今回は喧嘩別れしたままの霜と実子の話。というか、しばらく小鈴主体の描写はほとんどないかもしれません。
45話「仲違い……だよ」
「――とまあそんな感じで、今学期もこれで終わりだ。来学期、年明けにまた元気に登校してくれ。そんじゃあ解散! 最近また物騒な事件が起きてるから、気をつけて帰れよ」
冬休みが、始まりました。
始まって、しまいました。
先生の一声で教室内が響めき、クラスメイトたちはみんな、各々が向かう先へと散っていく。
「恋ちゃん、ローちゃん、ローザさん。3人は、どうする?」
「ごめん……ぶかつ……」
「ユーちゃんもです」
「私もユーちゃんが色んな意味で心配なのでついていくつもりですが……大丈夫ですか? 伊勢さん」
「……うん。わたしは大丈夫だよ」
いつもよりも少しだけ静かに感じる教室。
寒々しくて、味気なくて、淡泊だ。
……霜ちゃんと、みのりちゃんが、いないから。
「水早さんに香取さん、終業式に来ませんでしたね」
「うん……」
学校に来ない。
それはつまり、2人は、わたしたちに会おうとしないということ。
わたしが断ち切ってしまった縁の糸は、いまだ、切れたまま。
「だ、だいじょーぶです! 小鈴さん! きっと、2人とも……」
「……ありがと、ユーちゃん」
「うゅ……」
わかってる、わかってるんだ。
落ち込んでばかりはいられないって。立ち止まってちゃいけないって。
それでも、ずっと一緒だった友達と会えないというのは、やっぱり、辛いよ。
あんな別れ方をしてしまったことに、後悔と自責が押し寄せて、胸が苦しい。
早く、早く、なんとかしたい。そんな焦燥感に駆られ、追い回されるような感覚がずっと蝕んでいる。
「私としても、お二方には恩義も義理もあります。このまま放置しておく訳にはいきません。休みに入って私たちも動きやすくなったので、もう少し力を入れて探してみましょう」
「……しろみ、も」
「そう、だね」
いまだ手掛かりはなにひとつとしてないけれど。
みんながいるんだ。
わたしはあきらめない。あきらめてしまった人の分まで、前に進む。
そう――決めたんだ。
☆ ☆ ☆
とは言ったものの、終業式というのは、色んなコミュニティにおける区切りでもあるわけで。
わたしはどの部活にも入ってないから関係ないんだけど、恋ちゃんは学援部、ユーちゃんは遊泳部と、それぞれ向かいました。ローザさんはユーちゃんの付き添い……監視? 護衛? なんと表現すれば良いのか迷いのだけれども、とにかくユーちゃんと一緒。
というわけで、今日の帰りは1人です。
……いつもなら、誰かしらはいるんだけどね。みのりちゃんか、霜ちゃんか、誰かが。
そんなことを嘆いても、仕方ないのだけれど。
…………
……お昼ご飯、どうしようかな。
「今日はお姉ちゃんは生徒会、お母さんも編集さんと打ち合わせで外食……お昼、どうしようかなぁ」
家に帰って1人で食べる? いやいや。
こういう事態は前からよくあった。そしてこういう時、わたしは決まって行く場所があるのです。
「……今日はここのパン屋さんにしようかな」
ふらりと気の向くままに足が伸びたパン屋さん。伊達にこの町の――場合によっては隣町まで――パン屋巡りをしてはいないよ。
まあ、今日のパン屋さんは家の近くにある、よく通い詰めたところなんだけどね。通いすぎて顔も覚えられちゃった。
パンが焼ける匂いに惹かれるように、ふらふらー、と店へと歩を進めていく。
すると店頭で、店員さんが一欠片のパンを配っている姿が見えた。
「試食……」
新作のパンかな……おいしそう……
「こ、こんにちはー」
「あら、こんにちは小鈴ちゃん。今日は随分と早いのね」
「今日は終業式だったので……」
「そうなの。あ、新作のパンができたのだけれど、食べていかない?」
「それじゃあ、いただきます」
むぐむぐ……これは……
試食用に小さくカットされていたからよくわからなかったけど、パン生地とクッキー生地の合わさった食感に、この甘さは、メロンパンなのかな。
中にナッツが入ってて、メロンパン独特の食感にさらにアクセントが付いて、良い感じだ。ポリポリと口内で響く音が小気味よい。
それに、ナッツの風味がメロンパンの甘さに負けないように、メロンパン自体の甘さを少し抑えてるみたい。くどくない味付けで、飽きさせない工夫がされている。
「……おいしい」
「それはよかった。今セール中だから、よかったらどうぞ」
「はい。それじゃあ……」
……メロンパンかぁ。
そういえば“あの子”は、メロンパン好きだったっけ。
もし一緒だったら……そんなことを考えながら入店した、直後。
「だからさー! 別にいいじゃないか! 鬼じゃあるまいし!」
店内に轟くほどの怒声で、そんな思考は一瞬で吹き飛んだ。
「な、何事……っ?」
お店に入ると、なにやら店員さんと男の人が揉めているみたいだった。必死に弁舌する男の人に対して、店員さんは困った表情をしている。
これはもしかして、クレーマー、というやつでしょうか……?
「さっきはなにもなく食べさせてくれたじゃないか! どうしていきなりダメなんだい!?」
「いえ、店先のものは無料の試食で、商品となるときちんとお金をお支払い頂かなければ……」
「こんなにも素晴らしい食べ物を、食べずにそのまま置いて腐らせるなんてどうかしてるよ! こんなにも美味しいのに! 君は鬼か!?」
「それはその……お褒め頂き光栄ですが……」
「いいからこれ頂戴よ! 食べさせたい人がいるんだ!」
「いえですから、代金を……」
「くぅ! さっきからわけのわからないことをつらつらと……!」
「貨幣経済ってそんなにわからないことでしょうか……?」
……お金がないのかな?
話を聞く限り、文句という感じでもないし……それに、ここのパンをおいしいって絶賛してるし、悪い人ではなさそう。
うーん……
「あ……あのっ!」
「うん? なんだい君は?」
「その、あんまり状況、よくわかんないんですけど……」
悩みに悩んだ末、わたしは横入りする。
でも、やっぱり放っておけなかったんだ。
だからつい、言ってしまった。
「わ、わたしが払いましょうか……?」
☆ ☆ ☆
「いやぁ、ありがとう! 君はとても親切だ! 渡る世間に鬼はいないって本当だったんだね!」
「いえ、そんな……」
男の人がほしがっていたナッツ入りメロンパンの分の代金をわたしが払い、ついでにわたしの分も買って、店内の飲食スペースへ。
男の人は快活な笑顔で、とてもおいしそうに、そのメロンパンにかぶりついていた。
「うん、やっぱり美味しい! これなら彼女も元気になるに違いない!」
すごくおいしそうに食べるなぁ。
この人も、パン好きなのかな?
「そういえば、食べさせたい人がいるって聞こえましたけど……」
「あぁ! とても、とても大切な人がいるんだ。僕に自由と、この滾る情熱を与えてくれた、母のような大事な人が」
「はぁ……」
「でも彼女は、一度も僕に笑顔を見せてくれない。いっつも俯いてて、哀しそうで、苦しそうなんだ」
「病気なんでしょうか……? それは、その……大変、ですね」
「そうだろう? この世界はこんなにも素晴らしいのに! こんなにも楽しくて、自由に溢れてて、君のように親切で可愛い子もいるというのに! 暗い顔をしてジッとしているだなんて、もったいないじゃないか!」
身振り手振りで大仰に、大袈裟に、彼は熱弁を振るう。
とても真剣な眼だ。
嘘や偽りではない。誇張でも誇大妄想でもない。
それが思うままの真実であると言わんばかりだ。
「僕は彼女への恩義……いいや! 彼女の笑顔が見たいんだ! 哀しい顔ばかりなんて、そんなのはもうたくさんだ!」
それは理論とか理屈なんかじゃない。
純粋で、単純な、情熱だ。
とにかく滾る熱意で、彼は語り続ける。
「でも僕にはどうすれば彼女が笑顔になるのかわからない。だからその方法を探すために歩き回ってたんだ。そして見つけたよ。きっとこの最高に美味しいものを食べれば、笑顔になるはずさ!」
それは……どうなんだろう。
病気しているのなら、それ相応の治療というものがあるのだと思う。彼の言葉にはなんの根拠もない。
でも、彼の信じる情熱は、否定できなかったし、否定したくなかった。
こんなにもまっすぐな心意気を、無粋な言葉で台無しにしたくはない。
不思議と、応援したくなっていた。
「……そうだと、いいですね」
「だから君には感謝しているよ! ありがとう! えーっと……名前はなんと言ったっけ?」
「小鈴です。伊勢小鈴」
「小鈴か! いい名前だ! それじゃあ僕も名乗らないとね」
彼は滾るほどの赤髪を揺らして、揺らめく炎のような瞳で、力強く名乗りを上げた。
「僕はヘリオス。ヘリオス・マヴォルス! よろしく!」
「よ、よろしくお願いします……ヘリオス、さん?」
変わった名前……外国の人なのかな。
外国人なら、神様とか聖人の名前とかにちなんで名付けることもあるらしいし、ヘリオスさんの名前もそんな感じなのかなぁ。
ヘリオスさんは残ったメロンパンを口に放り込むと、満面の笑顔で席を立った。
「うん! 食べた食べた! 美味しかったよ!」
「いえ……その、元気になるといいですね」
「そうだね。今からこれを彼女に食べさせに戻るとするよ。もし彼女が元気になったら、3人一緒にどこか遊びに行こう!」
「えっと、き、機会があれば……はい」
「決まりだね! それじゃあありがとう小鈴! また会おう!」
行動を起こしたら一直線な人だ。
嵐のように出逢い、そのまま疾風の如く立ち去ってしまった・
「……大切な人、かぁ」
彼との話の中で、ふっと、湧き上がった。
このメロンパンを食べさせたい人なら、わたしにも、いるから。
「わたしも……会いたいなぁ」
霜ちゃん、みのりちゃん。それに――
――代海ちゃん。
☆ ☆ ☆
『めるめる~! みんなー、またいっぱいイロイロ教えてねー! チャンネル登録はこちら――』
暗い部屋の中に、パソコンの光が煌々と、あるいは暗鬱と、やつれた顔を照らす。
「あー……海原メルちゃん、可愛いなぁ」
お世辞にも顔色が良いとは言えず、髪はボサボサ、肌も荒れ、瞳も濁りきった廃人のような少女の双眸。けれどその顔は、笑っていた。
あまりも寒々しく、虚無的な、渇いた笑みだった。
それでも彼女は――香取実子は、笑っている。
「ぽっと出Vチューバーなのにもうこの人気……あぁ、可愛い。とにかく可愛い、完璧に可愛いのツボを抑えてる」
どことなく狂信者のような雰囲気を醸し出しながら、実子は画面を切り替える。
別の動画。今度は(恐らく不正に)ネットに上げられた、アイドルの動画。画面内では、実子とそう変わらないような年の少女が、歌い、踊っている。
「でも、リアルアイドルも捨てがたいよねぇ。那珂川亜夢ちゃん……ライブ行ったらデュエマができる、直に触れ合える……夢だよなぁ」
ぶつぶつとそんなことを呟きながら、動画が終わる。
弾むようなメロディは消え、華やかなステップも止み、パソコンの明かりだけが光る空白の時間。
実子は、後ろに倒れ込んだ。
「……なにやってんだ私」
急に、意識が現実に引き戻される。
実子はコーカス・レース以降、家に引きこもっていた。たまに食料を買いに出かけたりはしたが、ほとんど動かない。
惰眠を貪り、微かな糧を食い潰し、遙か彼方にある虚構の偶像を崇拝し続けていた。
「おなか空いた……あー、ご飯作るの面倒くさい……」
ふらふらと這うように冷蔵庫まで行き、扉を開ける。
「うっわ、冷蔵庫に虚無しかない……乾麺も、カップ麺も、全滅かぁ。なんか買ってくるしか……お金あったっけ……」
棚を漁っても、なにも出てこない。買ってきた食料はすべて食い尽くしてしまったようだ。
ならばと財布を確認するが、非常に軽い。
振っても小銭の音すらしない。
「うーん、カードに金かけすぎたかなぁ。でも楽しくなっちゃうんだよねぇ……楽しかった、な」
手元を探ると、指先に触れる、固い感触。
何度も、何度も握って、開いて、触れてきた。
たかが紙。しかしただの紙以上の歓楽と、興奮と、安心が、そこにはあった。
「デュエマ……」
実子は床に放り出されていたそれを手に取る。
生活費を削るほどに大枚はたき、長い時間をかけて育て上げた紙束。
自分が多くのリソースを割いたモノが、ここにある。
いや。それは、今はもう、失われてしまったけれど。
それを失われたままにしてしまうのは、あまりにも損失が過ぎる。
これを売れば僅かな食い扶持くらいは稼げるのだろうかと、一瞬だけ考えた。
ほんの、一瞬だけ。
「……やっぱわたしには、あの子しかいないなぁ」
手放すなんて、できなかった。
がらんどうな心を埋めるために、ネットアイドルやらに手を出したが、この大きな穴はそれでは埋まらない。
やはり、どうしても捨てきれない。不利益があり、未練がある。
自分が好きになる人は、どうしても彼女しかないようだ。
「――小鈴ちゃん」
☆ ☆ ☆
気付けば実子は家を出ていた。
空腹も知らず、ずるずると引きずるように人のいない、中天の町を徘徊する。
彼女に、会うために。
ずっと、ずっと、歩いた。
自転車を使えば良かったと思ったが、今から引き返すのも面倒だ。
なので、ひたすら歩を進めた。
どこにあるのかもわからない誘蛾灯に誘われるかのように。
甘い、甘い、蜜を求めるかのように。
その最中。
“彼”と、出逢った。
「ん?」
「…………」
バッタリ出逢った、とはこのことだろう。
気付けば目の前に、彼はいた。
背が低く、痩躯で、女よりも女らしい整った顔立ち。
少女のような、それでいて少年のようでもある出で立ち。
実子は、なぜか口元が歪む。
「おやぁ? 水早君、これはこれは奇遇だねぇ」
「実子……」
彼は――水早霜は、怪訝そうに実子を見遣る。
幼さを残した女顔にそぐわない鋭い目つきで、実子を睨んでいる。
「この時間は学校じゃないの?」
「今日は終業式だ、冬休みだ」
「あーそっか。午前で終わりなんだね。で、私服で学校帰り?」
「学校には行ってない」
「こっちも奇遇。私もだよ」
「見れば分かる」
あくまでも陽気に語りかける実子に対して、霜の態度はどこか冷ややかだった。
「それでで、君はこっちの町まで来てなにをしている?」
「ん? 小鈴ちゃんのとこに行こうかなって。どこにいるか知ってる?」
「知らない。彼女たちとはあれ以来会ってないし、会うつもりはない」
「ふーん。じゃあさ、じゃあ携帯貸してよ」
「携帯?」
「実は携帯なくしちゃったんだよね。というか盗まれた、クソガキに。あ、ヤバ。こういうのってなんか解約手続き的なのしなきゃいけないんだっけ? 個人情報保護みたいなのさぁ」
「ボクが知るか」
「まあいいや。とにかく貸してよ。あの子に電話するから。流石に連絡先はそらで覚えてなくてさぁ。家の電話も使えないんだよね」
「……会って、どうする気だ?」
「どうって? 決まってるじゃん、仲直りするんだよ」
あっけらかんと、実子は言い放った。
その瞬間、霜のほんの少し歪む。
そして、ゆっくりと、けれども重く、口を開いた。
「やめとけ。ボクたちは彼女に見限られた。ボクたちのやり方、考え方、在り方は……彼女の意向には沿わない」
「んー……まあそうかもしれないけど、でもほら、あの子は優しいから。仲直りしようって言えば、きっと仲直りしてくれるって」
「そういう問題じゃない」
「じゃあなにが問題なんですかー?」
対極的な2人だった。
冷たく、冷ややかに、冷淡に。氷のように言葉を紡ぐ霜。
実子はそんな霜の態度を知ってか知らないでか、飄々と、どこかあっけらかんと流していく。
けれど2人に共通するのは。
その言葉の裏に、刃のような鋭さを隠しているということだった。
ただの会話のようで、息が詰まるような、間合の測り合いをしている。
物理的な間合だけではなく、それは相手の心理的なものにさえも、躙り寄る。
「彼女に突き放された以上、ボクらはもう、彼女と関わるべきではない。ボクらから彼女に接触するのは、彼女のためにならない」
「は? 理屈が意味不明なんだけど。いやまあ、水早君が小鈴ちゃんに近づかないのは別にいいけどね? 私には関係ないことだし」
実子は笑っている。けれども明確に、ほんの微かだが、その視線に“敵意”を滲ませた。
「でもさ、君が私の自由を縛る謂われはないよね?」
「君を小鈴と引き合わせたくない」
「なんで?」
「君といると、小鈴が腐る」
「私、別に腐女子とかじゃないんだけどなー。どっちかっていうと百合派?」
「茶化すな。ボクが気付いてないとでも思ったか」
迂遠に攻めても、実子はそれを躱してしまう。歪曲した言葉では、彼女に透かされる。
こうするしかないと、霜は彼女をまっすぐに見据える。
実子が滲ませた敵意よりも、より大きな眼差しで。
彼女の真実を、暴き出す。
「君は――小鈴が好きなわけじゃないだろ」
「…………」
実子は口を閉ざした。
その表情からは、一切の笑みが消えていた。意外そうに、驚いたように、目を丸くして、しかし瞳の奥底は汚泥の如く濁っている。
霜はさらに、畳みかけた。
追撃するように。
彼女の邪悪の根源を、白日の下に曝け出すように。
その真実を、確かめるように。
「君が好きなのは自分自身だ。君は、自分の快楽のために彼女に取り入っているだけだ。君の根源にあるのは、彼女への好意や愛なんかじゃない。すべては、君のどうしようもない利己欲だろう」
本当はずっと前から気付いていた。
香取実子は、伊勢小鈴が好きなわけではないのだと。
小鈴が好きな自分が好き。
歪んだ愛にして、自己愛。
小鈴を好くのは、その愛を振りまく行為によって、自分が悦に浸るため。
友を玩具にするような、醜い利己的な慰めだ。
彼女の前ではこんなことは絶対に言えなかったが。
今この場には、2人きり。大切な彼女はいないし、もう、会うこともない。
故に霜は、実子の抱えた“邪悪”を暴く。
それを、彼女に突きつける。
「……あはっ」
すると、実子は笑った。
満面の笑み、だった。
しかし彼女の目は、変わらず濁ったままだ。
「バレないと思ったんだけどなぁ。本当に聡いよ、君。あったまいぃー」
「恋はどうだかわからないが、ローも君のことは、おちゃらけた女くらいにしか思っていなかっただろうが……ボクの目は誤魔化せない。彼女に這い寄る悪意は、見逃さない」
「悪意なんて酷いなぁ。立派な好意だよ。これも愛だよ、愛」
「自分のための愛か。そいつは確かに立派だね。立派な邪悪だ」
「…………」
実子は、昏い眼で笑いながら、霜をジッと見つめている。
霜も、実子のことは見ていた。あまりにも無防備で、儚く、脆い友人を守るために、彼女が友と認めた仲間達すらも、霜は
歓楽で共に歩むユーリア。正しさを互いに認め合うローザ。憧れで繋がった謡。恋は、なにかを隠しているようで、いまひとつ掴みきれなかったが、しかし恋も小鈴の生み出す和、彼女の世界を大事にしようとしているのは理解できた。
だが、実子が小鈴と共に在る理由は、彼女ら3人とは決定的に違う。
喜びを分かち合うためではなく、正道に添うからなんてことはあり得るはずもなく、憧憬も最初から存在しない。
彼女は小鈴を見ているようで、その実、ずっと見続けていたのは、自分自身。
自分のために、小鈴に取り入っている。
伊勢小鈴という優しさの塊から、甘い蜜を吸い上げるために。
「小鈴は、今時珍しいくらい、いい子だ。優しくて、甘くて、ぬるい。その温床に浸っているのは、さぞ気持ちが良いのだろうね」
「なにが言いたいのかな?」
「優しさはいいさ、それは彼女の魅力だから。甘さも認める、それが彼女の美徳だから。ぬるさも許そう、それも彼女の寛容さだから」
どれもこれも、彼女の未熟な面であるが、同時にそれは彼女の美点でもある。
危うさはあるけれど、その危うさも含めた彼女の柔らかさ、何者も認める包容力が小鈴の力だ。
表裏一体の彼女の色、それそのものは善でも悪でもない。
しかし、
「それを利己的に吸い出すことは、見過ごせない」
そんな彼女の甘さに付け入るような行いは、許せなかった。
その小狡さも。そして、そんな甘さに浸り続けることをよしとする精神性も。
「彼女の甘さは、根本的には“弱さ”なんだ。あらゆる弱みを、甘えで包んでいるだけだ。それはボクらのようなはぐれ者にとっては救済かも知れないけれど、同時に諸刃の剣でもある。彼女から提供される甘さは、自らを律しなければ、その甘さで心が腐る。やがては彼女自身の強さ、展望、未来さえも、堕落させてしまう。ボクは……そんな彼女にはしたくない。なってほしくない」
甘い蜜は、その蜜を吸う者も、その蜜を湧き出す者も、律しなければ等しく腐らせる。
小鈴は色んな人を救い、そしてこらからも救うだろう。
しかしそんな彼女の甘さに、いつまでも甘えてるべきではない。
そして彼女自身も、自分の甘さで腐るべきではない。
少なくとも霜は、そう信じている。
「君がいると、彼女はなにもかも甘え、甘やかすままだ。彼女は君を甘やかして腐らせる。彼女も君を甘やかして、腐っていく」
「甘いの上等じゃん。私、優しい世界って大好き」
「だけど、それじゃあ……」
「あのね? 誰もが向上心を持って生きていると思ったら大間違いなんだよ」
実子は、吐き捨てるように言った。
「楽して生きたいじゃん。楽しくありたいじゃん。苦しいのは嫌じゃん。そんな簡単なこともわからないの?」
それはいっそ清々しいほどに開き直った、欲望の発露だった。
根源的欲求。しかしそれはある種の真理でもある。
「なんのために人って進歩するの? お湯を注ぐだけで食べられるものはどうしてできたの? なんで機械が作られたり、携帯がこんなに小さくなったりしてるの? 全部全部ぜーんぶ! 楽をするためじゃないの?」
「それは人類が努力の末に掴み取った利便性であって、君がやっているのはただの堕落だ。甘ったれた精神と、人類史の進歩を同列に語るな。図々しいぞ」
「図々しくなけりゃこんな人格してないっつーの。そもそもさぁ」
実子は、蔑むような視線で、霜を見下す。
「私が小鈴ちゃんに会いに行くのは、私と小鈴ちゃんの問題なんですけど。部外者は黙っててもらえます?」
「ボクは……」
「君はもう小鈴ちゃんと縁切ったんでしょ? 友達やめたんでしょ? 私はそのつもりはないから。勝手に一緒くたにしないで」
実子はそう言って、歩を進めようとする。
しかしそれは、霜が許さない。
「……確かにボクはもう、小鈴とは友達じゃない」
それは霜の中では確固たる真実として確立した。
自分はもう彼女と接する資格がない。彼女との縁を断ち切られた。
それは哀しいことだけれども、自分と彼女の決定的な見解の相違だと、甘んじて受け入れよう。
「だけど、彼女がボクの大切な人であることは、変わらない」
たとえ縁が切れても、繋がりが失われても。
彼女に拒絶されようと、嫌われようと。
……友だと言えなくなったとしても。
自分が彼女を思う気持ちは、喪われない。
だって。
「ボクだって……小鈴に、救われたんだから……!」
そう。確かに、水早霜という少年は、伊勢小鈴に救われたのだ。
誤った道筋を正してくれたのは、別の少女だった。あの小さな少女のお陰で、間違った自分を追い出すことができた。
しかし道を間違えたことで背負うことになった咎は消えない。
罪を犯した。アブノーマルでマイノリティな嗜好を持っていた。男か女かも覚束ないような下等な人間だった。
誰も彼もに忌避されるような存在。それはこの社会において、陽光の下を歩めぬ日陰者の身。
しかし、それでも手を差し伸べてくれたのが、彼女だった。
彼女のお陰で、水早霜は今、ここにいる。こうして自分を確立できている。
修正された自分自身が、正しい道を歩むことができているのだ。
自分が、違わず、誤らず、自分の望む未来に進めるのは、他でもない、かつての友のお陰。
その恩義は決して忘れない。たとえ、彼女との繋がりが断たれていようとも。
だから。
「たとえ拒まれたとしても、友達じゃなかろうとも! ボクは大事な人を守るんだ!」
もう二度と、失いたくないから。
二度目は、絶対に、嫌だから。
彼女の正しく清らかな未来を護るために、水早霜は、香取実子の前に立ち塞がる。
そして、実子は。
「……うっざ」
もはや、笑っていなかった。
苛立ちに顔を歪め、瞳に侮蔑を湛え、唾棄すべきものを嘲るように吐き捨てる。
「邪魔するなよモヤシ。いいからそこ退けって」
「いいや、ここは通さない。お前のような堕落しきった裏切りの権化を、彼女に引き合わせるわけにはいかない」
「……裏切り、ねぇ」
「違うのか?」
「さーね」
うっすらと霜も感じている。
今の実子は、どこかおかしい。いや、不安定だと。
いつもはひた隠しにしている邪悪さが、目に見えてわかるほど、滲み出ている。
こんな危険な状態の実子を、小鈴と会わせたくはない。きっとその堕落も、彼女なら許してしまうから。
しかし小鈴が許しても霜は許さない。
実子がいくら堕落しようと、そんなものは、もう知ったことではないが。
その邪悪さのせいで、小鈴までもが腐り堕ちてしまうようなことだけは、万が一にでも、あってはいけない。
清純で、純朴で、ひだまりのような彼女の明るさ、清らかさを、穢すわけにはいかない。
ゆらり、ゆらりと、実子は揺らめくように一歩、また一歩と霜に近づいていく。
――頃合いですね――
どこからか、声が聞こえた気がした。
刹那。
ぐにゃり
世界が、歪む。
暗転。
覚醒。
気がつけばそこは、見慣れた町などではなかった。
広い、けれども雑多に散乱した物のせいで狭くなっている、一室。
散らばっているのは紙。どれもこれも、わけのわからない文字の羅列がびっしりと書き込まれた、意味不明な白紙。本。
他にも、動物の毛、皮、骨。どこかで見たような花、葉、根。用途不明な機械の
壁際には試験管、フラスコ、ビーカー、薬瓶。数々の実験器具。
そして、如何なる言語で書かれているのかも定かではない書物が、びっしりと並んでいた。
天井からは角灯がひとつだけ吊り下がっており、煌々と室内を照らしている。
その真下には巨大な鍋――いや、釜だ。白くも見え、青くも見え、黒くも見え、赤くも見え、あるいは緑色にも見えるような、極彩色にして混濁の液体がぐつぐつと煮え滾り、謎の煙を噴き上げている。
その様相は、まるで実験室であり、図書館だ。
「な、なんだよ、ここ……!?」
あまりにも突然の出来事に、理解が追いつかない。
クリーチャーと戦う際に、周囲の景色が変わるというのはいつものことだが、しかしこんな景色は今までなかった。
明らかに、異常だ。
「あーもう、わっけわかんないなぁ……わかんないけどさぁ」
そして異常と言うのならば。
彼女もまた、異常であった。
「君、ムカつくからさぁ。ボコしていいよね?」
「……蛮族め」
そんなことをしている場合ではないだろうと言ったところで、今の彼女に届くとは思えなかった。
それに力ずくで彼女を止めると言うのならば、これ以上の舞台もない。霜の腕力では彼女には敵わないのだから。
霜と実子。“敵同士”である2人は、互いにデッキを取った。
――彼らはなぜ、争うのだろう。
友のためか。自分のためか。
狂っているからか。信念があるからか。
それが運命だからか。何者かの策謀だからか。
それらはきっと、すべて正しく、すべては誤り。
しかし賽は投げられた。
神は賽を振らない。神話は賽では揺らがない。
賽に翻弄されるのは、人なのだ。
これはその最初の一幕。
楽劇の序夜は、
人は愚かであるが故に。
人と人は、争うのだ――
☆ ☆ ☆
「《
「んー、じゃあ私はぁ、《
実子の一手に、霜は小さく舌打ちする。
天井をぶち破って現れた爆撃機は、増援を降下。さらには、そのまま空中から空襲を開始する。
「《ゴルドンゴルドー》! こいつはそのままで、GRクリーチャーが出たから《バックラスター》の能力で強制バトル!」
「たかだか《佐助》程度に、随分と慎重だな」
「それ《プラズマ》の種でしょ? そんなら潰すに限るよね」
「……こいつに手を見透かされるとは、癪な話だな」
「イライラしてる? いいよ、私はもっとムカついてるからさ!」
爆風が止み、黒煙が晴れた。
派手に爆撃されたが、こんなものは序の口。
実子の抱える“モノ”は、いまだ炸裂していない。
ターン3
霜
場:なし
盾:5
マナ:5
手札:2
墓地:2
山札:26
実子
場:《バックラスター》《ゴルドー》
盾:5
マナ:4
手札:3
墓地:1
山札:26
「ボクのターン。《龍覇
「させないっての! 《バンオク・ロック》! 《サザン・エー》をGR召喚! GRクリーチャーが出たから、《バックラスター》で《M・A・S》を破壊!」
「く……っ!」
「さらにマナドライブ!《サザン・エー》を破壊して2枚ドロー!」
まるでクリーチャーを残せず、霜は歯噛みする。
目の前の惨状こそ派手だが、実子は執拗に、ねちっこく、嫌らしく、霜のクリーチャーを撃墜していく。
どうすれば彼が嫌がるのか。彼の顔が嫌悪に歪むのか。彼を苛立たせるにはどうすればいいのか。
それを知っているかのように、実子はカードを切っていく。
ターン4
霜
場:《エビデゴラス》
盾:5
マナ:6
手札:1
墓地:3
山札:25
実子
場:《バックラスター》
盾:5
マナ:6
手札:4
墓地:1
山札:23
「ボクのターンだ! 《エビデゴラス》の効果で追加ドロー!」
クリーチャーこそ残せないが、霜には《エビデゴラス》がある。これでドローが加速し、手札が増える。
手札の多さは選択肢の広さ。そして選択肢の広さは、切り開く未来にある、可能性の大きさだ。
「ここは……6マナ! 《*/弐幻キューギョドリ/*》!」
「ギガ・オレガ・オーラ……」
「《全能ゼンノー》と《
霜はさらにドローを加速。そして、
「これで5枚以上引いた! 《エビデゴラス》を《Q.E.D.+》に龍解だ!」
「わぉ、まぐれで龍解なんてやるじゃん!」
パワー4000まで強化した《全能ゼンノー》。そして手札を補充し続ける攻撃機《Q.E.D.+》。
着々と霜も盛り返してはいる、が。
「でもさぁ、そんなんで私を止められると思ってるのかな!?」
実子は、猛禽のように狂った目と牙を剥く。
「3マナで《“
「これは、連鎖するな……!」
「その通り! 《マリゴルド》の能力で《バンオク・ロック》をバトルゾーンへ! もう一度GR召喚! 《ダダダチッコ・ダッチー》! 《天啓》もバトルで破壊するよ!」
連続爆撃。いくらオーラで強化しても、《バックラスター》のパワーはバトル中は6000だ。《キューギョドリ》ごと《ゼンノー》は爆破され、その余波で《天啓》も木っ端微塵に吹き飛んだ。
「まったく雑な基盤だな。有り物で誤魔化してるのが丸わかりだ。美しくない、醜い造型だよ」
「有り物結構! 弱けりゃ綺麗でも価値はないね! そら、《ダチッコ》のマナドライブで《スゴ腕プロジューサー》をバトルゾーンへ! 《天啓 CX-20》をGR召喚! 3枚ドロー!」
流石に、危機感を覚えざるを得ない。
ただクリーチャーが撃墜されるだけなら、まだいい。
だがこれは、ただの殲滅ではない。増援による殲滅領域の拡大だ。
霜のクリーチャーが破壊されるたびに、実子はクリーチャーを増やしていく。打点だけなら、余裕で霜をぶち抜けるだけの数が揃っている。
マナも、手札も、場も、なにもかもが潤沢に揃った盤面。
それでも実子は、貪欲に手を伸ばし続ける。
自らの欲望に従って。
「まだまだぁ! 《“極限駆雷”ブランド》の能力で、GRクリーチャーが出るたびに、私が次に使う火のカードのコストが1下がる! 2マナで《“極限駆雷”ブランド》を召喚!」
「まだ出るのか……!」
「《クリスマⅢ》をGR召喚! 破壊して、マナ加速! 《“極限駆雷”ブランド》を回収! 2体の《“極限駆雷”ブランド》の能力で、1マナで3枚目の《“極限駆雷”ブランド》を召喚! 《サザン・エー》をGR召喚、破壊して2枚ドロー!」
《“極限駆雷”ブランド》から《“極限駆雷”ブランド》が連鎖する悪夢のような隊列。
大きくはない。有象無象だ。しかし、あまりにも数が多い。
途切れることのない怒濤の火力。
これでもまだ、実子は本命を投入していないのだ。
後に控えているであろう、巨大な裏切りの権化を。
ターン5
霜
場:《Q.E.D.+》
盾:5
マナ:7
手札:5
墓地:4
山札:19
実子
場:《極限駆雷》×3《バックラスター》《バンオク》《プロジューサー》《マリゴルド》《ダッチー》《天啓》
盾:5
マナ:6
手札:7
墓地:1
山札:15
「ボクのターン……《Q.E.D.+》の能力でトップを固定、追加ドローだ」
「あっれれー? なんかしょぼい野郎がしょぼいことしてる。あんなに息巻いてたのにすっかり大人しくなっちゃって。ねぇ、今どんな気持ち?」
「下品なアドの取り方だと思ってるよ」
「は? 意味不明なんですけど。アド取りに品もクソもないでしょ」
「君のそれはカードパワーの暴力でゴリ押しているだけ。シナジーもなにもない。脳ミソが腐ったゴミのような戦い方だ」
「うんうん、そっかぁ。いいよ、私優しいから。負けた時の言い訳くらい許してあげる」
にっこりと満面の笑みを見せた、直後。
「次のターン覚えてろよ」
唸るような引く声で、言い放つ。
威嚇だ。こんなものは、ただ咆えているだけだ。
今更、その程度で臆する霜ではない。状況は危機的だが、だからといって怯んだりはしない。
「《キューギョドリ》を使用する。《天啓 CX-20》と《
「ちっ、でも、そんなの当座凌ぎだよ。いや、凌ぐことすらできないかもね?」
「《アナリス》を召喚。ターンエンドだ」
「ガン無視かよ。コミュニケーション取ろうよー、一方的にボコボコにするだけだけど、負け惜しみと遺言くらいは聞き流してあげるからさ」
と、軽口を叩きながら。
実子は引いたカードを放る。
「3マナで《“極限駆雷”ブランド》!」
「4枚目……!」
「《クリスマⅢ》をGR召喚! 破壊してマナゾーンから《リュウセイ・ジ・アース》を回収!」
「! 来るか……!」
実子が回収したカードを見て、霜は構える。
アレをわざわざ回収したということは、彼女は既に切り札を握っている。
《静止》などでは止めきれない、最大の爆弾を。
「4体の《“極限駆雷”ブランド》の能力で4マナ軽減! 2マナで《リュウセイ・ジ・アース》を召喚!」
地に降り立つ流星の龍。赤緑の煌めきは、どこか皮肉っぽく輝いている。
「残りのマナで《アナリス》召喚! さぁ、《ジ・アース》で攻撃――する時に!」
「来るか……!」
《ジ・アース》が地を発つ。
空を飛び、角灯という小さな陽光を浴びて、そのうちに秘めたる悪辣のすべてを解放する。
「侵略発動!」
メキ、メキ、と。
《ジ・アース》の身体が、ひび割れ、崩壊し、飲み込まれていく。
そして、ふっ、と実子の表情が翳る。
「これは裏切りじゃない……私は、裏切ってなんか、いないんだ……!」
胸を掻き毟る。
歯を喰い縛り、濁った瞳から、流れ落ちる。
微笑も嘲笑も、義憤も憤怒も、正道も邪道も、すべてをない交ぜにして飲み込む。
御しきれない感情は、ただその身を狂わせるだけだというのに。
実子は、すぅっと、霜を指さした。
「裏切り者は――お前だ」
ぐぱぁっ
大口が、開いた。
「あのクソ野郎を喰い潰せ――《裏革命目 ギョギョラス》!」
《ジ・アース》は飲み込まれ、赤き輝きを喪った。
そこにいたのは、反転した革命の龍、《ギョギョラス》。
邪悪な笑みを浮かべて、歯牙の並ぶ大口を、霜に向けている。
だが、しかし。
「翻れ《ギョギョラス》! たとえ腐っていようと! 悪し様であろうと! 私のあの子を思う自己愛は、裏切りじゃないと証明してみせろ!」
侵略だけでは、終わらない。
次に霜が見たのは、《ギョギョラス》ではなかった。
始祖の怪鳥は翻る。
革命は侵略に、侵略は革命に。
反転し、成り代わる。
「革命チェンジ!」
赤く、緑で、けれどもその鎧は蒼。
大口には、既に長大な一振りの剣が、咥え込まれていた。
「ぶった切れ! 《蒼き団長 ドギラゴン剣》!」
基盤がすげ替えられても、彼女の戦い方は変わらなかった。
《リュウセイ・ジ・アース》を出発点とした、《ギョギョラス》《ドギラゴン剣》の連続踏み倒し。
相手のクリーチャーを貪り、それを糧に、自分はクリーチャーを展開する、攻撃的で一方的なアクション。
あまりにも乱暴で、だからこそ破壊的な暴威だ。
「ファイナル革命! 手札からコスト6以下の多色クリーチャー――《リュウセイ・ジ・アース》をバトルゾーンへ!」
実子は、全開だ。
《静止》でクリーチャーの動きを止められていることなどお構いなし。単純な物量で、霜を叩き伏せようとしている。
単純で愚直だが、それを為せるだけの力が、今の彼女にはある。
「《ギョギョラス》で《天啓》をマナ送り! そしてマナから《バックラスター》! 《天啓 CX-20》をGR召喚して、《アナリス》とバトル!」
霜のクリーチャーを破壊しながら、逆に実子は数を増やしていく。
喰らったものを糧として、それを自分の力とする。
性格が悪いとは思う。
しかし、一瞬でも気を緩めれば、食い破られ、両断されてしまう。
それだけは、霜も認めるほどには、脅威的だ。
「Tブレイク!」
「ぐぅ……!」
一瞬で3枚もシールドが食い破られる。
まだ実子には大量のクリーチャーがいるというのに、霜に残されたシールドは、たった2枚。
耐えられるのだろうか。
いいや、耐え凌ぐしかない。
奴を、この先に、進ませてはならないから。
この欲望と利己の権化を、彼女に近づけさせては、いけないから。
「そうら次いこうか! 《ジ・アース》で攻撃、《ギョギョラス》に侵略! 《Q.E.D.+》を喰らえ、そして《ジ・アース》をバトルゾーンに!」
「そいつは通さない! 《佐助の超人》! 1枚ドロー、1枚捨てる――来い、《バイケン》! 《ジ・アース》をバウンスだ!」
「だけどこの数だ! もう止まるものか! 《アナリス》でブレイク!」
「S・トリガー《キューギョドリ》! 《静止 TB-30》! 《パス・オクタン》! 《キューギョドリ》を《パス・オクタン》に付けて、1枚ドロー! 《静止 TB-30》を破壊! 《“極限駆雷”ブランド》2体と《ジ・アース》を拘束する!」
「それでもまだ足りてないよ! 《ダチッコ・ダッチー》で攻撃! 最後のシールドをブレイク!」
実子の残りアタッカーは、3体。
霜にはもうシールドはない。
実子が押し勝つか、それとも霜が耐え切るか。
たった一瞬、矛と盾が競合する。
「《マリゴルド》で攻撃! これでとどめだ!」
「《佐助》! 《バイケン》の能力とあわせて2枚ドローして、《バイケン》! 《マリゴルド》をバウンス!」
「まだまだ! 《バックラスター》でダイレクトアタック!」
「ニンジャ・ストライク、《ハヤブサマル》!」
「《バックラスター》!」
「《サイゾウミスト》!」
結果は、このターンを制したのは、霜だった。
前のターン、そしてS・トリガーから出て来た《静止》が効いた。大量展開したとはいえ、合計で6体ものクリーチャーを止めたが故に、膨大な物量を押さえ込めた。
しかし《静止》の拘束は1ターン限り。
もはや、次はない。
それは霜のことではない。
「ちぇ……届かなかったか。よく耐えたね」
「あぁ、そしてここで決められなかった以上、君の負けだ」
実子に対して、霜は、そう告げるのだった。
「《バイケン》の能力でドロー……そしてこのドローで、ボクはこのターン、カードを5枚引いた」
「ん? ……うわ」
《キューギョドリ》と《バイケン》により、霜は相手ターン中だが、合計で5枚ものカードを引いた。
つまり、それは、
「龍解――《最終龍理 Q.E.D.+》!」
《Q.E.D.+》が再起動するということ。
誰のターンかなど、関係ない。
ただ引けばいい。それだけで、《Q.E.D.+》は動き出す。
そしてこれが、反撃への布石だ。
ターン6
霜
場:《バイケン》×2《Q.E.D.+》《オクタン[キューギョドリ]》
盾:0
マナ:11
手札:11
墓地:0
山札:15
実子
場:《極限駆雷》×4《バックラスター》×2《天啓》×2《バンオク》《プロジューサー》《ダッチー》《アナリス》《ドギラゴン剣》《ジ・アース》
盾:5
マナ:8
手札:8
墓地:1
山札:7
「ボクのターン! 《Q.E.D.+》の能力で山札から5枚を捲り、その中の1枚をトップに固定、その上で追加ドローだ!」
霜は、山札を掘り進める。
《Q.E.D.+》は《エビデゴラス》と違い、ただドローを加速するだけではない。
より深くまで山の奥まで掘り起こし、本当に必要なものを探してきてくれる。
たった1枚しかないような稀少なものさえも、これだけ掘り返せば――
「……引いたぞ」
引いて、引いて、引いて。
そして、彼は掴み取った。
邪悪を滅する、切り札を。
「まずは、《Dの牢閣 メメント守神宮》を展開!」
「…………」
「さらに7マナをタップ!」
これは本命ではない。ただの保険、おまけだ。
本番は、ここからだ。
《パス・オクタン》の上に、《キューギョドリ》の間に差し込むように、重ね合わせる。
「進化!」
《キューギョドリ》に覆われた《パス・オクタン》が、水晶に包まれる。
それは滑らかに鋭角を形作り、氷像の如く無駄を削ぎ落としていく。
パキンッ
結晶が、砕けた。
「邪悪を閉ざせ――《革命龍程式 プラズマ》!」
真なる革命の証を掲げた、水晶龍。
今は
青き大翼を煌めかせ、かの龍は友ならざる大切な人を守るために、冷たい水晶の鎧を纏う。。
「これで、終わりだ! 《バイケン》で攻撃する時に!」
しかし今この瞬間だけは、彼は氷の刃として、その力を握る。
すべてを凍てつかせ、縛り付ける、楔として、それを振るう。
「革命チェンジ!」
大切な人を守りたい。その人だけではない。その人が、清らかに生きる未来も一緒に。
そのために、彼女に這い寄る一切の邪悪を絶つのだ。
「目障りなあいつを黙らせろ! 《時の法皇 ミラダンテⅩⅡ》!」
嘶き時を刻む調べ。
正しき未来を示す時針を背負った龍。
ドローにドローを重ね、すべてのパーツは揃った。
力任せに資源を食い潰すような、乱暴な攻勢などとはまるで違う。
互いの干渉力、影響力、繋ぎ合わせたシナジー、それらすべてを計算して組み上げた、一撃必殺のフォーメーション。
それが、起動する。
「う……っ」
実子は膝を折る。
身体が酷く重い。腕を持ち上げることはおろか、立っていることすら困難なほどの超重力が押し寄せる。
「ファイナル革命――お前は、コスト7以下のクリーチャーを召喚できない」
実子のクリーチャーは、縛られた。
反撃の牙も、反抗の爪も、折られる。
「逆転なんて許さない。指一本動かせないまま、くたばれ」
コスト7以下ともなれば、ほとんどのクリーチャーは召喚不能。GR召喚すら、封じられてしまう。
それでも実子は、全身を蝕む重力に耐えながら、笑い飛ばす。
「……はっ! キッツ。ブロックできないし、あとはもう盾にお祈り。いい感じの呪文、来ないかな――」
ズンッ、と。
実子の身体が、崩れ落ちる。
上から、なにかに押し潰されているような感覚。より強い、重力
顔面が床に押し付けられ、言葉すら、発することができない。
「おい、聞こえなかったのか?」
そこに、霜の冷たい声が響く。
冷淡で、冷酷な声だ。
「ボクは、逆転なんて許さない、と言ったんだ」
霜はハラリと1枚のカードを宙空に流す。
「《ファイナル・ストップ》」
「……!」
放たれた呪文に、口すら開けぬ実子は、憎々しげにそれを睨み付けるだけだった。
クリーチャーの召喚、呪文の詠唱。
両方を封じられてしまえば、実子にできることはなにひとつとして存在しない。
全身を雁字搦めに束縛され、無抵抗のまま、霜のクリーチャーに蹂躙されるのを待つだけだ。
「呪文なんて使わせるわけないだろう。そのまま一生這いつくばってろ、寄生虫」
霜はそう吐き捨てる。
次の瞬間、《ミラダンテ》が、実子のシールドを3枚、叩き割った。
ハラリと実子の傍に3枚のカードが舞い落ちる。
「……ぁ……ま……」
「お前は優しいらしいけど、ボクはお前にだけは優しくしない。負け惜しみも、遺言も、聞いてやらない。このまま消え失せろ」
そして、霜は次の攻撃指令を下す。
しかし。
「……あんま……舐めんなよ」
実子が、口を開く。
怒りを込めて、憎悪を曝け出して。
叫ぶ。
「お前なんかに――私のなにがわかるって言うんだッ!」
そして、起き上がった。
「シールド……トリガー!」
「な……っ!?」
《ミラダンテ》と《ファイナル・ストップ》の二重拘束を受けてなお、立ち上がるだけの力があるはずがない。
――否。
ある。《ミラダンテ》の拘束は、強固だが、万能でも全能でもないのだ。
「私の切り札、忘れたとは言わせない」
実子はその1枚を、握り込む。
灼熱の炎で手が焼け付くことも厭わず、その炎を、解き放った。
「《メガ・ブレード・ドラゴン》!」
刹那。
霜の盤上が、燃え上がった。
「っ、コスト8の、トリガークリーチャー、だと……!」
「ほら早く死ねよ。相手のブロッカーを、すべて破壊!」
《ミラダンテ》も、《プラズマ》も、《Q.E.D.+》も。
霜のクリーチャーがすべて、燃え尽きてしまった。
(しまった、《メメント》が仇になるなんて……!)
保険にと設置した《メメント守神宮》の効果によって、霜のクリーチャーすべてがブロッカーと化していた。
しかし、それ故に、それらのクリーチャーすべてが、焼き払われてしまった。
安全策だと思ったが、それが自らの首を絞めただけ。
守るための力だったのに、それが自分に牙を剥く。この身をズタズタに引き裂く。
なんという悪手。なんという裏目。なんという愚行。
考えて、考えに考え抜いて導き出した結論が、ただ自分を、誰かを傷つけただけだなんて。
そんなのは。
――あの時と、同じじゃないか。
「く……そがッ!」
「さぁ、私のターンだッ!」
慟哭しようと、悔恨に咆えようと、今は勝負の真っ最中。
動き出した流れは止められず、どちらかが果てるまで、戦いは終わらない。
「ドロー!」
「Dスイッチ! クリーチャーをすべてタップだ!」
「はんっ、そんなやっすい保険で止めたと思ってんなよ!」
《メガ・ブレード》は召喚されてしまったが、実子は今も、《ミラダンテ》と《ファイナル・ストップ》の二重拘束を受けている最中。
おおよそのクリーチャーは出せないし、呪文も使えない。クリーチャーはすべてタップし、まともに動ける状態ではないのだ。
しかし、それでも。《メガ・ブレード》が《ミラダンテ》のロックを抜けたように。
コスト8以上のクリーチャーなら、召喚できる。
そして実子には、まだ出していない手があるのだ。
それは、昏い、太陽のような、金色の輝きを、掲げる。
「私には、あの子が必要なんだ――《龍の極限 ドギラゴールデン》!」
豊富なマナから無理やり捻り出された、コスト8の大型クリーチャー、《ドギラゴールデン》。
革命チェンジも、極限ファイナル革命も、なにもかもを捨て去り、ただの一振りの刃として、それは在る。
この《ドギラゴールデン》は、《ドギラゴン剣》の能力でスピードアタッカー。
《ドギラゴン剣》よりも長大な剣が、霜に振りかぶられた。
「《ドギラゴールデン》で、ダイレクトアタック!」
「ニンジャ・ストライク! 《サイゾウミスト》!」
しかし、単騎突撃程度であれば、防ぐのは容易い。
霜は今、大量の手札を蓄えているのだ。それだけシノビも握っているのだから。
実子は、ギラギラと殺意の眼光を光らせ、霜を睨み付けていた。
「次のターン……ぶち殺す!」
ターン6
霜
場:《エビデゴラス》《メメント》
盾:0
マナ:12
手札:10
墓地:0
山札:17
実子
場:《極限駆雷》×4《バックラスター》×2《天啓》×2《バンオク》《プロジューサー》《ダッチー》《アナリス》《ドギラゴン剣》《メガ・ブレード》《ドギラゴールデン》
盾:2
マナ:8
手札:9
墓地:1
山札:7
ターンが、返ってきた。
このターンは来ない、来させないと思って、全力を注ぎ込んだ一撃が潰され、それでもなお、返ってきた。
実子には無数の軍勢。手札には大量のシノビ。とはいえ、それで何ターン耐えられるというのか。
耐えるばかりではダメだ。ただ防ぐだけでは、本当に大事なものを守れない。
根源から、根絶しなければ。
「ボクのターン! 4マナで《κβ バライフ》、《全能ゼンノー》をGR召喚! そして《アナリス》を召喚!」
「今更、そんな雑魚でなにを……」
「お前を潰すために決まってるだろう。3マナで《母なる星域》! 《ゼンノー》をマナに送り、《アナリス》を《プラズマ》に進化だ!」
潤沢な手札で、次の一手を考える。
どうやって耐えるか、ではない。
どうやって、目の前の敵を滅ぼすかを。
「4枚ドローして、《Q.E.D.+》に龍解! 2マナでさらに《アナリス》、そして《
大量の手札を吐き出し、そこからさらに身を削る凄まじい枚数のドロー。
その結果、霜は一瞬で3体のアタッカーが生まれ、には新たな選択肢が発生した。
さっきは《メガ・ブレード》で《ミラダンテ》のロックを抜け出された。
縛り付けても抑えきれないのなら、次の手を打つまで。
「同じ轍は踏まない! 《プラズマ》で攻撃する時に革命チェンジ!」
鐘の音が聞こえる。
小さな鈴の音が響く。
すべての色を包み込む、淡い色彩の音色。
それは、霜の内に秘めたるモノを、呼び覚ます。
「ボクはもう……喪いたくないんだ……! 後悔するのは、もうたくさんだ……!」
霜は拳を握り締める。歯を喰い縛る。
自分を受け入れてくれた最初の少女は、いなくなった。
あんな思いは御免だった。だから二度目は、許さない。
きっと、耐えきれなくなってしまうから。
居場所がなくなってしまったとしても、自分が拠所とした標だけは失いたくない。
その一身で、霜は、鐘の音を鳴らす。
「ボクが、彼女を守ってみせる――《大音卿 カラフルベル》!」
鮮やかな色彩が、清らかな音色を奏でる。
安らかな旋律が、霜のクリーチャーを包み込む。
まるで、甘くて優しい、彼女のように。
「壊させない……! ボクが願った未来を、ボクが守りたい明日を、お前なんかに穢させてたまるものか!」
霜の叫びと共に、《カラフルベル》も奔る。
実子に残された2枚のシールドが、砕け散った。
《カラフルベル》の能力で、霜のクリーチャーは破壊されない。《メガ・ブレード》がトリガーしたとしても、次は焼き払うことは不可能。
霜による第二撃を防ぐことは困難だ。
しかし、実子は不敵に笑っていた。
「バーカ」
そして、霜を嘲笑する。
「いくら侵略元になるからって、《メガ・ブレード》なんて汎用性ひっくいカードを何枚も入れてるわけないじゃん。引けなかったのかなんなのか知らないけど、《ミラダンテ》じゃなくて助かったよ」
ピンッ、と実子は砕かれたシールドの1枚を弾く。
直後、霜の足下目掛けて、時計針が深々と突き刺さった。
「S・トリガー《終末の時計 ザ・クロック》!」
「……止められた、か」
また、選択を誤ったのかもしれない。
なにをムキになって《カラフルベル》を出してしまったのか。冷静な判断だったのか、自分でもわからない。
霜の手札には、《ミラダンテ》もあった。《クロック》は、止められたトリガーだったのだ。
それを許してしまったというのは、自分もまだ甘さが残っていた、ということなのだろうか。
彼女に絆された影響か……いや。
彼女のせいにするべきではない。
それはきっと、純粋な己の未熟さだ。
「私のターン……さて、流石に終わりかな」
「まだ終わってないよ」
「この数を捌き切れるとでも? 《プラズマ》がいても、流石に厳しいと思うけどね……というかいい加減、諦めればいいのに。なにを好きでもない子のために、無理して身体張ってるんだか」
「……なんだって?」
「いやだって君さ、小鈴ちゃんのこと、好きじゃないでしょ?」
意趣返しのような言葉だった。
しかし実子も、ハッタリや戯言でそんなことを言っているわけではなかった。
「私もさ、結構わかるんだよね。周囲の機微とか、この人はなにを求めてるんだろうなー、とか、どういう距離感が求められてるのかなー、とかさ。そういうの」
実子が自分勝手で利己的なのはわかり切ったこと。
しかし彼女は、馬鹿でも考えなしでもない。
利己的であるが故に、周囲を観察している。
そしてそれは、身近な人物――霜も、その目からは免れない。
「君は小鈴ちゃんに恩義を感じているのかも知れないけれど、それとあの子が好きかどうか、あの子の“思想”に同調できるかどうかは、また別じゃない?」
「っ、それは……」
「やっぱり」
どこか呆れたように、そして嘲るように、実子は続ける。
「あの子の優しさが魅力とか言っても、君自身はあの子の甘さを受け入れられてないじゃん。それに救われたとか言っても、君自身はその居場所に甘んじる気はないじゃん。その温床は、君が嫌うものじゃん」
霜は小鈴の甘さに救われた。それは事実だ。しかしその甘えは許せないと言う。
矛盾だった。
あるいは、それこそ自分勝手で、自己中だ。
自分を救ったものを、自分を救ったことを良しとしても、他者がそれに縋ることは許さないなどと。
あまりにも、傲慢が過ぎる。
「味方のふりして、理解者ぶって、仲間面して、結局あの子の意向に一番賛同できていないのは君じゃん。あの子に拒まれた? 違うよ。先にあの子の気持ちを拒んだのは、君なんだよ、水早君」
「っ……!」
実子の言葉は、深く、深く、霜に突き刺さる。
本当に小鈴を拒絶したのは、自分なのかと。
否定は……できなかった。
彼女の甘さを許しがたいと思ったことは幾度もある。そのぬるさが、彼女の進歩を阻害していると、彼女が脆いのは、彼女の優しさのせいだと、何度も思った。
無防備なところも、隙だらけなところも、子供っぽいところも、儚いところも、すべて、すべて、すべて。
すべてが――見てられなかった。
「君は今の小鈴ちゃんが嫌いで、自分の理想のあの子を勝手に当て嵌めて考えてるだけなんじゃない? だからさ、君は小鈴ちゃんを守るとか言ってるけど、本当は――」
だから、だから、だから――
「あの子を、自分の思い通りに“歪めたい”だけでしょ?」
――――
見透かされた。
言い当てられた。
言葉にしなかった、自分の、醜悪な願いを。
そうあって欲しいという、自分勝手な未来を。
自覚のなかった傲慢さ。
彼女の弱さを許せないが故に抱いてしまった、自己中心的な欲望。
誰かを、意のままに、思い通りに、変えたいなどと。
知られてしまった。
――よりにもよって、こんな奴に。
「それは……ボクは、ボクは……!」
「まあどうでもいいんだけどね。君のことなんて」
ただムカつくから言っただけ、と興味なさげな実子。
霜は言葉に詰まる。
なにも、言い返せなかった。
「でもま、人のことを邪悪だとか堕落だとか、散々罵ってくれちゃってさ。流石にちょーっと頭にくるよねぇ」
へらへらと、口で笑い、目は殺意で渦巻いている。
混濁した狂気に包まれた、不安定な顔に、昏く翳りが差す。
「……私のことなんて、なにも知らない癖に」
その翳りも、ほんの一瞬。
躁鬱は激しく流転し、憤怒と、悲嘆と、激情と、慟哭は、どす黒い色に煮詰まっている。
そんな混沌を内包したまま、実子は牙を剥く。
「このまま押し潰してあげる。《リュウセイ・ジ・アース》召喚! そしてそのまま攻撃――侵略発動!」
怪鳥の声が轟く。
鐘の音を掻き消し、劈くほどの凶声が。
「さぁ、そこの裏切り者を喰い潰せ! 《ギョギョラス》!」
《ジ・アース》の身体を喰い破り、《ギョギョラス》が顔を覗かせる。
悪辣な裏切り者の形相。
しかしその悪も、裏切りも、他人を見ているとは思えない。
まるで鏡のように、《ギョギョラス》の瞳が、霜を映す。
「《Q.E.D.+》を喰らい、《ウマキン☆プロジェクト》をバトルゾーンに! そのまま、ダイレクトアタックだ――!」
《ギョギョラス》の大口が開かれた。
肉を引き千切り、骨を噛み砕き、命を飲み込まんとするために。
「とっとと失せろ、偽善者!」
偽善者。
そうだ、そうかもしれない。
彼女のためと謳いながら、その実、彼女を思い通りにしようとしていた、エゴ。
実子は、邪悪であれ、堕落であれ、利己的であれ、小鈴の強さも、弱さも、認めた上で受け入れている。
だけど
小鈴の表裏一体の、優しさという良さを理解した風なことを言いながら、嫌っている、拒んでいるではないか。
彼女の魅力を、受け入れられず、変えたいと思っていた。思ってしまっていた。
それが、彼女の本質を歪めることになると、知りながら。
そんな願いを抱いていた。
それこそ、邪悪ではないか。
彼女への裏切り、ではないのか。
「あ……あ、あぁ……違う、ボクは……ボクは、ただ……!」
よりよい彼女の姿を、願っていただけだ。
けれどそれは、進歩のない現状に苛立ち、甘すぎる優しさに顔をしかめ、停滞した在り方に不満を抱いた結果だ。
今のままでは、この状態がずっと続くのでは、ダメなのだと。
もっと上に、よりよくなれるはずなのだと。
そう思っていた、はずなんだ。
けれど。
(それは、小鈴のためには、ならない、のか……?)
向上心のある人間ばかりではない。実子の、言う通りなのだろうか。
どうすることが、彼女にとっての最善なのか。
自分は、どうあるべきなのか。
進歩のない、子供っぽいままの、弱い彼女を、認められるのか。認めていいのか。認めなくてはいけないのか。
それを変えたいというのは、変えてほしいというのは、間違っているのか。
その思想は彼女に根ざした源をねじ曲げてしまうというのか。
ぐるぐると、まとまらない思考が巡り続け、揺らいでいく。
わからない、わからない、わからない。
「ぁ、ぐ……く、うぅ……!」
答えは、出ない。
時間が足りない。この命題について思考し、答えを導き出すための、時間が。
怪鳥の大口は目の前まで迫っている。考えている暇はない。
「……仮に、ボクが彼女を、認められていなくても……だとしても……!」
それでも、ただひとつ、ハッキリしていることはある。
霜は、キッと実子を睨み付けた。
「ここで! お前を通すわけには、いかないんだ!」
ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた頭で、思考も覚束ないほどの混濁の中で、霜は縋るように《プラズマ》を見上げる。
「《プラズマ》の革命2発動! 手札からS・トリガーを発動する!」
ぐらぐらと、ぐらつく頭の中で、不愉快な声が反響する。
――君こそ、小鈴ちゃんが嫌いなんでしょ――
雑音のような声だ。あまりに醜く、酷い。
――君は自分の理想をあの子に押し付けて、歪めたいんだ――
……うるさい。
――本当に傲慢なのは、君なんだ――
うるさい、うるさい、うるさい。
――最初にあの子を拒んだのは、君だ――
うるさい!
「うるさいうるさいうるさい! 耳障りだ! その口を閉じろ! もうなにも喋るな! 全部、全部、消えてしまえ――」
霜は、慟哭し、震える手で、それを叩き付ける。
纏わり付く雑音を振り払うために。
目の前の邪悪を撃ち砕くために。
この迷いを、忘れたいがために。
「――《アポカリプス・デイ》!」
終焉が――訪れた。
「ぁ……!?」
永い瞬きの末、その刻が訪れた。
それは邪悪を滅ぼす光。
なんと昏く、哀しい光だったことだろうか。
「……《アポカリプス・デイ》は、バトルゾーンに6体以上のクリーチャーが存在する時、それらすべてを破壊する……が」
本来なら、そこには無の世界が待っている。
なにもかもが消え去った、荒野が広がっているはずだった。
しかし。
「《カラフルベル》が……鈴の音が、ボクを守ってくれる」
即ち。
「ボクのクリーチャーは――破壊されない!」
滅亡の光は、平等ではない。
すべてを破壊し尽くすが、それは、霜が邪悪と定めた者だけを破滅に導く。
霜は《カラフルベル》の加護により、一切の被害を受けない。
鈴の音が、霜を守ってくれる。
しかしその音色すら、後ろめたい。
呪縛のように、纏わり付く。
ターン7
霜
場:《エビデゴラス》《プラズマ》《カラフルベル》《メメント》
盾:0
マナ:15
手札:10
墓地:2
山札:9
実子
場:《クリスマ》
盾:0
マナ:11
手札:10
墓地:16
山札:3
「……今度こそ終わりだ。実子」
声は聞こえない。ノイズは掻き消したから。
姿は見えない。彼女は見たくないし、自分の顔も見られたくないから。
胸中で呪いのように渦巻く昏迷を抱きながら、霜は命を下す。
――これで、良かったのだろうか。
「《革命龍程式 プラズマ》で、ダイレクトアタック――!」
迷いは、断ち切れないままだ。
☆ ☆ ☆
「……終わった、のか」
気がつけば、実験室のような異空間は消えていて。
道路の真中で、実子は倒れ伏している。
「くそっ……まさか、ボクがこんな奴に、惑わされるなんて……」
憎たらしい。苛立つ。
けれども彼女の言葉は真理だ。
自分でさえも意識しないようにしていた真意を引きずり出された。
なんとも腹立たしいことか。
こいつも、自分も。
「……ボクが小鈴のことを嫌っていたとしても、こいつは、こいつだけは……!」
許すわけにはいかない。
それはもはや、正義なのか、倫理なのか、私情なのかすら、判然としない感情だった。
ここで、この邪悪の権化を――
「――――」
また罪を犯すのか?
今度は、誰も許してくれないぞ。
もう、後戻りはできないぞ。
それでもやるのか?
好きでもない、友であった少女のために。
そんな、自分の盲信に、従うのか?
自問自答を繰り返しながら、ふらり、ふらりと、伏した彼女に歩み寄る。
意識はない様子。腕力では敵わないとはいえ、無抵抗というのならばその限りではない。
霜の細腕でも、息の根を止めるくらいは、できる。
もう、彼女は目の前だ。
その首に、手を伸ばす、だけだ。
あと一歩、あと一歩で。
許し難い邪悪を、絶つことができる。
「……っ!」
不意に、気配を感じた。
振り返れば、それは、そこにいた。
「あ、あなたは……」
意外な来訪者に、霜は硬直する。
なぜ、ここにいるのか。
「……そいつを、どうするつもり?」
「…………」
「助けるっていうのか? そんな奴を……」
なぜそんなことを問うているのか、自分でもわからない。
しばし睨み合った末、霜は踵を返した。
「……いいさ。ボクは、もう、いいんだ……自分でも、わけがわからないんだ……」
顔を覆い、背を向ける。背中から撃たれることも考えていない、無防備で隙だらけな背中だった。
しかしそれが、彼の迷いと、回答不能な命題の大きさなのだろう。
その苦悩を抱え込んだまま、水早霜は、その場を去った。
☆ ☆ ☆
「――失敗しちゃいましたー!」
青髪の少女は、虚空に映る
その傍らで、白髪の男が息を吐く。
「いやー、まさか最後の最後であんな闖入者が来るなんて思いもよりませんでした! あたしもまだまだ、詰めが甘いですね。反省なのです!」
「しかし仕方あるまい。君の予想を超えた行動を起こす以上、それは我々の中で誰も予想できないということだ」
「でもやっぱり悔しいのです。上手いこと同士討ちしてくれたら良かったんですけど、まさかどちらも仕留められないまま終わってしまうとは……大失敗なのです」
「あるがままに事を為さないから裏目になるのよ。貴女の策謀は運命に塗り潰されてしまうのだから」
「む」
青髪の少女は、簡素な服を羽織った緑髪の女をムッとした視線で睨む。
「あたしは効率よくお仕事しようとしてるだけなのです」
「それであなたは、捕らえるはずだった獲物を逃したのでしょう」
「リズちゃんは意地悪なのです」
「事実よ。そしてそれが真実であり真理。それを感じなさい」
「ほほぅ、興味深いのです。それは具体的に、どのような理論と原理で成り立っているのですか?」
「答えは既にあなたの内に出ているはずよ。それを感じ取ればいいだけ」
「いやそういうことではなくてですね」
などとどこか噛み合わない問答を繰り返す2人。
それを白髪の男が仲裁する。
「メル、リズ、静粛に。姫が眠っている」
「おっとそうでした、これは失敬。お姫さまのお眠りを邪魔しちゃうわけにはいきませんものね。メルちゃんともあろう者が、不覚にも熱くなってしまったのです。これも反省なのです」
「そして、メル。私の見立てでは、君はよくやっている。君がいなければ、我々はこれほど迅速に居を構え纏まることはなかっただろう。感謝している」
「そんな照れちゃいますよミーナさん。あたしなんて、思考能力が備わってるだけでまだまだ全然、不完全なのですから。ま、たとえ不完全でも、あたしの演算能力は誰にも負けるつもりはないのです」
「そうね。あなたは、そういう風に作られ、産み落とされたのだもの。それが、あなたの役割」
「…………」
その言葉に、どこか不服そうに、青髪の少女は顔をしかめた。
しかし先ほど叱責された手前、特になにも言い返すことはない。
「なんにせよだ。たとえ敵であろうと無秩序に粛正するべきではない。水早霜と香取実子の件は、このまま君に一任しよう」
「はーい! ありがとうございます、ミーナさん! 次はちゃんと仕留めましょう! あ、でも新しい作戦を練り直さないといけないので、一旦こっちの計画は進行ストップするのです。次はなにを試しましょうかねぇ? 王国の遠隔展開実験は成功しましたし、これを応用してなにができるでしょうか……?」
「私も兎狩りと虫取り、そして館の殲滅作戦がある。メル、リズ。君たちにも協力して貰う」
「勿論! きっちり準備して事に望むのです!」
「それが定められたことであるなら、私に抗う意志はないわ」
「なら俺は、しばらくゆったりしてるかね」
そこに。
3人の会話に、黒髪の男が割り込んだ。
「ディジーさんはなんかやることなくて暇そうですね」
「楽できて悪かないがな」
と、どこか気怠げに言うと、白髪の視線が刺さる。
やれやれ、と黒髪は肩を竦めた。
「怖い顔すんなよ。俺はやることはやるぜ。あいつとは違う。お前だってわかってるだろ?」
「……そうか。しかし、そうだな。奴は一体どこへ――」
と、その時、
何者かが弾丸の如き勢いで飛び込んできた。
赤い髪の、青年だった。
「たっだいまー!」
明朗軽快で快活な声が響き渡る。
それはまるで、燦々と輝く太陽のような、明るく、熱意に満ちた声。
しかしその朗らかさに対して、返ってきた言葉は、険しいものだった。
「ヘリオス!」
「ん? やあミーナ。どうしたんだい? そんなに血相変えて。鬼気迫る鬼の形相だね」
「どうしたではない! 貴様、今までどこに行っていた? 貴様には、我らが居城の守護を命じていたはずだ!」
「……あれ? まさかミーナ、怒ってる?」
「問うているのだ。答えよ、ヘリオス・マヴォルス」
ヘリオスは問い詰められる。しかし彼は、あっけらかんとしていた。
「まあまあ、そんな怒らないでよ。僕はただ、姫のためにちょっと出かけてただけなんだから」
「なに?」
「というわけでさ! ひーめー!」
「おい! ヘリオス!」
ヘリオスは制止を振り切って、部屋の奥の暗幕を剥ぎ取った。
「ほら姫、これを食べてみなよ。美味しいよ、ここに来る途中で冷めちゃったけど! でもきっと美味しいはずさ!」
「待てヘリオス! それはなんだ? どこでそんなものを……」
「どこって、貰ったのさ。なんと言ったかな。パンヤ? っていうところでね! 凄く美味しいんだ!」
「はいはーい、ちょーっと見させてもらいますねー」
「あ、ちょっと! メル!」
虚空からアームが伸びる。それが、ヘリオスの持つパンを摘まみ上げた。
そして、それに謎の光を当てる。
しかしヘリオスは即座にそれを奪い返した。
「ねぇメル! それは僕が姫のために持ってきたものだよ! 横取りはやめてくれないか?」
「検査ですよー、検査。これがお姫様にとって有害なものだったらいけないじゃないですかー。当然の確認事項なのです」
「そんなはずないさ! こんなに美味しいんだから! もぐもぐ」
「なぁヘリオス。一個聞きたいんだが」
「ん? なんだいディジー」
「お前、姫さんのために持ってきたって言ってたが、それは自分で喰っていいものなのか?」
「はっ! しまった!」
「アホだなこいつ……」
「……分析完了。毒とかではなさそうですねー。一般的な人間の食物です。通常環境において害はないかと」
「だから言ったじゃないか。もぐもぐ」
「でもリオ君、お言葉ですが、お姫様はきっと食べられませんよ?」
「なんだって? なんでだい?」
「姫は人間ではない。人間の食性を受けつける身体ではない。故にそれがどれだけ美味であろうと、姫にとっては苦痛を生む毒にしかならない……そういうことだろう? メル」
「ミーナさんの言う通りなのです」
その言葉にヘリオスは言葉を詰まらせる。
「む、むぅ……でもこれを食べたいかどうかは、姫自身が決めることなんじゃないかな!?」
「我々は、姫の身の安全を守る責務がある。外敵からの護衛は当然ながら、それは体調管理という意味も含まれる」
「お姫様はお世辞にも知識というものが豊かとは言い難いのです。変なもの食べないように、あたしたちが管理しないと」
「そんなの、そんなの……なんか違うじゃないか!」
「もう少しまともな反論はないのか?」
「ぐぬぬ……! ねぇリズ! 君からもなにか言ってやってよ!」
困ったヘリオスは、リズと呼ぶ緑髪の女に助けを求める。
彼女は、ゆるりと彼らの方を向いた。
「作為的な管理というものは、唾棄すべきことね。獣は支配されていないわ、生きるということは、ただそう在るだけでいいの」
「あぁそうだとも! そうだろうさ! 流石、君はわかってるね! リズ!」
「けれど、その生物が本来食するべきでないものは、食するべきではないのよ。すべての生き物には、その生き物が食べるべき糧があるのだから。ライオンは草を食べないし、ウサギは肉を貪らないものよ」
「うん? つまり?」
「人ならざる彼女は人の物を口にするべきではないということよ」
「君は誰の味方なんだい!?」
「私は世界に渦巻く大きな流れに身を委ねるだけよ」
「そっか。君らしいと思うよ」
「なにを納得してるんだこいつは……?」
「まあでも、僕は姫にこの美味しいものを届けるんだ! 誰にも邪魔はさせないよ!」
「ヘリオス!」
「食べかけを喰わせるのかよ……もういいだろ、アホはほっとけ」
ヘリオスは今度こそ、あらゆる制止を振り切って食べかけのパンを持って暗幕へと突撃する。
暗幕の先は、寝台だった。
黒い樹木の脚、溶けたゴムのような蔦で編まれた天蓋。
大樹に包まれたような寝台の隅に、小さな少女が、蹲っていた。
「やっほー姫ー! お土産だよー!」
ヘリオスは無遠慮に寝台に上がる。
そしてぐいぐいと押し付けるように、食べかけのメロンパンを、少女に押し付ける。
「……この、におい、は……?」
「まあまあ、食べてみてよ! きっと気に入るから!」
「……メロンパン……」
少女は、ぼんやりとした瞳でジッとそれを見つめると、震える手で、ゆっくりと、それを口元に運んだ。
唾棄するように咀嚼し、拒絶しながら嚥下する。
すると少女は咳き込んで、嘔吐いてしまった。
「げほっ、ごほっ……!」
「うわぁ姫! ご、ごめん! 僕の食べかけはそんなに嫌だったのかい!?」
「そりゃ野郎の食いかけの飯なんて嫌に決まってるだろ」
「いい加減にしろヘリオス! これ以上は姫への攻撃と見做し、貴様も粛正するぞ!」
剣を抜き、その切っ先がヘリオスの首元に突きつけられる。
その鋭い視線で、ヘリオスは彼が本気で怒っていると理解した。そうでなくとも、大事な“姫”に、悪意はないとはいえ危害を与えてしまったのだ。
さしものヘリオスも、申し訳なさそうに顔を歪める。
「わ、わかったよ。僕が悪かった……ごめんよ姫。次はちゃんと、美味しいものを持ってくるから」
「貴様、まったく懲りていないな!」
「というかリオ君は学習しないのです。それと、もう少し先のことを予測しながら動くべきなのです」
「なにを言ってるんだいメル。明日のことを言うと、鬼が笑うんだよ」
「え? それは、あたしの主張の補強ですか?」
「違うよ。未来は分からないからこそ、笑えるくらい面白いんじゃないか」
「言葉の意味が違うのです」
「バカだからな」
などと言いながら、とぼとぼと寝台から這い出てくるヘリオス。
その後ろで、少女は吐き出した食べ物の残骸を、口惜しそうに眺めていた。
「おいし……ぃ……」
そう、思いたかった。
そう、思えるはずだった。
ほんの一時でも、受け入れられないものだとしても、それは懐かしい味。
少女は
「こすず……さん……」
☆ ☆ ☆
「まったく、ボクはなにをしているんだ……!」
霜は憎々しげに吐き捨てた。
先ほどの対戦のダメージか、それとも胸中でうねりをあげるこの不可解な情念のせいか、足下がふらつく。
あの邂逅は偶然だった。
霜は霜で、彼女らに出逢わぬよう外出時間やルートを計算しながら、独自に動いていただけだった。
彼女に害為す連中の所在を突き止めようと、動いていただけだった。
そう、彼女のために。
大切な人の、ために……
――本当に小鈴のためなのか?
本当は自分の理想を押し付けているだけではないのか。自分を好いてくれた彼女の在り方を否定していた自分こそ、邪悪なのではないか。
実子の言葉が、いつまでも胸に焼き付く。振り払おうとも、振り払えない。いつまでも纏わり付いている。
実子が利己的で、ただ小鈴から甘い蜜を吸い上げるだけの寄生虫で、どうしようもない邪悪の権化だというのは事実だ。彼女の自己中心性は、彼女自身も認めていたのだから。
だが彼女に、その邪悪を突き返されるとは思わなかった。
気付かされ、自覚させられてしまった。
自分もまた、彼女と同列なのだと。
小鈴のことが好きなのではなく、小鈴が好きな自分が好きな実子。
今の小鈴の在り方が嫌いで、だから自分の好きな小鈴にしたい霜。
原点もアプローチも目指すところもまったく違うが、どちらにせよ自分も、彼女も、真に小鈴のことを好いていなかった。
だから、拒絶されるのも、縁を断ち切られるのも、必然だ。
いや、むしろ。
小鈴の存在そのものを受け入れられない自分こそが、彼女にとっての、悪なのではないか。
ありのままを受け入れる小鈴、そのありのままの彼女を受け入れられない自分。
実子は、ただの自己愛、利己欲で、彼女を利用していた。けれどそれは、ありのままの彼女の肯定に他ならない。邪悪でもなんでも、小鈴の原質そのものを受け入れ、認めている。
けれど自分は、彼女の優しさを、理解はしても、認められてはいなかった。
その優しさの裏にある弱さを、変えたかった。変えて欲しかった。
たとえ、その結果、彼女の本質が捻れてしまったとしても。
「それは……悪いこと、なのか……?」
そんなはずはない。そうじゃない。ただ、彼女によりよくあって欲しいと、そう願っていただけだ。
翻ればそれは、ただのエゴ。人のあるべき姿を、無理やりねじ曲げようとする傲慢さ。
そんなつもりでは、なかったのに。
それが、現実なのだろうか。
裏切り者は、利己的に友を搾取する実子ではなく。
友という面で、彼女の在り方を変えたいと願っていた、自分なのか。
「……わかんないよ。なにが正しいんだよ……ボクは、間違っていたのかよ……!?」
よりよい未来、よりよい明日、よりよい自分のために、今を否定する。
それは悪なのか?
それは間違いなのか?
それは望まれるべきではないのか?
友達の在り方を変えようとするこの考えは、邪悪、なのだろうか。
彼女は、それを許してくれるのだろうか。
いや、仮に許してくれたとして、それが正しい行いであるかどうかは、わからない。
許してくれるから、笑ってくれるから正しいだなんて、それこそ押しつけだ。
堂々巡りだ。
まるで答えは出てこない。
いくら考えても、自分の信じる正しさが、揺らぐだけだった。
「なんなんだよぉ……! どういうこと、なんだよ……!」
今にも倒れてしまいそうなほど、霜の心は消耗していた。
どれだけ理屈を組み上げても、それは脆く崩れてしまう。
自分を正当化することさえも、自分の中の無意識の悪意が露呈し、それが膿のように苛む。
苦悩は慟哭へ、葛藤は叫喚へ、昏迷は悲嘆へ。
涙と共に、嗚咽を漏らす。
「わからない、わからないよ。お願いだ、ボクを助けてよ……昔にみたいに、君の声が恋しいよ……リンちゃん……」
もうこの世にはいない、一番最初の、大切な人に手を伸ばす。
彼女はいないと、わかっているはずなのに。
亡霊に縋るなんて、らしくないのに。
それでも求めてしまうほどに、霜は傷だらけだった。
霜が伸ばす手は虚空を掴むだけ。
なにも、触れることはない。
「……っ! ぁ、ぐ……」
遂に、躓いて、転んでしまった。
しかし起き上がろうというところで、気付く。
「ん……? え、あ……?」
一瞬、理解が追いつかなかった。
まず第一に、なぜこんなところに? という一般常識からの疑問。
次ぐ第二に、なぜこんなところに? という経験則に基づく疑問。
蛇足的に第三に、なにがあったのか、という状況に起因する疑問。
頭の中がぐちゃぐちゃになっているせいで、それらの問題をすぐには飲み込めなかった。
しかし答えの出ない混沌を抱えるあまり、この単純明快すぎる疑問は、霜にとっては一時でも苦悩を忘れることのできるものとなる。
状況を、整理する。
現状を、認識する。
そうだ。人が、倒れている。
幼い、恐らく自分より年下の、少年。
そしてその少年は、見覚えがある。知っている人物だ。
染めたり脱色した髪。無数のアクセサリーにチェーン。全身を走る刺青。
意識はない。眠っているようだ。
そしてその眠り姿は、妙に様になっており、それが在るべき姿だと思わせるようだった。
それもそのはず。なぜなら、彼の名は――
「――『眠りネズミ』」
なんかドロドロした話になってきましたが、こんなにドロついた話はたぶん今回まで……だと思いたいです。