前回の続きです!よろしくお願いします。
俺は一人、湖面を見つめていた。
空はまだ完全には暗くなっておらず、沈みかけた夕陽が湖面を赤く染めている。風が吹くたびに水面が静かに揺れる。
どうしてここに来たのか自分でもよく分からない。ただ誰にも会いたくなくて、誰にも心配されたくなくて、気がつけばこの場所まで歩いてきていた。
ふと以前にもこんなことがあったのを思い出す。あれはまだ学園に来て間もない頃だった。悪夢で目を覚まして、落ち着かずにランニングしているうちに気付けばここにいた。
あの頃の俺は、この学園に自分の居場所が出来るなんて思っていなかった。ISのことも、クラスのことも、生徒会のことも何も分からずにただ目の前のことに必死だった。
それなのに、今思い返せば随分と色々なことを経験した。
クラス代表決定戦も、生徒会に入ったことも、スイスの代表候補生になったことも、臨海学校も、文化祭も、キャノンボール・ファストも、全部この半年の出来事だ。
大変なことばかりだったはずなのに、思い出すのは不思議と楽しかったことばかり。
一夏をはじめとした専用機持ちと軽口を交わし合ったこと。シャルと出かけたこと。スイスでギザン社の人やタニスさんたちが受け入れてくれたこと。生徒会室で本音や虚さんと一緒に仕事をしていたこと。そして、楯無さんにからかわれたり、訓練でコテンパンにされたりしながらも、少しずつ前に進めている気がしたこと。
全部、ここに来てから手に入れたものだった。
でも、ISを扱えなかった以上俺にはここにいる資格はない。もう二度とあの日々には戻れないのだ。
「あれっ、何で俺泣いてるんだろ…?」
自分でも気付かぬうちに涙が頬を伝っていた。慌てて袖で拭うが涙は止まらない。拭っても、拭っても次々に涙は溢れ出てくる。
雪菜様を失った俺が、ようやく見つけた安らげる場所。俺を受け入れてくれた場所。
だが今の俺は、そこからも弾き出されようとしているようにも思えた。
「誰か…」
声が漏れる
「誰か……俺を助けてくれ………」
ついにずっと胸の内に秘めてきた思いが溢れ出る。一度口にしてしまえばもう止まらず、言葉にならない声が辺りに響く。
どのくらい時間が経っただろうか。
5分?10分?あるいはもっとかもしれない。
気がつけば夕日は完全に沈み、湖の周囲はすっかりと夜の色に染まっていた。先程まで赤く揺れていた湖面には、今は月明かりだけがぼんやり映っている。
その時だった。
「お待たせしました。こんな所にいたんですね 」
背後から、聞き慣れた優しい声がした。
心臓が大きく跳ねる。
ゆっくりと振り返ると、そこには穏やかな笑みを浮かべた少女が立っていた。
今一番会いたくて…そして今一番会いたくなかった人。
「どうして雪菜様がここに…?」
その言葉に雪菜様は、昔と同じように柔らかく笑う。
「さっき言ってたじゃないですか。助けてくれ、って」
その言葉に息が止まる。
「だから助けにきたんですよ」
「俺を…?」
目の前で起こっていることに頭が追いつかない。
ひょっとしたらこれは、自分が作り出した幻覚ではないのか。そう思ってしまうほど、目の前の雪菜様はあまりにも自然にそこにいた。
「当たり前じゃないですか。だってあなたは私の執事でしょう?」
そう言って彼女はころころと楽しそうに笑う。
その笑い方も、声も何一つ変わっていなかった。
俺がずっと聞きたかった声。もう一度見たかった笑顔。
けれど、その全てが今は胸を締め付ける。
「雪菜様、俺は……」
「分かっています」
言葉を遮るように、雪菜様は静かに言った。
「あなたをそんな顔にしたのは、私なのでしょうね」
「……」
「それでも、来てしまいました」
雪菜様は小さく笑う。それは昔と変わらない、穏やかな笑みだった。
「あなたが助けて欲しいと言ったから。あなたが一人で泣いていたから」
雪菜様はゆっくりと右手を差し出した。
「だから、迎えに来てしまいました」
その言葉はあまりにも優しかった。優しすぎて、苦しかった。
「さあ、ダイチ」
雪菜様は変わらない笑みを浮かべたまま言う。
「一緒に行きましょう。あなたの居場所は、私の隣なのですから」
居場所。
その言葉だけで、胸の奥が大きく揺れた。
もうどこにもないと思っていた。
雪菜様を失い、ようやく見つけたはずの場所からも、自ら離れようとしていた。ISを起動することができなくなった俺には、もうあそこに戻る資格なんてないと思っていた。
そんな俺に、雪菜様は昔と同じように手を差し伸べている。
_ここに来ればいい、と。
_私の隣に戻ればいい、と。
「…俺は」
気がつけば、手が伸びていた。
雪菜様は急かさなかった。ただ、静かに俺が手を取るのを待っている。
命じてくれれば、きっと楽だった。
けれど、雪菜様は何も言わない。
俺が自分から選ぶのを待っている。
(何を迷う必要がある…?)
今さら戻る場所なんてない。戻る資格もない。
なら、この手を取ればいい。
昔みたいに、雪菜様の隣にいればいい。
そうすれば、もう迷わなくて済む。
だから俺は、差し出された手に向かって指を伸ばした。
あと少し。あと少しで指先が雪菜様の指先に触れる。
その瞬間だった。
「ダイチ君、下がって‼︎」
聞きなれた声が、夜の湖畔に鋭く響く。
その声に反射的に身体が動いた。
次の瞬間、俺が立っていた場所に蒼流旋のガトリングから放たれた銃弾が炸裂する。
「雪菜様‼︎」
直前までそこにいた雪菜様の姿が、煙の向こうに消える。
「大丈夫」
すぐ近くで楯無さんの声がする。
「あんなので死ぬような相手じゃないわ」
煙が晴れる。するとそこには、楯無さんの言う通り見慣れた白の機体。
白銀。月明かりを反射するその装甲には傷一つ見当たらなかった。
「…随分と乱暴な挨拶ですね、刀奈ちゃん」
もう正体を隠す必要がないということだろうか、今までのように機械混じりではない雪菜様の声が聞こえる。
その時になってようやく、俺の前に淡い水色の機体が立っていることに気づいた。
「楯無さん…」
「間に合ったみたいね」
楯無さんは蒼流旋を構えたまま、こちらを振り返らない。
「ダイチ君、私の後ろにいて」
「でも…」
「いいから」
短く、強い声だった。それ以上何も言えず、俺は楯無さんの背中を見る。
「刀奈ちゃん、そこを退いてくれませんか?」
「嫌よ」
楯無さんは即答する。
「今のダイチ君を、あなたには連れて行かせない」
「ダイチは私の執事ですよ?」
「知っているわ」
楯無さんは蒼流旋を構えたまま言う。
「でも、今は私の副会長でもあるの」
「…随分と気に入っているのですね」
「ええ。大切な後輩だから」
その言葉に、雪菜様は小さく笑う。
「それだけですか?」
「今それをあなたに答える必要はないわ」
二人の声は静かだった。だが、その静けさがかえって怖い。
「ダイチ」
雪菜様が俺の名を呼ぶ。
「あなたはどうしたいんですか?」
「俺は…」
答えようとして、言葉が詰まる。
さっきまで俺は、雪菜様の手を取ろうとしていた。その事実が、重くのしかかる。
「今のダイチ君に聞くのは卑怯よ」
楯無さんが遮るように言った。
「卑怯?」
「ええ。あなたなら分かっているでしょう?あの子が今、まともに選べる状況じゃないことくらい」
「…」
雪菜様は答えなかった。
ただ、バイザー越しにこちらを見ている。
「…それでも、私は来ました」
「でしょうね」
楯無さんは一歩も引かない。
「だから、私も止めるの」
_____
止める。そう言った以上退くつもりはなかった。
けれど、それと勝てるかどうかは別の話だ。
キャノンボール・ファストの時に一度戦っている。あの時も分かっていたつもりだった。
けれど、こうして正面から向き合えば嫌でも理解させられる。
雪菜ちゃんは強い。
ただ速いだけでも、ただ技量が高いだけでもない。こちらが何をしようとしているか、その一手先を当然のように読んでくる。
蒼流旋のガトリングを撃ち込んでも当たらない。
ラスティーネイルの鞭のような独特な軌道も全て見切られる。
距離を取れば詰められ、近づけば捌かれる。
まるで、こちらの思考そのものをなぞられているようだった。
「くっ…」
雪菜ちゃんのショートブレードを蒼流旋で受け止める。
重い。細身の刀身から放たれたとは思えない衝撃が腕を痺れさせ、機体ごと後ろに押し込まれる。
「退いて下さい、刀奈ちゃん」
「嫌よ……‼︎」
歯を食いしばりながら、蒼流旋のガトリングを至近距離で撃ち込む。
だが、そこに雪菜ちゃんの姿はない。
ガトリングが放たれるよりも早く、彼女は横に流れるように動いていた。
次の瞬間、横合いから白い刃が迫る。
「っ‼︎」
水のヴェールを集中させて受け流すが、完全には殺しきれない。装甲に衝撃が走り、シールドエネルギーが削れていく。
強い。強すぎる。
学園最強だなんて呼ばれて、国家代表としてもそれなりの自負があった。ダイチ君にだって偉そうに色々教えてきた。
それなのに、今の私には雪菜ちゃんの足を止めることすら精一杯だった。
「刀奈ちゃん」
雪菜ちゃんは静かに私の名前を呼ぶ。
「いい加減そこを退いてくれませんか?」
「…嫌よ」
息が切れる。
蒼流旋を握る手にも力が入りきらない。
それでも私は、ダイチ君の前から退かなかった。
「そうですか」
雪菜ちゃんの声は静かだった。怒っているわけでも、苛立っている訳でもない。
けれどその静けさが何よりも怖かった。
「では、無理にでも通らせてもらいます」
雪菜ちゃんは改めてショートブレードを構える。
その瞬間、背中に冷たいものが走る。
次の一撃は止められない、それが分かってしまった。
避けなければいけない。頭では分かっているのに身体が言うことを聞かなかった。
それでも、退くことだけは出来なかった。
ここで退いたら、ダイチ君は連れて行かれる。
あの子は今、自分で選べる状況じゃない。
だから私が止めなければならない。
_たとえ、私が届かなくても。
_たとえ、私がここで倒れることになっても。
雪菜ちゃんが踏み込む。白い刃が月明かりを受けて淡く光った。
私は覚悟を決め、目を閉じる。
(ダイチ君…ごめんね…)
_____
ガギィィィィン、という激しい金属音が湖畔に響き渡る。
それは、俺の展開したファントムと雪菜様の刀がぶつかる音だった。
「ダイチ」
雪菜様の声が聞こえる。バイザーに隠れて表情は見えない。
だが、その声にはわずかな苛立ちが滲んでいた。
「これは一体、何のつもりですか?」
雪菜様の刀を受け止めた腕が軋む。とにかく重い。踏ん張っている足が地面に沈み込む。
それでも、退くわけにはいかない。
今の俺の背後には、楯無さんがいる。
俺のために傷だらけになっても退かなかった人がいる。
「…執事としての役目です」
「執事としての役目?」
雪菜様の声が低くなる。
「主人である私に刃を向けることがですか?」
「はい。主人が道を誤った時にそれを正すのも執事の役目。俺はあなたからそう教わりました」
雪菜様は答えなかった。ただ、刀越しに伝わる圧がほんの少し強くなる。
「あなたは…」
静かな声だった。けれどその奥にあるものが何なのか、今の俺には分からなかった。
「あなたは…私が間違っている、そう言うのですか?」
その問いに、喉が詰まる。
それでも、目を逸らすわけにはいかなかった。声を絞り出すように答える。
「…はい。今のあなたは間違っています」
言葉にした瞬間、胸が張り裂けるように痛んだ。
それでも、撤回はしない。いや、出来るはずがなかった。
雪菜様が何を思っているのか、何を背負っているのか、まだ俺には全ては分からない。
それでも、今の雪菜様をこのまま進ませてはいけない。
それだけはハッキリと分かっていた。
俺はファントムを握る手にさらに力を込める。
「だから、止めます」
白銀の刃とファントムが軋む。
月明かりの下、雪菜様はしばらく何も言わなかった。
「……そうですか」
やがて聞こえた声は、驚くほど静かだった。
だが、刃越しに伝わる力がほんの僅かに緩んだ気がした。
その時、甲高い警告音が辺りに鳴り響く。
「っ…‼︎」
視界の端に、赤い警告画面が浮かび上がる。
『IS学園防衛システム、起動』
周囲の地面から無人迎撃機が展開され、遠方から複数のISがこちらへ接近して来ているのが分かった。
「…なるほど」
雪菜様は静かに呟く。
「刀奈ちゃんの狙いは、最初からこれでしたか」
その言葉に振り返ると、楯無さんは片膝をつきながらも不敵に笑っていた。
「真正面から勝てない相手に、何の策も用意せずに挑むほど馬鹿じゃないわ」
楯無さんの手元で、通信端末が光っている。
救難信号。彼女は最初から、雪菜様を倒そうとしていたのではない。
学園の防衛システムが起動するまで、そして俺が戻るまで、時間を稼いでいたのだ。
「…やってくれましたね」
雪菜様の声は穏やかだった。だが、その穏やかさが先ほどまでとは少し違って聞こえた。
雪菜様はゆっくりと刀を引く。
それに合わせて俺も、ファントムを構えたまま一歩下がった。
追撃は来なかった。
ただ、白銀のバイザー越しに雪菜様がこちらを見ているのだけは分かった。
「ダイチ」
名前を呼ばれる。
それだけで、胸が痛んだ。
「……私は」
そこで雪菜様の言葉が止まる。
ほんの僅かな沈黙。
けれど、次に聞こえた声は、いつものように整っていた。
「今日はここまでにします」
「雪菜様……」
「また会いましょう」
それだけを言い残し、白銀の機体がふわりと宙に浮かぶ。
周囲の迎撃装置が一斉に照準を向けるが、雪菜様はそれをものともせず夜空に舞い上がった。
追おうとした瞬間、膝から力が抜ける。
「っ……」
ガーディアンの装甲が、細かな粒子となって解けていく。
「ダイチ君‼︎」
楯無さんの声が聞こえる。
俺は崩れ落ちそうになる体をどうにか支え、夜空に消えていく白銀を見上げた。
雪菜様の姿はもう見えない。
それでも、最後に残された言葉だけが耳にこびりついていた。
_また会いましょう
その言葉は約束のようでもあり、宣告のようでもあった。
(…次に会う時が、きっと最後になる)
半ば確信に近い予感が、俺の中に生まれていた。
お読みいただきありがとうございます‼︎
続きは来週金曜20時ごろに投稿予定です。
順調に進めば金曜に2話、土曜日に1話投稿します。
ただ少し長くなりそうなので、投稿が遅れる場合には活動報告にてお知らせします。