葵の手術が始まって随分と経った。
"手術中" と灯るランプは一向に消える気配がない。
これほど気持ちが落ち着かないのは、生まれて初めての経験だ。
「ねぇ、父さん」
「なんだ?」
「葵は……………大丈夫、だよね?」
あたしは俯きながら問いかける。
普段はこんな話をするはずないのに、なんだか弱気になっている気がする。
1秒たりとも待たずして父さんは即答した。
「葵は私の子だ。大丈夫、心配いらない」
普段通りの毅然とした姿勢を貫く父さん。
「うん………………そう、だよね……………」
ずっと堪えていたけど、あたしはとうとう耐え切れなくなりポロポロと涙が零れ落ちた。
涙声になり発するその声は、しんと静まり返ったこの空間でさえ霞んでしまうほど弱々しい。
そんなあたしの頭に父さんは手を当てる。
「心配なのはわかる。だが、こうしている間にも、葵は必死に生きようと抗っているだろう。泣くな、とは言わない。葵が目覚めたその時は笑って迎えてやってくれ」
「うん………………わかった……………」
こんな状況だからか、いつもより優しい父さんの肩から離れない。
人前ではこんな姿をとても見せられないけど、今はそんなことどうだっていい。
誰でもいいから寄り縋りたい。
例えそれが、厳格で苦手な父親であっても。
また時は過ぎ、心配に駆られているととうとうそれは訪れた。
"手術中" と灯るランプが消え、自動扉から薄い青の手術服を着た医者が出てきた。
真っ先に医者の元へ駆け寄ったのは父さんだった。
「先生っ!!息子は……………息子は無事なんですか!?」
医者の両肩を掴み必死になる父さん。
心配だったのはあたしだけじゃなかった、と実感した瞬間だった。
父さんの反応をよそに、医者はマスクを取り暗い表情を浮かべた。
それを察して落胆する父さんと母さん。
釣られてあたしも再び多量の涙を流す。
そっか、ダメだったんだ──────
そう心で決めつけた時、医者は重い口を開いた。
「生きているのが奇跡、とも言える状態です」
「……………えっ?」
医者の一言に一同、目を見開く。
「一命は取り留めました。手術は成功です」
その言葉に、あたしたちは静かながらも歓喜の声で溢れる。
ホッと胸を撫で下ろし、緊張から解き放たれたせいか膝の力が抜けた。
先ほどとは違い、今度は嬉し涙を流す。
(葵は…………葵は、生きてるんだ……………!)
その現実に今は感謝しかない。
そうだ、そう簡単に葵が死ぬわけないんだ。
わかっていたはずなのに……………なんで信じてあげられなかったのかな。
何も心配なんていらなかったんだ。
だって─────葵は強いから。
幼い頃から父さんの厳しい稽古に耐え、美竹家の長男としてずっと頑張ってきた。
バンドをしたい、というあたしの我儘にも付き合ってくれた。
日頃の行い、って言うのかな?
そんな言葉があるのなら今の葵にはピッタリだ。
天は、葵を見放さなかった。
歓喜に包まれるあたしたちに、医者はもう一つの事実を付け加えた。
「しかし、極めて危険な状況です。縫合はしましたが非常に深い傷を負ってしまいました。出血量も並大抵のものではありません。今後の生活に支障をきたす可能性がある事は、どうかお忘れにならないようお願いします」
そう言うと医者は頭を下げた。
「わかりました。葵を…………私の家族を救ってくださり、ありがとうございました」
父さんも続き頭を下げる。
母さんも、ひまりのご両親も、そしてあたしも医者に感謝の意を示した。
喜んではいられない。
葵は今も目覚めようと必死になっているだろう。
だから、あたしも負けない。
頭の中で囁いてくる恐怖に──────。
葵は集中治療室で過ごすこととなり、あたしたちは家路に着く。
外に出ると、そこには太陽が上り、夜明けを迎えようとしていた。
その陽は、葵が生きていたことを祝福してくれているような、そんな温もりを感じた。
「蘭。今日は疲れただろう。学校は休んでも──────」
「行くよ。絶対」
「し、しかしだな……………」
「あたしの体を気遣ってくれたんでしょ?でも大丈夫。葵が生きてくれさえいれば、それでいい」
「わかった。葵のことは私から学校に説明しよう。登校するまで少し休みなさい」
「わかった、そうする」
安心なんてしていられない。
それに、大事なのは
今は面会ができるわけない、とは思うけど今日もう一度病院を訪れよう。
あたしはそう心に決め帰宅する。
***
ゴールデンウィークが明けた朝。
いつもと変わらない様子で迎える幼馴染たちに、あたしは事の説明をした。
ひまりたちとの連絡が途絶えていたから、何かあったんだろうと思っていたようだけど、ここまで酷い状況だったのは知らなかったようだ。
それもそのはずだ。あたしだってそうだったんだから。
ゆっくりと歩く木漏れ日の道では、登校途中の子供、出勤中の社会人たちが楽しそうに会話していたけれど、あたしたちは黙ったまま。
誰も話そうとも、口を開こうともしない。
重苦しい空気が漂う。
「なぁ、一つ言っていいか?」
そう切り出したのは巴だった。
「なに?」
「こんなこと言うのもアレだと思ったんだけどさ…………今日、病院に行かないか?」
巴からの提案。
それは、あたし自身考えていたことと同じだった。
しかしここで違う意見が飛ぶ。
「でも…………迷惑じゃないかな。葵くんもだけど、ひまりちゃんだって辛いだろうし…………」
「つぐみ……………」
二人を気遣い涙目になり話すつぐみ。
つぐみらしい、なんとも優しい考えだ。
それも一理あるのは間違いない。
けど、あたしはやっぱり──────。
「ほぉー、意見が割れてますな〜」
「モカはどうしたいんだ?」
「そうだな〜、みんなが行くって言うなら行くし、一人でも行かないならやめとこかな〜」
「それは、あたしたち次第って言いたいわけ?」
「そゆこと〜♪」
モカらしい、といえばそうなんだけどこの場では少し他人行儀な気がする。
「つぐは行かない、モカは場合による、か。蘭はどうするんだ?」
「あたしは一人でも行くつもりだよ。モカもつぐみも、無理して来る必要はないと思う。あまり大人数で押しかけても病院に迷惑がかかるかもしれないからね」
「そっか…………わかった。なら、個人で行くってことでいいか?」
「意義な〜し」
「うん、私もそれで大丈夫だよ」
「巴は今日行くの?」
「蘭は今日行くつもりなんだろ?アタシはまた明日行くことにするよ」
「わかった」
そして、再び沈黙の時が流れ教室に入るまで誰も口を開くことはなかった。
……………………
…………
ホームルームが終わり、全校生徒が体育館へと招集された。
校長が壇上に立つと、このゴールデンウィーク中に起きた事件、もとい葵とひまりが何者かに襲われたことが明かされた。
勿論、二人の名は伏せられて。
動揺が走る全校生徒に、校長は『防犯対策をしっかりと取る』とか『一人で行動はしないように』だとか、ありきたりなことを言ってこの集会は終わった。
しかし、教室では違う。
葵とひまりがこの場にいないことで、さっきの校長の話はこの二人なんだと確定してしまい大騒ぎとなった。
仲のいい
「美竹くんと上原さんは無事なの!?」
「犯人は誰!?捕まったの!?」
「どこに入院してるの!?」
心配してくれるのはとてもありがたいけど、どれもあたしが答えられるものではない。
申し訳なかったけど、『何もわからない』とだけ伝えてこの場はお開きとなった。
巴たちもそう言い、人だかりは無くなった。
有耶無耶な気持ちのまま、通常授業が始まった。
ゴールデンウィーク明けということもあってか、誰一人として授業に集中できていない。
幼馴染に目を向けると、巴は上の空で、モカは机に突っ伏して爆睡。つぐみも副会長の立場からか真面目に聞いている風だけど、ペンが全く動かない。
かくいうあたしも…………ただ教科書を開くだけで先生の話なんて全く頭に入ってこない。
今の頭の中にあることは、二人の安否。
ただ、それだけだ。
授業終わりの休み時間だろうが、昼休みだろうが、あたしたちは何も話さなかった。
普段はあの二人が会話の発生源なだけに、暗く静まり返ったあたしたちを繋ぎ合わせる人は今は誰もいない。
独り椅子に座り、動かずじっとする。
本当につまらない。
ここにきてあの二人の明るさがどれだけありがたかったか思い知る。
暫くは、あの楽しい時間が来ることがないとわかると、自然と涙が零れ落ちた。
わかっているのに……………わかっていたはずなのに………………。
なんでだろう。あたしがとても情けなく思えて来る。
"いつも通り" なんて容易く片付けるバカな女。それがあたしだ。
(葵の代わりに。そしてひまりの代わりに……………あたしが、犠牲になればよかったのにな………………)
投げやりに呟くその心の声は誰も元へ届くことはなかった。
***
授業が終わり、あたしは一目散に病院へと向かう。
今この瞬間もあの二人は苦しんでいる。
そう思うと、いてもたってもいられなくなったのだ。
額からは、ライブで流すのと同等の汗をかきフロントで葵との面会手続きを済ませ急いでそこへ向かった。
エレベーターを待つ時間も惜しみ、階段を全速力で駆け上がる。
全ては、早く会いたいが為。
ポタポタと滴る汗なんて構わずあたしは階段を上り切った。
曲がり角を抜け、葵のいる病室へと向かうとそこには──────。
「湊…………雄樹夜さん?」
「……………美竹………蘭か」
あたしよりも一足先に、私服姿でその人は立っていた。
「ついこの前会ったばかりなのになんだか久しく感じるな」
「そう、ですね」
どこか哀愁を漂わせる彼の目に光が灯っていない。
普段から無口で楽しそうにしている姿は滅多に見ない人だけど、今日は一段と静かだ。
「………………」
「………………」
会話が全く続かない。
葵とは色んなことを話す間柄らしいけど、やっぱりあたしじゃダメなのかな。
────いや、あたしもどちらかと言うと
「その、今日はどうしたんですか?」
無口だからと言っては済ませない。
あたしから会話を促してみる。
「ん?あぁ、学校の話か。見ての通り、体調不良で欠席だ」
「まだ病み上がりですもんね」
「退院できたのはつい先日のことだからな。無理はできん」
「葵のことはどこで……………?」
「リサから聞いた。『もしかしたら…………』と言っていたが、まさか本当だったとは驚いた。一体何があった?」
「わかりません。警察の捜査も難航を極めてるらしくて……………」
「まさかと思うが、
「──────!!」
雄樹夜さんの一言である可能性が浮上した。
それでも、まさか………………。
ありえない、と言わんばかりに頭の中のあたしが否定する。
「信じられない、と言った顔だな」
「一理はあるかもしれませんけど、やっぱり──────」
「"『ありえない』なんてことはありえない" 」
雄樹夜さんはあたしの言葉を遮りそう言うと、今まで葵に向けていた目線を初めてあたしに向けた。
「なんですか、それ」
「あこに教えてもらった台詞だ。ある漫画の名言、として有名らしい。ありえるはずのない生命力を誇る男が、仲間に自らの首を切らせ再生したことでその言葉を証明したと言う。実に要領のいい男だ」
「それとこれと、何が関係あるんですか?」
「それは…………………」
さっきまで饒舌に話していたのに、急に口を閉ざすと、目を逸らし再び葵にそれを向けた。
その一連の行動は、『話したくない』と自ら自白しているようなモノだった。
「
「そうですか……………あっ、雄樹夜さん」
「なんだ?」
「湊さんは─────お元気ですか?」
あたしの一言に、雄樹夜さんはハイライトのない目を細め三度沈黙する。
彼を纏うオーラからは暗く冷たいものを感じたけど、聞いてしまった以上後戻りはできない。
意を決して彼の返答を待つ。
「あの…………雄樹夜さん…………?」
「いずれ知ることになるだろうから教えよう。友希那も今、ここに入院している」
「なんで──────
そう口走ったあたしは後悔した。
何故?どうして?
そうやって一番悔やんでいるのは、誰であろう、彼だ。
あたしも同じだった。
なんでよりによってあの二人なんだ、と涙を流し自分自身に怒りを覚えた程だ。
彼も今、同じ心境なのは間違いない。
そんな無頓着なあたしは本当にバカだ。
大バカ者だ。
あたしはすぐさま雄樹夜さんに頭を下げた。
「す、すいません!あたし…………あたし…………!」
後になって後悔が押し寄せる。
そんなあたしを雄樹夜さんは咎めることなく、冷静な口調で話す。
「気にすることはない。友希那には俺から伝えておく。美竹 蘭は、本当にお前のことを心配していた、とな」
「はい…………お願いします」
「俺はそろそろ帰る。Afterglowの他のメンバーにもよろしく伝えておいてくれ。それじゃあな」
「わかりました………………あっ!雄樹夜さん!」
立ち去ろうとする彼を呼び止め、振り向くことなく立ち止まる。
「あたしが言える立場じゃないかもしれませんが、言わせてください」
一呼吸おき、心にある想いを伝える。
「例えどんなに辛くても、苦しくても、絶対に諦めないでください。湊さんは必ず良くなります。だから─────負けないでください。自分じしんに、この悪夢のような現実に」
あたしの言葉に彼は反応を示すことなく、そのまま去っていく。
返事をしなくていい。
苦しんでいるのはあなた一人だけではない。
そう伝えられたら、それでいいんだ。