――――
…………
……?
痛みは、なかった。
生きている……?
血生臭い匂いもない。
恐る恐る、霜は目を開く。
「……空、砲……?」
銃口は、眼前に。
しかし撃鉄は、上がっている。
確かに銃声は聞こえた。しかし、弾は一発も飛んでいない。
「
帽子屋が放った銃撃。
装弾数6発の弾倉に込められた弾は、各々5発ずつ。
その両方が、空砲。
「これが運命という奴か。愚かな選択も、一概に馬鹿にできんな」
帽子屋はふたつの銃を、そのまま懐に収めつつ、霜と眠りネズミに視線を向ける。
「オレ様とて民を無碍にしたいわけではない。これほどの結果を出し、なお抗う運命を手繰り寄せたとなれば、相応の裁定は下してやる。貴様の埋葬は先送りにしてやろう、眠りネズミ」
「……ありがとう」
「貴様に礼を言われる筋合いはない」
くるりと踵を返し、背を向ける帽子屋。
その背中に、霜は言葉を投げかける。
「……実子は、どうしてる?」
「む? 実子か。奴なら今頃、オレ様の夕餉を拵えているところだろう。まあいくら喰っても、全部腹から出てしまうのだが」
「実子のこと、頼みます」
「頼む、とは?」
「あいつとはまだ
「保証はしかねるが、俺も一宿一飯の義理、もとい寄生のための苗床が必要だからな。まあ、そう伝えておこう」
なんの感慨もなく、虚空と話すように言って。
帽子屋は姿を消した。
後に残されたのは、霜と、眠りに堕ちた鼠。
霜は寝息を立てて眠りにつく少年を静かに見下ろす。
「……ボクらしくもなかったな」
だけど。
これはきっと、
彼のように即決できるような勢いも、決断力もない。
きっと、時間はかかる。回答を導き出すために、思考を重ねなくてはならない。
それでも。
「見えてきたな――」
――ボクが導きたい、結末が。
☆ ☆ ☆
「あー……」
三月ウサギは、率直に言ってふて腐れていた。
いや、もっと直接的に形容べきだろう。
腐っていた。文字通り、魂も、身体も。
屋敷の外、不思議の国の門の手前、山の麓で、冬空を見上げる。
黒々と溶け出す皮膚、肉、骨。そんなものなど意にも介さず、彼女は空虚な虚空の空を見つめるだけだった。
「ヤりたい……」
と呟いて、首を振る。
「……うぅん。でも、ダルいわね。相手を探す気も失せるわ……」
王が消えた不思議の国は、完全に崩壊していた。
公爵夫人が残った者共を纏めているものの、もはや民に覇気はない。
多くの住人は国を出た。残った者たちは、ただ自我を失っただけだ。気力を喪失し、なにもできない抜け殻となっただけだ。
蟲の三姉弟、眠りネズミ、バンダースナッチ、ジャバウォック……皆、皆、いなくなった。
ヤングオイスターズも長女がほとんど腐敗している。ユニコーンやライオンのような弱小な民は無力でしかない。ハンプティ・ダンプティや公爵夫人だけでは、どうしようもない。
もはや、国も民も、詰んでいる。
かくゆう三月ウサギ自身も、そうだ。
愛すべき
自死しようという気すらない。諦める、という感慨すら湧かない。
ただ自分の内から溢れる欲望に苛まれながら、しかしてその欲望に支配されてもなお動かない身体を持て余すばかり。
情動が燻ったままだ。しかしこれを爆発させるような状況はない。
ただひたすらに、虚無。
きっと、女王が完全に目覚め、世界を終わらせる時まで、このまま、なのだろう――
「――それは異である」
声が、聞こえた。
「貴様らは、母の覚醒に立ち会う以前の話である」
男の声。
一瞬の期待。
しかしそれはすぐ、落胆に変わる。
「……なにあんた。妙にイケメンだけど……」
真っ白な総髪を流した、精悍な顔立ちの男。
腰に一振りの剣を携え、後ろには青い少女と緑の女を1人ずつ侍らせている。
――わかる。
白い姿をしているが、その本質にある“黒”が見える。
女王の性質を色濃く受け継いでいるが故なのか。
本能が告げていた。
「あんた……いや、あんたたち、なに? 僕らのお仲間?」
「流石にわかるか。『三月ウサギ』。貴様は母の愛を多く授かっているのだな」
「は?」
それはきっと何気ない言葉だったのだろう。
しかし、たったそれだけのことでも、三月ウサギの胸中で燻っていた火種が、爆ぜた。
それは彼女にとっての逆鱗だ。
「なッにが愛よ! こんな中途半端な身体だけ寄越して投げ捨てて! それが愛ですって? ざけんじゃないわよ!」
「……愚かな」
「そうね。鳥が羽ばたくことを嘆くことがあるかしら。魚が回遊することへ怒りはしない。獣は獣としての生き様があるのよ」
「メルちゃん的にはわからなくもないのです。でもリズちゃんの言ってることはよくわからないのです」
「はぁ……?」
あまりに奇妙な3人組に、三月ウサギの頭も冷える。
なにか奇妙で、不気味だ。
自分達と同じようで、なにかが違う。
「……なによあんたら。なんなの? 言っとくけど、今この国は亡国よ。王様もいなくなっちゃったわ」
「知ってるのです。ちゃーんとリサーチ済みなのですよ!」
「? じゃあなんの用なワケ? そもそも、あんたたち、何者?」
「あぁ、そうだな。貴様らは愚かしく、浅ましく、邪悪にして罪深き異端者。しかして同じ母から産み落とされたという事実は変わらない。なればこその儀礼として、私が名乗りを上げるべきだろう」
毅然に、そして冷酷に。
これが自分の正道だと、正義だと、正統だと、信じて疑わない潔白さで。
高らかに、己のあるべき姿を示す。
「【死星団】が
白の男――ミネルヴァは、剣を抜く。
切っ先を三月ウサギに突きつけ、そして。
光が、翳る。
「姫を傷つけた罪深き淫欲の獣よ。貴様と、そして貴様ら反逆の落し子共の、粛正の時間だ」
「ッ……!?」
淡い月の光が輝く世界。けれども重く昏い。
三月ウサギの本能が、告げている。
不思議の国が、侵蝕されている。
――否。
あるべき原初の森に、戻されつつある。
塗り潰されているのではなく、巻き戻されているのだ。
見たこともない世界に、落し子としての帰巣本能が刺激される。
ありもしない懐かしさを感じてしまう。
そこが自分の帰るべき場所であると、誘われているような――
「――ざっけんじゃないわよ」
ぶちり。
三月ウサギは、黒く溶け出し膨れ上がった己の肉塊を一掴み、引き千切る。
落し子としての身を投げ捨て、踏み躙る。
それは忌むべきもので、唾棄すべきものだと、母の恩寵を受けた者共に見せつける。
「ここは帽子屋さん治める国、そして僕たちの家よ。お母様と言えど、建て替えなんて許さないから!」
彼らは同族。しかし自分達の居場所を蹂躙する害敵だということも、理解できた。
ならばここにいる獣は、らしくもなく門番となるしかあるまい。
溢れる情欲で牙を研ぐ。燻った情熱を動力に、三月ウサギは起爆する。
母からの迎えだか、使者だか、簒奪者だか知らないが。
すべて喰い潰すまで。
「……主命を執行する。此なるは傷心の姫の
男は祈る。母へと、神へと、黙祷を捧げる。
守るべき律に従い、信奉する彼女たちの慈悲の代行者として、断罪の剣を振るう。
「姫なりし母に代わり、私が貴様を、月の光も届かぬ神殿の底へ閉ざさん――」
前書きの通り47話、ここでひと区切りに、できるのですけど、どうしようか悩んでいます。
次話もこれの続きみたいな話(の予定)なので、このまま47話として続けてもいいと思う反面、一話の枠にするならこれが収まりが良さそうにも思える。
普段ならこれを前篇、次を後篇とかにしたのかもしれませんが……分割投稿の思わぬ罠ですね。
まあそんな区切りで悶々とするのは作者だけなので、読者の皆様はお気になさらず。タイトルがどうなるのかってことしか影響しませんので。