三月ウサギは、王の座する玉座へと赴いた。
出すもの出して、心はスッキリした。身体も、人の姿に戻った――怪物であるはずの自分達が“人の姿に戻った”など、おかしな話だ――故に、心身共にすこぶる好調だ。
とはいえ、女王による脅威が去ったわけではない。最大の絶望は、なにも解決していない。
我らが母君をどうにかできるなどとはとても思えないが、それでも自分が信じる狂王に、すべてを委ねようと思う。
生きるにせよ、滅びるにせよ。
抗うにせよ、受け入れるにせよ。
彼がいてくれれば、それでいい。
彼がいるその場所が、彼が苦心してきた意志の所在こそが、自分達の国なのだから。
ただそこにいてほしい。
どんな運命であろうと、道標とあって欲しい。
狂い果て、枯れ堕ちた老木の仔山羊であろうとも。
それが、今まで我々を導いてきた王の責務であり、偉大なる威光なのだから。
諦念でも、居直りでもなく、晴れやかな絶望でもって、三月ウサギは扉を開く。
閨を共にする、王との謁見だ。
「どうもごきげんよう帽子屋さん。クソガキどもが荒らして回って大変だったわね? 僕もスッキリはしたけど疲れちゃったわ」
と、立ち入った玉座の間は。
三月ウサギが想像するよりも、遥かに荒れていた。
「……随分とやんちゃしたのね、帽子屋さん。僕との夜も、このくらい激しければいいのに」
妬いちゃうわ、と頬を膨らませながら、三月ウサギはぐるりと見回す。
壁や床に撃ち込まれた、無数の弾痕。亀裂、罅、斬り傷。
地面は砕け、黒々とした粘液と、乾いた血の痕がこびり付いている。
薬莢が散らばり、それらを埋もれさせるように濁った肉塊がぼとり、ぼとりと落ちていた。
「で、どこかしら? 帽子屋さん? 1億歳のおじいちゃんが、かくれんぼなんて歳じゃないでしょう?」
返事はない。
三月ウサギの声は虚しく木霊するだけ。
やがて彼女は、“それ”を見つける。
「これ……帽子屋さんの……」
赤く鍔の広い帽子。
彼の、愛用の品だった。
「……あはっ」
三月ウサギは、嗤う。
渇いた、狂った、笑みを、零す。
「帽子屋さん……そう、そう! いなくなっちゃったのね! 遂に、遂に、遂に! 耐えられなくなっちゃったのね!」
天を仰ぐ。
そして、虚に、狂乱の声を響かせる。
「あははははははっ! どうしよう、どうしましょう! 帽子屋さん! 僕たちどうしたらいいのかしらね! ねぇ、ねぇ! どうしたらいいと思う!? 僕たちの
落し子の姿に還りそうになる。
全身の口が裂き開かれそうになる。
怒りではなく、情動でもなく。
純粋な、純然たる悲哀によって。
すべての民を代表して。
三月ウサギは――慟哭する。
「あなたがいなくなったら、
不思議の国から、王が消えた。
それは不思議の国が、真なる亡国になったことを意味する。
故に【不思議の国の住人】はもやは民ではなく、ただの有象無象の落し子に――成り下がった。
☆ ☆ ☆
くらくて、あたたかくて、きもちわるくて、あんしんする。
ここはどこ? アタシはだれ?
くるしい。つらい。いたい。
なのに、すごく、いいきぶんだ。
おかしい、おかしい、おかしい。
こんなのは、くるってる。
ともだちを、きずつけたのに。
なかまを、すてたのに。
いばしょが、なくなったのに。
なんで、アタシはいきてるの?
いきているしかくなんて、ないのに。
いきるりゆうなんて、ないのに。
いなくなって、しまいたいのに。
どうして。どうして?
おかあさんは、こたえてくれない。
ぐじゅぐじゅと、うごめくだけ。
ずっと、ずっと、ねむっている。
アァ、はやく、らくになりたい。
もう、こんなにつらいおもいは、いやだ。
だれもきずつけたくなかったのに。
きずつきたくも、なかったのに。
やすからに、ありたかっただけなのに。
すべて、すべて、うしなってしまった。
たいせつなものを、すべて。
なにもかもを、こわしてしまった。
アタシの、じぶんの、てで。
もう――いやだ。
「安心しなさい」
……だれ?
こえが、きこえる。
「あなたの気持ち、自分本位な本性、自己防衛本能。どんなエゴだって、我儘だって、わたしたちは受け入れる」
うけ、いれる?
アタシの、みにくい、きたない、このきもちを?
ばけものの、すがたでも?
ひとでなしでも?
「勿論。あなたが、そう願ったのだから」
アタシが……ねがった?
「わたしは、あなたの祈り。苦しみから解き放たれたいあなたの、願望そのもの。母と共に在るあなたを導く者。大いなる、あなたの意志」
……こわい。
おかあさんの、けはいがする。
だけど。
これは、たしかに、アタシだ。
からっぽなアタシのかわりに、アタシのこころになった、アタシではないアタシ。
アタシのなかでうまれた、あたらしい、アタシ……?
「六甲の凶星を刻みましょう。あなたの願い、母の願い。重ね合わせて、命を吹き込みましょう」
てが、ふれる。
アタシのなかに、なにかが、めぶく。
「あなたの信じた世界が終焉を迎えるか、希望の芽が育つか。わたしは見定めましょう」
むくむくと、すくすくと、ぶくぶくと、ぐじゅぐじゅと。
まざりあったいろんなきもちが、わかれて、はなれて、とけだしていく。
「選定の種を蒔きましょう。これは終焉に至るまでの、創世の神話」
アァ、あぁ、アぁ。
うまれる、うみおとされる。
おかあさんみたいに、アタシたちみたいに。
あたらしい、いのちが。
あたらしい――アタシが。
「白い種は、正義と防護。あなたに牙剥く愚か者を、裁きましょう」
それは、しろの、しゅごしゃ。アタシのじひは、かれのもとへ。
「青い種は、観察と進歩。あなたが知らない世界を、切り開きましょう」
それは、あおの、けんじゃ。アタシのむちは、かのじょのもとへ。
「黒い種は、反逆と自我。あなたの願いを思うままに、振る舞いましょう」
それは、くろの、はんぎゃくしゃ。アタシのはんこつは、かれのもとへ。
「赤い種は、自由と情熱。あなたがやり残したことを、託しましょう」
それは、あかの、ほうろうしゃ。アタシのいしは、かれのもとへ。
「緑の種は、受容と傍観。あなたが諦めた運命を、見届けましょう」
それは、みどりの、ぼうかんしゃ。アタシのあきらめは、かのじょのもとへ。
すべてのたねが、まかれた。
めぶくのは、すぐだ。
そして、さいごにのこされたのは、たったひとつの、ささやかなひかり。
「わたしは災厄の箱。この物語は、とても熾烈で、恐ろしい絶望が
さいごには、きぼうがねむっている。
それがアタシへのきぼうなのか。
おかあさんへのきぼうなのか。
それは、ひらいてみるまで、わからない。
☆ ☆ ☆
――種が、芽吹いた。
「お待たせ致しました、姫。我ら六甲の
「任せてください。いっぱい、いっぱい、あなたが目を背けたこの世界を視てくるのです」
「まあ、やることはやってやるさ。誰のためでもねぇ、他ならぬ自分のためにな」
「あれ? 浮かない顔だね? どうして君は笑わないんだい? 哀しいのかい?」
「……あなたに語るべきことはないわ。定められた運命に、言葉は不要だもの」
それは、女王の後悔だったのかもしれない。
喰らい損ねた十二の神話の“代用品”。
邪神の依代と、怨恨の代用。
それはなんとも皮肉で、自分に相応しいのだろうか。
新世界の可能性を喰い潰し、この星に死を。
我らは、不思議の国が滅びた後に生まれた、女王の仔――姫君の歪んだ祈りの集い。
滅びに瞬く銀河。
それこそが、我らの新たな王国。
【
世界を終わらせる教団が、産み落とされた。
☆ ☆ ☆
あいたいです――
――小鈴さん
語ることがない。