夏休みに入って数日後。俺は旦那様のお見舞いに行くために、更識家の玄関で靴を履いていた。
「今日は風月さんのお見舞いだったわよね?」
背後から声をかけられ振り返ると、私服姿の楯無さんが立っていた。
「ええ、リハビリも順調らしいので、どんな感じか見に行こうかと」
「…もしよかったらなんだけど、私も一緒に行ってもいい?」
「楯無さんが、ですか?」
少し意外だった。
もちろん断る理由はないが、わざわざ一緒に行きたいなんて言ってくるとは思わなかった。
「ダイチ君にはいつもお世話になっているからそのお礼と挨拶もしたいし…」
そこで楯無さんは少しだけ目を伏せる。
「それに、直接謝りたいこともあるから」
その言葉で何を気にしているのか察する。
「…雪菜様の件なら、旦那様は気にしていないと思いますよ」
「それでもよ。これは私自身の問題だから」
その声は珍しく、生徒会長でも更識家当主でもない、1人の責任感の強い少女のものだった。
そこまでの決心を無碍にすることなど出来るはずがない。
「分かりました。一緒に行きましょう」
「うん、ありがとう」
_______
病室の前に到着する。
コンコン、と軽くノックをすると中から穏やかな声が返ってきた。
「どうぞ」
俺たちが病室に入ると旦那様は読んでいた本を置いて笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、ダイチ…と珍しいお客さんだね」
「お久ぶりです、風月さん」
緊張した様子で楯無さんは挨拶をする。
「まあ、立ち話もなんだしどうぞ座って」
勧められた椅子に座ると同時に楯無さんが頭を下げた。
「風月さん、本当に申し訳ありませんでした」
「一体どうしたんだい?」
穏やかな声。だが、その優しさがかえって楯無さんを萎縮させているようにも見えた。
楯無さんは膝の上で手を握りしめながら、言葉を続ける。
「雪菜ちゃんがISに襲撃された件です。更識家として、日本の暗部として情報を収集する立場にありながら、事前に動きを察知できなかった……それだけに限らず、その後も風月さんをこんな目に合わせてしまっている」
病室に静寂が落ちる。
「もちろん相手が一枚上手だったと言えばそれまでです。ですが、あれだけの規模のテロを許した責任は私にあります。だから_」
「楯無さん」
静かに名前を呼ばれ、楯無さんは言葉を止める。
旦那様は困ったように笑っている。
「まず一つ訂正しよう。あれは君の責任じゃない」
「ですが_」
「いいかい?暗部は万能じゃない。全部を防げるなら、そもそも裏社会なんて存在しないんだ」
優しい口調だった。しかし、その言葉の裏には長年裏の世界で生きてきた人間の重みがあった。
「それに、あの時君
楯無さんはしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく首を振った。
「……でも間に合いませんでした」
その声は震えていた。
「私は現場に着いた時にはもう……」
その言葉に、俺は思わず楯無さんの横顔を見る。初めて聞く事実だった。
楯無さんは視線を落としたまま、唇をかんでいる。
旦那様はすぐには否定しなかった。だが、目を少し細める。
「それでも」
一拍置いて、静かに続ける。
「それでもだよ。君は真っ先に駆けつけてくれた」
旦那様は優しい、穏やかな口調で続ける。
「それだけで十分だよ」
その言葉を聞いた瞬間、楯無さんは小さく息を止めた。
次の瞬間、肩の力が抜けたように俯く。
「……っ」
これまでこらえていたものが、溢れてきているようだ。
ポタリ、と一滴だけ膝の上に落ちる。
旦那様は何も言わない。ただ、楯無さんを優しい眼差しで見つめていた。
しばらくして、楯無さんは袖で目元を拭い、ゆっくりと息を整えた。
「…すみません」
「大丈夫だよ」
旦那様はそれだけ言って、少し間を置く。
「ダイチ、すまないが少し外で待っていてくれないか?この子と二人で話がしたいんだ」
「分かりました。ではロビーで待っていますので終わったらお呼び下さい」
俺はそう言って病室の外に出た。
_____
扉が閉まる音がした後も、しばらくは胸の奥の熱が引かなかった。
視界の端がまだ少しだけ滲んでいる。でも少しずつ落ち着いてきている。
「…大丈夫」
誰に告げるわけでもなく呟く。実際に声に出すことで、ようやく呼吸も整ってきた。
「…何か淹れようか?」
私の様子を見た風月さんが少し心配そうに言う。
見舞いに来た身として、流石にそこまで気を遣わせるわけにはいかない。
私は軽く首を横に振る。
「いえ、お構いなく。それで話というのは一体…?」
「そんなに身構えなくていいよ。ただダイチの学園での姿が知りたくてね」
「ああ、そういうことでしたか…」
少しだけ、胸の奥に残っていた緊張が解ける。
「最近あまり教えてくれないんだよ。『大丈夫です』『問題なくやってます』ってばかりで」
「フフッ…あっ、すみません‼︎」
風月さんが唐突に披露したダイチ君の声真似がそっくりで思わず吹き出してしまう。
風月さんは悪びれもせず肩をすくめる。
「似ていたかい?」
「ええ、そっくりでした」
「それなら練習した甲斐があった」
そう言って風月さんはイタズラっぽく笑う。空気を優しくほぐそうとする優しさが混じった笑いは、どこかうちのお父さんと通じるものを感じ、気がつけば肩の力も抜けていた。
きっと風月さんなりに、さっきの空気を気にしてくれたのだろう
ならそのお返しに風月さんが知らないダイチ君の姿をたくさん知ってもらうことにしよう。
私は少し表情を明るくする。
「とっておきのお話がいっぱいあるんですけど、どこから聞きたいですか?」
______
「面白い話をありがとう。それにしてもまさかダイチがIS学園で生徒会の副会長になっていたとはね…」
感慨深いようにそう言う風月さんの表情は満足気で、そしてとても柔らかなものだった。
「ところで一つ聞きたいんだけど、君はダイチと付き合ってるのかい?」
「なっ…⁉︎何を言ってるんですか⁉︎」
突然の爆弾発言に私は動揺を隠しきれない。自分でも顔が赤くなっているのが分かる。
「おや、違ったのかい?私はてっきり二人が付き合っているんだと思っていたよ」
「私たちはまだそういう関係じゃ…」
「まだ、ってことはいずれそうなることもあるんだね?」
風月さんは意地の悪い笑みを浮かべながらそう言う。こういう所はダイチ君にそっくりだ。
私が返答に行き詰まっていると急に風月さんは真面目な顔に戻った。
「ごめんごめん、少しからかい過ぎた。でも君がダイチのことを少なからず思ってくれているなら、一つお願いしたいことがあるんだけどいいかな?」
「内容によりますけど何でしょうか?」
「あの子を、ダイチを支えてあげてくれないか?どうか頼む」
そう言って頭を下げる風月さんを私は慌てて静止する。
「頭を上げて下さい、風月さん。それにお話は嬉しいんですが、私よりも風月さんや雪菜ちゃんの方が適任だと思うんですけど…」
これまで数ヶ月共に過ごしてきて私には分かっていた。彼が必死に努力を続けられるのは彼の家族、もっと言えば雪菜ちゃんの為であったことを。そして彼の心に私が入り込める隙は一寸たりともないということを。
「それでは駄目なんだ」
静かに告げる。その言葉には先ほどまでの柔らかさとは違う重さがあった。
「やはり彼はどうしても私や雪菜相手では主従関係を優先してしまい、本当の意味で頼ることが出来ないんだ」
一つ一つ言葉を紡いでいく。
「君も知っているように彼は強い人間だ。多少の困難なら乗り越えられると思うよ?」
だが、と言葉は続く。
「彼がいざ挫折した時、支えてあげられる人がいなければ、きっと二度と立ち上がることが出来なくなるとも思う」
そう言って改めて風月さんは私の目をまっすぐに見る。
「これは私達には出来ない、君にしか出来ないことなんだ。どうか頼む」
そう言って再び深々と頭を下げる風月さん。
こんな風に自分を認めてもらえているのは嬉しい。ただ、
「正直、私にその役割が務まるかどうかは分かりません……」
一瞬そこで言葉が途切れる。胸の奥に、一瞬だけ迷いが生じる。
けれど、すぐにそれを押し込めた。
一人の大人がこれほど真剣に頭を下げているのだ、つまらない見栄は捨てて真剣に答えるのが礼儀というものだ。
「ですが、できる限りのことはやってみようと思います」
今の私が伝えられる、精一杯の言葉だった。
「ありがとう、それだけでも十分だ」
そう言って浮かべた風月さんの柔らかな笑顔は紛れもなく子供のことを想う父親のものだった。
「ダイチ君は学校の話をしないんですか?」
「そうなんだよ。さっきも言ったように、私が聞いてもいつも『大丈夫です。上手くやっているので心配しないで下さい』としか言わないんだよ」
「何となく分かる気がします」
そんな風に話す彼の姿が容易に想像でき、私は思わず苦笑する。
「親としてはもっと頼ったり、時には不満を言ったりして欲しいんだけど、やっぱりどこかに本当の親じゃないっていう引け目があるんだろうね…」
そう言って笑う風月さんはどこか寂しげだった。
その表情を見ていると、胸の奥に引っ掛かりを覚える。
_違う、と言うよりそうじゃない。
気がつけば、言葉が自然と口から出ていた。
「それは違うと思いますよ?」
思いがけなかったのだろうか?私の言葉に不思議そうな表情を浮かべる風月さんを見つめる。
「だって風月さんや雪菜ちゃんの話をする時のダイチ君の表情は本当に穏やかなんです。ちょうど風月さんがダイチ君の話をする時みたいに」
______
しばらくして旦那様に呼ばれた俺は少し話をしたあと楯無さんと一緒に病院を出ていた。
「そういえば旦那様と何のお話をされたんですか?」
「秘密♪」
上機嫌な様子の楯無さんにはぐらかされる。
「それにしても何か人多くない?」
「確か近くの神社で夏祭りがあるらしいですよ」
「夏祭り…」
楯無さんが興味深そうに呟く。
「良かったら寄って行きますか?」
俺の言葉にパッと楯無さんの顔が輝く。
「行く‼︎」
即答だった。
さっきまでの色々と背負っていた雰囲気はどこへやら、今の楯無さんは年相応の少女そのものだった。
____
「凄い!結構色々あるのね」
様々な屋台を見て子供のようにはしゃぐ。
「意外ですね、楯無さんがこんなにはしゃぐなんて」
不意に楯無さんの表情が暗くなる。
「あー、うん…うちは両親が厳しかったしそれに誘拐されたこともあってあんまり来させてもらえなかったの」
「あっ、すいません…」
「ううん、気にしないで。それよりダイチ君はこういうとこに来たことがあるの?」
「小学生の頃とかによく来ましたね。まあ半ば雪菜様に連れ回された感じですけどね」
「フフッ、雪菜ちゃんらしいわね。じゃあ今日は私がダイチ君に連れ回してもらおうかしら?」
彼女の顔にはとびっきりのイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。そんな笑顔を見せられたら俺が断ることなど出来るはずない。なら六角家の執事の誇りにかけて、目一杯楽しんでもらうことにしようか。
「お任せ下さい、お嬢様」
そう言って俺が差し出した左手を楯無さんは嬉しそうに握った。
「うん。よろしくね、執事君♪」
_____
むせ返るような人混みの中、二人で屋台を回っていく。
「ねえダイチ君、ここ寄って行っていいかしら?」
「ええ、もちろんです」
彼女が最初に足を止めたのは金魚すくいだった。
俺は彼女の分のお金を払い、ポイとおわんを受け取る。
「こういうの初めてなのよね」
「意外とコツがいるんですよ。どれだけ水につけるかとか、尻尾を外すかとか…」
「大丈夫よ、お姉さんを甘く見ないでよ?」
そう言って自信満々にポイを水面へ差し入れる楯無さん。
_ポチャン
数秒後には無惨にも破れたポイがそこにあった。
「……」
「……ッッ」
「ダイチ君、今笑った?」
「いえ、別に」
俺は顔を背ける。
「絶対嘘‼︎笑ったでしょ⁉︎」
「そんなことないですよ。ほら次行きましょう」
抗議してくる楯無さんをいなしながら俺は歩き出す。頬を膨らませている楯無さんが可愛くて、思わず見惚れそうになったのは内緒だ。
_____
「ねえダイチ君、次はこれやってみましょう」
そう言って楯無さんが指差したのは、少し古びた射的の屋台だった。
「いいですね」
「こういうのもお祭りの定番って感じで気になっていたのよね」
お金を払った楯無さんは、軽い調子で銃を受け取る。
「景品を落とせばいいのよね?」
「まあ、簡単に言えば。でも意外と難しいですよ?」
「ふふっ、任せなさい♪」
気楽な調子のまま、楯無さんは標的に狙いをつける。
__パスッ
「あれ?」
弾は標的の横を掠めただけで終わった。
一瞬楯無さんが固まる。
「…今の外れるの?」
「だから言ったじゃないですか?意外と難しいって」
「うーん…」
やはり納得いっていない様子の楯無さん。2発目の弾を込めて銃を構える。
さっきまでの遊び半分のような雰囲気が少し消える
「なるほどね」
「あの、楯無さん?」
「ちょっと分かったかも」
そう呟いた瞬間、目の色が変わる。静かに洗練された構えから弾が放たれる。
__カンッ
今度は的確に標的を捉え、商品が綺麗に落ちた。
「まあ、こんなものね♪」
今度は納得がいったようで満足そうに笑う。
「急に変わりましたね…」
「だって外したまま終わるの悔しいじゃない」
そう言いながらサラッともう1発。
また景品が落ちる。
「これくらい蒼流旋で狙撃することを思えば簡単よ」
「そんなこと出来るの楯無さんくらいですけどね???」
「フフーン、もっと褒めてくれてもいいのよ?」
得意げに笑う楯無さん。その様子に俺は思わず苦笑する。
(この人本当に負けず嫌いだな…)
そう思っていると楯無さんは銃をこちらに差し出してくる。
「はい、交代」
「えっ?」
「お手本は見せたし、何より一学期の間みっちり私が射撃の訓練をしたんだから期待してるわよ♪」
「いや、それとこれとは話が違う…」
「言い訳厳禁♪さあ、頑張って!」
楽しそうに急かされ、俺は観念して銃を構える。
_パスッ
「あれ?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、楯無さんが吹き出した。
「フフッ、これは補習が必要かしら?」
「さっきまで楯無さんも外してたじゃないですか…」
「でも私はちゃんと当てたもの♪」
得意げに笑う楯無さんにつられるように、俺も小さく笑った。
_________
「そう言えばダイチ君は何か買わなくていいの?」
綿あめ片手に私は尋ねる。さっきから彼は殆ど何も食べていないのだ。
「まあ、後で食べることになると思うんで今はいいんです」
「そう?それならいいけど…」
この時分からなかった彼の言葉の意味が数十分後にようやく分かった。
「ダイチ君…これも食べてくれない?」
「了解です」
先ほどから私は食べ切れなくなった食べ物を彼に処理してもらっていた。
「それにしてもよく入るわね…」
みるみるうちに彼の手からは食べ物が消えていた。
「このくらい余裕ですよ。雪菜様もそうだったので慣れてますから」
綿あめを食べながら彼は笑う。その笑顔を見ているとなぜか少しだけ胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。
__本来彼の隣にいるのは私じゃない。
別に今になって分かったことじゃない。彼は出会った時からずっとそうだったのは分かっていたはずなのに…
「……楯無さん?」
不意に名前を呼ばれ、私はハッと顔を上げる。
「どうかしました?」
「えっ?な、何でもないわよ?」
「そうですか?」
少し不思議そうな顔をしながらも、彼はそれ以上追求してこなかった。
その優しさが、今は少しだけ苦しい。
私は誤魔化すように前を向く。
「ほら、次行きましょ!まだ全部回れてないんだから!」
「了解です、お嬢様」
そう言って彼はいつものように優しく笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がまた少しだけ痛んだ。
____
一通り祭りを堪能した私たちは、少し外れたところにあるベンチで休憩していた。祭りがこんなに楽しいものだとは思わず、終わってしまうのが惜しく思えてくる。
そんなことを考えていると私の頬に何か冷たいものが当てられた。
「ヒャッ⁉︎」
「はい。よかったらどうぞ」
イタズラが成功したのが嬉しかったのか、彼は嬉しそうに笑っている。
「もう、ビックリするじゃない」
彼から缶ジュースを受け取りながら軽く睨む。だが当の本人はどこ吹く風と言った様子だ。
「すみません、少し暑そうだったので」
「…そんな気遣いが出来るなら最初から普通に渡しなさいよ」
「普段やられてる分のお返しってことで」
「ふーん、そういうことするんだ。参考にするわね」
「あっ、お手柔らかにお願いします」
「フフッ、冗談よ」
そう言って2人で笑う。
祭りの喧騒は少し離れたここまで微かに届いていて、遠くから祭囃子が聞こえてくる。
さっきまであれほど騒がしかったのに、こうして腰を落ち着けると不思議と静かに感じた。
私はジュースを一口飲む。
冷たい炭酸が喉に抜けていく感じが火照った身体に心地よかった。
「今日は楽しんでもらえましたか?」
不意に彼が聞いてくる。
「ええ、とっても!」
即答だった。
「正直お祭りってもっと騒がしくて疲れるものだと思っていたの。でも…案外悪くなかったわ」
「それならよかったです」
そう言って笑う彼の横顔を見て、私は少しだけ視線を逸らす。
「………ダイチ君と一緒だったからよ」
「えっ?何か言いました?」
「な、何でもない」
私は慌てて誤魔化す。幸い祭囃子に紛れて聞こえなかったらしい。
けれど、自分で口にしてしまった言葉のせいで急に心臓がうるさくなる。
この人は本当に優しい。
特別なことをしている自覚すらなく、こうして人の心に入り込んでくる。
だからきっと、ずるいのだ。
不意に二人の間に沈黙が訪れる。
祭囃子も、人の声も、さっきより遠く聞こえる。
もしやこれはチャンスなのでは?
「ダイチ君、ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」
「イタズラならお断りですよ?」
「違うわよ‼︎」
私は思わず声を荒らげる。どうしてこの状況でそんな言葉が出て来るのよ‼︎
「すいません、で何ですか?」
真っ直ぐにこちらを見る彼の視線に、心臓の音がより一層うるさくなる。
言わなきゃ。
今なら言える。
そう思うのに、喉の奥が詰まったみたいにうまく声が出せない。
「私、ダイチ君のことがす…」
そう言いかけた瞬間、大きな音を立てて夜空に花火が花開く。それを見て彼は弾んだ声を出す。
「あっ、花火始まりましたね‼︎」
「えっ…ええ、そうね」
「ところでさっき何か言いかけてましたけど…」
「あっ、あれは何でもないの‼︎だから気にしないで‼︎」
まさか今更言い出せる訳もない。
「?まあ、それならいいですけど…」
そう言って呑気に花火を見続ける彼の様子に拍子抜けした瞬間、今日1日の疲れが押し寄せてきた。
その後の花火も彼との会話もほとんど覚えていなかったのは言うまでもなかった。
______
花火を最後まで見た俺たちは人もまばらな電車に乗って更識家に帰っていた。よほど疲れていたのだろう、電車が動き出すなり楯無さんは俺の肩に頭をのせて小さな寝息を立て始めた。
「もぅ…ダイチ君のバカ…」
楯無さんの寝言に俺は思わず苦笑する。そして眠っている楯無さんに対して
「すみません」
と小さな声で謝った。
俺は一夏ほど唐変木ではないつもりなので、楯無さんが俺に対して少なからず好意を抱いていることにも気づいているし、実は今日の告白も聞こえていた。
もちろん俺も楯無さんのことは嫌いではないし、今日の告白を聞いて嬉しく思う自分がいた。
だが、蒼雲さんに言われたように俺は臆病だった。
俺が大切にしてきた人たち__両親や旦那様、そして雪菜様。彼らはみな俺の前からいなくなったり、傷ついたりしていった。
今の俺にはこれ以上大切な人たちが傷ついたり、目の前から消え去ることに耐えられそうもない。
だから俺は大切なものをこれ以上作らないという選択をした。それが間違っているとは知りつつも逃げを選んだのだ。
だが、いつか自分の弱さを肯定できる日が来たら…そんな日が来たら俺は彼女と真剣に向き合おう。
そう心に決め寝息を立てる楯無さんにそっと語りかける。
「刀奈さんいつかきっと…今日の返事をしますから」
その言葉に答えることはなく、彼女は規則正しい寝息を立て続けていた。
次は元気があればスイス編、なければ2学期編スタートです。いずれにしろ1週間くらいで出せたらいいなと思います