暗く静まった意識。その穏やかで心地よい環境に外から刺激が加えられる。
「――――」
なんだろう。もう朝なのだろうか。再び何も始まらない、あの殻に閉ざされた一日が始まるのだろうか。
そう意識と呼べるかもわからない脳の片隅で考えるが、そんな時間も外界は許してくれない。
「起きてください! スバル君!」
目を開けるとそこには青髪の少女、レムの顔があった。
「どうしたんですか、いつも寝起きは悪いですけど、流石にこんな時間まで寝ることはないですよ?」
スバルが目を開けたことを確認したレムは、覗き込むようにしてベッドに預けていた体重を戻した。見れば手には小綺麗に手入れされた箒を持っており、使用人としての仕事の傍らスバルを起こしに来たのだということが見て取れた。
「ふあーー」
スバルは片目に涙を溜めつつ精いっぱいの伸びをした。
「ごめんレム、わざわざ起こしてもらってるのに」
少し腫れぼったい目を擦りつつ隣に立つ少女に向き直り、謝辞を言う。
この世界に来て一か月ほど経った今、スバルはロズワール邸にて使用人見習いを務めている。元々する必要もなかったことなのだが、様々あってやはりこの位置に収まった。
元々この屋敷は大きさに対して住人の数が少なすぎたのだ、したがって使用人の数も優秀な双子のメイドで十分事足りてはいたのだが、それでもスバルは一人前の使用人になるべく先輩から教えを頂いている。
「私は全然構いませんよ。毎朝スバル君の顔を見れるのは言うまでもないですし、ちょっとくらい手がかかるのもかわいいです!」
満面の笑みで言い切った少女に、寝起きで本格始動前のスバルは苦笑しか返せない。
「でも……」
レムの表情が暗くなる。
「ここ数日のスバル君は確かに、使用人見習いとしては少々だらけすぎかもしれません。もちろんレムはあの事件の事もありましたし、全然問題ないとは思うんです。実際、ロズワール様も気にしてはいらっしゃらないようですし……」
問題はある。それはこの屋敷の当主に心酔している、双子のもう一方――
「ラムお姉さまも、この一週間は多めに見ていた様子でした。でも流石にそろそろ、スバル君も怒られてしまうかもしれません」
例え当主が気にしなかろうと、妹が陶酔している相手であろうと、あの姉には関係ない。いや、むしろ悪い。
元はといえばここ最近気が緩みすぎているスバルが悪いのだが、ラムもあの魔獣の件の貯金はそろそろ終わったと考えているらしく、最近は目に見えて態度がとげとげしくなっている。
「そうだよなぁ……。ラムは最初っから当たりが強かったけど昨日とか特に恐かったもんな……」
思い出すだけでエミリアのいるこの館が辛い場所に思えてきてしまう。
「それはスバル君が、ロズワール様とベアトリス様の食事を間違えて出したからですよ」
ベアトリスの皿は少し小さめ、そして野菜少し少な目なのだ。
「それにしたって、俺が食べてる間ずっと向こうから睨んでくるんだぜ? お前の姉さま恐すぎるぞ」
そう言いつつ、今日も今日とて使用人見習いの仕事は続くのだ。緩慢とした動きでベットから脚を横に出すと、レムは二歩引きスバルの立ち上がる空間を作った。
「大丈夫、スバル君には私がついてます。さあ、早速姉さまが下で待ってますよ」
笑顔で言われた言葉に、スバルの血巡りの悪い顔は更に青くなるのだった。
「どうしたのスバル?」
風鈴がなるような透き通った声。スバルはその相手になんの警戒もなく愚痴をこぼす。
「いやいや聞いてよエミリアたん。最近俺ってばなんだか疲れてるみたいでさ。なんていうか、元気が出てこないんだよね」
「えー。スバルは十分元気に見えるけど……」
そんなエミリアの視線の先には高速で机を磨いている燕尾服の青年、スバルがいる。生地を傷めない様注意しつつ、最高の速度で目の前に広がる白の荒野を全身運動で磨き上げる。屋敷に来てから半月ほど経ち、こと掃除に関してはだいぶんと要領がつかめてきたスバルであった。
スバルはエミリアの声を背中で受けつつ続ける。
「そんなことないって。今朝だってレムに四回起こされてようやく起きたくらいだし、それで下降りたらラムに嫌味言われるしよ……」
『村の子供たちの方がきっと手がかからないわね』
隣のレムが苦笑していただろうと言う事は見なくても分かった。
確実に言われるだろうと予期していても、ボディーブローのようにじわりじわりと心を気付つけてくるあの少女の言葉を胸に、スバルは一心不乱に机を磨く。
「もー、スバルだってわかってるんでしょ。ラムは素直じゃないんだから、本当は、きっとスバルに立派な使用人になってほしいのよ」
エミリアは寄りかかっていた壁から離れ、日が差し込む窓辺に移動する。
「いや、まあそれは当たってると思うけど」
ラムとしては、恐らくスバルが一通りなんでもこなせるようになり作業効率があがり、毎日のティータイムの時間が伸びていくことを望んでいるのだろう。きっとそうだ。
「じゃあどうしてラムばっかり目の敵にするの?」
「いや、目の敵にされてるのは俺だよ? エミリアたん」
スバルが掃除の手を止め、エミリアの間違いを冷静に正したところで背後から声がした。
「誰が目の敵にしてるって? バルス」
思わず「げっ」っと言いそうになるのを堪えて振り向くと、そこには妹に比べて大分人を射殺すことに特化させられた瞳の少女、ラムがいた。
「あら、ラムじゃない」
エミリアがなんの負う気もなく声をかけたのに対して、スバルはそうもいかない。なんといっても間が悪く、本人の目の前で陰口のようなものを言っていたのだから。
「いや、それは話の流れで言っただけでな……。別に俺から言ったわけじゃねーんだぞ?」
「そ」
スバルは若干気おされている感覚はありつつも、臆さず言った。しかし赤髪の少女は元からさほど気にしていなかったらしい、スバルの横を通り抜けてエミリアの居る窓際に向かった。
「――――」
「――――」
最初の数言を聞いて、二人の会話は特に自分に関係ないとすぐ悟った。
そしてスバルは再び机を拭う手を動かしつつ、先ほどとは違う明らかな居心地の悪さを感じるのだった。