ダイヤのA×BUNGO   作:スターゲイザー

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第二話 捕手

 

 

 

 新幹線に乗って東京へとやってきた石田文吾は駅で迷っていた。

 

「分からん。東口はどっちだ?」

 

 電車に乗ったこと自体が少ない文悟は案内板を前にして唸る。

 改札を出るのは電車を降りた人達に付いて行ったので問題はなかったが、高島礼との約束の場所である東口がどこにあるのか分からない。

 家のある山の近辺はどこであろうと現在地が分かるのに駅構内の地図を見ても自分がどこにいるのかさっぱりであった。

 

「人に聞けばいいんだけど、東京の人はセッカチだ」

 

 歩く速度が速過ぎて聞くタイミングが掴めない。

 駅員の人もどこにいるのか分からず、こうやって案内図を見ていることしか出来ない文悟だった。

 

「石田君」

 

 もう泣きたくなってきた文悟に聞き覚えのある声がかけられた。

 文悟が後ろを振り向くとスーツ姿の女性――――――――高島礼が立っていた。その豊満な胸元を見て、それから顔を見た文悟は安心から大きな息を漏らした。

 

「探したわよ」

「東京は怖いところです」

「大体、みんな最初はそう言うわ。こっちよ」

 

 青少年のパトスに理解のある高島は文悟の視線を意に介さず、先に立って歩き始めた。

 文悟は慌てて後を追い、高島の車に乗って一路青道高校へと向かう。

 

「さあ、着いたわよ」

 

 助手席の窓から見るともなしに流れていく東京の街並みを眺めていると、高島の声に運転席側を見て目を見開いた。

 

「これが我が校が誇るグランド設備よ」

 

 文悟の中学の運動場が小さく見えるほどのグラウンドが2つもあり、駐車場で車から降りてその内の1つに入る。

 

「あっちには雨天練習場もあるし、向こうには野球部専用の寮もあるわ」

「みんな、凄い気迫ですね」

 

 見たことのない設備、汗水を垂らして走り回る部員達に文悟は圧倒されて聞いていなかった。

 

「ウチの部員の半分は他県出身者。所謂、野球留学というやつね」

 

 もしも、文悟も青道に入るとなれば同じ立場となる。

 

「野球留学については批判もあるわ。地元の選手が出場できないとか、選手の能力にしか興味が無いとか、そんな意見がどこまでも付いて回る」

 

 公平という観点でいえば、どう見ても沢山のお金をかけている青道は不公平と言えるだろう。

 選手を育てるのは環境であり、その環境を整えるのにはお金がかかる以上はやむを得ないとしても不平不満はどうしても出る。

 

「でも、私はそうは思わない」

 

 文悟も高島と同じ思いだった。

 持って生まれた資質や才覚の違いはどうやっても出てしまう以上は本当の意味での公平などありえない、文悟が仲間を得ることが出来なかったように。

 

「現在、高校野球のレベルは日本が世界一と言われ、プロ選手だってメジャーの一線で活躍している時代。誰よりも野球が上手くなりたいという一念だけで、僅か15歳の少年が親元を離れてより厳しい環境で己の能力を磨き鍛え上げる」

 

 その熱意と情熱は決して他者が否定できるものではないと高島は語る。

 

「私はね、そういう覚悟と向上心を持った選手達を心の底から尊敬するわ」

 

 文悟は視線を高島から離して練習を続ける部員達を見た。

 グラウンドに満ちる今まで文悟が一度たりとも感じたことのない異様な緊張感は肌がビリビリと痺れるほどだった。

 

「燃えて来たって顔をしてるわ」

「え?」

「顔、笑ってるわよ」

 

 言われて顔を触らずとも、誰よりも文悟自身が笑みを浮かべていると自覚していた。

 

「今、物凄く投げたい気分なんです」

 

 この雰囲気に看過されたこれほどにボールを投げたいと思ったことはないほどに、腕が疼いて疼いて仕方ない。

 

「じゃあ、投げてみる?」

 

 無意識に手がボールの握りをしている文悟に、目論見通りの展開に高島が笑みを浮かべながら提案する。

 

「投げて良いのなら」

 

 文悟にとっても願ったり叶ったりの状況に鼻息も荒く頷く。

 今のところは想定通りに推移しているので、文悟を更衣室に案内して着替えてもらっている間に少し離れて目的の人物を探す。

 すると、高島の目的の人物はタイミング良く更衣室近くにやってきていた。

 

「クリス君、丁度良い所にいた」

「何か?」

 

 1年生ながらも名門である青道高校の正捕手を勤めている滝川・クリス・優は高島に声をかけられて顔を向ける。

 

「今、手は空いているかしら?」

 

 事前にクリスの練習予定を確認して、この時間帯に手が空いているのを知っているのを隠して訊ねる。

 

「室内練習場に入るのが30分後なのでそれまでは」

「なら、お願いがあるのだけど」

 

 普段、高島は練習の間に部員に声をかけることは少ない。

 にも関わらず、お願いまでするなど今までなかったことだからクリスは肩眉をピクリと上げた。

 

「なんでしょう」

「そう警戒しないで。変なことを頼んだりしないから」

「だと、いいんですが」

 

 高島が副部長の立場にいる人間で、青道に対する情熱ならば片岡監督並であると常々感じているクリスもそこは信用していたが、監督や部長の大田を通さないことが不審を覚えさせている。

 

「中学生の子が見学に来てて、今着替えてもらっているわ」

 

 監督と部長を通さず、そして捕手である自分に直接に話を持ってきて、中学生の見学者が着替えているともならば簡単に想像がつく。

 

「その中学生は投手で、俺にボールを受けろということですか」

「話が早くて助かるわ」

 

 これは計られたか、とクリスは思わないでもなかったが高島が正捕手である自分に受けてほしいとまで言わせる中学生投手に興味が湧いた。

 

「中学生をマウンドに上げたら高野連が黙っていないのでは?」

「大丈夫よ。室内練習場なら隠し通せるから」

「副部長として問題のある発言のような気が」

「何も問題はないわ」

 

 一応、説得しようとした体裁は整えたクリスは仕方ない体を装いながら先に室内練習場に向かい、準備を始めるのだった。

 クリスは予定より早い室内練習場入りの理由を聞かれても説明せず、プロテクター等をしていると高島が先導して見覚えのない少年が入ってくるのを見て立ち上がった。

 

「彼がウチの正捕手よ」

「滝川・クリス・優だ。よろしく頼む」

「石田文吾です。今日はよろしくお願いします」

 

 中学生だから線は細いが握手した手は大きい。

 持ってきたというグローブを付けて、渡したボールで軽くキャッチボールをした際に徐々に投げる速度を上げても対応してくるのを見たクリスは、未だ室内練習場にいる他の部員に何の説明もしないまま座った。

 

「投げれる球種は?」

「…………ストレートだけです」

「分かった。最初は軽くでいい。気楽に投げてみてくれ」

 

 中学生ともなれば変化球の1つや2つは投げるものだが、ストレートだけとは流石に予想していなかった。

 そのことに対して本人も思うところがあるのだろう。言い難そうにする文悟を安心させる為に軽く笑みを浮かべ、初見なのでど真ん中にで様子を見ることにした。

 

「行きます」

 

 セットアップポジションを取った文悟が腕を振りかぶって投げた。

 クリスが軽くでいいと言ったので、文悟も本当に軽く投げたのだろう。体に力みも無く、綺麗なフォームで投げられたボールはクリスの体感で120㎞/hを軽く超えていた。

 構えていたキャッチャーミットにピタリと収まったボールにクリスは少し感心した。

 

「良いボールだ。続けて行こう」

 

 そして10球ほど、外角と内角、高めと低めに構えてもピタリと収まるコントロールは上等な物である。しかし、本気で投げてもコントロールを維持出来ていれば、であるが。

 

「アップはこれぐらいでいいだろう。ギアを上げて行くぞ」

 

 パン、と一度ミットの内側を叩いたクリスは文悟を見極める為に目を細めてキャッチャーマスクを被る。

 

「ふっ!」

 

 相変わらず力みのないフォームで投げられたボールは、バンと大きな音を立ててクリスが構えていた内角にドシンと来た。

 130㎞/hは確実に超えている。先程よりかはコントロールにズレが生じているが問題にするほどのズレではない。

 

「次」

 

 ボールを投げて受け取った文悟が薄く笑みを浮かべてまた踏み込む。

 

「――――――」

 

 今度投げられたボールは更に速度を増していた。

 まだ本気で投げていないのかと驚きつつも、どこまで行けるのか見てみたい欲求がクリスの中にも起き上がった。

 

「全力で来い、ここに」

 

 言ったクリスが構えたのはストライクゾーンのど真ん中。

 ピクリと眉を動かした文悟は僅かに逡巡するようにグラブを揺らす。

 130㎞/hを超えても軽く投げている文悟が本気で投げたら同じ中学生レベルでは捕球するのは難しいのは簡単に想像できる。先程の躊躇いも、クリスが自分の本気を受け止められるのかと不安に感じた為と見えた。

 

「案ずるな。これでもキャッチングには自信がある。何も考えずに投げてみろ」

 

 コクリ、と頷いた文悟は一度大きく深呼吸をして振りかぶった。

 ワインドアップポジションで、変わらぬ力みのないフォームが流れるように動いてボールが放たれた。

 

(先程よりも断然速いが)

 

 速度は今までよりも段違いに速い。

 恐らく150㎞/h近いボールは要求した位置よりも大分低く、それどころか地面にワンバウンドしそうな勢いだった。

 

(これは低過ぎる。地面に当たるか――っ!?)

 

 ボールが地面に跳ねたことを計算してグラブを微かに上げたクリスの目が開かれた。

 何故ならば地面に当たることなくホップしたように見えたボールがグラブの中に収まっていたのだから。

 

「すみません、少し浮きました」

「いや……」

 

 謝る文悟にクリスは驚きでそれ以上の言葉を発することが出来ずにいた。

 

「もう1球、頼む」

 

 今の球が本物であるかを早く確認する為、文悟にボールを投げてクリスは座った。

 全く変わらないフォームで130㎞/hから150㎞/h近い球を投げ分けられるのは捕手としてはやりやすい。球速を上げていく毎にコントロールにズレが生じるのは困りものだが、先程のホップしたボールがクリスの想像通りだとしたら。

 

(見極めてみせる、お前の本気を)

 

 クリスが構えたのは低めと見て取った文悟が投げる。

 

「っ!?」

 

 先程よりも更に低い弾道で、今度こそ地面に当たるのではないかと錯覚しながらも収まったのは構えていた場所よりもボール2つ分だけ上だった。

 

(回転(スピン)だ! 回転量が全く違う……)

 

 ホップしているように正体は、ボールが真っ白にしか見えなかった。回転量が多い証拠である。

 

(球速は体感しているよりかは速くない。150㎞/hを超えていると思ったが恐らく140㎞前半ぐらい。あの異常な回転量が球速以上に速さを感じさせているんだ)

 

 直球の軌道は回転量で大きく変わる。

 回転が多ければ重力に逆らって伸び、回転が少なければ重力に従って沈む。文悟が投げる球は前者であった。

 

「ナイスボール」

 

 混じりけの無い本音を告げながらクリスがボールを投げ返すと、文悟は驚いた顔をしていた。

 

「どうした、そんなに自分の本気を取られたのがおかしいか?」

「いえ、今まで誰も取れなかったので、こんなに簡単に取れる人がいるなんて思いもしませんでした」

「無理もない」

 

 文悟の驚きに納得する。

 野球をやっている者なら浮き上がるようなストレートを打つことも取ることも難しいだろう。それこそ一流の捕手でなければ。

 自分がその一流の捕手に含まれるかは別にして、初見であったならばクリスも打つことは叶わなかっただろう。

 

「もっとコントロールがあれば良かったんですが」

「狙った場所よりも高めに浮くようなら、最初から狙う場所その分だけ下げてみるといい」

 

 回転が効き過ぎて狙った場所よりも高めに浮いてしまうのは文悟自身には自覚がないようなので、折角のストレートを消さない為にその分だけ狙う場所を下げれば解決すると話す。

 高めに浮き過ぎればストライクゾーンを外れてボールになるギリギリの場所にクリスはミットを構えた。

 

「やってみます」

 

 今度投げられたボールはクリスが構えた場所よりもボール1個分上に外れた。

 

「ボール、だな」

「はい……」

「だが、先程よりも狙いはよくなっている。もう少し続けよう」

 

 その後も20球ほど全力投球を行った後でクリスは切り上げることにした。

 

「ここまでにしておこうか」

 

 結局、ボール1個分の誤差を埋めることは出来なかったがストレートしか投げれなくても、クリスの同学年である丹波光一郎よりもコントロールは良い。

 

「まだ投げれます」

「悪いが練習があるんでな。これ以上は周りにバレるかもしれん」

 

 青道の人間ではない文悟に勝手に室内練習場を使っているのが監督にバレたら幾らクリスといえども立場が悪くなる。

 

「納得は出来ていなさそうだな」

 

 分かりやすく顔に書いてあることを指摘すると文悟もばつが悪くなって顔を伏せた。

 

(投げたいと思うのは良いことだ。投手は自己主義(エゴイスト)の方が伸びる)

 

 周りのことが考えられないほどに熱中するのは悪いことではない。

 

「来年にうちに来れば存分に投げられるぞ」

 

 軽く投げた分も合わせて30球以上投げて汗一つ掻いていないのだから相当に体力もある。ここで問題を起こしてスカウトの話を棒に振るのも、文悟に満足されて他の高校に行かれるよりもこの方が良いとクリスは判断した。

 

「必ず青道に入ります」

「良いことを聞けたわ」

 

 もっと投げたい病に罹患している文悟が言った直後、何時の間にかいなくなっていた高島が室内練習場の入り口に姿を見せた。

 

「良い顔をしているわ。クリス君に任せて正解だったようね」

 

 文悟の発言と聞き、明らかに変わった顔を見て手応えを感じた高島が歩み寄って来る。

 

「残念だけど時間切れだわ。石田君、着替えて来てもらっていい?」

「…………分かりました」

 

 物凄く不承不承といった顔でクリスを見た後、室内練習場から出て行って着替えに行った文悟の背中を見送った高島がクリスの方を向く。

 

「どうだったかしら、彼は?」

 

 その質問の意図を理解できないほどクリスは愚鈍ではない。

 

「逸材、でしょうね。荒削りながらもダイヤモンドの原石って言葉が頭に浮かぶほどに」

「東京No.1捕手の太鼓判が貰えるなら私も誇らしいわ」

 

 別に東京No.1捕手のつもりはないのだが、と内心で思いながらクリスは先程のストレートを思い出す。

 

「東京ブロックは強豪犇めく激戦区。どんなに努力しても報われないかもしれない。だけど、あいつがうちに来てくれれば」

 

 幾らクリスが優れた捕手であろうとも、その能力を引き出す投手自体の性能が低くてはどうしようもない。

 そのことを良く知る高島だからこそ文悟に期待していた。

 

「来年には御幸君も青道に来てくれる。石田君と2人が青道の柱になってくれれば」

「投手の石田はともかく、俺は捕手の座を御幸に譲る気はありませんよ」

「あら、頼もしいこと」

 

 既に青道への入学が決まっている1つ下の世代でNo.1との呼び声も高い御幸一也の名を出せば、一度も負けたことが無いとはいえクリスも負けん気が表に出て来る。

 

「何にしても楽しみです、来年が」

 

 青道にとっても、クリス自身にとっても大きな存在となる2人が入学するまで後半年。

 

 

 


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