デュエ魔法少女マジカル☆ベル   作:モノクロらいおん

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 後篇です。今回は……その、なんです。
 性的な表現というか、直接的なものはないんですけど、言動の節々からそういうのを想像するような表現とか台詞回しを多用しているので、苦手な人はお気を付けて。
 そういうわけで、コーカス・レースも終盤です。どうぞご覧くださいな。


43話「太陽を求めて -後篇・夕影-」

「――だぁー! あのネズミ小僧! 逃げ足だけは達者だなぁ!」

 

 実子は眠りネズミを追いかけるあまり、学校の方まで来てしまった。

 相手は小学生とはいえ、フットワークは非常に軽い。加えて、人通りも多少はある町の中でローラースケート。

 姿を見失わないようにするだけで精一杯だ。

 息が切れ、そろそろ追いかけるのも辛くなってきたところで、眠りネズミは狭い路地へと入る。

 実子もその後を追おうと、路地に入ろうとするが、そこで背後から声を掛けられた。

 

「実子! ちょうどいいところに!」

 

 思わず、反射的に振り返る。

 中性的な、少女のような少年が、息を切らせながら、そこにいた。

 

「水早君? 悪いけど今、取り込み中で……」

「小鈴が危ない! すぐに向かうぞ!」

「いやでも、私の財布と携帯……」

「いいから行くぞ! 手遅れになるかもしれない!」

「…………」

 

 実子は億劫そうに顔をしかめるが、諦めたように溜息を吐く。

 

「……わかったわかった。なにがあったの?」

「先輩から連絡……あぁ、携帯がないのか。まあとにかく、早く小鈴の下へ行こう。今回は、いつも以上に手が込んでる――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……んだよ、もう終いかよ」

 

 逃げた先の建物の屋上から、踵を返してどこかへと走り去る実子と霜を見つめる眠りネズミ。

 彼は不服そうに溜息を漏らした。

 

「つっまんねー。なにもかもつまんねー。どっか行ったぜ楽しむ可能性。こりゃいよいよどうにもならんぜ」

 

 ――例によって眠りネズミも陽動の役割を命じられていたわけで、実子の目を引きつけることが目的だったが、その目論見が看破された以上、もはや彼女も眠りネズミの逃走劇に付き合いはしないだろう。

 逆に今から眠りネズミが追いかけるという手もあったが、そこまでする気にはなれなかった。

 元々乗り気ではなかった。帽子屋への恩義があるから仕方なくやっていたくらいで、彼にとってはコーカス・レースなどというものは、どうでもいいのだ。

 

「カメ子も駆り出されちまったしなー。あーあ、遊びてーぜ」

 

 眠りネズミは完全にやる気を失い、踵を返す。

 中途半端とはいえ、陽動という役割はそれなりに果たした。もういいだろうと、勝手に判断する。

 これ以上付き合うのも馬鹿馬鹿しいと、彼は与えられた役目を放棄した。

 

「……カメ子、早く戻って来いってーの」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「いやー……はっはっは。ボコボコにやられちゃったねぇ」

 

 ゆっくりと身体を起こして、朧は笑う。

 その声はどこか乾いているが、しかし同時に、無機質で、愉快そうで、悲哀を感じさせる。

 

「そもそもオレら、こういうの向いてないしね。ま、仕方ないさ」

 

 パンパンと服に付いた砂を払い落としながら、彼は妹の下へと歩み寄る。

 そして、手を差し伸べた。

 

「だからさ、そんな泣かないでよ、狭霧ちゃん。君もオレも正しく一心同体。君が悲しいと、オレも悲しくなっちゃうじゃないか」

「別に……泣いてないし。でも、お兄ちゃんこそ、なんでそんなヘラヘラしてんの」

「勝利が目的じゃないからね。ま、ちょっと危うい気もするけど、時間は稼げたんじゃない? 役割は果たしたし、これで十分さ」

「……うち、お兄ちゃんのことは尊敬してるし好きだけど、そういうところは嫌い」

「オレは狭霧ちゃんの自由なところが好きだよ。まあ、同時に嫌いだけどね」

「矛盾してない?」

「自分なんてそんなもんさ」

 

 なんでもないことのように流す朧。

 彼は、狭霧に指しだした手が払い除けられると、残念そうに手を引っ込め、視線を泳がせる。

 遠くを、あるいは、自分自身を見つめるように。

 

「後はお姉さんたちに任せよう。絶望の淵に立っているとしても、彼女は、オレたちの姉なのだからさ」

「……うん」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ローザは遊泳部を飛び出したユーリアを追いかけ、校門前まで来て、ようやく妹に追いついた。

 

「ユーちゃん待って!」

「ローちゃん! で、小鈴さんが……」

「わかってる! わかってるから。だから、一緒に行こう」

「……Ja! そうだね、ローちゃんと一緒なら、安心だね」

「それじゃあ二人で伊勢さんのところに……」

 

 と、二人が門へと足を踏み出そうとした。

 しかし。

 

 

 

「すまなんだ。この先は通せん」

 

 

 

 そこに立ちはだかる、一人の男。

 燃えるような眼差しを向ける大きな体躯。獲物を狩る牙が屹立する口は、真一文字に結ばれている。

 『燃えぶどうトンボ』。そう呼ばれる男が、番人の如く、門の前で仁王立ちをしていた。

 

「え、よーむいんのお兄さん……通せないって、ど、どうしてですか?」

「帽子屋殿の命でな。貴様らをこの領域から外に出すことはできん」

「どうしても、通してくれないんですか? 友人が、危機なんです……!」

「否。それこそ本懐。そのためにこそ、我らはここにいる。僕はここの番をしているのだ」

「……我ら?」

 

 と、その時。

 誰かの息遣いが、微かに耳に届く。

 

「くぅ……はぁっ、はぁ……っ」

 

 振り返る。

 そこにいたのは、真っ白な肌、色の抜けた髪、華奢で儚げな矮躯の少女。

 恋だった。

 彼女は息を切らしながら、無感動な、それでいて鬱陶しそうな、敵意ある視線を、背後に向けた。

 

「しつこい……!」

 

 彼女の背後から、ぬらり、ゆらりと姿を現すのは、『木馬バエ』だった。

 

「えぇまぁ、私、蠅ですので。腐肉があれば幾度潰されようと、無限に湧き出でる所存です」

「私……腐ってない……むしろ百合派……」

「恋さん!」

「ユー……ロー……」

「おっと、兄さんのところまで向かわせちゃったか。彼女、なかなか強くて……ごめんよ兄さん」

「なに、問題ない。これぞ前門に虎、後門に狼だ。我らは蜻蛉と蠅なる虫けらなれど、その歯牙は野獣の如し。華奢な娘の一人や二人、容易に食い千切って見せよう」

 

 理解は追いつかないが、状況は飲み込めた。

 つまりこの二人は、自分たちをこの場に繋ぎ止める役割。言うなれば足止めなのだと。

 小鈴の危機も、彼らが、【不思議の国の住人】が関わっているのかもしれない。

 となればよりいっそう、誰かが傍にいなければならないだろう。

 そして恋は、ユーリアとローザを庇うように、踏み出した。

 

「……しかたない。ここは、私が……二人、まとめて……その隙に、ユーとローは……」

「恋さん! でも!」

「だいじょうぶ……守るのは、得意、だから……」

「日向さん……」

 

 相手は二人だ。たとえ恋の実力が優れていようと、厳しい戦いを強いられることは想像に難くない。

 しかし確実に救援に向かわせるというのであれば、誰かが一人残るというのは、決して悪くはない作戦だ。

 だとしても、双子の姉妹が、それを許せるはずもないが。

 そこで、さらに声が聞こえる。

 

 

 

「そうはいかない! なのよ!」

 

 

 

 透き通るような、朗らかな言の葉。

 蝶のように可憐に、麗しく、羽ばたき現れる一人の女性。

 

「おぉ、来たか!」

「姉さん……」

 

 蟲の三姉妹が長女『バタつきパンチョウ』が、三人を囲むようにして。現れた。

 

「お姉さんまで……」

 

 このタイミングでの登場。弟たちが足止めとしてこの場にいることを考えれば、彼女も同じ役目を持っているだろうことは、容易に想像できる。

 二人の足止めでさえ厳しい中、長女が現れ、三人ともなると、いよいよ離脱は絶望的となる。

 

「……トンボ、ハエ」

 

 バタつきパンチョウは、弟たちに目配せする。

 そして、

 

 

 

「下がって」

 

 

 

 一言、言い放った。

 

「……なんだって?」

「下がるのよ。その子たちを、通してあげて」

「あ、姉上? しかし、それでは帽子屋殿に通達された使命が……」

「いいから! おねーちゃん命令なのよ!」

 

 どこか意固地になバタつきパンチョウ。

 駄々をこねる子供のように弟たちへと命令するが、あまりにも場違いなその振る舞いに、彼らも面食らい、困惑していた。

 

「む、むぅ……?」

「……まあ、姉さんがそう言うなら、別にいいけど。興味ないし」

「そうか……いやさそうだな。姉上の言葉が優先、では、あるな……」

 

 どこか腑に落ちない様子ではあったが、姉には逆らえない。いやさ、逆らわない。

 指示通り、彼らは道を空けた。

 

「さぁ、みんな。行ってらっしゃいなのよ」

「……えっと?」

「Danke! おねーさん! 行きましょう! ローちゃん! 恋さん!」

「ん……」

「わわっ、ま、待って! ユーちゃん!」

 

 道が空いた瞬間、ユーリアは飛ぶように走り去り、その後を、慌てたローザと、恋が追従する。

 学校の門の前に残されたのは、蟲の三姉弟たちのみ。

 三人の姿が見えなくなると、ぽつりと、木馬バエが姉に問う。

 

「……で、本当にいいの? 帽子屋さんの命令から背くことになるけど」

「いいのよ。足止めって目的なら、それなりに果たしているでしょうし……それに」

「それに?」

「なにか、遠く……ううん。近い未来に、嫌なものが、迫ってる気がするのよ」

「なにか見たのか、姉上?」

「ぼんやりと、だけどね。でも、近いうちに、凄い悪いことが起こる……と、思うのよ」

 

 バタつきパンチョウは、どこか遠く、遥か先の未来、あるいは、虚空という宙(ソラ)を視る。

 

「どういう道筋を辿ってそうなるのかはわからない。でも、この帽子屋さんの作戦が、コーカス・レースが、大事の契機になる。それは確か、なのよ」

 

 予言者ではなく観測者、選択者ではなく傍観者。

 彼女が行うのは、ただ“視る”だけであり、そのような役割を与えられたのであろうが。

 その役目の中で、やりたいように、望むままに、彼女は振る舞う。

 どうか、楽しい世界のままでありますようにと、願いながら。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ずっと、ずっと、ずっと、戦い続けて。

 日も傾いてきて、もうすぐ夕陽が見えそうな頃。

 ようやく、目的の場所まで辿り着いた。

 アヤハさんの言う、元凶、のいる場所。

 そこは――

 

「……え? こ、ここって……」

 

 

 

 ――『Wander Land』

 

 

 

 そう、看板が掲げられた、カードショップ。

 今まで何度も、わたしたちが集まった場所。

 今は『定休日』のプレートが掛かっているけれど……

 

「アヤハさん、本当に、ここに……?」

「あぁ。間違いない」

「でも、今日はお休みみたいですけど……」

「だからって中に誰もいない理由にはならないだろ」

「でも、鍵がかかってるんじゃ……」

 

 と思ってお店の扉に手を掛けると、普通に、押し開けた。

 

「……? 鍵が、掛かってない……? どうして?」

「入れば分かる。そこにあるものが事実だ」

「そ、そうですか……?」

 

 言われるがまま、わたしは扉を開け、鳥さんと一緒に、中に入る。

 変わらない。いつもと同じ、カードショップ。ただいつもは人で賑わっているのに、今は、とても静かで、異世界のようで、なんだか不思議な感じだった。

 そして、そんな静かな店内に見える人影。

 

「こ、こすず、さん……」

「代海ちゃん……! どうしてここに?」

 

 アヤハさんは、ここにクリーチャーを呼び出している元凶がいるって言っていたけれど……まさか、まさか、そんな……

 

「小鈴、さん……あ、ああぁ、ア、アタシ、アタシ……!」

「え……ど、どうしたの代海ちゃん? しっかりして!」

 

 代海ちゃんは、ガタガタと震えていて、目を見開いていて、なにかに怯えているような、明らかに正気ではない様子だ。

 と、とりあえず、落ち着かせないと。

 そう思って代海ちゃんに駆け寄ろうとした、その時だった。

 

 

 

「――「三月のウサギのように」」

 

 

 

 ガシッ、と頭を掴まれる。

 そして、耳元で囁かれる、呪詛のような言葉。

 なにかが、身体の中に流れ込んでくるような感覚。

 ぞわりと、ぞくぞくと、湧き出でるような、熱いものが、溢れてくる。

 

(なに、これ……身体が、熱い……!)

 

 前にもこんなことがあったような気がする。

 そう、確かあれは、新学期が始まったばかりの頃。

 唐突に現れた、野獣のような人が――

 

「うぅん、やっぱ効き目が薄いわね。ほんっと、どういうことなのかしら?」

 

 疑念を抱いた声がする。

 振り返れば、首を傾げている女の人。

 深い切れ込み(スリット)の入った、スリップみたいなドレス。季節も人目も、なにも気にする様子もなく、胸元も脚も曝け出している。

 ――『三月ウサギ』。そう呼ばれていた人だ。

 彼女は明るく派手な髪を艶やかに掻き上げながら、わたしを不思議そうに見つめている。

 

「しかも前は、マイルドとはいえトチ狂ってたのに、今回は耐えてるわね。耐性……? 男の味を覚えた? いやいや、ならむしろもっとがっつくわよね? そもそも僕のは性衝動への誘導と増長であって、厳密には毒とかじゃないし。んー……わかんないわ!」

「……あなたは……どういう、ことなの……? あ、アヤハさん……?」

 

 と声を掛けるが、返事はない。

 どころか、あたりを見回しても、店内にアヤハさんの姿はない。

 

「……? アヤハさん……?」

「小鈴、ひょっとして嵌められたんじゃないか?」

「え?」

「あら、鳥のわりには察しがいいわね。いや、ここまでのこのこ連れてこられてる時点で、あんたたちの頭の中身なんてお察しかしら」

 

 嘲るように笑う三月ウサギさん。

 出で立ちもそうだけど、なんだかその一挙一動が、妙に色っぽく見える。

 

「ようこそ不思議の国(ワンダーランド)へ……なんて、ウサギはウサギでも、僕は時計持ちの白ウサギじゃないのだけれど。僕は狂ったキチガイウサギ。性に惑い狂って、人を惑わし狂わす淫靡な獣よ」

「狂わす、って……もしかして、代海ちゃんは……」

「さーてどうかしら? 僕は暇だったからちょっとお話ししただけよ? そいつが勝手に嘆いてるだけ。大袈裟なのよ、いちいち」

 

 蔑むような視線。その先にいる代海ちゃんは、怯えたように嗚咽を漏らしている。

 

「あなたが、代海ちゃんを?」

「お話ししただけって言ったじゃない。まあでも、もし僕があの鈍臭い亀女を泣かせたって言ったら、どうするの?」

 

 三月ウサギさんは、蕩けた表情で、誘うように、煽るように言う。

 ここでなにがあったのか、わたしは知らない。

 状況も不明瞭。

 クリーチャーが現れた原因も、わかっていない。

 だけれど。

 

「……ごめん鳥さん。ちょっとだけ、寄り道するよ」

「いいさ。彼女からは、暴走した月光神話(アルテミス)に似た恐ろしさを感じる。どのみち放っておかない方がいいだろう」

「ふふ、やる気になっちゃったのね」

 

 三月兎さんは前に進み出る。その手には、カードの束がひとつ。

 この人が代海ちゃんになにかしたのなら、代海ちゃんが正気でない理由がこの人にあるのなら、それを無視することはできない。

 場合によっては――許すことも、できないかもしれない。

 なにもかもが謎のままだけれど、その謎をハッキリさせるためにも、代海ちゃんのためにも、わたしは戦う。

 

 

 

ようこそ不思議の国へ(Welcome to Wonder Land)。この僕『三月ウサギ』が、邪淫の狂気を、手取り足取り教えてあげる――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――小鈴は戦いに赴いてしまったか。僕は、どうしようか」

 

 彼女が戦う間、自分は無力で、なんでもないただの鳥同然だ。戦うことは出来ず、それだけの力がない。

 自分に出来るのは、彼女に力を貸し与え、それを調整し、制御するだけのことだけ。

 それはとても悔しく、遺憾なことではあった。

 

「あちらの彼女は……ダメそうだね」

 

 亀のように蹲る少女は、慟哭するように嗚咽を漏らし、うわごとのように不明瞭な言葉を流し嘆いているばかり。

 とても話ができるような状態ではなかった。

 

「つまり、いつも通りの待ちぼうけ、か」

「そんなことはない」

 

 と、その時。

 背後から声がする。

 振り向けば、そこには人影。

 目深に帽子を被った男だ。

 

「君は、確か……」

「『帽子屋』だ。まあ、名前なぞどうでもいいがな。三月ウサギがマジカル・ベルと乳繰り合っている間に、為すべき事を為さなくては」

「……あぁ、やはり罠か。いけないな、ここまで来てようやく罠と分かるだなんて。後手後手すぎる」

「まあそう言うな。確かにこのような粗末な策戦に引っかかる貴様らは間抜けだが、これでも時間をかけて下準備はしていたのだ。その恩恵くらいに思っておけ」

 

 と言いながら帽子屋は、懐から銀色に光る鉄塊を取り出す。

 L字型に曲がり、先端が筒のようなそれは、拳銃。

 現代日本では半ばファンタジー、しかしあまりにもリアリズム溢れる凶器を、彼はこちらへと突きつける。

 

「銃か。ドラグ……ドライゼの奴を思い出すな。あいつとはよく撃ち合ったものだけれど、まあ、当たらなかったよね。あんな玩具」

「ほぅ、オレ様は鷹狩りも鴉狩りも初めてで不安なのだが、その言葉でよりいっそう不安が増したよ。いいアイスブレイクだ。礼を言おう」

 

 左手で懐からもう一挺、拳銃を取り出す帽子屋。

 重ねて言うが、この身に戦う力はない。ただ待つことしかできない。

 彼女の戦が終わるまで、ただ、ジッと待つことしか、できないのだ。

 白羽を舞い散らせ、無様に生き延びるために、翼を羽ばたかせる。

 

「聖獣――否、《太陽の語り手》よ。貴様の奇跡、貰い受ける」

「断る。僕の奇跡は太陽神話(アポロン)から受け継いだもの。軽く使われるほど、安くないよ」

 

 刹那。

 

 

 

 不思議の国に、銃声が響き渡った――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「マジカル・ベルは誘導した。帽子屋のダンナも来た。コーカス・レースもじき終わり……もうワタシのやることもない、か」

 

 帽子屋を店内へと通した後、店の外で、ヤングオイスターズは天を仰ぐ。

 役目は終わった。マジカル・ベルを騙し、削り、誘い、堕とした。

 すべきことは、終わったのだ。

 

「……いんや、そうでもないな」

 

 しかしまだ、残業が残っていた。

 

四番目()五番目(狭霧)を通じてコーカス・レースの開催をいち早く察知したのは知ってる。場合によっては誰かを引き連れることも、可能性としては考慮していた。とはいえ、まさかマジでこの場所を探り当てるとは思わなかったぜ」

 

 どうやって嗅ぎつけたのか、現れたのは、男女の二人組だ。

 

「水早君は凄いねぇ。まさかクリーチャーの出現場所から、この場所を割り出すなんてさ」

「クリーチャーの複数同時出現なら、前にも似たようなことがあったからね。パターンを試しただけさ。もっとも、その試したパターンが一発目で当たったのは、完全に運が良かっただけだ。他のパターンを試す時間はなかっただろうさ」

 

 ここで現れ、この場にやって来るということは、そういうことなのだろう。

 予想の範疇ではある。とはいえそれは、できれば起こって欲しくない予想ではあったが。

 

「はぁ……マジで、あんただけは止めときたかったな。代用ウミガメが産んだクリーチャーはともかく、公爵夫人はなにやってんだよ」

 

 思わず溜息を吐く。

 少女の方はともかく、聡い少年の方は抑えておきたかった。彼の管轄は、自分の弟と妹。

 つまり、ヤングオイスターズ自身だ。

 

「しゃーねーよなぁ。弟妹の責任は、弟妹(ワタシ)の責任だもんなぁ。ワタシがケツ拭くしかねーんだよなぁ」

 

 億劫そうに、瞳の奥で濁った水を湛えながら。

 ヤングオイスターズは構える。

 

「ワタシたちだって後がねーんだ。動き出しちまった以上、もう、とことんやるしかねーんだよ……!」

 

 破滅へと進んでいるような気分だ。太陽を掴むための奔走が、我が身を燃やし尽くすための徒労に思えてならない。

 しかしそんな予感はただのノイズ。雑念を振り払い、ヤングオイスターズは、暗い水底のような眼差しを向ける。

 

「おら、二人纏めて掛かって来やがれ。ここは猫一匹通さねぇ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 三月ウサギさんとの対戦。

 わたしは《ノロン⤴》で手札と墓地を調整しつつ下準備。ウサギさんは、マナ加速から始まった。

 今日はちょっと調子が良くて、既にわたしの墓地には《コギリーザ》と《グレンモルト》、連続攻撃のために必要なカードが揃っている。

 だから後は、墓地から《コギリーザ》を引き上げるカード――《法と契約の秤》か《インフェルノ・サイン》さえ引ければ……

 

「わたしのターン! 3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を一枚捨てて、一枚ドローするよ!」

 

 ここで上手く繋ぐことができれば……!

 その一心でカードを引いて、そして、

 

(やった、引けた……! 《法と契約の秤》!)

 

 いい流れだ。次のターンには5マナ。最速の動きで、《グレンモルト》――《ガイギンガ》まで、辿り着けるかもしれない。

 

「あらあら? いいカードでも引けたかしら? 豚を見つけた雌犬みたいに、嬉しそうにはしゃいじゃって」

 

 けれど、そんなわたしの心中を見透かしたように、三月ウサギさんは妖艶に、そして邪悪に微笑む。

 

「愉しいことなら、僕も混ぜなさい。めちゃくちゃにしてあげるから……ほら、4マナで《拷問ロスト・マインド》!」

「え? あ……っ!」

 

 突如、わたしの手札がわたしの手元から離れ、露わになる。

 そして手札にあった二枚のカード、《法と契約の秤》と《GYORAI-CANNON!》が墓地へと落とされた。

 

「《拷問ロスト・マインド》は、相手の手札にある呪文をすべて叩き落とすカード……引きが良さそうに見えたけど、大当たりね。ターンエンドよ」

 

 

 

ターン3

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:4

手札:0

墓地:5

山札:25

 

 

三月ウサギ

場:なし

盾:5

マナ:4

手札3

墓地:2

山札:26

 

 

 

 

「わ、わたしのターン……」

 

 わたしの順調な滑り出しは、たった一枚の呪文で崩壊してしまった。

 手札はゼロ。これでは、ほとんどなにもできない。ただ引いたカードを使うことしかできなかった。

 

「ドロー……うぅ、でも、まだいいカード……《ボーンおどり・チャージャー》を唱えて、ターン終了……」

「ふふ、そんなにポンポン墓地を増やしちゃっていいのかしらね?」

「え……? ど、どういうこと?」

「今にわかるわ。僕のターン、2マナで《ダーク・ライフ》。山札から二枚を捲って、片方を墓地、もう片方をマナへ。さらに4マナで呪文《サイバー a.k.a. 獅子》を唱えるわ。カードを三枚ドロー、そして手札二枚を墓地へ。さらにGR召喚よ」

 

 手札を入れ替えながら出て来たのは、《マジカルイッサ》。呪文のコストを下げるクリーチャーだ。

 

 

 

ターン4

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:7

山札:22

 

 

三月ウサギ

場:《マジカルイッサ》

盾:5

マナ:6

手札2

墓地:7

山札:20

 

 

 

 わたしの手札は相変わらずゼロ。マナも十分とは言えないし、1ターン1ターンの行動は、慎重にならなきゃ。

 マナチャージをするかしないか。引いたカードを使うか使わないか。思考を巡らせる。

 なんだか頭が少しぼぅっとするけど……

 

「……よし。4マナで呪文《知識と流転と時空の決断》!」

「あらら?」

「この呪文は、ドローか、GR召喚か、相手クリーチャーを手札に戻す効果のいずれかを、二回選んで使えるよ。まずは《マジカルイッサ》を手札に!」

「ふぅん。ま、いいけどね」

「次にカードを一枚ドロー! ターンエンドだよ」

 

 GR召喚しても良かったけど、わたしのデッキじゃあんまり強いGRクリーチャーはいないし、もしも《グレンモルト》や《コギリーザ》が引ければおいしいし、なによりも手札ゼロのまま動きが鈍るは不安だ。ここは手札を増やすよ。

 

「ふふっ、それ、いいカードね。僕のターンよ。2マナで《悪臭怪人ゴキーン》を召喚」

 

 出て来たのは……な、なんだか、黒光りする、嫌な風貌のクリーチャーだ。

 その油虫の如きクリーチャーは、カサカサと地面を這い回っている。

 

「《ゴキーン》の能力を使うわ。このクリーチャーは登場時、プレイヤー一人の墓地にあるカードを一枚、山札の一番上に戻せるの」

「墓地のカードを山札に……?」

 

 ってことは、今まで使ったカードをもう一度使えるということ。

 タイムラグはあるけど、手札を取り戻したところで、また手札破壊は受けるのは困る……いや、その前に決着をつければ……

 

「なにか生ぬるいことを考えてるわね」

「!」

 

 心中を見透かしたような鋭い言葉。

 三月ウサギさんは、艶やかに笑う。

 

「まあ、いいわ。穢れた身体は酷くにおうの。邪淫に塗れた悪意の香りを嗅ぎなさいな。あなたの墓地の《ルソー・モンテス》を戻しなさい」

「わ、わたしの?」

 

 地面を這い回る黒虫は、三月ウサギさんの墓地ではなく、わたしの墓地へと潜り込んで、その中からカードを一枚――《ルソー・モンテス》を――山札の上へと押し戻した。

 その予想外の行為に、面食らってしまう。わたしの墓地には、《コギリーザ》も《グレンモルト》もいる。ここで《ルソー・モンテス》……《法と契約の秤》をドローできるのはありがたいんだけど、どうしてわたしが有利になるようなことを……?

 

「あら、なにか勘違いしてない?」

「え……?」

「勘違い女は、間抜け面が醜ければ頭も馬鹿ね。あなたのために僕がしてあげることなんて、快楽をプレゼントすることくらいよ」

 

 そしてさらに、カードを切る。

 

「5マナをタップ。双極(ツインパクト)詠唱(キャスト)《法と契約の秤》」

「それは、わたしと同じ……!」

「連鎖リアニメイトが自分の専売特許だと思わないことね。憎らしいけど、今回は僕、あなた用に整えてきたから。デッキも、心も、身体も、ね」

 

 妖艶に、邪悪に、三月ウサギさんは嗤う。

 それはとても、とても、恐ろしく、狂っているような笑顔だった。

 

「さぁ、《法と契約の秤》の効果で、墓地からコスト7以下のクリーチャーを復活よ。《悪臭怪人ゴキーン》をNEO進化!」

 

 地の底から泡が立つ。

 くちゅくちゅと水音が小さく響き渡り、水泡はその姿を現した。

 

 

 

「快楽の夢を貪りなさい――《潜水兎 ウミラビット》!」

 

 

 

 悪虫を飲み込んで現れたのは、巨大な水色の兎のようなクリーチャー。

 尾びれがあったり、潜水艦のような装備を背負っていたりしていて、それは明らかに兎ではないのだけれど。

 水を滴らせ、それは浮かび上がる。

 

「さぁ、《ウミラビット》で攻撃よ。その時、《ウミラビット》の能力発動! 自分のNEOクリーチャーが攻撃する時、相手の山札の一番上を墓地に置かせる。それが呪文なら、僕はそれをタダで唱えられるわ!」

「山札の上の呪文、って……」

「えぇそうよ。あなたの雌のにおい、しっかり覚えたから」

 

 わたしの山札の一番上。

 それは、ついさっき、相手のクリーチャーの能力で固定された《ルソー・モンテス》――《法と契約の秤》がある。

 《ゴキーン》でわたしの墓地のカードを山札に戻したのは、このためだったんだ。

 

「男も女も大歓迎。桜桃の下男だって、無垢な生娘だって、みんな等しく魔法使い。さぁ、あなたの魔法を、僕に頂戴――!」

 

 悦に浸るような貌で、三月ウサギさんは舌なめずりする。

 

「使わせて貰うわ、あなたの大切な呪文……《法と契約の秤》!」

「わたしの呪文が……!」

「効果はさっきと一緒。よって墓地からコスト7以下のクリーチャーを呼び戻す。次はこの子よ……さぁ、そそり立つわ」

 

 うっとりと、蕩けるような表情で、宣う。

 大水が《ウミラビット》を飲み込み、遙か遠くの宙で、月が、狂ったように輝きはじめた。

 

「あぁ、あぁ、いあ、いあ……無限に広がる海の底、夢幻の狂気が眠り待つ……星の位相も、月の輝きも、最高よ……いあ、いあァ……!」

 

 賛美するような狂信の祝詞を唱え、そして。

 それは、浮上する。

 

 

 

「快楽の海に溺れなさい――《神羅カリビアン・ムーン》!」

 

 

 

 潮が引き、さらなる巨体が、その威容を晒す。

 タコのような頭部から伸びる、無数の触腕。それは全身に広がっており、その巨体を覆い尽くしている。

 鉤爪の生えた両腕からはヒトデのような、イソギンチャクのような、おぞましい触手が開かれている。ぐねぐねと、うねうねと、なにかを求めるように、それは蠢動していた。

 

「うぁ……う、ぅぁ……」

 

 心が押し潰されてしまいそうな感覚。

 ビリビリと激しく、グチャグチャと惨たらしく、身体の中身を引っかき回されているかのような不快感。

 なんとか堪えられたけど……すごく、嫌な感じだ……

 だけどその纏わり付くような嫌悪感は、終わらない。

 

「《カリビアン・ムーン》の能力発動! 《カリビアン・ムーン》は、自身の登場時に相手の墓地の呪文をタダで唱えることが出来るわ」

「またわたしの呪文を……!?」

「えぇ勿論。能力で、さっき《ウミラビット》で落とした《法と契約の秤》を唱えるわ。そして僕の墓地から《サイバー・K・ウォズレック》をリアニメイト!」

 

 わたしの呪文で、クリーチャーが進化して、さらに数まで増えた。

 それに、それだけじゃない。

 

「あぁそれから、《カリビアン・ムーン》で唱えた呪文は、山札の一番下に戻すわ。ばいばい」

「え、あ……っ、そ、そんな……!」

 

 墓地に溜めていた呪文が、山札に戻ってしまう。

 これじゃあ、《コギリーザ》で使うことも出来ないよ……

 

「まだへばらないでよね、これで終わりじゃないのだから。僕の夜は長いわよ。《ウォズレック》の能力で、両プレイヤーの墓地からコスト3以下の呪文を合計二枚までタダで唱えられる。僕の墓地から《ダーク・ライフ》を、あなたの墓地から《GYORAI-CANNON!》を、それぞれ唱えるわ! 勿論、唱え終わった呪文は山札の下よ」

 

 マナが増え、墓地が増え、場数が増える。

 GRゾーンから、新たなクリーチャーが、射出された。

 

「そーれ、《P.R.D. クラッケンバイン》をGR召喚! 僕の墓地の呪文は四枚だから、パワー6000、パワード・ブレイカーのレベルはⅡ! さらに《GYORAI-CANNON!》の効果でスピードアタッカー! さぁ、一緒に昇天しましょう! 死に果てるくらい、狂ってしまうくらい、天国みたいな! 快楽の楽園に連れていってあげる!」

 

 わたしの墓地が荒らされ、踏みにじられ、水底に沈んでいく。

 わたしの呪文で、相手の場が、肥大化していく。

 わたしが使うはずのカードは相手に使われ、わたしの手をすり抜けるように、山札へと還ってしまう。

 わたしのカードが、わたしの仲間が、離れていってしまうような、そんな感覚が、胸中に渦巻く。

 

「自分のカードで嬲られる気分はどう? 悔しい? 悲しい? 苦しい? でも、たまには新感覚で、そういうのも気持ちいいものよね?」

 

 蕩けるような笑みを浮かべる三月ウサギさん。

 そして目の前には、巨大な狂気の塊。

 足下から迫り上がってくる深淵の海水は、真っ暗な宙のよう。

 冷たく暗黒の大宙から、月の狂気を振り撒き、邪悪な神が咆哮する。

 

「それじゃあ、《カリビアン・ムーン》でWブレイク!」

 

 巨体は触手を伸ばして、絡め取るように、わたしのシールドを二枚、粉砕した。

 ……だけど。

 

「っ……S・トリガー!」

「あら?」

「《デーモン・ハンド》! 《クラッケンバイン》を破壊!」

 

 そのまま、ただやられるわけにはいかない……!

 代海ちゃんのこともあるし、ここは、負けられないんだ……!

 

「……まあいいわ。ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:3

マナ:5

手札:2

墓地:7

山札:22

 

 

三月ウサギ

場:《カリビアン》《ウォズレック》

盾:5

マナ:8

手札0

墓地:5

山札:18

 

 

 

 わたしが整えた墓地はもうしっちゃかめっちゃかだけど、手札は増えたし、バトルゾーンにクリーチャーも残ってる。

 これは反撃のチャンスだ。ここで、《グレンモルト》か《コギリーザ》……《法と契約の秤》でも、《狂気と凶器の墓場》でも、《インフェルノ・サイン》でも、なにか、来てくれれば、まだ巻き返せる。

 

「っ、ダメ……いや、でも、まだ……マナチャージして、6マナで《龍装艦 チェンジザ》を召喚! カードを二枚引いて一枚捨てるよ! そして各ターン、わたしがはじめて手札を捨てた時、それがコスト5以下の呪文ならタダで唱えられる!」

 

 さらにドロー。これで、呪文が来れば……!

 

「う……《世紀末ハンド》を捨てるよ。コスト5以下の呪文だから、《チェンジザ》の能力で唱えられる! 効果でアンタップしてる《ウォズレック》を破壊だよ!」

「必死ねぇ……僕のターン。ドロー」

 

 つまらなさそうに吐息を漏らす三月ウサギさん。

 彼女はさっきまでの揚々とした昂ぶりはどこへ行ったのか、どこか気怠げだ。

 

「今の手札じゃ大したことはできないわね。とりあえず4マナで《拷問ロスト・マインド》。手札を見せなさい」

 

 またわたしの手札が晒される。

 今の手札なら、呪文だけが墓地に落とされるくらいはそこまで痛手にはならないけれども。

 

「《グレンニャー》に《波壊Go!》……どうでもいいわね。《テック団の波壊Go!》を捨てなさい」

「…………」

「反応が薄いわねぇ、その身体でマグロでもないでしょうに。ま、焦らず急がず、いじらしく、ゆっくりじっくり焦らしましょうか。男の味も知らないような純真無垢な女の子に、いきなり激しくするのも可哀想だしね」

 

 躁鬱が激しい。高揚したと思えば沈み、死んだと思えばまた昂ぶったような笑みを浮かべる。

 

「《カリビアン・ムーン》で攻撃! 攻撃時にもあなたの呪文を使わせて貰うわ。《テック団の波壊Go!》で、コスト6以上の《チェンジザ》を破壊! そしてWブレイク!」

「っ、トリガー……ない……!」

「ふふっ、ターンエンドよ」

 

 

 

ターン6

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:1

マナ:6

手札:3

墓地:9

山札:20

 

 

三月ウサギ

場:《カリビアン》

盾:5

マナ:8

手札0

墓地:7

山札:17

 

 

 

「わ、わたしの、ターン……2マナで《熱湯グレンニャー》を召喚。一枚、ドロー」

 

 残りシールドは一枚。耐えるのも辛くなってきた。

 そろそろ、この状況を返したい。

 

「! 引けた……5マナで《狂気と凶器の墓場》! 山札の上から二枚を墓地に置いて、墓地からコスト6以下のクリーチャー、《コギリーザ》を復活!」

「あーらら?」

「《コギリーザ》で攻撃! その時、キズナコンプで墓地からもう一度《狂気と凶器の墓場》を唱えるよ! そして、墓地から復活――」

 

 ようやく、本来の動きができた。

 呪文は奪われたけど、クリーチャーはそのまま墓地で眠っている。

 クリーチャーさえ残っているのなら、まだ、やれる。

 

「――《龍覇 グレンモルト》! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 《コギリーザ》から《グレンモルト》、そして《ガイハート》。

 《ガイギンガ》まで、もう一歩だ。

 

「《コギリーザ》でWブレイク!」

「……トリガーなしよ」

「行ける……! 《グレンモルト》でシールドをブレイク!」

 

 S・トリガーさえなければ、このまま……!

 三枚目のシールドを切り裂き、そして。

 

「……ノートリガーね」

「! それなら! このターン二回攻撃したから、《ガイハート》の龍解条件成立!」

 

 真っ暗で冷たい宇宙に灯る、真っ赤な炎と、輝く星々。

 暗黒の海を断ち、空を覆う灼熱の銀河が、爆ぜる。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 長かったけれど、ようやく辿り着いた。

 暗い世界を煌々と照らす巨星は、邪悪な海魔にだって、負けやしない。

 

「このまま終わらせる! 《ガイギンガ》の能力で、パワー7000以下のクリーチャー――《カリビアン・ムーン》を破壊!」

 

 《ガイギンガ》の大剣が、太陽のような灼熱の炎を以て、《カリビアン・ムーン》を灼き尽くし、断ち切る。

 じゅわぁっ、と肉が焼け焦げ、生臭い腐臭が立ち込める。不快感を伴う黒煙を吹き出しながら、この世のものとは思えない不気味な絶叫を上げながら、大海の怪物は蒸発していく。

 ドロドロと触手に覆われた身体は溶け落ち、その異形は、喪われていった。

 

「よし、行くよ! そのまま《ガイギンガ》で攻撃――」

「おっと待ちなさい。破壊したわね? 僕の《カリビアン・ムーン》を」

「えっ?」

 

 その時だ。

 ぐじゅぐじゅと、ぶくぶくと、焼け溶けたはずの海魔の肉が、泡立つ。

 

「ひょっとして知らなかった? 《カリビアン・ムーン》は、バトルゾーンを離れた時にも能力が発動するのよ?」

 

 怖気が走るような音を響かせながら、肉片はわたしの足下へ。

 そして、新たな触腕が伸びる。

 

「狂気の月は墜ちても輝く。邪悪な海神(わだつみ)は眠れど死なず。僕の肉欲は尽きることなく、夢見るままに待ち続け、精魂果てずに快楽を貪り続ける――さぁ、あなたの身体も、心も、()キ狂うまで堪能してあげる!」

 

 再生した触腕はわたしを囲むように蠢き、同時に、わたしの墓地を蹂躙する。

 無理やりこじ開けるように捻れ、大事なところを曝け出すようにうねり、わたしのカードを掘り起こす。

 

「あなたの大切なモノ、貰うわ。呪文《知識と流転と時空の決断》! 選ぶ効果はバウンスとGR召喚。《ノロン⤴》を手札に戻して、GR召喚よ」

 

 また、わたしのカードが使われる。

 わたしを助けてくれる力が、わたしに牙を剥く。

 

「《甲殻(シェル) TS-10》をGR召喚よ」

「っ、ブロッカー……でも、まだ攻撃できる! 《ガイギンガ》で攻撃!」

「あら、一直線。熱に浮かされてるのかしらね、《甲殻 TS-10》でブロック」

 

 攻撃は、届かない。

 べっとりと、へばりつくようだ。

 強いとか、てごわいとか、そういう感じじゃない。

 わたしよりも強い人、上手い人にやられるのとは違う。自分自身の戦略とカードで圧倒されるようなものじゃない。

 この人は、わたしのカードで――わたしの力で、わたしの仲間で、わたしを翻弄する。

 とても、嫌な感じだ。

 ……でも。

 

(……代海ちゃん)

 

 負けるわけには、いかないんだ。

 

「頑張るわねぇ。なにをそんなに必死なんだか」

「……友達のためだもん。当たり前だよ」

「友達ねぇ。あの亀女と友達だと。そんなあいつのために頑張ると。へぇ、ふぅん。なんともまあ、滑稽ね」

 

 嘲笑を浮かべる三月ウサギさん。

 彼女は侮蔑を込めた視線を向ける。

 

「まあ友達のために頑張るっていうのはいいでしょう。僕も愛に生きる女ですもの。それが博愛だろうと友愛だろうと、そこにある愛は認めるわ」

「じゃあ……なにが、滑稽なの」

「愛を向ける相手よ。だって、あなたが忌むべき怪物の創造主こそが、代用ウミガメなのだから」

「……どういう意味?」

 

 わたしが問い返すと、三月ウサギさんは、ニタァと卑しく嗤う。

 

「“産卵”、と僕たちは呼んでいるのだけれどね。あいつはどんなものでも、代用品であれば創造できる。戦力という概念でさえも、自分が戦う“代わり”に、兵隊を生み出せるのよ。小さな代理戦争ってわけね」

「兵隊……それって」

「そう。あいつがお母様から受け継いだ権能がそれ。千の子を産み落とす、多産の力。異形の怪物(クリーチャー)を創造する力よ。つーまーりー! 今、町中に蔓延ってるクリーチャーはぜーんぶ! 代用ウミガメの仕業ってわけね!」

 

 仰々しく、心底愉快そうに、三月ウサギさんは諸手を広げる。

 突如町に現れた、無数のクリーチャー。鳥さんは、いつものクリーチャーと違うと言っていたけれど。

 それは、鳥さんが言う、クリーチャーの世界から流れてきたはぐれのクリーチャーだからじゃなくて。

 人為的に生み出されたクリーチャーだから?

 そして、それを生み出したのが、代海ちゃん……?

 ぐるぐると、その言葉だけが、煮えたような熱い頭の中で巡っていく。

 

「な……んで、そんな、こと……!」

「なんでかしらね? まあ、あいつも結局はこっち側ってことよ。化け物を孕んで、それを産んで、野に放つ。淫欲の化身たる僕ですら得られなかった“繁殖”の権能を、部分的かつ劣化状態で保有してるってのは、ムカつくわよね?」

 

 代海ちゃんがクリーチャーを産み出した?

 それは……それは――

 

「まあそんなことはどうでもいいのよ。あいつといい、あんたといい、ちょっと踏み込んだ話をしたくらいでしおらしくならないでよね。すぐへばらないで。もっと、じっくり、ねっとり、すべて出し尽くすまで、愉しみましょうよ?」

 

 また、愉しそうに嗤う三月ウサギさん。

 切り札が倒されてもなお、彼女は悦び震えている。

 

「僕のターン。2マナで《ゴキーン》を召喚。あなたの墓地の《法と契約の秤》を山札の上に戻し、6マナでNEO進化! 《潜水兎 ウミラビット》!」

 

 再び、《ゴキーン》から《ウミラビット》へと進化。

 これは……まずいよ。

 わたしの山札には《法と契約の秤》がセットされた。そして、相手の墓地には……

 

「《ウミラビット》で攻撃! そしてどうなるかはわかるわよね?」

 

 わかる、わかっている、わかってしまう。

 山札に戻された呪文が、またすぐに、墓地へと戻り、相手の手によって行使される。

 

「あなたの力を頂くわ、《法と契約の秤》! 邪神は眠れど死なず、狂月は無限に輝き、何度でも蘇る――」

 

 そして、黒い潮が満ち、狂気の月が昇る。

 

 

 

「――《神羅カリビアン・ムーン》!」

 

 

 

 また、出て来てしまった。

 一度倒しても、わたしの魔力(呪文)を吸って、復活する、邪悪な海神。

 狂ったように暗い月を輝かせ、海魔の王は波濤の如く荒れ狂う。

 

「《カリビアン・ムーン》の登場時能力よ。あなたの墓地から《蓄積された魔力の縛り》を詠唱! 《グレンモルト》と《コギリーザ》には、大人しくしていてもらうわ!」

 

 黒い海水が、何度でもわたしの墓地を侵す。

 ぐじゅぐじゅと触手が不快な水音を立てて墓地を穿ち、掘り起こし、呪文を奪う。

 《グレンモルト》と《コギリーザ》は、触腕に絡め取られ、縛り付けられ、動きを封じられてしまった。

 そしてその触手は、そのまま、わたしへと向けられる。

 

「次はあなた。最後のシールドをブレイク!」

「ぅっ、ぁぐ……!」

「うふふ、もうシールドなくなっちゃったわね。やらしい身体が丸裸……!」

 

 

 

ターン7

 

 

小鈴

場:《コギリーザ》《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:0

マナ:7

手札:4

墓地:10

山札:16

 

 

三月ウサギ

場:《カリビアン》

盾:2

マナ:9

手札1

墓地:10

山札:15

 

 

 

 確かにシールドはゼロ。クリーチャーもほとんど動けない。

 だけど、まだ、負けてない。

 代海ちゃん……!

 

「わたしのターン! 2マナで《ノロン⤴》を召喚! そして5マナで《インフェルノ・サイン》! 《ノロン⤴》からNEO進化させて、墓地から《コギリーザ》を復活!」

 

 ようやくデッキが応えてくれた。

 必要なカードが、力が、この手に集まってくる。

 

「《コギリーザ》で攻撃! わたしの場には《コギリーザ》が二体いるから、二回分のキズナコンプが発動するよ!」

 

 前のターンに出した《コギリーザ》は触手に束縛されて動けないけど、能力は使える。たとえ攻撃できなくても、わたしの力になってくれる。

 たとえ墓地が踏みにじられて、ボロボロになっているとしても、それはとても心強い力だ。

 

「まずは一回目! わたしの墓地から《時を御するブレイン》を唱えるよ! 《カリビアン・ムーン》を拘束!」

 

 魔力が溢れた知識が、《カリビアン・ムーン》を拘束する。

 放置しても、破壊しても能力が発動してしまうなら、触れないように、動きを止めればいい。

 

「次に二回目……お返しだよっ! 《コギリーザ》!」

「! 僕の墓地が……」

 

 二体目の《コギリーザ》が、手中に魔力を集める。

 いつもはわたしの墓地から呪文を引き上げていたけれども、今回は違う。

 わたしの墓地にはろくな呪文が残っていない。だけれど“相手の墓地”なら、どうだろう。

 

「相手のカードが使えるのは、あなただけじゃない! 《コギリーザ》も相手の呪文が使えるんだよ! その能力で、あなたの墓地から《ウォズレックの審問》を唱える!」

 

 相手のカードを使うなんて、あんまりしたくないけれど、今回ばかりは、本当に負けられないから。

 《ウォズレックの審問》の効果で、相手の手札が晒される。

 《コギリーザ》と《ガイギンガ》がいれば、S・トリガーが出ても大抵は突破できるけれど、それだって止める手段はある。

 そして三月ウサギさんの手札には……

 

「それ! 《光牙忍ハヤブサマル》を墓地へ!」

「っ! こいつ……!」

 

 やっぱりあった、《ハヤブサマル》!

 ブロッカーを出されてしまえば、《ガイギンガ》と言えども止められてしまう。だけどこれで、その心配もなくなった。

 《カリビアン・ムーン》は動けない。手札にシノビもない。S・トリガーが出ても、《ガイギンガ》が選ばれればもう一度わたしのターンが来る。

 このまま、決める!

 

「《コギリーザ》で、Wブレイク!」

 

 これでシールドはゼロ。

 あとは、《ガイギンガ》でとどめ――

 

「……生意気」

 

 ――邪悪な瘴気が漏れる。

 不愉快そうな舌打ちと共に、三月ウサギさんの手中で、昏い光が収束した。

 

「肉だけの醜女(ぶおんな)の分際で、男も知らない処女(ガキ)のくせして、イキがってんじゃないわよ!」

 

 憤怒の叫びが木霊する。

 次の瞬間、シールドから、黒い瘴気が立ち込めた。

 

 

 

「S・トリガー発動! 《復活と激突の呪印》!」

 

 

 

 ギッと目を見開き、憤怒の形相で睨み付け、狂ったように咆える、(ケダモノ)

 三月ウサギさんの手の内から放たれた光は、呪いの印を結ぶ。

 

「S・トリガー……! でも、《ガイギンガ》を選んでも、わたしの勝ちだよ!」

「はぁ? なにあんた、僕のこと馬鹿にしてるわけ? そんくらい分かってるに決まってるでしょ」

 

 嘲るように、そして怒り狂いながら、三月ウサギさんは吐き捨てる。

 

「これでも僕は、帽子屋さんや公爵夫人様と並ぶ、狂気の三柱の一柱よ。そう、お母様から淫蕩の権能を引き継いだ僕の名は、『三月ウサギ』。狂ったように性を貪り、知性も理性もぶっ壊れた邪淫の獣!」

 

 血走った眼は、赤く光り。

 剥き出しの牙は、黒く煌めく。

 ぞわりと、悪寒が走る。そして、身体が、炎に包まれたように、熱く火照る。

 息苦しくて、ぞわぞわとなにかが込み上がってくるみたいで、気持ち悪くて、不快で、なのに、どこか心地よさを感じるような、なにかを求めるような、不思議で嫌な感覚。

 どうしたらいいのか、わからない。どうすればいいのか、わからない。

 今まで感じたことのない感覚だ。まったくわからない、どうすればいいのか、わからない。

 戸惑い、困惑し、混乱するまま、全身にぐるぐるとなにかが巡っている。

 

「……《復活と激突の呪印》は、二つの効果から一つを選択する呪文。墓地からコスト6以下のクリーチャーを復活させるか、自分のクリーチャーと相手クリーチャーとの強制バトル」

 

 スゥッと、急に、三月ウサギさんの狂乱の咆哮が止む。

 不気味なほど静か。けれども口元には、邪悪な笑みが浮かんでいる。

 

「……クリーチャーの復活……でも、あなたの墓地にはブロッカーもいないし、《ガイギンガ》を止めることなんて……」

「えぇそうね。だから僕が選ぶのは後者の効果。クリーチャー同士の強制バトルよ。激しく喘いで身体を軋ませましょう?」

「強制バトル……? それでも《ガイギンガ》を選んじゃうし、そもそも《カリビアン・ムーン》のパワーは……」

「僕の毒気が回ってきたのかしら。情動に翻弄されて、頭、回ってないんじゃない? そんなつまらないことはしないわよ。僕はいつだって、強くて大きな雄にむしゃぶりつくんだから」

 

 紅潮し、蕩けた顔。微笑む口元から涎が滴り落ちるのも厭わずに、髪を振り乱して、三月ウサギさんは獣のように乱れ狂う。

 口は嗤っているのに、目は血走ったまま見開かれ、野獣が獲物を貪るかの如く、狂気の声を上げる。

 

「男も女も関係ないわ。さぁ、淫らな(しとね)で、一夜と言わずに千夜を超えて! 身体を軋ませ精を吐き出し、快楽の海で溺れましょう!」

 

 結ばれた呪いの印に呼応するように、《カリビアン・ムーン》の触手が蠢く。

 伸張する触腕は、わたしのクリーチャー――《グレンモルト》へと、向かっていった。

 身体が熱くて、頭がぼぅっとするけれど、ようやく気付いた。

 いや、思い出した。

 そうだ、《カリビアン・ムーン》のパワーは6000。

 

「《グレンモルト》は4000……だけど、バトル中のパワーはプラス3000……」

 

 つまり、このバトルは、パワー7000の《グレンモルト》と、パワー6000の《カリビアン・ムーン》の対決。

 当然、パワーで劣る《カリビアン・ムーン》はバトルに負け、破壊されてしまう。

 《ガイハート》を手にしていなくても、《カリビアン・ムーン》の触手を素手で引き千切り、叩き伏せ、破壊する。

 そう、バトルで破壊した。

 破壊……してしまったのだ。

 

 

 

「あアあいあぁァぁァぁ……いい夜伽だわ。とても、とても、気持ちいィ……ッ!」

 

 

 

 うっとりとした表情で、獣のように嗤う。

 ビクビクと、痙攣したように身体を震わせる。

 わたしの足下に浸された黒水から泡が立ち、新たな触手が再生し、蠢動する。

 

「脳みそ焼き切れそうなほど気持ちイイわ、愛しい水が全部流れ出ちゃう……さァ、《カリビアン・ムーン》、能力発動!」

 

 だらだらと涎を垂らし、蕩けた顔で(ソラ)を見上げる。

 理性が蒸発した獣は、ニィっと牙を剥き、嗤う。

 何度も、何度も。またしても

 わたしの墓地が弄くり回され、穿られ、大事なものが、隅々まで蹂躙される。

 墓穴の奥底から、無理やり引きずり出された呪文が潮を吹く。

 

 

 

双極(ツインパクト)詠唱(キャスト)――《六奇怪の四~土を割る逆瀧~》!」

 

 

 

 大水が大海となり、場を満たす。

 火照った身体は冷え切り、わたしは、動けなくなってしまった。

 《土を割る逆瀧》は、唱えれば次の自分のターンまで、相手を各ターン一回しか攻撃とブロックができない状態にする呪文。

 唱えたのは後出しだけど……わたしはこのターン、《コギリーザ》で攻撃してしまっている。

 つまり……

 

「あんたの攻撃は終わりよ」

 

 冷淡な、打ち捨てるような言葉。

 わたしの力で、《ガイギンガ》の灯は消え、光は喪われてしまった。

 

「ふぅー……あぁ、いけない。ちょっとトんでたわ」

 

 ふらりとよろめきながら、彼女は涎を拭う。

 そして、嘲笑し、侮蔑の眼差しで、わたしを見つめている。

 

「帽子屋さんの頼みだから頑張ってみたけど、やっぱりこの小娘嫌いね、僕。今すぐ縊り殺してやりたいところだけれど、虐めるならもっと、僕らしく虐めて、女らしく狂わせましょう」

 

 感情の噴出が、あまりにも激しすぎる。

 なにかに憑かれていたかのように咆えたかと思えば冷静になる。そう思った直後には獣のような笑みを浮かべ、怒り狂い、すぐさま冷徹に、残虐に、淫蕩を語る。

 それは完全に、狂っている、と言うほかなかった。

 

「僕のターン。4マナで《サイバー a.k.a. 獅子》、三枚ドローして、二枚捨てるわ。そして《天啓(エナジー) CX-20》をGR召喚。マナドライブで三枚ドロー。そのまま6マナでNEO進化」

 

 《カリビアン・ムーン》は水底に沈んだ。

 けれども、淫蕩の波濤は止まらない。

 次から次へと、襲い来る。

 

 

 

「さぁ、絶頂の快楽でフィニッシュよ――《潜水兎 ウミラビット》!」

 

 

 

 あっさりと、流れるように、性愛を貪る獣が浮上した。

 わたしの盾はもうなくて。

 攻撃を止める手段も、守ってくれるものも、仲間も、なにもない。

 

「まあ、安心しなさい、痛い思いはさせないから。生娘の痛みだけはどうしようもないけど、終わりは気持ちよく……ね?」

 

 愛くるしい表情はどこか狂気的で、愛嬌は不気味に映る。

 

 

 

 ――ごめん、代海ちゃん、みんな――

 

 

 

 ぐぱぁ、と。

 邪淫の獣は、魔獣の如き大口を開く。

 その先に広がっているのは、果てしない闇と、深淵だった。

 

 

 

「《潜水兎 ウミラビット》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 どうして、こんなにも苦しまなくてはならないのか。

 彼らの世界が嫌だというわけではない。どこか壊れて、狂っているけれど、それでも彼らは、彼女らは、自分を同胞として、仲間として、生きる道を教えてくれたから。

 それでも、自分が人外ということを隠して、人の世で生きるのは、辛く、苦しいものであった。

 そんな暗い世界に射し込んだ太陽のような光が、彼女だった。

 人ならざる存在である自分でも受け入れてくれた。友達と言ってくれた。

 だから、自分もそれに応えようと思った。人でなしでも、少しでも人に近づいて、あの人の力になって、あの人みたいになれたらって……そう、思ってた。

 それは夢幻であり、泡沫のような想いでしかない。本当に、小さく、儚い願いだった。

 だけど、だけど、だけど!

 現実は残酷だ。事実は非情だ。

 知りたくなかった。

 自分が人ならざる存在だということは、思いたくなくても、わかっていた。それは、いい。それだけなら、耐えられたのに。

 なのに、他ならぬ人に加担しようとしていた自分自身が、人に害為す存在だったなんて!

 耐えられなかった。

 人間というのも悪くない、そちらの世界の光に惹かれたのは事実だ。

 けれど、アタシは、その世界に踏み入る権利も資格もなかった。

 アタシは、化け物。人を喰らう怪物。

 荒唐無稽な話かもしれない。三月ウサギさんの嘘かもしれない。

 でも、この“身体”は、否定しない。

 否定したいと願っているのは、アタシの“頭”だけ。

 旧い身体が受け入れ、新しく生えた代わりの頭が否定したがっている。その感覚が、彼女の話が真実であることを証明している。

 だからこそ、余計に、痛烈に、突き刺さる。

 自分が、人喰いである事実が。

 この身体は、もう人の食べ物を食せない。その意味が、やっとわかった。

 舌が、歯が、喉が、口腔が、それを受け入れないということは、この新しい頭も、人喰らい身体に馴染んでしまったということ。

 妄想かもしれない。ただの想像でしかない。

 けれどそれが真実なら。もし、そうなってしまったら。あの人が愛する行為を、禁忌に変え、踏み躙ってしまったら。

 他ならぬアタシ自身が、彼女に“餓えて”しまったら、きっと――

 想像するだけで吐き気がする。なのに、妙な飢餓感がある。

 その二律背反が、とても、苦しい。

 もし神様がいるのなら、アタシは呪うかもしれません。

 いや、神はいなくても、アタシたちには母親がいました。

 ならアタシは、お母さんに、恨み言を言うしかないのです。

 問いかけるしか、ないのです。

 

 どうして、こんなに苦しまなくてはいけないの、と。

 

 どうして、アタシは、産まれてきてしまったの、と。

 

 

 

 こんな過酷で残酷な世界は、必要なのですか――と。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 視界が真っ暗になった。

 次に光を取り戻した時、視界は霞んでいて、頭はぼぅっとしていて、身体は熱い。

 色んなことがぐるぐると頭の中で駆け巡っていて、なにがなんだかわからなかったけれど、それでもわかることはひとつある。

 ――負けちゃった。

 とても大事なところで、負けてしまった。ように思う。

 なにもわからない、なにも知らない。

 そして、負けてしまった。

 本当になにもわからず、なにも知らないまま、なにも守れなかった。

 そう、なにもかも。

 

「別に倒さなくてもいいってことだったけど……ムカつくからヤッちゃったわ。まあいいわよね? 帽子屋さん?」

「愚鈍なアリスを足止め、あるいは無力化さえしていれば、状態は問わん。つまり問題はない。貴様がそちらの相手をしたお陰で、こちらもなんとか撃ち落とすことができた。かなり手こずったがな」

 

 少し、焦げくさい……火薬の匂い?

 痛いというよりも疼く身体。重いわけではないけど、なぜか妙に動くことに抵抗感を覚えつつも、わたしはなんとか上体だけ起こす。

 

「鳥……さん……!」

 

 視界に飛び込んできたのは、地面に倒れ伏す白い雛鳥。

 鳥さんだ。

 目は閉じ、身体もぐったりとしており、動く気配はない。

 

「語り手、というのだったか。神話の権能を引き継ぐ者、か。本来の力を失っているようだが、それでも鉛弾なぞでは、そう易々とは死なんか。殺すつもりは毛頭ないが」

 

 そして、その脇に立ち、鳥さんを拾い上げるのは――帽子屋さん。

 彼は手にした鳥籠に、鳥さんを、乱暴に放り投げた。

 

「呆気ないな。だがまあ、こんなものだろう。後は帰宅するだけで、コーカス・レースも終幕だ」

「そうね……あぁでも、その前にちょっと遊んでいってもいいかしら?」

「……好きにしろ」

「じゃあ好きにさせてもわうわね。あ、これは浮気じゃないからね? 女は別腹だし、これただのイジメだから」

「案ずるな。オレ様はなにも心配などしていない」

「なら良かったわ」

 

 と弾むような声で、三月ウサギさんは、わたしへと見下すような視線を向ける。

 直後、彼女の脚が突き出され、胸に強い衝撃が叩き付けられた。

 

「っ、ぁぐ……っ!」

 

 その痛みと衝撃で、思わず後ろに倒れ込む。

 間髪入れずに、踏みつけられるような圧が、お腹に食い込む。

 

「僕ね、許せないことがあるのよね」

 

 ぐりぐりと、足先をねじ込み、そのたびに呻き声が口から漏れる。

 痛い、けれど。

 なぜだか、身体を走る熱が、ちょっとずつ迫り上がってくる感じがある。

 とても、とても、不思議で、未知な感覚だ。

 

「僕の“毒”を二度も受けて、それでも狂わないだなんて。どうかしてるわ。男が恋しくならない? 自分を慰めたくならない? 身体が熱くて疼いて堪らなくなって、我慢できなくなって、めちゃくちゃに掻き乱したいって気持ちにならない?」

「っ……?」

 

 確かに身体は熱いし、疼きはあるけれど……

 なにを言われているのか、いまいちに判然としない。頭が熱に浮かされたようで、上手く言葉が飲み込めない。

 

「僕の毒牙に掛けられても狂わないだなんて、僕のプライドが許さないわ。脳ミソが焼き切れるほどの快楽を、身が焦がれるほどの悦楽を、あんたに味わわせないと気が済まないの。僕の疼きが、収まらないの」

 

 わたしに馬乗りになり、屈み込む三月ウサギさん。

 動けない。はね除けられないし、振り払えない。

 いつもなら、鳥さんから力を借りている状態なら、わたしはずっと強い力が出せる。

 けれど今は、どうしてか、力が出ない。わたしの中にある力が、遠く、薄くなってしまっているような。

 わたしの中に燻る炎を、上手く、制御できないような。

 

「僕の力は愛の霊薬。自分の欲望が、奥底まですべて解放される衝動の毒。あなたも秘めた情動を全部曝け出しなさい。発狂するまで、僕の愛を注いであげるから」

 

 三月ウサギさんの手が、わたしに伸びる。

 瑞々しく艶やかな唇が、呪詛のような言葉を紡ぐ。

 

「淫らに狂いなさい。「三月のウサギのように」――」

 

 翳された手が、禍々しく、忌々しく見える。

 とても恐ろしいものが、彼女の言葉から、伸びる魔手から滲み出ているような。

 そこから溢れ出すものが、わたしを飲み込んでしまいそうに見える。

 だけど、その時。

 

「!」

 

 小さな影が、わたしと三月ウサギさんに間に割り込むように、飛びかかった。

 わたしを飲まんとしていた呪いのようななにかは、わたしには届かず、雲散霧消した、ように感じた。

 

「っ、僕の狂気が、弾かれた……!?」

 

 直後、ふんわりと、温かく、柔らかな感触が、顔に触れる。

 黒い毛並み。首元に見える、見覚えのある鈴のチョーカー。

 この子は……

 

「ほぅ、チェシャ猫か。窓から入り込んだか。戸締まりを忘れていたか? これはとんだ見落としだな。責任でも取っておくか」

 

 直後、爆ぜるような轟音が鳴り響く。

 焦げた匂い。そして吹き飛ばされるスキンブルくん。

 帽子屋さんの手には、銀色に光る拳銃が握られていた。

 

「……あぁ、そういうこと」

「どうした?」

「僕の放った狂気がどうして効かないのか、わかったわ」

 

 愉しそうに、口角を釣り上げて嗤う三月ウサギさん。

 彼女は壁際まで吹っ飛ばされたスキンブルくんに視線を向けた後、わたしにその視線を移す。

 いや……わたしじゃ、ない、ような……?

 わたしが伏している床……頭、髪を、見ている……?

 

「これね」

 

 そして手を伸ばす。

 けれどその手は、わたしではなくて、わたしの髪を――髪飾りへと、伸びていった。

 彼女はわたしの鈴の髪飾りを手に取る。

 

「僕の狂気に耐える奴はたまにいるわ。狂気に侵されても狂わずに飲み込む奴もいるわ。でも、弾かれたことなんて、一度もなかった」

 

 ギリッ、と歯を噛み締める。

 同時に、鈴を取る手に、力が込められる。

 

「最初はあんたの体質に問題があると思ってたけど、違うのね。あんたのこのダサい鈴……これで、僕の淫蕩という狂気の力を、堰き止めてたってわけね」

 

 狂気を堰き止める?

 どういう、こと……?

 これはお母さんから貰った髪飾りで……お母さんはお守りって言ってたけど……

 ……あぁ、でも、お母さんはちゃんと効果のあるって、おまじないをかけたお守りだって、言ってたような……

 なにをされたのかも、なにをされるのかも、よくわからなないけど……わたしは、お母さんのお陰で、守られた、ってこと……?

 

「チェシャ猫が割り込んで弾かれたってことは、一個じゃ効果は弱いのね。そもそも僕の狂気は、別に呪いとかじゃないのだけれど……でも二個揃ってれば、弾いちゃうくらい強い退魔の力がある。へぇ、ふぅーん。面白いわねぇ」

 

 ギリギリ、と鈴を摘まむ指の力が、さらに強まる。

 ドクンドクンと脈打つ心臓の音が、早くなる。

 

「つまり、これがなくなれば……あなたは本当の本当に、丸裸、ってことね」

「ぁ……っ」

 

 さらに、指に込められる力が、強くなる。

 ピキッ、と。

 嫌な音が、聞こえてくる。

 それは……それだけは、ダメだ……!

 

「だ、ダメ……! やだ、やめて……それは、お母さんから、もらった……たいせつな……!」

「あらそう。母親からの大事な贈り物ってことは、壊しちゃうのは可哀想ね」

 

 スッ、と。

 もう片方の手が、わたしの頭に伸びる。

 撫でるように、柔らかな掌が、額に触れる。

 

「……僕はお母様から中途半端な性欲しか貰わなかったわ。あなたは母親から愛されてて、いいわね(ムカつく)

 

 その言葉と共に、淫蕩という狂気を孕んだ呪詛が、唱えられた。

 そして――

 

「三月のウサギのように」

 

 

 

パキンッ

 

 

 

 ――わたしの大事なものは、すべて、壊れてしまった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あ、ぁ、あ……」

 

 ドクン、ドクン、ドクン、と。

 身体の芯が、燃えるように熱い。

 沸騰したように煮えたぎる血が、心臓から、全身へ流れ、巡る。

 疼くような感覚。痺れるような悪寒。熱いのに、ぞわぞわし、ぞくぞくする。なにかが、よくわからない未知の感覚が、迫り上がってくる。

 頭は真っ白になって、ぐるぐるとしてて、わけがわからない。ショートしたみたいに、熱く、めちゃくちゃになっている。

 視界も明滅してて、バチバチと点滅を繰り返している。

 とても、不思議な感覚だった。苦しくて、渇いているようで、だけど……なぜか、イヤなのに、イヤじゃない。

 なにかを望むような、拒みたいのに拒みきれないみたいな。なにかを求めて、欲しがっているような。

 わからない、わからない、わからない。

 

(なに、この、感じ……!)

 

 その未知の感覚が、ただひらすらに、怖い。

 

「あァ……ようやく効いたわ。ようやくこのムカつく女を、色欲の奈落に突き堕とすことができたわ。達成感が半端ない、最高……!」

 

 恍惚の表情で、三月ウサギは蕩けた眼差しを小鈴に向ける。

 小鈴は未知なる衝動に惑わされる。

 熱く巡るような、這い回って突き抜けるような、恋しく切なくなるような。

 その収まらない激しさに、頭が、どうにかなってしまいそうだった。

 

「う、うぅ、ぁぁぁぁぁ……っ!」

「ふふっ、辛いでしょう? 苦しいでしょう? もどかしいでしょう? いいのよ、なにシても。なにヤッても。あなたの望むままに、求めるままに、情動に従いなさい。無知な生娘が翻弄されてるというのも、甘酸っぱくて美味しいもの」

 

 身悶える小鈴に、三月ウサギはそっと顔を近づける。

 

「まあ、今は僕の狂気を受け入れるだけでも大変でしょうね。このまますぐぶっ壊れても面白くないし、こうしましょうか」

「ぅ、ぁ……っ!」

 

 三月ウサギは、小鈴の首元に口付けする。

 鬱血したような噛痕(キスマーク)はとても奇妙で、三日月の形に歪んでいた。

 

「今は軽い疼きにしてあげる。代わりに、狂気の月が昇った時、獣のような衝動の波が襲ってくるわ。頑張って発散しなさい……あぁ、今夜はいい月夜になるわね」

 

 くすくすと、卑しく微笑む三月ウサギ。

 その笑みは、狂気に歪んでいた。

 

「もしも自分の慰みに満足できなかったり、男に満足できなかったら、僕のところにでも来なさいな。あぁ、安心なさい。あんたのことは嫌いだけど、快楽に溺れたヒトは好きだから。僕は男でも、女でも、どっちでもイケるクチだしね」

 

 そう言い残して、三月ウサギは帽子屋の下へと戻る。

 

「もういいのか?」

「うん。満足したわ。できることならあの小娘が逝キ狂うところも見てみたいけど、そのへんの男に喰われて捨てられるのも面白そうだしね?」

「成程。オレ様にはよくわからんがな」

「帽子屋さんってば枯れてるわねぇ」

「……そういうものだからな」

 

 とっとと帰還するぞ、と鳥籠を揺らしながら出口に歩を向けた瞬間。

 扉をぶち破って、ヤングオイスターズが飛び出してきた。いや、飛び出したというより、吹っ飛ばされた、と表現する方が正しいか。

 そしてそれとほぼ同時に、ふたつの人影が、駆け込んでくる。

 実子、そして霜の二人だった。

 

「小鈴ちゃん!」

「っ、これは……!」

「ヤングオイスターズが突破されたか」

「あぁそうだよ。悪るかったな、ダンナ」

「なに、もう終わったことだ。問題ない」

「そうかよ」

 

 口元の血を拭い、埃を払いつつ立ち上がるヤングオイスターズ。

 一方で霜と実子は、ぐるりと室内を見渡す。

 

「……どうなっているんだ?」

「まあ、見ての通りだな」

 

 部屋には、苦悶の、けれども蕩けたような表情で倒れ伏す小鈴。腹から血を流しているスキンブルシャンクス。

 そして、帽子屋、三月ウサギ、ヤングオイスターズ――代用ウミガメ。

 ほぼ敵に包囲されている、ということは理解できた。

 

「完全に秘匿するまでには至らなかったが、皆、よくやってくれたよ。特に代用ウミガメ。貴様の産卵がなければ、聖獣を動かせなかった」

「あ、アタシ……アタシ、は……ア、ぁ……」

 

 褒賞の言葉。しかし代用ウミガメは、昏く、今にも崩れ落ちてしまいそうな表情で、俯くだけ。

 霜はそんな彼女に、冷たく、鋭い眼を向ける。

 

「……君か。小鈴を陥れた一因なのか」

「アタシは……だって、でも……アタシ、そんな……!」

「おっと誤解するなよ、愛らしい少年。我らの目的は聖獣でな、マジカル・ベルの無力化はついででしかないのだ」

「小鈴ちゃんがついでって……は?」

「奴はそこに放っておくから、好きにすればいい。三月ウサギがなにかしていたが、まあ、オレ様の与り知るところではないな」

 

 乾いた声でそう言い残すと、帽子屋は今度こそ、不思議の国(Wander Land)の外へと、去って行く。

 その後に三月ウサギが、そしてヤングオイスターズも続く。

 

「……代用ウミガメ。お前も来な」

「ぁ……」

 

 ヤングオイスターズは。立ち尽くす代用ウミガメの手を引く。 

 彼女もまた、不思議の国から立ち去っていく。

 その去り際に、霜は彼女の背に語りかける。

 

「……ボクは悔しいよ。敵に惑わされたことも、心を許してしまったことも。そのせいで、友達を傷つけてしまったことも」

「て、敵……」

 

 冷淡な、凍えきった言葉。

 刺し貫き、切り刻むような、言の刃。

 

「今更こんなことを言っても泣き言でしかないけれど、でも、ボクらは君と関わるべきではなかった。やはりボクらの中に、君は――」

 

 首を落とすようなそれは、代用ウミガメに、執刀される。

 

 

 

「――いない方が、よかった」

 

 

 

 突き堕とされるような、切り落とされるような。

 身体が冷え切って、寒さに打ち震える。

 肉体の芯の芯まで、心の奥の奥まで。

 真っ暗な水底のように、暗黒の宙の果てのように。

 沈んで、放逐される。 

 

「行くぞ、代用ウミガメ」

 

 呆然とする代用ウミガメを、ヤングオイスターズはその腕を引っ張って、連れ出す。

 不思議の国の住人は、いなくなった。

 そうしてただの人間だけが、取り残される。

 

「あんま君らしくないね」

「……ボクだって感情的にもなる。悔やむし、怒るし、蔑むさ」

「そう。まあ、確かにあの子がいない方がよかったってのは同感」

「あぁ……それより、小鈴は――」

 

 二人が振り返る。

 すると、そこには、上体だけ起こした彼女がいた。

 魔法少女でもなんでもない。ただの平凡な、幼い少女。

 顔は紅潮し、吐息は荒く、小さな矮躯を小刻みに震わせている。

 しかしその眼差しは、鋭く、猛々しく、まっすぐ、二人を見つめていた。

 

「……なんで」

 

 静かに、けれども確かな熱がこもった声。

 駆け巡る衝動のまま、彼女は震える声を振り絞る。

 

「なんで……そんな、ひどいこと……言うの……」

「小鈴……?」

「代海ちゃんは、わたしの、ともだち、だよ……なにが、あっても……!」

 

 忌むように燃えた瞳を突き刺す。

 牙を剥く獣のように、小鈴は、熱に荒ぶる言の葉を吐き出す。

 

「いない方がいいなんて、そんなこと……絶対ない!」

「でも、結果として、小鈴ちゃんに被害が出てるじゃん!」

「そうだ。どうであれ、彼女との関わりで足下をすくわれたんだ。言い訳がましいが、ファーストコンタクトから失敗で……」

「違う! そうじゃない! そうじゃないよ……!」

 

 鈴もなにもない髪を振り乱して、否定する。

 友の諫言を、拒絶する。

 

「そんなこと……ないもん……」

 

 なにも考えられない。けれど、湧き上がってくる。

 それは違うと。それは間違いだと。そうではないのだと。

 否定を、否定する。

 本能に、逆らえず。衝動に、抗えず。

 

「友達に、そんなこと言う、二人の方が……霜ちゃんも、実ちゃんも……!」

 

 この意にそぐわないものは、自分の信じるものを悪し様にし、害為すというのなら。

 それこそ認められない。

 いらない、と心が騒ぐ。

 だから吐き出してしまう。思うがままに、刹那の心の刃(ことのは)を。

 縁を引き千切る、断絶の呪詛を。

 

 

 

「絶交だよ、二人とも――友達なんかじゃない!」

 

 

 

「っ!」

 

 その言葉を最後に。

 小鈴は身体をビクンッと震わせ、小さなうめき声を上げ、倒れ伏してしまった。

 霜も、実子も、言葉が出なかった。

 絶交、などと。

 およそ小鈴から聞くとは思わなかった言葉。幻聴なのではないか、夢なのではないか。そう、思うが。

 これは紛れもなく、現実だ。

 呆然とする実子。胸を押さえる霜。

 やがて霜は、踵を返す。

 

「実子、行こう」

「…………」

「行くぞ」

「……ん」

 

 迷いなく店の扉へと歩を進める霜。

 実子は戸惑った足取りで、彼の後を追う。

 霜が扉に手を掛けようとしたところで、勢いよく扉は開け放たれた。

 

「やっと追いついた! 小鈴ちゃん! スキンブル! 無事……って、わっ」

「先輩……」

 

 飛び込んできたのは、謡だった。

 滝のような汗を拭い、荒い呼気で肩を上下させる彼女は、視界に飛び込む霜と実子に、思わず足を止める。

 

「そ、そーくん? 実子ちゃん?」

「……連絡しようと思ってたので、いいところに来てくれました。後のこと、任せます」

「は? え? ちょっと二人とも! どこ行くの!?」

 

 謡の制止も聞かず、彼女伸ばした手も届かず、霜と実子、二人はなにも言わずに不思議の国から立ち去ってしまう。

 

「な、なにが……あ、いや、それより小鈴ちゃん! どうしたの? スキンブルも!」

 

 状況が飲み込めず、ただただ混乱するだけの謡だが、倒れている小鈴とスキンブルを見て、剣呑な空気は察する。

 あまり想像したくないが、恐らくこれは“敗北”なのだろう。負けた結果が、ここには広がっている。

 謡は慌てて小鈴へと駆け寄った。

 そして、彼女の肩を揺さぶると。

 

「小鈴ちゃん! しっかりして!」

「ん……ぁっ」

「えっ!?」

 

 触れた瞬間、跳ねるように耳に届く、艶やかな嬌声。

 およそ中学生とは思えない色香を滲ませた声に、心臓が跳ね上がる。

 

(な、なに、今の色っぽい声……!?)

 

 小鈴からはじめて聞くような声に、謡は同性ながら胸の鼓動の高鳴りを感じてしまう。

 戸惑いを孕む動悸に困惑していると、傍らでなにかが動く気配がする。

 のっそりと、彼が起き上がった。

 

「あー……今起きました。死にそうです」

「スキンブル! って、大丈夫!? ち、血が……!」

 

 いつの間にか人の姿を取っていた、スキンブルシャンクス。

 彼は腹から血を流しながら、ふらふらと揺れるような足取りでやって来る。

 

「帽子屋に撃たれました。急所は外れましたけど、痛すぎて喋るだけで意識飛びそうです」

「それってヤバいじゃん! ど、どうしたら……救急車! は、ダメなんだよね。えっと、えっと……」

「落ち着いてください、謡。確かに俺の容態はまずいですが、今のは誇張表現です。それより、小鈴様の方が危篤状態と言えるでしょう」

「そ、それもそう、なの……?」

「そうですとも」

 

 本気か冗談かわからない口振り。顔色はよくないし、足下もおぼつかないが、しかし意識があり、動けるということは、大丈夫なのだろう。

 意識がハッキリせず、動けないまま倒れている小鈴の方が緊急を要するというのは、その通りなのかもしれない。

 

「……な、なにがあったの?」

「俺も撃たれた後のことはわかりませんが……ふむ。あの状況から察するに――」

 

 とスキンブルが口を開こうとした、次の瞬間!

 バタバタバタ! と慌ただしい足音と共に、幾人もの人影が転がり込む。

 

「小鈴さーん! ここですか!?」

「ま、待ってよ、ユーちゃん……!」

「れんちゃんに……ユーリアちゃんとローザちゃん!」

 

 恋に、ユーリアとローザ。三人が、駆け込んでくる。

 いいタイミングなのか。いやさ、遅きに失したのか。

 恋はぐるりと室内を見回すと、謡に問う。

 

「よう……これは……」

「……ごめん。間に合わなかった」

「……そっか。こすず、は……?」

「よくわからないけど、なんだか苦しそうで……」

 

 顔は赤く、身体は熱い。

 ピクピクと痙攣するように、もじもじと疼くように、小さく震えていた。

 

「あまり下手に触らない方がいいです。恐らく、今の彼女の肌は鋭敏になっていますから」

「どういうこと?」

「彼女はきっと、三月ウサギの毒に犯されています」

「毒……?」

「えぇ。まあ毒というか、呪いというか、なんと言えばいいのか分かりかねますが、彼女の有する権能ですね」

 

 ひとまずこの場に留まるわけにもいかないと、謡はゆっくりと小鈴を抱きかかえ、外に出た。

 冬の冷たい風が肌を刺す。それでも、抱え上げた少女の身体の熱は引くことなく、激しくなるばかりだ。

 

「……なんか、前にも……そんなこと、あった、よーな……三月ウサギの、力が、どーこー、って……」

「三月ウサギの個性()は、欲望の解放です。あらゆる生命体が持つ、根源の願望を表層まで浮かび上がらせ、その衝動に支配されます。そしてあらゆる生物の根底にある欲望とは、種の繁栄、存続。ほとんどの場合、それを強制的に引き起こさせる結果となるでしょう」

「えっと……?」

「む、むずかしいです……」 

「言葉を選ばずに言いましょうか?」

「わかりやすさ……ゆうせんで……緊急、だから……」

「では単刀直入に。三月ウサギは対象を発情させます。それも、とびきり強烈に」

「はつ……っ!?」

 

 あまりにもストレートで、しかも強烈な言葉に、思わず謡は赤面してしまう。

 

「な、なに言ってんのさスキンブル!」

「俺は大真面目ですよ。彼女は、狂気の三柱の一柱、淫蕩の狂気を司る者。尽きない淫欲と快楽で、人を狂わし破滅させる、最悪の獣です」

「だけど! 待ってよ、つまり、それって……」

「あなたの想像通りでしょう。毒気を抜くには、湧き上がった欲望を発散させなければなりません。三月ウサギの与える欲求は単純明快にして原始的、性欲です。なので――」

「ふざっけんなッ!」

 

 ビリビリと、空気が痺れるほどの怒声を放つ謡。

 血が滲むほど歯を食い縛り、血走るほどの怒りを込めた眼差しで、スキンブルを睨み付ける。

 

「あまり叫ばないでください。傷に響きます、俺の」

「この子はまだ中学生なんだよ!? それなのに、そんなのって……!」

「……あなたの怒りは正しい。俺も憤慨しております。しかし、その怒りを、俺にぶつけても、小鈴様は助かりません」

「でも、でもさぁ……!」

「謡さん……」

「……ぅぅ」

 

 納得がいかないと言うように、悔恨を噛み締める謡。

 ユーリアらも、不安そうにふるふると瞳を揺らている。

 恋は俯き、小さく嗚咽を漏らしていた。

 

「こんなの、どうすればいいっていうのさ……!」

「兎にも角にも、このまま放っておけば、彼女を蝕む情動で、満たされない欲望という苦悶で、彼女は発狂してしまうでしょう。快楽を得たとて、その海に溺れて狂う可能性もありますが……」

 

 満たされない欲望に苦しむか、満たされた欲望に溺れるか。

 どちらにせよ、狂気が待ち受けることに変わりはない。

 淫欲を拒絶しようと、教授しようと、その先にあるのは快楽の地獄、そして狂気。

 十いくつの幼い少女がその身に受けるには、あまりにも残酷な仕打ちだ。

 

「……ひ、一人では、ダメなの……?」

「三月ウサギの毒が、一人で慰む程度で抜けるとも思えません。特に、この刻印(キスマーク)

 

 スキンブルが指し示す、小鈴の首筋に浮かんだ疵痕。

 それは三日月の形に歪んでおり、邪悪にその存在を主張している。

 

「これは彼女の力の結晶のようなもの。少しずつ彼女の肉体を蝕み、犯し、狂気の月が昇る時、効力が最大となります。時間がかかる代わりに、その効果も絶大……ひょっとすると、一人二人の男では足りないかもしれませんね」

「…………」

「おっと失礼。今のは軽口のつもりではなかったのですが、軽率でしたね。なんにせよ、彼女は――為さねばならない。さもなくば、ただ邪淫に狂うのみです」

「でも……あ、相手は、どうすんのさ……誰が、こんな……」

 

 仮に、仮にだ。

 彼女を救うために必要なことを為さなくてはならないとは言っても、ここにいるのは、四人の少女と一匹の猫だけ。

 女一人を満足させるには、この場にいる者たちは、あまりにも無垢すぎた。

 

「そうですね、とりあえず俺であれば、異種配合となるので孕むことはありえませんが」

「ふざけてるとぶっ殺すぞ!」

「……ご主人(マスター)が恐ろしい。しかし今のは俺が悪い。それに俺としても、恋しく思う人と、このような形で交わるなど御免です。というより俺は覗き見るほうが趣味です」

 

 ふいっ、と視線を逸らすスキンブルシャンクス。

 そして彼は不満げに続けた。

 

「まあ、そうですね。意識すら曖昧な彼女の合意を得るというのはほぼ不可能ですが、それでもあえて、彼女の意を汲むのであれば……彼を訪ねる他ないでしょう」

「か、彼って?」

「そんなものは決まっております。物語開始の第一話から判明している理です」

 

 スキンブルシャンクスはどこか遠くの虚空を見つめる。

 そして、告げた。

 

 

 

「――小鈴様の思い人でございますよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……恋の奴、遅いな」

 

 剣崎一騎は、自宅で頭を悩ませていた。

 部活が終わってから、もう結構な時間が経った。

 先に帰るなどと言いながら、一騎が帰宅しても、恋の姿はなかった。

 しかし連絡は最後のあれっきり。それ以後は、なんの音沙汰もない。こちらからコールしても、返事もない。

 なにかがあったのは、間違いない。

 だがそれがなにかまでは、わからない。

 もしかすると、なにか事件に巻き込まれているのではないか、という思索が巡る。

 

(暁さんたちにも伝えるべきだろうか……いや、“あっち”のことならまだしも、こっちの出来事だし、普通に警察か……?)

 

 不安が募る。

 半年ほど前の彼女ならまだしも、今の彼女なら、それほど心配はないと思っているが。

 それでも、少し浮世離れしたところがある少女だ。そうでなくても、恋は見てくれだけならとても綺麗なのだ。

 誘拐でもされていたら、恋の世話を任せてくれた彼女の母親に申し訳が立たない。

 副部長から「お前は過保護すぎる!」とよく叱咤されてはいるものの、しかしこのまま放っておくのも怖い。

 そして一騎は意を決し、警察に伝えようと、携帯画面を切り替える。

 と、その時だ。

 

ピンポーン

 

「ん……誰だろう、こんな時間に」

 

 不意に鳴り響くインターホンの音。しかも、それは執拗に連打される。

 急かすように、焦るように、何度も、何度も、呼び鈴の音が響く。

 

「い、今出ますから……ちょっと待って!」

 

 扉の向こうの来訪者に聞こえるわけもないが、そう言って、一騎は慌てて扉を開ける。

 すると、ガシッ、脚になにかがしがみついた。

 

「つきにぃ……っ!」

「こ、恋っ? お前、こんな時間まで、どこ、で……」

 

 脚に染みるように伝わる、熱く、冷たい感触。

 その感覚に、一騎は驚かずにはいられなかった。 

 

(え……な、泣いてる……? 恋が、泣いてる……?)

 

 にわかに信じられなかった。

 感情がほとんど表層に現れず、いつでも無感動な瞳で、すましたような冷淡な態度で、喜びも、怒りも、哀しみも、決して顔には出さない恋が。

 顔をくしゃくしゃにして、声を震わせて、泣きじゃくっている。

 こんな感情的な彼女を見たのは、半年振りだ。

 それは稀少であり、それでいてただ事ではない事態でもあること、一騎は察する。

 

「つきにぃ、おねがい……こすずが、こすず、が……!」

「え? 小鈴ちゃん? 小鈴ちゃんが、どうしたって?」

「……イツキ先輩」

 

 声を荒げる小鈴とは対照的に、とても静かな――感情のすべてを押し殺したような、冷え切った静謐な声がした。

 来訪者という意味では、彼女、あるいは彼女らこそが、本当の尋ね人なのだろう。

 その声ではじめて、彼女らの存在に気付く。

 

「長良川さん……それに……」

 

 来訪者たる謡。その傍らに、従者のように佇む見知らぬスーツ姿の少年。

 そして、謡が抱きかかえた少女――小鈴の姿もあった。

 小鈴は吐息が荒く、顔は紅潮し、身体も小刻みに震えている。

 一見して正常な状態でないことはすぐにわかった。

 とはいえ、あまりにも唐突な出来事に、さしもの一騎も、理解が追いつかなかった。

 

「……どう、したの?」

 

 ようやく絞り出したのは、それだけの言葉。

 謡は唇を噛み締め、沈痛な面持ちで、小鈴と、そして一騎を、申し訳なさそうに、哀しそうに、悔いるように、見つめる。

 

「お願いします、先輩。私たちのこと、全部……全部、話しますから。だから――」

 

 やがて謡は口を開き、嘆願する。

 

 

 

「小鈴ちゃんを、助けてください――!」

 

 

 




 後篇とは言いました。全部で三話構成にする予定でした。でも無理だったよ。
 というより、四話目に持ってくる話を独立させるつもりだったんですけど、繋げることにしました。
 次回は少女の儚い一夜……まあ、流石に婉曲に婉曲を重ねた表現にします。とても危険な、けれども、大事な一夜となるはずなのです。
 それでは今回はこの辺で。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
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