去年の文化祭はずっと隣のカレー堂にいた。
何をするか当日になっても知らされてなかったのだからそういう事なのだろう。
むしろ参加を強制されなくて良かったとさえ思える。
昔の偉い人は言いました。無能な働き者は銃殺刑に処す。と。
自分自身が無能だとはこれっぽっちも思ってないが、あの時のあいつらは、俺を無能だと判断したのだろう。
無能な俺は仕事をしない事でクラスに貢献しようとした。俺がいない事で、クラスがまとまって楽しめるなら大いに結構。
そう思っていた。
――今年は違う。今までが間違っていたのか、これが正解なのか、今の俺には解らない。
「…ヒッキー?大丈夫?」
「うぉ!……結衣か」
すこしぼーっとしていた。なにせ演劇でやった事ある役と言えば『木』くらいしかない。小道具で事足りるのにわざわざキャストを用意してくれた当時の連中の思考回路が気になるが。
俺はへび役に選ばれた。ただ単なるキャラクターならばいいのだが、最後のシーンに問題があった。
『王子を毒牙にかける』
つまり。戸塚に噛みつくのだ。なんで実際に噛む必要があるのかはなはだ疑問だ。脚本を丸ごと作り直してもいいと思う。
まぁ、その練習がさっき終わったとこなのだが――
『ヒキタニ君。手じゃないよ。首。だからね』
『八幡…やさしくしてね…』
『戸塚…そのセリフはやめろ』
ぎゅっと抱きしめて首に歯を立てないとダメだと監督に何度も言われた。理性がガラガラと音を立てて崩れていく。頬を染める戸塚から目を離せなかった。
戸塚を抱きしめて、見つめあう。ちらっと首すじに視線を落とした。心臓の音が煩い。脈動の度に少し視界がブレる。
抱かれる戸塚も緊張しているのだ。彼の鎖骨あたりに顎が当たって彼が身震いする。
――白くて綺麗な彼の肌に俺の牙を穿つ。
『んあっ…』
『はい! カーーーット! 違うよヒキタニ君! ここは――』
言うまでもなく俺と戸塚は真っ赤で、監督は鼻にティッシュが詰められてた。
メイク担当もすこし恍惚な顔をしている。葉山は遠い目で景色を眺めていた。
「ヒッキー。さいちゃんにでれでれしすぎ!」
「してない!やらされてるんだ!」
俺の可愛い彼女は男に嫉妬している様だ。文句は監督に言って頂きたい。今日の稽古はもう無理だろうな。時間的にも精神的にもしんどいし…。
委員長になった春仁の陣中見舞いに行こう。俺はふらりと立ち上がる。
「春仁の所に行くのか? なら俺も行くよ」
「なんか用あんのか?」
有志の用紙提出と葉山は答えた。バンドをやるらしい。さぞや華やかになるだろうね。まぁ、俺には関係のない事だろう。
「結衣がヴォーカルなんだが、比企谷もやらないか?」
「……ドラムくらいしかできねぇぞ、ってか人足りてんのか?」
「丁度良かった。ドラムだけいなかったんだよね」
関係者になっちまった。断ることもできたが、俺にその選択肢はない。
葉山の家で練習しているらしい。最近結衣がよく三浦と一緒にいる事もそれが原因だろう。
あと2週間でどこまで詰めれるだろうか。ひとまずやってみてから考えてもらおう。
「葉山。俺も素人だからな?あんま期待するなよ?」
葉山はふっと笑って前を向いて歩きだす。目的地はそれほど離れていない。
ふと見ると、文実の会議室前に数人がたむろしていた。
「何かあったの?」
葉山が声をかける。しかし、返事はなかった。俺も葉山の肩ごしに会議室の中を見る。
「おいおい…」
「はぁ……」
おい、葉山。同じ様な反応するな。仲良しに見えるだろうが。俺とお前は友達なんかじゃないんだから。もうちょっとずらして反応して欲しいものだ。
とりあえず、簡潔に言うと『雪ノ下陽乃がいた』
「ひゃっはろー!ジン君!雪乃ちゃん!」
「こんにちは。はるのちゃん」
「姉さん…何しに来たの?」
ホントそれ。陽乃さんは卒業生だけど完全に部外者だ。「よよよ。雪乃ちゃんがつめたい」などと三文芝居をやらかす。思ってもない事を口に出す天才なんじゃないだろうか。俺は天災に清き一票を入れておく。
「有志の参加申し込みに来たんだよ。ららぽーとのポスター見て、めぐりに教えてもらったんだよねー♪」
は?あそこに掲載してもらってるの?普通にすごくね?春仁の手腕なのだろうか。
「柊君。…勝手な事しちゃったかな?」
ぽわぽわしてる。あぁ、あの人が生徒会長か。
「問題ありませんよ。だからそんなにしゅんとしないでください」
「あっ…うん。――んぅ…」
春仁のいい子いい子攻撃。こうかはばつぐんだ。城廻先輩は気持ちよさそうに目を細めてる。
「はるひと?なにしてるんですか?」
「…はるのちゃん。有志は何組くらい参加するのかな?」
一色が冷めた目で春仁を見てる。いや、それくらい許してやれよ。あんな風にしょんぼりされたら罪悪感しかないんだよ。
しょんぼりぽわぽわした人は少し頬を染めて下がった。
「ん~そうだねぇ。4組くらいになるかなぁ~」
「4組か…ユキ。枠は用意できそうか?」
「期日を過ぎてるから、少し難しいわね。…全体のリスケをすればなんとかなるかもしれないけれど。正直4組は不可能よ」
リスケジュールね。なんの毛かと思ったわ。言葉はちゃんと言って下さいね。雪ノ下さん。あ、高校生の方な。
「雪乃ちゃ~ん♪ おねがい!1組でもいいから!」
「ちょっと…姉さん離れて」
「あ!比企谷くん!雪乃ちゃんを説得して!彼女の姉には協力するべきでしょ?」
――は?彼女?何言ってんだこの人は。
あぁ、俺と結衣が付き合ってる事知らないのか。合宿の帰りは隠してたし、その前はららぽだったか。よく覚えてないけど。
「いや、俺彼女いますし。それに1組ならいけるんじゃないですかね?」
「えっ? 雪乃ちゃんの彼氏になったの?」
「ちげぇよ!」
言わないとダメなんだろうか。これはあまり言いたくない。俺に突き刺さる視線が増えるのは遠慮したい。
「由比ヶ浜ちゃんか…」
「……知ってるならなんで聞いたんですかね」
ホント性格悪いなこの人。
「葉山。用は済んだだろ。行くぞ」
「そうだね。そうだ、春仁。」
「どうした?隼人」
「あのスローガン。君らしくて俺は気に入ったよ。がんばってな」
「そうかよ。お前もな!あと考えたのは相模だ。そこ言葉は相模に言ってくれ」
「っちょ! 柊君!うち、恥ずかしいから言わないでって言ったのに!」
誰だあれは、俺の知ってる相模南とは違うぞ。
まぁいい。春仁の影響でいい方に変化してるならいいじゃないか。それでいい。
すたすたと教室へと戻る。ほとんど下校していたが、結衣は俺を待っていた様だ。
「ヒッキー。かえろ♪」
今年の文化祭は色々な変化を実感できてる。あるいは変化してたけど見ようとしてなかっただけなのかもしれない。
結衣が彼女になってから、お互いの事を沢山話した。言いたくない事も、聞きたくない事も沢山あった。
『ヒッキー。逃げちゃダメ。あたしも逃げないから。ね?』
変化が実感できる様になったのはそれからだった。俺が変化したのか。周りが変化したのか。それはどうでもいいんだ。
俺は今まで逃げていた事を認める。それが大事なんだ。でも、立ち向かう必要はない。そんな事は俺にはできない。
俺と結衣。春仁と一色。雪ノ下は俺達4人をどうみてるのだろうか。
考えるまでもない。雪ノ下は俺とどこか似ている。俺がそうするように、彼女は俺達から離れようとするだろう。
春仁達の為、俺と結衣の為。そして彼女自身の為に…。
5人でいる
でも、雪ノ下を残したまま、俺達は変化してしまった。
「ヒッキー。 ゆきのんがね…なんだか遠くに感じる。 なんかさ。 よそよそしいって言う感じ? 言葉にうまくできないけど…」
「結衣。大丈夫だ。ちゃんと伝わってる。」
結衣とのメールの返事が遅かったり、会う約束そのものができなかったり、彼女達の接点がなくなっていってる。
「…寂しいな」
「結衣。ひとりじゃダメだったらふたりで。だろ?」
「ヒッキー…。うん。そうだ。 あたし達でだめだったらハル君といろはちゃんも入れて4人で言うの!」
俺達の言葉でちゃんと伝えるんだ。
「「本物が欲しい」」
姉さんが有志の申し込みに来た。
いえ、それ自体は良い事なのだけれど。
城廻会長も厚木先生も姉さんが実行委員をやった文化祭は凄かったと褒めたたえる。
実際に私も見ていたのだし、言われなくてもわかっている。
――姉さんには負けたくない。
でも、どうやれば勝てるのか分からない。どこで勝ち負けを決めるのだろうか。
「…ユキ?」
「…ぁ。 ハル、どうしたの?」
「…はるのちゃんの分、ねじ込めるか?」
「え、えぇ。問題なさそうよ。総務の方を調整すればなんとかなるわ――あ…」
ハルにぽんぽんと髪を撫でられた。いろはさんが温かい目で私を見ている。
先ほどは冷ややかな目をしていたのに、なんででしょうね。
あれこれ考えるのは後回しにしましょう。今は私ができる事をやらなければならない。
「管理部の方はこちらへ。一部変更があります」
私はハルに任された。それを全うしましょう。今はそれでいい。
管理部の生徒に指示を出す。書類関係は総務へ回す。仕事が終わった人から下校してもらって、私はスケジュールの確認と調整。
気付けば陽は暮れて月が見えていた。
『雪ノ下先輩。お疲れ様でした』
『お疲れ様。遅くまでありがとう』
ハルの仕事が何なのか、私はまだよくわかっていない。でも私でもできる事を、私がやっておけば、彼の力になれる。――と思う。
余計なお世話かもしれない。しなくていい事かもしれない。しかし、仕事をするな。という指示はされていない。
ハルが見てくれてると思うとなんでもできる気がする。相模さんも文実メンバーもこんな気持ちなのかしらね。
私はいつもより少し多めに仕事を持ち帰って、いつもより少し遅く眠りについた。
翌朝になって起きた私は、身体の異常に気付いた。
まっすぐ歩けない、頭がぼーっとする。あきらかにおかしい。
「……なんでこうなるのよ…!」
ベッドにぽすんと座った私はそのまま横に倒れてしまった。
頭がぐわんぐわんして気持ち悪い。
――学校に行かなければ。文化祭の仕事がまだ残ってるのに…
そのまま私は意識を失った。
――何やら音が聞こえてくる。
インターホンだと気づくのに時間がかかってしまった。
のそのそとベッドから這い出て、ドアホンのボタンを押す。
『……はい』
『ゆきのん!あたし!大丈夫?』
…結衣さん?あぁ、もう学校は終わってるのね。お見舞いに来てくれたのかしら。
「結衣さん。ありがとう。私は大丈夫だから帰っ」
「雪ノ下。いいから開けろ。春仁もいるから」
少し怒っている様な気がする。ボタンを押してオートロックを解除した。
部屋着に着替えてカーディガンを羽織る。少し経ってから、玄関のインターホンが鳴った。
「…どうぞ」
結衣さん。比企谷くん。ハルの順で上がってもらった。
「…適当に座ってて、今お茶を入れるから」
「っユキ!」
世界がゆっくりと傾いていく。
――いいえ違う。私が倒れていってる。
それを理解したのは、ハルに抱きかかえられてからだった。
意識は朦朧としていて、今どんな状態なのかよくわからない。ふわりと宙に浮いた感覚を抱く。
そのまま私は柔らかい所に寝かされた。
「ユキ。今は休んでいいから」
「…ごめんなさい」
看病される事は嬉しい。でもそれ以上に悔しくて情けなく思う。
ハルの為に頑張った結果が今の私だ。
――頑張ってる私を見てほしかったのに。
視界が曇る。目の前にいるハルの顔がぼやけている。
「ユキ。よく頑張ったな。後は俺達に任せろ」
私に優しくしないで。押さえつけてた気持ちが決壊してしまう。
彼は穏やかに微笑んで、髪を撫でてくれている。
ふと、ここにはいないはずの、いろはさんの声が聞こえた気がした。
『ユキせんぱい。私達は大丈夫ですから。もっと素直になって下さい』
ハルの胸に顔を埋めて声を殺して泣く。声を我慢する事がこんなに難しいだなんて思わなかった。
結衣さんと比企谷くんにはこれ以上心配させたくない。
――ごめんなさい。ありがとう。嬉しい。悔しい。
荒れ狂う感情に身をゆだねて、ハルにしがみつく
彼は私の髪を撫でて赤子をあやす様に背中をとんとんと叩く。
「…ごめんなさい。――ごめんなさい」
「ハル君。ゆきのん、大丈夫?」
「結衣。ユキを頼む。俺はお粥作るから」
鼻をぐしぐし言わせながら結衣さんを見る。
「ほら。おいで。ゆきのん」
ぱっと開かれた懐に吸い込まれた。とても暖かい。
「ゆきのん。あたし、ちょっと怒ってるんだから」
「…ごめんなさい」
「無理したことじゃなくてさ。 辛い時は甘えていいんだよ?」
「…ありがとう。結衣さん」
ハルが作ってくれたお粥を頂いたのだけれど。
「ゆきのん。あーん♪」
「結衣さん。その…自分で食べれるから」
「あーん♪」
「……はむっ。――美味しいわ」
結衣さんは嬉しそうだけど、お粥を作ってくれたのはハルよ。貴女ではないわ。勘違いしてはダメよ?
結衣さんは今日は泊って行ってくれるみたい。でも、ハルが居てくれないと食事が怖いから、いろはさんを連れて来てくれる事になった。
私は結衣さんに髪を撫でてもらいながらゆっくりと眠りについた。