デュエ魔法少女マジカル☆ベル   作:モノクロらいおん

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 番外ラッシュの三回目は、不思議の国の住人から、蟲の三姉弟のお話です。
 時系列的には、33話と34話の間くらい。幼児連続殺傷事件の真っ只中になります。


番外編「妹が欲しいのよ!」

 こんにちは、『木馬バエ』です――今は陸奥国縄太(むつのくにじょうた)と名乗るべきなのか? まあ、どっちでもいいし、どうでもいいか。

 ここは学校という、閉鎖的で秩序的な、牢屋のような空間。長い時間、仕事という勝手に決められた役割を押し付けられ、拘束される、地獄のような場所だ。

 そして今は、昼休み。腐葉土の上で寝転がるような、僅かばかりの休息の時。

 いつもなら虚無的な休憩時間でしかないけれど、今日はいつもよりも有意義な時間を送れている。

 というのも、偶然ながら、校舎内で兄さんと出会えたのだから。

 最初は他愛ない話をしていただけだけど、ふと兄さんは“先日の事件”について、私に尋ねた。

 

「――それで、先日の暴走はどう終結したのだ?」

「あぁ、兄さんは連中を押し留めていたから、結末までは知らないんだったね。死ぬほど面倒くさいことになってたよ。まあ、あのまま続けてたら、殺されそうなほど面倒なことになってたろうけど」

「大事にならなかったのは僥倖であろうが、姉上の奇行はどこまで発展したのやら」

「気になるの?」

「うむ。姉上が無事、帰還せしめた故に歓喜のあまりその場では気に留めなかったが、後にふと、貴様が如何にして姉上を説き伏せたのか、疑問を覚えた」

「別に大したことはしていないよ。兄さんがよくやる方法と、さして変わりはない」

「なに? まさか貴様、姉上を殴打したというのか!?」

「真っ先に思いつくのがそれかよ。別に殴っちゃいないけど、でもまあ、強硬手段って意味では、そんな違いないかなぁ。舞い上がった姉さんは人の話聞かないから、無理やりになるのは仕方ない」

「ふぅむ。では、どのように? 貴様が姉上を追走した後、なにがあったのだ?」

「うん。それはね――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「妹が欲しいのよ!」

 

 

 

『……は?』

 

 あまりに突拍子のない、そして意味不明な姉さんの発言に、兄さんと私の声が、思わずはもった。

 今日も今日とて、いつものように『燃えぶどうトンボ(兄さん)』や『バタつきパンチョウ(姉さん)』と一緒に、虫けらライフを送っていた……ところだったんだが。

 姉さんが、いきなりわけのわからないことを言いだした。

 バタつきパンチョウの姉さんは、私たちとは違う、第三者――神の視点を持っている。それゆえに時折、私たち常人(虫だけど)には理解の及ばない視点や考えで物事を語ることがあるんだけど……今回に関しては、超越的観念という意味で意味不明なのではない。

 そう、言うなれば「こいつはなにを言ってるんだ?」というような類の意味不明さというか。言ってることはわかるけれど、その前後の文脈とか、その結論に至った過程とか、そういうものがすべてすっ飛ばされたことに対する困惑とか、そういうものだ。

 姉さんは反応が遅い私たちに向けて、再度、念を押すかのように言った。

 

「トンボ! ハエ太! (アタクシ)、妹が欲しいのよ!」

「ハエ太って呼ぶな」

「唐突にどうしたというのだ、姉上よ。妹君が欲しいなど」

「きっと疲れてるんだよ、姉さん。仕事なんて慣れないことしてるせいだ」

「違うのよ! お仕事は楽しいのよ! お給料は安いけど、アットホームでいい職場なのよ!」

「うん、その発言からはなんだか悪徳な企業の臭いがするね」

「そんなことはどーでもいいの! とにかく! 私は妹が欲しいのよ!」

 

 ……わけがわからない。

 なんか前にも、ウミガメちゃん相手とかにそんなことを言ってた気もするけど、ここに来ていきなりどうしたっていうんだ。

 

「弟よ。姉上が乱心だ」

「面倒なことに、そうらしい。頭の中身が腐ってないか不安しかないが、ちゃんと訳を聞いてみようか」

 

 よくわからないけど、とりあえずは荒ぶる姉さんを鎮めなければならない。

 そのためにも、姉さんがどうしていきなり「妹が欲しい」なんて世迷い事をほざき出したのかを、聞き出さないと。

 

「姉さん、なにがあった? どうして、妹なんて欲しがるの?」

「我々では不満か? 姉上」

「不満っていうか、勿論、トンボもハエも大事な弟だけど……私、気付いちゃったのよ」

「なにに?」

「トンボも、ハエ太も、どっちも男の子なのよ!」

 

 ……うん、そうだね。

 え? 今更すぎない? 確かに私たちにとって、性別なんて大した意味を持たないけど、だからって私たちの性別を今まで自覚してなかったなんて、そんなことあるか?

 そもそも、私たちが男だったら、なんの問題があるっていうんだよ。

 

「問題大アリなのよ!」

「姉さん、サラッと“眼”を開いて私の思考を読み取るのはやめてくれ。それで、なんの問題があるの?」

「だって! トンボやハエ太とじゃ、一緒にお風呂に入って洗いっこもできないし、一緒にお店に行って服を選んだり、お古の服を着せたりもできないし、「お姉ちゃん、着替え手伝って……?」とかも言ってもらえないのよ!」

『…………』

 

 ……なに言ってんだこの女。頭に蛆でも湧いたのか? それとも寄生虫か? いっぺん頭を切り開いて脳みそを洗い流した方がいいんじゃないか?

 さしものトンボ兄さんも絶句している。今日の姉さんは、波長が私よりもずっと近い兄さんでさえ黙り込んでしまうほど、妙なことを口走っているということか。

 

「……そ、そうであるな。我ら三人、運命を共にする虫けら三姉弟とはいえど、我々は男児であり、姉上は女子(おなご)の身。同衾は元より、裸体を晒すわけにもいくまい……破廉恥であるな……うむ」

「兄さん、ここは照れるポイントじゃない。姉さんの戯言を真に受けるな」

 

 姉さんがおかしなことを言うのはよくあることだし、いちいち真に受けていたら話にならない。

 だけど、今日はいつにも増して変だ。一体どうしたっていうんだ?

 

「確かに、私たちは虫けらの三姉弟だが、雌雄――男女の差がある。そして人間の姿を取ってしまっている以上は、倫理観というしがらみに縛られてしまっているわけだ。だからこそ、姉さんの要望には応えられないわけだけど……そもそも、姉さんはどうしてそんなことを求めるんだ?」

「そうであるな。我々では至らないところがあったか? であれば是正するが」

「そうじゃないの! そうじゃないのよ! ただ私は、妹がすっごく可愛くて、癒されるものだって気づいただけなのよ! だから、そういう子がいてくれたらなー、って思っただけなのよ」

 

 うーん……まあ、言ってることは、わからなくも……いや、やっぱりわからない。

 一体なにが姉さんをこんな風にしてしまったんだ。そんなに妹が欲しいのかよ。気に喰わん。

 

「トンボやハエ太だって、可愛い妹が欲しくない? 「お兄ちゃん」って呼ばれたくない? 私は「お姉ちゃん」って呼われたいのよ!」

「妹君か。確かに我らが同胞、姉弟にさらなる仲間が加えられるということであれば、それは喜ばしく、そして歓喜に値することだろうが……虚構や虚無なる存在から生み、自ら迎え入れたい、とまで思ったことはないな。ハエ、貴様はどうだ?」

「何度でも言うけど、ハエ太はやめろ。そして私も兄さんと同意見だ。そもそも、こんな手のかかる兄や姉がいるのに、その上、妹なんて面倒なものまで出て来たら、私が対応しきれなくなる。そんなものはいらないよ」

「なんて冷たいのよ! ハエ太の冷血漢! すっとこどっこい!」

「はいはい、私は冷たいですよ。どこぞの姉と兄が無駄に暑苦しいから、バランスを取らなければいけないものでしてね。それとハエ太はやめてくれ」

 

 いつものように、姉さんの悪口とも取れなさそうな子供っぽい罵倒を軽く受け流す。

 けど、流したところで姉さんの勢いは止まらない。

 今度は駄々をこねたように手足をジタバタさせ始めた。

 

「とにかく! 私は! 妹が! 欲しい! のよー!」

「ちょっと姉さん、そんなところに転がるなよ。子供じゃないんだから……」

「おぉ姉上! 姉上の高貴なる肌が晒されてしまっているではないか! 静粛に、そして貞淑に! 姉上、鎮まるのだ!」

 

 兄さんが必死で姉さんを宥めようとしてる。

 まったく、姉さんは身体ばっかり大きくなって、そのくせ中身は子供っぽいんだから。

 人間的にはいい年なんだから、私の手を煩わせないでほしいんだけど……

 

「やだやだやだー! 妹欲しい! 妹欲しいのよー!」

「暴れるなって、姉さん。餓鬼じゃないんだから……それに、そんなこと言われても、私たちにはどうしようもないよ」

「で、あるなぁ。妹君が欲しいとのたまわれても、我々は完全なる男児の身。上層を装うだけであれば、ハエが婦女子の出で立ちとなれば済む話ではあるが……」

「おい兄さん、サラッととんでもないことを言うな」

「それはそれとして見たいのよ! ねぇハエ太? 私のお洋服を貸してあげるから、ちょっと着てみない?」

「誰が着るか!」

 

 危ねぇ、こいつら油断も隙もないな……

 いくら私が自分にも他人にも頓着しないからって、女性の振りをするだなんて嫌に決まっている。

 それに、姉さんの服を着るとか……むぅ。

 

「しかし、根本的にはどうにもならぬ問題であるぞ、姉上。もはや我々に、新たな弟妹が産み落とされることはないのだからな」

「それはハートの女王様を“視た”姉さんが一番よく知ってる事だろう?」

「そうだけどぉー、そうじゃないのよー……そうだ!」

 

 ピコーン! と頭から電球でも発射しそうな勢いで、姉さんは飛び起きる。

 ……嫌な予感しかしないんだけど。

 

「実の妹がダメなら、義理の妹なのよ! そういうのもアリだって言ってたし!」

「誰がだよ」

「となれば善は急げ、なのよ! 待っててね、私の妹たち!」

 

 バッと立ち上がると、姉さんはそのままピューンと飛ぶように出て行ってしまった。蝶のようにひらひらと、ではなく、蜻蛉のように一直線に、蝿のように機敏に、すっ飛んで行ってしまった。

 

「姉上!」

「姉さん! ちょっと待てって――!」

 

 私たちが止めようとするも、それはあまりにも遅すぎた。

 もはや姉さんに私たちの声は聞こえていない。姉さんはどこかへと飛び去ってしまい、その姿は見えなくなる。

 

「……どうしようか、兄さん」

「さてな。何事もなければよいのだが……なにやら、不吉な予感がする。虫の報せだ」

「同感。私もだ。姉さんに限ってそんなことはないと思いたいけど、もしも“眼”が暴走したりしたら、姉さんが一番ヤバい」

「神の視座の代償だな。姉上の崇高にして偉大なる姉上だが、真なる神には敵わん。なにをするかも予想がつかん」

「周りに迷惑かけるくらいならまだしも、姉さん自身になにかがあってはいけないよね」

「うむ、それだけは絶対に阻止せねばなるまいな。我らが姉上のためにも」

「となると、私たちも動かないとな」

 

 これがどうでもいいことなら、放置の可能性もあったけど。

 もしも最悪の事態があるのなら。

 今まで恐れていたことが、起こってしまう。起こってしまったのなら。

 放っておくわけにはいかない。

 

「では、二手に分かれるぞ、ハエ」

「その方が効率的だしね。いいよ、じゃあ私は東側から探そう。兄さんは西から頼む」

「承った!」

 

 そんな感じで、私と兄さんは別行動を開始した。

 この時はまだ、姉さんのちょっとした気の迷いだと思っていたんだけど、後に思い知らされることになる。

 私たちは、舐めていたのだと。ずっとそこにあったせいか、その認識が薄れていたのだ。

 

 私たちの“複眼”に潜む、脅威を――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 銀の刃が煌めく。それはチープな文房具、ただの鋏だけど、なにかを切断し、断裁するという機能を持っていることに違いはない。

 続け様に鉄色の果物ナイフ。なんてことのない家庭的な道具だが、それは紛れもなく刃物。なにかを切り裂くことなど容易な凶器。

 多種多様で無尽蔵。様々な刃物が迫る中、私は走っていた。なぜかって?

 いくら常識外れに狂っている【不思議の国の住人】でも、こんなストレートに危険な奴は一人しかいない。

 ――『バンダースナッチ』だ。

 姉さんを捜索中に、ばったり彼女に出くわした。それだけなら「あぁ、今日はついてないな。不吉だから大人しくしていよう」くらいの気持ちでいられるのだけれど、今回ばかりは、本当についていなかった。

 どうやら彼女は不機嫌なようで、私の姿を見るなり、いきなり刃物を取り出して襲い掛かって来たのだ。

 しかし、普段から思考回路も行動原理も意味不明な子だけど、今回ばかりは本当にわからない。彼女は危険人物ではあるけれど、機嫌を損ねない限り、基本的にはこちらに凶器を向けて来ることはないはずなのに。

 つまり、私が知らないうちに彼女に無礼を働いていたか、今回はその基本から外れた例外かの二択ということになるのだが、今はそんなことはどうでもいい。

 今は、兎にも角にも向けられた刃物から逃れるのが先だ。

 というわけで、今現在の私は、全身全霊の全力疾走で、バンダースナッチなる怪物から逃げている。

 けど……彼女の体力は凄いな。ピッタリと私にくっついてきている。

 私は貧弱な虫けらだから、体力にはあまり自身がないのだけれど、それでもこちらは成人男性並みの肉体で、相手は幼児と変わらない身体だ。あの小さな体のどこに、私の疾駆に追いつけるだけの力があるのか。

 逃げ続けるのも不毛だと思い、一縷の望みに託して、私は彼女の説得を試みる。

 

「なっちゃん待て! 待って! とりあえず私の話を聞いて欲しい!」

「やだ。ころす」

 

 取りつく島もない。

 というか、ここまで不機嫌なのも珍しいな。本当になにがあったんだ?

 なんて聞き出せる様子でもない。

 ……こうなれば一か八か。やってみるしかないか。

 曲がり角を曲がったところで、私は足を止める。彼女は幼い割には聡明だけど、今は頭に血が上ってるっぽいし、視野が狭いといいんだが……

 たたたっ、と軽快な足音が聞こえてくる……そろそろか。

 バンダースナッチが曲がり角を曲がってくる。その瞬間を見計らって、腕を伸ばす。

 

「!」

「っ、危ない……!」

 

 バンダースナッチの両腕を掴んで、動きを封じる。けど、ギリギリだった。あと一瞬遅ければ、危うく手首を切り落とされるところだった。

 勿論、カッターナイフや包丁程度で、簡単に手首が落ちるわけもないけれど……この子は危険すぎる。一瞬で手首の動脈を狙ってきた。この子は殺し屋かよ。

 ギリギリギリ、と締め上げるようにバンダースナッチの腕を力強く握る。彼女は痛そうに顔を歪ませるけど、振り解こうともがく。

 まあでも、彼女とて肉体は幼女のそれ。いくら虫けらの私でも、体力で負けたとしても、腕力で負けることはあり得ないさ。

 さて、これでようやく落ち着いて話ができそうだ。危険は付きまとうけど。

 

「なっちゃん。あなたは、どうして私に刃を向ける?」

「……はなして」

「ちゃんと話せば、この手は解放する。私だって本意ではないからね」

 

 バンダースナッチは、じぃっと私を見つめている。

 ……この、純粋なのにどこまでも闇が広がっているような眼差し、苦手だな……

 気を抜くと、私の中に燻った黒いものが、彼女の深淵に飲み込まれてしまいそうで。

 

「……おねーさん」

「? 姉……誰の?」

「チョウの、おねーさん」

「チョウ姉さん?」

 

 なんでここで姉さんの名前が出て来るんだ?

 ……なんだかまずい気配がしてきた。

 

「おねーさん……いきなり、うしろから、おそってきた」

「たぶん、抱き着いたんだと思う」

「しめあげて……くるしくて……いたくて……」

「抱きしめたんだろうね。痛かったのなら、私から謝るよ」

「そのまま、ひきずり、まわされて……めが、まわった……」

「色んなところに連れ回されちゃったのか。災難だったね」

「だから、ころす」

「とりあえずあなたが怒っていることは理解した。本当に申し訳ないが、その刃物だけは降ろしてくれ」

「やだ」

 

 うん。わかっていたけど、聞き分けがないな。

 というかまあ、今回はこっちに非があるようだけど……姉さんの行いで、私がとばっちりを受けるとか、あんまりだ。

 いや、それもいつものことと言えば、いつものことだけど。汚れ役は私の役目だからな。

 とはいえ、姉の不始末で殺されたんじゃ堪らない。なんとか切り抜けないとな。

 

「おにーさん。はなして。やくそく」

「あぁ、そうだったね。だけど、そのおててに刃物が握られている限り、私は身の安全のために、この手を離すことはできない。だから、あなたの持っている二つの危険物を手放してくれたら、私も手を離すよ」

「いや」

 

 うーん、ダメか。

 バンダースナッチは強情だからな。このまま要求をぶつけるだけでは、平行線だ。

 別の手を取りたいが、私の頭ではより良い解決策など見つからないし、そもそも両手が塞がれているのはこちらも同じ。

 ……少し乱暴だけど、仕方ないか。

 どうせ相手はバンダースナッチだ。多少荒っぽいことしても、許されるだろう。

 

「なっちゃん、ごめんなさい」

「? なに?」

「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」

 

 グイッと、バンダースナッチの腕を引っ張る。小さな矮躯はそれだけでぐらりと体勢を崩すけど、まだ辛うじて、片足が身体を支えていた。

 けど、その足も払う。

 身体を支えるものがなくなって、宙に身を放り出されるバンダースナッチ。そのままビターン! と思い切り床に叩きつけられる。

 痛そう……だけど、このくらいじゃ彼女は止まらない。

 あまり気乗りはしないが、殺されないためには、殺す気で対処しなければならないのも事実。

 恨むなら、あなたの純粋な殺意を恨んでくださいね、バンダースナッチ。

 殺意には、こちらも相応の害意を持って当たらなくては、死んでしまうのでね。

 床に転がって、起き上がろうとするバンダースナッチ。私はそのがら空きの脇腹めがけて――思い切り足のつま先を蹴り出す。

 柔らかい肉の感触。けれど、それはとても不愉快な柔らかさだった。

 

「げは……っ!?」

 

 およそ幼女とは思えない、醜い声を漏らして、バンダースナッチは吹っ飛んでいった。

 バンダースナッチは立ち上がることもできず、ゲホゲホとえずいている。当然と言えば当然だ、腹を思い切り蹴り飛ばしたんだから。

 殺人鬼みたいな危険人物とはいえ、相手は女児。流石に腹を蹴り飛ばすなんて、気乗りしないけれど……まあ、そうでもしないと殺されそうだったし、姉さんたちにやらせるよりは遥かにマシということで。

 その姉さんのせいで殺されそうになっているんだけど。

 

「それではなっちゃん、申し訳ないですが、私はこのへんで。今日一日くらいは、起き上がらないでくださいね」

「う、うぅ……いたい……ころす……」

 

 これもまた当然なのですが、這いつくばった姿勢のまま、恨みまがしい視線を向けるバンダースナッチ。

 ……後が怖いですが、しかし今は彼女のことよりも姉さんだ。ひとまず、あの殺人鬼みたいな暴威は大人しくしたので、無視するとしましょう。

 背中に刺さる視線をできるだけ意識しないように、私はそのまま、その場を立ち去った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なぜ最初から説明するのだ?」

「ちょっと思い出すのに時間がかかって……最初から回想した方が、わかりやすいと思ったんだ」

「う、うむ?」

「どうしたの?」

「ハエ、貴様、まるで姉上のような素振りで言うのだな。姉上の眼が移ったか?」

「そんなことあるわけないだろ。なに言ってるんだよ。私は兄さんに対して所感を述べたに過ぎない」

「むぅ、そうか。まあ、そうであるよなぁ」

「なんだよ、変な兄さんだ」

「そうか、そうだな。うむ、ぼくが悪かった。それで、貴様はバンダースナッチの歯牙にかけられそうになっていたのだな。あの時、奴が凶刃を携えて現れたのは、そういうことだったのか」

「その点については悪かったよ。私もあの怪物から逃げるのに必死だったんだ」

「良い。弟の失態を拭うのも兄の務め。気にするな、弟よ。それよりも、貴様がバンダースナッチめの手にかからず済んだことを喜ぶべきであろう」

「そう言ってくれると助かるね」

「して、その後はどうなったのだ?」

「あぁ、うん。その後は、兄さんも知っての通り、一度姉さんと会えたんだけど――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おう、ハエのにーちゃん」

「ネズミ君、ですか……」

 

 姉さん捜索中に、ばったりと出会ったのは、刺青とかピアスとか鎖とか、とにかくファンキーな装いの少年――『眠りネズミ』。

 下手に絡まれたら面倒くさいクソガキではあるけれど、基本的には無害なネズミだ。バンダースナッチの数億倍はマシです。

 

「なぁ、にーちゃん」

「なんですか。私は今、姉さん探しで忙しいのですが」

「それだよ、それ。チョウのねーちゃんだ」

「姉さんが、なにか?」

 

 まさか、妹が欲しい、とか言ってネズミ君に女装させたとかではないですよね?

 彼は確かに幼く、女顔に見えなくもないですが、姉さん、流石にそれは……

 という私の心配は杞憂だったのですが。

 

「さっきチョウのねーちゃんが、カメ子抱えて走って行ったんだが。」

「なんだって? それは本当ですか」

「おう。今からカメ子と超絶バッドでクールなゲームに興じようと思ったんだが……先越されちまった。チョウのねーちゃん、意外と足はえーのな。スピーディーにスポーティーにギャラクシーだったぜ」

「……情報、感謝します。して、姉さんはどちらへ?」

「あっちだ。なんか洗面器とか持ってたし、たぶん風呂場の方に行ったんじゃねぇか?」

「了解です。ありがとうございます、ネズミ君。今度チーズを奢ってあげましょう」

「穴あきチーズはネズミのせいじゃねーよ。風評被害だ」

 

 そうなのですか。どうでもいいですけど。

 なにはともあれ、貴重な情報です。ドブネズミも、這い回る以外にも能があったのですね。ハエよりは役に立つかもしれません。

 ネズミ君に言われた通りの道を駆ける。急いで姉さんを連れ戻さないと、まずいことになるかもしれない。

 そんなことで頭がいっぱいだった。そう、私はいつだって視野狭窄だ。

 私に与えられた“一人称の眼”のせいか、あるいは、元々思慮に欠けているのか。

 私は目の前の目的ばかりを見ていて、そこだけしか見ていなくて、大事なことを、見落としていた。

 

「ここだな。早く姉さんを連れ戻さないと……!」

 

 遂に姉さんの向かった先、姉さんの居場所へと辿り着いた。今度はウミガメちゃんが巻き込まれてしまったようだし、内気な彼女なら、きっと抵抗もできなかっただろう。

 そして、姉さんが自身の“眼”に飲まれ、暴走する前に、なんとか鎮めて止めないと。そう、事は一刻を争う。

 そんな焦燥に駆られ、目の前の扉を勢いよく開く。

 ……そういえば、ネズミ君は、どこに向かったと言っていたか。

 確か、風呂場って言っていたような……風呂場?

 ということを、今この瞬間、思い出した。

 

「ハエ太!? どうしてここに!? 一緒に入りたいの?」

「ふぇっ!? も、木馬バエ、さん……!?」

「…………」

 

 あぁ、風呂。そう、風呂でしたか。

 姉さんを連れ戻すという目的に囚われて、うっかりしていました。風呂場に向かったということは、そうですよね。そうなりますよね。

 確か姉さんも、妹と洗いっこしたい、とか言ってたし。

 つまるところ私は、二人が今まさに浴場へと向かおうという瞬間、即ち、一糸纏わぬ姿でいるところを目撃したわけで。

 ……その、えっと……

 

「ごめんなさい。出直します」

 

 ピシャリと、扉を閉めた。

 うん。あまりに盲目で浅慮が自分が嫌になって、死にたくなる。

 ウミガメちゃんには、本当に悪いことをしたなぁ。年頃の女の子の裸を見てしまうとは。

 姉さんも、いくら姉弟とはいえ、この歳だ。いやさ、私たちに年齢なんて大した意味はないけれども、人間に近しい感性を獲得した以上、やっぱり、気恥ずかしさというか、気まずさというか……なんかそういう、触れたくない禁忌のようなものがある。

 ……それにしても姉さん、随分と成長したものだな。可憐であることを定められた蝶々というものは、あぁも育つものなのか。子供っぽいわりには色々大きく成長しているとは思っていたけどさ。

 

「よくわかんないけど、さぁカメちゃん! このままお風呂にレッツゴー! なのよ! 一緒に洗いっこいましょ!」

「はわわわわわ、なんでこんなことにぃー……!」

 

 脱衣所から姉さんとウミガメちゃんの声が聞こえる。ごめんねウミガメちゃん。私にはもう、あなたを助けられない。

 姉さんは洗いっこなんて言ってるけど、どう考えても一方的な洗浄になるよな。カメだったらむしろ、甲羅干しとかをするべきだと思うのだけれど。あれ? でも、海亀も甲羅干しってするのか? 海洋生物なのに?

 

「ハエ! ここにいたか!」

「兄さん?」

 

 声。意識が引き戻される。

 兄さんは、屋敷の西側で姉さんを追っていたはず。それなのにこちらにいるということは、わざわざ私を探してたのか?

 

「どうしたの? なにかあった?」

「うむ。実は姉上の捜索がてら、各所で聞き込みをしていたのだが、どうやら今回の珍事、『三月ウサギ』が関わっているやもしれん」

「三月ウサギが?」

 

 『三月ウサギ』。私たちの同胞の一人で……なんと言うか、邪淫と害悪を獣にしたみたいな奴だ。

 嫌われ者という観点では私を超えるほどの醜悪な女だけど、どういうわけか姉さんは、あの娼婦と仲がいい。

 だから、二人の間でなにかがあったとしても、不思議はないのだけれど……

 

「あの淫乱女が、なんだって?」

「ぼくも直にあやつの話を聞いたわけではなく、様々な人物を経た又聞き故、正確な情報を掴むことはできなんだが……なんにせよ、近頃の奴は姉上との接触が多い。故に、奴の悪影響による可能性があると踏んだ」

「あのクソ娼婦が原因ならわかりやすいけど、姉さんに限ってそんなことがあるかな?」

「三月ウサギだけでなく、さらにもう一押しなにかがあるだろうとは思うが、そこまではわからなんだ」

「ふむ……」

 

 どんな人に対しても朗らかさを損なわず、常に自我を保ち続ける姉さんだけど、あらゆる物質、人物、概念に対して、そうであるとは限らない。

 狂気を司る三月ウサギが、他者の自我に悪影響を及ぼすのは想像に難くないけど、あんな邪淫ウサギの友達と称して一緒に不味い茶を飲むような姉さんだ。クソビッチの狂気に、易々と干渉されるとは思えない。

 だから、姉さんが狂った原因が三月ウサギにあるとして、それだけではないはず。

 もう一つなにか。姉さんの自我を、意志を狂わせるようななにかがあるはずだ。

 

「人……ではないよな、たぶん。あの淫乱毒婦と積極的に関わりたい人なんて、いないだろうし」

「それは貴様が如実に証明しているな」

「あの二人の間に入りたがる人なんていない。となると、他に他者への影響を及ぼすのは物だ。姉さんと、あのクソ万年発情ウサギの間で物のやり取りがあった可能性は?」

「それは既に言質を取っている。姉上と三月ウサギとの間で、なにかしら物品のやり取りがあったとの聴取が取れた」

「じゃあ、その物品も押収した方がいいな。姉さんの部屋に忍び込んで家探しでもする?」

「姉上には悪いが、そのつもりだ。しかし、あの姉上の部屋だ。ぼく一人では、少々荷が重い」

 

 あぁ、だから私を探していたのか。

 確かに、姉さんの部屋を一人で家探しするのは、骨が折れるだろう。

 

「いいよ、私も手伝う。けど、鍵はどうするんだ?」

「鍵? あぁ、扉の錠前か」

「姉さんだって仮にも女だ。部屋に鍵もついているさ」

 

 さっきは裸見られても、顔を赤らめすらしなかったけどな。

 

「部屋に入るには鍵が必要だろう。そのロックを解除しないことには部屋に入れないわけだけど、どうするの? 私はピッキングとかはできないよ」

「ピッキング? それは必要な技能か?」

「いや、鍵がかかってるなら必要でしょ」

「扉を蹴破ればいいのではないか? 姉上の部屋の損害は心が痛むが、仕方なかろう」

「いやいや、強引すぎでしょ。無理やり蹴破ったりしたら、ハンプティ・ダンプティさんあたりが怒りそうだ。それはそれで面倒くさい。姉さんにも飛び火しかねないし」

「ではどうするというのだ?」

「うーん……」

 

 そう言われると、困る。手掛かりが見えてても、そこに進めないのならどうしようもない。

 打開策か、代案を考えないといけない。けれど、虫けらの頭で考えられることなんて、たかが知れている。

 奇想天外な発想も、複雑怪奇な解決も、羽虫程度が為せることではないのだ。

 

「弱ったな。姉上の所在も知れぬ今、鍵を奪取することも叶わん。やはり力ずくで突破するしかあるまい」

「できればその最悪の選択はしたくないんだけど……ん? 姉さんの所在? あー……」

「如何した、ハエ」

 

 鍵がかかってて姉さんの部屋に入れない。その問題は、案外あっさり解決するかもしれない。

 なぜなら当の姉さんは、今まさに、風呂場にいるからだ。

 しかも、ご丁寧に服まで脱いで。

 ということを、兄さんに話すと、

 

「……委細承知した。しかし、こうなってしまえば、ますます我々の行動が咎められるな……」

「いいよ、兄さんはそこにいて。私が盗ってくるから」

「大丈夫か?」

「こんなくだらないことで、兄さんの手を汚させるわけにもいかないって。こういうのは、私の役目だから」

 

 風呂に入っている女性の服から、部屋の鍵を盗み取ることが役目って言うのも、果てしなく格好悪いけど。

 なんて、いつものように半分茶化したように自嘲する私だったけど、兄さんの語調は、私の思っていた以上に厳しかった。

 

「ハエよ。ぼくも姉上も、貴様のそれは、貴様の美徳であると理解はしている。しかし同時に、それが貴様の汚点であるぞ」

「…………」

「ゆめ忘れるな。我々は三人揃って蟲の三姉弟だ。貴様も、我らが姉弟が一人なのだ。貴様の悪も、貴様の一部として、貴様の意志による選択として、我々は受け止めよう。しかし、悪に染まる貴様を見るのは、兄として……痛ましい」

「……わかってるよ。行ってくる」

「うむ……苦行を強いる。すまない、ハエ」

「だからいいって」

 

 その苦行も、脱衣所から鍵を盗み取ることだし。

 でも、実の姉の脱いだ服を物色するとか、想像してみると相当な苦痛かもしれない。

 さっきは慌てて締めた脱衣所の扉を、ひっそりと開ける。なんだか、覗き魔みたいで凄くダサい。けど、そんなことも言ってられないな。

 浴室の方から、水音が聞こえる。水の滴る音が響く。

 さらに、姉さんたちの声も聞こえた。

 

「おぉー! ウミガメちゃん、肌がすべすべヌメヌメなのよ! ウミガメみたい!」

「う、ウミガメですから……っていうか、ヌメヌメ、してますか……?」

「いつも思うのだけれど、ウミガメちゃんは可愛い顔してるのに、フードなんか被っちゃってもったいないのよ! もっと堂々としてればいいのに!」

「いや、でも、だって……あ、アタシは……その……」

「気にしなーい気にしなーい! なにがあろうと、ウミガメちゃんはウミガメちゃんなんだから! 私の妹!」

「あの、パンチョウさん……アタシ、い、妹に、なった、覚えは……その……というか、パンチョウさんには弟さんがいらっしゃるんじゃ――」

「私はお姉ちゃんだから、妹のために頑張るのよ!」

「ふわっ!? あ、あのっ、パンチョウさん、それは、その……ひゃぁ……っ!」

 

 ……楽しそうだな、姉さん。

 私じゃ、姉さんをあんな風に楽しませることはできないだろうし、そういう意味では、ウミガメちゃんには感謝もしないといけないかもしれない。同時に、やっぱり謝らなければならないのだけれど。

 

「っと、今はそれどころじゃなかった。二人が上がる前に、鍵を回収しないと」

 

 ゴソゴソと二人の脱いだ服を漁る。まるで下着泥棒みたいで、自分の低俗さが痛すぎる。

 こっちのパーカーはウミガメちゃんのだな。となると、姉さんのはこっちか。

 

「えーっと、ポケットポケット……」

 

 相も変わらず、中も外も派手な服を着るよ、姉さんは。働くようになって、質素で地味な服も着るように放ったけど、それでも普段着の煌びやかさは損なわない。

 どこがポケットなのかわからずまさぐっていると、指先に硬いものに触れる感触があった。

 

「……見つけた」

 

 姉さんの部屋の鍵だ。

 さて、それじゃあ目当てのものは手に入れたし、二人が上がって来ないうちに、さっさとお暇しましょうか。

 

「盗って来たよ、兄さん」

「おぉ、取って来たか、ハエ。大義であった。入浴中に姉上の私物を掠め取るなど、弟として良心が呵責に苛まれるが、緊急自体故に是非もなし」

「別に兄さんまで、こんなコソ泥の片棒担ぐことはないけどね。私一人で十分だ」

「そうはいくまいて。姉上の問題は、我らが兄弟の問題でもある。ぼくとて無関係とはいられんよ。なにより、姉上のことで、沈黙などしていられるものか」

「……そう。まあ、そういうとこが、兄さんのいいところだよね。正に燃えぶどうだ」

「うむ。では、そろそろ行動に移ろうぞ。覚悟はいいか、ハエ」

「覚悟もなにもないでしょ。姉さんに関わることなんだ、生まれた時から死ぬ気だよ」

「それでこそハエ、我が弟だ」

 

 というわけで今度は、私と兄さんで、姉さんの部屋に突撃することとなりました。

 ……突撃というか、不法侵入みたいなものだけど。

 やっぱりやってることはコソ泥だな、私。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うっ……いつ入っても、なんだか目がちかちかする部屋だな……」

 

 盗んだ鍵を使って、姉さんの部屋に侵入した私たち。

 姉さんの部屋は、意外とものが多い。あの人はあれで意外と人徳(虫に人徳と言うべきかは疑問だが)があるから、貰いものとかが多いらしい。

 だけどあの人自身は、そんなにきっちりしてるわけでもなくて、だいぶ物が散乱してる。

 一応、姉さんの名誉のために言っておきますがね。姉さんは本来、あまり物を持ちたがらない人なんですよ。着の身着のままでも笑って生きているような人なんだ。

 だからこの散らかった部屋は、姉さんのことをなにも理解せずに物を押し付けた連中の、浅慮さの現れのようなものだろう。

 

「弟よ、一体どこを見ている。姉上の視点でも乗り移ったか?」

「いや、なんでもない。ごめん」

「? まあ、ぼくは一向に構わぬが」

 

 ちょっとよそ見をしていた。いや、自分の視野に引き込まれてしまっていた。

 今は、姉さんが変わってしまった原因を見つけることが先決だ。それ以外はどうでもいい。

 私と兄さんは、手分けして姉さんの部屋を、家探しすることにした。

 姉さんには申し訳ないけど、部屋を物色させてもらう……まあ、さっき堂々と脱いだ服を漁ってた私が、今更こんなことで気に病むのも、変な話だが。

 もう堕ちるところまで堕ちても構わないって感じだ。

 などと自嘲気味に嗤いながら、散らかったものを漁る。

 

「なんだこの手裏剣みたいな玩具……ネズミ君かな。彼は変なものばかり見つけてくるな」

 

 どう使うものなのか、さっぱりわからない。真ん中で固定されていて、指で十時に伸びた突起を弾くと、風車みたいに回った。それはくるくると回っていて、ただそれだけだ。風が起こるわけでも、発電機能があるわけでもない。

 ……これのなにが面白いんだ? 理解できない。

 

「こっちのは……ゲーム機? 姉さん、ゲームとかするのか」

 

 意外だ。携帯電話だってまともに使えないのに、こんな電子機器が扱えるのか。

 こっちには小さなノートパソコンもある。姉さんが部屋に変なものを持っているのはいつものことだけど、これはいつも以上にらしくないものだ。

 

「どこでこんなものを……ん?」

 

 机の上に、なにか広がっているな。ノート……にしては小さい。これは、手帳か?

 姉さんも働き始めたわけだし、手帳の一つや二つ持ってても、なにもおかしなことはない。

 おかしくはないが、手帳というものは、その人の行動が記された大きな情報源だ。偽善的に悪いと謝りつつ、その手帳の中身を盗み見る。

 

「ほとんど仕事とか、帽子屋さんとの“観察”の日程だな。あとはお茶会の予定くらい……ん?」

 

 手帳を捲っていると、ふと、妙な記述を見つけた。

 白紙、メモのページの走り書き。これは姉さんの字だが、手癖が酷く、しかも意外とびっしりと書き込まれていて、かなり判読しづらい。

 ミミズが這ったかのような汚い字を睨みつけて、なんとか読み取ろうとする。

 

「えーっと……シ、シオ……シオン、か? 次に書いてあるのは、アルファベット……? AとかBとか……なんだ、これ?」

 

 人名のような文字。その横に連なっているのはAやらBやらのアルファベットの羅列。それが何行かにわたって書き込まれている。

 人名(っぽいもの)+AとBとたまにCやDのアルファベットの羅列、という形以外は特に規則性はなさそうだ。ただ、いくつかには同じ名前が書かれていたり、名前の頭にチェックが付けられている。

 

「謎だ……」

 

 さらにパラパラと捲ってみると、似たような謎の文字列は他にも大量にあった。どれもこれも文字が汚いから、ちゃんと読めないけれど、形は似ているのできっと同じようなことが書いてある。

 

「上の方に書かれてるのは……なんだ? ノ……レート? ダメだ、読めねぇ……」

 

 もっと時間をかければ解読できるのかもしれないけれど、流石に悠長に過ぎる。この謎の文字列を解き明かすのは後回しにしよう。

 手帳を置いて、他にも部屋を物色するけれど、それ以上に目ぼしいものはなさそうだった。とりあえずこれで切り上げることにしようか。

 

「兄さん。大体こっちは探し終えたよ。わりと重要そうなものを見つけたけど」

「こちらもだ、ハエ。これを見よ」

 

 そう言って兄さんが見せたのは、薄い箱だった。

 裏面にはなにやら色々ごちゃごちゃと書かれているけど、表面には、やたらと肌色っぽい、人物画というよりキャラクター風味なイラストがデカデカと書かれている。

 

「姉上の書架に、このようなものが紛れていた。それも奥まった場所に、隠匿するようにだ」

「ようにっていうか、完全に隠しているよね」

 

 箱に書かれた絵は、やたらキラキラしてて目が痛い。無駄に肌の露出が多くて気持ち悪いし、書かれているのは女ばかり。なぜか非常に現実味が薄く感じるイラストだ。

 よく見ると箱の側面には切れ目のようなものがあった。開くのか、これ。

 開いてみると、中には真ん中がくり抜かれた円盤が……って、これは……

 

「ゲームディスクか」

「知っているのか、ハエ」

「クソみたいな生徒が授業中にやってるのを見たり、休み時間に話しているところを少し聞いたことがある程度だよ。私が見たものよりも、幾分か大きいようだけど……しかし、姉さんがどうしてこんなものを?」

「さてな。これだけではない。この書架の裏側は、それと似た図画の箱や書物が複数発見された」

 

 そう言って兄さんはさらに、紙っぺらみたいな本を数冊取り出した。

 

「書物? 本ってこと?」

「うむ。不自然なほどに薄い書物であった。造りも、ぼくの知る書物の装丁とは若干違うようであったが」

「薄い本か……情報量が少ないのはらしいかもしれないけど、本なんて姉さんらしくもないな。というか、情報の少ない本に価値はあるのか?」

「不明だ。中も、文字列ではなく、図画による解説がほとんどを占めているようだった。これはぼくでも知っている。漫画、という形式の書物であろう」

「あぁ、それは私も見たことがある。ゴミみたいな生徒が授業中に読んでたり、昼休みに貸し借りしているとこを見たよ。こんなに薄くはなかったと思うけど……」

「しかし……なんなのだ、このいかがわしい、恣意的に劣情を煽るような図画の数々は。破廉恥であるぞ」

「生徒によると、こういう絵は萌え絵、と呼ばれるらしいよ」

「萌え? 草木の萌芽のことか? この羞恥に染まった図画が、偉大なる大自然の発現となんの関係があるというのだ?」

「私に聞くなよ。まったく、人間っていうのは、よくわからない言葉を生み出す、面倒な生き物だな」

 

 多く、そして複雑な言葉を用いなければ意思疎通ができない上に、その言語体系に翻弄される人間は、なんと滑稽なことだろうか。

 まあ私にはあまり関係のないことだけどね。

 

「そんなことよりも、この明らかに姉さんの私物とは思えない物品の数々が、姉さんを狂わせた元凶と言っていいのかな?」

「そのような結論が適当であろうな。なにかの暗号なのか歪に崩壊させているが、この箱や書籍に描かれた文字列がそれを雄弁に物語っていると言えよう」

「いや、これはそういうものなんだと思うけど……しかしなぁ」

 

 改めて、ゲームやら本やらに目を落とす。

 兄さんの言うように、文字が妙に大きかったり小さかったり歪んでいたりするうえに、色彩が無駄にカラフルで読みづらいが……やけに「妹」とか「シスター」という単語が主張している。

 今の姉さんが、妹がどうこうと叫びまわっているところを見るに、十中八九、このゲームやら本やらの影響を受けている。

 

「しかし、姉上がなぁ。にわかに信じられん」

「どんなことにも全力を尽くすタイプだから、きっかけがあれば乗っかってもおかしくはないけど……これだけの数を隠し持っていたとなると、かなり入れ込んでるみたいだな」

 

 こんなものに入れ込む嗜好はまるで理解できないけど。

 実の姉がこんな俗っぽいものに染まっていると知ると、少しショックだった。

 

「まあ、姉さんがおかしくなった原因は分かった。となると、次の問題だね」

「提供者だな」

 

 姉さんは多くの時間を、私たちと過ごす。姉弟なのだから当然だ。

 勿論、仕事の時とか、帽子屋さんとの観察作業だとか、一部の行動においては別行動を取ることもあるけど、それでも私たちの目は、ほとんど姉さんに向いている。

 そんな中で、私たちに悟られずにこれだけの物を手に入れるなんて、簡単な話ではない。必ず提供者がいるはずだ。

 そして、その提供者と言えば、

 

「三月ウサギ、であろうな」

「兄さんの集めた情報から推測するなら、そうだろうね。こんないかがわしい趣味、あいつくらいしか考えられない」

 

 それに、さっき見つけた手帳に書かれていた予定。

 あれも三月ウサギと会う予定も書き込まれていた。とすると、ここにあるゲームや漫画も、奴から借り受けたものと考えるのが自然だろう。

 てっきり生身の男しか興味がない害獣だと思っていたけども、空想のものでもいいとは意外だ。そもそも、あの箱や本に描かれていたのは、すべて女体だったけど。

 そして、その物品のせいで、姉さんはおかしな嗜好を抱いてしまった。

 姉さんが狂ったのは、三月ウサギに原因がある。

 そう、すべては、あのウサギのせい。

 

「ちっ、あのクソウサギ……! 人の姉になんてことを吹き込むんだ……ぶっ殺してやろうか……!」

「ハエ、落ち着くのだ。沈着冷静を心がけよ、怒りに飲まれるな。“眼”が開きかけているぞ」

「っ、ご、ごめん、つい……」

 

 兄さんに窘められて、なんとか自我を保つ。

 危ない危ない……また私の“眼”が開いて、兄さんたちに迷惑をかけるわけにもいかないからな。ただでさえ今は、姉さん一人で忙しいのに、兄さんにこれ以上負担をかけさせるわけにはいかない。

 さて、原因はこれでおおよそ解明できたわけだが、これからどうしようか。

 

「とりあえず、三月ウサギを吊し上げて、殺――警告するか」

「仮にも姉上の友人故に気は乗らんが、姉上の精神に害をもたらすようなのならば、そうせねばなるまいな」

「まあ、それよりも前に姉さんを……あ」

「どうした、ハエ」

「しまった……! 姉さんのこと、すっかり忘れてた」

 

 つい兄さんにつられてここまで来てしまったけど、今の最優先事項は姉さんの確保だったはず。

 風呂場という逃げ道のないところまで追い込んだというのに、そこから離れてしまうだなんて、とんだ失態だ。

 今日の私はまるで自分の眼を制御できていないな。視野の狭さ全開じゃないか。

 

「兄さん、とりあえず姉さんを引き留めよう。クソウサギの処刑はその後だ」

「う、うむ。別段、処刑するつもりなどなかったのだが……とりあえず了解した」

 

 兎にも角にも、妹が欲しいとか妄言吐いて暴走してる姉さんを止めないと。

 まだ風呂に入っていればいいけど……そう願いながら、私たちは浴場へと戻った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おーい、カメ子ー。ホットでアラートか? ヘッドにブラッド? バッドでクラっとダウンしてんじゃねーぞ。しっかりしろー」

「きゅぅ……」

 

 戻ってみれば、そこにはネズミ君とウミガメちゃんがいた。

 厳密には、顔を真っ赤にして倒れているウミガメちゃんの頬を、ネズミ君がぷにぷにと突っついていた。

 ウミガメちゃんの方は、明らかにのぼせている。それが姉さんのせいだと結論を出すのには、そう時間はかからなかった。

 ……というかウミガメちゃん、裸なんだけど。服くらい着せてやれよ、ネズミ君。

 

「お、ハエのにーちゃん。トンボのにーちゃんも一緒か」

「眠りネズミか。そして、そこで倒れているのは、代用ウミガメか? 頭部を開放しているところは久しぶりに見たな。一瞬、誰か分からなんだ……というより、なぜ裸なのだ?」

「僕が知るかよ、風呂にでも入ってたんだろ」

「うぅむ、婦女子が肌を晒しているのは感心せぬが……」

「どう考えても好きで晒してないだろ。肌が云々以前に、このままじゃ湯冷めして風邪引くよ。服着せるなりタオルかけるなりしてやればいいのに。ウミガメちゃん、身体強くないんだから」

 

 とりあえず、そのへんに置かれているタオルをかけてやる。流石に服を着せるのは面倒くさかった。

 

「まったく、仮にも女の子が裸で倒れてるんだから、もう少し気を遣おうよ、ネズミ君」

「カメ子の貧相なマッパなんざ興味ねーよ。チョウのねーちゃんくらいなら別だけどよ」

「姉さんを下卑た眼で見るな。殺すぞ害獣ドブネズミ」

「あん? やるか害虫ゴミムシ野郎。ハエらしく灰にすっぞ」

「やめんか。視線を合わせて二秒で殺気立つな。喧嘩の火花は好物だが、今は姉上の身の方が大事な時だ」

 

 それもそうだった。今はこんな汚い鼠小僧に構っている暇はない。

 

「して、眠りネズミよ。貴様は如何様でこの場にいるのだ?」

「おう。やっぱカメ子と遊びてーって思って、デッドヒートにダッシュリピートで来てみたが、カメ子の奴、目ん玉スピニングでパニックにブレイクしてんの。つまんねーよな」

「ウミガメちゃんはのぼせてるんだよ……いや、もしかして、ネズミ君が介抱してたの?」

「いんや? 起きねーから引きずって行こうかと。僕は遊びてーんだ」

「鬼か君は」

 

 こんな、目を回すほどのぼせている女の子を引きずり回すなよ。

 いやまあ、私たちからすれば、どうでもいいと言えば、どうでもいいんだけど。

 私は周囲を見回す。姉さんの姿はない。

 直前まで一緒にいたウミガメちゃんはこの調子だし、とても話を聞けそうにはない。となると、

 

「ネズミ君。姉さん見なかった?」

「チョウのねーちゃんか? いんや、僕は知らねーけど」

「そうか。まあ、期待はしてなかったけど」

「んなら聞くなや」

 

 ネズミ君に尋ねてみたけれど、情報はない。

 さて困った。姉さんはもう風呂から出てしまった様子。ウミガメちゃんの顔が真っ赤なところを見るに、出て行ってからそう時間は経っていなさそうだけど。

 また、手掛かりなしの状態から屋敷内を走り回らなければならないと思うと、憂鬱になる。

 しかし姉さんの行先に見当がつかない以上は、闇雲に探し回るしかない。

 

「……いや、待てよ」

 

 手掛かりなら、あるじゃないか。

 姉さんは無目的であっちこっち駆け回っているわけではない。意味不明で理解不能で荒唐無稽だが、あの人の行動にはれっきとした指標が存在する。

 “妹が欲しい”という、目的が。

 妹。つまり、姉さんよりも年若い女性だ。

 確か姉さんは、妹と洗いっこがしたいとかほざいてたし、ウミガメちゃんを無理やり風呂に入れていたということは、彼女も妹認定されてしまったということ。

 なっちゃんも同じように撫でくり回されたり抱きしめられたみたいだし、そのことを踏まえると、姉さんは年若い女性の下に現れる可能性が非常に高い。

 

「姉さんより若い女性か……バンダースナッチやウミガメちゃんが真っ先に狙われたところを見るに、可能性が最も高いのはユニコーンちゃんか? あるいは、花畑の連中とかもありそうだな。公爵夫人様は若作りしてるだけだし……」

 

 とりあえず思いつく限り“姉さんの妹候補”をピックアップする。そして、彼女たちがどこにいるのかも想像する。

 こういう時、姉さんがいてくれたらわかりやすくなるんだけど、今は肝心の姉さんがいないからな……むしろ、あの眼の力で彼女たちの居場所を客観的に“視ている”可能性すらある。

 なんて考えていると、不意に、声をかけられた。

 

「よーぅ、虫けらの兄さん共……奇遇じゃねーか」

 

 振り返ると、そこにいたのは、一人の、けれども数多くの、人影。

 『ヤングオイスターズ』――個でありながら、群であるという概念に縛られた、哀れな牡蠣たち。

 その長女を筆頭に、背後には幾人かの彼女の弟たちが続いていた。

 

「ヤングオイスターズの長姉に、その弟君共か。我らに何用だ?」

「……そう言えば、あなた方も若い女性と言えましたね。個人なのか群像なのか判断つきにくいので、妹判定からは省いていましたが」

「おぅ、それだ」

 

 ヤングオイスターズの長女――確か、アヤハ、という個人名を有していた気がするけど、どうでもいい――が、どことなく虚ろで、けれども力強い眼差しを向ける。

 この眼は……なにか、ヤバいな。

 虚無的で渇いているのに、力だけは溢れている。しかもその力は――殺気だ。

 

「妹……妹だよ」

「はぁ、妹、とな。見れば貴様が今しがた侍らせているのは弟君ばかり。妹君は見当たらんが」

「たりめーだ。ワタシの、文字通り我が身の如く可愛い妹たちは傷心中だかんなぁ。おぅ、悲しいぜ。正に我が身の如く、だ」

「……まさか」

 

 嫌な予感が走る。いや、これはもう、ほとんど確信と言ってもいいのではないか。

 妹が欲しいと言って飛び出した姉さん。そして、事情は特殊ながらも、生まれながらにして“妹”という属性、概念を有しているヤングオイスターズの女たち。

 そこから導き出される答えは、あまりにも容易く想像できた。

 そして、なぜヤングオイスターズの長女が、弟を引き連れてここにいるのかも。

 

「お礼参りに来てやったぜ。虫けら共。てめー、人の妹に散々なことしてくれたじゃねーか。嫁に行けなくなったらどう落とし前付けてくれるってんだ? あぁん!?」

「む、意味が分からんが、どうにも奴は怒り心頭な様子。どうする、弟よ」

「どう考えても姉さんの仕業だな。まったく、人様の妹になにをしたんだか……」

 

 というか、彼女たちは嫁ぐつもりなのか? ただでさえヤングオイスターズは短命だっていうのに。いや、私らにはどうでもいいことか。

 問題はあの怒り様だ。姉さんが彼女たちになにをしたのかはわからないけど、相当なことをしたのだろう。

 いや、相当なことでなかったとしても、彼女たちは一人の傷を全員で請け負うという性質を持っている。そしてヤングオイスターズは十二人の兄弟姉妹。長女を除けば、妹と呼べる者は五人。五人分の心の痛みを背負っていると考えれば、まあ、これだけの怒りも納得できないこともない。

 なんにせよ、ヤングオイスターズたちは見るからに殺気立っている。今にも殺されてしまいそうなほどだ。

 勿論、こんなところで死ぬわけにもいかないんだけど。

 しかし姉さん、あなたの行いが弟を殺しかけてるんだけど、もう少し大人しくしてくれないかな?

 無理か。姉さんだもんな。あの頭の中身がお花畑な虫けらにできるはずもないな。

 

「逃げよう、兄さん」

「振り切れるか? 長姉だけならまだしも、その弟君までいるのだぞ」

「どうせ貝殻の中で閉じこもってる哀れな牡蠣たちなんだ。死ぬ気で走ればなんとかなるさ」

「うむ……それもそうか。我々の翅ならば、海産物の鈍足なぞに後れを取ることはなかったな!」

「……捕まったら最期だけどね。んじゃまあ、姉さん探しつつ逃げようか、兄さん」

「応とも!」

 

 その声を皮切りに、私と兄さんは、一斉に、全速力で、駆け出した。

 

「あ、テメーら! 待ちやがれ! うちの妹に手ぇ出してタダで済むと思ってんじゃねーぞ!」

 

 当然のように、背後からヤングオイスターズたちが追いかけてくる。

 やれやれ、なっちゃんに続き、今度はヤングオイスターズに追い回される羽目になるとは……姉さんはの奇行は、とんだ台風を巻き起こしたものだ。こんなに酷いバタフライエフェクトもない。

 などと嘆きながら、私は兄さんと二人で、ヤングオイスターズたちの追跡から逃れるのであった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「とまあ、兄さんもご存じの通りだよ」

「よもや、ヤングオイスターズらに追われることになろうとは思わなんだ。哀れな牡蠣共と馬鹿にはできんな」

「なっちゃんと追いかけっこをするよりはマシだったね」

「その後は確か、貴様と合流したり別れたりしながらも、最終的には同じ場所に集ったのだったか」

「冷静に思い出してみると、誰かから逃げてばっかりだったな、私。叩き潰される宿業を背負ったハエらしいと言えば、らしいのかもしれないけれど」

「案ずるな弟よ。貴様の強さはぼくと姉上が最も承知している。貴様はそう易々と潰されたりなどせぬよ」

「……まあ、確かに簡単に潰されるつもりはないけどね。そのために、そういう風に、意地汚く生きてきたんだから」

「それに、たとえ貴様が何者かの魔手に掛かろうとも、我が身を捧げてでも守ってみせようぞ。ぼくは兄であり、貴様は弟なのだからな」

「そいつはどうもありがとう。けど、献身的になりすぎないでくれよ、兄さん。私が自分に飲まれやすいように、姉さんが超常的視点のなにかに操られやすいように、兄さんは相手に絆されやすいんだから」

「む、ぼくはあくまで己が矜持として述べたのだが、まあいい。弟からの忠言として聞き入れよう」

「さて、話がだいぶ逸れたね。どうも兄さんや姉さんと話していると、話がとっ散らかる」

「我らの兄弟愛が強すぎる故だな! こればかりは致し方あるまい。許せ、弟」

「別にいいけどさ、帽子屋さんたちだって似たり寄ったりだし。で、なんだっけ? どこまで話した?」

「確か……ヤングオイスターズから逃れたところまでだ」

「あぁ、ようやくまともに姉さんと出会えたところか。そうだな、あの時は――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――撒いたか?」

「なんとかね。危なかったよ、本気になった彼女たちの獰猛さを甘く見ていたようだ」

「うむ。奴らの妹君を思う気持ちは真であったということだな。天晴だ」

「それで殺さるんじゃたまったものじゃないけどね。しかし運よくセイウチさんが通りがかってくれて助かったよ」

「そうであるな。セイウチ殿に感謝せねばなるまい。かの御仁なくしては、こうして逃げおおせることも叶わなかったやもしれんからな」

「ヤングオイスターズ共の天敵だからね、セイウチさんは」

 

 無我夢中の全力疾走。一寸の虫にも五分の魂だ。全身全霊で走ったさ。

 流石に火のついた鼠ならぬ、火のついたトンボの兄さんほどではないにしろ、私だって木屑のハエ、生牡蠣なんかに速さで劣ることはない。速さというか、素早さだけど。

 途中でセイウチさんとの遭遇という幸運にも恵まれ、彼ら彼女らを振り切った私たちは、呼吸を整える。

 そして、辺りを見回した。

 

「玄関口まで来てしまったようだな」

「中庭だったら、口うるさいお花さんたちがいたのかもしれないけれど、こっちには誰もいないかな」

 

 運よく散歩中のユニコーンちゃんとかがいるなら、姉さんの手掛かりがつかめるかもしれないけれど、いつも一緒のライオン君と痴話喧嘩する声も聞こえないし、彼女との邂逅は望み薄かな。

 

「うぅむ、しかし姉上はいずこへ行ってしまったのか……この近辺で闊歩していたりしなかろうか」

「そんな単純な話があるわけないだろ。姉さんは妹を求めている。だからきっと、姉さんの思う“妹らしい”人物を探しているはずだ。私としては、とりあえず誰彼からもアイドル扱いされてるユニコーンちゃんを探すところから始めようと思うんだけど、兄さんは――」

「む、いたぞ! 姉上だ!」

「嘘だろ!?」

 

 そんな単純な話が、偶然があるのか!?

 いや、兄さんが嘘をつくはずもないし、その理由もない。チェシャ猫もいないから、誰かが化けていることもないはず。

 私は兄さんが指差す方向を見た。窓の向こう。門へと続く道を軽快かつ優雅な足取りで進むのは――

 

「ね、姉さん……!?」

 

 今にも鼻歌を歌ってスキップでも始めそうなほどに上機嫌な姉さんがいた。

 ここは玄関口。そして、門への道を歩いているということは、まさか、外に出ようとしているのか?

 とそこで、ハッと気づく。

 

(……そうか、そうだった。妹が欲しいだけなら、別に、【不思議の国の住人】に拘る必要はないんだ……!)

 

 失念していた。固定観念に縛られ、狭い思考に囚われていた。思い込みとは怖いものだ。

 このタイミングで姉さんが外に出るのは、屋敷内の妹候補はあらかた食い尽くしたから、外で獲物を探そうということだろう。

 これ以上、事態が大きくなると収拾がつかなくなるし、姉さんの危険性も高まってくる。

 ここで止めないと……!

 

「兄さん!」

「わかっている!」

 

 私と兄さんは、大急ぎで外に飛び出した。

 すると、足音でこちらに気付いたのか、姉さんが振り返る。そしてパァッと、眩く美しくも、可憐でにこやかな笑顔を見せた。

 

「あら? トンボにハエ太! どうしたのよ? 二人も一緒に、お散歩する? 妹探しの旅に出る?」

「なに呑気なこと言ってるんだよ、姉さん」

「姉上。貴女の望みは十二分に理解した。しかし、同時に我々は姉上の身を、その眼を案じているのだ。どうか戻られよ、姉上」

 

 その提案は面倒ながらも魅力的だけど、今は姉さんの麗しさに見惚れている場合ではない。

 兎にも角にも、その“妹探し”とやらをやめさせなくては。

 

「むむ! 一緒に来てくれるのかと思ったら、オジャマ虫だったのよ。虫だけにね!」

「ごめん姉さん、今はそんなギャグに付き合うつもりはないんだ。私と兄さんは本気だよ」

「ハエの言う通りだ。我々は誠心誠意、一片の雑念もなく、ただ姉上の無事と安寧を願い、この場に参じている。理解されよ、姉上」

「むぅ、確かにトンボもハエ太もマジみたいなのよ……でも! 私だって妹が欲しいのよ! これは譲れないのよ!」

「聞く耳持たず、か。どうしよう、兄さん」

「……こうなれば、仕方あるまいて」

 

 兄さんは、意を決したように、前に出た。そして、姉さんと相対する。

 まさか……兄さん。

 

「ぼくは覚悟を決めたぞ。姉上も、覚悟めされよ」

「そう、実力行使ってわけね。いいのよ、お姉ちゃんとして受けて立つのよ!」

 

 結局、こうなるのか。

 しかしまあ、兄さんの言う通り、仕方ないことか。

 姉さんは恐らく、半分くらいは暴走状態。眼に視点を、自我を飲まれかけている。

 ちょっとやそっとの対話でなんとかなるものではないし、時間もない。ならば手っ取り早く叩いて治すのが吉ということもある。

 ……乱暴な手だから、あまり使いたくはないけれど。

 けれど、他の手がない。思いつかない。だから、仕方ないのだ。仕方なく、強引な手段に出るしかない。

 そういう、定めならば。

 

「甘さ控えめだけど、姉弟喧嘩も花の蜜。まだ見ぬ妹と一緒に吸い上げちゃうのよ!」

「蜜など生温い。喧嘩は苛烈な炎だ。ぼくが、葡萄に火酒と共に飲み干してくれよう」

 

 かくして。

 バタつきパンチョウの姉さんと、燃えぶどうトンボの兄さん。

 本来なら起こり得ることなんてないはずの、蟲の三姉弟による姉弟喧嘩の火蓋が、切って落とされた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「私のターン! 《ナハトファルター》をチャージして、2マナで《ジャンボ・ラパダイス》を唱えるのよ! 四枚捲って、《ジュランネル》《ゼノゼミツ》《ゲイル・ヴェスパー》を手札に! そして1マナで《界王類七動目 ジュランネル》を召喚! ターンエンド! なのよ!」

 

 姉さんと兄さんの対戦。

 兄さんは順調にマナを伸ばして、《エスカルデン》《インフィニティ・ドラゴン》と展開しているけれど、それ以上に姉さんの場が危険だ。

 姉さんの場には既に《デデカブラ》に《デスマッチ・ビートル》が二体、そして《ジュランネル》が鎮座している。

 

「四体並んだ巨虫共。マナには《ナハトファルター》、手札には《ゲイル・ヴェスパー》……放置すれば、即死は免れんな」

 

 《ゲイル・ヴェスパー》と《ナハトファルター》が揃ってしまえば、その時点でほぼ勝利確定だ。延々とデッキのカードを回し続け、無尽蔵と言えるほどに虫けらが湧き上がり、その膨大なリソースで理不尽なフィニッシュを叩きつけて来るのだ。

 このターンでなにかしらの対策を取らなくては、あるいは姉さんを仕留めなくては、兄さんは確実に負ける。兄さんは今、王手をかけられているのだ。

 兄さんは、相手の手に対する切り返しは不得手だけれど……大丈夫だろうか。

 

「このような一手はぼくらしくもないが、致し方あるまい。己が身よりも姉上の方が大事である故な。覚悟せよ、姉上」

「む、トンボ、なにかする気なのよ」

「行くぞ! 8マナで《永遠のリュウセイ・カイザー》を召喚!」

 

 兄さんが召喚したのは、《永遠のリュウセイ・カイザー》。

 今の時点ではフィニッシュカードにもならないし、姉さんにとどめを刺すこともできない。けれど、

 

「これで姉上のクリーチャーは、すべてタップされて現れる。即ち、登場ターン内の攻撃は不可能だ」

 

 攻撃を、姉さんの動きを止めることはできる。

 これで《鬼羅丸》だろうが《ユニバース》だろうが、ループしてからの攻撃を介するフィニッシュは一手遅れる。姉さんのデッキなら、1ターンの猶予が生まれるはずだ。

 それに、たとえ《リュウセイ・カイザー》を破壊しようとも、《インフィニティ・ドラゴン》の能力で生き残る可能性が高い。

 確実ではないけれど、姉さんのデッキの除去札は《ゼノゼミツ》程度だろう。それならば、最大でも四回までしか除去は飛んでこないことになる。

 四回。それならば、《インフィニティ》で守り切る確率も、決して低くない。

 

「ターンエンドだ……次の手番に、すべてを語り終えるとしよう」

 

 そして、兄さんのマナは現在9マナ。次のターンには10マナ。

 あと1ターン。あと1ターンでも耐えきることさえできれば、それで決まる。

 つまり、この1ターンが勝負だ。

 

「ふふっ、目標に向かって一直線かと思ったら、急にピッタリ止まる打なんて、流石トンボなのよ。でも、甘いのよ。甘々のスイートハニーなのよ!」

「それは姉上の淹れる茶であろう。甘露はいいのだが、さしものぼくでも、あれは少々甘すぎるのではと常々感じているところだ」

「うるさいのよ! 甘さは正義! 女の子はみーんな! 甘いものが大好きなんだから!」

「しかし姉上、姉上は麗しくも美しき婦人ではあるが、流石に、女“子”と呼ぶのは……」

「いいのいいの! 私だって女の子なのよ! ふーんだ!」

 

 …………

 まあ、身体に反したその子供っぽい性格を考えると、女の“子”と言えるのかもしれないけどさ。

 そんなことより、姉さんはフィニッシュルートを一時停止されたはずなのに、どこか余裕だな。

 なにか手があるのか?

 

「私のターン! 《ジーク・ナハトファルター》の能力で、手札に戻るのよ!」

 

 姉さんは、ターンの初めに《ナハトファルター》を回収する。

 兄さんのデッキ相手にハンデスを警戒する必要はないけど、だからってこのタイミングで、マナを削ってまでそれを手札に戻すのか?

 ランデス警戒……にしても、兄さんの行うランデスのことを考えると、そんな大型クリーチャーを手札に抱えたって意味はないように思えるけど。

 通常、姉さんのデッキで《ナハトファルター》を手札に戻すのは、フィニッシュに向かうタイミングだ。

 そう、殺しにかかる瞬間こそ、あの毒蛾は牙を剥く。

 そして姉さんがそれを手元に呼び寄せたということは、今がその時だということに他ならないのだ。

 

「そして《クロック》をチャージ!」

「なぬ? 《クロック》とな?」

 

 水のカード? 姉さんが青い色を入れているだなんて、珍しいな。

 ……いや待て。あのデッキで水って……

 

「さーらに、Wシンパシー発動なのよ! パワー12000以上のクリーチャーが四体いるから、2マナで《天風のゲイル・ヴェスパー》を召喚! さらに《ゲイル・ヴェスパー》の能力で、私の手札のクリーチャーすべてにW・シンパシーを与えるから、さらにコストを10軽減、1マナで《ジーク・ナハトファルター》も召喚なのよ!」

 

 続け様に現れる、《ゲイル・ヴェスパー》に《ナハトファルター》。

 大幅なコスト軽減と、無尽蔵のマナ加速にマナ回収から生み出される、虫けらの増殖。

 ここから完全ロックなり、エクストラウィンなりを決めてしまうのが常だけど……攻撃する類の勝ち方は、《リュウセイ・カイザー》で封じられている。だから《鬼羅丸》も、《ユニバース》も即死には繋がらない。

 だけど、

 

「《ナハトファルター》の能力で、山札の上から二枚をマナに置いて、マナから一枚を回収! 回収するのは、これなのよ!」

 

 それ以外の、殴らずに勝てるフィニッシャーがいるのなら、話は別だ。

 

 

 

「勝ちも負けも甘い蜜も、ぜーんぶ吸い上げるのよ――《水上第九院 シャコガイル》!」

 

 

 

 そして、今回の姉さんのデッキには、それがいた。

 これは、それだけの話だ。

 

「《シャコガイル》だと!? あ、姉上! いつの間に、そのような外道に堕ちたのだ!?」

 

 吃驚する兄さん。無理もない、私だって驚いている。

 あの姉さんが、本来のルールを捻じ曲げてまで勝利をもぎ取るような外道なクリーチャーを使うだなんて、思ってもみなかった。

 《水上第九院 シャコガイル》――山札を引き切ってしまうと敗北するというルールを、勝利に変換する魔の具現のようなクリーチャーだ。

 ヤングオイスターズの誰だったかがメインカードとして使っていた気がするけれど、まさか借り受けたのか? いや、勝手に持って言った可能性の方が高いけれど……そんな詮索は、今はどうでもいい。

 なんにせよ《シャコガイル》はまずい。あれは、攻撃という手段を取らずに勝利してしまうクリーチャーなのだから。

 

「さーて、これで準備完了! なのよ! あとはてきとーにクリーチャーをポイポイ投げてぇー、山札を残り二枚くらいになるまで削ってぇー……ターンエンド! トンボのターンなのよ!」

「ぼ、ぼくのターン……」

「さぁ、《シャコガイル》の能力発動なのよ! 相手ターンの初めに、カードを五枚引いて三枚捨てる! だけど、このドローで私の山札はもうないのよ。と、いうことは?」

「っ、ぬぅ……!」

 

 《ゲイル・ヴェスパー》と《ナハトファルター》のコンボで山札をすり潰し、《シャコガイル》の能力で資産の喪失を反転させる。

 捻じ曲げられた敗北は勝利となり、天の海風を吹かせた。

 即ち――

 

 

 

「――私の勝ち(エクストラウィン)! なのよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふふーんだ! いくらトンボでも、私の妹愛には勝てないのよ!」

「くっ……すまん、ハエ。姉上……!」

 

 ――兄さんが、負けた。

 兄さんと姉さん、どっちが強いかという議論はさておくとして、姉さんが普段なら使わないようなカードを用いて、兄さんの虚を突く形で勝利を収めたという形だ。

 最初に妄言をほざき始めた時から薄々感づいてはいたけれど、なんというか、どうにも姉さんらしくない。

 いつでもあるがまま。常に自然体。存在そのものが自由意思のような姉さんが、こんなにも意固地になって、兄さんを退けてまで我を通すだなんて。

 姉さんも秩序を重んじると言えるほど聖人じゃない。衝動的に動くし、我欲だって肯定する。

 けど、ここまで欲に塗れていたか? 自分のためだけに、ここまで意地を張るものだったか?

 違う。こんなものは、姉さんじゃない。こんな姉さんは、いつもの姉さんじゃない。

 やはり“眼”の悪影響――それも、余所からの干渉も受けた結果、か?

 

「さーて、まだ見ぬ妹たち! 今行くからね! 待ってるのよー!」

「あ……ちょっと、姉さん!」

 

 しまった! 逃げられる!

 ようやく接触できたというのに、ここで逃がしてしまったら……それに、町に出られると、屋敷内よりもよっぽど索敵が困難になる。

 早く追わないといけないけれど、兄さんも……

 

「ハエ、我が弟よ。行け」

「兄さん……でも」

「ぼくでは姉上を止められなんだ。我らは三姉弟。ぼくが姉上を止められずとも、まだ貴様がいる。貴様が、姉上を止め、本当の姉上を取り戻すのだ、木馬バエ」

「……わかった」

 

 力強く言う兄さん。

 私は矮小な小蠅だ。姉さんや兄さんほどの力はない。兄さんに成し遂げられなかったことも、姉さんに勝ることも、できるとは思えない。

 けど、兄さんが乞うのなら。ただ一人の兄が託すのなら。

 姉さんに――立ち向かおう。

 さらに、兄さんは続けた。

 

「ハエ、行く前に一つだけ伝えたいことがある」

「? なに?」

「実はな、ごく短い刻の間だが――姉上の視野で“視た”のだ」

「っ! それで、姉さんは……?」

「あまり姉上に干渉することも憚られた故、瞬きの間のことであったが……今の姉上は比較的、貴様に近い状態だ」

「私に? えっと、それってつまり、視野が狭まってるってこと? まあ、妹がどうとかばっか言ってるから、わからない話でもないけど」

「あれが本来の姉上の自我なのかは不明だが、一つの物事に執着している状態なのは確かだ。問題は、貴様と違って、それがすべて純然たる姉上の意志から生まれた我欲とは限らん、ということだ」

「……やっぱり、ついにやっちゃった可能性があるのか」

「あぁ。あり得るな――“視点憑依”だ」

 

 視点憑依。言い換えれば、視野の――自我の乗っ取り。

 それは、私たち蟲の三姉弟の、視点を変更する個性()において、常に意識しなければならない脅威だ。

 視点を変えるということは、本人らにその意識がなくとも、現実として誰かの視点を借り受ける、あるいは共有するということだ。私に限って言えば、その誰かは自分になるのだけれど。

 そして誰かの視点、誰かの視野、誰かの視座をその身に宿すということは、その誰による干渉も受けかねない、ということ。

 より強い自我や、こちらの存在を意識したもの、あるいは超越的に強大な存在。そんな者たちが、こちらの存在に感づいて、干渉したりすれば、どうなるか。

 逆に、こちらの意識を、その者の自我によって飲み込まれ、存在そのものを奪われかねない。

 だから私たちは、常に危機意識を持たなくてはならないのだ。

 一人称の視点を持つ私は、自分自身に。

 二人称の視点を持つ兄さんは、目の前の誰かに。

 そして、三人称の視点を持つ姉さんは、誰でもない誰かに、視野を乗っ取られまいと。

 

(けど、そのリスクを最も背負っているのが姉さんだ……眼を開く頻度的にも、その性質的にも)

 

 私は、自分自身に飲まれないよう気を付ければいい。

 兄さんは、相手を選びさえすればまず大事にはならない。

 けれど姉さんは、神の視点を間借りしている。あまりにも不明確で、謎多き異能だ。神や読者と称する存在がなんなのさえもわからない。

 それは扱いこなせれば便利なのかもしれないが、未知なる存在に視点や自我を乗っ取られる危険性も多分に孕んでいた。だから、姉弟の中で最も早く、姉さんが視点憑依を発症するというのは道理だ。

 

「だがしかし、アレは紛うことなく姉上だ。まだ、明確な姉上の自我が残っている」

「仮に姉さんの自意識が、神だか読者だかわからない“なにか”に乗っ取られていても、それは完全じゃないってこと?」

「然り。いまだかつて、一度たりとも発症したことのない視点憑依現象だ。詳らかな事は未知数であり、処方箋も不明だが……今ならまだ、別のなにかになってしまう姉上を、引き戻せるやもしれん。いや、あるべき姉上に引き戻さなければならん」

「わかってる。神だか読者だか知らないけど、私たちの姉さんを、誰ともわからない馬の骨にくれてやるものか」

「うむ。では、頼んだぞ、弟よ」

「兄さんも一緒に行こう。姉さんだっていつも言ってたじゃないか、私たち姉弟はいつも三人一緒だって。一度負けたくらいで倒れる兄さんじゃない、まだ立てるだろ?」

「あぁ、確かに立てるし戦える。だが、ぼくにはやらねばならんことができたようでな」

「やらないといけないこと?」

 

 ふと気づく。いつの間にか、兄さんの視線が私を見ていないことを。

 その目は私ではなく、屋敷の方へ向けられている。それにつられて、私も視線を動かした。

 そして、

 

「よぉ。ここにいたか、虫けら共」

「おにーさんたち……みつけた……ころす」

 

 とんでもないものを目にしてしまった。

 怒り心頭の、ヤングオイスターズに、バンダースナッチ。

 ボキボキとおよそ女性が鳴らしてはいけないだろう音が拳から聞こえ、子供が持っているべきではない刃物が煌めく。

 

(若牡蠣共には追いつかれるし、化け物女ももう回復したのか……!)

 

 それに、それだけじゃない。他にも、なんかたくさんいる。

 いずれも女性。【不思議の国の住人】の少女たち。

 それらが、まるで腐肉に集る蠅のように、押し寄せてくる。

 

「これはまさか……姉さんが手を出した女の子たち、か?」

 

 どんだけ節操ないんだよ。流石に手出しすぎっていうか、むしろこの短時間でよくここまでの女性に手が出せたものだと感心する。

 流石に、三月ウサギとか公爵夫人様みたいなのはいないけど、【不思議の国の住人】の女性たちのほとんどを“妹扱い”した様子。

 これはまずい。姉さんを追いかけるどころの話じゃなくなってきた。

 

「……って、まさか兄さん、やるべきことって」

「応とも。貴様が姉上を追跡する最中、ぼくが連中を食い止めよう」

「いや流石に無理だって。何人いると思ってんだよ」

「問題はあるまい。連中は姉上ではなく、蟲の三姉弟をに怨恨の矛先を向けている。ならば、ぼくは門扉の前に陣取り、その避雷針となるまで」

「だから問題なんだろ。無茶だ、兄さん一人でこの数を相手取るだなんて。すぐに潰れるぞ」

「案ずるなハエ。これは自己犠牲ではない、姉弟愛だ」

 

 まっすぐに私を見据える兄さん。

 まるで、私のことを見通すみたいな眼だ。

 いや、もしかしたら、兄さんの“眼”で、見通されているのかもしれない。

 

「貴様は最悪なる未来を予見しているのやもしれんがな、ぼくは違う。貴様が姉上と共に、姉弟として笑いながら帰還する未来が視える。無論、姉上のように眼を通して視える未来ではないが、ぼくの信じる未来は姉上の眼にも劣らん。確固たる信心による、揺るぎない結末だ」

「兄さん……」

「わかったら疾く行くがいい、木馬バエ。連中の血潮も、じき爆ぜる。その前に、行くのだ」

「……ごめん兄さん」

 

 兄さんだってあの軍勢を相手では多勢に無勢だということは、わかっているはずだ。それでもなお、兄さんは姉さんを、私を信じてくれた。

 私にはどうしたって自己犠牲にしか見えないけれど、それならば、それでいい。兄さんの犠牲を、無駄にはできない。

 そして、一刻も早く姉さんを連れ戻して、兄さんと、姉さんと、三人一緒の日常を取り戻す。

 荒ぶる【不思議の国の住人】の少女たちを相手に大見得を切る兄さん。その姿を背に、私は屋敷の門を蹴破って、走り出した。

 

 

 

「さぁ、かかって来るがいい、狂気の世界に犯された女子共! 主役(キング)はぼく、蟲の三姉弟が一人、『燃えぶどうトンボ』だ! 貴様らの怨恨、憤怒、恥辱、そのすべてを我が身で受け止めて見せようぞ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「しかし兄さん、よくもあの人たちを相手取って無事だったよね」

「正直、本気で死ぬと思ったぞ。バンダースナッチの巻き添えを食うまいと、他の連中がやや尻込みをして助かったといったところだ」

「なっちゃんは周りなんて見ないもんね。いや、あの時は相当頭に来てたから、周りがズタズタになろうが構いやしなかったってところか」

「うむ。ぼくとしては、ユニコーンめが泣きじゃくり、かの獅子を召喚した時が最も戦慄の走ったものよ。虫けらは獅子に喰われるものではないが、百獣の王とはやはり恐ろしいものだ」

「姉さんがユニコーンちゃんになにしたか知らないけど、あの子を泣かせたら、そりゃあライオン君が黙ってないよな」

「しかし結果的には、貴様のお陰で、九死に一生を得た。助かったぞ、ハエ」

「まあすべては姉さんのせいなんだけどね。結局、私たちはその後始末をしただけで」

「それが姉弟というものであろう」

「最悪な関係だな」

「嫌か?」

「……別に、そういうわけでもないさ」

「貴様はもう少し、己の心情に対し素直になってもいいのではないか? 姉上もよく嘆いていたぞ」

「うるさい。私はあんたらみたいに単純な思考回路は持ち合わせていないんだよ。ほっといてくれ」

「むぅ、そうか」

「そんなことより、話が全然進まない。早くしないと休憩時間が終わるぞ」

「それもそうであったな。この先こそ本番。ぼくの与り知らぬところで、どのような丁々発止の大捜査が行われていたのやら」

「なんだよ、丁々発止の大捜査って。そんな大したことはなかったよ……私が到着してからは」

「貴様が到着してからは? それ以前に、なにかあったのか?」

「知るかよ。私はその場にいなかったんだから。ただ」

「ただ?」

「マジカル・ベルが、ちょっとね」

「なぜここであの娘の話になるのかはわからなんだが、とりあえず話を聞かせてもらおうか。屋敷を出た後、なにがあったのだ?」

「うん、とにかく大変だったよ。実は姉さん、町まで降りて行ったんだけど、そこで――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「さて、町まで来たはいいけど、どう探したものかな……」

 

 ほとんど衝動的に、目の前のことだけを見て前進したはいいものの、途方に暮れてしまった。

 屋敷から出られると困る最大の理由は、捜索が困難になること。そして私たちは、残念なことに姉さんの外出を許してしまっている。

 町は広い。アテもなく探したところで、姉さんを見つけることはできないだろう。思考したところでなにが変わるわけでもないが、もう少し後先考えて行動するべきだったのだろうか。

 

(ダメだな、私は、向う見ずに過ぎる……この前の一件以来、やっぱり眼の制御が利きづらくなってる)

 

 マジカル・ベルに向けた逆恨みの開眼。あの時に、長らく開いていなかった“眼”を開いてしまったが運の尽き。奴は忌々しくも、望まない自己主張を繰り返している。

 畜生の糞だって肥やしくらいにはなるが、この眼は、単なる自分の自我の塊だ。そんなクソほどの役にも立たない、腐ったゴミ以下の眼なんて、なんの価値も、意味もない。ただ、邪魔なだけだ。

 

(まあ、私がこの使えないゴミを引き受けて、姉さんたちに必要なものが与えられた、と考えたら、それでいいんだけれど)

 

 私たち姉弟に分割されて与えられた、視点を変える眼。その采配が神によるものなのだとすれば、その神の判断は称えてやってもいいと思う。

 もっとも、今はその与えられた眼のせいで、姉さんが視点憑依、自我喪失の危機に陥っているのだとすれば、恨み言の百や二百は吐かせてもらわないと気が済まないが。

 

「っと、こんなどうでもいいことを考えている場合じゃなかったな」

 

 我が身のことなんかよりも、今は姉さんだ。

 姉さんは、どこへ行ったのか。虫けらの頭の出来なんてたかが知れているけれど、考えてみよう。

 まず、姉さんが求めているもの。姉さんは今、妹なる存在を求めて暴走している。

 私には妹なんていないし、考えたこともないから、姉さんが求める妹像なんてまったく見当もつかない。とりあえず、年若い女性を狙っている、ということは確かだろう。

 【不思議の国の住人】以外で、姉さんが求めるような、妹にしたくなるような若い女性というと――

 

 

 

「せ、先生ーっ!」

 

 

 

 ――頭の中に誰かの顔を思い浮かべようとしたところで、その空想は甲高い声で掻き消された。

 先生。私のことをその肩書で呼ぶ者は、限られている。そして、裏返ってはいるものの、この声は間違いない。

 少々億劫になりながらも、声の方を向く。

 

「マジカル・ベル……今日は随分と華やかですね」

 

 その声の主は少女。それも、ただの少女ではない。

 人としての名前は忘れたが、マジカル・ベル、あるいはアリスだなんて呼ばれている、私たち【不思議の国の住人】にとっては、とても大きな意味のある少女。まあ、私にとってはどうでもいいんだけど。

 彼女をアリスだなんて呼び始めたのは誰だったか知らないけど――たぶん帽子屋さんだけど――いつもは地味でそこらへんの雑草に紛れてしまいそうな彼女だが、今日はその名を現すすかのような、妙にファンシーな意匠であった。

 どことなく給仕のような恰好――エプロンドレス、っていうんだっけ? やたら布がふんわりしてて、リボンやらフリルやらヘアバンドやらが鬱陶しそうだ。

 およそ彼女が好んで着衣しているようには思えないけど、私は彼女の服装については、学校での制服姿と、マジカル・ベルとしての出で立ちしか知らないので、いわゆる私服というものについては知り得ていない。ゆえに、これが彼女のいつも通りである可能性は否定できない。そうだとは思わないが。

 まあそんなことはどうでもいい。

 それより、彼女はどうも焦っているようだ。切迫している。まるで、獣に追いかけられている小動物だ。

 そしてその喩えは実のところ正鵠を射ていたのか、彼女は縋るように懇願する。

 

「た、助けてください、先生!」

「助ける? どうして私があなたを助けなければならないのですか。すみませんが今はあなたに関わる余裕はありません。あなたなんかのことよりも、私は姉さんを探さなければいけないのですから」

「それです! その、よ、葉子さんが……」

「え? 姉さんが関わってるの?」

 

 前言撤回だ。彼女が姉さんについてなにか知っているのなら、話を聞かないわけにはいかない。

 彼女を助けるかはさておき、姉さんの居所か、もしくはそれを知る手掛かりは見つけないと。

 と、思ったその時、彼女の背後からぬぅっと人影が現れた。

 

「すーずちゃんっ!」

「ひゃうっ!?」

 

 ――姉さんだ。

 姉さんは、背後から彼女を思い切り抱きすくめる。

 

「やーっと見つけた! もう、ダメなのよ、お姉ちゃんから離れちゃ。メッ!」

「あわわわわわ……」

「さあ、さっきの続きなのよ! 鈴ちゃんは素材がいいんだから、もっと可愛くなるべきなのよ! レッツゴーなのよ!」

「きゃー!?」

 

 姉さんは、抱きしめたまま彼女を脇に挟んで抱え上げる。随分と豪快な誘拐だな。

 ではなく。

 

「姉さん!」

「およ? わ、ハエ太なのよ」

「ハエ太言うな」

 

 ようやく、と呼ぶにはあまりにも早い遭遇だけれど。

 兎にも角にも、姉さんを止めないと。

 と思ったけど、

 

「ハエ太、今から鈴ちゃんのファッションショーやるのよ!」

「は?」

「ちょっぴり地味に見えるかもだけど、鈴ちゃんはとっても可愛いのよ! あんな地味なお洋服じゃもったいないから、私が色々見繕ってあげてるの!」

「いや、あの」

「というわけで、ハエ太も来るのよ! お兄ちゃんとしてね!」

 

 私が喋る暇なんてなく、姉さんはマジカル・ベルを連れて、いずこかへと走り去ってしまった。あまりにも早すぎる退去だ。

 本当なら、ここで引き留めるべきだったのだろう。その腕を掴んで、すぐに追いかけて。

 だけど、私は足を止めてしまった。

 胸のうちに、なにかが燻っている。ドクドクと気色の悪いものが湧き上がる。ギリギリと痛ましいなにかが締め付けて来る。

 

「……ふざけんな。誰がお兄ちゃんだ」

 

 身体の中で毒のようななにかが生まれているような感覚。それを排出ように、言葉と一緒に吐き捨てた。

 

「私は、兄さんと、姉さんの――弟だ」

 

 そして、遅ればせながらも、姉さんの後を追いかける。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ファッションショー、とかほざいていたか。

 ということはきっと、あの衣装も彼女の趣味ではなく、姉さんが無理やり押し着せたのだろう。

 つまり今のマジカル・ベルは、姉さんの着せ替え人形というわけだ。

 さて、それじゃあその着せ替え人形はどこに連れて行かれたのか。推測は簡単に立つ。服を着せるのだから服屋だろう。

 問題は、どこの服屋なのかだ。少なくとも、ユニコーンちゃんみたいな名前の安い服屋に、あんな華やかな服は売っていないだろう。

 しかし私は服飾には興味がない。興味がないから疎い。だから、あんな服が売っている店なんてまったくわからない。

 だからって足を止めるわけにもいかないので、手近なところから一軒ずつ、虱潰しに服屋を探していく。

 あの明らかに体力や敏捷性に欠けているだろうマジカル・ベルが走って逃げていたくらいだ。たぶん、そう遠いところではないはずだろうから、すぐに見つかると思ったんだけど……

 

「まったく、ハエ太も来るのよー、とか言うんだったら、行き先ぐらい教えろよな」

 

 これが見つからない。もう五軒くらいは回ってるはずなんだけど、一向に見つからない。

 姉さん、どこに行ったんだよ……

 

「さて、困った。これ以上捜索範囲を広げると私の足では手に負えなくなりそうだし、かと言って今まで探した場所を探し直すのはどうなのか」

 

 焦燥が渦巻く。けれど、なぜか思ったよりも焦っていなかった。

 焦りという感情の渦に、別のなにかが混ざっている。熱く、重く、ドロドロしていて、ねっとりとしている、、気持ちの悪いなにか。

 ごみ溜めに流れた泥水のような、醜悪ななにかが、私の中で蠢動している。

 それが焦燥を薄れさせている……?

 ……いや、どうでもいいことだ。私は自身の眼のせいで、焦って周りが見えなくなる悪癖がある。それを思えば、落ち着けるのは好都合だ。

 ただ、妙に身体が痛い気分だ。身体の内側から、チクチクと針で刺されているみたいな、ぎゅうっと締め付けられるような痛みがある。

 

「……おや、あそこにいるのは」

 

 不可解な痛みを抱きながら、私は目に映ったそれを視認する。

 彼女――違う。“彼”は、確か……そうか。

 これは、好都合だ。

 私は道行く彼を追い、その肩を掴んだ。

 

「ちょっとすいません」

「っ! あなたは……!」

 

 彼は私を見るなり、露骨に顔をしかめて、即座に私の手を振り払い、警戒心を露わにする。

 そういう対応は素直にムカつくけれど、マジカル・ベルのように仲間面されて馴れ馴れしくされるよりもマシだ。むしろ私たちの関係なら、このくらい警戒した方がいい。

 

「なんの用、ですかね。先生」

「あなたも学校外だというのに、私をそう呼ぶんですね。まあ、どうでもいいですけど」

 

 私を睨みつけながら、皮肉っぽく私の肩書を呼ぶ。

 彼は……えぇっと、なんという名前だったか。マジカル・ベルの取り巻きの一人。少年のような少女のような少年。

 名簿がないので名前が思い出せない。まあ、どうでもいいか、名前なんて。

 

「あなたに聞きたいことがある」

「ボクに聞きたいこと? まあ、答えられることなら答えても構わないけれど、今度はなにを企んでるんだ?」

「あなたには関係ないことですが、ちょっとうちの姉を探しているんですよ。それ以外のことなんて、どうでもいい」

「いまいち信用できないな」

「信用するもしないも関係ない。どうでもいい。私はただ、あなたに問うだけだ。あなたは、それにただ答えればいい」

 

 なんて一方的な、と彼は吐き捨てたけど、それでいい。相手のことを慮って会話する余裕なんてない。

 だから私は、単刀直入に、尋ねる。

 

「この辺で、華やかな服を売っている場所はどこですか?」

「……は?」

 

 彼は素っ頓狂な声を上げて、理解不能だと言わんばかりに目を丸くする。

 

「え、なに……なんだって?」

「服ですよ、服。衣類です」

 

 私は服飾には疎い。けれど、彼は確か、服飾関係について強い関心を寄せていたはずだ。

 だからきっと、服屋についても詳しいだろうと踏んで、こうして問い詰めている。

 

「なんていうんでしたっけ……ロリータ、ファッション? ゴスロリ? コスプレ? 私は詳しくないのでわかりませんが、あなた、そういうの得意でしょう」

「いやまあ、ファッションは確かに得意分野だけど、ロリータ系とかコスプレはちょっと……」

「知らないんですか?」

「いや、そういうのも売ってる店なら、確かに知ってる。けど、どうしてまたそんな……」

「あなたには関係ない。早く教え欲しい、時間がないんだ」

「……悪巧み、とかではない、のか?」

 

 怪訝な表情をしながらも、彼はポケットから携帯端末を取り出して操作する。

 そして、表示された画面を私に示した。それは地図だった。

 

「こんな田舎町でロリータファッションを扱っている物好きな店なんてごく少数だから、ここしかないけれど」

「それはいい。ということは、この店でほぼ決定ということか」

「ボクもたまに利用するし、店に迷惑とかかけないでくださいよ」

「保障しかねます。では、私はこれで」

 

 場所はわかった。見たところ、徒歩ですぐに辿りつける距離だ。

 少年を置いて、私は地図に示された場所を目指し、駆け出した。

 

 

 

「……なんだったんだ、一体……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 少女少年に教えられた店は、走って辿りつけたものの、入り組んだ路地裏にある店で、かなり発見しづらかった。

 どうりで見つからないわけだ。こんな奥まった場所にある店、事前に場所を確認しないとまず見つけられない。

 店の扉を押し開けて、中に入る。外観もそうだったが、中も妙にキラキラしており、なんだか変な臭いがする。ゴミ溜めや死骸のような腐臭ではないが、自然のものではない、異臭だ。気持ち悪い。

 ぐるっと店内を見回す。あまり大きな店ではなく、あちらこちらに、マジカル・ベルが着ていた服のような、無駄に華美な服が所狭しと並んでいる。

 店員がなにやら怪訝な目でこちらを見ているが、知ったことではない。そもそも私は姉さんを連れ戻しに来ただけで、客じゃないのだから。

 さて、少年曰くああいった衣服を売っている店は、この近辺ではここだけとのこと。ならば姉さんもきっと、ファッションショーとやらはここで行うはず。

 見たところ店内に姿は見えない。階段などは見えないので、別の階にいるということもない。奥に扉はあるが、スタッフルームと書かれている。流石にあそこにはいないだろう。

 となると、姉さんがいるだろう場所はただ一つ。

 私はその前に立つ。声も聞こえる。ここでまず間違いない。

 訝しむような視線を向けていた店員が、焦ったように小走りにこちらへと向かってくるが、どうでもいい。気にするものか。

 そこに姉さんがいるのなら、私はどんな恥辱にも耐え、どんな汚名も被ってみせる。

 私は、目の前の“カーテンを勢いよく引いた”。

 

「ちょ、ちょっとお客さん! なにしてるんですか!?」

「きゃー!? 先生!?」

 

 私の行動を咎める声。それと、マジカル・ベルの悲鳴。

 どちらも、私にとってはどうでもいいものだ。

 私が何よりも求めているものは、ただ一つ。

 

「姉さん。見つけたよ」

「ハエ太……」

 

 目の前の、姉さんだけだ。

 姉さんは目を丸くしていたけれど、すぐに頬を膨らませた。

 

「もうっ、ハエったらダメなのよ! 女の子がお着替え中のところに乗り込んでくるだなんて、イケナイのよ。まあでも、ハエ太も男の子だし、そういう気持ちはお姉ちゃんとしてもわかってあげたいところだけれど……」

「うるさい。黙って来い」

「え? わわっ、ちょっとハエ太ー! なんなのよー!」

 

 むくれる姉さんの腕を強引に引っ張る。

 気が急く、というのとは違う。なにか、姉さんを見ていると、やたらとむしゃくしゃする。

 翅を引き千切ってしまいそうなほど強引にしてもいいと思ってしまうほどに、激情が静かに滾っている。

 

「お客さん、困ります。こういったことをされては」

「うるさい。あなたに用はない。退け」

「ひっ……!」

 

 途中、店員が道を阻んできたけど、それも無理やり押し退ける。

 マジカル・ベルを店に残してしまったけれど、まあ、どうでもいいか。

 私は姉さんの腕を引いて、店の外まで出る。そこで、姉さんもさすがに抵抗して、私の腕を振り払った。

 

「ちょっとちょっと、ハエ太! なにするのよ! 私の妹計画の邪魔しないでほしいのよ! 今ちょうど鈴ちゃんにピッタリの可愛くてふりふりの服を見つけたんだから!」

「知るか。もう満足しただろ。帰るよ、姉さん」

「嫌なのよ! まだ私は満足してない! 帰りたくなーいー!」

「駄々をこねるな。もう、あんな奴に構わなくたっていいだろ」

「そんなことないのよ! 鈴ちゃんはね、とってもいい子で可愛いのよ! いつも美味しそうにうちのパンを食べてくれるし、その様子も小動物みたいで可愛いのよー。すっごく妹って感じ! 素敵なのよ! それでね――」

 

 嬉々としてマジカル・ベルについて語る姉さん。とても朗らかで、華やかで、眩しくて、美しくて、気高い。底抜けに明るく、楽しそうに話している。

 けれど、姉さんが喜べば喜ぶほど、声が弾めば弾むほど、明るくなれば明るくなるほど、私の中で燻っているなにかは、暗く重く沈んでいく。

 

「ハエ太? どうしたのよ、怖い顔して」

「……なんでもない。そんな顔してない」

「してるのよー。あ、さては妬いちゃった? 私が鈴ちゃんにばっかり構うから、やきもち? もー、ハエ太ったら、いつもムスッとムッツリしてるのに、そーゆー可愛いところもあるんだから! あ、可愛いと言えば、鈴ちゃんがね――」

 

 そうか。理解した。

 そういうことだったのか。この感情は。

 なんだ、わかってしまえば簡単だな。私の心の機微というものも、単純だ。

 単純明快で至極簡単、だけれど。

 だからって、だからこそ。

 大きすぎるこの負の念は、止められない。

 上手く調整しないとまずいけれど、そんな繊細なことができる気はしない。

 でも、この衝動は、止まらない。

 だから、もう。

 

 

 

「――そうだよ」

 

 

 

 開いてしまおう。私の――“眼”を。

 曝け出してしまおう、私の醜い感情の、すべてを。

 

「あぁ、そうだ。姉さんの言う通りだ。私は妬いている――嫉妬している」

「ハエ太?」

「たぶん、色んな人に嫉妬した。一番は、マジカル・ベルに……それに、怒ってもいる。姉さんに」

「え? えっ?」

「姉さん、妹たちとの触れ合いは楽しかったか? 抱きしめたり、頭を撫でたり、一緒に風呂に入ったり、服で着せ替えしたり……あぁ、楽しかっただろうね。今の姉さんを見ていれば、わかるよ。それだけ、妹ってのは大事なもので、いいものだったんだろうね」

 

 私には妹の良さなんて微塵も理解できないけれど、姉さんが嬉しいなら、私も嬉しい――わけ、なかった。

 

「ふざけんな! 私と兄さんを放り出してなにが妹だ! 大概にしろ!」

「ちょ、ちょっとハエ、なにそんなに怒って……」

「怒るに決まってるだろ! 姉さんの下にいるのは、兄さんと、私だろ!? 忘れたなんて言わせないからな!」

「そりゃあ、そうだけどー……」

 

 腑に落ちないという様子の姉さん。

 私の怒声で、ようやく揺らいだ。けれど、まだ揺らいだだけだ。姉さんの自我も、思いのほか強固だった。

 

「そっかー、ハエ太も構って欲しかったのかぁ。でも残念なのよー」

「なにが残念なんだよ」

「そんなの決まり切ってるのよ。だって――」

 

 姉さん少し申し訳なさそうに、けれども当たり前のように、それが当然のことで、世界の理であるかのように――

 

 

 

「男の子は、攻略対象じゃないもの」

 

 

 

 ――宣告した。

 

「攻略対象……?」

「そうなのよ! ようやくルートに入ったんだもの! これを逃す手はないのよ!」

 

 ふざけてんのか! とまた怒鳴りそうになったけど、あまりにも奇妙すぎる言葉に、怒声を飲み込む。

 攻略……ゲームの話か? でも、なんでそれを今ここで?

 姉さんはなんの疑いもなくその言葉を発した。違和感を感じさせないほどに、自然に言ってのけた。

 今の姉さんは、視点憑依を発症している恐れがある。だから、姉さんのように見えても、その眼はまったく別人のものになっている可能性がある。

 その別人とは誰か。三人称の眼を持つ姉さんが宿した、第三者とは誰なのか。

 姉さんは、私は、男は攻略対象じゃないと言った。逆に言えば、女なら攻略対象という意味。

 バンダースナッチ、ヤングオイスターズ、ユニコーン、マジカル・ベル……姉さんが手を出した人たちは皆一様に女性。

 そして攻略というのは、恐らく、姉さんが求める妹を手中に収めることとか、そんなことだろう。つまりは目的の到達だ。無視や獣なら交尾。人間なら、恋愛、というのか?

 

(恋愛……そういえば、姉さんはそういうゲームをしていたな)

 

 三月ウサギのクソ女の悪影響だ。

 確か、あのメモ帳にも、攻略キャラがどうとか書いていた。あの手のゲームでは、そういう呼び方をするのだろうか。

 とすると、まさか、姉さんが宿した第三者って――

 

(――ゲームの、主人公?)

 

 そんな馬鹿な、と言いたくなるが、否定はできない。

 あまりにゲームにのめり込みすぎて、その主人公の視点を宿してしまった。視点を、そんな“第三者”に乗っ取られてしまった。

 だから、ゲームの主人公になり切っているかのような振る舞いをするし、姉さんの行動原理も、本来のものとずれてしまっている……のだろうか。

 

「ごめんねハエ太。もうルートに入っちゃったから、ここから無理やり別ルートに行こうとすると、バッドエンドになっちゃうかもなのよ。そもそも生えたは攻略対象じゃないし、次回作に期待なのよ!」

「……そうかよ。ならわかった」

「あ、わかってくれたのよ? さっすがハエ太、いい子なのよ」

「そっちじゃねぇ」

 

 もうこの人は、なにを言っても無駄だということだ。

 きっと、視点の乗っ取りが進行してしまっているのだろう。これが、姉さんの本心だとは、思えない。思いたくない。

 だから、

 

 

 

「私が、姉さんの眼を覚まさせてやる……!」

 

 

 

 変わってしまった姉さんの心を、叩き直す。

 致命的になる前に。後戻りできなくなる前に。

 本当の、私たちの姉としての、私たちを弟として扱ってくれる姉さんを、取り戻す。

 

「まったくもう、トンボもハエ太も、せっかちさんなのよ……まあでも! サブイベントがてら、かるーく楽しみましょうか!」

「サブじゃないよ、姉さん。私にとって、姉さんはメインもメイン。大本命だ」

 

 感覚が、認識が、信条が、ずれている。

 そのことを感じ、胸中の痛みを耐え忍びながら、私は凶器を手に取る。矮小な私の、戦うための力を。

 

 

 

「姉さん。今から私が、あなたに“眼”に巣食った愚か者を――喰い殺す」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 私と姉さんの対戦。

 姉さんは、兄さんを屠った、水入りのゲイル・ヴェスパーだ。《デデカブラ》《デスマッチ・ビートル》と順調にクリーチャーを並べている。

 対する私の場には《ステップル》が一体。姉さんの圧倒的なパワーの前には、虫けらのようなものだ。いや、元より私は虫けらだけれども。

 

 

 

ターン2

 

木馬バエ

場:《ステップル》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

 

「私のターン。2マナで《ダーク・ライフ》を唱える。山札から二枚を見て、一枚をマナへ、もう片方を墓地へ。さらに3マナで《青守銀 シャイン》を召喚。一応、キズナを発動して、《シャイン》にブロッカーを与えるよ。ターンエンドだ」

「ふふーん、ブロッカーなんて無駄なのよ! 私のターン! マナチャージして、3マナで呪文《ボント・プラントボ》! 山札から一枚目をマナチャージ!」

 

 こっちも不調なわけではないけれど、姉さんは調子がいいようだ。

 どっちも好調に動くのなら、その最大値が大きい方が勝る。

 私なんかは、どうせ弱小な虫けらが集っているだけに過ぎないけれど、姉さんの操る虫は巨虫。最大値というのなら、私の何倍も大きい。

 

「やったのよ! マナに落ちたのが、パワー12000以上の《水上第九院 シャコガイル》だから、もう1マナ追加! なのよ!」

 

 さらに追加でマナに落ちたのは《ジーク・ナハトファルター》。

 まずいな……このままだと、あっという間に特殊勝利される。

 

 

 

ターン3

 

 

木馬バエ

場:《ステップル》《シャイン》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:2

山札:25

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:1

山札:25

 

 

 

「私のターン……このマナチャージで6マナになるけど……」

 

 手札は二枚。《マイト・アンティリティ》は既に握っている。

 だけど、姉さんの場には、踏み倒し相手とバトルする《デスマッチ・ビートル》が構えている。

 《マイト・アンティリティ》でクリーチャーを踏み倒しても、パワー13000の前には太刀打ちできない。私では、姉さんのパワーには敵わないのだ。

 となると……やはり、意地汚く、生き汚く攻めるしかないか。汚らしい蠅のように。

 元より惰弱な羽虫。それがより巨大な存在に噛み付くには、やはり、限られた手段を行使するしかない。

 

「マナチャージなし。4マナで《超越の使い 蒼転》を召喚。ターンエンドだ」

「それだけ? じゃあ、私のターンなのよ! どんどん行くのよ、《コレンココ・タンク》召喚! 山札から三枚を捲るのよ!」

 

 ここで捲られたのは《ジーク・ナハトファルター》《終末の時計 ザ・クロック》《天風のゲイル・ヴェスパー》の三枚。

 最悪というか、絶望的なほどに大正解の捲りだ。

 

「《ゲイル・ヴェスパー》を手札に加えて、それ以外はマナへ! ターンエンド! なのよ!」

 

 マナゾーンには《ジーク・ナハトファルター》、手札には《ゲイル・ヴェスパー》。姉さんの必殺の切り札が揃ってしまった。

 次のターン、姉さんは《ナハトファルター》を確実に回収できる。そして《ゲイル・ヴェスパー》のコストは4まで下がって、後続の《ナハトファルター》は3マナまでコストが軽減される。

 そうなれば終わりだ。山札をすり潰されて、勝敗が反転し、私の負けが確定する。

 クリーチャーを除去したり、手札を叩ければどうにかならないこともないけど、このデッキのパワーでは、姉さんのクリーチャーを殴り倒すことなんてできないし、手札破壊も積んでない。

 《アラン・クレマン》なら倒せるけど、引けたとしてもNEO進化元がいない。

 

 

 

ターン4

 

 

木馬バエ

場:《ステップル》《シャイン》《蒼転》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:2

山札:24

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》《コレンココ》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:1

山札:22

 

 

 

 姉さんは次のターンに勝利する準備が整った。

 だけど、私だって指を咥えてそれを見ていたわけじゃない。

 姉さんがどんな動きをするかなんて知ってる。そして、それを踏まえて、私が生き残るためにはどうすればいいのかを、私は知っている。

 常に巨虫の重圧に押し潰されそうになっているんだ。心の余裕なんてまったくない。

 死の恐怖に怯えながら、底意地悪く、負けないように必死に足掻く。

 それが『木馬バエ』、木屑の蠅。

 私の在り方だ。

 

「行くぞ姉さん、食い殺される覚悟はできたか?」

 

 マナチャージして、6マナ。そのすべてを倒す。

 私はハエ。甘い蜜は吸わない。熟れた果実だって口にするものか。

 啜るは泥水。喰らうは腐肉。貪り尽くすは死の骸。

 いつだって最底辺。どこだって地獄だ。

 だから、余裕に優雅に舞う姉さんを、死に物狂いで撃ち落とす。

 覚悟しろ姉さん。あなたが煌びやかに踊ってる隙に、私は牙を研いでいる。

 小さくて、脆弱な牙だけど、無数の羽虫が集えばそれなりだ。

 その惰弱な牙で、最上の御馳走を――あなたの柔肉を、喰わせてもらいますよ、姉さん。

 

 

 

「骨の髄まで喰らい尽くせ――《マイト・アンティリティ》!」

 

 

 

 姉さんや兄さんには見劣りするけれど、これでも私の切り札。

 さあ、木屑の蠅らしく、意地汚く勝ってみましょうか。

 

「まずは墓地のクリーチャーを二体までマナに置く。そして攻撃――キズナプラス発動だ」

 

 《マイト・アンティリティ》と、場の《蒼転》の紋章が光り、浮かび上がり、共鳴する。

 二体のクリーチャーの絆が、今、繋がったのだ。

 

「《マイト・アンティリティ》と《蒼転》の、キズナマークによって定義された能力を起動するよ。まずは《アンティリティ》から。マナゾーンから《夜の青守銀 シャイン》をバトルゾーンへ」

「踏み倒したね? お姉ちゃんにはハエ太の切り札なんてお見通しなのよ! 《デスマッチ・ビートル》の能力発! 《デスマッチ》と《シャイン》でバトルするのよ!」

「待て。姉さん、まだ私のクリーチャーの能力処理が終わっていない」

「む、そういえばそうだったのよ。じゃあ続けるのよ、ハエ太」

「あぁ。次に《蒼転》の能力により、今しがた踏み倒したばかりの《シャイン》に、次の自分のターン開始時まで、破壊耐性を付与する」

 

 《蒼転》のキズナの力は、味方の保護。短い間だが、味方一体を、あらゆる破壊から守る、守護の力。

 小さな虫けらなんて、死のうが生きようが構いやしないけど、使える虫はとことん使い潰した方が得だ。

 それに、こうでもしないと、姉さんの大きすぎる虫たちには敵いそうにない。

 除去耐性を付与された《シャイン》を見て、姉さんはキョトンと目を丸くしている。

 

「え……それじゃあ、バトルしても倒せないのよ?」

「そういうことだ」

「なんだか、イヤなところを狙い撃ちされた気分なのよ」

「当然だろ、私たちが、姉さんのことを一番よく知ってる。あなたの好きなものも、嫌いなものも、戦い方も、生き様も、すべて、すべて、すべてだ! 私と、兄さんと、姉さん。三人ずっと一緒だったんだ! 姉さんが必死で追いかけてる、妹とやらなんかよりも、私たちの方が、ずっと姉さんのことを知ってる! 本物の、正真正銘の姉弟だからな!」

「な、なんなのよ、ハエ太。熱くなっちゃって……」

「まだ終わらないよ。さらに、踏み倒された《シャイン》の能力、キズナ発動! 《アンティリティ》のキズナ能力を起動し、マナゾーンから二体目の《蒼転》をバトルゾーンへ! 《夜の青守銀 シャイン》からNEO進化だ!」

「えーっと、それも《デスマッチ》でバトルするけど……」

「この《蒼転》は、破壊耐性を付与された《シャイン》をNEO進化元にしているから、その状態を引き継ぐ。だから当然、破壊されない」

「そんなぁ」

 

 巨大ではあるけど、単純なんだよ、兄さんも、姉さんも。

 必死で羽虫みたいなクリーチャー共を守るのも意味がある。

 まだ足りない。まだまだ物足りない。もっともっと集ってもらおう。

 僅かばかりの残飯に集え、虫けら共。

 

「これで一連の処理は終了、《マイト・アンティリティ》でWブレイクだ!」

「トリガーはないのよ……」

「次に、既に場に出ていた方の《蒼転》で攻撃、キズナコンプ発動! 私の場のクリーチャーすべてのキズナマークの能力が起動する! まずは《アンティリティ》からだ!」

 

 再び、場のクリーチャーのキズナマークが浮かび上がる。

 今度は《アンティリティ》のような、追加分だけではない。キズナコンプはすべてを完全に起動させる、キズナの極致だ。

 

「マナゾーンから《青守銀 シャイン》をバトルゾーンに! 《蒼転》の能力で、この《シャイン》と、《アンティリティ》に破壊耐性を付与。既に場にいる《シャイン》の能力で、まだ攻撃していない《蒼転》にブロッカーを付与。最後に、踏み倒された《シャイン》のキズナで、《アンティリティ》の能力を起動! マナゾーンの《記憶の紡ぎ 重音》を、踏み倒した《シャイン》に重ねてNEO進化だ!」

「い、いっぱい出たのよ……! っていうか、やってることごちゃごちゃしすぎてて、なにしてるのかよくわかんないのよ!」

「当然だろ、蠅がゴミに集るのに、規律も秩序も存在しない。一心不乱に腐心して、腐った獲物に押し寄せるだけだ」

 

 とはいえ、やっていることは単純だ。《蒼転》で破壊耐性を付与しながら《アンティリティ》で踏み倒しているだけ。無作為で無秩序、混沌で混迷はしているけど、そこに複雑さも精密さもなにもない。

 ただひたすらに、肉を喰らい、噛み千切るだけ。

 

「行け、《蒼転》でシールドブレイク!」

「うー、なにもないのよ」

「さぁ、次だ。二体目の《蒼転》で攻撃する時、キズナコンプ発動!」

「またいっぱい発動するのよ!?」

 

 長々と続く処理に、うんざりしたような表情を見せる姉さん。

 迂遠で、鬱陶しく、嫌悪感を醸すようなことだろうけど、私は蠅。

 意地汚く勝ちに行くのは当然のことだ。

 

「私は姉さんのことをよく知っている。なら姉さんも、私のことはよく知ってるだろ? なぁ!? そうだろ!?」

「な、なに? なんかハエ太、怖いのよ……」

「姉さんだって知ってるだろ。私は兄さんや姉さんのように、力強い巨虫で押し潰す、なんてことはできない。でも、惰弱な蠅でも、誇れるものはある。汚い底辺の羽虫、その唯一の長所は、群れることだ。数多の羽虫が集い、群となれば、強大な巨虫にだって負けない……姉さんのような巨虫だって、貪り尽くして見せる!」

 

 獲物は大きい方が喰らい甲斐がある。

 けど、まだまだ足りない。もっと、もっと喰らえ。骨も皮も残らず貪れ。

 この、妬みと、僻みと、怒りと、憤りを乗せた、驕り高ぶった劣情を、その牙に乗せてぶつけろ!

 

「キズナコンプ発動! 起動せよ、《蒼転》、《アンティリティ》、《重音》、《シャイン》!」

 

 《蒼転》のキズナコンプが発動し、私のクリーチャーのキズナマークが一斉に輝く。

 

「《アンティリティ》の能力で、マナゾーンの《ステップル》を出して、マナを加速! 次に《重音》の能力でドロー! 手札からコスト5以下の呪文を唱える! 《狂気と凶器の墓場》!」

「ぼ、墓地からも出るのよ!?」

「当然。地べたを這いずりまわるのは穢れた害虫の姿。ならば、地の底からだって這い上がるさ……さぁ出て来い、《夜の青守銀 シャイン》!」

 

 墓地から蘇る、《夜の青守銀 シャイン》。

 これでまた、さらに絆が連鎖する。

 

「《シャイン》のキズナ発動! 《アンティリティ》のキズナ能力を起動させ、マナの《奇石 ミクセル》をバトルゾーンに! 《蒼転》二体分の破壊耐性を、《ミクセル》と《シャイン》に付与。ついでに《シャイン》の能力を、この《夜の青守銀 シャイン》に適用、ブロッカーにする」

「うにゃー! なんなのよ! これは!」

 

 踏み倒されたクリーチャーと片っ端からバトルする《デスマッチ・ビートル》だが、バトルに勝てても、まるでクリーチャーが破壊できない。せっかくの踏み倒しメタである《デスマッチ・ビートル》がまるで機能せず、姉さんは狂ったように叫んだ。

 

「これで一連の処理は終了だ。次はシールドを喰らうぞ」

「もー、一回攻撃するだけで長いのよ!」

「蠅ってのは食事が長いものだ。許せ、姉さん……さぁ、《蒼転》でシールドブレイク!」

 

 じわりじわりと、少しずつ削って、喰らっていく。

 もうすぐだ。もうすぐで、姉さん自身に、私の牙が届く。

 そうすれば、きっと、姉さんも……!

 

「あ、S・トリガーなのよ! 《クロック》召喚! これでハエ太のターンは終わりなのよ!」

「ちっ、《クロック》を踏んだか……邪魔しやがって……!」

 

 あと一歩、あと一歩で届いたというのに。

 その一歩が、届かない。

 けれど、

 

「さぁ、ターンスキップで私のターン! これで決めちゃうのよ! まずはマナゾーンの《ジーク・ナハトファルター》を……」

 

 姉さんのターン開始時。姉さんはフィニッシュに向かうため、マナからキーカードを――《ナハトファルター》を回収しようとする。

 だけど、私のバトルゾーンを一瞥して、硬直した。

 

「……え? 《ミクセル》なのよ?」

「あぁ、《ミクセル》だ」

 

 あと一歩が届かないのは、姉さんも同じだ。

 私の場には、相手が自分のマナ数よりコストの大きなクリーチャーを出せば、そのクリーチャーを山札の下に送り返す《ミクセル》がいる。

 姉さんのデッキは、兄さんと違って、膨大なマナ加速から大型をぶん投げるのとは、少し勝手が違う。

 《ゲイル・ヴェスパー》の性能を最大限に生かした、膨大なコスト軽減。それが姉さんのスタイルだけど、今回はそれが仇となったな。

 コスト軽減なら《ミクセル》が許さない。悪いけど、そこで止まってもらうよ、姉さん。

 

「……いや、まだ。まだなのよ」

 

 《ミクセル》で姉さんの必殺の動きは止めた。

 そう、思っていた。

 けれどその考えは、姉さんの淹れる茶よりも甘い。

 一心不乱に、無我夢中になっていた私は、見落としていた。

 私の妨害を躱すための、正攻法な、抜け道を。

 

「《ジーク・ナハトファルター》の能力発動なのよ! マナのこのカードを一枚、手札に戻すのよ!」

「《ミクセル》で《ゲイル・ヴェスパー》を封じられてるのに、《ナハトファルター》を戻した……?」

 

 私のデッキならハンデスが飛んでくる可能性がある。そのリスクを背負ってまで、《ナハトファルター》を抱え込んだ。

 つまり、ターンを跨ぐ気はないということ。このターンで、決めに行くつもりだということ。

 けど、《ミクセル》を立てているこの現状で、《ゲイル・ヴェスパー》が場に残れないこの状況で、一体どうやって勝つつもりなんだ?

 

「まだ私にはあのカードがある。それさえ引ければ、勝ちの目はあるのよ! ドロー! なのよ!」

 

 姉さんにはまだ、奥の手がある? いや、まさか。あのデッキに、そんな変なカードを入れる隙なんてないはず。

 ならば、どうするというのか。

 

「……引いたのよ」

 

 その答えは、すぐに明らかになる。

 

「マナチャージして、3マナ!」

 

 それは、なんてことのない、単純な話だ。

 《ミクセル》によって、大型クリーチャーの存続が阻害されている。膨大すぎるコストに見合わないマナでは、場に留まることを許されない。

 ではどうするのか。本来必要なマナが不足している。だから出せない。

 それならば――

 

 

 

「呪文! 《ボント・プラントボ》!」

 

 

 

 ――マナが足りないのなら、足せばいい。

 

「っ、しま……!?」

 

 姉さんのマナは8マナ。ここで《ボント・プラントボ》で2マナ加速すれば10マナ。《ゲイル・ヴェスパー》が《ミクセル》の妨害から脱せるマナ圏になる。

 その後、大幅なコスト軽減で出した《ナハト・ファルター》は出しても山札の底に沈むけど、一体でも出せば1マナ増える上に、マナにある二枚目の《ナハトファルター》を回収できる。

 そうすれば姉さんのマナは11マナになって、《ナハト・ファルター》も生き残る。そして、その後どうなるのかは、語るまでもない。

 

「ハエは見えるキズナの力を使うけど、私たちには、見えない絆だってあるのよ! そう、これが姉弟の絆にして愛なのよ! さぁトンボ! お姉ちゃんに力を貸して! マナブースト、なのよ!」

 

 ……ダメ、なのか。

 やはり、私のような小さく汚いハエでは、姉さんのような、大きく華々しい蝶には、敵わないというのか。

 

(兄さん……姉さん……ごめん……)

 

 私では、姉さんを止められなかった。

 妹を探すという奇行にして蛮行を、歪んだ視座による暴走を、止められなかったんだ。

 弱くて小さな木屑の蠅では、死に物狂いで足掻いたって、叩き潰されて、惨たらしく絶命するだけ。

 大きく優雅な蝶の前では、貧弱な羽虫でしかなかったんだ。

 すべて、終わりだ。

 終末を告げるように、姉さんのマナゾーンに、カードが置かれる。そう――

 

 

 

 ――《終末の時計 ザ・クロック》が。

 

 

 

「……あれ?」

「…………」

 

 一瞬、わけがわからず呆然としていた。私も、姉さんも。

 けどすぐに理解する。

 つまり、これは、

 

(マナ加速、失敗してる……)

 

 なんというか、これは……いや、まあ、トップに依存した効果だから、そういうこともあるんだけどさ……

 しかし流石に、この結果はどうなのだろうか。

 

「ちょっとー! これじゃあ追加のマナ加速ができない……《ゲイル・ヴェスパー》が出せないじゃないのよ!」

 

 姉さんは、マナに置かれた《クロック》に怒っていた。そんなことで憤慨したって、結果は変わらないだろうに。

 なんにせよ、私は姉さんが組み込んだ青いカードに助けられたようだ。

 道理を捻じ曲げて、外道な手段で勝ちに行くからだよ、姉さん。

 いや――“自分自身”を曲げたから、か。

 見えない姉弟愛。それはあるのだろう。

 けど、今の姉さんに、私たちに対する愛はない。姉さんはずっと、妹に執心していたのだから。

 妹を求めるばかり、私や兄さんをおざなりにした姉さんだ。そんな姉さんに、兄さんの力を借りる資格なんて、ない。都合のいい時だけ私たちの絆を騙って、その力を借り受けようだなんて、そんな虫のいい話はありはしない。

 

「もう無駄だ。ターンを渡せ、姉さん。今すぐ、あなたのその腐った目玉と脳髄を貪り尽くしてやる」

「う、うぅ……ターンエンド、なのよ……」

 

 

 

ターン5

 

 

木馬バエ

場:《蒼転》×2《アンティリティ》《シャイン》《重音》《ステップル》《夜のシャイン》《ミクセル》

盾:5

マナ:2

手札:0

墓地:4

山札:19

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》《コレンココ》《クロック》

盾:1

マナ:9

手札:4

墓地:2

山札:20

 

 

 

 姉さんのシールドは、残り一枚。

 また《クロック》で耐えられる可能性はあるけど、そんなことはもう、気にしていられない。

 ここまで来たら、最後まで貪り尽くす。

 そして、姉さんを――私たちの姉を、取り戻す。

 

「《蒼転》で攻撃する時、キズナコンプ発動! 《重音》の能力でドローして、呪文《狂気と凶器の墓場》! 墓地から《アラン・クレマン》をバトルゾーンへ! そのままシールドブレイク!」

「! し、S・トリガーなのよ! 私のマナゾーンにパワー12000以上のクリーチャーが五体以上いるから、《タマタンゴ・パンツァー》を召喚! タップして、攻撃を全部引き付けるのよ!」

「知ったことか! 二体目の《蒼転》で攻撃! 再びキズナコンプ発動! そして《アラン・クレマン》のキズナ能力を起動! 《タマタンゴ・パンツァー》を破壊!」

 

 巨大な菌糸の壁は、暴食の化身によって一瞬で食い潰される。その程度では、私は止められない。

 

「これで終わりだ、姉さん」

「そんなぁ。私はただ、妹が欲しかっただけなのに……どうして邪魔するのよ!」

「……姉さんが妹が欲しいだけなら、私は否定しないよ。だけど姉さんは、姉さんじゃない“お前”は、私の逆鱗に触れた」

 

 私だって、姉さんのしたいことを根っこから否定するつもりはない。妹が欲しいなら好きにすればいい。面倒くさいし鬱陶しいし馬鹿じゃないかとは思うけど、姉さんの心までは否定しない。

 けど、そうだとしても、私にだって我慢ならないことはある。

 

「お前は、私を、兄さんを、私たち姉弟を蔑ろにした。本来の姉さんなら、そんなことはあり得ない。私たちの絆を毀すような姉さんは姉さんじゃない……そんな姉さんに憑き、騙るお前を、私は許さない。生者の面影を残さないほどに、惨たらしく食い殺してやる」

 

 私たちよりも妹を優先する。空想の妹のために、兄さんを退け、私にさえも牙を剥ける。

 それだけは、我慢ならない。許せない。

 傲慢な怒りだろう。強欲な妬みだろう。だけど、これだけは譲れない。

 他のどんなものを捨て去ろうとも、私たち蟲の三姉弟の絆は、繋がりだけは、手放さない。

 そして、それを踏み躙るというのなら、容赦はしない。

 

 

 

「戻って来てくれ、チョウ姉さん――」

 

 

 

 私たちの姉としての、私たちを弟として扱ってくれる、蟲の三姉弟の長女、バタつきパンチョウ。

 私たちを導く姉としての視点を、存在を、取り戻すために。

 あなたを、斃す。

 

 

 

「《マイト・アンティリティ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「私の勝ちだ、姉さん。帰るよ」

「やーだー! やだやだやだー!」

 

 勝敗は決した。誰がどう見ても、私の勝ちだ。

 だけど姉さんは、その場を動かない。子供みたいに駄々をこねて、私の手を拒む。

 

「まだ、私には妹が……トゥルーエンドが待ってるのよ! こんなところで終われるわけないのよ! だって、だって――」

「だってじゃねぇ! いい加減にしろ!」

 

 思わず怒声を飛ばすと、姉さんはビクッと身体を震わせた。

 私は、そのままの勢いで、言葉を掃き散らす。

 

「姉さん。姉さんは私がなんで怒ってるのか、まだわからないのか?」

「わ、わかってるのよ。ハエ太もお姉ちゃんに構ってほしかったんでしょ? でもごめんね、ハエ太はメインルートでのイベントはないから……」

「馬鹿野郎!」

 

 感情のままに拳を振り上げる。

 額に打ち付けるようにして、思い切り拳を振り抜いた。

 ガッ! という鈍い音が、身体の内側に気持ち悪く響く。

 ……姉さんを殴ることになるなんて。はじめてだ、こんなことは。

 姉さんは蹲って、信じられないと言わんばかりの抗議の眼で私を見上げる。

 

「いったぁ!? な、殴った!? ハエ、女の子の顔を殴ったのよ!? さいってー! トンボでもこんなことしないのよ!」

「うるせぇ馬鹿!」

 

 けど、講義をしたいのはこっちだ。信じられないのは私の方だ。

 いまだに自分を取り戻さない姉さんに、私は思うがままに、弾けるように妬みを、怒りを、叫びを解き放つ。

 

「いい加減に目を覚ませよ! なにが攻略だ、なにがルートだ! 私と兄さんよりも、そんなものが大事なのかよ! じゃあ私と兄さんって、あなたのなんなんだよ! 姉さんにとっての私たちって、なんなんだよ!?」

「あ、私にとっての……?」

「私たちの姉だというのなら答えろ、バタつきパンチョウ! それとも、そんなわかりきった答えも忘れたのか!?」

「え、えーっと……」

「あんたが答えないなら、私が教えてやる! あんたの目の前にいる私と、ここにいない兄さんは、あんたの……姉さんの――」

 

 なぜか口ごもる姉さん。答えられないはずなんてない。これが本当の姉さんなら。

 けれど姉さんは、気圧されたように目を丸くするだけで、答えない。その様子に、苛々する。いても経ってもいられなくなる

 我慢できなくなって、堪えきれなくなって。

 私は、叫んだ。

 

 

 

「――“弟”だろ!」

 

 

 

 そうだ。姉さんは、私たちの姉さんで。

 私たちは、そんな姉さんの弟なんだ。

 当然だ。当たり前に過ぎる。あまりにも自明のこと。

 

「弟……」

「そうだ。弟だ。わかるだろ」

 

 なんてことのない。ただ、それだけのことだ。それだけでいいんだ。

 私は多くは望まない。ただ、格好良い兄さんと、美しい兄さん。いつもの二人がいてくれれば、それでいい。

 

「だからこそ、私は悔しいよ、姉さん。姉さんが、私たちのことよりもぽっと出の妹なんかを優先することが。私たちが叫んでも、希っても、聞く耳も持たないことが。姉弟なのに、今までずっと一緒の、蟲の三姉弟だっていうのに……姉さんの心が、私たちから離れてしまうのは……悲しい」

「ハエ……」

「だから戻って来てくれよ、姉さん。頼むから……いつもの、姉さんらしい姉さんを、取り戻してくれよ……!」

 

 “眼”を開いた影響か。私の感情は激しく揺れ動く。

 妬みに怒り、僻みに憤り、嫉みに驕り。負の念は炎のように爆ぜたかと思えば収束し、水のように流れ落ちる。

 もはや懇願だった。私は情けなくも、姉さんに乞うている。

 そして――

 

 

 

「――ごめんなさい」

 

 

 

 ――彼女は、頭を垂れた。

 

「ごめん、なさい。木馬バエ……私が、間違っていたのよ」

「姉さん……」

「そうだった。なんでこんな大事なことを見落としてたんだろ。妹も欲しいけど、でも、私にとってなによりも大事なのは、あなたたち。木馬バエ、燃えぶどうトンボ。蟲の三姉弟の、弟たち。世界で一番大好きな、私の弟……うん、思い出したのよ」

 

 姉さんは、まっすぐ私を見据える。

 その眼差しは、ここにはいない誰かを見てはいない。幻想の妹を視る、三人称(誰か)の視点ではない。

 確かに、私という弟を見る、姉さんの眼だ。

 姉さんはジッとこちらを見上げている。らしくもなく、言いづらそうに、口を開きかけては噤んでいる。

 

「なんだよ姉さん。言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってくれ」

「う、うん。ねぇ、ハエ」

「なに?」

「私を、許してくれる……? こんなダメダメなお姉ちゃんでも、いい……?」

 

 姉さんは、潤んだ瞳で、許しを乞う。

 今までの暴走の罪悪感か。不安げで、悲しげで、儚げに、己の罪の在処を私に委ねてくる。

 なにを言いだすかと思ったら、そんなことか。なんてくだらない。どうでもいいことだ。

 

「くだらないこと言ってるんじゃないよ。いいも悪いもない。姉さんらが虫けらで、ダメなとこばっかりで、誰かに迷惑かけまくるなんて、今に始まったことじゃないだろ。鬱陶しいから、いちいちそんなこと聞くな」

「そう……えへへ、ありがと、ハエ」

 

 子供っぽく笑う姉さん。ようやく、姉さんらしい、本物の姉さんらしい笑顔が見られた。

 もう、大丈夫そうだ。神だか読者だかゲームの主人公だか、正体はハッキリしないままだけど、姉さんの“複眼”を乗っ取ろうとしていた誰かの意志は、雲散霧消したと言っていいだろう。

 

「礼なんていい。それよりも、早く帰るよ。兄さんが待ってる」

「そうだね。鈴ちゃんや、皆にも謝らないと……ねぇ、ハエ」

「今度はなんだ」

「ひとつだけ、ワガママ言ってもいい?」

「……なに?」

「おんぶ」

「甘ったれんな」

 

 伸ばされた手を払う。

 すると姉さんは、口を尖らせた。

 

「えー、いいじゃないのよー。ぶーぶー! おーんーぶー!」

「人にさんざ迷惑かけといて、どれだけ図々しいんだよ」

「今はちょっぴり甘えたい気分なのよ! それに、あっちこっち走り回って疲れちゃったんだもの」

「そういうことじゃなくて、厚かましいって言ってるんだけど……あぁ、もういいや。面倒くさいし。今日だけだよ」

「わーい! 流石はハエ太なのよ!」

「だからハエ太はやめろって」

 

 少し気恥ずかしいけれど、姉さんの頼みなら、まあ仕方ない。

 屈んで姉さんに背を向ける。直後、背中に柔肉が押し付けられる感覚。

 そして立ち上がった瞬間、全身を襲う重力。

 

「うわ重っ! どんだけ肥えてるんだよ」

「ちょっとハエ太! 女の子に向かって重いなんて失礼なのよ!」

「姉さんはもう女の“子”なんて言える歳じゃないだろ。兄さんも言ってたけど」

「そんなことないのよ! 私だって、女の子って言えるじゃないのよ?」

「言えないと思うし、どうでもいい。姉さんは姉さんだろ」

「むむっ、ちょっぴり嬉しい! そーゆーことを素直に言えちゃうハエ太は大好きなのよ?」

「ねえ、いい加減ハエ太はやめてくれないか? これを言うのも疲れた」

 

 なんて、他愛もないことを言い合いながら、帰路を歩む。

 いい年こいた大人が、こんなデカい姉を背負って歩くという構図は、些か奇妙に映るだろう。実際、道行く人々は私たちに奇異の目を向けている。

 まあ、周りの人間なんてどうでもいいけどね。有象無象の連中のことなんて、興味ない。

 私の世界に必要なのは、美しく麗しい姉さんと、雄々しく格好良い兄さんだけなんだから。

 周囲の視線を無視しながら、どうでもいい言葉を投げかけ合っていると、不意に姉さんが、しんみりした声で言った。

 

「ねぇ、ハエ」

「なに?」

「迷惑かけちゃって、ごめんね」

「……うるさいよ。私たちは姉弟だろうが」

「うん……そだね」

 

 私たちの会話は、そこで途絶えた。

 そして私たちは、屋敷に帰って、兄さんと落ち合うまで、口を開くことはなかった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――とまあ、結末としてはこんなところかな」

「…………」

「どうしたの、兄さん。黙りこくっちゃって」

「いやすまん。貴様らの姉弟愛に心動かされ、感涙に咽びそうになってな……」

「泣くなよ……」

「流石は我が弟だ。ぼくもその場に居合わせたかった」

「そこは悪かったよ。兄さんに、一番きついことを強いちゃって」

「ぼくでは姉上を止められなかったのだから、仕方あるまいて。それに、貴様も姉上も、ぼくの下に駆けつけてくれたではないか。終わりよければすべてよし、だ」

「楽観的だなぁ……」

「貴様が悲観的すぎるのだ、ハエ」

「そう?」

「応。しかし……“眼”を殴打して、無理やり視点を叩き直すとは、強引なものよな」

「それ以外に方法が思いつかなかった。荒療治だとは思ったし、姉さんに手を上げるのは憚られたけど……」

「それもまた、仕方あるまい。それで姉上が正気に戻ったのだから、万事解決よ!」

「そうだね……ただ、今回のことは、私たちも他人事じゃないよ」

「無論だ。今後は、我々の“眼”の扱いも、慎重にならねばな」

「まあ、私は個人単位でしか開眼しないから関係ないけど、兄さんは気を付けてくれよ」

「承知している。ぼくの“眼”は姉上のように、得体のしれない視野ではないからな」

「だといいけど、兄さんも無茶するからな……」

「あ、トンボにハエ太! みっけたのよ!」

「おぉ、姉上ではないか!」

「姉さん……だからハエ太はやめてくれよ」

「如何した姉上。昼休みは仕事ではないのか?」

「えへへー、無理言って、ちょこっとだけ抜けてきちゃった。二人にもお詫びをしなきゃいけないと思って」

「詫び? なにを水臭いことを。ぼくは姉弟として、当然のことをしたまで。ハエだってそうだろう?」

「まあ、ね。詫びなんて、今更そんなことされても気持ち悪いよ、姉さん」

「まあまあ、お姉ちゃんからの気持ちだと思って受け取って! はいこれ!」

「む、これはなんだ? 食物か?」

「どう見てもそうだろ。っていうかこれ、姉さんの勤め先で売ってるものじゃ……」

「そうなのよ! 売れ残りみたいなもので悪いんだけど、受け取って欲しいのよ! お昼まだだったら、食べて食べて」

「では頂こうか……ふむ」

「ここで喰うのかよ。で、どう?」

「パンは固く、野菜はしなびている。これは、世辞にも旨いとは……」

「不味いんだね」

「えー、そう? お野菜、嫌い?」

「素材が悪いって意味だと思うけど……まあ、どうでもいいか」

「それで、二人で一緒にいるだなんて、どうしたのよ?」

「それはだな、姉上。ハエの先日の武勇伝を聞いていたのだ」

「ちょっと兄さん」

「まぁ、それはとっても素敵なのよ! ハエ太は格好良いしね!」

「おだてたってなんにも出ないよ……私はもう行く。次の授業があるからね」

「む、そうか。ではぼくも、次の業務に取りかかるとしようか」

「うんっ。じゃあ二人とも、お仕事がんばるのー!」

「応。姉上もな」

「じゃあね、姉さん」

 

 

 

 そうして、私たち三人は別れた。

 いつも三人一緒の蟲の三姉弟。だけど、今の仕事を始めてから、一緒にいる機会も減ったように思う。

 兄さんや姉さんは単純だから、今の仕事に満足しているっぽいけど、私としては複雑だ。少なくとも、あまり快くはない。

 

(でもまあ、離別するってわけでもないし、いいんだけどさ、どうでも)

 

 不愉快なことは多い。姉さんらの尊厳を傷つけたマジカル・ベルたちはいまだ許していないし、今の仕事は嫌な事ばかり。クソウサギや生牡蠣共はウザいし、帽子屋さんはたびたび姉さんを連れ出すし。

 学校の生徒共も、バンダースナッチやドブネズミらも、どいつもこいつも勝手な事ばっかりしてムカつくし、鬱陶しいし、面倒くさい。

 ただ、そんな有象無象は、根っこのところではどうでもいいんだ。それは私を形作る世界の片鱗でしかない。

 私は、姉さんや兄さんがいれば、それでいい。あの人たちが、あの人たちらしい、尊い姿のまま生きていれば、それでいいんだ。

 だから、ずっと一緒の人生が続けば、それだけで私はこの世界を認められる。

 

(けど、いつまで今が続くものか……)

 

 不安がよぎる。

 最近、帽子屋さんがウミガメちゃんを引っ張ってなにか企んでいるっぽいし、バンダースナッチはやたら外に出てるし、ヤングオイスターズも兄弟姉妹揃ってなにやら動いている様子だ。

 今までのアンダーグラウンドな生活は、終わりを告げようとしている。私たちは明確に変化の兆しを見せ、どこかへ歩み出している。

 私は賛成も反対もしないけど……もし、その変化が、私たちの在り方にさえも干渉するようなら、私も動かなくてはならない。

 たとえ帽子屋さんであろうと、私たちの繋がりを歪めることは許さない。

 けれど今は、あまりにも不安定だ。どう転ぶのか、読めない。わからない。不明なことが多すぎる。

 私たちにとっての敵とはなんなのか。マジカル・ベルか。クリーチャーか。帽子屋さんなのか。それとも――

 対処すべき相手が見えなくては、備えもできない。

 そんな不明瞭な未来のことを考えるのは、憂鬱だ。

 今を生きるだけで精一杯だというのに、先のことを見据えるだなんて、面倒くさい。

 だから、

 

「……どうでもいいか」

 

 私たち姉弟の絆が壊されていないなら、それでいい。

 もしそれを壊そうとするのなら、徹底的に抗おう。

 勿論、そんなことがないのなら、それに越したことはないけれど。

 

「職員室……寄って行かないとな」

 

 歩みを止めて、方向転換。

 あと少しだ。この地獄のような世界で、塵芥のような人間共と馴れ合って、汚物のような役割を為す。

 教師なんてあまりにも柄じゃない。ただただ憂鬱で面倒なだけ。同僚も生徒もとにかくウザい。姉さんたちに言われたから仕方なくやるけど、そうでもなければ誰がこんなことをするものか。そんな愚痴を吐き出すことすら億劫になる。

 ……まあ、しかし。

 

「姉さんたちがいるのなら、こんな地獄でもいいか」

 

 腐っても地獄だが、受け入れられる。

 これがただの日常として。

 ずっと続く輪廻として。

 

 

 

 なにも変わらない世界であれば、いいのだけれど――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ただいまー……」

 

「お帰り……って、小鈴? あんたどうしたのその服!?」

 

「おやぁ、小鈴、ちょっと見ない間に随分とめんこい格好になったねぇ。不思議の国にでも行ってきた?」

 

「聞かないで……わたしだって、わけわからないんだから……」




 確か34話あたりで、バタつきパンチョウが小鈴に謝罪するシーンがあったと思うのですが、その謝罪は今回の事件が理由です。
 次回は……チョウ姉さんの話が続きますが、年越しのお話にしようかと考えています。では、誤字脱字感想等々、なにかありましたらお気軽にどうぞ。
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