な、なんとか間に合った……けど、短いです。
明治神宮球場で朝日新聞社と東京都野球連盟が主催する東西東京大会の開会式が行われていた。
『これより第89回全国高校野球選手権東西東京大会を開催いたします』
まだ7月の上旬だというのに、燦々と開会式に参加している選手達を太陽が照らしていた。
ドーム球場ではない明治神宮球場では陽光を遮る物は何一つない。
そして東西合わせた多数の高校より選出されたベンチ入りメンバーが参列しているのだから人口密集によって気温が確実に上がっている。
「うへぇ、相変わらずの人、人、人」
去年も体験しただけにうんざりとしているのは、青道高校の御幸一也。
「東西合わせて260校、ベンチ入り20人だから……」
「5200人にその他諸々で6000近くは居そう。観客とかも合わせれば10000人居るか?」
石田文悟が人数を出すよりもあっさりと暗算で出場人数を口にしたのは御幸は、おおよその数が具体的になっただけに余計に暑くなったように感じる。
「流石にそこまでは居ないと思うけど」
180㎝を超えている者は5200人の中でも決して多い方ではないがいないわけではない。グラウンド内に立つ文悟らの位置からでは観客前にいる来賓の者達までは見えないが観客席は見える。
「こんなに集まるなら東京ドームとか、もっと広いとこにすればいいのに」
「あんまり差はないんじゃない?」
ドームと名は付いていても明治神宮球場でもプロ野球の試合は行われるのだから広さに大きな差はないはず。
「じゃあ、せめて東西で分けるとかいろいろやり方はあるだろう。東京は金持ってるんだから、それぐらい優遇してくれてもいいだろうに」
「東京と連盟はあんまり関係がないんじゃ」
ただでさえジリジリとした陽光が当たって暑いのに、こうも詰め込みのギュウギュウ具合では体感温度は更に上がって行っているように思える。
「暑いし狭いし、文悟の所為で前見えないし」
「俺に言うなよ」
「せめて来賓の挨拶とか、もっと省略しろよな」
身長順に並ぶなんて決まりはないので、基本的に一番前は主将であること以外は後は順番は決まっていない。
大体、3年生が前の方に並ぶ。年齢的に2年生がその後だったりすると、1年が居る場合は最後尾になって少し不安が残るので大体両学年の間。
青道の場合は最後尾から白洲健二郎・倉持洋一・御幸・文悟と続き、1年3人がいてその先は3年生となっていた。白洲はその堅実な性格で、倉持と御幸だと1年にちょっかいをかけそうなので文悟が間に入るという形である。
「気持ちは分かるけど少し静かにしような。周りの眼もあるんだから」
来賓の話は長い物と決まっている。
この場に居るほぼ全ての高校生が左から右に流している状態であっても、思っていることを正直に言って角を立たせる必要はないので御幸に注意する。
(見られているのは別の理由って気づいてないのか? まあ、文悟らしいっちゃあらしいか)
文悟と稲城実業高校の成宮鳴がどちらが上かをハッキリさせる舞台がある。
今大会の注目として密かに上がっているそれは、甲子園行きを賭けた決勝だというのだから舞台としては十分。
「もう一度ここに戻って来る。そして……」
成宮との対決、1年前の雪辱を晴らすことは確かに重要なことである。
だが、まずは目の前のことから。
西地区の準決勝まで来なければ明治神宮球場で試合をすることは出来ないのだから。
「3週間足らずの間に、これだけの学校から選ばれるのはたった2校だけ。世知辛いねぇ」
「全国にはもっと激戦区の地区だってあるんだ。今は戦う相手だけを見よう」
名門復活を賭けた青道高校の夏が始まる。
明治神宮球場での試合は準決勝からである。
開会式をやった翌日から別球場で予選は始まるが、青道はシードなので2回戦から。つまりは開会式をやったらやることも無いので学校に戻るしかない。
「ん?」
もう一度明治神宮球場に戻ってくることを誓って、太田部長が回す車を待っていると移動してくる集団が伊佐敷純の眼に入った。
「あ、青道だ」
余程暑いのか、脱いだ帽子で自分を扇いでいる成宮鳴の声に白洲と話していた文悟も振りむく。
「よう、文悟」
「やあ」
原田雅功が止める前に文悟の下へと軽やかな足取りでやってきた成宮がジロジロと見て来る。
「何?」
「ほら、やっぱり怪我なんてしてないじゃんか雅さん!」
「俺はあくまで可能性の話をしただけだ」
さっぱり訳が分からないという顔をしている文悟を指差す成宮に、原田は「すまんな、うちのエースが」と結城哲也に謝る。
「相変わらずで何よりだ」
「お互い様にな。去年のクリスのことがあったから気になっていたが大事がなくて良かった」
クリスの姿も認め、その背番号が二桁台であることを目を細める。
「心配感謝する」
二重の意味で言った結城に原田は少し苦笑する。
「どうせなら万全の状態のお前らを倒したいという我儘だ」
「その自信が高くつくかもしれないぞ」
「ありえんよ」
「練習試合で負けておいてか?」
「去年敗けたのはどちらだったかな?」
主将同士でバチバチと弾け合う火花の最中、「降谷、テメェ自分で歩けよ!」と沢村の元気な声が辺りに響き渡る。
「…………無理、人に酔った」
「どんだけスタミナ無いんだよ!」
「水飲んだ方がいいんじゃない?」
どこに行っても騒がしい沢村が原因ではなく、降谷に原因があるようで全員の視線がそちらに向く。
「そっちの後輩も大変そうだな」
「お互いにな」
後輩に関して共通認識を得た原田と結城は苦笑を交換する。
「お前ら、俺らと当たる前にコけんなよ」
「それはこっちの台詞だ」
再戦を。
お互いに相手こそが最も強大な敵と認識しているが故に続く言葉はたった1つだけ。
「「決勝で会おう」」
敵であるのだから仲良しこよしなのも変な話である。それ以上の言葉も接触も交わすことなく、青道と稲実は別れる。
すれ違うように離れる前に成宮は文悟に一言言ってやろうと挑発の言葉を口から出そうとして。
「沢村、代わるよ。降谷、大丈夫か?」
「なんとか」
「もう少ししたら車に…………酔ってるのに車に乗って大丈夫?」
肝心の文悟は成宮のことを見てすらおらず、後輩の心配していた。
「絶対、ぶっ倒してやるからな!!」
薄く涙目になりながらの宣言をして去っていく成宮に、振り返った文悟は首を捻った。
「どうしたんだろう?」
尚、全てを見ていた御幸は爆笑していたようである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
開会式の翌日。
シード校を別にすれば、初戦が行われている中で青道は常と変わらない練習が行われていた。
対戦相手が分かる初戦の試合を見に行っていた偵察組が戻って来て情報を纏め、夕食と風呂後に一軍を中心としてほぼ全員が食堂に集まっていた。
「初戦の相手は、米門西高校です」
一軍を外れた3年生が務めることが多い偵察組の中で唯一の2年生である渡辺久志が報告する。
「1回戦で投げたのは背番号1で左のオーバースローの菊永正明。期間が開いているので
手元のノートを見ながら、渡辺の横にあるテレビに一回戦の試合を撮影された映像が流れている。
「今年の夏にエースに指名された2年で、1年の時は外野を守っていました。3人兄弟の次男で趣味はビリヤード。兄も野球をやっていました」
去年の秋大会でクリスのサポートで偵察班の一人として行動を共にしていた渡辺は、注目すべきポイントなどの見方を伝授してもらっていた。
文悟とは形は違えど師であるクリスに見守られながら報告を続ける。
「コントロールはあまり良くなく、球速は良くて120㎞/h後半で、ほぼ沢村と変わらないでしょう。変化球はカーブとスライダーの2つです」
世の中には映像だとしても脅威を感じさせる選手は幾らでもいる。
同じ投手で見るならば当然ながら稲実の成宮鳴、抜群の変化球のキレは映像でも分かるほど。後は文悟のような剛速球投手も明らかにミットが立てる音が違う。
2人と比べるのは可哀想だが、少なくとも米門西高校のエース・菊永正明は脅威を感じさせるタイプでないことだけは確かだった。
「打線はバントを多用し、守備でもエラーが少ない。ワンチャンスをモノにし、最後まで守り抜く守備のチームという印象ですね」
「4番はフライを多く打ち上げていました」
「レフトの肩は結構強いです」
偵察班の報告を聞いた片岡監督は軽く頷き、「ご苦労だった」と彼らの仕事を褒めて労う。
何も知らない時は対応できなくとも、知っている時は対応できることもある。投手の投げる球と、主だった選手の特徴が頭に入っているかいないかで勝率が大きく変わるのはそういうことなのだから。
「向こうは先に1勝を上げ、勢いがついているはずだ。油断だけは絶対に出来ん」
勢い、というのは馬鹿に出来たものではない。
目に見えない、形もない根拠のない思い込みに過ぎなくとも、勢いというのは十分に勝敗を左右する力がある。
より力の差が無ければ、勢いを得た方が勝つと誰もが知っていた。
「どんな相手であろうとも全力で挑め。そうすれば自ずと勝利はついてくる」
『はい!』
獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす。しかし、侮るなかれ。兎にも獅子を殺し得る爪はあるのだから。
野球に限らずスポーツに置いて数多の強豪がトーナメントの序盤で姿を消すのは珍しい話ではない。序盤で強豪同士が激突するのは稀で、力量差がある場合に上の立場が抱くのは慢心と油断。それらの所為で全力を発揮出来ずに敗れて来た例は数知れない。
「それから初戦の先発は……」
丹波光一郎が机の下の膝上に置いた手を強く握る。
降谷暁は真っ直ぐな目を片岡監督に向ける。
沢村栄純は耳をダンボのようにして続く言葉を待つ。
石田文悟は――。
初戦を制しなければ次はないのだから負ければ後の無いトーナメントにおいて先発に与えられた役目は大きい。
最も強い投手を、試合に勝てる投手を片岡監督は先発に選ぶ。
「エースであるお前に任せる、石田」
「はい」
静かに頷いた文悟に誰もが納得し、しかし丹波は悔し気に机に目を落とした。
「だが、石田に最後まで投げさせる気はない。沢村、降谷」
「は、はい!」
「はい」
「お前達は試合中、何時でも行けるように肩を作っておけ。点差が開けば、順次お前達を投入する」
油断や慢心ではなく、厳然たる現実として青道と米門西が100%の力を発揮すれば、点差が開くのは自明の理。
公式戦で登板したことが1年生に真剣勝負の経験を積ませる安全マージンとしては十分。
丹波の名前が呼ばれなかったのは初戦の構想に入っていないということを示している。
「そして丹波」
自分が戦力として見做されていないと思った丹波の名前が呼ばれて顔を上げる。
「次の試合は相手がどうであれ、お前に任せる。気持ちを切らすなよ」
「……はい!」
2回戦から3回戦までは中5日、3回戦から4回戦までは中3日空く。
準々決勝で当たるであろう市大三高にエースである文悟を当てる調整の意味もあるのだとしても、1試合を任せてもらえるという片岡監督の期待に応えたいと丹波は思った。
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