夏の予選に向けてベンチ入りメンバーを含めた20人が発表された。
スタメンは当然ながら変わらない。
春大会のベンチ入りは18人。追加で入るのは二軍から2人と目されていた。
二軍からの昇格の最有力は怪我から復帰した滝川・クリス・優と脅威の打率を示した小湊春市。しかし、蓋を開けてみれば調子を崩した川上憲史に引きずられるように宮内啓介が外れて沢村栄純と降谷暁の2人も一軍に上がった。
「少し驚きましたね。実績の川上より1年2人を取るとは」
落合博光コーチとしては順当ながらも、周りにとってはそうではない。周りの声の代弁というわけではないが聞ける機会に聞いてみた。
「太田部長などは頻りに川上を推していましたが」
「結果が全てです」
選考基準はたった1つ。
黒士館との試合で打たれたか、打たれていないか。
「どんなに不細工だろうが勝負に勝てる投手を…………川上はその基準を達せられなかった」
「止む無し、と」
「ええ」
重く頷く片岡監督の横顔を見ながら落合コーチは顎髭を擦る。
「それで1年投手の2人をどう扱うつもりで?」
珍しいサイドスローでコントロール抜群だとしても、あそこまでメンタルが弱いと使いどころが難しい。
1年2人の場合は失う物がないからこその無鉄砲振りと評することも出来るが、少なくとも素質とメンタリティにおいて川上を上回っていたから片岡監督の判断に否はなかった。
「2人は抑えで使うつもりです」
片岡監督の返答を聞いて考える。
「多くて3回、
黒士館の試合を見て1年投手に任せられるのは3回まで。それにしても安定感が無さ過ぎて不安なので、何時でも救援出来るように文悟をレフトに置いた状態でなければ監督陣が気が気ではない。
「正捕手はやはり御幸に?」
落合コーチとしては黒士観戦然り、何度か試合を見てクリスの打撃が御幸を上回っていると思っているだけに少し惜しい気がした。
「名目的には御幸が正捕手ということになるのでしょうが、御幸に石田と降谷を、クリスに丹波と沢村を任せます」
「一捕手二投手制ですか」
予想していなかった答えに驚きはしたが、よくよく考えれば悪くないアイデアだと気づいた。
「人間である以上、相性もあるので良いと思いますよ。高校野球には珍しいですが」
本人の資質や環境など、捕手を育てるのは投手や他の野手よりも遥かに難しい。そんな中でどちらかを選べないと悩みを抱けるのは望外の幸運としか言いようがない。
「勝たなければ次のない夏の予選で勝てる選手を合宿で育てていくつもりです」
己の進退など二の次。これが最後になる3年生達の夏を少しでも長くするために合宿が始まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
青道の合宿は別の地へ移動するということはないから、初めての1年生にとっては普段と何も変わらないように思える。
「トスバッティング200球にランニング…………朝からこんなに飛ばすのかよ」
朝の6時前から練習は始まっているのだが行うのが一軍20人に限定されたことで密度が以前の比ではない。体力に自信があった沢村ですら疲労に重たい体を押して歩き、食堂に辿り着いて空いていた文悟の隣の席につく。
ガタン、と膝から崩れ落ちるように座った沢村に文悟は薄く笑う。
「初日の朝からそんなだと体が持たないぞ」
「しかしですね、エース。あれだけ動いた後で山盛りどんぶりご飯3杯は無理です」
「大丈夫大丈夫…………嫌でも慣れるから」
「今ボソッと怖いこと付け足しませんでした!?」
青道の騒がしい男No.1の称号を欲しいものとしている沢村はこの日、偶々石田文悟と朝食を共にしていたが失敗したかもと思った。
「去年は御幸が泣きながら食べてたっけ」
お残しは許しまへんで精神などではなく、青道では食も鍛錬の1つとされている。なので、去年の御幸も倉持洋一に見張られながら無理にでも食べさせられた経験があった。
「おまっ!? それを言うなよ!」
「へぇへぇへぇ」
「くっ…………沢村、まだまだご飯あるぞ。さあ、食え。食うんだよ!」
「人に八つ当たりするなっ!」
隠しておきたい過去を文悟に暴露され、沢村が揶揄するように笑うと御幸が八つ当たりを始めた。
「食事中は静かに」
しかし、始まった諍いはクリスの静かな言葉によって沈下した。
「合宿中の食事が辛いのは毎年のことだ。特に1年が躓くのは例外はない。御幸が恥ずかしがることもないし、沢村も来年は我が身と思って慎め」
「「はい……」」
御幸にとっては尊敬するライバル、沢村にとっては自分を鍛え上げてくれている恩人であるクリスの言うことが正しいだけに2人は大人しく従う他ない。
「文悟も軽はずみに口を滑らすな。エースとは時にチームそのものとして見られることがある。他人の目が無かろうが言動には特に注意すべきだ」
「はい、すみませんでした」
ついでにエースへの教育も行ったクリスの手腕に降谷暁は感心ばかりである。
「とはいえ、食事は残すなよ。全てを糧とし、取り込んでいけ。特にエア食事をしている降谷」
「む!?」
隣で顔を青くしながら食べている小湊春市と違って平然とした顔をしている降谷が口を動かしているだけで全然箸をつけていないことはクリスにはお見通しである。
去年とは違って普通に食べられるようになった御幸は注意を受けている降谷を見ながら隣の沢村へと視線を移す。
「後、合宿中も普通に授業はあるけど寝ないように気をつけろよ。赤点を取ったら試合には出れないから」
「マジで?」
「マジらしい。去年は俺が脅された。まあ、俺も文悟も赤点は取らなかったから真偽は分からんけど」
真面目に勉強するのが文悟、偶に勉強するのは御幸なのだが成績は後者の方が良いという理不尽があったりしたが今は関係ない。
「沢村は勉強できるのか?」
「地元で仲間と同じ高校には行けないと諦められる程度の学力でありますエース!」
早くもどんぶり2杯目を食べ終えそうな文悟の質問に、褒められた内容ではないのに自信満々な返答を返す沢村。
おおよそ見た目通りと思って驚きもしなかった一同の中でクリスが降谷を見る。
「降谷は……」
体が大きかろうが食が細い方な降谷の顔色が更に蒼くなったのを見てクリスも察した。
「金丸に監視役を頼むとするか」
同室の金丸信二がこの1年三人衆と同じクラスであると聞いていたので面倒を任すことにしたら初日から大変だったと後で報告を受けることになる。
午後からはフリーバッティングが行われ、残る者達は守備練習や文悟と丹波光一郎はブルペンに入っている。
「くそ~、俺達はなんでブルペンに入れないんだ!」
三軍まで含めて最も守備が下手でありながら一軍に名を連ねている沢村の叫びに、同じように守備練習を嫌になるほどさせられている降谷もコクコクと頷いて肯定する。
「お前らの守備が下手過ぎるからだってクリスさんは言ってたぞ」
練習中まで監視役を任された金丸はクリスからの伝言を伝える。
「鬼! 悪魔! 金丸!」
「なんでそこに俺の名前を混ぜるんだバカ村!!」
クリスの頼みだからこそ嫌々ながらも監視役をしている金丸からしたら見過ごせる悪口ではない。
「まあまあ、2人とも」
顔を突き合わせていがみ合っている2人だが間に入った川上憲史の言葉にパッと身を離した。
「2人とも投手としての力量はずば抜けてるんだ。後は守備とか他のことをまず出来るようにならないと試合では使ってもらえないぞ」
一軍発表の場で、一軍間違いなしとされながらも落とされた川上と宮内の呆然とした姿を見たからこそ、アドバイスに否とは言えない。
「川上先輩……」
「頭で考えている内は失敗も多い。プレーの前に色んな局面をイメージして自然に体が動くようになるまで練習あるのみだよ」
選ばれなかった多くの3年生達の姿が今も瞼の裏で焼き付いて離れない。
3年生達も川上も泣きくれた赤い目で次の日も練習に全員が出て来た。強豪校の厳しさを知りつつも、強く成ると心に誓ったがふとした時に不満が零れ落ちていた。
「頑張らせてもらいます!」
「ます」
「その調子。これが終わったら外野のノックを受けてもらえってクリス先輩から次の指示を貰ってるから頑張ろう」
「「うす……」」
結局、ブルペンに入ることは認められないことに胸に溜まった思いを抱えつつも、押し退けて一軍に上がった2人は文句を言えずに指示に従う。
「外野のノックで走らせ、同時に遠投ですか。1年には一石二鳥のメニューですな。このメニューをクリスが?」
「ええ、クリスには頭が下がる思いです」
遠投でボールを遠くに投げようとすれば、自然と大きなフォームが身に付く。投手陣には御幸やクリスが指導して、落合コーチが口を出す余地が殆どない。
「お蔭で私がすることが殆どなくて困ってしまいますな」
結局、精々がケージを五つに増やすなどの提案ぐらいで指導らしい指導をしていない身では肩身が狭くなる。
「降谷に縦スライダーを、沢村にチェンジアップの投げ方を教えたと聞きましたが」
「アドバイス程度のものですよ。大体、教えたはいいものの、今ある物を磨く方が大事だと言われては二の句も告げません」
守備から始まり、フィールディングや何よりも制球力など課題の多い2人に新しいことに着手する余裕などないと一蹴に近い。降谷と沢村は興味津々だったが御幸とクリスの正論に落合コーチは引き下がらざるをえなかった。
後、文悟にも落ちる球があれば尚良いだろうと考えて新たな変化球習得の話をしようとしても門前払いを食らってしまったのは秘密である。
「効果的な練習方法を教えて下さっただけで十分です。投手陣のことは捕手達に任せておけば心配いりません」
文悟を育てたのはクリスと御幸であると知っているからこそ、片岡監督は投手陣に対してアドバイスはすれど余計な口出しをせずに任せていた。
「「………………」」
片岡監督と落合コーチが見守る練習の中で、外野ノックを受けてバンザイした沢村が泣きながらボールを追っている姿に無言になってしまった。
「沢村はともかくとしてセンスのある降谷は外野の守備も様になってますし、レフトでの起用も考えているので?」
勿論、文悟が投手としてマウンドに立っている時という前提の上での落合コーチの質問だった。
降谷の打撃力はベンチで眠らせておくには惜しい。しかし、空いているという言い方は変だがスタメンの中で打撃力が落ちる坂井一郎が守るレフトは文悟がマウンドから下りた時に回るポジションでもある。
「降谷の守備がどこまで伸びるかによりますが、坂井と併用して使って行くことになるでしょう」
「守備固めが必要な時とそうでない時ですか」
「1点を争う時に降谷の守備では不安が残りますから」
野球は点を取られない限り負けることはない。攻撃にムラはあれど、逆にムラが無いのが守備なのだから1点を争う、つまりは投手戦になった時に優先すべきは打撃ではなく守備。
「合宿最後の土日に練習試合を3つ組みました」
今日は月曜日、その夕方。土日となると五日後となる。
「土曜日が去年の甲子園準優勝校である大阪桐生、日曜日があの稲城実業と修北でしたか」
「大阪桐生とは石田が7回までを、1年2人で1回ずつ。稲実には丹波に投げ切ってもらい、修北は1年2人で8回まで、残りを石田に投げてもらうつもりです」
太田部長から聞いた練習試合の相手を思い出した落合は渋い顔を浮かべる。
「石田の力がどこまで全国に通用するか、1年2人が戦力になってどのように使うのかを判断する。丹波を稲実に当てたのはメンタルを確かめる為ですか…………酷なことを為さる」
修北はともかくとして、大阪桐生も稲城実業も合宿で疲れ切っているところに当てる相手ではない。
「夏の予選は過酷です。何時でも万全の状態で戦えるわけではない」
予選が始まるのは7月の暑くなる季節で、日程に余裕は殆どなく連戦となることも珍しくはない。
「体が動かない中でもどれだけの力を発揮できるのか。私が見たいのはそこです」
やっぱりこの人は厳しい、とは口には出さない大人な落合コーチであった。
評価・感想待っています。