デュエ魔法少女マジカル☆ベル   作:モノクロらいおん

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 作者が本気を出した。
 字数こそ前話には及ばないものの、前話よりも力を入れたというか、本当にこれが作者の全力の執筆結果だと言えそうな話ができました。
 今回は小鈴のお話。彼女の秘めていたものが、明らかとなるでしょう。


38話「平行世界です」

 それは、ローザさんと対立するよりも、霜ちゃんと出会うよりも、ユーちゃんに会いに行くよりも、恋ちゃんに教えを乞うよりも、みのりちゃんと友達になるよりも、ましてや【不思議の国の住人】の人たちとの縁が結ばれるよりも、ずっと前のお話。

 

 きっと、あの“出会い”が、わたしの原点。

 わたしという登場人物(キャラクター)の世界がどれほどの分岐しようとも、揺らぐことのないただ一つの道。

 今のわたしという存在を決定づけた出来事(イベント)

 あの時から、わたしは大人になりたいって思ったんだ。

 あの人のように――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 こんにちは、伊勢小鈴です――

 

「――って、鳥さん! 待ってよっ!」

「急げ小鈴! 早く早く!」

 

 えっと、色々説明は省きますが、例によって例の如く、いつものようにクリーチャーが現れたみたいです。

 これからみんなと一緒に遊ぼうかっていう時に、いきなり出て来るんだから。そりゃあ、クリーチャーは放っておけないけど、鳥さんはいつもいつも唐突なんだよ。

 

「ほ、本当に鳥が喋ってます……幻聴じゃなかったんだ……」

「ふふん、ユーちゃんの言った通りでしょう?」

「なぜユーが誇らしげなんだ」

「我ながらメルヒェンだとは思いますが、あの鳥、呪いをかけられた王子様だったりするんでしょうか? 体色からして。白鳥っぽいですし……」

「どっちかっていうとカラスっぽいけどね、身体の構造は」

 

 怪訝そうな表情を見せるローザさん。そう言えば、ローザさんは鳥さんをちゃんと見たのは、これが初めてだっけ。

 冷静に考えてみると、喋る鳥っていうのも、メルヘンチックだよね……鳥さんはまったくメルヘンな感じしないけど。

 一度だけ見た“本来の姿”の鳥さんはすごく格好良かったけど、普段の鳥さんは、みのりちゃんが言うように白鳥というよりはカラスっぽい。わたしのご飯(パン)を食い漁るカラス。

 その生活に不満があるわけじゃないけど……変わったな、とは思う。

 昔のわたしは、全然こんなんじゃなかった。仲のいい友達もいなかったし、家でずっと本を読んでて、頼れるのはお母さんとお姉ちゃんだけ。

 なにもできない、無力で非力な、小さな子供だった。

 だけど、鳥さんと出会って、みんなと友達になって、わたしは確かに変わったと思う。

 子供だったあの頃より、少しは大人になれたかな?

 

(……あれ?)

 

 妙な感覚が胸中に渦巻いた。

 なんだろう、これ。言葉や感情が引っかかって、なにかを思い出しそうな感じ。

 とても大切な、なにかを。

 

「うん? ……変だな」

 

 と、なにかが込み上がってきそうなところで、わたしは現実に引き戻される。

 鳥さんが急に止まった。どうしたんだろう?

 

「どうしたの? 鳥さん」

「気配が消えた。急にぷっつりと、存在が消えてしまった」

「消えた?」

 

 それってつまり、クリーチャーを見失っちゃったってこと?

 

「そうだね。なんらかの力で姿を眩ましたか、あるいは何者かに倒されたか」

「謡さんでしょうか?」

「ついさっき、生徒会の仕事が云々で駆け回っていたけどね」

「……って、ことは……クリーチャーの、力……?」

「恐らくは。なにかしらの能力で、僕の探知を欺いているのだと思う。なんか奇妙な感じの気配だったし、普通のクリーチャーじゃなさそうだ。厄介だな」

 

 普通のクリーチャーじゃない、か。

 わたしたちからすれば、クリーチャーに普通も普通じゃないもないから、あまりピンとこないけど。

 

「なんにしても、クリーチャーはどっか行ったってことでしょ。ってぇことは、追跡はもう打ち止めだね」

「そうなるね」

「そ、そっかぁ……ごめんね、みんな。振り回すだけ振り回しちゃって……」

「いいえ。何事も起こらず、平穏無事であるのならば、私はそれで十分です」

「けど、このタイミングで姿を消したってことは、向こうはこちらの追跡に気が付いているのかもしれない。警戒は怠らないようにしないと」

「今まで反撃されたこととかないけどね。気にしすぎでは?」

「今までなかったからと言って、今回も反撃されないなんて保障はない。気には留めておくべきだ。特に小鈴」

「えっ、わたし?」

「当然だ。君がそこの鳥類と、つまりクリーチャーと最も密接に関わっているんだから、ボクらの中では一番狙われやすいはず。そもそも君は、常日頃から危機意識が薄いというか、無防備というか……せめて階段でくらいはもう少し下を意識して欲しいと……」

「な、なんでお説教っ!?」

 

 いきなり霜ちゃんの小言が始まった。

 前々からこういうところはあったけど、最近は特に多くなってきている気がします。

 

「まーまー、水早君の説教なんて適当に聞き流してさ、時間あまったんならカドショでも行こうよ」

「こいつはまた……いや、確かに時間に余裕があるのなら、有意義に使うべきか。皆はどうする?」

「どっちでも……いい……」

「ユーちゃんは行きたいです!」

「……私は、帰宅するべきかと」

「えぇ、ノリ悪いなぁ」

「なにか用事でもあるの?」

「用事といいますか……明日提出しなければならない宿題が、まだ残っているので」

『あ……』

「今の「あ……」は三人分だったが、さて」

「鹿島先生の宿題、たくさんあるもんね……わたしも、まだ終わってないや」

 

 授業ごとに宿題の有無や期限はまちまちで、ひとつの授業内でも一定じゃないから、たまたま偶然、ちょうど色んな授業の宿題の提出期限が明日に集中してしまっているのです。

 いくつかは終わらせているけど、わたしもまだ宿題は残っている。

 

「とりあえず、ユーちゃんは帰って宿題を終わらせないとダメだよ」

「Oh nein!」

「しかたない……つきにぃに、任せる、しか……」

「面倒くさいなぁ。てきとーにやるかぁ」

「……実子って、性格は酷いものだが、授業はそつなくこなすよな」

「どういう意味?」

「そのままの意味だ」

 

 また霜ちゃんとみのりちゃんが危ない雰囲気になりかけてるけど。

 明日も学校はあるわけだし、宿題は出さなきゃいけない。残念だけど、今日はもう、お開きとなりました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――よしっ、できたぁ」

 

 ペンを置いて、グッと伸びをする。

 ようやく宿題が終わりました。

 時計を見ると、もう日付が変わろうとしていた。

 

「もうこんな時間かぁ……シャワーだけ浴びて、もう寝ちゃおう」

 

 みんなから色んなところを聞かれて、それに答えているうちに、時間がかかってしまったみたいです。

 明日も学校だし、早く寝ないと。

 着替えを持って、階段を下りる。風呂場に向かう途中、リビングに明かりがついているのが見えたから、ちょっと覗いてみた。

 

「お母さん、またパソコン開いたまま寝てる……後で起こしてあげなきゃ」

 

 案の定というか、お母さんが机に突っ伏して、死んだように眠っていました。

 たまにあるんだよね、お仕事の途中で力尽きて眠っちゃうことが。

 このままだと風邪引いちゃうし、シャー浴びたら起こしてあげよう。

 

(それにしても……)

 

 ふと、思った。

 鳥さんと出会ってから、もう半年以上も経つんだ。

 それはつまり、わたしがクリーチャーと戦ってきた時間であり、デュエマに触れてきた時間でもある。

 本当に、色んなことがあった。

 喋る鳥さんというだけでも驚きだったけど、その正体がクリーチャーで、しかもこの世界にもクリーチャーがいて、わたしがそれを退治するだなんて。わたしはそれまで、デュエマに触れたことなんてまったくなかったから、最初は戸惑ったっけなぁ。

 でも、お母さんはデュエマを題材にした小説も書いてるし、お姉ちゃんもデュエマについてはなんだか知ってるっぽいし、むしろわたしがまったく触れてこなかったことが変だったのかも。

 そして、そんなデュエマのデの字も知らないようなわたしを導いてくれたのが――

 

「――先輩」

 

 わたしは先輩を、ずっと避けてきた。

 あの時、わたしにはなにが起こったのかよくわからないけど、代海ちゃんが言うには、三月ウサギさんに“狂わされた”。

 なんというか、とても恥ずかしいことをしてしまった。よりにもよって、男の人――それも先輩に。

 正直あんまり思い出したくない。まだ、わたしはあの人に思いを告げられるほど、強くない。

 まだ、子供のままなんだ。

 

(……?)

 

 あれ?

 なんだろう、また、なにか引っかかったような感じが……

 なにか言葉が出そう。なにかを思い出しそう。あとひとつ、あと一歩、あと少し、なにかがあれば。

 子供、大人……うぅん……

 

「……昔のわたしは確かに、大人になりたい、と思ってたはず……思ってたけどさぁ」

 

 ちょっとげんなりする。

 あまりにも局所的すぎるのではないでしょうか。不満があるとかじゃ、ないけど……いやある、けど。

 この極端な成長も、鳥さんと出会ってからだ。流石に関係ないとは思うけど。

 最近は胸の方も落ち着いてきたけれど、身長は一向に伸びる気配がない。せめてあと1cmでもいいから伸びて欲しいんだけど……できるなら、あと10cmくらい、欲を言えば葉子さんくらいは欲しいけど。

 そりゃあ、わたしも小さい頃は、お姉ちゃんの大きな胸に憧れてたこともなくはなかったけどさ……

 

(なんだか、わたしの願望が中途半端に叶ってる感じがする……嬉しいやら悲しいやらだよ)

 

 ……願望?

 なんだろう。今、なにかが頭の中でよぎったような。

 

「なんか、変な感じ……気のせい、かな」

 

 昼間、クリーチャーを追っていた時から、こんな感じだったけど。

 考えてても答えは出ない。ずっと宿題をしてて疲れてるし、そういうことは後で鳥さんにでも聞くとして、早くシャワーを浴びて寝ちゃおう。

 脱衣所に入って、まずは鈴の髪紐ほどいて、服を脱ぐ。

 お風呂場へと入って、扉を閉めようとする。その時、なにかがものすごい勢いで突っ込んできた。

 

「小鈴!」

 

 あ、鳥さんだ。寝てたと思ってたんだけど、起きてたんだ。

 ……え? 鳥さん?

 

「ちょ、ちょっと鳥さん! 待って! わ、わたし今、服着てないから! 裸だから!」

「服なんて僕も着てないよ!」

「あ、それもそうだね……え? そうなのかな……?」

 

 というか、鳥さんってオス? 口振りからすると、メスじゃなさそうだけど、一人称が「僕」でも、霜ちゃんみたいな例もあるし……そもそも、人間じゃないなら、別に大丈夫……?

 

「そんなことよりクリーチャーだ! 近いぞ、すぐそこだ!」

「えっ!? と、鳥さん! 家でその格好はまずいよ! 誰かに見つかっちゃったら言い訳できないじゃない!」

「知るものか! それよりクリーチャーが……来るぞ!」

 

 いつもの3倍速で、例のふりふりの、まるで魔法少女のような格好に変えられる。

 うぅ、なにもこんな時に来なくてもいいのに……夜だから誰も来ないとは思うけど、早く終わらせないと――

 

「なんだ、この異常なマナは。神話世界のクリーチャーじゃない……? それにこれは、時空の――小鈴っ!」

「えっ……?」

 

 ――感覚が、歪む。

 浮遊感。身体の自由が利かない。勝手に、動く。浮く。揺蕩う。

 なんだろう、これ。

 変な感じだ。どこか、懐かしいようで。けれど知らない。なのに既視感がある。

 不思議で不思議で奇妙な感覚。

 認知も知覚も狂い堕ち。

 虚空の扉は昏く渦巻く。

 なにが起こっているのか。その一瞬、その刹那、わたしには、なにもわからなかった。

 

「小鈴! 小鈴! こすず――」

 

 

 

 もう、鳥さんの声も、聞こえない――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――――」

 

 覚醒。

 いや、自覚、かもしれない。

 わたしはその瞬間、外界を認識することができた。

 ベッドから起きて目が覚めるのとは違う。ゆるやかな目覚めではなく、その瞬間、急激に理性と意思を得た。

 意識を得たわたしは、とりあえず、自分の状況を確認する。

 

「ここ、は?」

 

 キョロキョロと視線を彷徨わせる。

 見えるのは、民家。なんの変哲もない、一般的な家屋だ。コンクリートの塀や、鉄柵などで仕切られて、家々は区切られる。

 地面は、普通のアスファルト。掠れた白い速度表示。柱が少しだけ錆びたカーブミラー。段差になっている歩道。

 とても、とてもありふれた、普通の町並みだ。

 見た感じ、住宅街、っぽいけれど……

 

「なんだか、変に落ち着くな……知らない町に来たとは思えない……」

 

 と、いうか。

 なんだろう。なんだかこの町、見たことがあるような気がする。この町を知っているような気がする。

 外観だけではない。この空気が、この町という空間、世界そのものが、変に馴染むというか……

 

「……まさか」

 

 確証はない。ただ、そう思っただけだ。

 わたしだって、目につくものすべてを正確に認識して把握しているわけではない。ほとんどのものは「なんとなく」目に映るだけ。

 でも、それでも。あるいは、そうだから。

 この“見慣れた”と感じる景色に対して、一つの仮説を打ち立てられる。

 

「ここは……わたしたちの、町、なの……?」

 

 断言はできない。けれど、なんだかそんな感じがする。

 思い出して照合してみれば、この景色はあの町によく似ている。

 真偽を確かめるには、もっと歩いてみるしかない。正直、ちょっと怖いけど、でも進まなきゃ。

 自分を奮い立たせて、わたしはなんとか前に進み出す。

 

「これも、クリーチャーの仕業、なのかなぁ」

 

 鳥さんはいない。当然、みんなも。

 わたしは、たった一人。

 まるで、あの頃のようだ。

 

「? あれ。今、昼間……?」

 

 今まで気にしていなかったけど、ふっと違和感を覚えて空を見上げれば、太陽が高く昇っている。

 さっきまでわたしはお風呂に入ってて、夜だったはずなんだけど……これも、クリーチャーの力なのかな。

 昼夜逆転? 時間を巻き戻す? それとも、幻とか、VRみたいな……?

 クリーチャーはわたしたちの常識を軽く超えるけど、ここまで大掛かりなことは、今までほとんどなかった。精々、あの台風の日くらいかな。

 ……っていうか、わたしの格好も、変身させられたままだし……やだなぁ。人気はないけど、誰かに見られないようにしないと……

 人目を気にして、コソコソと物陰に隠れながら町を練り歩いていく。

 だんだんと、既視感の正体が掴めてきた。

 上手く思い出せなくて記憶と照合できないところはあるけど、この町は、わたしの住む町で間違いない。

 

「だとすると、わたしの家はあっちの方で、学校はあっち、かな……?」

 

 そんなことがわかっても、なんにもならない。けど、帰る場所がわかっていると、少し安心する。

 さて、これからどうするか、考えないと。

 これがクリーチャーの仕業だとすると、元凶のクリーチャーを倒すべき、って鳥さんや霜ちゃんなら言うのかな。

 けれど肝心のクリーチャーがどこにいるのか、わたしにはわからない。クリーチャーの居場所がわかるのは、鳥さんだけだ。なら、まずは鳥さんを探さないと。

 

「……でも、わたし一人で探すのは大変かも……」

 

 鳥さんもわたしのことを探しているとは思うけど、鳥さんはいつも自由に飛び回っているから、適当に歩いていても見つけることはできなさそう。

 なら、みんなに手伝ってもらう? 恋ちゃんやユーちゃん、みのりちゃんに霜ちゃん、ローザさんや謡さん、みんなならきっと、助けてくれる。

 携帯……は、ないよね、うん。部屋に置きっぱなしだし。

 だったら一度、家に帰って携帯を取って来て、みんなに連絡しよう。もしかしたら鳥さんも家にいるかもしれないし。

 

「よしっ。とりあえずは家を目指そう」

 

 ここから家に帰るには少し遠いけど、歩いて行けない距離じゃない。

 問題は、この姿を誰かに見られないか、だけど。

 裏道とかを通れば、なんとかなるかな……? そうすると、もっと時間かかっちゃうけど、仕方ないか。

 

「……それにしても」

 

 こんな状況なのに、思ったより慌ててないな、わたし。

 ここが知っている町だから? クリーチャーの騒動に慣れてしまったから?

 いや、きっと、みんなが一緒にいてくれたから、かな。

 昔のわたしからすれば、一人でここまで決めて行動できるなんて、考えられなかった。

 あの時、わたしはずっと一人だったから。一人で迷って、彷徨って、途方に暮れて、泣き出してしまう子供だった――

 

(――あ、また……)

 

 古い記憶が、一瞬だけ呼び覚まされた気がする。けれどそれはほんの僅かなフラッシュバック。それを認識して、理解する前に、淡い記憶は泡沫へと消えてしまう。

 今までよりも強い想起。そうだ、これは、わたしの記憶……思い出?

 なにかを、忘れている? とても大事なことを、見落としている……?

 そのなにかが、わたしと、この世界とを、結び付けている、ような……

 

「…………」

 

 スゥッと、我に返る。

 なんだか今日は、ずっとこんな感じだ。

 なにかとても大事なことが、胸の奥に、脳の底に、こびりついて、焼き付いて、浮かび上がろうとしている。

 とても懐かしくて、恥ずかしい、なにか。

 わたしにとって大切なもの。忘れている、わけじゃない。と、思う。

 ただ、関連性が見つけられない。今、この状況と、その見えない記憶の結びつきが、見えない。

 

「……とにかく今は、家に戻ろう」

 

 ずっと同じ場所で立っていても、どうにもならないし、他に人に見られちゃうかもしれない。

 なんだかもやもやするけど、その蟠りを抱えたまま、わたしは歩き出す。

 見慣れた道。けれど今は、その道路も、違うように見える。

 かつての記憶と、ダブっている。

 右に曲がるということがわかっているのに、左なのかもしれないと思ってしまう。

 直進が正解のはずなのに、実は違うのではないかという、あり得ない疑念が浮かぶ。

 まるで、迷子の子供の如く、道行の感覚が、ぶれていく。

 

(この感じ……なんだか、どこかで……)

 

 そんなことを考えながらぼぅっと歩いていると、人の気配がした。

 誰かが、来る。

 わたしは慌てて物陰に身を隠した。そしてそーっと顔を覗かせてみると、半袖に短パンといった出で立ちの、小学生くらいの小さな男の子と、ノースリーブのシャツにミニスカートの女の子が歩いていた。

 

「カイ! そんなに先に行っちゃダメ。迷子になるわよ」

「大丈夫だって。この辺の地理は把握してるし、いざとなれば携帯もあるからな!」

「まったくもう、屁理屈ばっかりなんだから……」

「そんなことよりゆみ姉、早く! 時間がもったいないぞ」

「あ、待ちなさいっ。カイ!」

 

 すたすたーっと、男の子は駆け足で行ってしまい、女の子がその後を追っていく。

 なんだか微笑ましい……姉弟、かな?

 と、その時。

 ザザッ、と。頭の中で――いや、全身にノイズが走ったような感覚がした。

 それと一緒に、胸の内側から、またなにか湧き上がってくる。

 

「ん……っ」

 

 二つの奇妙な感覚が同時に襲い来る。ちょっと、足元がふらついた。

 なんだろう、今の。ノイズみたいなのは、初めての感じだ……それにまた、なにかダブって見えた。

 ノイズの方はまったくの未知。でも、もう片方は……なに?

 なにか、思い出しそう……プールでの、出来事……そう、迷子の男の子を、助けようとして……それが、アヤハさんの、ヤングオイスターズの、弟さんで……どうして、助けたんだっけ……?

 放っておけなかったから……どうして……? 迷子は、迷うことは、嫌で……それは、あの時、わたしが……

 

「迷子……」

 

 ……なんだか、急に心細くなってきた。

 今この状況に、なのかな。

 知っている町とはいえ、たった一人で放り出されたわたしも、ある意味では迷子のようなもの。

 いや……なんだか、違う気がする。

 まるでみんなが、遠くなってしまったようで……だから、寂しくなるんだ。

 みんなに……会いたいな。

 鳥さん……

 

「……悲しんでいる場合じゃなかった」

 

 みんなの場所に戻るために、今は進まなきゃいけないんだ。

 子供たちがいなくなったことを確認。

 そして、家へと続く道を、歩き出した。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――いい匂い」

 

 家路に行く道程の途中に漂う香気。

 この香ばしくて、あたたかい匂いは、間違いない。

 

「パン屋さん!」

 

 ……おなか、すいたなぁ。

 いや、この格好じゃお店には入れないし、そもそもお金持ってないし、パンを食べられるわけじゃないんだけど。

 でもでも、ちょっと覗くくらいならいいよね!

 わたしの足は自然と、匂いの方へと進んでいった。

 

「……あれ? このパン屋さんって……」

 

 見たことのあるパン屋さんだ。そもそも、わたしの町にあるパン屋さんで、わたしが把握していないお店なんてない。パンを焼く匂いでどのお店かは大体わかるんだから。

 このパン屋さんの匂いは、優しくて、あたたかくて、人の心がこもった、懐かしい匂いだ。

 

「わぁ……懐かしい」

 

 思わず、声にも出してしまった。

 ここは、わたしが昔、大好きだったパン屋さんだ。

 二人の老夫婦で切り盛りしていた、小さなお店。

 確か去年、ご主人が田舎に帰ることになっちゃって、潰れちゃったんだよね。その時には、ちょっとしたパーティーをして、わたしの大好きな揚げパンを作ってくれたんだ。

 本当に、懐かしいなぁ……今はなんだか、怪しいオフィスが建ってるんだよね。よくわからない探偵事務所とかあったりして……

 ……うん? 懐かしい?

 

「懐かしいって、なにか……あ!」

 

 そこでわたしは、重大なことに気が付いた。

 

「な、なんで……潰れたパン屋さんが、あるの……?」

 

 存在しないはずのお店が、ここに存在している。

 いや、それは存在していた事実はある。けれどそれは、過去の話。

 過去に存在していたものが、現在に存在する。それは道理に反している。

 いや、違う。逆だ。

 過去にしか存在しないはずのものが、現在に存在している。それは、つまり、ここは――

 

 

 

「――か、過去の、世界……!?」

 

 

 

 あまりにもファンタジー。あまりにもフィクション。

 正しく、事実は小説よりも奇なり、だ。

 およそあり得ないことだけど、そうとしか、考えられなかった。

 

「過去にタイムスリップなんて……!? あ、でも、クリーチャーならそういうこともあり得るのかな? なんか、前にもこんなことあったような気がしないでもないし……」

 

 そういえば、さっきの男の子と女の子も、晩秋にしてはかなり薄着だった。季節も違っている?

 この姿だと、寒暖の差がハッキリしないんだけど、周りの植物、空気の感じからしても、今は秋や冬ではない。

 夏、って感じでもない。ってことは、春くらい……? 春なら、学校まで行けば桜が咲いているはずだし、夏ならプールに水が張ってるから、すぐにわかるんだけど……

 

「なんにしても、過去の世界に飛ばされた……? ちょっとこれは、とんでもなさすぎるよ……っ!」

 

 今までにないほど、すさまじい現象だ。

 ここがどのくらい昔なのかわからないけど、あのパン屋さんがあるってことは、最低でも一年は昔だから、わたしが小学生の頃なのは確実。

 みんなと友達になったのは、中学生になってから。となると、みんなはわたしのことを知らない。そして当然、鳥さんとも出会っていない。

 

「そんな……」

 

 一気に、暗いものが押し寄せた。

 望みが立ち消え、光が黒く塗り潰される。

 過去の世界。少し時間が逆行しただけで、わたしはすべてを失ったような気持になる。

 頼れる人は、誰もいない。わたしは本当の、本当に、一人だ。

 たった一人で、既知にして未知の世界に、放り出されてしまったのだ。

 

「ど、どうしよう……」

 

 命綱が切れたような気分だ。

 今までわたしの心を支えていた、姿のない友達。

 その影までもが雲散霧消して、わたしは支柱を失ってしまった。

 暗い海の底に、身体ひとつで放り出されたようだ。ぐらぐらと、平衡感覚までもが狂い始める。

 あぁ、あぁ……あぁ……!

 動悸が激しい。どうすればいいのか。クリーチャーを倒せばいいはずだけど、見つけられるのか。手掛かりも、なにもなく。

 たった、わたし、ひとりで。

 その時、ぞわりと、悪寒が走る。

 この、イヤな気配は――

 

「――! クリーチャー……!?」

 

 なにか、黒い影のようなものが、浮かび上がっている。

 ……?

 なんだろう、これ。クリーチャーとよく似た感じだし、この姿は十中八九クリーチャーのはずなんだけど、いつもわたしが相対しているものと、少し違う……?

 いや、そんな細かい差なんて、それこそ些末なもの。

 クリーチャーが現れたのは好都合だ。もしかしたら、このクリーチャーが、この異変の元凶かもしれないし、そうじゃなくても手掛かりになる。

 孤独に押し潰されそうな心を強引に奮い立たせて、わたしは太腿に手を伸ばし、装着されたホルスターからデッキを抜き取る――

 

「あ、あれ……!?」

 

 ――ことは、できなかった。

 わたしの手は虚空を掴む。虚無に空振って、なににも触れない。

 

「デッキが、ない……!?」

 

 ど、どうして!? いつもは勝手に……ま、まさか、部屋に置いてきたから?

 

『M……Oooooo……!』

「あ……」

 

 黒い影が、こちらに迫り来る。

 理由なんてどうでもいい。

 戦えない。今のわたしは。そんな事実を、突きつけられた。

 誰も頼れない。友達はいない。孤独。

 そして、力もない。非力で、無力で、戦えない。

 わたしはなにもできない――泣いてばかりの、子供だ。

 

(――――)

 

 あぁ、また、なにか。

 頭の、中に、浮かんで。

 あの時、迷って、泣いて。

 そして、あの人が、手を――

 

『RURURURURURU,Toooooooo!』

 

 わたしの意識は曖昧なまま。

 清濁どちらとも言えない、不完全で不安定な認知の中。

 黒い影の脅威が、人知では理解し得ない破壊の権化、悪辣なる暴力の象徴が、迸る。

 

(……いや、だよ……)

 

 混濁し、朦朧とした、薄弱な意識の海に浮かび上がる、ただ一つの意志。

 それは、わたしという無力な子供のワガママ。

 

(まだ、あの人に……ちゃんと、伝えなきゃ――)

 

 羞恥によって押し込めてしまった、わたしの意地。

 陽炎のように浮かび上がる幻想。違う、これは幻ではない。

 わたしの、確かな思い出だ。

 あの人と、初めて出会った――だから、まだ……!

 

『――――』

 

 それはただの意地っ張りで、強がりでしかない。

 わたしの気持ちひとつで、暴威がどうにかなるわけではない。わたしの孤独も、無力さも、変わらない。

 だけど、

 

「……?」

 

 黒い影は、動きを止めた。

 そして、さらさらと、その姿を綻ばせ、崩壊していく。

 一体、どうして……?

 

 

 

「間一髪、危なかったね」

 

 

 

 声が聞こえる。女の子の声だ。

 鈴の鳴るようで、少し子供っぽい。

 

「まさか歪みの影響でクリーチャーの影まで生まれてるなんて。思ったよりも深刻みたいで、ちょっと驚いたけど……」

 

 とても、聞き覚えがあるような声。けれど同時に、まったく聞いたことがないようにも感じる、矛盾した声。

 

「それ以上に、こっちに驚いちゃったよ」

「……え?」

 

 顔を上げる。

 自分の目を疑った。なぜ、どうして。

 過去の世界に飛ばされたなんてことよりも信じられない光景が、信じられない人物が、そこ在る。

 

「ま、まさか、そんな……あ、あなたは――」

「こっちも一応、聞いていいかな。あなたは――」

 

 そう、そこには――

 

 

 

『“わたし”なの……?』

 

 

 

 伊勢小鈴(わたし)が、立っていたのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 淡いピンク色を基調とした、ふりふりでふわふわ、フリルとレースをふんだんに使ったドレス状の衣装。

 袖はなく、ミニスカートから伸びる足は、普段は絶対に履かないようなオーバーニーソックス。

 これは今わたしが着ているものとまったく同じ衣装だ。

 そしてなにより、ふたつに振り分けた髪を括る、お母さんから貰った、鈴のついた髪紐。

 間違いない。この女の子は――

 

「わたしが、もう一人……!?」

 

 ――わたしだ。

 わたしとまったく同じ姿のわたし――いや、わたしなんだから、わたしと同じ姿なのは当然だけど――が、目の前にいる。

 ど、どういうことなの? もしかしてこれも、クリーチャーの仕業?

 

「はっ! も、もしかして、いつかのお医者さんの時みたいに、わたしの偽物とか……!?」

「いや、わたしは正真正銘、あなたと同じだと思うよ。あなたが偽物でない限りはね」

「わ、わたしは本物だよ。本物の小鈴だもんっ」

「見た目はそうだけど、お母さんから貰った大切な鈴、付けてないじゃない」

「だ、だってお風呂入ってたんだもん……! そりゃあ髪紐くらい外すよ!」

「ふぅーん。ま、その格好で別人ってこともないか。それに、あなたが正しく進む可能性のあるわたしなら、確かにまがい物はわたしの方が相応しいわけだし」

 

 もう一人のわたしは、よくわからない感じで納得したようでした。

 

「っていうか、その格好だよ。その格好してるってことは、この時代のわたしじゃないよね?」

「この時代? えっと……」

「もしかして迷い込んだ? クリーチャーのせいで飛ばされたとか」

「た、たぶん、そうだと、思います……わたしにも、よくわからないけど……」

「そっかぁ。でも勝手に迷い込むなんてまずあり得ないし、次元跳躍で生まれた穴に引き寄せられたのかな? そっちの世界に干渉した縁が結ばれて、偶発的な歪みの重なりで召喚されてしまった、とか……?」

「?」

 

 まったくなにを言っているのかわかりません。まるで鳥さんです。

 もう一人のわたしはしばらくぶつぶつ言っていると、今度はわたしに尋ねる。

 

「あなたがこの時代のわたしでないことは確かっぽいけど、どの時代のわたしなんだろ。ちょっと質問してもいい? あなた、いまいくつ?」

「じゅ、12歳……中学一年生、だよ」

「中一……ってことは、鳥さんと出会った頃か。彼と出会っていない世界線でなければ、だけど……鳥さんは知ってる?」

「鳥さんって、あの鳥さんだよね。白くて、ちょっと勝手気ままで、人の話を聞いてくれない」

「そうそう。白さは潔白の証明とか嘯いて、黒さを相棒に押し付けて、計画性がまったくなくてその癖使命感だけはいっちょまえな鳥さん」

 

 その鳥さんがわたしの知ってる鳥さんかはちょっと自信なくなっちゃったけど……他ならぬ“わたし”が“鳥さん”と呼ぶ存在は、きっとあの鳥さんしかいないはず。

 そして、その鳥さんを知っているということは、やっぱりこのわたしも、わたしなんだ。

 

「概ね理解できたよ。まあ、ほとんど事故みたいなものか。イレギュラーな事態は慣れっこだし、まあ、なんとかなるよ」

「なんだか不安なんだけど……」

 

 わたしよりも、ずっと落ち着いていて、どこか楽観的なもう一人のわたし。

 見た目は確かにわたしなんだけど、雰囲気は、少し違う。わたしよりも明るいっていうか、堂々としているっていうか……

 まるで“成長したわたし”みたいだ。

 

「……っていうか、そもそもどうして、わたしが二人もいるの?」

「それはあれだよ、このわたしと、あなたというわたし。わたしたちはそれぞれ、別の世界のわたしなの。」

「別の世界のわたし?」

「うん。えーっと、中学生のわたしなら、平行世界(パラレルワールド)は知ってるよね?」

「知ってるよ。無数に分岐した“もしも”の世界がある、って考え方だよね」

「あなたからしたら、わたしはその“もしも”のわたし。あなたとは、ちょっぴり違う道を歩んだわたし。あなたとは別の平行世界における、伊勢小鈴の姿……そんなところ」

「平行世界の、わたし……」

 

 成程……パラレルワールドが本当に存在していることには驚きだけど、とりあえず納得はしたよ。

 

「ってことは、この世界のわたしが、あなたなの?」

「あ、それは違う。わたしはこの世界とは別の世界からやって来たの。あなたと同じようにね」

「え? ってことは、この世界には、わたしたち以外の、本来のわたしがいるってこと?」

「そういうこと」

「ややこしいね……」

 

 別の世界からやって来たわたし。わたしとは違う平行世界からこの世界にやって来たわたし。そして、わたしにとって平行世界に当たるこの世界で生きるわたし。

 今、この世界には三人のわたしがいるってことだよね。そしてわたし自身は、別世界から来たわたしで……あぁもうっ、ややこしいよっ!

 

「……じゃあ、あなたは“いつ”のわたしなの? 中学二年生くらい?」

「え? えーっと……少なくともあなたよりはずっと未来から来ているけど、今いくつだっけ? 途中で数えるのやめちゃったから、あんまりよく覚えてないけど……少なくとも高校生ではあるはず」

「えっ!?」

 

 こ、高校生!?

 でも、顔つきはわたしとまったく同じだし、目線が同じ高さだから、身長だって同じ……ってことは!

 

「わ、わたし、高校生になっても身長伸びないのっ!?」

「わたしはそうだったね」

「そんなぁ。もっとがんばってよ、わたし!」

「文句なら鳥さんに言ってよ。望みが中途半端に叶ったせいで、大人になりたいって願望も部分的になっちゃったんだから。あぁ、でも、胸はずっと大きくなってるよ」

「もうこれ以上はいらないよ!」

「ね。お姉ちゃんくらい大きくなった時は、それなりに喜んだものだけど、大きくなりすぎるのも困り者だよね。まんざらでもないけど」

「わたしがわたしについて説明しないで!?」

「いや、だって、わたしだし?」

「あ、そっか……え? そうなの?」

 

 ちょっとわけがわからなくなってしまいました。

 自分と話してるってのも、変な感じだよ……絶対にできない体験だけど。

 もう一人の自分が、それも正真正銘の自分自身がいるなんてはじめての経験だから、なんか混乱して来ちゃった。

 

「さて、とりあえずわたしは、この世界でやるべきことがあるんだけど……あなたは、どうする?」

「ど、どうするって?」

「どうしたいか、だよ。ちゃんと口に出して、言ってごらん」

「……帰りたいよ。元の世界に、みんなの場所に……」

「みんな、か。うん、じゃあわたしと一緒に行こうか。あなたがここに導かれた原因、元凶はわたしのターゲットでもある。叩いて、目的達成ついでに、次元跳躍であなたを元の世界に送り返してあげる」

「あ、ありがとう……」

 

 次元跳躍とか、なにを言っているのわからない時はあるけど、もう一人のわたしはわたしよりもこの事態について詳しいみたいだし、確かにここは、もう一人のわたしに任せる方がいいのかな。わたしよりも大人みたいだし。

 ……大人……

 

(あぁ、まただ……)

 

 まるでなにかを訴えかけるように、伝えるようにして浮上するおぼろげな幻影。

 きちんとした像を結ばず、曖昧模糊としてある断片的な一場面。

 これは幻なのか、影なのか、夢なのか。

 それとも、現なのか。

 それを考える前に、自我は現実に引き戻される。

 

「どうしたの? ぼーっといて」

「あ、いや、なんでもない……」

「そう。ならいいけど」

 

 あっけらかんと流すわたし。

 なんだかこの人、わたしなんだけど、わたしよりも軽いというか、陽気というか……わたしってこんなキャラだったっけ?

 ……はっ。もしや、これが大人の余裕ってやつなのかな……!?

 

「それにしても、わたしってこんなにぼーっとしてたんだね。どうりでお姉ちゃんが子供っぽいとか垢抜けないとか、いつまでもうるさかったわけだ。客観的に見ると、わたしって本当にお子様だったんだね。やっぱり今のわたしとは違うなぁ、どっちもわたしだけど」

「わたしわたしって、ややこしいよ……」

 

 わたしと、もう一人のわたしと、どっちもわたし。

 わたしにとってのわたしは、このわたしだけだから区別がつかないなんてことはないけど、どっちも「わたし」って呼び合ってるから、だんだん混乱してきた。

 

「じゃあ呼び名を変えようか。わたしはあなたのことは「小鈴」って呼ぶよ」

「あなただってわたしなんだから、小鈴じゃない……」

「まあそれはそれとして、わたしのことはベルって呼んで」

「べ、ベル……?」

 

 なんだか謡さんや、【不思議の国の住人】の人たちみたいな呼び方だなぁ。

 でもまあ、区別をつけるためだから、あんまり関係はないよね。

 

「それでいい? 小鈴」

「う、うん。わかったよ、ベル」

 

 とりあえずこれで、「わたしわたし」と連呼することはなくなった、と思います。わたしたちの区別はハッキリつくかな。

 

「さて、それじゃあ早速移動しようか。そろそろ頃合いだろうし」

「頃合いって?」

「こっちの話。いや、わたしより、あなたの話かもね、小鈴」

「?」

 

 なに、どういうこと?

 意味深なことを言うベル。けど、わたしにはまったくわからなかった。

 

 

 

 ――ザ、ザザザ――

 

 

 

 と、その時。

 わたしの中で、なにかが離れていく。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ザ、ザザザ――

 

「――っ」

 

 まただ。

 あの、ノイズみたいなものが、全身を駆け巡る。

 

「どうしたのまた。ぼーっとしすぎじゃない……って、え? 大丈夫? 顔色悪いよ?」

「わ、わかんない。なんか、身体が、変……!」

 

 なに、これ。

 なんだか、大切なものが遠くに行ってしまうような。

 細い細い糸が、強い力で引っ張られているような。

 どんどんノイズは大きくなる。砂嵐のような、イヤな音。

 引き剥がされるような、遠のくような、離別の感覚が、強くなっていく。

 ザザ、ザ、ザザザザ、ザ――

 

 

 

 ザザザ――プツッ

 

 

 

 ――遂にそれは、途切れた。

 それと同時に――

 

「え……?」

 

 

 

 ――わたしの服が、消滅した。

 

 

 

「き、きゃぁ――っ、むぐ!」

「大声はダメだってば、人が来ちゃうからっ」

「ぷはっ! だ、だってぇ……!」

 

 な、なんで!? どうして!?

 変身した時の衣装が完全に消えて、わたしは一糸まとわぬ姿に……町中なのに!

 たぶん顔はゆでだこみたいに真っ赤に染まっている。顔が熱い。当たり前だ、いきなり、こんな……!

 

「あー、これはあれかなぁ。別世界の次元に移動して、鳥さんとの接続(リンク)が遠のいていたのが、遂に切れちゃったんだね。小鈴はまだ、自力で変身できないのか……いや待って。だからってなんで全裸なの? 普通、元の服に戻るはずなんだけど」

「お、お風呂……シャワー、浴びようとしてたから……」

「あぁ、そう言えばそんなこと言ってたね。これは間が悪かったね」

 

 次元を移動したから、鳥さんの力による変身が解除された……と、ベルは語る。

 あのノイズみたいなのは、鳥さんから与えられた力が離れていく感覚だったんだ。もしかして、デッキがなくなってたのも、そのせい?

 細かいことはよくわからないけど、なんにせよ鳥さんがお風呂に入ろうとする時に限って変身なんてさせるから、わたしはこんな目に……鳥さんの明日の朝ご飯は抜きにしちゃおう。わたし怒りました。

 いや、鳥さんへのお仕置きなんて今はどうでもいい。それより服! 服だよ! これじゃあ、どこも歩けないよ……!

 

「そうだね、服を用意しないとね。服屋さんで買う……は、無理か。わたしはこの姿から変われないし、そもそもお金もないし」

「じゃ、じゃあどうするの!?」

「うーん……」

 

 ベルは腕組みして、悩ましそうに考え込む。

 そして、

 

「仕方ない、時間がギリギリだけど、家に行こうか」

「い、家?」

「この時代の、わたしたちの家だよ。なにかしら、着れるものはあると思うんだ、たぶん」

 

 なるほど。確かにそれはいい考えだ。

 服屋さんで服を買えない以上、タダで服を手に入れる必要があるけど、わたしたちはお互いに人に見られてはいけない姿をしているから、誰かから借りるわけにもいかない。

 となるとその辺で拾うくらいしか選択肢がなくなるけど、自分の服ならば、その限りではない。

 いや、この時代のわたしは、厳密にはわたしとは違うんだけど……この場合は仕方ない。昔のわたしには悪いけど、どうか未来のわたしのために服を貸してください。

 

「それじゃあ急ごうか。隠れながら移動しなきゃいけないから、ちょっと時間かかっちゃうかもしれないし」

「……ねぇ、魔法で姿を消したりとか、できない?」

「魔法? そんなの使えるわけないじゃない」

「そっかぁ……」

 

 ということは、家に着くまでは裸のままなんだ……

 ……絶対に人に見つからないようにしなくちゃ。

 あと流石に寒いです。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで、なんとか人目を避けながら、誰とも会わずに伊勢家に辿り着きました。

 家の様子は、わたしの知っている家のまったく変わっていない。まあ、改築とかしてないし、当たり前だけどね。

 

「あ、お母さんが家から出て来たよ」

「珍しいね……編集者さんとの打ち合わせかな?」

「なんにしても今がチャンスだよ。今なら、家の中には誰もいないはず」

「なんでそんなことがわかるの。お姉ちゃんがいるかもしれないし、もし休日ならお父さんだって……あ、待ってよっ」

 

 お母さんが家から出て、車を出す。

 その隙に、ベルは門を潜って敷地に入った。

 でも、玄関の扉は鍵がかかってるし、中には入れないよね?

 どうするんだろうとわたしが不安に思っていると、ベルは庭に出て、なにやら上の方――二階かな?――を見上げていた。

 

「えーっと……あ、二階の窓の鍵が開いてるね」

「二階なんてどうやって上るの……木登りするの? 流石に、裸のまま木登りはしたくないよ……」

「どうせ身体が重くて木登りなんてできないじゃない」

「そ、そんなことないもんっ!? た、たぶん……」

「そんなことより跳んだ方が手っ取り早いよ。ほら、掴まって」

「え? きゃぁっ!?」

 

 いきなりベルに腕を掴まれたかと思うと、ぐんっ! と身体が引っ張られた。

 一瞬の浮遊感、そして正に、真の意味で全身で風を感じて、直後。

 ドンッ、と(ひさし)の上に着地した。

 

「び、ビックリした……!」

「魔法なんてファンタジーな力は使えないけど、身体能力は上がってるからね。って、小鈴も知ってるでしょ?」

「知ってるけど、普段そんなこと意識しないし……というか、いきなり跳ばないでよっ」

「時間がないんだよ。どうせ誰にも見つかっちゃいけないのなら、全裸のまま行けばよかったんだからね」

「い、イヤだよっ!? 裸で町を歩くとかあり得ないからねっ!?」

 

 誰にも見つからないとか、そういう話じゃない。裸のまま移動するなんて非常識すぎる。あと寒い。

 

「そんなことは置いといて。とりあえず家探ししようか」

「家探しって……」

 

 いや、実際わたしたちのやってることは、泥棒とまったく変わらないんだけどね……そう考えると、一気に躊躇われる。

 わたし、遂に犯罪に手を出してしまった……うぅ、お母さん、お父さん、ごめんなさい……

 そんなわたしの葛藤と懺悔なんてまったく気にもせず、ベルはクローゼットをごそごそと漁っている。

 

「っていうかこの部屋、よく見たらわたしの部屋だ……」

 

 中学生になる時に、古くなった洋服タンスを買い替えたり本棚を増やしたりして模様替えをしたから、すぐには気付かなかった。

 

「今よりも本が少ない……わ、ランドセルだ。なんだか懐かしいな……あ、このカラーボックス。使わなくなっても置いていたけど、結局はカード入れになったんだっけ」

「ちょっとー、小鈴。早く服を探してよっ。あなたのためにやってるんだからね?」

「あ、うん。ごめんなさい……」

 

 つい懐かしいものを見つけて、感慨に耽ってしまっていたけど、目的はわたしの服を探すことでした。

 わたしは昔使っていた洋服タンスへと歩いて行って、服を探す。

 ……なんていうか、うん。

 霜ちゃんに「小鈴の服のセンスは小学生みたいだ。子供っぽすぎる」なんて言われちゃってるけど、なんかわかるようになってきた気がする。

 この時代のわたしはまさしく小学生なんだけど、これと似たテイストの服を中学生になっても着てたって思うと、確かに恥ずかしいかも……

 

「あ……うわ、この服懐かしい。昔はお気に入りだったなぁ」

「なんか見つかった?」

「うん。見て見て、この服。ふりふりで可愛いよ」

「いや可愛いけど、それ絶対に入らないでしょ。着れなきゃ意味ないよ」

「そ、そうだね……」

「こっちは下着とかだったけど、どれもこれもダメだと思う。絶対に入らない」

「そっかぁ……」

 

 そうだ、昔のわたしの服ってことは、わたしが“今よりも小さい”頃の服ってことだ。今でも小さいっていうのは言わないでください。

 今のわたしは服を選ぶのが大変な身体。小さい頃の服なんて、着れるわけがない。

 一応、試してみようかと思ったけど……悲しくなりそうだからやめておきました。

 それにしても、こうして見ると、わたしの服って中学生になってから、まるっきり変わったんだなぁ……

 

「お姉ちゃんに推されたり、大人っぽくなりたかったりして、変な大人びた下着付けて、紐を結ぶのに四苦八苦したりね。その癖、見られたくないから体育の日はきっちりチェックして」

「余計なこと言わないで!」

「わたししかいないんだから、いいじゃない」

「それはそうだけど!」

 

 そういうことじゃないんです!

 Tシャツから、スカートから、下着から、かつてのわたしの服を見て思う。この頃のわたしは、なにもかもが子供だったんだなぁ、って。

 

「というか、この時代のわたしって、いくつなの あのパン屋さんがあるってことは、小学生の頃なのはわかるけど」

「わたしの調整が正しいなら、鳥さんと出会った時から換算して、ちょうど二年前のはずだよ」

「鳥さんと出会う、二年前……?」

 

 ってことは、中一の春から二年遡って……小学五年生?

 小学五年生の春、ってことは……

 

「まだ胸がちっちゃくて、お風呂でお姉ちゃんに抱き着いて羨ましがってた頃」

「だから口に出して言わなくていいよ!」

「より正確に言えば、この頃から大きくなり始めたんだっけ。あの時は本当に子どもで、それを嫌というほど思い知って、それで……“大人になりたい”って、強く願った時から」

 

 大人に、なりたい……?

 そういえば、そんなことを願ったような……それは、いつ? どうして? なにがあって、そんなことを……

 

「さて、わたしの服がダメなら、大本命お姉ちゃんだね」

「あ、うん……」

 

 ベルの声でハッと我に返る。

 小学五年生のわたしの服はダメそうでした。となると、とても申し訳ないけど、今のわたしの体型に近いはずの、お姉ちゃんの服を借りるしかない。

 わたしが小学五年生ということは、お姉ちゃんは中学一年生かぁ……ちょうど、今のわたしくらいだね。

 家の構造は当然わたしが知っている通りだから、部屋を出て、お姉ちゃんの部屋に入る。部屋にお姉ちゃんがいたら困ってたところだけど、どうやら外出している様子。というより、今、家には誰もいないみたい。

 そこでさっきと同じように、洋服タンスを漁ったりして、着れそうな服を選ぶけど……

 

「お姉ちゃんの服、着れた?」

「……着れなかった」

「胸がつっかえて?」

「……うん」

「そっかぁ。まあ、まだ中学生になったばかりだしね。お姉ちゃんも、まだそこまで大きくはないかー」

 

 お姉ちゃんも大きかったと思うんだけど、これがいわゆる、思い出補正、というものなのでしょうか。

 それにしても、困りました。

 お姉ちゃんの服が着れないとなると、わたしがほんの少しだけ考えていた最悪の可能性――この家に、わたしの着れる服が存在しない可能性が、現実味を帯びてきた。

 

「一応、お母さんの試す?」

「たぶん無理だと思うけど……」

「だよね」

 

 ベルの提案は、満場一致(わたし二人)で却下された。

 お母さん、すごくスレンダーだから。わたしじゃ絶対に着れない。

 でも、本当に困った。まさか一着たりとも身体に収まる服がないなんて。

 

「これはいよいよ、装備なしの全裸で先に進まむことを覚悟してもらう必要が出てきたかな」

「い、イヤだよっ! 絶対イヤっ!」

「そんなこと言われても、入らないんじゃ仕方ないよ。恨むなら自分の身体を恨んでください。あるいは鳥さんを」

「うぅ……!」

 

 なんてこと……正直、今までずっと裸でいたのも、死にたくなるくらい恥ずかしいのに。

 このまままた外に逆戻りだなんて……

 

「あとこの家にある服と言えば……お父さん? お父さんの服は流石に大きすぎる? いや、むしろワンピース感覚でいけたり……?」

「酷いファッションだよ……霜ちゃんが聞いたら激怒しちゃうよ」

 

 「裸の上にTシャツ一枚でワンピースだって? 笑わせるな。ワンピースっていうのは一つながりになっていればそれでいいというものではない。そもそも、上下で分たれた衣服は、それ自体に意味があってだね――」という、霜ちゃんのお説教が聞こえてきそうです。

 と、わたしが何気なく口にしたら、ベルはキョトンとした顔で首を傾げた。

 

「霜ちゃんって誰?」

「え?」

 

 ――信じられなかった。

 聞き間違えかと思った。そう、思いたかった。

 そんな虚像を現実にしたいと願って、わたしは問い返す。

 

「霜ちゃんは霜ちゃんだよ。水早霜ちゃ……くん。知ってる、でしょう?」

「……知らないや」

「と、友達でしょっ!?」

「わたしに友達はいなかったよ。あぁ、鳥さんは友達と……いや、あれは違うかな。一蓮托生っていうか、なんていうか」

「と……友達が、いなかった?」

「うん」

 

 コクリと頷くベル。

 自分のことではないのに、なにか、底知れない恐怖のようなものが込み上がってきた。

 友達が、いない……? ということは……

 

「みのりちゃんとは……? 恋ちゃんとデュエマして、デュエマ覚えたり……ユーちゃんを助けるために、クリーチャーと戦ったり……」

「ごめん、知らない。わたしはずっと一人だよ。デュエマは自力で覚えたし、クリーチャーとは鳥さんと二人で戦ってきたの」

「そ……そんな……」

 

 でも、それはおかしいことではない。

 これが、違う世界のわたしってことなんだ。

 みのりちゃんと友達になって、恋ちゃんにデュエマを教えてもらって、ユーちゃんや、霜ちゃんや、謡さん、ローザさん……みんなと出会ったわたしがいるのなら。

 その逆に、誰とも出会わず、子供の頃のわたしのまま、孤独に道を歩んだわたしだって、存在する。

 それが――ベル(わたし)なんだ。

 

「じゃあ、先輩のことも……」

「いいや」

 

 ベルは首を横に振った。

 

「先輩のことは、ちゃんと知ってるよ」

「え? そ、そうなの……?」

「もちろん。だってそれが、わたしたちの“はじまり”じゃない」

「……?」

「ピンとこない? やっぱり忘れちゃってる? いいや、違うね。意識できなくなっちゃったんだ。わたしは、一気に色んなことを考えて、気にかけられるほど、器用じゃないから。でも、大切なことっていうのは、身体に染み付いてるね」

 

 な、なに? どういうこと?

 ベルは、なにを言っているの?

 

「わたしは、わたしの物語を歩む。あなたには、あなたの物語がある。あなたがこの世界を訪れたのは、きっと偶然じゃない。あなたは自覚していないかもしれないけど、わたし“縁”ってものには振り回されやすいの」

 

 え、縁……?

 まるでお母さんのようなことを言うベル。

 

「人は立ち止まった時、自分の物語の原点に立ち返るもの。でも、人生という物語は、ページを逆行することはできない。できるのは、回想と追想……あなたと、あなたの紡いだ縁は、そんなお手伝いをしているだけなんだよ」

「わ、わかんないよ……あなたは、なにを言っているの? ベル」

「それはあなたが探すことだよ、小鈴。いや、答えはもう知っている。だから、思い出すの。また、歩み出すために。自分が進もうとしていた道にね」

 

 自分が進もうとしていた、道?

 原点……わたしの、最初に願った道。

 それは――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 結局、まともに着られる服はなく、仕方なくお父さんのぶかぶかなシャツを一枚拝借することになりました。

 裸の上にワイシャツ一枚なんて、いかがわしすぎるけど……全裸よりマシだから、仕方ない。うん、仕方ないんだよ。

 わたしだってこんな格好はイヤだもん! まだあのふりふりの方がいいよ!

 この期に及んで、あのコスプレ衣装を求めるようになってしまうなんて、わたしもなんだ……いや、考えるのはやめよう。悲しくなってくる。

 痴女と言われても反論できない格好をしている自分のことは忘れて、今は元の世界に戻ることだけを考えよう。

 

「ねぇ、ベル」

「なに、小鈴」

 

 わたしはベルに先導されて、町を歩く。

 けど、どこに向かっているのか、よくわからなかった。学校っぽい気がするけど、それにしてはルートが迂遠に過ぎる。

 人目を避けて進んでいる、というだけではなさそうだ。

 そんな疑問を抱きつつ、わたしはベルに尋ねる。

 

「ベルは、どうしてこの世界に来たの?」

「どうしてって?」

「わたしは、事故っていうか、巻き込まれちゃっただけだけど……あなたは、違うんでしょ?」

「どうしてそう思うの?」

「だって、この事件のこともわかってるみたいだし、なんか普通じゃないっていうか……上手く説明できないけど、あなたは“すべてを知っている”ような気がするの」

 

 ほとんどわたしの直観と印象だけれども。

 ベルの口振りや手際からして、彼女は今回の事件について、多くのことを知っているように思えた。

 いや、あるいは、もっと多くのことを、知っているのかもしれない。

 次元跳躍とか、平行世界とか、そんな、普通の人では知らないようなことも、知っているのだから。

 

「わたしがこの世界に飛ばされた原因とか、今この町でなにが起こっているのか……わたしは、知りたいよ」

「……本来なら、甘えるなって突き放すべきなのかもしれないけど、あなたはわたしよりもずっと“子供”だし、状況が状況だし……小鈴は黙ってついて来るだけで元の世界には帰れるわけだから、離す必要なんてまったくないけど、まあ、話しちゃいけない理由もないし、いいのかな」

 

 ベルは、重く口を開いた。

 

「わたしは今、色んな世界を飛んで、次元の“歪み”を正しているの」

「じ、次元の、歪み……?」

 

 ベルは、情感を込めずに言った。

 けれどそれは、わざとそうしているんだ。

 あえて、彼女は淡々と、感情を出さないように、話している。

 

「この世には、多くの時空から連なる世界が存在する。過去、未来、現在、そしてそれらが分岐した平行世界、それらとは隔絶された世界、空想や願いによって生まれた異界や仙界、世界というシステムのバグから構築された廃棄場――そんな風に、この宇宙と時空は、多種多様な“世界”で溢れている」

 

 あまりにも、壮大な話だ。

 決して交わることのない別世界、別時空。

 そんな大規模な話は、まるでピンとこない。

 

「わたしは、別次元に飛んで、各々の世界で発生する“歪み”を修正しているの。本来ならその世界にあるべきではないイレギュラーを排除する。あるいは、この世に存在するだけで、別の世界を侵食したり、害を為してしまう、生まれながらにして悪の世界を取り除いたり。そのせいで「次元を渡り歩く者(プレインズウォーカー)」とか呼ばれちゃったりしてね」

「み、未来のわたしは、そんなことを……!? は、話が大きすぎるよ……!」

「……ま、ボランティア活動みたいなものだよ」

 

 素っ気なく言うベル。

 冗談にしても、笑えるような話ではなかった。

 その話はあまりにも大きすぎて、わたしでは実感が持てないけれど。

 そんな巨大なものを、未来のわたしは背負っている、だなんて……信じられない。

 

「で、今回もそのボランティアの一環。別世界で見つけた歪みそのものが、次元を飛んで、この世界にやって来た。わたしはそれを追って来た。単純でしょ?」

「確かに、そこだけはわかりやすいけど……」

「ひとつの世界の中で片づけられなかったのは手痛い失敗だったけど、これもいつも通り……あぁ、いや。あなたを巻き込んだ時点で、イレギュラーだったね。いや、でも、これはある意味、必然なのかも。あなたにとっては」

「ど、どういうこと?」

 

 わたしはただ、不運にも巻き込まれただけ……じゃ、ないの?

 

「意図されたものでない、という意味なら偶然なのかもしれない。“彼”が次元移動の際に、あなたの世界に干渉したのも、その時にあなたと縁を結んでしまったことも、偶然と言えば偶然。だけど、あなたという物語にとって、その偶然は通るべき道なんだよ。試練、なんてのは、ちょっと気取りすぎかな。うん、だからこれは、偶然の縁が紡がれ、連鎖した、あなたの想い出(イベント)。あなたはその道を進んで、未来のための糧としなくちゃならない」

「わ、わかんないよ……ベルの言うことは、まったくわかんないっ」

「じきにわかるよ。あなたは、ちゃんと思い出して、自覚して、意識しなきゃいけないんだから。あなたが、伊勢小鈴であるためにはね」

 

 わたしがこの世界に来たのは偶然でも、この世界での出来事は、わたしにとって為すべきイベント。

 どういうことなんだろう。わたしはただ、巻き込まれて、迷い込んだわけじゃない。

 不思議の国に迷い込んだアリスではない。これは、必然であり、宿命の道……?

 

「話が脱線しちゃったね。あなたのことは、先に進めば自然と解決するはずだから、気にしなくていいよ。わたしの役目も、先に進んで元凶を倒せばそれで解決。わたしに任せてくれれば、それでいいの。あなたはただ、自分自身と向き合えば、それでね」

「……さっきの、黒い影のクリーチャーみたいなのは? また、襲ってきたりしないの?」

「あぁ、あれ? あれは、元凶が次元移動した際の余波、みたいなものかな? なにせ次元というレベルで時空を歪ませる存在だから、その歪みのせいで、間違って命が生まれることもあるんだよ。まあ、命って言っても、意志も肉体もなく、なんとなくそこにある影、みたいなものなんだけど。それらしい気配は感じないし、彼もこの世界での存在が安定したきたのかな。特に心配はしなくていいよ」

 

 そうなんだ……相変わらず言ってることはよくわからないけど。

 わからせる気がないというか、自分の知識や認識を共有しようって気がないあたり、鳥さんに似たものを感じる。

 いや、鳥さんは本当に気遣いができないだけだけど、ベルはこっちがわかっていないことを知った上で、あえて教えてくれないような……気がする。

 

「まあ、なんにせよ、あなたはキッチリ元の世界に戻してあげるから、そこは安心して。むしろあなたは、自分をちゃんと見つめ直さないと。ここはあなたのための舞台……なのかも、しれないんだからね?」

 

 この世界での異常も、元の世界への帰還も、そしてベル自身が抱えている“なにか”も。

 すべては、ベルが背負ってくれている。彼女が、すべてを解決してくれる――理想の、魔法少女のように。

 それならわたしが、この世界ですべきことは。

 わたしの、道行は――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――見つけた」

 

 わたしの世界の話をしたり(ベルは友達いないから羨ましそうだった)、昔懐かしのパン屋さんの話をしたり(意外とパンの好みが違ってた)、鳥さんの奔放さに愚痴を言い合ったり(ここだけ驚くほど気が合った)しながら、しばらく歩いて――ベルは立ち止まった。

 わたしはてっきり中学校の方に向かっていると思ったけど、少し違った。

 中学校の方角ではあるけど、その道程からは少しはずれた路地。

 そこには、ひとりの小さな女の子が、とぼとぼと歩いていた。

 本当に、小さくて、幼い。

 背格好も、体格も、顔つきも、服装も、挙動も、なにもかもが子供らしい――鈴の髪飾りをつけた少女。

 

「あれって……」

「うん。あれが、こすずちゃん――“この時代のわたしたち”だよ」

 

 やっぱり……

 髪型は、昔のわたしのままの、二つ結びのおさげ。ぴょこんと垂れたふたつの髪の房は、鈴のついた髪紐で結ばれている。

 こうして見ると、昔のわたしは、本当に子供っぽい。姿だけじゃない。なんていうか、雰囲気とか、一挙一動のすべてに“子供”であり“幼い”と感じさせるものがある。

 わたしの理想、今のわたしとのギャップもあって、パッと見ただけじゃ、見落としていたかもしれないけど……あの鈴の髪紐だけは、間違えようがない。

 あの子は間違いなく、小鈴(わたし)だ。

 

「ベルは、あのわたしを探していたの?」

「ん? うーん、まあ、そうなるのかな」

「?」

「メインの目的ではないけど、こうするのが、わたしにとっても、あなたにとっても、最善だと思ったんだよ。たぶん“彼”はわたしを意識しているはずだから」

 

 また“彼”と呼ぶ。

 ベルがさっきからずっと言っている“彼”。それは一体、誰なのだろうか。

 

「……ところで、あのちっちゃいわたし、さっきからこの辺りを行ったり来たりしてるんだけど……」

「なにしてると思う?」

「え? うーん……」

 

 物陰からジッと観察してみる。

 泣きそうな顔で、あっちに行ったり、こっちに行ったり、右往左往。

 手にはちっちゃい手提げと、メモ? を持って、しきりにそのメモに視線を落として、またぐるぐる彷徨う。

 そうして同じ場所にまた戻って、涙はどんどん溢れていく。

 これは……

 

「もしかして……迷子?」

「その通り。五年生にもなっておつかいの一つもできないなんて、恥ずかしいね」

「ベルだって同じじゃない……わたしなんだから」

「そうだね。そして、小鈴、あなたでもある」

「え?」

「これはわたしも経験した。あなたも経験したはず。わたしがマジカル☆ベルになれたきっかけは、ここにあるんだから」

 

 わたしが、魔法少女(マジカル☆ベル)になったきっかけ?

 それは、鳥さんとの出会い、ではなくて。

 もっと、昔から……?

 

「正確には、わたしが理想と願いを持つ契機、かな。ほら、思い出してごらん。あなたにも覚えがあるはずだよ。記憶の奥底に沈んでいても、ちゃんと残っているはずだよ。大人の階段の、零段目。わたしを救って、導いてくれた、英雄のような存在。わたしの“決意”が、芽生えた瞬間――」

 

 ――思い出が、重なる。

 その時、声が聞こえた。

 

 

 

「――どうしたの?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――どうしたの?

 

 

 

 それは、あの時のプールでの言葉だったか。

 いや、違う。

 

 

 

 ――迷子かな……お父さんか、お母さんは?

 

 

 

 これは、そう。もっと昔の出来事だ。

 中学生になるよりも前。今よりも、子供だったわたしの、大切な記憶。

 

 

 

 ――それか、お兄さんか……え、お姉ちゃん? お姉さんがいるの?

 

 

 

 わたしという存在から切り離せない一幕。

 わたしの出会いであり、縁であり、憧憬であり、理想。

 

 

 

 ――そっか、お姉さんに届け物が……場所は学校? へぇ、そうなんだ。それなら、こうしよう。

 

 

 

 すべてはここから始まった。

 わたしという物語にプロローグが存在するのなら、それは間違いなくここだ。 

 

 

 

 ――俺が一緒に行ってあげるよ。学校への道ならよく知ってるから。君、名前は?

 

 

 

 つまりここが、わたしの物語の始まりである。

 わたしの、原点が、ここにある。

 

 

 

 ――こすず……小鈴ちゃんっていうのか。なんか聞き覚えがある気が……いや、なんでもないよ。気にしないで。

 

 

 

 あの人と出会い、わたしは導かれた。

 それが、わたしの心の、原初。

 

 

 

 ――俺の名前? あぁ、俺は――

 

 

 

 大人になりたいという理想と願望、誰かに思い焦がれる敬慕と情熱。

 それを抱いたのは、あの人と出会った時。

 

 

 

 ――俺の名前は一騎(いつき)。よろしくね、小鈴ちゃん――

 

 

 

 あの時はじめて――わたしは“先輩”と出会った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――あー……あ? これは……」

「おかーさん。おねーちゃんは……?」

「あぁ小鈴。五十鈴なら学校だよ」

「でも、今日は学校、おやすみじゃないの? わたしはおやすみだよ?」

「部活動だってさ。生徒会っていう、大事なお仕事があるんだよ」

「お仕事? おとーさんみたい!」

「あぁ、うん。まあお金は出ないけど、誰かを支える大事なことって意味では、お父さんと同じだね。いや本当、五十鈴はどこまでも若い時のあの人に似ていくから怖いわ……」

「おかーさん。おねーちゃんいないなら、わたし、おひるごはんはパンが食べたいな」

「別に構わないけど……」

「? どーしたの?」

「えーっとね、ここにお財布があります」

「はい」

「これは五十鈴おねーちゃんのお財布です」

「いくら入ってるの?」

「いくらだろう。どれどれ……うわ、生意気にも去年のお年玉まだ残してるな。5000円近くある」

「おねーちゃん、すごい!」

「あの子が嫁いだら、質素倹約を旨としそうでちょっと旦那に同情するわ。それはそれとして、五十鈴おねーちゃんは今日、お弁当を持っていきませんでした。朝、急いでたみたいでね」

「たいへん! もうすぐおひるだよ。おねーちゃん、おなかが減ってたおれちゃう……」

「小鈴ほど食い意地張ってないから一食抜いたって大丈夫だとは思うけど、育ち盛りの娘の昼飯がないなんて事態、母親として見過ごすのはどうかと思うんだ」

「そうだね、ごはんは大事」

「大事だ。けど、五十鈴おねーちゃんはごはんを食べる手段がない。お弁当も、お金もないんだから」

「たいへん!」

「大変だ。だからわたしはこれから、ちょっくら中学校まで行ってあの子にお金を届けてあげようと思うんだ。だから、先に一人でお昼食べててもらうことになるんだけど……大丈夫?」

「え? うーんっと、ひとりで、おひる……うーん……」

「ダメそうなら待っててもらうことになるんだけど」

「……おかーさん!」

「え、なに」

「あの、その……わたし……わたし、が――」

 

 

 

「――わたしが、おねーちゃんにおかね、とどけにいく――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――どうしたの?」

「ふぇ……?」

 

 路頭に迷い、心細さから泣き出して、道端に蹲ってしまう、小さなわたし(こすず)

 そんな彼女に手を差し伸べる、優しい人がいた。

 

「君、名前は?」

「……こすず」

「こすず……小鈴ちゃんっていうのか」

「あの、おにーさんは……?」

「俺の名前? あぁ、俺の名前は一騎。よろしくね、小鈴ちゃん」

「よ、よろしく……い、いつき、くん……」

 

 それが、先輩。剣埼一騎さん――いや。

 “いつきくん”だ。

 

「ちゃんと思い出せた? 意識できるようになった? なによりも大事な、わたしたちの原点。わたしたちは、ここから始まった。たとえ分岐を違えても、わたしたちが常ならざる力を操る道を辿るのなら、その手前には必ず、あの人がいる」

 

 そうだ、そうだ、そうだった。

 大好きなお姉ちゃんのため、勇気を出してお遣いに出たわたしだったけど、結局、はじめて通る道で迷ってしまった。

 どん詰まりで、なにもできなくなって、自分の無力さに打ちひしがれて、泣きじゃくっていたわたしの手を取って、導いて、救ってくれた、大切な人。

 その人との、はじめての、出会い。

 

(そうだ……そうだった)

 

 わたしがずっと胸に秘めていたのは、この時の想いだ。

 この時からわたしは“大人になりたい”と、強く願うようになった。

 彼に、報いたくて。

 彼に、追いつきたくて。

 彼に、認めてもらいたくて。

 わたしの願いは、ここにある。

 これが、わたしがここにいる理由。

 薄れてしまった記憶を蘇らせること。

 物語の軌道が修正される。これはそんな、追憶だ。

 かつてのわたしは、あの人に手を引かれる。そして、進むべき道を、二人で歩んでいった。

 

「……実は、さっぱり意識できないとか、わたしたちと別の起源からなる存在だとかだったらどうしようかと思ってたけど、その様子だと、思い人は変わらないようだね」

「っ、そ、それは……」

「ちゃんと言えたの?」

「……言った、けど……ちゃんと、じゃない」

「そっか。なら、帰ったらちゃんと言うんだよ」

「わかってる……ねぇ、ベル」

「なに?」

「ベルはなんで知ってたの? わたしが、この世界に来た意味を」

「勘だよ」

「勘!?」

「だって、あなたはわたしで、わたしはあなた、だからね。こんな大それた仕掛けじゃないけど、わたしにも似た経験がある……原点に立ち返るというのは、運命なんだよ、わたしたちの」

「運命……」

 

 あの人に手を引かれて、道を行くかつてのわたし。

 わたしたちは、そんな幼いわたしの後を、密やかに追いかける。

 

「あとは、やっぱり縁かな」

「縁って?」

「わたしたちと、あの人を繋ぐもの。“アレ”の出自と、わたしたちとの関係性を踏まえてもたらす影響を考えたら、こうなるんじゃないかと思ったんだよ」

「……?」

「まだピンと来ない? なら、心の準備だけしておいて。たぶん、そろそろだから」

 

 少しだけ声色を険しくして、ベルは言った。

 前を行く二人の道行は、やがて目的の場所、中学校へと到達する。

 その、時だ。

 

 

 

 ――空間が、裂けた。

 

 

 

「!?」

「おいでなすったね」

 

 断裂した空間の裂け目から、なにかが出てくる。

 わたしたちの方へと迫り来るそれは、巨大な怪物。

 そしてその怪物に騎乗する、人影。

 

「能力を応用させて次元の狭間に隠れるとは、随分と小賢しいマネを覚えたね。らしくないよ」

 

 ベルはスッと前に出る。

 そして、とてもフランクに、ともすれば友好的とも取れそうな和やかさで、彼に語りかける。

 そう――

 

 

 

「でもまあ、会えて嬉しいよ――“グレンモルト”」

 

 

 

 ――グレンモルトに。

 

「え、嘘……グレン、モルト……なの……?」

 

 信じられなかった。

 しかし、燃える炎のような真紅の鎧を纏った姿は、この目で何度も見た戦士の姿に他ならない。

 そしてなによりも、彼が騎乗している巨躯が、彼の存在を決定づけていた。

 

「ガイギンガも……!」

 

 銀河を翔け、燃やし、星そのものでもある、灼熱の龍――ガイギンガ。

 それを従えるクリーチャーなど、グレンモルト以外あり得ない。

 そしてグレンモルトも、ガイギンガも、どちらもクリーチャーだ。

 わたしたちが今まで戦ってきた存在と、なにも変わりはしない。

 

「安心して、小鈴。彼らは出自が違う。神話世界からやって来た彼ではなくて、別世界の――というより、別の次元で、わたしの記憶を元にして生み出された存在、なんだよね」

「ベルの記憶を元に……?」

「意図してたわけじゃなくて、偶発的に“生まれちゃった”、というのが正しいんだけど……まあそんなのは些末なこと。あなたにとって、わたしたちにとって大事なのは、これが“グレンモルト”であり、“銀河大剣の戦士”であり、わたしたちと縁深い存在だってことだよ」

 

 わたしたちと、縁が深い。

 それは、そうだ。

 《銀河大剣 ガイハート》――先輩からもらった、大切なカード。それを操れるのが、《グレンモルト》だ。

 今のわたしのデッキには《ガイハート》はなくてはならない存在だし、それを扱うために《グレンモルト》の力も必要だ。

 いわば《龍覇 グレンモルト》は、わたしと先輩を繋ぐクリーチャーと言っても過言ではない。

 

「だから、あなたは縁に引かれてしまった。それとも、あなたは意図してやったのかな?」

「…………」

 

 グレンモルトは答えない。

 黙したまま、バイザー越しにこちらをジッと見つめている。

 

「だんまりか。いや、意図的でも偶発的でもいい。わたしの記憶を元に生まれたあなただもん、わたしの大事なものを中心に、事態を渦巻かせることくらいは読めるよ。だから、あの子の傍で、あの人が現れた時、姿を見せることも、読めていた」

 

 すべてはベルの予測通り。

 あのグレンモルトがどういう存在なのかはよくわからないけど、この事件の元凶であることは確からしい。

 なら、彼を倒せば、わたしは元の世界に戻れる……?

 

(でも、相手はグレンモルト……)

 

 ずっと戦ってきた仲間だから、わかる。

 彼は強い。とんでもなく強い。

 簡単に倒せるような相手じゃない。

 

「……怖い?」

「え……っ?」

「怖いよね。ある意味これは、自分自身との戦いのようなものなんだから。あっちの彼は、わたしたちの呼ぶ彼と比べて、次元移動のせいで変質しまっているようだけど……根幹は変わらない。どころか、わたしたちのよりも強いかもだ」

「そ、そんな……」

「でもね、そんなのは関係ないから」

 

 ベルは、力強く言った。

 スカートの裾のさらに先、太腿のホルスターまで手を伸ばして、パチンッ、とケースを開く。

 

「わたしは、わたしを超える。かつてのわたしは、それができなかった。だからいつまでも子供で、少女のままで、恥を晒して生きてきた……だから、今くらいは、過去のわたしと、わたしのいた世界に、ほんの少しの贖いを為してみせる」

 

 ケースから取り出す、カードの束。

 あれが、ベルのデッキ。

 

「姿を現したってことは、やる気なんでしょう? ねぇ、グレンモルト」

「…………」

 

 グレンモルトは腕組みして黙したまま、微動だにしない。

 けれども、その瞳に宿る闘気、そして殺意だけは、変貌した。

 

「清算をしようか。贖罪を為そうか。わたしは永遠なる魔法で生きる儚い少女。世界と時空を飛び越える終焉世界の生き残り。そして今は、分たれた己が記憶と力の責任を果たす主人」

 

 ベルは前へ、前へ進む。強い意志で、彼を見据える。

 グレンモルトもまた、彼女と相対する。鬼気迫る覇気を纏って。

 

「わたしは魔法少女、マジカル☆ベル――グレンモルト。あなたを殺しに来ました」

「……やってみろ」

 

 はじめて、グレンモルトは口を開く。

 刹那――

 

 

 

 ――二人は、神話のような終末の戦場へと、誘われた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ベル(わたし)と、グレンモルトの、対戦。

 戦っているのはわたしじゃないわたしで、その相手はわたしとずっと一緒に戦ってくれたグレンモルト。そんな二人の戦いを傍から見ているのは、他でもないわたし。

 とても奇妙で変な感じだ。そこにいるのは、わたし自身で、わたしの力そのものでさえもあるものたちなのに、わたしではないだなんて。

 

「わたしのターン。3マナで《ボーンおどり・チャージャー》を唱えるよ。山札から二枚を墓地へ」

「オレのターン。3マナで《決闘者(デュエリスト)・チャージャー》。山札の上三枚から《ボルシャック・ドラゴン》を手札に加える」

 

 

 

ターン3

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:26

 

 

グレンモルト

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:0

山札:26

 

 

 

 ベルは墓地を、グレンモルトはマナを、それぞれ増やしている。

 見た感じ、ベルのデッキは少し前のわたしのように、火と、闇と、水の三文明。

 そしてグレンモルトは、ほとんど火文明だ。多色含みで、ほんのちょっとだけ自然のカードも見えるけど。

 

「わたしのターンだよ。《熱湯グレンニャー》を召喚、一枚ドロー。さらに3マナで《リロード・チャージャー》、手札を一枚捨てて、一枚ドロー。ターン終了」

「オレのターンだ。5マナで《無双竜鬼ミツルギブースト》を召喚。自身をマナに送り、パワー6000以下のクリーチャーを破壊する」

「焼かれちゃったか……地味に痛いね」

 

 燃える龍が、ベルの《グレンニャー》を焼き焦がす。

 そしてその焦土の痕は肥やしとなった。

 除去と同時にマナも増やして、次のターンにはもう7マナ……静かなのに、なんだかとても、怖い対戦だ。

 

 

 

ターン4

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:4

山札:23

 

 

グレンモルト

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:4

墓地:0

山札:25

 

 

 

「《グレンニャー》はやられちゃったけど、そのくらいじゃ、わたしは止まらない。2マナで《【問2】ノロン⤴》を召喚! 二枚ドロー、その後二枚を捨てるよ。さらに5マナで《法と契約の秤(モンテスケール・サイン )》!」

 

 ベルのターン。見慣れたカード、見慣れたクリーチャー、見慣れた流れ、見慣れた動き。

 だけど、わたしが知っているわたしよりも、ずっと、ずっと、力強い。

 今のわたしより、遥か高みに、彼女はいる。

 

 

 

「血塗られた契約を交わせ。Wizard of summon――《偉大なる魔術師 コギリーザ》!」

 

 

 

 それは、矮小な子供などではない、魔法使い。

 大きくて、荘厳で、偉大なる、大魔術師だ。

 

「《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ発動! 墓地からコスト7以下の呪文を唱えるよ! それにより、もう一度《法と契約の秤》を発動! コスト7以下のクリーチャーを復活!」

 

 あぁ、これは、知っている。

 呪文によって蘇ったクリーチャーが、さらに呪文を繋げ、新たな命を吹き込む儀式。

 わたしも、何度も、何度も、何度も、この手で行ったことだ。

 墓場へと続く扉を叩き、門を開き、呼び戻す。

 ここで来てくれるのは、きっと彼だ。

 わたしの原点(ルーツ)から紡がれた、あの人の力。

 魔法ならざる、剣。

 

 

 

「お願い、来て――《龍覇 グレンモルト》!」

 

 

 

 それは魔法とは無縁。だけど、わたしと縁を繋いだ英雄。 

 優しくって、それでいて、とても強い。大剣を背負う、赤き剣士。

 ――《グレンモルト》。そして、

 

「《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 先輩から託された剣、《ガイハート》。

 わたしの身体にも染みつき、馴染んでいる、定められた道筋。

 このベル(わたし)も、やっぱり、わたしなんだ。

 

「このまま押し切る! 《コギリーザ》でWブレイク!」

 

 霧散した呪文を再起動させた《コギリーザ》は、そのまま攻撃行動に移る。相手のシールドを二枚、打ち砕いた。

 これで、一回。

 あと、一回だ。

 

「続いて! 《グレンモルト》で――」

「S・トリガー」

 

 しかし、

 こちらの剣が《グレンモルト》であるように、相手もまた、グレンモルト。

 二回目の攻撃の意味することは、お互いに熟知している。

 ゆえにグレンモルトは、《グレンモルト》の攻撃を許さない。

 

「《熱血龍 バトクロス・バトル》を召喚。バトルだ」

「《グレンモルト》のパワーは、バトル中プラス3000されて、7000になるけど……」

「《バトクロス・バトル》のパワーも7000。相打ちだ」

 

 大剣を振りかぶったところで、シールドから飛び出した龍の拳を受けてしまう。

 《グレンモルト》も返す刀で切り返したけど、お互いに致命傷。戦場に留まるほどの力は残らず、どちらも破壊されてしまう。

 

「……ターン終了」

 

 後に続けられなかった。本当の切り札まで至れなかった。

 こればっかりは、シールドブレイクの運次第。わたしも上手くいかなかったことは何度もあるし、仕方ないことではあるけれど、

 

「オレのターン。マナチャージ……7マナをタップ」

 

 この攻められなかった1ターンは、途轍もなく大きい。

 なぜなら、わたしたちは知っているはずだから。

 姿が違えども、《龍覇 グレンモルト》の強さを。

 そして、相手もまた、グレンモルトであることを。

 

 

 

「召喚――《次元龍覇 グレンモルト「(ヘッド)」》」

 

 

 

 その《グレンモルト》は、既にガイギンガを従えている。《ガイハート》を解すことなく、かの星龍は顕現していた。

 《グレンモルト》はガイギンガに騎乗し、突撃する。

 

『《グレンモルト「覇」》で《コギリーザ》を攻撃。マナ武装7発動』

 

 その瞬間、相手のマナが赤く輝く。

 あの《グレンモルト》は、わたしたちの剣となる《グレンモルト》とは違う。ならば当然、行使し得る力も違う。

 次元を歪ませる穴が開かれる。そこから現れるのは剣ではない。武器ですらない。それは――要塞だ。

 

『浮上せよ――《恐龍界樹(ジュラシック・ジャングル) ジュダイオウ》』

 

 遺跡となった空中要塞。龍を取り込んだその遺跡は、毒蛇の如き威圧を発しながら、大空を浮遊する。

 

「《ジュダイオウ》……!」

『このフォートレスが存在する限り、お前はパワー4000以下のクリーチャーで攻撃することはできない』

 

 パワー4000以下……ということは、《グレンモルト》の攻撃が封じられた。

 あのデッキが、わたしの知っているものとそう変わらないのであれば、これは非常に厳しい。

 パワー5000以上のクリーチャーが少ないわけじゃないけど、わたしのデッキは“攻撃回数”が重要だから、小型クリーチャーの攻撃が止められてしまうと、攻撃回数を重ねることが難しくなってしまう。

 特に、その要素の体現者たる《グレンモルト》自身の攻撃が封じられたということは、もう《ガイギンガ》は……

 

『……バトルだ。オレのパワーは7000』

「《コギリーザ》のパワーも7000! 今回も相打ちだよ!」

「ターンエンドだ」

 

 

 

ターン5

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:7

山札:21

 

 

グレンモルト

場:《ジュダイオウ》

盾:3

マナ:7

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

 

「わたしのターン……」

 

 お互いにクリーチャーはゼロ。だけど相手の場には、クリーチャーの攻撃を封じる古代遺跡が浮かんでいる。

 そしてなにより、ベルの手札はゼロ。すべては、山札から引いてくるカード次第。

 

「……《ボーンおどり・チャージャー》だけ唱えて、ターンエンド」

 

 だけど、それは必ずしも、良いカードとは限らない。

 ほとんどなにもできず、ベルはターンを終えた。

 

「3マナで《決闘者・チャージャー》、山札の上三枚から《ボルシャック・ドラゴン》を手札に加える。6マナで《ボルシャック・ドラゴン》を召喚」

 

 けれどそれは、相手も同じ。

 手札がそれなりに多いから、なにか仕掛けてくると思ったけど、まだその動きは静か。

 でも、なんだろう。

 なにか、とても怖い。なにか、途方もない脅威が、迫ってきそうな……

 

 

 

ターン6

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:8

手札:0

墓地:9

山札:18

 

 

グレンモルト

場:《ボルシャック・ドラゴン》

盾:3

マナ:9

手札:3

墓地:2

山札:22

 

 

 

「わたしのターンだね。ドロー」

 

 お互いに切り札を出しても、潰し合って、結果として嵐は大きくならない。

 とはいえ、相手の出方は不気味だし、ベルは手札がないし、こちらが不利なのは変わらない。

 

(《クロック》……ロクなカード引かないなぁ)

 

 引いたカードを見つめて、彼女はなにか思案しているようだった。

 

(次のターン、相手はきっと決めに来る。となるとこれは、わたしが反撃するための小さなピースなわけだけど……出すべきか、マナに埋めるべきか。《ジュダイオウ》を退かす手段はないから攻撃はできない。なら、マナにしちゃう方がいい気がするけど……)

 

 しばし黙考した後、彼女はたった一枚の手札を放った。

 

「……《終末の時計(ラグナロク) ザ・クロック》を召喚。ターンが飛ぶよ」

 

 このタイミングで繰り出したのは、《クロック》?

 他にできることがないから、ターンを強制終了させる能力のデメリットはないようなものだけど……《ジュダイオウ》で攻撃できないし、バトルゾーンにいてもほとんど役には立たない。

 もし、このクリーチャーになにかしらの意味があるとしたら……

 

「オレのターン。7マナで召喚――」

 

 ターンがスキップされて、相手のターン。

 陽炎のように、虚ろな影が揺蕩う。

 次元の壁を越え、時空の理を貫き、その戦士は、再び戦火の戦場へと現れる。

 

 

 

「――《次元龍覇 グレンモルト「覇」》」

 

 

 

 ガイギンガに騎乗する――《グレンモルト》。

 彼の拳は次元の壁に穴を穿ち、そこから、あらたな超次元の力が引きずり出される。

 

『《グレンモルト「覇」》で攻撃、マナ武装7発動。超次元ゾーンから《聖槍の精霊龍 ダルク・アン・シエル》をバトルゾーンに』

 

 呼び出されるのは、またしても武器ではない。今度は要塞でもない。

 それは、クリーチャー。しかしサイキックではない。武器が変じたドラグハート・クリーチャーが、武器の姿を解することなく、そのままの姿で、顕現したのだった。

 そして、それだけでは、終わらない。

 《グレンモルト》は、剣としての暴威を託す。

 より巨大で、強大な、剣に。

 

『さらに――革命チェンジ』

 

 ……あぁ、そうか。

 この恐怖、この脅威は、これだったんだ。

 わたしも知っている。このクリーチャーの恐ろしさを。

 武器なんて、必要ない。なぜなら、これこそが、彼の剣に他ならないのだから。

 

 

 

「《蒼き団長 ドギラゴン(バスター)》」

 

 

 

 深蒼の鎧に、灼熱の魂の込められた刃。

 真紅のマントを翻し、それは戦場を疾駆する。

 《ドギラゴン剣》――わたしはそれを何度も見たことがある。

 あまりにも暴力的で、熾烈な力だ。

 

「ファイナル革命。マナゾーンより《リュウセイ・ジ・アース》をバトルゾーンへ」

 

 大地の底から飛翔して、降り立つ、流星の龍。

 《リュウセイ・ジ・アース》、これも、わたしはよく知っている。

 《グレンモルト》から《ドギラゴン》――わたしの持てる力そのもの。

 だけれど、変質しているというのは、その通り。

 これはわたしよりもずっと、激しく、荒々しく、大地の全てを蹂躙し、焦土と化してしまうような、強大さ、恐ろしさで溢れている。

 

「Tブレイク」

 

 ――一閃。

 《ドギラゴン》――いいや、《ドギラゴン剣》の剣閃が、迸る。

 次の瞬間には、ベルのシールドは三枚、断ち斬られていた。

 

「……S・トリガーなし」

「《ボルシャック・ドラゴン》でWブレイク」

 

 続けて、火炎の龍が咆哮する。

 装甲を纏った翼で空を翔け、灼熱の爪で障害を引き裂き、悲嘆と憤怒の炎で敵対者を焼き払う。

 ベルを守る盾はもうない。そこに、大地から放たれる流星が、迫る――

 

「――S・トリガー発動《デーモン・ハンド》!」

 

 刹那、悪魔の腕が伸びた。

 天翔ける《リュウセイ・ジ・アース》に向かって伸長する漆黒の手腕は、流星を絡め取り、無為なままに大地へ堕とす。

 《リュウセイ・ジ・アース》が破壊された。間一髪、なんとか踏みとどまった。

 

「それと、もう一枚トリガー、《インフェルノ・サイン》! 《コギリーザ》を復活!」

「……ターンエンド」

 

 

 

ターン7

 

マジカル☆ベル

場:《クロック》《コギリーザ》

盾:0

マナ:8

手札:3

墓地:11

山札:16

 

 

グレンモルト

場:《ボルシャック・ドラゴン》《ドギラゴン剣》《ダルク・アン・シエル》《ジュダイオウ》

盾:3

マナ:8

手札:4

墓地:3

山札:20

 

 

 

 ギリギリ耐えた……けど、もうシールドがゼロで、後がない。

 それに、《聖槍の精霊龍 ダルク・アン・シエル》……確かあれは、攻撃、ブロック、そして場を離れたら、相手一体をタップするクリーチャーだ。

 ブロックするだけで一体、破壊されればもう一体、最大で二体ものクリーチャーを足止めする。

 たとえ除去しても攻撃を止められてしまう……《ジュダイオウ》でパワーの低いクリーチャーは攻撃できないし、ベルの攻撃は、大きく制限されてしまった。

 このターンで決めなければ、ベルは負ける。けど、このターンに決めるには、あまりにも壁が高い。

 《ジュダイオウ》が囲い、《ダルク・アン・シエル》が守り、次のターンには《グレンモルト「覇」》が戻って来る。

 これは、もう――

 

「――絶体絶命、って?」

「っ」

 

 ベルは、流し目で一瞬だけ、こちらを視た。

 

「確かにピンチだ。でも、まだ終わっていない……終わってなければ、わたしはまだ、抗える」

 

 すぐに視線を彼へと戻す。

 そんな彼女は、少しだけ、震えていた。

 恐怖なのか、怒りなのか、悲しみなのか。

 その震えの意味を、わたしは、知らない。

 

「抗えるなら、最後まで戦ってやる。あの時のわたしは、なにも決められず、戦うことすらなく、なにもかもを失ったんだから。守りたい人も、大切な思い出も、帰る世界も――わたし自身さえも」

 

 気丈に立ち向かうベル。

 けれどその瞳は、昏い。

 その眼は、わたしが思い描いたキラキラしてる“主人公”からは、程遠い。

 

「わたしには伊勢小鈴という名前を名乗る資格はない。ゆえにわたしはマジカル☆ベル――わたしはもう、終焉を味わい尽くしたんだ。あの惨劇に比べれば、こんなの“ぬるい”よ。なにせ、終わっていないんだから。わたしはこの世界で、この戦いで、まだなにも失っていない。終わっていないのなら、最後まで戦う。終わってから頑張るなんて、殺したいほどに惨めだけど……それでいい。わたしは惨めに、戦い抜く」

 

 そういえば、彼女は今まで一度も自分のことを「小鈴」と呼んでいない。

 それはきっと、彼女の過去――わたしにとっての、あるかもしれない未来――に関わることなのだろう。

 そうだろうとは、思った。なにかを抱えていることはわかっていた。

 とても重いものを背負っていることはわかっていた。

 それがなんなのかは、わからないけども。

 それは、わたしが思い描く以上に、わたしが想像できないほどに、惨たらしいものなのだろう。

 未来のわたし(ベル)は一体、どんな道を歩んだというのか。

 彼女はなにも語らず、ただその背中を、わたしに見せるだけだった。

 

「よく見てて、小鈴。これがわたしの今――なにもかもを失い、何者でもなくなった、魔法少女(マジカル☆ベル)の末路だよ」

 

 ピンッ、ピンッ、と。

 ベルは二枚のカードを、上空に弾いた。

 そして、彼女は姿勢を低くして、構える。

 

「3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を捨てて、一枚ドロー!」

 

 二枚はそのまま落下して、一枚は墓地へ、一枚はマナへ。

 追加のカードを引きつつ、ベルは――駆け出した。

 

「さらに5マナで《法と契約の秤》! 墓地の《コギリーザ》を復活、《クロック》からNEO進化!」

 

 クリーチャーが蔓延り、暴れる戦場に、単身突っ込むベル。

 戦場の真っただ中で、彼女はさらなる呪文を唱える。使者を蘇らせる血塗られた契りを交わし、力と命を天秤に掛け、墓地からクリーチャーを引きずり起こす。

 

「行くよ、みんな! 《コギリーザ》!」

 

 ベルの言葉によって、彼女のクリーチャーたちは立ち上がり、沸き立ち、そして怒号する。

 しかしいくら勇猛果敢に突撃しても、それでは《ダルク・アン・シエル》の思う壺。その聖なる黒槍は、自らの死と引き換えに、確実なる生存を約束する。

 だがそれは、戦士の場合。

 わたしたちも剣で戦うことも少なくないとはいえ、この場にいるのは戦士ではなく魔術師だ。

 二体の魔術師――《コギリーザ》は、諸手を掲げてその力を行使する。潰えた呪文を、呼び戻す力を。

 そしてその力は、同族の絆によって、連鎖する。

 

「キズナコンプ――呪文を二度、唱えるよ」

 

 ベルの場には《コギリーザ》が二体。キズナコンプで二体の《コギリーザ》のキズナ能力が同時に発動する。

 つまり、墓地の呪文が、一度に二回、放たれるのだ。

 

「まずは一発! あなたの時間は、わたしが掌握する! Wizard of cast――《時を御するブレイン》!」

 

 グッと、ベルは片手を握り込んだ。

 同時に、《ダルク・アン・シエル》と《ドギラゴン剣》が、動きを止める。

 二体を包み込む空間だけ、時間が停止したように、身じろき一つしない。

 そう。その二体の時間は、ベルが完全に掌握し、御してしまった。

 触れても、倒しても聖槍が輝き守るのならば、触れず、倒さず、止めればいい。

 聖槍は輝く。永遠に、止まった時の中で、無意味に光を放ち続けるだけだ。

 

「そして、二発目! 《インフェルノ・サイン》!」

 

 絆によって連鎖した、二体目の《コギリーザ》による呪文詠唱。

 ぼぅっと指先に灯る紫炎によって結ばれる、煉獄の印。冥府と通じ、地獄と繋がる道が開ける。

 昏い、昏い、暗澹の奥底から駈け上がる、一人の戦士。

 それは――

 

 

 

「来て――《龍覇 グレンモルト》! 《銀河大剣 ガイハート》!」

 

 

 

 銀河のように熱く燃え滾る大剣を背負い、真紅の戦士が、戦場へと呼び戻される。

 ガイギンガに騎乗はしていないけれども、その銀河の力を秘めた刃を手にした、《グレンモルト》。

 わたしの、大切な、切り札。

 けど、

 

「《ジュダイオウ》」

 

 相手のグレンモルトが、一言。

 その瞬間、地中から、中空から、繁茂する植物が、蔦が、葉が、樹が、花が、彼を覆い、縛りつける。

 ――《グレンモルト》のパワーは4000。パワーが上がるのはバトル中だけ。だから、このままではいくらスピードアタッカーが付与されていても、攻撃はできない。

 

「……お願い、《コギリーザ》。《ボルシャック・ドラゴン》とバトル!」

 

 二度の魔術的支援によって、相手の動きを止め、増援も呼んだ《コギリーザ》は、魔力(マナ)を込めた弾丸を放ち、《ボルシャック・ドラゴン》を撃ち抜く。

 

「次、行って――《コギリーザ》!」

 

 二体目の《コギリーザ》が動き出す。

 この時にも、キズナコンプが発動し、呪文が二回、唱えられる。

 

「三回目、――《ボルメテウス・レジェンド・フレア》!」

 

 刹那、白く燃える爆炎が迸る。

 爆炎は戦場を縦横無尽に駆け巡り、弱い命を絶やさんとばかりに暴れ回ってから、相手へと振りかかる。

 もちろん相手への攻撃はシールドが守るけど、その炎によって相手のシールドは一枚、焼け落ち、溶け落ちた。

 陰惨に華やかに、血染めに煌めく炎。散り行く魔法の百花繚乱。

 乱れ撃たれる魔法、世界に満たされるマナ。その中で、一人の少女が駆ける。

 

「四回目、Wizard of cast――《法と契約の秤》!」

 

 またしても、命を秤に掛けた契約が交わされる。

 その契りは魔術師を、戦士を蘇らせる。

 さらには――巨龍さえも。

 そう、わたしがあの人との繋がりは、なにも《グレンモルト》だけではない。

 

「《龍覇 グレンモルト》を――進化!」

 

 向こうのグレンモルトがそうしたように。

 わたしたちだって、《グレンモルト》にさらなる力を与えられる。

 入れ替わり、立ちわ代り、《グレンモルト》は――進化する。

 

 

 

「お願い、力を貸して――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 ――これが、わたしの《ドギラゴン》。

 《ドギラゴン》は《ジュダイオウ》に縛られた四肢に力を込め、ぶちぶちと繁茂した植物を引き千切る。

 《グレンモルト》は《ジュダイオウ》に阻まれてしまうけれど。

 進化した《ドギラゴン》ならば、《ジュダイオウ》のしがらみから解き放たれる。

 

「《コギリーザ》でWブレイク!」

 

 さらに《コギリーザ》が、残りのシールドを薙ぎ払う。

 勝利の筋道が、見えた。

 

「これで終わらせる……行こう! 《ドギラゴン》!」

 

 《ガイハート》を牙で噛み締め、飛翔する《ドギラゴン》。

 そしてその剣はもはや、溢れんばかりの灼熱で滾っていた。

 そこに、ひとつの邪槍が穿たれる。

 

「S・トリガー発動、《熱血龍 バトクロス・バトル》《ジ・エンド・オブ・エックス》。《ドギラゴン》を封印する」

「っ、《ドギラゴン》!」

 

 絶叫し、怒号する《ドギラゴン》。

 禁断の邪槍が深紅の鎧を貫き、時が止まったかのように、その力を封印する。

 しかし、

 

「でも……それじゃあ龍解は止められない! 《ドギラゴン》!」

 

 肉体が石化する直前。

 《ドギラゴン》は《ガイハート》を、ベルに投げ渡す。

 

「ごめんね、《ドギラゴン》、《グレンモルト》……剣、借りてくよ」

 

 ベルは《ドギラゴン》(《グレンモルト》)から託された、灼熱の《ガイハート》を携え、疾駆する。

 軽快な身のこなしで、彼の騎乗する巨体を駆け上がり、そして――グレンモルトと、相対する。

 

「これで終わりだよ、グレンモルト。この剣の意味、あなたならわかっているでしょう?」

 

 力が十分に満たされた《銀河大剣》。

 あとは一言、その名を呼べばいい。

 それだけで、剣は応えてくれる。

 

「……お前は」

 

 と、その時。

 グレンモルトは、自ら口を開いた。

 

「お前は……なにがしたい」

「なにが?」

「オレを否定したいのか。己が生存を望むのか。それとも、小さきお前に、なにかを託したいのか」

「わたしにやるべきことなんてないよ。わたしはただ、自分の意志で決めたことを為しているだけ」

「自分の意志、か」

「そうだよ。わたしは、なにも決められなかった。そんなわたしの弱さが、あの破滅を招いたんだ……だからわたしは、自分で決めた。矮小なプライドで自死を許さず、世界の礎になるって」

「礎。違うな。それは、お前のエゴだ。お前は、世界に必要とされて、そういているわけではないだろう」

「……そうかもしれない。でも、ならそれでいい。あなたはわたしのエゴで死ぬの」

 

 冷たく、鋭く、虚しく。

 昏い瞳で、ベルは言い放つ。

 グレンモルトも、淡々と、けれどどこか熱を感じる声で、彼女と対話する。

 

「最後に警告する。お前がオレを否定するのならば、お前は“奴”との記憶さえも踏み躙るだけだぞ」

「それでもいい。もう全部なくしちゃったんだ。今更、わたしの中のなにかが消えようが構いやしないよ」

「その先にあるのが、戦火に蹂躙された焦土の地獄であってもか?」

「地獄ならもう見たよ。大切な人も、場所も、わたしの生きた証のすべてが消え失せた瞬間は、この眼に焼き付いてる。これ以上の地獄なんてない」

「……いいだろう。形は違えど、お前はオレの主のようなものだ。ならば、オレがお前の因果を断ち切ったとしても、道理だろう」

 

 グレンモルトは、次元の門に腕を突っ込んだ。

 そして虚空から、剣を引きずり出す。《ガイハート》じゃない――朱く、そして金色に輝く、燃え滾る灼熱の剣。

 巻き付いた鎖を断ち切り、振り払い、グレンモルトはそれを構える。

 

「伊勢小鈴。オレの、主であった、主であったかもしれない少女よ」

「やめて。わたしをその名前で呼ばないで。わたしにはもう、その名前で呼ばれる資格はない。わたしは終末と終焉に生きてしまった、魔法少女――マジカル☆ベルだよ」

「知らん。オレがお前と“奴”を繋ぐのなら、オレに染み付いた記憶は奴とも通ずる。むしろオレの性質は、奴に準ずるもの。故に魔法少女など、知りはしない――剣を構えろ、小鈴」

「…………」

 

 ベルもまた、《ガイハート》を構えた。

 熱気が溢れそうになっている、大剣を。

 

「――ッ!」

 

 一呼吸の後、グレンモルトの刺突が放たれる。

 けれど、

 

 ――キィンッ

 

 その一突きは、弾かれる。

 そして、ベルの大剣の切っ先が、グレンモルトの胸を穿った。

 

「……この剣、この刃。そうか、迷いも、曇りも、陰りもなく、永劫輪廻の供犠に殉ずるというのか」

 

 その身を貫く大剣に触れながら、グレンモルトは声を絞り出す。

 

「成程。お前の歩んだ道は、英雄としては酷くつまらないが――お前の意志だけは、認めよう」

 

 それが、彼の最期の言葉だった。

 次の瞬間、ベルは小さく告げる。

 《ガイハート》の力の全てを解き放つ言の葉を――

 

 

 

「――龍解――」

 

 

 

 ――そして彼は、銀河の炎に、燃やし尽くされた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――終わった。

 結果だけを見れば、ベルはグレンモルトに勝った。

 ベルの言う世界の歪みは正されるし、わたしも元の世界に帰れる。目的達成でめでたしめでたし……の、はずなのに。

 とても、喜べる空気ではなかった。

 

「べ、ベル……」

 

 わたしは、ベルに歩み寄る。

 ずっと、ずっと気になっていたんだ。

 ベルは世界を、時空を、次元を、飛び回って世界を正していると言った。

 じゃあ“ベルの世界”はどうなのか、って。

 ベルもわたし。なら、お母さん、お姉ちゃん、お父さん、それに先輩……他にも、かかわりのある人たちは、たくさんいるはず。

 そういった人たちのことはどうなのか。学校とか、食べ物のこととか、とにかくなんでもいい。

 彼女の生活は、どうなっているのか。

 年齢を数えるのをやめた、なんて言っていたけど、それはつまり、ベルは――

 

「ベル……あなたは……」

「聞かないで」

 

 ――ベルは、拒絶した。

 わたしの、他ならぬわたし自身の歩み寄りを、力強く、ハッキリと拒んだ。

 でもそれは、羞恥や、怒りや、悲しみではない。

 彼女の、慈悲だった。

 

「聞いたらきっと、あなたは絶望する。わたしと同じようにね」

「で、でも……」

「あなたより大人になったわたしだって、耐えられなかったんだ。今のあなたが知ったら、道が、できてしまうから。絶望に苦悶する、逃げ場のない終末への道筋が……」

 

 最悪の結末、物語の終焉。

 そこに行くためのルートを、彼女は堰き止めようとしていた。

 

「わたしは間違えたの。なにも選べなかった、なにも決められなかった。だから、その結果が返って来ただけ……今だってそう。決められた結末は変わらないまま、ずっとバッドエンドの続きをしている」

 

 わたしはもう、終わっている。

 ベルはそう言った。

 わたしには、物語がどうとか言っておきながら、彼女の物語は既に、結していたのだ。

 彼女の先にはもう、ページは続いていない。

 それが、ベル――マジカル☆ベル。

 

「……っ、ぅ、べ、ベル……」

「なにをそんな悲しい顔をしてるの。どうせ、わたしのことじゃない」

「わたしのことだからだよっ! だって、だって……!」

「いいの、わたしの決めたことだから。それよりあなたは、あなたの物語を、ちゃんと歩まなきゃ。わたしがこうして支えてあげたんだから……わたしは、バッドエンドなんて許さないよ」

 

 強く、強く、力強く。

 痛みも悲しみも苦しさも知っている、わたしよりも少し大人なわたしは、言った。

 

「あなたはまだ、小さくて、幼くて、弱い子供。でも、なにもできない子供だからこそ、まだ“終わっていない”」

 

 彼女は、わたしの髪に触れる。

 本来なら鈴があるはずの髪に。

 そして、穏やかな眼で、わたしを見つめていた。

 

「真に暗い世界っていうのは、もう、先がない。でも、先が続く限り、未来は明るくなるんだよ。あなたの物語はまだ未知数。まだ、どうとでもなるんだから」

 

 彼女の後ろで、空間が割れ、砕け、裂け、渦巻く。

 この異様な感覚は、もしかして……

 

「あぁ、意外と早かったね。“お迎え”だよ……つまり、さよなら、だね」

「ベル……っ!」

「大丈夫、移動先はわたしが調整してあげるから。確実に、元いた世界、元の時代、元の時間軸に戻れるはずだよ」

「違うよっ! あなたは……」

「……わたしはいいの。それより、あなたにちゃんと言いたいことがあるの」

「言いたいこと……?」

「そう。アドバイス……いや、忠告かな」

 

 子供っぽくて、ゆるゆるな貌なのに、とても真剣な眼で、彼女は言った。

 

「小鈴……あなたはちゃんと、自分の意志で道を決めるんだよ」

「わたしの、意志で……?」

 

 改めてそう言われると、戸惑ってしまう。

 わたしは、わたしの意志でなにかを決めていたか、どうか。

 そんな戸惑いの中、彼女は続けた。

 

「あなたはわたしだから、わかるんだ。優柔不断で、意志薄弱で、困難に直面すると、なにも決められない。自分がどうするべきなのか、決定できない。たたらを踏んで、前に進めない。わたしはそんな弱さのせいで、すべてを失った。でもあなたは、まだそんなバッドエンドのルートに分岐していない。なら、今からでも遅くはない。自分の意志ですべてを決めて、決して立ち止まらずに前に進んで、未来を切り開くの。それが、ハッピーエンドのために――わたし(あなた)の望む結末に至るために、必要なこと」

「で、でも、わたしは……あなた、で……」

「心配しないで、あなたなら大丈夫。あなたはわたしと違って、友達が、たくさんいるみたいだから」

 

 トンッ、と彼女はわたしを押す。

 スゥッと、身体の自由が失われ、存在が、ぶれていく。

 この世界にはいないものと、自分の身体が訴えかける。

 

「それじゃあね。ばいばい小鈴」

 

 沈む意識。飲まれる肉体。

 わたしは、この世界から消え行く。

 最後に彼女は、ひとつの言葉を、わたしに告げた。

 

 

 

 

「あなたは、マジカル☆ベル(わたしみたい)になっちゃダメだよ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 もう一人の、幼い自分が消えていった。

 あらゆる可能性を秘めた、明るい未来への兆しとなる、マジカル☆ベルの卵。

 どうしようもなくなってしまった自分と違い、彼女にはまだ、先がある。

 自分はもうどうしようもないけれど、彼女ならまだ、なにかができる。

 せめて自分ではない自分くらいは、より良い物語を紡いでほしい。

 そう願いながら、彼女は踵を返す。

 

「……さて、わたしも鳥さんを探さなくちゃ」

 

 そして彼女は、己で決定を下した責務に、身を費やす。

 魔法少女と名乗る者の姿はもう、そこにはなかった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 伊勢小鈴がこの世界から追放される刹那。

 この世界の幼き小鈴たちの姿が、彼女の眼に映された。

 

 

 

「――着いたよ、小鈴ちゃん。ここが学校だ」

「あ、ありがとう、いつきくん……その、えっと、おねーちゃんは……?」

「たぶん生徒会室だね。そこまで案内するよ。とりあえず来賓用のスリッパに履き替えてもらって……いや、その必要はないか」

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

「おねーちゃん!」

「あぁ、よかった……母さんから、小鈴がこっちに向かったって電話があったんだけど、なかなか来ないから、事件にでも巻き込まれてないかと心配したわ……」

「ご、ごめんなさい……わたし、その、道が、わかんなくなっちゃって……それで……」

「わかってる、怖かったわね。勇気を出してここまで来ただけでも上出来よ」

「やっぱり、五十鈴の妹さんだったんだね。鈴の髪飾りで、そうかなって思ったけど」

「……悪かったわね、一騎。妹が面倒かけちゃって」

「いいさ、これくらい。気にしないで」

「それじゃあ、私はこれからこの子を家に送り届けるわ。また道に迷ったら大変だし」

「なら、君の受け持ってた仕事は俺が引き継ぐよ」

「本当に悪いわね、そしてありがとう。助かるわ」

「どういたしまして。それじゃあ、また明日。学校でね。五十鈴」

「えぇ、また明日ね。一騎」

 

 

 

(……あれ?)

 

 薄らぐ意識の中で、小鈴はひとつの疑念を抱く。

 

(お姉ちゃんと、先輩……仲、良さそう……?)

 

 これは、この世界での出来事なのか、それとも、元からそうなのか。

 それを考える前に、彼女の思考は闇へと沈んでいく――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ここは……」

 

 うっすらと目が開く。眩しい。

 そして寒い。すごく寒い! というか冷たい!

 あんまり寒いものだから、寒さで目が覚めた。というより、目を覚まさないと危ないと本能が騒ぐから、無理やり覚醒させた。

 それと同時に、声が聞こえる。

 

「小鈴! 小鈴、大丈夫か!?」

「と、鳥さん……?」

「あぁ、よかった。いきなり君の姿が消えるし、生体反応まで感知できなくなったと思ったら、しばらくして急に現れるし……一体どうしたんだ? なにがあった?」

「なにが……えぇっと……」

 

 意識はハッキリしたけど、頭が混乱している。

 なにがあったのか。そう、確か……

 

「わたしは、別の世界のわたしと……」

「別の世界?」

「そう、そこでベルと、小さなわたしと……先輩が……」

「よくわからないけど、無事に帰ってこられたのか。よかったよ。僕とのリンクも切れて、力が途絶えて変身が解除されたら、クリーチャーに太刀打ちできなくなってしまうと危惧していたから」

「ああ、それは……って!」

 

 そうだ、思い出した!

 

「鳥さん! 全部鳥さんのせいなんだからね!」

「え、急にどうしたんだい?」

「どうしたもこうしたもないよ! 鳥さんのせいで、わたし裸で町を歩き回る羽目になったんだから!」

「言ってる意味が分からないんだが……」

「いいから早く出てって!」

「え、ちょっ、うわぁぁぁっ!?」

 

 わたしは鳥さんの羽毛でふさふさの身体を鷲掴みにすると、お風呂場の外に力いっぱい放り投げる。

 ビターン! とすごい音が聞こえた気がするけど、知りません。浴室の扉もきっちり閉じて、完全に締め出します。

 そもそも、女の子の入浴に入って来るとかデリカシーがなさすぎるんだよ、鳥さんは。

 

「はぁ……」

 

 閉めた扉に背中を預けて、溜息。

 全部、思い出した。そう、全部だ。

 わたしが胸のうちに秘めて、薄れつつあった思いも、全部。

 

 

 

「……ちゃんと、伝えなきゃ」

 

 

 

[newpage]

 

 

 

 ここは部室棟。そのほとんど最奥とも言えるような場所。

 他の部室よりも小奇麗そうに見える扉に掛けられているのは『学生生活支援部』の文字。

 わたしは一度、深呼吸をする。そして、意を決して、その扉を叩いた。

 コンコン、と小気味よいノック音の後、扉の向こうから声が飛んでくる。

 

「どうぞ、開いてますよ」

 

 その声を聞いただけで、緊張がせり上がってくる。

 けど、逃げちゃいけない。

 わたし(ベル)は言った。自分の意志で決めろと。立ち止まるなと。

 これはほんの些細な一歩かもしれないけれど。

 彼女の言葉を信じて、わたしは、勇気を振り絞る。

 あの時だって、些細な勇気が、あの出会いに繋がったんだ。

 なら、今回だって――

 

「――失礼します」

 

 ガチャリ、と扉を開ける。

 全体的に綺麗に整頓された部屋。ただ、奥の方の棚は、なんだか混沌としている。漫画とか、お母さんの書いた本とかも見えるけど、見ないことにしよう。

 そんなものより、目の前の人の方が、よほど大事だ。

 

「やぁ、いらっしゃい」

 

 この部屋にただ一人座している男子生徒で、この部を取り仕切る部長さん――剣埼一騎、先輩。

 いつもの柔和で、穏やかな微笑で、わたしを出迎えてくれる。

 さぁ、ここからが始まりだ。

 思い切って、わたしの方から切り出していく。

 

「き、今日はすみません。わざわざ呼びつけてしまって」

「いいよ、気にしないで。恋伝いで聞いた時は少し驚いたけど、俺も君とはちゃんと話がしたかったんだ」

「そんな……え、えと、えっと……」

「とりあえず座りなよ。、硬い椅子で悪いけどね」

「は、はい。ありがとうございます。し、失礼します……」

 

 先輩に促されるまま、パイプ椅子に座る。

 実は、今日はわたしの方から、先輩を呼んだのだ。

 恋ちゃんに頼んで、先輩に「部室で待っていて欲しい」と伝えてもらった。

 それもすべて、わたしのけじめと、清算のため。

 そしてなにより、先に進むために必要なことだ。

 

「……他の部員の方は……」

「あぁ、皆は今、出払ってるんだ。だから気兼ねすることはないよ」

「そ、そうですか……」

「誰もいない方が、話しやすいだろうしね。お互いに」

 

 気を遣わせてしまった……いや、いいや。

 それくらいでしょげないよ、わたしは。

 そう、昨日の夜に考えた台本通りに、まずは……

 

「あの……ご、ごめんなさい」

「え?」

「だ、だいぶ前のことなんですけど……その、先輩に、迫った、っていうか、その、あの……」

「あ、あぁ……“アレ”か」

 

 先輩も苦笑して答えた。

 それは、いつのことだったか。

 『三月ウサギ』さんが学校にやって来て、わたしのその“狂気”に触れてしまった。

 後から話を聞くと、あれは人の欲望――特に肉体と精神に強く結びつく欲求――を増幅させて、その衝動のままに突き動かさせるというものらしくて、わたしはその影響をモロに受けてしまった。

 その結果、先輩に詰め寄って押し倒してしまうなんていう失礼なことをしてしまったのです。

 まずはその謝罪をしなければならない。わたしは、そう思った。

 今までは、その行いの気恥ずかしさ、自分のやったことの重大さ、双方の重みで逃げてばかりだったけど。

 もう、逃げていられない。彼女は、そう教えてくれたから。

 

「本当に……ごめんなさい」

「……まあ、もう過ぎたことだし、なんともなかったからいいよ。でも」

「っ……!」

 

 怒られる。

 わたしはほぼ反射的に身構えた。

 そして、

 

「お酒は良くないよ、お酒は」

「へ?」

 

 先輩は、なんだかよくわからないことを言っていた。

 酒……お酒?

 どういうこと?

 

「まあ、ドイツは弱いお酒なら未成年でも飲酒が認められているみたいだけど、それでも中学生でお酒はよくないと思うんだ。お菓子に含まれてる程度とはいえ」

「え、えーっと……」

「あれ? ユーリアさんのドイツ土産のお菓子に入ってたアルコールで酔ってしまった、って恋から聞いたんだけど」

「あ……えっと、はい、そうかもです……」

 

 お酒入りのお菓子……そういうことになってたんだ……

 あれ以降、この話題はみんなにとってもほぼタブーだったから知らなかった……三月ウサギさんのことを話すわけにもいかないし、恋ちゃん、ありがとう。

 

「アルコールが含まれるお菓子は法律上はお酒にはならないとはいえ、アルコールは危険なんだから。気を付けないとダメだよ」

「は、はい。ありがとうございます……ごめんなさい」

 

 怒られることを覚悟していたのに、なんだか思ってたのとは違う感じで事が収まってしまった。ちょっと肩透かしというか、気が抜けちゃった。

 でも。

 言うべきことは、言わなきゃ。

 

「……ありがとうございました」

「いいんだよ。大事なかったし、そんな目くじら立てて怒ることでもないし」

「いえ、そうではなくて……えぇっと」

 

 落ち着け、落ち着けわたし。

 今日ここに来た目的を、思い出せ。

 

「わたし、ずっと昔に言い忘れてたこと、あったんです」

「ずっと昔に……?」

「今日はそれを、言いに来たんです。いえ、言い直しに、来たんです」

 

 本当はあの時、もう言っちゃってるんだけど、あれはノーカンです。

 あれは意識が混濁した、狂ったわたし。

 だから今度は、ちゃんとわたしの意志で、わたしの気持ちで、わたしの言葉で、伝えるんだ。

 二年前に言いそびれた、感謝を。

 

 

 

「ありがとう――いつきくん」

 

 

 

 あぁ――やっと、ちゃんと言えた。

 あの時に言いそびれた、お礼の言葉を。

 

「道に迷って泣きじゃくるわたしを立たせて、先に進ませて、導いてくれたこと……本当に、感謝しています」

 

 その感謝を伝えられなかった。そのことだけが、ずっと気がかりだった。

 狂った勢いでなにか口走っちゃったことはあるけど、あれは正気じゃなかった。

 けど今は確かなわたしの意志で、わたしの言葉で、伝えられた。

 先輩は言葉が出ないのか、立ち尽くしている。

 あ、そうか。いきなりこんなこと言っても、わけがわからないか。

 

「先輩はもう、覚えていないでしょうけど……わたしたち、もう出会ってたんですよ。二年前」

 

 わたしの物語が始まった時。

 先輩はきっとあの時のことは覚えていない。それは悲しいことだけど、わたしはちゃんと覚えているし、ずっと残っている。

 そして、あの時やり残したことを、今ここで、清算できた。

 それだけで満足、した、はずなのに。

 

「……覚えてるよ」

「え……?」

 

 先輩の口から、そんな言葉が零れた。

 絶対に、忘れられていたと思っていたのに。

 あの時の思い出は、わたしの中にだけあると思っていたのに。

 けれど、それは思い違いだった。

 あの時の記憶は“二人”の中で、息づいていた。

 

「最初に君がこの部室を訪れた時から、覚えてる。あの鈴の髪飾り、忘れるものか」

「そ、そんな……覚えていたんですか……!?」

「実はね。君がなにも言及しなかったから、俺の方こそ忘れられちゃったのかと思ったよ」

 

 笑いながら言う先輩。

 ってことは。

 わたしたちは、お互いにお互いの過去を知りながら、他人行儀に振舞っていたの……?

 な、なんて茶番……! とんだピエロです。

 

「でも、良かったよ。実は伊勢さんって呼ぶの、ずっと違和感があったんだ。それに、俺も君に言いたいことがあった」

 

 先輩は、立ち上がってわたしの傍まで歩み寄る。

 この優しい瞳は。

 穏やかな口元は。

 安心する匂いは。

 あの時と、まるで変わらない。

 いつきくんは、わたしに目線を合わせて、頭を撫でてくれて、そして――

 

 

 

「久しぶり、小鈴ちゃん――大きくなったね」

 

 

 

 ――“今”のわたしに、“あの時”の彼で、接してくれる。

 

「はわ……う、うぅ……」

 

 その優しさに、穏やかさに、懐かしさに、わたしは耐えられなかった。

 恥ずかしくて、嬉しくて、懐かしくて、泣いちゃいそうだった。

 で、でも、泣かない……泣かないもんっ。

 だって、嬉しいから。いつきくんが、わたしのことを覚えててくれた……なら、わたしは、笑わなきゃ。

 けど少し待ってほしい。顔がたぶん真っ赤だ。すごく熱い。とても、まともに彼を直視できない。

 思わず顔を覆ってしまう。指の隙間から覗く彼の表情は、とても和やかで、それでいて満足げだった。

 

「うん、スッキリした。再会の言葉がずっと、つっかえていたんだ。でもこれで、少しは清算できた」

「せんぱいぃ……」

「え、なに?」

「そういう、人……だったん、ですね……」

「どういうこと!?」

 

 こういうの、なんて言うんだっけ。恋ちゃんとかみのりちゃんがなにか……天然? ジコとかジロとか。よくわかんないけど。

 嬉しいのに、なんでか恥ずかしい。なんなの、この気持ちは……!

 むぅ……でも、それなら。

 わたしは少し、先輩の優しさに付け込んでみようと思った。

 

「あ、あの、先輩……?」

「なにかな?」

「その……」

 

 わたしのささやかな対抗心であり、願望。

 叶うのならば、また、あの時のように――そんな理想を抱いて、わたしは告げる。

 

 

 

「い……いつきくん、って……呼んでも、いいですか……?」

 

 

 

 礼儀として、外聞を気にして、なにより怖くて、先輩と今までは呼んでいたけど。

 わたしの中にある剣埼一騎さんは、本当のおにーさんは――いつきくんなんだ。

 

「…………」

 

 けれど、彼は固まっていた。

 驚いたように目を丸くして、言葉を失っている。

 その様子に、わたしは冷静さを取り戻して、焦りが込み上がってきた。

 や、やっちゃった、の……!?

 

「いやあの、人前だとわたしも恥ずかしいので二人っきりの時だけっていうかいやでも二人っきりの時でもそれはそれで変に特別感が出ちゃって変な感じしちゃいますよね! でもでもそういうことでもなくて、ただ昔の呼び方が懐かしいとかそんなことを思っちゃってるだけですけど意外と頃がいいっていうか「つるぎざき」って濁音が続いてたまに舌を噛んじゃいそうだからっていうか年上の先輩に「くん」付けって失礼でしたごめんなさいでもわたしがそう呼びたいだけで――!?」

「ちょっと待って落ち着いて。君はそんなキャラじゃない。ほら、深呼吸」

 

 すぅ、はぁ……

 先輩に促されて息を吸って、吐く。うん、少し落ち着いた賀茂。

 

「呼び方なら、好きにしてくれていいよ。年下の女の子から呼び捨てにされるのには慣れてるから。気にしないよ」

「そ、そうなんですか?」

「あぁ、どこかの部長は馴れ馴れしいから」

「部長さん……?」

「なんでもない、こっちの話だよ」

「はぁ」

「でもちょうどいいや。小鈴ちゃんも誘いたかったんだよ」

 

 誘いたい? それは、なにに?

 ま、まさか、それって、デ、デー―― 

 

「文化祭に」

「ぶんかさい」

 

 ――あ、はい。そうですよね。

 でも、文化祭に誘うって……?

 

「他校に俺の友達がいて、文化祭に誘われてるんだけど、君たちも一緒にどうかなって」

「他校の文化祭、ですか……わ、わたしはいいですけど、みんなにも聞いてみないと」

「そっか。じゃあ、決まったら恋にでも伝えてもらえるかな」

「恋ちゃんは行くんですか?」

「行くよ。絶対に、なにがなんでも、是が非でも行くはず。あいつがあそこに行かないなんてあり得ないな」

「え、えぇ……?」

 

 ものすごく力強く断言されてしまった。

 烏ヶ森じゃない、別の学校の、文化祭、かぁ。

 わたしは他の中学校に入ったことなんてないから、少しドキドキするな。

 

「どんなところなんですか?」

東鷲宮(ひがしわしのみや)っていう、普通の中学校だよ。そこに遊戯部って部活があってね。そこの部長さんに頼まれたんだ」

「頼まれたって、なのをですか?」

「デュエマの大会をするから、一騎君も来なさいな。あと、人もできるだけたくさん連れて来てね。参加者が多い方が盛り上がるから。それじゃあよろしく……って」

「……デュエマの大会?」

 

 学校の文化祭で?

 一体どんな部活なの、遊戯部って……聞いたことのない部活名だけど。

 烏ヶ森みたいに、変わった部活動が多い学校だったりするのかな……?

 ……あぁ、でも。

 

(ちょっと楽しみ……だな)

 

 いつきくんに誘われて、みんなと文化祭。

 想像するだけで、今からわくわくしてしまう。

 

「詳細は追って連絡するけど、とりあえず日付は……ん?」

「どうしたんですか?」

氷麗(つらら)さんからか……ごめん。ちょっと、部員に呼ばれちゃった。申し訳ないんだけど、今回はもう切り上げさせてもらっても大丈夫かな?」

「あっ、い、いえっ。こちらこそ、長々と居座ってしまってごめんなさい……も、もう出ますのでっ」

 

 部員さんから連絡があったようだ。やっぱり、部長さんって大変なんだなぁ。

 伝えたいことは伝えられた。これ以上、邪魔をしたら悪いし、わたしは立ち上がって、部室の扉を開き、退室しようとする。

 

「本当にごめんね。それじゃあ、またね。小鈴ちゃん」

「は、はい、また……い、いつきくん」

 

 そして帰り際に、そう言葉を交わして、扉を閉めた。

 ………… 

 

(……小鈴ちゃんって、呼んでくれた)

 

 嬉しい。とても、とても。

 あの時のわたしが、あの人の中に生きていることが。

 でも、

 

(“あの時”のままじゃ、ダメなんだ)

 

 わたしが目指すのは、その先だ。

 手を差し伸べてくれたあの人に、報いるために。

 そして、わたしが憧れた、あの姿に追いつけるように。

 

 

 

(もっと、がんばらなくちゃ――)




 一騎ルート確定。今まで霜ちゃんルートっぽい道筋を辿っていたけれど、一騎へのルートを避け続けるだなんて許されないのです。
 今回はかなり、作者の別作品の要素が各所に散りばめられていたりしますが……まあそのへんは、知っていれば結構、知らないなら無視して読み進めてくれれば、って具合です。
 次回から第3章、新章突入の予定ですが……ハーメルン版では番外編を投稿していないので、どうせなら番外編専用の章を作って、短編集みたいな形で投降しようかと考えています。
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