デュエ魔法少女マジカル☆ベル   作:モノクロらいおん

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 とある裁定変更によって大打撃を喰らったものの、なんとか書き上げることができました。危うい裁定だということはわかっていましたが、やはり裁定変更と殿堂発表は辛いですね。あまりそのへんに依存しない作品ではあるのですが、今回は久々にかなり困りました。
 まあ、更新が一ヶ月ほど空いたのは、それが理由ではないのですけれど。


43話「太陽を求めて -中篇・昼光-」

「《コギリーザ》でダイレクトアタック――!」

 

 また一体、クリーチャーを倒す。

 どれだけのクリーチャーと戦い、倒しただろう。

 もう両手の指を使っても数え切れないくらい倒した……ような気がする。

 実際にどれくらい戦ったのか、倒したのかは、もう、覚えていない。

 ぐるぐると同じ場所を回っているような疲労感。実際はそんなことはないけれど、絶え間なく襲い来るクリーチャー、進んでも進んでもいまいち目的地のハッキリしない行軍に、そんな感覚を覚える。

 

「はぁ、はぁ……あ、アヤハさん……」

「どうした?」

「その……このクリーチャーを放ってる人のところまで、どのくらい、ですか? ちょっと疲れました……」

「どのくらい、か」

 

 アヤハさんは少し口ごもる。

 そして考える仕草を見せてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「まあ……距離だけなら、そうでもないかもな」

「距離だけ、なら……?」

「障害物が多いんだよ」

 

 と、言った直後。

 また、咆哮が耳に届く。

 次のクリーチャーがやって来たんだ。

 鳥さんの力があれば、普段よりもずっと長く動いていられるけど……それでも、こんなに連戦ともなると、少し堪える。

 

(……でも)

 

 このまま放置できることでもないし、頑張らないと――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「こっちでいいの? スキンブル!」

 

 謡は黒猫の後を追い、駆ける。

 彼が言うには、小鈴は今は一人――正確には、ヤングオイスターズと共に行動しており、クリーチャーと戦っている。

 クリーチャーと、一人で戦う。たった一人で、孤軍奮闘する。

 それがどういうことか、どれだけ辛く、苦しいことか。謡は知っている。

 長良川謡でも、スキンブルシャンクスでも、あるいは長良川詠でもない――『チェシャ猫レディ』としての自分も、そうだった。

 ヒーローに酔っていたあの時は、辛さも苦しさも忘れていたが、こんな重荷を、一人の女の子に背負わせていいはずがない。

 そのために、自分たちがいるのだから。

 

「……そうだ。皆にも伝えておいた方がいいよね。スキンブル、ちょっとストップ!」

 

 スキンブルを呼び止め、謡も立ち止まる。

 携帯を取り出して、後輩達に自分の知る情報を伝える。

 

「緊急だけど……そーくんあたりにはちゃんと伝えてあげた方がいいよね。えーっと、『妹ちゃんがヤングオイスターズのお姉さんと一緒にいて、一人でクリーチャーと戦ってるから』――」

 

 そう、文章を打っている、最中。

 ぞっと、背筋になにかが這う感覚。

 振り返るだけでも怖気が走る。回す首が重い。

 それでも、謡は振り返った。

 そして、そこには――

 

 

 

「――僥倖、というものか」

 

 

 

 悠然と、在るがままに。

 威風堂々と、為すがままに。

 刃のような瞳を向ける、豪奢な出で立ちの女。

 

 『公爵夫人』と呼ばれる者が、そこにいた。

 

 謡は思わず息を呑む。

 一方の公爵夫人は睨むように謡を見据えていたが、彼女はおもむろに口を開いた。

 

「帽子屋の奴を殺してやりたいと思索した。よもやこの儂を、たかが哨戒、露払いに使おうなどと、不遜に過ぎる。儂という力の用法として、あまりに遺憾だ」

 

 だが、と公爵夫人は続ける。

 

「結果、貴様と相見えることとなるのであれば――悪くない。采配の不満はあれど、意図的でないにせよ、最終的に儂の目的が果たされるのであれば、文句は言うまい」

「……あ、あなた、は……また、スキンブルを……?」

「然り」

 

 毅然と答える公爵夫人。対する謡の声は、震えていた。

 以前、容赦なく打ちのめされた記憶が蘇る。

 この時のために、強くなろうと、そう思っていた、はずなのに。

 いざ目の前にすると、彼女の佇まいに、気圧されてしまう。

 

「小娘。無知な貴様に勧告しよう。そこを退け。貴様には用向きも興味もない」

 

 公爵夫人の目的は、チェシャ猫――スキンブルだ。

 スキンブルの本来の飼い主は公爵夫人だ。だから公爵夫人は、逃げ出した飼い猫を引き戻しに来て、以前は代海の力を借りてその難を逃れることができた。

 しかし今はどうか。

 今ここにいるのは、謡一人。

 以前、公爵夫人に敗北を喫した、少女だけ。

 

「どうした小娘。足が竦んで動けぬというのであれば、立ち尽くすだけで構わん。チェシャ猫はここで回収する――」

「させるか!」

 

 突如として謡は叫ぶ。

 身体に纏わり付く怖気を吹き飛ばすかのように。

 震える恐怖を打ち払い、自身を奮い立たせるかのように。

 声を、張り上げる。

 

「スキンブルは渡さない! もう、あなたにも――負けない」

「……愚か者め」

 

 侮蔑の眼差しを向け、公爵夫人は溜息を吐く。

 

 

 

「無謀にして蛮勇。それが今の貴様だ。その代償は、支払って貰うぞ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――まあそんなわけで、オレも個人的に手芸部には恩とかあってね……」

「はぁ……」

 

 と、何杯目かの紅茶を啜りながら、相槌を打つ霜。

 しかしその相槌も、やや雑なものだった。

 それもそのはず、なぜなら。

 

(……話が長い)

 

 正直なところ、霜は朧の話に飽きていた。

 彼とは知らない仲でもないし、インタビュー前に軽い談笑を絡めて取材相手の緊張を解く、という手法は友人から聞いて知っている。だから多少の雑談は、そういうものだと思っていた。

 しかし、流石に長い。まだ本題のインタビューのことなど、ほとんどなにもしていないようなものだ。

 

「……すみません。少しお手洗いに」

「あぁ、どうぞ。場所はわかる?」

「大丈夫です」

 

 席から立つ霜。

 さて、どうしたものだろうか。霜は朧から離れ、思案する。

 彼の目的がわからない。

 こんなにも冗長なインタビューをするほど、彼は無能ではないだろう。変人で胡散臭くはあるが、彼が有能な人間であることは認めるところではある。

 霜も友人――若宮から、朧のことは多少なりとも聞いている。彼の目が節穴でなければ、新聞部としての技量が低いわけがない。むしろ高いはずなのだ。

 ということは、彼はあえてインタビューを停滞させている、と考えられる。

 一体なにが目的なのか。なにか聞き出したいことがある……というには、雑談の内容はあまりにもとりとめがない。

 ただお喋りしたいはずもない。となれば、霜と話すこと、それそのものが目的だとでもいうのか。

 

「……相変わらず不気味というか、喰えないというか、底の見えない人だ」

 

 手を洗いながら、嘆息する。

 その時、不意にそれが目に入った。

 なんてことはない。そこにあって当然のものなので、それを視認したのは本当にただの偶然だったのだが。

 その偶然が、思考を微かに刺激する。

 それは清掃表だった。入口付近にひっそりと張られたそれには、その日の当番の名前と、押印がある。

 ただそれだけであれば、霜はなにも気にしなかったかもしれない。

 しかしそこに書かれたひとつの名前が目に映った瞬間、思考が巡る。

 清掃表に書かれた名前のひとつ――『若垣綾波』という名前。

 

「若垣……若垣?」

 

 その苗字は知っている。今まさに、霜が頭を抱えている新聞部の彼こそ、若垣という姓だ。

 しかしそう変わった苗字でもない。ただの偶然の一致の可能性は十分にある。

 とその時、霜の携帯が震える。

 開くと通知が一件。珍しいことに、謡からだった。

 

 

 

[クリーチャーが出た。小鈴ちゃんがアヤハって人と一緒。一人で戦ってる]

 

 

 

 余裕のなさが、文面からでも伝わる。今、友人が危機に瀕しているのだろうことがわかる。

 しかしそれよりも、霜の中で、なにかが繋がりそうだった。

 

「アヤハ……」

 

 先ほど清掃表にあった名前。若垣綾波。

 これは有名な船の名前でもある。あやなみ、と読むのが普通だ。

 そして、ヤングオイスターズの長女、アヤハと名乗る彼女。

 若くも哀れな牡蠣たち。十二人の兄弟姉妹の集合体。

 そして、このタイミングで送られてきた、謡からの連絡。

 ただの偶然という可能性が高い。霜の理論はそう告げている。

 しかし、だ。

 どれだけ確率を計算しようと、サイコロは振らなければ結果はわからないのだ。

 霜はトイレから出る。ちょうどいいところに、以前来た時に応対してくれた店員がいた。確かこの店員は、彼女のことを知っていたはず。

 

「あぁ、あなたは、前に来てくれた子たちの……」

「すみません。聞きたいことがあります」

「? なんでしょう?」

「ここに、若垣という人が勤めていませんか?」

 

 ただの確認作業だ。偶然が偶然であることの証明だ。

 世の中はそう奇異なことばかりではない。

 が、しかし――

 

 

 

「若垣? アヤハちゃんのこと?」

 

 

 

 ――奇縁もまた、この世の理だ。

 大当たり、であった。

 

「あれ? でも君たちってアヤハちゃんの知り合いじゃなかったっけ?」

「ありがとうございます。それでは」

「え? あ、うん……?」

 

 疑問符を浮かべる店員をよそに、霜は席に戻る。

 しかし席には着かず、立ったまま朧を見下ろしていた。

 

「やぁ、お帰り。ささ、座りなよ。君にはまだ聞きたいことが――」

「ヤングオイスターズ」

 

 一言。

 たった一言で、朧は口を閉ざした。

 そして、

 

「あれ? なんでバレたの?」

 

 キョトンとした顔で、首を傾げる。

 純粋な疑問を呈するように、目を丸くしていた。

 

「君たちには、オレらの繋がりを特定されるような発言はしていないはず……だったんだけどなぁ。どこかでなにかミスったのかな。まあ、そういうこともあるか」

 

 一人で分析し、一人で納得している朧。

 思った以上に、彼は冷静だった。

 

「ボクらを騙していた?」

「騙すなんてとんでもない。わざわざ身分を明かさなかっただけさ。大体、君らを騙す理由がない……今以外はね」

「なにが目的なんだ?」

「奇跡……あるいは太陽、かな。帽子屋さん曰くね」

「……答えるつもりはないのか」

 

 そう判断した瞬間、霜は踵を返して駆け出した。

 

「えっ? あの、お客さん!?」

「会計はそこの彼にお願いします! 急用ができたので!」

 

 さっきの店員が驚きに目を剥いているが、無視して店を出る。

 いまいち相手の目的はハッキリしないが、しかし朧が霜をここに呼び出したことの裏に、【不思議の国の住人】が絡んでいるとなれば、ろくなことではないのだろう。

 あの冗漫な喋り口は、情報を引き出すというよりも、むしろ足止めなのかもしれない。

 ならば急いで小鈴の下に向かうべきだろう。しかし、彼女は今、どこにいるのか。

 店を出て、路地に着いたところで、携帯を取り出そうとする――そこで。

 

「――っ!」

 

 頭に、衝撃が走る。

 しかし軽い。多少の痛みはあるが、傷にはならない。

 直後、コロン、と軽い音が響く。そこに転がっているのは、空のペットボトル。

 それが飛来した方に目を向けると――

 

「寒いところでメロンソーダ飲みながら待つとか、拷問もいいところだけど……まあ、お兄ちゃんの言うこと聞いておいた甲斐はあったかも」

 

 ――そこにいたのは、ボーイッシュな身なりの少女。若垣狭霧。

 霜らのクラスメイトで、若垣朧の妹――だが。

 朧の妹ということは、つまり彼女も、ヤングオイスターズの一人。

 

「うちとしては、どーでもいいんだけど。でもお姉ちゃんは必死だし、しょうがないよね」

「そうそう。これは好機、お姉さんとしても見逃せないチャンスだ。オレたちは正しく一心同体の兄弟姉妹なんだから、その意は汲まないと」

 

 後ろから声。

 振り返ると、朧がいた。

 

「ボク一人に、二人がかりで足止めか」

「オレたちは一人だよ。ヤングオイスターズだからね。けれど、足止めというのは間違ってない」

 

 正面には狭霧。

 後ろからは朧。

 霜は二人に挟まれる形になってしまった。

 

「伊勢さん……マジカル・ベルの困ったところは、人を惹きつける縁、仲間との結びつきだからね。そんな厄介な彼女を無力化しなければ、太陽に手は届かない。コーカス・レースは終わりを迎えられないのさ」

「コーカス……? なにを言っているのかわからないけれど、ボクがここにいるのも、小鈴が今、あなたたちの姉と一緒にいるのも……ひょっとすると、恋や実子やユーや、他の皆のところで起こっているかもしれない出来事も、仕組まれていた、ってことなのか?」

「ま、そんなところかな。苦労したよ。君たちの予定をすべて調べ上げて、上手いこと理由を付けて接触して、各人の日程調整して……この日のために、あらゆる人の行動と配置をすべて計算してセッティング。本当に大変だったさ。加えて当日も駆り出されて、オレの負担だけ半端なくない? 別にいいんだけどさ」

 

 言葉とは裏腹に事も無げに言う朧だが、それがどれだけ労力のかかることかは察するにあまりある。

 しかしそしてそれをこなしてしまうだけの技量と情報が、彼にはある。

 とぼけたようで、ふざけているようで、底の知れない人物だと思っていたが。

 改めて、こうして敵対する立場になって、彼の手腕には驚嘆する。

 

「とはいえオレも完璧にはできなかったみたいだけどね。少なくも、オレが直接抑えている君に関しては、感知されないと思ったんだけどなぁ。どこから情報が漏れたのやら……取材場所にお姉さんのバイト先を選んだのが失敗だったのかな。オレも詰めが甘いや」

「でも、その保険のためにうちがいるんでしょ。お兄ちゃん」

「そうなんだけどね」

「そこまでしてボクを抑えたいのか」

「君は君自身の力量以上に、マジカル・ベルに“気付き”を与えてしまう存在だから、個人的には一級警戒対象なんだよ。だから、不思議の国から最も離れたこの場所で、隔離するつもりだったんだ。仮に気付かれて突破されても、間に合わないように」

「それは光栄なことだけれど、随分とペラペラ喋ってくれるんだな」

「当然じゃないか。だって、オレが情報を流せば、君は黙って聞いてくれるだろう? 疑問があれば質問してくれるだろう? 足を止めて、ね」

「っ!」

 

 そうだ。相手の目的が足止めなら、立ち話に付き合う必要などない。

 霜は踵を返そうとするが、

 

「いやまあ、別に無視して行ってくれても全然構わないんだけどね?」

「……なんだって?」

「無視したいなら無視すればいい。その場合、君は真実を知らないまま現場に赴くことになる。好きに選ぶといいよ、オレたちの話をじっくり聞いてから行くか、無知なまま慌てて駆け出すか。思う存分悩めばいい、そうしている間にも、時間は無慈悲に流れ続ける」

「っ……!」

 

 状況はよくわからないが、小鈴が狙われているという事実は、ほぼ確定だ。

 しかしなにが起こっているのかわからない以上、その対処法も、どう動くべきかの方針も、不明瞭だ。

 なにもわからないまま、情報が不足しているまま駆けつけて、どうなるか。

 “とりあえず”で動いて、いいのだろうか。

 しかしこうしているうちにも、彼女に危険が迫っているかもしれない。だが無知なままでは、その危険を退けることは叶わないかもしれない。

 朧の話を聞けば、なにかはわかるのだろうが、しかしそれは彼らの「足止め」という目的を果たさせてしまうことでもある。

 葛藤。嫌な二択を、突きつけられた。

 

「お兄ちゃんってば、相変わらずいやらしい」

「酷いなぁ、狭霧ちゃん。オレは自分の役割を果たしているだけなのに」

 

 嘘偽りなく、けれども白々しく、朧は微笑む。

 

「さて、どうする水早君? 焦らずゆっくり悩んでくれ。その方が、オレたちにとっても有益だ。Win-Winの関係といこうじゃないか。なに、安心して欲しい。記者は信用第一、嘘は吐かないよ」

 

 朧は嗤う。

 選択肢がない中で最善を模索するのとは違う。選択権がありながら、どちらが最善なのかを考える。

 本質的には同じ。しかし選択の余地があるだけで、その処理にかかる負担も、時間も、跳ね上がる。

 いつも通りの、しかしいつも以上に不気味な朧の笑み。どうする、どうすればいい、なにが最良の行動なのか。

 なにもわからない。なにが起きているのかも、彼らがなにを企んでいるのかも。それを知らないままにはしておけない。

 けれど、けれども――

 

「……退け」

「うん?」

「そこを退け、と言ったんだ」

 

 霜は朧に背を向け、彼ではない彼に、彼の妹であって彼に、狭霧に吐き捨てる。

 無知は恐ろしい。なにも知らないままに行動するのは、あまりにも危険だ。情報がないまま五里霧中の中を進むことなどしたくはない。

 しかし、それでも。

 友を危険に晒し続ける方が、耐え難い。

 それが霜の選択だった。

 

「まあ、君がそうするのなら、それでもいいんじゃない? というわけで荒事は狭霧ちゃんに任せるよ。オレがやってもいいけど、ここまで呼び出して棒立ちは可哀想だしね」

「余計なお世話。でも暇なのは確かだし、いいよ。うちが相手する。どうせ、前にボコした雑魚だし、変わんないでしょ」

「けれど、男子、三日会わざれば刮目して見よ、というじゃないか」

「知らないし。三日じゃないし。それに女装野郎じゃん」

「それでも男の子は男の子さ」

「くだらないコントはいい加減やめろ」

 

 鋭く冷たい声が、ぴしゃりと二人の会話を断ち切る。

 朧は深く溜息を吐くと、諦めたように首を振る。

 

「ま、言葉を弄するのはここらが限界かな。頼んだよ、狭霧ちゃん」

「はいはい。サクッと終わらせるから」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「日向さん、トイレに行ったっきり遅いっすねぇ」

 

 唐突な教師の闖入によって、妙に居たたまれない空気の漂う学援部。

 急遽、本日行うはずだったことを中止し、本来の学援部としての活動――突発的だが、報告を兼ねた諸々の案件に関する小会議――をする方針に切り替えたものの、議題として取り上げることも尽きかけていた。そのため、半ば雑談する場になりかけている。

 

「……あ。今気付いた。恋から通知来てる」

「なんだって?」

「『先帰る』……だって」

「は? やる気あんのかあいつ……いや、ないのか」

「日向さんですしねー」

「でも、彼女こういう時って堂々とサボる子だと思っていたけれど……」

「確かにな。らしくないと言えばらしくない」

 

 一騎が半ば無理やり入部させたのだが、恋は学援部の本来の活動には、一切の興味を示さない。性格上そうなることは、わかっていたことだが。

 だから恋が活動をサボること自体はなにもおかしくないし、それはいつも通りなのだが、彼女は怠惰を隠さない性分だ。

 サボるなら堂々と。わざわざ連絡なんて寄越さない。だからこの連絡は少々、奇妙なものではあったが、学援部の面々はあまり気に留めていなかった。

 ただし、

 

「……あぁ、成程。そういうことか。理解した」

「先生?」

 

 一人の羽虫だけは、感付いた。

 やる気がないということであれば彼も相当なものだが、しかし気まぐれに動かした頭で、すぐに気付く。

 

「もうここには用がなくなったので、私は去ります。それでは」

 

 陸奥国縄太はそう言うと、さっさと学援部を後にする。

 残された部員たちは、呆然とその後ろ姿を眺めていた。

 

「……あいつはなんだったんだよ、結局」

「さぁ……?」

 

 そんな風に呆れられていることなどどこ吹く風。陸奥国――木馬バエは、歩みを早める。

 不意に、窓の外、階下を見遣る。

 部室棟の出口に見える人影。そこに、小さく、細く、白い、少女がいた。

 躊躇いなく窓を開け放ち、窓枠に手を掛け、足を乗せ――飛ぶ。

 翅はなくともそれなりに丈夫な肉体だ。浮遊感も落下も気にすることはない。

 どうでもいいからこそ、機械的に、事務的に、淡々と。

 木馬バエは、日向恋の前に立ちはだかった。

 

「……っ」

 

 突如、目の前に落下してきた男に、恋は足を止める。

 無感動な眼差しだが、しかし多少なりとも、驚きの色が見える。

 

「携帯電話とは、面倒なものですね。ヤングオイスターズも警戒していましたが、あんな小さな絡繰で、お粗末ながらも大掛かりな作戦が崩壊しかねないとは。どうでもいいことですけど」

「…………」

「コーカス・レースだか聖獣だかなんだかよくわかりませんし、正直そういうのに興味ないんですよね、私。ただ一応、帽子屋さんは私たちのボスですし、姉さんも兄さんも引き受けちゃったし、私もやるしかないってだけで、本当、それだけなんですよ」

 

 無気力な木馬バエ。しかし己の意志がないからこそ、どうでもいいからこそ、彼はその選択を曲げることはない。

 最初に設定された道を逸れる方が、面倒だと感じる限り。

 

「やっぱり、そういう……」

「そういう感じです。あなたにはここにいてもらわないと。それが私に与えられた、しょぼい役目です」

「……無理やり、押し通る、なら……?」

「どうぞご自由に。ただしその場合」

 

 ほんの僅かに、木馬バエの目つきが鋭く、悪魔の如く邪悪に歪む。

 

「私の歯牙が、あなたを貪ってしまうかもしれません。周りが見れない性分なので、私」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「そう、つまり答えは――私自身が妹になることだったんだよ!」

「なのよー、なのよー! いくちゃんも私の妹なのよ! 家族が増えたのよ!」

「わっほー! おねーちゃん大好きー!」

「私もいくちゃん大好きー!」

 

「「いぇーい!」」

 

「ユーちゃんも皆さんが大好きです!」

「ならユーちゃんも家族だ!」

「なのよ!」

「ですです!」

 

「「「いぇーい!」」」

 

「なんだこれ」

「知らないわ」

 

 いつものように、あるいはいつも以上の賑わいを見せる遊泳部。

 部員たちは部長の奇行も愚考も知り尽くしており、今更なにをしたところでなにも感じないが。

 しかし部員ではない者からすれば、彼女の自由奔放さは目に余ると感じるもの。特に、正義感や責任感の強い者なら、尚のこと彼女に諫言せずにはいられないことだろう。

 ローザがまさしくその手の人物なのだが、しかし彼女は、携帯の画面を険しい表情で見つめるだけで、部長らの奇々怪々な行動など眼中にない。

 

「あれ? どうしたのローちゃん? 怖い顔しないで、ユーちゃんはローちゃんも大好きだよ」

「それは嬉しいけど、そうじゃなくて……ユーちゃん、これ」

 

 ローザはユーリアに携帯を差し出す。

 画面を見たユーリアの表情が、一変した。

 

「……! 小鈴さん……!」

 

 そして、ガタッと勢いよく立ち上がると、一目散に部室の外へと駆け出していった。

 

「ぶちょーさん! Es tut mir leid(ごめんなさい)! ユーちゃん、用事が出来ちゃいました!」

「わ、私も……! 待ってユーちゃん!」

 

 流れ星のような素早さで部室を飛び出していくユーリアに、その後を追うローザ。

 瞬く間に、二人の姿は見えなくなった。

 

「ありゃりゃ、ユーちゃんたち行っちゃった……まあいっか! 今日は珍しくおねーちゃんの日だし!」

「イクちゃんのそういうさっぱりしたところ、私は好きだけどちょっと残酷よね」

「こいつはその刹那のノリだけで生きてるからな」

「楽しそうですよね部長。頭と気持ちが悪いですけど」

「知りませーん聞こえませーん! そんなことよりおねーちゃんだ! おーい、おねーちゃん! あれ、聞こえてる? なんで急にスルーなの? 無視しないで! おねーちゃん! 妹だよ! 可愛い妹が呼んでるよ!」

「自分で可愛いとか言うのか」

「まあでもイクちゃんは可愛いわよ。顔だけは」

「でも頭の中身が気持ち悪いです。頭が気持ち悪いので、つまり顔も気持ち悪いです」

「超理論が辛辣すぎる」

 

 などと、遊泳部がいつもの如く頓痴気に騒いでいる傍ら、陸奥国葉子――バタつきパンチョウは、まるで遠くの別世界でも見ているかのように、虚空を見つめていた。

 そしてやがて、彼女はゆっくりと、瞼を降ろす。

 

「……そろそろ、なのよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふわぁ……謡ー、ちょっと――」

 

 眠そうな眼を擦りながら、リビングへと戻ってきた詠。

 しかしそこには、妹の姿はなかった。

 

「あれ、謡、いないの? 出かけたのかな……?」

 

 妹はいない。

 しかし代わりに、別のものがいた。

 

「ん? あれ……え? な、なに、どうしたの……?」

 

 思ってもみないそれに、驚いてしまった。

 それが、それであることを即座に理解できたことにも。それが、その姿であることにも。

 必死に言葉が紡がれる。冷静な振りをしても、焦っていることがわかる。

 そして、その、理由も。

 

「ふんふん。いまいち要領を得ないけど、ぴんちは伝わった。君がそんなに必死な感じなのは、ちょっと珍しいね」

 

 危機的だということは理解できた。けれど、相手があまりに必死だと、かえって冷静になってしまう。

 心配していないわけではない。不安がないわけではない。

 けれど――

 

「そう……大事な時なんだ。そっか、それなら、ちょっと待ってて」

 

 ――それ以上に、詠は信じていた。

 

「はい。これを、あの子に……お願いね」

 

 

 

「――承りました」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「…………」

 

 呆然と、空を見上げていた。

 身体が痛い。心は、なにも感じない。

 気付いた時には終わっていた。抵抗する間もなく、轢き潰されていた。

 

「呆気ないものだ。以前よりもなお薄弱となっているのではないか、貴様」

 

 嘲るような、それでいて関心のない声が聞こえる。

 

「よもや、以前の儂と同等だと思うたか。ならば貴様は、儂の想像を遥かに超えた愚か者である」

 

 ――負けた。

 また負けた。完膚なきまでに、徹底的に、言い訳もできないほど、完全に。

 敗北を喫した。

 

「貴様が今までなにをしていたかなど知らんし、知るつもりもないが……少なくとも儂は、儂が生きる時の中で、力の渇望を止めたことはない。今のなお、儂は飢えている」

「力……」

「然り。力だ。儂には力が必要なのだ。絶対的で、圧倒的な――奴を殺す力が」

 

 確固たる意志。明確なる殺意。絶対的に強固な渇望。

 彼女はもはや謡には目も向けていない。

 

 

「『ハートの女王』……忌まわしき我らが呪縛よ。奴を殺さねば、我らに栄光はない。故に儂は女王を殺す。我が身の自由のためにも」

 

 公爵夫人はどこでもない、遠くの(ソラ)を見つめていた。

 

「……口が滑った。貴様に用向きなどない。儂が用があるのは、遁走だけが取り柄のかの黒猫だけだ」

 

 と、彼女はぐるりと周囲を一瞥する。

 

「奴の追跡……否、今はコーカス・レースの最中。儂の役割は哨戒。与えられた役割なぞを遵守する儂ではないが、この稚拙極まりないが価値ある策の利益を考えるに、役割放棄こそ愚策か」

 

 不服そうに溜息を吐いてから、公爵夫人は謡へと視線を戻した。

 殺意の込められた眼差しを。

 

「となれば先に貴様を始末してくれようか。二度と、儂の目の前に立てぬように」

 

 身体が重い。今の自分では、軽く縊られてしまうことは明白だった。

 公爵夫人は吐き捨てる。弱者を蔑み、貧者を嘲り、凶手を翳す。

 

「身の程を弁えていれば、喪うものもなかったろうに。貴様は本当に、愚かだ――」

 

 それが謡を縊る――前に。

 

 

 

「――それはどうございましょうか、元ご主人」

 

 

 

 それは“姿”を現した。

 同時に、落ち着いた声が響く。

 

「確かに力及ばずの蛮勇やもしれませんが、俺はそれが、愚かだとは思いません」

 

 謡の視界に微かに映る、若い青年。いやさ、少年とも言えそうなほど、幼さも感じさせる風貌だ。

 どこか軽薄そうだが、妙にきっちりと着こなしたスーツ姿。首元には、鈴のついたチョーカーがつけられている。

 

「き、み……は……?」

「……この姿で対面するのは、少々、気恥ずかしいですね。謡」

 

 はじめて見たはずの少年。しかしそう感じさせない、どこか懐かしいような、安心するような言の葉。

 少年はほんのりと赤面しながら、謡に微笑みかける。

 

 

 

「不肖、スキンブルシャンクス。“現”ご主人のために馳せ参じました」

 

 

 

 姿の見えない黒猫は、そこにはなく。

 そこにいるのは、人の姿を取った、笑い猫だった。

 

「貴様……チェシャ猫か!」

 

 少年――スキンブルシャンクス(チェシャ猫)に噛みつく公爵夫人。

 彼女は忌々しげに、彼を睨み付ける。

 

「よもや人間体を獲得したとはな……儂の個性()を以て、我々が長い月日を経て得た擬態能力を、生まれたばかりの貴様が、こんなにも早急に会得するとは、どういう仕掛けだ?」

「きっかけがあったのですよ。彼女の中に――『チェシャ猫レディ』として取り込まれた時から、人間としての要素は既に獲得していたわけでございます」

「……まあいい。何しに来た。儂の下に帰還する気になったか?」

「まさか。あなたのような醜悪なご主人は御免被りますよ。俺は美しく可憐な女性が好みですので」

 

 くすくすと、軽口を叩きながら笑うスキンブル。

 彼は公爵夫人から視線を外すと、地に伏す謡に向き直った。

 

「謡、俺の真なるご主人。立ち上がってくださいませ」

 

 そして、手を差し出す。

 彼女を引き上げるための手――ではない。

 それは彼女を立ち上がらせるため。

 彼の手には、ひとつの箱が乗せられていた。

 どこか見覚えのある、デッキケースを。

 

「あなたの姉から――詠からの、届け物です」

「姉ちゃんから……?」

「彼女にあなたの危機を伝えたら、これを託されました。つまり、そういうことなのでしょう」

 

 デッキを受け取る。

 すべてを確認する暇などないが、見覚えがあるような、ないような、しかし確かに手に馴染むような、不思議なデッキだ。

 

「一度敗れ、二度敗れ、しかして三度目も敗北を喫する道理がありましょうか? いいえ、物語の主人公とは、幾度打ちのめされようとも、最後には悪逆を滅ぼすもの。そうでしょう?」

 

 ――主人公。

 それは、自分の憧れたもの。

 物語の中で、口伝の中で、夢想が膨らみ、憧憬を抱いた存在。

 そうなりたいと、願った理想像。

 あぁ、そうだ。

 理想を、理想のままにはできない。

 その悲願がこの手に届くのなら、今、伸ばさなくては。

 

「……そうだね」

 

 そして、謡は、立ち上がった。

 一度、二度と敗れたが。

 まだ、終わったわけではない。

 自分が理想とする自分は、ヒーローとは、ここで折れるものではないのだから。

 

「悪……とな。儂が悪逆なる者と宣うか」

「俺たちの情を引き裂く醜女は悪ですとも。えぇ、あなたの理想がどれだけ気高くとも、俺たちはあなたを討たなければならないのです。少なくとも、今は」

「儂には儂の、あるいは我らの正当性もある。客観的に見れば、悪など、視点の問題でしかない」

「えぇそうでしょうとも。ですが関係ありませんね。我々の絆を断とうとするあなた様は、紛れもなく悪役(ヴィラン)。少なくとも、今、この場では。俺たちからすれば、そのように定められるのでございますよ」

「……やはり儂の下に戻る気はないのか、チェシャ猫」

「申し訳ございません。先ほども申し上げたとおり、俺は美女が好きであり、醜女に興味はありません」

 

 それに、とスキンブルシャンクスは続ける。

 

「なにより、俺は今が楽しく、満ち足りていて、たまらないのです。我が名は『チェシャ猫』ならず、スキンブルシャンクス。あなたの一部であった俺は、もうどこにもいないのですよ」

 

 誰かに縛られることなく。

 気ままに、思うままに、地を駆け跳ねる。

 自分の欲望と願望に忠実に、ひたすらに邁進する日々。

 【不思議の国の住人】の中では味わえない、人の世の温もり。

 スキンブルシャンクスとなったチェシャ猫は、もはや、チェシャ猫ではない。

 

「そう、俺は――“自由”を手に入れたのですよ、元ご主人」

「……そうか」

 

 公爵夫人の声が、吐息が、小さく、細く――冷徹に、凍える。

 

「貴様は、儂が、我らが得ることのできない自由を得たと宣うか……『ハートの女王』が居てなお、そのような痴れ言を吐くかッ!」

 

 凍てつく声は業火の言葉に変わり、公爵夫人は顔が歪むほど、憤怒の形相で彼らを睨み付ける。

 

「そうか、そうか、そうか! そういうことだな! 貴様はそれほどに望むのだな! 儂が! 悪意に――狂気に満ちることを!」

 

 咆えるように、怒りと、憎しみと、嘆きに満ちた慟哭を振りまく公爵夫人。

 諸手を広げ、彼女は(ソラ)へと叫ぶ。

 

「なればこそ望むままに! 討ち滅ぼしてみるがいい! 儂という悪を打破し、貴様らの理想を貫いて見せろ! 貴様が自由などと世迷い言をほざくのであれば、儂程度の試練、超克してみせるがいい!」

 

 宣戦布告のように、公爵夫人の慟哭が響き渡り。

 彼女は飽くなき野望と殺意に燃える、貫くような瞳を、ギラつかせる。

 

「我が名は『公爵夫人』! 狂気に歪んだ醜女の魔獣なれば!」

 

 美女は野獣へ。美声は咆哮へ。口吻(くちづけ)は裂牙へ。

 公爵夫人は、その内に秘めたる獣性を、解き放つ。

 

化粧(けわい)を剥いでやろう。醜き我が顔を覆う美を取り払ってやろう。反転した醜悪を正しき位相に戻してやろう!」

 

 醜くあることが、『公爵夫人』に定義された言の葉。

 その文言を拡大し、反転し、美醜を司る力となり得たそれは、彼女を包む鎧であり、殻であり、皮であり、仮面。

 そしてなにより――隠蓑である。

 

「刮目し、絶望し、そして“恐怖”せよ! これなるは我が狂気にして、我ら【不思議の国の住人】の真の姿である!」

 

 

 

 ――ドロリ、と。

 

 

 

 公爵夫人の顔が黒く溶ける。

 しわくちゃに歪み、肌は爛れ、肉が盛り上がる。

 手が、足が、指先から髪の毛まで、先端が蹄のような触手のような塊と化す。胴体に、腕に、足に、いくつもの巨大な口腔が穴を空け、歯牙を屹立し、緑色の涎を垂らす。

 辛うじて人の姿を保っているが、しかしのたうつそれは、まるで樹木のようであり、同時に、この世のものとは思えない怪物になり果てる。

 どのような伝説にも、伝承にも、神話にも、これほど醜い怪物は存在しないであろう。それほどに、彼女の姿は悍ましい。

 

「恐れよ、怖れよ、畏れよ! 我らは深き漆黒の森にて密やかに息づく暗黒の仔山羊――ハートの女王の落し子(Dark Young)!」

 

 多重の大口から、反響するように重なり聞こえる、未知なる慟哭。

 醜悪に歪んだ公爵夫人は、ただひとつの樹木でありながらも鬱蒼とする黒き森を象徴し、牙を剥き、阿鼻叫喚の如く咆哮する。

 

「そして我が醜悪さこそが、儂が女王より受け継ぎし権能! 狂気の三柱が一柱なりし“恐怖”である!」

 

 人が狂い落ちる三つの理。その一つが、恐怖。

 公爵夫人の姿は正しく、恐怖そのものだった。

 

「あ、あ、う、ぅぁ、ああああ、あああぁぁぁぁぁ……!」

 

 パクパクと、空気が口から漏れる。

 言葉が出ないどころか、まともに声すら出せない。

 喉の奥から、掠れた音が、壊れた機械のように競り上がるだけだ。

 全身が打ち震える。立ち上がったはずの足は、根が生えたように動かない。戦うために振り上げた腕も、石のように重い。

 心臓が弾け飛びそうだった。頭の中が真っ黒に染まり、なにも見えなくなる。なにも考えられなくなる。自分の意志という意志が放り出され、ただひとつ、恐怖のみが反響する。

 無理だ。怖い、勝てない。恐い。こわい。恐ろしい。どうしようもない。こわい。怖い。太刀打ちできない。勝ち目がない。対抗できない。こわい。立ち向かえない。立ち向かいたくない。怖い。恐い。こわい――

 

 

 

「謡」

 

 

 

 頭を揺さぶるような、声。

 カタカタと歯を震わせながら首を回す。

 そこにいたのは、スキンブルシャンクス。

 矮小な笑い猫の少年だ。

 彼は、頼りない、せせら笑うような、けれども穏やかな笑みを浮かべる。

 

「落ち着いてください。あなたには、俺がいます」

「ぅ……」

「それに、家に帰れば詠がいます。教室にはフーロ様が、生徒会室には五十鈴様がいます。そしてあなたの周りには、小鈴様が、恋様が、ユーリア様が、霜様が、実子様がいます」

 

 彼は語りかける。

 探るように、解きほぐすように。

 なごやかに、静かに、言葉を紡ぐ。

 

「醜女の魔獣と化した公爵夫人は、恐ろしい。醜い容姿だけではございません。その力も、より凄烈で、凶悪になっていることでしょう。しかしその脅威に立ち向かわなければ、あなたはすべてを喪ってしまう。あなたという、存在(キャラクター)そのものが、消えてしまう」

「私が……消える……?」

「肉体的な死ではありません。精神的な終焉。意志も、目的も、正義も、すべてを喪失したヒーローなど、死んだも同然。モブキャラと同じでございます。無色透明な、何物でもないなにか……それは、嫌でしょう?」

「……い、やだ……」

「俺も、そんなご主人は嫌でございます。それでは、手を取ってください、ご主人。今まで逃げ惑い、怖じ気づくだけだった俺が言うのも心苦しいですが……また、共に戦いましょう」

 

 手が差し出される。

 今度は、託すための手ではなく。

 狂気から逃れるために――繋がるためにある、猫の手だ。

 

「……うん!」

 

 心臓を突き破るような動悸は、徐々に鎮まっていく。

 黒く塗り潰された頭も少しずつクリアに。

 なにかが振り切れて、変わり果ててしまう前に、踏みとどまることができた。

 

「……発狂寸前で留まったか。だが、理性は苦痛を味わうだけの劇薬にしかならん。人の身で怪物に立ち向かう愚かさ知れ、小娘」

「それは違うな。怪物を倒すのは、人間の――主人公(ヒーロー)の役目だよ!」

 

 ただ一人で黒き森を体現する、暗黒の魔物、公爵夫人。

 蠢動する触腕、慟哭する大口、泡立つ表皮。

 恐怖に驚怖を重ねる狂気を以て、彼女は立ちはだかる。

 しかし、

 

(私には、姉ちゃんから託されたデッキがある。スキンブルもいる……!)

 

 叶えたい願いがある。辿り着きたい場所がある。

 挫けそうになった心は、もう、揺るがない。

 そして、

 

(私たち三人の力が、ここにはある――!)

 

 故にこそ負けはしないと。

 謡は、戦場へと足を踏み入れる――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《天災(ディザスター) デドダム》を召喚! 山札から三枚を捲り、手札、マナ、墓地へと振り分ける」

 

 怪物と化した公爵夫人は、デッキの中身さえも変質していた。

 《悪魔妖精ベラドンナ》でマナ加速をした後に、さらに《デドダム》でリソースを拡大する。

 手札に、マナに、墓地に、樹脈を張り巡らせる。

 

「っ、私のターン! 《メイプル超もみ人》を召喚! マナを加速して、《タイク・タイソンズ》で攻撃!」

 

 姿も、戦い方も変わった公爵夫人に不気味さを感じながら、謡も、詠から託されたデッキを操る。

 《タイク・タイソンズ》が公爵夫人に突撃していくが、その時。

 

「Jチェンジ発動! マナゾーンの《ガチャダマン》とチェンジ! 《タイク・タイソンズ》の能力で1マナ加速、《ガチャダマン》の能力で、GR召喚!」

 

 マナゾーンのジョーカーズと、入れ替わる。

 《ガチャダマン》がバトルゾーンへと飛び出し、さらにその体躯が二つに割れ、中から新たにクリーチャーが飛び出す。

 

「《ゴッド・ガヨンダム》! マナドライブ発動! 手札のジョーカーズを捨てて、二枚ドローするよ! そのままシールドブレイク!」

「……ふん」

「ターンエンド!」

 

 

 

ターン3

 

公爵夫人(Dark Young)

場:《デドダム》

盾:4

マナ:5

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

場:《メイプル》《ガチャダマン》《ガヨンダム》

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:0

山札:24

 

 

 

 出だしは上々。場も、マナも、手札も、順調に揃っている。

 しかし相手は、異形の醜女、公爵夫人。

 彼女は災厄の如く、荒れ狂う。

 

「3マナで《デドダム》を召喚。そして4マナをタップ。マナから出でよ、《虹速 ザ・ヴェルデ》!」

 

 手札を切らず、マナゾーンから召喚される《ザ・ヴェルデ》。

 姿形は変われども、その苛烈さは変わらない。

 動き出した暴威は止まることなく、そのまますべてを滅ぼすべく突き進む。

 

「《ザ・ヴェルデ》はマッハファイター。《メイプル超もみ人》を攻撃――する時に」

「っ、侵略……!」

「然り。しかし、ただの侵略ではない。儂が母君から授かった、この忌まわしき恐怖の狂気……その身で味わえ」

 

 公爵夫人の墓地から、暴風が吹き荒れた。

 汚泥、黒水、邪悪を孕んだそれは、天からの災いとなる。

 

 

 

SSS(トリプルエス)級侵略[天災(ディザスター)]!」

 

 

 

 《ザ・ヴェルデ》が暴風雨に飲み込まれ、邪悪なる災いに侵蝕される。

 

「原始の世界、宇宙より舞い降りる、不死なる邪神が眷属よ来たれ」

 

 三種の恐怖が交わった時、天災の化身が、現れ。

 星が、侵略される。

 

 

 

「恐怖に満ちた狂気の三重奏を(うた)え――《SSS級天災 デッドダムド》!」

 

 

 

 侵略のその先に至った、S級侵略。

 さらにその限界すらも超えた、SSS級侵略。

 その暴威は、情けも容赦なく、謡を蹂躙する。

 

「《デッドダムド》の能力で、相手クリーチャー一体を除去する。《ゴッド・ガヨンダム》を破壊!」

「ぐ……!」

「そのまま散れ。《メイプル超もみ人》を破壊!」

 

 能力で《ゴッド・ガヨンダム》を、バトルで《メイプル超もみ人》を、轢き潰す。

 しかしそれだけでは終わらない。

 

「続けて《デドダム》で攻撃する時、まずは侵略発動! 《復讐 ブラックサイコ》!」

 

 標的を《ガチャダマン》に据え、《デドダム》が動き出す。

 天災の信奉者は復讐の権化と化し、そして――

 

 

 

「――SSS級侵略[天災]!」

 

 

 

 “バトルゾーンの”《デッドダムド》が、剥がれ落ち、新たな苗床に侵蝕し、侵略する。

 

「バトルゾーンの《デッドダムド》を《ザ・ヴェルデ》から引き剥がし、《ブラックサイコ》に重ねて侵略!」

「っ、バトルゾーンから侵略だなんて……!」

 

 異様ではあるが、しかしそれこそが、SSS級侵略の恐ろしいところだ。

 手札から、墓地から、マナゾーンから、そしてバトルゾーンから。あらゆる場所から、恐怖は這い寄る。

 天災の暴威は衰えることなく、いつまでも留まり、絶え間なく破壊を巻き起こし、すべてを滅ぼすのだ。

 

「《ガチャダマン》を破壊! さらに《ブラックサイコ》の能力で、貴様の手札を二枚破棄だ!」

「くっ、は……ぁっ……!」

 

 バトルゾーンは全滅。手札も削ぎ落とされた。

 順調だと勢いづいたのも束の間。一瞬で謡の盤面は貪られてしまった。

 

「ま……まだ、終わってない! 《ウォッシャ幾三》を召喚! 能力でGR召喚できる!」

 

 姉に託されたこのデッキ。中身は判然としないが、謡が今まで扱ってきたジョーカーズとそう大きく変わらないことはわかった。

 それならば、未知なるGRの中に、逆転の一手があってもおかしくない、が。

 

「っ……! 《パッパラ・パーリ騎士》……!」

 

 その一手が導かれるとは限らない。存在するのかもわからない。

 なにが眠っているのハッキリしない。その“未知”は、少しずつ、恐怖として謡を蝕む。

 

「墓地の《ガチャダマン》をマナに……《天体かんそ君》を召喚、山札から三枚、マナ、トップ、ボトムにセットして、ターンエンド……!」

 

 

 

ターン4

 

公爵夫人(Dark Young)

場:《ヴェルデ》《デドダム》《デッドダムド》

盾:4

マナ:6

手札:4

墓地:2

山札:20

 

 

場:《幾三》《天体かんそ君》《パッパラ》

盾:5

マナ:8

手札:0

墓地:4

山札:21

 

 

 

「儂のターン。2マナで《悪魔妖精ベラドンナ》を召喚、破壊してマナ加速。さらに4マナタップ。《ベラドンナ》を進化元に、墓地進化《不死 デッド55》! 登場時、山札から二枚を墓地へ!」

 

 命を捧げた《ベラドンナ》が、新たな命を紡ぎ、そして屍が死者への糧となる。

 《ベラドンナ》の遺骸を取り込み、醜悪な殺意が向けられた。

 

「さぁ、殺すか」

 

 触腕は謡を嘲るように蠢動し、爛れた黒い皮膚は怒るように脈動する。

 醜く口角を釣り上げる。全身の至る所から真っ黒な歯牙を剥き、恐怖という名の狂気に満ちた眼光を放つ。

 

「《デドダム》で攻撃! SSS級侵略[天災]! 手札、マナゾーン、バトルゾーンから侵略――《SSS級天災 デッドダムド》!」

 

 天高くから、地の底から、あるいはすぐそこから――あらゆる場所から、それは這い寄り、侵略する。

 

「消えろ。有象無象の塵芥共」

 

 三重に侵略した《デッドダムド》によって、謡のクリーチャーがすべて、一瞬で消滅する。

 原型も残らぬほど身体を砕かれ、頭を潰され、存在が無に帰す。

 そして、その災禍は、そのまま謡へと向けられた。

 

「Wブレイク」

「っ! う、ぁ……!」

 

 痛い。砕かれた盾が、掠めた侵略者の猛撃が。

 だが、それ以上に、怖い。

 異形の怪物が。向けられた殺意が。彼女の――覇道が。

 理解の及ばないほどの熾烈な意志に、その強靭さに、恐れを感じる。

 身が竦み、痛みを忘れそうなほどの、恐怖。

 全身を蝕むそれに、気が狂いそうだった。

 このまま、負けてしまったら――

 一瞬、そんな思索が巡るが、頭が真っ白になって、なにも考えられない。

 

「《デッド55》で攻撃! さらに墓地から、S級侵略[不死]!」

 

 追撃の魔手が伸びる。

 黒煙を吐き出し駆動する機体は、朽ち、爛れ、腐り落ちていく。

 しかしその身は錆びることも、劣化することもない。腐食した鋼鉄の身体は紫炎を散らして、醜悪に歪んだ姿を晒しながらも、地獄の底より這い上がる。

 公爵夫人の全身が、嘲弄するように叫喚し、憤怒するように躍動する。

 ただ一人、黒い森が、仔山羊のように暴れるかの如く。

 

 

 

「我が狂気は振り払えん。尽きることなく恐怖は蘇る――《S級不死 デッドゾーン》!」

 

 

 

 禍々しい瘴気を放つ暴走車。

 制御を喪ったかのようにそれは、己が身が砕け、歪み、朽ちることも厭わず、爆進する。

 

「Tブレイク!」

「…………」

 

 言葉が出て来ない。

 また身体が震えてしまい、思考も止まった。

 まだ逆転ができるとか、勝機があるとか、そういうことではない。

 目の前の存在が、ただただ、怖い。

 怪物に成り果ててでも、力を求める執念。

 どれだけ醜くなろうとも、悍ましい姿を晒そうとも、曲がることのない意志。

 狂気的とさえ言える妄執。人のそれを超えたなにか。

 幾度立ち上がろうと、心を繋ごうとも、そのたびに正気を破壊する狂気の波動。

 逃れたと思っても、それは、いつだって傍にある。きっかけひとつで、胸の底から無限に湧き続ける。

 恐れは狂気。人を狂わす恐怖。それを司る、公爵夫人。

 理解が及ばない。彼女の黒金の意志に比べて、自分の存在がどれだけ矮小か、思い知らされる。

 格の違い。あるいは、次元が違う。

 そんな圧倒的な威風の前に、絶望し、恐怖し――狂いそうになる。

 その時。

 ギュッと、あたたかいものが、手を握った。

 

「怖いですよね、俺の元主人」

「す……きん、ぶる……」

「恥じることはありません。何度挫けそうになっても、それは自然なこと。あれはそれほどに、恐ろしい。そしてそういうものです」

 

 いつの間にか、彼がいた。

 獣の姿ではない。見慣れない、人の姿をした、彼が。

 

「俺も怖いと思います。いやはや、本当にあの姿のご主人は、おっかない。仔山羊などと言ってますが、そんな可愛いものではございません。醜悪で、不細工で、強欲で、罪深い。救いようがない醜女です」

 

 やれやれ、と言わんばかりに肩を竦める彼は、しかし、ほんの少し震えていた。

 それでもぬくもりのある手で、力強く手を握り続ける。

 

「それでも、俺が元ご主人について認めざるを得ない点があるとすれば、帽子屋をも凌駕する強烈な意志でしょう。よもや俺を手にするために、ここまでするとは思いませんでした。そのせいで、あなたに怖い思いをさせてしまったことは、謝罪するべきですね。こんな醜悪な怪物、可憐で平凡な少女に見せるものではございません」

「可憐で平凡って……私は……」

「えぇ、そうです。平凡、それはあなたが嫌うものでしたね。それにあなたは可憐でもありませんし。では可憐で平凡な少女、我々が知るそれは、はて、誰でしたか」

「っ!」

 

 気付かされるように、思い出す。

 自分の原点。自分が憧れ、目指したもの。

 自分にとって、大切なものは、なにか。

 

「恐れながら進言しましょう。あなたが、彼女のように――いいえ、あなただけの主人公になるのならば、ここが分岐点です。ポイントを切り替え逃げますか? それとも、このまま前進致しますか? 車掌はオレです。お客様の希望に沿って、進路を決めようではありませんか」

 

 夜汽車の車掌、鉄道猫は不敵に笑う。

 選択を、決断を、迫られる。

 真っ暗闇に覆われた黒い空の世界。暗夜の中、如何なる道を進むのか。

 答えは――決まった。

 

「……やだ」

「…………」

「逃げるのは……嫌だ!」

 

 ここで逃げるわけにも、朽ち果てるわけにも、いかない。

 お伽話のような、一人の女の子の物語。それに夢想した自分。憧憬を抱いた、ちっぽけな私。

 それは護らなくてはいけない。自分が憧れた女の子も、自分自身が願った夢も。

 主人公(ヒーロー)に、なるために。

 

「その答えが聞きとうございました。それではここで討ち滅ぼしてしまいましょう。私のご主人(マスター)

「うん!」

 

 恐怖は霧散した。

 彼女と、自分の夢を守らなければいけない意志。そして、その夢想に添い遂げてくれる、相棒。

 彼から伝わる震えも消えていた。これでなにも迷うことなく、狂気に侵されることもなく、前に進むことができる。

 

「なにやらくだらん戯言を弄していたようだが、遺言は終わったか?」

「いいや、終わってない! こんなところで、終わるもんか!」

 

 《デッドゾーン》に粉砕された三枚のシールド。

 一枚は手札に。しかし残り二枚は、輝きを放つ。

 

「S・トリガー! 《松苔ラックス》! 《りんご娘はさんにんっ娘》!」

 

 その輝きはクリーチャーの姿を形作り、バトルゾーンに顕現する。

 

「呪文の効果で、《スゴ腕プロジューサー》をバトルゾーンに! そして、能力でGR召喚! 出るのは《バイナラシャッター》! マナドライブで、コスト7以下のクリーチャーを山札の下に押し戻す! 《ザ・ヴェルデ》を山札の一番下へ!」

「ぬ……!」

「それだけじゃないよ! 《松苔ラックス》の能力で、《デドダム》を拘束! これで、もう攻撃はできない!」

 

 除去、そして拘束によってクリーチャーの動きを止める。

 攻撃すらできないのであれば、《デッドダムド》が侵略することもできない。

 公爵夫人の攻撃は、たった一瞬だけ、しかし確実に、停止した。 

 

「まだ抗うか……!」

「当然! 私は決めたんだ! 私は……私のなりたい私になる! 私の抱いた理想を守れるような、ヒーローに!」

「儂の醜き姿を見ても尚、そのような虚言を吐くか。貴様は無知蒙昧なだけだ。そこな黒猫も、儂と同じだ!」

「同じじゃない! スキンブルとあなたは、全然違うよ!」

「否!」

 

 力強く、確固たる意志を持って、公爵夫人は否定する。

 それが絶対的な理であるかのように、それだけは、覆りようのない事実であると言うかのように。

 

「再三告げよう。貴様は無知なだけだ。儂も、チェシャ猫も、同じものであるということを、知らないだけだ」

「……どういうこと?」

「儂がなぜ、そこな黒猫を追うか。考えたことがなかったか?」

「…………」

「意志薄弱なる獣を得ることに、如何なる意義があるか。塵や霞を喰らいて得る力はない。それが、本当に塵芥であるのならばな」

 

 逆に言えば、それが価値あるものならば、公爵夫人は喰らう。

 それが自身の血肉となり、力を得るものならば。

 

「儂が信じるのは、自分自身だけだ。我が力のみが至高であり、絶対だ。我が手に力なくて、望みは果たされぬ。それ以外の有象無象など、利用こそすれども、我が身に宿す価値などない」

 

 しかし公爵夫人は、チェシャ猫を、スキンブルシャンクスを、手に入れようと躍起になっている。

 臆病で、強がりで、卑しく、矮小な、ただの黒猫を、渇望している。

 自分自身への盲信。外界への不信。矛盾する動向。

 

「儂は、儂以外の力なぞ認めん。我が身を繋ぐものに、儂以外が混在することなど許さん。母君……ハートの女王であろうとだ。だがしかし、それが“儂のもの”であるのなら、儂自身であるのなら、儂はその力を認めよう。受容しよう。否、その力を、喰らわねばならぬ。他でもない、儂自身の力のために」

「……それって」

「あぁそうだ」

 

 けれどその矛盾が、本当に、矛盾ではないのだとすれば。

 それは――

 

 

 

「チェシャ猫は――儂自身だ」

 

 

 

「……スキンブルが、あなた……?」

「厳密には、儂の力の一部を切り分けた存在。「醜くある」儂の力の逆位相は「美しくなる」。そしてその言葉の裏に潜む意味の欠片は、“自分自身の消失”――「姿を消す」」

「姿を消す……それって……」

「然り。そこな猫の力は、元々は儂の力。言葉の意味に内包された裏の性質。その具現だ」

 

 自身の姿を消し、隠密するチェシャ猫。

 それは本来、彼自身のものではなく、公爵夫人の個性()から分離した、一欠片に過ぎない。

 だからこそ、彼は貧弱だが。

 だからこそ、公爵夫人は、貧弱な彼を求める。

 それは、他ならぬ自分自身なのだから。

 完全なる自分自身を取り戻す。そんな、単純な願望だ。

 

「なんで……そんな、ことを……? そんなことが、できるの……?」

「初めは、ただの空想だ。思いつきだ。母君を殺す手段を模索していた中、理屈も論理も思案せずに打った愚かな一手だ。意義を熟考せずに試行したら、偶然か必然か、分離できてしまった。一時の試みは成功に終わった。それだけだ」

「それなら……!」

「だが真実は失敗だ。自我を得たまではともかく、儂の下を離れ、人間につくなど言語道断。ましてや、それを自由などと宣うなど、あまりに欠陥が過ぎる。なればこそ、儂はそれを回収せねばなるまい。貴様は儂なのだから。儂の責務を以てして、貴様を儂に再統合し、儂はハートの女王を殺す力を得る!」

 

 再び、公爵夫人の大口が牙を剥く。

 無数の触腕は蠢き、根のような蹄は大地を震わせ、醜悪な狂気と恐怖を振り撒く。

 

「故に再三勧告する。邪魔をするな、と――」

 

 

 

「ふざけんな!」

 

 

 

 謡は、叫ぶ。

 恐怖を打ち払うほどの怒りでもって、醜き公爵夫人を睨み付けた。

 

「勝手に生み出して、失敗だとかなんとか言って、自分の都合で無理やり戻れって……何様のつもりだ!」

「謡……」

「昔がどうだとか、そんなこと知ったこっちゃない! 今のスキンブルはスキンブルだ! あなたじゃない! 責任とかなんとか、よくわかんないけど、そんな自分のエゴで、スキンブルを……私の相棒を、その自由を、奪わせはしない!」

 

 ただひたすらに怒りを、願いを喚く謡。

 公爵夫人は触腕を振るわせ、無数の大口を噛み締める。

 

「自由、か……あまりほざくなよ、小娘」

 

 ギロリと、公爵夫人も睨み返す。

 

「それは我々から最も縁遠い言葉だ。故にこそ我らはそれを渇望する。女王に縛られ、行き場を堰き止められた我らが世界の進展を願う。他の連中は諦めているようだが、儂は奴の存在という束縛が、我慢ならない。それだけだ」

「なら……!」

「だが! 貴様らのぬるい和平などに応じるつもりはない。我らは所詮、邪神の塵より産み落とされた獣! 人を、命を、世界を! 総て貪り、喰らい尽くす他、道はない!」

 

 全身の大口が、絶叫する。悲しげな、哀しみに満ちた慟哭を響かせる。

 その存在すら明確に定義されず、曖昧模糊なまま、世界に生まれた者たち――【不思議の国の住人】。

 痛みに耐えながら隠遁する者がいた。諦念に駆られ惰性で生き延びる者がいた。

 底抜けに明るく笑う者がいた。自分の欲望にひたすら忠実な者がいた。

 どれが彼らの総体としての姿というわけでもないのだろうが、しかし、彼らがどん詰まりの中にいるということだけはわかる。

 情が湧くと言えば、その通り。いくら朗らかに笑おうとも、この世界に彼らの居場所はないのだから。

 そして、その先にある未来も――

 

「……でも」

 

 その憐憫は、違うのだ。

 憐れんでしまう気持ちはある。だが、だからといって、すべてを差し出すなど――大切なものを奪われることを許すなど、認められなかった。

 

「だって、スキンブルは、私の――私たちの、仲間だから!」

 

 胸の痛みを堪え、謡はカードに手を掛ける。

 白く輝く、未来への希望に溢れた場所に。

 

「ターン終了時、《スゴ腕プロジューサー》の能力発動! 自身をマナゾーンに送り、バトルゾーンを離れたことで能力発動!」

「謡……お願いします」

「うん、任せて!」

 

 獣と呼ぶには、彼女はあまりにも悍ましい。

 けれど獣なら、こちらにもいる。

 臆病で、軟派者で、格好付けてばかりだけれど、まっすぐな彼が。

 

「この先続くは獣道。夜行は危険。しかして鋼の体躯を阻むものなし」

 

 快適ならずとも、その旅は、勝利を約束する。

 さぁ、今、汽笛が鳴る――

 

 

 

「出発進行――《鋼特Q(メタルトッキュー) ダンガスティック(ビースト)》!」

 

 

 

 疾風の駆動、超特急の英雄は今、獣と化した。

 魔獣の慟哭を打ち消すように、野獣の咆哮が轟く。

 

「私のターン!」

 

 蒼き装甲に、輝く紅の稲妻。

 黒き森を薙ぎ払い、駆け抜ける、獣の姿が、そこにはあった。

 懐かしくも新しい、()から託された、切り札。

 しかし、

 

(打点はある……だけど、あと一手。あともう一手が足りない……!)

 

 謡の場にいるクリーチャーは三体、公爵夫人のシールドは四枚。

 生き延びたものの、反撃するには、打点が足りていない。

 

「……引いた! 来て! 《ジョット・ガン・ジョラゴン》!」

 

 道化師の龍。

 無数の銃口を向け、仲間を助けに、それは戦場に降り立った。

 スピードアタッカーにしてWブレイカー。

 これで、打点は足りた。

 

(S・トリガーがなければ、だけど……でも、今はもう、進むしかない!)

 

 尻込みする理由などない。

 恐怖を振り払い、狂気を打ち払い、夜行列車はひたすら目的地に向けて邁進する。

 

「《ジョット・ガン・ジョラゴン》で攻撃! その時、能力発動! カードを一枚ドロー――」

 

 と、カードを引いた、その瞬間。

 

「――え?」

 

 謡は一瞬、呆けた顔をしてしまう。

 予想していなかった。あまりにも唐突に現れたそれに、頭がついてこなかった。

 

(……あぁ、そっか)

 

 しかし、すぐに理解できた。

 いや、心が、安らいだ。

 安心し、そして、根拠もなく勝利を確信できた。

 

「君は……戻ってきて、くれたんだね」

「俺は、詠から託されたデッキ、と言ったはずですよ」

「そうだったね。うん、これなら、勝てる」

 

 ピンッ、と謡はそのカードを弾き、跳ね上げた。

 

「線路を敷こう。私たちの勝利に終着するための、とびきりの道を」

 

 そして、弾かれたカードは銃弾として、《ジョラゴン》の中へと吸い込まれ、装填される。

 

再現銃弾(ジョーカーズ・バレット)装填(ロード)標準捕捉(ターゲットロック)――射出準備(ガンナーシークエンス)全完了(フルコンプリート)

 

 ガコン、と音が鳴り響く。

 

「ジョラゴン・ビッグ1、起動。発射――」

 

 醜き魔獣に銃口を向け、《ジョラゴン》は、引き金を引く。

 そして、放たれた弾丸(ダンガン)は――

 

 

 

「――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

「それは……!」

 

 いつしか謡が封印した、彼女の切り札。

 それが今、ここで――舞い戻ってきたのだ。

 

「これが、私のすべてだ!」

 

 自身の原初にして最大の切り札。その力を込めた弾丸が、放たれた。

 超特急のスピードで突き進み、仲間の力を得て強大な力となり、その弾丸は、公爵夫人へと一直線に向かっていく。

 

 

 

「ダンガン・インパクト――ッ!」

 

 

 

 幾重にも重なる盾。しかし何枚重なろうとも、その強靭な弾丸の前には無意味だ。

 仲間達の力を受けた巨大な弾丸は、たった一発で、公爵夫人のシールドをすべて粉砕する。

 たった一度、引き金を引くだけ。たった一発、銃弾を放つだけ。

 それだけで、目的地は目前だ。

 

「あまり、儂を、見くびるなよ……小娘ッ!」

 

 だが、黒き森は深い。森と共に在り、森自身である魔獣は抗う。

 夜行列車の進行など許さない。終着駅に着く前に、魔獣は、鋼の体躯を破壊せんと、牙を剥く。

 

「スーパー・S・トリガー! 《撃髄医 スパイナー》!」

「!」

「塵芥共が、死滅せよ! そこな雑魚共のパワーをマイナス3000!」

 

 バチバチバチ! と激しい電撃が弾け、黒煙を吹く。

 前のターン、S・トリガーから呼び出された謡のクリーチャーたちは、まとめて雷電の餌食となる。

 

「さらに墓地からコスト4以下のクリーチャーを蘇生! 雑魚が集まろうと、強きものには敵うものか! 我々が束になっても、ハートの女王が殺せんようにな……!」

 

 身体に穴を開ける大口たち。それは、あるものは歯牙を噛み締め、あるものは慟哭し、狂乱したかのように、絶叫と苦悶が混じり合い、渦巻いていた。

 

「なればこそ、自分自身に、儂自身に、女王を殺す力が必要だ! 儂自らに、絶対的な力が!」

「あぁもう! さっきから、女王とかなんとか、意味わかんないよ! あなたたちには、帽子屋さんっていうリーダーがいるんじゃないの!?」

「……帽子屋はもうダメだ。あれは、狂い過ぎた。狂気の三柱が一柱であれども、奴は壊れて初めて、その狂気を体現した者だ。狂気に晒され続け、帽子屋という存在は、奴の精神は、もはや擦り切れている。我らはそんな狂気という蜘蛛の糸で繋がっているに過ぎん」

 

 黒い塊が溶け落ち、膨張したような醜い顔だが、どこか物憂げに、公爵夫人は言う。

 しかし直後、彼女はまた、憤怒と哀愁が入り混じる混沌の眼光で、謡を睨み付ける。

 

「【不思議の国の住人】など、そのような総体などもはや儂には関係ない! どいつもこいつも、甘く、ぬるく、狂い、壊れている! 誰も女王に反逆しないのであれば、儂が奴を殺すしかあるまい! だからこそ、チェシャ猫を――儂の(モノ)を、返せ!」

「断る!」

 

 鉤爪のような触腕を伸ばす公爵夫人。しかし謡は、それを拒絶する。

 

「一人が強くなればいいとか、違う。そうじゃない! それは、間違ってる!」

「なに……?」

「私は一人で戦ってたよ……本当は一人じゃなかったけど、スキンブルや姉ちゃんがいたけど、それでも『チェシャ猫レディ』は一人だけだった。私の中にあるだけの孤独なヒーローだ」

 

 空想を具現化した自分。チェシャ猫の「姿を消す」個性()を曲解し産まれた、架空英雄。

 誰かに求められたわけではない、自分が求め、自分で想像し、創造した存在。

 その力は何者でもない少女にはあまりにも魅力的で、刺激的で、酔いしれていた。

 

「その幻想は打ち砕かれた。壊れちゃったよ。でもね、それでも、小鈴ちゃんたちと一緒にいて、わかったよ」

 

 自分が望んだヒーローでなくなった、また何者かもわからなくなった自分が、彼女と――最初に自分が夢見た、物語の主人公と共に在ることで、得たものがあった。

 

「自分一人で勝手背負って、孤高のヒーロー面してるようじゃ、いつまでたっても強くなんてなれない! 少なくとも、あの子はそうだった!」

 

 一人じゃなにもできない。誰かがいなければ、誰かのためでなければ、動き出すことさえできない。

 優しいけれど、甘すぎる彼女。けれど、それが、彼女の強さの根源でもあった。

 一人ではなく、みんなを、すべてを包み込むからこそ、彼女は強いのだと。

 謡は、知ったのだ。

 すべてを守りたいと願い、すべてを繋ぎ止める彼女。

 そこに、犠牲も、貪食も、あるはずがない。

 

「私は小鈴ちゃんの意志を汲むよ。私も、あの子が、あの子の取り巻く物語が好きだ。それを守りたいって思う。それは、あなただって同じじゃないの?」

「なに……?」

「女王を殺すとか、わけわかんないけど……それって結局、あなたの仲間を、【不思議の国の住人】を守りたいからじゃないの?」

「……なにを、馬鹿なことを……あんなものは、忌々しくも儂の同族というだけ、有象無象の弱者の集いだ。儂が唾棄すべきものだ!小娘風情が、知った口を利くな!」

「確かにわっかんないけどさ! でも、あなたもきっと同じだよ! そこはもう、私が通って失敗した道だから」

 

 刹那、黒煙が揺らめく。

 

「そしてその先は――私が、乗り越える道だ!」

「っ!?」

 

 その中から、列車のように、弾丸のように、一直線に進む影。

 

 

 

「行って――《ダンガスティックB》!」

 

 

 

 鋼の獣が、終着点へ向けて、疾駆する。

 

「此奴、まだ生きているのか……!?」

「ヒーローはそう簡単にやられたりしないんだよ! 仲間がいる限りね!」

 

 謡の場とマナには、合計八体以上のジョーカーズが存在している。

 よって《ダンガスティックB》のパワーはプラス6000され、パワー8000。

 《スパイナー》の電撃一撃程度では、倒れ伏しはしない。

 

「さぁ、終わらせようか。スキンブル!」

「……えぇ。お願いします、謡」

 

 鋼の獣は、両肩の二つの砲門を開く。

 黒き森のすべてに響き渡るほどの雄叫びを上げ、紅き砲撃が――放たれる。

 

 

 

「《鋼特Q ダンガスティックB》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――よもや儂が、小娘風情に後れを取るとはな」

 

 仰向けに倒れ伏した公爵夫人は、空虚に呟く。

 肌は黒く爛れたままだが、膨張した肉塊は普通の人間大きさまで収縮し、枝のように長くうねる触手も引っ込み、全身の大口はすべて閉口している。

 それは魔獣ではなく、もはや、美という美が欠落した、ただの醜女であった。

 スキンブルシャンクスは彼女の下へと歩み寄ると、ぽつりと、言葉を零す。

 

「……申し訳ございません、元ご主人。俺があなたであるように、俺もまたあなた自身。あなたの嘆きも、怒りも、痛いほどわかるのです。ですが……」

「皆まで言うな。喧しい」

 

 公爵夫人はスキンブルを睨み付ける。

 倒れたままだというのに、力強い瞳だ。

 

「貴様は儂だ。儂の一部だったものだ。それが、弱者のような振る舞いを見せるな。貴様が儂の一部である限り、弱者であることは許さんぞ」

「それはもう、当然でございます。俺には新たなご主人が――相棒がいますので。俺自身の弱さは、既に克服しているのでございます」

「……ふんっ、弱者の論理だな。だが、それに敗北を喫した儂もまた、弱者、か」

 

 公爵夫人はスキンブルから自然を外し、遠くの(ソラ)を見つめる。

 

「このような為体(ていたらく)では、女王を殺すなど、泡沫の夢、か」

「……ご主人(マスター)

「憐憫を向けるな。貴様らのそういうぬるいところが、堪らなく癪に障る。二度とそのような眼で儂を見るな、鉄道猫」

 

 顔をしかめる公爵夫人。

 スキンブルは、笑って応えた。その笑顔に、また公爵夫人の眼光が鋭くなる。

 

「……まあいい。そもそも、儂の敗北など、大勢からすれば些事だ。確かに儂は敗北を喫したが、此度の闘争は儂の力が及ばなかったまで。ただの、儂の個人的な敗北でしかない」

「どういうこと?」

「貴様が儂を打ち倒したとして、もう遅い。コーカス・レースは止まらない」

「コーカス・レース……って?」

「イカレ帽子屋の提唱した、くだらん催しだ」

 

 公爵夫人はつまらなさそうに吐き捨てる。

 

「堂々巡りで行き詰まった我らが、太陽を手にし救済を得る……そんな妄想を具現しようとは、儂も呆れる他ないが、その価値は認めよう。聖獣の力は未知数、しかし神話に近しき力は喰らう価値がある」

 

 そのように言って、公爵夫人は自ら口を噤む。

 

「ん……神話とは……いや、妄言か。儂も帽子屋のことは言えんな、遂に狂い堕ちて来たか」

「それより、聖獣って確か、あの鳥さんとかっていう……」

「俺は小鈴様がクリーチャーと孤軍奮闘している様を見ましたが、それはあなた方の差し金なのですか?」

「どうであろうな。儂はただの哨戒だ。つまらんことに、ヤングオイスターズ共のせいで情報が規制されているのだ。帽子屋の奴は、孵化した海亀の卵を使う、などと言っていたが……」

「海亀の卵……? シロちゃんのこと……?」

「もはや儂から語ることなど、なにもない。それほど事の顛末を知りたいと渇望するのなら、不思議の国へ行け。時計を持った白兎の導きなどないが、気違い兎が出迎えるであろうよ」

 

 公爵夫人の言葉に、謡とスキンブルは、顔を見合わせる。

 

「……わかったよ。スキンブル、先に行って。君の方が速いでしょ」

「獣と化せば、そうでしょうね。しかし俺一人では、なんの力にもなりませんよ」

「そんなことないよ。それに、少しは男の子らしいところを見せなよ」

「ふぅ……仕方ありませんね。あなたは一人で大丈夫ですか? 謡」

「私は大丈夫。それより早く。あの子の――小鈴ちゃんの、傍にいてあげて。あの子を、一人にしないで」

「……承りました。ご主人(マスター)

 

 その言葉を最後に、スキンブルの姿は消えていた。

 謡もまた、倒れ伏した公爵夫人の脇を通り抜け、駆け出す。

 二人の姿が見えなくなってから、公爵夫人は虚空に呟く。

 

「……愚かな。愚鈍で壊れているとはいえ、帽子屋の狂気は儂より巨大で、三月ウサギより根深い。恐怖も淫蕩も飲み込む虚無を、果たして奴らが止められるものか」

 

 その言の葉は、広大な(ソラ)へと、虚しく消えていく――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「人を……た、食べ、た……? あ、あた、アタシ、が……?」

「明確なのはあんたよね。まあ別にあんたに限った話でもないけれど」

 

 三月ウサギは、蕩けるような微笑みを浮かべる。

 

「そもそも僕たちは人間じゃない。お母様がこの星に産み落とした落し子よ。お母様は見たことある? なら話は早いわ。“アレ”、どう思った?」

「……こわい、と、言い、ますか……その……」

「まあそうよね。僕もお母様の威光を言葉にするのは難しいもの。醜悪なのに美しくて、恐ろしいのに神々しくて……ああいうのを、邪神、っていうのでしょうね。それはそれで、僕は素敵だと思うけれど」

「…………」

「パンチョウの奴が言うには、お母様は「その星の環境に染まる」性質があるらしいのよ。環境適応ってことね。そしてそれは、お母様の子供、子孫である僕たちも同じ。僕たちを形作る個性()は、そういうことなのよ」

 

 周囲の環境に適応するため。より単純に言い換えれば“生き残るため”に、獲得した性質。

 人の世に適応した結果、人ならざる力を得たというのは、なんとも皮肉な話だが。

 

「たとえば、そうねぇ……公爵夫人様の個性()。あれは、美醜の相克、偽装変化。お化粧は仮面、美を纏うことで、本性を偽装する……そう、本性。いい響きよね。内に秘めたる獣性。そういうのも素敵で、昂ぶっちゃいそう」

 

 ぶるりと、二人とも、身体を震わせる。ただし、畏怖で震えた代用ウミガメと、高揚で震えた三月ウサギ、という違いはあるが。

 

「僕たちが人に偽装できるのは、ひとえに公爵夫人様のお陰なのよね。あの人が僕たちに、偽りの殻を与えてくれた。醜悪な怪物の姿ではない、人の世で生きていける化粧を授けてくれたのよ。そういう意味で、僕はあの人には感謝しているわ。変な猫を追っかけてて、趣味は悪いと思うけど」

「で、でも、アタシは……最初から……みんなも……こ、この、姿で……」

「僕たちに意識が芽生えたのがいつかなんてわからない。僕たちは、存在を秘匿しているからこそ、誰からも定義されない存在なのだから。いつからどんな姿で、いつから自我があったかなんて、誰にも分からないのよ」

「…………」

「まあつまり、なにが言いたいかってね。結局のところあんたも、僕たちも、同じなのよ」

 

 三月ウサギは淫蕩の眼差しで、ジィッと、代用ウミガメを見つめる。

 吸い込まれそうなほど深く、引き込まれそうなほど暗く。

 

「僕たちは、お母様の子。ただ人に化けているだけで、人を狂気という混沌に陥れる怪物――人を喰らう化生よ」

 

 その言葉に、偽りはないのだろう。

 ただ、真実を語っているだけなのだろう。

 しかしその現実は、理想を打ち砕くほどに、重く、深く、代用ウミガメにのし掛かる。

 

「ぅ……ぁ……」

「まあ、怪物としての僕たちなんて、公爵夫人様が辛うじて自覚できてるくらいで、僕たちはその在り方を魂から忘れているのだけれど。人の姿になる前のことなんて覚えてないわ」

 

 だけど、と三月ウサギは続ける。

 

「あんたは、辺鄙な島に隔離されていたみたいだから、同調が遅かったのかしらね。化物としての在り方があった。それは確かよ」

「あ、アタシ、が……」

「そして化物だから、人を喰った。あぁ、()的な意味じゃないわよ? 真の意味で、喰いものにしてたらしいわ。人間をね」

 

 なにかが歪むような、溶け堕ちるような、感覚。

 代用ウミガメの中に、なにか、不快なものが渦巻いている。

 どうにかしたい。消し去りたい。けれども拭えない。そんな、汚濁のようなものが、付き纏う。

 

「わかる? あんたは根っからの人喰らい(マンイーター)。人間とは相容れない、怪物よ」

 

 三月ウサギは楽しげに言の葉を紡ぐ。

 その言葉が、次々と、代用ウミガメにどす黒いものを浴びせかけていく。

 

「ある意味では、バンダースナッチやジャバウォックよりも明確なモンスターかもね。今はなんか、当然のように人の姿を取り繕ってるけど、あんたは明確に、人間にとっての害悪という記録がある。絶対に言い訳できない、逃れられない、事実があるの」

「…………」

 

 なにも言えなかった。

 言葉を発することもできない。

 人に寄り添うことを願っても、本当の自分は、人を害する怪物。

 それは、とても、受け入れられなかった。

 けれどもその事実は否定できない。きっとそれは、偽りではないのだから。

 真実を覆すことはできない。真実は、理想を、真っ黒に塗り潰してしまう。

 

「さ、自分の立場ってものを理解したら、もう少し励みなさい。ほら、お客様がお見えよ」

 

 三月ウサギが立ち上がる。

 その時、キィ、と扉が開く音が聞こえた。

 

「僕たちが乗り越えるべき敵。文明ごと、その繁栄を貪るべき命」

 

 そして、その先に立つ、一人の少女。

 人類という概念を一身に背負う小さき者。

 宿敵でもなく、害敵でもなく、【不思議の国の住人】が乗り越えるべき、象徴。

 

 

 

「――人間(マジカル・ベル)が、来たわ」




 ハウクスバイクから、デッドダムドになった公爵夫人様。ダムドというか墓地ソですけど。構築済みをちょっと弄った程度。ハウクスによる運ゲー不条理押しつけも好きだったのですが、フレーバー的にはデッドダムドのしぶとい攻めも悪くないですね。原始、宇宙、不死の三つの要素が重なったとなれば、これ以上ないほどピッタリ嵌まる。
 一方で謡もやっと《ダンガンオー》が戻ってきました。本当は《ダンガスティックB》は出さずに別の方法で生かすつもりでしたが、まあ、これはこれで。《ダンガンオー》はなんやかんやGRと相性がいいので、わりと使いやすいカードプールになっているのではないでしょうか。
 というわけで今回はここまで。次回は遂に、コーカス・レースも終盤、後篇です。
 誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
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