人生イージーモード   作:EXIT.com

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第40話

修学旅行。

日本で行くのは初めてだ。留学先のアメリカでもこの行事はあったのだけれど、特筆する事はなかった。だって、行っただけなのだもの。

 

今日、私はわくわくしてる。

何度も時計を見たり、そわそわして落ち着かない。

 

ダメよ雪乃。

まだ出発すらしていないのに、体力を減らすのは上策とはいえないわ。

 

いいえ。それは少し違うわ。

私は今、暖気中なの。これは言わば投資よ。

 

部屋の中をうろうろとしながら、落ち着かなくていい理由を探す。

だって仕方ないじゃない。座っててもいつのまにか立ち上がっているのだもの。

 

自分の尻尾を玩具と勘違いしてくるくる回る子猫が自分と重なり、少し顔が熱くなった。

 

ソファーにぽすんと腰掛けて彼の迎えを待つのだけれど、約束の時間まであと30分もある。

私はまた立ち上がりうろうろしてしまった。

 

エントランスからの呼び鈴が来客を告げる。

ぐりんっ!と首を回して時計を見るのだけれど、うろうろした割にはたった5分程しか経っていなかった。

 

ふふっ。幼稚園児みたいね…。

 

『おはようユキ。俺だ』

「おはようハル。上がって頂戴」

 

とても待ちくたびれたわ。といっても、ハルは1ミリも悪くないのだけれど。

 

せっかく私の為に来てくれたのだし、おもてなしをしたいのだけれど今はそうもいかない。なにせこれから向かう場所が問題なのだ。その場所とは京都の事ではない。

 

そう、集合場所である東京駅だ。

 

あそこは最早迷宮と言って差し支えない程入り組んでいる。私が集合場所に迷わないで行けるとは思えない。人が多すぎるのも辛い点ね、酔って倒れてしまう可能性すらある。

昨日の夜の内にハルにお願いしたら彼は快諾してくれた。仮に私が倒れてしまったとしても背負ってくれるでしょう。彼はそういう人なのだし。

 

――でも、お姫様だっこは恥ずかしいわね…。

 

いえ…倒れる前提で物事を考えるのは愚の骨頂だわ。邪な考えは今は置いておきましょう。

…おんぶなら大丈夫かもしれない。

 

「んじゃ行くか、少し…というか大分早いけど」

 

ハルが私のボストンバッグを担いですたすたと先に行く。さりげない優しさも気取らない性格も、私が憧れる柊春仁そのものだ。

貴重品や小物をまとめたショルダーバッグを肩にかけて彼と並んでマンションを出た。足取りが軽いのは心が躍っているからだろう。

その理由はハルと一緒にいるからではない。結衣さんたちと京都に行けるからでもない。

 

『修学旅行、楽しんでらっしゃいね』

 

昨日実家に呼び出された際に、母さんに相談した事がきっかけで言われた言葉。

私が相談したのはハルの事だった。

 

 

『雪乃。おかえりなさい』

『…ただいま。母さん』

 

『学校はどう?文化祭では活躍したらしいじゃない。よく頑張ったわね』

『…私は何もしてないわ。責務を全うしただけよ』

 

 

『母さん…アダルトチルドレンって何?』

『……雪乃?』

 

 

『友達が…大切な人がそうなってしまってるの。勿論調べたのだけれど…その、よく理解できなくって』

『陽乃から聴いたわ。柊君が戻って来てるみたいね。彼の事なの?』

 

 

『…そうよ』

『……聴いてて気持ちの良い話ではないの。修学旅行から帰ったらゆっくりと話しましょうか』

 

 

『母さん…』

『雪乃。帰ってきたらもっと貴女の事を聞かせて頂戴。どんな事をして、どんな風に感じたのか。それと柊君の事も好きなのでしょう?』

 

 

 

『だから――修学旅行、楽しんでらっしゃいね』

 

 

皮肉にもハルの問題のお陰で私達親子の距離が縮まった。全て終わったらキチンとお礼を言おう。

 

東京駅に着いたら後は新幹線の乗降口辺りに向かうだけだ。ハルが言うにはそんなに離れていないみたい。それならきっと大丈夫だと思った。

しかし、私の考えが甘かったと言わざる得ない。

 

「お、おい。大丈夫か?」

「っへ、平気よ!この程度!」

 

予想を大幅に上回る雑踏にめまいがする。密集する高層ビルは森みたいで空が狭く感じる。

彼の袖あたりをちょんと摘んでいた指にきゅっと力が入る。

 

「ユキ。ほら」

 

ハルが両手に持っていた荷物を右側に纏めて、左肘をくいっと突き出す。

私は躊躇うことなくその腕に掴まり少しだけ寄りかかった。

 

「…ありがとう」

「どういたしまして。もう少しだから、がんばれ」

 

 

なんとか迷宮を脱して集合場所に辿り着いたのだけれど。

この十数分で東京駅が嫌いになった。今度からは都築に任せる事にしよう。

 

「ありがとう。荷物重かったでしょう?」

 

彼は口を開かず優しく微笑んで私の頭をぽんぽんと撫でてF組の方へ向かった。

 

「雪ノ下さん。おはようございます」

「おはよう。五十嵐さん」

「今の男性って柊くんですよね? おふたりとも仲が良いのですね」

 

にこやかに笑うクラスメイトの五十嵐さん。

しっかり見られていた。しかもJ組の女子は全員と言っていいほどこちらを見ている。

おかしいわね…そろそろ冬なのにどうしてこんなにも暑いのかしら…。

 

 

「雪ノ下さん。お隣よろしいですか?」

「えぇ、どうぞ」

 

五十嵐さんが隣に座って話しかけてきた。

 

「雪ノ下さんと柊くんはお付き合いなさってるのですか?」

「いえ…ハルとは、その…親友、よ」

 

直球で来る質問に戸惑う。これがあるから彼女の事は少し苦手だったりする。

気にかけてくれているのだし悪い気はしないのだけれど…こう、恥ずかしい事をズバッと聞いてくる。

 

「…そっ、それがどうかしたのかしら?」

「いえ、最近雪ノ下さんがとても可愛くなったので少し気になりまして」

 

彼女は私の顔が真っ赤に染まっても意に介さずそのまま続けた。

 

「雪ノ下さんはとても綺麗な女の子です。でもどこか冷たい印象が拭いきれませんでした。ところが文化祭が終わった辺りからでしょうか、笑顔が多くなった様に感じたのです。それがとても可愛くて――」

 

恥ずかしい…たまらなく恥ずかしい!

両手で顔を覆って、いやいやと顔を横に振る。

 

「その時、わたくしはわかったのです。雪ノ下雪乃さんが、恋をしている。という事に」

 

「は、はじゅかしい…」

 

噛んで羞恥心を上乗せしてしまった。泣いてもいいかしら?

五十嵐さんの言葉にはお世辞という成分は一切含まれていない。混じりっけなしの賛辞。「今日もお綺麗ですね」みたいな社交辞令の挨拶だったらこうはならないのだけれど。五十嵐さんはそれをしない人だ。

 

「ほら、今のお顔もとても可憐ですよ?」

「はぅぅ…やめてぇ…」

 

そんな嬉しそうに言わないで頂戴。

勿論、私も嬉しいのよ?ありがとう五十嵐さん。

でもね、それ以上に恥ずかしい。顔から火が出そう。いえ、出てる。

 

 

 

「……お花をちゅんででくりゅわ…」

 

あぁ…もうだめ。助けて…ハル…。

 

脱兎の如く戦術的撤退をした私は安らぎを求めて彼の元へ向かう。

羞恥心にまみれて過ごした1時間を取り戻さなければ、京都観光に影響が出てしまう。

 

そして彼を見つけたのだけれど。

 

「…すぅ……すぅ……」

 

そう…そうよね。朝早くから私を迎えに来て荷物を持ってくれて、私を支えていたんだもの、疲れていて当然よね。

 

「あー…雪ノ下さん。ここ座る?うちは他の子と話して来るからさ」

「相模さん…いいのよ。貴女もその席がいいのでしょう?」

「うん。うちもここがいい。けど、雪ノ下さんが辛いのはうちもイヤだな。だから、ね? 変わろ?」

 

いろはさんから聴いてある。相模さんもハルの事が好きになってしまって苦しんでいた事。彼に想いを告げてキチンと整理できた事。

私は彼女に甘えてもいいのだろうか。その資格があるのだろうか?

 

「んん……ん? ユキ?」

「あれ?起きちゃった。まぁいっか。それじゃあうちは他の子のとこに遊びに行ってくるね!」

 

くあぁと欠伸をするハルから幼さを感じて母性がくすぐられる。相模さんはにっこり笑って他の席へ行ってしまった。

ありがたく彼女の席を使わせてもらいましょう。

 

「ふわぁ…ユキはどうしたんだ?」

「…気分が悪いのに、休ませてくれないからこっちに来たのよ」

 

半分本当で、半分嘘な言い訳。

 

「そうか。じゃあ起こしてやるからゆっくり休め。京都でバテちまうぞ?」

「…おやすみなさい。ハル」

 

そうして私は彼の肩に寄りかかり、意識を手放した。

 

 

 

 

――ユキ。 おきろ。 着いたぞ。

 

 

彼の声がうっすらと聴こえてきた。さらさらと頭を撫でられているのがほんのりわかる。

 

「んぅ…」

 

子猫みたいに撫でる手に向かってぐいぐいと頭を押し付けてしまう。とても気持ちいい。

ペットショップですり寄ってくる子猫がこんな感じだったかしら。あの愛くるしさはもはや兵器と言っても過言ではない。

 

「にゃー…」

 

と鳴くと胸がきゅんとする。あぁ私と一緒に暮らしてほしい。でも悲しいかな、あのマンションはペット禁止なの…。

引っ越しできるようになったら飼いましょうそうしましょう。そして撫でる手を甘噛みしてきて、ざらざらした舌で舐められるの―――

 

「噛むなアホ」

「あむっ」

 

デコピンされた。じんじんする。なんで私が痛い目に…――あって当然だったわ。

 

――私はハルの手を甘噛みしていた。

 

私が猫を愛してるのだからその逆もまた然り。私を愛する猫が私に猫の気持ちを味合わせてくれたのよ。きっとそうに違いないわ。

 

「私は悪くないわ。それは猫のせいよ」

「つまり、私は子猫です。って事か? ネコミミカチューシャつけて1日過ごすか?」

「すみませんでした」

 

私の暴論がさらっと返されてしまった。プランBの用意もできていないのだし、ここは謝罪しておきましょう。

そもそも寝てる乙女の髪をあんなに優しく撫でる貴方が悪いのではなくて?

 

「ほら」

 

ハルがすっと手を差し出してくれる。その手に導かれて五十嵐さんの所まで連れていかれた。

私はやはり幼稚園児なのかもしれない…。少なくとも彼の前では。

 

 

 

京都は建物の高さが制限されている事も相まってとても穏やかに感じた。京都駅の最上階から見下ろす京都はそれだけで絵になる。夜にはどんな景色が広がっているのだろう。

 

1日目はクラス単位での行動となった。私は学友たちと歴史に触れて、学ぶ。

一面に広がる紅葉。その美しさに息を呑んだ。風でざぁと奏でる葉音はとても心地よい。千葉村で聴いた音と全く違う。これが風情というものなのね。

 

清水の舞台ではその景色もさることながら、その造りに感銘を受けた。

重要文化財に指定されている清水寺は懸造(かけづく)りという技法で組まれた舞台が有名で、その足場は釘を使用していないのだ。これは授業で習った事なのだけれど、実際に見るとその技術が凄まじい事が理解できる。

 

「過去に何度も焼失しているけどその度に再建されているみたい」

「はぁ…1200年かぁ。学校で習ったけど実際に見るとやっぱり違うね」

 

クラスメイトが同じ様な事を漏らしている。これでこその修学旅行よ。

 

その後もクラスメイトと歴史的な学問を深めつつ、京都の重要文化財を巡った。

体力のない事が不安だったのだけれど、ホテルに着くまで不思議と疲れは感じなかった。

クラスメイトも満足気な顔をしている。

 

「楽しいですね。雪ノ下さん」

「えぇ。やはり実際に見るのは重要な事ね。機会があれば奈良とかも行ってみたいわね」

 

ハルが広島に行ってみたいと漏らしていた。第二次世界大戦の参考館は私も興味がある。

 

 

食事と入浴を終えて部屋に戻る。浴槽が檜でできていて普段とは違う心地よさを感じた。今日は充実した1日だったと言える。

 

――と思っていた。

 

「ねぇ!雪ノ下さん! 柊君とどんな関係なの!?」

「あっ!私も知りたい!東京で腕組んで歩いてたの見た時は雪ノ下さんがしんどそうだったから遠慮しちゃったけど、やっぱり気になる!」

 

戦術的撤退をしたいのだけれど、回り込まれてしまったわ。これは…まずいわね。

また羞恥心に塗れるのはごめんだわ。そうそうに避難するとしましょう。

 

「こらこら、雪ノ下さんを困らせたらダメよ」

 

五十嵐さんが助け船を出してくれて助かった。

でも、貴女がそれを言うのはどうなのかしら?

 

少し夜風に当たってくると伝えてそそくさと部屋を抜け出した。

 

拷問部屋が落ち着くまで少し売店でも覗こうとぱたぱたと見て回る。

 

――こ、これは…!

 

京都アレンジのご当地パンさん!京都でしか売ってない事は確認するまでもない。

でも…こんなぬいぐるみを買ってる事が学友たち…ひいては五十嵐さんにバレると「雪ノ下さんは可愛い趣味をお持ちなのですね」とか言われて、また恥ずかしい思いをしてしまう。

彼女は決して悪い人ではないのだけれど、あのド直球の言葉はどうにかならないかしら。

 

パンさんをふにふにといじっていると自動ドアが開く音が聞こえた。

 

「ん、ユキか。何してんだ?」

「っハル…脅かさないでほしいのだけれど」

 

どうやらいろはさんと電話してたみたい。彼は白いロングTシャツ、紺のジーパンとラフな恰好をしていた。通話をしながら外を歩いていたのだろう。黒いコートを羽織っている。

 

「クラスメイトが盛り上がってしまって、少し避難しているの」

「ははっ。ユキもそうなのか。俺もがっつりと聴かれたよ」

 

女子に。と彼は付け加えてロビーにあるソファーに腰を下ろす。もちろん私もそれに倣った。

清水がどうだったとか紅葉がすごかったとか今日の事を話していると、サングラスにマスクを付けたカーキ色のロングコートの襟を立てて顔を隠そうとしているあからさまな不審者が目の前を横切った。

 

――平塚先生?何をなさっているのかしら?

 

「先生…隠せてないですけど」

 

ハルが呆れた顔で言う。そこなの?どこにいくのかではなくて、そこにツッコむの?

 

聴けば千葉にはないラーメンをこっそり食べに行こうとしてたみたいだ。口止め料として連れて行ってくれると有難迷惑な申し出があったけど、今日はもう眠りたいから私は遠慮した。

ハルはラーメンという単語に目を輝かせている。なんでも関西にいた頃に何度か食べているらしい。つまり、彼に行かないという選択肢はなかった。

 

「私はもう寝るわ。おやすみなさい。ハル」

「おやすみ。ユキ」

 

温かい手がぽんぽんと頭を撫でる。今朝も同じ様にしてくれた事を思い出して、ロビーが少し涼しく感じた。

 

部屋に戻った私は猛烈な睡魔の襲撃を受けて布団に潜り込む。

さっきまでは散々な気分だったけど、今はそうでもない。

 

やっぱり今日は充実している。そう結論付けて私は目を閉じた。

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