青道は野球に力を入れている学校である。学校行事よりも野球を優先させる為に部員を纏めることが多い中で、石田文悟と御幸一也と他数人が同じクラスになっていた。
「文悟って守備下手だよな」
授業と授業の合間の休み時間、文悟の席へとやって来た御幸と野球談議をしていた中で、文悟のことがやり玉に挙がった。
「面目ない」
「守備練習を殆どしてこなかったんじゃ無理はないと思うけどな」
否定できない文悟が悔し気に俯いている横で、あいうえお順で席が近かった倉持洋一が擁護する。
「投手なのに変化球も投げれない。だけど、ストレートは抜群、しかも身体能力お化け。但し守備が下手と。極端だな」
凄いところは凄いが、ダメなところは本当にダメという極端具合に御幸は呆れていた。
「人数合わせでしか試合に出れないレベルだったんだろ。極端なのは仕方ないって」
擁護しているようで追い打ちをかけているようでもある倉持に文悟の俯きの角度が更に増した。
「で、一軍ではどんな練習してんだ?」
大体、見ているが見ていないところで特別な練習をしているのではないかと訊ねる。
「文悟は見ての通りBグラウンドで徹底的に守備練習、俺も偶に混ざるけど基本は投手の人とブルペンに居るな」
紅白戦での活躍が認められ、文悟と御幸は一軍行きが認められていた。
「他に一軍に上がったのは、伊佐敷先輩と丹波先輩だっけか」
御幸達と同じように一軍に上がれた2人の内の1人の名前を聞いた文悟が遠い目をする。
「伊佐敷先輩は外野だから偶に罵声が飛んで来る」
「判断が遅いってな」
守備練習で見かけることがあるが助ける気の無い御幸は楽しげですらあった。
「守備に慣れるこったな」
元は伊佐敷も投手からのコンバート組らしく、当初は怒鳴られていたらしいとはクリス談であるが接点のない倉持には知る由もないことである。
「丹波先輩ってあのえげつないカーブ投げてた人だろう。どうよ、投球は」
「う~ん、なんか俺って嫌われてるっぽいんだよな。全然、受けさせてくれない」
「そりゃあ、先輩にあんなことを言えば嫌われるよ」
一軍の者が身近にいるので情報を仕入れる機会と倉持が質問を重ねる中、丹波に嫌われている理由に本気で理解していない御幸に文悟が呆れていた。
「なんかあったのか?」
「御幸が思ったことをそのまま口に出してた」
倉持が御幸を見ると、当の本人にも自覚があったようで目を逸らしてる。
「丹波先輩、あんまり心が強い人じゃないんだから気をつけろよ」
「文悟も何気に酷いな」
御幸の場合は確信犯だが、文悟の場合は天然であった。
喋ったことのない丹波に同情した倉持である。
「いや、でもあの怖い顔でノミの心臓ってどうよ?」
「あ、それは俺も思った。どう見てもチャンスに強い顔しているのに、ピンチに弱いってどうなんだろう」
「結構、同学年の人は強く言ってるし、そうやって改善しようとしてるんじゃないか?」
一軍は鬼畜の住処なのか、単純に1年がそうなだけなのか本気で悩んだ倉持は、己が身を顧みて文悟の机に腰を下ろす。
「いいよな、お前達は。俺達なんて相変わらずサーキットトレーニングとランニングが中心でボールすら触らして貰えないんだぜ」
野球部に入ったからにはボールを使いたいと思うのが普通である。
当の文悟は思考と反射がまだまだ融合しておらず、毎日大変な思いをしながら練習をしていたりするが。
「体が出来て来ればボールだって触らしてくれるさ」
御幸の場合は受験勉強の必要が無く、スカウトをしてきた高島礼から事前に聞いていたこともあって体造りに余念が無かった。文悟は別口らしいが似たような物である。
「どれだけ先のことになるやら。お前達はもう少ししたら関東大会なんだろ?」
倉持としては野球
「監督が文悟に1回戦の先発を任せるってさ」
「マジか!?」
「マジマジ。文悟を出すんなら俺だって出してくれたらいいのにな」
とはいえ、御幸は先輩であってもズバズバと物を言う所為で丹波には苦手意識を持たれている。紅白戦で先発した3年のエース投手と話は出来ているが、クリスの方が信頼度が高いので当然の選択であった。
「ベンチ入りしてるだけ儲けもんだろう」
それでも消せない嫉妬を覗かせつつ、悔しがる姿に溜飲が下がる思いでいると御幸が倉持を見る。
「倉持って足だけは速いし、代走とかで早めに一軍に上げてくれるって」
「誰が足
御幸としては純粋な善意であっても、青道の
「止めとけって。一也が思ったことを口に出すのは今に始まったことじゃないだろ」
「尚更、悪いわ!」
ド天然な文悟と鬼畜な御幸の2人に振り回される倉持に、同じ野球部の渡辺久志は同情するのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
関東大会は東京都を含む8都県の春季大会優勝・準優勝校および開催県の3、4位の2校を加えた合計18校が基本の出場校となる。
青道は春季大会準優勝で出場したが、その1回戦が行われている立川市民球場は異様な雰囲気に包まれていた。
「ストライク、バッターアウト!」
主審のコールが響き渡ると、歓声とどよめきが立川市民球場を支配する。
「ストライク!」
続く打者はバットを振るものの掠りもせず、その顔に明らかな恐怖を滲ませてマウンドに立つ1年生投手を見る。
「化け物か……」
今日の試合でまだ一度もヒットを許していない文悟が投げるボールに当てることも出来ず、バットが虚しく空を切る。
「何をやっている!」
青道の対戦相手である監督がベンチでがなり立てていた。
「ついこの間まで中学生だった1年に完全試合をされるなど恥だぞ!」
幾ら古豪・青道の投手とはいえ、名前も聞いたことのない中学時代には無名な1年生に完全試合を達成されたら恥辱である。
厳密には5回時点で青道が大量得点しているのでコールドで終わる可能性が高く、その場合は完全試合は公式な達成記録としては扱われず参考記録とされるとしてもだ。
「なんでもええから塁に出え!!」
そんなことは監督に言われるまでも無く選手自身が思っていることである。
「ストライクツー!」
打たなければという焦りは力みを生み、ボール球であっても振ってしまってストライクカウントが増える。
(今日の文悟の出来は良過ぎるぐらいだな)
捕手として文悟の球を受け止め、1年と侮って舐めていた相手チームの油断を上手くリードに生かすクリスは高めの釣り球に手を出した打者の苦み走った顔を見遣る。
(ニヤけるなよ)
ほぼ勝ちが決まっているような状況と、完全試合ペースに投げている文悟の顔はニヤけているのを内心で注意するも敢えて本人には伝えなかった。
「ふっ!」
浮かれていたのか、ボールが高めに浮いて持ち味である
打者が破れかぶれで振ったバットはボールの上を叩いて、一度地面に跳ねた打球が文悟の方へと飛んだ。
「文悟!」
クリスが注意を促すまでも無く、中学時代に卓球で個人入賞しただけあって文悟の反射神経は十分に打球に反応してグラブに収めた。しかし、その後が良くなかった。
必死に一塁に向かって走る打者の位置を確認して、十分に間に合うと判断した文悟は気を抜いて投げようとした。
「あ」
グラブの中のボールを一塁の結城哲に投げるだけの簡単なことだったのに、左手は途中でボールを落としてしまった。
慌てて転がるボールを拾って投げるも、必死に走っていた打者の方が一塁のベースを先に踏んだ。
「セーフ!」
その後、完全試合を阻止した相手チームの喜びとは裏腹に、文悟は次の打者とその次を三振させて青道が17-0で2回戦へと進んだ。
試合後、立川市民球場の外、帰りのバスを待つ間に文悟はクリスの前で項垂れていた。
「五回与四球0、奪三振10、被安打0。コールドゲームで
とても褒められているとは思えない態度の文悟にクリスの言葉が続く。
「公式戦デビュー、初先発でノーヒットノーラン。怪物誕生とか騒がれる――」
文悟とクリスは練習試合では何度かバッテリーを組んだが、公式戦で組んだのは初めてである。
この関東大会という大舞台で為した間違いない功績を無条件に褒められない事情があった。
「なんて、絶対に思うなよ。理由は今更、言うまでもないだろうが」
「はい……」
クリスが完全試合を逃したことを怒っているのではなく、気を抜いてエラーをしたことを怒っていることを文悟も重々承知している。
「四球がなかったのは褒めていいが、自分のエラー、それに守備に守られたことも忘れるな」
相手チームの打者が当てたボールが全てアウトになったのは、安打になりそうなのを防いでくれたからである。
「何よりも相手チームは関東大会に出て来たにしては強くないチームで怖い打者もいない。ノーヒットノーランをやったなんてことは記憶から消してしまえ」
「ちょっと待って下さい、クリスさん」
極端すぎるクリスの物言いに我慢できなくなった御幸が首を突っ込んだ。
「普通なら固くなる大会初戦の初登板でノーヒットノーランなんて、文悟がしたことは間違いなく偉業ですよ。忘れろなんて」
「む、流石にそれは言い過ぎた。すまん」
文悟の過去を知るだけに言葉が過ぎたとクリスも反省する。
「冷静にしっかりと自分の
先程の厳しさも文悟のこれからを思えばこそ。
飴と鞭をしっかりと使いながら、明日からの練習メニューを組み立てる。
「だからこそ、実戦の怖さは十分に分かっただろう。勝ってるからと気を抜けば、敗けるのは」
「俺達、ですよね」
「そうだ。先発したから明日は肩を休めるとしても、これからは守備練習を徹底していくぞ」
「はい!」
クリスに女房役を完全に取られた御幸は少し悔し気ながらも、相棒の偉業を純粋に喜んでいた。
「よろしいんですか、監督」
本来ならばエラーをすれば即二軍落ちされてもおかしくない中で沈黙を貫く片岡監督に高島が声をかけた。
「伸びた鼻は折れた。必要なことはクリスと御幸が言ってくれる以上、俺から言うことは何もない」
エラーとノーヒットノーランでプラスマイナス0にするとして、明日からの態度次第として二軍に落とすかどうかは今は保留することにする。
「今日の相手はまるで無策だったから助かったが、これだけの活躍をしたのだから研究もされるだろう。状況に応じた守備は勿論のこと、牽制やサインプレーなど覚えることはまだまだ多い」
だが、それでもことピッチングという1点においては大いなる可能性と希望を垣間見せた文悟をエースとして育てることが甲子園への近道だと片岡監督にも思えた。
「今日は帰ったら反省会だ。御幸も手伝え」
「いいんですか?」
「横から見た意見も欲しいのでな」
「クリスさんのリードに注文付けるかもしれませんよ」
「望むところだ」
どうも文悟をダシにしてリードについて討論が行われそうである。
「流石は青道。ノーヒットノーランをした新人投手にも厳しいね」
そろそろ太田部長がバスを回してくれるだろうと多くの部員が考える中で、聞こえて来た声に文悟が振り返ると青道とは違うユニフォームを着た2人の人物が立っていた。
「お前、鳴」
「知り合い?」
「シニアの時にな」
文悟の横で2人の内の線の細い方を見た御幸が知っている様子だった。
「稲実……」
2人が着ているユニフォームが稲城実業高校の物であると看破した者達が目付きを鋭くする。その間にも成宮鳴と御幸の会話は続いていた。
「一也、人の誘いを蹴って青道に行ったのに試合出れてねぇじゃん」
「うっせぇ。これからだよ」
気安い物言いを交わす2人に青道の面々は興味津々だが、御幸のプライベートに関わることに踏み込めるほど仲の良い者はこの場には1人しかない。
「どういうこと?」
元より空気を読むということが出来ない文悟が直球で聞いた。
「ああ、俺は稲実にも誘われてたんだよ」
聞かれて困ることではないのであっさりと答えた御幸は、ふんぞり返っている成宮を見る。
「こいつが強豪シニアの有望な奴を集めて理想のチームを作るとかって話だったけど、そんな凄いチームなら戦って見たくなるだろ」
「分かる」
うんうん、と深く同意した文悟を成宮が見る。
「で、そいつがお前の相棒ってわけか」
へぇ、ふぅん、と言いながら成宮はジロジロと見ながら文悟の周りを回る。
「くっ、
「球速もな」
「雅さん、それは言わないお約束だぜ」
「お前が変なことをしないように見張らされている俺の身にもなれ」
別に近くにいかなくても5㎝以上は違うので目線からして合わない。それでも男としては背の高さは一種のステータスで、負けているとなると悔しいのに、もう1人の稲実のユニフォームを着た原田雅史が青道とは一定の距離を保ちながら自由奔放な成宮を嗜める。
「おい、お前ら。もうバスは来とる…………おう、原田やんけ。なんや、喧嘩売りに来たんか」
ホームラン等で1人で5打点を上げた青道の主砲である東清国がやってきて、稲実の2人に気付いてガンを飛ばす。
「まさか」
言いながら原田は未だにメンチを切られて困惑している文悟から成宮を引き剥がす。
「ぐえっ、雅さん。首が締まって」
「五月蠅い…………こっちの期待のルーキーは自由奔放でして、そちらは真面目そうで羨ましい限りです」
相手はプロも注目の打者である東だ。原田が面倒事を起こす成宮に気を使う必要はない。
「はっ、うちのルーキーはまだまだ実戦経験の薄い半人前や。そっちこそシニアでも有名なルーキーを得たのは大きい。羨ましい言いたいんはこっちの台詞や」
「ほら! あっちの方が俺を評価してくれるじゃん!!」
「お前はいいから黙っとけ」
ゴチンと鉄拳を落とされた成宮は蛙が潰れたような声が漏れ、よほど痛かったのか物凄く呻いている。
「お互いにこのまま順当に勝ち上がれば決勝で当たる。どうせならその雌雄を決したいものですな」
「言い寄るわ、ヒヨッコが」
態度は敬うものでありながら挑発とも取れる台詞に東のこめかみに青筋が浮かぶ。
「確か文悟とか言ったか」
バチバチと東と火花を散らす原田からこっそりと脱出した成宮が文悟の下へとやってきた。
「
しっかりと宣戦布告をして原田に首根っこを掴まれて成宮は去って行った。
「嵐みたいな奴だな」
「性格に難はあるけど、あれでもシニアNo.1投手だったんだ。ノーヒットノーランして自分より目立ってる文悟に対抗心を燃やしてるんじゃないか」
「ふぅん」
2回戦は3年生エースが投げて相手打者に打たれ、抑えで出た丹波も打たれて青道は関東大会から姿を消すことになるとはこの時点では誰も知らなかった。