青の少女は、単身で屋敷に乗り込んでいた。
既に不思議の国の領土すべては掌握している。山の構造も、屋敷の間取りも、誰がどこにいるのかも、すべて認知している。
ほとんどの住人は蒐集した。屋敷から逃げ出した者共はミネルヴァとシリーズが狩っている。それでも何人か逃してしまったが、それは大きな問題ではない。
この不思議の国という領土そのものが重要なのだ。今、シリーズがこの国を、母の、女王のための王国に作り替えている最中。それが完了すれば、あとは必要なものを引っ越すだけ。
母を覚醒させるために必要な土壌を作り、土台さえ固めてしまえば、散った残党を刈り尽くす程度は造作もない。片手間の仕事でできることだ。
とはいえ、少女からすれば、それは少々物足りない。
単調な作業で目的を為せるのなら、効率の面でそれは悪くないのだが、もっと効果的で刺激的なものはないか。
そんなことを頭の片隅で浮かべながら、彼女は見つけた。
「おや? おやおやおやぁ?」
廃棄されたゴミのように、打ち捨てられた残骸のように、見捨てられた亡者のように、それはベッドの上に横たわっていた。
辛うじて人の形はしているが、それはおよそ人の姿をしていなかった。
肌は黒く溶け、気泡のように膨らんでいる。腕も脚も海藻のように広がり、伸びきっており、だらんと垂れている。
身体はふやけ、そわくちゃになり、纏うはドロドロの黒泥そのもの。
辛うじて人間としての貌だけを残し、“彼女”は苦悶の呻きをあげる。
「ァ……ゥ、ァァ……」
「これは、ヤングオイスターズの長女さんなのです。これはまあ随分と、ご立派になったものなのです」
若垣
その姿は、ほとんど人間としての性質が剥げ落ち、
重病人のようにベッドに寝かされているところを見るに、ヤングオイスターズたちはギリギリまで彼女の看護をしていたのだろう。自分自身でもある長女に生きていて欲しいと願い、最後まで救おうと努力していたのだろう。
しかしここまで先祖返りが進行しているということは、恐らくその看護は無駄だった。精神的にギリギリだったヤングオイスターズの長女は、女王の起動と帽子屋の失踪、不思議の国の滅亡によって遂に精神が崩壊し、人間としての姿を保てなくなった――いや、それだけではない。
(それ以前に寿命だった、と考えるべきなのですね。ヤングオイスターズとは若牡蠣、一定の若さを超えたら存在を保てないということだったはずなのです)
寿命が迫ったことによる存在そのものの限界、そこに精神的な強い衝撃が重なり、心身共に潰れてしまった結果が、これなのだろう。
展望のない未来。希望のない国。耐えられない苦痛。救いのない生。
それを味わった瞬間、ヤングオイスターズは寿命と重なり潰れた。若さを失った。
若いとはなにか、ということはなにか。年齢で区切りをつけるのは簡単で確実だが、実際のところ、それは曖昧な線引きをわかりやすく簡略化したにすぎない。若さなどというものは、どう定義しようが、曖昧なものである。それが事実だ。
指標として“未来への希望”が、若さの根源のひとつなのだと仮定しよう。老い先短い、という言葉の逆相として、若いとは遥か長き未来を考えること。
その未来を考えることができない。考えるべき未来が黒く塗り潰された。そう感じた瞬間、そうだと信じた瞬間、若さという概念は喪失する。
未来がないということの絶望が、どれほどのものか。それは、寿命を迎え、存在自体が消えかかっている目の前の若牡蠣――若さは喪っているが――を見れば、一目瞭然だ。
「回収するまでもなく壊れちゃったのですか。これはこれは、残念なのです。流石にこんなゴミ拾っても、お姫さまとしても困っちゃうの――」
と、言いかけたところで。
少女は閃いた。
「――うふふっ。メルちゃん、ピコーンと来ちゃったのです!」
少女はヤングオイスターズへと顔を近づける。ヤングオイスターズからは、化生のような呻き声が聞こえるだけで、こちらを認識しているのかすら怪しい。
しかしそんなものはどうでもいいのだ。消えていないのなら、それで十分。
十分――“利用価値がある”。
「未来がないなんてとんでもないのです。あなたにはまだ、先があるのですよ、ヤングオイスターズさん」
少女の顔が、笑に歪む。
子供が大好きな玩具を見つけたような貌で、笑う。
「安心するのです。あなたはあたしが、しっかりと“再利用”してあげるのです――」
メルちゃんがまた邪悪です。