ダイヤのA×BUNGO   作:スターゲイザー

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第三十四話 火花散る

 

 

 

『西東京大会決勝戦は午後1時にプレイボールです。本日は気温が大変高い為、熱中症にならないよう水分をお取りになり、ご注意の上でご観戦下さい。繰り返します……』

 

 時刻は試合開始の30分前。既に満員に近いにも関わらず、入ってくる人の波が途切れることのない球場内にアナウンスが鳴り響く。

 遠くに聞こえるアナウンスの声を耳に入れながら、廊下の角から現れた人物を目にして伊佐敷純は体をそっちに向ける。

 

「で、どっちなんだ哲?」

 

 試合前にチームから離れていた主将である結城哲が戻って来たのを見て、今か今かと待っていた伊佐敷は前振りもなく訊ねる。

 

「俺達が先攻、稲実が後攻だ」

 

 静かに精神集中をしていた小湊亮介が顔を上げて結城を見た。

 

「勿論、ジャンケンに勝ってだよね?」

「ああ」

「幸先の良いスタートじゃねぇか」

 

 先攻後攻は、審判委員立会いの下で両校主将のジャンケンで決定される。

 ゲン担ぎではないが最初から負けていては気分が良い物ではない。ジャンケンに勝ったのならば、この試合にも勝つのだと弾みをつけられると伊佐敷は笑った。

 結城は伊佐敷から視線を切り、仲間達を見る。

 笑顔を見せる者、静かに集中している者…………スタメンが各々で準備をしているのを見据え、結城は置いていた荷物を手に取った。

 

「行くぞ!」

「「「「「「「「おおっ!!」」」」」」」」

 

 主将らしく結城の先導でグラウンドに出ると、途端にスタンドにいる観客達の歓声が響く。

 

「おい、文悟」

 

 左投手らしく鞄などの重い荷物を持つ時は利き手と反対に荷物を持って進む石田文悟に、隣を歩いていた御幸一也が軽く肘で突く。

 どうした、と声に出さずに顔を向けた文悟に御幸はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「鳴がガン飛ばしてるぞ」

 

 文悟は成宮鳴を一瞥したものの、直ぐに視線を元に戻した。

 

「で?」

「お前もやり返してやれって話」

「一也が代わりにしといて」

 

 挑発を柳に風と流しながらも、決して闘争心が滾っていないわけではない。

 静かに燃える青い炎を体現するように、漏れそうになる闘争心を裡に抑え込んでいる文悟の背を見送った御幸はニシシと笑って成宮に手を振る。

 

「舐めやがって、あの2人」

 

 別にガンを飛ばしていた意識はなかった成宮としても、これから戦う敵として少しの対抗心を感じられず虚仮にされたという意識が生まれる。

 

「何を言っとるんだお前は」

「だって雅さん……」

「馬鹿なことを考えてないで準備を始めろ」

 

 原田雅功は溜息を漏らしながら、文悟達に相手にされなくて不貞腐れているエースの尻を叩く。

 

「俺達が勝ぁつ!!」

 

 なんて大声が青道ベンチ側から聞こえたりもしたが、振り返りかけた成宮を制して原田はベンチに入って捕手の道具類を身につけ始める。

 

「後攻なんだからアップを始めるぞ」

「へいへい」

 

 捕手に比べれば投手の準備は無きに等しい。

 捕手の準備が整うまで手持ち無沙汰だった成宮が大きな欠伸をしたのを原田は見逃さなかった。

 

「朝から欠伸ばっかりして、昨日はあまり眠れなかったのか?」

 

 成宮には去年の夏で甲子園で敗れて以来、記憶が蘇って眠れなくなる時がある。

 朝から多数の欠伸をしているということは睡眠不足を意味しており、原田が結び付けて考えてしまうのも仕方のないことだった。

 

「まあ、そうだけど心配はしなくていいよ。ずっとこの時を待っていたんだ。どうやってアイツラを潰してやろうかって考えてたら興奮しちゃってさ」

 

 ギュッと握った手に強く力が込められた。

 

「試合が始まったら眠気なんて勝手に吹っ飛ぶよ。なんたって、ようやく1年前の借りを返せるんだから」

 

 その言葉を示すように試合開始が迫っているのにつれて欠伸の頻度は減っている。

 

「行こうよ、雅さん。もう一度、あの場所(甲子園)に」

 

 稲実のエースは心身共に充実してマウンドに上がるだろう。そしてそれは青道も同じだった。

 

「今日は暑くなるが水分を取り過ぎると体が動かなくなる。だから、沢村。あまり文悟に水を渡そうとするな」

 

 先攻の青道のベンチでは滝川・クリス・優に注意を受けた沢村栄純がショげていた。

 

「降谷もだぞ」

「っ!?」

 

 前に出ていた沢村が怒られたならば自分がとコップを手にした降谷暁にも御幸がしっかりと釘を刺しておく。

 沢村と、ピタリと動きを止めた降谷が残念そうにコップを戻す姿があまりにも普段と変わらなさ過ぎて文悟は少し笑ってしまった。

 

「みんな何時も通りだな」

 

 1年生2人は天然であるが、文悟としても決勝戦だからと気負っていた重しが取れたような気がする。

 

「時間だ」

 

 結城の声に文悟もベンチから立ち上がり、守りから始まる稲実とは違って無手のままで向かう。

 

『全国高校野球選手権大会西東京地区決勝。夏2連覇を狙う去年の覇者である稲城実業、去年の雪辱を果たして6年振りの甲子園を目指す青道高校の対戦です。夏本番を思わせるこの青空の下、両ベンチから選手が出てまいりました』

 

 テレビ放送の実況の声はグラウンドにいる選手達には聞こえない。

 

『勢い良く飛び出して来た両チームの選手達にスタンドから大きな拍手が送られます。ここまで勝ち上がって来たチームへの敬意と、これから行われる試合への期待。はたしてどのような決勝戦となるのか――』

 

 西東京ビッグ3と呼ばれる巨頭同士の対決が甲子園行きが懸かった決勝戦に行われるというドラマチックな展開に視聴率も上がる。

 

『共に全国級の左腕投手を擁し、去年の対戦では試合は稲実が勝利したものの投球内容としては優劣をつけれません。しかし、1年を経て更に実力を増した2人の投げ合いを見れるのは幸運と言えます』

 

 実況が個人的な思いを吐露している間に選手達の挨拶は終わり、先攻の青道がベンチに戻っていく。

 

『1回表、守備に就くのは稲城実業。マウンドに選手が集まり、声を掛け合っています。そしてもちろん、マウンドにはこの人、今大会未だ失点0である2年生エースの成宮鳴君。公表されたオーダーによれば、普段は5番(クリーンナップ)だった成宮君が9番にまで打順を下げています。青道の石田文悟君も同様だと両校の監督はこの試合が投手戦になると見ているのでしょう』

 

 マウンドに立つ成宮が投球練習をしている最中、青道ベンチ前では円陣が組まれていた。

 

「去年の敗戦のことを覚えている者は多いだろう。かくいう俺も昨夜は思い出して寝つきが悪かった」

 

 観客から『王者の掛け声』と称される行為のその前、結城は静かに語り掛ける。

 

「当時1年だった2人に頼るしかなかった不甲斐なさ、勝利を後少しというところで逃した悔しさ…………あれからいつ何時でも忘れたことはない」

 

 去年の試合に出ていた者、ベンチで見ていることしか出来なかった者、観客席で応援していた者、入学前のことでピンと来ていない1年生を順に見渡す。

 

「青道が王者だったのは先輩達の栄光があってこそ。今の俺達は王者なんかじゃない、挑戦者だ」

 

 結城は立てた親指を胸に当て、結城は静かな眼に焼き尽くさんばかりの炎を燃やす。

 

「誰よりも汗を流したのは!」

『青道!!』

 

 敗北を糧に、1球の重みを知った。

 

「誰より涙を流したのは!」

『青道!!』

 

 もう敗北はいらぬと、涙が出るほどに練習を重ねて来た自負がある。

 

「戦う準備は出来ているか!」

『おおおおおおおおぉぉぉ!!』

 

 グラウンドにいる選手達だけでなく、ベンチにいる野球部部長の太田や記録員の藤原貴子、観客席にいる部員達や女子マネージャー達も唱和して、球場の端々にまで轟く掛け声が響き渡っていく。

 

「我が校の誇りを胸に狙うは全国制覇のみ! 行くぞぉっ!!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!』

 

 最後は空に向かって指を立てて終わった豪快なパフォーマンスは青道のファンではなくとも惹きつけられる物があり、稲実のファンまでも委縮させる効果があった。そのつもりはなくとも既に守備配置についている稲実選手にも威圧を与えていた。

 

「上等……っ!」

 

 甲子園が懸かる決勝という大事な一戦に大きなプレッシャーに晒され、青道の掛け声に威圧を覚える稲実メンバーの中にあって成宮は逆境を楽しむように笑う。

 

「頼んだぜ、倉持」

 

 不動の核弾頭(リードオフマン)として打席に向かうその背中に御幸が声をかける。

 しかし、当の倉持洋一は集中を高めていて聞いていなかった。

 

『追い込まれるまで甘い球以外に手を出すな』

 

 その頭の中にあったのは直前にかけられた片岡監督の言葉。

 

『三振することを恐れず、自分の狙い球を絞っていけ。この気温だ。球数を投げさせれば成宮といえど必ず失投は増えて来る。一瞬たりとも見逃すな』

 

 打席に立つ前に帽子を取って一礼した倉持は被り直す際に燦々と地上を照らす太陽を見上げた。

 

(俺の役目は塁に出ること……)

 

 出塁さえすれば自慢の俊足もあって青道の得点機会は飛躍的に伸びる。落合博満コーチからより一塁に近い左打席に専念するように言われていたが、憧れの選手がスイッチヒッターであったから固辞し続けて来た主義を自ら捨てる。

 

(左打席? ボールの軌道が見やすい右打席じゃなくて?)

 

 基本的に左投手は左打者に有利とされている。スイッチヒッターは左投手相手には右打席に立つのがセオリーでありながら、敢えてセオリーを無視した倉持に原田がその思惑を読もうとするも成宮にはその意図が簡単に分かった。

 

(セーフティ狙ってんのバレバレでしょ) 

 

 俊足の倉持相手の場合、無警戒でセイフティバントを仕掛けられていたら成功の確率は五分五分。しかし、可能性として既に考慮に入れていれば失敗の確立を100%に出来る。

 成宮は当然のこと、三塁手の吉沢秀明も心得たもので守備位置を前気味にしている。

 

「ボール!」

 

 初球は倉持の意図を探る理由もあって低めに外した。

 吉沢と同じく成宮も前に出たが倉持はバントの構えもせずに見送った。

 

(構えもしないということはバントじゃないのか? やばいな、考え過ぎてる)

 

 慎重に成り過ぎている己に原田は一度思考をリセットした。

 

(塁に出たら怖い打者だが警戒していればセーフティは防げる。俺達を信頼して投げて来い、鳴!)

 

 女房役である原田の役割は如何に成宮の負担を減らせるかにかかっている。

 自信を持ってサインを出す原田にニヤリと成宮も笑った。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 倉持は時にバントの構えをしたものの、投げることに集中した成宮を前に直球一本のみで捻じ伏せられた。

 

「へっ、雑魚雑魚」

 

 言葉で言うほどは倉持を侮っていない成宮の目は既に次の打者へと向いている。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 青道一の選球眼の持ち主であり好打者でもある小湊亮介相手に全球変化球の上に徹底したゾーンで勝負して3球で終わらせた。

 

「ふぅ」

 

 結城と文悟の次に厄介な打者をたった3球で除けることが出来た成宮は気持ちを切り替えるように深呼吸して、クリーンナップを迎える青道を迎え撃つ。

 

『稲実の成宮君が豪打で知られる青道打線を三者三振で切って取りました。立ち上がりとしては最高の出だしと言えるでしょう。同時に青道に対するこれ以上の無いプレッシャーを与えたとも言えます。石田君の出来次第で早々に試合が決着がしてしまう可能性も……』

 

 伊佐敷は直球と変化球に翻弄されながら粘りはしたものの三振になった。

 3アウトになり、今度は青道が守備につく。

 

「まさか哲さんまで回らないとはな。鳴の調子も良さそうだ」

 

 マウンドでエースと話す御幸は少し予定が狂っても大して重く受け止めずに話す。

 

「相手がどうだろうと俺達には関係ない」

「だな。プランは昨日話した通りで行けるか?」

「ああ、もしかしたら予定よりも前倒しになるかも」

「それに越したことはないさ」

 

 例え成宮が絶好調であろうとも文悟から感じる覇気と常以上のオーラが御幸に一切の不安を感じさせることはなかった。

 

「何時も通り1人ずつしっかりと抑えて行こう」

 

 今の文悟ならば変に気負わなければ十分に稲実打線を抑えられると思ったからこそ、奇を衒ったことを言う必要はなく常と変わらない言葉を放ってマウンドを離れる。

 

「1本の安打でさえも許す気はない……!!」

 

 完全試合を目指しているわけではない。負けない為には、勝つにはバットに触れさせなければいいという稚拙な論理を現実の物とすべく、1番打者である神谷・カルロス・俊樹に向かって球を投げた。

 だが、そのボールの軌道は尋常ならざるものだった。

 

「―――――今の直球、だよな?」

「でも、有り得るのか? 上手投げであんな軌道のボールが」

「だけど、現実問題としてボールが浮き上がってるように見えた」

「準決勝で投げてるから偶然という線はないぞ」

 

 観客席からどよめきが走り、稲実ベンチもまた騒然としていた。冷静なのは事前に話がされていた青道ベンチぐらいである。

 

「もう1本行くぞ」

 

 見たことのない軌道で向かって来た球に震撼していたカルロスの耳に御幸が呟いた言葉が入ってくる。

 捕手によくある囁き戦術に惑わされないと思っても初めて見た軌道は目に焼き付いている。

 

「ストライク2!」

 

 先程のとは違って普通のストレート、というにはノビ過ぎる皆が良く知る文悟の直球にカルロスのバットは掠りもしない。

 

(落ち着け。惑わされるな……)

 

 カルロスは最初の直球に冷静さを失っている自分を客観視して、次は何が来ても打ってみせると落ち着こうとする。

 

「落ち着くなよ」

 

 しかし、カルロスの気持ちの間隙を縫うかのようにブレーキの効いたカーブが御幸の構えたキャッチャーミットの中に収まる。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 1年前にはなかった変化球を前にしてカルロスは一度もバットに当てることも出来ないまま三振してしまった。

 球数を稼ぐことも出来ずにアウトカウントを灯してしまった自分に、塁に出る自負があっただけにカルロスも直ぐには動けない。

 

「お帰りはあっちだぞ」

「ぐっ!?」

 

 笑みを滲ませた御幸に虚仮にされていると分かっていても、何時までも打席に残っていたのはカルロスなので抗弁すれば審判に注意を受けるかもしれない。

 忸怩たる思いを抱きながら次の打者である白河勝之と入れ替わる。

 

「油断するな。予想よりも更に上の軌道で来るぞ」

「分かった」

 

 しかし、そのアドバイスが仇となった。

 ホップする直球を待ち構えていた白河は高速チェンジアップ・カーブ・ツーシームのたった3球で三振してしまうのだった。

 カルロスと白河を三振に切って取ろうとも今日の文悟には準決勝にはあった油断や気の緩みは一切ない。

 

「後、1人」

 

 その言葉の通り、文悟は吉沢も3球で三振にして成宮と同じ三者三振で1回の裏の終えたのだった。

 

 

 


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