【完結】私は脳無、インブローリオ。ヴィラン連合の敵。 作:hige2902
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アバンタイトル
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港に近い廃倉庫の一室に、錆びついたフォークリフトや傷んだ木箱が乱雑に放置されている。その中に混じって、一際異質を感じさせる物がいくつも並べられていた。
粘質な黒い液体で満たされたバスタブである。それらには全て何本もの管が入れられており、こぽこぽと泡が立っている。
倉庫の窓は割れており全て木板で塞いであったが、夜の波の音に乗って潮の香は運ばれている。
月明かりも届かない室内に、パッと丸い明かりが射す。こつりこつりと二人分の足音が響いた。
「相変わらず、気味がわりぃな。なんなんだろーな、ここ」
「さあね。てかよ、雄英のやつらに襲撃かけんの明日なんだしよー。見回りなんてほどほどでいいだろ」
「ゆーて手を抜いたのがバレたらシガラキにシメられるだろ」
「あんなヒョロイ手だらけマンに? ぜってーおれのがツエーよ」
そう言った男が軽く腕をかざすと、みるみるうちに皮膚が魚の鱗を彷彿とさせる鋭利かつ硬質的なものに変化した。ブロック塀程度なら軽々と破壊できる、と男は自称する。誰もそれを見た事は無い。
はいはい、と流して倉庫内を一周して異常が無い事を確認して立ち去った。ガラガラと扉が閉められ、隠れていた虫が姿を現す。
ごぽり、とバスタブの液体に大きな水泡が浮き上がり、音も無く弾けた。一拍の後に、ざばりとナニカが飛び起きる。周囲にドス黒い液体が飛び散った。
ナニカはバスタブの縁を乗り越えようとし、ずるりと床に滑り落ちた。
僅かに感じる風が吹きさす方向へ、ぬたりぬたりとイモムシが這うように移動している。長い時間を掛けて、割れた窓に身体の一部を引っ掛け、体重を乗せて木板を破壊する。
重い肉塊が地に落ちる。鈍い雲間から月光が射し、ナニカの姿を明かす。
それは人間の腕ほどある大きさの触手の塊だった。原付ほどの体積がある。付着していた粘質な黒い液体は乾燥して剥がれ落ちており、夜色の体表が見えている。
蛭の塊はのたうち回りながら、触手を大に小、長に短にしながら不定が一定になってゆく。
子どもが粘土で作ったような、頭の無い犬の出来そこない。それがよたよたと歩き、壁に当たって転んだ。すると、前だか後ろだかにギョロリと眼球が芽生えた。
前足を視認すると、再び身体を膨張させ、収縮させる。今度は、形だけは人間に見えなくもない。
その異形の改人は確かに呟いた。姉さん、と。
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Aパート
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一人の男が押し入れの中のプランターに手をかざした。すると、みるみるうちに細い茎が育ち、小指程の緑の実が成った。鼻歌まじりにそれを収穫する。閉めきったカーテンからは、日光が薄らと透過している。テレビからは昼時のニュースが流れていた。
『――ヴィジランテって言うんですか? 怖いですよねー。責任の所在が不確かだから、ほら、市民の被害とかが、アレじゃないですか』
『ほんっと、アレですよね。不透明というか、ねえ。善意、なんでしょうけどそういうのはちゃんとねえ、ヒーロー資格があるんですから、ねえ? だからアレなんですよ』
どこにでもある昼下がり。だが、たった一つの違いが男に降りかかる。
瞬きの間にカーテンに影が落ちたかと思えば、窓ガラスが粉砕されて黒い塊が室内に転がり込む。
それはずるりと人に形を変えた。その体躯は無数の蛭、蔦、触手のような物が絡み合い、人間の骨格と筋を模倣したようだった。頭部にむき出しの口を取って付けたように生やすと、茫然としている男に、血だらけのチンピラを放って言った。
「こいつのツレだな」
底冷えのする、ガラリとした声色だった。
「おまえ、ヴィラン連合を知っているか」
床に転がるチンピラを眺めていた男が、ようやく思考を取り戻し、狼狽しながら答える。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、あんたらのシマでヤクを捌いてたのは謝る。かか金は、金は払うから勘弁してくれ!」
男は両手のひらを向け、自分が抵抗する意思の無い事を示した。そうして、異形の改人の背後にある鉢に植えていた食虫植物を異様に成長させた。
貝類の殻に犬歯が生えそろったような、軽自動車ほどのハエトリソウが改人を一口にする。個性によって消化液の詰まった袋を持つウツボカズラと合成されており、捕食されればそのまま消化される。
「ふざけんなよ、マジで、あークソ、どーすんだよこれマジで」
あーもう、と男は箪笥や戸棚から現金や身分証をかき集め、苦しそうに呻いているツレの売人に一瞥をくれて、ドアに駆ける。その途中で足を取られて床に身体を打ち付けた。
「いってぇ、なん、だよ」
振り向くと、ずたずたに破られた食虫植物の残骸の上に立つ改人の腕が伸び、足に絡みついていた。付着していた植物の溶解液で、男のジーンズと皮膚を溶かしている。改人が腕を縮めると、あっという間に引き寄せられて逆さづりにされた。
「頭と両手が黒いモヤの奴を知っているか」
男の足首を掴む力が徐々に強まり、骨が軋み始める。
「ちょあ痛い痛い知らない! 知らないって! うぉっ!」
改人は床に男を叩きつけて失神させ、現金の類を掴んで窓から飛び出した。適当なマンホールから下水に入る。路上からはパトカーの音が響いている。
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もう何年になるのだろうか。
内心で独り言ちて、一人のエンジニアがデスクの上の精緻な機械の塊に指を向けている。人差し指をほんの少し動かすと、不可視の力でリンクされている四本の精密ドライバーが連動して一ミリ以下のネジを緩めた。左小指を動かすと外されたネジが、薬指で蓋が浮かび上がり、小分けされてケースに置かれる。露わになったプリント基板を、右親指を動かしてハンダを操作して外す。髪の毛程の細さの超硬度糸、それを整然と巻き取る精密な部品の類。まったくもって、個性の発現は技術の進歩を推し進めた。
そうやって分解された精密電子部品は三ケタにもおよんだ。
これで一段落とエンジニアは背もたれに体重を預けた。視線だけをデスクの上の、ヒーローが使っていたサポートアイテムに向ける。
「近頃のアイテムは、よく出来てんなー。もう俺のようなおじさんには、難しいわ」
なんとなしに薄い外装を手に取ってみる。艶やかな表層に、無精髭の生えた冴えない中年男性が反射した。よれたシャツにくたびれたスラックス。これではうだつも上がらない。
ふわあ、と大あくびして辺りを見回す。窓の無い地下研究室、というにはやや生活感が強い。そもそもここがどこなのか、エンジニアは知らない。
数年前、オールマイト以前と言われる時代。個性を用いた闇研究や生産業は混沌としていた。特に、どんな言葉でも理解する事が出来る、という個性の翻訳家が遊びで書いたプログラムコードは、今後半世紀経っても再現できないと評されたくらいだ。プログラミング言語も言葉ではあるが、まさかそこまで個性の応用が利くとは。
とかくそんな折、一種のオーパーツ的なアイテムがヒーローに提供されだした。当然、ヴィラン側もそれを欲する。今でこそ規制されているが、当時は闇取引が盛んだった。
エンジニアは、そんなスーパーテクノロジーに直接触れたくて違法組織で働いた。ヒーロー活動の際に破損したり、落とす等で回収されたアイテムをリバースエンジニアリングして、似たようなものを作る仕事。やりがいはあった。個性を反映させたワンオフ設計思想や既存のボトルネックを破壊した技術は純粋に面白かった。金も貰えたが、しばらくすれば規格化された物が出回り。飽きたので辞めたいと言ったら監禁されてこのザマだ。
「あー、つまんねー。なんか面白い事無いかなー」
ぼさぼさの頭を搔き上げ、小さな冷蔵庫から缶ビールを取り出した。おそらく地下の六畳一間。分厚い書籍や素人には用途不明の機器が所せましと並べられている。
不意に重厚な扉が開かれた。犯罪組織の下っ端が、食事や嗜好品の補充に来たのだ。
もう昼休憩か、とエンジニアはテレビを点ける。助けを呼ばれるのを恐れてか、ここに通信環境は無い。それに、この部屋自体が金属で覆われているのか、個性なのか、とにかく電波は遮断されている。
「あれ、俺が頼んでた本は? 完全剛性論ってのと、個性と憲法ってやつ」
「ここんとこずっと、違法アイテムの締め付けがキツくてよ。なかなかシノギになんねーんだわ」
と下っ端が冷蔵庫に飲食物を補充しながら、軽く笑って続けた。
「だからこれ、第四のビール。大切に飲めよ」
「おま、ふざけんなよ、おまえさー、こんな陰気な場所に閉じ込められたら楽しみは食いもんだけだぞ? 南極料理人って映画見た事あるか?」
「ここは南極じゃねえ。わがまま言うなって、おれら下っ端なんて同じ第四のビールでも、スーパーのプライベートブランドだぞ。とほほって感じ」
「シノギにならないんだったらさ、ここから出せよなーいいかげん。ぶっちゃけ、他の技術者との交流が無いってエンジニアとして相当ヤバいぞ。学術書も注文できないなら、ますます置いて行かれる」
「そーは言ってもよ、ボスはあんたがポリにチクるんじゃないかって考えてるしさ。俺もだけど。殺されるよりマシじゃん?」
えー。と不満そうにエンジニアは限られたビールを一口やってテレビを見やる。
『先日はほら、白昼堂々の行為だったそうじゃないですか。いきなりマンションの一室に飛び込んで来たんでしょ、アレですねぇーほんと。隣に住んでた人は気が気じゃなかったでしょうね』
『ですねえ。しかもアレでしょ。鼻から吸引したり注射する違法性のあるアレの原材料となる植物を、個性を使って育てていた、と警察関係者からの情報があった訳ですから』
『ヴィジランテにしたって乱暴すぎると言うか、ねえ? もうちょっと周囲の人間の迷惑的なアレを考えられないんですかねえ』
「ヤベーんじゃないの? このヴィジランテ。そのうちここに来るかもよ」
「まさかー」
ははは、と下っ端が滅多な事を言うなよ、といった感じで笑う。鈍い太鼓が叩かれたように、天井が揺れた。ぱらぱらと欠片が落ちてくる。エンジニアと下っ端は顔を見合った。
「あー、話変わるんだけどさ。あんたなんでこんなケチな組織に協力しちゃったの?」
「いやまあ、なんとなく? 面白そうだったからかな」
「後悔してる?」
「二度と軽はずみな行動はとらん。そういう君は?」
おれはさー、と下っ端が言いかけると、天井から衝撃が二度、三度響き、ひびが入った。静かになった後、二人はじっと扉に視線をやった。厚さ三十センチの鋼鉄の扉。電動アシストが入っていなければ、常人には動かせないシロモノ。それが激しく鈍い音を立てた。びくりと下っ端が身体を縮こまらせる。エンジニアはビールを味わった。最後になるかもしれないから。
ごわん、ぐわんと不気味な音が続いた後、それがやんだ。諦めて階段を登っていったのだろうか。
「そのー、で、話し戻すけど、おれがこんなアコギな商売に手を出しちまった切っ掛けってのも実は昔、海でクラゲに」
破壊音と共に天井が崩れ落ち、下っ端が下敷きになった。空いた穴から黒い改人がしたりと落ちてくる。ノびている下っ端に言った。
「頭と両手が黒いモヤの奴を知っているか」
下っ端は気を失っているせいか、答えない。改人の頭部らしき部分がエンジニアを向き、同じ質問を繰り返した。
「いや、知らん」
それだけ聞くと、化物は両足を曲げて跳躍の姿勢をとった。太ももが肥大化し、膝の下に一つ関節が増えた。兎のような逆間接の形状に変化している。
「ちょっと待て。俺も連れていけ」
改人は逡巡して、慌てて荷物をまとめるエンジニアに言った。
「なぜ?」
「なんとなく、面白そうだから」
瓦礫の下敷きになった下っ端が、意識を取り戻して苦しそうに言った。
「二度と軽はずみな行動は取らないって、さっき……」
「そうだっけ? まあ、このままだとたぶんこっちまでお縄だし。それにおれを連れるメリットもあるぞ、こう見えて雄、有名校のサポート科だったから、アイテムには詳しい」
「……中退だろ、うぐぐ、苦しい、重い」
「あんたの役に立ってやるよ……飽きるまでだが」
荷物をリュックに詰めるだけ詰め込み、下っ端の手の届くところにプルタブを開けてビールを置いた。
「世話になったな。おまえは嫌いじゃなかった。よーしそんじゃあゴー!」
と、改人の背に飛びつく。すぐに、ああ、と不快感をこぼした。ゆっくりと触手群が蠢いていて、弾力性があり、ぬめってこそいないがいい気持ちではない。
「離れろ、ついて来るな」
「そう言うなって、パトカーのサイレンが聞こえ出したぞ」
「正気じゃない」
そう言った改人が、跳ねた。
あんただって、正気には見えないな。エンジニアはそう言いたかったが、改人のスピードが予想以上に速く、しがみつくのがやっとだったので。
暗い円柱状の下水道を進みながら、改人に背負われたままエンジニアが言った。
「なあーあんたほんとにこんなとこに住んでんの?」
「他に住むところがないから。いいかげん降りろ」
「……ふーん」
しばらくすると、ちょっとした空間に出た。簡易的な寝床めいた布の塊。どこからか拾ってきたのであろう汚い箱。
やっぱ帰ろっかな、とエンジニアは思った。が、おそらく生き残った犯罪組織の一員が、自分の事を警察にゲロっているだろう。しばらくは身を隠さないといけない。
しかも自分は裏の界隈ではそれなりに有名らしい。となると、他の犯罪組織に攫われ、またいいようにコキ使われるかも。防衛能力が要る。
それに改人がどうも気になる。ヴィジランテは、ヒーローの資格を取れなかったけどヒーローらしい事がしたいとか、そういう善的な建前や本音があったりするものだ。しかしこいつは違う。モヤがどうたらって奴を探している。その理由だけ聞いてからこの場を去るかどうか決めようと考えた。
「そのモヤの奴ってあんたにとって何なの。一応俺、裏稼業に関与してたから、もしかするとヒントになるかも」
改人は腰を下ろし、ゆっくりと口を開いた。
脳無、と呼ばれる改人がいる、と。
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Bパート
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脳無、と呼ばれる改人がいる。
住所不定、身元不明、戸籍は無く、社会的に消えてもそれほど関心の持たれない人間を素材として使い、オールフォーワンとドクターと呼ばれる人間たちによって造り上げられた改人。使用者に忠実で、強力な生物兵器、一個の装置。
適当なペーパーカンパニーから人気の無い郊外の住み込みのアルバイトを募集し、処置を行う。人格を虚ろにし、強制的に個性を混ぜ合わせる。そうして目的に合わせてカスタムし、ヴィラン的行動の駒として使役する。
だから、わたしが標的にされるのは自然な成り行きだった。
地下室に監禁され、狂犬を放たれた。それでどのような個性かを確認する為だ。
為すすべなく腕に鋭い牙を突き立てられ、ぼたぼたと血を流した。無個性だから。それが露見すると顔の無い男が現れ、わたしの頭に触れて人格を薄める個性を発動した。
姉さん、やめてくれ。とわたしは涙をこぼして呟いた。
後は港に確保してある廃倉庫、第三工場と呼ばれている改人造設施設に運んで終わりだ。
何体も造った他の脳無と同じ末路を辿る。
そのはずだった。
一つ、正確な事がある。それは、オールフォーワンは確実にわたしの中の人格を希釈したという事。
一つ、誤りがある。それは、オールフォーワンが干渉した人格は、わたしではなく、わたしの姉だという事。
かいつまんだ改人の説明に、エンジニアは質問を投げかけた。
「姉? よくわからんな。あんた、二重人格とか?」
わたしを生んだのは姉だった。と、改人は答える。
「いや、ますます意味が分からん」
わたしを生んだのは姉だった。
わたしと姉は双子だった。一卵性双生児というやつだ。いまでもその時の事を憶えている。温かく柔らかく、かすかな胎動が伝達する羊水の中で黒白の太極図のように浮かんでいた。
胎児の時に自意識があるかどうか、というのは関係ない。とにかく目は開いていずとも、目の前の生命は姉だと理解していたし、姉もまたわたしを妹だと理解していた。
そして、このままでは二人とも死ぬだろうという事まで。たびたび激しい衝撃が伝わり、とにかく息苦しく、活力ともいうべきものが湧いてこないのだ。
姉は悲しんでいた。わたしにはそれがわかった。脳が未発達の胎児でも感じ取れた。胎児だからかもしれない。姉は泣いている。
せめてあなただけでも生きろ、と姉はわたしに生命を明け渡した。後になってみれば、たぶんそれは姉の個性によるものなのだろう。
母は、原因は聞かされていないが間接産科的死亡。病院にて帝王切開でわたしだけが取り上げられた。姉がいなければ、わたしも死んでいた。だから。
わたしを生んだのは姉だった。
現実の事象はどうあれ、わたしはそう、思っている。
こんな事を話しても誰も信じない。児童養護施設で暮らす他の子に、腹の中の時の世間話を振ってみても全員が記憶にないと言う。
世の中には胎児記憶を持つ人間もいるにはいるらしいが、それは珍しい部類らしい。だからこの記憶はトラウマなのかも。人間は、ひどく恐怖した時や凄惨な状況に追い込まれた時の記憶が精神に刻まれるという。
普通科の高校を卒業したわたしは施設を出なければならなかった。しかし里親も無く、住所も無い。賃貸住宅の契約が出来ず、バイトをしながらネカフェでの生活が続く。
わたしは姉と違ってどうやら無個性らしく。いたって普通の、いや、珍しい人間のようだ。何かを切断したり、焼却できれば林業や廃棄物処理の仕事に就けたのだろうが、こればかりは仕方がない。
(ごめんね、姉さん。碌なものが食べられなくて)
(いいわ、気にしなくて。施設の薄い味の食事よりはマシ、ばかりか美味しいくらい。わたしは好きよ、このファミチキという揚げ物)
わたしが内心で呟く、と言うより、印象する、とでも表現するべきか。そうすると姉の印象がわたしの意識に滴る。
それは無意識的な会話に近い。ついついぽろりと零してしまう本音のようなもの。
こういった事例は現実にあるそうだ。記憶転移と言って、心臓移植でドナーの嗜好や性格が反映される。わたしの場合は、姉の個性の影響か、それが会話できるほど色濃く出ている。
(もっと稼げるところがあればな)
(危ないのはダメよ。健康保険証なんて持ってないのだから)
(そうだけどさ。住所不定だと、まともな働き口が見つからない。見つからないから保険に入れない。敷金なんて制度、なければな。それかわたしに便利な個性があったらよかった。物質を複製するとかあったら、元手が掛かるけど貴金属をネットオークションに流して)
(そういう考え、好きじゃないわ。個性に限らず能力というのは誰かの為に使うべきよ)
姉にそう言われると何も言い返せない。姉は個性をわたしに使って生んでくれた。
ごろりとネカフェの個室に丸くなって寝ころぶ。
この身体は、半分は姉の物だ。もっといい場所で寝かせてあげたい、もっと栄養のある物を食べさせてあげたい。
しばらくして、割のいい仕事を見つけた。人気の無い郊外の林業を、住み込みで手伝うという類だ。
わたしは長距離バスに揺られ、ぽつりと建っている平屋の民家で、他の応募者と同じく黒い霧に飲まれた。気づけば窓の無い部屋だ。そこで顔の無い男に頭を触れられて、姉を消された。
「で、その民家から窓の無い部屋へ強制的に移動させられた時に見たのが、頭と両手が黒いモヤの奴って訳か……レアな個性だな。瞬間的に距離を縮めているのか、ワープしているのか。そしてあんたの姉は、卵頭の人格を消す個性の身代りになったと」
改人が力なく頷く。
ていうか、あんた女性だったのかよ。とエンジニアはあらためて改人を見やった。言われてみれば体格こそ筋骨隆々としているが、細やかな仕草はどこか女性的だ。現に今も、しょんぼりとした体育座りは内股気味だ。
「じゃあその身体はあんたの個性じゃなくて、人造的な物なのか……だとしたら、いやまさか。とは思うが、そのドクターの外見って、ひょっとして」
とエンジニアは特徴を連ねるが、改人はドクターの姿を見ていないらしい。
「そうか、でもなあ、人造の改人なんてやってのけるのは、あの人くらいしか……まいいや。あんた、なかなか複雑な事情なんだな」
「わかったら、消えろ。わたしは一休みする」
「いや、俺はあんたが気に入った」
「は? どこが、こんな醜い改人を?」
「このご時世にヒーローでもヴィジランテでもなく、自分の目的の為だけに動き、個性を使う。それはヴィランってやつだ。つまりヴィランがヴィランを叩いて回ってんだろ? モヤのやつを探して、卵ヘッドに復讐するわけだ。イカしてるよ」
エンジニアは目をキラキラさせ、寝転がった改人の腕を引っ掴んで起こし上げた。
「立てよ、こんな所よりももっといい場所に本拠地を作ろうぜ。さすがにここで精密機器を使いたくないしな」
改人は、いままではゴキブリのように細い触角で周囲を探っていたが、今度ばかりはギョロリと目を頭部に生やした。
「おまえ、本当に狂ってるんじゃ……」
「バカ言え、これでも打算的だ。クソみたいな犯罪組織が俺の頭脳と技術を狙ってるかもしれない。ほとぼりが冷めるまで、あんたみたいなのが居てくれなきゃヤベーんだから」
エンジニアはごそごそと木箱を担ぎだした。移住するというのは本気らしい。改人と組むというのも。
「さっきあんたが潰した組織のリーダー格の裏金とか資金がプールしてあるダミー会社が、この近くにある。パクられちまった以上は出所後に使う金だろうから、さすがに吐かないだろ。しばらくはそこを本拠地ってか、秘密基地にしようぜ。悪の秘密基地」
改人は、はしゃぐエンジニアを見て思った。
男の子って、そういうの好きだよなー。と。
養護施設に居た頃、そういう男子は多かった。あの頃は、まだ姉の人格があった。姉さん……
改人は、なんだか懐かしい気持ちになった。だからまあエンジニアの無理くりの誘いに乗ってやる事にした。
エンジニアは、久々のシャバにテンションがおかしくなっていた。しかも、悪の組織の技術屋になれるのだ。誰だってワクワクする。
下水道を進み、時折マンホールから顔を出して位置を確認し、雑居ビルの一階のフロアの床を下からぶち破って侵入した。カーテンの閉め切った部屋に事務机が一つ、その上に埃の積もった電話が一個。
「少し埃っぽいが、地下よりマシだろ」
「まあ、な」
それっぽい金庫を壊すと現金がほどほどにあった。当面はこれで家具や器具を揃えることになる。その後の収入源は、ヴィランから頂けばいい。幸か不幸か、ステインとかいうのが有名になったおかげでヴィランの動きが活発だ。
「器具ってなんの」
と改人が雑巾で床を綺麗にしながら言った。
「言ったろ? サポート科だったって。現役ヒーローが使ってるようなやつみたく、メチャ便利なアイテムを作ってやるよ。今後は、俺の事は博士と呼んでくれたまえ」
「いらない」
「……え、じゃあなんで俺と組んだの?」
改人は、なんとなく寂しかったからとか、久しぶりに人とまともな会話をしたから、とは言えなかった。
「……やっぱいる」
「だろ。今から悪の組織の結成祝いに美味しい物を買いに行くけど、なんかリクエストある?」
「違法組織に狙われてるんじゃなかったのか?」
「まだ俺だけ逃げ出したって情報は出回ってないだろうから大丈夫。向かいのコンビニでマスクとか買って変装するし」
改人はちらと締め切ったカーテンの隙間から向かいを覗いた。あなたとコンビに、のコンビニがある。
「じゃあ……チキ」
「うん?」
「ファミチキ」
「生のニワトリとかじゃなくて?」
改人は無言でエンジニアあらため博士に腹パンした。
博士は食道をせり上がる酸っぱいのをなんとか飲み込んで、すまんと片手でジェスチャーしながら事務所、ではなく悪の秘密結社を後にした。
「やっぱ組んだの間違いだったかなー」
改人は誰も居ない一室で誰に言うでもなく、そう口にした。
―――
エンディング
―――
その夜は、二人にとって晩餐だった。
博士は今まで、欲しいと思っていても面倒がられて買ってもらえなかったクラフトビールの飲み比べ。
改人は、小さな紙袋に包まれたファミチキを両手に握ったまま動けずにいた。
改人になってから空腹を感じず、また稼ぎは不安定だったし、こんななりで店に入るのも躊躇われていた。それに、ファミチキは姉と一緒に食べた最後の食事だった。
なかなかファミチキを口にしない改人に、無責任とわかっていてもエンジニアは勇気づけずにはいられなかった。
「まあその、なんだ。人格を消す事が出来るんなら、ひょっとしたら元に戻せるかもしれ……ないしさ。今日くらいはちょっと贅沢してもいいんじゃない?」
シャボン玉のような気づかいだった。それでも改人は、そんな言葉をかけられたのは久方ぶりだ。意を決してかぶりつく。わざとらしい脂が口いっぱいに広がった。肉の味というより、人工的オイシイの味がする。懐かしかった。
目を出したり消したり出来てよかったと、改人は思った。姉を思い出して泣いてしまいそうだ。わたしの人格が代わりに消されればよかった。姉のような、身代り、の個性があればよかった。でも、こんなおぞましい化け物に姉を宿させるのも酷に思えて、どうしようもなくて、だから、どうしようもない気持ちでいっぱいになった。
「なあ、あんたの事をなんて呼ぼうか考えてたんだけど」
「本名は、捨てた。こんな身体で、姉さんの妹は名乗れない」
そっか、と博士はチーズを一口やって、ビールで流し込む。ナッツのように濃厚で、鼻から柑橘類を思わす香りが抜けた。好きなビールだ。
「でもこれからあんたをモヤの奴らに知らしめなきゃならん。そうすりゃ向こうから仕掛けてくるかもだし、手間が省けるだろ? プロデュースするにあたって、名は要る」
「なんでもいい、名前なんて」
「ふうん、じゃ、あんたの複雑怪奇な生い立ちにちなんでインブローリオってのは」
「なにそれ」
「複雑とか、紛糾とか、もつれって意味」
見た目も、そうだし。とはさすがに続けずに、博士は傷心してるように見える改人にビールを勧める。
「いやわたし、未成年だから」
「マジかよ!? 人生で一番ビックリしたわ!」
と博士は鼻からビールを垂らし、えずきながら心底驚いた。
改人が、インブローリオが椅子代わりにしていた木箱からゆらりと立ち上がる。
「まーた腹パンされたいわけ」
「ごめんごめん悪かったって……ちょ、今ビール入ってるから! 胃にいっぱい入ってるから! 待っ!」
―――
Cパート
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一人のヴィランが車で遊園地の改札口に突っ込んだ。そのまま慌てて降車し、園内に逃げ込む。
追っていたヒーロー達が内心で舌打ちする。よりにもよって、休日の昼間にこんな場所に逃亡するとは。
「急いで遊園地の管理部へ連絡しろ! 市民を退避させるんだ!」
「クソッ! 人質を取られたら事だぞ!」
「サシでの対人能力が高いヒーローを応援に呼んでくれ! 僕の個性では辺り一帯が、向こう百年は生命が芽吹かなくなってしまう!」
なにこいつ怖っ。というヒーロー達の耳に、重厚なエンジン音が響いた。
「もう応援のヒーローが!?」
「い、いや違う! あれは、あいつはまさか!」
視線の先には、黒い大型二輪が道路のセンターラインの上を走っている。ドライバーは水色のフルフェイスヘルメットに白いスカジャンを着ていた。すれ違う対向車は思わず肝が冷える。
ハンドルとサドルがほぼ水平に位置し、ウィンドスクリーンやサイドミラーといった、およそドライバーの負担を軽減するコンポーネントはことごとくオミットされている。
小気味よいギアチェンジで増速した。速度メーターは無く、【強行巡行】のパネルが【強襲加速】に変わる。
暴力的で、環境省や排ガス規制に真っ向から食って掛かる非合法エンジンが、ドライバーの情感を代弁するが如く唸りをあげる。景色が後方に引き伸ばされているような感覚さえ抱かせた。
止まれ! といった風のヒーロー達が立ちはだかる。ドライバーがハンドルについているスイッチを押すとクラクションが鳴る代わりに車体が跳ねた。そのままヒーロー達と入園ゲートを飛び越え、ターゲットを視認する。
ずるり、とヘルメットや服が、内よりいずる夜色の触手群に飲み込まれた。そうして姿を現した一体の改人は、空中で二輪を人気の無い噴水に投げ込む。盛大に水しぶきが飛び上がり、雨のように降り注ぐ。それに気づいた園内の人間は蜘蛛の子を散らすようにその場を離れた。
逃げるヴィランはそのおぞましい追跡者を振り向きざまに見やり、なんとかこの窮地を脱しようと知恵を絞る。
ちょうど呆然とする二人の子供を見つけた。親とはぐれたのか、とにかく人質としては申し分ない。あとはメディアが来るまで耐えれば、迂闊には攻撃されまい。
迫るヴィランに、二人の子供は恐怖で動けなかった。ただ、
異形の追跡者が、この世の生物とは思えぬ雄叫びをあげる。深く凍てついた、つんざく憎悪。姉妹も、ヴィランも、それを耳にした誰もが恐怖し、へたり込む。追跡者が着地と同時に残像が見えるほどの速度で太い腕を振ると、あらかじめ触手群の中に仕込んでいた刃物が弾丸のように投擲された。
ヴィランが対応できたのは技術でも才能でも訓練の成果でもなく、純粋な生存本能からだった。個性を発動させると、全身が大理石のように白く滑らかになり、飛翔する刃物を弾いた。
追跡者は口元に潜ませた通信機に悪態まじりに呟く。
『おまえのアイテムってバイク以外は使えないんだけど。ほんとに有名校のサポート科?』
『いつになったら博士って呼んでくれるんだよ。投擲後に空気抵抗や重力から逆算して最適な形状に変化する自信作だぞ』
追跡者は脚部をウサギのように変質させ、ヴィランに向けて跳躍した。アスファルトがその力に耐えきれず破壊される。その加速力を込めて、右腕の触手を細く強靭に編み上げ、疑似的な増強筋肉にして腹を殴り抜く。
大理石のようになったままのヴィランは、砲弾のようにアトラクションのナントカマウンテンに突っ込んだ。
かの雄英高校の建設にも携わった建設会社が個性を用いて設計したこの遊園地は、その顎が外れそうになる運動エネルギーになんとか耐えた。山肌にめり込んだヴィランは相変わらずだ。
すぐさま追撃に移り、体内に忍ばせていた刃物や鈍器、その他諸諸の純粋な暴力を振るうが効果が無い。追跡者が愚痴る。
『ヘリの音がする、メディアだ。そろそろ園内の避難が完了してヒーローが来るかも』
自称博士が自称悪の秘密結社の一室でタイプしながら答えた。
『いま警察のデータベースを盗み見した。そいつ、石になってる間はあらゆる物理攻撃を防ぐぞ。水没させて酸欠も無理だ、どうも石の内側は精神だけの存在になってるらしい』
『いつの間にクラッカーに?』
『いや、たぶんこれ警察はヒーロー向けにワザとセキュリティを甘くしてるな』
『とにかく相性最悪って訳か』
『今回は見逃せない。そいつ、ヴィラン連合と繋がりのある義爛ってブローカーの手下だ。公開でシメて、盛大に喧嘩を売ろうぜ。やり方はある』
『本当だろーな』
「アレです! 見てください! 観覧車の中心部!」
とヘリからアナウンサーが指した方向には夜色の追跡者とビビった顔のままの石像がいた。
「信じられません、この子供たちの夢のような休日が、白昼堂々ヴィランによってアレされています! ヒーローは一体なにをしているのでしょうか!? まったくもってアレです!」
追跡者は石のヴィランを『触手』で吸着したまま、空中に放って『蔦』で腕を伸ばし、地面ギリギリのところで落下を止めた。
そのまま観覧車の中心部に残った四肢を這わせて身体を完全に固定し、腕を振り回す。
「ああー! 視聴者のみなさん! アレ! 見てください! ヴィランっぽいのが石像を振り回しています! これはアレです!」
徐々にその回転速度は上がっていった。数分して解放し、地面に叩きつけると遠心力に参ったヴィランが個性を解いた。勢いよくゲロっている。
『いくら精神だけでも、酔いはするって事か』
『そういう事だ。報道ヘリも来たことだし、やろうぜ、宣戦布告。園内のスピーカーもジャックしてる、一旦、通信は俺じゃなくてそっちに回すからな』
追跡者はふらふらのヴィランを引き上げ、ぼこぼこにしてヘリに向かってツーショットで言った。
「頭と両手が黒いモヤの奴を知っているか」
底冷えのする、ガラリとした声色だった。それが園内に響き渡る。
「わたしは脳無、インブローリオ。ヴィラン連合の敵。オールフォーワン、お前を始末……え? 悪の秘密結社のくだりはいいってダサいし……いやそういう意味じゃ……ぇえー」
そこは都内にある雑居ビルのワンフロア。
こうしてたった二人ぼっちの自称、悪の秘密結社による無謀な姉の奪還作戦は、ヴィラン連合に対する明確な宣戦布告は、高らかに上がった。
高らかに上がったのだ。
脳無:インブローリオ
個性:無し
AFOに与えられた個性:触手、蔦、蛭。
体内に博士が作ったいろんなアイテムを隠し持っており、以外と多彩な攻撃手段を持っているぞ!
高身長で逆三角形の筋骨隆々の体躯。でも人格は花も恥じらう女の子!
人間:博士
個性:精密操作
流れで生きているぞ!
インブローリオだったモノの姉
個性:身代り
誰かの身代りになるぞ!