人生イージーモード   作:EXIT.com

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序章
プロローグ


「ただいま」

 

 ランドセルを背負った少年が学校から帰宅する。

 家の電気を点けてランドセルを自室に置きに行く。おかえりの返事はなく、しんとしていた。外の往来がうるさく感じる。

 一般家庭であれば家族の温かい声で迎えられ、食卓を囲んで一家団欒が始まる。TVを見ながらだらだらしている父がいて、キッチンでトントンとリズミカルな音を奏でる母がいて、もしかしたら兄妹やペットの犬猫もいるかもしれない。

 それは彼にはなかった。これが彼の日常である。

 

「ご飯作らなきゃ」

 

 少年の名前は(ひいらぎ) 春仁(はるひと)。小学5年生だ。

 

 春仁の家庭は所謂(いわゆる)母子家庭だ。父親は彼が産まれる前に離婚していた。無論、彼は父親の姿や顔を知らない。

 それでも彼は幸福を感じていた。

 無償の愛を捧げてくれる母親がいて、気にかけてくれる叔母とその家族がいる。

 

「よし、できた。テーブルに運んで~」

 

 春仁は自身が不幸だとは思わない。千葉から始まり、小2で大阪へ、1ヵ月前にこの家へと、度重なる転居の影響で転校が相次ぎ、幼馴染やクラスメイトと引き裂かれたとしても、彼は涙を流さなかった。

 

「うん。今日もおいしくできた。明日は学校終わったらお母さんのとこにいこっと」

 

 春仁は良い子であろうと努めた。問題も起こさず、勉強も努力の成果もあり優秀。それは母に心配をかけたくない一心からである。

 自分が泣くと母も泣く、自分が辛いと母も辛い。であれば自分が笑えば母も笑ってくれる。世の中はそれほど優しくない事を理解していない彼が、そう考えるのも仕方ない事だ。本当に、どうしようもない事なのである。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

「おかあさん!」

「春仁。いらっしゃい。来てくれてうれしいわ」

 

 白色が基調の部屋、彼女はベッドに横たわっており、その体には医療器具のケーブルが付いていた。手足は骨と皮だけと言っていいほど痩せている。

 春仁は彼女に今日の出来事を楽しそうに話す。その笑顔は母親としての活力を湧きあがらせる。『この笑顔でまだ闘える』と。

 

 彼女は癌《悪性新生物》を患っていた。

 担当医からの説明では、肺から気管支、食道まで移転が進み、持ってあと1年だろうと言われている。

 この事は春仁には秘密にしている。理由は言うまでもない。

 しかし彼女は諦めない。当然だ。当たり前だ。不変の方程式と言っていい。愛する我が子を置いて旅立つ事を受け入れれる親など存在しない。

 彼女は世界は優しくない事を知っている。大人であるほど欲深く、他人を蹴落とし排除する事で欲望を叶える人間。残念だが、彼女の伴侶でさえ例外ではない。愛しあい、将来を誓ったにも関わらず不倫と言う結末になって離婚している。

 だからこそ彼女は、人間として――春仁の母として――女として、彼に教えを説いてきた。人としての在り方――男としての在り方を伝えて来た。

 

「春仁、ちゃんと覚えてる?」

「うん!ありがとうとごめんなさいはしっかり言う。だよね!」

「えらいわね春仁、おかあさんも春仁を自慢できてうれしいわ」

 

 春仁は生来の素養として映像記憶能力がある。それに付随して記憶力がかなり良い。そのため母との会話を全て覚えている。その中には様々な事柄がある。他人に見返りを求めてはいけない事。相手からの感情はキチンと受け止める事。誰かを思いやれる心を持つ事。善悪の判断等、挙げればキリがない。

 彼女は今の春仁に理解できない事は十分解っている、いつか解る時が来る――いつか解れば良い。それでいいのだ。

 

「昨日は何を食べたの?」

「んーとねオムライス作って食べたよ!」

「あら、もう作れる様になったの?すごいじゃない。」

「えへへ♪ 褒められちゃった。 えっとね、料理の本覚えてさ、やってみたらできちゃった。美味しかったよ!」

 

 母と子のを見守る医師の心境とはいかがなものだろうか。旅立ちに抗い闘う母と、それを無意識に支える子。それを直視して共感してしまったら、その場にいる事はひどく困難だろう。

 

「じゃあそろそろ帰るね。明後日にまた来る!」

「わかったわ、待ってるわね。いってらっしゃい。春仁」

「行ってきます。 あはは、家じゃないのに違和感ないね」

「ふふっ そうね、おかしいわね」

 

 春仁が病室を去ってから彼女は涙を流した。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 月日は流れ。春仁の日常は変化なく過ぎていった。彼も中学1年生になっていた。母の見舞いもほぼ毎日行っている。

 春仁はいつもの様に病院に行った。何やら院内が騒がしく感じるが、気にせずそのまま母のいる病室へ向かう。

 

「春ちゃん!早く来て!」

 

 突然叔母に手を引っ張られ駆け出す、叔母は涙を浮かべていた。それを見て状況を察した春仁の心臓がどくんと跳ねる。急がなければ。速く。もっと速く。彼は暴れる心臓を抑えようと胸に手を置く。そして、ひどく遠く感じた10メートル先の病室へたどり着く。

 

「は……ひ…ぉ…」

「母さん!」

「…かえ……さぃ…」

「――っただいま…」

 

 春仁は理解した。母が旅立つのだと、自分を待っていたのだと。

 涙が溢れる。体が渇いてしまうほどに流れ出す。

 彼には担当医師のすすり泣く声も、叔母の嗚咽も聞こえない、深呼吸をして、ただ母の末期(まつご)の言葉に耳を傾ける。

 

「ご……ね…」

「ううん、ありがとう母さん。」

 

 愛を捧げてくれた感謝、待っていてくれた感謝。

 旅立つ母に見せるのは笑っている自分がいい。春仁は彼女を思いやり、送りだす。

 

 

「うぐっ…いっ…てらっ…ひぐっ…しゃ…い、おかあ…さん…」

「………って……す――――――

 

 医療機器の電子音がピーと鳴り、心音停止を告げる。彼女は亡くなり神となった。

 彼女の顔は笑顔だった。旅の到着地点が辛かろうと。春仁に笑顔で送り出された彼女は、どんな事があろうと全力で闘える確信が持てる、そんな安らかな笑顔だった。

 

「――――――うっぐぅ…えぐっ…」

「春ちゃん…よくがんばったね…妹を看取ってくれてありがとう」

 

 声が嗄れるほどに叫び、喉が裂ける様に吼える。出でた声が天まで届くようにと願い、彼女へ最大級の感謝を贈る。

 

 春仁は叔母である比企谷真里の養子となって、従兄妹の兄妹と暮らすことになった。

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