「おはよう!」
「ちーっす!」
約1ヶ月振りに制服に袖を通して通学路を歩く。
朝の挨拶は1日を始めるためには欠かせない儀式だ。気持ちの良い1日は、気持ちの良い挨拶から始まる。ソースは元バイト先の店長。
今日も1日よろしくお願いします!から始まり、お疲れ様でした!で終わる。実に気持ちが良い。次もがんばろうと思える。
目の前の彼らを見てると挨拶をしている筈なのだが、それではない様に思える。おはようなのに違う。『あぁ、こんな奴も居たっけ。休みの間何してたか知らんけど友達面して声かけて来るのやめてくんない?』が圧縮されて「ちーっす!」になっている。
「久しぶり!」
「元気してた?」
後ろから女子の声が聴こえた。明るい声だが内容には闇を感じる。
お前、久しぶりって。会ってたんじゃないのかよ。
振り返らなくてもわかる。少しトーンの低い「元気してた?」には『は?あんた休みの間に連絡一切なかったくせに友達のつもりなの?でも感じ悪くしちゃったら気まずくなっちゃうから何か返事しないと』が圧縮されている。多分。
圧縮言語で会話できる様になるのも時間の問題だ。
3分間しか活動できないヒーローの『ヘアッ!』が翻訳なしで通じる様に会話が成立して、『イーッ!』と言うだけで統率が取れる集団の様に授業がつつがなく進行する。
なにそれこわい。
救いようの無い思考を巡らせていると、何かが背中からどんっとぶつかってきた。
「おはよう。はるひと」
「おはよう。いろは」
今日も1日がんばれる!――気がした。
下駄箱でいろはと別れてF組に向かう。すでに何人か教室でわいわいと楽しそうだ。しかし、こっちは一味違った。
結衣を除く隼人達のグループは、べーべー言ってる戸部が中心になって会話に花を咲かせている。三浦さんも少し肌が焼けてる。
まさしくギャルだ。オカンだけど。
彼らはいい。一味違うのはその周りだ。
やれどこ行った、やれ何やった。聞かれてもいないのに答える様は滑稽だが楽しかったのなら話したいのは当然だろう。なのに聴いてる側は『や、興味ないから』『あっそーふーん』と顔に書いてある。
彼らは隠せてるつもりなのだろうか。
控えめに言って気持ち悪い。嘘臭い友達付き合いだ。はっきり『羨ましい、そんな話ムカつくから聴きたくない』って言えばいいのに。
お前ら、ここが千葉で良かったな。大阪だったらお前ら吊るされてるぞ。
『〇〇に行ってん』と、会話のスタート切るものの『その話、オチるんか?』と、秒で返ってくる。実はオチるかはどうでもよくて、ただの様式美なのだが。
話を聞き終わった時の台詞が『お前が楽しかっただけやんけ!他におもろい事なかったんか!』だった。
聴いてて気持ち良かった。ごっつええ感じ。
「おう」
「おはよう。ハル君」
「おはよう。八幡。結衣」
ふたりが俺をじろじろ見て一言。
「「くろい」」
「主語を言え」
肌だよね?腹じゃないよね?ってかお前らも圧縮言語使うのかよ。
でもまぁ――たしかに綺麗に焼けてる。いろはに塗ってもらったオイルのおかげで痒みもあまりない。
「ハル君は海行ったの?」
「あぁ。勝浦まで行った」
「八幡達はどこに行ったんだ?」
「ふぇ!? なな、なんで知ってるの?」
小町が全部白状しました。違うな。情報共有だ。
っていうか。サブレの散歩してたのほぼ俺なんだが…
「小町から聴いた」
「もぅ!そう言うハル君はいろはちゃんと行ったんでしょ!?」
「そうだ。あと声がでかい」
「俺が拉致されたのは軽井沢だったぞ。涼しくて帰る気が失せたな」
それは任意同行って言うんじゃないかな?八幡くん。
「えへへぇ。拉致しちゃった♪」
「軽井沢って事は山か。こっちは日帰りだったからそっちも魅力的だな」
「花火大会も行けたし--あ…」
結衣の顔が曇る。花火大会で何か嫌な事でもあったのだろうか。
花火は行きたかったけど、いろはが熱出して看病してた。
どうせ行くなら京都祇園の大文字焼きに行きたいなぁ。
ふたりで行くとして、バイクで行くのは無茶だ。新幹線は旅費が高い。行くなら来年だな。
「結衣…気にすんな。もう終わった事だ」
「そうだけどさ…」
「…なんかあったのか?」
八幡と結衣が関係していて、言いづらい事。かつ、もう終わってる事。
予想はつく、でも口に出すのは駄目な気がした。なんとなくそう思った。
「花火の時にね、ゆきのんのお姉さんに会ってさ――」
結衣は八幡を轢いた車を見たのだ。八幡と俺の中ではとっくに話がついてる、きっとユキの中でも、もう終わった事になってる。
ユキは1年前に俺と事故の事を話してるせいで、話さなければという意識すらないだろう。
はるのちゃんが何を言ったか知らないが、見事にすれ違ってる。
「あたしは…やっぱり言って欲しかったな…。謝ってほしいとかじゃなくてさ、こう…信頼されてないのかなーって…不安になる。」
「あの時は情報規制がかかってたからな。 それとも…結衣は裏切られたと思うか?」
「そんな事ない! あたしはゆきのんを信じてる!」
「なら、それでいいんじゃないか?その不安な気持ちは、ユキの事を信頼してる証拠だ」
結衣は得心がいったみたいでいつもの可憐な表情に戻った。八幡もほっとしていた。
ロングホームルームも終わり、3人で特別棟の4階にぼちぼち向かっていると、スマホがピピピと鳴った。音から察するにメールだ。
おそらくいろはだろう。
「春仁のか。俺のかと思ってビビったわ」
「ヒッキーにメール打つ人いるの?」
「いるよ!戸塚とか小町とか! あと戸塚!」
八幡の自虐ネタは放置して差出人を確認する。メールを確認した俺はすぐさま走り出していた。八幡と結衣が俺を呼んだ気がするがそれは後でいい。
『はやく』
いろはからのメールにはそれだけが打たれていた。
「ねぇ…いろはちゃん。
――なんなのコイツ…やだ…怖い。
やはく来て――はるひと。
純潔を捧げた時に、演技はもうやめる事、ありのままでいる事を決めた。
猫なで声で気を引く事もやめた。隣のクラスのイケメン君には来なくていいからって言ってぶった切って来た。
でもこの男――ニタ男だけは引き下がってくれない。笑った顔がキモい。
「いろはちゃん。聞いてる?」
「………」
今、わたしを助けてくれる人はいない。自分のモノにならない女には興味がない男と、わたしの敵である女しかいなかった。
はるひとは来てくれるだろうか。あの短文だけで通じるだろうか。
「聞いてんのか!」
「っひぃ!!」
怒鳴る程の事なのか疑問だ。
そもそも、なんでわたしがこんな目に遭わないといけないのか。
夏休み前だってそうだ、ストーカーに尾行されて怖い思いして、はるひとが追っ払ってくれて、あれで終わったんじゃないの?
「びっくりしたぁ。怒鳴らないでよ」
「お前がボクの事無視するからだろ!」
いやいや、キミの場合は無視される方にしか問題ないでしょ。バカなの?
「はいはい。じゃあ聞くから。何の用?」
「ボクと一緒に買い物行ってくれるって約束破ったでしょ」
「は?」
そんな約束してないけど…やんわりお断りしたの通じてないのかな?それとも自分の都合のいい言葉しか聞こえないのかな?
「わたし、行くなんて一言も言ってないけど」
「嘘だ! いろはちゃんはボクと約束したんだ! 一緒に水着を見に行くって! なのに…!」
あー。あの時ね。アホらしくなってきた。なんだか怯えてたのかバカみたい。
ニタ男には悪い事したかもしれない。でもここでわたしに迫る意味がわからない。
「わたし、彼氏いるんだけど…キミと一緒に水着見に行く理由ないよね」
教室のドアの前にはるひとが見えた。安心して顔が綻びそうになるけど、ぐっとこらえた。
彼に通じるかわからないけど、目で合図してみる。すると彼は音を殺してスマホを構えた。
――通じた。
ニタ男ははるひとが後ろにいる事に気づいていない。ここからは、ずっとわたしのターンだ。
「あのさ…ほんっと迷惑だから、付きまとうのやめてくれない? なんだかキモいし
ちょっと言いすぎたかもしれないけど。これでわたしの学校生活が少しでもマシになるならそれでいい。
「ストーカーみたいって…」
「…あ! 柊せんぱぁい!」
潮時だ。なにより目の前にはるひとがいるのに、傍に居れないのは拷問と言っていい。
てててと駆け寄って彼の腕にしがみつく。
「おぉ…すまん。いろは。待たせたな」
「彼女を待たせたら めっ! ですよ? おいしいケーキのお店に連れて行ってくれたら考えてあげますっ♪ ――あいつがストーカーかもしれません。話合わせて下さい」
ニタ男がストーカーという言葉に反応した。まさかとは思うけど、もしこいつがあのストーカーなら…。
ダメだ。すごく怖い。何時間も同じ部屋にいる事に耐えれない。
これから、高校生活で初めての文化祭もある。なんでこういつも邪魔が入るのだろうか。
「はいはい。いくぞー」
「あっ! まってくださいよー!」
はるひとがユキせんぱいにぽちぽちとメールを入れていた。
部活に遅れたからだろうか…だとしたらごめんなさい。
でも、わたしの予想は外れた。
「このまままっすぐ帰るぞ」
「わかりました。きてくれてありがとう。はるひと」
「どういたしまして」
奉仕部へは行かずにそのままわたしの家に向かった。
一番安全なのは、はるひとが傍にいる事。その次に、わたしの家だ。
「たすかりましたぁ…」
「あいつヤバいな。目が血走ってなかったか?」
顔なんて見てられない。吐き気する。
「それよりも、あのニタ男と同じクラスって事がイヤです。どうすればいいんだろ…」
「ふむ…」
はるひとがいる事で安全にはなる。でもそれは学校の外だけの話。
わたしがひとりでも大丈夫な様にするにはニタ男をどうにかしないといけない。
――でもどうやって?
教師に言う?平塚先生なら動いてくれるだろうか?でも周りに言いふらされるのは絶対に嫌だ。
はるひとに守ってもらうにしても、前みたいに体調崩してほしくない。
「いろは。文化祭の実行委員やらないか? 俺もやるからさ。今のところ、解決は不可能だけど一旦解消はできる。手を考えよう」
「…わかりました」
悔しい。すごく悔しい。なんで毎回うまく行かないのだろう。
わたしが自分を守るために演技をして、それに勝手に群がって来ただけじゃないか。それなのに、わたしが振り向かないと男を掌で転がす悪女扱い――わけわかんない…。
――どうしてこうなってしまったんだろうか…ぐすっ。
「いろは…」
「えっ…あ…ひうぅ…」
いつのまにか、こんなにも弱くなってしまった。はるひとの胸に顔を埋めて彼のシャツを濡らす。
きっと、今のわたしが本物のわたし。とても弱くて、脆い。簡単に壊れてしまう。
大好きな彼の両手がわたしの背中と髪を撫でる。その優しさでわたしの堤防は決壊して、とめどなく感情があふれ出た。
弱いわたしでごめんなさい。絶対に強くなるから。貴方の隣に立てるように強くなるから。
今はもう少し甘えさせて下さい。