また今回もちょっと暴力的なシーンがあるので注意です。具体的には対戦終了直後くらい。
「あー……遂にか」
若垣朧は、ノートPCで掻き集めた情報をチェックする最中、困ったような口振りで、思わず声を漏らした。
可能性としては常に考慮していた。それでも、そうなることはまずないだろうと考えていた。そういう可能性だった。
しかし、可能性はあくまでも可能性。1%だろうが99%だろうが、どちらも起こってしまえば無意味な数字であり、どちらにせよ起こり得ることであるという事実に変わりはない。
それでも、その低い可能性が起こってしまったことに辟易する。
彼の今の情感を一言で説明するなら「面倒くさい」だ。
そうならないだろうというより高い可能性を前提として推し進めてきただけに、別の低い可能性によって、その前提が崩れれば、その前提によって成り立つ様々な計画に狂いが生じる。
その狂いを修正するのが、面倒くさい。
それに、
「これは、本格的に手を引くべきかもしれないなぁ。ここまで身近に危機が迫ると、オレも深追いしたくない」
自衛のことまで、考慮に入れなくてはならなくなった。
元々危険な橋を渡っていたことに変わりはないが、それでもギリギリ、安全圏から調査だったはず。
だが、こうなってしまえば、その安全は保障されない。
「あーあ、未就学児から小学校低学年って話だったはずなのに、だいぶ飛んだなぁ。まあ、相手からすれば誰でもよかったのかな? 最近は事件らしい事件も収まりつつあって、皆の警戒心も薄れてきたもんなぁ」
恨む気はない。余計なことをしてくれた、と思わないでもないが、遅かれ早かれとも思っていた。それは朧にとって、そこまで関心を向けるような事柄ではない。
それでも、自分の計画に狂いが生じた以上、やはり“困った”わけだが。
「いやぁ、困った。まさか――“うちの学校から被害者が出ちゃう”とは」
幼児と違い、傷の程度はずっと浅いようだが――果たしてこれは、報道されるのか。あるいは、報告されるのか。
教師の娘などという絶妙に遠い事柄ではない。彼ら彼女らにとっては、身近も身近、自分たちの生活のすぐそばまで迫ってきているというレベルだ。
しかし人間社会、とりわけ日本という国の社会はおかしなもので、危険をあるがままに伝えないことが往々にしてある。
恐怖による混乱を恐れて、なのだろうか。彼女たちはきっと、正確な情報を得ることはないだろう。
近隣の中学生が襲われた。情報の精度としては、その程度だろうと予想する。自校の生徒とは、明言しないだろう。
「これは伊勢さんに伝えるべきかなぁ? 彼女たちなら身を引くなんてことはなさそうだけど、変に怯えさせるのも怖いし……うーん」
しばし考えて、すぐに結論を出す。
遅かれ早かれ知ることなのだ。ならば、わざわざこちらから伝える必要はない。
ゆえに、
「……ま、聞かれたら答えればいっか」
よく妹たちからは「そういうことするからこズルいんだよ、お兄ちゃんは」とか言われるが、情報の伝達というのは、そういったラインを測り難いものが少なくない。
相手の保有する情報量と演算能力から情報処理能力を測り、さらに求める情報を予測し、その上で最適な情報を伝える……などというのは、理論上はともかく現実的ではない。ノイズの多い人間だからこそ、定められた枠組みのように、型に嵌めた行いを完璧に実行するのは、不可能なのだ。
ゆえに、自分は黙する。必要な時だけ、この口を開くことにする。
不必要に動けば、痛い目を見る可能性が高まるだけ。
それに、
「たぶん……もうすぐ、なんだよな」
それは、自分らしからぬ直感。
若垣朧という個人では、絶対に導き出すことのない、非論理の解答。
最後の最後で、自分ではない自分の力と意志を間借りして、朧はノートPCの電源を落とし、パタンと閉じた。
☆ ☆ ☆
「――つまり君は、その『バンダースナッチ』とやら犯人だと、そう言いたいわけだね」
「う、うん……そう」
こんにちは、伊勢小鈴です。
鹿島先生のお家に訪問した翌日、わたしはみんなに、先生の娘さん――あられちゃん。彼女から貰った絵のことを話した。
そしてその絵に描かれているのは、他でもない『幼児連続殺傷事件』の被害者たるあられちゃんが見た、犯人の姿。
白い髪に、黒いコート。女児のそれと同じ矮躯。
そして、幽霊のような不気味さ。
あの絵に描かれていたのは、そんな女の子――【不思議の国の住人】の一人、『バンダースナッチ』ちゃんじゃ、ないかって。
「……被害者自身からの情報提供は、非常に強力な証拠だ。とはいえ、君は直接その子から「これが犯人の似顔絵です」と言われたわけじゃないんだろう?」
「そうだけど……」
「似ていると言っても、これはあくまで絵、イラストだ。現実をそのままに写す写真などとは違い、平面にデフォルメされて描かれたものだ。それも小学生が描いたというのではな……いくら君が似ていると主張しても、それは恣意的なものじゃないか? それに、そのこのっ精神状態だって不安定らしいじゃないか。ならば、この絵が犯人だとは断定できない」
「それは……そう、かもしれない。でも……!」
少なくともあられちゃんは、嘘は言っていないし、この絵に強く怯えていたんだ。
小さな子が怯える。その原因は、ひとつしかない。
「水早くーん。そんな小鈴ちゃんをイジメめないでよ。ぶん殴っちゃうぞ?」
「虐めじゃない、情報を濾過してるだけだ。小鈴の頭が変なったんじゃないかという確認も含めてね」
「わ、わたし、霜ちゃんにそんな風に思われてたの……? 酷いよ……」
「いや、君もたまにおかしくなって暴走するし……ただまあ、今回はそういうわけでもなさそうだ」
霜ちゃんは、まっすぐにわたしを見て言った。
「最初にこの絵を見せられた時は、気の狂った妄言かと思ったけど……その説自体は一考の余地がある」
「霜ちゃん……!」
「……まわりくどい……最初から、そう言えば、いいのに……」
「水早君って意外と素直じゃないよねー」
「うるさいぞ。なんでもかんでも許容して全肯定していたらキャパオーバーになるだろ」
「それで、結局どーなんですか? 霜さん」
バンダースナッチ……なっちゃんが、今回の事件の犯人じゃないかという説。
霜ちゃんは少し考えてから、口を開く。
「ボクのそのバンダースナッチとやらのことは詳しくないけど……話を聞く限り、狡猾で残忍、そして危険極まりない子供のようだ。小鈴もえらく泣かされたしね」
「そ、霜ちゃん、その話はやめてよ……!」
「あのアヤハとかいうお姉さんも、化物とか怪物とか、帽子屋さんでも手が付けられないだとか、意外と散々なこと言ってたよね」
「あぁ。だから、この事件に相応しいだけの“危険性”は孕んでいると考えていいだろう」
わたしも、なっちゃんのことは詳しく知っているとは言えないけど、でも、あの子は危険だ。それだけは、確実に言える。
「となると次に考えるのは、それが“実行可能”か“実行する動機があるか”だな」
「ハウダニットとホワイダニットだね」
「なにそれ?」
「
犯人の目星はつけた。
なら、次はその目星が真に犯人であるかどうかを検証するのが、
そのためには謎を解かなければならない。この場合、謎とはなにか。
なら、次は犯行の手口、犯行をする理由。つまり、その犯行と犯人を結び付ける要素が不明であり、謎になる。
だから次は、これを探さなくちゃ。
「しかし、ボクらはバンダースナッチという少女について、あまりにも物を知らなさすぎる」
「まあ……まともに、面識、あるの……こすず、くらい……?」
「でも、わたしもなっちゃんのこと、そんなに詳しくはないよ。最後まで、よくわからない子だったし」
「ふむ。ならやはり、こればっかりは、有識者に聞くしかないな」
「ゆーしきしゃ?」
「彼女の仲間だ」
なっちゃんの、仲間。
というと、それは――
「C組に行くよ。もう放課後だが、今ならまだ間に合うかもしれない」
――同じ【不思議の国の住人】だ。
☆ ☆ ☆
「な、なっちゃん、について……です、か?」
1年C組の教室に向かうと、ちょうど帰り支度をしている代海ちゃんを見つけた。
そこで早速、なっちゃんについて尋ねてみる。
すごく言いにくいけど、今回の事件と、その犯人がなっちゃんなんじゃないかということも、合わせて。
代海ちゃんはかなり面食らっているようだったけど、最後までちゃんと聞いてくれた。そして、少し混乱した様子だけど、控えめに、口を開く。
「……えっと、その、い、言いにくい、です、けど……その、あの」
「ハッキリ言って欲しいなー」
「あうぅ……え、えっと、なっちゃんなら……はい、やっても、不思議はない、というか……そ、そういうこともある、かも、しれません……」
「まあ、予想通りか。やはり君たちの中でも、彼女はそういう認識なんだね」
「えぇ……ま、まぁ……で、でも」
「でも?」
「その、あ、アタシたちにも、よくわからないんです、なっちゃんは……人間の模倣に、せ、成功したアタシたちと、違って……な、なっちゃんは、
「思想や思考がずれてる……」
それは、わかるかもしれない。
わたしもなっちゃんとはどこか話が噛み合わない。なっちゃんはわたしを騙していたけども、その偽装の中に紛れた彼女の“素”は、わたしには測り切れないものだった。
それこそ、人ではないもののような。人の姿をした別の生き物と喋っているみたいな。
そんな、ちぐはぐな印象を受けた。
「ふーん。帽子屋さんみたいなもんかな」
「い、いえ……帽子屋さんの“狂い”は、ま、また別、ですけど……」
「しかし頭の中が常人から逸脱しているとなると、動機を予想することもできないな。となると、それができるのかどうか、という話だが……彼女、力は子供そのものなんだろう?」
「は、はい。“中身”はともかく、“外側”はほぼ、人間、なので。ち、小さな女の子と、あ、あんまり変わらない、力、しかないはず、です。でも……」
「でも?」
代海ちゃんは口ごもる。
辛いことを言わせているのは、わかってる。なっちゃんが危ないと言っても、彼女も、代海ちゃんたちと同じであり、仲間なのだから。
それでも代海ちゃんは、言いにくさを振り切って、言ってくれた。
「な……なっちゃんを犯人と言うのは、む、難しい、かなって、思います……けど」
「お? やっぱお仲間だから擁護するんだ」
「みのりちゃん!」
「はうぅ……そ、そう、思われちゃいます、よね……でも、その、ち、ちが、違って……えっと、ちゃんと、理由が……」
「まあ、根拠もなく否定意見を出されても困るからな。で、理由とは?」
「じ、時間が……合わない、と、思うんです……」
「時間?」
「は、はい。あ、アタシたちに、課せられた……活動時間、が」
あ、そうだった。
代海ちゃんたちは、それぞれ制限時間のようなものがある。
普通に生活する上では支障はないみたいだけど、【不思議の国の住人】の人たちは、彼らの制限時間の中でなければ、本来の力を発揮できないのだ。
わたしたちにはピンとこない感覚だけど、代海ちゃんによると、これは彼女たちにとって、結構大きな枷になっているらしい。
「人間を、も、模倣した、代償……です。その縛りは、な、なっちゃんも例外じゃ、ない、ので……時間には、縛られます……」
「その時間内じゃなきゃ、君の異能力めいたものとかが使えないんだったか?」
「厳密、には……人によって、差異がある、の、ですけど……でも、少なくとも……なっちゃんは、時間外では刃を……誰かを傷つける凶器を……ふ、振るいません」
「それは絶対と言えるのか? 本人が隠しているだけで、本当は時間に関係なく犯行可能なんじゃないか?」
「絶対、です……そう、縛られて、います、から……
代海ちゃんは、珍しくハッキリと、断定した。
あの代海ちゃんがここまで言うってことは、きっとなっちゃんの“縛り”というものは、絶対なんだと思う。
「じゃあ、そのバンダースナッチとやらの制限時間って、なんなの? それがわかんなきゃ、判断しようがないじゃん」
「え、えっと、なっちゃんの活動時間、は……あ、アタシや、ネズミくん、帽子屋さんたちのように、固定型じゃ、なくて……蟲の三姉弟さんたちや、ヤングオイスターズの方々の、ように……ひ、日によって、変化、します」
「日によって変わる。そういうのもあるのか」
「は、はい……で、でも、変化、つ、常に、い、いって、一定、で」
「変化が一定?」
「法則性がある、ということか。その法則っていうのは?」
「はい……あの、せ、説明が、難しい、ので……ちょ、ちょっと待って、くださいね……?」
代海ちゃんは紙とペンと取り出すと、まんまるの円を描く。
そしてその円の縁に沿うように、1、2、3と数字を書き込んでいって、12までその数字を書き入れ、アナログの時計盤を描いた。
「なっちゃんの、か、活動時間、は……あ、ある法則に、基づいて……季節のように、め、巡って、いるんです……」
「巡ってる?」
「ま、まずスタートに……十字の時間が、し、始点となります」
「10時?」
「十字……く、クロス、です。あの、十字架の、十字、です」
そう言って代海ちゃんは手書き時計に、12時と6時、3時と9時を通る直線をそれぞれ書き入れ、時計盤に十字を作った。
「こ、この時間から、スタート、で……し、“始点軸”です」
「つまり、12時、3時、6時、9時の合計四時間の間……あぁ、いや。午前と午後を合わせて八時間、活動可能ということか?」
「い、いえ……確かに、なっちゃんの活動時間の合計は、は、八時間、です。でも、そ、そうじゃ、なくて……何時から、何時まで……と、いう、時間の長さが、あって」
一続きではなく、断続的に、けれど一定の間隔で、なっちゃんの時間は刻まれる。
代海ちゃんは、そういうことが言いたいみたいだ。
「始点の、それぞれの地点から、一時間、前……そ、それが、なっちゃんの活動時間、なんです」
「えっとつまり、12時と11時、3時と2時、6時と5時、9時8時、ってことかな」
「は、はい」
代海ちゃんは、わたしの言った時間――12時と11時、3時と2時、6時と5時、9時と8時――を、それぞれまとめて丸で囲む。
「なんだか、社会の時間で見たマークみたいですね」
「社会のマーク?」
「あれじゃない? 地図記号。ほら、お寺の……」
「マジ卍、ってやつだね」
十字のそれぞれの先端が横に伸びている形。言われてみれば、お寺の地図記号の「
「阿呆なこと言ってる場合か。それより、時計盤での表現だと、午前と午後の問題があるだろう。それはどうなんだ?」
「そこも、ひ、日替わりなので……ご、午前か午後か、どっちかにしか、適応されない、ですけど……それが、かわりばんこに、なってて……」
「例えば、今日の活動時間が午前中なら、次の日は午後になってるってこと?」
「そ、そうです」
「めんどくさっ」
なんていうか、ルールがたくさんあるんだね。何時から何時までで固定されている代海ちゃんや帽子屋さん、一時間おきというわかりやすい刻み方をするネズミ君と比べると、かなり異質だ。
「さ、さらに、ですね」
「まだあんの?」
「ご、ごめんなさい……えと、ひ、ひとつの始点軸で、午前と午後、二つの時間が、お、終われば……次の日からは、始点軸が、ず、ずれます」
「ずれる?」
「い、一時間、ずれます」
代海ちゃんは、今度は色を変えて、1時と7時、4時と10時を通る直線を引き、新しい十字を作った。
そして、またその軸を通る時間と、その次の時間をまとめて丸で囲む。
さっきと同じ卍型の鍵十字がもう一つ、時計盤の上に現れた。
「こ、こうやって、なっちゃんは……か、活動時間が、ちょっとずつ、ずれていくんです……」
「成程ね。まるで歯車だな」
つまりなっちゃんは、一時間おきに刻まれる二時間の時間、合計八時間が活動時間で、午前に適用されるか午後に適用されるかは日ごとに順番。そして二日ごとに、刻まれる時間の始点が一時間ずつずれていく。
なんだか複雑に思えるけど、結構きっちりと法則化はされているみたい。
「な、なっちゃんは……この時間、以外は……誰も、傷つけない……いえ、“傷つけられない”、です、から……あの子が、犯人かは……」
「わからない……ね」
「だが、逆に言えば、犯行日時、時刻をすべて洗い出して、彼女の活動時間と照らし合わせればいいわけだから」
「うっわ、聞くからに面倒くさそうな作業じゃん……もっと華麗にパパッと解決しないの?」
「実際の事件の捜査なんて、虱潰しに可能性を埋める作業らしいけどね。問題は、バンダースナッチの始点軸と、どの日が午前午後のどっちを適応しているか、だな。わかるかい?」
「あ、えっと……は、はい。おととい、アタシが、なっちゃんのおもり、だったので」
「おもり、って……」
「監視じゃん」
アハヤさんもそんなこと言ってたけど……なっちゃん、やっぱり事あるごとに誰かの目に縛られているんだ。
子供だから目を離せない、というものあるのかもしれないけど。なっちゃんの場合、それだけにとどまらない、ということなのでしょう。
「確か……おとといが、ちょうど12時を通る、始点軸の……午前、だったはず、です」
「よし。じゃあ、あの先輩から犯行時間を聞き出して、照合してみよう」
「面倒くさそうな作業だなぁ。どうせだし、あなたも手伝ってよ」
「あっ……ご、ごめんなさい。今日はちょっと、別の用事が……」
「用事って?」
「小学校まで、ネズミくんをお迎えに……あ、あと、帽子屋さんにも、た、頼まれごと、が……」
「あのクソガキの迎えって。必要なくない?」
「ネズミくん、一人にすると時間が来て、道端で寝ちゃうこともあるから……だ、誰か、ついてないと……」
「……大変なんだね、代海ちゃんも」
「っていうか、先生なんかもそうだけど、君ら人間社会に溶け込む気あるのか?」
「はうぅ……」
まあ、ともかく。
なっちゃんに科せられた活動時間の法則は知ることができた。それだけでも十分。
あとは、朧さんから犯行日時を聞いて、さっき教えてもらった時間に当て嵌めるだけだ。
それでなっちゃんの動ける時間と、犯行時刻が合致すれば、なっちゃんが犯人の可能性が一気に高くなる。
さてこのパズル。いい結果が、出るのかな――
☆ ☆ ☆
「ダメだな」
――ダメでした。
犯行があった日時に、なっちゃんの活動時間を当て嵌めていったんだけど……途中で、何度も合致しないところが出て来てしまう。
「そもそも、犯行はすべて午後で、二日連続で事件が起こっていることもあるのだから、合致するはずもないんだが……」
「それを仮に模倣犯によるものだと仮定して除外しても、また別のところで噛み合わないとこがたくさん出て来るねぇ」
「都合のいいところを模倣犯の仕業にして、無理やり合致させようにも、そうしたら半分は模倣犯の犯行ということになる」
模倣犯という考え方自体、ちょっとどうかと思うのに、その上そんなことでは、それは流石に都合が良すぎる。
それになにより、模倣犯なんて曖昧な仮定で結果を出しても、それはなにも判明していないのと同じだ。
「勘違いとかで、亀の彼女が言った始点軸のスタートが間違っていることも考慮して、始点軸をずらして全パターンで照合させても、やはり合致しない」
「いや本当に大変だった……こーゆーちまちました作業って苦手だね、私」
「犯人だけで、こんな、噛み合わない、のに……これに……動物とか……花の件とか……も、ある」
「そうだな。今回は除外して考えたが、動物惨殺や花壇荒らしの事件のことも考慮したら、さらにずれが大きくなるだろうな……」
「ということは、なっちゃんさんは犯人じゃないです……?」
「アリバイを崩すどころか、むしろ補強させてしまったようだ。本末転倒だな……」
なんというか、とても推理小説っぽい展開ではあるけれど。
お陰で八方塞がり。なっちゃんが犯人じゃないなら、誰が犯人なんだろう。
これから、どうすればいいんだろう……?
「……今朝のHRでも言っていたが、近隣の中学生も襲われたんだってね」
「朧さんも言ってましたね」
「近隣と言ってぼかしているが、きっとそれ、うちの生徒だよ」
「そ、そうなの?」
「たぶん、だけどね」
「でも……おぼろ、なにも、言ってなかった……」
「こっちから尋ねなかったからな。じゃなきゃ話さない。そういう人だろう、彼は」
「うざったいけど、まあ、そうだよねぇ。それで? 水早君はなにが言いたいの?」
「そろそろ、ボクらも動きにくくなるということだ」
霜ちゃんは、深刻そうに言った。
「今日も先生たちの多くが町に繰り出して見回りをしているようだし、下校時刻も早められた。このまま事件が続けば、学校は生徒を保護する方向に動くはずだ」
「まあ……どうり」
「そしてボクらは、学校の庇護下にある。守ってもらえると言えば聞こえはいいが、それは行動の自由度を著しく落とされることに他ならない。下手すれば小学生みたいな集団下校さえもあり得るよ」
「うーん、ちょっと否定しにくいね」
「そんな風にボクらだけの行動を制限されたら、事件の調査どころじゃない。あの先輩だって、情報収集もままならなくなってくるだろうね」
事件が進めば進むほど危険になって、早く解決しなきゃいけなくなるのに、それに伴ってわたしたちの行動は阻害される。
それは当たり前で、むしろ先生たちは善意でわたしたちを守ってくれるんだろうけど……それが、枷になってしまう。
「問題は、意外とシビアかもしれない。早急な解決を目指したい……が」
捜査は完全に手詰まり。
暗礁に乗り上げてしまいました。
五里霧中の状況。ここから、どうしたらいいの……?
「…………」
「うにゅぅ……」
「やー……マジで、困ったね」
「流石に、また被害者に聞きに行くなんてことはできないだろうし、どうしたものか」
みんなも、もうどう進めばいいのかがわからなくなって、足を止めてしまう。
どうにもならず、どうにもできない。未来への展望が、見えなくなってしまった。
そんな時だった。
ガラガラ、と教室の扉が開かれる。
「あれ? 皆どったの? 放課後なのに教室で顔を突き合わせてるなんて珍しい」
「謡さん……」
教室に入ってきたのは、謡さんだった。
「うわ、失敗した。こんな面倒くさい作業なら、先輩も巻き込めばよかった! 猫の手も借りたいわけだし!」
「おっと、みのりんが上手いこと言ってる。でも今はスキンブルはいないし、私も今日は真面目に生徒会のお仕事さ。っていうか、本当になにしてんの?」
「えっと、実はですね……」
わたしは、謡さんに今日のことを話す。
なっちゃんのこと、彼女が犯人じゃないかということ。だけど、そのアリバイは崩せず、むしろ犯人でないことを証明してしまったこと。それで、捜査が行き詰ったこと。次巻が残されていないこと。
すべて、話した。
「――ふーん。帽子屋さんとこの子が犯人かも、ねぇ」
「はい……でも、時間が合わなくて……」
「時間かぁ。でも、なんかそれ自体、眉唾物だよね」
「え……っ?」
ここで謡さんは、今までのことをひっくり返すようなことを言う。
【不思議の国の住人】に科せられた活動時間の縛り、それが、眉唾って……
「まさか、代海ちゃんがウソを……?」
「いやいや、そこまでは言わない。ただ、勘違いとか、思い違いとかさ」
「彼女がバンダースナッチの活動時間を誤認していたと? 実は十字の始点軸なんて存在せず、まったく別のルールだった可能性がある、と?」
「かもしれないね。まあ、彼女たちがどのくらい情報共有をしっかりしてるのかはわからないけど、一人だけ誤認してるってのも変な話か。それに、それだけ法則がきっちりかっちりしてるなら、勘違いどうこうみたいなズレもむしろ不自然だし」
「う、にゅ……?」
「結局この先輩、否定したいのか肯定したいのか、どっちなわけ?」
「イエスorノーで答えを出すのは簡潔だけど、それだとあんまり君らのためにならなさそうだし……私の考え、言っていい?」
「……今はどんな手掛かりでも欲しい。どうぞ、聞かせてください」
「うん。じゃあ、ご清聴ください」
霜ちゃんに促されて謡さんは、語り始める。
わたしたちが見落としていた、ある出来事を。
「もしかしたらさ、抜け穴があるんじゃない?」
「? 抜け穴?」
「そう、抜け穴。例外、と言い換えてもいいかも」
抜け穴、例外。
つまり、規律や法則に従わない、特例のパターン。
【不思議の国の住人】の活動時間は、厳格なルールとして彼らを縛っているようだけど、その縛りにも、例外的な状況が存在するかもしれない、ってこと?
「妹ちゃん、林間学校のことは覚えてる? 最終日のことね」
「え? は、はい。覚えてますけど……」
あの日のことは忘れもしない。たくさんのことがありすぎて、頭がパンクしちゃいそうなくらい、濃密な日だった。
超大型クリーチャーによる台風の発生。そして、そんな中で戦った謡さん――当時はチェシャ猫レディさん――と帽子屋さん。
チェシャ猫レディさんの正体が謡さんたちだと判明したり、聖獣とは鳥さんのことだと聞かされたり、とにかく衝撃的な出来事ばかりだった。
「あの時、私たちの前に帽子屋さんが現れた。でも、あれっておかしいよね」
「え? おかしいって……?」
「だって、【不思議の国の住人】には活動時間があるんだよ。その縛りは絶対的なもので、時間外では、彼らは【不思議の国の住人】としての力は振るえず、ただの人のようになってしまう。帽子屋さんはあの時、間違いなく【不思議の国の住人】の首魁として私と戦った。でも、あの時の時間は……」
「……あ!」
「そう。あの時はそれどころじゃなくてスルーしてたけど、あの時の帽子屋さんは“時間外にも関わらず活動していた”んだ」
そうだ。私は林間学校が始まるよりも前、夏休みの間に、代海ちゃんがわたしたちの学校の生徒でもあることを知った。
そしてその時に活動時間のことを聞いたし、その時に、帽子屋さんの活動時間についても聞いている。
帽子屋さんが活動できる時間は、午前と午後の、それぞれ6時の間。一日にたった二時間だけ。
でも、あの時の時刻は、確か正午前後。
6時からは、程遠い。
「確かに、そうでした……」
「やっぱりウソなんじゃない? 活動時間なんて」
「私はそうは思わない。そんな変な嘘をつくなんて回りくどいもの。だからこれは嘘じゃなくて……例外なんだよ」
「例外……」
あの時、時間外にも関わらず帽子屋さんが現れたのは、その例外だったから?
そしてその例外は、もしかしたらなっちゃんにも存在する……?
「具体的にどうするのかはわからないけど、彼らの活動時間という縛りには例外がある。その例外が適用されている時に限っては、活動時間を無視できる……という可能性もあると思うんだけど、どうかな?」
「ふむ、簡単に切り捨てるには少し惜しい仮説ですね。経験談もあって、根拠としては十分です」
「ま、私は小鈴ちゃんも見てるなら信じてもいいかな」
「ちょっとだけ、先が見えましたね!」
「でも……例外って、具体的に……どう、してるの……?」
「……さぁ?」
うん……まあ、そうだよね。
それがわかれば、苦労しないよね。
「これも流石に情報がなさすぎる。本人に直接聞く以外、知り得ないだろうな」
「本人って、まさか帽子屋さんに直談判? 流石に無理でしょ」
「……バンダースナッチ、本人も……たぶん、不可能……」
「そんなことはわかっている。本人って、そこまで本人じゃないよ」
「そこまで本人って……」
「帽子屋に適用される例外があり、それがバンダースナッチにも適用されるなら、その例外は【不思議の国の住人】すべてに適用されるってことだろ。それなら、彼らの同胞の誰かに聞いてもいい」
それもそうだね。
でも、代海ちゃんはもう帰っちゃったし、先生は見回り、葉子さんたちもきっと帰ってしまっている。
あと、わたしたちが知ってる【不思議の国の住人】なんて……
「そういえば、スキンブルさんは、どうなんですか?」
「お、そういえばあの猫もお仲間だったね。どうなんですかー? せんぱーい」
「あぁ、それ無理」
「……なぜに」
「私にも詳しくは教えてくれないんだけど、なんかあいつ、出自が特殊だとかなんとかで、【不思議の国の住人】のこと、ほとんど知らないんだよね」
「そーなんですか?」
「そーなんです」
……そう言えば謡さん、チェシャ猫レディだった頃は、【不思議の国の住人】について、色々と調べて回ってたね。
スキンブルくんが【不思議の国の住人】のことを熟知しているのなら、そんなことする必要はない。けどそれをしていたということは、つまり二人は知らなかったということ。
特殊だというスキンブルくんのことは、ちょっと気になるけど……今は、それどころじゃないよね。
「じゃあ、あの猫の活動時間とやらは……」
「ない。あいつはいついつでも、好きなように「姿を消す」よ」
「事実上の完全上位互換では?」
「しかし今回ばかりは、それも困りものだ。肝心の知識が手に入らないのだから」
縛りがないことで、逆にその縛りについて聞き出せない。仕方のないことだけど、困りました。
代海ちゃんからも、先生からも、葉子さんからも、スキンブルくんからも聞けないとなると――
「……会えるかどうかわからないけど、探してみる?」
――残るは、あの人しかいない。
☆ ☆ ☆
「なんでここにアンタらが来るんだよ……」
こめかみに指を当てて、訝しげに、けれどどこか呆れたように、彼女は――アヤハさんは嘆息した。
わたしたちが訪れたのは、とある喫茶店。そこは、アヤハさん――『ヤングオイスターズ』のお姉さんの、勤め先です。
「つーか、よくワタシのバイト先がわかったな。この近辺ってのはわかったとしても、どこで働いてるかなんざ、一言も喋ってねーはずなんだが」
「知人に驚異的な情報網を持っている先輩がいるので」
「はぁん。アンタらの仲間にも、ワタシの弟みたいな奴がいるんだな。どうでもいいけどよ」
興味なさそうに、あるいは諦めたような様子のアヤハさん。
まあ、わたしたちもアハヤさんがバイトしてるってくらいしか知らなくて、今がその時なのか、それともわたしたちみたいに捜査をしているのかも、、ましてやどこにいるのかもさっぱりわからなかったんだけど。
物凄くどうでもいい情報までなんでも知ってる朧さんに、ダメ元で「アヤハって呼ばれている大学生くらいの女の人が働いてる場所って知りませんか?」と聞いてみました。
そうしたら、ハトが豆鉄砲を食らったみたいな顔をさならがらも「たぶんここ」と言って即座にアヤハさんの勤め先を教えてくれました。そのあまりにも早すぎる情報提供には驚かされたけど、助かった。
朧さんって、本当になんでも知ってるね……今回はそのどうでもいい情報網に感謝だ。
「ごめんなさい、アヤハさん。ちょっと、急ぎだったので……お仕事中に」
「別に構いやしねーさ。もうアガリだしな。で、なんだよ、急ぎの用って」
「その、アヤハさんに聞きたいことがあるんです」
「だからなんだよ」
早く言え、と言わんばかりのアヤハさん。
どこから話そうかとわたしが考えていると、隣で霜ちゃんが、単刀直入に切り出した。
「あなたたちに科せられた制限時間。それを取っ払う手段は、あるのか?」
「……どういう意味だ?」
その問いかけに、アヤハさんは眉根を寄せる。
霜ちゃんは、さらに続けた。
「濁しても話が進まないだろうし、正直に言いましょう。ボクたちは例の事件の犯人として、バンダースナッチを疑っている」
「…………」
「その根拠はひとまず省くが、そこで、犯行時刻と彼女の活動時間を照らし合わせたが、合致しなかった」
「でも、わたしは知ってるんです……その、帽子屋さんが時間外にも関わらず、わたしたちの前に【不思議の国の住人】として、立ち塞がったことを」
「そういう前例がある以上バンダースナッチもなんらかの方法で、活動時間による縛りを脱した可能性を考慮しなければならない」
「その方法があるのなら……お、教えてほしい、んですけど……」
捲し立てるように言ってしまったけど、アヤハさんは神妙な面持ちで、黙って聞いていた。
帽子屋さんのケースを考えると、きっと謡さんの見立ては正しい。そして、情報という点では、きっとアヤハさんは正確で必要な情報を持っている。
今もこうして、わたしたちと協力して『幼児連続殺傷事件』を追っているし、なにより十何人もいるらしい『ヤングオイスターズ』の長女、まとめ役だ。
それほどの人なら、帽子屋さんやなっちゃんが知るような、縛りの例外だって、知っているはず。
それを知ることができれば、わたしたちの捜査は一気に進む。
そう、思っていた。
やがて、アヤハさんは、口を開く。
「……ふざけてんのか? アンタら」
返ってきたのは、冷たい声だった。
思っても見なかった返答に、わたしは、面食らってしまう。
「バンダースナッチが犯人、ね。確かにあの化物女ならやりかねないかもな。あいつの思想はあまりにも理解不能で、常軌を逸脱している。少なくとも犬っころぶっ殺すくらいなら平気な顔でやっちまうだろうさ」
「……なら」
「だがな、化物だろうが怪物だろうが、腐ってもあいつはワタシらの同族だぜ」
「あくまで、仲間を擁護する、と」
「当たり前だろうが。アンタらとあいつ、信用できるのはアンタらだが、信頼するならバンダースナッチだ」
そうだ。それは、当然なんだ。
活動時間という縛りは、彼らにとって重要なもの。それを教えること自体、わたしたちに弱点を晒すようなもの。それなのに、それの例外なんて奥の手を、教えるはずがない。
彼らが、わたしたちのことを“敵”だと認識しているのなら、それが、当然なのだ。
「ちっとばかし共同戦線張ったからって、勝手な仲間意識芽生えさせてんじゃねーぜ。ワタシはアンタらと一時的に手を組んじゃいるが、馴れ合いをするつもりは微塵もねぇ」
そう。わたしたちがアヤハさんとこうして話しているのも、あくまで事件を解決するという目標が同じだからこそだ。
その枠組みから外れるのならば、アヤハさんはわたしたちのことを“敵”と見る。そうでなくても、共に手を取り合う仲間としては、見てくれない。
【不思議の国の住人】にとって、人類とは乗り越えるべき壁なのだから。
それに、
「ワタシらは仲間じゃねぇ。お友達でもねぇ。そいつはアンタが最も排除したがってる奴を見れば、一目瞭然だろ」
「え……?」
わたしが、排除したがっている?
どういうこと……?
「なんだよ、まさか自分で気づいてないのか? アンタ、バンダースナッチがムカつくからって、“敵”に悪意を向けて、てめーの都合のいいように解釈してんだぜ」
「……っ」
アヤハさんの言葉が、深く突き刺さる。
……代海ちゃんとは、葉子さんとは、仲良くなれた。
先生は、ちょっとよくわからないけど、それでも少しは分かり合えたと思う。
お兄さんや、ネズミ君たちとも――それに、アヤハさんとも。
分かり合える、分かり合えた。
そう、思っていたけど。
「結局、アンタはわかっているつもりなだけだ。アンタがやろうとしていることは、こいつは悪い奴だって、大して知りもしねーで、ワタシらの仲間であるバンダースナッチを悪役に仕立ててぶっ叩こうってことだぜ」
「あ……ぅ……!」
「アンタは、あいつと分かり合えたのか? 相互理解できたのか? できてねーだろ。アンタがやってるのは、嫌いな奴に因縁つけてぶん殴ってやろうってのと同じだ。なんともまあ――醜悪だな」
そうだ、その通りだ。
結局わたしは、なっちゃんが――“嫌い”なんだ。
それも、深く、強く、そう思っている。
敵として攻撃してもいいと、あの子が犯人ならそれでいいと、思ってしまうほどに。
相手の意志も、尊厳も、すべてを踏み躙ってしまおうと、思えるほどに。
それは、とても醜く、邪な考えだ。
「らしくねーけど、本性を現したか? マジカル・ベル。今、アンタの中の邪悪が、浮き彫りになってるぜ」
「…………」
なにも、言い返せなかった。
アハヤさんに、“なっちゃんの側の人”に言われて初めて気づかされる、わたしの中に眠っていた悪意。
わたしはそれを、自覚させられる。
「ま、ワタシとしちゃ逆に安心したがな。三月ウサギのクソビッチじゃねーが、邪悪さを持たない人間なんてかえって気持ち悪いだけだ。アンタにもきっちり、悪い子ちゃんなとこがあるじゃねーか」
「
「ユーちゃん……」
いつになく刺々しいアヤハさんに、ユーちゃんが噛み付いく。
「そもそも今は人柄の話なんてしていない。こっちだって、バンダースナッチが犯人である根拠を元にした推理だ。ボクらが感情論で動いていると思わないでもらいたい」
「気に喰わないから……殴る、とか……こすずには、無理」
「むしろ私が、この人のこと気に喰わないからぶん殴りたい気分なんだけど。一発くらい、いい?」
「みんな……」
「はんっ。お仲間が擁護してくれるようで良かったな。だが、ワタシがやってるのも、アンタらの仲良しこよしとそう違いはねぇ。ま、ワタシの場合は単に同族のよしみだが」
みんなが、わたしのことを庇ってくれるように。
アヤハさんも、なっちゃんのことを庇う。
わたしの友達と、アヤハさんの仲間。その二つはまったく同じではないけれど、どちらも守るものであることには、違いない。
アヤハさんは、あくまでもなっちゃんの側。たとえ怪物と呼ぼうと、彼女とアヤハさんは、同じ種族で、共に生きた、仲間なのだから。
その立場は揺るがず、わたしたちと対立する。けど、
「とはいえ、ワタシの思考はワタシのモンだけじゃねぇ。他の弟妹の考えも考慮に入れてやる」
「どういう意味だ?」
「アンタらの言葉もまるっきり的外れとは言い切れないってことだ」
「さっきまであんなこと言ってたのに、舌の根も乾かぬとはこのことかね?」
「言っとくがアンタらの言葉を信じたわけじゃない。いくらあの化物女でも、単独でこんだけの事件が起こせるとは思えねーしな」
「なにが言いたいんだ? 結局あなたは、バンダースナッチが犯人だと思っているのか? いないのか?」
「信じてねーよ。信じてねーから、帰るついでにちょっくら調べるんだ。あいつはやってない、って証拠をな。要は潔白の証明だ」
それはまさしく、弁護人のように。
無罪を証明するための調査だ。
「ま、怪物とはいえ身内だ。危険極まりない食えない奴だが、お仲間が疑われっぱなしなのも癪なんでな」
「…………」
「それに一応、この事件を解決するっていう、ワタシとアンタらの目的は一緒なんだ。あいつの容疑が晴れれば、アンタらも無意味な捜査をやめて、次の手掛かりを探すだろ?」
「随分と自分勝手な誘導だな」
「悪いな。ワタシにもワタシの立場ってモンがある。ま、仮にバンダースナッチが犯人だったら、あいつの腕の骨の二、三本へし折って差し出してやらぁ」
「いや……いらない……」
「というか、人の腕は二本しかない。彼女は人間ではないけど」
アヤハさんはそう言ってから、急に顔をしかめた。
まるで、今までの発言は、本意ではないと言わんばかりに。
「……ちっ。結局、ワタシの一存じゃすべての決定は不可能ってことだな。良かったなマジカル・ベル、ワタシの弟妹に感謝しろよ」
「え?」
「弟妹の手前、アンタを邪険に扱えねーんだよ、ワタシぁな。これが、
よ、よくわからないけど……アヤハさんの弟さんや妹さんに良く思われていたから、アヤハさんもその意を汲まなくちゃいけない、みたいなことなのかな……?
ヤングオイスターズは兄弟姉妹、個々のすべてが個人として繋がっている存在らしいし、アヤハさんはどうしたって、他の弟妹の意向を無視できない。
だからわたしたちの考えと対立する立場にあっても、完全に相容れない、ということもない、ようだ。
「だが、
「……それは、暗に縛りを破る術自体はあると言ってるのか?」
「さーな」
くるりと、アヤハさんは踵を返した。
わたしたちに背を向け、歩き出す。
「もうアンタらと話すことはねぇ。ワタシは帰るぜ。バンダースナッチの部屋くらいは家探ししてやるから、それでガマンしとけや……じゃあな」
そうして、彼女は、去ってしまった。
☆ ☆ ☆
「なーんなのかなー、あいつ。いきなりつっけんどんになっちゃってさー。マージでムカつくー」
「とはいえ、彼女の言い分は間違いとは言い切れない。こちらも根拠を提示しなかったわけだしね……まあ、発端が子供の描いた絵なのだから、言ったところで切り捨てられていただろうけど」
「でも、小鈴ちゃんにあんな酷いこと……」
「こすず……だいじょう、ぶ……?」
「う、うん。平気だよ」
少し、ショックではあったけど。
苦手だ苦手だと思っていたけど、わたしの中に眠っていた苦手意識は、わたしが思う以上に大きかったみたい。
それはもはや、苦手ではなく嫌悪――あるいは、憎悪と呼べるほどに。
そんなものが自分の中にあって、それを暴き出されて……決して小さくない衝撃は、受けた。
「しかし、どうしたものか。彼女も一応、バンダースナッチについて調べるようだが……あれはアテにしていいのか?」
「ダメっしょ。あんな夏休みの宿題気分でやられてちゃ、いつ報告されるかわかったもんじゃない。緊急案件なんだし、こっちはこっちで捜査を続けるべきだね」
「みのりこ……珍しく、まとも……」
「本当にな。どうしたんだ?」
「なんかあいつムカつくから、徹底的にあの幼女を犯人に仕立て上げてやろうと思って」
「それじゃあ冤罪だよ、みのりちゃん……」
とはいえ、わたしたちが進める方向は、もうそこしかないわけだけど。
それでも、本来あるべき形を捻じ曲げてまでなっちゃんを犯人扱いするのは間違っているし、本末転倒だ。
「さて、ボクらの方針はバンダースナッチの犯行を証明することだと再認識したところで、話を戻すよ。捜査を続行すると言っても、次はどこを当たるんだ?」
「そこだよね……」
なっちゃんを犯人として捜査をしてはいたけど、わたしたちには、なっちゃんに直接関わる手がかりが少なすぎる。
彼女の行動パターンや気質、持ち物。知らないことが多い。
「小説なら、犯行現場に何度も立ち入ったりするけど……」
「犯行現場か。とはいえ、現場はすべて片付けられているはずだし、今さら行っても手掛かりを見つけられるかどうか……」
「Dunkel……それに、もう、まっくらです」
時刻は5時30分前といったところ。
もう秋も半ばで寒くなってきた頃だし、日の傾きもだいぶ早くなってきた。
太陽は沈み、じきに黒い空には月が昇る。
――もっとも、今日は生憎の曇で、暗雲が空を覆い、月のない夜になりそうだけど。
「こうも暗いと、現場を調査するにも厳しいよね。一応、聞いてみるけど、誰か懐中電灯とか持ってる?」
「ない……」
「ユーちゃんも持ってません……」
「あってもスマホのライト程度だ。そんな装備で暗夜の中、捜査を進めるのは無謀だな」
時間的にはギリギリ夕方と言いたいけど、空模様は、月の光さえも届かない暗い夜だ。
光もないのに、この暗闇の中じゃ、どれだけ現場を探したって、なにも見つけられないだろう。
「それに、ボクや実子はともかく、女の子の帰りが遅くなるのも具合が悪い。今日は、引き上げた方がいいカモな」
「にゅぅ……確かに、帰りが遅くなると、ローちゃんやMutti、Vatiが心配します……」
「つきにぃ、が……口うるさく、なる……」
「そ、そうだよね。私もお姉ちゃんに怒られちゃう……」
「……あれ? 今、私サラッと女の定義から外された?」
「家に誰もいないだろう、君の場合は」
「まあね。そういう水早君は、家に家族がいるんじゃないの?」
「ボクはいいんだよ」
「だ、ダメだよ。霜ちゃんだって……男の子、だけど。それでも、お家の人が心配しちゃうよ」
「……君、たまにボクの性別を失念するよね。いいけど」
なんにしても、みんな夜遅くに帰るのは危険だし、家族の人たちも心配する。
となると霜ちゃんに言う通り、今日はもう諦めた方がいいのかな。
時間がないのは確かだけど、無理をするわけにもいかないし……
そんな諦念が胸中でじわじわと広がってきた、その時。
「すっずちゃーん!」
「ひゃわぁっ!?」
後ろから、いきなり抱きすくめられました。
背中が、全身が、柔らかい肌の感触で満たされる。
「はぁ、柔らかいのよー……流石、
「よ、よ、葉子さん……?」
首だけで振り返ると――振り返らなくてもこの声は、まず間違いなく――そこにいるのは、購買のお姉さんこと、陸奥国葉子さん、真の名を『バタつきパンチョウ』さんだった。
さらに、その後ろから足音。
「姉さん、いきなり奇声をあげながら走り出すなよ。ビビるだろ」
「で、あるぞ、姉上。我々の中で最も眼の良い姉上とはいえ、暗夜は危険だ。十分に注意為されよ」
「先生……お兄さんも……」
わたしたちの先生『木馬バエ』さんに、用務員の『燃えぶどうトンボ』のお兄さん。
蟲の三姉弟の、お姉さんお兄さんたちだ。
「おや、マジカル・ベル。こんな時間に外出とは、よほど暴漢に襲われたいと見える。面倒なこと起こされたら面倒なので、さっさと帰ってください」
「ハエ太ったら、女の子にそんな酷いこと言っちゃダメなのよ!」
「面倒事を起こされたくないものでね。ただでさえ、見回りとかいうクソ面倒くさい仕事が何割も増してやってきたんだ、これ以上あんなゴミ溜めみたいな職場の仕事なんてやってられるか。あとハエ太はやめてくれ」
見回り……そういえば、ここ最近の事件の影響で、学校周辺の先生たちによる巡回警備が強化されてるんだっけ。
それを証明するように、先生は反射板のついたジャケットを着て、懐中電灯を持っていた。
「先生が巡回してるのはわかりますけど、なぜあなたたちまで?」
「それはもちろん、ハエ太と一緒にいたいからなのよ! いつもトンボとはお仕事が終わるのが同じくらいになるけど、ハエ太だけいっつも遅いから、付いてきちゃった!」
「巡回中にいきなり現れるから、ビックリしたよ……まあ、姉さんや兄さんがいれば、このくだらない仕事にも、多少の花は咲くというものか」
「はっはっは! 流石ハエ太、嬉しいこと言うな! だが、花は姉上であって、ぼくにその比喩は些か面映ゆいぞ!」
「どっちでもいいよ。それから、ハエ太はやめてくれって」
「……この人たち、いつでも楽しそうだよね」
「たぶん……一番、学園生活……エンジョイ、してる……」
【不思議の国の住人】は、人の営みに隠れるように生活していると聞いてるんだけど、葉子さんや先生の様子を見ていると、とてもそうとは思えないっていうか……代海ちゃんやアヤハさんとはすごい違いだなって思います。
個人差、と言えばそれまでなんだろうけど。
「そんなことより! 鈴ちゃんたちは、こんな時間になにしてるのよ? ハエ太じゃないけど、女の子だけで夜道は危ないのよ!」
「今宵は月なき漆黒の暗夜。非力な
「ボクは一応、男なんだが……」
「……心配、するんだ……意外……」
「私は面倒事を起こさないで欲しいだけだよ。姉さんと兄さんは本気で言ってるだろうけどね。もっと感謝するといいですよ」
「なにこの押し付けがましい上に面倒くさいシスブラコン教師」
「それで結局、鈴ちゃんたちはこんな時間にどうしたのよ?」
「えーっと……その、実は……」
「? なんか元気ないのよ? どうしたの? お腹でも空いたのよ?」
「なんでもかんでも小鈴を空腹と結びつけないで欲しい」
どうしよう……話しても、いいのかな。
葉子さんは、彼女もアヤハさんと同じ【不思議の国の住人】の一人だ。
いくらわたしたちに優しくしてくれると言っても、人間ではない。なっちゃんの側の人であり、立場としてはわたしたちと対立するところにいる。
アヤハさんが教えてくれなかったことを、教えてくれるのか……そして、わたしはそれを、軽々しく聞いてもいいのか。
ついさっき、アヤハさんに拒絶されたことが尾を引いて、尻込みしてしまう。
そんなわたしを、葉子さんはより強く、ギュゥッと抱き締めた。
「うーん、やっぱり柔らかいのよ! 着せ替えだけで終わって、一緒に寝られなかったのが本当に残念なのよ」
「よ、葉子さん……苦しい、です」
「うん、苦しいよね。すずちゃんは、苦しいのは、いや?」
「イヤ、ですよ。当たり前、じゃないですか」
「そうだね、当たり前なのよ。だから、ちょっとでも苦しかったら、全部出しちゃうのよ」
「……葉子さん」
「大丈夫。私は二人の弟を持つお姉ちゃんだもん。妹候補一人分の悩みくらい、どどーんと受け止めちゃうのよ!」
朗らかに言う葉子さんの身体は、とてもぽかぽかしていて、温かかった。
わたしはその優しさに、温かさに身を委ねて――話した。
なっちゃんのことや、つい先刻の、アヤハさんとのやり取りを、すべて。
葉子さんは、
そして、すべてを話し終えると、少し悩ましそうに笑っていた。
「あー、うん、カキちゃんねー。まあ仕方ないのよ。あの子も、いっぱいいっぱいだから。だからごめんね鈴ちゃん、カキちゃんを許してあげて」
「若牡蠣の長は、十余名の兄弟姉妹を纏め上げねばならぬからな。かの双肩に掛かる負荷は、誰にも理解されぬ代物。斯様な対応も、無理からぬことよな」
「まあ、そもそもマジカル・ベルは私たちの敵みたいなもんですし、ヤングオイスターズさんの対応はなにも間違っちゃいないと思うんですけどね。そんなことで騒がないでください」
「ハエ太! もうっ、そんな女の子に冷たくしてたら、お姉ちゃん怒っちゃうのよ!」
「あー、はいはい、すみませんね」
「まったくもう、ハエ太ったら。ハエ太が冷たくてごめんなさいなのよ、鈴ちゃん」
「い、いえ……」
アヤハさんいも同じようなことを言われたし、先生を糾弾する気にはなれない。
それに、実際、先生もアヤハさんも、間違ったことは言っていないのだから。
「それで鈴ちゃんは、私たちの呪縛であり代償でもある活動時間……その“例外”について、知りたいのよね」
「……はい。それがわかれば、事件の先になにがあるのか、なにか見えるかもしれないんです」
実際のところは、それがどんなものなのかまるで想像もつかないから、どう事が転ぶのか、それで本当になっちゃんのアリバイが崩せるのか、わからない。
だけどそれを知らなくては、それが解決の糸口に繋がるかどうかも判断できないし……それに。
(わたしはずっと……この人たちのことを、知らないままだ)
【不思議の国の住人】。人間のようでいて、人間ではない、まったく別の生物。
わたしは、彼らについてあまりにも知らなさすぎる。
アヤハさんにも言われた。わたしはなっちゃんについて知らないまま、悪役に仕立て上げていると。
それはその通り。そしてわたしは、なっちゃんだけじゃなくて、アヤハさんのことも、そのほかの知らない【不思議の国の住人】の人たちのことも、全然わかっていない。
だからこれは事件についての調査だとか、敵の情報を得るためだとか、そんな打算的なことばかりではない。
相互理解。わたしが、彼らに歩み寄るための、一歩のしたい。
……もっとも、アヤハさんが言っていたように、それは彼らにとっての核であり、超重要機密事項だ。
いくら葉子さんと言えども、そう簡単に教えてくれるとは……
「鈴ちゃんが知りたいのならー、私が教えてあげてもー、いいのよー?」
「えっ!?」
お、教えてくれるんですかっ!?
とわたしが食いつきそうになった瞬間、後ろで先生とお兄さんが驚いたように叫んだ。
「姉さん!」
「姉上! それは……!」
気だるげながらもいつも落ち着いている先生や、葉子さんのように朗らかなお兄さんまでも、声を荒げて葉子さんを制する。
やっぱり、そう簡単に教えられることじゃないんだ……
だけど、葉子さんは、
「もー、ケチケチしないのよ、二人とも。知りたいなら教えてあげればいいじゃないのよ」
「だが姉上、それは我々【不思議の国の住人】で秘するべき禁忌にして秘術。易々と口外すべきものではなかろうて」
「それに姉さん、こいつらは人間だ。私たちとは相容れない生き物――敵だよ」
「違うのよ?」
葉子さんは、先生の言葉をあっさりと否定した。
まるで、それが当然のことであるかのように。自明の理、明白な事実であるかのように。
「人間は……まあ確かに、私たちにとっては、戦わなきゃいけない相手、なのかもしれないのよ」
けど、と葉子さんは続ける。
「鈴ちゃんは、私の――“お友達”」
どこか子供っぽい、純粋で、純真無垢な満面の笑顔で、葉子さんは言った。
それだけは揺るがないという、確かな意志を持って。
「葉子さん……」
「お友達は敵じゃないのよ? だから、助け合ってもぜーんぜん問題ないのよ! むしろそれが当然ってものじゃない? 私はハエ太やトンボや、カキちゃん、ウサちゃん、カメちゃん、ネズミくんだって、なっちゃんだって、頭あっぱっぱーの帽子屋さんにだって! 手を差し伸べるのよ! 皆、私の仲間で、お友達だもの!」
あまりにもまっすぐで、途方もなく朗らかで、底抜けに明るくて――果てしなく優しい。
誰にでも分け隔てることなく、その温かな抱擁に包まれる。
とても、綺麗で美しい、輝きながら空を舞う、蝶のような人だ。
「だから、私たちの例外くらいがなんなのよ! そんなの、お友達が泣いてる姿に比べたら、その辺の雑草みたいなものなのよ!」
「……呆れた。もう好きにしろよ。どうなっても知らないからな」
「ぼくは姉上がそれほどの決意を持って告白するというのなら、その意志に応えるまでだ」
「いやないだろ。頭の中、全部花畑になってるぞ、この虫けら」
先生は半ば投げやりになって毒づくが、それだけだ。葉子さんを止めようとはしない。
「帽子屋さんはともかく、公爵夫人様とか、ハンプティ・ダンプティさんあたりはぶちギレるんだろうなぁ……面倒くさいな。どうでもいいけど、もう」
「そうなのよー、関係ないのよ。私たちの時間がどうこうなんて、そんなものでお友達とのお付き合いまで縛られるのはまっぴらごめんなのよ!」
「……いいんですか? 葉子さん」
「うん、いいのよっ。鈴ちゃんが悲しんでるとこは、見たくないもの」
にっこりと笑顔を向ける、葉子さん。
その明るさだけで、わたしは少し、救われた気がした。
「で、えーっと、なんだっけ?」
「……あなたたちに科せられた、時間の縛り。それを脱する方法です」
「あー、そうそう。それはねー、私たちのお仲間の力を借りるのよ」
「仲間の力?」
「そ。私たちには、色んな
それは、知っている。
「代わりを用意する」代海ちゃん、「眠らない」ネズミくん、「視点を変える」葉子さんや先生に、「姿を消す」スキンブルくん……【不思議の国の住人】には、ある文言によって定義される、特異な力がある。
「その中に、ルールを破る
「ルールを破る?」
「そう。彼? の
「なんか適当だね」
「真に遺憾だが、姉上の“複眼”とて万能に非ず。森羅万象が十全に見渡せるわけではないのだ」
「それができたら流石にヤバいものね。で、その彼、とは?」
「あぁ、それはね――」
葉子さんがその名を口にしようとした、その時。
「――『ジャバウォック』」
代わりに、先生が告げた。
「私たちに“例外”を与える存在、それが『ジャバウォック』だ。奴の活動時間内に限ってだが、奴の
「あらハエ太。説明してくれるなんて優しいのよ!」
「そんなつもりじゃない。とっととこんな奴らとおさらばして、早く姉さんたちと帰りたいだけだよ。あとハエ太はやめろ」
ぶっきらぼうに言う先生。
ジャバウォック……その人が、彼らの活動時間を操作する存在。
つまり、なっちゃんのアリバイを崩す、鍵だ。
「まあしかし、ジャバウォック殿は非常に奇怪な御仁というか、なんというか。とても奇妙で不可解な人物? 故にな」
「なんなんだろうね、あれ。バンダースナッチに似てるけど、あれよりも理解不能な怪物だし。暴れないから危険ではないけどさ」
「私もまだよくわからないところが多いのよー。ただあれは、生き物っていうよりも、役割的には私たち専用の外付け拡張装置みたいなものっぽいのよ」
「え、えっと……?」
ちょっとなにを言ってるのかよくわからなかった。わたしはそのジャバウォックさん? のことは見たことがないけど、なんだかとても人に対する扱いではない感じがする。
「思ったよりも、すんなりと欲しい情報が手に入ったものだな。それで、そのジャバウォックとやらの活動時間は?」
「残念ながら、それは私たちにもわからない」
「え?」
「なにさ、お仲間なのに知らないのー?」
「違う。我らは同胞であるのに知らぬのではない。同胞であるからこそ、知らぬと宣言できるのだ」
「……意味、不明……なに……?」
「えーっとねー。簡単に言うと、ジャバウォックさんの活動時間は、毎日ランダムで決まるのよ」
ランダム?
それって、法則性がない、ってこと?
「厳密には、24時間という時間をひとつの枠として考えて、何日かかけてその枠の時間を活動時間として消費している。24時間分の時間を消費し切ったら、翌日からはまた24時間分の時間が補填され、それがまたランダムで日ごとに分配される……だから、時間を消費していけばある程度は予想できるけど、基本的にいつ動けるのかはわからない」
「まあ帽子屋さんなら、その時間も認知できるし、ある程度は時間も決められるみたいだけどね。こう、時計を弄るみたいに、ちょちょいっとやっちゃうのよ」
「しかしジャバウォック殿は、普段はその帽子屋殿が管理し、基本的には帽子屋殿の許諾がなければ使役できん。それ故、バンダースナッチめが我欲で彼奴を“持ち出す”ことなど、あり得ぬと思うのだがな」
う、うーん。
なんだかよくわからないけど、とにかく時間に法則性がないなら、照らし合わせて検証する、ってことはできないんだよね。
「なら、過去の記録とかはありますか? ボクらが知るべきは未来ではなく過去だ。そのデータを照合できれば、確信が持てる」
「残念ながらそんなものはありませんよ。帽子屋さんなら、もしかしたら知っているかもしれませんが」
「帽子屋殿が、そんな些末なことを記憶しているとは思えんが」
「同感なのよ。頭あっぱっぱーだからね!」
「使えない……」
必要な情報は手に入ったけど、なんかちょっと、曖昧なままだった。
でも、これでなっちゃんには不可能、という選択肢はまた消えた。
完全にアリバイを崩せたわけでもないし、決定的な証拠も掴めてないけど。
と、そこで、わたしは重大なことに気付いた。
「……って、そうだよ!」
「わっ、ビックリした。どったの、小鈴ちゃん」
「そもそも、証拠がないから、なっちゃんを犯人に仕立て上げても、どうしようもないじゃない!」
「あー……」
「? どーゆーことですか?」
「つまり、糾弾しようにも、相手が相手なだけに、アリバイ崩しただけじゃ突き出せないんだ」
これが普通の人間の犯罪者なら、警察を呼べばいい。クリーチャーなら、鳥さんがなんとかしてくれる。
でも、そのどちらでもない、【不思議の国の住人】という独自の立場の人では、いくらアリバイを崩して犯人だと言っても、確たる証拠がなければどうにもならない。
ついうっかり、いつものクリーチャーを追いかける感覚でいたけど、とんだ大失敗です。
「うーん、なっちゃんも私のお友達で妹候補の一人だから、証拠がないのに悪さしてた、って言われても、ちょっと困っちゃうのよ……」
「ですよね……」
「ま、道理であるな。こればかりは若牡蠣の長姉めの言い分の方が筋が通っているというもの」
捜査が進展したと思ったら、また後退してしまった。
アリバイは崩せたけど、今度は【不思議の国の住人】の人たちに理解してもらうだけの証拠を集めないといけない。
まあ……そもそも、最初から証拠もなく、似顔絵とも言い難い子供のイラストというあまりにも説得力の薄い根拠からスタートしたのが間違いなのだけれど。
結局、今日の成果は一進一退だった。
「まあでも、アリバイが崩せただけで良しとしよう。時間がないとはいえ、秒読みってほどでもない。明日、現場に赴こうじゃないか」
「そうだね……えと、葉子さん、ありがとうございました」
「いいのよー。鈴ちゃんが元気になってくれたようでなによりなのよ! また明日も、たくさんパン買ってね!」
「は、はいっ!」
時間も遅いし、今日はこれでお開きだ。
そう思った、直後。
プルルルル、という無機質な電子音が鳴り響いた。
「誰の?」
「わたしじゃないよ」
「違う……」
「ユーちゃんでもないです」
「というか、こんな味気のないアラーム音にしてる現代人がいるわけ?」
「私だ」
「先生っ?」
「人じゃないものでしてね、無機質ですいませんね」
嫌味っぽく返してから、先生は電話を取る。
誰だろう、先生同士での業務連絡とかかな。
「して、誰からなのだ? ハエ太」
「だからハエ太はやめてね。えっと……ん? ヤングオイスターズ……」
「カキちゃん? カキちゃんブラザー&シスターズの、誰なのよ?」
「あの……アヤなんとかだか、なんとかナミだか忘れたけど、若牡蠣の長女さんからだ」
ヤングオイスターズの長女って、アヤハさん?
なぜだろう。
なんだか――嫌な予感がする。
「はいもしもし。なんですか? あなたが私に電話なんて珍しい……えっ、マジカル・ベル? まあ、確かにここにいますけど……代われって? よくわかりませんが、はぁ」
先生は携帯を耳から離して、わたしを一瞥すると、その携帯をこちらに向けて放り投げた。
「わっ、わわっ」
いきなり放られてビックリしたけど、なんとかそれをキャッチする。
「ヤングオイスターズからだ。なぜかあなたに代われと言われた。まったく、なんで私があなたたちと一緒にいるのを知っているのでしょうね。どこかで彼女の兄弟姉妹が見張っているのでしょうか」
「で、出ても、いいんですか?」
「当然でしょう。そのために渡したのですから。手短に済ませてくださいよ」
「は、はい……えっと、も、もしもし……代わりました」
先生の携帯を耳に当てて、応答する。
けど、電波が悪いのか、返事が返ってこない。
「あの、もしもし……? その、アヤハさん?」
『……悪ぃ』
やっと言葉が返ってきたけど、それは酷く短く、小さく、そして冷めきった声だった。
か細く絞り出される、震える声が、電話越しにわたしの鼓膜を震わせる。
アヤハさんは、さらに続けた。
『もしかしたら――アンタらの言う通りかもしれねぇ』
☆ ☆ ☆
小鈴たちが蟲の三姉弟と接触する頃、ヤングオイスターズの長女は、【不思議の国の住人】が一挙に集う住居たる屋敷へと帰っていた。
玄関を潜って廊下を進む最中、すれ違う同胞たちと言葉を交わす。
「あ! アヤハさん! お帰りなさい!」
「おう、ただいまだ」
「おっとヤングオイスターズ、今日の晩ご飯はなんだい?」
「面倒だからカレーを煮込んだ。ガキ共には果物でも切って、後は冷蔵庫の中身次第だな」
「お姉ちゃんだ。ねえお姉ちゃん、お兄ちゃん知らない?」
「知らん。またどっかに籠ってんじゃねーのか」
と、そこでふと思い出した。
「そうだ。“同期”しとかねーとな」
冷蔵庫の中身について考えていて、うっかりしていた。
ヤングオイスターズは、個にして群、群にして個。個人が群体という機能を備え、群体という個人である異質な存在。
故に、各々の感覚や知識は個人のものでありながらも、それを群のものとしても共有できる、ということでもある。
しかしこれは無制限に行えるわけではなく、あくまでヤングオイスターズが【不思議の国の住人】として、その力を行使できる時に限られる。
現時刻は五時半。ならば、
「さて、今日の成果はどうかね……」
“同期”を開始する。弟であり、妹であり、自分自身でもあるヤングオイスターズの断片たちの情報が、頭の中に浮かび上がってくる。
――
「ん……なんだ、あいつ虫けら三人姉弟と一緒なのか」
そこでふと、思い出した。
今日、自分の下へと押しかけて来た、彼女らのことを。
「バンダースナッチが犯人、ねぇ。正直あり得ない話と切り捨てることはできねーが……」
思想的には、十分にあり得る。動機はわからないが、だからこそ、奴はそれだけのことをやってのける危うさがある。
とはいえ、彼女にそこまでの大事件を起こすほどの力があるとは思えない。身内でも危険視され、監視の目がつけられるくらいだ。単独で殺傷事件を起こす、それも、自らの存在を隠蔽しつつ、犯行を重ねるなんて、できるはずがない。
誰かの手引きがあれば話は別だが、彼女に協力する者がいるとしたら、それは精々【不思議の国の住人】の中の誰か。しかし、彼らの仲に共犯者がいるはずがない。
(こんなわかりやすく人間を敵に回すようなことには、なんのメリットもねぇ。ワタシたちには、無駄に敵を作ってヘイトを溜めるような余裕はねーかんな)
誰も彼もが人間を敵に回すリスクを承知しているわけではないし、損得関係なく享楽で行動を起こす者もいるが、あのバンダースナッチを御し、これだけの大事件に関与して工作活動を行える人物は限られている。しかしそういった能力のある人物は、きちんと人間を敵に回すリスクを承知しているし、バンダースナッチの危険性も理解している。軽はずみにそんなことをする、できる者たちではない。
だから、共犯者はいない。よほど狂った意図でもなければ、そんなことはあり得ないのだ。
と、考えていると、
「っ!? んだぁ!?」
ぐにゃっ、となにか柔らかいものを踏みつけた。
思わずつんのめって転びそうになるが、なんとか踏ん張る。そして床へと視線を落とし、踏みつけたそれを確認した。
「って、ネズ公じゃねーか! おいてめー、床で寝てんじゃねーぞ! つーか晩飯前に寝るなって何度言ったらわかんだよ! チーズやんねーぞ!」
廊下で突っ伏して眠りこける眠りネズミに怒鳴るが、寝息が聞こえるだけで、返事は皆無に等しい。
随分と深く眠りに入っているようだ。
「ったく、こいつにはほとほと困ったもんだぜ。ジャバウォックがいないとなると、いつでもどこでも眠っちま――」
と、そこで。
アヤハは、気づいた。
「……眠りネズミが、寝ている、だと?」
再度、時間を確認する。
午後5時30分。奇数時間。それは、眠りネズミが【不思議の国の住人】としての性質を得てしまい、眠りに入ってしまう時間だ。
しかし、それは逆の意味でもある。眠りに入る時間だからこそ、彼は眠りから逆行する。
眠りネズミは、彼の睡眠時間において、睡眠の概念を逆転させ、起きていることができるのだが、これは彼曰く「エナドリ」である。
つまり、奇数時間に
それも、ジャバウォックの力を借りれば「ルールを破る」ことができるため、普通に起きていられるのだが、今は眠っている。
考えられる理由は二つ。一つは、今がジャバウォックの
あるいは――
「……まさか、な」
「あ、あのぅ……」
声をかけられた。振り返ると、そこにはフードを目深にかぶった少女の姿があった。
「代用ウミガメか」
「は、はい……あの、ね、ネズミくん、寝ちゃってます、けど……お、お部屋に、運び、ましょうか……?」
「頼む……あぁ、その前に、ちっといいか?」
「はい?」
「バンダースナッチ、見なかったか?」
「なっちゃんですか? えぇっと……あ、アタシが帰ってきた時には、げ、玄関で、すれ違いました、けど……」
「すれ違った? 外に出たってのか? 一人で?」
「さぁ……お庭に、い、行っただけ、かもしれませんし……お、お屋敷の、外に出たか、までは……普通、なっちゃんは一人で、お外には出れない、はず、ですけど……」
代用ウミガメから話を聞くにつれて、嫌な予感が募っていく。
彼女の考えは、彼女のエゴであり悪意だと切り捨てたが、まさか……
「……あと二つ、頼む。ハンプティ・ダンプティを見なかったか?」
「ハンプティ・ダンプティさん、ですか? えぇっと、た、確か、お部屋に入るのを、見た、ので……お仕事、しているのでは、ないでしょうか……?」
「わかった。じゃあ最後にも一つ」
「は、はい……?」
「ちょっと――代用して欲しいモンがある」
☆ ☆ ☆
「一体なんだってんだよ、ヤングオイスターズ。私もなんだかんだ忙しい。まともな職にもつかず、非効率的かつ非合理的な働きをしてるお前さんとは違うんだ」
「うっせぇ。こちとら緊急案件なんだ。ずんぐりむっくりは黙ってろ」
「あん!? お前さん、それが人にものを頼む態度かよ!」
「いいから来い! もしなんもなかったら、ワタシの来月の給料、全額
代用ウミガメと別れてから、アヤハはハンプティ・ダンプティを部屋から引きずり出して、廊下を進む。
迷いなく、ひとつの目的地へと向けて。
「着いた、ここだ」
「は……? ここ、バンダースナッチの部屋だが、こんなとこになんの用だ?」
首を傾げるハンプティ・ダンプティ。
その疑問ももっともだ。怪物の巣などと揶揄され、誰も近づかないバンダースナッチの個室は、屋敷の中でも他の部屋と比べ、離れたところに位置しており、孤立している。誰もこの部屋には近づかない。
アヤハもできれば訪れたくはなかったが、今回ばかりは仕方がない。
ドアノブに手を伸ばして、捻る。しかし、ガチャガチャと音と立てるばかりで、回らない。
「やっぱ鍵かかってるか」
「いないんだろ。最近、どうも帰りが遅いようだしな。ま、あいつは好奇心の塊だ、仕方あるまいさ。なに、危ない奴だが、付き人がいれば大丈夫だろ」
「あぁ、付き人がいれば、な」
「……ところでお前さん、私に対して脅しのつもりなのかなんなのか知らんが、それ、なんだ?」
「これか?」
アヤハはハンプティ・ダンプティに指差された“それ”を、軽く掲げる。
ずっしりと重量かんがあり、長い木の棒の先端には、漆黒の鉄塊。
それは、いわゆる――ハンマーだ。
それも、手持ち用ではなく、両手で持たなくては扱えないような、大型の金鎚である。
「本当は手っ取り早く爆弾みてーなのが良かったんだが、ま、代用ウミガメから借りるモンだかんな。こんくらいになっちまうのは仕方ねぇ」
「まさか私を呼んだのって……」
「おう。後でこの扉、元に戻しといてくれ」
言ってアヤハは、ハンマーを振りかぶる。
そしてそれを、思い切り扉に――叩きつける。
「……ッ!」
ガィンッ! という鈍く重い音が全身に響く。
それを、何度も何度も、扉に叩きつけ、力ずくで――粉砕した。
「うっし、突破だ」
「いくら私が復元できるつっても、お前さんなぁ……」
「緊急事態なんだよ。大目に見ろ」
ハンマーを投げ捨て部屋を見回す。
大きな部屋ではない。ベッドに、テーブルに、クローゼットに――ごく普通の部屋だ。物は少ない。
強いて言うなら、テーブルや床に散らばったハサミやらアイスピックやらが、異常に見えるが。
「……おいヤングオイスターズ。この部屋、なんか変な臭いしないか?」
「臭い? 言われてみれば……」
「私は内務担当だからよくわからんが、これってあれじゃないのか? 獣と、血の……」
「……!」
ハンプティ・ダンプティが言い終えるより早く、アヤハはクローゼットを開け放った。
中にあるのは、バンダースナッチがいつも来ている黒いコート――凶器を隠すための装備に、シャツやズボン、下着など、普通の衣服だけ。
「……数が少ねぇ。しかも、臭いの元はここ……ってぇ、ことは」
ガコッ!
クローゼットの奥が、開いた。
「ビンゴだ」
「な、なんだぁ?」
「隠し扉みてーなもんだ。あの化物女め、無駄な知恵つけやがって」
隠し扉と言っても、そんな大層なものではない。ちょっとしたものを収納するスペースができた程度だ。
しかし、その“ちょっとしたもの”が“意図的に隠されている”という事実が重要なのだ。
アヤハは隠し扉の奥にあるものを引っ張り出す。それは、ゴミでも入っていそうな、黒いポリ袋だった。
「ま、実際に入ってるのはゴミだろうがな……ぐっ!」
「うおぉ!?」
中を開けると、思わず鼻を押さえて後ずさる。
異臭の原因は、ここだ。
「もう秋とはいえ、ゴミ袋の中じゃ、湿気や熱が籠るからな……! 微量でも酷いもんだぜ」
「とか言ってる場合かよ、ヤングオイスターズ。こいつは……」
「あぁ」
中に入っていたのは――刃物だ。
カッターナイフや彫刻刀のような文房具もあるが、果物ナイフや包丁といった、刃物として十分に機能するようなものまである。
そしてそれらはすべて、変色した血が付着しており、刃も
「何度も使って、使えなくなったから捨てたモン、ってとこか。で、こっちは服……血がついて着れなくなったからか。あいつ、こんなモンどうやって処分するつもりだったんだ?」
「……なぁ、ヤングオイスターズ。私はまったく理解が追いつかねーんだが、これはどういうことだ?」
「アンタは、帽子屋がワタシに通達した命令については、どこまで知ってる?」
「詳しくはない。なんか、帽子屋がお前さんや、お前さんの弟妹に、下の町で起こってる事件について調べさせてるらしい、ってくらいだ」
「そんだけわかってりゃ十分だ。その事件は、ちっこいガキや獣が傷つけられ、殺されるって事件なんだが……そのすべての犯行において、凶器は刃物が使われている」
「…………」
「しかも、その凶器は見つかっていない。犯人が持ち去っている」
「……おい、ヤングオイスターズ。お前さん、まさか……」
「あぁ、そのまさかだ。ワタシだって信じたくはねーが……これはちぃっと、無視できねぇ」
一人の少女の妄言が、一気に現実味を帯びてきた。
どういう理屈かはわからないが、これもはや、立場がどうこうと言っている場合ではない。
いや、自分の立場だからこそ、動かないわけにはいかなかった。
「最後に確認だ、ハンプティ・ダンプティ。アンタ、今すぐこの扉を
ハンプティ・ダンプティの活動時間は、4時、6時、8時、10時の四時間に、午前午後それぞれに適用され、合計八時間。
現時刻は5時30分過ぎ。つまり、彼の活動時間ではないため、彼の
しかし、今この家にいるはずのジャバウォックの力があれば、その縛りは無視され、彼はこの扉を復元できる。
もし、復元できないのだとすれば――
「無理だ。あと30分待て」
――ジャバウォックは、屋敷の外だ。
☆ ☆ ☆
『その後、ハンプティ・ダンプティの野郎を帽子屋のダンナに遣わせて確認したが、今この時間、ジャバウォックは
――バンダースナッチが、ジャバウォックを持ち出した。
他の人にジャバウォックを外に出す理由があるとは考えられないため、外出理由が不明ななっちゃんが持ち出したと、そう考える他ないと、アヤハさんは言った。
『肝心のバンダースナッチはたぶん、獲物を探してる。ワタシも今、そっちに向かってる。後で詫びるから、今すぐあの怪物を押さえろ!』
「は、はいっ!」
そうして、アヤハさんは通話を切った。
「……なんだか、大変なことになっちゃってるみたいなのよ」
「知ったことか。姉さん、兄さん、もう帰ろう。家で暴れなければ、バンダースナッチがどこでなにをしてようが構いやしないさ」
「もうっ、ハエ太!」
「だってそうだろう。事件を追ってるのはヤングオイスターズさんとマジカル・ベル、被害者は子供と獣。私たちの生活には関係ない」
「鈴ちゃんたちは、あなたの生徒でしょう? 生徒の悩みを解決するのも、先生のお仕事なのよ!」
「私、別に好きで教師やってるわけじゃないし」
な、なんだか葉子さんと先生が言い合ってるけど、それよりも、
なっちゃんがジャバウォックさんと一緒にいる。それはつまり、次の被害者が生まれかねないことを意味していた。
となると、今すぐに止めさせなきゃ……!
「でも、なっちゃんはどこに……?」
「外って言っても、この町で子供一人を探すなんて、ちょっと無理ゲーしょ」
「それに彼女、確かいつも真っ黒なコート着てたよな」
「暗い……姿、かくれる……」
なっちゃんの行き先もわからないのに、闇雲に探しても見つかるとは到底思えない。
それに、なっちゃん自身もとても危険な子だ。バラバラに探しても、見つけた時にみんなが危険に晒されてしまう。
ど、どうしよう……
「なっちゃんの行先かぁ。トンボ、わかる?」
「すまぬ姉上、未知だ。ハエ太、貴様はバンダースナッチめを見なかったのか?」
「あ、そっか! ハエ太はずっと見回りしてたものね! なっちゃんのことも見てるんじゃない?」
「だから、ハエ太はやめろって……バンダースナッチ、ね。あぁ、見たよ、姉さんたちと会う直前に」
「! ほ、本当ですか! それは、どこで……!?」
「どこでしたかな。確か、あの……屋根のついた、長い一本道になってる……」
「もしかして、商店街?」
「あぁ、それです。指示されたルート通り、そっちの方に向かっている途中で、見ましたね」
「ぼくらと合流する直前となると、ちょうど半刻前、といったところか?」
「それで、その時のなっちゃんはどうだったのよ?」
「追いかけなかったんですか?」
「別に負う必要はないでしょうよ。付き人なしで外出しているので、まあ妙だとは思いましたが、どうでもいいことかと判断しました。それに、あっちの方は巡回ルート外なので、わざわざ足を運ぶ意味もありません」
「もうっ、ハエ太ったら、融通が利かないんだから!」
「はいはい、ごめんなさいね。そしてハエ太はやめろ」
先生のお陰で、なっちゃんがどっちにの方に行ったのか、おおよその検討はついた。
「とはいえ、商店街の方と言っても、あまりに大雑把だ。範囲も狭くない。この視界の悪さだ、広範囲を雑に探すより、もう少し範囲を絞って重点的に捜索した方がいいだろう」
「そーゆーことなら、私たちも手伝うのよ! ね、いいでしょ? トンボ、ハエ太!」
「応とも! バンダースナッチの悪逆非道も見過ごせん」
「姉さんが言うなら別にいいけど、面倒くさいなぁ……」
「じゃあ、私たちは商店街のアーケードの奥の方に行くから、鈴ちゃんたちは脇道の方を行ってほしいのよ!」
「りょ……」
「なんか仕切られてるのいけ好かないけど、緊急事態なら私も空気を読むとしますか」
「脇道っていうと、図書館がある方向ですね」
わたしも小学生の頃に通っていた、小さな図書館。
あの近辺なら、わたしもよく知ってるから、探しやすい。
行き先は決まった。あとは、なっちゃんを探して、捕まえて、この事件を解決するだけだ。
「よし。じゃあみんな、行こう――」
と、言いかけて、止まった。
一人、足りない。
葉子さん、先生、お兄さん。
みのりちゃんに、恋ちゃん、霜ちゃん、わたし。
あと一人がいない。
もう一人、わたしの友達は――
「……ユーちゃん?」
――闇夜の向こうへと、駆け出していた。
☆ ☆ ☆
学校が終わったら、図書館で勉強する。中学校に上がってからずっと続けている日課だった。
勉強と言っても、学校でするような勉強ではない。ただ、自分の知らないこと、自分の理解できないことを、知って、理解しようとする。そんな挑戦を続けているだけだ。
たとえば、自分の知らない言葉で書かれた本を読む。辞書を引き、事典を引き、わからない言語を翻訳し、わからない単語を調べ、読み解く。ひとつひとつの言葉からひとつの文章へ、ひとつの文章からひとつのページへ、ひとつのページから本全体へと、理解を及ぼしていく。
勿論、そんな挑戦ばかりでは疲れてしまうので、学校での勉強もする。知っていること反復し、定着させる。その作業は、あまり楽しくはないが、必要なことだとは思う。
それから、たまに聖書も読む。日本語に翻訳された聖書。
ドイツにいた頃は、教会で毎週のように読んでいたから、内容はわかる。けれど、違う言語で同じ内容が書かれているというのは新鮮で、その違いを知るのもまた、興味深く、面白いものだった。
最初は妹も誘っていたが、中で学ぶよりも外で遊ぶことを好む彼女には、こういう“遊び”は性に合わなかったようだ。
だからもうずっと、一人でこの日課を続けている。別にそれは苦ではなかった。妹には、妹の楽しみがある。ただそれだけの話なのだから。
「ん……もうこんな時間」
今日は少し難しい本を読んでいた。この国の、日本の社会問題について。まだずっと先の話だが、仕事をする人、会社の実態について書かれた本だった。
日本人ならば簡単に理解できるのかもしれないけれど、如何せん自分はこの国の人間ではない。日本語の読み書きも、同年代の日本人と比べて遜色ないほどに習得はしたが、それでも専門性の高い単語や言葉遣い、あるいは日本独自の表現技法は、まだ万全に理解できているとは言い難い。特に
だからこそ、読むのには苦労したが、その苦労が楽しくもあった。できれば、もっとちゃんと読みたかったが、そういうわけにもいかない。
時間は有限。そして、一日のうちで、どの時間になにをするかも、決められている。決まっていた方が、より便利に、快適に生活できる。
楽しさにかまけて生活のバランスを崩してしまうわけにはいかない。それに、自分のことに終始して他人のことを忘れてしまえば、迷惑も掛かる。
時刻は6時前。もう秋で、だいぶ寒くなってきた頃だ。そして日が落ちるのも、早い。
外はかなり暗くなっていた。早く帰らなければ、家族が心配する。特に最近は、子供が襲われる事件も起こっていて、物騒なのだ。
借りた本を本棚に返して、職員の人にお礼を告げ、図書館から出た。
決して大きいとはいえず、人も少ないし、寂れた感じがあるけれど、職員の人たちは優しいし、静かで落ち着いているので、利用しやすい。そのため、この場所は自分にとってのお気に入りの場所になっていた。
鞄を持って外に出る。もう外は、真っ暗だった。
空を見上げても、月すら出ていない暗闇の夜天が広がっている。
「早く帰らなきゃ……」
気が急いて、少し小走りになる。
図書館は学校からは少し遠いが、家からは比較的近い場所にあるので、急げば夕飯までには間に合うはずだ。
日本は平和な国と言うが、それでも危険がないわけではない。最近は、物騒な事件も起きているらしいので、早く帰るべきであろう。
それになにより、自分が妹よりも遅く帰っては、姉としての面目も立たない。
人に注意しておきながら、自分が実践できていないなどということは、あってはならないのだ。
「……ユーちゃん、今日も遅いのかな」
しかし同時に、妹には、自分よりも先に帰っていて欲しい、という気持ちもある。
帰ったら既に妹がいて、笑顔で出迎えて欲しい。そんな、安心が欲しい。
妹の帰りを待つ姉。その不安感は――いつまでも、拭えないから。
「あ……こっち、近道……」
暗い裏路地。電灯がなく、大きな通りよりも危険な道だ。
いつもなら通ろうとは思わないが、今日はいつもよりも遅く図書館を出たため、帰りも遅くなってしまいそうな時間。少し、急ぎたいところだった。
大きな通りを通って、安全に時間をかけて帰るか。それとも、暗い裏路地を通って、素早く家に帰るか。
キョロキョロと周りを見回す。人の気配は、微塵もない。
「どうせ大通りに出ても人がいないなら……」
暗い裏路地を通っても同じことだろうと、それならばより素早く帰れる道を選んだ方が良いと判断した。
その判断は間違いとは言い切れないが、それは相手のことを失念した考えだ。
つまり不審者とは「常に誰もいないところ」を狙うものであることを。
――カランッ
「っ!」
なにかを蹴飛ばす音が聞こえた。
思わず身構える。目の前に、誰かがいる。
暗くてよく見えないけれど、小さな人影。だんだんと、その姿がハッキリしてきて――自分の中の認識は、驚愕に変わる。
けれど同時に、安堵した。相手は、自分よりもずっと小さな子供。それも、少女だった。
しかも、親近感を覚える真っ白な髪をしている。顔つきは日本人のように見えるが、どこか異国の血でも混じっているのだろうか。
「…………」
少女は黙っていた。ぼぅっと、視線を虚空に彷徨わせている。
こちらを見ているのか、いないのか、ハッキリしない、あやふやな眼だった。
「……あ、あなた」
「…………」
「どうしたの、こんなところで。もう暗いし、危ないよ」
「…………」
「Mutti……えっと、お母さんや、お父さんは? お姉ちゃんやお兄ちゃんでもいいけど……家族の人は? ひょっとして、はぐれちゃったの?」
「…………」
少女は、まるで言葉を返してくれない。怖がっているのだろうか。
コミュニケーションが取れず困惑してしまうが、恐らく自分の考える通りだろうと、予想する。
家族と出かけている最中にはぐれてしまった子供かなにかだろう、と。それでここに迷い込んでしまった。
(なんだか……ユーちゃんみたいだ)
今でこそ少しは落ち着いたが、家族とはぐれて迷子になってどこかへ行ってしまうというのは、かつての妹を想起させた。
そして同時に、なにか責務のようなものが、果たすべき使命感のようなものが、自らの内側から湧き上がる。
「お姉ちゃんが、家の人のところまで送っていってあげようか?」
本当はそんなことをしている余裕などないのだが、こんな小さな子供を放置するわけにもいかない。
夕飯に遅れてしまうことも、妹よりも遅く帰ることも、良くないことだが、この場合は事情が事情だ。きっと神様も許してくれる。
そう信じて、一歩踏み出し、手を差し伸べる。
「私、ローザ。あなたは?」
「……な……ち」
「? なんて?」
「なち……」
「な、なち、ちゃん? ちょっと、呼びにくいかも……なっちゃん、って呼んでいいかな?」
「…………」
少女は答えなかった。けど、首をコクリと頷かせたので、いいのだろう。
なかなか歩み寄ってくれない少女に、どうしたものかと頭を悩ませていると、今度は少女の方から声をかけてきた。
「……おねーちゃん」
「どうしたの、なっちゃん」
「きらきら……してるね」
「えっ?」
ポケットに手を入れて、一歩、こちらに歩み寄る。
心を許してくれたのだろうか。言っていることは不思議でよくわからないけれど、この国独特の褒め言葉か、お礼の言葉かなにかだと解釈しておく。
そのことに嬉しくないながら、自分も彼女へと歩み寄った。
「きらきら……きらきら……とても、きれい。だから――」
一歩、一歩、またもう一歩。
もうすぐで触れ合う距離。もう数歩で、この子の手を取れる距離。
手を伸ばす。彼女の手を取り、繋ぐために。
少女もまた、ポケットから手を出した。
そして、その手には――
「――あなたの“なか”みせて?」
――ナイフが、握られていた。
☆ ☆ ☆
「――Rosa!」
パシンッ! と、乾いた音が暗闇の路地に響き渡る。
カランカラン、と輝きを失った銀色の刃物が地面を滑り、闇の彼方へと消えた。
二人の少女の前に割り込むもう一人の少女は長い銀髪をはためかせ、ナイフを手失って呆然とする幼女を、キッと睨みつける。
「
彼女は、その幼い風貌に似つかわしくない険しい表情で、荒ぶる怒声を飛ばす。
「ゆ、ユーちゃん……?」
対して刃を向けられた少女は、吃驚に目を見開いていた。
それは、自分よりもずっと幼い少女から凶器による暴威を受けそうになったこと。そして“自分の妹”が、この場に現れたことによる、驚愕と、困惑であることは明白だった。
「――ユーちゃん!」
――というところで、わたしたちはようやく追いついた。
唐突に姿を消した――いいや、ローザさんの危機をいち早く察知して、わたしたちを置いて一人で先んじて突っ走ってしまったユーちゃん。
そしてユーちゃんが考えた通り、そこにはユーちゃんの双子のお姉さんであるローザさんがいて、そして――
「なっちゃん……!」
――『バンダースナッチ』の姿も、あった。
なっちゃんはナイフを取り零した手を握ったり開いたりしながら、どこでもないどこかを見据えていた。
そう、彼女は確かに――ローザさんに向けて、刃物を向けていた。
いつか、わたしにそうしたように。
ということは、やっぱりなっちゃんが……
「い、伊勢さん……? そ、その、これ、は……!? な、なにが、え……!?」
「ローザさん……」
ローザさんは酷く混乱していた。無理もない。いきなり襲われて、だけど助かって、でもそれが自分の双子の妹によるもので……しかもわたしたちまでいて、ローザさんにはなにが起こっているのか、わけがわからないだろう。
けど今は、現状をゆっくり説明している暇はない。
暴威が――この町で起こっている数々の事件の犯人が、目の前にいるのだから。
「おねーさんだ。きちゃったんだ」
「なっちゃん……あなたは、なにをしようとしてたの?」
「……きらきら。さがしてた。ずっと、ずっと、いまも、まえからも、これからも、ずっと」
きらきら。やはり、それか。
わたしが初めてなっちゃんと出会った時にも、彼女はそう言っていた。
それがなにを指すのかはわからない。帽子屋さんは、人間のキレイな“心”のようなものだろうと、言っていたけれど。だとしても、残虐な殺傷行為と、そのきらきらがどう結び付くのか。それは、彼女にしかわからない。
あるいは、彼女にもわかっていない。
「この町で、小さい子を襲ったり、動物を殺したり、花壇を荒らしたりしたのは、あなたなの?」
「……したかも。きらきら、してた、から。とりあえず、“ひらいてみた”の」
「っ……!」
「むずかしかった、けど。は、あんまり、とおらなかった、から」
淡々と、無機質に言葉を紡いでいくなっちゃん。
機械的で霊的に、無邪気に無感動。歪さを当たり前のものと享受したまま生きているような、歪みきった感性。
普段はただの子供にしか見えないけれど、こうして改めてみると、その異常さは【不思議の国の住人】の誰よりも際立っているように見える。
すぐそこに迫る脅威という点では、帽子屋さんの狂気よりも、よほど恐ろしい。
なっちゃんは、左の袖口からカッターナイフを、右のポケットから果物ナイフを、それぞれ握った。
それを見るや否や、ローザさんの身が竦む。
「ひぅ……っ!」
「ローちゃんに、酷いことはさせません……!」
「…………」
けれどそこには、ユーちゃんが立ち塞がる。
姉を守りたいという強い意志で、なっちゃんに立ち向かう……けど。
「おねーちゃんも、きらきら、だけど。ちょっと、にごってる。じゃま、だよ」
右手の果物ナイフを突きつけるなっちゃん。
どこの家庭にもあるようなチープな刃物だけど、ナイフはナイフ。触れれば切れる刃物だ。
相手は幼い子供だけど、刃物を持った相手に、生身で立ち向かうだなんて、無謀もいいところだ。ユーちゃんも、決して体格がいいわけではないのだから。
(ど、どうしたら……!)
これ以上、被害を出さないために犯人を捜していたのに。その犯人を突き止めたのに、自分たちがその被害者になってしまっては、元も子もない。
あの凶器を手放させて、なっちゃんを止めるには、どうすれば……
「! そうだ……と、鳥さん! 鳥さん起きて!」
わたしは慌てて鞄の中をひっくり返す。
オルゴールの木箱を掴み取って、鳥さんを叩き起こした。
「小鈴……? どうしたんだ、血相変えて」
「鳥さんお願い――ユーちゃんの、力になって」
時間がない。詳しく説明している暇なんてない。
わたしは鳥さんをまっすぐに見据える。いつもとぼけた鳥さんだけど、わたしの必死だけは伝わったのか、訳が分かっていないなりにも、鳥さんは頷いた。
「いいだろう。あの幼子からは、なにかクリーチャー臭いような、違うような……よくわからないけど、変な臭いもするしね」
「ありがとう、鳥さん」
鳥さんは飛び立る。
そして、それとほぼ同時のことだ。
「おねーちゃん……じゃま」
ゆらゆらと揺らめくなっちゃんの足取りが、ユーちゃんへと近づいていき、手にした刃物の切っ先が、その柔肌に触れる――
「Julia……!」
お願い、間に合って、鳥さん……!
――刹那。
暗闇に、一瞬の閃光が――瞬いた。
☆ ☆ ☆
「これは……? トリさん……?」
刃の切っ先が触れる寸前、二人は聖獣の介入によって、戦いの場に引きずり込まれた。
二人の間を分つのは、五枚のシールド。
この空間において、人の世の暴力は通じない。この世界を構築する
その条理に従わなければ、この時空においては戦う権利すら持ち得ない。
「……ちぇ」
バンダースナッチは両手の刃物を投げ捨て、代わりに目の前の手札を取る。
それを見てユーリアもまた、手札を取った。
「小鈴さん……Danke」
この場を用意してくれた友人に感謝を述べつつ、果てのない遥か上空を仰ぎ見る。
――太陽の沈んだ空には、月は無かった。
☆ ☆ ☆
一方的に刃物を差し向けられるよりはマシだと思って鳥さんにお願いしたけど……本当に、これでよかったのかな……
ユーちゃんと、なっちゃんの、対戦。
2ターン目。先に仕掛けたのは、なっちゃんだった。
「マナを……ふたつ」
闇のマナを二つ使って、なっちゃんは手札を切る。
「
静かに宣言した、刹那。
獣のような雄叫びが轟いた。
「――《
ビュッ! と。
切り裂くような、一陣の風が吹く。
同時に、なっちゃんの山札に爪痕が刻まれ、二枚のカードがボロボロと崩れ落ちていく。
「やまふだから、ふたつ、ぼちへ」
「……っ」
すごい、威圧感だった。
ただ墓地を増やしただけで、それ以上のことはなにもしていないのに。
ただ見ているだけのわたしでさえも、背筋が凍るような、嫌な気配を強く感じた。
とても……不気味だ。
「ユーちゃんのターンです……マナチャージだけして、Ende、です」
ターン2
バンダースナッチ
場:なし
盾:5
マナ:2
手札:3
墓地:3
山札:27
ユー
場:なし
盾:5
マナ:2
手札:5
墓地:0
山札:24
FORBIDDEN STAR
左上:封印
左下:封印
右上:封印
右下:封印
「マナを、みっつ。で、しょうかん」
なっちゃんは、さらに手札を切る。
今度は呪文ではない。クリーチャーを呼び出すつもりだ。
そして、空からなにかが落ちてきた。
「《
それは、蝋燭に火の灯った、ひび割れた燭台だ。
ただしただの物体ではない。三つの蝋燭にはそれぞれ凶悪な貌が張り付いており、不気味に嗤っている。
それに灯っている火も、紫色に燃え盛っており、ただの炎ではない。
蝋燭のクリーチャーはケタケタと嗤うと、その炎でなっちゃんの山札を焼き焦がす。
「
「やまふだから、みっつ、ぼちへ」
焼かれた山札のカードは、またしてもボロボロと爛れて、墓地へと焼け落ちる。
「……おしまい。おねーちゃんの、ばん、だよ?」
「あ、ぅ……た、ただ
ユーちゃんは、明らかになっちゃんに気圧されていた。
初めて見る、今までにない、なっちゃんの不思議で、不気味な空気に、飲まれそうになっていた。
だけどユーちゃんは屈せずに、立ち向かっていく。ローザさんの――お姉さんの、ために。
「ユーちゃんのターン! 3マナで《ボーンおどり・チャージャー》! こっちも墓地を増やしますよ! Ende!」
ターン3
バンダースナッチ
場:《グリギャン》
盾:5
マナ:3
手札:2
墓地:6
山札:23
ユー
場:なし
盾:5
マナ:4
手札:4
墓地:2
山札:21
FORBIDDEN STAR
左上:封印
左下:封印
右上:封印
右下:封印
「マナを、よっつ……《ヴォガイガ》」
また空からなにかが落ちてくる。
今度は、絵だ。額縁に収められた絵画。
ただしこの絵画も、ひび割れたような亀裂が走っており、そして絵の中心には醜悪に嗤う貌が浮かび上がっている。
「やまふだ、よっつ、ぼち……《ヴォーミラ》、てふだに……おわり」
今度は四枚の墓地肥やし、そして墓地からクリーチャーも回収していった。
ここまでの動きは、闇文明らしいけど、普通の動きだ。墓地を増やして、墓地のクリーチャーを取り戻す。ただ、それだけ。
それだけなのに……なんでこんなにも、胸がざわつくの……?
ユーちゃん……
「むぅ、ユーちゃんのターンです! マナチャージして、5マナで《マッド・デーモン閣下》を召喚です!」
ユーちゃんも負けじとクリーチャーを繰り出す。
それと同時に、ユーちゃんの頭上に浮かぶ巨石に科せられた楔がひとつ、砕け散った。
「コスト5以上のコマンドが出たので、
ターン4
バンダースナッチ
場:《グリギャン》《ヴォガイガ》
盾:5
マナ:4
手札:2
墓地:9
山札:18
ユー
場:《デーモン閣下》
盾:5
マナ:5
手札:4
墓地:2
山札:20
FORBIDDEN STAR
左上:封印
左下:解放
右上:封印
右下:封印
「《ヴォガイガ》で、コスト、ひとつ、すくなく……マナを、みっつ……《ヴォーミラ》」
「今度は
「やまふだからみっつ、ぼちへ」
ドスンッ! と重量感ある地響きを鳴らしながら落下したのは、
「マナを、ひとつ……《ドゥグラス》」
続けて降ってくるのは、ひび割れたグラス。
さらに今度は、《ヴォーミラ》が墓地の中身を映す。そこに映っているのは、刃の
「マナ、もうひとつ……《ヴォーミラ》で、ぼちから、しょうかん、するよ?」
「墓地から……!?」
「きて……《ドゥシーザ》」
《ヴォーミラ》が映した墓地。その鏡面を通じて、墓地から鋏が飛び出す。
その鋏は錆びついた金属音を鳴らしながら《デーモン閣下》を切りつけるけど、力を多少削ぐ程度で、倒すことはできない。
でも、それで問題なかったんだ。
彼女の、なっちゃんの本命は、そこではなかったのだから。
「《ドゥグラス》、《ドゥシーザ》……《グリペイジ》、《グリール》」
「っ、な、なにが始まるんですか……!?」
なっちゃんは、呼びかける。場と、墓地の、壊れた道具たちに。
その呼び声に応えるように、道具たちはカタカタと震え出した。
そしてなっちゃんは、
鍵となる、数字を。
「
なっちゃんは、手元に集まってくる魔導具を手に取ると、それを無造作に、投げ捨てるように、虚空へと放る。
ひび割れたグラスを、刃の毀れた鋏を。
「
墓地から這い上がり、浮かび上がったそれも掴み取り、投げる。
破れた魔本を、砕けた穿孔機を。
そして、四つの魔道具が定められた位置へと落ちた――その時。
「
四つの魔導具は、幾何学的な紋様――魔法陣を形成する。
それらは鍵だ。門を開くために必要な、部品であり道具だ。
それぞれ単体では機能しない道具だが、それらは四つ寄り集まった時、鍵としての機能を発揮する。
魔法陣の形成によって、鍵は差し込まれ、錠は落とされた。
門が開く――刹那。
「――
黒い月が――夜空を覆い尽くす。
そして、無月の化身が導かれ、門より出づる。
「
まるでわけのわからない言葉を読み上げ、現れたのは――真っ黒な、獣だ。
虎……いや、豹、なのかな。
全身が紫炎で燃え盛っている、苛烈なる猛虎。悪逆なる魔獣。
そして、最初になっちゃんが唱えた呪文。あの時、山札を削り落としたのは、このクリーチャーの爪だ。
夜空を駆けるようにして降下してくる魔獣。その周囲には無数の黒点が浮かび上がり、集い、星座のようになにかの像を結んでいる。
だけどそれは星座じゃない。あれは、十字……いや、違う。
あれは、卍だ。
「っ、
その黒点の生み出す紋様に、ユーちゃんは目を見開いていた。
とても恐ろしいものを見るような、忌むべきものであるかのような、眼差しで。
「《デ・ルパンサー》……ころして」
まるでわけがわからない。意味不明で、理解不能で、威圧と悍ましさで竦んでしまう。
けれどそんなことは構わず、むしろ好機とばかりに、魔獣はその獰猛な爪を振るう。
今度は自らの山札を削って墓地を増やすなんて生易しい真似はしない。
次に振るう魔獣の爪は、殺戮の凶器だ。
「《デーモン閣下》が……!」
一瞬にして、ユーちゃんのクリーチャーが引き裂かれた。
さらに、それだけでは終わらない。
「あと……こっちも。みんな……おいで」
なっちゃんの墓地が蠢く。
ざわざわと、ぞわぞわと、なにかが大量に、浮かび上がってくる。這い上がってくる。
夜空に浮かぶ禍々しい門を道標に。
「《ハク★ヨン》……《ティン★ビン》」
ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、と。
ゆらゆら、ゆらゆら、と。
燃ゆる人魂のような、あるいは夜空に浮かぶ星のような、暗い輝きが現れた。
「墓地からクリーチャーが……よ、四体も!?」
不明に過ぎる。現状がどうなっているのか、なにがどうしてこうなっているのか、さっぱりわからない。把握も、理解も、追いつかない。
ただわかるのは、あの獣は道具のクリーチャーたちを寄せ集めた門から現れて、その門に反応して人魂のようなクリーチャーたちも出て来た、ということだ。
人魂のようなクリーチャーたちは、どこか愛嬌のある顔をしていて、ゆらゆらと揺らめいてなんだか可愛げがある。けれど。
それは当然の如く、愛嬌を振りまくだけの存在ではなかった。
「……《ティン★ビン》」
「あぅっ!」
二種類の人魂のうちの一つ、天秤を
その瞬間、ユーちゃんの手札が、燃え上がった。
燃え尽きた手札は、ボロボロと崩れ、墓地へと落ちる。
「おわり、だよ?」
「うぅ……」
ユーちゃんは、苦しそうに呻く。
まだ決定的な痛打を受けたわけじゃない。だけど、相手にはクリーチャーが八体もいる。
一体一体は強力とは言い難いけど、この数はあまりにも脅威的。ただそれだけで、プレッシャーだ。
「でも、こっちだって……! 5マナで、墓地から《終断Δ ドルハカバ》を召喚です! 左上の封印をはずします!」
ユーちゃんもなっちゃんに対抗するかのように、墓地からクリーチャーを召喚する。
そしてそれに反応して、またしても巨石の楔が砕けて、二つ目の封印が解かれた。
「行きます! 《ドルハカバ》で
《ドルハカバ》はゆらゆらと浮いている人魂へと突っ込む。そして、それと同時にその姿を変化させた。
侵略によってその身を侵略者に委ね、スクラップを繋ぎ合わせたような紫色の暴走機械へと変貌する。
「
けど、それだけじゃ終わらない。
ユーちゃんは手札のカードを放り、攻撃中のクリーチャーを引き戻す。
侵略した《デッドゾーン》は侵略と同時に、革命を起こして、成り変わる。
「
一匹に、孤独な魔狼へと。
「墓地の《デーモン閣下》を山札に戻して、《デ・ルパンサー》を破壊です!」
墓地の闇のクリーチャーを贄に、《キル・ザ・ボロフ》は凶拳を振るう。
鋭く重い拳の一打で、燃え盛る猛虎を叩き伏せ、消し飛ばしてしまった。
「さらに《デッドゾーン》の能力で、《ヴォーミラ》のパワーを9000下げて、こっちも破壊します! 最後に《ハク★ヨン》と《キル・ザ・ボロフ》でバトル! 破壊です!」
《デッドゾーン》は手札に戻ったが、その能力は残留する。腐敗の力が《ヴォーミラ》の鏡面を台座諸共に融解させた。
《キル・ザ・ボロフ》は続け様に放ったブローで《ハク★ヨン》を掻き消す。
なっちゃんの三体のクリーチャーは、一瞬で墓地へと送り返されてしまった。
とはいえ、それでもまだ五体もクリーチャーが残っている。まだ危機は去っていない。
ターン5
バンダースナッチ
場:《ティン★ビン》×2《グリギャン》《ヴォガイガ》《ハク★ヨン》
盾:5
マナ:5
手札:0
墓地:11
山札:14
ユー
場:《キル・ザ・ボロフ》
盾:5
マナ:6
手札:2
墓地:4
山札:20
FORBIDDEN STAR
左上:解放
左下:解放
右上:封印
右下:封印
「……マナを、みっつ。《グリペイジ》、しょうかん……てふだ、すてて」
それは、悪魔の本。ギョロリとした四つ目に、血管のような赤い筋の走る表紙。中身はビリビリに破けている魔本。
魔本は自身の中に記された呪いで、ユーちゃんの手札を破壊する。
だけど、墓地を活用するという点では、ユーちゃんも負けていない。手札が墓地に行っても、ユーちゃんには痛手にはならない。
「効きませんよ! 《ドルハカバ》も、《デッドゾーン》も、墓地から出るんですから!」
「いいよ……
「っ! ま、またですか……!?」
《グリペイジ》が場に出たことで、またしても場がざわつき、墓地が蠢動する。
そしてなっちゃんの手元に、魔導具たちが集まってきた。
「《グリギャン》《グリペイジ》、《グリール》《ドゥシーザ》」
場から二つ、墓地から二つ。
合計四つの魔導具を手繰り寄せ、それらを虚空へと放り、魔法陣を形成する。。
「
そして、魔法陣は門となって、新たな魔物を呼び寄せる。
黒い月が昇り、月ならざる月が門を超え、邪悪の塊を解き放った。
「
空から、蟲が降ってくる。
邪悪で、凶悪な、毒虫が。
「《夜叉羅ムカデ》、のうりょく……クリーチャーの、パワー……マイナス、9000」
「《キル・ザ・ボロフ》が……!」
「《ハク★ヨン》も、もどって」
巨大な毒虫は、鋭く尖った尾針の一刺しで、《キル・ザ・ボロフ》を死に至らしめる。
さらに開かれた門の光を標に、墓地に落ちた《ハク★ヨン》が、またしてもバトルゾーンに戻って来てしまった。
そして遂に、なっちゃんはその毒牙を剥き、殺意と悪意で持って、凶器なる刃を振るう。
「《ティン★ビン》、こうげき……《夜叉羅ムカデ》で、てふだ、ひとつ、すてて?」
「ぅ、くぅ……!」
「もう、いったいで、こうげき。てふだ、すててね」
クリーチャーが攻撃するたびに、《夜叉羅ムカデ》のために開かれた門から、小さなムカデが降り注ぐ。
それを払うために、ユーちゃんは手札を一枚、犠牲にしなければならなかった。
だけどそのせいで、攻撃されても、シールドがブレイクされても、手札が増えない。ブレイクされた傍から、その手札が失われてしまう。
二体目の《ティン★ビン》が、《夜叉羅ムカデ》の門を伴って突撃し、シールドを打ち砕く。
「し、S・トリガー、《デーモン・ハンド》です! 《ヴォガイガ》を破壊します!」
ブレイクされたシールドから、S・トリガーが発動する。
悪魔の魔手が伸び、《ヴォガイガ》を額縁ごと砕き、握り潰した。
だけど、それでもなっちゃんの攻撃は止まらなかった。
「《ハク★ヨン》で、こうげき……シールド、ブレイク」
「こっちは、トリガーないです」
「こうげきの、あと、《ハク★ヨン》、しんじゃう……おわり」
攻撃後、《ハク★ヨン》は燃え尽きたように墓地へと落ちて行った。きっと、攻撃したら破壊されてしまうクリーチャーなのだろう。
だけど、あのクリーチャーは、あの無月の門っていうのが開かれたらまた出て来てしまうから、安心はできない。
「ま、まだ、です……!」
完全に数で圧倒され、シールドも残り二枚まで追い詰められた。
それでもまだ、ユーちゃんは諦めずに、立ち向かっていく。
「マナチャージ! 2マナで《終断α ドルーター》を召喚です! 二枚ドロー! さらに、墓地の《ドルハカバ》を召喚! 三つ目の封印をはずします!」
削られた手札を回復しつつ、三つ目の封印も外して、残る封印はあと一つ。
さらに《ドルハカバ》は、揺らめく人魂を見据えて、突貫し、
「《ドルハカバ》で攻撃する時、侵略und革命チェンジ! 《デッドゾーン》! 《キル・ザ・ボロフ》!」
《デッドゾーン》に侵略、さらに《デッドゾーン》をも飲み込んで、《キル・ザ・ボロフ》へと入れ替わる。
「墓地の《デッドゾーン》二体を侵略で出します! さらに革命チェンジで《キル・ザ・ボロフ》です! 墓地の闇のクリーチャーを山札にもどして、《夜叉羅ムカデ》《ティン★ビン》《ハク★ヨン》を破壊です!」
《デッドゾーン》二体の腐敗の力と、《キル・ザ・ボロフ》の凶器に等しい拳が、なっちゃんのクリーチャーを一気に三体も破壊する。
さらに《キル・ザ・ボロフ》は軽快なフットワークで残った《ティン★ビン》へと接近。左からのフックを放つ。
「バトルです! 《キル・ザ・ボロフ》で、《ティン★ビン》を破壊します!」
その一打で、《ティン★ビン》も破壊。
これで、なっちゃんのクリーチャーは全滅した。
「Endeです! あとは、禁断爆発さえしてしまえば、ユーちゃんの勝ちですよ!」
ターン6
バンダースナッチ
場:なし
盾:5
マナ:5
手札:0
墓地:17
山札:13
ユー
場:《ドルーター》《キル・ザ・ボロフ》
盾:2
マナ:7
手札:4
墓地:7
山札:17
FORBIDDEN STAR
左上:解放
左下:解放
右上:解放
右下:封印
場は一変、そして一転した。
数多のクリーチャーを呼び出したなっちゃんはすべてのクリーチャーを失い、手札もない。
対するユーちゃんはクリーチャーを並べ返し、手札も回復した。
シールドの数でこそユーちゃんが不利だけど、ここまで押し返せたんだ。このまま、押し切れるかもしれない。
「マナを、ふたつ。
「それなら問題なし、ですね。あなたにはもう手札がないから、これでEnde、ですよね」
「うん」
手札のないなっちゃんは、山札の一番上のカードをめくって、ただ使うだけ。
ここで《ヴォガイガ》が出てきたら、墓地回収とコスト軽減で、また無月の門を開かれていたかもしれないけれど、彼女が引いたのは墓地を増やすだけのカード。それならばなんの問題もない。
なっちゃんは墓地を増やすだけで、ほとんどなにもできず、ターンを終える――
「……ちがうけど」
――わけでは、なかった。
「《ドゥグラス》《ドゥシーザ》《グリペイジ》《グリギャン》《ヴォガイガ》《ヴォーミラ》」
「え……っ?」
なっちゃんは、また魔導具たちに呼びかける。もう、呼びかけるべき魔導具は場にはいないはずなのに。
それに、呼びかける数も、違っていた。最初は四つだったのが、今回は六つ。
そして彼女は、諳んじ、数え、唱える。
門を開き、絶やすための、黒き鍵となる数字を。
「
ザン、ドゥ、グリ、ヴォ、ヴァイ、ジグス。
酷くぶれていて、重なって、揺らいでいるかのように聞こえる、忌まわしき
場からではなく、すべて墓地から湧いて、浮かび、這い上がる魔導具たち。
六つの鍵は虚空へと投げ出され、それぞれ寄り集まり、巨大な魔法陣を形成する。
「あなたは
魔法陣は、巨大な門となる。
これまでの門とは格が違う。巨大で、虚無な、絶対的な、月の出。
黒き無月の、門出の時だ。
「
月ならざる月は、陽も光も根絶やし、黒き無月へと変貌する。
地の底から夜天の果てまで貫く暗黒が、
「
虚空を支配する黒点は、十字に伸びる軌道で、夜天に漆黒の星座を描く。
黒き鉤を伸ばす十字。独裁を示す十字架は反転し、正位置へと座す。
世界を染め上げる黒き意志は、もはや民のために非ず。我欲に正しくあり、独立と独走によって彩られる。
それは幻影にして虚像なる、無貌の月。
夜天に浮かぶ根絶の門から魔凰は這い出で、虚無にも等しい命が世界に堕ちる。
その時すべてが、絶対的な“無”の終焉を迎えた。
「
☆ ☆ ☆
「が、《ガ・リュザーク》……?」
それは、
その存在はとても虚ろで、あやふやで、ハッキリしない。
翼のようなものがあるから、鳥、だとは思うけれども……
身体は紫炎。陽炎のように揺らめきながらも、めらめらと燃え盛っている、暗い焔。
それはすべてを無に帰す無月の魔凰。
だけど、どういうわけか夜天に飛翔せず、地に堕ち、翼を畳み、臥せるように這いつくばっていた。
明らかに大変なクリーチャーなのに、そのクリーチャーはなにもしない。なにかをする気配がまったくない。飛ぼうともしない。
ただ臥している。それがすべてだと言わんばかりに。
「それと……《ティン★ビン》《ハク★ヨン》《ジグス★ガルビ》」
《ガ・リュザーク》は出て来ただけでなにもする気配がないけど、その代わりのように、墓地から数多のクリーチャーが湧いて出た。
絶と言っても、あれも無月の門。つまり、それを道標に、夜天に暗い星が昇り、瞬く。
それも、数はさらに増えて、五体。
「で、でも! どんなクリーチャーが出て来ても、封印してしまえば問題ありません! ユーちゃんのターン! 5マナで《ドルハカバ》を――」」
《ガ・リュザーク》の存在感と、数で圧倒する無月の星たち。その眼前に迫る脅威がユーちゃんを威圧する。
それでもユーちゃんには、その数の暴力の一切合切を封じ込める秘策があった。
四つ目の封印を解き放てば、どれだけ強力なクリーチャーだろうと、どれだけ大量のクリーチャーだろうと関係なく、封じてしまえる。
そのための最後の鍵。最後の封印を解くため、ユーちゃんはクリーチャーを召喚しようとするけど――
「――え? あ、あれ?」
――できなかった
理由はあまりにも明白で明瞭だ。
至極単純だけど、なぜか理解できなかった。
どうして? と疑問が尽きない。戸惑いを隠せない。
普通なら、そんなことあるはずないから。あり得ないはずだから。
「マナが、三枚しか、ありません……!?」
――マナが、起き上がらないなんて。
この場では、マナのアンタップは自動的、強制的に行われる。逆に、自分意志ではアンタップは不可能だ。自分の意志で動かせるのは、タップだけ。
しかし普段なら問題はなかった。すべてのマナはターンの初めにアンタップするのだから。
それが今は、どうだろう。ユーちゃんのマナは、三枚しか起き上がっていない。
「マナがアンタップしてない……
原因はなにか。なにか、変化はなかったか。
その根源に辿り着くのは、そう難しくはなかった。
この異常に関与するものがあるとすれば、それはひとつだけ。
ユーちゃんはそれに目を向けて、睨みつける。
「あの、クリーチャー……!」
そう――《ガ・リュザーク》だ。
あのクリーチャーは、なにもしなかったのではない。する意味が、なかったんだ。
《ガ・リュザーク》が現れた時点で、この場は、この世界は、夜天に覆われた無月の世界に支配されたも同然。
絶門が開き、《ガ・リュザーク》がいる。それだけで、世界の法則を歪めてしまうんだ。
だから、マナが三枚しか起き上がらなかった。臥せた魔凰と同じように。
「な、なにも、できません……でも」
たった3マナでは、封印を外すことはできない。封印を外すための、コスト5以上のコマンドは、召喚できない。最後の封印は、解き放てない。
だけど、だからと言って、なにもできないわけではない。
「ユーちゃんは、諦めません! マナチャージして、2マナで《ドルーター》を召喚です! 手札を一枚捨てて、二枚ドローします! さらに《キル・ザ・ボロフ》で《ジグス★ガルビ》を攻撃! 《デッドゾーン》二体に侵略です!」
マナはなくても、ユーちゃんには手札も墓地もあるし、クリーチャーだって生きている。
このターンでとどめは刺せない。だからユーちゃんは、クリーチャーへと突撃する。
少しでも自分が生き残る道を、そして反逆するための希望を、紡ぐために。
「《デッドゾーン》の能力で、《ハク★ヨン》二体を破壊です! さらにバトルで《ジグス★ガルビ》も破壊! Ende、です」
ターン7
バンダースナッチ
場:《ティン★ビン》×2《ガ・リュザーク》
盾:5
マナ:5
手札:0
墓地:11
山札:10
ユー
場:《ドルーター》×2《デッドゾーン》
盾:2
マナ:8
手札:2
墓地:8
山札:14
FORBIDDEN STAR
左上:解放
左下:解放
右上:解放
右下:封印
数は減らしきれなかった。けれど、たぶんこれが最善手。
あとは、ユーちゃんのシールド――S・トリガー次第だ。
「……《ガ・リュザーク》」
地に臥した魔凰が、遂に身体を起こす。
敵を、殺すために。
翼から迸る紫炎が揺らめき、集い、収束して。
巨大な槍を、形創る。
照準をユーちゃんに定め、その小さな身体を貫くために、紫炎の魔槍を構えた。
「おしまい」
ぽつりと、告げる。
それが、死刑宣告だった。
「Wブレイク――」
「ニンジャ・ストライク!」
けれど。
大槍が放たれる刹那、ユーちゃんの手札から、ひとつの影が飛び出した。
「《威牙の幻ハンゾウ》です! これで――」
暗黒の忍が現れた、その瞬間。
巨石に打ち込まれた四つ目の楔が、粉々に砕け散った。
ゆえに、
「――最後の封印が、はずれました!」
《FORBIDDEN STAR》の封印が、すべて解き放たれたことに他ならない。
《ハンゾウ》もコスト5以上の闇のコマンド、そしてニンジャ・ストライクは、召喚だ。
それが、最終禁断の封印を解く、最後の鍵となった。
ボロボロと岩塊が崩れ落ちる。大いなる禁断の力を封じていた殻が割れ、崩壊する。
その内側に秘められた膨大な熱量が、果てしない破滅と侵略の意志が、遂にその姿を晒すした。
宇宙を生み、壊す、大爆発と共に。
「禁断爆発――《終焉の禁断 ドルマゲドンX》!」
それは、禁断の星の破壊者。
世界を、宇宙を、切り拓いて、壊す。破滅の権化。
その封印が解け、姿を現したということは、その存在証明が為されるということ。
即ち、
「あなたのクリーチャーはすべて――封印です!」
無月に向けて、破滅の鑓を解き放つ。
黒く瞬く星たちも、地に臥せた魔凰も、すべてが例外なく、禁断の力に飲まれ、封印されてしまう。
それこそ無。無月の化身たちは、存在しないものと同じ、無の状態へと眠らされてしまったのだった。
「これで……逆転ですよ!」
なっちゃんの攻撃を防ぎ切り、最大の切り札である《ドルマゲドン》まで現れた。
正に、一発逆転にして一転攻勢。
このままなら、ユーちゃんは……!
「このターンで終わらせます! ユーちゃんのターン! 3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を一枚捨てて、一枚ドローします。さらに5マナで墓地から《ドルハカバ》を召喚!」
クリーチャーの数は足りているけれど、S・トリガーも警戒し、追加でクリーチャーを呼び寄せるユーちゃん。
そして、そのまま、攻め入る。
「《デッドゾーン》で攻撃――革命チェンジ!」
壊れた車体は発進し、暴走し、入れ替わる。
孤高なる、魔狼へと。
「Ich bitte dir――《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」
ユーちゃんは優勢にも関わらず、抜け目ない。S・トリガーでブロッカーが出て来ても対処できるように、《デッドゾーン》の侵略の目を残しつつ、魔狼の牙を剥く。
《キル・ザ・ボロフ》が凶拳を振るい、渾身の右ストレートを打ち込んだ。
「シールドを、Wブレイクです!」
「…………」
なっちゃんのシールドが粉々に砕け散る。
ユーちゃんの手札には、《デッドゾーン》が二枚、《キル・ザ・ボロフ》が一枚。場には、《ドルーター》《ドルハカバ》《ドルマゲドン》。
ブロッカーを出そうと、クリーチャーを除去しようと、もはや止められないし、止まらない。
……そう、思っていたのに。
「S・トリガー――
なっちゃんは砕かれたシールドのうちの一枚を、頭上へと放った。
そしてそれは、あろうことか――魔法陣を、形成する。
「っ!?」
けれど、今までの魔法陣となにか違う。きっちりとした陣は組まれておらず、陽炎のように揺らめいていて、不安定で、ハッキリしない。
だけどそれは間違いなく、無月の力を宿した門だ。揺らぐ門の中から、巨大な紫炎が、這い出でる。
「
門の奥から這い出るのは、地に臥したはずの魔凰。
世界を歪め、堕落を良しとした龍の如き鳳。
飛ばない鳳が有する紫炎の翼は、なにがためにあるのか。
その意味が、ここに証明される。
地に堕ち、臥せた魔凰は今ここで――飛翔する。
夜天の支配者として、月に代わり無月となった魔凰は、大翼を広げ、終焉を告げた。
紫炎は数多の魔槍となり、地を焼き殺す鏖殺の凶器となる。
魔導具を落とすように。
鏖の槍は、地表へと落下した。
それが、すべてを終わらせる
「
☆ ☆ ☆
――すべて、消え去った。
いや、正確には、まだひとつだけ残っている。
ユーちゃんの切り札であり、命に直結した存在。
《ドルマゲドン》だけは、シールドひとつに、禁断コアを犠牲にして、生き残っていた。
しかしそれ以外のすべては、消えた。全滅し、絶滅した。
敵も、味方も、関係なく、なにもかも。
無に帰した。
「く、クリーチャーが……!」
《ドルマゲドン》がやられてしまえば、その瞬間にユーちゃんの負けが確定してしまう。そういう意味では、《ドルマゲドン》が生き残ったのは、幸いだったのかもしれないけれど。
でもそれは、即死しなかったという意味でしかない。
待ち受ける死を、回避できたわけじゃないのだ。
「……Ende」
クリーチャーが消えてしまえば、攻撃は続けられない。とどめは、刺せない。
ユーちゃんはターンを終えるしかなかった。
そして、
「……《ドゥグラス》《ドゥシーザ》《グリペイジ》《グリール》《ヴォーミラ》《ジグス★ガルビ》」
なっちゃんは、再び無月を夜天に浮かび上がらせる。
醜くぶれて、歪に重なり、禍々しく揺らぐ、忌まわしき呪詛を諳んじ、数え、唱えて。
ザン、ドゥ、グリ、ヴォ、ヴァイ、ジグス。
「
そして、すべてを根絶やす門が再び、開かれた。
「
六つの魔導具によって形成された、根絶の無月の門。
巨大な門扉から這い出るのは、地に堕ち、地に臥し、世界を滅ぼし歪める支配者。
「
六道を巡ってもなお尽きぬ絶対的な無なる死。
地獄を超え、満月は無に還り、万死の先に果てる、万象の世界。
そのすべてを黒く染め上げ、闇という星を灯すものが。
無月の魔鳳が、再臨する。
「
ターン8
バンダースナッチ
場:《ティン★ビン(封印)》×2《ガ・リュザーク(封印)》《ハク★ヨン》×2《ガ・リュザーク》
盾:3
マナ:5
手札:2
墓地:4
山札:6
ユー
場:《ドルマゲドン》
盾:1
マナ:9
手札:3
墓地:13
山札:14
FORBIDDEN STAR
禁断コア2
またしても、《ガ・リュザーク》が現れてしまった。
そして、それにつられて、《ハク★ヨン》も戻って来る。
ユーちゃんのシールドは一枚。そして相手には、三体のクリーチャー。
絶体絶命、そして絶望だった。
(ま、まだ、トリガーが出れば……!)
ほんの微かな一縷の望みに縋ろうとするユーちゃん。
けれどなっちゃんは――バンダースナッチは、残酷だった。
すべての希望は、黒く塗り潰される。
「……《グリギャン》、《ドゥグラス》」
燭台とグラスが落ちてくる。今更、そんなクリーチャーが出たところで、なにも変わらない。
と、いうことも、ない。
「《グリギャン》《ドゥグラス》、《ヴォガイガ》《ジグス★ガルビ》」
なっちゃんの手元に集まった魔道具たちが、魔方陣を形成し、門とする。
「
そしてまた、新たな無月の化身が、呼び出された。
「
それは、今までのクリーチャーとはかなり毛色の違うクリーチャーだった。
蒼炎によって形作られた巨体。それを繋ぐように、機械的な部品、そして火器が取り付けられている。
「《メラヴォルガル》……のうりょく」
《メラヴォルガル》が、火器を向ける。
ユーちゃんに、そしてなっちゃんに。
直後、禍々しき蒼炎が、二人を襲った。
「うぁ……っ!」
「……私と、おねーちゃん……シールドを、ふたつ……ブレイク」
自分諸共、相手のシールドを打ち砕くなっちゃん。
その諸刃の剣で、ユーちゃんのシールドは、ゼロに。
「し、S・トリガー、《禁断V キザム》……《ハク★ヨン》を二体、破壊、です……」
最後の希望は、潰えた。
小さな星の瞬きは掻き消せても、夜天に浮かぶ無月には、届かない。
「……とどめ」
鏖殺の紫炎が、巨大な魔槍を形成する。
そこに宿るのは、害意、殺意、悪意。
すべてを滅ぼし、壊し、殺す、狂気と邪悪の意志。
「ローちゃん……
終わり、だった。
もはや後には続かない。未来は根絶された。
無月の魔凰によって。
彼女は――終焉を告げられる。
「ころして――《卍月 ガ・リュザーク 卍》」
☆ ☆ ☆
そんな……
ユーちゃんが、負けた……?
誰もその現実を、受け入れられなかった。
きっとユーちゃんなら勝てると。お姉さんを守って、犯人を捕まえて、事件も解決すると。
誰もがそう信じていた、けれど。
現実は、誰の望みも叶えなかった。
そこに伏しているのは、ユーちゃんで。
そこに立っているのは、なっちゃんだった。
「あ……ぅ……」
「……おねーちゃん、じゃま、だった。けど、ちょっと、きらきら、してた……さき、こっち?」
なっちゃんはまた、コートの内側からなにかを取り出す。
それは、包丁だ、なんてことのない、どの家にも当たり前に置いてあるような刃物。
けれどそれは、誰かを傷つけるには――あるいは、殺すには十分な
「ばいばい、おねーちゃん」
「Julia……!」
なっちゃんは、手にした包丁を逆手に持って、膝をつくユーちゃんへと、振り下ろす――
「――そこまでだ」
――ことは、なかった。
暴威を振るうなっちゃんに対する、三度目の介入。けれどそれはわたしたちでも、鳥さんでもない。
ギリギリと締め上げるように、なっちゃんの細腕を掴んで引き留めているのは――
「バンダースナッチ、てめぇ……なにしてやがる?」
――アヤハさん、だった。
「アヤハ……はなして」
「そいつは無理な相談だ。まずはてめぇが、その
「やだ」
「……一応、同族としてもう一度だけ、言ってやる。手を離せ。身を退け。バンダースナッチ」
「や」
静かに要求をぶつけるアヤハさん。だけどなっちゃんは、頑なに包丁を手放そうとしない。
そんな頑固ななっちゃんに、アヤハさんは諦めたように息を吐いた。
「そうか。なら、仕方ねぇ――」
アヤハさんは力強くなっちゃんの腕を握り締めたまま、もう片方の手で、彼女の手首を掴む。
そして、グイッと自分の方に引き寄せながら、力を込めて、
「――お仕置きだ」
ボキッ
その腕を、へし折った。
「ひぐ……っ!?」
なっちゃんの口から小さな悲鳴が漏れる。瞳から涙が流れ、身体を折り、地に這いつくばる。
「おら、もう一本だ」
ほぼ無抵抗になったなっちゃんに、アヤハさんはその手を取る。
ただしそれは、救いの手ではない。
今度はその手を持って、関節の逆方向に、腕を曲げた。
ゴギッ、という鈍く嫌な音が、小さく響く。
「う、あ、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
幼い女の子とは思えない、獣のような叫び声が夜空に響き渡る。
「ひ……っ」
その恐ろしい暴虐の光景に、思わず悲鳴が漏れる。
なっちゃんののやったことは、凄惨で許し難いことだけど、わたしたちはそれを直で見てはいない。
けれど今ここで行われている暴威は、わたしたちの目に焼き付くほどに恐ろしく、惨たらしいものであった。
両腕を折られて泣き叫ぶなっちゃん。けれどアヤハさんは手心を加えない。それどころか、その惨さは増していく。
今度は彼女の細い足を、ブーツの底で思い切り踏みつける。子供の成長し切っていない骨が、砕ける音がした。
幼い女の子の嗚咽。苦しそうな呻き声。怪物の唸り声のようなそれがしばらく響き、やがて聞こえなくなった。
あまりにも惨くて……わたしは、たぶんみんなも、その先の光景は目にすることができなかった。
次に目を開いた時、なっちゃんは両手両足をだらんと投げ出し、泡を吹いて、白目を剥いて、ぐったりとしていた。
気絶、してる……? まさか、死んでなんて、いない、よね……?
「約束だ。骨三本、くれてやったぞ。首はサービスだ」
アヤハさんは、動かなくなったなっちゃんを背負う。
そんな一部始終を見てしまったせいで、なにも言えないでいるわたしたちに、アヤハさんは言った。
「安心しろ、これは“
「なにも……安心……できない……」
「……悪いな。とりあえず、こいつは持ち帰る。詫びなら、後で改まってするからよ……だからちっとばかし、待ってくれ。すまん」
「あ、アヤハ、さん……」
そう言ってアヤハさんは、わたしたちに背を向けた。
そして、
「アンタらには、迷惑かけた。許してくれとは言わないが……悪かったな」
その言葉を最後に、夜の帳へと、姿を消した。
「これは、なにが、どうなっているんだ……?」
「……わから、ない……けど、あれは……」
「つーか犯人持って行かれちゃったんだけど。いや、私たちじゃあの子を捕まえてもどうしようもないから、連れてってくれて助かるんだけど、なんか腑に落ちないっていうか……」
アヤハさんはユーちゃんを助けてくれた。
そして、今回の事件の犯人だったバンダースナッチを、連行した。
これで、終わりなの?
なんだかとても、もやもやする終わり方だった。
すべてがキレイに解決。そんな、筋道の通った小説の締めではない。
曖昧模糊であやふやな、まるでスッキリしない、
「まあ、詳細は後日、ちゃんと整理すればいいさ。ボクらが優先すべきは、むしろこっちだろう」
「え? それって、どういう……」
意味なの? と言う前に、わたしの視界に彼女が映る。
ゆっくりと立ちあがって、ゆったりと歩を進めて、ユーちゃんの下へと歩む、ローザさん。
見たところ彼女にも傷はない。無事、だった。
そしてユーちゃんも、デュエマには負けちゃったけど……特に負傷している様子はなかった。
とりあえず、みんな守れた……のかな。
それだけは、とてもよかった。
よかった――けれど。
「……ユーちゃん」
「あ……ろ、ローちゃん。だいじょうぶ――」
よいことばかりでは、なかった。
「――なにを、やってるの?」
とても、冷たい声だった。
胸を穿つような、冷ややかで、鋭くて、重苦しい、そんな声。
「危ないこと、してるの? ユーちゃん」
「ろ、ローちゃん……」
「伊勢さんたちも、巻き込んで……それとも、あなたたちが……?」
「え? えっと……」
……わたしは、間違えてしまったのかもしれない。
ユーちゃんを守るためにと思って鳥さんを遣わせたけど、それは結果的には、悪い未来へと繋げてしまうだけの選択肢だったのかもしれない。
「あれ、なんなの……? 変な人たち、だけじゃなくて……あの、“怪物”は……!」
怪物。それは、アヤハさんらがなっちゃんを揶揄する際に使う言葉、ではないだろう。
文字通りの意味の、
わたしが鳥さんを遣わせたことで、ユーちゃんとなっちゃんとのデュエマが起こった。刃物で襲われるより、そっちの方がいいと思ったから。
けど、実際にはユーちゃんは負けちゃったし、アヤハさんがいなければなっちゃんのナイフはユーちゃんを切り裂いていた。
そしてなにより、わたしたちは最も隠すべき“秘密”を、ローザさんの目の前で、披露してしまったのだ。
凍りつく空気の中、ローザさんは険しい面持ちで、ユーちゃんを問い詰める。
「正直に答えて、ユーちゃん。あなたは、あなたたちは――なにを、しているの?」
そして誰も――その詰問には、答えられなかった。
☆ ☆ ☆
「――戻ったぜ、帽子屋のダンナ」
「ご苦労、ヤングオイスターズ……おや? なにやら手土産があるようだな」
「おう」
アヤハは、蟲の三姉弟からジャバウォックを回収した報告を受け、屋敷に戻るや否や、帽子屋の部屋を訪れていた。
そして、背負ったそれ、彼の前に放り投げる。
「バンダースナッチではないか。なぜ、泡を吹いて手足が折れているのだ?」
「ワタシが首絞めてへし折った。大丈夫だ、殺しちゃいねぇ」
「なんとも惨いな。あとでハンプティ・ダンプティに復元させておかなくてはならん。して、なぜこのようなことに? 貴様は確かに気性が荒いが、
「ムカついた。それと、こいつを速やかに無力化する必要があった。それだけだ」
「筋は通っているな。いや、いないのか? どちらでもいいが」
「……なぁ、ダンナ。ワタシからも一個、質問していいか?」
「いいだろう。なんだ?」
アヤハは、ずっと考えていた。
バンダースナッチが犯人であると確証を得てからもなお、明かされていない謎がある。
どうして、バンダースナッチはこのタイミングで犯行に踏み切ったのか。厳格ではないとはいえ【不思議の国の住人】たちによる監視を掻い潜れたのか。そしてなにより――どうやってジャバウォックを連れ出したのか。
バンダースナッチの凶行は彼女らしく、非道で残酷で悪辣なものであったが、彼女にこれほどの隠密的な犯行が可能だとは、アヤハには到底思えないのだ。
つまり、バンダースナッチは事件を起こすための犯人という“
彼女を唆して凶行に走らせ、【不思議の国の住人】たちの監視に穴を空け、ジャバウォックのルール破りの時間を調節しながら持ち出させた、後方支援員。
それは――
「――バンダースナッチを唆したのは、アンタか?」
「そうだ」
――
即答。次の瞬間、アヤハの頭が沸騰する。
「ふ……っざけんじゃねぇ!」
怒声を轟かせるアヤハ。
予感はあった。理屈も通る。論理的には、その可能性しか考えられない。
バンダースナッチの言葉で操れる者など、【不思議の国の住人】には存在しない。それこそ、指導者たる帽子屋が精々だ。
動きを操作するという点では、バンダースナッチだけではない。究極的に、【不思議の国の住人】たちを口先で動かし、動向を掌握できるのも、首領たる帽子屋になら不可能とは言えまい。
そして決め手になったのは、ジャバウォックの存在。この理解不能な異形の怪物を操れるのもまた、帽子屋だけ。
ゆえに、ジャバウォックの力を利用して活動時間のルールを破り、数々の子供、動物、植物を傷つけ、惨殺せしめたバンダースナッチを傀儡にすることができるのは、帽子屋しかいないことになる。
それでも腑に落ちない点、そしてアヤハが怒りに震える点が、ひとつだけある。
それは、
「なんで、こんな馬鹿げたことしてんだよ、アンタは! ワタシらを、アンタの仕組んだ茶番に付き合わせて、アンタはなにがしてーんだ!」
「どういう意味だ?」
「わかってんだろ!? ワタシたちは“弱い”! 種としては、人間に遥かに劣る劣等種だ! だがそれでも、ワタシたちはいつかの繁栄のために栄光のために、艱難辛苦を耐え忍び、今は身を潜め、機を窺ってる……そんな時じゃねーのかよ!」
「その通りだな」
「だったら、なんでだ! なんでこんな、人間にケンカ売るような真似を、するんだよ……!」
アヤハの疑念と怒りは、そこだった。
聖獣の存在の認知、マジカル・ベルとの接触によって、随分と表立って動くようになったが、そもそも【不思議の国の住人】とは、地下世界的にアンダーグラウンドに生きている存在だ。未確認生物のように、存在をほのめかすだけで、存在しないかのように振る舞う。身を隠して人間が支配する星に住み、人間社会に寄生する。やがて来たる種の繁栄のために、自分たちの社会の構築のために、今は隠遁に生きることを決めた者たちだ。
今の自分たちに、人間と戦うだけの力はない。まともに戦っても、簡単に滅ぼされてしまう。だから、彼らに見つからないよう、日陰身の生活をしている。
それが、バンダースナッチなどという化物を人間社会に解き放ってしまったせいで、彼らに認知されるわけにはいかないのだ。この日陰ながらも平穏で静かな状態が崩壊してしまっては、繁栄の未来など遠ざかるばかり。
そのことは帽子屋もよくわかっているはず。むしろ、その方策を定めたのが、他でもない帽子屋なのだから。
だというのに、バンダースナッチを扇動し、人間社会に攻撃し、自分たちの首を絞めるようなことをして、なにがしたいのか、わけがわからない。
なぜそんなことをして、自分たちを、同胞を危険に晒すのか。意味不明で、疑問が尽きないし、怒りが込み上げる。
ましてや今回の事件は、自分だけではない、自分自身でもある、
それも、すべては帽子屋の指示で。
自分たちは彼を信じて、必死で事件の解決に乗り出した。なのに、自分たちがやっていたことは、自分たちを窮地に追い込むだけの茶番だった。そんなことは、到底許せるものではない。
無意識に、拳を握り込む。
「答えろ
「貴様の許しを得てなにになるのだろうな。まあしかし、落ち着けヤングオイスターズ。ただでさえ短い寿命が縮むぞ」
「ふざけんな! その寿命を縮めてんのは、他でもないてめーだろうが! このクソイカレ狂人が!」
「だから落ち着けと言っている。オレ様は確かにイカレてはいるし、無意味なこともするが、目的を忘れたことは一度たりともない」
怒りに猛るアヤハに対し、帽子屋は落ち着き払っていた。いつも通りと言えば、いつも通りだが。
「貴様が納得するかは別として、オレ様はなにも、歓楽でバンダースナッチを煽ったわけではない。それぞれの者には、それぞれの役割があるのだよ。バンダースナッチの場合、奴には悪意の的になってもらった」
「……どういう意味だ?」
「貴様にも、オレ様が用意した役割がある。これはその予行演習であり、来るべき時のための布石でもある、ということだ」
「役割、だと?」
「あぁ。代用ウミガメの“産卵”と、日程調整が終わっていない故に、まだ先の話だが……その間にも、貴様には役割を準じてもらうことになろうな」
「……ワタシの役割って、なんだよ。つーかそれは、なんの“劇”だ?」
「そうだな、これが終わったら頃合いだと思っていたさ。公爵夫人、それから三月ウサギには既に話したが、貴様にも伝えておこう。オレ様が執筆した“脚本”をな」
帽子屋は、告げた。
ただ一つの目的のために、狂った頭で考えた物語を。そして、その中に配置される役割を。
すべてを聞き終えて、アヤハは吐き捨てる。
「……バッカじゃねーの。回りくどすぎるし、リスキーすぎるだろ。アホか」
めいっぱい罵りたい衝動に駆られたが、しかしもはや、怒鳴る気力はなかった。
少なくとも、彼は自分たちの首を絞めたいがゆえに、バンダースナッチを繰り出したわけではないことが分かったので、それで良しとする。
まだ“そういう”狂い方はしていないようで、安心した。
「納得したか?」
「微妙だ。正確な答えを出すのなら、それがワタシの弟妹たちをも巻き込むに値するか、ちぃっとばかしよく考えねーといけねーが……少なくとも、アンタの考えは、理解した」
「ならば結構。さっきも伝えたが、貴様にはしばらくの間、貴様の役割に準じてもらう。貴様が要だ、しっかりやれよ」
「……いいぜ。そういうのは得意じゃねーが、やってやるさ。アンタらと、ワタシたちのため、だかんな」
「そうだ。期待しているぞ、ヤングオイスターズ」
☆ ☆ ☆
「……はぁ」
いい匂いが、リビングに漂う。もうすぐ晩ご飯、今日はお姉ちゃんが作ってくれている。
わたしのなんの捻りもない料理や、お母さんの雑な調理と違って、お姉ちゃんが作るご飯はおいしいから好きだ。
でも、おいしいものを目の前にしても、この不安感のような、胸の奥につっかえたものは、取れそうにない。
胸中の暗雲は晴れない。なにもかもが、うやむやなままだから。
結局あの後は、時間も時間だったし、そのまま各自解散になった。
なんて、そんな平和的な終わり方はしていないのだけれど。
より正確に言うなら、ローザさんが口をつぐんでしまったユーちゃんの腕を引っ張って、無理やり家に帰らせ、帰っていって……わたしたちは、それからどうすることもできなかったから、解散するしかなかった、というのが本当のところです。
なっちゃんのこと、事件のこと、ジャバウォックさんのこと、色んなことが不明瞭なままで、スッキリしない。あの様子だと、きっとなっちゃんがこの町の事件の犯人で、アヤハさんが連れて行ったから、きっともう事件は起こらないんだろうけど……
……それにしても、なっちゃんはどうして、あんなことをしたんだろう。アヤハさんや、帽子屋さんの意に背くようなことをしてまでこんな事件を起こしたのは、どうしてなんだろう。
なんだか、この事件にはまだ隠されたものがあるような気がしてならないけど……それどころではなかった。
(ローザさんに、わたしたちの秘密がバレちゃった……)
それが、最大の悩みの種だ。
わたしの恥ずかしい格好は見られてないけど……これならむしろ、わたしが恥ずかしいだけで済んだ方がよっぽどマシだった。
なっちゃんの凶行に、鳥さんの存在、なによりも実体を持って戦うクリーチャーたち。そんなあり得ない超常的な出来事に、わたしたちが関わっていること。
本当なら誰にも見られてはいけない現場を、完全に捉えられてしまった。
誰も怪我をしなかったからよかったけど……事件解決の代償は、決して小さくない。
仕方ないとは、割り切れない。だから、ずっともやもやするんだ。
「…………」
「よし、できた。小鈴!」
「…………」
「小鈴! ちょっと、小鈴ってば! 聞いてんの!」
「あっ、うん。ごめん、なに?」
「なにぼーっとしてんのよ、あんた。なんでもいいけど、晩ご飯できたから、運んでくれない?」
「うん、わかったよ」
お姉ちゃんに言われた通り、料理を運ぶ。今日の晩ご飯は、とんかつだった。
せっせとお皿に乗せた料理を運んでいる途中で、ふと気づく。
「あれ? 四人分? お父さん、いないよね?」
「そういえば、父さんまだ帰って来てないわね。なんか遅くない?」
「あっれー? 五十鈴、聞いてない? 今日はお父さん、同僚と飲みに行くってさ」
突如、パソコンに向かって突っ伏していたお母さんが起き上がった。
「いつそんなこと言ってたの?」
「昨日、晩酌してる時にそんなことを言ってたような……」
「なにそれ? 私、そんなの聞いてないわよ! まったく、それならそうと連絡の一本でもしなさいよね!」
「……あ、ごめん。私んとこに通知きてた。五十鈴に伝え忘れてたわ」
「母さん! まったくもう、あなたって人は……!」
「ごめんよー」
気の抜けた謝罪をするお母さん。あんまり悪いとは思ってなさそうな感じだ。
お姉ちゃんはそんなお母さんにイライラしつつも、あまった一人分のとんかつを睨む。
「どうすんのよこれ、もう作っちゃったんだけど……小鈴、あんた食べる?」
「わたしは……今日は、ちょっといいかな」
「おやまあ、腹ペコ鈴ちゃんが食べ物の差し入れを断るだなんて珍しい。どうしたのかな?」
「腹ペコ鈴ちゃんってなんなの……わたしだって、そういう時もあるよ」
「自分で作っといてなんだけど、私も油物を二人前はちょっと……いや、もういいわ。私が作ったわけだし、自分で食べる」
「太るぞー?」
「一食に一品増やした程度じゃ変わんないわよ!」
いつも通り、お母さんとお姉ちゃんの口ゲンカ(?)が始まる。
……いや、別に仲が悪いわけじゃないんだよ? ただ、お姉ちゃんは真面目だから、ちょっと気が抜けててお茶目なお母さんを許せない時があるっていうか……お母さんの冗談を真に受けちゃうというか……
よく言い合ってはいるけど、険悪なわけではない。お母さんも、ちょっかいはかけるけど、嫌なことは言わないし。
今日の晩ご飯は、お父さんを除いた三人。悩みの種が大きすぎてあんまり食欲はないけど、お姉ちゃんが作ってくれた晩ご飯を食べないわけにもいかない。
全員が食卓についたところで、手を合わせる。
「いただきま――」
ピンポーン
――す、と言い切る前に、インターホンの音に遮られた。
「こんな時間にお客さん? 珍しいわね。それとも父さんかしら……小鈴、ちょっと出てくれる?」
「う、うん」
お姉ちゃんに言われて席を立つ。
扉のチェーンを外して、ロックを解除。
扉を開け――
「ど、どちら様……」
「小鈴さん!」
「わっ!?」
――開けた瞬間、見覚えのあるものが視界に飛び込んだ。
わたしの胸の位置くらいにある頭。きらきらと輝く銀の髪。
そして、小さく華奢ながらも、エネルギー溢れる矮躯の女の子。
暗くてよく見えない、なんてことはない。わたしが、彼女を見間違うはずがない。
その女の子は、まず間違いなく、
「ゆ、ユーちゃん!?」
ユーちゃん、だった。
「ど、どうしたの、こんな時間に……?」
「小鈴さん! お願いがあります!」
「えっ? な、なに?」
「今晩、とめてください!」
「とめる、って?」
「おとまりです!」
……? なに? どういうこと?
よく見ればユーちゃんは、林間学校にも持って来ていたキャリーケースを持ってるし、お泊りという単語とは簡単に結び付けられた。
問題は、なぜ、その必要があるのか。
どうして、彼女はそれを要求するのか。
その理由は、
「ユーちゃん――イエデ、してきました!」
「……え?」
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?
だいぶ力を入れて書いただけあって、字数は今までよりかなり多いのですが……まあ、こんなのまだ序の口だったんですよね……
バンダースナッチの使用デッキは、作者が好んで使っている無月ムーゲッツ、またはムカデ無月です。コントロール型の無月と違って、《夜叉羅ムカデ》軸にムーゲッツを採用した中速ビートダウンです。殴りながら手札をそぎ落としていくので、感覚としては《ザマル》とかに近いですかね。
作者が所持しているのは、《ガ・リュザーク》抜きで青を入れた青黒型に変化しているのですが、最初は黒単でした。《夜叉羅ムカデ》はクリーチャーを並べて殴ると強いんですが、無月は門を開くとクリーチャーが減ってしまうのが難点で、それをムーゲッツで補った形になります。強いかと言われると環境では厳しいですが、フリーで遊ぶ分には楽しいです。安価で組めますしね。お勧めです。
まあ最近は《ギ・ルーギリン》の登場で殴る無月も一気に強くなりましたし、あんまり珍しくないかもしれませんけどね……
自分のお気に入りデッキが出せたことでテンション上がってますが、今回はここまで。次回は遂に、ハーメルン版が現時点におけるピクシブ版の最新話に追いつきます。
誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、自由に仰ってくださいまし。