護りたいもの   作:影風

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 3話同日投稿の2話目です。お付き合い下さい。



【第38話】護りたいもの

「っ…⁉︎」

 

 視界が白く染まっていく。

 

 何も見えず、何も聞こえない。

 

 先ほどまで鳴り響いていた警告音も、アリーナの空気も、楯無さんの声すらも、全てが雪に包まれるように遠ざかっていく。

 

「楯無さん…⁉︎」

 

 呼びかけても、返事はない。

 

 代わりに聞こえてきたのは、雪菜様の声だった。

 

「無駄です」

 

 その声だけが、白い世界の中ではっきりと響く。

 

「ここには、あなたと私しかいません」

 

「ここは…?」

 

「終雪」

 

 雪菜様は静かに告げる。

 

「私のワンオフ・アビリティ。周囲とは時間的にも、物理的にも隔絶された空間です。外の時間は進まず、誰も入って来られず、誰も出て行けません」

 

 辺りを見回す。そこにアリーナはなく、観客席も、壊れた黒い機体も、楯無さんの姿もなかった。

 

 ただ、どこまでも白い世界が広がっている。雪が降っているわけではないのに、空気そのものが凍りついたような静けさだった。

 

「あなたの傷も、ここにいる間はこれ以上悪化しません」

 

 雪菜様はそう言うと、俺の腹部に視線を落とした。

 

 白刃はまだ、俺の身体を貫いている。痛みはあるのに、先ほどまで感じていた血が流れ出ていく感覚はなかった。

 

「抜きます」

 

 雪菜様は短く告げる。

 

「っ…‼︎」

 

 白刃がゆっくりと引き抜かれる。痛みは走ったが、血は広がらず、傷口が開いていくこともなかった。

 

 本当に、止まっている。

 

 痛みも、傷も、時間も。全てがこの白い空間の中で凍りついていた。

 

「ここなら、誰にも邪魔されません」

 

 雪菜様は俺から一歩離れる。

 

 白い世界の中で、白銀の姿は酷く静かだった。

 

「世界も、罪も、罰も、何も届かない。ただ、私とあなたがいるだけです」

 

「雪菜様…」

 

 静かな声だった。けれど、その言葉はなぜか胸の奥に冷たく沈んだ。

 

「私を倒せば、あなたは外へ戻れます」

 

 雪菜様は静かに続ける。

 

「刀奈ちゃんのところへも、学園へも、あなたが見つけた居場所へも」

 

「…」

 

「ですが、私を倒さなければ、ここに残ることも出来ます」

 

「残る…?」

 

「はい」

 

 雪菜様は頷く。

 

「ここで、私と永遠を過ごすことも出来ます」

 

 息が止まった。

 

 その言葉で、ようやく分かってしまった。雪菜様が俺に差し出しているのは、世界を変えるための道ではない。

 

 けれど雪菜様は、それ以上は言わない。

 

 最後の一言だけは、決して口にしない。

 

 ただ静かに白い刀を構えて、俺を見ていた。

 

「選んでください、ダイチ」

 

 雪菜様は静かに告げる。

 

「私を倒して外へ戻るか。それとも、ここに残るか」

 

 白い世界の中で、その声だけが澄んで響いていた。

 

「あなたの答えを、聞かせてください」

 

「…」

 

 答えなど、すぐに出せるはずがなかった。

 

 ここに残れば、雪菜様はもうどこにも行かない。誰かを傷つけることも、これ以上間違った道を進むこともない。

 

 俺も、もう雪菜様に刃を向けなくていい。止めなければと思いながら、それでも届かないことに苦しむ必要もない。

 

 もう一度失うことに怯えなくていいのだと、そう思ってしまった。

 

 雪菜様が目を覚ました時、もう一度隣に立てるように。もう一度、あの人の隣で笑えるように。そのためにISに乗り、戦う力を求め、ここまで来たはずだった。

 

 だから、この場所はあまりにも甘かった。

 

 手を伸ばせば、欲しかったものがそこにある。

 

 雪菜様が隣にいて、俺も隣にいられる。もう、あの日のように届かない場所に行ってしまうこともない。

 

 そう考えてしまう自分がいた。

 

「…俺は」

 

 声が掠れる。

 

 喉の奥が詰まって、言葉がうまく出てこない。

 

 選びたくなかった。

 

 ここに残りたいと思ってしまった自分を、否定しきれなかった。

 

 それでも、この白い世界は静かすぎた。

 

 痛みも、傷も、時間も、何もかもが止まっている。雪菜様がこれ以上傷つくこともない代わりに、前へ進むこともない。

 

 誰かに責められることも、誰かと向き合うこともない。明日を迎えることすらない。

 

 ただ、止まるだけだ。

 

 その時、ようやく分かった。

 

 俺が欲しかったのは、雪菜様の隣にいることだけじゃない。

 

 雪菜様と一緒に、歩いていくことだった。

 

「…雪菜様」

 

 俺はゆっくりとファントムを握り直す。

 

「俺は、雪菜様の隣にいたいです」

 

 それは嘘ではなかった。

 

 今でも、それは変わっていない。

 

「でも…ここには残れません」

 

 雪菜様は何も答えない。

 

 ただ、白い刀を構えたまま、静かに俺を見ていた。

 

「止まったままじゃ、嫌なんです」

 

 言葉にした瞬間、胸が痛んだ。

 

 それでも、もう目を逸らすわけにはいかなかった。

 

「俺は、雪菜様と一緒に歩いていきたい。苦しくても、責められても、簡単には許されなくても…それでも、止まった場所じゃなくて、時間が進む場所で一緒に生きていきたいんです」

 

「……」

 

「だから、ここには残れません」

 

 白い世界は静かなままだった。

 

 雪菜様の声も聞こえない。

 

 その沈黙が、何よりも重かった。

 

「俺は外に戻ります」

 

 俺は白銀を見据える。

 

「楯無さんたちがいる場所へ。俺が見つけた居場所へ」

 

 そして、息を吸う。

 

「雪菜様を、連れて帰るために」

 

 雪菜様は、しばらく何も言わなかった。

 

 バイザー越しの表情は見えない。それでも、その沈黙の向こうでは何かが揺れたような気がした。

 

「……そうですか」

 

 やがて聞こえた声は、驚くほど静かだった。

 

「それが、あなたの答えなのですね」

 

「はい」

 

「分かりました」

 

 雪菜様は白い刀を構え直す。

 

 その動きは、ひどく美しかった。

 

「なら、証明してください」

 

「証明…?」

 

「あなたが選んだその答えが、私を連れて外へ戻るに足るものなのだと」

 

 白刃の切っ先が、俺に向けられる。

 

「私を倒して、証明してください」

 

 身体は限界に近い。

 

 傷は悪化しなくても、痛みがなくなった訳ではない。テレポートの反動も、積み重なったダメージも、確かに身体の奥に残っている。

 

 それでも、不思議と迷いはなかった。

 

「はい」

 

 俺はファントムを構えた。

 

「行きます。雪菜様」

 

「来なさい。ダイチ」

 

 その声に迷いはなかった。

 

 白銀が動く。

 

「っ…‼︎」

 

 相変わらず速い。

 

 踏み込むよりも早く間合いを潰され、振るったファントムは空を切る。返す刃を辛うじて受け止めるが、受け止めた瞬間に腕が軋み、機体ごと押し込まれた。

 

 楯無さんはいない。

 

 俺の隙を埋めてくれる声も、雪菜様の間合いを乱してくれる一手も、ここにはない。今ここにいるのは、俺と雪菜様だけだった。

 

 それが、これほどまでに重い。

 

「その程度で、私を止めるつもりですか?」

 

 雪菜様の声は静かだった。

 

 だが、そこに甘さは欠片もない

 

「連れて帰るというなら、まず私の前に立ってみせなさい」

 

「っ…もちろん、ですっ‼︎」

 

 押し返すようにファントムを振るう。だが、届かない。

 

 雪菜様は受けることすらせず、刃が届く寸前に滑るように間合いを外す。直後、白刃がこちらの腕部へ走った。

 

「くっ…‼︎」

 

 咄嗟にファントムを戻して受ける。

 

 だが受けたはずの刃はすぐに引かれ、次の瞬間には逆側から肩口を狙ってくる。

 

 追えば外され、受ければ崩され、踏み込めばその勢いごと利用される。

 

 何度斬り結んでも、白刃は俺の一歩先にあった。

 

「遅いです」

 

 振り下ろされた一撃をファントムで受ける。だが、次の瞬間には手応えが消えていた。

 

 刃を引かれた。

 

 そう気づいた時には、白銀の蹴りが脇腹の装甲を打っていた。

 

「がっ…‼︎」

 

 姿勢が崩れる。

 

 倒れそうになる足を無理やり踏み止める。だが、立て直すよりも早く白刃が迫っていた。

 

「っ…まだ…‼︎」

 

 ファントムを握り直し、崩れた姿勢のまま雪菜様の懐へ飛び込む。

 

 下がっても追い付かれる。守っても削られる。なら、こちらから間合いを潰すしかない。

 

 柄を詰めるようにファントムを構え、白銀の腕へ短く突き込む。

 

 だが、雪菜様は半身を引いただけでそれをかわした。

 

「見えています」

 

 白い刀の柄が、俺の手首を打つ。

 

「っ…‼︎」

 

 ファントムを落としかける。

 

 それでも、離さない。

 

 ここで離せば、本当に何も届かなくなる。

 

「まだ、やりますか?」

 

「やります…‼︎」

 

 息が荒い。視界も狭い。それでも、雪菜様から目を逸らさなかった。

 

「そうですか」

 

 雪菜様は静かに答える。

 

 それだけだった。

 

 次の瞬間、白銀の気配がさらに鋭くなる。

 

 構えが変わった。

 

 終わらせるつもりだ。

 

 そう分かった瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 

 その構えを、俺は知っていた。幼い頃から何度も見た。何度も打ち込まれ、何度も転ばされ、そのたびに雪菜様の声を聞いた。

 

__目だけで追ってはいけません

 

__怖がって下がれば、余計に斬られます

 

__受ける場所を間違えれば、力は逃げません

 

 白銀が踏み込む。

 

 速さを感じる暇すらなかった。白刃が俺の身体に向かって真っ直ぐに伸びる。

 

 受ければ砕かれる。

 

 下がれば追われる。

 

 だから、前に出た。

 

 雪菜様の剣が最も勢いに乗る、その一歩手前へ。

 

「っ…」

 

 雪菜様の息が、ほんの僅かに詰まった。

 

 ファントムを下から跳ね上げる。狙うのは雪菜様の身体ではない。白刃そのもの。

 

 甲高い音が、白い世界に響く。

 

 次の瞬間、雪菜様の刀が宙に舞っていた。

 

「……」

 

 白銀の手から離れた白刃が、白い空間の中をゆっくり回転しながら落ちていく。

 

 雪菜様は動かなかった。

 

 俺も、動けなかった。

 

 たった一度。本当にたった一度だけ。

 

 俺の剣が、雪菜様に届いた。

 

 震える腕でファントムを構え直し、その切っ先を雪菜様に向ける。

 

「…俺の勝ちです」

 

 声は掠れていた。

 

 胸を張れるような勝利ではない。何度も崩され、何度も打ち込まれた。最後の最後に、雪菜様が俺に残してくれたものに縋っただけだ。

 

 それでも、確かに届いた。

 

「俺の勝ちです、雪菜様」

 

 雪菜様はしばらく何も言わなかった。

 

 バイザー越しに表情は見えない。ただ、白銀は微動だにせず、俺の向けたファントムの切っ先を見つめていた。

 

 その沈黙が、ひどく長く感じられた。

 

「…フフッ」

 

 やがて、小さな笑い声が白い世界に満ちる。

 

「どうやら、そのようですね」

 

 雪菜様はゆっくりと顔を上げる。

 

 その声には、確かに悔しさが滲んでいた。だが、それだけではない。どこか困ったような、けれどほんの少しだけ誇らしそうな響きが混じっていた。

 

「降参です」

 

「雪菜様…それじゃあ…‼︎」

 

 その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものが僅かに緩んだ。

 

 終わったのだと、そう思った。

 

 ようやく、雪菜様を止められたのだと。

 

「……ごめんなさい」

 

「えっ?」

 

 次の瞬間、雪菜様は一歩踏み込み、俺の手ごとファントムを抱え込んだ。

 

__止める暇などなかった。

 

 雪菜様は自らその刃を引き寄せ、白銀の胸へと突き立てた。





 続きます。
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