ハイスペックニートが異世界─#コンパス─で枝投げ無双してみた件 作:うるしもぎ
木の枝を握る手に一層力が入り、自分の手のひらが汗ばんでいたことに気がついた。
対峙する、制服姿の女の子が耳障りなチェーンソウの刃の音を響かせながら、口元に弧を描く。
藤色の前髪の隙間から真っ赤な瞳がこちらを射抜き、思わず「ひっ」と声に出てしまった。
「……アなたトってモ
ぼそぼそと抑揚のない一本調子の声が、壊れたラジオのように話し出す。
何なんだこの子、人間?人間でいいんだよねぇ、むちゃくちゃ怖いんですけど。
後ろにいるリリカちゃんを隠すように、ゆっくりと体勢を変える。そんな僕の動きに気付いたのか、庇うように後ろへと下げていた左腕──正確には、その腕の先にある袖口──が、そっと握られた。
動揺し、思わず顔だけ振り返る。リリカちゃんの表情からは緊張の色が拭えなかったが、彼女はそれでも、僕の瞳を真っ直ぐに見つめながら笑顔を見せてくれた。
まさか、僕のこと勇気付けてくれて……!?
ほんの数秒前まで、あの凶悪なチェーンソウの餌食になっていたかもしれないこの状況で、他人のことまで思いやってくれる優しさにすべての僕が感動した。
尊い。僕、今なら死んでも、
「フふッ、ふフフっ!こンなに楽シイのハひさシぶリ……頭はガンガンなりッぱナしダケどねェアなタワたし二斬らレテよ……!」
「よくなーーーーーい!?」
勢いよく振り下ろされてくるチェーンソウに目を見開き、急いで飛び退くと同時に、僕が居た地面がギャリギャリと不快な金属音と共にえぐられた。
待って、本当に待って。本当に何なのこの子!?
ボイドールは個体ごとのデータ収集と分析云々と言っていたが、あの子もその内のひとつってことなのか。
だとしたら、用意するデータの振り幅広すぎない?こっちはニートと魔法少女で、あっちは殺意高めの女子高生なんですけど!?
「ネぇどぉシて逃げルの」
自身の体躯ほどもある巨大なチェーンソウを構え直し、ふらり、ふらりと彼女が歩を進める。後ろに編んだ長い髪が彼女の足取りに応じて左右に揺らめき、不気味さに拍車をかけていた。
一歩、彼女が進む度に、気圧されるように後ろへと下がる。
「……き、斬られると、死んじゃうんですけど」
果たしてまともな会話が可能な状態なのかはわからなかったが、コミュニケーションを試みるように言葉を返すと、彼女は意外にも反応を示した。
「あハッ。大丈夫ちョッと斬るダけダから死ナないヨ斬ルだケだモノどウして死ヌの?」
小首を傾げながら訊き返す姿には、歳相応の女の子らしさがあったが、見せ付けるように構えたチェーンソウがまるで女の子らしくない。
ちょっと斬るだけ、とは彼女の主張だがあんなフラフラした様子では「ちょっと」が「全部」になりかねない。あと僕の常識が正しいのであれば、「チェーンソウでちょっと斬る」は割と普通に死に瀕するのでは。
「あ、危ないしさぁ……別のもの、斬ろうよ?ほら、ここ、木とかもいっぱいあるし……」
「……何そレつマラなイ斬ッて血が出るノがイイのに」
赤い瞳が忌々しげに細められ、低く唸るような声に背筋が凍る。
言ってる内容だってむちゃくちゃだ。無理むり、こんなの話し合いでどうにかなる相手じゃない……!
「オ話終わリさァ二人まトめて斬っテあゲルッ!」
「逃げるよ、リリカちゃん!」
二枚刃のチェーンソウが、勢い良く振り上げられると同時にリリカちゃんを振り返り、繋いだままの手を引く。
恐怖に固まっていた彼女の足は、ワンテンポ遅れて地面を蹴った。
「あ、あぁっ、あり……がとう、マルコスくんっ……!」
「大丈夫!?走れる!?」
ステッキを握りしめたままコクコクと頷く様子に何とか笑み返し、小さなその手を決して離さぬようにと、握りなおして走りだす。
自分が斬られるのはゴメンだが、リリカちゃんが斬られるのはもっと嫌だ。
というか、そんな光景見た日には立ち直れる気がしない!
ごく、と。恐ろしい想像に喉を鳴らした瞬間、激しい駆動音を響かせたチェーンソウの刃が、背後に迫る勢いで振り払われた。
「きゃあ!」
「ヒィッ!?」
「ドぉして逃ゲるノ……おトナしク斬らレなサいよォ……!」
何であんな重そうなチェーンソウ抱えて、顔色ひとつ変えずに走ってこられるんだよ、あの子!
リリカちゃんの手を引いてるとはいえ、こっちだって全力だ。
かつては100メートル9秒代スコアを叩き出した僕の脚だぞ!?……そりゃ、最近は運動不足気味だったけど……うっ、原因はそれか!
思い当たる理由につい舌打ちしたが、すぐさま思考を切り替えて逃げる先を探す。
2対1、数の上では有利だが相手はチェーンソウ、こっちは棒切れ1本だ。
リリカちゃんだって、先の戦闘の傷がまだ残っている。
考えろ。「まともに戦う」なんて選択、この状況じゃ愚策も愚策だ!
「ホォらまズはソの柔らカそウな白い腕」
「……!」
陶酔感に浸るような声音に振り返ると、内から溢れんばかりの悦色に染まる赤い瞳と、鈍色の二枚刃が、リリカちゃんと繋いだ手を断ち切ろうと振り上げられていた。
「ひゃ、きゃッ……!?」
「リリカちゃん!」
振り返った、その拍子に足がもつれて、倒れそうになったリリカちゃんを咄嗟に受け止める。完全に止まってしまった足は、襲い来る彼女に狙いを定めさせるに十分な時間を与えてしまった。
いびつに弧を描く彼女の口元に、息をのむ。
せめて、リリカちゃんだけは守り切ろうと覚悟を決めて、小さな背に覆いかぶさった。
「素敵!そレなら二人マトめテ斬ッてあゲられル!!」
「────させない!」
「!?」
ギィン、と。
高く響き渡る音に、思わず顔を上げる。
見開いた瞳に映ったのはたなびく蒼い旗と…………天使の、羽。
「……聖女ッ!」
突如、その場に現れた金髪の女性が掲げる旗棒が、襲いかかるチェーンソウを阻み、藤色髪の彼女は悔しそうにその眼を細めた。
旗を掲げる女性の細い肩は凛として、彼女を中心として広がる足元の陣からは、あたたかな光がぼうっと浮かび上がっていた。
優しい腕に包まれているような安心感とぬくもり。
焦りと恐れに疲弊していた心が、少しづつ癒されていく不思議な感覚に戸惑いを覚えながらも、身を委ねたくなる。
攻撃を弾かれた方はよろけながら後退し、恨みがましい眼差しで金髪の女性を見つめていた。
「アんたガ居るンじゃ斬ラレないじゃナい……ヤめた」
「乃保さん、待って……!」
まるで、何かのスイッチが切れたかのようにチェーンソウをおろし、乃保と呼ばれた彼女があっという間に森の奥深くへと姿を消す。
逃げる背へと伸ばした手は届かず、名残惜しそうにその手のひらが宙を掴んだ。
凛としていた背中は急に寂しい色を見せ、伸ばした手を下ろしながら金髪の女性が肩を落とす。
……何が、起こったのか。まるで理解が追いつかないけれど……たすかった、のか?
途端に腰が抜け、その場に座り込む。リリカちゃんも同じくといった様子で、僕と顔を見合わせた後に、旗を持つ女性へと視線を向けた。
彼女はそっとこちらを振り返り、先の寂しさを払うように穏やかに笑うと、旗を下ろしながら僕らへと向き直った。
「間に合って、よかった。……二人とも、ご無事ですか?」
「なん、とか……。あの、あなたはいったい……?」
先の様子から敵……だとは思いたくないが、味方と言い切るにも確証を得られず、手を繋いだままのリリカちゃんを庇いながら訊き返す。
彼女は意外にも、僕のそんな不躾な態度に嫌な顔ひとつせず、深々と一礼した。
「申し遅れました。私の名は……ジャンヌ。ジャンヌ・ダルクと申します」
深い紺碧色の瞳が優しく笑う。胸に手を添えながら返された名前に、ゆっくりと目を見開いてしまった。
ジャンヌ……ジャンヌ・ダルク……だって!?あの、百年戦争の!?
「少し歩いた先に、私の……家があります。あなたがたに、この世界について私が知っている限りのことをお伝えします。……一緒に、来てくれますか?」
彼女の名乗りに思わず頭の中にフランス史の年表を広げてしまったが、続く申し出に彼方へと飛び始めていた思考を呼び戻す。
この世界について、自分が知っている限りのこと……?
ボイドール以外にも、既にこの世界の仕組みを知り得る者が居るっていうのか。しかも、その人物が狙い澄ましたかのようなタイミングで現れるだなんて。
彼女の提案は魅力的だ。助けてもらった、その行為を疑うような真似もしたくない。
しかし、最低限の自衛だって必要だと自らに言い聞かせ、甘い考えを飲み、込み努めて冷静に口を開いた。
「……助けてもらったことには、素直に感謝する。本当に、ありがとう。……でも、君のその提案が、罠じゃないって証拠は?」
我ながら、助けてもらっておきながら何て言い草だと、想像以上の自己嫌悪に駆られた。
だけど、守るべきは自身だけではないのだと、再確認するように、そっとリリカちゃんの横顔を見やる。
ジャンヌと名乗った彼女は、僕の質問に対して変わらず穏やかな表情で、ゆるりと首を振った。
「あなたがたを陥れようとするのであれば、先ほどの彼女と共闘していたでしょう。ご安心を。私には『護る力』はありますが、戦うための術は持ちあわせておりません」
そう言って、彼女はおもむろに2枚のカードを取り出した。
くるりと翻した面の片方には黒猫、もう片方にはドアらしき絵が描かれていた。
リリカちゃんも似たようなカードを取り出していたが、あれと同じものなのか?
唸りながら顎に手をやっていると、傍にいたリリカちゃんが示されたカードをまじまじと見つめた。
「『黒猫リリィ』に、『どこにでもいけるドア』ね……。マルコスくん。彼女の言うこと、信じていいと思う」
カードから僕へと視線を移し、リリカちゃんがふわりと微笑む。
真っ直ぐに向けられた愛らしい表情に胸を高鳴らせつつも、件のカードについてはリリカちゃんの意見を信じる事にした。
あのカードについては、少なくとも、僕よりリリカちゃんの方が詳しい。
思うところはまだまだあるが、このまま用心し続けて動かないままでは何も変わらない。ゆるゆると息をつきながら浅く頷くと、二人の表情が明るくなった。
「……わかった。信じるよ、ジャンヌ……さん、のこと」
「ありがとうございます。では、参りましょう」
胸の内から溢れる嬉しさに表情を綻ばせながら、彼女が告げる。
翻る、蒼い旗に描かれた紋章を眺めながら、歩みだしたジャンヌ・ダルクの背を追った。