今年も夏がやってきた。
終業式も終わり、後は帰るだけの教室はいつもより賑やかだ。
ひと夏の思い出とやらの為に必死になってるのが滑稽に思える。
わたしが夏休みの計画をあれこれ考えていると、私と過ごす夏の思い出目当ての男どもが我よ我よと群がって来た。
この男たちは、わたしになにを求めてるのだろうか。
そんなの簡単。わたしで青春を彩りたいのだ。
それを遠巻きにみている女が、わざとらしく舌打ちしているのが目に入った。
隠せてないよ?あ、隠す気ないのか。
悔しいの?なら女を磨け。
「い、一色さん!夏休みに海とか一緒に行かない?」
急に話しかけるのやめてくれない?ちょっとビクッってしてしまった。
どこの礼儀知らずかと顔を見ると、たまに話しかけて来るメンタル超強い人だった。
クラスメイトだけど名前はしらない。
この男が話しかけてくるのはいつも突然だから困る。
「…う、海かぁ。海いいよね~。行くんだったら水着新しく買おうかなぁ~」
ふぅ、あぶないあぶない。素がでて「は?誰?」って言いそうだった。
彼には何回こんな感じの拒絶を繰り返しただろうか。毎日じゃないだけマシに思えてくる。
隣のクラスのイケメンはほぼ毎日、お昼休みになったらわたしの所に来て『いろはちゃん、今日はどこで買い物するの』とか聴いて来る。来る時間分かっているから相手するのも苦じゃないんだけど、さりげなく『今日は』って言うのやめてほしい。
君と行ったの1回だけだし、しかもコンビニだから。
なんだかムカついて来た。わたしとお出かけしてますアピールするイケメン君はそのうち断罪しよう。
「じゃ、じゃあ!一緒に買いにいこうよ!」
「は?キモい」
おっと素が出た。いろは素。なんちて。
クラスが違う意味でざわざわしだした。2割くらいはわたしの声のせいですね。あとの10割は目の前の男が悪い。わたしの水着姿想像してたんだろうか。鼻の下が伸びてキモい。
ニタニタしてたからニタ男と命名した。
「あ、いろは。柊先輩来たよ」
そこそこ仲良しの女の子が教えてくれた。
ぐるんっ。と首を回して廊下側を見ると柊せんぱいが開いてる窓に肘をついてぼーっと外を眺めていた。わたしが来るのを待っているのだろう。
鞄を持って柊せんぱいの隣へ行き、するりと腕を組んだ。
「お待たせしましたぁ」
「…いろはちゃん?まだ学校なんだが」
「いいじゃないですかぁ。それとも照れてるんですか?可愛いわたしに抱きつかれて嬉しいんですよねー?」
「はいはい、ウザ可愛いよ」
「は?一言多いです。やり直し」
「ウザい」
「そっちじゃありませんっ!」
わたしは1週間ほど前から、柊せんぱいにお願いして家まで送ってもらってる。一緒にいれて嬉しい。でも、ちゃんとした理由もある。
わたしにストーカーが憑いた。
怖かった。
1人になると足音が聞こえてきて速度を上げても足音はついてくる。
家を知られるという最悪の状況には至っていないけど、それも時間の問題だろう。
柊せんぱいに電話したら走って来てくれて、そのままデートしてくれた。
わたしが1人じゃなくなったからなのか、その後は静かになった。
なんてめんどくさい女だろう。わたしはそう思ってしまう。
学校を出て途中の交差点で進路変更。柊せんぱいの部屋へ向かう。
「いろは。後ろの奴がそうか?」
今まで警戒して潜んでいたのだろうか。スマホの黒い画面の先にはわたし達の背後の風景が映っている。
そこには帽子を深くかぶった怪しげな男が映っていた。
「…きもちわるいです」
怖い。こんなのが続くなら夏休みどころじゃない。
柊せんぱいがずっと一緒にいてくれるなんて不可能だ。
「…仕方ないか」
柊せんぱいがわたしの腕をほどき、やさしく腰に手を回してくれた。そっと引き寄せられる。
は、ははは恥ずかしい。
「うぅ…こんなのズルいです」
わたしの背中に腕が当たって、包まれてる様な感覚に顔がほにゃる。抱き着いていた腕が少し寂しい。
服をきゅっとつまんで腕を落ち着かせることにした。
「八幡の家に行くぞ」
「? わかりました」
背中に温もりを感じるだけでこんなに安心できるなんて、わたしは割とちょろいのかもしれない。
ほどなくして比企谷宅に到着した。
柊せんぱいが小町ちゃんに連絡をしてくれていた様で、わたしは何の抵抗もなく上がらせてもらい、ソファーで紅茶を頂いてる。
「ハルにぃ。どうしたの?」
「鍵を取りに来ただけだ、少ししたら出る」
「鍵?なんで?――あぁ…なるほどなるほど」
「小町?口に出すんじゃないぞ?」
小町ちゃんが悪い顔してる。たしかに口に出してないけど。目は口ほどに物を言うって言葉知ってるかな?
何言いたいかわかるんだけど…。
「いえいえ!小町は何もしりませんよ!えぇ、誰に渡すのかとか考えた事もありません!」
はぅぅ。そうだよね。柊せんぱいの部屋の合鍵だよね。わ、わたしにくれるのかなぁ…。
空のカップをわざとらしく口に運んで紅茶がすでにない事に気づく。
カップを置く手は羞恥心で震えていた。
「……録音」
「ハルにぃ!ごめん!ごめんなさい!アレは駄目だよ!お口チャックするから!」
小町ちゃんが凄い勢いで謝ってる。録音?何を録音したんだろうか。
後でコッソリ教えてもらおう。
小町ちゃんは受験生な事もあってすぐ部屋に戻って行った。
「よし、次はいろはの家に行くぞ」
「はひぃ!?わわ、わたしの家ですか?」
「そうだ。状況が状況だし、挨拶も兼ねて説明しに行くぞ」
なるほど、もしかしたらお母さんも柊せんぱいの事を覚えてるかもしれない。
わたしはカップをシンクで洗ってから比企谷宅を後にした。
わたしの家に着くまでの間にストーカーらしき影は見えなかったけど、柊せんぱいはさっきと同じ様に腰を抱いてくれた。
この温もりはきっとわたしをダメにする。
いかん、顔がほにゃる。
わたしが抱き着くのは平気だ。でもわたしが抱かれるのはこの先慣れる事はないだろう。
「ただいま~」
「おかえり。いろは。遅かったわね~。――あら?お友達?」
「はじめまして。柊春仁と申します。――お久しぶりです。の方があってるかもしれませんが…」
始めて見た時からかなり経ってるのに、あの頃と変わらぬ美貌を保持しているいろはママ。
結衣ママもそうだが、美少女の母親はどうして皆若く見えるのだろうか。
大人になった彼女たちを想像してしまい、顔が熱くなるのを感じる。
「あ~…東京の…よく覚えているわ。さ、上がって頂戴」
お邪魔しますと言いリビングに通される。
「懐かしいわね。あの時のいろは、あの後もすごかったのよ?」
「そ、そうなんですか。少し心配ではありましたが」
どんだけ泣いたんだよ。あれだけ引っ付いて来るのはその反動なのだろうか。
いや、俺も違和感ないけど。
ほどなくして部屋着に着替えたいろはが自室から戻ってきた。
「お母さん。覚えてるの?」
「もちろん♪覚えてるわよ」
母が娘をいじり倒す未来が見える。ソースは結衣ママ。
話が長引くのもアレだ。先に話を切り出しておこう。
「実はちょっと面倒な事になってまして――」
いろはの身に何が起こっているのか。俺がそれをどう思ってて、どうしたいのか。
肝心な事はそれだけだ。
時と場合によっては避難が必要な場合もあるだろう。その手段としていろはママに俺の部屋の鍵を預けておく。
いろはに預けるのと、彼女の親に預けるのとでは意味が全く違う。
親がいろはに任せたのであればそれはそれで構わない。
日本の警察はストーカーは容疑だけでは手出しできない事を俺は知っている。というか調べた。
被害に遭わないと警察は動かない。だが、被害に遭ってからでは遅すぎる。
身体に傷がついたとして消えない場合もある。心の傷は言うまでもない。
「…いろは。辛かったわね」
「…お母さん」
どうやら信じてもらえた様だ。
「柊くん。鍵は私がいろはに預けておきます」
「わかりました。俺の連絡先と住所を伝えておきます」
「うふふ♪いろはのだらしない顔ったらないわね」
「はっ!ちょっとお母さん!」
いろはママにも挨拶できた。これで何かあった際に動くことができる。
俺は挨拶をして、今日はそのまま下宿先に帰る事にした。
――翌日。
終業式を終えて夏休み1日目。
休みの日でも早朝に起きてしまうのは、良い習慣がついた証拠だと実感できる。
運動しやすい服装に着替えて走る。まだ7月で早朝な事もあり、少し涼しい。
散歩中のおじいさんと朝の挨拶を交わす。毎朝会うかもしれないからキチンとしておこう。
30分ほど走って来た道を戻る。ネクタイを締めた男性が欠伸をしながら自転車を漕いでいた。
自分の未来が少し暗くなった。やっぱり夏休みはないようだ。俺が目指している教師という職も同じなのだろう。
「おはようございま~す」
「…早くないか?」
部屋の前にいろはがいた。時間はまだ6時だ。しかも昨日の今日。
白のワンピースからは清涼感が漂う。まさしく『いろはす・夏』
おしゃれは足元からという基本も忘れてない。脛あたりまであるグラディエーターサンダルも珠の様な肌を一層際立てている。
今までのゆるふわコーデからは予想できなかった均整の取れたプロポーションも目を引く。
彼女は肩からエコバッグを下げており、中には食材がちらほら入っていた。
「連絡したのに!返事してくださいよぉ~!」
「いや、走ってたから、携帯もってないし」
ぶーぶーとあざとく頬を膨らませるいろは。
横暴だろ。鍵持ってるんだから入って待ってたらいいだろ。
冷めた目であざとい後輩を見ているとなにやら頬を染めてもじもじしだした。
「あの…お…おかえりなさい…」
時間が止まった気がした。
いつもと違う服装で、いつもより、より魅力的な一色いろは。
俺は彼女を直視できずにふいっと顔を逸らしてしまう。
顔が熱いのはきっと夏のせい。そういう事にしておこう。
「お、おぅ…ただいま…」
まいったな。これはすぐには慣れれそうにもない。
たっぷり10分ほどのラブコメ展開も終わり、部屋に入って朝食を食べる事にした。
いろはがキッチンで鼻歌を歌いつつ料理をしている。俺はその間にシャワーを浴びて部屋着に着替えた。
何気に始めて味わういろはの料理。気にならないと言えば嘘になる。
晩御飯はほとんど俺が作っていたし、俺の為に作ってもらった事は両手で数えれる程度だ。
「おまたせしました~」
すごくにこにこしたいろはが皿を持って来た。
テーブルを挟んで対面に座る。
「「いただきます」」
出て来たメニューはこれぞ日本の朝ごはんといったものだった。
白米、焼き鮭、味噌汁、漬物。どこぞの定食屋で見た事ある様なメニュー。
味噌汁を啜り、味わう。味噌汁の味は家庭と言うより個人レベルで違う。彼女の味噌汁はいりこ出汁、苦みが出ない様に頭は処理されていた。
家庭によってはいりこが具材になるが、今回は豆腐と大根だった。
「美味いな…」
無意識に声が漏れた。勿論、すぐ目の前にいるいろはに筒抜けである。
彼女は様々な感情が織り交ざった表情をしている。
その感情がどんなものだろうと、それは重要ではない。今までに見た事がない笑顔である事が重要なのだ。
「…よかったぁ」
不安になる要素など全くと言っていいほどないと思うのだが、それを言うのは野暮だ。
俺の味覚を基準に考えてくれた事がたまらなく嬉しい。素直にそう思える。
思えば、俺はずっと誰かの為に料理を作っていた。幼い頃は自分の為に、1人暮らしを始める前までは八幡や小町に、文化祭でもそうだ。
おそらく初めてであろう食事に舌鼓を打つ。
「ご馳走様でした」
「ふふっ♪お粗末様でした」
食事中に会話は一切なかったが、いろはシェフは満面の笑みだ。
料理ができる俺はわかる。自分が作った料理を食べてくれている。これは素晴らしい事だ。
会話をしないのではなく、できないほどに。
いろはの笑顔が眩しい。先日買ったオーブンが活躍する日もそう遠くないだろう。
「さて、どこか行こうか」
「柊せんぱい!デートに行きましょう!」
しかし、忘れてはいけない。今のいろははストーカーという問題が憑いている。
それが解決するのは、もう少し先の話。