ハイスペックニートが異世界─#コンパス─で枝投げ無双してみた件 作:うるしもぎ
物心ついた時から、何かを成すのに「苦労」するという記憶がなかった。
運動、勉強、芸術、エトセトラ。何をするにも勘がよかったのか才があったのか、そつなくこなすことができたし、周囲の人間が成せないことを唯一人成すことができるのは楽しかった。
人は常に他者と自身を比較して生きていく生き物だ。優越感に浸らなかったといえば嘘になる。だけどそれを鼻にかけて他者を嘲るような生き方はしてこなかった。
今更、そんなことを主張して何が変わる訳でも無いのだけれど。
「どうして」
たった一言、その4文字で僕の世界は変わってしまった。
今でも鮮明に思い出す喉を締め付けるような息苦しさ。重圧に満ちた眼差しの記憶。
僕はもうこれ以上、何かを成そうとは思わない。あの部屋に収まるだけの安穏を手に入れるために、すべてを外に置いて来た。そうやって、軽くなった両手は好きなコトにだけ使うって決めたんだ。
あの時、僕の心を支えてくれたのは、血の通う目の前の人間ではなく、画面の中で輝くあの子だったんだから。
所詮はフィクションだ、アニメだと笑いたければ笑えばいい。誰に何と言われようと、僕はこの先ずっと、彼女を応援し続ける。二次元だっていい、実在してるかどうかなんて関係ない、可愛いリリカちゃんの笑顔を拝めるなら、それ以上、何も望まない。
あぁ、だけど。残念ながら僕の人生はここまでのようだ。
自身の未来については悲観していたけれど、決して死にたい訳ではなかった。だって、死んだら今夏公開予定の劇場版「魔法少女リリカ☆ルルカ─序─」を観られないじゃないか……そうだ、僕はここで立ち止まる訳には。
「いかないっ!」
勢いよく瞼をこじ開ける。
視界に広がる青い空、白い雲の美しさに開いた目をさらに見開いたが、直後に何かに打ち付けられた背の痛みに「あだぁっ!」と悲鳴をあげる。悶絶しながら左右に転げていると、鼻先に土と草の香りがした。
涙で視界が滲んでいるが、僕の目の前には確かに「外」が広がっていた。
「……ど、どういうことなの」
目の前に提示されている情報に対し、理解が追いつかない。
ひとまず、背の痛みも徐々に落ち着いてきたのでゆっくりと立ち上がる。視界には、青々とした草原が広がっていた。
何処だここ。僕、ついさっきまで自分の部屋にいたはずなんだけど。
傍にあったはずのパソコンも無い。スマートフォンだけは、持っていたおかげで手元に確認できたが、ちらと見やった画面には「圏外」の文字が在った気がした。
よくよく確認するにはまだ少し覚悟が足りず、無言で画面をスリープ状態にする。
おもむろに顔を上げた先には、清々しいまでの青空が広がっていた。本当に、何処だここ。ちょっと泣きたくなってきた。
パーカーの長い袖で目元を拭おうとした瞬間、目の前に突然、あの白い人型ロボットが現れた。
「データ送信、インストール完了。追加データ『marcos55』ヲ反映イタシマシタ。……ヨウコソ。『#コンパス』ヘ」
相変わらず宙に浮かんだまま、そいつは優雅な動作で深々と一礼する。
事態を理解しきるには明らかに情報が足りないが、この一件、こいつが要因の一端を担っているのはまず間違い無いだろう。聞きたいことはたくさんあるが、まずは大きく深呼吸をして。酸素を取り入れ少しだけスッキリとした頭に浮かんだ問いを整理し、優先度の高い順に並べて取り出す。
「……質問、してもいいかな?」
「ドウゾ」
「ありがとう。まずは、君の素性が知りたい。それから、今、僕がいる場所についての情報を教えてほしい」
相手はロボットとはいえ、あまり横柄な態度を取るのも憚られ、なるべく冷静かつ丁寧に言葉を選ぶ。
そんなこちらの意を汲み取ったのか定かでは無いが、ロボットは応じるように浅く頷いた。
「ワタシハ管理識別コード
ボイドール、と。小さくその名を紡ぎながら、自身の記憶にある
技術の躍進により、流暢な会話を可能としたAIのニュースは度々目にしていたが、会話の間や人間じみたさりげない仕草まで自然に振る舞うAIというのは聞いたことがない。
僕の知ってる技術レベルより、少し先を行っているのか?いずれにせよ、今の情報量では判断に欠ける。
「その『#コンパス』っていうのは、何をするところ?もう少し、詳しく教えてくれるかな」
「ハイ、承認シマス。『#コンパス』デハ、アラユル存在ヲ集メルコトデ、個体ゴトノ思考、行動パターン、生体データノ変化ヲ収集シ、分析シテイマス」
「個体ごとのデータ収集……?それは何のために……」
問いかけた瞬間、ボイドールから異質な電子音が鳴り、萎縮していると両目の青白い光が瞬いた。
「エラー。アナタニハ、コノ情報ニ関スルアクセス権限ガアリマセン」
なるほど、警告音だった訳か。胸を撫で下ろしつつも、肝心な部分は知ることができずため息が洩れる。
アクセス権限と言っていたから、恐らくこのボイドールも何者かの管理下にあるのだろう。得体の知れない黒幕が潜んでいるような感覚は気持ち悪いが、今の僕ではどうにもならない。
「他ニ何カ質問ハ?」
確認するように無機質な声が響く。訊けることには限りがありそうだが、今後、いつでもこうして質問ができるという保証も無い。しばし唸り声をあげながら悩んだ末に、尋ねるかどうかためらっていた一つの問いを口にした。
「……僕は、生きている?死んでいる?……それとも、生死とはまったく関わりの無い状態にあるのか?」
「アナタノデータハ正常デス。人間ノ定義ニヨレバ、生キテイマス」
「あー……。いや、質問を変えよう。僕が元々いた世界……っていえば、いいのかな。あの部屋にいた『僕』は、今、どんな状態にある?」
半ば、探りを入れた質問だという自覚はある。実際、ボイドールはその問いに対し、すぐに返答を行わなかった。
しかし、ややあって「データベースヲ検索シマス」という呟きの後に、その両手がおもむろに頭部へと添えられた。……さぁ、何て返ってくる。
最近、流行りのいわゆる「異世界系」と呼ばれる作品だと、主人公が異世界へと飛ばされる条件が「死」だったりするのが通例だ。今の所、僕はその手の主人公たちと「ニート」で「ひきこもり」であることが合致している。
やばい。
もちろん、
いや、待て、死んだと判断するには早計だ。異世界に飛んできてしまっただけかもしれない。
それも相当な一大事であることに変わりないが、死んでいるよりずっとマシだ。生涯かけて応援すると決めた作品の最後を拝めないまま死ぬのだけは絶対に御免こうむりたい。
焦りからか、鼓動を増す心臓を抑えていると、ボイドールがようやくその両手を下ろした。
「……照合。生体反応ヲ確認。アナタノ『元の体』は、アナタノ部屋デ深イ睡眠状態ニ在リマス」
その回答は、結論だけをいえばかなり理想的なものだった。だけど、異常な現実を突きつけられ、すぐさま受け入れることはできなかった。
何故、どうして僕が、そんなことに。続けざまに問う気力もなく、ゆっくりと息を吐き出した。
「……だいたいわかった。それじゃあ、今ここにいる僕は、どういう原理か知らないけれど、精神だけ分離させている状態……ってことでいいのかな?」
「ハイ。コンパス内デハ、アリトアラユル存在ガ『データ』ニヨッテ構築サレテイマス。『我々』ノ目的ハ、ヨリ優レタデータノ解析ト収集……不要ナデータニ割クリソース等アリマセン」
感情なく、淡々と告げられる言葉に胸の内がざわつく。説明のつかない悪寒が背筋を冷たくし、思わず喉がごくりと鳴った。
「アナタノデータガ他ヨリモ劣ッテイルト判断シタ場合、我々ハアナタヲ廃棄シマス」
「廃棄されると……どうなるのさ」
嫌な予感しかしないが、そこだけは確かめておかねばいけない気がして、震える声を絞り出しながらボイドールに問う。
「無ニナルダケデス。……アナタノ場合ハ些カ特殊ナノデ、元ノ体ニドノヨウナ影響ガ生ジルカハ、ワカリカネマスガ」
片手を口元に添え、青白く光る瞳が冷ややかに笑った気がした。
途端に心臓を誰かに掴まれたような、嫌な感覚に襲われる。現時点で僕の肉体、および精神は生きているとはいうが、これでは文字どおり「死んでいない」だけだ。しかも事態は想像していた以上に深刻。元の世界──と、便宜上、そうしておこう。──に戻れるかという問題以前に、まずはこの世界で「廃棄」されない振る舞いが求められている。
だが、多種多様な存在を集め、比較し、劣っていると判断された場合は廃棄されるとこいつは言っていた。
つまり、比較されることがなければ、優劣の判断はつけられない。比較の方法がどんな手段を用いるのかまではわからないが、そこに命の危険が無いとも言い切れない。
それならば、僕が取る選択は。
「……何ヲシテイルノデスカ?」
「何も。何もしない。これが、僕の答えだ」
青々と茂る草の上に腰を下ろし、宙に浮くボイドールを見上げる。その表情には動揺や困惑といった色は見えず、ただただそいつは一定の間隔でぼんやりと光る両目の光を瞬かせていた。
「勝手にこんなところに呼びだされて、データの解析、収集に協力しろとか……正直、冗談じゃない」
「……デハ、廃棄サレテモ良イト?」
「いいや、何者とも比較されない以上、今の僕は『何もしない状態』という、立派なひとつのサンプルだ」
廃棄されるつもりは毛頭ない。だけど、誰ともわからぬ奴の手のひらで踊る気もさらさら無い。目の前の相手がAIだというなら、言葉の定義を最大限に活用し、納得させる答えを出すまで。
思惑どおり、ボイドールは僕の答えを聞き、反論に困っている様子を見せた。人間のように腕を組み、顎の辺りに手を添える仕草は、全体の丸みを帯びているフォルムも相まって愛らしさも伺える。……いや、愛らしさも何も、こいつは僕を安住の地から引きずり出した諸悪の根源なんだけど。
「ナルホド。アナタノ言イ分ハ解リマシタ」
こくん、と。深く頷いて返された言葉に肩の力が抜ける。納得させることができたなら、一安心。これで心置きなく、元の世界へと戻る方法について考えることができそうだ。ゆるゆると息をつき、ぼんやりと空を仰ぐ。
「……ソウ仰ルノデシタラ、アナタガ協力シタクナル状態ニ仕向ケルマデデス」
「へっ」
ボイドールの顔に、一瞬、暗い影が落ちる。
突然、そいつの周囲に数多の演算式が現れ、書かれている数字を読み取るよりも早く計算されていく。急速にこみ上げる不安に呼応して、周りの景色が歪みノイズがかかる。
地面に吸い込まれるような妙な感覚に反射的に目を瞑った。
わずか一瞬の出来事だったが、ゆっくりと目を開くと、そこにはまた見知らぬ景色が広がっていた。
「
すい、とボイドールが示した先を見やる。一見すると森の中のようだが、明らかに人工的な整備された道に、鍵を模した風変わりなオブジェ。
そして何より目を惹いたのは、何かに襲われていると思しき、一人の少女。
「……!?あ、あれって……まさか!?」
後ろ姿でもよくわかる、桃色のツインテール。愛らしいステッキを構え、肩で息をするその女の子は。
「ま、まほう……しょう、じょ……リリカちゃん!?」
夢にまで見た、あの「魔法少女リリカ☆ルルカ」の主人公。リリカちゃんその人に他ならなかった。
「う…うぅう、嘘だ、嘘だ、嘘だッ!だ、だって、あのこはアニメキャラで……!?まさか、そんな、実在するはず……」
「ソノトオリ。彼女ノ登録データ名ハ『魔法少女リリカ』。アナタノ知ル『魔法少女リリカ☆ルルカ』ノ主人公ソノ人デス」
目の前に半透明なカードのようなものを浮上させ、記載された情報を確認しながらボイドールが告げる。横からその情報を盗み見ようとしたが、カードは役目を終えると瞬く間に消えてしまった。
しかし、データと言っていたから、本物……というわけでは無い……のか?
再び、彼女の後ろ姿に目を向けると、その姿の何倍もある大きさの怪物──と、いうにはあまりにも意思が感じられず無機質で。巨体だけがゆらりと動く様はゴーレムと言ったところか──を前に、立っているのも精一杯というのが伺えた。
一瞬、よろけた背中につい手を伸ばしそうになる。
「『魔法少女リリカ』ノデータハ、ココ最近、アマリ良イ結果ヲ残シテイマセン。……ヤハリ、別ノ魔法少女ノデータニ書キ換エヲ……」
独り言のようなボイドールの呟きに思わず拳を握り、睨みつけた。
リリカちゃんは、確かに作品の主人公だが、自分が落ちこぼれだという劣等感を抱いている。もちろん、そんなことは無いのだが、本人は他の魔法少女と自身の力量を比較して落ち込んでしまうことが多々有る。
今、目の前にいるあの女の子が「魔法少女リリカ」である確証は無い。だけど、たとえ偽物だとしても。同じ名前のその存在を、他者が優劣の判をくだすのは怒りがこみあげた。
痛いくらいに拳を握りながら、一方では「まだ決まった訳じゃない」と冷静な自分が手綱を握る。その手綱を握られていなかったら、僕はきっと、ボイドールに掴みかかっていただろう。
そうだ。確証が得られない以上、あの子は僕とは無関係の存在だ。彼女には悪いが、今の僕は自分を護るというのが最優先事項。踵を返し、背を向けようとしたその時。
「魔法少女リリカは……どんな時も、絶対に、諦めないんだから……っ!」
決意に満ちた、毅然とした声。それは、何度も何度も聞いていた「魔法少女リリカ」のその声で。高らかに吠えたその言葉は、第1期12話のラスト。最終話へと続く際にボロボロになったリリカちゃんが決意の眼差しで言ったセリフだ。
そんなセリフを、あの声で言われてしまっては、見過ごすことなんてできなかった。
「……っぐ!」
衝動的に足元に落ちていた木の枝を拾い上げ、再び踵を返して走り出す。もつれそうになる足を必死に前へと踏み出し、腹の底から思い切り声をあげた。
「りっ、リリカちゃんからぁっ、離れろぉぉぉッ!!」
右手に持った枝を振り上げ、渾身の力で怪物目掛けて投げ飛ばす。耳元で「ブン」と風を切り、回転しながら飛んでいった枝は、運良く怪物の頭に命中し、「よし……!」とガッツポーズを取った瞬間、僕はどういう訳だかリリカちゃんと怪物の間に立っていた。
「えっ!?え、えっ、なんで!?」
「……!?き、キミ……一体、どこから」
すぐ隣から愛らしい声が聞こえ、思わず視線を向けるとステッキを力強く握りしめたまま、驚きに目を丸くするリリカちゃんがいた。あまりの近さに、彼女と同じように僕も目を見開く。
何か、気の利いた答えを返そうと開いた口元は「は、うぇ……あ」と意味の無い音のような声しか出てこなかった。驚きと、さらに情けなさと恥ずかしさで顔中が真っ赤になりそう。
だが、ふと上から落ちた大きな影に寒気が走り、同時に彼女が険しい表情で前方を指差した。
「危ない避けて!」
「なんとぉッ!?」
先の怪物に目を向けた瞬間、その巨大な腕が振り下ろされた。
間一髪、かわすことができたが、衝撃により地響きが足元を揺らす。咄嗟に、先ほど投げた木の枝を拾い上げて構えたが、武器とするには心許ないことこの上無い。我ながら、よくこれで戦おうと思ったな!?
しかし、リリカちゃんを背に庇いながら、今更退く訳にもいかず。再び襲いかかってくる怪物の拳に、腹を括って応戦に臨んだ。
「う、おぉぉぉおッ!!」
迫り来る拳を木の枝で受け止め……受け止められた!?
枝越しにビリビリとした衝撃が伝わったが、自身の体は吹き飛ばされることなく、その場に踏ん張っていた。木の枝も、まるで別の材質でできているかのような強度を保っている。
どういう訳だか、まるでわからない。
わからないが、今はそれでもいい!心なしか、全身へ活力がみなぎるのを感じる。もしかして、勝てるかもしれない……?
「……かも、じゃない。……勝たなきゃ、終わりだ……!」
言い聞かせるように言葉にして、昔見た超大作ファンタジーアニメの剣士のように、枝を構え直す。
異形の怪物は、動作こそゆらりと遅いが、確実に僕に狙いを定めて襲いかかってきた。あの両手に捕まれば逃れることは不可能だろう。だったら、それよりも早く、懐に飛び込むまで。
意を決し、自身へと伸ばされる手のひらへと走り出し、捉えられるよりも先に体を横へとずらす。パーカーの裾がかすったが、想定どおり、そいつの懐へと辿り着き、核と思しき白い光を見た。
きっと、あれさえ壊せれば!
「でぇやぁあああああっ!!」
力一杯に、胸にあった核を叩き壊す。ガラスのような音が響き渡り、怪物はその動きを停止させた。
一瞬の間があった後に、怪物は無数の小さなキューブ状の塊に分裂し、砂のように崩れ落ちていった。
その光景に膝を支えていた力が抜けて、思わずその場にへたり込む。
「……た、倒せ……た?」
「す……すごい!すごいよ、キミ!あのゴーレムを倒しちゃうなんて……!」
「ひゃううっ!?」
涙目で抱きついてきたリリカちゃんに、心臓が飛び出すほど驚いて変な声があがった。
細い肩を震わせ、胸元に顔を埋めて時折しゃくりあげる様子から、一人で心細く不安を抱いていたことが窺い知れる。ここで優しく抱きしめて、頭を撫でたりすることができれば包容力の高い男アピールができたのだが、鼻先を掠める髪がふんわりと良い匂いを放っていてそこまで気が廻らなかった。
先の戦いとはまた別の意味で困惑していると、ようやく彼女が僕の様子に気が付いた。
「……あっ。ごめんなさい、わたしったら……。まずは、お礼を言わなくっちゃ!助けてくれて、ありがとう。わたしの名前は、リリカ。よろしくね」
鮮やかな桃色のツインテールを揺らしながら、ころころと愛らしい表情を見せる彼女は、紛れもなく「魔法少女リリカ」だった。
改めて、間近で見ると、その姿、声、仕草も含めて、記憶にあるものと同一であると言っても過言ではない。二次元でしか見たことのなかった彼女が、今まさに目の前に存在している。
この世界ではありとあらゆる存在が「データ」によって構築されていると言っていたが、瞳を輝かせながら生き生きとした笑顔を見せ、喋りかけてくる彼女を「データ」として認識するには、あまりにもリアルすぎた。
「あなたのお名前、聞いてもいい?助けてくれた人の名前もわからないなんて、寂しいもの」
「へぇっ!?あぁっ、ぼぼぼ、僕っ……!?」
実際、こうして彼女……リリカちゃんに話しかけられる度に、ドキドキしてしまう有り様だ。偽物、と自身に言い聞かせ続けるには、無理があった。
ごく、と喉を鳴らし、努めて冷静に自分の名前を告げようと、口を開く。
「ぼっ……僕、は……マル、コス……」
フィフティ・ファイブ、と。つい、自分が使い続けているハンドルネームを口にしてハッとした。
名前って。そりゃ確かにハンドルネームも名前だが、何を気取ってそっちを名乗ってしまったのか。あと数字は名前じゃない。
うぅ、と小さく呻いて項垂れると、それまで何処にいたのか。あの合成音声のようなボイドールの声が聞こえてきた。
「登録。データ名称『マルコス’55』認証シマシタ。……アナタノ活躍ヲ、見セテクダサイネ?」
顔を上げると、そいつはこの世界に来た時と同じように、優雅な動作で深々と一礼し、呼び止める間もなくそのまま姿を消してしまった。
「もう。ボイドールったら、いつも急に出てきてはいなくなるんだから」
腰に手をあてて、リリカちゃんが頬を膨らます。わざとらしく怒ってみせる様子から察するに、そんなに珍しいことではないらしい。
未だ、事態が飲み込めないまま間抜け面を晒していると、彼女が優しい声で僕の名前を呼んだ。
「マルコス、くん?」
「は、ひゃい!」
「ふふっ、そんなに緊張しないでほしいな。……改めて、危ないところを助けてくれて、本当にありがとう。キミが来てくれなかったら、わたし、きっと……」
それまで見せていた笑顔が、安心したのか寂しげな色を垣間見せる。胸が締め付けられるような表情に何も言えずにいると、彼女の手に先の戦闘で負ったと思われる傷を見つけた。痛々しい生傷に眉根が寄る。
「り、リリカちゃん……その、傷」
「あっ。……大丈夫。それっ!」
ポケットから取り出された、1枚のカード。宙へ放つと、表面に描かれていた「救急箱」が魔法のようにポンッと音を立てて現れた。慣れた様子で消毒液や絆創膏を取り出す彼女をしばし見守っていたが、慌てて手伝う意を示すように両手を差し出した。
「か、かかか、貸して……」
「……ありがとう。じゃあ、お願いするね?」
リリカちゃんは一瞬、驚いたように目を丸くしたものの、すぐにふんわりとその表情を弛ませて、傷を負った手をゆっくりと僕に預けた。
彼女の小さな手に恐る恐る触れながら、消毒液に浸した綿をあて、きれいにした傷口を絆創膏で塞ぐ。彼女は安心した様子でじっとその応急処置を見守っていたが、沈黙に耐え兼ねた僕はひとつ気になっていた疑問を口にした。
「……り、リリカちゃんは……どうして、ひとりで戦っていたの?他の、仲間は……?」
「ルルカたちのこと、知っているの!?みんな、今どこに……」
「わぁっ!わ、わぁぁっ、近い!じゃ、なくて、ご、ごめん……みんなのことは、知らないんだ……!」
勢い良く顔をあげ迫るリリカちゃんから慌てて後ずさり、首を横に振る。
僕の返答を聞いた彼女は、残念そうに肩を落とした。寂しそうな姿に、堪らず励ますように立ち上がった。
「で、でも、あんなのとひとりで戦うなんて、すごいよ……!勇気があるよ……!」
劣勢だったにも関わらず、最後まで戦う姿勢を見せた彼女の背は、凛々しかった。
一度は見捨てようとした「自分」に対して罪悪感が込み上げ、握った拳が微かに震える。結果として、ボイドールの策略どおり、自らこの世界の壇上にあがってしまったが、それを今更悔いる気持ちはもう無かった。
リリカちゃんは、僕の励ましを聞いて、はにかむように両手の人差し指を擦り合わせ、視線を泳がせた。丸い頬をほんのりと紅色に染めて「ありが、とう」と微笑む彼女は「天使」以外の何者でもなかった。
どうしよう、可愛いが過ぎる。
脳内に響く歓声に意識を傾けていると、リリカちゃんが思い起こすように言葉を続けた。
「ボイドールにね、言われたの。わたしが強くなれば、他の仲間にも会えるって」
「ボイドールが……?」
「うん。でも、教えてくれたのはそれだけ」
明るい口調で苦笑してみせたが、その瞳の奥には拭いきれない寂しさが見てとれた。
彼女がどのような経緯でこの世界に招かれたのかはわからないが、見知らぬ世界でたったひとり、何処にいるとも知れない仲間を探し続ける心細さは、想像には計り知れないものだろう。
例え「データ」であったとしても、目の前にいる彼女は……仲間を想い、強くなろうと決意を胸に秘めたこの少女は、やはり「魔法少女リリカ」である。
僕は、ようやく目の前の現実を受け入れる覚悟を決めた。
「あ、あの……リリカちゃん。ひとつ、提案が……あるんだけど……」
おずおずと挙げた手を見つめ、彼女は「なぁに?」と小首を傾げて言葉の先を促す。
「君の仲間を見つけられるまで……お互い、協力するのは……どうかな?ほら、さっきみたいなヤツがまた出た時、二人なら……何とか、なるかもしれないし……」
なんて、と。自信をなくして萎んでいく声を誤魔化すように力なく笑ってみせる。
彼女は大きな瞳をさらに丸く見開いて、驚いているように見受けられた。
さすがに出しゃばり過ぎたか、と。自らの発言を後悔し始めたところで「ほんと?」と小さく呟く声が聞こえた。
「本当に……いいの?だって、わたし……その、強くないし……むしろ、一緒にいたらマルコスくんの足手まといになっちゃうんじゃ……」
「そんなことない!さっきだって、リリカちゃんがいたからこそ頑張れたんだ。ぼっ、僕のためにも!一緒に、いてくださいっ……!」
深々と頭を下げると同時に右手を差し出す。長いパーカーの袖に隠れた手のひらが変な汗をかいて震えているのがわかった。顔を伏せたままでいると、今の言葉は誘いの文句としては重すぎるのではと、急に額に脂汗が滲みだした。
だが、飛び出してしまった言葉はもう取り消せない。
やたらと大きく響く心臓の音に目を回しそうになっていると、差し出した手、指先の辺りを包み込むようにそっと手が触れた。
反射的に顔を上げると、少しだけ瞳を潤ませていたリリカちゃんが泣き出しそうな笑顔を見せた。
「そんな風に言ってくれるなんて、嬉しい。……ありがとう、マルコスくん。二人なら、何も怖くないね……!」
きゅ、と握られた指先に、応じるように力を込める。
向けられた笑顔は「可愛い」なんて言葉では言い尽くせないほど僕の胸を突き動かして、何故だか泣きそうになった。
僕の願いは、彼女の笑顔。ふと、ボイドールに問われた時に返した答えを思い出す。
見たかったのは、この表情。そして、この世界では僕が護らなくてはいけないんだ、リリカちゃんの笑顔を。それは彼女のためだけではない。……僕のためでもある。
今一度決めた覚悟と決意を確かめるように、胸に手を当てる。真っ直ぐリリカちゃんの瞳を見つめ、そこにいるのを確かめて。深く頷いた。
「ありがとう。あらためて、よろしく。……リリカちゃん」
「……うん!」
目尻に滲んだ涙を拭い、彼女が大きく頷く。
その瞬間、周囲の木々から騒がしい様子で鳥達が飛び立った。
リリカちゃんと互いに顔を見合わせて、妙な気配に周囲を見渡す。見た目の景色が変わった様子は無いが、言い様のない異質な空気が立ち込める。しんと静寂が張り詰める中、腰に無造作に差していた木の枝に手をかける。
ふと、視界の上端で景色が歪んだ気がし、弾かれたように顔を上げると、何も無かった空間に突如、制服姿の女の子が現れた。
同時に響き渡る、耳障りな金属音。
その正体に気付き、思わず目の前のリリカちゃんの腕を思い切り引く。
「ごめん、リリカちゃん!」
「えっ、な……きゃっ!?」
先ほどまで彼女が立っていた場所に、チェーンソウが振り下ろされる。
標的を捉えそこなった二枚の鋭利な刃は、目の前で禍々しく地面をえぐり、一瞬浮かんだ恐ろしい光景に肝が冷える。ナイス判断、僕。何を想像してしまったのか明確に文字にするのはやめておこう。
怯えるリリカちゃんを背に庇いながら、自身を奮い立たすように木の枝を強く握り、前へと構える。
地面にめり込んでいたチェーンソウをゆっくりと持ち上げながら、学生服らしき姿の女の子が長い紫色の髪と共にゆらりと揺れた。
「ふフっ……ドぉして逃ゲるのォ……遊ぼウヨぉ……!」
ぐるりとこちらを向いた瞳が狂気に輝く。
恐怖に呑まれて卒倒しそうになったが、背後で心配そうに「マルコスくん……」と呟くリリカちゃんを振り返り、踏ん張る足に力を込めた。
「……大、丈夫。安心して……!」
「……っ!」
信頼の意を示した瞳がこちらを見上げ、ゆっくりと頷く。
そうだ、僕にはリリカちゃんが付いて居てくれる。僕にとっては、どんな勝利の女神よりも心強い。
……あぁ、だけど、やっぱり。
ただの木の枝であんな禍々しいチェーンソウに挑むとか、いくらなんでも無謀すぎないかなぁ!?