今回は、三月ウサギのお話です。
色々と奇妙な変遷を辿った彼女に対して、作者なりに出した答え、みたいな。
「……帽子屋さん」
「マジカル・ベルか。よもやこんな寂れた屋敷にまで足を伸ばすとは。暇なのか?」
帽子の陰に隠しながら、帽子屋は胡乱げに眠り眼をうっすらと開き、目の前の少女を見遣る。
「しかし、三月ウサギの狂気に当てられて、素面でいられるとはな。なんだ貴様、男がいたのか? 幼い身で実は遊女だったのか? 兎の快楽を貪った感想はどうだ?」
「代海ちゃんはどこにいるの?」
帽子屋の煽りには一切耳を貸さず、小鈴は、単刀直入に帽子屋に切り込む。
帽子屋は深く椅子に座り直し、荒く嘆息する。
「代用ウミガメ、か。さてな。オレ様も知らん。奴は女王と共に在る。その女王がどこかに飛んで行ってしまったからな。どこにいるのかなど、誰にもわからんさ」
「女王……?」
「あぁ、ハートの女王だ……貴様らは、知らないのだったか」
語るのも億劫そうに、帽子屋は天上を仰いだ。
「別段、知ったところでなにが変わるわけでもない。しかし狂ったウサギに狂わされなかった褒賞くらいは、あってもいいだろう」
本当にどうでもいいことのように。
投げやりな冥土の土産。手土産としてはこれ以上無いほど粗雑に、帽子屋は吐き捨てる。
「まずは、名か。我々はハートの女王と呼ぶが、奴には様々な呼称がある。聖獣は確か、そう。こう呼んでいたな――」
☆ ☆ ☆
「――《
ぽつりと、鳥籠から囁く声が聞こえた。
「ヘルメスの奴は、そう名付けたっけな」
「……鳥さん。起きたんだ」
「あいつの話をしているんだろう?」
「あぁ……うん。ハートの女王だっけ。話にはよく聞くけど、正直それがなんなのか、よく知らないんだよね」
時々、彼らの話の中に出て来る、女王。
公爵夫人はこれを殺すと殺気立っていた。これが目覚めることで世界は滅ぶとヤングオイスターズは告げた。
断片的に、女王なる暴君を彼らが畏れていることは感じ取れた。しかしそれは、一口に言い切れるほど単純なものでもないということもわかる。
「ハートの女王ってさ、結局なんなの? 公爵夫人は、自分たちを産んだ母とか言ってたけど……」
「難しいところですね」
スキンブルシャンクスが首を捻る。
「夫人の言う通り、女王は我らの母です。我らをこの世に産み落とした、万物の母。黒き仔山羊を孕む豊穣の女神。そしてその落し子こそが、『不思議の国の住人』です」
ま、オレはその子から分離した存在なので、どちらかと言えば孫ですが、などとどうでもいい補足をする。
それは、いいのだ。
女王なる存在が、あの醜悪にして、狂気にして、強靭なる命を生み出したということは、いい。
だがそれが、どう滅びに繋がるというのか。
自分たちの祖たる母に敵意を向けるのは、なぜなのか。
「……強大だからこその畏怖、でしょうかね。如何に母君と言えども、強すぎる力にはいつだって、恐怖が付きまとうのです」
「そんな生優しいものじゃない。あいつは邪悪の具現そのものだよ」
籠の中の鳥は、悔しそうに、恨めしそうに、そして憎々しげに、吐き捨てる。
「あいつが……僕らの世界から、神話を奪ったんだ」
「え……どういうこと?」
「……そういえば、小鈴にも、あんまり詳しくは話していないんだっけ。僕らの世界のこと」
隠していたわけじゃないんだけど、と前置きして、彼は言葉を紡ぐ。
「僕らの世界は、神話と呼ばれる最上の存在がいる。そしてその中から選出された、十二の神々によって、世界の調和は保たれていたんだ」
「神話? 神様が、十二も……?」
「神ではなく、神話なんだけれど、そこはいい。僕らの世界はその神話たちの調定により、平和だった……だけどある時、マナの枯渇で世界は衰弱していった。理由も分からず、神話同士は少ないマナと枯渇のその原因を求めて争ったよ」
「内紛、ですか」
「それで、その原因が……」
「あいつ……星喰いの怪物。君らが『ハートの女王』と呼ぶ、邪神だよ」
歯を喰い縛るように嘴を噤み鳴らす。
自分の世界、自分の星、自分の故郷を喰い荒らした元凶に対する、暗く思い情念は察するに余りある。
「あいつのせいで、すべての神話が世界から消えてしまった。あいつを外の世界に追放するために、アポロン様も……」
「トリさん……」
「僕がこの世界に来たのは、失われた神話を探すため。クリーチャーがこの世界に現れるのも、僕らの世界が荒廃し、新たな安住の地を探すためだろうさ。あいつは、諸悪の根源だよ」
「ハートの女王は不思議の国を滅ぼす以前から、既に別の国を滅ぼしていた、と。あるいはあなた様の星に降り立つ前から、他の星も食い荒らしていたのやもしれませんね」
「どこぞの変態学者曰く、あいつは
憎々しく悪態をつく。
星を滅ぼす邪神。それほど強大な存在が目覚めるとなれば、民が意気消沈し、恐れ戦くのも、理解できるというもの。
「……ん、待って。鳥さんの世界って、クリーチャーの世界だよね。それって、ずっと遠くの宇宙にあるんじゃない?」
「あぁ、そうかもしれないね。あの怪物を追放した時も、十二神話が世界から去ったのも、遥か遠くの宇宙に向けてだから」
「ってことはさ、他の宇宙から来た女王様の子であるスキンブル達って……宇宙人?」
「なるほど。その発想はありませんでしたね」
流石は謡、著しくどうでもいい発想力をお持ちだ、と。
スキンブルが口にする前に。
「なにが、なるほど、よ」
亡国となった不思議の国に響く、刺々しい女の声。
「言うに事欠いて、僕たちを宇宙人扱い? 虚仮にするのも大概にしておきなさい」
謡たちは、顔を上げる。
「あなたは……!」
「三月ウサギ。よもやここでお出でになるとは」
邪淫と淫蕩の獣。しかし淫靡に歪んだ顔はそこになく、荒れた髪と肌、光を灯さない薄暗い眼。
そこにいたのは、情欲ではなく虚無となった獣だった。
彼女は、ふらふらとおぼつかない足取りで、生気も覇気もない怒声を発する。
「そりゃあ、お母様は遥か宇宙の果てから来た邪神よ。けどね、僕たちは紛れもなくこの世界に、この星に産み落とされた命なの。だから帽子屋さんも、この世界に根付くことを望んで……いたのよ」
「いた?」
「……もう、壊れちゃったわよ」
悔恨と、憎悪と、諦観。
三月ウサギは唇を強く、強く、血が滲むほど噛み締める。
「お母様が動き出した。星を喰らい尽くす邪神が目覚めたら、どうなると思う? 矮小な命なんて、オードブルどころかスナックよ。一瞬で蹂躙されて、お腹の中。そんな抗えない末路がわかるからこそ、錆び付いていた帽子屋さんも、ほんとの本当に、動かなくなっちゃった。パ他の奴らも腑抜けたわ」
「では、あなたはどうなのです? 三月ウサギ」
「……どうかしらね」
三月ウサギは天上を仰ぐ。
「こんな時に限って、ノロマな亀女はいない。汚らしいドブネズミもいない。ウザい虫けら共もいない。僕、どうしたらいいの?」
誰に問うでもない。自問自答ですらない。
虚空という
「マジカル・ベルは壊れなかったのに、帽子屋さんは壊れちゃって、もう、どうにかなっちゃいそう。どうにかなっちゃってるの。楽しみがなくなっちゃったのよ」
唇から鮮血が滴り、濁りきった眼から雫が流れる。
「どうしてこうなっちゃったのかしら。それを教えてくれるパンチョウの奴もいないし、もうわけがわからない。どうしたらいいってのよ」
それは悲痛の叫び。どん詰まりになった不思議の国における、民の嘆きだ。
どう足掻いても
志を同じくした同胞たちとの離別、困窮、衰退。
八方塞がりで、自分たちを取り巻く環境も、仲間も、心も、すべてが崩れ、壊れてしまった。
一人の少女の心と身体を壊そうとした獣だが、皮肉にも、心身共に崩壊に導かれたのは、彼女の方だった。
なんたる理不尽。しかしてその身に降りかかった災厄の不条理は、容易く拭えるものでもない。
「だからさ……八つ当たり、させなさいよ」
荒れ果てた髪を振り乱し、どす黒い不条理の情念で、獣は謡たちを睨み付け、そして、
「なんでもいいから、嬲って逝かせて壊して犯して――狂わせてよ!」
吼える。
情欲に駆られた兎は小さな獣なれども、逆しまの怨恨を噛み締め、理不尽と不条理に燃え、牙を剥く。
肌も、髪も、滴る血も涎も涙も黒く染み渡り、溶け落ちる。
そこには一人の女であり、獣であり、忌まわしき女王の仔が、哭いていた。
「謡」
「……うん」
後輩達を下がらせ、彼女は一歩、前に出る。
黒く染まり行く異形。怪物へと変貌し、還りゆく姿。
公爵夫人の時と同じだ。彼女よりも異形化は薄く、人の形を保っている。
しかしそれでも、彼女が黒き仔山羊の姿に変わりゆくということは、それは彼女の怒り、憂い、嘆きに他ならない。
「あなたたちにも、悩みとか、大変なことがあるのはわかるよ。小鈴ちゃんも、きっとそんなあなたたちを尊重したいと思う。誰にも、譲れないものと、それに縋る理由があるはずだから」
今までずっと、傍で見てきたのだ。
自分自身を無理やり作り替えてまで、戦ってきたのだ。
理想と幻想が崩壊しても、前に進み続けたのだ。
そして傍らには、彼女たちの同胞にして、相棒がいるのだ。
だから彼女たちの慟哭は、理解できる。その悲しみも、哀しみも、感じられる。受け入れられる。飲み込める。
進むべき道を見失い、怒り狂ってしまうのも、仕方ないだろう。
――けれど。
「それは私だって同じだ!」
謡もまた、咆える。
怒りを抱えるのはお前だけではないと、食い掛かる。
「私は小鈴ちゃんが……あの子が築き上げてきた
「はん、なら話は早いわね」
黒く溶けつつある眼を光らせ、三月ウサギは謡を嘲笑する。
「子供でも嬌声はあげられる。身も心も快楽の情熱に浮かされ、軋む欲望を貪らせてあげる。でも、気をつけないよ? それか、覚悟しなさい」
だらり、とだらしなく口を歪ませ、哭くように獣は嗤った。
「あなたの“めしべ”――毟り取っちゃうから!」
☆ ☆ ☆
「ギガ・オレガ・オーラ、起動」
ブォン、と電子音が響き、三月ウサギの手中に電影が集う。
「《
ボトリ、ボトリ、と奇妙にして奇怪な被造物が産み落とされた。
そして産まれた命のひとつに、電影は跨がる。
「GR召喚《スカップⅢ》《ウォルナⅣ》。《モンキュウタ》は《ウォルナⅣ》に
「……なんか、さっきのノリから一転して、静かで不気味なんだけど、あのエロいお姉さん」
「躁鬱の激しい御仁ではありますが、どちらかと言えば鬱も淫らに飲み込んで踊り狂うタイプだったはず。自我が崩壊した影響でしょうか」
「君も大概酷い物言いだよね」
「ふむ。謡は彼女に同情しておられるので?」
「まあ、ね。他人じゃないんだ。思うところはあるよ」
「それで?」
「でも、私にだって譲れないものも、許せないこともある。月並みで凡庸だけど、それが、あの子の守ってきた世界だから。私の夢だったもの、そのものだから」
伝聞に空想が混じり合った英雄視だが。
泡沫に消えてしまったが。
それでも、彼女は自分が夢想した主人公に他ならない。
そして、自分が抱いた理想が傷つけられたとなれば、黙っていられるはずもない。
「だから、私はあの子を傷つけたあなたをぶん殴る! 《ガチャダマン》を召喚! その能力でGR召喚!」
謡の手中から、一球が投げ込まれる。
それは半分に割れ、中からさらなる仲間が吐き出された。
「《ヤッタレロボ》か……悪くないけど、マッハファイターはできないや。ターンエンド」
ターン3
三月ウサギ
場:《スカップⅢ》《ウォルナⅣ[モンキュウタ]》
盾:5
マナ:4
手札:2
墓地:1
山札:27
謡
場:《ガチャダマン》《ヤッタレロボ》
盾:5
マナ:4
手札:3
墓地:1
山札:26
「《
「私のターン……スキンブル
「えぇ。決めてしまいなさい。謡」
「うん。このターンで終わらせてやる」
三月ウサギの動きは、醜悪な容貌に反して穏やかで、鈍い。
しかしそんな遅滞を待っていようはずがない。
最大出力の最高速度で、化生のはらわたを打ち抜く。
「1マナで《ヤッタレマン》を召喚! そして、《ヤッタレマン》と《ヤッタレロボ》で、私のジョーカーズの召喚コストは2下がってる。2マナ下がって、4マナタップ!」
機械だろうと、肉の身体だろうと、そこに込められた気持ちは変わらない。2体による応援歌が、彼を導く。
仲間たちに囃され、超特急の行進(パレード)が催された。
不思議の亡国に、凱旋の汽笛が、鳴り響く。
「出発進行――《超特Q ダンガンオー》!」
城門を貫き、走り抜ける一筋の白金。
弾丸の如き一陣の風は、さらに、奔る。
「私の場にジョーカーズは3体! よって《ダンガンオー》のブレイク数はプラス3……この一撃で、打ち砕く!」
魂の抜けた亡き者の国に、道化の光を。
押しつけがましくても、気休めだとしても、救済にならずとも。
彼女はただ仲間のためにと、拳を振るう。
「ぶち抜け! 《ダンガンオー》――ダンガンインパクト!」
滅亡の亡国にその爆進を止める者はいない。
番兵も力をなくし、無気力に、無防備に、振るわれた拳を甘んじて受け入れる。
「……S・トリガー」
だが、しかし。
「《ドンドン吸い込むナウ》……山札から五枚捲って、一枚手札に。《サイゾウミスト》を回収よ」
「げ……」
「自然のカードを加えたから、《ヤッタレロボ》。消えなさい」
壊れた国を荒らされることは黙認しても。
身も心もすべてを許したつもりはない。
怪物へと成り下がった民は、意気消沈に狂いながら、噛み痕を残す。
「《サイゾウミスト》で止められるし、《ガチャダマン》も殴り返されちゃうか。攻めきれないなら……ここはターンエンド!」
ターン4
三月ウサギ
場:《スカップⅢ》《ウォルナⅣ[モンキュウタ]》《エスカルデン》
盾:0
マナ:7
手札:6
墓地:2
山札:23
謡
場:《ガチャダマン》《ヤッタレマン》《ダンガンオー》
盾:5
マナ:5
手札:1
墓地:1
山札:25
「はぁ……くっさ」
カードを引きつつ、三月ウサギは嘆息する。
黒く溶け落ちつつある身体には亀裂が走り、今にも口開きそうに、蠢動し、軋んでいる。
しかしそんな異状を気にも留めず、気怠そうに謡を睨む。
「青臭くて乳臭い……そのガキっぽさ、不愉快よ」
ぽとり、とマナゾーンにカードを落とす。
「8マナタップ」
そしてそれらのマナを踏み躙るように、すべて、押し倒した。
「虫って実はとっても本能的なのよね。自分のことしか考えない。交わることが最終目標。自分が生きるため、種の存続のためだけに動く、自我のない純粋なる我欲。本能の傀儡ってところがね、実は結構好きなのよ、僕」
淫らに、ではなく。
醜悪に、獣は嗤う。
「高貴に、淫らに、本能を貪りなさい――《グレート・グラスパー》!」
《エスカルデン》の骨(から)が割れ、中から、蝗が食い破り、這い出でる。
しかしそれだけでは物足りない。蟲はさらなる食い物を求め、飛行する。
「《グレート・グラスパー》がバトルゾーンに出たことで、《ガチャダマン》をマナゾーンへ。そして《グラスパー》で《ダンガンオー》を攻撃する時にも、能力発動よ」
《ガチャダマン》を喰らう。まだ足りない。
まだまだ足りない、物足りない。
腹は満たされない。情欲を解き放つ糧にもならない。もっともっと、必要なのだ。
偉大なる母に捧げる、命が。
「自分のNEOクリーチャーよりパワーの低いクリーチャーを、マナから引きずり出す。進化も非進化も関係なく、ね」
たとえそれが我が身だとしても、構わない。
だってすべて、滅びてしまうのだから。
喰われてしまうのだから。
邪悪なる、母君に。
「……僕の名前は『三月ウサギ』。淫欲に狂う獣。ただ、それだけの、下卑た娼婦」
蝗の身体が崩壊する。
三月ウサギが言葉を紡ぐたびに、脚が、翅が、身体が、崩れていく。
否、戻っていく。母の、
「気持ちよく、心地よくて、そんな淫蕩を与えてくださったお母様に感謝したわ……最初はね」
快楽に溺れ狂う獣、三月ウサギ。
しかし彼女には、幸か不幸か、知性があった。理性もあった。
同胞と触れ合った影響か、人間の姿を得た代償か。その真意は、虫けらの同胞に聞かなければわからないが。
とにかく、彼女は、思考も思慮も思案もあった。
だからこそ、気付いてしまった。
「僕はどこまで行ってもそれまで。どれだけ気持ちよくても、快楽に溺れても、その先には進めない。最初から、どん詰まりなのよ」
「……?」
「これほどまでにお母様を呪ったことはないわ。お気に入りの
「なに? なにを言ってるの……? どういう、こと……?」
邪淫、肉欲、淫蕩。
それこそが三月ウサギを構成する核。母から受け継いだ権能にして
その凄絶さのあまり、帽子屋、公爵夫人と並ぶ、狂気の三柱と称されるほどの、人を破滅に導く絶大なる狂気。
「ただ気持ちいいだけじゃ飽き足らない、愛が欲しい。この快楽の証明が、結果が欲しい。そうすれば、帽子屋さんだって、こんなに苦しむ必要はなかった。僕たちの果てない野望は、もっとすぐ近くにあったはずなのに。僕の、僕たちの望みは、僕自身の手で朽ち果てたわ。僕はただ、当然のことを願っただけなのに」
しかしそれは、ただの呪いでしかなかった。
吐き出すのは子種でも、落し子でもない。
三月ウサギは――呪詛を、吐き出す。
「子供が欲しかった」
ただ、それだけのこと。
あまりのも平凡な願い、だが。
それは淫蕩の獣の誕生によって、打ち止めになった。
「イイコト教えてあげる。僕たちにはね、各々の獲得した性質が伝播する、という性質があるの。あるいは共有かしら」
「……公爵夫人がちょっと言ってたっけ。あなたたちが人間の姿を取れるのは、あの人の力が要因だって」
「えぇ。醜い貌の公爵夫人様が美を知り、人間という肉体を得たことで、僕たちは今の姿を成せるようになった。子々孫々、そうやって僕たちは、進化してきた。いえ、それがあまりにも脆弱で小勢な僕たちが生き残る手段だった」
しかし、進化とは、必ずしも良くなるばかりではない。
発展の裏には後退もあれば、代償もある
「僕は快楽の化身、三月ウサギ。僕の交わりはすべて快楽に帰結する。たとえそれが、新たな世代に繋ぐ尊い行いでも、僕はそれを、堕落させる」
雄と雌の交わり。それは新たな命を繋ぎ、繁栄するための手段だ。
多くの生命が必要とする本能であり、この世界を構築する命のパーツ。
それに伴う快楽は、そんな命の歯車を回すための潤滑油でしかなかった。
その、はずなのに。
「僕が生まれてしまったのが運の尽きね。僕の淫蕩は、種の存続ではなく、ただの気持ちいいコトに成り下がった」
彼女は快楽に狂う獣だが。
その裏側には、快楽による呪詛が蝕んでいた。
自分たちの繁栄の道を断った元凶。しかしそれでも彼女は快楽を、邪淫を求める。
それが、母から授かった
「もうほんと、お笑いよね。僕自身が、帽子屋さんの望みを断ち切ってしまうだなんて。そして、その望みを繋ぐ可能性、多産の権能を受け継いだのが、この国を破滅させた代用ウミガメだなんて」
渇いた嗤い。ドロリと黒く溶けた肌は引き裂かれ、不格好な歯を覗かせる。
髪の一束は枝の如き触腕として集い、脚は根のような蹄として大地を踏みしめる。
心が歪むにつれ、彼女の身も、
「だから僕は、あいつが嫌いなのよ。僕自身の咎を、僕以外が洗うなんて……僕が要らない子みたいじゃない」
「……それは」
「あぁ、同情なんていらないから。これはただの愚痴よ。あなたはただ、犯されて、壊されてくれれば、それでいいの。それ以上のことは、求めてないから」
突き放すように言って、三月ウサギはぐらりと揺らめき、俯く。
「僕たちはお母様には逆らえない。だからあんたを壊して八つ当たりする。不格好で、醜くて、無意味なことだけど……もう、それでいいから」
もはや理屈も理由も、合理も条理も必要ない。
そこにあるのは、ただの理不尽。
森羅万象の外宇宙から押し寄せる、狂気なる恐怖だ。
「あなたを苗床にはしない。あなたはただの肉塊として、僕の
羊水に飲まれた命は、その母となり、現れる。
「我らが忌み子を堕ろせ――《
狂気の月が黒く輝く。
幻影と電影が交じり、幻想なる命が、産み落とされる。
ここに座するは偽りの母。母になれない獣の、泡沫の夢だ。
「無意味に子種を吐き出しなさい。鬼子でも忌子でも、妄想でも空想でも、僕の仔をここに産み落としなさい! 決して届かない抜け殻の落し子を!」
慟哭する仔山羊は、どれほど黒く染まろうと、母にはなれない。
一生、仔山羊のまま、母の姿を幻視して、叶わぬ妄想の仔を孕み続ける。
「《スカップⅢ》と《モンキュウタ》を喰らい――生まれなさい! 《龍罠 エスカルデン》! 《審絆の彩り 喜望》!」
《キリコ・ムーン》は被造物を飲み込み、それを新たな命、幻想の仔として、産み落とす。
ぼとり、ぼとり、と。
「《エスカルデン》の能力で山札を捲り、二枚ともマナへ。《喜望》の能力で、僕のアンタップクリーチャー2体をタップ! その数だけGR召喚よ!」
新たに出て来た《エスカルデン》、そして《喜望》自身がタップされ、2体分の命が新たに吐き出される。
否。
「《スカップⅢ》《マリゴルドⅢ》! 《マリゴルド》の能力で、マナゾーンから《モンキュウタ》をバトルゾーンへ……2回、GR召喚!」
2回で終わる、はずもない。
そんなささやかな願いでは、三月ウサギの情欲は収まりきらない。
彼女は憎いほど願った理想は、夢は、その程度では満足できない。
「《マリゴルドⅢ》《イイネⅣ》! 《マリゴルド》の上に《モンキュウタ》が跨がり、新たに産まれた《マリゴルド》が、もう一枚《モンキュウタ》をバトルゾーンへ! ギガ・オレガ・オーラによって《クリスマⅢ》と《王子》をGR召喚! 《クリスマⅢ》に《モンキュウタ》を
産み落とされた人造の仔が、新たな命の呼び水となり、次々と子種が撒き散らされ、命が芽生える。
しかしそれらはすべて、偽りの生命。幻想の産物だ。
あまりに虚しい現実。しかし黒の仔山羊と成り果てた狂気の兎は、その現実に目を向けず、怒り狂う。
「な、なんか、いっぱい出て来た……!」
「……仔を孕めず、子を産めぬ、ウサギの妄執、ですか。いやはや、恐ろしい。そしてなにより、凄まじい」
《グレート・グラスパー》1枚から、盤面を一気に広げてきた。この超展開には、流石に吃驚を禁じ得ない。
「《キリコ・ムーン》で《ダンガンオー》を破壊……愛も性も、ましてや生誕の望みがない苦しみも知らない生娘が、粋がってんじゃないわよ」
「っ、《ダンガンオー》……!」
偉大にして邪悪、虚無にして虚偽の母の前に、一人の少女が祈った英雄は、いとも容易く蹂躙される。
機体は粉々。腕はもげ、脚は折れ、胴に穴が空き、頭は潰れた。
無惨な英雄の末路が、そこに転がっていた。
「《スカップⅢ》はマナドライブでマッハファイター、《ヤッタレマン》を破壊! ターンエンド」
「この数は……流石に、まずいね」
前のターンに仕留めきれなかったことが、あまりにも痛く響いている。
完全に盤面を制圧され、主導権を握られた。ここは閨の中であれば、彼女の思うがままだろう。
「2マナで《ジョラゴン・オーバーロード》! マナ加速して、私のマナゾーンに7枚以上のジョーカーズがあるから、GR召喚! 来て、《バイナラシャッター》!」
しかしここは寝台ではなく戦場。敵地であっても滅亡の国。
数多の怪物に囲まれようと、拳を降ろしはしない。
「マナドライブ発動! コスト6以下の《エスカルデン》を山札の下へ! さらに私の場に合計6枚以上のジョーカーズがあれば、《バングリッドX7》はマナゾーンから召喚できる! しかも1ターンに一度、マナゾーンから召喚可能になる権利も得る! その能力で、マナから《ヤッタレマン》を召喚!」
クリーチャー除去、さらにマナからの召喚。
道化らしい連携、尽きることのない展開、だが。
「……これが限界か」
それが現状できるベストだとしても、その力はちっぽけだ。
三月ウサギの場には、10体近くのクリーチャーが並んでいる。加えて、《キリコ・ムーン》という強大な母君も君臨している。
宇宙的恐怖の前では、人の力は、あまりにも小さすぎる。
「でも、やるだけのことはやるよ! 《バングリッド》で《王子》を攻撃! マナ加速して、マッハファイター!」
「ふぅん……で?」
「……ターンエンド」
ターン5
三月ウサギ
場:《キリコ・ムーン》《喜望》《スカップ》《マリゴルド》《イイネ》《マリゴルド[モンキュウタ]》《クリスマ[モンキュウタ]》
盾:0
マナ:7
手札:5
墓地:2
山札:20
謡
場:《バイナラシャッター》《バングリッド》《ヤッタレマン》
盾:5
マナ:7
手札:0
墓地:4
山札:22
「僕ね、妄想は過剰なタイプなの」
淑やかに、醜く歪んだ口で、彼女は囀る。
腕の口は、怒りに燃え、歯をガチガチと鳴らす。
脚の口は、悲哀に嘆き、延々と溜息を吐き続ける。
胴の口は、未来を諦め、狂ったように虚無と共に嗤う。
「一人で想って慰める時も、あり得ないほど激しく、思い煩うのよ」
胸に手を当てる。
しかしその手は蠢動する暗黒の触腕になり。
その胸は憤怒と、悲嘆と、諦念が渦巻く奈落の大口となり裂けている。
「だから叶わぬ夢だって……過剰に過大に、空想するの」
それでも彼女は、幻想に向かって、ひた走る。
「8マナで――《プレミアム・キリコ・ムーン》に、究極進化!」
「な……っ!?」
《キリコ・ムーン》の上に重ねられた、2枚目の《キリコ・ムーン》。
大量の落し子が散らばる国で、母は、またしても我が子を抱く。
「羊水に還りなさい、僕の可愛い妄想の落し子たち。そして新たに産み落とされなさい、幻想の水子たち!」
我が子を喰らい、我が子を吐き出す。果てない幻想が、流転し、輪廻する。
6体のクリーチャーを吸収した《キリコ・ムーン》は、新たにその数の命を吐き出した。
「《イチゴッチ・タンク》が三体。そして《喜望》に、《エスカルデン》。《エスカルデン》の上に《グレート・グラスパー》!」
「《喜望》に《グラスパー》……! まずい……!」
「《エスカルデン》の能力で二枚ともマナへ。《グラスパー》の能力で《バイナラシャッター》をマナへ。《喜望》の能力で、《グラスパー》以外をタップ、GR召喚!」
ありったけのクリーチャーを寝かせ、閨へと押し込み、無理やり人造の仔を孕む。
そこには愛も快楽も、もはや消え失せた。
ただの機能(システム)であり、暴威にも等しい執念だ。
「《ウォルナⅣ》《イイネⅣ》《クリスマⅢ》《スカップⅢ》《王子》……《クリスマⅢ》の上に《王子》を重ねるわ、NEO進化よ」
わらわらと、ぐちゃぐちゃと。
冒涜的に、命が氾濫する。
「さぁ、もう一度、あの生娘の純潔を貪ってやりなさい。《スカップⅢ》で《ヤッタレマン》を攻撃! 《グレート・グラスパー》で《バングリッド》を攻撃……能力発動!」
ドロリと巨蟲は溶融する。
すべて、母に還り、母となり、母と一体となる。
狂気の月に、導かれて。
「《真実の神羅 プレミアム・キリコ・ムーン》! 《王子》から究極進化!」
「今度は……9体……!」
攻撃中の《グレート・グラスパー》さえをも飲み込み、《キリコ・ムーン》は幻想を産み落とし続ける。
三月ウサギの妄執、妄想、嘆願を、叶えるために。
「男の子は何人かしら? 女の子は何人かしら? あぁ、泡沫の想像でも、
笑い、嗤う、三月ウサギ。
黒く溶けた貌はに楽しさも愉しさも、喜びも悦びもなく、あるのはただの怒り狂える虚しさだけ。
「《龍罠 エスカルデン》2体、《怒流牙 サイゾウミスト》2体、《グレート・グラスパー》2体、《エスカルデン》に重ねて両方NEO進化!」
ぼと、ぼと、ぼとり、ぼとり、ごぽっ、ごぽごぽっ。
獣は狂う。月が狂う。母も狂う。
壊れた機械のように、それは、野獣の願いのために、仔を生み続ける。
「残りは《黒豆だんしゃく》《審絆の彩り 喜望》、そして――」
延々と現世と羊水を流転を続けた幻想の命たち。
しかしその輪廻転生に、終止符が打たれる。
「――《気高き魂 不動》!」
輝ける高貴が、楔となる。
狂っていようと、その光が、偽りの仔たちを繋ぎ止める。
もう、母の胎内には還らない。
「《不動》を《喜望》に重ねてNEO進化よ。そして《エスカルデン》出たから、4マナ加速! 《サイゾウミスト》が出たから、シールドを2枚追加! 《グラスパー》が出たから、あんたのクリーチャーはマナ送り!」
数多の大口が慟哭する。
公爵夫人と、同じだ。
暴走した機械のように、猛る情念に突き動かされ、彼女は暴れている。
「《喜望》の能力で、《サイゾウミスト》二体と《黒豆だんしゃく》をタップ! 3回GR召喚!」
仔共たちが縫い止められただけではない。
一度は母の胎へと還った命が、巡りに巡って、遂に戻ってくる。
「《ウォルナⅣ》《王子》《マリゴルドⅢ》! 《ウォルナⅣ》の上に《王子》を重ねてNEO進化!」
「GRゾーンが、一周した……!」
しかも戻ってきたのは、《マリゴルド》。
これが出て来たということは、当然、マナゾーンから引っ張り出されるのは、
「《マリゴルド》の能力で、マナゾーンから《モンキュウタ》! さらに2回GR召喚! 《スカップⅢ》《マリゴルドⅢ》! 《マリゴルド》が出たから、さらに《モンキュウタ》! 《イイネⅣ》《クリスマⅢ》!」
《マリゴルド》から《モンキュウタ》が連鎖する。山札に戻った《モンキュウタ》も、《エスカルデン》でマナへと押し込められ、幻想の命を孕む機構の一部と化す。
「まだ、まだ、まだまだまだまだまだ! 終わらない、終われない! まだまだ、気持ちよく、なり切ってない……! 僕の夢は、こんなもんじゃ、終わらないッ!」
《キリコ・ムーン》の降臨により、強引に攻撃が止まったが。
もう、その心配は無い。
命は母に戻らない。ならばあとは、子種を吐くだけだ。
精魂が尽き果て、枯れ落ちるまで。
「《グラスパー》で攻撃! 2体の《グラスパー》の能力で、マナゾーンから2体、《キリコ》が出る!」
「は……っ!?」
今の三月ウサギの場には、《キリコ・ムーン》を除き12体のクリーチャーがいる。
そして《不動》の能力で、三月ウサギのクリーチャーは破壊でないと場を離れない。
つまり、
「山札から24体のクリーチャーをバトルゾーンへ!」
「そんなにいるわけないだろ! ちょっと待って! そんなことしたら、あなたのデッキが……!」
「知らない知らない知らない知らない知ったことか! いいから、黙って喘ぎなさい! 気持ちよくなってなさい! 僕を、気持ちよくさせなさいよ!」
合計で24体。実際は一度目の《キリコ・ムーン》の効果を解決した後に、第二波の効果が発生するので、もっと多くの仔が産み落とされるだろう。
しかし三月ウサギの山札は残り少ない。いくら大量のクリーチャーを出せても、デッキの枚数には限界がある。そんな過剰な要求に応えることなどできない。
幻想は過剰。無理を通そうとも道理は不動。
三月ウサギの情欲も望みも果てはないが、それに応えられるほど、世界は寛容ではない。
すぐに、命は枯れてしまう。
「ほら、ほらほらほら! 出せよ、出しなさいよ! もっと出るでしょ孕めるでしょ! 堕ろしても堕としても、僕の子供……産んでみなさいよッ!」
三月ウサギは絶叫し、咆哮し、慟哭する
限界まで山札からクリーチャーを絞り出し、《エスカルデン》で残り少ない山札が削り取られ、《喜望》が新たなクリーチャーを呼び出す。
「山札残り2枚……しかも、が、GRクリーチャーまで、出し尽くした……!?」
「獣の情欲恐るべし、でございますね」
もはや彼女の
暴走した幻想で、輝ける狂った月は、牙を剥く。
「《喜望》を《不動》にNEO進化」
これで、輪廻する妄執は区切られる。
滅亡と創世のサイクルの支配は失われ、生誕の未来もない。
それでもまだ終わらないが、終わりを見る。
立ち並ぶ数々の尖兵。巨大な忌み子たち。
これだけの数がいれば、小さな娘一人を縊り殺すなど、造作もない。
「無垢な乙女の艶花を散らしなさい――Tブレイクッ!」
巨大な蝗が、本能のまま、餌を求めて喰らいつく。
黙示にも等しい大災厄。いやさそれは、人の想像を超越した、遙かなる邪神の害意だ。
「っ、ぐうぅぅ……っ!」
ビリビリと、身体が震える。
強大な一撃に、爆ぜるような痛みが全身を走る。
だが、それでも、恐怖はない。
「私は、私達は、一度あの公爵夫人を乗り越えたんだ……! だったらこのくらい……!」
謡は、砕け散ったシールドの一欠片を、掴んだ。
「恐れるもんか! S・トリガー! 《SMAPON》!」
握り込まれた破片は刃。しかし我が身に降りかかる諸刃ではない。
ここから切り返すための、反撃の剣だ。
「とはいえ、《SMAPON》……ここでかぁ……!」
「タイミングが悪うございますね」
《SUMAPON》は1ターンを確実に耐え凌ぐクリーチャー。今のような、圧倒的な数の暴力で踏みとどまるにはこれ以上ない適役なのだが、それはスーパー・S・トリガーで出た場合。
シールドが他に残っている状態で出ても、その力を十全には発揮できない。当然、怒濤の勢いで押し寄せる、獣の水子たちを押し返すことなど不可能だ。
「でも無意味じゃない! 登場時、パワー2000以下のクリーチャーを破壊するよ! これで《王子》は倒せる!」
「知ったことじゃないわ! 《黒豆だんしゃく》の能力でマナ送りよ!」
《SMAPON》は現れた直後、即座に地中へと引きずり込まれる。
これでは反撃の芽も残らない。謡のバトルゾーンは空のままだ。
「2体目の《グラスパー》で攻撃! マナゾーンから《黒豆だんしゃく》をバトルゾーンに! そして、残りのシールドをブレイク!」
群れなす蟲が、謡のシールドをすべて、食い荒らす。
ガリガリと、グチャグチャと。
影も形も残らぬほど、食い潰す。
本能のまま、邪悪に染まった意志で、貪り尽くす。
「……ごめん、スキンブル。やっぱり、怖いや」
「おや? 怖じ気づきましたか?」
「いや。狂ってしまった人の末路が、だよ」
公爵夫人もそうだったかもしれない。怒り、妬み、女王への殺意のあまりに狂った醜女。
望まない怪物の姿に成り下がった彼女は、あまりにも悲惨だった。
そしてそれは、今の三月ウサギも同じこと。
狂気をもたらす側の獣さえも、狂気に飲まれるとこうも壊れてしまうという姿をまざまざと見せつけられると、やはり、恐ろしい。
傍らで笑っている相棒がいなければ、自分もこんな狂気に飲まれてしまったのかと思うと、それを想像してしまうと、恐れが迫り上がる。
再び、謡は散りゆくシールドの破片を、掴み取る。
「私はこんな末路が許せない。だから、私を狂気の淵から引きずり出してくれた君には感謝してるよ、スキンブル」
「素直な感謝は心地よくもあり面映ゆくもありますね。聞き流しつつ胸に仕舞っておきましょうか」
「それと、よりいっそう、許せなくなった」
手の内で、それは、光となり収束する。
「こんなおぞましいものに、あの子を堕とそうとしたことにね!」
絶望と虚無から来る怒りで狂う獣がいる。
怒りに燃えるのは、謡も同じ。
しかし彼女が抱く怒りは、仲間への希望に燃える怒りだ。
「S・トリガー! 《灰になるほどヒート》!」
握り込んだ掌が開かれ、炎が燃え盛る。
手札からコスト6以下のジョーカーズを呼び出し、強制バトルする呪文。
謡は得意げに微笑んだ。
「うちの獣はね、ちょっと小狡くて、抜け目なくて、とっても強かなんだよね!」
炎が晴れるより早く、それは、爆炎の中より飛び出した。
「ほら、行っておいて――《ジャガライガー
鋼の駆体が青く煌めく。
白銀の牙を剥き、紅の爪を振り上げ、《イイネⅣ》へと飛びかかる。
「《イイネⅣ》とバトル! そのままバトルで破壊!」
「なに? そんなんで、僕が止まってると思ってるの?」
「当然! あなたにはもう、止まってもらうよ! 見てて危なっかしいしね! 《ジャガライガー》がバトルに勝った時、GR召喚する!」
《イイネⅣ》を引き裂き、粉砕し、蹂躙した後。
《ジャガライガー》は、咆哮する。
それは先導する頭目の呼び声だ。先陣を切り込む者の後へと、仲間が続く。
謡がGRゾーンからカードを捲り上げる。そして、
「そら来た! 《全能ゼンノー》!」
「あ……っ!?」
ピタリと、三月ウサギは硬直する。
三月ウサギだけではない。激怒し、嘆息し、諦観し、慟哭する数多の大口も。
彼女が妄想の果てに産み落とした水子たちも皆、一様に、止まった。
「《ゼンノー》がいる限り、あなたはクリーチャーを出したターン、そのクリーチャーで攻撃できない」
あまりのも当然のことが書かれたテキスト。捻れた法則を、当然となった歪んだ摂理を、基本原則へと引き戻す力。
しかしそれは、当たり前のようでいて、本来の定理さえをも歪ませる。
いきり立った落し子たち、その中でも特に殺意を露わにする巨大なクリーチャーたちはすべて、NEO進化クリーチャー。
「そしてそれは全部、このターンに出たクリーチャーだ!」
よって、《全能ゼンノー》の力で、動けるはずの身体は動かない。
進化クリーチャーという特権さえ、剥奪されてしまった。
「この、こいつ……!」
《キリコ・ムーン》でクリーチャーを出し入れしたことが、仇となった。
前のターンから継続して場にいるクリーチャーはおらず、《全能ゼンノー》はマッハファイターによる除去も受けつけない。
どう足掻いても、三月ウサギと、その幻想の仔らは、動くことができない。
そして、
「さぁ……私のターンだ!」
謡のターンが、訪れる。
シールドはゼロ。クリーチャーは2体いるが、相手もシールドが増えており、手札には確実に《サイゾウミスト》が1枚はある。
つまり最低でも、即時1打点分は捻り出さなくてはならない。
S・トリガーや2枚目の《サイゾウミスト》を考慮すれば、もっと欲しいところ。
謡は一呼吸の後、手札を切る。
「《ガチャダマン》を召喚! 能力で《ゴッド・ガヨンダム》をGR召喚! マナドライブで手札を捨ててドロー!」
「《黒豆》!」
場数を増やして手札も増やす、が。
直後、2体とも母なる地の底へと、引きずり込まれてしまう。
ジョーカーズは仲間の数だけ強くなる。仲間がさらなる仲間を呼び、それらが集って大きな力となる。
それは、帽子屋を信奉する三月ウサギも、よく知っていること。
だからこそ、謡の場のクリーチャーを蹴散らす。反逆の隙も反抗の機会も奪う。
すべて、根絶やしにする。
「やっぱクリーチャーは残させてくれないか。なら、残るまでチャレンジだ! 2マナで呪文《ジョラゴン・オーバーロード》! マナ加速してGR召喚!」
黒い森の守護者が、芽生える小さな命を踏み潰すというのなら。
潰しきれないほど多く、何度でも、解き放つまで。
「《バツトラの父》! 今度は残った!」
「ちぃ……!」
「さぁ次だ! 《超GR・チャージャー》! 発動後にマナに行って、GR召喚!」
マナにカードを充填しつつ、さらに展開。
ガチャガチャと荒々しく、GRゾーンを、捲る。
「さぁ、次は君の出番だ――《The ジョラゴン・ガンマスター》!」
GRの力を得た、《ジョラゴン》。龍より英雄へと転じた者。
「……でも、どうせあなたの牙は僕には届かないわ。そんなちっぽけなものを並べるのに、マナも使ってるでしょ?」
「まあね。でも、これだけあれば十分! 《ジャガライガー》!」
謡の声に応えるように、《ジャガライガー》は、再び咆える。
大地全土に轟くような、力強く雄大な咆哮を。
「《ジャガライガー》の能力発動! 私のGRクリーチャーが3体以上いれば、マナの数字を倍にできる!」
謡のマナは残り3マナ。それが倍になり、実質6マナ。
並んだクリーチャーは決して無意味ではない。傍らに寄り添うだけで、仲間は、力になる。
「3マナタップして、呪文《灰になるほどヒート》! 《バーンメア・ザ・シルバー》をバトルゾーンへ! 呪文の効果で、《イイネⅣ》と強制バトル!」
「その程度……!」
「さらに《バーンメア》の能力で、2回GR召喚だ! 一体目、《ヤッタレロボ》! 続けて二体目!」
炎の戦馬が激しく嘶く。
その嘶きが木霊し、さらに、さらに、仲間を呼ぶ。
とっておきの、最高の、切り札を。
「走れ! 私の相棒――《鋼特Q ダンガスティックB》!」
GRの力で変成した《ダンガンオー》。
英雄は獣へ、その姿を昇華させた。
理性と理性を捨てたのではない。荒々しくも強大な獣性、力を秘めたのだ。
「《ヤッタレロボ》も《ダンガスティックB》も、登場時の能力はない。《黒豆》でもやられない!」
「こいつ……でも、そいつは《黒豆》でマナ送りよ!」
《バーンメア・ザ・シルバー》は《黒豆だんしゃく》の能力で、地中深くへと埋没していく。
仲間を惜しみ、悔やみ、哀しむ気持ちこそあれども、それはブレーキにならない。
燃え滾る燃料となり、さらに、加速する。
「アクセル全開! 《バーンメア》が呼んだGRクリーチャーは、すべてスピードアタッカーになる! 行って、《ダンガスティックB》!」
《バーンメア》から支援を受けた《ダンガスティックB》が咆え、駆ける。
鋼の駆動が大地を踏みしめ、長大な爪と牙で、狂った月に照らされた、黒き森の子山羊へと飛びかかる。
「ニンジャ・ストライク! 《サイゾウミスト》! 墓地を山札に戻してシャッフル、シールドを追加!」
「このタイミングでシノビ……いや、どのみち突っ切る! Wブレイク!」
2枚から3枚に増えた盾。《ダンガスティックB》はそれらを食い千切る。
「S・トリガー《ドンドン吸い込むナウ》! 山札を見て、《モンキュウタ》を回収。《ガンマスター》をバウンスよ!」
「…………」
やはりS・トリガーはあった。そして同時に、今の一歩早いタイミングで繰り出された《サイゾウミスト》の意味も理解できた。
(さっきの《サイゾウ》は山札回復のためか。でも、墓地も山札も残り少ないから、トリガーがあったら《サイゾウ》で高い確率で盾に入る……いや、だとしても、残り山札が1枚なら、もう《吸い込むナウ》は使えない。《サイゾウ》もあって残り1枚。ならあとは、トリガー勝負だ)
なにをどう考えようと、謡が進める道は、目の前の直線だけ。
振り返ることもなく、脇目も振らず、ただひたすらに、弾丸の如く、疾駆する。
「《全能ゼンノー》で最後のシールドをブレイク!」
「…………」
これで、シールドはなくなった。
S・トリガーもない。
「《ジャガライガー》でダイレクトアタック!」
「ニンジャ・ストライク、《サイゾウミスト》よ!」
ここが勝負所だ。
《吸い込むナウ》なら問題なし。残り山札1枚、未知のカード。
それがなにかによって、勝敗が決する。
「……あぁ、まったく」
じゅくじゅくと溶けていく黒い肌。
人の形を失った三月ウサギは、一身に破片を浴びて、忌々しげに漏らす。
「気持ちよすぎて、破滅したわ」
はらりと、三月ウサギの手札から、カードが零れ落ちる。
《ドンドン吸い込むナウ》。
残り一枚の山札が、ふわりと舞い上がった。
三月ウサギはそれを、手札に加える。
――《フェアリー・ライフ》
彼女が最後に摘み取った命の欠片。
「僕の一人遊びに付き合ってくれてどうもありがとう。でも、僕、あなたみたいなガキんちょは嫌いだから、こう言ってやるわ」
謡に残されたアタッカーはすべて消えたが。
三月ウサギに残された山札は、残り1枚。
彼女はそのたった1枚に、手を掛け――
「あなたが勝ったんじゃない、僕が負けたの、ってね」
――引き切った。
☆ ☆ ☆
あぁ、やられた。
まったく、ムカつくったらありゃしない。
本当に、腹立たしい。
あの青臭い餓鬼も。その傍らでにやけてる猫畜生も。
そしてなにより、そんなムカつく奴ら敗北を喫する自分に、腹が立つ。
なにもかもがイライラする。この国から出て行った奴らも、この国に魂が抜けたまま居残った奴らも。
帽子屋さんを壊した亀女も、亀女を連れ去った母親も、なにもかも、なにもかもが。
イラつく、ムカつく、欲求が、不満が、怒りが、情欲が、溢れ出して、混ざり合って、滅茶苦茶になって、気持ち悪い。
だけど、
「あぁ――スッキリしたわ」
異能の苦悩も、出自の自縛も、偽りはない。己の呪い憎しだが、それは究極的には、きっかけにすぎない。
自分はそんな複雑に生きていない。もっと単純で、下劣で、故にこそ強かだ。
自分の中に蟠る邪淫は、悪ではない。自己中心的で、嗜虐的で、破滅的だとしても、これは自分のアイデンティティ。自分を自分たらしめる要素。
子を繋ぐ願い。帽子屋が願った、泡沫の夢なのだから。
それならば、この邪淫は、誰かのための愛。
誰かを思う気持ちが、どんなに歪んでいようと、悪と断罪できようか。否、そんなことは、させない。許さない。
気持ち悪かったのは、ただ、塞ぎ込んでいたから、母親も、亡国も、関係ない。
ただの八つ当たりで、しかも返り討ちにされるという結末だが。
溜まっていた鬱憤は、すべて吐き出せた。
苛立ちはずっと残ったままだし、出て行った虫けら女には怒りしかない。
それでただ暴れただけだが。
――気持ちよかった。
それだけで僕は、明日も生きていける。
☆ ☆ ☆
「――とまあ、女王とは超常の存在だ。我々とは格が違う。神話を喰らいかねない奴自身も、邪悪なる神話と言えるだろうな」
星を滅ぼすほどの力を持った邪悪な神格。
そのスケールの大きさには実感が湧かないが、それを文字通り受け取るのならば、女王は、人類に手の届くような存在ではない。
正しく別格。規格外だ。
「そんな危険なものが……今まで、ずっとあったの?」
「そうだな。ずっと、オレ様が、押しとどめていた」
「押し、とどめて……?」
「ふむ。いい機会だ、見せてやろう。オレ様が悠久の時を経た、歩みの“指針”を」
帽子屋はゆらりと立ち上がると、ぷち、ぷち、とシャツのボタンをひとつずつ外していく。
土気色の肌。表面はカサつき、命の躍動など微塵も感じさせず、枯木のように乾いている。
そして、なによりも異形なのは、彼の胸。
そこには、三本の針が、突き刺さっていた。
「『時計の針はⅥを指し示す』――これこそが、オレ様に定義された、呪いの文言。オレ様の、
墓標のように屹立する三柱の金色。錆び付き、朽ち果てようとしているが、しかしそれは深々と帽子屋の身体に埋没し、互いが互いを繋ぎ止める楔のようになって、そこにあった。
「見ての通りの時計針。短針長針秒針の三本セット。刻む時間が長い針ほど、込められた呪詛が強大でな。秒針で我が身を抑え込むのは些か骨が折れた。もっとも、女王を抑えるには、短針と長針を使うほか無かったが……まあ昔話だ。今ではこのように、針も気ままに有り余っていてな。いるか?」
「…………」
「黙殺。まあ、いいだろう。この針は、オレ様の茶会の時間を示すものでな。即ち、6時という時間に縛り付ける概念的拘束だ」
彼は己の時間を自由に操ることが叶わず、彼の時計は時間を示すことができない。常に、6時のまま。
即ち逆説的に、壊れた時計が支配する時流――帽子屋に流れる時間は、6時という止まった時間で堰き止められているということ。
「この針と共に在る限り、オレ様の茶会の時間に付き合って貰うことになる。それはオレ様自身も例外ではない。永遠なる6時に囚われる、時間の止まった
時間が止まっている。
それが、帽子屋の抱く、狂気の一端。
そう、これは、彼の狂気の、ほんの一欠片なのだ。
「扱いは厄介だが、これはこれで、なかなかどうして優れものでな。短針と長針、ふたつの針で女王は長い眠りについた。永劫輪廻なるオレ様の茶会に座し、時間の進まぬ、決して目覚めることのない微睡みに囚われた。結果、オレ様は秒針だけで自身の崩壊を押しとどめる羽目になったが、女王の機嫌を損ねぬ対価としては安いものだ」
帽子屋は、笑い飛ばす。
さも当然のように。
それが最善だと言わんばかりに。
それしか、方法がなかったと、嗤うように。
しかし小鈴は、憂いの面持ちで、彼を見つめていた。
悲しみと、憐れみの瞳を、揺らして。
「……時間を止める、時計針」
「そうだ」
「あなたはそれを……“自分にも”刺していたの?」
「……そうだ」
時間を止め、邪悪なる神の眠りすらも覚まさせない、強烈な呪縛の込められた呪具(アーティファクト)。
その呪詛が邪神にすらも通用するというのなら。
神話の時間すらをも止めるというのなら。
それを己に刺す。
その意味とは。
「あなたは、どれだけの間……そうしていたの?」
「覚えているわけなかろう。と、言いたいところだが。しかしてその通りであり、答えを知るバタつきパンチョウも口を噤んでしまったが。存外、それを知る手段は人間の世界にあったりするものだ」
呻くような奇妙な笑い声を上げる帽子屋。
しかし笑っていても、彼の声も、仕草も、眼も。
なにもかも、枯れきっている。
「過去の出来事記録し、時として想像し書き記す。図鑑、教本。木馬バエやヤングオイスターズらの持っている書物は、なんとも愉快だな。記録ならともかく、遥か過去の情景を妄想し、書き記すとは滑稽にして驚嘆の極みよ。あまりにも過去の出来事だったが、おぼろげながらも思い出したよ。あぁ、こんな風景もあった気がする、とな」
それもそのはず。
彼は正しく、枯れた存在なのだから。
「女王は一度、この星の命のほとんどを滅ぼしている。女王の力ではなく、女王の出現による結果として、そうなっただけだがな」
「え……?」
「遥か遠くの宙より飛来した邪神が降り立つのだ。相応の力が発生するのは自然だろう。その結果、獣たちが死滅するのも、また道理だ」
「この星の……地球の生き物が滅びた時って……それって……」
「あぁ、そうだな。率直に言うのなら――」
事も無げに、狂人は、告げる。
「――隕石衝突」
想像できずとも、空想できる。幻想なれども、妄想にある。
誰もそれを目にした者はいない。しかしその現象は、わかる。
知識として、小鈴もそれはわかる。しかし、しかしだ。
それは、あり得ない。あまりにも、信じがたい。
「遥か宇宙より飛来し、邪神が降り立つ。そこは数多の命が死滅し、灰によって太陽が失われた黒き星。女王が支配するには相応しい世界だろう? まあ、女王に支配なぞさせんがな」
多くの種が絶滅した。
この星を照らす命の源たる太陽が消えた日。
ほんの僅かな、暗闇の世界。
「そしてオレ様は、その暗黒の星で一番最初に産み落とされた、原初の落し子。一番目の、
その称号を、帽子屋は嗤う。
穢れた勲章だと。ただの汚名だと嘲笑う。
「オレ様が生きてきた年月? そんなもの数えているわけが、覚えているわけがなかろう。オレ様は歴史には興味がない。だが、算数くらいならできる。ひーふーみーよと指折り数え、バタつきパンチョウの憐憫を頭で理解した気になったさ」
ボタンを止め直す。胸元から鈍く煌めく時計針は、彼の時間を止めると同時に、彼の“止まり続けた時間”を、刻んできたのだ。
どれだけの間、彼の時が止まっていたのか。
彼の
「女王を眠らせ、秒針ひとつでオレ様は生きてきた。女王に頼ることなく、我が種を繁栄させるという本能で以て生きてきた。もはや感慨などないが、きっと長かったのだろうな――」
「――1億5000万年は」
三月ウサギの話、と言いつつ、最後に持っていくのは帽子屋。
まあそもそも、この不思議の国でのお話は、帽子屋を中心に、彼らの出生や内情を描く話なので、最終的にその首魁たる帽子屋に帰結するのは道理でしょう。
それでは次回、4章最後のお話です。
誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。