として受け取っておこう。しかし、重ねて言う、案ずるな、と」

「…………」

「オレ様はいつだって、我々の繁栄を目指しているさ。貴様らを足切るつもりなどない」

「なら、いいがな……じゃあ、ワタシはもう行く」

「あぁ、少し待て」

「なんだよ」

「貴様、マジカル・ベルと接触したな」

「ん? あぁ、そうだな。“ワタシも”あいつと会ったぜ。バンダースナッチのおもりに夢中で、言い忘れてたぜ」

「それを踏まえ、貴様の行動に一つ、装飾を施してやろう。恐らくは、事件の真相へと踏み込めるであろうよ」

「……なんだ?」

「なに、簡単なことだ。たった一つの、非常に簡単な条件だ――」




 恋の存在というか、立場というか、ってちょっと特殊で難しいから、扱いづらいのですよね……彼女の掘り下げや描写には気を遣います。彼女、たまに変なこと言ってるかもしれませんが、まあ今はスルーしてもいいでしょう。
 次回も『幼児連続殺傷事件』編(仮)が続きます。しばらくこのノリが続きます。最後までお付き合いください。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。
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