人生イージーモード   作:EXIT.com

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第17話

「八幡、昨日はありがとう。」

 

 春仁に昨日の事でお礼を言われた。俺にできる事をしただけなのだから、お礼を言われるのはなんだかむず痒い。

 俺は春仁の肩をぽんぽんと叩き、気にしてない事を態度で示した。

 だが、本当はもっと文句を言いたかった。春仁の苦しみをあんな風にぶつけるのは違う気がする。

 由比ヶ浜が泣いてしまった事も彼女がそれを察知したからだろう。

 伝えるのであればキチンと伝えてほしい。そう思った。

 

「結衣、昨日はごめん」

 

 春仁が由比ヶ浜に謝罪している。彼女は昨日を思い出したのか、悲しそうな顔で春仁に応える。

 春仁はいつだって感謝と謝罪の言葉を間違えない。朝に俺に言ったありがとうと彼女に言っているごめんなさいの違いはないはずだが、俺はそこに違和感を感じる。何故謝罪なのだろうかと考えようとしたが、すぐに答えが出た。

 

「ううん。あたしは大丈夫。でもさ。あんなのはもうやめてほしい」

 

 春仁は彼女の目をじっと見て「わかった」と答えた。

 由比ヶ浜のいう“あんなの”というのは、俺も検討がついた。

 彼女も俺と同じ不満を春仁に感じたのだ。

 それと同時に、俺は昨日の事を思い出す。少し顔が熱い。

 

 昨日、春仁に頼まれて彼女を家まで送ろうとしたが、彼女は顔を手で覆い大粒の涙をぽろぽろと零して泣いていた。

『ほれ、いくぞ』と催促しても彼女は動かない。俺は仕方なく手をそっと握り、とぼとぼと歩みを進めたのだが、彼女もいろいろ考えていたのだろう、肩を震わせて立ち止まってしまう。

 俺は何も言わずに由比ヶ浜の背中に手を回し、優しく抱きしめた。反対の手は後頭部に添えてよしよしと撫でる。

 

『大丈夫だから。な?少し落ち着け』

『えぐっ……うぅ~…ひっきぃ~…』

 

 由比ヶ浜がパッと腕を払えば簡単に抜け出せたが、彼女は逆に体重を預けて胸に顔を押し当てて来た。力いっぱい抱き着かれた俺は抵抗せず、背中をトントンと叩いて落ち着かせてやった。

 

 歩道のど真ん中で。

 

「ヒッキー?」

 

 俺は由比ヶ浜を連れて彼女の家の近くにある公園に向かった。

 彼女が落ち着くまで好きなように甘えさせるためだ。

 結論から言おう。由比ヶ浜は公園で俺にやった事を覚えていない。

 俺は彼女が起きた後は平静を装い、『泣きつかれて寝たんだろ』とごまかしておいた。

 

『送ってくれてありがとう』

『おぅ、じゃあ。またな』

 

 彼女は腕に抱き着いてきたり、胸に顔をぐりぐりしてきたり、首を噛んできたりした。膝枕でうーうー唸って、最後にはそのまま寝やがった。

 俺は何か違和感を感じて無抵抗でそれを受け入れた。恥ずかしかったけど堪えた。

 誰か俺を褒めてほしい。誰にも言えないけど。っつか。言ったら俺の人生終わる。

 俺が由比ヶ浜を突き放す事は簡単だった「やめろ」と言えばすぐやめただろう。

 でも俺はそれができなかった。下心がないといえば嘘になる。

 

 今、彼女を突き放してしまうと壊れてしまう。

 そんな気がした。俺は、それがたまらなく怖かった。

 

「もう!ヒッキーってば!」

「お、おぅ。 どうした?」

「今日の放課後にハニトー食べに行こ!」

「お、おぅ。 いいぞ」

 

 しまった。断るつもりが即決してしまった。昨日の由比ヶ浜を見てるから色々やりづらい事この上ない。

 いつもと同じ距離のはずなのに、どこか近く感じる。いつもと同じ笑顔のはずなのに、眩しい。

 ざわついてたはずの心が、昨日からやけに静かに感じる。

 俺は由比ヶ浜の事が好きなのだと自覚した。多分。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

「三浦さん、海老名さん。昨日は申し訳ない」

 

 俺はきっちり頭をさげる。何に対しての謝罪かと問われれば、答えは一つだ。

 俺の勝手な怒りをまき散らして彼女達の居場所を壊してしまったからだ。

 

「ひーらぎ。頭あげろし。あーしこそごめん。ああなったのはひーらぎの責任じゃないし」

「柊くん。ありがとう。なんか結果的にいい方に転んだっぽいし、あれでいいんじゃないかな?」

 

 海老名さんが指刺す方に戸部達3人が本当に楽しそうに談笑していた。大岡も大丈夫そうだ。

 

「あいつら3人でクラスのみんなに頭下げてたし、昨日のひーらぎがキレたのが効いたんしょ。やるじゃんひーらぎ。あれだけキレて手ぇ出してないのも偉いし」

「ぐフフフ…遠慮がなくなった3人はくんずほぐれつの――」

「姫菜。擬態しろし…こらこっち向いて。」

 

 何やら薔薇色の妄想をして倒れてしまった腐女子を介抱している。なるほどこれか。

 俺は八幡が言ってた“オカン”ってのが理解できた。

 オカンって呼ぶことにしよう。声に出したら『は?』とか言われそうだから声には出さない。

 この手の女性は怒らせたらダメなタイプだといろはが言ってた事を思い出した。

 

 関係者への謝罪を終えた俺は平塚先生に呼び出しを受けていた。昼休みに職員室へ行くと、いつもの応接室へ通される。

 

「柊、昨日は助かった。なんとかなったようだね」

「丸投げされた時はヒヤヒヤしましたよ。やはりあの段階だと、教師は介入できないんですね」

「そうだ。君は話が早くて助かるよ。それで今回呼び出した件なんだが――」

 

 先生は俺に予備校に行くのかどうか、行くのであれば夏期講習の内容、その費用などの話をしてくれた。

 以前はバイトをやっていて、成績が落ちた事を気にかけてくれた。今回はその先のどんな大学で何を学びたいのかという事を気にかけてくれている。

 

「将来の事。ですか」

「そうだ。漠然とでいいから何かあるかね?」

 

 俺は何がやりたいのだろうか。俺は独りで生きる力と知識があればそれでいいと思ってたし、それがおかしいとは思わない。ふと、最近の出来事を思い返してみる。八幡と出会って、結衣と出会って、ユキに再会した。

 材木座君の小説を見てボロくそ言って、戸塚君と一緒に汗を流して、葉山君達と揉めた。

 

 材木座君の熱意に振れた時に、応援したいって気持ちになった。

 戸塚君の練習を邪魔された時に、悔しくなった。怒りも沸いた。

 葉山君のどうにかしたいって気持ちに共感できた。

 

 俺は一生懸命な人が好きだ。一生懸命に努力する人に『ちゃんと見てる』って言ってあげたい。

 

「…俺、教師になりたいです」

「…そうか。では教育学部のある大学をピックアップしておこう」

 

 平塚先生は嬉しそうにはにかむ。

 

「あぁ、それとだな。スカラシップについて教えておこう」

「なんですかそれ?」

「予備校の奨学金制度の事だ。予備校での成績上位者は予備校の費用が免除される仕組みがある。予備校の資料にも明記してあるからしっかり確認する様に」

 

 俺は返事をして応接室を後にした。弁当を食べようと部室に行くとそこにはユキだけしかいなかった。

 

「結衣さんは今日は三浦さんたちと食べるみたいよ」

 

 なるほど。昨日あんなことがあったのだ、結衣ならそう動くだろう。

 八幡もそれに付き合わされてるに違うない。

 俺は「そうか」と短く応え、いつもの席で腹を満たす作業に取り掛かる。

 自分が作った弁当に感慨もクソもない。ものの十数分で完了した。

 

「ユキ。言っておきたい事がある」

「何かしら?」

 

 ユキの淹れてくれた紅茶を味わいながら話を切り出す。

 

「俺のいままでの事なんだが――」

 

 度重なる転居とその影響。母の疾病と逝去。その後の遺産問題。中学時代にあった事。

 俺は全てをユキに話した。今更と言われたら謝るしかないが、彼女には伝えておきたかった。

 

「そう。わかったわ。話してくれてありがとう。ハル」

 

 ユキからはそれ以上の言及はなかった。

 

 

 放課後に進路指導室で大学の資料をぱらぱらと見ていると青がかったポニーテールの女子が入って来た。

 

「なんだ柊じゃん」

「川崎か、お前も進学先の資料見に来たのか?」

「ま。そんなとこ」

 

 総武高校にいるんだから当たり前か。俺は彼女とあまり話した事はない。

 俺は川崎からも情報を仕入れようと予備校の事を聞いてみる。

 

「川崎はどこの予備校行くんだ?」

「は?急に話しかけないで」

「………ぉぅ」

 

 なんだか川崎はピリピリしていた。

 少しイラッとしたが彼女には彼女の事情があるのだろう。藪蛇になるのは目に見えてるのでこれ以上の接触はしない方が賢明だ。

 俺は千葉大学教育学部の平均成績や項目のチェックをして進路指導室を後にした。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

「こんにちはぁ~」

 

 今日の退屈な授業も終わり、正式に部員になったわたしはいつもの様に部室へ足を運ぶ。

 

「こんにちは、いろは」

 

 部室には柊せんぱいしかいなかった。他の先輩方はサイゼリアで勉強会をやってるらしい。

 なんで柊せんぱいは参加しなかったのだろうか?彼はたしか学年総合3位だったはず。

 

「俺も呼ばれたが行かなかった。俺はほとんど記憶力で点数とってるからな、教えるのは向いてないんだよ」

「そうなんですね。てっきり可愛い後輩のわたしをひとりぼっちにさせない為にいてくれてるのかと思いましたぁ」

「まぁ、それが一番の理由だな。来て誰もいなかったらアレだし」

「ふふっ。どうですか?可愛い後輩とふたりっきりですよぉ?嬉しくないですかぁ?」

「はいはい。嬉しいよ」

「むぅ~!じゃあわたしが柊せんぱいの寂しさを癒してあげますね~」

「いらんぞ。勉強の邪魔するな。っておいひっつくな!」

 

 わたしは柊せんぱいの腕にしがみついて、わざと胸を押し当てて肩に顔をすりすりした。

 柊せんぱいは少し困ってたけど。わたしに抱き着かれて嫌がる男なんていない。

 私はうりうりと可愛いアピールを全力でやっている最中に、少し疑問に思う。

 なんでわたしは『違和感を覚えない』のだろうか。

 

 こんな事は誰にもしたことはない。クラスの荷物持ち君達には袖や服の端をちょんとつまむに留めてる。

 柊せんぱいは始めてわたしが抱き着いた男の人だ。他の人に私から抱き着く想像をするだけで気持ち悪くなる。

 比企谷せんぱいもかっこいい人だけど、抱き着いてまで可愛いアピールはできない。せいぜいあざとく迫るのが精いっぱいだ。こうして抱き着いていることが当たり前の様に感じてならない。

 

「なぁ、いろは」

「はい。なんですか?」

「抱き着かれて少し恥ずかしいんだが、あんまり違和感がないのはなんでだろうな」

「柊せんぱいもなんですね!わたしもなんです。 びっくりしました」

 

 昔に大泣きした時に居てくれた安心感が、雛鳥の刷り込みみたいにわたしの中に残ってるのだろうか。

 腕に抱き着いたまま私は話しかける。

 

「柊せんぱい」

「なんだ?」

「これからわたしとデートしましょう」

 

 ほら違和感ない。ちゃんと仕事してほしい。

 でもこれは問題かもしれない。わたしが異性として意識してないのか、わたしに魅力がないのかハッキリさせたい。

 たっぷり間を置いて柊せんぱいが答えた。

 

「デートはいいんだが、この後はちょっと用事あるんだ。それ終わってからでもいいならいいよ」

「だめですぅ! 用事はわたしもついていきます。それ込みでデートしましょう!」

 

 柊せんぱいは仕方ないなぁと柔らかな笑みを浮かべる。

 私に離れる様に促して、優しく頭を撫でてくれた。

 気持ちよくてつい目を細めてしまう。「んぅ…」って変な声もでてしまった。

 下駄箱あたりでぽんこついろはってイジられた。わたしはぽんこつじゃないですぅ!

 

「ところで用事って何なんですかぁ?」

「…うーん。言っちゃっていいか」

 

 なんだろう。聞いちゃマズい事だったのだろうか。

 私は少し身構えてしまう。

 

「実は…独り暮らし始めようと思ってな。部屋を見に行くんだ」

「えっ。今の家じゃダメなんですか?」

「あー…うん。よし。いろはちゃんと聞いてくれ」

「えっ、あ。はぃ…」

 

 信じられない話を聞いた。柊せんぱいは本当の意味で孤独だった。彼が下宿先を探す理由も頷ける。

 自分の家だけど自分の家じゃない。そんな環境で心は休まるのだろうか。わたしはそんなの絶対耐えれない。

 

「柊せんぱい…」

「いろは。もう乗り越えたから大丈夫だ」

 

 わたしは彼の手をぎゅっと握る。柊せんぱいもほどよい力で握り返してくれた。

 やっぱり違和感は仕事してない。

 

 物件を探しに来た私たちは店を数件巡った。

 未成年が部屋の契約をする場合には、親権者の同意と連帯保証人が必要らしく今日は借りれないらしい。

 柊せんぱいは元々知ってたみたい。この人できない事あるんだろうか?

 

 色々な部屋をパソコンで見せてもらった。

 柊せんぱいの条件に合致する物件はあまりないみたい。

 オートロックのマンションで、光ファイバー使えて。2DK以上でバストイレ別で。学校から徒歩圏内。

 あるにはあるらしいけど家賃が18万円とかしてた。18万円で何できるだろう…

 

 柊せんぱいはお店の人たちにはもれなく『彼女さんですか?』と聞かれたけど『違います』と即答してた。

 うぅ~!ちょっとくらい悩んでくれてもいいと思うんですけどぉ~!

 

 今日は下見だけだったみたいで最寄り駅の喫茶店でお茶して解散した。

 喫茶店で対面で座る時と駅前で別れる時だけ、違和感さんが仕事してました。

 もうアレです。一緒に居たら隣にいるのが当たり前で、歩いてるときは手を繋いだり腕を組んだりするのが普通みたい。でもふいに腰を抱かれたのはすごく恥ずかしかった。あーゆー不意打ちはズルい。

 

 今夜は仕事を始めた違和感さんが邪魔してなかなか寝付けなかった。


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