翌朝、まだ日が昇りきっていないうちに俺は目を覚ました。時刻は午前5時、当然隣の更識さんはまだ眠っている。
俺は彼女を起こさないようにジャージに着替え、ランニングに出る。4月とあってまだ外は肌寒かったが、走ってるうちに体が温まってくるから問題ないだろう。
IS学園の探索と明日からのランニングコースの選定も兼ねているので、いつもよりゆっくり走る。パッと見ただけでも、花壇や街路樹がそこら辺の公園なんかよりもずっと手入れが行き届いていて、改めてこの学園の凄さを実感する。
色々眺めながら、校内をぐるっと一周して戻ってくる。予想以上の広さに驚いたが、最近は運動不足気味だったので、ちょうどいい運動になってよかった。腕時計を確認すると時刻は午前6時。ゆっくり走ったとはいえ、校内一周に1時間近くかかるとかどこの夢の国だよ…
部屋に戻ってシャワーを浴び終えると、さっきまで寝ていた更識さんがお茶を飲みながらまったりしていた。
「あっ、おかえりなさい。お茶でもいかが?」
「ありがとうございます…ってそれ俺のじゃないですか?」
テーブルの上にある急須や湯飲みには見覚えがあった。
「うーん、緑茶はいいわね」
俺の質問には答えず、お茶をすすりながら笑いかけてきた。
「そのちょっといい笑顔で誤魔化そうとしないでください。で、どの茶葉使ったんですか?」
「棚の中の右から2番目の缶に入ってるの」
「これ水出し用じゃないですか。ゲッ、しかも玉露…」
「あら、水出し用だったの?どおりでちょっと渋みが強いと思った」
嘘つけ、30秒前まで緑茶はいいわね、なんて言ってたじゃねえか。なんて思ったが口には出さなかった。俺はため息をつきながら急須と湯飲みを回収する。
「ああ、回収するなんてヒドい!そんなに怒らないでよ」
「淹れ直しますよ」
「へっ?」
「ちゃんとしたお茶を淹れ直しますからちょっと待っててください」
「あっ、うん…ありがとう」
俺の言葉が予想外だったのか、更識さんはあっけに取られている。
そんな彼女を尻目にキッチンでお湯を沸かし始める。雪菜様に『お茶くみ大臣』とまで言わしめた実力をお見せしようじゃないか。ってかよく考えると、お茶くみ大臣って褒められてないような気が…
「ダイチくん、私玉露がいいなー」
部屋の方からはのんきな声が聞こえてくる。すごい変わり身の早さだな。
「普通の玉露はまだ開封していないんでダメです。とりあえず煎茶で我慢してください」
「開けたらいいじゃない」
「ダメですよ、お茶は基本的に開けたら出来るだけ早く飲んでしまわなくちゃいけないものですから。それにどこかの誰かさんが勝手に開けちゃった分もありますし…」
「ケチッ」
「ケチで結構です。これは特別な時に飲むものですから」
「私との出会いは特別じゃないってこと?お姉さん悲しい」
およよ、と分かりやすいウソ泣きをする更識さん。
「出会いの価値は事後的に決まるものでしょ。相手と深い関係になって初めて出会いに価値が生まれるんだと俺は思います」
「じゃあ君にとって特別な時って?」
「別れの時ですかね。それも大切な人との」
そんなやり取りをしつつ、急須からお茶を注いでいく。少量ずつ交互に淹れていくのがポイントだ。こうすることで同じ濃さのお茶を淹れることが出来るのだ。
「どうぞ、粗茶ですが」
俺は更識さんの前にマグカップを置く。マグカップに緑茶、というのもおかしな組み合わせだとは思うが、あいにく俺は自分の分の湯飲みしか持ってきていないので、そこは我慢してもらうことにしよう。
「淹れ方ひとつでこんなに変わるものなのね、さっきと香りが全然違う!」
感心したように言い、そして小さくいただきます、と言ってマグカップに口を付けた。
「美味しい!」
彼女の顔に満面の笑みが浮かぶ。よかった、どうやらお気に召したようだ。
「それならよかったです」
そう言って俺もお茶に口をつける。甘みもあるし、ちょうどいい感じに渋みも出ている。上々の出来だ。
こうしてお茶を飲みながら、更識さんとISのことや趣味のこと、お茶のこと、そして
学園側から護衛を頼まれた、と聞いた時点で大体予想がついていたが、やはり彼女は暗部の人間だった。ただその中でも更識家というのは『暗部に対する暗部』という特殊な立ち位置らしい。少し前までは、同様の役割を持つ家系が更識家とは別にもう一つあったらしいが、当時の当主が突然「今後一切暗部とは関わらない」と廃業を宣言したため、今ではその役割を一身に担っているらしい。
彼女はその更識家の17代目の当主で、楯無という名前も更識家の当主が代々襲名する名前とのこと。まあそりゃ普通女の子につける名前じゃないよな。
「ご馳走様。流石は『お茶くみ大臣』ね。本当に美味しかったわ」
お茶を飲み終え彼女が笑顔で言う。
思わず飲んでいたお茶を吹き出しそうになったが、何とか耐える。しかしそのせいで激しくむせた。
「ちょっと大丈夫!?」
「更識さんが変なこと言うからですよ…それ、誰に聞いたんですか?」
まあ、そんな呼び方をしてきたのは今まで一人しかいないのだが…
「雪菜ちゃんよ」
「やっぱりそうですか…というか雪菜様とお知り合いだったんですね」
「ええ、昔
俺は思わず苦笑する。愚痴の内容は知らない方がよさそうだ。ってか俺、愚痴られてたのか。軽くショックだ…
まあそれは良いとして、更識さんの言葉に引っかかる部分があった。
_____裏の人間が表の人間と偶然一緒に仕事をする機会なんてあるのか?
俺の頭の中には二つの可能性が浮かんでいた。一つは更識さんの言葉通り偶然一緒になっただけ。そしてもう一つは…
「あれっ、もうこんな時間⁉︎早く準備しなくちゃ‼︎」
更識さんの驚いた声で俺の思考は中断させられる。つられて俺も時計を見ると、針は八時を指していた。授業は八時半からだから遅刻こそしないが、朝食を食べるにはかなりギリギリの時間だ。俺も慌てて準備を始める。
「もうっ、ダイチ君のせいなんだからねっ‼︎」
更識さんは鞄に教科書やらなんやらを詰め込みながら、俺に非難の声を浴びせてくる。
「いや、これは俺のせいじゃないでしょ」
「君がお茶を持ってきたのがいけないのよ‼︎」
「理不尽だ…」
そんなやり取りをしつつも、何とか二人とも準備を終わらせ部屋を出る。時刻は八時十分。もう朝食をとるのは諦めた方がよさそうだ。そう判断した俺は校舎の方に歩き始めたのだが…
「何してるの、食堂に行くわよ?」
「俺は今日は朝食はいいんで」
「良くないわよ。朝はしっかり食べないと。ISを学ぶ上では体も資本よ」
そう言って更識さんは俺を食堂の方に引きずっていく。
「いや、本当に遅刻しますからっ!!」
「男の子でしょ、腹をくくりなさい」
俺の必死の懇願も更識さんにあっけなく一蹴される。
俺がここまで抵抗するのは理由がある。今日の一限は鬼教官こと織斑先生の授業なのだ。入学二日目で変死体になる勇気は俺にはない。
だが、そうこうするうちに食堂に着いてしまった。もうここまで来たら仕方がない。俺も腹を括るしかないのか…
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朝食を猛スピードで詰め込んだ俺は教室まで猛ダッシュ。チャイムが鳴り終わる寸前に、何とか教室に滑り込むことが出来た。教室中の視線が集まっているが、そんなこと気にしていられない。幸いなことに織斑先生はまだ来ていないようだ。
「はぁ、はぁ…ぎりぎりセーフ」
そう言いながら席に向かおうとした俺の頭に、スパーンと出席簿が振り下ろされる。
「アウトだ、馬鹿者」
突然の激痛に頭を押さえ振り返ると、そこには黒いスーツに身を包んだ織斑先生が立っていた。
「上代、入学二日目にして遅刻とはいい度胸じゃないか。体力も有り余っているようだし外周3周でもしてくるといいだろう」
「いや、それは…」
「ほう、3周では足りないか?」
「いえ、謹んでやらせて頂きます!」
「ではこの授業が終わるまでに戻ってこい。行け」
こうして俺は、入学二日目にして一人マラソンをすることになった。明らかに自分の限界を超えるペースで完走し、完全にグロッキーになった俺が昼食を食えなかったのは言うまでもない。
これからは時計をしっかり確認しよう…そう心に決めた15の春だった。