八幡と小町が朝に帰ってきた。
俺はバイトを辞めてから早朝のジョギングを日課にしている。俺と入れ違いに2人が帰ってきたのだ。何かあったのかと少し心配になって、八幡に聞いてみたが「色々あんだよ」とはぐらかされた。
つまり、詮索しないでほしいって事だ。
俺も八幡も高校生だ。八幡の言う様に、色々あるのだろう。
いつもの日常が消費されていく。
クラスでは職場見学の話で賑わっていた。
しかし俺はまだ誰とどこに行くのか決めていない。
どうしたもんかな。と考えていると、八幡から声をかけられた。
「春仁。葉山をこっちに誘おうと思うんだが、いいか?」
葉山君はあの演説以来、元のグループとの関係が薄くなっている。自分から距離を置いているみたいだ。あの時に一度完全に壊れたのだからまた作り直せば良いだけなのだが、彼にはそれが分からないのだろう。いや、分かっていて、それを認めたくないのかもしれない。
いずれにせよ、グループに拘らない俺は八幡の提案を受け入れた。
八幡の班は戸塚君とのペアに葉山君を入れて3人。三浦グループは元々3人、そこに戸部君達が加わり、職場見学は9人でまとまるだろう。俺はどうにでもなるからな。
「あぁ、それでいいぞ。俺は適当な所に混ざる。」
「ぼっちになるのは俺の役目なんだが、あの状態の葉山は危なっかしいからな。三浦と戸部がうまくやってくれんだろ。」
俺は教師になるという目標を掲げた。どうせ行くのであればそれにまつわる場所に行きたいと考え、受け入れてくれる企業リストをパラパラとめくる。
「あの…柊君」
「ん?」
俺を呼んだのは相模だった。彼女は1年の時も2年の時も同じクラスだったが、両手で数えれる程度の会話しかしていない仲。つまり他人だ。
1年の時のような自己顕示欲は見られなくなっている彼女は、元とは言えトップカーストに君臨していた容姿の整った美少女だと言える。
ほとんど接触がなかったのにこのタイミングで話しかけてくるのは何か深刻な相談でもあるのだろうか?
「うちね。職場見学の班まだ決まってないんだ…その、一緒に行ってくれないかな?」
お前に一体何があった。相模南。
結衣にばっさり行かれたくらいでそこまで人間変わるものだろうか。
いや、でもあれからかなり経ってるし、彼女も反省したんじゃないか?
いやいや、演技という線も捨てきれない。
俺は相模がした事をハッキリ覚えている。だからこそ疑ってしまう。だが。反省するには1年間と言う期間は十分ではないだろうか?相模は彼女なりに努力した結果の今ではないだろうか?
俺は思考を巡らせて結論を出した。
――頑張りが見えたら褒めて、問題を起こしたら叱ってやればいい。と。
「あぁ、いいよ。どこいくかはもう一人誘ってから決めようか」
「えっと。うちはどこでもいいから。もう一人の人と決めちゃっていいよ」
相模にありがとうと返事をして先ほどの資料に目を通す。相模が興味深々に覗いて来る。互いの肩が触れ合う距離で資料を見ていく。始めて見る彼女の自然な横顔に少し緊張してしまう。
「アンタも教育学部に進学希望なんだって?」
「んぁ?なんだ川崎か。『も』って事は川崎も教職員系が進路希望なのか?」
まぁね。と顔を逸らしながら川崎は答えた。
お前この前俺に「いきなり話しかけんな」って言って来たけど。自分はいいのかよ。
まぁ色々あるだろうし。水に流しておこう。
「アタシは保育園とか小学校とかで働きたくてね」
「そうか、俺も教師になりたくて平塚先生に相談してる所だ」
「わぁ。柊君も川崎さんもすごいね。将来の事考えてるってすごいな。うちも考えないといけないのはわかってるんだけどね…」
相模はやりたい事が見つからない様だ。職場見学の本来の目的は、やりたい事ややってみたい事を、見て。触って。体感する事なのだから、相模の在り方は間違ってはいない。
「じゃあ、絶対行かなそうな所行ってみないか?これはイヤだって思えるやつ」
「あー。そういう事ね。アタシもアンタも見学行く意味ないから、悪い体験しとこうって事ね」
「ウチにはその思考はマネできない…アハハ」
俺達の職場見学は適当な工場の見学になった。
――そして当日。
八幡のとこは9人で行くはずが葉山シンパの増員があったらしく、かなりの人数で行くことになったらしい。
ちなみにマスコミ関係だった模様。八幡、お前そこ絶対いかんだろ…
結果として職場見学は思ったより有意義だった。
仕事としては絶対やりたくないが、良い話を聞けた事が満足だ。
俺達が聞いたのは“レンガ積みの男”という話。
ABCという3人の男が教会を作る為に、同じ現場、同じ作業量、同じ賃金で働いている。
Aの表情は辛そうだ。彼はこの仕事は自分の生活を支える為にやっている。重労働の割に賃金は安いと感じている。体には疲労がたまるばかり。やりがいなど感じられない。
Bは歯を食いしばっている。身体が悲鳴を上げて今にも倒れてしまいそうだ。しかし彼は家族を支える為に仕事をしている。家族の為に弱音は吐かないのだ。やらなければという使命感を感じる。
Cは何故かにこやかに笑っている。彼だけが楽をしている訳でも、サボっている訳でもない。彼は自分の労働で教会が完成した後、ここで子供たちが祈りを捧げれる。これは素晴らしい事だと考えているのだ。
そこの工場長は最後にこう言った。
『迷った時は、今やっている事が何になるのか考えてみなさい。もちろん、なんでも解決する訳じゃあない。考えて考えて、考えぬいても、行動しないと結果はでないんだ。いつか君たちが行動する時の理由の手伝いになればいいと思うよ。」
俺達は意外な所でとでもいい体験ができた。川崎も相模も来てよかったと言っていた。
職場見学に来てはいるが、俺はそんな事はどうでも良かった。サボりたかったとかそういう事じゃない。
先日、春仁に素っ気ない態度を取ってしまった。それから春仁とは少し距離がある様に感じてしまう。
川崎沙希の弟である川崎大志から小町に相談があり、それを奉仕部で受けたのだが、内容が内容だった事もあって、春仁には関与させない方がいいと思って黙っていた。
俺が気にしすぎなのだろうか、それとも本当に距離が開いてしまっているのだろうか。
春仁が今回の件を知ったらきっと怒る。また自分の過去を話し出すだろう。
俺も由比ヶ浜も、あんな辛そうな春仁はもう見たくない。辛い思いをしてほしくない。これは俺の本心だ。
しかし俺は自分の行動に疑問を持つ。これは本当に春仁の為なのだろうか。
思考と行動が乖離している。
自分がイヤだから、見たくないから逃げてるだけじゃないのだろうか。
「はぁ……」
無意識にため息が出る。幸せが逃げると言われるが、無くなるとは言われていない。誰かが俺の幸せを拾ってくれるならそれでいい。自己満足で構わない、可能であれば春仁に届いてほしい。
俺は自己嫌悪の渦から抜け出せずにいる。
「ヒッキーどうしたの? なんだか辛そうだよ?」
葉山達の少し後ろを着いていく俺に由比ヶ浜が話しかけて来た。
「あぁ…春仁の事でちょっとな」
「ハル君とケンカでもしたの…?」
「いや、自意識過剰なだけだと思うんだが…その、気になってな」
「…………そっか」
「由比ヶ浜。その、なんだ…後で、ちょっと相談していいか?」
「ヒッキー…うん。いいよ」
俺は職場見学が終わってから、喫茶店に移動して由比ヶ浜に相談した。
思えば彼女を頼るのは初めてではないだろうか。入学式でサブレを助けて、お礼言われて、友達になって。かれこれ1年間の付き合いになる。彼女は産まれて始めての友達だ。
そうだ、俺は由比ヶ浜を信じた。こいつで最後にしようって決めて、今も目の前にいてくれるこいつを信じてる。
「ヒッキーは悪くないよ」
「そうだろうか…俺は、俺のエゴで春仁を傷つけたと思ってる」
「だとしても、ヒッキーは悪くない。 だってさ。今ね、ヒッキーが苦しんでるんだよ? あたしはヒッキーの味方だから、信じてほしいな」
「由比ヶ浜…ありがとな。かなり楽になった」
「えっへん!ヒッキーも、もっとあたしを頼っていいんだよー!」
由比ヶ浜が手を腰に当てて胸を逸らす。メロンが目の前でぷるんと揺れてつい目を背けてしまう。
その姿勢するなら事前に言っておいてくれませんかね?
見てしまったら『ヒッキーのエッチ!キモい!』とか言ってくるのわかってるから。
俺は無罪だ。見る事が罪なら総武高校は女子高になるだろう。男子はもれなく懲役だ。言わせんな。泣きたくなる。
「そうだな。ほんと由比ヶ浜は頼りになるよ」
「わぁぁ!ヒッキーが素直だ! 大丈夫!? 検査してもらう?」
「由比ヶ浜、検査って言葉知ってるのか。偉いぞ」
「ばかにすんなし!!」
くっそ。ほんといい笑顔だ。眩しすぎて直視できん。
微妙な照れ隠ししかできない。顔が熱い自覚もある。人を好きになるってすごい。
今まで由比ヶ浜や春仁に告白してる人はこんな感覚に耐えてたのか。少し尊敬する。
「ありがとな…由比ヶ浜」
「えへへ♪ どういたしまして」
俺と由比ヶ浜は会計をして喫茶店を後にする。彼女を家の近くまで送って帰路についた。
家に帰ると春仁と小町が話をしていた。
ちらっと小町の顔見た感じだと軽い話ではなさそうだった。
ひょっとして俺が関わっているのだろうか。
ひとまず俺も話に加わる事になった。
「八幡。俺は独り暮らしを始める」
「…………俺が黙ってたからか?」
「ん?『あぁ色々あんだよ』って言った件か?あれは関係ないぞ。というか言いたくない事くらいいくらでもあんだろ」
そうか、そうだったのか。結局は俺の早合点で早とちりでただの自意識過剰だったって事だ。
俺は春仁を傷つけてなかった。じゃあ独り暮らしの理由はなんだ。
俺達と暮らすのがイヤになったのだろうか。
「正直に言う。俺はこの家を自宅とは思えない。どうしても気を使ってしまう」
春仁は真剣な眼差しで続ける。
「八幡と小町の事は好きだし、大切な家族だ。でもここは俺の家じゃない」
「ハルにぃ…小町はさびしいよぅ…うぅ…」
小町はこらえきれずに泣いてしまった。俺はお兄ちゃんスキルが発動したのか無意識に頭を撫でている。
「大丈夫だ。合鍵も渡すし、ここにもちゃんと来るから。それは約束する」
「…わかった。引っ越しはいつになるんだ? 俺も手伝うから決まったら教えてくれ」
春仁はわかったと返事をして小町を慰めていた。
「いつかは独りで暮らすんだし、遅くても大学生になったらそうなる。失敗するなら高校生の内にしておきたいんだ」
春仁の決意は固い様だ。
ならば俺は尊敬する兄の為に、春仁が自慢できる弟になろうと心に決める。