人生イージーモード   作:EXIT.com

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第26話

 身体がだるい。頭がズキズキする。関節も痛い。熱も39℃を超えていた。

 病院に行こうにも動けない。フラフラとよろけながらも冷蔵庫から水を取り出し、喉に流し込む。

 2リットルあった天然水も間もなく底をつく。摂った水分は瞬く間に汗となり、体から出て行った。

 熱が出ているという事は身体の免疫が正常に機能している証なのだが、いかんせんしんどい。

 

「またこのパターンか…」

 

 平塚先生から合宿の連絡があったが、この状態では参加は不可能だろう。むしろ参加を拒否する。

 食欲もあまりない。あれば食べれるだろうが、冷蔵庫の中はスッキリしていた。

 自業自得なのだが、なんというタイミングだろうか。

 立っているだけでめまいがする。俺はベッドに倒れこんだ。

 

「柊せんぱい。大丈夫ですか?」

「……かえれ。うつるから…」

 

 一色いろはがいた。大丈夫だと言ったはずなのに、お見舞いに来たのだろう。

 

「いやです。わたしにも責任はあるんです」

「…だめだ。おれはだいじょぶ、だから」

 

 彼女に責任などない。体調管理をサボった俺が悪いのだ。

 一昨日の夕方、デートの帰りし。尻尾を出したストーカーを全力疾走で追いかけて、追いかけまわして。あと少しのところで逃げられた。

 いろはを家に帰らせて、疲労困憊(汗だく)の俺は家のベッドに倒れこんだ。エアコンをつけて寝るの良くないのは知ってる。しかし、今回はそれが裏目に出た。

 俺は、室内で熱中症になっていた。それに風邪が重なってこのザマである。

 

 いろはがすっと立ち上がって、何やらごそごそしている。どうやらタクシーを呼んでいるみたいだ。正しい判断だと感心する。

 意識が朦朧としてきた。呼吸が荒い。水も飲んだばかりなのに唇がカサカサになってる。

 それを察知したのか、いろはが俺の体を丁寧に支えて起こしてくれた。手にはポカリスエットを持っている。

 蓋が開いていた事に気づいたのは飲んだ後だった。水分とともに、彼女の優しさが染みる。

 

「っ柊せんぱい!」

 

 いろはの声で意識を繋ぐ。俺の視界は傾いていた。

 あぁそうか、倒れそうになったのか。いろはの心臓の音が心地よい。

 

「ありがとう…」

 

 ぽしょりと零す。

 それに応えるかのように髪を撫でられた。

 

もう…頑張り過ぎです。少し休んでください…

 

 心地良い音と温もりに身を委ねて、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 首元まで掛けられた布団に暖かさを感じる。熱が下がったのだろうか、なんとなく身体が軽い。

 

 いろはに頭を撫でられてから記憶が曖昧だ。

 たしか何回がよろよろと歩いた気がする。いろはがタクシーを呼んでいた事を思い出して、病院に行ったのだと辻褄を合わせていく。

 腹の減りもアテにできない。今は何時だろうか。

 息を深く吸うと(せき)が出た。喉の手前側に張り付いた(たん)が口の中に戻ってきて気持ち悪い。

 目を開けると真っ暗だった。ドアの下から光がうっすらと漏れている。

 時間も場所もわからないで咳込んでいると、扉がかちゃりと音を立てて開いた。

 

「顔色も良くなってきたわね。ご飯食べれる?」

 

 入って来たのはいろはママだった。

 

…え?あ?なんで?

 

 思考が追い付いてない俺はパニック一歩手前。しかも声がうまく出せない。

 落ち着こうと深呼吸したらひどい咳が出た。思わず体が強張る。

 

「あぁ…もう。ほら、体起こして」

 

 いろはママに背中をさすってもらい、咳は治まった。

 ティッシュに痰を吐き出してふぅと一息つく。

 痰に緑色のグロテスクな物体がまざっていたので完治一歩手前だと安堵するが、少しだけ血も混ざっていた。

 さっきよりもひどい咳をしていたのだろう。

 

「柊せんぱい。大丈夫ですか?」

 

 いろはがパジャマ姿でパタパタとやって来た。それと入れ替わりでいろはママはキッチンに戻って行った。

 濡れてしっとりした亜麻色の髪に(つや)を感じる。風呂上りの彼女からは、自身を磨いてる証ともとれる香りが漂っていた。

 

ありがとう。いろは

「本当に心配したんですからっ!」

 

 彼女が目尻に涙を浮かべて心情を吐露する。

 

「柊せんぱいが死んじゃうって思ったら怖くなってすぐお母さんに電話して車で来てもらったんです!車にのせようとしてもぐっだりして意識ないし!これはヤバい!って必死なりました!わたしが呼びかけても反応ないし手を握っても反応ないし揺さぶったらお母さんに怒られたし診察中もぼーっとしててわたし気が気じゃありませんでした!家で看病したいって言ったらお母さんから散々揶揄われるし!すごい恥ずかしかったので責任取って下さい!」

 

 待て待て。すごい事言ってるけど理解できてるか?止めたいけど声が出ないから止めれない。ジレンマ?違うな。板挟みにはあってない。

 

…こえがうまくでない

 

 カッスカスの声で言う。しかし彼女には聴こえてない。

 いろはがついにぽろぽろと涙をこぼして泣き出してしまった。彼女は俯いて肩を震わせて、両手で顔を覆っている。

 ふと、過去のいろはがフラッシュバックした。胸が苦しい。

 俺は手を伸ばし、いろはの頭にポンと手をおいて撫でた。

 はっと顔を上げて、目と目があう。

 

 ゆっくりと彼女の背中に腕を回してそっと抱擁すると、鎖骨あたりに重さを感じた。

 

声がうまく出ないんだ。ごめん。ありがとう

「だめです。許しません」

 

 これは貸しにしておきます♪とあざとく付け加えて、彼女は母を呼びに行った。

 

 幼い頃に大泣きしている少女の事を思い出す。

 迷子で、寂しくて、怖くて泣いていたであろう少女。

 それを見た時にほっとけないと手を伸ばしたのはなんでだろうな。

 いろはが泣いていたからだろうか。

 

 ユキの涙も結衣の涙も見た事がある。しかし苦しくはなかった。

 俺が交際を断って泣かせてしまった女の子もいる。それも苦しくはなかった。

 

 俺は、いろはが泣いてる事がたまらなく嫌なのか。

 あぁ…そうだな。難しく考える必要なんてない。

 

 母がよく聞いていた「東京ラブストーリー」の一節が頭を(よぎ)る。

 

 俺はとっくの昔に彼女に惚れていたのだ。

 

 

 

 

 

 時刻も22時を回り。一色家のリビングにて遅めの夕飯を頂いてる。

 出してくれたのはビーフシチューだった。非常に美味。しかも具がでかい。

 衰弱してるだろうといろはが気を使ってお粥を作ってくれたのだが、それで胃袋が覚醒。ぐーぐーなり出したのでがっつり頂く事になった。

 

 ――いろはパパと一緒に。

 

 ちょっと強面のダンディなオジ様。はじめましての挨拶は一応できたけどかなり緊張した。急に酒飲みだした時は逃げ出そうかと思った。

 ひっくい声で『君が、柊君か。いろはの父、(いわお)です』とか言われた時は肌が粟立った。はぁぁぁってため息ついて遠くを見ながら一言。

 

「俺にも義息子(むすこ)ができるのか…」

「なんでだよ!はぇぇよ!」

 

 結論。めっちゃいいパパしてた。

 

 それを皮切りにしゃべるしゃべる。

 どうやら今回のストーカーの事も耳に入ってて、俺に一度会いたかったそうだ。

 いろはとの関係やらいろいろ聞かれた。いろはは終始トマトみたいだったけど、逃げたら逃げたで何言われてるか不安なのだろう。自宅なのに借りて来た猫みたく隣でじっとしてた。

 そこにいろはママが参戦。巌さんを名前呼びするなら私も『桃花(ももか)』と呼びなさいと命令された。

 

「今日はホント助かりました。ありがとうございます。桃花さん」

「いいのよ。いろはがあまりにも必死だったから。ね?いろはちゃん♪」

「お母さん!もぅやめてぇ!恥ずかしい!」

「ははは!そうだ春仁くん。今日はもう遅い。泊って行きなさい」

 

「え?あの、お言葉はうれしいんですが、俺達付き合ってないですよ?」

 

 その場の時間が停止したような錯覚に陥る。

 

「えっ?わたしたち付き合ってなかったんですか?」

「待て待て。まだ告白すらしてないだろ。っていうかお前悪い顔やめろ」

 

 巌さんが硬直から復帰して一言。

 

「春仁くん。今。ここで。いろはに告白しなさい。ちゃんと“愛”を語るんだぞ」

 

 俺といろはが硬直した。二人が首まで赤くなっているのは言うまでもない。

 

 付き合って下さい。うんいいよ。じゃあダメなのか…愛を語れって…しかも相手の親の前で…

 それって結婚の挨拶の時にやるもんじゃないのか?お見合い?お見合いなの?初見じゃないけど!

 

「はるひとくん。私にも聞かせてほしいなぁ~♪」

 

「…わかりました」

「ひ、ひひひいらぎしぇんぱい。あ、ああああの。っそ、その」

 

 恥ずかしい。たしかに恥ずかしいよな。でもな。これだけの事してもらって逃げる訳にはいかない。

 巌さんは俺の事を義息子って言ってくれた。すげぇ嬉しかったんだ。それに応える為にも、ちゃんと言う。

 

「いろは、聴いてくれ」

「っ…はい」

 

おぉ…男前だぞ母さん

しっ!黙ってなさい!大事な瞬間なのよ!

 

 おい、あんたら。聞こえてるから。調子狂わすのやめろ。

 わざとらしく咳払いをして続ける。

 

 

「俺にとって、いろはは、大切な存在(ひと)だ。俺と一緒にいてほしい。俺と…付き合ってくれ」

 

 愛は語るものじゃない。伝えるものだ。言葉で伝わるならそれでいい。でも、言葉で伝わらないものも確かにある。

 

「…はい。わたしも…一緒にいたい、です。ちゃんと“わたし”を見てくれる存在(ひと)、だから」

 

 泣いている。それでも言葉を紡ぐ乙女。一色いろは。

 それを見る彼女の両親も感極まったのか、静かに涙を流していた。

 

 ありがとう。またせてごめん。泣かないでくれ。笑っていてほしい。

 伝えたい事が多すぎる。挙げればきりがない。だが、今は言葉は必要ない。

 

 俺は1歩進み、彼女を抱きよせて、そのままキスを落とした。

 いろはにだけ聞こえる様に耳元で“愛してる”と囁くと、彼女から口づけを交わされた。

 

 まるで結婚式の予行ではないかと錯覚するほどの雰囲気。

 この日は4人にとって、忘れられない日となった。

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 はるひとがわたしを好きだと言ってくれた。

 やっと。やっと言ってくれた!

 超待たされた。待たされた分嬉しかった。

 きっと待たれてなかったらこんなに満たされてない。

 

 ある意味お父さんには感謝してる。目の前で告白させるのはやりすぎって思ったけど、家族を味方につけておいて良かった。

 

 付き合った所でわたしたちの行動そのものに変化はない。でも、彼がわたしの家に気軽に来れる様になったのは大きい。

 お父さんも彼を気に入ってくれたみたいだ。

 キスした時にお母さんが言ってた。お母さんたちの出会いとわたし達の出会いがすごく似てるらしい。

 

 はるひとは今日は泊って行くことになった。ちなみにお父さんの寝巻着てる。

 実は一緒に寝るのはこれが初めてじゃない、わたしが勝手に潜り込んだだけなんだけど。

 

「奉仕部の合宿どうする?明日出発だけど」

「あ~メール来てましたね。行きたいですか?」

 

 明日の体調次第みたいです。そうですね。忘れてましたけど風邪ひいてましたね。

 もう無理に行かなくていいと思う。また倒れるのはヤだし。

 

「ま、今日と明日は安静にする」

「そうですね~♪」

「もう心配はかけたくないしな…」

 

 ほんとです。反省してください。だから髪をもっと撫でてください。さあ!さあ!!

 少なくとも夏休みの間は、極論24時間一緒に居れるから、無理はわたしがさせない。

 

 

 恋人かぁ…。

 

『俺にとっていろはは大切な存在だ』

 

 大切なひとなんて言葉。今まで言われた事なかった。

 中学も高校でも、ただ単に可愛いから~とか。ムリしてるから~とか。上辺だけの評価で告白されてきた。

 “可愛いわたし”目当てで、演じてるのを勘違いしてて、正直つまらなかった。

 

 でも、彼は違った。わたしが演じてても、素でいても変わらない。

 正直言って悔しかった。

 

「はるひと」

「ん?」

「わたしが演じてた“可愛いわたし”に魅力ありましたか?」

 

 わたしは彼の腕の中で問いかける。

 演技はあくまでも演技。本物じゃない。相手が望んでいるであろう偶像をみせてあげるだけだ。

 偽物ではないけど。本物のわたしではない。

 

「どうした?いきなり」

「演技してるわたしは本物のわたしじゃないんです。そんなわたしに魅力はありましたか?」

「ある」

 

 即答だった。何故?と理由を聞く。いろはの場合は。と、前置きして話してくれた。

 

「演技だろうがなんだろうが、自分からやってる事は全て本物だ。だから“可愛いわたし”のいろはも偽物なんかじゃない」

 

 わたしは悶えた。こんな事を言われておとなしくなんでムリ。

 じたばたしてたら彼に捕まえられて動けなくなってしまった。

 心地よい温もりと、はるひとの心音が眠気を誘う。わたしはそれに逆らわない事にした。

 

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 

『もう離さないでください』と想いを込めてキスをする。

 

 わたしはすぐに眠りに落ちた。

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