「せーあつかんりょー! なのです!」
【不思議の国の住人】の旧住居。山中の広大な屋敷に、三つの人影。
小柄な青い少女が、溌剌に片腕を振り上げた。
「ふふん。あたしたちに掛かれば、出来損ないを追っ払って新居獲得くらいお茶の子さいさいなのですね!」
「然り。確実にこの地を手にするために、戦力の60%をも駆り出したのだ。占拠できなければ困る」
「ミーナさんは堅実なのです。なんにせよ、後はお姫さまを護送するだけなのですね」
「あぁ。これで最後、気を緩めるなよ」
「なのです。でも、あっちのお家にいるのって、リオくんとディジーさんですよね? 大丈夫なのです?」
「ディジーはともかく、ヘリオスは……どうだろうな」
「彼なら平気よ」
白い男に、緑の女が静かに語りかける。
「彼は、彼の思うままに動くだけ。それが彼に与えられた役割なのだから」
「私が奴に下した命を、奴がまともに全うした覚えはとんとないのだがな」
「役目ではなく、私が言っているのは役割よ」
「持って生まれた資質というものか。君のその主張は、いまいち飲み込みきれないな、リズ」
「いいのよ、それで。あなたの役割は、森を見ることではないもの。理解する必要はないわ」
「…………」
女の不透明な物言いに、男は黙殺する。
同じ母の胎から生まれた者同士だが、彼女の思考はいまいち掴みきれないところがある。
【死星団】の末子。五番目に輝く最低等級の星でありながらも、特権的な力――否、哲学を有する落し子。
最も母に近く、超越的な視座を持つ彼女にはなにが見えているのか。
それは【死星団】を取り仕切るリーダーであるミネルヴァにも、計り知れない。
「……まあいい。ひとまず、整地を進める。リズ、頼めるか?」
「えぇ、そのために私はここにいるのだから。この地を
「然り。地脈的にも風水的にも、この地は母、そして姫との親和性が高い」
「女王さまもお姫さまも、効率的に育めるというわけなのですね。環境整備は大事なのです」
「リズ。聖地完成まで、どのくらい時間が掛かる?」
「獣の縄張りが奪われるのは一瞬よ。けれど、植物の縄張り争いは獣とは違う。水を求めて張り巡らされた根は深いわ」
「は? リズちゃんなんなのです? なぜそんなに、いちいち意味不明なのです?」
「……時間が掛かる、と言いたいのだろう」
「回りくどいのでーす」
ぐちぐちと文句を言うのを、リズと呼ばれた女は一切に介さず、木に一本一本触れて、黒く染めていく。
「これまーじでだらだら時間掛かるやつなのです。ただ待ってるのは時間の無駄なのですね。ミーナさん、どうするのです?」
「具体的な時間はわからないか?」
「あなたは苗木の一つから森が繁茂するまでの時間を答えられるかしら」
「……ひとまず、リズの応答を待つとしよう。その間、我々は本来の使命に準じ反逆者共を狩る」
「らじゃーなのです! 次のお相手はお決まりなのです?」
「当然、目星は付けている。狙うべきは厄介な力を持ち、捕縛の優先度の高い民」
それは、即ち――
「――蟲を、獲りに行くぞ」
☆ ☆ ☆
「ふぁーぁ……よく寝たぜ……」
「おはよう、今は夜中の11時、つまり23時だよ。子の刻だね」
「お、いい時間じゃねーの」
「寝て起きてくる時間ではないけどね」
霜が公爵夫人のマンションに退避してから、2日目の夜。物思いに耽っていると、ヤマネが起き出してきた。
昨日から今夜まで、比喩でも誇張でもなく1日中眠りこけていたので、このマンションに来てから言葉を交すのはこれが初めてだった。
「腹減ったな……なんかねーの?」
「カップ麺、缶詰、レトルト食品、
「しょぼくれてんな。かーちゃんのメシが恋しいぜ」
「母親? ハートの女王?」
「おめーのかーちゃんだよ」
「あぁ……」
納得しつつ、霜は戸棚からいくつか食糧を並べる。
このマンションが隠れ家という表現は正しく、保存食に保存水と、籠城戦でもするのかと言わんばかりに、長期的な視点で選ばれたであろう品々ばかりが備蓄されていた。
「状況が状況だから、流石に外に買いに行くってわけにもいかなくてね。ボクは裁縫はできても料理はできないし」
「しゃーねーかー。カップ麺食うわ」
「はいどうぞ」
適当にカップ麺をひとつ手渡して、電気ケトルに水を入れる。
深夜のカップ麺……酷く背徳的だが、彼は昨日からなにも食べていないので、霜はなにも言わないことにした。
「そういや、ヤングオイスターズの兄ちゃんたちはどこ行ったんだ?」
「あぁ……仲間を探しに行ったよ」
「仲間ぁ?」
「国を去った住人、だっけ? えっと……」
そういえば霜が朧と話している時、彼は寝ていたのだった。狭霧には朧から話を通しているはずだが、ヤマネは今後の自分達の方針を知らない。
霜はこれまでの経緯を、カップ麺が出来上がるまでの間に、掻い摘まんで話す。
「――というわけで、ボクらはそのハートの女王とやらに抗うために活動することにした。もはやレジスタンスだね」
「レジスタンス……カッケェな。バッドだ」
「そこか?」
あまり笑える状況ではないんだけどね、と言いながら霜はカップ麺にお湯を注いでやる。
そう、まるで笑える状況ではない。
いつ襲撃されるか分からない脅威が常に付きまとう。そのため、下手な外出もできない。食糧だっていつまでもつかわからない。行動が大きく制限されるストレスに、圧倒的情報不足、戦力不足。これが乱世の世なら敗戦は決まったも同然だ。
しかし、そんな絶望的状況でもなお、諦めずに抗うからこそ、レジスタンスなのだ。
不利でも困難でも、今できることからひとつずつ、着実に。
弱い種が、大いなる脅威に立ち向かうには、その小さな一手を積み重ねなくてはならないのだ。
それが、弱者の意地と定めだ。
「だからまず、不思議の国を去ってしまった仲間の中から、有力な人材から順に探し出してレジスタンスに引き込むつもりなんだ」
「……クサレ帽子野郎を連れ戻したって、また腐るだけだっつーのにな」
「それについては、ボクからはノーコメントだ。まあ朧さんは「帽子屋さんならしばらく放っておいても大丈夫だろう。もっと緊急性と有用性の高い人を呼び集めないと」と言っていたけどね。君らのリーダー、なんだか頭目というわりには扱いが良くないよね」
「はんっ、帽子屋だからな。たりめーだ」
カップ麺の蓋を勢いよく開けて放り投げるヤマネ。それを拾い上げてゴミ箱に捨てる霜。
中心的人物なのに、随分な扱いだった。忠誠心とかないのだろうか。ないのだろう。
「……しかし、頭目よりも緊急性と有用性の高い人物って、誰だ?」
「ずるずる……そりゃぁ、決まってんだろ。虫けらどもだろうよ」
「虫けらって……あの人たちか」
教師や購買店員や用務員として学校に現れた、蟲の三姉弟。
特殊な“眼”を持つ彼女たちを、朧は探しに行ったのだろうか。
「重要人物っぽいわりに、虫けらとか結構酷い物言いだよね。こっちもこっちで」
「虫なんだから虫けらっつっても間違いねぇだろ。みんな言ってる。僕も言ってる。本人も言ってる。So tell!」
本人らが自称してるのなら、いいのだろうか。尊敬の念とかはなさそうだ。親しみはありそうだったが。
ずるずるとカップ麺を啜るヤマネをよそに、霜は月を見上げる。
「朧さんは大丈夫だろうか……」
僅かに歪む半分の月が、煌々と宙に輝いていた。
リハビリ兼ねてここまでゆるりと話を進めていたけれど、次回くらいからそろそろ話を動かしていくよ。