その暗闇に溶け込んで   作:地衣 卑人

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瓶詰め

 狭い、狭い。小さな部屋。私の部屋。小さな本棚、木の机。寝台、枕元に積み重なった縫いぐるみの群は、何処か。暗く、暗く。灯りの一つも灯らない部屋、その虚空へ視線を落とし。

 夜明け前の静寂、机の端。積み重なる本の影。照らすのは。

 

 

 柔らかな光。暖かな光。暗い暗い部屋に浮かぶ机上に、淡く滲んだ硝子の影。

 冷たい。冷たい。瓶の中に閉じ込められた。瓶の中に閉じ込めた。それは、他でもない。私が選び。押し込ませた、否、押し込んだ。光を放つ、人の影。

 輝く羽。人の形。少女の形。それは、蝋燭の先で揺れ震える、小さな灯火を掻き集めたよう……

 

 いや。実際に、彼女は。蝋燭の火。暖かな炎。人の身、人の肌。私のこの指で触れたならば、熱く、熱く、焼き焦がし。否。

 この指、この身が。焼かれる様を。見届けることが出来るほど、私の意思は強くなく。この、瓶越し。硝子越しに見詰め、見詰め返されて。混ざり合った視線、組んだ腕、顎を埋め。机に突っ伏した私を見詰める、小さな姿。

 

 私が彼女を買った。その時と同じ、変わらぬ姿。暗がり、暗闇、人気(ひとけ)の無い。酷く怪しい見世物小屋で、半ば、迷い込むように。戸を潜り、歩を進め。並ぶ人々、硝子の水槽……私には、理解の出来ない。何らかの仕掛けの施された、硝子張りの箱の中。

 色取り取りの小さな姿。光輝く、それ等の中で。震え、怯えて、弱々しく輝く。彼女等の中で。

 私を見詰めた、小さな姿。

 

 

 灯りを点けることもなく。顎に感じる、机の冷たさ。彼女の温もり。言葉を持たない彼女の思いすら、私は知らず。知らないまま、小さな瓶に詰め込んだ。唯々、彼女を欲し。唯々、私の欲に駆られて。乾いた紙幣と、引き換えに。明るく輝く瓶をこの手に。彼女の思い、心から。目を背けたまま封をして。

 

 

 呆と。唯々、呆と。揺れる、揺れる。熱を抱いた彼女の瞳と。視線を絡ませ。

 そして、やはり。何をすることも無く。何を、語りかけるでもなく。彼女を。彼女の入ったこの瓶を、見詰め続けて。そんな私に、首をかしげ。硝子の裏側、押し付けた手のひら。瓶のそこに座り込み、透明な壁に重みを預けた。小さな小さな、火の精は。

 その、顔に。こんな、私に。優しげな、温かな。笑みを、浮かべて。

 こんな瓶など。一時的な拘束、弱い拘束。本来ならば、更に強固な。彼女等を捉える為の籠、足枷、鎖で繋ぎ。それすら行なわず。唯、あの場で。譲り受けたまま、その場凌ぎの拘束、瓶の中。見世物小屋からこの部屋まで、運ぶ為だけの瓶の中。

 

 逃げ出そうと思えば、きっと。すぐにでも飛び立てる。

 焼き殺そうと思えば、きっと。私のこの身一つなど。彼女に掛かれば、いとも容易く。

 

 なのに、彼女は。変わらず微笑む、小さな少女は。逃げることもなければ、私を。責めることさえ、しないまま。唯々、其処に在り続けて。

 対する、私は。薄く、瓶に映る。長い黒髪、女の顔。私の顔と重なった、私のそれよりずっと愛らしい、その顔に。私が恋した、その顔に。手を、伸ばし。

 固く、滑らかな。それを通じて指先に伝わる、微かな熱。彼女の頬には、届かず。熱を抱いた冷たい硝子に阻まれて。脆く、分厚く、透き通った。しかし、触れることさえ叶わない。瓶の底へと、彼女を押し込んだのは私だと言うのに、また。身勝手な欲は。この胸の底を焼き、焦がして。

 

 

 いつまで。こうしているのか。

 いつまで。私は。彼女を捕らえ、見詰め続けて。

 

 

 火の妖精の瓶詰め。燃え滾る人型。揺れる輝き、揺蕩う影。

 しかし、もう。瓶詰めは。硝子越しは、もう。

 

 

 終わりに、しようと。彼女を空へと放つ、その、前に。最後、最後に。一度だけ。微かに震える指先を。彼女を詰めた、瓶の蓋。コルクに伸ばして。何をするかなど。理解出来ぬと言った様子の、彼女の顔に、笑い、笑い。栓を、抜いて。

 

 封を解かれた透明な牢獄。丸い瓶口、蠢き押し入る、私の指、手。手の平よりも尚小さい、彼女にとっては。きっと、蠢き近付く私の指は、手は。(おぞ)ましいことこの上なく。しかし、それでも。

 彼女は。熱い、彼女は。身動ぎさえせず。私の指に絡まれて。

 

 

 掴むことに躊躇する。震える体を、空いた片手で押さえ付けても尚。彼女の体に触れることを、私は、私の体は拒絶して。歯を食い縛り、髪を撫ぜれば。指先に伝う、激しい痛み。恐怖。それでも。

 

 触れたくて、触れたくて。触れるならば、今しかない。今しかないのに、触れることを拒む体に。感じる恐怖に。これだけ恋い焦がれても。触れることさえ出来ない悔しさに、涙が溢れ。そんな私を、彼女は、彼女は。

 やはり、優しげに。何処か、寂しげに。見詰め、見詰めて。私の手を避け、瓶の外。私の前へと、躍り出て。

 

 硝子越しではない。直接見た彼女は、やはり。何処までも。私が求めた、恋い焦がれた。その貌、姿、輝きを抱いて。抱いた輝きを。曇らせることも無いまま、私の。

 

 

 私の頬に、口を付け。

 

 

 本の一瞬感じた熱さは。触れた唇、熱を受けて霧散する雫。流れて落ちた涙の雫、その上から、彼女が。私の頬に口付けたのだと気付く時には。見開いた目の先、変わらず笑う、小さな笑みがあるばかりで。

 胸の奥で渦を巻いた。私の思いが温もりに消え、彼女の笑みに掻き消され。その柔らかさに溶かされて。

 閉じゆく瞼、抜ける力。既に解けた封、逃げれば良いものを。瓶の淵、僅かに高いその場所から、机に重みを預けて沈む、私を見下ろし、微笑んで。

 何処にも。置いて行ったりはしないと。幼子へ語り掛けるように。彼女は唯々、笑い、笑い。

 

 暖かな輝き。優しい光。その、小さな灯りに、見守られ。

 私の意識を。そっと、放った。

 

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