関東大会は稲城実業高校が優勝して幕を下ろした。
話題を振りまきながらも2回戦で姿を消した青道の土曜日と日曜日は招待試合と練習試合が組み込まれていた。
「剛腕ルーキーの噂は違わぬか」
夏の予選まで1ヶ月と半を残した日曜日の青道にやってきた七森学園との練習試合で、意図的に抑えてコーナーをついて打たせて取るピッチングをしている石田文悟を見た誰もが唸った。
「あの剛速球と、普通のストレートでもあそこまでコーナーを突かれると打てんわな」
「このまま順調に成長していってくれたら、投手力の弱い青道の救世主になるんじゃないですか?」
「投手で一番安定しているし、もう実質的なエースみたいなもんでしょう」
「あの1年が2年、3年になった時が楽しみですな。ここ4年は甲子園から遠ざかってますから希望が持てます」
青道野球部OBや観戦者が割と好き勝手に言ったりしているが、そのことは当の選手達や監督陣も思っていた。
「石田君、守備がマシになってきましたね」
今日はダブルヘッダーで次の試合は昼食後になっていることもあって、Aグラウンドのバッターボックスの真後ろにあるプレハブでマネージャが記録したスコアを見た高島礼が言った。
「まだもたつくことがあるのが怖いです」
エラー自体は殆どなくなったが無意識に行動できるほど習熟したわけではなく、咄嗟の判断が遅れる時がある文悟にヒヤヒヤとする太田部長の意見も分かる。
「夏まではクリスの統率下で行かせる。問題は他の2人だ」
高校生時代に青道を甲子園準優勝に導いた投手だった片岡監督としても、思わぬ掘り出し物となった文悟ではなく他の投手の方が気がかりだった。
「2人合わせても石田君の成績に届いていませんものね」
「対戦相手のレベルが違うというのもありますが」
今のところ、文悟は練習試合で負けはない。が、先発は中堅どころだけで強豪校相手にはリリーフだけ。
名門校の目当ては関東大会で5回コールドで参考記録ながらもノーヒットノーランをした文悟だが、投手力が弱いとされている青道の片岡監督は大事に育てようとしていたのである。
反対に3年生エースと丹波光一郎に強豪校の先発をしていて打たれているので一概に比べられるものではない。
「守備も様になってきた以上は
「分かりました」
順調にエースへの階段を上っていく文悟に初めての試練と言っていいだろう。それでも調子があまり変わらない文悟は常と変わらないまま投げるのは簡単に想像が出来た太田部長が請け負う。
「打順はどうしましょう? 今のところ強豪校相手でも打てていますが」
投手にも関わらず文悟の打率・打点は良い部類に入る。特に前者はクリーンナップにも迫る程の勢いで、ホームランも何本か打てる9人目の野手として魅力のある打者だった。
「9番のままで。出塁率も高いから二巡目からのリードオフマンになれる」
「本人にはそこら辺は?」
「意識させて打てなくなったら困るから言う必要はない」
1年なので精神的に不安定な部分がやはり出てしまう。今のところ結果は出ているので、敢えてこちらの思惑を告げる必要はないと片岡監督は言って椅子から立ち上がった。
「2番手は捕手は御幸。あのチャンスの強さを見込んで代打で使う」
「塁にランナーが居ないと本当に打ちませんからね」
一軍で試合が無くて二軍で試合がある時の正捕手として、一軍でもダブルヘッダーの時にはクリスと代わって試合に出ている。打率と打点は悪くないのだが高島が言ったように凡打に終わることが多い。逆に得点圏にランナーが居る時は鬼の如く活躍する。
「往年のプロ選手を思い出しますなぁ」
基本的に野球は見る人である太田部長が今は引退した名選手を連想する。
「1年も何人か二軍に上がって来てますし、今年は豊作ですね」
早々に一軍に合流して戦力となっている文悟や御幸に触発されたのか、例年にない速度で1年の中から二軍に昇格する者も出て来ていた。
「足のある倉持や堅実な白洲を筆頭に、特にサイドスローの川上などは見所ですな」
俊足の倉持洋一と地味ながらも高い水準で纏まっている白州健二郎と、投手実績が評価された川上憲史の三人が二軍に昇格していた。川上が琴線に当たったらしい太田部長の謎のオシに表情一つ変えない片岡監督であった。
「おおよそ一軍の面子は固まった。後はどれだけ熟成させられるかどうかに」
かかっている、と片岡監督が続けようとしたところでプレハブのドアが遠慮気にノックされた。
部員達は次の試合に向けてのインタバール中、マネージャも中休みもプレハブまでやってくる者はいないはずと思いながら、ドアに近かった太田部長が向かう。
「どうした、御幸」
太田部長がドアを開けると、そこに立っていたのは次の試合に捕手として出場予定の御幸一也であった。
「監督、話があります――――――――クリス先輩のことで」
青道高校に風雲急を告げる報告がされようとしていた。
「クリス先輩が怪我っ!?」
急遽、ダブルヘッダーの2試合目の試合開始時間が遅れることが青道側から申し込みがあったとかで、1試合目で7回から登板して打者を出すものの得点を許さずに収めて観戦が確定していた文悟は倉持と川上と話している時にその話を聞いて目を剥いた。
「なんで!」
「さぁ、理由は分からないけど御幸が監督たちに何か言ったらしい」
クリスと同室でありバッテリーを組むことも多い文悟には伝えた方が良いだろうと考えた白洲も詳しいことを知るわけではない。
「今は部長が付き添って病院に行ってるって」
張本人であるクリスがいないとなれば、アイシングを終えて肩のケアを終えていた文悟は立ち上がった。
「御幸は?」
「監督達と一緒にクリス先輩と話した後、次の試合の準備をしてる」
「おい、どうする気だよ」
「決まってる。聞きに行く」
まあそりゃそうだろうな、と常からのクリスに対する文悟の態度を良く見知っている。文悟の行動を当然の流れと受け止めた倉持も青道の正捕手であるクリスの怪我の真偽を確かめたい。
結局、川上もついて来て4人で試合の準備をしている御幸の下へと急いだ。
「一也!」
プロテクター類を付けて、第2戦の先発である丹波光一郎と話すも微妙に噛み合ってなさそうな御幸の背中へと声を掛ける。
「文悟、それにお前らも…………クリス先輩の件か」
遅れに遅れた試合が目前に始まる前に4人がやってきただけに御幸も直ぐに理由に辿り着けた。
御幸は性格的に相性の悪い丹波に一言言って離れる。
丹波はクリスが御幸との相性の悪さを気にして緩衝材になる為に一緒に居たので怪我のことは知っていたので今は場を譲った。
「クリス先輩が怪我ってどういうこったよ」
言いたいことがあるらしくて言葉が出て来ない文悟に代わって、クリスとはそれほど深い関わりの無い倉持が聞きたいことを聞いてくれた。
「肩を痛めてたみたいで結構重い感じらしい」
「…………全然気づかなかった」
そんな様子を欠片も見せなかったクリスに文悟が愕然とする。
「俺だってあの人のリードを超えてやろうと思って注視してなければ気づかなかったよ」
シニア時代、敵わなかったと思った相手が間近にいるのだから、リードのやり方を学ぼうと集中してクリスを見ていた。
そこには文悟の相棒は自分でなければならないという自負があるからこそ、より力を引き出せるようにクリスのリードを学ぼうとしていたのである。その際に、クリスが右手を動かす際に微かな違和感を感じ取った。
御幸だってそこまで重く捉えていたわけではなく、肩に痛みを感じているなら夏の予選を前に万全にするべきではと思った程度だったのだ。
「大丈夫かな……」
「分からない」
ブルペンで球を受けてもらった経験のある川上も心配しているが御幸には怪我具合が分かるはずもなく、片岡監督がクリスの肩を触った時の愕然とした表情から気休めの言葉を掛けることも出来なかった。
クリスのことが気になって試合は丹波が打たれ、打線も爆発することなく呆気なく敗けた。
「クリスは夏の大会に出れない」
試合後の夕方、グラウンド整備を行っていると暗い表情をした監督陣が選手たちを集めた開口一番、監督ははっきりと口にした。
「リハビリも含めて復帰までには半年以上はかかるだろうとのことだ」
2年生ながらも1年の時から青道の不動の正捕手としてチームの中心にいたクリスの長期離脱に重い空気が圧し掛かる。
打線でも中軸を担っているクリスが夏の予選前にチームを離れる影響は計り知れない。
「青道の野球部は3学年の部員を合わせれば100人を超える」
幾ら有数の実力者であっても半年以上もブランクがあれば、以前の姿を取り戻すのにどれだけの時間がかかるか。そもそも取り戻せるかも分からない。仮に取り戻したとしても、その間に1年の御幸が成長したり、同学年の宮内が正捕手の座を掴んでしまうかもしれない。
「クリスの選手を見る目と野球知識は卓越している。マネージャーとしてチームを支えてくれと頼んだ」
この長期離脱は事実上の引退勧告だと受け取った者が大半だったから片岡監督の選択に納得した。
「だが、クリスは僅かな可能性があるなら選手としての道を譲らなかった」
重い空気の中を切り裂くように片岡監督の声が響き渡る。
「夏の大会は間に合わない。しかし、来年ならばとクリスも諦めていない」
なのに、俯くお前達はどうなんだと語りかけられているようだと誰もが感じ、夕焼けに沈んでいくグラウンドの中で自らの影を見つめていた何人かがハッと顔を上げた。
「そこで立ち止まることがお前達の選択か?」
「まさか」
キャプテンの東が誰よりも先に声を出した。
「この夏で甲子園に出て、もっと早く申告せんかった自分がアホやとクリスを残念がらせてやる。そうやろ、お前ら!」
「「「「「はい!」」」」」
ショックが抜けたわけではないけれど、クリスが諦めていないのに自分達が足を止める理由はない。
東の激に部員全員が大きな声で答える。
「御幸、クリスの怪我に良く気づいてきた。礼を言う」
「いえ……」
結果的にせよ、クリスが隠していた怪我を暴いた形になってしまった御幸の表情は暗い。
「宮内、明日から一軍に上がれ」
「はい」
同い年で同じポジションであるだけにずっとクリスの背を追って来た宮内啓介も初の一軍昇格がこんな形になるとは思っておらず、何時もの鼻からの大きな息も出ない。
「予選前にアクシデントが起こったがやることは何も変わらん」
クリスにとっても来年に可能性を残せたし、切り替える時間も確実にある。
こういうアクシデントが逆に選手達の心を1つに纏めることもある。今回のことをプラスに替えることが出来れば、十分に収支は合う。
「各自、体に違和感や痛みがあるならば必ず申告しろ。レギュラーであっても例外はない」
クリスは大分前から肩に違和感を覚えていたという。
もっと早くに気付いてれば、大事な時間を棒に振らせずに済んだという思いが片岡監督に言わせていた。
「チーム一丸となって戦っていくということを忘れるな!」
「「「「「はい!」」」」」
その後、直ぐに解散となった中で文悟は御幸を探した。
大体の者が去った後で立ち尽くす御幸を見つけた文悟は暫しなんと言葉をかけたらいいかと悩む。
「一也、大丈夫か?」
「ああ……」
悩んだ末にありきたりな言葉しかかけられなかった。
「俺さ、シニア時代にクリスさんに一度も勝てなかったんだ」
続く言葉を見つけられずにいた文悟の気持ちだけでもありがたいと御幸は過去を追想する。
「相手投手の心を折るほどのバッティング、投手を活かすリード、試合の流れを読み違えない嗅覚。敵わないと思った。この人を超えたいと思った」
御幸は腰の高さに上げた拳を強く握る。
「こんなはずじゃなかったんだ。小さな怪我なんて直ぐに治して、あの人から正捕手の座を実力で奪って見せるって」
選手生命に関わるほどの怪我ではなかったので、半年以上の離脱が確定してはブランクからどうしても実戦の勘が鈍る。そんな人から正捕手の座を奪っても嬉しくはない。
「実力で奪って見せろよ」
文悟ははっきりと言い切った。
「え?」
「言ってはなんだけど、怪我を隠していたのはクリスさん自身の責任だ」
いっそ冷徹なほどに文悟は言い切り、動揺している御幸の眼を見据える。
「もっと取り返しがつかなくなる前に一也が気付いてくれてよかったよ。絶対にクリスさんは自分から言い出さなかっただろうから」
決して長いと言える付き合いではないが、クリスがどのような性格をしているかを良く知っている文悟は御幸が気にすることはないと暗に言っていた。
「来年には確実に回復してるんだ。俺達が足を止める方が悲しむし、何してるんだって怒るよ」
「文悟……」
不器用ながらも励ましてくれる文悟に御幸も何時までも俯いてはいられなかった。
「そうだぞ、御幸」
ようやく顔を上げた御幸に、グラウンドに現れたクリスが声をかける。
三角巾で右肩を吊るしているクリスはゆっくりとした歩みで2人の下へとやって来る。
「すまん、みんなにもお前達にも迷惑をかけてしまうようだ」
右肩に負担をかけないようにしながらも2人に向かって深々と頭を下げるクリス。
「そんなクリスさんの所為じゃ」
「もっと早くに言わなかった俺の責任だ。お前にもいらぬ心労をかけている」
抗弁しようとした御幸は強い眼差しのクリスの言葉に口を閉じた。
「寧ろ御幸には感謝している。もう少し遅れていたら回復に1年以上かかっていたかもしれないからな」
大事な時間を棒に振ってしまった悔しさがないわけではない。それでも後輩達に重荷を背負わせるほどクリスは無責任な男ではなかった。
「丁度良い時間だと思って自分を鍛えることに使うよ。勿論、お前のこともな文悟」
出来るだけ周りが気にしないように言葉を考える。
「俺、信じてます。クリスさんは必ず戻って来るって」
最初からクリスに向ける信頼が揺るぎようのない文悟にとっては可能性があるだけで十分。
良くも悪くも揺らがない文悟に御幸も徐々に平静を取り戻していく。
「戻って来たって正捕手の座は俺の物ですけどね」
「まだ自分の物じゃないだろう」
「直ぐに俺の物にしてみせますよ。文悟の球を受けるのは他の誰にも譲りませんから」
「俺にも?」
「当然です。嫌なら早く治すことですね」
自分を目立たせていかなければ青道の正捕手の座は掴めない。御幸なりの発破を受けたクリスも笑みを浮かべるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
地獄の夏合宿を超え、西東京大会開始前に背番号が渡された。
「10番、石田文悟!」
実績では
「はい!」
片岡監督の配慮に気付くほど深く考えない文悟は自らの力不足だと痛感しながらも大きな返事をする。
「11番、御幸一也!」
こちらもクリスが抜けた後の正捕手の座を見事に射止めた御幸も同じようにレギュラー番号の後になっていた。
「…………はい!」
文悟と違って監督の配慮に気付いた御幸は少し離れたところにクリスを見て、必ず実力で正捕手の座を守って見せると強く活き込んで背番号を貰う。
「俺達は誰だ?」
規定人数である20人の中に1年生で入ったのは文悟と御幸の2人だけ。しかもチームの主力であることに他の1年生達は誇らしげに、そして悔し気に見つめる中で一軍20人が円陣を組んだ中でキャプテンである東が問う。
「「「「「「「「「「王者青道!」」」」」」」」」」
右手を胸に当てた20人と、円陣の外で見守る者達の叫びが呼応する。
「誰よりも汗を流したのは!」
「「「「「「「「「「青道!」」」」」」」」」」
「誰よりも涙を流したのは!」
「「「「「「「「「「青道!」」」」」」」」」」
「誰よりも野球を愛しているのは!」
「「「「「「「「「「青道!」」」」」」」」」」
「戦う準備は出来ているか!」
「「「「「「「「「「ぉおおおおおおお!」」」」」」」」」」
東が天高く輝いている太陽に向けて右手を上げて指差した。
「我が校の誇りを胸に狙うは全国制覇のみ!」
東の後に続くように全員が天高く指差す。
「いくぞぉ!!」
「「「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおお!」」」」」」」」」」
暑い暑い夏が始まった。