その暗闇に溶け込んで   作:地衣 卑人

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少年少女と薔薇の花

 

 一輪の花。それは、僅かに覗いた肋骨の上、背骨に絡み。本来ならば、首から下。白の覗いた骨格のそれと同じ、人間の頭部……皮や、肉が張り付いているかなどは、想像上の面、空想上の貌。俺が、知るはずなんて無く。

 赤く赤く。薔薇の花に似た。人の頭部を飲み込むほどに大きく。白と黒の世界の中で、この眼を刺した赤い色。場違いな程に鮮やかな。鮮明な。視界を、瞳を、結ぶ像を。切り裂くように赤く、赤い。

 

 連続する白と黒。並んだ正方形が続く続く床の上で二人……若しくは、一人と一輪。白のドレス、黒の燕尾服。白のタイルに黒く立ち、黒のタイルに白く佇む、恐らく、彼女、その姿に、盤上の駒。追い詰められたその光景を重ねて。重ねた所で、彼女は。俺の首に手を伸ばすことも、また、俺自身。彼女に向かって拳を握ることも出来ず。互い、互いに動かぬまま。盤の上で二人。一人と一輪。言葉の一つ、足音の一つ響かせる事なく、向かい合って。

 

 

 此処に住まうは、この城に住まうは、一人の女であった筈。そして、それは、俺の元に舞い込んだ……半ば、強引に握らされた、縁談の相手、その人の住む城。書きたくも無い手紙は、気持ちの一つも籠りはせず。添える事を強いられた薔薇の花が滑稽で。返された手紙も、また。薔薇と共に。思いなど欠片ほども無い……否。

 そこに、俺は。彼女の。強い思いを読み取って。顔も知らぬ。言葉は疎か、手紙の一つ。交わしたことのない相手等と。俺と同じ、同じ思いを。

 

 そして、そして。呼ばれたのだ。彼女に、俺は、この城に。あまりに不自然な深夜。二人切りの密会。一人で会いに来るようにと。顔も合わせた事のない。情の欠片も……もしかすると。俺が、抱いたように、彼女も。相手に対する同情の一つ。短な生、まだ、誰かと共に生きる意味も知らなければ、覚悟もない。何も知らない者同士、知らないまま放られた者同士……しかし、その程度。

 

 互い、互いに。親の金、親の財産、それは、この身、この心までも。手の中で、指の先で。弄ばれた駒が唯、連続する白と黒。並んだ正方形が続く続く盤の上に落とされただけで。色は要らない。相手は白で、俺は黒だった。定められたように動くだけしか求められてはおらず、それ以上の意味など。

 

 

 彼女が、動く。目鼻口すら見当たらぬ……大きく一つ、赤い花は、スカートの端を摘まんでお辞儀をし。ぎこちなさの一つも無い。歪な姿と不釣り合いな程に、酷く自然なカーテシー。つられて俺は右足を引き、右手を前に。体に添えて。引くことなど、許される筈もなく。自ら背を向けるつもりさえなく。伸ばされた手は、伸ばした手と。重ね、重ねて、引き合わせ。

 繋がる手と手。人ではない。魔性の者に触れ。その姿を。その正体を見極めようと。回る回る視界、白と黒が線を引いては、輪郭をぼかし、その。中央に踊る赤に呑まれて。

 

 不思議と。恐れは、恐怖は無く。薄皮一枚を隔てた指先、肘まで覆うレースの先。只々冷たく、僅かに蠢く指先は。白く白く。肉と、皮の残った腕、タイルの上を滑る爪先、広がるスカート、覗く肋骨。そして、何より。

 俺を見上げる。俺を見据える。こうして、重なり、近付けば。俺より、頭一つ小さい……一輪の花に視線を奪われ、囚われて。

 体に走る微かな震え。心の昂り、恐怖にも似た。異形に対する恐れではない。それは、そう。触れてはならない。何処までも脆く、細やかな、ガラス細工を指先に置いた……置かされた。決して振り解く事の叶わぬ。力付くで振り払うことは疎か、力を込めることさえ許されない。一つ、加減を間違えたならば、指先で崩れ、手のひらから零れ。黒白と渦巻くその先へと、落ちて、呑まれ、二度と届かぬ場所へと消える。消えぬ、ようにと。手を放さぬようにと抱き寄せた彼女は、軽く。花首を曲げて、真っ直ぐに見上げる。何処から伸びるかも知れぬ。しかし、確かに絡んだ視線の先で、彼女は。表情一つ無く見上げる彼女は、静かに、そして、愉快げに笑い。また、逃げるように腕から離れて、指先を重ね、回り回って。何かの欠片が何処かに落ちるも、そんなことなど気にもせず。

 

 お前は何なのか、と。思わず問えば。返されるそれは、言葉にもならない。くすりと一つ、小さな。小さな笑い声を零して。しかし、それだけ。求める答えなどは無く、彼女が一体、何なのかなど分かりもしない。唯、唯、楽しそうに、愉快そうに。俺の手を取り、床を蹴って。

 言葉を交わす意味など。どうせ、口先だけ。耳触りの良い言葉しか、教えられてなどいない。ならば、ならば。いっそこうして。

 

 色のない世界で唯一の色。盤上には要らない花の色。赤く赤く、眠気に満ちた深夜、脳を揺らして目を覚ます……脳を溶かして、眠りに落とす。酷く現実感の無い世界。目に映る姿、踊る姿、そして、繋いだ手から伝わる冷たさ、軽い体。表情の一つ、言葉の一つさえ無くとも伝わる、高揚、感傷、微かな恥じらい。異形、異彩、人のそれとは掛け離れても尚、それは。彼女は、紛れもなく、一人の少女で。

 

 欠片が舞い散る。それは、何か。先よりも多く。剥がれ落ちては盤上に。落ちては消え、それが。何であるかなど、確認することも。確認する気さえ起きずに。舞い落ちる小さな破片、何処からか伸びる茨の檻。黒でもなければ、白でもなく。灰の色でもない。青々と蠢く、茨の蔦。その先にはやはり、赤く赤く、薄く色付く花弁が重なり。

 

 

 もう、逃げられはしない。逃げようと思った所で、もう遅い。向かい合った時点で既に、進むことも退くことも叶わずに。そして、今更。逃げようなど。そのような思いが湧き出す訳も無く。

 灼けた思考。崩れ行く現実。また、指先で一つ回って。飽きもせずにくるりくるりと。軽く跳ねては此方に重みを、その身を預け。また、視線を交わして体を重ね。

 

 破片は。もう、剥がれはしない。此処に来てやっと。あれが、何なのかを知り。知っても、大した感傷も無く。彼女の姿に近付いたこと。彼女に見合う姿となったこと。血の一滴すら流れず。全ての赤は、花の色。白と黒の壁を覆い隠した茨の柵、その緑の中で咲き。黒の服、白の服。肋骨の上、背骨に絡み。彼女、彼女の姿と同じ。

 

 剥がれ剥がれ落ちた体と赤い薔薇。近付く夜明けの気配など気にも留めず。二つの薔薇は、茨の城。飽きる事なく、踊り続けて。

 

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