「関東大会まで二週間弱、そして夏の本戦まで3ヶ月を切っている。目標の無い練習は日々をただ食い潰すだけだ」
放課後の夕方練習の直前、1年生から3年生まで例外なく並んでいる部員達を前にして片岡監督の激が飛ぶ。
「小さな山に登る第一歩、富士山に登る第一歩…………同じ一歩でも覚悟が違う」
装備や意識、同じ山登りだとしても歩むべき道程は全く違う。必然、その一歩の覚悟もまた違うのだと語る。
「俺達の目指す山はどっちだ?」
当然、
「目標こそがその日その日に命を与える! 高い志をもって日々の鍛錬を怠るな!!」
『はい!!』
片岡監督の激に応えるように大きな返事がグラウンドに響き渡り、三々五々に各自の練習場所に向かって散っていく。
100人近い部員を見事に統制している姿を片岡監督の後ろから見ていたコーチの落合博光は顎髭を擦って感心していた。
「新1年生を合わせ、総勢94人。なんとも盛観な練習風景ですな」
コーチと言いつつも就任したばっかりで選手の顔と名前が一致していないので大した仕事をしていない落合に、何故か扇子を広げて持っている校長が話しかけて来た。
「前の紅海大相良もこれだけの人数がいたとか」
「ええ、まあ」
現場に上層部が首を突っ込んで良くなった試しを知らない落合は適当に相槌を打ちつつ、当の自分もその当事者だと思うと少し憂鬱になった。
「都大会優勝おめでとうございます。これも落合
「私は何もしてませんよ」
「謙遜を」
「まだ選手の顔と名前が一致しないもので指導らしい指導は本当に何も。給料泥棒と言われても仕方ありませんがね」
校長たちは落合がコーチに就任して直ぐに結果を出したと思ったらしいが普通に無理。
仮にしていない落合の指導のお蔭であったとしても、たった1、2ヶ月でチームが劇的に強く成ったとしたら片岡監督の育成力にあることになる。
「寧ろこのチームに私は要りますか?」
何年も前からオファーされて秋季大会での市大三高との試合を見て、紅海大相良の山本監督の勇退がこの夏に決まっていたから早めに次期監督の話を受けたというのに今のチーム状況を見るに自分が必要とは思えなかった。
「しかし、ここ5年、甲子園から遠ざかってますからねぇ。そろそろ我が校の名を全国に轟かせてもらわないと困るのですよ」
校長の太鼓持ちである教頭の言葉は野球強豪校としては持って当たり前の危機感であるので落合も何も言うことはない。
「片岡監督は選手個々の能力は去年のベスト4のチームを遥かに上回るとか言っていましたが、進退が極まっている人の言うことを素直には信じれない。私達は甲子園に出れる人材を呼んだつもりです」
教頭と校長がそれぞれの見解を述べるが、たった1ヶ月程度の付き合いに過ぎないが間違いは訂正せねばならない。
「私は去年のそのチームを知りませんが都大会を見させてもらった上で言わせてもらうとしたら、目標である全国制覇も夢ではない選手が集まっています。片岡監督の言葉は嘘でも大言壮語でもありませんよ」
寧ろ次の職を探さなければならないかと内心で焦ってもいる落合の言葉に、校長達は懐疑的な目を崩さない。
甲子園に出場して当然という強豪校としては、5年もの長き間に出場することが出来なかった監督というのは余程信用し難いようだった。
「これだけの人材は甲子園出場校にもそうはいませんよ。例えば」
このままごり押しで次期監督にされても何も良いことはないと知っている落合の視線の先で、守備練習をしているスタメン達が躍動している。
「鉄壁の守備を誇る二遊間のレベルの高さは全国を見てもそうはいない」
2番セカンドの小湊亮介が抜けそうなボールを飛びついて捕球し、1番ショートの倉持洋一にグラブトスして打者が一塁に到達する前に投げていたので最初に説明する。
「うぉおおおおおおおおおおおお死ねオラァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「五月蠅いですがムードメーカーであり、守備でも攻撃でもあのセンターが果たしている役割は大きい」
3番センターの伊佐敷純はフライをレーザービームばりにホームベースへと投げ返していた。
「キャプテンである結城は不動の4番の名に恥じぬプロ注目も納得の打者ですな。こういう男がいるチームは強い」
性格は少し天然が入っていて、今も何故かバッターボックスに入って風の確認をしていたりするが、得てして突出した人物は変わり者が多いので落合は気にしなかった。
「そしてやはりなんといってもこの男。都大会で登板した試合は、ほぼコールドで参考記録ながらも完全試合とノーヒットノーランをした石田を一本釣りしたスカウトには深く感謝した方がいいでしょうな」
多くの選手を見て来た落合の眼から見ても文悟は高い潜在能力がある。
天から与えられた剛速球に、絶好調時は同格とされている強豪校が手もつけられないほどなのは市大三高戦で証明している。変化球はカーブ1つしかないがキレは抜群、ストレートに比べても遜色がないほど。
「スタメンに復帰した増子は当たればボールは遥か彼方に飛んで行くほど。戻って来てからの守備の意識も以前とは段違いです」
変化球打ちに難があるものの、都大会決勝で青道の得点が更に伸びたのは増子の存在があってこそ。
「チームを支える扇の要である御幸の存在も忘れてはならんでしょう。得点圏にランナーがいない時に打てないのは疑問ですが、これほどの男が7番を打つ打線を他に知りません」
御幸のバッティングを見ていると往年のプロ野球選手を思い起こさせる。
「ライトのレギュラーに定着したばかりの白洲は目立つ男ではありませんが私は高く評価しますね。レフトは石田が登板しない時につくポジションなので特に言うことはありませんな」
The・堅実という名が相応しいほどに攻走守全般に渡ってミスの少ない白洲健二郎のスタイルは実に落合の好みにピッタリである。
「2番手投手の丹波も他の高校なら十分にエース級の実力があるし、入って来た1年の降谷や沢村も光る物があります」
この1ヶ月強の間に戦力になる者とならない者を見極めた落合としては、この面子で負けるとしたらそれこそ主力の誰かが怪我でもしない限りはないと考えていた。
「片岡監督は1人のエースを育てることに拘り過ぎる節がありましたが、2番手投手もエース級とは育て方を変えたんですかね」
落合の客観的な評価に教頭は少し驚いていた。
「確か片岡監督は高校の時は投手だったと聞きましたが」
「ええ、後一歩のところで全国制覇を逃し、プロ入りを拒否して教職の道を選んで戻って来られたのです」
「母校に錦を飾る為、ですか」
傍から聞いているだけならば美談である。
熱意は十分に感じるし、落合自身は母校にそこまでの思い入れを抱けなかったので純粋に感心した。
「手腕を疑う声もありましたが都大会で優勝し、関東大会も取れれば収束するでしょうし、夏の大会に集中出来ることでしょう」
伝統が長いと外野が口を出してくることが多いことを名門で長年コーチを務めていた落合も知悉しており、夏の大会前に周りを黙らせるだけの結果を出したことは大きい。
「まあ、微力ながら私も片岡監督のお手伝いをさせてもらいます」
本当に微力になりそうな気がしても、そう言わなければならないのが大人の面倒なところだった。
守備練習をするAグラウンドではシートノックが行われていた。
参加するのは一軍と二軍の総勢40名の内の一部。その中には紅白戦後に二軍入りした沢村栄純や降谷暁、小湊春市もいた。
「ファースト!」
「へい」
ホームベース上から打たれたボールを、一塁から離れてファーストが捕球している間にマウンドから向かっていた降谷がカバーに入って声を上げる。
二軍といえど野球強豪校の名に恥じぬ動作で降谷にボールを投げた一塁手は次の瞬間に目を見開いた。
「あ」
誰が上げた声だったか。
ファーストが投げたボールはグラブに弾かれ、点々とファウルゾーンに転がっていく。
「どんまいどんまい」
「お前が言うな!」
ボールを弾いたグラブを一度見た降谷は気にするなとばかりに言った言葉に2年ファーストが全力で突っ込んだ。
「球速と球威といい、あの守備の下手さといい、まさに文悟2号だな」
「なにそれ?」
順番待ちをしている川上憲史がそんなことを言ったので文悟は振り向いて聞く。
「左右の違いはあるけど、結構文悟と降谷って似てるよねって話」
「そんなに顔似てるかな……」
「いや、そっちじゃなくて」
天然が爆発している文悟に肩透かしを食らいつつ、川上は去年の光景を思い出す。
「剛速球で入学時は守備が下手だったってところが良く似てるだろ」
「今はマシになってる」
マシという時点で上手いとは言えないのが悲しいところだったりするが、下手だった分だけ練習した文悟の守備力は川上と現時点では大差なかったりするのでこの話を続けなかった。
(正直、2号というより下位互換な気もするけど)
入部の能力テストの際に球を受けた御幸に聞いた話曰く、同じ時点での比較をした際、球威と球速は降谷に軍配が上がり、制球と体力は文悟が圧倒的に上とのこと。
1年の差があるとはいえ、現時点では球威と球速も文悟の方が上なので完全に降谷の上位互換だというのが部員達の共通見解である。
(2人のタイプが似てるから降谷が一軍に上がってくるのは夏以降かな)
と、ボールを離した瞬間から投手も9人目の野手だと説明している丹波の後ろで自分も言われたと回顧している文悟と、アドバイスに頷いている降谷を見た川上は思っていた。
(後は……)
他の投手を見て自分が一軍を守れるかをチェックしている川上は視線をマウンドに向ける。
「沢村コラァ! 何やってんだ!! カバーリングは確実に入らねぇか!」
降谷の次、丹波の前という順番にいた沢村がシートノックを打っていた3年に怒鳴られて全身をビクつかせる。
「お前、中学でどんな野球をやって来たんだ! 野球舐めるなよ!!」
「す、すいません……」
沢村に順番が来た時だけ難しい対応をする時が多く、逆に降谷はその逆に簡単な時が多い。
タイミングが悪いというか、逆に良いと言うのか。
「だからなんで三塁に行くんだよ! バックホームの時は本塁のカバーだろうが!!」
「あれには勝てるな、うん」
変則フォームのサウスポーという時点で川上の小心者センサーにビンビンに来ているのに、バッティングピッチャーで打者として立った者達が一様に打ち難いと言っていたので警戒していたが降谷以上に守備下手で一軍に選ばれることはないと確信した。
「おろおろすんな! 涙を見せんな! どうにもならないからってやけくそになるな!」
投手以前に野球の知識も殆どなさそうな沢村に負けることだけはないだろうと安易に考えていて安心していた。
(あの2人なら大丈夫大丈夫)
1年生も含めた青道野球部の投手の中で自分は3番手であり、一軍の座が脅かされることはないと考えていたのだった。
露骨なフラグを立てる川上。
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